エヴァ・ウォッチング
 
、とでも言えばいいのか。人造海人エヴァンゲリオン九号機は海上に見事な機動を見せた。
peduncle archから始まり瞬時の潜行。そして海中を自由に駆け回るとBreaching(跳躍)!水の爆発が起こり巨大な泡の花が咲く。一瞬、月の光に照らされてかATフィールドの尾鰭が輝く。フジツボが付着しとるわけでもあるまいに、体をわざと水面に叩きつけるのは遊んでいるためだろう。それから潜水艦よろしくのSPY HOP(頭部を突如水面上に持ち上げて30度から180度の周囲確認の後ののんびりとした潜行)で笑いを誘い、最後にはBlow、いわゆる潮吹きを両掌での水鉄砲でショーの幕は閉じた。
ネルフ本部で行われる起動実験の重苦しい緊張感など微塵もなく、確かにこれはショーというか海のサーカスでも見てるような気分になってくる。必要最低限の機材はきちんとまわっている・・・・これは研究者たちの十八番だ・・・・拍手喝采すらあがった。
 
満月の下、九号機の起動実験は無事、成功した。
つまりは正式に第三類適格者が専属操縦者として認定された、ということだ。
起動可能や否や、というのは挨拶代わりの水上跳躍、そしてあれだけ自在に動かしているのを目にしている以上、白々しくさえ思える。訓練いらずの巨大な適性・・・・それがサードの特性なのだろうか、と葛城ミサトは思う。計測等を受け持つ研究者たちの反応も、一輪車に乗れる人間が二輪の自転車に乗れたことをわざわざ喜ぶようなざーとらしさがあった。認定者としての自分に向けての。これで、今現在、九号機に搭乗しているあの子は
 
 
グエンジャ・タチ
 
 
初めてこの目にしたのは歓迎パーティのさなかのことだった。研究者たちの飽くなき好奇心によるエヴァに対する専門的質問攻撃に辟易していたところに、少年は現れた。
 
褐色の肌と黒髪は海水に塗れたままで、海水パンツ一丁で羽衣のように昆布をまとっている。ぺたぺたと足にはフィンをつけたままで。誰もその不調法を叱ろうとしない。
ぶるぶると頭をふり、誰かを捜していた。所長のキー・ラーゴであるらしく目立つハメハメハな格好はすぐに少年の瞳がとらえ、そちらに向かっていった。
野生児だわね・・・・・痩せて、あまり発育はよくない。これで十四というのはちょっと背が低い・・その時はそう思った。
 
「赤木博士」キー・ラーゴ所長はすぐに少年をともない、こちらにやって来た。
「この少年が今回の調査で判明したサード・チルドレン、グエンジャ・タチです」
 
よく言うわ・・・・百も承知で隠匿してたくせに。という想念は少年の瞳を見ただけで霧散・・・というか波に流され泡と消えた。そういう不思議な浄化作用が、その黒真珠の瞳にはあった。その反面、意志の騒がしい煌めきのようなものがなかった。子供のちょこまかとした体温の高そうな活動性というもののかわりに、一定の温度を保つ海温の大らかさ・・・・そんなものをそなえていた。これまた今までとはタイプの違う子だわ・・・・。
 
それだけでもない・・・・・もうひとあじ異なる違和感もあった。
それは、知性の攻性とでもいおうか、もっと世俗的にいえば見栄や虚勢がない。
己をこうして見せようとか、他者の間とに投影用に張る透明なスクリーンがない。
目の前に誰が立っていようが大根が立っていようが電柱が立っていようが変わりない。
かといって無視されているわけでもない。くすぐったいほどの観察眼で見られている。
知性・・・一般的にそう呼ばれるものは八割方、訓練による条件反射のようなものだ。
その意味でこの少年は”白知”とでも・・・・こちらの指示に的確に反応できるか否や・・・・・そんなことを腹の中で考えていると
 
少年は楽園のような笑顔をみせて挨拶した。
 
「「ナムなむナァー・・・・」」
 
葛城ミサト化け葛城リツコは耳を一瞬、疑った。何語かは分からない。が、その声は非常に耳に快かった。歌のような言葉。耳には各国研究者相手に翻訳用補聴器を填めている。
が、それでもその言葉は歌のようにしか聞こえなかった。そして、少年の喉元の傷跡。
 
「この子は声も嵐に持って行かれたんですよ。かわりに、口と歯で海の言葉を話すのです。
今のはタチの挨拶ですよ」少年のそばについた日本人研究者中軸ミキ博士が言い添えた。
「は、はじめまして・・・・タチ君。かつら・・・いや赤木リツコです。よろしく」
自分が何しに南の島くんだりまでやって来たのか忘れてはいない。だが・・・・
 
「どうですかな?”ウッ!”赤木博士。タチのパイロットとしての適性は」
キー・ラーゴ所長に後ろから声をかけられた。やばいやばい。考え事をしていると反応が遅れる。
「見事な起動っぷりですわ。文句のつけようがありません」
「”ウッ!” ”起動っぷり”ですかそれはいい。”ウッ!”ハハハハハハ」
「それに、あの巨体でああも速く潜行・浮上が可能なのは・・・」
いくら下半身がないとはいえ、シャチやイルカやクジラなんぞより遙かにでかいエヴァがあれよあれよという間に1000メートル級まで潜って上がったり出来るのはやはり。
LCLのおかげで潜水病にかかる心配がないとはいえ。ありゃやはり。
「さすがに慧眼ですな。”ウッ!”、海上での尾鰭形質(テイルフレーム)は肉眼で確認できるほど強いレベルでは”ウッ!”ないんですがお察しのとおりATフィールドです。そのおかげで格納庫にしまっておかずに海にそのまま繋いでおいても蛎殻やフジツボが”ウ!”つかないのです」
「実戦を経験しているチルドレンに比べるとかなり微弱ではありますが」
プリントアウトされた計測結果を見ながらそっけなく答える葛城リツコ。
「それは・・・タチが本気をだせばここいらあたりの海流が全て変わってしまうでしょう。海底も抉れてしまいます。ここは戦場じゃないんですよ」
分かってないわね・・・・・葛城リツコはその計測員をじろと睥睨する。
別にそんなことをいいたいわけじゃないのだ。
 
「九号機はどこまで潜行可能なんですか」
はっきりいって九号機は支援にしか使えまい。表だって戦闘の出来る機体ではない。
ただ、エヴァを起動させることができる、というだけのことだ。それでいいのだ。
自分の目で、肌で感じて分かった。南の海でのんびり海洋実験機としての生命をまっとうするべき代物だ。九号機からは”恐さ”を感じない。兵器が根本として持つ何かが。
下半身と一緒に九号機には欠如している。これでは使徒には勝てない。
応援が欲しいわけではない。エヴァ初号機四号機とはいわないが、零号機弐号機レベルではないと求める意味はない。頭数がただ増えただけで勝てるちょろい相手では、ない。
ただ。
 
このままならば、の話だ。
 
 
白衣をまとった科学者とは、興味をもつという姿勢、理解したい発見したい、という気持ちを失わずに自分が得たものを他人とわかちあい、理解できるまでその答えを探し続けてそして、理解したものを他の人々に説明し伝える、という尊い誇りを抱いている。
が、葛城ミサトはその白衣の中で本性を剥き出しにして悪事を企画しだした。
<なすべきことをなし 善のために生きる>というのは偉大なる海の王様・モナコ大公 アルベール一世の言葉だが、葛城ミサトはその前半だけ守る。
戦争とは、破壊であり後退であり退化であるなら、それを生業にする作戦部長職にある彼の女はいかな目論見を立てたのか。
 
 
それなら足をつければいいじゃない?
 
 
まるで「人魚姫」に出てくる怪しい魔女だ。だが、ここ海洋学の権威たちが集う実験諸島でそんなことを考えた者はいない。ましてや実行しようなどと。発想と価値観の違いがここにある。実は九号機に下手に足なんぞあろうものなら、海底を踏み荒らしてしまうのだ。
どうしてもあれば使いたくなるのが人情だし、その点エヴァの操縦系はそういうことにとても正直に出来ている。あとはバランスの問題もあるが、螺旋発生式のATフィールドの
推進力さえあれば海中内であれば脚部なんぞあれば邪魔なだけでなくてもいっこーに構わない。海中をエヴァのサイズでばた足なんぞしようものなら水中竜巻が起こりかねない。
 
だが、陸上、そして都市防衛のためには足がないと困る。王子様に会いにいくには綺麗な声より大地を踏みしめる足が入り用。自由を失ってしまうかもしれないけれど。
そういうことだ。それなら足をつける。ネルフ本部で。予算をつけてもらって新造してもいいし、足を奪っていった兄弟から奪い返してやってもいい。なんだかすげえ怖い話だ。
 
起動が出来てATフィールドが発生できれば御の字。少々のことはちゃいです。
あとはこちらで鍛えましょう。つーわけで、グエンジャ・タチ君、いただきです。
 
このような邪悪な想念を見破られぬために、葛城リツコは科学者っぽい質問をしてみたわけだ。一夜漬け同然で読んだスペック表では確か最大潜行深度は空欄になっていたような。
 
「いやー、それが分からんのですよ。あまり深くまで潜るな、と言ってあるのでね。
”サウンドチャンネル”のある1000付近ですな。そこでの音響実験をやったときが・・・・そう、おそらくこれまでの最大深度です」
ガルフ・オプ博士が答えた。ちなみに、”サウンドチャンネル”とは海中で音が遠くまで届くエリアのこと。海中での音の速度は水温と深度に比例し、つまり中間地点が一番音の速度は遅くなる。遅くなると届く距離が短くなるような気がするが、これが逆で速度が遅いと振幅が少なくなり音の減衰も少なく遠くまで伝わっていける。これが早いと振幅が大きくなり無駄な距離を駆けて音の減衰も大きくなり途中で消滅するからくりだ。
極海などは浅いところでこのエリアが発生し、鯨などはこれを利用して長距離通信を行う。
それはともかくとして、エヴァの体を鎧う特殊装甲板がどれくらいの水圧に耐えられるものか・・・・そういう実験はされていないわけね。まあ、かなり耐えるでしょう。
 
 
なんせ、マグマの中に潜らされたエヴァもいるんだからねえ・・・・・
 
 
もしかしたら、ここの人たちは九号機とパイロットが深い海にそのまま”戻ってこない”ことを心配したんじゃあるまいか。そんな、気がする・・・
 
「そこでですよ!”ウッ!”」
「な、なにがですか?」
 
「せっかくこんな僻地まで来てくだすったんです。”ウッ!”南洋の美しい海中を楽しんでいかれたらと思いまして・・・・こんなものを用意したんです”ウッ!”」
 
見上げてみるとクレーンにつり下げられたボール型の潜水艇。なんかボロい。
 
「タチにそのまま持っていってもらいますから推力のスペース分広くて快適なのです。
どうですか?これで九号機がどこまで潜れるかその目で確かめられるというのは」
 
「なっ!?冗談じゃな・・・・」
 
ジャキ。目の前に向けられる銃口。くそ、この親爺・・・・海の中に置き去りにする気?
「これなら、事故で片づけられますからな。さ、参りましょう。ネルフの作戦部長殿」
 
ばれてた。
 
「身分詐称してたのは謝るけどいちおー私も第二東大卒なんです・・・けど・・・・
こんなことしてタダで済むとおもってんの?」
「別に水中観光にお誘いしておるだけですよ。この間のギルの誘拐犯のように知能鮫の水槽に叩き落としてエサになってもらうわけでもなし」
「うわ・・・えげつえなあ。にしたってバレバレでしょーが!!誰がやったか」
科学者集団だからって甘くみていた。ちきしょう、どいつもこいつも銃器所持かっ。
一息に三人くらいなら片づけられる戦闘力の持ち主の葛城ミサトもさすがに周囲全員から銃を突きつけられた日には戦いようがない。しかも本気だ。怯えもない。
「ばれはしませんよ。わたしもいきますからな。まさか実験諸島の所長自ら事故死の偽装をやらかすとは思いませんでしょうからな。ウハハハは」
 
「な・・・・・・・」まともじゃない。
 
「別に驚くことはないでしょう。タチ、私たち全員の子供を奪っていこうとする相手にはね。しかしさすがに実戦機関のネルフ、それも作戦指揮をとってこられた人間相手にはそこまでしないとごまかせんでしょう」
本気も本気、大本気だ。人間爆弾方式で己ごと玉砕かます気だ。
 
「さ、楽しい海中デートと参りましょうか。これから死ぬほど美しい光景が見られますよ」「そんなに美しくなくたっていいわよ。そういえば・・・・」                    
そういえば、人魚姫に足を与え声を取引した魔女はあの後、どうしたんだろうか。
もしかしたら、声優にでもなってけっこう幸せに暮らしたんじゃないかしらん。
 
 
暮らす、か・・・・・
 
 
アスカとシンジ君、どうしてるかな・・・・・・・
 
 
走馬燈を走らす気はない。自分の才覚にかけてなんとしても生き延びる。
が、それが及ばなかった場合、「事故死」する他無し。なんて人生だろ。
 
何を残せるだろうか。遺しているだろうか。あの子たちに。
どこから来たのか分からない少年には先行きの成長の願いと祈りと、慣れぬ戦の安息を。
競うこと争うことしか教えられなかった少女には、無為に過ごす時間を。平穏に終わる日々を。あの二人の子供に会ってしまったという現実は完結しているだろうか。人の現実は出会いから始まる。朝の出会い、昼の出会い、夜の出会い。長い出会い短い出会い。
その中で与えたいもの。あの二人に与えたいもの。与えられるもの。
 
 
「くっくっく・・・・・」
葛城ミサトが笑みをこぼした。あまりの神経の太さに研究員たちが逆にびびった。
幹部博士クラスはさすがにこれまで使徒戦を制してきた作戦指揮者の潔さと度胸に内心、唸りもした。それくらい自然な笑みだった。東洋の神秘だった。
 
 
一番、そのことに感心していたのは当の葛城ミサトだった。
あのふたりのことを考えるだけで笑みがこぼれてくる・・・・。こんな遠方で。
うーむ、あたしは、それくらいあの二人の子供が好きだったのか。そうらしい。
くっくっく・・・・・・・
 
 
うつむき笑いながら三歩ほど前進する。ズン・・・ズン。眉間を狙う銃口の前。
ごつん!とそのまま銃口に頭突きをかます。うろたえはじめる包囲に向かって葛城ミサトは牙を見せた。「おあいにく様。あたしはこんなもんじゃ死なないんだ」
「やられる時はあの子たちを倒した使徒にやられるんだ。そう決めてるわけよ・・・」
 
 
さア、上等だ!!このまま純真無垢な我はわだつみ海のチルドレンを口先三寸で一気にエヴァ操縦者としての自覚と性根と根性を叩き込んでそのまま日本まで帰っちゃる!!
それから、シンジ君とアスカともうちょい一緒に三人で住むことにしよう!
さーてなんて言って団地持ちのシンジ君を引き込むか、だけれど・・・・それはまあ、おいおい海の中で魚でも見物しながら考えることにしましょう!
 
 
「と、なりゃさっさと行きましょう!さア!」
似合わぬ白衣をざっと脱ぎ捨て、葛城ミサトは潜水球に向かって歩き出した。
ポジティブ・シンキングというのもぬるい、アルティメット・シンキングである。
人間離れした決断力で相手の頬をビビビと張り回すと世界一景気のいい魔女の足取りで。
 
 
 

 
 
 
「ただいまあ・・・・」
はなはだ景気の悪い声が葛城家の玄関に落下する。惣流アスカである。
放課後、なるべく時間をかけて遊びまわっても夕暮れて必ず夜になる。
葛城ミサトが出張し、この家には少女ひとり。
 
「葛城さんが帰ってくるまで、うちに泊まることにしたら?ねっ、そうしなよ」
と、友人である洞木ヒカリは言ってくれたのだが、惣流アスカは丁重に断った。
そのかわり、とても面倒みきれないペンペンを預かってもらった。それで助かる。
「ありがと。・・・ごめん」鈴原トウジもつっこめない真面目な表情。もとはコイツ、こういう面白みのない奴なんちゃうかな、と意外に人間関係に聡い彼に思わせるくらいに。
その反面、日毎に弱っていくように見えないでもない惣流アスカに対し、変わらずマイペースの碇シンジには、こいつ意外に冷酷なやつかもしれんのうという評価のマイナスが
与えられる日もあったのだが、今は「別の女の人の家から通っている」状態ともなればどうも同じ男としてはぎゃいぎゃい言えなくなってしまう。育ち盛りのくせにここのところ
ろくなものを食べてない惣流アスカに、見かねたのか碇シンジが弁当を渡した日があったのだが、じろ、と見ただけで物も言わずに突き返した。・・・・・・・・・・
 
 
、とこれにはさらに続きがあり、その弁当はなんと「空」だったのだ。
 
 
弁当突き返しの時には一瞬して零下まで静まり返った教室がその弁当の正体が割れた途端にどよめいた。嫌がらせなのか喧嘩を売っているのか、とにかく惣流アスカの激怒は避けられまいと誰しも思い、爆炎の怒声が発せられる前に耳をふさいだりした。だが
 
「お弁当、つくってこようか。これで」「・・・・いらない」
 
「うん、わかった」そう言うと碇シンジはパンを買いに行った。その後で惣流アスカの腹が「きゅう」と鳴った・・・・。その周辺は絶対領域になっていたので、他の生徒には聞かれなかった、かもしれない。とにかく、あの二人にはこのところ誰も口出しできなかった。仲違いしているのか、そうでないのか、それすらもよく分からない。
「離婚直前の夫婦みたいだ」とこの間兄貴夫婦が別居してしまった生徒が評した。
それが的を得た例えなのかどうか分からないが。
ともかくギクシャクしとることだけは確かだ。
 
 
ギクシャク・・・・惣流アスカは確かに自分の裡にそういうものがあることを感じており、認めている。自分の中のブラックボックス。埋め込まれた金属の冷感。機械のような戦闘知識群。近頃、それらが頭の中を暗く蔭う。家の中で一人いるとき、授業中、通学途中・・・通常の生活を送っている時間にそれらが緊張をともなって自分の裡で稼働することがある。戦闘時のような極度の緊張が睡眠中にふいに起こり、撥ね起きることもしばしばあった。全力疾走したよりも激しい、破れそうな心臓の鼓動が止まない。
 
原因は分かっている。前の、独逸にいたころの自分に戻ってきている。
ギルの教育訓練を受けていた頃の自分に。感覚神経が研ぎ澄まされているのが分かる。
単純な動体視力、聴力なども通学中などにふっと驚くほどの鮮やかさで自分に外部情報を送り込んでくる。街を見ても、エヴァと平行する戦車の軌跡を考えていたりする。
 
葛城ミサトがいれば、「神経過敏」の一言で済ませただろう。事実、そうなのであろう。
だが、その過敏さが少女の裡から引き出すものが問題なのだった。のんびり風呂につかっている時に「都市制圧の要項」なぞという攻性の知識が浮かんでくれば神経も尖る。
隙を見て襲いかかってくる、といいかえてもいい。一人でいればどんどんと。
過去の自分が。さしたる時間が経過しているわけでもないのに。別人のような感触で。
 
このところ起動実験もないので分からないがシンクロ率も上がっているような気がする。
セカンド・チルドレンとしては喜ばしい精神状態であり、結果だ。
 
バランス、といってよいのか。安定を欠いているわけでもない。
ただ、なんだろう。この身軽さは。風の舞う枯れ葉のような。
鉄でできたヒイラギの葉。知らぬうちにそんなものが後ろ髪に差し込まれている気分。
 
元の自分に戻りたくない?
 
今の・・・自分がいい?
 
”今の”・・・・この誰もいない寂しい家に一人いる自分?
そう、依存となれ合いの関係に安穏とするくらいならば。天才は孤独の闇を必要とする。
少女の体内で、ようやく出番を迎えた巨大な才質がメキメキと音をたてて発芽成長し、そのほそい小さな背中をバックリ割ってこの世に出現しようとする。感覚器はそれに備えてひたすら鋭敏清浄であろうとする。今までため込まれていた経験値がようやく血肉を製造し始める。戦闘のための勝利のための肩書きを大量生産し細胞に発布していく。
 
 
 
かわりゆく
 
 
 
その目は自分の内世界を見ている。炎の都市。それをエヴァ弐号機とともに見下ろす自分。
世界を焼き尽くすために生まれた・・・・んじゃないか。自分たちは。
使徒との戦闘が拡大すれば・・・戦火は広がり。渦となり。自分にコントロール出来るのか。たかだかちょっと一人にされたくらいでここまで不安になる自分に。
渚も、ファーストも、そんなことはない。自分に預けられたものをきちんと管理するだろう。使徒に倒されて死ぬことはないか。有力者に洗脳を受け兵器として使われないか。
考えていけばきりがなく。不安になるばかり。それを消すために戦闘者の個性が頭をもたげてくる。防衛本能というものだ。葛城ミサトもまあ、まずいところで出張したものだ。
 
このところ帰ってきた途端に居間のソファで鞄を投げ出して眠りだす惣流アスカ。
眠ってる間に才能が少女を強化する。メキメキメキ・・・・・・その眠りは根が深く、
何者かが合い鍵でドアをあけて家の中に入ってきてもいっこうに気づかない。
「あーあ・・・・よく寝てるなあ」その人影は少女の体内でごうごうと吹き荒れる鉄と炎の嵐にも黄昏の匂いにもいっこうに気づくたふうもなく平和につぶやいた。
「じゃあ、寝かしておいた方がいいかな・・・・じゃあね、アスカ」
 
その割にはその人影は玄関から帰りもせず、台所にむかった。勝手知ったふうに冷蔵庫や戸棚をあけていく。「なんにもないなあ。冷凍ハンバーグとソーセージばっかり。買い物してきてよかった」がさごそとスーパーのビニール袋をあさる音。惣流アスカはまだ気づかない。そして人影は台所で料理を始めた・・・。
 
 
 

 
 
 
ユダロンシュロス・地下二階”水族管室”
やけに寒い。しかも通路も水浸しになっており歩くたびにビショビショといやあな音をたてる。野散須カンタローの情報と加持リョウジの作成した地図によるとここは、館主の孫が大の水族館狂いで、そのために造られたらしい「水族管室」。
水族館、ではなく、水族管室、というのはここが縦穴で、その中央に巨大な試験管がさしこまれており、その周囲を螺旋階段が囲っている構造になっているからだ。
そのため、ここでは魚も「縦」に泳ぐ。あちこちに「記号の守護者」怪物の紋章板が掲げられているのだが効果は薄いらしい。さかな、というより”ザカナ”に変容してしまっている。
この巨大な試験管に生きる生物だけで新たに図鑑が三冊くらい出版できるだろう。
クラウゼ・ギミックも「趣味の領域ですので」お客の身の保証はしかねると言い切っただけあって、こんなところで漏電したら一発だ。
 
綾波レイは螺旋階段を下りながら赤い瞳で水族管を見ていた。続くメッサージュウ。
それが珍しいらしい、中の生物たちが寄り集まって管外の赤い瞳を見返した。
赤い瞳を持ち、空気の中で生きる奇妙な生物。
その姿は・・・・・・・
 
少女のものだった。
 
元に戻っていた。あれから二日の時間が過ぎた。綾波レイ以外の面子は全て赤ん坊まで若返ってしまっていた。完全な赤ん坊だ。知性のちの字もないただの赤ん坊。
ただ、奇妙なことに野散須カンタローの足は義足のままで、赤ん坊用義足だった。
綾波レイはその小さい義足をつまんでみた・・・・・幻ではない。
ニワトリ幻獣メッサージュウは変化はない。かわいくない目で見上げていた。
とても館主の探索どころか、単独では生存も不可能の有様だ。
とてもじゃないが、自分には赤ん坊の世話など出来ない。しかも四人も。
「まあ、元に戻らなかったらこの村で面倒をみて差し上げますよ。ここも出生率が今ひとつで新生児は歓迎されますのでね。将来はこの村の一員、喪失言語の保持者としてまあ、育って頂くとして。そちらのニワトリ君もいずれクリスマスにでも」ほくほく顔の銀仮面、クラウゼに四人を今朝預け、今日一日全速力でユダロンシュロスを探しまくった綾波レイ。レリエルが自分を成長させたのは時間稼ぎであったことが知れたがその得タイムを用いても館主を捜し出せる保証はない。
頼みの綱は四人が残してくれた「館地図」。ここまで自分が得た情報を加味してなんとか「館主の孫」の居場所が分かった。それがここ、水族管室。螺旋階段の最後まで来た。
 
 
皺皺のほぼミイラ化した人間が車椅子に座っている。ガウン等、なにも纏っていない。
自然の生まれたまま、というか死んだままというか、つまりフリチンだ。
「あまり見ないでくれたまえ・・・・というのは、君のような綺麗な少女に我が裸身を見られたことが知れると我が愛する妻が非常に不快がるんでね」
かさかさした声でミイラはそう言った。
 
 
「館主を捜しています・・・・」ここまで来るのに幽霊と話したことが計6回。
今更ミイラが口を聞いたとて驚いてやる理由はない。どころか話してもらわないと困る。
 
 
「”ユダロン”を起こしに来たのかいやめた方がいいなあそれは・・・・というのは言葉を奪われた人間というのはそりゃあ予想もつかない惨い行動をとるからねえ。言葉を司る脳部分はデリケートでね、積み木をいきなり崩すようなものでそいつをやられた人間は不思議なことに同じ言語族の人間をガツガツと”共喰い”し始めるんだ・・・・というのは」
 
 
「館主を捜しています・・・・この館の呪いを解いてもらうために」
 
 
「君の装備はすごいねえ。銀の矢のボウガンに怪傑ドバットのロープ聖者ホリー・ドラエクのナイフ”オンゴロ学者の仮面槍”こんなものまえで家にあったのかよく見つけたねえ・・まるで冒険者だ・・あるいは盗賊かな・・・」
館を巡るうちに拾うなり貰うなりして増えていった装備だ。当初装備した剣など二、三回
戦闘したらへし折れてしまった。つーか、物理的攻撃の効かない相手の方が多かった。
盗賊(どろぼー)と言われれば謝るしかないが、クラウゼは全面的協力を約束したし、ネルフの緊急マニュアルにも「やばい時には波動砲もしくはドリル、あるいは現地調達」とある。ので、綾波レイは謝らなかった。
 
 
「君たち”外から”のお客さんには呪いの館に見えるかもしれないけど、僕たちには愛しの楽しい我が家なんだけどなあ。・・・・・といっても理解されないかな。・・・・ところで何に”変わった”のかな?」
 
 
館に住み着く”もの”たちの話を総合した結果、館主に会うには一族の紹介が絶対に必要で、それがないものと館主が出会うことは「絶対にない」、ことが分かった。
直接、館主ではなく、その一族、外堀から埋めねばならない冬の陣なわけだ。
ユダロンのような物騒なものの管理をゼーレから任されているだけあって尋常一様な人間ではないようだ。銀仮面クラウゼは自らの主たちのことを”聖なるお方”と称したが、決して勤務上の世辞ではない、ということだ。ゼーレの内部闘争にユダロンが使用されることを防ぐだけの実力と家格を持っている、ということを。
ユダロン館主の一族は外に出ることを許されないだけあって、誰もかれも趣味人に、それも常軌を逸したレベルの趣味人になるらしい。曾孫の「人形の部屋」子供の「植物の部屋」大奥様の「鴉と鳥籠の部屋」子供の嫁の「刃物と料理の部屋」曾孫の嫁の「機械と戦車の部屋」などなど・・・・行方不明のそれら究極趣味人の部屋を手入れするクラウゼ・ギミックの有能さはあちこちで・台所のネズミにさえ・賞賛されていた。
館に住み着く”もの”無銭店子たちに言わせれば「昨日今日のトウシロにユダロンシュロスの家族を見つけるのは人生最高の運が味方しても不可能」らしく、綾波レイもワイン蔵で赤い服を着た女からそう言われたのだ。「若返ったくらいなら儲けだろ」と。
 
 
だが、わりあい、まだしも可能性がありそうなのは、と心許ない前置きで教えられたのは、
「そろそろ二人目の子供が産まれる孫夫婦」。そのために多少「移動速度」が遅く「出現頻度」が高まっている・・・らしい。アインシュタインに似た妖精の物理学博士から。
二人目は体外受精で生むとかなんとかで、ここ「水族管室」を案内されたのだ。
孫夫婦は気性が穏やかで外の人間に対しても割合寛容なのであるらしい。
これが曾孫夫婦だったらお勧めしないね、とも這う小麦粉の宿敵だった這う片栗粉が。
「あいつら人間じゃねえッ」
 
 
まあ、それはともかく。集めた情報通り、孫はなんとなく親切そうだった。ミイラだったが。おしゃべりだけれどそのかさかさした声色もあざける色はなく好色そうでもない。
綾波レイが事の次第を話すと、孫は「ふーむ」と考えた。「なんとかしてあげたいけれど・・・・というのは、元の成長した姿を僕は知らないんでね、君の知ってるのとは別の人格を構成してしまうだろう」
確かに道理である。若返りは記憶経験を抹消していく方向で進めばいいが、成長ともなるとそうもいかない。種は一つでも枝葉はいくらでも広がっているのだから。
 
 
 
えらいことになった・・・・・
 
 
「君、その人たちのことを話せるかい?たった一つの事件も落とさずに」
そんなこと出来るわけがない。能力的にやってやれないこともないが、海をスプーンですくって移し替えるようなもので時間がいくらあっても足りはしない。第一、他人のことなんかそこまで知れるわけがない。人間の時間というものがどれだけ恐るべきものか、奥深い谷底から吹く風のように感じる綾波レイ。
 
「お祖父様ならこの館のことはなんでもやってくださるけれど、お眠りになってるし・・・・・・・親爺殿ならまだ起きてらっしゃるかな・・・・というのは、この二人が眠ってるところを起こすと大変なことになるからなんだ。ふーむ」
ミイラの考える人ポーズ。解説口調で優柔不断っぽいが、相当なお人好しであるようだ。
 
 
「そうだ!クラウゼに親爺殿がまだ起きてるかどうか聞いてみればいい。時間に関してなら親爺殿のご専門だしね。中庭のオリーブの木で昼寝をしてるはずだ。クラウゼはとぼけるかも知れないけど僕の名を出せば教えるだろう。”ユーリヲン・ユダロン”。ああ、もしかしたらあの疑り深い銀仮面がこれでも教えなかったら”リ・クルーテッド・マリア・ユダロン”の名を出したまえ。美しいマイビューティ我妻の名だよ。これで確実だ・・・・・・ふーむ、クラウゼのやつにも最近油を差してやってなかったからなあ・・・」
 
そう言って立ち上がると、ミイラ孫・ユーリヲン・ユダロンは巨大試験管に付属しているガラスの梯子で上がっていってしまう。が途中で「あ、そういえば君は・・・・」
こちらからさんざん探す立場で忘れていたが、名乗りもしなかった。
「ネルフ本部から来ました・・・・綾波レイです」
 
 
「ファースト・チルドレンだったかな。天使と戦う実験をされた子供たち。
今度生まれてくる我が娘が、もしかしたら君の後輩になるかもしれない。その時はよろしく・・・とはいえ、別にそのためにお話したわけじゃないけどね・・・・おっと」
 
ぱしゃっ。聞くと水音が降った。
天から・・いや、試験管の上層から何かが一気にユーリヲンの前まで降下してきた。
 
「我妻(マイハニー)のご登場だ」
透明な試験管ごしに見える、泡の衣をまとった虹色に輝くとてもうつくしいもの・・・・
 
リ・クルーテッド・マリア・ユダロン
 
それは人だったのかどうか・・・あまりにうつくしいので虹色の残光にしぱしぱと赤い瞳を何度か瞬かせると、ミイラの旦那ともども消えてしまった。あれは・・・水の幻か。
 
 
会見は成功した。これ以上ここに冷水の気を吸っても体に悪い。
クラウゼ・ギミックに会いにいくとしよう。綾波レイはまた螺旋階段をのぼる。
 
 

 
 
 
海底2000メートルでボロ潜水球ははやギシギシ言い始めた。
 
エヴァ九号機によって海中に手放された潜水球はゆっくりと沈降を続けている。
その内部では
小さな照明のもと、葛城ミサトとキー・ラーゴ博士が互いに向かい合っている。
 
「あなたはもしかしたら話せば分かってくれるかもしれない、と期待しておったんですが」
葛城ミサトはエヴァ九号機に脚部を取り付ける話をしてやったのだ。相手は案の定、苦り切り、そして深く悲しんだ。白いため息が長かった。
 
「こうも好戦的なことを考えておいでとは・・・・。あてがはずれましたな」
 
「このまま一緒に海の藻屑になってもらいますぞ」
 
「冗談じゃない・・・・わよ・・」歯の根が合わぬ葛城ミサト。寒いこともあるが怖いのだ。深海の重圧、今にも水圧にペシャンコに圧殺されそうな恐怖、己の身もろとも相手を消し去ろうという人間の執念、そして何より・・・・「おとうさん」・・・・・葛城ミサトは重度の暗所閉所恐怖症の古傷をもっていた。さらに海洋をあてもなく彷徨うことが、幼い頃の悪夢の体験を思い出させて冷や汗が全身から吹き出していた。人間誰しも弱点はある。気合いだけではどうしようもないこともある。恐怖とは極度の緊張、それが体力と精神力を疲弊させ根こそぎ奪っていく。
 
この様で、「こうも好戦的」なことをのたまったことにキー・ラーゴ博士は内心あきれ返っていた。あて、というのは、深海にドシロウトである葛城ミサトをこの闇に引きずり込んだ挙げ句に、タチのことを話し合おう、ということだった。早い話が、「あの子を見逃してくれ」という脅迫である。精神的圧迫を加えながら。
陸上では百戦錬磨のネルフ作戦部長には実験諸島の所長とは言えかなうまい。力づくでものにされてしまう。単身、ギルへ乗り込んで行ったほどの烈女だ。先ほどなど銃口に頭突きだ。まともに話せる相手ではない。そこで、深海という自分たちの領域、パワーテーブルについてお話をさせていただこうという魂胆なのだった。要はネルフの作戦部長から「チルドレン認定」を取り消させれば良いのだ。このまま死んでやってもいいのだが、それではどうせ次がくるだけの話。
もう二度とタチを奪いに来る者が来ないようにしておかねばならない・・・・・
 
あまり知られていないが、深海は実に洗脳に適している環境だ。
光のない世界。どのように水が澄んでいようが水深100程度で海面の光のわずか1%ほどの量しかない闇と暗黒の世界。人間の精神を休眠退行させる働きがある。
 
人間は恐怖に弱い。そこから救い出す者のいうことならば何でも従う。
それがたとえ、他の人間に恐怖を与えることであろうとも。
 
「赤木博士・・・いやさ、葛城ミサトと呼んだ方がいいかな。ミス葛城。
人の頭の中には金貨が一枚埋まっている。日本人なら小判かもしれないが。
それがその人間の心が落ち着く値段だ。高ければ高いほど不幸なのは言うまでもない」
 
 
 
「・・・・・?」
 
 
「あの子を、タチを、見逃してくれい・・・・戦闘の適性はないと」
 
「・・・ふん、そう言って報告書にサインでもすりゃ助けてくれる寸法ね
・・・・やなこった」
ふるえる唇からあかんべえさえしてみせる葛城ミサト。筋金入りだ。
 
 
 
キー・ラーゴは怒りもしない。黙り込み、時を待った。そして、一時間。
 
 
「あの子を、タチを、見逃してくれい・・・・使える人材ではないと」
 
 
「冗談じゃない・・・。意地でも・・・第三新東京市に連れて帰るわ・・・・・」
 
 
 
意地であの子を殺す気か・・・キー・ラーゴの額に青筋が立ったが黙っている。
一時間、待つ。その間、どちらも完全に無言。水壁がギシギシ軋む音だけがする。
 
 
 
「あの子を、タチを、見逃してくれい・・・・無駄死になると」
 
 
 
「・・・・・おことわり」
 
 
 
「あの子を、タチを、見逃してくれい・・・・海から離せば乾き死ぬと」
 
 
「・・・・拷問でもやるべきだったわね。やり口がぬるいわ」
 
 
 
のし掛かる恐怖に震えながら、葛城ミサトはこの時間をおいた単純な嘆願が一種の催眠技術だということを忘れていない。ここで反応して激高なんぞしようものなら、相手の思うつぼだ。その精神の高ぶりが終わった後の虚脱感に付け入られて相手の要求をホイホイきくようになる。あくまで冷静を保たねばならないが・・・・・ここで難しいのは、あんまり悠長に冷静こいているとこのボロ潜水球が時間切れで圧壊する可能性もある点だ。
相手の攻撃に耐えながらこちらの攻撃を返しつつ、なおかつ時間制限あり。
しかも、この時間制限は相手には通用しない、こちらだけのルールのようだ。
相手は、このまま海に消えてしまっても半分本懐であるような面をしている。
半分死人の海坊主を相手にしてるよーなもんだわ・・・と内心でつぶやく。
冗談に紛らわせてないと、正気を保てそうにない・・・・、か。
 
 
でも、ここで自分が死んだらどうなるかなー・・・・・・・
 
 
かなり現実味をもってそう考えた。一応、はめられて殺されたわけだから暗殺ってことになるのかしら。そうしたら、誰か仇をとってくれるかしら。仇、つまりは殺したくなるほどの情愛ってことだけど・・・・・今、こうやって見えない温度でゴリゴリやられてるのがそうなのかしらね・・・・
 
 
「そうやって、ここまで体が張れるのは、やっぱ罪悪感?」
もとより自分を暗殺しちゃろう脅迫するぞという相手に敬語なんぞ使う必要もないが、これはほとんど本音がもれた結果だった。なにせこれから相手を説得して浮上しなければならないのだから。シリアスに礼儀は必要なはず、だった。
 
 
「罪悪感・・・だとうっ!!」
 
ところがギッチョン、相手の方が激高してしまったのである。何が痛いとこ突いたのか。
葛城ミサト本人にも分からずに、あっけにとられてしまった。だが、そこは抜け目のない葛城ミサトのこと、そこを逃さずさっさと連続二段突いた。
「だって、そうじゃない」そして、マシンガン突き。
「報告書にはそんなに詳しく書いてなかったけどさ、だいたい状況から考えて嵐の日に、あの子が乗っていた船を九号機が暴走して船底に頭突きを食らわしたとか・・・そんなところじゃないの?それをかろうじてなんとかあの子ひとりだけを救い出したとか。
記憶がないのをいいことに真実を教えずに自分たちの子供にしちゃってさ」
 
 
「ムッ・・・・・ムムムムムム・・・・ッ!!」
 
 
「罪悪感を感じなきゃ嘘だわそりゃ。偽物はいつも過剰に自分たちの正当性を叫んでなきゃやっていられないから。だからここまでやるんでしょ、あの子のためだって」
 
 
「ムッ・・・・・ムムムムムム・・・・・・・」
 
 
「だいたい、おかしいのよ。適格者にさせたくないなら、最初っからエヴァに乗らすなっつーのよ。海が好きなら潜水が得意なら普通のダイバーの子として育てておけばいいのよ。それが自分たちの実験に使えるからってエヴァになんか乗らせるからこういうことになるんじゃないのよ。結局、あんたたちは便利な働き手が欲しいだけなのよ。自分たちが肉体労働したくないもんだから。何も知らず何も分からず、こんなところに閉じこめて・・・・・ていのいい海奴隷じゃないの。後で詳しく調べさせてもらうけど、あの子をどれくらい潜らしてるの?毎日毎日半端な時間じゃないでしょう。パーティの時見たけど、昆布を巻きつけて海水パンツ一丁で客前に出させてそれが誰もおかしいと思わない・・・・。
こんな南の楽園にいれば下界の常識なんてお笑いなのかもしれないけど、おかしいわよ」
 
エヴァ九号機のことを知ったとき、「かわいそうな」というほんとうに笑うしかない感想が浮かび上がった原因がわかった。下半身がないことなんかじゃない。それは海に適している。かわいそうなのは、たった一人でエヴァに乗ることだったんだ・・・・・
たかが十四の子供が「ATフィールド」「使徒との戦い」「選ばれた適格者」人類の未知の領域にたった一人で立たねばならないことが。
 
 
激高しては相手の思うつぼ・・・・・・それは二人とも知っていた。
 
 
だが。
 
 
「罪悪感、これが罪悪感だと知っておればまだ良かったわい!!あの嵐の日のことは本当にわしらにもよく分からんのだ!!諸島海域外洋の九号機の遠隔操作実験は順調だった・・・しかし、ホワイトストーム!あのホワイトストームだ。なんの前兆もなく晴れていたあの日、十分もせんうちに猛烈な嵐が出現した。大海のパワーの前にはエヴァでさえ赤子のようなものだ。一気に波にもっていかれたよ。ボディが引きちぎられるほどの力でな。わしらにはどうすることも出来ずに実験船からの電源コードもあっけなく外れ、内蔵電源も作動せんかった。
半日、半日もの間、わしらは九号機の消息を知らなかったんだよ・・・」
 
 
「あの巨体が海の峡谷にでも落ちれば回収の方法はない。嵐の中だが、わしらは出来る限りの探索の法を尽くした。そして、消失地点から八十キロ離れたあそこで浮き袋を作動させた九号機とその掌にしっかりと波風から守られたタチがいた。客船がちかくの海域で沈んだことなど後で知った。調査はしたが、波の力で真っ二つの粉々だ。九号機が衝突したのかもしれぬが、証拠も究明のしようもない。疑うなら疑えばいい。だが、わしらには本当に分からない。九号機が客船を沈めたのか、なぜ一瞬内蔵電源を作動させて浮き袋を膨らます事が出来たのか、なぜ、タチ、あの子だけが助かったのか・・・分からんのだ」
 
 
「分からない分からないですめば科学者はいらないでしょーが!」
「分からないもんは分らんのだからしょうがない!科学者だって人の子じゃい!」
 
ぎゃいぎゃいと互いにののしりあう葛城ミサトとキー・ラーゴ。
海中では音が良く伝わる。無音の神域を汚す子供じみた舌戦の繰り返し。それは。
時間はかかったが、海で恐れられる「あるモノ」の聴覚器官まで届いてしまった。
彼女らはそれを知らない。ちりーん、ちりーん、と舟霊様の声が聞こえる。
 
 
「とにもかくにも、あの子はわしらの子じゃからな!何があろうとわしらの子じゃ!
今さら海に帰せるか!」
 
えたいの知れぬ子供を抱く手は震えることをしっている育ての親たち。
 
「話聞くだに思い切り怪しいじゃないのよ!理由も分からず超自然的にたった一人助かった子供?絶対に仕組まれてる罠よ罠!!とてもあんたたちの手におえるもんじゃないわ。悪いこたあ言わないからネルフに預けなさい!今ならまだ間に合うわっ!」
「その言いぐさが極悪なんじゃい!そんなことより早くタチを諦めんかい!このままじゃと本当にペシャンコにやられてしまうぞ。圧壊してもいいように一番ボロの整備もしてないやつに乗っておるんじゃからな、わしらは」
 
 
「預けなさい!」「諦めろ!」「預けろ!」「諦めろ!」「預けろ!!」「諦めろ!!」
 
 
「往生際の悪いジジイめ!あんたなんかバルタン星人に踏まれて死んじまえ!!」
「この欲深性悪女め!おまえなんぞクジラに飲まれてピノキオと所帯もっとれ!!」
「このっ・・・・水野晴夫の出来損ないっ特殊刑事課に就職しろっ」
「なにおうっ・・・この日本の海賊女め蛇の皮の三味線でもペケペケ弾いとれっ」
 
 
言い合いのレベルがズンドコと低くなっていっているのは、おそらく酸素不足のため・・だが、高尚に話そうが低俗に言い争おうが、同じように潜水球は沈降を続けている。
 
 
まさに海のチキンレース。シー・チキン・レースである。命知らずの彼女たち。
そろそろ隔壁もほんとうにやばい音をたてはじめている。
 
 
「・・・・・ふふふふ。そろそろ・・・泣きをいれんとマズイ領域まで来たぞ」
「ふん、怖じ気づいたわね・・・・・グエンジャ・タチ君を特務機関ネルフ預かりにしますってこの契約書にサインする気になったわけね・・・・ふふふふ」
「ふふふふ・・・・・わしはこの歳まで好きなだけ研究生活を送り、愛する海で死ねて本望じゃがあんたはそうはいかんじゃろう」
「ふふふふ・・・・・あたしだって海は嫌いじゃないわよ・・・・・愛するほどじゃないけど・・・・そろそろひよってきたわね。それそれ、もっとひよれ・・・・・ふふふ」
「なんちゅー強情な・・・普通、素人はこの深度まで来れば怯えて口もきけんようになるもんじゃが・・・脳神経に感情喪失手術でもされておるんか・・・・・」
「聞こえてるわよ・・・・・怖いに決まってんじゃないの・・・・こんなところ・・・・・ここまで来れば意味ないから告白するけど、あたし暗所、閉所恐怖症持ちなのよ」
「嘘もたいがいにせい」
「嘘じゃないわよ。ただ、そうもいってらんないから・・・・」
 
 
ギシッ
 
 
「・・・・・・・一つ聞いてよいですかな」
「何」
「なんで、あんたは自分でここにやって来た?」
「ふん、他の人間に行かせば鮫のエサにしたくせに。・・・ってそんなこと聞いてるんじゃないですよね。この期に及んで。・・・・えー・・・・まぁ・・・・・いわゆる・・・・・”縁起かつぎ”・・・かな」
 
 
「・・・・・・あんたは好い女じゃな。身の程を知っている。人の理解を超えた力に抗しようとしても、はたから見ればその程度のものであろうよ。わしらに戦のことはわからんが、理解を遙かに超えた存在への畏怖、恐怖は知っておるつもりだよ。海のそれだ。実際、人類の知る海のことなど空間量にして教室二つぶんくらいしかない・・・驚いた顔をするな、大層な施設をもってそれだけか、と言われればそれだけだ、と答えるしかない。わしも今、縁起かつぎなどといわれて緊張が切れてしもうたところだ。世界を支配しなんでもかんでも書物を頼りの誇大妄想の徒・・・まあ、この期に及んで遠慮もあるまい・・・・”Z”の連中とはひと味違うのか。お前さんたちは」
「ここでネルフ、いや第三新東京市の説明をしろってんなら・・・・」
「大体のことは知っておるからいいよ。タチが配属されそうな所はな・・・・・
ミス葛城。あんたは行動力も度胸も、おそらくは人の情けも頭もある。
自分のこれからしようとしていることが、どういうことか、分かるはずだが。
タチを連れていくことは、罪だ。罪だ、ということが分かっているはずだ。
罪には報いがくる。それ相応の代償を支払う日がやって来る。
罪、というにふさわしいおぞましい形質をとって、あんたの目の前に現れる。
タチを連れ去るなら、あんたもいつか誰かを奪い去られる。必ず。
 
だが、放っておけばあんたは強い意志でかならずタチ奪取の罪を果たすだろう。
あんたは好い女だ。諦めてくれ。でなければここで消えておくれ」
最終通告であろう。だが。
 
「いつも罪の日なのよね・・・・いつから始まったんだか・・・・たぶん・・・」
あの、光の翼を、または雷の翼を見た時から。「月一回くらいになりゃいいのに」
「だから、いっつも罰の日・・・・・いつ、それが下るのか支払い日がやってくるのか。ただ、今日じゃないわね。だって生やさしいもん。たぶん、支払日はもうちょっとギッタギタのズッタズタのド派手な阿鼻叫喚で自分がなんで生きてるのか百回も千回も自問する・・・そんな日になるだろうから」
「うーむ、そうあっけらかんと言われてもな」
「使徒にやられりゃ、人類なんてそんなもんよ。とにかくタチ君はもらうから。
そのつもりで」
それきり葛城ミサトは黙り込んだ。
実は、相手に言われた「あんたもいつか誰かを奪い去られる」という言葉が体内に反響してそれ以上の言葉が出なかったのだ。ここが葛城ミサトの限界。
 
 
 
そして、そろそろ潜水球の方の耐久時間も・・・・・
 
 
 

 
 
オリーブの木
 
 
といえばクラウゼ・ギミックが絶対に近づくなといったユダロンシュロスの禁域。
そこに館主の子がいるというのだからきたねーと言えばきたない。
クラウゼは綾波レイが孫ユーリヲンとの会見を果たした子細を知っていたらしく、その部屋には”綾波レイ様へ、中庭のオリーブの木周辺におります”との張り紙が。
 
 
行ってみると果たして、中庭オリーブの木周辺には銀仮面クラウゼと籐の揺りかごがいた。
「時間の都合で無駄な会話は省きますけれど、この方が館主様のお子さまです。ユーリヲン様のお父様にあたられます、ルードベート・ユダロン様です」
この方、といっても周辺には誰もいない。時間がないのにくだらんギャグを飛ばす銀仮面を貫くような赤い視線。だが、途中で親爺殿は昼寝中、という言葉を思い返して籐の揺りかごを見てみると・・・・・その中に小さなしわくちゃのミイラが眠っていた。
 
「・・・・・・」
ミイラがぼそぼそと聞き取れぬ小さな声で呟いた。クラウゼはそれを耳を寄せて聞く。
 
「そうです。この子です・・・・なにとぞ館主様にお目通り願いたいと・・・・この幼き身で東洋の島国からやって来た勇気に免じて・・・なにとぞ」
クラウゼはやたらに早口でなにか焦っている感じを受ける・・・・・
この幼き身・・・・綾波レイはその言葉と肩口に違和感を感じた。見ると。
服がずり落ちかけている・・・・また若返ったのか・・・・・まだ日はあるのに。
ここに来るまではなんともなかった。クラウゼが焦るのもそのためだろうか。
 
「・・・・・・」
また揺りかごミイラ・ルードベート・ユダロンがなにか呟いた。
 
「尋常ならぬ力・・・・はあ、それはエヴァとか申す人造人間を操る才を・・・・詳しいことは分からぬのですが、チェコで騒いだゴーレムの親戚の一種かと・・・Zの字が造るものですからそう大差はないと・・・・・憑依された形跡・・・・いや、それは全く調べが及んでおりませんで・・・邪心はないと、いえ・・たぶんないんじゃないかと、・・・なければよいな、と・・・ま・ちょと覚悟はしておけと・・・・いえこれは言葉の綾です・・・ええっ!ユダロン起動はもう諦めてますから、この者たちも。そこまでせずとも・・・・子供はユダロン村の宝ですよ?・・ええ・・・はい・・・それでは・・・・」
 
クラウゼが揺りかご相手に一人漫才やっているように見えるが、綾波レイの赤い瞳にはミイラが呟きを発するたびに揺りかごから不可視の高濃度の念力のようなものが吹き上げるのが見えた。そう、始源の巨人の息吹のように。まともな人間がそれにちょっとかすりでもしたら脳味噌が爆砕するほどの思念の力が。我知らず、自らを抱きしめるように身構える綾波レイ(ちょっと小型)。
 
 
もしや、この揺りかごミイラはレリエルのことを・・・・・
 
 
 
「綾波様」クラウゼが口調を儀礼式に切り替えて問うた。
 
 
「申し訳ありませんが館主様に会う資格があるや否や、貴女の精神を読ませていただきます。如何?」
 
 
いやおうもなし。そうしなければあの人たちは取り返せない。この館がここまでの魔館であったとは事前にそれを教えられなかったネルフのミスであろうが、今さらそんなことを
言うてみてもはじまらない。で、あればこそレリエルも出しゃばってきたのだろう。
レリエル。その一点を考えると鼓動が凍る。そのことを見破られた日には・・・・・
ここはゼーレの天領。まともにネルフへ帰してもらえるはずもない。だが。
赤ん坊に変化させられたあの人たちも同様に。この村で生ける民族学となる。
 
 
この揺りかごミイラ・ルードベート・ユダロンが並々ならぬ心術の持ち主であることは見れば分かる。普通の人間の心の力が乾電池並だとすると、このミイラは発電所クラス。
モノが違う。世にはたまにこういう化け物めいた人間も登場するのだ。
綾波レイは碇ゲンドウに見出され碇ユイに引き合わされた後、ゲンドウの仕事、宗教的会談の際には「白い杖」役としてそばに連れられた時期があった。政治の世界は魑魅魍魎というが、世界の上部で強権をふるう特別な力ある宗教の世界はそれ以上。モノホンが跋扈している。しかも、守るのはてめえたちの典礼だけでルール無用なだけに始末が悪い。
とくに、東からやってきて京都の特別な家名をもっていたゲンドウは一目おかれつつ二枚三枚四枚もの集中マークをつけられた。宗教の世界ではそういうことが大事なのだ。
 
が、今も、息子の雷に髪をアフロにされたりもしたが、元気にやっていたりする。
 
それはともかく、そんな時期に綾波レイはいろいろと世界の賢人怪人を見てきた。
中でもチベットの星の運行の力を持って強制的に人の運命を変更してしまう占い師やら、
イギリスの背広屋の主で、人間の血脈を操って前世先祖帰りをおこさせる紳士やら、
識域下の集合意識(ネットワーク)にちょっとだけ関与してニューヨークのある通りを、通行人通行車全ての意識を停止させて時間を止めたように歩行者天国にして踊っていたダンサーなど。ほんとうにいろいろと見てきた。が。綾波レイは自分を支配下に置こうとした企みを全て潰えさせてきた。全勝零敗。ゆえにゲンドウもネルフの司令におさまっていられる。ひどく権力者向きにして好みの能力。天がそれを少女に与えたならば、いっそ自らがそこにおさまってもいいのかもしれない。
 
が、それはそうとして、そんなわけで綾波レイは心術にかけては相応の、つまり絶対の自信があった。とりわけ、精神を読む、読心を防御する力にかけては。なにせ機密がてんこもりになっており、一読み斜め読みされただけでもかなりやばい。
だが、読もうとおもって読めなければそれで諦めるだろう・・・・・
読心能力者はとてもあきらめがよいのだ。
 
 
 
「好きにすれば・・・・」
 
 
珍しく好戦的な響きがわずかにでもあったのは、恐怖の裏返しだったのだろうか。
それとも、やれるもんならやってみろ、という自負のなせる技か。
ついでに、相手がこちらを走査している間に逆に相手の精神に侵入して「館主」の居所を調べておこう・・・・。あまり長居していい場所じゃない。ここは・・・・
 
 
 
はら・・・・・・・・・赤い瞳に緑の落ちたオリーブの葉が、映った。
 
 
 
途端に、体が一切動かなくなり、目の前が真っ暗になった。
意識はある。奪われていない。が、いきなり暗闇の繭の中に放り込まれたような。
自分があっけなく、なんらかの術にかけられたことだけは分かった。
赤子の手をひねるように。
 
 
「・・・・なかなか心防護壁が硬い。水晶のようでありながら・・・どこかに破砕点があるはずだが・・・・みつからぬな。この小娘・・・よほどの術者に仕込まれたか」
暗黒繭の中でぼそぼそとした声が聞こえる。揺りかごミイラのものか。
 
「あの・・・ルードベート様。なるべくお手柔らかに・・・・この前の詩人のようにやりすぎて脳をかき混ぜて発狂というのは・・・」これはクラウゼ。
 
「べつにありゃわしのせいじゃありゃせん。ちょっと手元が狂うて本人のトラウマと直面させてしもうただけじゃ。蛞蝓の交尾がなんであんなに恐ろしいのか・・・・」
 
「数万の催眠手法を心得る貴方様から見ればその程度のことでも通常の、生死を行き来できない片側一方通行の人間には発狂するほど恐ろしいのでしょうよ」
 
「ふふん、召使い人形ごときが聞いたふうな口を。・・・・ふーむ、ここ一月ばかりの記憶がやたらに腫れ上がっているな。他の陶器のように白く美しくすべすべな箇所に比べてポリープ出来物のようで格好悪いな・・・・・切除してやろう。クラウゼ、偽ベアトリスの簪をよこせ」
 
お人好しの次はお節介か。しかし、尋常ならぬ存在が行うそれは災害にも近い。
 
「それはやめておいた方がよいかと・・・この娘は連れの者たちの復活を願うているのですから。その記憶を失えば、後ほど混乱するでしょう。説明するのはわたしですし」
 
 
 
半端な力ではない。暗黒の繭の中でここまで言われて体が動かない。
レリエルが忠告したのはこのためか。つくづく思い知る。悪魔のような力を持っている。
 
 
いや、もしかしたら・・・・彼らは・・・
 
 
時間に追われていたとはいえ、自らの甘さを綾波レイは悔やんだ。
力を貸してくれるかどうか分からないが、「あのトランク」をとってくれば良かった。
少なくとも、あの価値が分かれば目を引くことくらいはしてくれたはず・・・。
 
 
「ところで、ルードベート様。この少女に邪心はあるんですか?」
なんとか話をそらそうとしてくれたのか、クラウゼは走査目的を問い直した。
 
「そんなものは見ればわかろう。少々邪心があろうがなかろうがたかが連れが赤ん坊になった程度のことで普通、わしの前に立てるか」
「いやぁ。ルードベート様の普通は我々下々のものとはものが違いますから〜」
「ただ、気にくわんのはユダロン起動を諦めたことじゃな。ユダロンなどドカドカ使わせてやればいいのだ。それだけ世が混乱する。よいことだ」
「いやぁ。ルードベート様はイケイケの武闘派でいらっしゃるから〜ってアレ?」
「たとえばな。神、という言葉をユダロンで消してやったら一体代わりになにが台頭してくるか・・・そのような実験をジャンジャンやってみればよいのだ」
「それならば、この勇敢でけなげな少女を館主様に会わせてあげてもよいのでは・・・・・あんまりお時間の方が・・・」
「ふふふ・・・よいではないかよいではないか。ここまでの器量の少女、あと五百年ほど待たねば目にできぬと、今日の占いにでておった。もう少し楽しませて頂くとしよう。
・・・・にしても防護が硬い。これは過去から探るのは無理じゃな。下手にこじ開けると壊れてしまう。・・・・・・ならば、「未来」から・・・・・おい、アオシック・レコードを用意せい」
「いやぁ。まるで初期の手塚治虫作品のようなネーミングですねぇ。アカシック・・・」
「話をずらそうとしても無駄だ。早うせい・・・・・なんだレコード針がすり減っておるではないか。これでは飛び飛びになってしまう」
「デル・ワルド奥様が普通のレコードを聴くのに使われますから・・・・」
「ま、まぁいい・・・・・・それではいくぞ」
 
 
 
「ボリュームは下げておいた方が・・・・未来の自分の声なぞ聴きたくないでしょうし」
「わははは。それもまた一興ではないか。声だけとは言え知りたくとも知れぬ未来の己が知れるのだ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないぞ。望みなら映像もつけてやるが」
 
 
 
この二人、自分がまだ意識を保持していることを知っている・・・・。
暗黒の繭の中で心の奥底から震えが走った。這う片栗粉がキュリキュリ言ったあのセリフが思い出される。「てめえら人間じゃねえッ」
 
 
どうやるのか、こちらから外の様子がうかがえないが、未来の自分の声を聴かせるとは、発想からも実力からも、どうもこれは人間の所業ではない。
 
 
 
ぷっ・・・ぷつ・・・・ぷっ・・・ぷつ・・・・・レコードの針走る音。
 
 
 
「来る・・・・・」
 
 
「来ない・・・・・」
 
声が始まった。たしかに、自分の声。そしてこれは人待ちの、声。
森の音。奥深い緑闇色の植物群の音。沸き上がり流れる苔むした水の音。
 
「来る・・・・・・」
「来ない・・・・・」
 
「来る・・・・・・」「来ない・・・・・」「来る・・・・・」「来ない・・・・・」
 
それをひたすらに繰り返す。レコードの故障のため、ではない。たぶん。
未来の自分はそうやって繰り返し、人を、誰かを待っている・・・・待つことになる。
その声は来訪の確率が零であることを承知の上でおろかのようにくりかえす。
あげくのはてには「くるう」と聞こえるそのくりかえし。
 
 
 
 
「小娘のわりに隠遁者の音がする。この静寂では誰も訪れまいよ。はたまた世界は崩壊しこの娘一人しか生き残ってはおらぬのかもしれん。クラウゼ、お前の耳なら聞こえるか」
「いえ、私の耳にも・・・・孤島に島流しにあったように他者の気配が感じられません・・・・・なんという孤独・・・・生命の音が何一つ・・・感じられない世界です」
「星と月の気配だけはあるがな・・・・まことにかそけき。人の世から追放でもされるのかこの娘は。そういえば人の罪科を一身に背負わされる籤の”あたり”を引いたような顔をしているな。かの十字架の男のように。とにかく防護壁もここまでは及ばぬ人の技術の限界よ。さて、とっくりと青白い蕾を拝ませていただくとしよう・・・」
 
 
ギョン。とてつもなく巨大な「目玉」が現れ、自分を押し潰すように見下ろす。
自分の、自分を構成する情報が高速で巨大瞳孔に読み込まれていく。
それにも気づかず、未来の己の放つ声に心を奪われている綾波レイ。
 
 
 
「いかり・・・・・・・・・・
 
 
「おおおおおおおっっっ!!!!!????なっなんじゃこの娘の体はあああっ!!
 
 
ゴゲゴッコウーーーーーーー!!!!!
 
一つのため息、二つの叫び。そして・・・・・・二つの変化が起こった。
 
 
一つは護衛のつもりなのかおまけのようにここまで後をついてきたメッサージュウの。
ヒヨコサイズの鶏が一気にムクムクと体長を膨れあげさせさらに恐竜のようなごつい皮膚でその身を鎧い、鶏冠などアイスラッガーのように硬質ブレード化してしまっている。
いわゆる武装現象(アームドフェノメノン)を起こし、魔獣、いやさ、「魔鶏」に変身した。その後、間髪入れずに揺りかごミイラ・ルードベートとそれを護衛するクラウゼに襲いかかった。クラウゼの強さはデュラハンを八つ裂きにするほどで証明ずみだが、いかんせん今は剣を帯びていなかった!!。ズブ!!エーテルコーティングされた銀仮面を思い切り嘴で突っつくメッサージュウ!その最強に強まった嘴攻撃は銀仮面を穿ち割った。
 
 
だが、のんびりクラウゼの正体にうんぬんかんぬんしているひまはなかった。
もう一つの、綾波レイの変身の方が一大事だったからである。
 
 
「・・・・・・・あああああああああああああああっっっっ!!!」
綾波レイの体内情報を探る心術が=禁断の「何か」領域=に触れた途端、館全体を包み込むほどの爆発的な発光を伴う拒絶反応が起こった。その青い、コバルトの光は今まで少女をとらえていた暗黒の繭を融解四散させると強風を発生させ、オリーブの葉をあざわらうように吹き飛ばした。こてん、ごろごろ〜と吹き飛ばされながらメッサージュウ、クラウゼ、揺籠ミイラは確かに見た。白い少女の背中から吹き出した青い光の翼が、無慈悲な月のプロミネンスの物騒さでユダロンシュロス、館の一部を釈迦斬りにしてしまったのを。
 
 
 
そして、
結果として目覚まし時計数億個分に相当するだろうこの暴挙が館主を目覚めさせた。
目覚めさせてしまった、と言い換えた方が正しいかもしれないが・・・・
ユダロン館主が自分の館がいきなり半壊しても怒らないほど寛容な、
かつ寝起きのよい、血圧ほぼ内角高めな人物であることを、
祈るしかない。・・・
 
 
 

 
 
 
征服率77%
 
「まあ、いい数字かな。順調だわね」
どことも知れぬ謎の研究室でオレンジの髪をもつ赤木ナオミがメギの世界征服率を数えていた。ホログラムの地球儀はほぼメギ配下のオレンジに染まり、世界各地にポイントされる城マーク、つまり地域統括する巨大コンピューターを示すそれらもほぼメギに駐屯さる証のオレンジのタコが槍もって踊り蠢いていた。「アバドンの連中もそこそこ働いてくれたわね」
「特にマギシリーズはすべてこちらの支配下にあります。オリジナルをのぞいては」
太った牧師、ダビデ斉藤が無菌ガラスの向こうで畏まっている。
裸身にコードを巻きつけた奇妙な格好の、コード首吊り王国の女王様然として「兄貴」を彫り上げた大椅子に座る赤木ナオミ。「事」が終わるまでこの皇帝の間を出られない。
「残り23%・・・・か・・・・どことどことどことどことどことどことどことどこ?」
 
「スコットランドの”ノース二号”、トルコの”ブランド”、独逸の”ゲジヒト”、ギリシアの”ヘラクレス”、オーストラリアの”イプシロン”、スイスの”モンブラン”・・・」
ダビデ斉藤の読み上げと同時に赤木ナオミの手が動く。それにともない一秒前は支配領域外であったものが、あっという間にオレンジ色になり、城マークにはタコが駐屯した。
 
 
 
征服率88%
 
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・ん?どしたのダビデ。次」
 
ダビデ斉藤はただ報告しただけなのだ。まさか己の読み上げるスピードと同時にアバドンでさえてこずった歴史ある名機たちが秒殺されていくとは・・・。
 
信じられない処理速度だ。ここにきてさらにレベルが上がってきている・・・・。
 
「ん?ああ、これにはタネがあるのよ。赤木ナオコがこれらの改修に参加しているのよ。
その折りの隠しコードをね・・・今の今まで誰にも見つかってないなんて。そんなわけでわたしにはかえって歴戦をくぐりぬけてきた名機連中の方が戦りやすいの」
 
戦りやすい、の一言で済む速力ではない。その華奢な指先で自在に動かす「軍勢」どもの強力さが分かる。世界に広がる透明な、電気幽霊の軍隊の。それを操る掌の前に文明世界は粘土ほどの強さをもたない。ちょっとした気紛れで奪える何十万単位の人間の命を握る。
「蝋燭の最後の瞬きかもしれないんだけどね・・・・・・五時間後にメギの最終調整に隠るからわたし直々の領土の拡大はこれで最後になる・・・・・それじゃ次」
 
「ロシアメンテの”リンデルフの白”、”ヘルギストの赤”、”カンディードの青”
電気九龍の”昔帝”、”九城頭”、”五勝老”、武蔵野秋葉森の”あずきまる”・・・・」
 
「ああ、あの連中はダメ。時間かかりすぎ時間がもうないからパス。ひとつにつき一時間として・・・・サンバイマンの最終回に間に合わなくなる。あれを見てからメギの中に入るんだからダメだよ・・・・ありゃ・・・・あらら・・・、まだ子供が出る・・・脳と身体のバランスは最後までとれなかったわね・・・・そうなるとヒマになっちゃた」
 
「ネルフの欧州出張組のユダロン起動の件はいかがしましょう?」
 
「ユダロン?あんな時代遅れの魔法のガラクタに何が出来るっていうの。ユダロン自体は厄介だけどそこからネットにつながる接続機さえ押さえておけば恐るるに足らずってもんよ。魔法と科学はやっぱり別物だからね。単純に握手はできない間柄、それを可能にするマギクラスの設備。その代役もそんじょそこらの代物じゃ務まらない・・ってわけ。すでに手は打ってあるわ・・・でも、実際のところは起動許可さえとれずに食べられてるかもしれないけどね」
 
「・・おっと、ナオミ様、メールが届きました」
ダビデ斉藤がデブルッと震えた。極秘回線の振動携帯赤モノリス型である。
即ち、ここに通信を許された者たち。赤木ナオミが世界を荒らす間に見つけて従わせた世界最強最悪レベルの8人の電脳犯罪王(オーバーロード)。陳腐な表現ではあるが、メギにイヤイヤながらも忠誠を誓った魔王、といえる。8人とも正体不明の超高額懸賞首。
「サイレン・ナイトとカンプラーラァとT−T−Z(チョキチョキズ)、ル・シフェンからの4通です」
 
「で?なんだって?」
 
「第三新東京市入りした、とのことです。賢者の首が砕かれるところをその目で確かめたい、と」
「勝手にさらせ。認証モザイクはかけてやんないからね、あそこの諜報部に見つかったら射殺されても知らないよ・・・・ってそんな間抜けな連中じゃないけどね」
 
「さて、この空いた時間でなにしようかね・・・・・ダビデ?」
 
「”サンバイマン”を見ましょう。ナオミ様」
「それがいいかな・・・・」
赤木ナオミが指を鳴らすと室内は暗くなり、百面モニターも一つを残して全て消える。
そこに映し出される赤木ナオミが大好きなアニメ番組「麻雀合体ロボットサンバイマン」。
 
「ああ、最終回は一体、どうなるんだろうねぇ。
・・・・それが見られるくらいの時間があって良かったよ。欲をいえば、自分で麻雀を覚えてみたかったけど・・・・」
オープニングの歌が始まると、そのまま没頭してしまう。
もしや、このアニメの最終回がいつまでも始まらなかったら、メギを出陣させなかったかもしれない・・・・・それくらい我を忘れて画面を見つめている。
 
「このまま朝がこなけりゃいいのに・・・・」
 
 
 

 
 
 
「・・・・・なんでここにいんのよ」
 
洗いの小さい蛍光灯しかつけてないので台所は暗い。そこでなにやら弁当をつくっている碇シンジに惣流アスカが不審尋問する。「こんな暗いままで・・・電気くらいつけなさいよバカ」台所の天井灯をつけるとそれで明るくなる。
 
 
「起きた?アスカ」おにぎりを握りながら碇シンジ。「起きたわよバカ」
 
「夜食を作りに・・・・・・ミサトさんは?」
「南の島に出張。少なくとも今夜は帰ってこないわ・・・・ところでなんで夜食なの」
 
こいつはどういうワケなのか、ミサトに夜食を作りに来た・・・らしい。
それが嘘でも冗談でもなければ、南海実験諸島の一件は知らぬ、または知らされておらぬらしい。このところ、知らされないことが多い。多すぎる。裏でゴソゴソ動いているのは分かっている。何一つまともに教えてもらえない。強い疎外感がある。ならば、くだらないことの一つくらいは教えてもらってもよい。
・・・・・追い出してやるのはその後でいい・・・・・。惣流アスカはそう考えた。
 
「ああ、もう少しで、”夜”が始まるから」
 
「・・・・まぁね、もう夕方遅いし・・・・・その夕方遅くのそろそろ夜になろうって時間帯に女の子ひとりしかいない人のうちにあがりこんで碇シンジ君はなにをしよってのかしら」口の中にイヤな金属の味が広がる。「寝てるうちになにかしなかったでしょうね」
 
思えば、ひとりでのほほんとしている風情のコイツの苛つく表情が見たかったのかもしれない。なんとかしてコイツを怒らしてみたくなった。理由もなくただ突然に。
後先のことなど考えない。カツカツと近寄ると後ろから首を両手で抱きしめる。
好きでもなく、家族でもなく、冗談でもなく、こんなことをやらかせばサヨウナラ。
喧嘩を売るよりさらにタチの悪いことを自分がやっていることを知っている。
それでもコイツの吠え面を見て、みたかった。
「動けない。卵焼きが切れない。アスカ・・・」
 
 
 
「あんたの怒った顔が見てみたい。怒ってみなさいよ・・・それとも、気持ちいい?」
 
「そんなに?」
 
暗い井戸の底に心もろともに突き落とすような言葉であったのに、あっさり投げ返された。
 
 
 
「そんなに・・・・そんなに、僕の怒った顔が見てみたい?アスカは」
後ろから首を抱いているので、実は顔は見えない。少年は少女の挑発にのるか。
声のトーンがかつてないほどに低くなった。それに対抗するように抱く手は強くなる。
少年の肩に少女のあごがのせられる。その怒りの表情を間近で確かめるように。
 
 
「なら見せてあげるよ・・・・いくよ・・・・・」
少年の視線がゆっくりと動き、少女の瞳をとらえた。夜の雲の色をしている。
ここにはすべてが静かに垂れ下がり全てが動くこともなく平穏にうちしずみ空がただうつろにひろがっている・・怒りとは心の雷それが得体の知れぬ鮮やかな色で四散し弾ける。
聞く者の心を粉々に砕くばかりのドロドロとした精神の深淵の怪物の叫ぶ言霊を込めて。
 
 
 
少年の唇がゆっくりとひろがった・・・・
 
 
 
「がおー」
 
 
 
「ま、こんなものかな。あんまり時間ないんだ。夜食つくって急いでネルフ本部へ行かないと。ヒマならアスカも手伝ってよ」
 
 
「・・・・くくくくく・・・・こんにゃろめ・・・・マンションもらって今度は本部御用達の弁当屋まで開業したってわけ!?いい加減にしなさいよ!」
碇シンジから離れるとテーブルを叩いて力説する惣流アスカ。
何をいい加減にするのか本人にも今ひとつ分かっていないのだが。
 
「ミスター味っ子(日向マコトから借りたマンガで読んだ)じゃないんだから中学生で弁当屋なんて開けるわけないよ!それより、もしアスカも行くんだったら自分のぶんの夜食は用意しといた方がいいよ。あともう少しで本部の施設はほとんど・・・いや、この市街もだったかな・・・・・ストップするからね。あ、フリーズだったかな」
 
「どーゆーことよ?」
 
「今夜の作戦にはエヴァのパイロットは必要ないから、行きたくなかったらアスカは行かなくていいかもしれない。うまくいけば翌朝には片が付くってリツコさん言ってたし家で寝てた方がいいかもしれない」
 
「なにそれ?!”今回の作戦”ん?そんなのアタシ、ひとっことも聞いてないわよ!!」
 
「まあ、使徒が攻めてくるわけじゃないから・・・・”ろーどーそうぎ”みたいなもんだって」碇シンジがここでひらがなを用いたのは、だてではない。
「ネルフがストお?!・・・・そんなわけないわね。バスや電車じゃないんだから」
話がぜんぜん分からない。そもそも話を知っている本人がよく分かっていない。
まずい。シンジフィルターを通してしまったことで、状況の把握はほぼ不可能だわ・・・賢明な惣流アスカは早々にそう判断を下した。余計な話を聞いて頭が混乱するだけだ。
ほんとに寝てようかな・・・・・・と思ったが、
 
「その作戦・・・・・うまくいけば翌朝に片がつくって言ったけど、そうじゃなかった場合はどうなるわけ?」
 
「その時は、朝がこないだけだよ」
 
こともなげにいわれて、そうか上手いこと言うわねと納得しかけたが、すぐにその中の恐ろしさに気づいた。朝が来ない?これはそう、尋常な話じゃない。
 
「ずっと夜のまま。誰にもどうすることもできない、重たい夜が街を支配する。ずっと」
 
ぞく・・・・エヴァ初号機の専属操縦者に告げられて冷気を感じた。
 
「リツコさんはそう言ってたなあ。だから、がんばってこれからなんとかしに行くんだよ。でも、ミサトさんが出張なんて・・・そしきはむつかしいねえ」
知ったげにほざく碇シンジ。言いながらもお重に詰める手は止まっていない。
「深い夜の底 誰もがみんな昏い指さきを見つめてる 世界中の灯りを集めてもぬぐえない重い蒼色(ブルー)・・・・」
 
「きっと今夜がえいえんの よるのはじまり」(ZABADAK 光の人より)
 
「かたくかたく膝を抱いた手が ほどけない・・・・・」
 
碇シンジはかなり歌がうまいのだが、この選曲ははっきりいって真に迫って怖かった。
 
「さあ、出来た。アスカはどうする?」お重を詰め終えてしまうと碇シンジはじっと惣流アスカを見つめた。
「ど、どうするって・・・・どうしろってのよ・・・」うろたえたのは手持ちの情報が少ないからだ。そうだそうにちがいない。それしかない・・・・なんの作戦が始まるのか知らないが臨戦態勢には違いない・・・それなら自分が本部に詰めないわけにもいかな・・
 
「余った分、晩ご飯に食べる?」
 
しかも差し出してきたのは大根レンコンの煮付けやらあまり若者の好きくないメニューばかりだ。だから余ったのかもしれないが・・・・って、そういう問題ではない。
 
「甘くみんじゃないわよ!アタシも行くわよなにがなんだか知らないけど」
「ふーん・・・じゃあおにぎり作ろうか。アスカはなるべく大きな水筒にジュースでもお茶でも好きな飲み物を入れておいて」
「よそ者のあんたの世話にはならないわよ。そんなの・・・・自分でやるわよ」
「ブッチャーじゃないんだから炊飯器に直接手を入れると熱いよ。炊き立てだし」
「うっ・・・そんなのもちろんそうよ。これから水で冷やそうと思ったわけよ」
 
結局、二人ならんでおにぎり作り。会話ははずむわけもなく、だんまりと。
何を考えてんだ、コイツはっ!惣流アスカは横目の邪念を使いつつ。
おにぎり・・・おにぎり・・おにぎり・・・・おにぎりに集中する碇シンジ。
 
「なんだか・・・こうしてると・・・・・」
集中してるわりには、やはり惣流アスカの視線が感じたのかも知れない。
碇シンジがぽつりと呟いた。
 
「こうしてると・・・・・・なによ」
期待と不安がないまぜになった奇妙な声だと、自分でも思った。
 
 
 
「これから・・・夜逃げする夫婦みたいだな、と思って」