To be continue....





「アタシは行かない」
惣流アスカははっきりそう答えた。自らの判断の結果として。

決してそれも予想していなかったわけではないが・・・・・加持ソウジは少なからず虚を突かれた。面には出さなかったが。
エヴァ弐号機はこの少女にしか動かせぬものかと思っていたが・・・・。
なまじっかな人間よりも、エヴァ弐号機の方がこの少女の心に近いのを知っている。
第三新東京市が壊滅するということは、同時にエヴァ弐号機の破壊、つまり、死を意味する。だが、命をかけて、なにかのために戦え、などと命令する権利は誰にもない。
その命は本人のものなのだから。なにかのために戦うのは本人の気持ちひとつ。

本人の、気持ちひとつ・・・・。

加持ソウジの見立ては間違ってはいなかった。
惣流アスカの気持ちはそれに間違いない。出来ることなら、今すぐ、駆け出すようにして第三新東京市に戻り、一か八か、弐号機とのシンクロを試したい。

だが、エヴァンゲリオン弐号機専属操縦者、セカンド・チルドレンとしての判断は異なる。

ギルで叩き込まれてきた判断能力は、自分の現在能力を正確に把握していたし、そこから何をし得るのかを思考の先入とさせる。
そこから導き出される回答は、現時点の己が行ったとて指揮官、ないしスタッフの意志を混乱させるだけだという冷静なもの。
一か八かの賭でしか勝てないようならば、そこで滅んでしまうのが自然の理というもの。起動不可の理由を解析していない現時点では、起動の可能性は低すぎる。
切羽詰まった人間の精神力を考慮に入れた、としてもだ。
行動開始の信頼度に欠ける。よって、第三新東京市には戻らず、エヴァ弐号機には搭乗しない。
だが、エヴァ弐号機のないセカンド・チルドレンというのは無力。
何もすべきではない。
現時点、現在位置で待機。
それが、セカンド・チルドレンの判断能力の出した回答だ。
少なくとも、邪魔にはならず、他の足を引っ張らずには済む。
これはこれで正しい回答であるし、加持ソウジとしても別段責める気にもなれない。
それに、戦闘状態にある第三新東京市に戻るのは一苦労などというものではないのだ。
そんな危険な帰路で、下手打って負傷したり死んだりしたら洒落にならない。

それ以外の回答を僅かでも期待した加持ソウジの方がたるんでいるのだろう。
彼にしては、らしくない。
ただ、使徒が出鱈目に強く、ここで手をこまねいていて世界が終わり明日もない、という可能性もないではないのだ。

「アイツ連れ戻して、初号機に乗せるわ」


風が吹き戻されたかと思った。それほど唐突なあとの一言。

「碇・・・シンジ君をか」

「そう。そおんなに使徒が強いんじゃ、勝てるのはあの妖怪機関車みたいな、エヴァ初号機しかいないわ」


驚いた。目を見張る加持ソウジ。まさかあのアスカがこんなことを言い出すとは・・・。惣流アスカならばこんなことは云うまい。と、いうより言えまい。
セカンド・チルドレンならばこんなことは云うまい。と、いうより言えまい。
ただの子供でもただのパイロットでも。
どちらかに固執するならば・・・・・。
片方の視線視野からは結ばれなかったはずの思考の像。

「初号機を動かせるのはシンジだけ。・・・せっかくのとこだけど邪魔させてもらうわ」

「北海道まで行く気か、アスカ」
そのことは先ほど話しておいたのだが・・・・未だ解封されていないことも・・・さすがに手段を選ばない方法で作業が行われ始めてはいるが・・・・アスカの見立てでは、自分が「行く」より、そちらの方が確実らしい。他力本願、という場さえ整ってはいないというのに。これで碇シンジ君が「乗らない」などと言い出したら血の雨が降りかねん。
とにかく・・・・間に合えばいいが・・・・第三市は保つのか・・・・・。






第三新東京市

使徒のドリル本部直接攻撃は続いていた。そろそろ装甲板も半分を過ぎた。



ジオフロント ネルフ本部
好調にはほど遠い状態だが、全ての準備が整い、いよいよ使徒の好き放題に対し、人間の人生をもってドカンと一発思い知らすべく、皆々、ヤシマ作戦の発動の号令を待っている。

地上全ての灯りを完全消灯。加えて煙幕、妨害電波、音波、等々、考え得る限りの使徒に対しての目眩まし。

二子山山頂に仮設変電設備をしつらえ、戦自研から徴発してきた自走陽電子砲改造、ポジトロン・スナイパー・ライフルを狙撃地点に配置。さすがにこの距離では気づかない。

地下装甲板17層では作戦顧問野散須カンタロー率いる工作部隊がドリル・シールドを一気に破砕する準備を整えて闇の中で息を潜めて待機している。

ただ、エヴァ二体が未だ、二子山に到着していなかった。

弐号機のことである。
綾波レイの調子がおかしい。・・・・というよりおかしくて当然なのだ。消耗しきった体にまさに「死ね」と言わんばかりの無理をさせている。その上に弐号機との初シンクロ。渚カヲルもひどく悲しそうな表情をみせた。薄墨を流したように煙っている。
当然、少年もこれ以上ないほど消耗しきっている。なにせ二体の制御を一人行うという、離れ業をこなしているのだ。しかし、綾波レイのために、悲しんだ。

それを見ても、今や殆ど表情を変えない葛城ミサト。
わずかに、多少でも彼らの負担が減るように、マギに頼む赤木博士。内心のみで。

その様子を発令高所より見下ろす碇司令と冬月副司令。
「良かったのか・・・・碇・・・」
碇ゲンドウはギルよりのセカンド・チルドレン貸与を断った。
今ある者たちで使徒に勝てる、ということだが・・・・・・。
「苦しんで勝ったとて・・・・・なんの意味もない」
だからこの副司令はあっさりあの言葉をいっていたのだろうか。
「問題ない・・・・・・。そのためのネルフだ」
応じる司令の口調は相変わらずなのであった。畏怖することを知らぬ者の響き。


「行けるわね、レイ」
はい、という返答しか相手が持っていないことを知りながら葛城ミサトは問う。
「・・・はい」
やはり返答はその通り。命令の通り。綾波レイは弐号機に搭乗した。
誰しも、一瞬エントリープラグが長い棺桶に見えた。

「エヴァ弐号機、エヴァ四号機、発進!」

その幻想を薙ぎ払う、命令の気合い一閃。エヴァ弐号機と四号機はリニアラインで現場まで送られる。変電設備の件で最後の最後まで手間取った葛城ミサトは本部での采配をそこで終える。あとはこちらも現場に移動しての指揮となる。
ここまででも大仕事だが、まだ勝負は始まってもいない。土俵が出来ただけだ。
息をつく、気合いを入れ直すヒマさえもない。
だが、どんなに覚悟はしていても、人間の最高位の緊張状態がそう長く続くはずもない。
しかも夜も明けてきて、生物本能的に、わずかな気の潤みが出来る。
さすがの葛城ミサトも、己の緊張状態を保つだけで精一杯であった。

そんな時に飛び込んでくる報告。

「リニアライン進路上に異物発見。モニタ、切り替えます」

「敵ドリルシールド、穿孔速度が突如弱まりました」

連撃である。悪い予感がした。
切り替わるモニタがそれを証明してくれる。だが、形づけられた予感は悪夢と仮していた。

「なんで・・・・・・左腕が・・・・」

リニアラインの進行方向には初号機の左腕が待ち受けていた。
当然、助太刀のためではない。・・・・左腕の切断面には、コードのようなものがついており、それは使えるカメラを移動して見てみると、使徒に繋がっていた。
「いつの間に・・・・こんな・・・・」
煙幕が仇になったか。
「リニアライン停止、間に合いません!」
オペレータからの悲鳴じみた報告はどういう予想の上のことだろう。
高速で・・・しかもエヴァ二体の重量を乗せて進むそれをいくらなんでも・・・・・・・真正面から受け止められるはずが・・・・。

ギリリイリリイリリリイリリイリリ・・・・・・・・・唸りを上げて跳ね飛ぶ火花。
磁力の頑強な抵抗をだんだんと抑え込んでいく・・・・・。やがて音が止む。


「そんな・・・・」

エヴァ二体は二子山に到着する前に使徒・・・・それに操られる初号機左腕に堰き止められてしまった。いきなり狂う作戦計画。

「ちっ、渚君。取りあえず四号機をそこで起動。そのケーブルらしきものを集中攻撃。
切断して!」
すぐさま対応する葛城ミサトだが、さすがに顔がひきつっている。

「はい」

予期しようもないイレギュラーな「敵」に欠片ほどの躊躇いを始めてみせる渚カヲル。
そして、状況は敵が強力である以上にこちらが不利、であることが恐ろしい。
移送中につき、アンビリカル・ケーブルは当然ついていない。内蔵電源で戦うしかないのだが、さらに武装もプログナイフしかない。
これは接近戦では使えない綾波レイの弐号機の援護が期待できないことを意味する。

渚カヲルがいなければ、一挙に叩き潰されていた所だ。
あれだけ強いくせに油断も隙もあったものではない。

四号機の指先が赤く輝く。ATフィールドを凝縮させている・・・・のだろうか。

老練の指揮者のように振るわれる白い腕。・・・・・・・斬ッ
邪悪の大蛇を断ち切る聖剣の如く、赤の光面はコードをスパッとちょん切った。
いくら左腕本体が素早かろうが、長いコードまでが避けられるはずもない。
・・・・・あの時のようにすぐさま再生したり、ということはない。
だが。

さささささささささささささささ・・・・・・・・・・びょーん


さして痛痒も感じた様子もなく、電力切れでもなく、左腕が向かってきた。
そして四号機目前まで飛び上がる。その時、体を丸めるように指を撓めていた。

でこぴんっ


初号機左腕中指から全パワーを一点放出したかのようなデコピン。
その悪魔のようなデコピンは四号機を紙人形のように吹っ飛ばした。

「渚君っ!?」
まさか渚カヲルが負けるとは。叫んでいたのは赤木博士だった。
「計画変更。弐号機のみ、リニアライン出して」
紙片を読み上げるような味気ない葛城ミサトの命令とまさに対を成していた。
まさに四号機を見捨てる形、とんずらする形で、弐号機は二子山に届けられる。






北海道奥地 初号機開封現場 仮設強化プレハブ基地

基地設立以来、かつてない活気に溢れていた。ようやく、まともな作業に入れる。
全作業員、いい加減雪と寒さと氷には飽きてきた所だ。終わらせて早く帰るぜ。

責任者 高嶺ハナオ一佐
ようやく本部からの指示が現実を弁えたものに変更されたことで、その能力をようやく、発揮できる。これからのパパはちょっと違うぜ。すぐ帰るぞ。妻よ子よ。

とはいえ。
その作業は恐ろしく難しく、さらに厄介だ。
その理由は岩盤というやつにある。
材料としての岩片の工学的性質と共に、その材料に不均質性、不連続性を与える地質学的不連続面(層理面、異種岩石の接触面、節理、片理、断層、破砕帯、亀裂、ひび割れ)の発達頻度、性質、方向性及びその不連続断面を満たす裂か水や風化粘土の存在状態などなど、考えることが山ほどある。
さらに、その性質調査においても、いかに数多くの岩石試料をとろうが、特別に良好な岩盤(めったに存在しないし、ここでもない)を除いて、殆どの場合その結果は、あくまで補足的な価値しかなく、原位置で行う他の試験結果と対比検討して、はじめて岩盤の性状を明らかにできる、とまあ、大変なものなのだ。

総司令である碇ゲンドウがこんなこと知ってて命じているのかどうか、高嶺一佐は考えないようにしている。・・・・ストレスたまるから。

それに、日本列島の岩石岩盤は、大陸のと比べると固結度は高いが、大小さまざまな割れ目が多く、異方性もまた顕著であるという力学的にも複雑なものが多くなっている。

さらに、気温気候が変化している分、過去の作業データなどが通用しない点が多い。
まあここは元から人の踏み入れない地帯ではあるのだが・・・・。

そんな泣き言を言っても仕方がない。ここは涙も凍る北海道なのだ。
だが、彼らはようやく作業に入れるということで活気づいている。頑健達者だ。
これというのも暑い中で汗かきながらヒヤヒヤのビールを飲むため。
父と苦労を分かち合うとて熱帯夜にクーラーを切って眠る妻と子のため。
彼らは頑張っている。

その頑張りを形にする、いわば作業プランを練り上げている会議室。
高嶺一佐を議長とし、山田ミノル二尉を書記として、ケンケンガクガクの、手打ちうどん屋が何重にもこねているように、知恵が結集されていく。
その模様をお伝えしよう。
「だから、残留ひずみ率が零であるからといって、潜在亀裂がぜんぜん存在しないということではないんですよ」
「割れ目の発生とその原因は、結成作用のウンタラカンタラ、地殻変動のナンタラカンタラ構造運動変成作用のアノクタラサンミャク変形作用サンボダイなわけですよ。
それでセメンテーション、自成作用、再結晶、鉱物の再成長、巨大化、セグレゲーションによるノジュールやコンクリーションの成長、層内溶解の過程が化学的だということです」
「褶曲とは層状構造をもつ岩石によく識別される波曲状の変形形態をいう。
曲げ、せん断、座屈、曳裂、注入、ダイアピル、圧密、膨張、重力、スランプ、縦押し潰し、他地性、基盤、ブロック、表層、層内、ドーム状、ドラッグ、コピーテント、プチグマチック、フレキシュラル、スリップ、フレキシュラル・フロー、閉じた、開いた、軸面、とう開、薄頂、反転、線上、連続、不連続、中間、平面、非平面、直立、等斜、同心、軸面対称、軸面非対称、同筒状、非円筒状、多軸、相似、交差、傾斜、横臥、櫛形、マイター、シグマ状、シュブロン、キンク、非調和・・・・・・・どれにしようかな。
あべべのべのべのカキノタネ、ねんねのねんねのね、ず、み、と、り。おむすびころりん、すってん、こ、ろ、り、ん」
「しかし、同時に褶曲という語句はつかわないが層序的に上位の地層が中心にでている褶曲構造を表す「向斜」という言葉もありますよ」
「節理とは、岩盤中の明瞭な割れ目で、割れ目の面に平行な方向への相対変位が全くないかごくわずかなものをいう。
節理・・・・・まるで人生のようなものよのう。
冷却、乾燥、ゆるみ、解放、せん断、圧縮、伸長、引張、ひねり、造構的、二次、走向、縦、平位、斜交、交差、雁行、羽状、系統的、共役、放射状、方状、柱状、根状、密着、周線・・・・・まさに人生のようなものよのう。節理・・・・いい響きだ」
「でも、近頃はみんな、ジョイント、の一言で済ませちゃってるんですけど」
「そんなのはいかん!わかりやすい岩石と岩盤の知識の著者、三木幸蔵先生も、決して間違っているわけではないが、できればもう少し詳細にその割れ目の状態が判断できる適切な用語を使用していきたいものである、と仰られておる」
「そら、ええですから。問題は、クリープ限度、これにつきるんとちゃいまっか?」
「クリープをいれない岩壁なんて・・・か」
「アホ!、そのクリープちゃうがな。クリープっちゅうのは、ざいりょうに一定の応力を加えるとひずみが生じて、そのひずみが時間の経過に伴って進行していく現象のことや。そしてや、破壊を起こさないようなクリープを生ずる応力の最高値をクリープ限度っちゅーんやな。これが」
「ショアー失礼しましたー」
「・・・・・ルジオンテストの私もいれてください・・・・・トリオで・・・・」
「超音波伝播速度試験担当のこのボクはいいですから」
「おーい、誰かこの4人の口にプレスケール貼っとけ」
「けっ、KKTで潰したい・・・・」

このように真剣かつ、専門的に高度な会議が行われた結果、高嶺一佐はとある作戦案を纏めた。

「諸君らの意見は大体分かった。これが如何に困難な作業であるか、確認する作業でもあったが、これだけの知識が結集した今、恐れるものはなにもない。

あの哀れなモズの早贄状態の初号機を我々の手で救おうではないか。

手足の2,3本は覚悟してもらおう。我々も辛いが、あのような寒空の下、曝されている初号機はもっと辛かろう・・・・。一刻も早く、解放してやろう」

そのような前置きをしてから、高嶺一佐は作戦名を発表した。

「大雪山おろし作戦だ」

その豪快なネーミングに一同、沸いた。ここは大雪山ではないが、そのようなことはどうでもよかった。こういうのはまず、やる気がでるかどうかだ。

「はっきりいって、あの巨体をまともに作業機械で下ろすのは無理だ。
あと半年もあればやれんこともなかろうがな。周辺整備も含めて、だ。
だが、時間は急いている。戻すことは出来ないが、自分の手で進めることは出来る。
そのためには多少の無理もやもうえん。無理をおせば道理が引っ込む。我々の後に道が出来る。その覚悟が必要だ。諸君」
こんな北の果てで、責任者だからといって椅子にふんぞり返ってつとまるはずもない。
多少の演出も必要だ。おっさんでも熱血するときもある。

「要するに、初号機を引きずり下ろす」

これが作業の骨格だった。Gのつくロボットでもあれば違う型式で出来ようが、手持ちの機械ではそれが限界だ。

ただ、これにも問題はある。引きずり下ろそうにも、初号機にワイヤーロープをくくりつけるモノがいない。はんぱな高さではない。東京タワーより高い上に強風もある。
しかもうまく括らないと下ろす途中ですっぽぬけて、手足の二、三本どころか首の骨か、背骨をやる可能性がある。そんなことになれば本州には帰れまい。
下ろす、と言っても細心の計算と注意を払いながら、そろそろゆっくりと下ろすのだ。
無論、そのためのサポートは、滑下ろすルートに樹脂を塗り傷がつかないようにしたり、粘着性でブレーキ摩擦をかけたり、着地地点には巨大なバルーンマットを用意したり、と出来る限り行う予定だ。
だが、その点に皆の疑問が集まる。そんな器用で命知らずなことが出来るのは・・・・。まさか・・・・高嶺一佐が「俺がやる」などと言い出すのではあるまいな・・・・・。
実は、なんだかそのような期待を抱いてしまうひとたち。


そんなわけはない。

高嶺一佐とて命は惜しいし、そんなことやる必要もなかった。
だが、彼らの視線は多少、プレッシャーだった。

「そろそろ到着するのだが、この作業はロボットにやってもらう」
まあ、順当な所だろう。だが、そんな都合のよいロボットなどあるのかいな。

「東え工大(東江戸川工業大学)から借り受けた”昇竜4号”。そして」

「高嶺一佐。到着しました」
山田ミノル二尉からの報告。内線。
「そうか。出迎えよう」
ここで会議は中断され、高嶺一佐らはぞろぞろと会議室より出た。窓から大型ヘリが降下しているのが見えた。その横腹には、くっきりと「日本重化学工業共同体」のロゴ。

「ようこそ」
高嶺一佐は下りてきた目を赤くはらした人物と握手を交わした。
その人物は、社長にしてJA開発責任者、時田氏であった。
彼がなぜ、この北の果てに。
「例のモノは」
「いま、づぐにでも・・・・起動可能ですよ」
ちょっと声が濁っている。強い風のせいか・・・・・それとも・・・・。
振り向いてヘリ操縦席に頷く。

ウイー・・・・・・ン

後部カーゴが開いていく。そこから、なにかがガチャコン、ガチャコン、と歩いてくる。猫背気味の・・・・・それも4メートルはあるか。
小型サイズの、JAだった。造りもカラーリングもそっくり同じだ。
「ネルフに、無償提供します。
JAの基礎モデル、電池で動きますが・・・・作業効率、操作性能は保証付き。
我々は、JRと呼んでいます」
「感謝します」
あまり多くの言葉は必要なかった。直々に北の大地まできたのがその証。
「操作を・・・・・お願いできますか」
「ええっ?」
時田氏は驚いたようだ。機密主義のネルフの人間がこんなことを言うとは思ってもみなかった。まあ、この「基地」に大した機密があるわけでもないのだが・・・・。
「構いませんが・・・・」
「協力、感謝いたします」

もしかしたらこんな北の果てで、人寂しくなっただけかもしれない。
周りの者たちもさして意外に思わなかった。
もちろん、それ以上に時田氏の意気に打たれたのだが。なかなかここまで来れるもんじゃない。

雪と氷と白い風の北の大地だが、おっさんたちが熱く燃えようとしていた・・・・・。






「加持さん、むこうには連絡つながらないの?」
「だめだ。もう遮断されている」
隔離施設とはそういうものだと知っている惣流アスカは一応聞いてみたが、予想どおりの答えが返ってきた。
隔離施設というより、隠れ里に近い。あちらが気紛れにその入り口を開けるまでは、こちらからはいくら頑張ってもいけないのだ。

こーなりゃ、直接行くしかないか。酸素ボンベでもつけてさ。
もはや、一言一句、その所作のひとつひとつに、シャキシャキとした音が冴えるような惣流アスカである。生まれ持つ怜悧が己を切り裂くためでなく、陰鬱とした空気を裂いていっている。それはそうして使うものだった。
たとえ無力だとしても、縮こまっていなければいけない理由はどこにもない・・・・。

「加持さん・・・・いいかな」
許可を求めているわけではない。頼まれてくれるかどうか、訊いている。
この夜の中、またあの謎の高山病状態になりにいくことにつきあってくれるか、どうか。

こんな頼み方は・・・・・はじめてだな。その瞳の色を見て加持ソウジは思った。
断っても止めても、一人でいくだろう。いや、そんなことではない。
強気以外のものがその瞳の中にみてとれた。アスカ自身が意識しているわけでもないだろうが・・・・。
「もちろんさ。オレは君たちの護衛兼、案内役なんだからな」
「ありがとう、加持さんっ」
惣流アスカは笑った。華が咲くようだった。

と、その時。
コンコン、ドアがノックされた。聞こえるその声。
「あのー、碇、シンジです」








第三新東京市

四号機が初号機左腕を封じていた。

正確に言えば、檻に閉じ込めていた。白い手から発せられる、円筒状ATフィールドの内。傷つけず、傷つけられず、結界の内と外。選択の余地のない距離に自らを留め置くことになった渚カヲルと四号機。
さすがにケーブルは接続したものの、ここから先は一歩も動けない。
また沈黙している。極度の精神集中のために。

裏技でなんとか意表を突き、檻の内に入れたものの、解き放てばこの猛悪の獣がどのように振る舞うのか・・・・想像に難くない。下手をすればここが四号機の終着墓場になっていたところだ。

ただ、恐れるべき事がある。使徒の過粒子砲だ。まさに狙い時。
一歩も動けないのであるから。しかも全神経と精力はATフィールドにまわされており、今の四号機は射的の的のようなものだった。

だが、撃ってこない。
エヴァの光学センサーにのみ見抜ける特殊煙幕の向こうに使徒も沈黙している。
ドリル・シールドもその回転を止めたまま。
ただ、切断されたコードは掃除機のようにしゅるるる、と収納されてはいたが。

「どういうことかしら・・・・。やはりミサトの予想が当たっていた・・・?」
それともエネルギー充電中なのか。いきなり作戦当初でこけてしまい、状況は好転していないが、それだけはほっとする発令所スタッフ一同。
そんな些細のゆるみさえも許されない葛城ミサトと赤木博士は、鋭い視線でモニターを貫いている。

まだなにかあるような気がする・・・・・・。

いくら考えても考えすぎることはない。いくら恐れても恐れすぎることはない。
今回の使徒は、そういう相手だ。

「エヴァ弐号機、二子山狙撃台に到着しました」
オペレータが告げる。
自分たちも行くか。自分たちが到着する頃に電力の方もいけるだろう。
だが、なぜかいやな予感がする・・・・いや、それはしっぱなしだ。ただ、本部を離れてはまずいような気がするのだ。直前の弱気か・・・・?・・・・・そうかもしれない。


葛城ミサト一行は二子山仮設基地に向かった。
「弐号機、暴走するかもしれないわ」
移動中、赤木博士が呟いた。幸いなことに、それは誰の耳にも届かなかった。
赤木博士本人も、わずかな呟きに変化したことを気づいていなかった。

それはこの状況下において、しゃれにならん現実。
はっきりいって起動が恐ろしい。09システムとはまさにこのためにあるのかも知れない。なにやら試されているような気がしてくる・・・・・。
神様の気紛れか・・・・・。

赤木リツコはふと、ノートパソコンから視線を外し、後下ろに流れる第三新東京市を見た。煙幕がかかっており、風景としては存在しない。

帰ってこれるのかしらね・・・・・。

これだけは絶対に口にしてはならない言葉であった。

「ねえ、ミサト」
代わりに、隣の席の葛城ミサトに訊いていた。なぜか口調が柔らかかった。
「なに」
対照的にうざったそうな葛城ミサト。別に他意はないが余裕がないのだ。今は。
頭の中は冷たい疾風怒濤。渦を巻いている。その中心点に使徒がいる。
そんな折りの赤木リツコの問い。おそらくは問われないまま仕舞われていた疑問。

「なんでドイツに行ったの」

「はあ?」
なんでこんな時にそんなことを。今の自分は作戦部長だ。あの行動は・・・・・。
とにかく、こんな時にそんなこと訊かれても答えようがない。
今は使徒を殲滅することだけを考えて・・・・・。・・・・アスカか・・・・・。
シュツルム・ウント・ドランク・・・・・えらそーな言葉だけど実は文学運動のことなのよね。くっくっく・・・・。つまらんことでびびってたわ。
子供が体張ってがんばってんのに、こっちがつまらない予感で景気落とすこたあないわね。渚君もレイもアスカも・・・シンジ君はどうかな・・・・とにかく。
ヤシマ作戦とダンノウラ作戦で目にもの見せてやるわ。それだけだ。


「あ、そうねー。行く前と行った後じゃ理由が違うんだけど、どっちがいい?」
「行った後をお願い」
そんなやりとりを、随伴のオペレータたちはさすがに違うなあと、眺めている。
彼らもカチカチだったのだ。はっきりいって勝てる保証などどこにもないのだから。
作戦部長葛城ミサトにかかる重圧はいかほどのものか。

「帰り道でさ、訓練中かなにかの子供達を見たのよ。規律正しく一列に並んでてね。
そんときに、フッと思い浮かんだわけ」
「なに」
「ああ、ドングリの背比べだなあって」
「ふうん」
当たり前すぎるそれを、さして問いつめたりもせず、そのまんまに聞いている赤木博士。
「ま、ドングリって言ってもカシとかクヌギとかナラとかあるんだけどさ。
そのほそながいやつよ。それが綺麗に並んでるの。そりゃあ、一人一人書類で見てみればどこ出しても恥ずかしくない天才少年少女なんだけどさ。ちょっと遠目になればそんなことは分かりはしない・・・」
場にそぐわない話だろう。しかし、オペレータ達の耳も、それゆえに引きつけられる。
「それで」
「それでさ、同じドングリでも、クヌギのそれはずんぐりしてんのよ。それが拾えると、なんか得した気分がしたもんよ」
「その一つだけ大きなドングリがアスカだっていいたいわけ。まるでみにくいアヒルの子ね・・・」
オペレータ達が聞いていることに気づき、多少不謹慎だったか、と締めてしまおうとする赤木博士。頭が良すぎる。だが、それはちと早すぎるし見立て違いだった。
葛城ミサトは既に静まっている。
「違うわ。それにわたし、その話嫌いなの。・・・で、その時、なんでアスカが弐号機を動かせなくなったか、分かった気がしたのよ」

「え」

どんなコンピューターでも追いつかないほどの凄まじい飛躍だ。
なんでそこから、そういう結論が出てくるのだろうか。自分でもわからないというのに・・・このE計画担当博士、赤木リツコが・・・・。
たまげたのはオペレータたちも同様だった。無責任にただ、言い放ったわけではない。
その言葉には不思議な説得力があった。
「例えば、リツコ、あんた子供のころ、樹の実拾ったときどうしてた?」
「え?・・・・」
「大体、みんな同じだと思うんだけどさ。子供のやることだから。適当に遊んだ後はほうり捨てるか、ポケットの中にいつまでもいれとくとか」
子供の頃、そんなことをした覚えのない赤木博士にはよく分からない。
これから葛城ミサトがなにを言うのかも。
「埋めたりはしないわよねえ。でも、一度埋められないと芽を出さない。
もちろん踏まれて割れたドングリは埋めても芽が出ないんだけどさ・・・。
でも、芽が出るのならこっちのもん。時間と共にでかくなれるわ。
ドングリの状態で背を比べたりその大きさをとやかく言ってもさして意味はないんだわ。芽の出る音は誰も聞こえないわけだし。ま、こーゆーところかな」

赤木リツコ博士は、視線を霞ませるように、うっすらと笑ってみせた。
「ふうん・・・・で、本当のところはどうなの?」

葛城ミサトもふんっと笑いを返してみせる。
「エヴァや兵装ビルの修理代ってのは、国が一つ傾く額でしょ。それなら、エヴァーの、パイロットが調子を崩したときには、傾国の美女が多少の面倒みてもいいんじゃないかと思ってさ」
「国を傾けるだけなら・・・・あなた、史上最高でしょうねえ」
「お褒めの言葉と受け取っとくわ」

「あと、10分で到着です」

それを聞いてオペレータ達が顔と精神を引き締めた時、傾国は消えそこには女将軍がいた。





田舎ホテルの302号室。
ドアを急いで開けるとそこには・・・・・・・碇シンジが立っていた。
「シンジ君?」
「アンタ、なんで・・・・・」
咄嗟には信じられないタイミングの良さ。と、いうより何故ここにいるのだろう。
連れ戻すにも一苦労を予想していたのに、こうもあっさり本人に帰ってこられると、それはそれで・・・・。裏の事情を知らない惣流アスカでさえ不審に思うのに、案内役の加持ソウジとしては信じがたい光景であった。彼のような男があっけにとられるのは珍しい。
「バスで帰ってきたんです」
あくまで(多少わけありだが)普通の中学生として答える碇シンジ。
加持ソウジの眼力をもってしても、かまととには見えなかった。しかし。
バス路線・・・・?そんなものはない。だが、本人がそう言う限り、碇シンジ君はバスに乗って帰ってきたのだろう。
あの場所から・・・・・・。

「アンタ、良かったの・・・・。そんなに早くて・・」
連れ戻す気ではいたが、これほどあっさりと目の前に現れると、気をまわしてしまう惣流アスカ。偽善的かもしれないが、口からでてしまったものはしょうがない。
「あまり長くは話せないんだ。でも、聞きたいことは聞けたし、いいんだ」
少年に母親は秘密を明かしたのか・・・・・・・・。
そのわりには、なんかけろりんとしているように見えるのだが。
「それより、加持さん。僕はこれから北海道にいきます」
これほど都合良く物事が進むとは・・・・・・・・・。行きは怖いが帰りはよいよい、といったところか。
「初号機のことかい?」
「はい。なんで北海道にあるのか知りませんけど、第三新東京市まで運んでくれって、母さんに頼まれました」
その第三新東京市が、使徒によって潰されかかっていると知ったらこの少年は何というだろうか。まるでお使いでも頼まれたような調子で答えるこの少年に。
きりきり・・・・・からくり人形のように加持ソウジの方に首をむける惣流アスカ。
よっぽど、これは現状を教えてやるべきかどうか・・・・。
人形の兄のようにそれに応じる加持ソウジ。

「北海道に行ってから決めよう」・・・・・問題を先送りした。

あまり時間もないことだ。と、同時に初号機は未だ磔にされているのだ。
ここで迷い、無駄な時間を費やすべきではない。今回だけは完全冷静判断を下す。
そうなると普段の回路に切り替わり、最短最速ルートの計算にとりかかる。


「これからって・・・すごく急ぐのね」
その隙に惣流アスカが言ってしまった。力尽くで引きずってでも連れていく覚悟を決めていただけにその言葉には躊躇いはなかった。フェアでない、と感じたのかもしれない。
そんなやり方は惣流アスカにはそぐわなかった。
「あ・・・うん。加持さんに案内してもらわないと分からないような・・・秘密っていうのかな・・そういう場所らしいから。・・で・・・・」
元々、ぎこちない関係だが、またしても碇シンジの言葉には含みがある。
まともに聞けば惣流アスカを怒らすような。
「ちょい待ち」
大体、この先が予想できる惣流アスカは待ったをかける。
「まさか夜中で大変だから、お前はここで待ってろなんて言うんじゃないでしょうね。
見損なわないでよね。アタシはそれほど弱くもなけりゃ怠け者でもないわ。
あ・と。まだ惣流さん、なんてなれなれしーこと言ったら、はったおすわよ」
「う・・・・っ」
完全に見抜かれている碇シンジ。だが、なぜ「さん」づけがなれなれしーことになるのかはよく分からない。それに、お前、なんていわないのになあ・・・・。
「でも、北海道は寒いんだよ。すごく」
よっぽど星の巡りが悪いのか、なぜかしょうもない反抗をためしてしまう碇シンジ。
「・・・・よっぽどアタシには来てもらいたくないみたいね」
本当はただ、急ぐ理由を尋ねたかっただけなのだが、なぜかよじれてしまう。
まさか、碇シンジがこの期に及んで、まだばか正直に自分の心配をしているなどとは思ってもみない。・・・・心配されるいわれがなかった。
一方、碇シンジはなんで惣流アスカがこんなに、けんけんしてくるのか分からない。
頭はいいんだろうけどなあ・・・・。

「ごめん」

あっさり謝る碇シンジ。軽やかに音がした。母に会えたことで、今宵会う人が皆美しく見える精神状態の碇シンジにはそのような芸当が出来た。
「まだ、体の調子がよくないかな・・・って思っただけなんだ。出来るんなら、うまく運べるようにアドバイスくれると・・・いいんだけど」
「え・・」






今頃、あの雲の下では使徒がでかいつらしてのさばってんのね・・・・・。

機上の人となった碇シンジに加持ソウジに惣流アスカ。
ネルフの特別権限で戦略自衛隊広島基地から飛び立つ。

当然、新幹線ではないから過ぎゆく地点のアナウンスなどはないが、到着時刻からの逆算で今、大体どのへんなのかは分かる。惣流アスカは、そのようなことを考えようともしない隣の席の碇シンジを見る。雲の下はいつもと同じだと・・・・思っている。

エヴァンゲリオン初号機パイロット、サード・チルドレン 碇シンジ。

自分が弐号機を起動させる確率よりも高く、使徒を殲滅出来る者。
もしくは、自分がそう見立てた相手。それは当たっているのか。
ひまそうにしている。かと思えば、急にふふっ、と笑みを浮かべたりする。
ぶきみなやつ。
思い出し笑いをするのは、よほどの善人かよほどの悪人だという話を聞いたことがある。シンジはどちらなのだろう・・・・。
この、エヴァを動かすことを荷物運びくらいにしか思っていない、パイロットの自覚ゼロの中学生は。

ただ、あの渚が勝てない相手だ。尋常な強さではない。ならば、こちらも尋常でないものをぶつけるしかない。それが、初号機。
ただ走ってきて使徒を跳ね飛ばして半死半生状態に追い込んだあの強さ。
その発動源が、確かに碇シンジである以上、この見立ては単なる見立て以上の確率だ。
だが、このよわっちそうな碇シンジのどこにそんな力があるのやら・・。
「ん・・・・?」
目があってしまった。慌ててそらす両者。じろじろ見てたのは惣流アスカの方なのだが。
「あ・・・・・」
目があってしまったことで、なにか話さないといけないのではないか、とけなげにも思ってしまったのだろうか、周囲の思惑とは正反対の思考ベクトルで口を開いてしまう碇シンジ。
「お、おなかすいたね。機内食、でないのかな」
確かに今は昼なのだが、戦自とネルフとはお世辞にも仲がいいとは言い難い間柄。
こうして飛行機を飛ばしてやるのも本当はいやなはずだ。そこで機内サービスなどあるはずもない。現在は非常時なのだ。その発言は高空の機内でも見事に浮いた。
「バカッ・・・・・・・」
もはや恥ずかしさが先にたち、怒鳴れない惣流アスカ。



あまり緊張感のないやりとりが行われている雲の上だが、雲の下ではその頃、またしても使徒に鉛もドロドロ溶けるような煮え湯を飲まされたネルフの一同が歯噛みしていたのであった・・・・。



二子山仮設基地内にて。
ヤシマ作戦がいよいよ発動しようとしていた。
いきなり四号機が欠落してしまったが、それも弐号機が動くのだから差し引き零、というところだ。
今のところは暴走はない。起動も成功している。地に伏せて狙撃の構えをとる弐号機。
渚カヲルの制御が効いているのか・・・・。今、四号機の中で聖なる少年像と化している。エントリープラグの中で瞑目して、指令を待つ綾波レイ。こちらも、古代の海に眠る船首・フィギアを思わせる。

それを守護するように山を何重にも駆けめぐる電力コードの巨大な蛇。
日本中から集められた電気の精が続々と、いざ鎌倉とはせ参じている。
出席をとる冷却装置が嬉しい悲鳴を上げている。それは凍気の連判状。

「南無八幡大菩薩・・・・・・この矢はずさせたもうな・・・・・・」

本気の本気でこんなことを呟いているのは那須与一ではなく葛城ミサト。
日の丸を貫けば、あっぱれ大将なのは今も昔も同じなのだが、よしんば今回は日の丸が五つもあるときている。だが、内部を貫くことで、過粒子砲の発射装置でも壊れてくれれば御の字である。一撃必殺が期待できないのであれば、ジリジリと戦力を削り取っていくほかない。

葛城ミサトは、つらい。

どう見ても、この大業な戦術舞台は、一撃必殺用だ。スナイパーライフルもなんせ急造仕様で、試射すらやってない、工業的認可は絶対受けられない代物だ。
スタッフも、パイロットも、これでカタがつく、つもりで作業にあたっているはずだ。
少なくとも、大打撃を与えて勝負の趨勢を一気にこちらに傾けるつもりでいる。
精神力の全てをそそぎ込んでいる、と言って良い。

だが、葛城ミサトにはそれが許されない。
そう思えるならば、どれほど精神的に楽になれるか・・・・。
血と汗と涙の特訓の末に編み出した魔球が、ストライクゾーンに入るかどうか分からない・・・・または必殺のパンチが、ジャブくらいにしかならないのではないか・・・・・・その恐怖がある。それでも「勝てる」ようにしなければならない。

これを分かち合えるのは、ダンノウラ作戦指揮の作戦顧問しかいない。
だが、連絡はとれない。またそのような弱気など見せられるわけもない。
絶海のところで一人耐えている渚カヲルや、息も絶え絶えだろう綾波レイのことを想うならばなおさらのこと。

わたしは・・・あまり強い人間じゃないな・・・・。




第三新東京市直下、特殊装甲17階層地点

「準備、完了致しました」
「ごくろうじゃった」
工作部隊の隊長より報告を受ける作戦顧問、野散須カンタロー。
薄暗い闇の中だ。当然、指揮車や仮設基地があるわけでもない。
面倒だからと、キャンプもはらず、茣蓙シートの指令地点である。
はっきりいって、近い。敵ドリルシールドに。戦場が目前にあるわけだ。
これがどれほどの恐怖か・・・・。だが、それに真っ正面から兵士、工作部隊は向き合っているのだ。とはいえ、近くにいて作戦顧問は、さして細々と指示を与えるわけでもない。それほどジオフロントのことも、機械のことも知っておりそうでもなく、事実知らないのだ。
おおまかな攻め方だけを示唆すると、あとは作業員の恐怖を払うことだけを行った。
技術士官らの言上も頷くだけで通してしまう。茣蓙の上に胡座をかいているだけだ。
自信ありげに受けた割には、地下戦闘の専門職でもトンネル工事に詳しいわけでもない。あんな小柄な爺さんが近くで胡座かいてるんだ。大丈夫だろう。
始めて会った人間のことなど、しかも暗い遠目だ、その程度のことしか分かりはしない。
作戦顧問はそれをよく知っていた。恐怖に立ち向かわせるより、ちょっと距離をおいてやる。彼らは十分に有能なのだ。それだけで余裕が出来る。

ただ、攻め時は自分が判断するが。

野散須カンタローのギロギロした目が、ドリルシールド侵攻地点に設置された、これまた急造仕様だが、ネルフ特製プログレッシブ・ニードルシールドを確かめる。
通称、プログ・ニールドという。言ってみれば、敵ドリルシールドと逆回転する針である。それでも言いにくい、という古い人間である作戦顧問は、「逆針」と呼称する。
これをフルネームで言うのは赤木博士と彼女を尊敬している人間くらいなものだが。
それはいいとして、これがダンノウラ作戦における決戦兵器であった。
旋回するドリルの勢いをそっくり頂いて使徒を刺してしまおうという人の英知の極み。
そして、ただの針ではない。
使徒の内部に侵入したニールドはオリオンすら倒す蠍となる。
設計基などは、むろん極秘なので細かい性能は外見上では不明だ。ただ。
ここまでの恨み辛みを一気に噴出させる・・・としか表現できないえぐい武器であった。これを造った人間は、蠍座かも知れない。

もちろん、迎撃にして必殺の準備はこれに留まらない。
葛城ミサトが、こちらを作戦顧問に任せたのは正解であっただろう。
戦術発想はむろんのこと、この薄暗い中で恐怖と共に高鳴っていくダークな想念を束ねるにはいささか経験が足りなかったであろう。
ヤシマが晴れ渡った海浜ならば、こちらは山中の穴蔵だ。
しかも薄闇の中、非常灯や作業ランプ、行き交う懐中電灯、それらにはある種の催眠効果があった。しかも頭上からは使徒が襲いかかってきて、アドレナリンはこれ異常ないほど分泌されている。作業員達の顔は異様にテンションが高くなってきている。
これはもしかしたら、ヤシマ、ダンノウラなどという古風の呼び名が彼らの脳に先祖帰りを引き起こしていたのかも知れない。
命がかかっていると、人間、どんなものにでも化けてしまう。
すでに、ある意味で彼らは現代人ではなかった。
源平時代の土豪であった。それを率いるには、やはり時の錬磨が要った。
茣蓙にあぐらをかいてギロギロ目玉を光らせているような。
古びた社の中にいる、土地神のような匂いのある存在が。

そうでなくては、「一所懸命」に動いている者どもの頭目はつとまるまい。

「さて、作戦部長殿の方はどうなっとるのかのう」





二子山仮設基地内指揮車
「レイ・・・・・いくわよ。いい」
「はい」
葛城ミサトの眼光が極限まで凝縮されて、稲妻の宝石となる。


「第一次接続開始」
「第一区から第八百三区まで送電開始」
山全体が、静かに唸りをあげ始めた・・・・・。吹き上がる冷気。走り出す電流。


「ヤシマ作戦、スタート・・・・・・」
発令は、ゾッとするほど冷たい、囁くような声で行われた。
葛城ミサトの覚悟がどれほどのものか、聞いた者は今更ながら思い知らされた。

「電圧上昇中・・・・加圧域へ」
「全冷却システム、出力最大へ」
「陽電子流入、順調」

「第二次接続」
「全加速機運転開始」
「強制収束機作動」

「全電力、二子山造設変電所へ」
「第三次接続、問題なし」

「最終安全装置・・・・解除・・・」
これでサイは振られた。

「撃鉄、起こせ」
日向マコトの指示でエヴァンゲリオン弐号機が撃鉄を起こす。ガシャン。

安 空

火 実装



エントリープラグ内。ウイーン。綾波レイの頭部に狙撃用ヘッドギアが覆い被さる。
ちっちっちっちっちっ・・・・・
「地球自転誤差修正、プラス 0.0009」

「第七次最終接続」
「全エネルギー、ポジトロンライフルへ」

「発射まであと十秒」
使徒は気づかず沈黙している。ばかめ。
合唱団のように叫んでいる修正数値達。それが終わり、沈黙したとき。
「6」「5」
「4」「3」
「2」「1」



ポジトロン・スナイパー・ライフルが一閃した。
使徒目がけて空の一線を滑るが如く走りゆく緑の光。

だが・・・・・

しゅいーん・・・・・・・・・・・・・・・・
それは突如、滑らかに向きを曲げて、天空に消え去ってしまった・・・・・。
まるで目に見えない天上へのルートが用意されてでもいたかのように・・・・。

「あの結界に・・・こんな効果もあるの・・・・・」
「やばい、レイッ、撃ち返してくるわ!移動して!!」
まともに反応できたのは赤木博士と葛城ミサトのみ。
あとは、あまりといえばあまりの光景に魂を半分抜かれかけている。


使徒からの反撃の光は・・・・・・いくら待ってもこなかった。

弐号機はスナイパー・ライフルを掴み、山を滑るように移動したがその必要もなかった。いくらなんでも居場所は割れたはずだ。・・・・あの機を見るに敏な使徒が見逃す筈がない。
絶対有利の上に立ち、余裕をかましてくれるほど甘い相手でないのは先刻承知の助。
「むこうの砲撃もこちらに届かない、ということかしら」
赤木博士が科学的に判断するとそうなる。あの天空の四角錐から放射されるATフィールドによく似た性質の光線から形成される、都市をすっぽり包む、結界。
陽電子は地球の自転や磁場・重力の影響を受け直進しないわけだが、あれにはせっかく機械で修正した陽電子砲撃を、曲げてしまうなんらかの効果があるらしい。ただ、元の性質に戻しているだけかもしれないが。
そういう物理的性質を厳然と持っているならば、自分のビームだけは都合良くすり抜けるという芸当は出来ない。・・・・のだろう。
「もしくは、あのバリヤーにエネルギー使ってて、撃ち返してこれないか、ね」
使徒を前にしては、葛城ミサトのカンと同レベルでしかないのが少し悔しい赤木博士。

ところが、使徒の意図はそんなところにはなかったのである。
元々、地中対天空の争い、・・・グラと・・・・ドンとの戦いのような構図であったのだが、さして地中軍が有利になったわけでもないのに、最後の天が戦線に参入してくる。

使徒はそれを待っていた。

「どうやら外れたようじゃの」
さして驚きも失望もせず、野散須カンタローは呟いた。
要塞を陥落させるための条件というのは、いくつかあるが・・・・。
火力が10倍も違わない限り、撃ち合いで勝つのはまず無理だ。

まあ、それはいい。肝心なのは、奴が撃ち返すその時だ。、撃ち返そうとした直前、または直後。そこを刺し貫いてやる。どんな化け物であろうが、この世に存在する限り、バランスを保っている。行動を起こし、それが崩れた瞬間を狙えば・・・・もろい。
それで倒せなければ、また別の手段を考える。死なん限り。

既に工作部隊には配置につかせている。号令一喝でニールドが作動する。
奇妙なことに、工作部隊の連中も今や誰も使徒を恐れてはいなかった。
闇の中に蠢く彼らは、どれもこれも野武士の顔をしていた。完全にいっている。

奴の戦気が膨らんだ瞬間・・・・・・・・・・・・・・一気に刺す。

唐突にドリルシールドがその回転を止めた。
のみならず、急に引き上げられ、元の通りに収納される。

「戦気が萎んでいく・・・・?」
占い婆さんのようなことを言うが、別にいたわりと友愛を感じているわけではない。
無駄なことは一切やらない使徒だ。絶対に何かある。
こちらの行動に気づいたのか・・・・・ならば別種の手段で攻め寄せる可能性がある。
ここに留まってもよいのか・・・・・・指揮者には迅速な判断が要求される。
相手の意図はまるきり分からない。
それとも。過粒子砲による反撃のためのエネルギー調整のためか。
強敵から潰していく、というのが今回の使徒のやり方らしい。

葛城ミサトも・・・・野散須カンタローも・・・・・使徒を倒すことに気を取られる余り戦術において重要なファクターを忘れていた。忘れていた、というよりその余裕もない、というのが正しいが。
使徒は、忘れていなかった。

使徒が沈黙してより2時間後、それは明らかにされた。

天候である。

「雨・・・・・?」
にわかに空がかき曇り、ぽつぽつと雨が降り始めた・・・・・・。
それがどういうことなのか悟った人間は顔から血の気が引いた。
使徒分離体を狙うべく、スナイパー・ライフルの銃口を変更するよう指示していた葛城ミサトの頬にも、冷却システムのチェックを受けていた赤木博士の金髪にも、天の雫。
それは落雷に直撃された以上のショックを与えた。じわじわと山全体に染みわたっていく衝撃・・・・・。この雨は単なる作業の邪魔などではすまない・・・・・。
精密機械に、水は当然、しかもこの電力規模だと凶器にも変わりかねない。
さらに。煙幕がこの雨で落ちてしまうかも知れない。と、いうか落ちる。
しかも。穴が・・・・あいている。
ドリルシールドの穴が。そこに水が流れ込むことになる・・・・。
雨量にもよるだろうが・・・・・とてもやばい。
「止みなさい!こらあっ!!止めっていってんでしょ!このバカ!!」
恥も外聞もなく、葛城ミサトは天を睨みつけて叫んだ。まもなく大雨になった。







北海道奥地 初号機開封作業仮設基地 仮設飛行場

「寒い・・・・・」
「寒い・・・・・」
初めて北海道に降り立った碇シンジと惣流アスカの第一声。みごとにユニゾン。
防寒着を着てても寒いもんは寒い。生の雪は初めて見る碇シンジもそれに感心する余裕などない。
「ようこそ 北の奥地に」
こんなことを言って出迎えたのは、山田ミノル二尉だった。
彼に出迎えられると、なぜか人は追放されてきたようないくらかの寂寥感を感ずる。
「それでは高嶺一佐がお待ちです」
自衛隊機からネルフのジープに乗り換えて基地へ。
出迎えがこれであったから、基地の雰囲気もこんなもんだろうと思っていた三人だが・・・・・なぜか活気に溢れて、熱く、燃えていた。

「超音波伝播速度試験、いくでえーっ。供試体を発振子と受振子で挟んで、シリコングリスで密着させるんや。それをこの、ウルトラソニックスコープで測定するわけなんや。
なんやウソっぽい名前やと思うやろけどな、実在するんで、ほんまに」
「風化測定。浸水崩壊度試験。浸液減量試験。簡易風化試験。急がし急がし」
「プレスケールの捕捉をここでしておくぞっ。いいなっ。ただいっとくが、これは宣伝でもCMでもないぞっ。そのあたり、ヨロシク。・・・・・プレスケールってのは富士写真
フィルム(株)によって開発されたもので圧力で色を変えるって不思議なシートなんだ。その構造はマイクロカプセル化した発色剤を塗布したものと顕色剤を塗布したものの組み合わせからなっているんだ。詳しい事が知りたいやつは自分で勉強しろっ。いいなっ」

ひび割れ体の変形、強度特性のモデルグラフは地球儀の上でよっぱらったヒトデが踊っているようにも見える。

「いま、E1、V1、G1、P1をそれぞれ層Tのヤング率、ポアソン比、周りの性率、密度とし、E2、V2、G2、P2を層Uの物理定数とする。層Tの厚さをH1、層Uの厚さをH2とすれば、層Tの体積成分は(ぱぺぽ)で表される。Z軸方向に作用する垂直応力をG2とし、等価岩盤に生ずるひずみを(あべべ)、層T、U、に生ずるひずみを(とろろ)とすると(あかさたな)になる。等価岩盤に作用する垂直応力が6たけの一軸応力状態を考えると(あおやまだ)になり、代入すると、次にエックス軸方向の等価岩盤のヤング率を求める。このあたりになると、そろそろ疲れて(さしすせそ)になる。層Tと層Uの層間は完全に付着しているから・・・・・・」

このように忙しそうに作業員達が働いていた。ちょっとついていけないテンションだ。

出迎えに彼が派遣されたのも納得がいく。
チルドレン二人が到着したというのに目もくれないで作業に没頭している。
とにかく、ここの責任者である高嶺一佐の部屋へ案内される。
「なんか・・・すごいところに来ちゃったね」
大人の熱気にあてられれば、二人はまだまだ子供であることを思う。
惣流アスカもなんとなく素直にうなづいた。あの熱気のトンネルを抜けてみれば、この場にいる子供は自分たちだけだ、という簡単なことに気づき、同類項を見つけてしまう。
大人である加持ソウジはどうなのか・・・・・彼も少々あれだった。
職業柄、ロマンチストではないが、北の大地の常識的イメージというものがあった。

「お連れしました」
「おお。入ってくれ」
必要もなかろうが、セキュリティの欠片もない薄いドア。ここが、言ってみれば司令官室になるわけだ。さすがに責任者は階下のあれではないらしい。すぐに返事が返ってくる。「失礼します」
日本列島西から東。随分忙しい。これからまた西へ、と言うか下に戻る。
ここもまた中継地点の一つなのだ。ここが終着地点だとしたら人生、かなり寂しいが。
しかし、縁は異なもの火事のもと。
ここに運命は、とある再会を用意していた。

入るなり、目を見張る惣流・アスカ・ラングレー。と、こちらの方はそうでもない時田氏。「えええっっ!?」
とんでもない奇声をあげてしまう惣流アスカ。
「どうしたの?」
訝しげに聞く碇シンジ。だがその言葉は少女の耳に入っていない。
そりゃそうだろう。こんなところで再会するとは夢にも露ほどにも思っていなかったはずだ。いきなり夜中にパップラドン・・ルメをふんづけるより驚いただろう。
・・・おいおい。なんでこの男がここにいるんだ?加持ソウジも表にはださねども・・。
さすがの彼も時田氏がJRなどというものを無償提供してきたなどと知りはしない。

とりあえずの高嶺一佐よりの説明。

「・・・・というわけなのだ」
勿論、高嶺一佐もネルフの人間であるから、説明とは時田氏と・・・JRのことになる。
へー、そうなんですかあ、という感心とヒトゴトが入り混じった顔をしている碇シンジ。
角を曲がったら、ローラースケートを履いた意地悪婆さんに出会ってしまったような表情の惣流アスカ。
「成る程」
まんざら神様の悪戯というわけではないわけか・・・・・内心でそう呟きながらも、この不思議な因縁にううむと唸る加持ソウジ。
もともと初号機開封作業のために徴発してやろうとしたJA。それがあのようなことになり、惣流アスカを北の果てに流したわけだ。結果として。それがここに来て、小さいながらもまたJAを目にすることになるとは・・・・。
・・・・・・・だから面白いんだな、人生は。
時田氏の方でも、まさかチルドレンの実物がここで拝めるとは思ってもみなかった。
髪を短くした、線の細い少年。これがサード・チルドレン、要するにエヴァンゲリオン初号機パイロット・・・・・・頭の形があの男に似ているな・・・。
隣の女の子は・・・・さて、こちらは見覚えがあるな・・・・・・・あ。

時田氏と惣流アスカの視線があってしまった。

そうだ。エヴァンゲリオン弐号機に乗っていたあの子だな。
まさかこんな所で再会してしまうとはな・・・・・・・・。人生は皮肉だな。
「それでは私はこれで。JRの最終チェックがありますので」
時田氏は出ていった。

「なにせ非常時なものでね」
高嶺一佐はただの現場監督ではないわけだ。碇司令というものを知っている。
「それは勿論ですよ・・・・・それで開封作業完了はいつになります」
「午後六時より開始し、八時には終了の予定だよ」
ビルの爆破作業じゃあるまいし、えらく短いな・・・・と思った加持ソウジだが口を出してもしょうがない。彼らも伊達に寒さに耐えてきたわけでもないだろう。
だが、作戦名を聞けば・・・・いや聞いても同じか。
これもまた人生。
とにかく人生。
人生には休息も必要だ。
「それまで君達は休んでいてくれ。狭いところだが暖房だけは効かせてある。山田二尉」
まだ控えていたのか。気配がまるでなかった。
「それではこちらに」
彼の正式な仕事はなんなのだろうか、という詮索などはせずについていく三人。



「ここです」
当たり前だが、ひたすらだだッ広いネルフ本部と違い、ここはひたすらに狭い。
あまり案内の必要もないような気もする。ただ、ゴチャゴチャしているのでその点で注意する者が要った。
<たたみ部屋>、とある。
「それでは、お弁当とお茶とお菓子をお持ちしますね・・」
司令の子供であろうがチルドレンであろうが子供であろうが無精ひげであろうが、まるきり頓着ない抑揚無しの態度であるが、もしかすると親切なのかもしれない。
だが、なぜたたみ部屋なのか気になった三人は気づくことはないのであった。
ほんとに狭い四畳半。なけなしの和風になっている内装。掛け軸には「家内安全」「無病息災」とある。

ほんとに遠くへきてしまったんだと・・・・このとき、気づいた。


「おいおい、なんだか懐かしいなあ」
ちょっと嬉しそうな加持ソウジ。学生時代、彼はこんなところに住んでいた。
住んでいたっていうよりあれは・・・棲んでいたってところかな。
現実はそれほど、きれいじゃないさ。一人で苦笑いしてみせる。

そして、子供たちとは世界が違った。
惣流アスカは言うに及ばず、碇シンジも。
「うーん・・・・」
「これは・・・・」


「お弁当でーす」
山田ミノル二尉が折り詰め弁当とお茶と煎餅とラムネを届けてきてくれた。
「なんでたたみ部屋なんてあるんだい?」
加持ソウジが出ていこうとする二尉を呼び止めた。好奇心は強い方です。はい。
笑いもせず、表情そのままで山田ミノル二尉は答えた。
「畳は日本人の魂のルフランだからです」
それでは、と二尉は出ていった。
「・・・そうなの?」
「・・・僕も初めて聞いた」
「とにかく食べよう」


もしゃもしゃ。
どんなに礼儀正しく美しく食したとしても。このような空間では食べる音はかたはしからそのように化けてしまう。もしゃもしゃ。
それはどうでも良かった。食べながら、惣流アスカは碇シンジにエヴァ操縦の簡単レクチャーを行っていた。さすがに簡潔にして的を射た説明だ。しかも碇シンジのレベルに合わせてあるので分かりよい。要するに、難しい用語は使わないのがポイント。
さらに、科学的知識など望むべくもないのだから。その上、碇シンジの理解しやすような言葉ですすめる。
つまり、

ATフィールド=バリヤー
アンビリカル・ケーブル=電気コード
A10神経=操縦神経

と、言った具合だ。惣流アスカ本人には自覚がないが、周りから見れば、これでどれくらい少女が成長したか、よく分かるだろう。その上、碇シンジはお世辞なら言えるが、そうでないなら良い生徒とは言いかねた。その具合は、端から見ている加持ソウジが、実は道を違えて母親に会っていなかったのではないか、と心配させるほどに、普通すぎた。
まさかここまで来て、初号機起動不可なんてことが・・・・・ないように祈るよ。


「あ、ちょっとトイレに」
まるで小学生のようなことを言い立ち上がる碇シンジ。生理現象には大人でも抗えないが。レクチャー途中で席を立たれても、怒りもせず「さっさとすませてきなさいよ」と姉貴のようなことを言う惣流アスカ。
それは少女の成長か、はたまた畳部屋の魔力なのか。一部、諦観しているのやもしれぬ。

トイレの帰りに碇シンジは廊下の窓からJRを見た。

「ごめんね、待たせちゃって・・・あれ」
戻ってくると、惣流アスカは壁にもたれて居眠りしていた。疲れがたまっていたのだろう。起こすべきでは・・・・ないですよね、と加持ソウジの方を見る。
「シンジ君も今の内に仮眠をとっておくといい」
アスカのレクチャーも意味のないことでは決してないが、疲れをとることも大切だ。
この先、何が待ち受けているか・・・・それを考えるなら。
「はい、それなら・・・」
ご丁寧に惣流アスカの真似をして、壁にもたれる。狭いこともあるが。
目をつむるとそのまま寝入ってしまう。神経は繊細のはずだが、やはり、疲れだ。
「狭いだけに風邪をひく心配はないわけだが・・・・・」
チルドレン二人がこんなところで居眠り・・・・。これもまた、人生。
これで全て解決しそうな危険な言葉だった。乱用せぬよう自戒する加持ソウジ。





そこは夕日に染まる電車のなか。
碇シンジはそれに乗ったまま居眠りしていたらしい。もうそろそろ目的地だったかな?
頭を何回か、るんうんと振る。くすくす、と笑う声がした。
向かい合う目の前。
「綾波さん?」
そこにいるのは、学校の制服らしい姿の綾波レイ。ただ、雰囲気が違っていたが。
それは赤オレンジの夕日のせいなのか・・・・・それとも。
「やっと起きたね」
にかっ、と笑いかける。たしかにイメージが違う。元気そうだ。
「そ、そんなに長く寝てた?」
乗客は他にだれもいない、他の車両にはいるのかもしれないが・・・それはどうでもいい。そうなると、ずっと二人きりなのに自分はずっと寝ていて、寝顔を見られてたってことだ。は、恥ずかしい・・・・・。
「うん、けっこう待ってたんだ」
「お、起こしてくれればいいのに」
「寝顔が可愛かったから」
「え・・・・・・・・・」
まるきり手玉にとられている。にゃははと笑う綾波レイ。
それから鞄をごそごそやると、中からお菓子を取り出す。北海道ミルクポッチーだった。「食べる?」
「ありがとう」
疑いのかけらもなくそれを受け取る碇シンジ。面白そうにそれを見る綾波レイ。
「やっぱり違うわねー」
「え、何が」
「いえいえ。こっちの話です。・・・・さあさあ、もっと食いねえ」
「あ、美味しいね、これ」
「あと他にも、毛ガニせんべいもあるわよ。ジンギスカン・キャラメルも」
その鞄の中には本の類、教科書などは入っていないらしい。
「ジンギスカン・・・ってなぜキャラメルに・・・・」
「あら、サバのカレー缶詰があるくらいだもん。ジンギスカンをキャラメルにしてもおかしくないわよ。美味しいんだから」
「そうなのかな?うーん、そうかもしれないね」
処世術、というにはその表情はあまりに瑞々しい。

「シンちゃんはやっぱりいいコだなあ・・・・

急に百年も歳を経たような老練にして、なおかつ香るような妖艶な笑みを浮かべる
その変化にゾクッと震える碇シンジ

うわんっ

耳元で、古い妖怪に吼えられたような唐突に、電車はトンネルに入っていた。
夕日も外の田園風景も遮られ、塗られたような・・・・黒闇。

赤い瞳

最初のゆりかごの子供・・・・・・ファースト・チルドレンだけのことはあるよ・・・」

電車は速度を増しているように感じられるのに、このトンネルから抜け出せる気がしない。いつのまにか身を包む赤い蜘蛛の糸に呪縛されている。

「まんまと騙されちゃったけど・・・・・」

うらんっ


耳元で吹き飛んでゆく音ともにトンネルを抜けた。
「一本、とられたってことで、まあいいかあ。にゃははっ」
急に高く笑った。化け時間が終わったらしい。
「君は・・・・誰なの」



「教えてあげたいけど、時間ないしなあ・・・。言っとかなくちゃならないこととかもあるし。シンちゃん」
「はい」
急に真面目な声色になった相手に背筋を伸ばす碇シンジ。
「ほんとのほんとに、ほんとのほんとで死んでも知りたい?」
そこまでいわれて引か”ない”碇シンジではない。命と引き替えにして知りたいとまでは・・・それが仮定にしても、正直、思わない。それが顔に出た。
「まあ、大して知りたくないならそれでいいじゃない。別に意地悪じゃないんだけど、さ」そう言われてみると、むくむくと知りたい気持ちがもたげてくるのだが、時既に遅し。
「初号機が磔になってるの、知ってる?」
「磔?」
「そう。岩壁に白い棒で貫かれてね」
「動けなくなってるとは聞いたけど・・・・」
「その白い棒を捨てないでね。作業中に折れたりしたら、きちんと破片も集めて」
「分かったけど・・・・なんで?」
「大切な、ものだから」
「うん・・・・加持さんや高嶺さんにお願いしとくよ」
「ちゃんと第三新東京市に持ち帰ってね。ここで燃やしたりしないで」
「あ!」
何かに気づいたように碇シンジが声をあげた。
「どうしたの?」
「君の正体が分かったよ」
「ええっ!?」
まさか分かるわけがない。これで自分の正体に気づくなら予言者の資格がある。
だが・・・・・。碇シンジなら・・・・。
「さっきのお菓子といい、細かい注意といい、急に冷たい態度になることといい、・・・・君は、北海道の精さん?」

こけた

「め、めるへんなのね・・・シンちゃんってば・・・」
「大丈夫?・・・・しょっと、でも雪娘のイメージがあるよね、儚げで、綺麗で・・・」「な、なにをいうのよ・・・」
「綾波さんって」

ちからがぬけた・・・

も、もしかしてさっき教えなかった仕返しをされているのか。しかし、そんな邪気は感じない。思考パターンが読めない・・・・。なんでこんなに繊細そうなのに、けろけろしていられるのやら・・・。もしや・・・・人の話を聞いてそうで聞かないタイプなのかも。 「それからねえ、シンちゃん・・・・




「起きなさいよ、ほら、行くわよ」
惣流アスカに揺さぶり起こされた。
「あれ・・・綾波さ・・・夢だったのか・・・・・」
「アンタ、夢なんか見てたの?アタシは泥のように・・ってそれより。
ほら、行くわよ」
「どこに?晩御飯?」
「開封現場に決まってんでしょ!何しにこんなトコまで来たと思ってんのよ!!」
よっぽどひっぱいてやろうかと思ったが、碇シンジは戦況を知らないのだ。
自分たちが知らせていないから。それが思い留まらせた。
「ほらっ、荷物」
プラグスーツとヘッドセットの入っている。惣流アスカも自分の荷物をもっている。
「あ、そうだ!加持さんは」
「なによ、藪から棒に。電話をかけにいってるわ」
「言わなきゃならないことが出来たんだ。高嶺さんの所へ行って来るよ」
いやに慌てている碇シンジ。惣流アスカにしてみれば、かなり不審だ。
「寝ぼけてんの?今まで寝てたくせに何をいまさら・・・・」
答えもせず、さっさと行ってしまう碇シンジ。無視されてむか。
それ以上になにを言い出すのかが恐ろしい。惣流アスカはあとを追う。

「おう、起きたのか」
「あ、加持さん。ちょうど良かったです、お話したいことが」
「・・・・っとと。ここは忙しいな。部屋に戻ろう」
いまや基地の内部は最高潮に活性化している。行き交う中に立ち話する余裕などない。
「おや、アスカはどうしたんだ?」
すばしこい惣流アスカはしっかり高嶺一佐の部屋で入れ違いになっていた。
「さあ・・・さっきはいたんですけど」
知らずとはいえ、罪なことをいう碇シンジ。罪悪かもしれない。
「アスカのことだ。心配はいらないだろう。それで話ってなんだい」
碇シンジは、先ほどの話をいきなりはしなかった。なかなかに知恵がまわる。
「初号機を貫いている、白い棒は、初号機が動けるようになったらどうなるんでしょう」
はあ?なんでいきなりこんなことを聞いてくるのやら。頭をひねる加持ソウジ。
「燃やしたり・・・置き捨てにしたりしませんよね。研究材料とかになるかもしれないし」ますますよく分からない。確かにその通りにするのだが・・・・。
「それは・・そうだな・・・報告書の作成などもあるし、な・・・」
「破片も残さず、回収するんですよね」
「出来る限り、そうするだろうが・・・・・何かあったのかい?」
「いえ、それならいいんです。・・・・・・良かった」
そうだよね。あれは万が一の注意ってやつなんだ。ただの夢にしては細かい注意だったし虫の知らせってやつなのかな。碇シンジは勝手に納得していた。

ところが、なぜ碇シンジ君がそんなことを知っているのか。
・・・・廊下にもれてくる声を聞いたのだろうか。北の果てであるのをいいことに、機密保持感覚の、最初のきの字もない所だからなあ・・・・加持ソウジも勝手に納得していた。

まさか、夢で聞きましたからその通りにしてください、ともよく考えたらいえないよね、と今頃反省する碇シンジ。少年を追った惣流アスカの立場はどうなるのだろう・・・・。

開封現場に向かうジープの中で、惣流アスカは一切、口をきかなかった。




エヴァンゲリオン初号機開封現場 指揮所

見事なまでに磔にされている。どこの誰が「あの」初号機に対してそんな真似ができたのやら・・・・カメラモニターに映る光景をその目で見て、加持ソウジと惣流アスカはそのような感想を抱いた。もちろん、物理的な面より見ても、これは奇跡の光景だ。
聞くところによると、あの白い棒は木で出来ているという。
いかなるバランスのもとにこの光景が成り立っているのか・・・・。

それを引きずり下ろそうというのが、今回の作業。作戦名「大雪山おろし」。
作戦を聞いたときには、葛城だけじゃないんだな・・・・と加持ソウジは思った。
日本人って、みんなこうなの?と惣流アスカは思った。
碇シンジはプラグスーツに着替えているのでここにはいない。

すでに作戦は開始されている。
用地整備、いわば下拵えは完了していた。岩壁に塗られた特殊樹脂の導道。地上に巨大に膨らむアブソーバーマット。
行動は第U段階、ワイヤーくくりつけにかかっていた。
それを行うのが、東え工大の「昇竜4号」と・・・・・・日本重化学工業共同体の、
JRである。
風はそれほどない。気温もロボットなれば、なんてことはない。
ウイウイと昇ってゆく。

それを見つめる惣流アスカの目。内心の葛藤を伺わせない・・・ようにしている目だった。
ウイ・・ウイーン
二体とも作業地点にたどり着いた。なかなか早い。
とりわけ、時田氏が直々にオペレーションしているJRは早い。到着してよりの作業スピードは昇竜とは比べものにならない。
力学的に重要なポイントを半身にわけているのだが、一番重要な「杭」部分をし終えてもJRの方が早かった。昇竜4号が遅いというわけではなく、JRの方の動きはサーカスの軽業芸でも見ているかのよう。
ここからでは分からないが、JR操作盤の時田氏には鬼気迫るものがあった。
順調に作業は進んでいる。

その時。

指揮所に警報が鳴り響く。作戦途中だ。ただ事ではない。
「なんだっ」
「未確認飛行物体、接近中です。航空機ではありません・・・・・この影は・・大きすぎます。まさか!」
「モニターにまわします」
こんな仮設基地には、例のパターン解析装置などない。もし、あったならば・・・。

ギョルンっ

映し出された映像からは確かにそんな音がした。目玉をしたたか打ち据えられたような衝撃。夜空に浮かぶ巨大物体・・・・それは機械でも生物でもあり得ない姿。

使徒である。

しかも、山に永久追放くらったモビィディックのような巨大使徒の背には、ヨーロッパ貴族の首を切り落としてきたギロチンを岡本太郎画伯が擬人化デザインしたような、山なり怒り肩の使徒が乗っていた。

つまり、二体同時襲来。

一瞬にして静まりかえる指揮所。


「さ、作業急げ!心配するな、初号機ならばっ、勝てる!電ー源、用意しとけ!」
ところどころ裏返ったり跳ねたりしているが、高嶺一佐の一世一代の台詞であろう。

これで盛り返すのだから、北の風に伊達に叩かれてきたわけではない。
・・・・・よりによって、よりによって、妻も子もいない、寒いだけで面白くもなんともない、テレビもラジオもない、飲み屋もない縁もゆかりもない出張先のこんなところでくたばってたまるか・・・・・・。
だんだんと恐怖から気迫を漲らせてくるおっさんたち。はっきりいって怒ってます。


「アスカ?」
惣流アスカが青い瞳を鋭く研ぎ澄ませて立ち上がる。
「着替えてきます」
プラグスーツは・・・持って、きていた。・・・入っていた。
エヴァを動かすことは出来なくとも、戦い方を教えることは出来る。
いくらあのバカでも穴開けられて片腕で二対一なんて勝てるわけがない・・・・。


その後ろ姿を見送り、加持ソウジは己の、そして葛城ミサトの判断が、墨で染めたように間違っていたわけではないことに安堵した。拍子木のような鮮やかで短い感情だが。

そこにほろほろと、鴨がネギ一本しょったように碇シンジがやってくる。
この少年こそが、最初にして最後の希望なのだ。この少年だけが、ゴボウではない、希望を持ち合わせている。その重さをまるきり理解していないこの少年が。

「加持さん、あれはなんです?」
恐ろしいことを聞いてくれる碇のシンジ君。
あれは使徒。初号機に乗って、君がやっつける相手なんだ・・・・。
確かに惣流アスカがいてくれて助かったのかも知れない。
チルドレンに指図出来る人間は、使徒に真っ向からガンを飛ばせる葛城ミサトかもしくは同じ、チルドレンしかあるまい。
「使徒だ」
「あんなに大きいのが・・・・飛行船かと思った・・・・」
いきなり戦意を失いかけている初号機パイロット。確かにこれは人間サイズに変換して、プロレスラーに向かっていくより度胸がいるだろう。しかも相手は二体だ。
いや、元々なかったのだから、失いようがない。という見方もできるが・・・。
「まさか・・・食べにきたんじゃ・・・・・」
顔色すら青ざめてきている。だが、その考えはなんとなく当たっていそうだった。
あの空飛ぶ顔無し山鯨型使徒(裏死海文書・使徒名鑑があればよいのだが)のでかさならば冗談抜きで一口でいけそうである。
食事のための使徒襲来かどうかは別として、あの口でやられた日にはまさにお陀仏決定。
気が弱いくせにとんでもない想像をする碇シンジは白く染まって立ちつくす。
「ど・・・どうしよう・・」



「アンタ、バカあ?」
ふいに後ろから声がする。言わずと知れた・・・・
「そうならないように、北海道くんだりまで来てんでしょ」
沙凛ッ、と音がしそうな惣流アスカの立ち姿。真紅のプラグスーツに表情までが火の輝き。
「どうしたの・・・それ」
派手だが、惣流アスカに、あまりに似合っている。炎の国のお姫様・・・のように美しいが、それ以上に・・・凛然としている。瞳の青が身に纏う赤以上に燃えている・・・。
これは・・・
火の騎士だ。

「アタシも乗るのよ。戦い方を指示するから、その通りに動くのよ。そうすれば・・・・」
「そう、すれば・・?」
「ぜえっっっっっっっっっったいに、負けないわっ!!」
その声は指揮所でも、天井を焦がすばかりにひときわ高く噴き上がった。
この場にいる者は全員、「よくぞ言ってくれた」と内心で割れんばかりの大拍手を送っていた。ただ時田氏一人をのぞいて。


「JRの作業は終わりました。そちらのパート丙、丁をいただきますよ」
オペレ−ションに最大限の精神集中を注ぎ込んでいる。
あの子の気炎は大したものだが・・・・まずは作業を終わらせねばどうにもなるまいよ。
こんなことになるとは思いも寄らなかったが・・・・。
鬼気迫る集中ぶりだが、なぜか段々と削ぎ落とされた透明感が増してきていた時田氏。
こんな折りだが、機械を存分に扱える幸福を味わっていたのかもしれない。

ウイーウイーと移動して昇竜4号のパート丙をこなすJR。あと一つ。
昇竜もがんばっている。おそらく同時に終了するだろう。昇竜はその機構から、作業終了後はロックアームと化して初号機を繋ぐ身となる。
「よし、丁、完了」
「こちらもです。昇竜、ロック完了」

「JRの後退終了後、すぐさま引っ張れ!」
高嶺一佐の号令がかかったその時。
「そんなヒマはありませんよ」
時田氏の指先が操作盤を確かな動きで一巡した。それは、挨拶なのかもしれない。

「あっ!」

JRが、飛んだ。

真っ逆さまに。落ちる。一瞬のことのはずだが・・・・やけにゆっくりに見えた。
叩きつけられた。バラバラに・・・・砕け、壊れた。

「時田さん・・・あんた・・・・・・」
「風があったんですよ。・・・・強い、風がね」

「・・・・何をモタモタしている!引き込み作業開始!」
高嶺一佐の叩きつけるような一喝。やり場がないとはこのことだ。

今日まで溜められたデータと計算力の全てをもって、エヴァンゲリオン初号機が引かれる。磔にされた紫の鬼がじりじりと解き放たれていく・・・・。その時を待っている・・・。

惣流・アスカ・ラングレーの青い瞳。今の光景が網膜に焼き付いた。
その正確すぎるレンズはありのままを写し取ってしまった。
おそらくは一言もいわずに地に激突したJR。この熱気の中、涼しい顔の時田氏。

「行くわよ、シンジ!」
爪をたてるほどに強く、碇シンジの腕を掴んでいた。



使徒は初号機が目的でここにきたのか?・・となれば多少の謎がある。

加持ソウジもこの期に及んでただ一人暇でいるわけではない。
彼の仕事はチルドレン二人の護衛と案内。むろん、使徒相手に身の安全をガードすることなど出来はしないが、子供らが勝った後、さらに第三新東京市に送らねばならない。
そのためのルートを確保、準備しておくこと。・・さらにエヴァに多少の知識がある身として、高嶺一佐につきアドバイザー的なこともせねばならない。
基本的に彼らは本部付きの発令所員ではないのだ。

こう考えれば結構忙しい身なのだが、頭の深い地点ではやはりいきなり現れた使徒について考えてしまう。
しかも、二体の同時来襲だ。これは・・・・。
ここで潰されて死ぬかもしれぬというのに。こんなことを考えられる人間というのは。

そして、使徒というものは。

でかい図体だけあって速度は遅いらしい。顔無し山鯨型使徒は開封作業が目に入っていないように慌てることもなく、のっぞりとおぞってくるんだど。

乗せられているギロチン怒り肩の使徒はその見かけ通り、短気らしい。
どこか牛に乗ったネズミを連想させるが、楽ちんしてきたくせにその遅さにシビレ切らしたのか、一足先に降下してきた。

ひゅーん

そのまま軽やかに着地。見かけより軽いのかもしれない。
そのくらいは使徒だから当たり前だとしても・・・・・。

うりゃー
両手をあげ、丸を描くような、おそらくは威嚇のポーズ。
それはいいのだが・・・。

「なにいっ!?」
目を向く指揮所。

分裂してきた・・・・・・つぎつぎつぎつぎつぎつぎつぎ・・・・・・・・・その調子で全部で17体。そして、空中の山鯨を合わせて18体・・・・・。

いくら使徒とはいえ、これはひどい、ひどすぎる。てめえら、人間じゃねえ!


使徒だからねえ・・・・。


これで、しょ、初号機は勝てるのか・・・・・。ああは言ったものの、不安になってくる高嶺一佐。なにせ初号機は今の今まで貫かれて、現在進行形でいるわけだ。機械でいえばオーバーホールが必要な、人間でも即入院状態だ。しかも片腕。
奇跡的に肋骨やら機能中枢やらはやられていないらしいが、これをまともに動かせ、というのは正直、無理すぎる注文だ。
さらに、これは勝ってもらわねばならぬのだ。あの、使徒18体に。
悪いことしか浮かばないが、しかもエヴァの電源は外付け電池しかない。

エヴァに対してさしたる知識もないのに、作戦部以上の苦境に立たされる高嶺一佐。
もちろん使徒との戦闘指揮など経験はないし、そのシュミレーションすら考えた事もない。うう・・・・。
「心配いりませんよ」
いつのまにやら加持ソウジが立っていた。
「なにせセカンド・チルドレン、サード・チルドレンの二人がいるんですから」
「そ、そうだな。今は彼らを信じよう」



特殊粘性樹脂の道に導かれ、どろどろゆろゆろと、初号機が降下してくる・・・・・。

バッ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フン・・

巨大マットの上に着地させられる初号機。まだ木偶人形のままだ。
内蔵する生命・・・・パイロットがいないから。その双眼に光無し。


「惣流さんは、エヴァに乗るのが怖くないの?」

指揮所から初号機着地点に急ぐジープの中。なぜか運転手は山田ミノル二尉。
碇シンジはこんなことを聞いてきた。往生際が悪い・・・わけではない。
隣の惣流アスカの顔を見ているから、ふと聞いてしまったのだ。
惣流アスカの方は、鋭い目で使徒が分裂した様子を見ていたのだが、いきなりこんなことを聞かれ、呆れたふりをした。
「アンタこそ、使徒が気にならないなんて余裕じゃないの」

「違うよ!」
返答の声は哀れなほどに激しく大きかった。しかし運転手は振り向かなかった。
「こ・・・・怖くて見られないんだ・・・・」

ほんとに怖いらしい。見栄も外聞もない。

怖い、と言われてしまった・・・・・・。
もしかしたら羨ましいかもしれない。自分なら口が裂けてもそんなこと他人には言うまい。言ってしまったら、どうなるんだろう・・・・。
この高い場所から飛び降りたら、どうなるんだろう・・・・そんな興味に似ている。
そこから登ってきたはずなのに、いまや見えない暗い淵。
暗い淵の底にしか、それを言える相手はいない・・・・。

「なんで、さ・・・・。わたしが怖くないと思うの」

うわべのほのかな薄灯りにまんまとだまされる碇シンジ。
「分からないけど、もし怖くないんだったら、なんでか教えてほしいと思って」

あまりといえばあまりの答えに顔をふせてしまう惣流アスカ。

「・・・・・惣流さん?」

くっくっく・・・・笑っていた。それから突如顔をあげると、
「ロボットじゃあるまいし、怖くないわけないでしょ!このバカシンジ」
勝つまでこの恐怖がおさまらないなら・・・・・・勝つしかない。
惣流アスカはこの妄の毒を承知の上で、自ら焼いて処方し、薬に変えた。

「ご、ごめん・・・。やっぱり、怖くないわけないよね・・・。
みんな、我慢してるんだ・・・・」
「いい線ついてるけど、ちょっと違うわ。アタシの感じる怖さとアンタの感じる怖さは、レベルが違うのよ、レ、ベ、ル、が」
「怖いのにレベルもラベルもないだろー。そういえば、なんで僕がバカなんだよ」
「・・・アンタってとろいのね。つまり、アタシの話の深いところは分かってないのよ。
それがレベルが違うってことなの」
「なに・・・


「着きましたよ」
ジープが止まった。慌てて下りる二人。ちょっち決まらない。
「それではがんばってください」
表情もかえず、山田ミノル二尉はそう言うと、ジープは引き返した。

「そ、それじゃ行くわよ。必勝の戦術はこの頭にあるし、アタシのいうことさえ聞けば、絶対に勝てる・・・」
「僕はとろくない」



タラップからエントリープラグに乗り込む惣流アスカと碇シンジ。
なぜか碇シンジは乗る前から謎のタンコブをこさえていた。

いつしか空には綺麗で大きな月がでていたが、それに感銘を受けているものはいない。

「使徒、隊列を組んで前進してきます!」
「LCL、急いでそそぎ込め!おら、びびってんじゃねえ、ノタノタすんな!」
「杭い?この状況で引き抜けるか!体液が噴き出てくらあ」
「電池装備、急げ!内部電源もギリギリまで食わしとけよ」

まさに修羅場。わずかでもヘマしようものなら即座にフクロにされかねない気合いが漲っている。これを見れば討ち入り前のヤクザでもびびって逃げ出しただろう。


エントリープラグ内でもそれは同じ。
惣流アスカが最後の「心得」を教え込んでいた。
「いい?エヴァが起動したら、アタシの言うことを復唱しなさい。それでエヴァはその通りに動いてくれるわ。」
「叫ぶの?」
「ああ、声の大きさ?それは気にしなくてもいいわ。でも、気合いを入れること!
いいわね」
碇シンジの質問の源は別なところにあったのだが、結果として同じになった。
「うん」

「準備完了。エヴァンゲリオン初号機、起動どうぞ」

ホログラフモニタから連絡。いよいよだ。・・・・・急なことだったが。
まさか初号機に乗ってるなんてね・・・・このアタシが・・・。思いもよらない。
ふっ・・・・おもしろ・・・
夢だとしたら、悪夢の部類なんだろうけどさ・・・・気分は悪くない。

よしっ

その前にヘッドセットのスイッチを切っておく、と。脳波が混じってしまう。
「そうりゅ・・・じゃない、アスカ」
急に声をかけてくる碇シンジ。一応考えはしたらしい。
「なによ」
「あの・・・ありがとう」
「なにが」
「と・・・とにかく」
あまり多くを語ってはいけない、ということは悟ったらしい。わずかな成長だ。
黙っていればことがすむ。それでも何かいいたかったのだろう。少年は。

「あとで詳しく聞かせてよ。・・・・使徒を倒した後でね」

「うん」

「それじゃ・・・・シンクロ、開始・・・・・」
「シンクロ、開始・・・・」
LCLがエントリープラグを満たしていく・・・・。



エヴァンゲリオン初号機の双眼に光が戻ってゆく・・・・・。
長らく離れていた生命が戻ってきた。全身に染みわたってゆくチルドレンの意志。
冷え切り乾き眠りについていた肉体が灼熱の血脈によって眠りを覚まされる。
片腕がないことと、白い棒のようなものに貫かれていることに気づいたが、なんということもなかった。
命が帰ってきたのだ。それに比べれば、なんということもない・・・・。


「エヴァンゲリオン初号機、起動成功!」
こんな状態での起動成功など、赤木博士がこの場にいればなんと言っただろうか。
奇跡。確率から言えばそれ以上の価値がある。
だが、初号機は、それに乗り込むパイロットはそれに百倍するほどの奇跡をさらに起こさねばならない。
使徒、十八体を相手にして全て撃滅する、という奇跡を。

「カッ・ー・・・ファ・・ー・・」
初号機が口を開いた。これは・・・呼吸の音。吐く息が白く燃えている。

当然だが、使徒十八体を前にしてもまるで臆した様子はない。



エントリープラグ内
「二対十八だね」
自分が起こした第一の奇跡に気づくこともなく、碇シンジは言った。
「一対二でしょ。分裂したのは勘定にいれなくていいのよ。本体だけ狙う・・・・って、
なんでこっちが二なのよ」
「アスカと僕で二人じゃないか・・・・あ、待てよ。それをいうなら僕は勘定に入りそうにないからやっぱり一かな」
「なんでアンタが入らないのよ、逃げる気?」
「あ、待てよ。初号機も入れて三、かな」
「あーもうっっ!うざいっ!これは二対二なのよ。決まり、決めたっ」


「ATフィールド全開!」
「バリヤー全開!」

この人数差に真っ向からぶつかっていく気なのか、惣流アスカは防御のためのATフィールドを全開にする。

「行動開始より三十秒以内に地上の使徒を撃破」
「行動開始よりさんじゅう・・・・ってそんな無茶な!」

赤い少女手が強く、青い少年の手を上から掴む。
「アタシを信じて」

「・・う、うん・・・三十秒以内に地上の使徒を撃破」

「ありがと。・・・プログナイフ装備、左肩部装甲、解除」
「プログナイフ装備、左肩部装甲、解除」
まるきりわけがわからないが、ついていくしかない。しんじぬいて。
「プログナイフをくわえる」
「プログナイフをくわえる」
エヴァ初号機もその通りにした。

「左肩部装甲を手にとって、使徒隊列に斬りつけるように投げる!」
「左肩部装甲を手にとって、使徒隊列に斬りつけるように投げる!」
エヴァ初号機がその通りにすると、左肩部装甲は、凶悪な怪鳥を思わすブーメランと化し
分裂使徒を面白いように薙ぎ倒していくっ!

「最奥手にいる使徒に向かって駆ける!」
「最奥手にいる使徒に向かって駆ける!」

・・・・片手がなかろうが、体を貫かれていようが、お構いなしに初号機が疾走する。
乱れる隊列の隙をつき、一気に目指す使徒の目前まで駆け抜ける。
惣流アスカは説明しないが、おそらくはそれが、本体。分裂の源だ。

「くわえているプログナイフでコアを刺すっ!」
「くわえているプログナイフでコアを刺すっ!」

お命頂戴致します、とばかりに逆手に持ったプログナイフでコアを一気に刺し貫く。
その正確さにはある種の品すらあった。または絵巻でも見ているかのような鮮やかさが。

ここまで二十四秒。三十秒もかからなかった。




「す、すごい・・・・・・」
指揮所の者たちは息を呑んでいた。まさかこれほどの戦いぶりが拝めるとは・・・・。
これが自分とこネルフの所有する、人類最後の決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオンか。そして、それを手足以上に・・・・古代の神話でも見ているような錯覚をおこさせるほどに美事に・・・・動かすのが・・・チルドレン。

「さ、さすがにこれは・・・なんというか・・・」
これは一世一代のセリフで望んだ以上の光景だった。これは・・・本当に現実か?
もう一体を倒した。分裂したものも、本体が倒されたことでばたばたと自動的にやられていた。
まだ一体残っているのは承知の上。まだまだ油断できぬのは分かっている、責任者としても、気をぬける立場ではない・・・・・・・・・・・・・・・・・だが。
涙が滲んできた。
男の・・・・おっさんの涙だった。これを形容しうる言葉は存在しない。ただ、涙。

「流石だな」
これがアスカの指示で行われたことを知っている加持ソウジ。
敵の戦力の内容を正確に見抜く眼力と状況把握能力、そして豊かな戦闘イメージパターン。硬軟取り合わせた戦闘判断能力。
これがセカンド・チルドレンの資格でないならエヴァなど最初から造るべきではない。
パイロットのいらん別物を造るべきなのだ。
・・・珍しく彼にしては思考の温度が高い。高嶺一佐のそれが伝導してしまったのか。
それを恥じたのか、出た言葉はごく、短かった。

やはりJAはエヴァンゲリオンとは別路線を行くべきだな・・・・。
JAは片手を無くし貫かれても戦えるような化け物ではない。
自分には造れそうにないな・・・・。
羨望嫉妬を覚えることもなく、時田氏はあっさり一線を引き、認めた。




「あと一体!」
上空の顔無し山鯨型使徒を睨み付ける惣流アスカ。
これで一対一・・・・・いや、二対一の同点になったわけだ。
だが、こちらに飛び道具がない以上、電力を無駄に使うだけで優位になったわけではない。
それでも、惣流アスカは胸の内に湧き出す、不思議な安心を覚えていた。
やっぱりコイツ、天才だわ・・・・。碇シンジのパイロット適性・・・ここまでくると、特性といいたいが・・・・に内心舌を巻いていた。
確かに簡単に動くようなことを言ったけれど、実際はそんなもんじゃない。ああもこっちの考えていることをそのままトレースして実行してくれるとは・・・まんまじゃないの。
でも、悔しいというよりは・・・・・・。



「きたよっ!」

相棒をやられたことで怒りに火がついたのか、突如猛速で急降下してくる使徒!。
鈍重などととんでもなかった。まるで鯨の皮を被ったジョーズだ。
夜の空中を暗黒の海に変化させて襲いかかってくる。
大口開けて、囓り千切らんと向かってくる。
その奥に赤く輝くコアがある。だが、手の届く長さではない。

横からあの伸びたエイリアンみたいな口を切断するしかないか・・・・。
小回りは利きそうにないしね・・・。

「ひきつけて横にかわす!」
「ひきつけて横にかわす」
歴戦の闘牛士のごとく、軽やかに使徒の突進をかわす初号機。
だが、相手は赤いマントに挑発される牛ではなかった。
使徒だ。

さすがの惣流アスカも空が飛べるということが、どういうことか分かっていなかった。

突如、海面に浮上する鯨のように上昇する使徒。牛は飛ばない。
そこからの急降下!。ガジイイイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンンンン
危うく一気に痛快丸かじりにされかける初号機。
かろうじてATフィールドがそれをくい止めるのだが・・・・・・。
上半身は完全に口の中に入っている。



「うんんんんんんんんん・・・・・・くっううっ・・・・・・」
本能的にATフィールドを展開させたのだろうが、重圧は一気に碇シンジの精神力にかかってくる。僅かでも気を抜いたり逸らしたりすれば、そこで終わる。
しかも、ギリギリと力を増してきているのは脂汗を噴き出す如くの碇シンジの顔を見れば分かる。
「シンジ・・・・」
せめて両手があれば、口を広げるように出来たかもしれない。
片手でもあのコアに届くならば・・・・。


ぐいッ
残酷なように使徒は初号機をくわえたまま、軽々と持ち上げた。
なにせ体格が違いすぎる。水鳥と餌の魚くらいの差だ。
そして・・・・。口を振り上げたと思ったら・・・・・。
背中から地面に叩きつける!!
べぎっ 貫いていた白い棒がへし折れた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」

声にならない絶叫。碇シンジは初号機と繋がっているのだ。当然ダメージも伝わる。
シンクロ率が現在どのくらいなのか分からないが、激痛なんてものではすまないはずだ。しかも、気絶は出来ない。すればATフィールドが消える。
そのことを本能的に知っているかのように、碇シンジは耐えた。

だが・・・・。

もう一回。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」

もう一回。
このまま抵抗力が失せるか・・・・もしくは息の根が止まるまでやるかもしれない。
それでも碇シンジのATフィールドは消えなかった。

「・・・・シンジ・・・」

もう一回。
下手をすると、どこか骨を折っているかもしれぬ。初号機の踵が崩れかけていた。

何かないのか。この状況をなんとかする手だては。それを考えるための自分なのに。
焦熱地獄の業火に包まれる惣流アスカ。

意外なしぶとさに埒があかないと見たのか、使徒は別の手段に出た。
現実は少女を待ってはくれない。
くわえたまま上昇。



「まさか・・・・・」
指揮所では天から地獄に突き落とされていた者たちがこれから予想されうるさらなる地獄の景色に、血が凍りつく。
「・・・・そ、それだけはやめてくれーーっっ」
誰かが絶叫した。


ばくっ
口が、開いた。海鳥が固い貝を落下させることで砕いて食べてしまうように。
落とした。





微動だにしなくなった初号機・・・・・・。

その姿は放置された死体にも似ていた。

負けたのか・・・・。

人間ならば墜落死確実の高度だった。クレーターにも似た大地の傷を褥として。

使徒は己に逆らった身の程しらずの獲物をいだたきに降りてくる・・・・・。




「シンジ・・・・・・・」
返事はない。とっさにヘッドセットを取り外したものの、単純な物理的衝撃に、追いつめられた碇シンジの精神の糸はブッツリと切れてしまった。
今までの攻撃に耐えていたのが奇跡的だったのだ。
使徒が天から襲いかかってきていたが、こうなってはもうやれることはない。
自分の無力無能を思い知ることで、惣流アスカは諦めようとした。

使徒の大口の暗黒が迫る。食われる。

その時、本当の奇跡が起こった。

ガイイーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ンンンンンンンッッ

使徒は驚いたかもしれない。完全にくたばったはずの獲物がまだこじ開けられていなかった。
ATフィールド。再び上半身が呑まれても噛み千切られることはない。

「なんで・・・・・」
そろそろ電源も切れるはずだ・・・。それなのに・・・・。
「・・・もい・・・」
なにか聞こえる・・・・。シンジの声?寝言・・・・のようなもの?
耳を近づけて聞いてみる。
「ATフィールドはバリヤーでもいい・・・ATフィールドはバリヤーでもいい・・・」
そんなことを繰り返している。一瞬、念仏かと思った。
なんだか、空恐ろしくなってきた・・。
それから、泣けてきた・・・・・・・。







第三新東京市
天から見放されていた。騙し討ちをくらったような、大雨。

使徒を攻撃するどころではない。崩れかける体勢を整えるだけで手一杯だ。
葛城ミサトも。
野散須カンタローも。それが人間の限界というものだ。

このまま放っておけば、勝手に撃沈してくれるとあって攻撃をしかけてこない使徒。
頭に来るほど冷静な敵である。

「まずいぞ・・・碇」
本部発令所では冬月副司令が動き出そうとしていた。
彼らの仕事は負けてしまった後のことも考えねばならないことにその難しさがある。
それを背負うがゆえに人を見下ろす高所にいるわけだが・・。
将棋と違い、負けました、では済まされない。
「マギを松代にでも・・・・」
逃げ算段である。この人物が言うからこそ、許される。自分たちが預けられたものが・・
玉砕ですまされる程度の重さでないことをよく、とてもよく知っているからこその選択。葛城ミサトも野散須カンタローも、発令所スタッフも現場作業員たちも、誰一人諦めてはいないのを知っている。
・・・・だからこそ、今の内にその算段を完了させておかねばならない。

ネルフ副司令の副司令たる所以である。

だが。

「待て」
ネルフ総司令碇ゲンドウはそれを止めた。
もちろん、部下たちの情にほだされる人間ではない。
「碇・・・・・」

眼鏡の奥の鋭い光がモニターの一点をとらえている。
四号機の赤い光筒檻に捕らえられている初号機左腕。

「四号機パイロットに初号機左腕を開放するよう伝えろ」

いきなり降ってきた命令に戸惑うオペレータたち。商売道具の耳を疑う。
司令が狂った・・・・・・?一瞬、本気でそう思った。
それとも、長い緊張状態に、自分たちの方がおかしくなっていたのか。
「は・・・はい・」



四号機の赤い光が消えた。初号機左腕は自由になった。

まず、最悪の予想として、初号機左腕が四号機に襲いかかる・・・・・。
己の精神を守るために、最初に最悪の光景を見ておく。
次に、最低限の人間への信頼というものが、中庸の予想光景を見せる。
これは初号機左腕がぴくりとも動かず、四号機を緊急避難、または回収、または・・・・なんらかの攻撃手段に使う、というものだ。

災厄の箱が開かれた・・・
ならば、そんなものではおさまらぬ・・・・・

突如

モニター映像を映している眼が後ろに投げ飛ばされたような錯覚!
目玉が凄まじい速さで回り続ける回転ドアの中に閉じ込められてしまったような。
誰もが初号機左腕に注目し、緊張して研ぎ澄まされた全神経がその一挙動に集中していた。それでもまるで追いつかない。それゆえの錯覚。

高速現実

とでもいえばいいのか・・・・境界を突き破っていた。

掌ATフィールドをボードにして雨の道路を高速滑走していく初号機左腕。
目指すは、当然、使徒である。

ざざざざざざざざざざざざざざざざざざざ・・・・・・・・・・・・

過粒子砲などが間に合うはずもない。意外すぎて、そして何より速すぎる。

シュウーーーーーーーーーーーーーウンン・・・・
直前になってスケボーの天才のように集光ビルに滑り登る。

ぱっと跳躍。その一点に地球上全ての引力が収束され、凝縮されていく気すらした。

そのような超高速光景が人間の眼が捉えられるわけがないのだが、なぜか見えていた。
もしやこれは・・・幻覚か。

にぱ、にぱっと初号機左腕は空中で数回にぎにぎすると、グーになった。
おそらくは地球生物で最強のグーであろう。かました。

ズズズズウウ・・・・・・・・・・・ンンンンンンンンンン・・・・・・

使徒に今回初めて土がついた。夜空の白星ではなく、地上の黒星だ。
比率から言えば、赤ん坊の手と最大級の相撲取り・・いや、もっとある・・それが・・・殴りつけて地に這わしたのだ。
もはや何もいうまい。

この光景が確実に現実であることは、この轟音が証明してくれる。

二子山からもこの光景が見える。

本部からもこの光景が見える。

四号機からもこの光景が見える。

そして、地底からも。第17特殊装甲板ダンノウラ作戦本部。
「針やあ、撃てるかあ!!」
「ニールド、いけます!!」
この隙をのがす者どもではなかった。雨でもしっかり機械は守っていた。
「めげた割れ目え、合わせて、撃てえいっっ!!」

ジュアアアアーーーーーーーーーーッッッ
今の今まで溜めに溜めておいた怨念の逆針、ネルフ特製プログレッシブ・二ードル・シールドが発射された。

ドズッ
使徒に刺さった。
「命中!」
「よし。第二段階から第五十段階攻撃、一気に食らわせ」
通常の生物、機械でも一種類くらえば昇天間違い無しの必殺攻撃を五十種類用意してあるのだ。いくら使徒でもたまったものではなかろう。
これで死ななければ、モノホンの神様の使いだ。最初から生きていないのだ。

さすがに・・・これは・・・
使徒に変化が起こった。あれだけ平然と水晶に輝いていた使徒がドス黒く変色した。
内部から毒が回ったかのように。事実、似たようなものだが。

「よし、第五十一段階から第百段階攻撃、行けえい!」
まだあるらしい・・・・。
もはや、たまらず。



使徒は内部から弾けるように、黒水晶の巨大花が咲くかのように、爆発した。

「よっしゃあっ!!」
「ふっ・・・・・・」
「勝ったな・・・・」
「勝った・・・・・」

喜びの形は人、それぞれ。だが、今回の使徒は手強く、辛く長い戦闘だった。
それだけに喜びと解放感はひとしおである。
しかし、同時に。
その喜びの大きさは、肝心なことを彼らの目から隠していた。

「今回の使徒には、コアが五つあるのだ」
ということを・・・・・。

瑠璃を散らした爆発の黒煙・・・・・それに紛れて人型の・・・・






暗黒の中の赤い輝き・・・・・。
それは使徒のお口の中。コア。

食われる、という生物最大の恐怖。未知の存在にとりこまれるという恐怖。
それに真正面から向き合うのに正気ではいられない。
深淵をのぞき込む者は注意しなければならない・・・・なぜなら、深淵もひとしくあなたを見るのだから・・・・。

かつてない恐怖にさらされて、惣流アスカの魂は幼児退行をおこしかけていた。
それを助長するがごとくにエントリープラグに響く碇シンジの念仏。
しかし、それがもし、止んでしまえば全てが闇に閉ざされる。

「ママ・・・・・・・」

虚ろに呟く。

もしここでしんでしまえばどうなるの。ママのところへいけるの。ねえ。

頭の中に幼児期の自分の声が聞こえる。

あのやまのむこうのあかいひかりにママがいるんだよね。とおくに。
赤い光・・・。そう、そこにママがいる。

いこうよ。ねえ。

抗えるはずがない誘い。コレハ自分の過去。自分の気持ち。

「そうね・・・・そうだね・・・」



「でもね・・・・」

惣流アスカはヘッドセットのスイッチを入れた・・・・。
「シンジのママは別のところにいるから・・・・」

一緒には、いけないのだ。

惣流アスカは現在の自分の顔を、深淵に映した。
同じようにのぞきこんでくる深淵。惣流アスカ。



ここは使徒の口の中。歯、磨いてんでしょうね。コイツ。
そして、コア。あれを切断すれば、ことは終わる。

「やってみるか・・・」

渚カヲルのATフィールド。あの赤い光面だ。
あれを真似してやってみるほかない。やってみて失うものとてなにもない。
セカンド失格のくせに、フィフスの真似なんかしてさ・・。
弐号機も動かせないくせに、初号機を動かそうとしてさ・・・。
ほんと・・・・

「バカみたい」

すうっと自然に手足を伸ばすイメージ。頭の神経は関係なし。いくら頭をふっても一歩も先へは進めない。歩くのは足なのだ。それに・・エヴァ初号機の都合ってもんもあるだろうしね。そして、指先まではっきりと感じられる。両手が・・・。左腕も・・・・。
ああ、これは自分の席だったのかもしれない。それを借り受ける。
存在しないはずの、左腕に気持ちを集めてゆく・・・・・。
幻の左腕。
自分が樹になったような・・・・弐号機とはまた別の感覚・・・・そうだったろうか。
初めて乗った時はこんな感じじゃなかったっけ・・・。
帰ってから、弐号機に聞いてみればいいや・・・・・。
じゅっ・・・・ 左の指先に微かな音がした・・・・それは・・・・・はじまりのおと・・・・・



「初号機、電源、切れました・・・・」
もはや火が消え、墓場と化した指揮所。こんな報告は誰も聞きたくなかっただろう。
初号機の命が、乗っている子供らの命が、風前の灯火なのは見れば分かる。
もしや、落下の衝撃でエントリープラグでは・・・・・・・。

「アスカ、シンジ君」
未だにこの光景を正視できるのは数少なかった。だが、その大半も見届けるためだけにそうしていただけで、使徒を倒すことなど夢にも思っていない。
それは、白昼夢だ。死人が起きあがるようなもの・・・・・。

ぴく。
足が動いた・・・ような気がした。
ぐい。
膝が曲げられた。これは!

「起きあがろうと・・・しているのか・・・・」
上半身をあれほどの巨体にくわれおしつけられながらも・・・・。

どちらの考えなのか、加持ソウジにも見当がつかない。すでに電源は切れているはずだ。

ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ・・・・・・・ぐぐ

徐々に持ち上がっていく。電源切れであることを差し引いても脅威の光景だった。
使徒もそうはさせじ、と獲物の最後の抵抗を押し潰そうと試みるが無駄だった。

ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ・・・・ぐぐ

地面に対し、垂直に。エヴァンゲリオン初号機は使徒をくいつかせながら立ち上がった。

「なんなんだ・・・これは・・・」

驚異はまだ続く。
持ち上げられた使徒が、だんだんと膨らんでいく・・・。狂った風船のように。
出鱈目に、不格好に膨れ上がっていく。内部でなにかが猛烈な勢いで噴出しているのか。

ぶくっ、ぶくっ、ぶくぶくぶくぶくぶくぶく・・・・・・

加速していく。おそらくはその勢いに逃げることさえ許されずに、使徒は破裂した。


暗い夜空を、取り澄ます月をも焦がさんと噴き上がる、紅い・・・・・

ATフィールド・・・フレイムとでもいうべきか・・・・。

妖しの炎・・・・・
天に遊飛すると、紅の花びらとなり四辺に舞い落ちる・・・・。
戦いの幕を飾るに相応しい・・・美しさ。地に還っても一片の雪すら溶かすこともない。
不思議の火の粉。

「ATフィールドの零距離大噴火とでもいうか・・・」

四散した使徒はどろどろに溶かされていた。コアも残っちゃいまい。
しかし、これをやったのは・・・・まさか・・
「アスカか」

使徒が消滅したことで狂喜乱舞の指揮所内。盆と正月がいっぺんにきてなおかつ阪神タイガースが優勝したかの、さらに日本がワールドカップで優勝したような騒ぎだ。
「すぐさま回収作業に当たれ!騒ぐのはあの子らの無事を確認してからだ」
うおー、と初号機でも胴上げしかねない連中に高嶺一佐の号令が飛ぶ。
が、一佐も泣いていた。山田ミノル二尉がハンケチを渡す。




エントリープラグ内。
碇シンジが彼岸のこちら側に戻ってきた。
使徒は・・・・いなかった。ひどく体が痛い。とても体が痛い。しかし、使徒はいない。「どうしたんだろ・・」
そうだ、今回はそばにアスカがいるんだから、彼女に聞けばいいや。
後ろとなりを振り向く。
「アスカ、使・・・・」
そこで言葉が止まる。

「アスカ・・・・・?」