七ツ目玉エヴァンゲリオン




第十話「決戦 第三新東京市 北方戦」


火 ノ

騎 士







「これが・・・・・使徒・・・・・」

改めて・・・・自分たちが相手にしているものがどういう存在か、思い知ったネルフ一同。

しかし、これに勝たねば人類の、自分たちの未来はない。

そして、状況はのんびり呆けていることを許さない。呻くように押し出したその言葉を噛み千切り、葛城ミサトや赤木博士は次々と指示を出していく。

回収されたエヴァ二体。見事に貫かれている。その中のパイロットの安否は・・・・・。

「意識はありませんが、パイロットの生命に別状はありません」
伊吹マヤの報告。二名は治療室にかつぎ込まれた。これでエヴァは動かない。

過粒子砲に貫かれたエヴァはもしや死んだのではあるまいか。
人間ならば死んでいる。人造人間ならばどうなのか。
使徒の狙撃能力は初号機の左腕のことで証明済みだ。

「四号機は・・・なんとか胸部装甲の換装だけでいけそうだけど・・・零号機は」
「どうしたの」
「もともと装甲が薄いところに機能中枢をやられている。修復には2週間かかるわ・・・・どんなに急いでも」
「・・・・クッ」
葛城ミサトは髪振り乱して使徒を睨みつけた。


「まずいな・・・・」

「ああ・・」


司令と副司令の会話。態度と口調は変わらないが。
視線の先には、撃ち抜かれた初号機の左腕がある。

今回はぴくりとも動かないであろうことを、彼らは、知っている。


だが、今回のこの事態は彼らの予想知識すら越えてうねり始めるのだった。




そのことに一番早く気づいたのは、索敵情報収集オペレータの青葉シゲルだった。
彼も、葛城ミサトには及ばないまでも、人類の誇りと髪の長さをかけて使徒を調べていた。彼の前には様々な類のセンサーやらカメラやらから送られてくる情報が集められている。それを専門的常識、というフィルターを通して上司や作戦部長らに伝えるわけだが、使徒が厳然と目の前に現れているこの状況、さらにエヴァがあっさりやられたこの状況で、大声で伝えるようなことはあまりない・・・・はずだった。

「これはっ・・・・・!」
「どうしたのっ」
青葉シゲルの手は忙しくコンソールを行き来し、視線も何種類のディスプレイを跳ねるように駆けめぐっている。
「はい。上空の使徒分離体より、ATフィールドに近い性質の不可視波長の光線が発せられています。数は四線、各々下部先端より直線方向に伸びています」
「ATフィールドに近い・・・・・?」
赤木博士もその近くにやってきた。自分でディスプレイ情報を読みとれる。
「まだ何かしよっての?」
とりあえず邪魔者を排除したのだ。この行動は、一体何?
エヴァをおびき寄せる陽動などではありえない。それならあれほど体の中で警鐘が鳴り響くわけがない。この期に及んで自分のカンを絶対視できる葛城ミサトは頭をひねる。
「第三新東京市全域がこの光線のつくりだす四角錐の内ってワケか・・・・」
全景を映すカメラモニタから合成されたCGモデルを見て呟く。
ここからどういう攻撃が展開されるのか・・・・。
過粒子砲だけでも十分すぎるというのに・・・・・。

「・・・・・なんだコレは!次々とモニターもセンサーも・・・強力なジャミングか!」
・・・・こちらの目を塞ごうというのか・・・・・こ、この野郎・・・・・・。


「それだけじゃないはずよ」
冷静な科学者の言葉がさらなる暗黒を招く。
「ジャミングのためだけならばATフィールドに性質が似るわけがない。それは余技のようなもの。影響はほかにあるはずよ」
ほんの少しだけうっすら嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
赤木博士に限ってまさか「やけになった」ということもあるまいが。
死ぬ前になって無茶苦茶な、非道な実験をやりたがる、理解不能のものを知りたがる、という科学者の性というものは、もしかしたらあるのかもしれないが赤木博士に限ってそんな軟弱なことはない。

必ず、科学の力で叩き伏せてやるわ・・・・・・・。

「今のところは見ることしか出来ないけど・・・・・よく、見ておいて」

葛城ミサトと赤木リツコがなぜ長年のつき合いなのかこれでよく分かる。
二人とも思いこみの強さにおいて同レベルで、その性質は異なるからウマがあるのだ。

しかし、今回の使徒は今までとは勝手が違う。情念だけで勝てる相手ではないのだった。
その上、肝心要のエヴァもない。

その身の程知らずの思い上がりが、天に通じたのか使徒は行動を開始した。



「使徒、移動を開始しました!」
メインモニターは死んでいない。ゆるゆると本体部分が前進を始める。
つまり。ネルフ本部の直上方向に向かってきたのだ。
今や、それをせき止めるものは何もない。


「使徒、本部直上にて停止しました」
強力な爆撃機が制空権を得て空を我が物顔に飛んでいるのをただ防空壕でまるまっているような無力の気分と、背筋の凍る忍び寄ってくる死の気配が報告の声も固くする。
しかし、震えてはいなかった。
「下向きに過粒子砲撃たれたら、特殊装甲はどれくらいもつ?」
「連続照射時間によるけれど・・・・ね」
エヴァさえ貫いたあの光を地下に垂らされたら・・・・どうなるか。
光を恐れる・・・・・まさに・・・皮肉か・・・。
だが、使徒はなぜかそうはしなかった。代わりに持ち出してきたのが・・・・・・


円筒状に伸びたドリルである。

地に穿ち、閃光ならぬ穿孔を始める。



「ここに直接攻撃をしかけるつもり・・・・」
単に下向きの過粒子砲がついていないだけなのかもしれないが、そのドリルも結構な速度で掘り進んでいく。
地上を制圧し、天を圧して、さらに地下に攻め込んでいく。完璧な攻撃プログラムだ。
それとも地下にこそ、この小賢しい都を造った者どもが居ることを知っているのか。



「どうするの、葛城一尉」
使徒は完璧に強いわ、エヴァはないわ、本部に直接攻撃を仕掛けられてはそうのんびりとしてもいられないわ、でまさに、いわゆるひとつの「かんべんしてくれや状態」である。それを打開する策など人間の頭で考えつくのだろうか。
ちなみにスーパーコンピュータ・マギは全会一致で白旗を上げることを推奨している。
機械は冷静なだけに無責任だ。逆ではない。
責任はあるが未だ冷静な赤木博士は葛城作戦部長に問うた。


「使えるエヴァは一体だけ、か・・・・・」
絶体絶命題ともいうべき問いに葛城ミサトはこの時、世界で一番悩める人間だっただろう。これに比べればロダンの考える人すら、単なるアゴのマッサージのようなもの。
第一次直上会戦時も、使えるエヴァは一体のみで、しかもパイロットはずぶの素人だった。それを思えば多少、なんとかできるような気も・・・・・・・してこない。


「パイロットの容態は?」
正確には、具合を聞いているのではなく、何時間何十分後にエヴァに乗れるようになるかどうかを聞いている。意識も戻っていないのは承知の上だ。
「・・・・・危険な状態です」
いきなり煮えたぎった釜茹で地獄の刑に処されたのだ。死ななかっただけでも行幸というものだ。特に綾波レイの方は体が弱い。命に別状はない、というのはあくまでこれから安静にしていれば、という意味だ。何時間程度で回復するようなダメージではない。
しかし、やってもらわねばならない。
それを考えると、危険、としか伊吹マヤには言いようがない。

「ですが・・・・神経パルスには異常ありません。許容範囲内です」
オペレータ伊吹マヤがそう報告した。起動は可能だと。
意識を取り戻せば・・・・ふたたび。

「そう」

葛城ミサトの返答はそっけない。
そして、しばらく考えた後、こんなことを言い出した。

「レイを弐号機に乗せられないかしら」

真剣だ。それだけにこんな発想をする葛城ミサトが怖くなってくるオペレータたち。

「無理ね。暴走する可能性の方が高いわ。・・・・たとえ起動できたとしても」
それにまともに返答する赤木博士も赤木博士だが。
この状況下で本部内でエヴァに暴走などされてはたまったものではない。
「やっぱり使えるエヴァは一体だけか」
思い切れば、さっさと頭を切り替えて別の手段を考え出す葛城ミサト。

「青葉くん、あの光線の分析はどうなの」
仕事道具の大半が取り上げられた形の青葉シゲルに赤木博士が先ほどの使徒の四角錐について問う。葛城ミサトが感じたのと別種の不吉の予感を赤木博士も感じていた。
そのことについて科学の裏付けを必要とするのはさすがだが。
なんとか使えるものをかきあつめて仕事を続ける青葉シゲル。
「やってはいますが・・・・なかなか・・・・!」
彼も必死だ。どういう影響を与えてくるのか、それを見極めるのは生死に直結してくる。それもこの街全体の大量の人の生死に。
昆虫の複眼が欲しくなってくる。相手が謎の存在であると、推理のための情報は、いくら
あっても多すぎると言うことはない。
他の下層のオペレータたちも必死で動いている。
チルドレンが目覚めるまでは、その重荷をしばしの間、肩代わりせねばなるまい。
ネルフの人間は、そう思っている。

そんな追いつめられた忙しさの中、なんとか機能している熱センサーがある知らせを届けた。追いつめられながらもよっぽど冷静を保っていないと見逃したであろうかすかな情報。青葉シゲルの頭にひっかかった。
不自然に上がっていく熱反応。過粒子砲の余熱ならば冷めていくはずだが・・・・・。
「このエリアは・・・・・」
ある地点でぐんぐん増大していく熱反応。車等が燃えているのではない。
それにしては低いのだ。気がついた時点の温度が39度。人の体温に毛が生えたようなものだ。もちろん、地上に人はいないし、その温度は47度に上がっている。
こんな情報がなぜ気になったのか。
オペレータとしての、カンだった。
そして、それはエリアを確認したときにその理由が分かった。
青葉シゲルは使えるカメラを動かして、視認した。そして。

「!!!」


そこには。なんとも恐ろキモ悪い光景が展開されていたのだった。






「霧が・・・深いですね」
「このあたりは下手をすると昼でもこんなもんなのさ」
霧に閉ざされた山道をゆくビーグル。よほどよく道を知っていないと迷うのは確実。
いや、迷う程度で済めばいい。下手をすると道をはずして転落、ということも。
人の気配も家屋もなし。当然、JAFも来てくれそうにない。
運転手は地図も見ずにスイスイ・・・・車の方は多少きついだろうが、行っていた。
ならば地元の者か。そうではない。
加持ソウジ。
そして、碇シンジに、惣流アスカ。
二人の子供を乗せた無精ひげの都会者である。

そろそろ彼の仕事も折り返し地点に来ている。

目的地は、もうすぐそこだ。

だが、ひどく長くかかったような気がする。旅程にしてみれば、所詮は国内、大したことはないはずなのだが。今回は荷物がひどく重かった。まあ、望んで担いできたのだが。
後部座席にふたりともいる。
こういうことになるとは当初、予想していなかった。スケジュールにない仕事。
そして、途中でそれはご破算になるかと思った。
だが、今、こうして、多少離れて座っているものの、並んでこうしている。
それが良かったのか悪かったのか。・・・・ひどく曖昧な命題だが、そうとしかいいようのない。ふたりのこどもが自分で決めてもらうしかしょうがない。
見守ることしか出来ないわけだ。・・・・こうしてみると、人の親ってのはえらいねえ。

てなことを考えながら運転しているのだからあぶないものだ。
二人の子供は、運転手に気を使わせないように静かにしていたというのに。
霧のことも、ついぽろっと言ってしまったのだ。
もう少しで母親に再会できる碇シンジ君が。

その、少し離れて座っている惣流アスカ。こちらは真面目な顔でなにやら考えている。
その青い目の透明は霧の向こうを知ろうとするかのように。
手袋は、もうはめていなかった。




いつの間にか、「町」に入っていた。
霧の中走る車の中からじゃあ、気づかないのは無理もないなあ、と碇シンジは適当にそんなことを思ったが、鋭い目で推移を眺めていた惣流アスカにもいつ山道が終わったのか、分からなかった。
ある種の映像詐術をかけられたように、その身は「町」に運ばれていた。


ただの「町」じゃないわ・・・・・。
対向車の全くない道路。歩行者のない道。霧にかすんだせいかどうも嘘っぽい看板。
間を適当な間隔で離されて置かれたような家々には、マネキンが住んでいそうな・・・。そんな感覚が伝わってくる。
そして、それ以上にかつていた場所と同質の「匂い」がある。
外界より隔離されたものがいつしか漂わせる匂いが。
ワスレテクレルナというかすかにうつろう木霊が聞こえる。

だが、なんなんだろう・・・・・この奇妙な予感は・・・・・・・

ただの隔離施設ではないのは分かり切っていたことだ。
そして、こんな変奇な、生まれてからいっぺんも見たことも聞いたこともない所へ来ているのだ。多少の迷いのような違和感があるのは当然だ。

胸がざわめく・・・・・・・

心が渇いていくような・・・・・・からからと風車のまわる音がする・・・・・
幻聴・・・・・

ウオー・・・・・・ン・・・・・ウオー・・・・ン

耳鳴りがしてくる。これは幻聴じゃないの?まさか高山病ってわけでも・・・・・


「うっ・・・・」
気分が悪い・・・・・・・いきなりどうしたんだろう・・・・・おかしい
惣流アスカは胸の悪寒に耐えきれず、体を丸めた。
「だ、大丈夫?」
碇シンジの方は一向に平気らしい。いきなり調子を悪くした惣流アスカに驚いて、それでも用意して置いた薬の箱を開けようとする。

車が止まった。


「ここいらが・・・限界だな」
振り向いた加持ソウジの顔も蒼白になっていた。




「いいかい。シンジ君。ここから先は君ひとりで行くんだ」
「はい・・・・でも・・・」
案内役の加持ソウジにいきなりそう言われ、戸惑う碇シンジ。
目的地、までは確かにやってきたみたいだが、こんな勝手の分からない町で下ろされても困ってしまう。せっかくなら母のいる所まで乗せていって欲しいのだった。
だが、いきなり調子を崩した二人を見てはそうも言えない。
それになにか事情があるのだろう。聞いてもいけない事情というものが。
たとえは悪いが、二人の急変はまるで、神社に幽霊が入っていけないかのようだ。
何か知らないが加持よけ惣流よけのお札でも貼ってあるかのように。
碇シンジの不思議なところは、ここまで来ても、自分の方が特別なのだとは思いもよらないところだった。
まあ、それ以上にそんな謎はどうでもよく、ただ母親に会いたい気持ちが強いことがある。

「道はここを沿ってまっすぐにいけばいい。5キロほどで白い建物が見えるだろう。
変わった建物だから、すぐに分かると・・・思う」
かなり辛そうな加持ソウジ。一体どうしたことやら。
「でも・・・加持さんと惣流さんは・・・・」
母親に会いたいことは会いたいが、さすがに目の前で苦しまれていると後ろ髪が引かれる。母が居るところが病院というか療養所のようなものならば、この町の電話で知らせて向こうから来てもらうという手もある。と、いうかそうすべきだろう。
幽霊なんてまさか・・・。あれは喩えだ。
「いや、構わないでくれ。俺達は一度引き返す。そうするしかないんだ・・・・」
「はい・・・・分かりました・・・でも、気をつけてくださいね。道・・・・・」
「引き返す分には大丈夫なんだ。じゃ、シンジ君。しっかりな」
なぜか握手を求めてくる加持ソウジ。言うこともどこかおかしい。大丈夫か。
分からないなりにもそれを握り返す碇シンジ。

最後まで案内してくれなかった案内者加持ソウジさん。
調子を崩してついてこれなかった惣流・・・・アスカ。
こんな形で別れることになるなんて・・・・・・。ちょっと意外。

「帰るときには迎えに来ているよ」
随分、連絡の手際がいいんだなあ、それとも一泊か二泊はしていけるのかな・・・などと考えながら碇シンジは自分の荷物もって歩き始めた。その後ろ姿は、すぐに霧にかすんで消えていった。

それを確認して、加持ソウジは車を返した。車も霧に消えてゆく。
あとには何も残らない・・・・。


てくてく道沿いを歩いていく碇シンジ。これに沿っていきさえすればいいのだから、まさか迷うことはないだろう。僕は方向音痴じゃあないしね。
5キロだと言っていた。けっこうな距離だ。霧で前が見えないとなれば割り増しになるような気がする。

てくてく・・・・

だんだんと坂になってきた。ちょっときつい・・・・。

それにしても全然人に会わない。車も通らない。過疎地なのだろうが、静けさが止まっているほど。音がない。景色もない。こんなところをいくら夜ではないとはいえ、一人で平気で歩けるとは相当な度胸だ。それとも単に、いなかもんなだけか。

母さんに会える・・・・

碇シンジの頭の中にはそれだけがある。今や目の前から消えた加持ソウジと惣流アスカのことなど残っていない。母親に対する想いだけがある。

想い・・・・・それは決して単純な母こいしの感情だけではない。

ある朝、いきなり断ち切られた絆。その理由を知らされることなく。己で造ることさえ、少年には出来なかった。その前兆すらなく。長い間こうして会えずに。


ただ、色々と少年なりに考えてはいたのだ。
やはり、一番考えられる理由は、なんらかの事故による大怪我とか恐ろしい未知のウイルスによる感染とか、死んではいないが人が近づけないほどのなにか。
火事や戦争の映像に出てくる焼けただれたケロイドの重症患者など、それを子供の頃に見て、夜、夢の中で母の姿と無意識に重ね合わせて悲鳴を上げて飛び起きたこともある。
病院のニュースなどで出てくる不治の病に犯されたひとたち。やはりそれも母を連想させた。
ただ、それでもなにも連絡してくれない理由が分からない。
子供にはショックだからか。それは勝手すぎるというものだ。

二番目に考えられる理由は、小説や映画などでよくある、「なんらかの機密をしってしあまったために身を隠さなければならなくなって、居場所も教えられない」というものだがそれはリアリティに欠けるし、それはどう考えても父さんの役柄だ。

三番目に考えられるのは・・・・これは子供なら誰でも考えるファンタジーのようなものだが碇シンジ少年の場合、それは本物のキバをむいて襲いかかってきた。
それは、「自分が本当は実の子どもではない」というもので、それで母さんはいやになって家を出た・・・・というか、急にいなくなってしまった。父親が何も言わないものだから、それで長いこと随分ひとりで悩んだりもしたのだった。


この道を父さんも歩いて・・・・・母さんに会いに行っていたんだろうか・・・・

ふと、そんなことを思う。
多分に詩想の入り交じった思いではあっただろうが。

いつしか坂を上りきっていた。嘘のように霧が晴れて、先が見渡せる。
くだってゆく緩やかな螺旋をえがく道。その終点に池があり、その縁に白い建物がある。この遠目から見えるのだから、結構な規模の建物だ。真四角の・・・・
白い研究所のように・・・・見ようとした。
そうしなければ、他のものを連想させた。ここにはあまりに・・・人がいなさすぎる。

碇シンジは道を下り始めた・・・・・。





すっと気分が楽になった。まるで先ほどの圧迫感が嘘のように消えていた。
「どういうこと・・・・」
結局、最後の最後には行けなかった惣流アスカであった。
ここが少女のひとまずの折り返し地点となった。第三新東京市を離れてより。
くやしー、と喚く気分にはなれなかった。それは少女が自分で認めている。


まだ自分がゆくにはこの坂はきつすぎるのだ。おそらく。


科学的にこの現象を究明する気にはなれなかった。
極度に進んだ科学は魔法と同じ・・・・というわけではない。そんな気になれないだけ。
それより他に考えることがあった。

終わったな、と心の内でかつん、と納得する音がした。

霧が晴れて、「こちら」の道に戻った時。しばらくゆきすぎて。ふいに。
ずっとその音を待ち望んでいたのかも知れない。
自分の、自分自身で聞く、心が発するその音を。

なんで自分でもここにいるのかが分からなかった。自分の意志でやったことではないから。
ただ、状況が、自分の頭が、そうすることを求めた。

だが、まんざら悪いこっちゃ、なかった。
そう思う。状況に流され、計算の元に動いていたわけだが、恥じる気持ちはなかった。

ここで終わりだからだ。

ゴールというわけではない。ここは、折り返し地点なのだ。目指すものが、変化する時。




碇シンジ。


エヴァを動かせなくなって、何を望んで何を求めていたのか分からなくなった自分に葛城ミサトがとりあえず、与えてくれた目的。
何にも見えなかったから、わずかな星明かりを頼って歩くしかない。
自分の、知識を求めてくれて良かった。
でなければ、おそらく動けなかっただろう。さすがに女同士というべきね。
ギルに帰っていれば、今頃また、時計塔の中で針を刻む音を聞いて蹲っていただろう。
こんな、車に乗って、見知らぬ風景の中にいることなんてなかったはず。
もう、外を眺めてもはっきり見える。午後の時間の中、人が町が動いている。

それを青い瞳に映しながら、惣流アスカは考えるのだ。
やはり、自分は謎解き探偵小説の人物には向いていない、と。
碇シンジに、その母親の碇ユイ、そしてネルフ司令の碇ゲンドウ。
この謎謎家族のことに、ここまで迫ってきてもさして興味が湧かない・・・・・。

いや。
正確には、謎を突きつけられて、いいようにそれにあしらわれたことで気がついたのだ。やっと。


だから終わる音を聞いたのだ。ここが折り返し地点であることが分かった。
自分で見つけた自分の目的。それを目指す変化の刻。

他人の謎なんか解いているヒマはない・・・・・・
今は「自分」の謎を解くので手一杯である、ということに


いくら天才の惣流・アスカ・ラングレーとはいえ、いや、だからこそか、その自身の謎は厄介で複雑で困難で、解明するのに百年くらいかかりそう。
それなのに無駄に出来る時間なんぞないはずなのだ。


その謎を解くのを待っているものがいる・・・・・。
暗い地の底で・・・・一人寂しく・・・・・・待ち続けているはずだ。
今か・・・・・・イマカと。待ちわびている。


エヴァンゲリオン弐号機



恐れるも怖がるもなかった・・・・・その紅い機体はこんなにも自分の裡にあるのに。

うっ・・・・
・・・・・・・う・・・・・



いつしか車内に少女の嗚咽がもれはじめた。
こんな声を聞くのは初めてだった。というより、これほど感情を露わにすることはないものだと思っていた。こんなに、まだ、子供だったのか・・・・。
相変わらずの表情をした加持ソウジは沈黙したまま。惣流アスカが、あの霧の町になにを感じて、どんな心の働きがあったのか、など彼には分かるはずもない。ただ、これで何か一区切りついたな、と彼も感じていた。

煙草が吸いたいな・・・・とは思ったが、少女の手前、遠慮しておいた。
一仕事終わった、というよりは、降っていた夕立が止んだような。
これで良かった、とか悪かったとか、物が片づいた、といった類の終幕ではない。
ただ、ある状態が終わり、次の状態へと移っていくだけのこと。
さらに厄介な事態になるのかもしれないが・・・・停滞だけはしない。

さて、と。スパイは頭の切り替えが早い。次の行動スケジュールを頭の中で確かめる。
碇シンジ君は少なくとも三日は戻ってこない。母親と再会して、少年がどうなるのか、それは分からないが、今後の予定というものがある。惣流アスカのこともしかり。
もはや送り返していいものかどうか。まあ、これは葛城の根性次第だが・・・・。
とりあえず、報告して後だな。細かく考えるのは。
まさかと思うが、こんな時に使徒がやって来たりしていてな・・・・ははは。





同時刻、第三新東京市では使徒と四号機との睨み合いがあった。

エヴァ二体が過粒子砲に貫かれたのは、車が田舎ホテルの駐車場に着いた時だった。






青葉シゲルの見つけたなんとも恐ろキモ悪い光景とは・・・・・。

ズル・・・ モチャ・・・
そこにはビルに張りつけられた初号機の左腕があった。
熱反応はそこからあったのだが・・・・・これだけやられてまだ「生きてる」のも恐ろしい生命力だが、いままでやらかしたことを考えれば納得がいなかないでもない。
だが、今回のそれはまたひと味も二味も変わっていた。
ベタ・・・・ ルル・・・・
溶けて千切れ落ちた、というか熟しすぎて落下したというか、とにかく地に落ちた指の方である。 ズリ・・・・
モチャ・・・ ペタ・・・・
動いていた。蠢いていた。そして腕を目指して・・・・・ビルを這い昇っていた。
ビトト・・・・・ グリン・・・・リンッ
「うっ」
伊吹マヤなど、女性オペレータの何人かが口を手でおさえた。男でもそれを直視できる者はそうはいなかった。生命というのは・・・・生命力というのは・・・・これを見る限り美や数式などとはかけ離れたものだと認識せざるを得ない。


「再生しているの・・・・・?」
この光景を直視し、なおかつ分析的に見ることの出来る赤木博士。
それでも額には汗が浮いてはいるが。
生体デバイスにこんなプログラムはない・・・・誰が命じているの・・・・・・これを。今さらながらに浮かぶ単語「完全切断面」
あれは一体、どこに繋がっているというの・・・・。磔にされている初号機なの・・・?それとも・・・・・。

「碇・・・・これは・・・」
冬月副司令の声がわずかにうわずっている。ありえない現実に対処が狂う。
「・・・・・・」
碇ゲンドウの返答はなかった。モニターを冷たい目の光で見据えている。



「凄い・・・・・」
こんなことは作戦部長としてあってはならないのだが、頭の回転が停止した。
電源スイッチを切られたように働かない頭脳。ただモニターの光景に引きつけられている。ゴクッ
喉が鳴る。

引き寄せられるのか・・・・・それとも指の方に再生帰還の意志があるのか・・・・・
とうとう手にくっつき元の位置に収まる指。
そして、再生復活の儀式はそれだけでは終わらなかった。

ぶくぶくぶくぶくぶくぶく・・・・・・・・・・・・・
貫通されて穴が空いた部分が急に泡立ち覆い隠される。体液の、泡だ。
青葉シゲルの手元の熱センサーは未だ上昇を続けている。
ぶくぶくぶくぶくぶく・・・・・・・・・・五分間ほどそうやっていただろうか。
泡がおさまってきた。完全に泡立ちが消えたとき・・・・・信じられないが魔法のように貫通穴も消えていた。元通りに再生、したのだ。何の助けも借りずに。自力で。

儀式は、終了した。



ゴギッ・・・・ボギッ・・・・ゴキッ・・・・・ゴギッ・・・・・
その具合を確かめるように、初号機の左腕は指を凶悪な音で鳴らしていくのだった。




びょーーん


溶接張りつけの刑すらも自分でさっさと恩赦を出してしまい、そこから降りる。
そのあまりの屈託の無さに、今までとは別種の沈黙に支配される発令所。

なんなんだ・・・・こいつは一体・・・・

生命の暗黒劇を見せつけられた、と思ったら、急に道化劇になってしまったような。

しかし

それを見逃す無能な使徒ではなかった。小賢しい再生者(ノスフェラトゥ)に再び天罰の光を与える!
閃く過粒子砲!

ひょいっ


指をバネにして、その場でばく転してみせる左腕。冗談のようにかわされた砲撃。
たとえ使徒と示し合わせてやったとしても、こううまくはいくまい。

余裕だ。
そうとしかいいようがない。
なにせ、過粒子砲を遊びでかわした後は、オイデオイデをしているのだから。
妖怪じみた所作だった。

この光景を、ネルフ発令所の人間は見ているわけだが、なぜか勇気と希望が湧いてこない。
贅沢はいえた義理ではないのだが、こっちまでコケにされている気分になる。
「へへへー、てめえら、こんなのに苦戦してんのかよ」どうもその所作にはこういう意志が込められているのではないかと思ってしまう。
これを自分たちが、人間が、本当に造ったんだろうか・・・・・ほんとうに・・・。


「敵ドリルシールド、停止しました!」
状況をつんざく青葉シゲルの報告。
「過粒子砲に力でも貯めてんの?」
それともエネルギー切れとか。あれほど莫大なエネルギーを必要とする武器をこれまで、特に補給も無しに何発も撃っているのだ。しかもあの四方向同時砲撃など、計算上あの体積ではありえないエネルギーが使われている。
どんな動力機関を内蔵しているのかは知らないが、まさか無尽蔵ってわけもあるまい。

葛城ミサトはふたたび頭を回転させはじめる。
あんなにのたのた進軍してきた理由もそこにあるのかも知れない・・・・。
それは弱点なのか。それとも他に理由があるのか。


すいすいすいすい・・・・・

クレイジークライマーのように避雷針のついたビルに昇っていく左腕。
なにをやらかす気なのか。

「ああっ!」

これを見て驚かない、もしくは唖然としない人間は年寄り三人くらいのものだろう。
ただし、人生経験とはあまり関係がない。こんな光景は史上なかったことだ。


ぐるんぐるんぐるんぐるん・・・・・・・・
避雷針を掴んで、体操選手のように横向き大車輪を始める左腕。
高速回転してゆく・・・・・それは遠目には紫の火輪に見えた。

るんっ!!

狙いを定めて手を離したらしい。強力無比の遠心力により、紫の大砲玉と化す左腕。
当然、使徒目がけて飛んでゆく。なにせパワーはお墨付きだ。
その、威力たるや・・・・・・。

ガンッ・・・・・ジュッリリリリイイイイイイイイイ・・・・・・・・・


火花散らして弾ける使徒の八角形ATフィールド!
見事なまでに四指を食い込ませている左腕。ギリギリとフィールドを千切らんと力を入れているのが分かる。

「おそらくドリルが停止したのはこのためにエネルギーをATフィールドに廻していたため、と考えるのが妥当ね」
適切な解説をいれる赤木博士。
「とりあえず、時間を稼いでくれてるってわけね」
このままいつもの調子で勝てるとはなぜか思えない葛城ミサト。これは余録のようなもの。カンがそう、囁いている。
使徒以上に、こっちの動力源も謎なのだ。いつ、ガス欠になるか分かったものじゃない。いつもは使徒の息の根を止めるとすぐに動きを止めたが・・・・裏返せばそう長くはもたないのでは・・・・しかも今回は傷の再生に大きなエネルギーを使っているはず。
一撃でカタをつけられなければ・・・・・。

そういう点で・・・・・奴は知能派だわねー・・・・・
あの外見に誤魔化されてたけど・・・・・・。
第五の使徒に「知能派」という称号を与えるのは葛城ミサトくらいのものだったろう。


「初号機左腕、ATフィールド発生開始!、位相空間を中和していきます!」
伊吹マヤが報告する。
さすがに埒があかないと見てか、左腕も伝家の宝刀を抜き出す。
しかし、今頃か。
「フィールド無しに、敵フィールドに食い込むほどのパワーなんて・・・・」
もはや解説の仕様もない赤木博士。

相手の鎧をサクサク切り裂いて、相手ののど頸をかっ斬ろうとした・・・・あるいは脳天砕いて、そこから朱玉内臓をそびき出して潰さんとする左腕。
パワーでは初号機の左腕の敵ではない。内懐に入り込んでしまえば、ご自慢の過粒子砲も使えまい。すでに初号機の好き放題状態になったわけだ。
もともと凶悪な勝ち方を好む(としか思えない)初号機左腕だ。その上に今回は一度、射抜かれている。どんなえげつない目に遭わせるのか・・・・・想像もしたくない。


だが・・・・
知能派と称された第五の使徒ラミエルはすでに対応策を打っていたのだった。






古代の戦王に天の牛骨
ドイツ・ギルガメッシュ機関 会議室
マイスター・カウフマンに職員たちが、おずおずとその意志を問おうとしている。
人数で云えばあからさまな多対一でありながら、この調子である。
さながら山神に狩猟の否やを尋ねる農民、といったところだ。
キャリアで云えば、彼らも大層な肩書きをもっており、数多くの生徒を育ててきた経歴を持つ。ただ、優秀な軍人の卵や優秀な学者の卵を磨くことは出来るが、チルドレンを育てることは出来なかった。元々、ギルガメッシュ・プログラムの根幹を成す理論を、彼らは理解することが出来なかった。その理論の応用たるプログラムも完全に理解出来ているわけではない。ただマイスター・カウフマンの指示通りにやっているだけのこと。
立派なキャリアがありながら、もはや工房の小僧と化しているわけだ。
小僧弟子が師匠に物を問うのはやはり恐ろしいものだ。あの隻眼で睨まれると元軍人でも
背筋が凍りつく。
だが、今回限りは問わないわけにはいかなかった。
あの、葛城ミサトの一件だ。
「何故、賽子などでこのような重大事をお決めになられたのです」
腹に据えかねた者が独断で、葛城ミサト抹殺指令を出したものの、あっさり返り討ち。
さすがにネルフは甘くない。おまけにドイツ支部から脅しが来た。
こんなはずではなかったのだ。葛城ミサトは東洋の魔女か。
それ以上に・・・・・自分たちの頭首、マイスター・カウフマンの不可解さ。
元来、理解不能系の人物ではあるが、理に合わないことはしない。いや、理に完全に合わせているから不気味な巌の如く見えるのだろう。
その、理、とは・・・・・。

「既に”あの子”を日本に送った」

それが愚かな弟子達への返答。それ以上は何も言うまい。
問うた者たちもそれを聞いてやっとマイスターの意図が分かった。気がした。 その認識がこの片目の巌の意志と同じかは分からない。
だが、マイスターが”あの子”と呼ぶのは誰かくらいは知っている。
マイスター・カウフマンがその手元で直々に育てた才能。真のギルの宝。

もうひとりのセカンド・チルドレン

「成る程・・・・さすがはマイスターですな。我らとは考えるスケールが違う」
「お遊びだったとは・・・・・すっかり私達も騙されましたな。はははは」
「なんといっても騎士の血筋ですからな・・・・・エヴァで戦う事を自己表現程度にしか
思っていないアスカとは所詮、土台が違いますからな」

そんなうって変わった会話の様子を灰緑の片目が黙って見下ろしていた・・・・・。





天頂が、蒼く、光った。源は天空の四角錐。

突如、第三新東京市に神々しい光が降り注ぐ・・・・・・・。あまねく、公平に。

最も手に負えない、最悪極悪の咎人にもその光は与えられる。

どう贔屓目に見ても、地獄から来た悪魔の化身としか思えない初号機の、その左腕に。


それはなんらかの攻撃手段だったのか・・・・・だが左腕にはなんのダメージもない。
にも関わらず。
左腕は攻撃を止めた。
麻痺などになるものではない、自らの意志で攻撃を止めた。
神の愛に包まれ、諭され、宿業が消え去ったかのように、左腕から力が抜けていった。

よろよろ・・・・急に千年も歳を取ったかのようによたつく。まるで別物だ。
よろよろ・・・・・・・地に降りた左腕は使徒正面に近づいていく。
過粒子砲の絶好の的だ。今度はよけようがない。
よろよろ・・・・・・・それが分かっているのかいないのか、左腕は前進する。
神の元に最後の礼拝に行く、盲いた敬虔な老人のように。
よたよた・・・・・・・今にも息絶えそうだ。あまりといえばあまりの変化に発令所の人間は戸惑い以上の、本質的な恐怖を感じていた。

畏怖、というものを。



よたよた・・・・・・・・どてっ
使徒の前で、左腕は息絶えたようにそれきり動かなくなった。

惨めな死。

誰もがそう思った。
そうとしかいいようのない現象。あれだけ暴れまくっていた左腕が、たったあれだけのことでぴくりとも動かなくなったのだ。

天罰の光

誰も口にはださねども、そのことを考えた。
もはや、強いとか敵だとかいうレベルではない。もっと根元的に・・・・人間は使徒に勝てないのではあるまいか・・・・・。
その想いだけだけでも恐怖だったが、ネルフ発令所の人間全て、それ以上の恐怖に直面させられる。それは逃げることも許されない・・・・絶対の選択を違えたという恐怖。

使徒が光を発した。過粒子砲で今度は炭も残さぬ程に焼き尽くすつもりなのか。

違った。それが、怖い。

使徒が発したのは、光のアンカーのようなものだった。それで左腕をひっかけて引き寄せていく・・・・・。しずしずと・・・・・葬送の列のように・・。

非力な人間はそれを見守ることしかできない。恐怖の瞬間を。

使徒の先端部、切り離された部分までつり上げられたか、と思ったら・・・・・
ふいに、消えた。左腕が。


「使徒の中に・・・・・落とされた・・・・・の・・・」

そんな風に見えた。消えた、というのは予想外の出来事を一瞬、脳が認知しなかったのだ。

水晶葬・・・・・
完全に葬られた・・・・・・この世から・・・・・・。
果たしてこれは第一次直上会戦の続きだったのか。完全にトドメさされた。
あらかじめ、時間稼ぎと割り切っていた葛城ミサトでさえ、しばし言葉が出ない。
恐怖のために。
左腕がやられたことに対してではない。それならば、まだ耐えられる。
だが、使徒がこんなことを・・・・力尽きた咎人をその身をもって弔うなんてことを・・・・するなんて・・・・。戦闘プログラムは・・・・・こんなことをしない・・・・。
自分たちが相手にしているのは・・・本当の神の使いなのか・・・・。




ふふっ
唇がうすく、笑った。
この状況下において。赤木博士だった。
負け惜しみなどでは、当然、ない。この笑みには当然の意味がある。
真理を追い求め、常に脳を働かせている科学者だけが浮かべられる、少し孤独な笑み。
発令所全体が戦いている状態に、一人そうしているのだから。

感情の量が普通より少ないのかもしれないわね。私は。
分析さえもしてみせる。周りの人間が、特に葛城ミサトのように常人より感情の量が多い人間が何に戦き恐れているのかくらいは即座に理解している。
しかし、その目を支配しているのはあくまでも科学者としてのセンス、視座。
周りの人間が、眼前の光景に何を見いだしているのか理解しながらも、赤木博士の目には別のものが映っていた。と、いうか別の意味を見いだしていた。

ぴん、と閃くものがあったのだ。
この所、常に頭を悩ませ続けていた謎・・・・・・初号機の左腕について。
この状況下で笑みを浮かべられるのは、こうした科学者としての性であろうか。
とにかく、使徒の弱点を都合良く見抜いたわけでもなかった。
その点から言えば、赤木博士の自己分析は非常に正しい。にぶちんだ。
そして、その閃きはここにきて葛城ミサトの動物的カンと同じ場所に導く。
早い話が、あの天空の四角錐の具体的危険性に気がつき、見抜いたということだ。
凡百の軍人ならば、「初期の初期、子供でもひっかからんような陽動にひっかかりおって」と蔑むところだろう、あの命令。結果から言えばその通りになったわけでミサトに言い訳の余地はない、と赤木博士も思っていた。

だが、こうして最後の奥の手を「とりこまれ」てしまった今、ミサトのカンの正解が分かる。どんなことをしても、あれを先に潰すべきではあったのだ。

使徒も・・・・・それだけは恐れていた・・・・・

あの化け物じみた・・・・初号機の左腕だけは・・・・

なんのことはない。こちらの最大戦力をいいように取り上げられてしまっただけだ。
のんびり宗教的感慨にふけっているヒマはない。こちらは新たな世紀の人間なのだ。
あんなものに騙されてたまるもんですか・・・・・。
正確なタネが割れたわけではないが、あれは奇術のようなもの。奇跡ではない。
奇跡であってたまるものか。ただ現行ルールと違うだけで必ず理解説明可能な「道理」があるはずだ。理知の閃きに、一瞬だけ浮かび上がった道理の像・・・・・。
だから赤木博士は笑みを浮かべたのだった。

科学者の笑みを。


「これでATフィールドに性質が似ている理由が(なんとなく)分かったわ」


自信ある語り口。カッコの部分は、やはりネルフの職員であるゆえの義務のようなもの。決して、見栄などではない。
それは一筋の光明。状況的にも現実的にも精神的にも頭脳的にも打ちのめされた者たちはその糸にすがるしかあるまい。
まさにその時赤木博士の姿はまさしくネルフの普賢菩薩といってよい。

「どういうことなんですか」
それに一番早くすがった者は、やはり伊吹マヤだった。
「別に初号機左腕は使徒の威光に恐れ入ってああなったわけじゃないわ。
かといって、催眠効果や麻痺の様子は見られない。大体、あの再生能力を見てもまともな手口が通用する相手じゃないわ・・・・・シャ、シャレじゃないわよ・・・・」
すがっているだけに、聞く者たちの目つきがあやしい。特に葛城ミサトが。
ミサトはすぐに手を出す危険な奴であることは学生時代から見て知っていた。
「・・・・続けるわ・・・・・それで考えられるのは、やはりエネルギー切れね。
供給されているエネルギー源からの接続をカットする・・・・ATフィールドでね・・・・切断障壁型とでも名付けましょうか・・・・ いくら強力な兵器でも弾切れ電力切れではただの置物・・・・エヴァのことで分かるでしょうけど、基本的だけど、有効な手だわ。・・・・だっ、だからシャレなんかじゃないわよっ・・・・・」
赤木博士も意識してやっているわけではない。日本語がそうなっているのだ。

「でも、その推理にはいくつかの疑問点があるわ」
葛城ミサトが手をあげた。
「まず、使徒が初号機の左腕のことを知っている、というのが前提で。しかも、私達もわからない初号機の左腕の動力源を知っている、ということになるけど・・・・」
そんなことは使徒の体に聞きなさいよ・・・・・と言いかけた赤木博士だが、まさか自分のイメージでそんなことがいえようはずもない。
りこうバカというか、愚か聡い、というか余計なこと云いのミサトを恨む赤木博士。
「毎回、同じやり口でやられるほど、使徒は甘くないってことかしらね」
ふう・・・今度は大丈夫。
「と、いうことは初号機左腕動力源は、やはり第三新東京市領域外の、北海道にある・・・・・・んでしょうか」
伊吹マヤの補填。ひと味足りないような薄味だが、まともだ。道筋としては。
赤木博士も、閃きを全て明かしたわけでもないし、今はその時でもない。
だが、なんとなく科学的な道理の説明を受けたことで、意気が復活してくる現金な人間。
あれほど強力な使徒も恐れているものがあった・・・・。
その認識で再び天に逆らう意志が湧いてくるのだから・・・・。

「敵ドリルシールド、穿孔再開しました!!」

「パイロット両名、意識を取り戻しました!!」
その二つの報告を手にして。






碇シンジは白い建物の前までやってきた。とうとうやってきた。
大して高くはないが、白い壁がれんれんと続きとりかこんでいるようだった。
それよりも木々が建物を守っているようだったが。拓かれていない山の中だ。
一応、木製の正門のようなものがあり、そこでインターホンを押す。
大金持ちの避暑別荘というにはその白さは簡素すぎて、また池に面した規模は大きすぎる。
遠目にも正対称に水に映っている様子は絵画というより数学を思わせる。
施設の看板などは出ていない。個人の邸宅にしては寂しすぎ、大きすぎる。
研究所みたいだ・・・・とまた碇シンジは思った。
何の研究か、と問われても答えることは出来ないが、この静謐はまさしくそんな思考に、ぴったりなのでは・・・・またはそんなことの為でもなければ、とてもこんな寂しい場所には住めないだろう・・・療養といっても、この寂しさに慣れてしまえば、人の喧噪についていけなくなって、ここにしかいられなくなるのではないか・・・そんな気がする。
碇シンジは気づかなかったが、ここには駐車場がなかった。
そして、これは当然気づくべきこと・・・・いや少年には体験がないだけに、頭に入ってこなかったのかもしれない・・・・

ここの木々が色づきはじめ、また足下には枯れ葉が散っていたことを。

しばらくして・・・・
かちゃかちゃ・・・・
門を開けてくれるらしい。インターホンでの返答はなにもなかったのに。
まあ、今日来ることは母さんも知っているんだろうから。
こんなところに怪しい人なんてこないよね。父さんは怪しい人だけど。

母さん、なのかな・・・・。
母さんも待っててくれたんだろうか・・・・ずっと。

かちゃかちゃ・・・・・
ずいぶん堅い鍵なんだな・・・・けっこう、遅い・・・さびてるのかな

「あの・・」
かちゃん
声をかけようとしたと同時に正門が開いた。ゆらーと開いていく・・・。
そこに立っていたのは・・・・

<ようこそいらっしゃいました>

と書かれたホワイトボードを首から提げた一羽の白いアヒルと鶴を混ぜた様な鳥だった。




「本部と通信が繋がらないとは、こりゃあ一体、どうしたことだ?」
加持ソウジが連絡をいれようとしたのだが、通信機から聞こえるのは異常な雑音のみ。
はんぱな妨害電波、盗聴にはひっかからないネルフ特製の連絡通信機だ。
考えられるのは、冗談のようだが自分トコの電源切れ。だがそれはない。
さらに冗談のようだが、本部の方の電源切れ。こちらの方がありそうだ。
「まさか・・使徒との交戦か」
使徒がジャミングしてくる可能性がないでもない。使徒の中にも賢い奴がいるだろう。
ともかく状況を確認する必要がある。
加持ソウジは別ルートからの情報収集にかかった。
ほんとは、こっちが本業なんだよなあ・・・・・・。さすがに手つきが違う。

望んだ情報を手にするのに、三十分もかからない。

しかし、そこから先はしばし熟考を要した。状況は最悪。しかも本部と繋がらぬ以上、碇司令の判断を仰ぐことも出来ない。命じられたのは護衛と案内だけだというのに・・・。手元にはセカンド・チルドレン惣流アスカがいる。
葛城の領分だろうが、その状況ではどう考えても弐号機が使えた方が良かろう。

だが・・・・・。

飄々としたこの男でもやはり、呻くような逆接である。

ネルフ本部が潰れてしまえば全てが終わる。
こんなヒロシマの山の中でもそれは変わらず、全てが終わる。
ただ傍観していることは許されない。無駄に死にたくないのであれば、だ。

とはいえ、この状況下において加持ソウジにやれることはさしてない。
使徒を倒せるのは使徒と同じ力をもったエヴァンゲリオンだけであり、そしてそれに乗り操れるのは選ばれたチルドレンだけなのだ。

サード・チルドレン 碇シンジ
セカンド・チルドレン 惣流・アスカ・ラングレー

そんな二人を預かっていたのだ。思えば恐ろしいことではある。
だが、子供達の意志は子供自身のもの。幼くとも未熟であっても。単純なことだが。
その上でエヴァが回っているのだ。不安定にすぎる現象。
その不安定さに手を出さず、信じて見守っていられるか。度胸だめしだ。
見守っているうちに世界がこけてしまったら・・・・・?

「さて、どうしたものか」






「今日も・・・・寒いぜ・・・・」

日本で唯一、雪の降る冬の大地。
そして、どういう異変なのか本州とは正反対に年がら年中冬の季節に閉ざされる国。

それが北海道。

北海道は今日も寒かった。しかし、今日は「わりあい」暖かい。・・・・・・強がりだ。
詳しい位置は当然、機密となっている奥地。人などまず来そうもない、いわゆるマタギもかよわぬような、神威の地。文学的表現でもなんでもなく、まさにそのもの。

「カムイは神か、魔性の者か、

知らず
今宵もまた烈風、凍土に吹く
人はそれ、神の風と呼び
大地を打つその音に
命を知り、おののきひれ伏す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・寒い」

アイヌの古謡を陰気に口ずさみながら、その男は凍った白い地に、足のブーツでもって、なにやら書いていた。子供が陣地書きをしているようだが、当然違う。
そんなほほえましい代物ではなかった。ならば、カムイの呪術陣か・・・・・・・・・・それも、違う。

イカリのマークだった。つまり、錨だ。

このくそ寒い屋外でわざわざ大の大人がやることではない。
変わり者でもこんなことはしない。それに、この男にはネルフの階級章がついており、それなりの歳もいっており外見上はまともだ。アイヌ古謡なんか知っているのは単に昔どこかで読んだだけのこと。髪は短く刈り込み、真面目で渋い顔をしている・・・・・・。

「うりゃーっ。おりゃーっ。このやろ、このやろ!!」

いきなり叫び声をあげて自分で書いたイカリマークを踏んづけはじめたのはどうしたことか。風に乗ってやってくる魔性の者にとり憑かれでもしたのか。

「うりゃー、あんな高い所にある化け物を傷一つなく回収しろだと?やれるもんなら、てめえでやってみろってんだ、バーロー!」
涙混じりに見上げるその先には、夜目には分からぬが、岩盤に磔された紫の鬼、エヴァンゲリオン初号機のあわれな姿があるはずだった。

この人物の名誉のために云っておくが、彼は根性無しという言葉とは縁がなくこれまで生きてきた。困難な任務にも立ち向かい、危険な任務も恐れずにこなしてきた。
十分にその階級章に恥じない、優秀な人材であった。

ただ、今回与えられた任務はあまりに無茶といえば無茶なものだった。
あんな大物をあんな高所から回収するのも至難の業というのに、それを傷一つつけずにやれなどというのだ。「現場の苦労司令知らず」とはまさにこのこと。
特撮映画とは違い、週が開けたら自動的に元通りに、ビルが直っていたり道の陥没が修復されていたりするわけではないのだ。いろいろと知恵を尽くしてみるのだが、どう考えてもそれは無理というものだ。
磔にされているエヴァには悪いが、骨の2本や3本は覚悟してもらう必要がある。
そりゃ機能中枢には傷をつけないように努力はするが、傷一つつけない、というのは無理。

それでもあんな有様を示すとは・・・・まだまだ甘い。世の中にはもっと辛い仕事がある・・・・とお思いのあなた。それは、違います。

まだ、あるのです。この人物を苦しませる原因は。

「それになんなんだ、あの杭は!・・・・・材質が木で、あんであの重量を支えきれるんだ!まだ未知の金属って方が納得がいくぞ」

初号機を貫き、岩盤に磔にしている張本人、「白い棒のようなもの」。
現場ではそれを「杭」、と呼んでいる。まるで吸血鬼のようですが。
それは調べてみると、なんと「木」で出来ていた。なんの木なのか調べる気にもなれないが・・・未だ不明。もしかしたら絶滅した種類なのかもしれない。
それくらいの不思議はあってもいい。・・・・・そのおかげで強度計算が出来ないどころか、今にメキメキと割れて墜落してくるんじゃないか・・・・そう思うと夜も眠れない。

しかも。

「寒い・・・・・・・・・・・・なんでこんなに寒いんだ」
日本中が夏だというのに、ここだけ冬、というのは珍しさを過ぎてしまえば苦痛以外のなんでもない。慣れてしまえばいいが、慣れるまでこんな所にいる気は断じてない。

誰も見えないところで、こうやってイカリのマークを踏んづけている気分というのも分かろうというものだ。まさかおおっぴらに司令の批判なんぞやるわけにもいかない。
これはせめてものストレス解消なのだった。こうでもしなければ、ほんとに魔性の者に取り憑かれてしまう。・・・・・・・・ウ宇・・・・・・・寒い。



「たのしいですか」

ふいに後ろから声がかかった。ぎょっ、と振り向くと、その先には・・・・

「おお、山田ミノル二尉か」

「たのしいですか」
一歩、二歩、と近づいてくる。その姿は北に追われて風に吹かれる食い倒れ人形のようだ。表情がほとんど変わらないので、魔性とは言い難い感じだが、怖い。
コンピュータを扱わせたらかなりのものだが、本部オペレータになれなかった経歴をもつ。「たのしいですか」

「そ、そうだ!山田ミノル二尉、こんな話を知っているか」
彼の接近を止めるために、口が動く。目的が目的なので話題は飛んでいる。
「なんですか」
「オホーツク沿岸の紋別の小学校には、なんと、”流氷に乗るのはやめましょう”という掲示が出るそうだぞ。さすが北海道だな」
「札幌はありません」

「ところでこんな所までどうした?連絡事項か」
「はい。本部からと日本重化学工業共同体からです」
「・・・?催促だけはしないと思ったが・・・それに日化共が?」
「日化共とはなんですか」
「今、俺が造った略称だ。適当だろう・・・・・ご苦労だったな」
「は。高嶺一佐」

二人は強化プレハブ製の基地に戻った。イカリのマークは氷風が消してくれるだろう。
打ち据える音に、命を知る・・・・・。残るは生命の気配も吹きさられただ闇の黒塊。






白い闇の中・・・・・そのふたそろえの赤い瞳は同し刻に開かれる。

渚カヲルと綾波レイ
目覚めた。
集中治療室。生命維持カプセル。開かれる。その機械の機能の一つであるかのようにすうっと起きあがる。何かを呟いた。それすら影絵のように同じ。


「エヴァは・・・・」


まるで朱い雫のようにこぼれ落つる。
二人はこれより先、どうするべきか知り抜いている。完全なる明瞭の白さ。
恐怖も苦痛も怒りも嘆きも迷いも・・・・・全て漂白された白。沙羅の白さ。




第二作戦室
使徒に反攻を開始すべき、そしてどっくりとお釣りを返してやるべく、集まった面々。
命題は全員が思い知っている。なおも使徒に楯突く意志を静かに燃やして。
それらを前にして、葛城ミサトはそのための指針を示す。

指針・・・・・指揮官が自らの責任と哲学において一方的に決定するもので、いわば個性そのもの・・・・葛城ミサトの、たましい・・・。

「時間が競っているから、簡潔に述べるわ。悪いけど、これに今からいのち預けて」

冗談でも形容でもなかった、それは純然の事実。使徒の強さは今頃云うまでもない。
負ければ人類全体、つまり自分たちもくたばることになる。
ネルフに籍を置く以上、これは当然の認識だが葛城ミサトはわざわざ確認して見せた。
これは、そういう作戦である、ということを。
特にパイロットの方を見るような真似はなかった。

今回の使徒は強い。
並外れて強い。使徒の中でもかなりの強者だろう・・・。

その強さはどのような強さか。
葛城ミサトの状況認識。これがつまり、作戦の背景になる。これを一致させることは、指揮官の重要な仕事である。その認識ゆえに、作戦が勝利に繋がる、という信用を得て動くのとそうでないのとでは結果がおそらく、まるきり違ってくる。

「使徒の強さは見てのとおり。そして今回は初号機左腕のラッキーはないわ。
人間の知恵で・・・・・・・・・・・・・・・倒す。

日向君」
作戦モニターに使徒の姿が映る。
「攻守ともにまさにパーペキ。ATフィールドは硬いわ、過粒子砲は強力だわ、で一見、打つ手がなさそうに見える。シンプル・イズ・ベストってトコかしらね。
変な小細工がない分、つけいる隙がないわ。
でも、単純は所詮、単純。別に偉大ってわけでもない。そこまでのことよ」

モニターにJA戦から直上会戦まで使徒の様子が分割で流されていく。

「ATフィールドの強力さはひとまず、置いておきます。四号機に一度切断されているわけですから、それはさほど驚異ではありません。
問題は、百発百中の過粒子砲。その点です。威力は当然のことですが、私が恐れるのは、その狙撃能力です。・・・・敵の急所を見抜く能力を含めて」

「そこを封じれば自ずと勝機は見えてきます。
その勝機を掴むために考えるべきことは使徒は如何にして目標を認識しているのか、という点です。まさかめくらめっぽう撃っているのが、神様のご加護で当たっているなどということがない限り、そこには精巧な目標認識システムがあるはずです。
もちろん、分解して使徒を調べるわけにもいかないわけですが、高速で再射出された初号機の左腕を正確に、一瞬にして撃ち抜いた、という事実がヒントになります。
判断によるものなら、ああも素早く反応できなかったでしょう。こちらの対応を読んでいたにせよ。また、反射によるものならばサイズの小さい左腕部分を狙うような真似はしないはずです。それとも、急所部分を狙うはずです。他のエヴァ二体にはそうしているわけですから。それを考慮にいれると導き出される可能性はそう多くはありません。
あの目鼻のついていない単純なフォルム、特に発せられることもない電波類、等々を考え合わせてみると、あの最大の武器を生かすための、最も機能的であるべき装置・・・・・それは、あの水晶のような八面体壁面すべてが鏡の眼・・・・眼面とでもいうべき代物ではないか、と推測されます」

眼面・・・・・これまたとんでもない言葉を考え出したものだ。

「ダミーを含めて四体のエヴァが一時に狙撃されたことも、説明はつくわね。
まさに、死角というものがないんだもの」
赤木博士が認めた。到達地点は大体似たようなものだが、造語考案まではしなかった。
「リフトの灯りが使徒に絶好の狙撃認識コードを与えてしまったんですね」
葛城一尉ってこういう役柄も出来るんだ・・・・先輩だけじゃないんだ・・・。
さすがにこんなこと考えている余裕はない伊吹マヤ。
日向マコトの方は、葛城ミサトの旗の下、もはや別種の境地にいってしまい、つやつやした顔をしているのだが。彼はネルフに向いていたのだろう。

「まあ、あんな使徒のことだからその他にも何かあるかもしれないけど」
正直な所を話してもおく葛城ミサト。いつもの調子ならばそんな点は省いておくのだが。

使徒・・・・・謎に包まれた存在に対して、確とした手触りのあるものしか思考の材料としなかった。承知の上での片翼飛行。真実を半分も言い当ててはなかろう。
だが、ここに葛城ミサトは一線を引いた。実務最高責任者として。

我は人なり、彼は使徒なり。
この地球上に現れい出る限り、人の知恵が通じないはずがない。
知恵の光で照らせば、形くらいは浮き出てくる。そう信じている。
もし、使徒が500年ほど過去に現れていれば、人類は手も足もでなかったでしょうね。
絶対領域・・・光の八角形・・・・ATフィールドの前に頭を下げるしかない。
葛城ミサトは一秒だけ、夢想した。
だが、現代の人間の知恵の階梯結晶、科学の力はそれを突き破ることが可能だ。

葛城ミサトの話は行動方針に続く。
「考えられるあらゆる手段を用いて、使徒の目を眩ます。
それが第一段階です。
そして、平行してエヴァを第三新東京市より離します。
高エネルギー収束体による超長距離からの直接射撃。
それが第二段階です。」
これを聞いた者たちは、意外に思った。いや、第一と第二との作戦行動の意図に開きがあるように感じたのだ。と、いうより事実ある。
葛城ミサトの先ほどの口調の感じからすると、過粒子砲を眩まして懐に切り込むようなイメージがあったのだ。いきなり指揮官との認識の差があったようだが、まだ話途中だ。

なにせこれには第三段階があるのだから。

「四号機パイロットの報告の通りならば、今回の使徒にはコアが五つあります。
もしや、真っ二つにされた時点で一つ使用したのかもしれませんが・・・・」
こんな時にニヤッと笑ってみせるのだから葛城ミサトと云う人は・・・・・。
「正攻法は通用しないと見て、いいでしょう。どんな配列になっているのか知りませんが直線で五つを射抜ける可能はゼロでしょうから。
搦め手ではありますが、もっと簡単で確実なルートから攻め込みます」

実のところ、これは赤木博士にも見抜けなかった。はっきり言って正気の沙汰ではない。ちらっと背の低いギロギロした眼の年寄りの方を見る葛城ミサト。
もしも自分がこれを云わねば、この年寄りが言ったであろうか。この攻め口を。
そして、これは二面作戦になる。指揮者は二名要る。そして、使徒のジャミングもある。離れた地点の指揮官の意志の疎通が必要になるだろう。似通った呼吸。阿吽とはいわねど。リツコには・・・・無理というより期待しすぎか。領域外だ。
日向君は、手元にいてもらわねば困る。と、なると・・・・・・・。

「敵のドリルから攻め込むとは攻防一致じゃな」


今まで目玉を光らすだけで黙っていたのに、事も無げに口を開いた。
作戦顧問の一言に驚く面々。若いのお。
「本気なの?!ミサト!・・・・いえ、葛城一尉」
代表して赤木博士が聞く。この場において葛城ミサトの考えを見抜いたのは年の功だけ。「本気よ。というより、五つもコアもってる非常識な使徒に勝つにはこれしかないわ」
人類の義務として足掻いているわけでも、自滅的復讐心を満足させるためでもない。
軍人として、「勝つ」ために、「勝つ」気でいるのだ。100%完全に。
どんなに強い相手であろうが、負けられないなら必ず勝つ!恐ろしい程の心の腕力だ。
この純粋さは、軍人というより、騎士に近かっただろう。
城が紅蓮の炎に包まれようがまだ勝利のために戦おうとする・・・・・。
凡人にはとうていついていけない境地である。

「別にそれほど奇をてらったわけでもないわ。考えてもみてよ。あのドリル、確かに順調に特殊装甲を突き破って進んでいるらしいけど、障子紙を錐で穴開けるほど容易なわけでもない。こっちが手も足も出ない未知の特殊金属Zで出来てるわけでもないわ。
見方を変えてみれば、あれだけ出鱈目に強い使徒がてこづっている・・・・・そこにつけいる隙を見るようでなければ勝てっこないわ」
葛城ミサトがそう言うと、なんとなくそんなもんかな、と聞いてる人間もそう思ってくるのだから大変なものだ。確実に葛城ミサトには、ただの作戦部長以上の器量と才能がある。勝てそうな気がしてくる・・・・・・それがあるのとないのとでは大違いだ。

この人に・・・・任せてもいいみたいね。
経験不足を補うための補佐、というわけでつけられた作戦顧問だが、発想の感覚が似ているのかも知れない。経験だけならとてもじゃないがこんなことを考えつかない。
それどころか戦術がどうたらこうたら説教たれて水差してくる可能性もあった。
采配の手際も拝見済みである。葛城ミサトは唯一の不安を払った。
「野散須作戦顧問」
「ぬっ」
「ドリルシールドよりの使徒攻略指揮をお願いします」
日向マコトなどはかなり意外そうな顔をした。
野散須カンタロー作戦顧問は即座に頷いた。
「了解した。作戦部長殿」
時間が有り余っているとは口が裂けても言い難い状況だ。無駄な時間は使わない。
「私は遠距離射撃の方の指揮をやります。エヴァはこちらに頂きますがよろしいですか」「細かい作業になるからの、かえってエヴァあは邪魔になる」
すでに攻め込むプランができているらしい。
「エヴァあの匂いを嗅ぎつけて砲を撃ち込まれてもかなわんしの」
零号機が使えず、弐号機も使えず、初号機はいないから、使用可能なのは四号機だけ。


なのだが・・・・・。
「狙撃程度なら、エヴァ弐号機を動かせますが」
渚カヲルだった。
「えっ?」
この意味は誰にもわからなかった。葛城ミサトにも赤木博士にも。
「四号機と同時に、と言っても制御だけですが、拒絶による暴走を抑えることは出来ます。操縦は彼女にやってもらわねばいけませんが・・・」
そんなことがやれるのか・・・・・・並外れている。フィフスの資質は。
綾波レイもそれを聞いても表情に変わりはない。 少年の言葉は真実だろうが、それでも葛城ミサトは赤木博士の方を見てしまう。
それは命を削るような業の気配がするのだ。正直、耳の奥が削がれるような痛みを瞬間、感じた。少年も少女も、顔色一つ変えないが。

結局、非常時だ。いや、非情時か。使えるエヴァは多い方がよい。もしや相手が撃ち返した時の為に盾でもって防御する役割が加えられた。


「これより、本作戦をヤシマ作戦と呼称します」


停止していた人と時間が使徒殲滅に向けて流れ出す。
「じゃあ、儂の所はダンノウラ作戦とでも名付けるか」
徹底的に息の根を止める、ということだ。こうして二面作戦が開始される。

勝つのは天空を支配する使徒か

それとも地の底から性懲りもなく知恵を働かす人間か


当然、人も機材も何もかも、ネルフにあるものは全て忙しく動き回り、完徹。



戦略自衛隊つくば技術研究所
「・・・・以上の理由でお宅の自走陽電子砲を徴発します。なるべく原型を留めてお返しするよう、合いつとめますので」


ネルフ本部作戦課電算室
「一億八千万キロワットねえ・・・・・。ちっ、こうと知ってれば太平洋艦隊を帰すんじゃなかったわね。しょーがない。日本中のご家庭から頂くとしますか」


ネルフ本部第二実験場
「エヴァ弐号機、起動しました。拒絶反応、ありません」
「ふうっ・・・・・・何て子なの・・・・・・・・・・」


第三新東京市直下第17装甲板地帯
「要するに、犬が舌先を穴につっこんどるようなものよ。その舌先をつかんでしまえば、なにもできん。当然、逃げることもな。ふん・・・・どうせ宙に浮けるのならば高所から砲撃を食らわせばよい。それをやらんのは捜し物でもあるんかの。
なんにせよ、さほど恐れることはない。戦闘と云うより工事と同じよ」


技術開発部エヴァ兵器工場
「技術開発部の意地にかけてもあと3時間で形にしてみせますよ。任せてもらいましょうか」
「盾は・・・・SSTOのお下がり。不格好だけど性能は二課の保証書付き。あの砲撃にも17秒は保つわ」


かくの如く忙しくしているネルフ本部であったが、一見そうに見えない場所もあった。


総司令官執務室。
碇ゲンドウと冬月コウゾウがいた。
電話がつながっていた。こんな時でもつながるゼーレ経由の非常通信である。
相手は、ギルガメッシュ機関の長、マイスター・カウフマンだった。
どちらも饒舌とは縁がないタイプの人物だが、時間を無駄にしないという点では共通している。そこでかわされる奇妙の対話。

「・・・・・セカンド・チルドレンの貸与・・・・・」
「時間があるまい・・・・・何より・・・初号機・・」
「既に日本に・・・・・・・弐号機を使わぬまま・・」
「必要ない・・・・・・・・・・そのためのネルフだ 」

傍らにいる副司令には大体、これでやりとりの内容は分かる。
しかし、最後の結論には多少、見立てを外された。
ギルから貸与されるというセカンド・チルドレンを使用せず、という点。
起動指数が低かろうと、囮程度には使えるだろう、と取りあえず取り寄せる程度のことになるのだと思っていたが。ここで断る理由はないはずだ。選択肢は多い方がいい。
少なくとも補充には当てられる。・・・・碇の発想はこのようなものの筈だが。


部下が部下なら上司も上司、のギルに対する態度だが、電話の相手はさして態度を変えることもないようだ。元々、巌が口を開いているようなものだが。
だが、ただの鈍重頑健な岩ではない。

「代わる」
一言で回線を切り替えてきた。しかし、誰と代わるのだ。ギルガメッシュ・マイスターの代わりにとネルフ総司令と対話し得る者とは・・・・。


「A・V・Th」


「挨拶」



たったの二言で終わった。再び切り替わる回線。少年のような少女の声。または逆か。
碇ゲンドウは知っている。ギルガメッシュより葛城一尉と入れ違いに送られた報告書。
その中の一人・・・・・。


セカンド・チルドレン、A・V・Th・・・・



マイスター・カウフマンの眼鏡に適い、その手で磨かれた珠玉のひとつ。
僅か二言だが碇ゲンドウには分かる。その奥に戦の血脈が生んだ鉄の魂が宿っている事を。デウス・マキナ・・・・機械仕掛けの神に宿るに相応しい魂・・・・才能・・・・・・。

「これでも・・・・・・いらぬか」
電話の向こうで巌が笑ったかも知れない。
最高の舞台で最高の作品の初披露としたい・・・・工匠の本音だろう。


ネルフ総司令、碇ゲンドウの返答は・・・・・・・。







碇シンジはとくとくと、背の高い白い鳥の後をついていく。
てくてくと碇シンジの先をゆく背の高い白い鳥。首には「TaK2」と記された首輪がはめてある。

広い中庭・・・・ここは植物に関する研究なんかをやっているのだろうか・・・・と思うくらい、さまざまな種類の花や木々が植えられている。ガラスの温室らしいところもある。池に映っているのが母屋なのかな・・・・・・母屋というのも変だろうが、碇シンジにはさしておかしくもなかった。

きれいなところで良かった・・・・・そう思う。空気も清々しいし。
霧が晴れてみれば、やはりいいところだ。療養にはとてもいいところだ。
でも、生活には少し不便かな。・・・・・これは貧乏性ってやつかな・・・・ふふ。

鳥に案内されることにはさして疑問を抱かない。
まあ、すでに巨大ロボットに乗ったという体験をしたのだ。それに比べれば、怖いものはない。それに、かなりしつけられているというか、賢い。歓迎してくれたし。
少し、驚いたけど世の中には買い物をする犬だっているし、足し算をする犬もいる。
ホワイトボードにペンで書き付けて対話ができるのだ。


「あの・・・・碇、シンジですけど・・・・母さんを・・・・お願いします」

かきかき、きゅっきゅっ

「いいつかっております おくさまはきょうかいにいらっしゃいます こちらへ」

ちょっと時間がかかるし、ひらがなばかりだけど、しょうがないよね。
でも、きょうかいって「教会」のことかな。
母さんはクリスチャンだったのかな・・・・・。



中庭をゆるゆると抜けて。林に近く、森の入り口のようになっている場所。
そこで白い鳥の足が止まった。
縦長方形の白い建物。樹の扉。その中に・・・・・母さんがいる・・・・。

かきかき、きゅっきゅ

「どうぞ おくさまがおまちです」

「あ、ありがとう」
どきどき・・・・・・・やはり心臓が高鳴る。扉の取っ手を掴む手も震える。
暖かい震え・・・・・・。ゆっくりと取っ手を引いていく・・・・・・・。



中はうす暗い・・・・と思ったら、奥の壁に十字の明かり取りの切れ間が入ってくるらしく、光の十字架がその内を照らし出し、ほの暗い中に浮かび上がっていた。
十字の中央点に立っている人影・・・・・・碇ユイ。


「かあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さん」

唖然として声が出ない碇シンジ。


「よくきたわね・・・・・シンジ・・・・・・」




母親の姿は少年の知っていたものではなかった。同時に、これほどよく知っている姿もなかった。ただ、忘れていた。予想もしていなかった。
どんな怪我をしていようが、どんな病気でやせほそっていても母親の姿だと認められる。
覚悟は・・・してきた。


でも・・・・。


コレハ・・・・・
胸の海中よりあぶくのように浮き出される・・・・。




母親は子を宿していた。つまり、妊婦だった。














コツコツ。
「アスカ、話がある。あけてくれ」
加持ソウジは考えた結果、惣流アスカに現状を教えることにした。
惣流・アスカ・ラングレーとは、セカンド・チルドレンである、という縁で出会った。
ならば最後になりかねないなら、そのように応対しよう。一つの礼をひいて。
「加持さん?どうぞ」
声には力が戻ってきていた。が、なにか今までとは別の響きが感じられるのは、気のせいか。
「くつろいでいるところをすまないね」
「いいえ。私も加持さんに話を聞いてもらおうかな、と思ってたところですから」
ふーむ・・・と、こんな時まで人間観察してしまうのは、習いというものだな。
「それは丁度良かった」
「で、なんなんですか」

加持ソウジは先ほど手に入れた情報を全て、惣流アスカに教えた。

「使徒が・・・・・・」

「碇シンジ君はあそこにいる限り、大丈夫だ。
だが・・・・アスカはどうする」

セカンド・チルドレン、惣流・アスカ・ラングレーならば・・・・・・・。


驚くべき事に、惣流アスカの返事はすぐさま返ってきた。
はっきりと、こう答えた。




「アタシは行かない」