七ツ目玉エヴァンゲリオン




第十話「決戦 第三新東京市 前哨戦 」



水 結

晶 界





太平洋上にいきなり現れたそれは、陸のある地点にむかい、ゆるゆると空中を進軍していた。
陽光を、その四角錐をふたつ底面で張り合わせた形の水晶の体で反射しながら。
使徒である。

どのような力を持っているのか、は不明。外見からその機能を推し量ることは出来ない。
だが、その見方を変えれば、余裕こきまくりの進軍速度は、撃退する方にしてみれば対策を立てる時間が増えることになり、有利ではあった。相手がどのような出方をするのかは不明だが、準備を整える時間はあるわけだ。

水晶の使徒が向かう先は第三新東京市。海上で微妙な角度変更から割り出された結果に、おそらく間違いはなし。空を飛べることをいいことに、渋滞に巻き込まれることもなく、目的地に一直線。すでに諦めの境地に達している自衛隊及び国連軍も相手にしない。

だが、ここに使徒の進軍を阻もうとする一体の巨大な影があった。
コースを読んで先回りしたジェット・アローン。人呼んで短縮して、JAである。
使徒との戦闘における勝率はなんと10割というスーパーロボットである。
人、それを一戦一勝ゼロ敗ともいう。
とにもかくにも使徒を、さらにいうならばその使徒を殲滅するための汎用人型決戦兵器、「エヴァンゲリオン」その弐号機に模擬戦で負かした存在であった。

「言ってみれば、現在、地球上で最強の存在ですな」とは開発責任者の言。
傲慢な言葉であろうが、それが叩きつぶされてはみんなが困る、というところに人の世のむつかしさがある。




周辺の民家や施設に被害が及ばぬような、雛びたような所が決戦会場だった。
装備している強化アタッチメントは、「JAメガトンハンマー」。
今時、子供用のおもちゃにでもつけぬような名前だが、実物大になってしまうと存外、そんなことが起きてしまうものだ。わかりやすいことはわかりやすいが。
もともと、大してハッタリのきく外見でもなし、これでいいのかもしれない。



「さあっ!行って、あのガラスの水槽の化け物を叩き割って来るが良いっ!」
移動操作車で開発責任者にして日重の社長の時田氏がJAに命じる。
その後ろにはプロモーション用のビデオカメラが回っている。
マスコミは今のところオフしてある。自衛隊の幹部が来ている関係だ。
まず、顧客にいいシーンを見せておかねば。マスコミにはアレンジ版を渡す予定だ。
さて・・・・。



がおー。
分かる人には分かる威嚇ポーズをとってからJAは前進した。
田舎だから分からないかもしれない。






ほぼ同時刻、ネルフ本部発令所。
中央モニターには、オフされているはずのJAと使徒との会戦の模様が映し出されている。「さて・・・どうなることやら」
さして興味もなさそうな冬月副司令。それよりも副司令として、気になる事がある。
自分の前の碇ゲンドウだ。
様子がおかしい。外見が外見であるから、素人には分かるまいが、碇ゲンドウ専門家の冬月コウゾウには分かるのだ。別になりたくてなったわけではないが。
やはりユイくんのこととなると・・・・・・この男は・・・・・。
だが、それくらいの弱さがあった方が、人として好ましいのではないか・・・・・。
などと思うほど、冬月副司令は碇ゲンドウが好きでもない。
どうも今回はいやな予感がするのだ。
結局、葛城一尉がドイツより戻る前の使徒来襲。そして弐号機が使えない。
あるべきものが使えぬとは・・・・いやな気分だ。
貧乏性かもしれない。なんでもいいが、JAには頑張ってもらいたい気分だ。



ミサト・・・・・あなた、これでクビね。
こちらもモニターのJAにさして興味のない赤木博士。
でも、そうなると後任は誰になるのかしら。この場合、日向君の繰り上げ当選ってことに・・・・ならないわね。階級のないあの人は除外して、と。
支部からでも優秀な人材をひっこ抜いてくるのかしらねえ・・・・。
その眼には冗談の色はなかった。



「葛城さん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」オペレータであるから、モニターからは気を抜けないがやはり気になる日向マコト。
使徒め・・・・なにもこんな時に来なくったっていいじゃないか。今、大変なんだ。
連絡はしたけど、なんせドイツだからなあ・・・・生きてて良かったけど・・・・。
葛城さん・・・・・早く戻ってきてください。でも、JAがこのまま勝ったらどうしよう。




「・・・・・・・」
無言でモニターを見上げるプラグスーツ姿の綾波レイと渚カヲルの両パイロット。
そこに映るのが、彼らの、敵。JAが破れれば、彼らが戦うことになる相手。
胸が騒ぐ。だんだんと大きくなっている。それを抱えたままに。
戦闘が近づいているからか・・・・それとも・・・・。



「この国産ロボットが勝ってくれれば楽でいいんじゃがの」
やはり精神の基盤がネルフの人間とは別の所にあるらしい野散須カンタロー。
しかし、作戦部長葛城ミサト不在の今、この人物の頭脳が死命を分けるような羽目になるかもしれないのだ。それを考えるとこの発言はとても正しい。






「JA、目標100まで接近!・・・・・・・・・・・・・・・おうわっ!!」
それは、JAが、ご自慢のJTフィールドを展開させようとした矢先のこと。


なにかが光った、と思った。

じゅわっ。蒸発するJAの脚部。オートバランサーは片足でもなんとか直立を保とうとした。が、それも無駄な努力。ついで光った閃光が残った片足も消し去ってしまう。
引力の法則はJAを大地に誘う。ずっしーん。
さらに、両腕を消される。メガトンハンマーもおもちゃのように溶かされた。




あとはほうっておいて、またゆるゆると進軍を続ける使徒。
愛想のかけらもない、シャレにならん強力さだ。形がシンプルなだけに機能的。
目標に反撃能力がなくなったと判断したのだろうか、なんの未練もなく元の行動に戻るのがまた不気味だ。傲慢との縁がなく、つけこむ隙のないタイプ。


あとに残されるJA操作車。まるで相手にされていない。路上のゴミをどかしたくらいにしか思っていないであろう使徒に対して、どう反応してよいかすら分からない。
アメリカ人ならばオーマイゴッド状態に陥れるのだが。
「リアクターに、傷はついていないな」
冷静な時田氏の声。神の使いに傲慢を粉砕された者は、しばしこんな声になる。
大昔から。
しばし、泣くことも喚くことも叫ぶことも許されない。遺伝子に刻まれた天罰の種類。






「JA、完全に沈黙しました。目標は再び侵攻を再開。速度変わらず・・・・・・・」
ネルフでは、オペレータの青葉シゲルがデータを読み上げてゆく。
沈黙。その声は発令所にうつろにひびく。
「総員、第一種戦闘態勢に入れ」
碇ゲンドウの命令が下る。それに基づき、動き始める発令所。
自分たちの出番だ。だが・・・・・・・強い。今回の使徒は。
あれがエヴァならどうなっていたか。果たして、勝てたか。
「おそらく、加粒子砲ね」
赤木博士が呟く。あれを防ぐなりかわすなりの方法が考えつかない。
その上にJTフィールドは発動しなかったが、ATフィールドも当然持っているはずだ。
それを中和するために時間をかければねらい撃ちにされる。
向こうも飛び道具を持っているとなれば、渚カヲルの四号機でも正面からの撃ち合いになる。西部劇じゃあるまいし・・・・危険が大きすぎる。正義が勝つとは限らない。

ミサト・・・・あなたなら、どうするの。

生物との戦いには、遺伝的無意識なノウハウというものがあるが、あんな非生物、とりわけ数学的立体構造物と戦う、というのは人間の頭で考えつくのだろうか。
風車と戦おうとしたドン・キホーテは笑われたけれど・・・・・。





第三新東京市
十二時ジャスト。
使徒、来襲。
まるきり効かない防衛兵器に、あまり意味がなくなった強羅絶対防衛線。
絶対、という辺りにそろそろ気合いがなくなってきている。
あっさり突破された。突破、という言葉にも敵方の努力が微塵も感じられない。
ゆるゆるとした進軍速度のせいではない。それ以上の使徒の強力さゆえだった。
まるきり相手にされていない。
このまま日本海側へ抜けていってしまうんじゃないだろうか。
自然現象めいた錯覚をおこしてくる表情のなさ。台風に対するような諦めを引き起こす。
だが、使徒の目的地は第三新東京市。間違いはない。
地球上には未だかつて、水晶の輝きを放つ正八面体が運行するなどという自然現象はない。使徒。神の使い。
小賢しい人間に天誅下すために使わされたのか、それは不明だが、とにかくやってくる。




「遅くなりました」
発令所に、凛、と響くその声。葛城ミサト、本部到着。
己のためのナイスタイミング、というべきか。すでに第一種戦闘態勢が発令されているが実際の作戦行動に移っていたわけではない。防衛戦を常に強いられるネルフの作戦部長としては、ギリギリセーフと言えよう。これが自分の庭で戦うのではない、別種類の作戦部ならば葛城ミサトの席はすでにない。




「葛城一尉か・・・・・」
部下に向かって「か・・・・」はないだろうと思うがそれが冬月副司令を始め、そこにいる人間すべての正直な心所だろう。よくもまあ、生きて帰ってこれたな・・・・・。
死亡の知らせが来てもさほどには驚かないだろう状況から、このタイミングで戻ってきたのだ。本当に運がいい。言ってみれば、幸先がよい。
一度行ったからには、まず逃げ帰ってくるような真似をしない人間だけにこの帰還は。

「戦闘態勢ながら、取り急ぎ報告致します。惣流・アスカ・ラングレーの召還は取り消し再び、ネルフ所属となります」
ざっ、と敬礼して一気に吹き上げるような報告。これで空気が違ってくる。

「・・・・そうか・・・・・・引き続き・・戦闘指揮を任せる」

いつもの見下し不動の構えでモニターから目を離さない碇ゲンドウ。
しかし、これでクビはつながった。

「はい」

不思議なことにその返答はやけに透明で、いささかの迷いも恐れもないように聞こえた。ギリギリセーフで滑り込んだ者の顔ではない、これから修行の成果を存分に発揮しそうなどこか晴れやかな表情をしているのだ。ただでさえ、通常人は碇ゲンドウなどと話すと、急に曇り雨にやられたようなアンニュイな気分になるというのに。
葛城ミサトはクビになる、と情け容赦なく予測していた赤木博士は意外であった。
なにかあったのかしらね・・・・。


と、今はそれどころではない。使徒殲滅。それが最重要項目だ。

「儂がやらんで済んだか」
野散須カンタローはさっさと一歩引いた。



「日向君、状況は」
背中越しにビリビリとくるその声に、やはり一生ついていきます!と内心で叫ぶ。
同時進行で、これまでの状況を的確にかつ、簡潔にまとめて説明する。
ドイツを発つギリギリに新たな使徒侵攻を知った葛城ミサトだが、リアルタイムで見ていないJAのやられっぷり等々、頭に事前に詰め込んでおくために日向マコトほど適任の人間はいない。しかも時間は押している。なにせ使徒は目前に来ているのだから。
ドイツより休む間もない使徒との戦闘だが、葛城式カンピューターは全速力で回転している。そして、その表情にも疲れなど微塵もない。その生気は発令所の隅々にまで行き渡り完全体勢を整えさせているのだから、葛城ミサトはまっこと、豪傑としかいいようがない。腕を組んで、モニターの使徒を睨み付ける。
「さあ。いくわよ」







加持ソウジは困っていた。


「帰る」と言い出した惣流アスカをどうすべきか。
答えはすぐに出る。行動の選択肢などいくらでもある。さっさと頭の中では今後の予定変更、それに対応した準備や連絡がすぐさま弾き出される。スパイであるからこういうことはちょろいものだ。その上、この場に応じた適当なことならいくらでも言える。
そう言う点で、これは加持ソウジにとって修羅場でも何でもない、事務のおまけのようなものだ。・・・・・子供同士ならそうもいかないのだろうが・・・・。
彼が困っているのは、そういうわけで、自分の中にある微かな囁きゆえだった。
惣流アスカを帰らせることに反対する理由は何一つない。むしろそうすべきだろう。
こうなってしまった以上、二人をそばにおいておいてもマイナスになるだけだ。
ここまでの時間が無駄になってしまったが、さして悲観すべきことでもない。
人生にはよくあることだ。賭けに負けることも。



腹を割って話せばどうにかなる・・・・・・には話せない機密事項が多すぎた。

碇シンジ。
惣流アスカ。

両名に。

しかも今回は話せば話すほど余計に拗れていく予感がある。
おまけに碇シンジ君はともかく、アスカは聡すぎるほどに聡い子供だ。
中途半端はすぐにばれ、傷を悪化させるだけ。
しかも、これは自分が口をだすべき類のことではない。いや、出せないのだ。
碇シンジ君のことも、アスカのことも。
仲裁にも入れない。改めて、自分はただバランスが崩れないよう見守る、どころか祈ることしか出来ないのだと分かる。過ちはすぐさま正すべき。
他の護衛者を呼び、それにアスカを任せて第三新東京市に戻す。
特殊調査部所属加持ソウジの下す、「正しい」判断はそれだった。それしかない。
ここまで連れてきたのは「誤り」だった。それを認めよう。


だが・・・・・。頭のどこかで囁く。

「負けていいときと悪いときがあるんじゃないのか、加持ソウジよ」

「前見ることしかしらない子供をこんな袋小路に置き去りにするつもりか」

「負けそうになったら、勝つまで延長戦だ」・・・・・とんでもないな。



加持ソウジは惣流アスカのうつむいた表情を見る。
こりゃあ、何があったか話してくれそうにないな・・・・。
碇シンジ君に何を言われたのやら・・・・・。
彼も司令の息子だしな、それに男だ。もう少し器量を求めてもいいところだが・・・・。だが、加持ソウジは会ってから日も浅い少年にいきなりそれを求めることはしなかった。
それを求めたのは、少年よりはよく知っている少女の方に。

「アスカ・・・・シンジ君がここまで来た理由を知っているか」






濁った目覚め。寝ていたのか覚めていたのか、区別をつける前に夜が終わった。
碇シンジはベッドから体を起こした。
怠い、重い。
夕べの鉛色の嵐の余韻が体の中に残っている。ふりほどいた腕の感触。
彷徨う視線。曲げた膝の上に額をのせ、すりあげている。

「六時・・・・・か」

起きる気がしない。今日は・・・・・・母さんに会える日なのに。なんでだろう。
嬉しい気分がない。胸の内が熱くぐるぐるしている。

惣流アスカ


いきなり締め上げられた。わけがわからない。わけがないからか。それほど乱暴なのか。たしか、「意味がない」と言ったような気がする。
それで怒り始めた。そんな、怒るようなことだろうか。
べつに「来るな」とか言ったわけじゃないのに。ほんとにあの子には関係がない。
つまり、一緒に行っても意味がない。だからそう言ったのに。
あの子は自分の行く所に行けばいい。そのために来たのだろうから。


話をあとで聞く、と言ったのに別行動になってその約束もすぐに果たせないから怒ったのだろうか・・・・・・それにしたって、いきなりあんなことしなくても・・・・。


多少、性格がきつくて意地悪だとは思ったけれど、あんなわけもないのに人の胸ぐらつかんでくるなんていうのは・・・・・それは嘘つきだ。
性格のきつさも意地悪も、嘘をつかないからそうなっているのかと思っていた。
ただ人によい面を見せることに汲々としないだけだと・・・・・そうじゃなかった。
正直だから、その表情はほんとうのものかと思っていた。だけどそうじゃない。

あの子の仮面は重ねてあるんだ。

だが、碇シンジは知らない。あの時、惣流アスカが、惣流アスカという役柄さえ演じ切れてなかったことを。

裏切られたなあ、と思う。どちらかといえば相手のよい面をみて評価したい気性の碇シンジは、多少風変わりでも馴染めるんじゃないかなあ、と楽観希望を持っていた惣流アスカの豹変に驚きよりも落胆残念を感じていた。この辺り父親に似ているのかも知れない。
この落胆残念の気分の恐ろしさは見切りの速さにある。早々に相手を見限ってしまう。

まあ、どうせ長いつきあいになるわけでもない。
どう考えてもこちらに落ち度はない。それに話を聞く気にもならない。
綾波レイの時に感じた罪悪感など欠片もない。悪いのは向こうだ。


・・・・・・・なのに、気分が晴れない・・・・・なんでだろ・・・・・・・。




「俺達はこれから、ある事情で長いこと会えなかった碇シンジ君の母親に会いに行く」
ホテル内の喫茶店。コーヒーふたつが口をつけられることもなく湯気をたてている。
加持ソウジは涼しい顔でそう言った。
だが、内心はそれどころではなく惣流アスカの鬼門を開けてしまいかねない間合いに細心の注意を払うため能面のようになっている。

母親


それは惣流アスカにとって、まさに聖域だった。同時に加持ソウジが恐れる鬼門でもある。それが故に、あれほど果敢な葛城ミサトも判断予想能力に長けている加持ソウジもそれを教えず語らなかった。不安定状態の不利継続というリスクを背負っても。

うつむいていた惣流アスカの肩が震えた。


「これは昨夜もシンジ君と話したんだが」
低空飛行ギリギリをやらかした操縦士のような勘所ですぐさま浮上する。
「本当に母親のところに案内してくれるのか、と。まあ、聞いてきたんだ。
長年会っていないわけだしな。居場所も碇司令に秘密にされていたらしい」
続いてきりもみ旋回に入る。この期に及んで躊躇うことも無し。
黙って聞いている惣流アスカ。未だうつむいたままだが。
「それについては心配いらないと答えたんだがな」
惣流アスカの様子を確認しがてらコーヒーをわずかに流す。


「わたし・・・・邪魔かな」



その惣流アスカの一言が、怜悧さから出ていることを加持ソウジは知っている。
本当にこの賢さが少女を苦しめている。端から邪魔なら大体葛城ミサトがよこすわけがないし、惣流アスカが来ることもない。必要であるから、ついて来たのだ。
そして、碇シンジがエヴァ初号機のパイロット、サードチルドレンであり、使徒来襲が止まない限り、ネルフとエヴァから縁が切れるわけがないのを知っている。
ど素人であろうが関係ない。すでに使徒を倒している。が、毎度勝てるとは限らない。
それどころか運が悪く負ければ死亡することすらありえる。その率を少しでも下げるためにエヴァ操縦者としてのノウハウを教授する・・・。それが無駄になるわけがないのだ。おそらくはかなしいことだが。
実地にエヴァを起動できない今、さして教えることもないだろうが知識はあって損するものでもない、すくなくても邪魔にはなるまい。だからその一聞、弱く聞こえるその言葉には疲労しきったものの叫びが内包されている。
そんなことさえやれなくなった自分・・を理解する惣流アスカ。身を切る怜悧であった。もしや、それさえなければ今もエヴァを動かせたかも知れない。恐怖を覚えず。
思い知っているのに疑問形、というのはカサカサと枯れた音がする。


そして、同時に。


碇シンジの目的が母親に会いに行くことだと知り、激しく己を責めている。
自分がそのことを聖域にしているだけに、つまらないことで責め立てたことへの罪悪感は並々ならぬものがある。自分が逆の立場なら、階段から突き落としてから殴り倒してなお涼しい顔をしていただろう。

なんてイヤな女 理不尽な・・・・それとも頭おかしいと思ったの


あの無機の眼差しに会うのが厭だったけど・・・・・むこうでも嫌ってるんでしょうね・・・・・。二度と話もしたくない。



そこから見れば、「邪魔に決まっている」という、先ほどとは正反対の結論が出る。
この少女は強圧力に熱すぎる感情を持っているからだ。怜悧な聡さとは相容れない。
言ってみれば公人の義務と私人の感情とのせめぎ合いだが、よく考えればたかが14歳の少女の義務が、感情に勝てるわけがないのだ。悲鳴があがる無理がある。



「アスカ・・・・・。なぜシンジ君は今まで母親に会えなかったと思う?」
「え・・・・」



加持ソウジの表情から煙のようなものが切れた。いつもの飄々とした顔がしばし、後ろへ廻った。つまりは今まで惣流アスカに見せたことのない面が現れた。
鋼の硬質。惣流アスカは一瞬、加持ソウジが怒ったのかと思った。

しかし、その眼。

いつもはにこやかにしていても、どこか別の所、雲の上をを見ているようなその眼が今ははっきりと惣流アスカをとらえていた。・・・・怖いくらいに。
そのまま返答を小揺るぎもせず待っている。
ずしり、と少女の肩にのしかかる時間。もしや手ひどい仕打ちなのかも知れないが、それが惣流アスカの器量を問うている。




そんなの知ったこっちゃないわよ・・・・・・・惣流アスカの正直な気分はそれで、それを相手に応じて指で曲げるように変化させて口に出すのだろう。
だが、加持ソウジのその眼を前にしてそれを口にすることはできなかった。
だが、加持ソウジはその返答を待っている。


べつに「ある事情」を推理させるわけでも、同病相哀れさせようというわけでもない。
そんなことを期待しているわけではない。



惣流アスカはひどく疲れている。体はともかく、精神に麻痺が来る類の 疲労だ。
これにやられると、何事も、全てがおっくうになり、動かなくなる。
当然、他人のことなど気にかけていられないし、そのために指先一つ動かせなくなる。
これは精神の強さでもどうにもならない。強ければ疲れないのだ。元来。



それは、やさしさの守備範囲。
疲労し、疲れ切っていても、他人のためにまだ体が動く、ということ。
加持ソウジの簡潔な人生眼。口も心もそれには勝らない、と彼は思う。
なかなか難しいことではあるが、それが惣流アスカにあるのかどうか。

それを、見ている。
もし、それに応えられるならば・・・・・自分も葛城の賭けに乗ろう。




「病気・・・・だったんですか」
その眼から逃げなかった。惣流アスカは答えを返した。


「それに、近いかもしれない。名目上は療養、ということになっているからね。
未だにネルフに籍もあるんだ。E計画統合責任者、碇ユイ、としてね」





碇シンジは服に着替えた。少年には珍しく、着ていた浴衣を床に散らしていた。
心、ここにあらず。
しかし、なにやらぶつくさ唱えていた。

「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ」
これを次第に速度をあげてゆき、30ループ。
それはギザギザの高低の波を描いていた。少年の心理状態をグラフで表現するかの如く。グラフの描かれるその心の画面にはブラウンの髪の少女の後ろ姿がある。
恐ろしくて、正面から見る勇気はなかった。たとえ想像の中といえど。
なにを話せばいいのか、それは想像もつかない。



碇シンジはベッドの中でしばらく考えてみた。この曇天のような気分を。
悪くないのに感じるこの後味の悪さ。罪悪感、とか単に気分が黒く乱れた、というものではない。はっきり言って、全面的にあっちが悪い。こっちが全面的に正しい。
邪魔してきたから、払いのけた。それは正当防衛というものだ。
いくら女の子、とはいえやられっぱなしになっている義務はない。
謝るとすれば、それは向こうの方だろう。まるきり反省していないのか。

では、この感じはなんなのか・・・・・・。
それは不可解さに対する人間の、本能的な迷いによる不安。
「どう考えてもおかしい・・・・・・」



惣流・アスカ・なんだっけ・・・・
とにかく、あの子はなんでこんなところにいるのだろう?
真面目に考えてもみなかったけど、おかしいじゃないか。


実の息子の僕が何年も会ってなかった母さんに会いに行く道行に、なんで今まで見も知らなかった外人のあの子が一緒に来てるんだ?
護衛がいない?ネルフにはそんなに割ける人手がないんだろうか?
それに一応、父さんはネルフの司令だと言ってたから多分一番偉いんだろう。
その父さんの妻である、母さんのことでこんな他人を割って入らすようなことをするだろうか。

あの父さんが


「母さんに会わせてやる。・・・・明日、迎えを寄越す。・・・支度をしておけ」


病院に来てくれた父さんの言葉はそれきり。まるで電報だ。
結局、母さんのことなんか何一つ言わず。そして、これからのことも何も言わず。
すぐに帰っていった父さん。あの街に呼んだ時と同じだ。

これで分かった。父さんがどう思っているか。

ただ、人を介さなかったのは母さんのことだからだろう。

そういう人間なんだ。


その父さんがなんで・・・・・あの子の同行を許可(たぶん、そういうのがいるだろう)したんだろうか。
親戚というのでもない。顔つきは父さんにも母さんにも似ていない。
知り合い、と言っても歳が歳だ。どう若く見えても10代は間違いない。
ネルフの・・・・よく分からない仕事の関係・・・・これも、違う。もしそうなら、加持さんから紹介があるはずだし、あの時もそう言ったはずだ。まるきり口を利かなかったわけじゃないのだから。

うーん・・・・・・


やっぱり、あの時話してもらわなかったことに関係あるんだろうか・・・。
性格はきつそうだし、意地悪だし、さらには嘘つきだけど、あの子は・・・・・・・・・
曲がった感じがしない。

曲がった感じがしない、というのはどういう感じなのか、聞かれると困るけど、たぶん、信用に値するということかな・・・・こころひらいて真面目に話したとき、多分、ちゃかすような、ごまかすような、・・・・逃げるようなことをしないんじゃないか、と思う。

それも見間違いなのかも知れない、自分が逃げるくせに他人にはそうでないようにと勝手な願望を通して見ているだけなのかもしれない。そして、甘い期待感なのかもしれない。

それを考えると・・・・・・・・・怖い。
正面から見る勇気すらでてこない。口なんか聞いてもらえないかもしれない。


相手が悪い、とか、こっちは悪くない、とか言う以上に、「どう考えてもおかしい」。
それがある。もう気づいてしまった以上、曇天から閃く稲光のように心の内を脅していた。雷鳴のように轟き、響いている。重い闇の塊のような黒雲が湧いてきている。
そこから雷はいくらでも発して、心空を駆け切り刻んでいく。落ち着かないなどいうものではない。少年のやわい心はいいように揺さぶられていた。

黒雲、とはこの場合父親がどういう人間であるかという心証風景なのかもしれない。

「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。」

こう唱えつつも、碇シンジがそうするのはこの胸の苦しさから逃れるためであった。
四方八方より襲いくる「厄介ごと」よりどうすれば完全に逃げおおせるのだろうか。
それを知っているのは神様とルパン三世くらいなものだろうか。


「とにかく、話を聞いてみよう・・・・は」
話なんかしてくれないかもしれないけど。という次の言葉が出かかったが止める。
そちらの方が長いし、景気がつかない。さすがに14年ほど生きれば自分が熱しにくく、さらに、さますほど温度があがらないタマであることは知っている。

自分だって、綾波さんにひどいことをしたじゃないか・・・・。
あれも一種の精神的暴力だ。

こういうことをいちいち思い返して反省に持ち込めるという厄介かつうじうじして杭打ちされる心配だけはないというテンションの低い体質なのであった。
これを冷静と評価できるにはまだまだ経験値が足りない。
ちなみに、マスタークラスは「冷酷」、となる。

碇シンジは真言を唱え終わり、説教もとい説明を求めに出ていった。







ネルフ本部 発令所
「問題は、あの過粒子砲ね」
考えることは誰でも同じだが、そこからどうするか。やはり個人差が出る。
作戦部長葛城ミサトはこの場合、どうするのか。


「接近戦はまずムリです。近づく間に撃ち抜かれるのが関の山」
まさにJAの二の舞と化すのは目に見えている。貴重な教訓を残してくれたと云って良い。「しかし、零号機のアンチATフィールドをもってしても遠距離射撃での敵フィールドを破るのは難しい。・・・・となれば」
視線は、既に射出口にある四号機に向けられる。やはり彼しかいない。

渚カヲル

あの技。ATフィールドを中和する事自体が即攻撃に直結する、あの光面攻撃。
あれなら接近する必要もなく、さらに威力もズバ抜けている。


切り札をいきなり使ってしまおうというのだ。さっさと勝負を決めてしまう。
考えることは誰でも一緒、ということだが、それを実行に移し命ずるとなれば別のことになる。ここから先はコンピューターでは補えない、度胸の領域だ。
赤木博士の方を見やる。反対はなし。正面からの、まるでガンマンのような撃ち合いになるわけだが、他にいい方法があるわけではない。いや、そんな方法がとれることを、または渚カヲルの存在に、感謝するべきなのかも知れない。
作戦顧問の方は向かなかった。特に聞くべきコトはない。


「使徒が過粒子砲を撃ってくるのと、四号機が攻撃するのはどちらが早いかしら」
言ってみれば、抜き手の速度が勝敗を分けることになる。
デッド・オア・アライブ。使徒の過粒子砲を防ごうにも、ATフィールドを使ってしまっているのだからやりようがない。もしくは防御に使用したとしても、過粒子砲を防ぎきれるという保証はない。必須の質問であったろうが、答えは。

「データがないから分からないわ」

頼りにならない赤木博士の返答だが、ここでいい加減なことは言えない。
渚カヲルの命がかかっているのだ。葛城ミサトも分かっているからそれ以上言わず。
JAとの交戦時データはあるが、それから推論程度は出来ても確たる答えはしかねる。
いかにも本気を出してなさそうなあれを思考の基礎に据えると、思わぬ怪我を負いそうだ。

同じ轍は踏めない。


「弐号機の、あの時と比べてどうなの」
今度は専用機だ。それを算段に入れてもいいのかどうか尋ねる。
「問題は使徒より先手をとることでしょ。これは決闘じゃないのよ。真正面から・・・・
正々堂々なんてやる必要ないわ」
赤木博士には珍しく、感情的な声色だった。すぐに本人も気づいた。
「・・・・ATフィールドの発生自体には変わりがないから、時間も弐号機の時とほぼ、同じ。それを計算にはいれないで」
「分かったわ」
くるくると忙しく廻る葛城ミサトの頭。それならばどうするか・・・・・・、と。
考えながらも、モニターの使徒にはガンつけたまま。沈黙思考とは縁がない。


「最終安全装置は解除したまま打ち上げといて。のんびり外してるヒマはないわ」
「それからダミーバルーン二体、初号機と弐号機、用意して。あ、初号機の方には左腕、くっつけといて」
「渚君、そーゆーわけでお願いね。遠慮はいらないから四号機の実力、見せつけてやって」「レイ、あなたはまだ調子戻ってないから囮になってもらうわ。その代わり一切攻撃しなくていいわ。自分の身だけ守っていて」


この調子でやつきばやに指示を飛ばしながら、日向マコトや青葉シゲル、伊吹マヤらの報告を頭に流し込みながら状況を確認している。小気味いいくらいの働きぶりである。

だが。

葛城ミサトの作戦とは、骨子でいえば、というより骨子しかないようなひどく単純なものであった。
要するに、四号機の一撃に全てをまかせるというもので、そこまでは一対一の決闘のように見えるがさにあらず。赤木博士の指摘するように「勝てばいい」のである。
いわゆる虎の穴イズムである。相手に打撃を与えうる、戦力として内実は一対一であるのだが、四対一に見せかけて相手の出鼻をくじく、という使徒に個人的怨念のある葛城ミサトにしか思いつかないやり方だった。

通常の人間ならば、あの空飛ぶ水晶八面体に向かえば、戦闘というより解体、破砕、壊すということに頭の回路がいく。
戦うことを生業とした軍人でも、おそらくこれを戦闘、とは見ず、要塞攻略、というように理解しそのように頭をひねるだろう。
あの数学的なフォルムの、どう考えても擬人化しようのないあれに、厳、として「敵」と認識できるというのは一つの才能なのかもしれない。


具体的には、エヴァ二体とダミー二体を、使徒の四方を囲むように射出。
ダミー二体を時間差をかけて先行させる。その後にモノホンのエヴァ二体を送り出す。
ダミーに過粒子砲を撃ってくれれば御の字だ。過粒子砲は連射がきかない。
その間に四号機が攻撃する・・・・・・という段取りだ。
その最適の時間差はマギが計算した。


向こうの能力は知らないが、こっちにも地の利がある。ネルフ内部に使徒からのスパイでもいない限り、どっからエヴァが湧き出てくるか、使徒も知らないはずだ。
リフトから降りる動作をもたくさしない限り、狙い撃ちされる心配はない。
わずかな時間の差が勝敗を決めるなら、どんなにせこい手だろうが考えられる限り使ってそれを稼ぐ。格好などつけている余裕はないのだ・・・・・・・・・・・・いつも。

「渚君・・・・レイ・・・・・頼んだわよ」


発令所の空気が収束していく。作戦開始点という嵐の前の静けさ。皆皆の緊張が張りつめ、グレーの油絵の具で塗り固められ、指先をわずかに乱しただけでバリッと乾いた音さえしそうな瞬間。ここから先、自分たちの、子供達の、そして人間の命運がかかってくる時間。

ネルフ本部発令所・・・・・ ここでは世界一重たい時が刻まれる。



らんっ
その収束された堅さから勝利を導くために高らかに打ち鳴らされる音。
鼓膜を振るわせるわけでもないのに、それは確かに皆の耳に一陣、響くのだ。

葛城ミサトの瞳の輝く音だった。爛々と。燃えて。

「ダミー射出して!」

「エヴァンゲリオン零号機、並びに四号機、発進!!」

高速で打ち出されて行く偽物と本物。使徒はまんまと騙されてくれるのか。

しかし、第一次葛城作戦は意外な顛末を迎えるのであった。
それを予想し得たのは発令所の中には誰もおらず、冬月副司令でさえ未だ例のセリフを言っていなかった。今回は名前をつける必要はないのだが・・・・。

第五使徒ラミエル・・・・・。








「E計画統合責任者・・・・・って。・・・加持さん」
言葉が震えていた。ふいに幽霊に会ったかのように顔が青ざめている。
加持ソウジはそれについてあるいは答えようとしたのかも知れない。しかし、時間切れ。
「やあ、起きたかい」
またいつもの加持ソウジに戻っていた。片手をあげて呼んだ先には碇シンジがいた。



そこが朝食の席になった。三人分のモーニングセット。
だが手をつけられることはなかった。いいように冷めていくのだがこの場の三人とも、そんなことには構わなかった。

それよりも。

たんたんと整理されていく会話。あるべきところに感情が収められてゆく光景。
それは少年と少女、ふたりのやりとりなのだが、目盛りのない天秤のように聞き役に徹している加持ソウジは面にはださねども、眼を丸くしてその一幕を見守っていた。
劇的な光景ではない。むしろ、少年と少女は表情などは意識的に抑え気味にして、おかしみを感じるほどに冷静であろうとし、情報を交換しあう、という態度を守った。
その、まるで外交官ごっこのような二人の様子は、昨夜の様子を知る第三者の視点には、信じられないほどに劇的な光景だった。
なぜなら、二人ともぎこちないのは、本心からこれをやっているからだ。
14の、本心から。
自ら辿ってきた道とはいえ、現在それを見せられると、なにか奇跡の光景のような気もするのだ。
やはり驚いたのは、口を開いたのが碇シンジ君の方からだった、ということだ。


「聞きたいことがあるんだけど、いいかな」


さして大きい声ではなかったが、はっきりかみしめるようにそう言った。
発音を確かめているような不格好だったが、碇シンジは惣流アスカにそう言った。


「何よ・・・」
大きくなく激しくなく、惣流アスカはそう返事をした。否定では、なかった。
これもまた加持ソウジには驚きであった。おそらくアスカは無視するだろうとみていた。

ぼろぼろに疲れ果ててまだ、誰かのために体が動くというのであれば・・・・。

「惣流アスカさん、君が僕と一緒に来た理由をおしえてよ」

とぼけることもごまかすことも出来なかった。それをするには時間遅れ。

話、きいてしまったから。

碇シンジの母親の話を。



喫茶室には他に客はいない。
時間はニュースも始まらないほど。水気のある空気が朝の気配を満たしていた。
閑散として音だけがある。


その一つのテーブルだけに人がいて、たいそうかなしい話をはじめる。
大人が一人に少年少女がひとりづつ。


惣流アスカは話し始めた。自分が何故、ここにいるのかを。

その理由を、知らない、ということを。

「わたし、エヴァ弐号機のパイロットだったの」

なにかが砕けるかわりのような、軽やかな声だった。
それから、とつとつと静かに語っていった。

使徒ではなく、ロボットに負けたこと
エヴァを動かせなくなったこと
自分が育った特殊な機関から召還がかかったこと
ドイツにとっくに帰っているべきところを葛城ミサトに留めおかれたこと

「葛城さんが・・・・」
話の続きを邪魔せぬような口の中での呟き

この同行はその葛城ミサトの命令であること
その目的は、エヴァ初号機を動かせるサード・チルドレン碇シンジへの知識の伝達

とはいえ・・・殆どパイロットとしての自覚のないサード・チルドレンに何を伝えていいのか・・・・エヴァから離れることへのせめてもの挨拶になるのか・・・・そんなことになんの意味があるのか・・・・・母親に会いに行くというただの子供になにを・・・・・

「分からないのよ・・・」

自分がどこにいるのかさえ。

まさかアスカが自分からエヴァに乗れなくなったことを告白するとは思いもよらなかった加持ソウジ。胸の内で苦く呟く。
葛城・・・・もしかして取り返しのつかないほど惨いことをこの子にやったのかもしれんぞ・・・。

先に聞いた、砕けたなにかとは、最後のプライドだったのかもしれない。


加持ソウジはここまで来て、碇シンジの返答が恐ろしくなった。
一応、アスカは分かるところを包み隠さず話したわけだが、碇シンジにはそれを本当に理解する知識に欠けている。今、惣流アスカがどんな気持ちでそれを語ったかなど、予想だに出来まい。あまりに育った環境も性格も立場も違いすぎる。
会ってはいけない者同士を会わせてしまったのではないだろうか。


疲れ果てて弱り切っている今の惣流アスカの心は、無邪気な、気のない一言でも音をたてて崩れかねない。恐ろしく微妙なバランスをかろうじて保っている。
立っているのがやっとの状態。でこぴん一発でもよろけて腰を折りかねない。
柔らかい春風でさえ、疲れた人間にはうざい。だが、聞いておいて黙っておくわけにもいくまい。・・・・・なにかとんでもないことを言い出すんじゃないだろうか。
少年には前科がありまくる。


「ありがとう」
硬い表情で少年は礼を言った。
「いやなことまで話してくれて。それに・・・・・ずっと気にかけてくれてたんだね。
・・・・やさしいね」


!!・・・・・内心でムンクの叫び状態になる加持ソウジ。
今の一言はまさに春風。こんなときでなければ、相手が惣流アスカでなければ、言うことのない言葉だが、今回のケースにおいてはまさに最悪の言葉だった。
胸に秘めておいた状態と、口に出した状態とではまるで違う言葉、というのは確かにある。酸化してしまうのかどうか知らないが、相手の耳に届く前に意味が変質してしまう。

ピクッ。
惣流アスカの首筋が一瞬、震える。そこにはまだ、あの「感触」が残っている。
体の内で、なにか眠っていたものが頭をもたげようとした・・・・。
あの激しいミシルシで、思えばそれは封印されていたのかもしれない。



「今度は・・・・僕の番だね」
惣流アスカの内心など、当然気づいていない碇シンジは座り直した。
もちろん、意識したものではないだろうが、それで気合いがそれた。
碇シンジは話を始めた・・・・。







第三新東京市の落日。
今日は連立するビル群の黒い影が夕闇の墓場を思わせる。
それを守る巨人の墓守・・・・・・四体のエヴァンゲリオンが立ちつくす。
四方取り囲んだ中央の八面体は古の聖なる王の墳墓か・・・・・。


しーんと静まり返った都市は、その鼓動を停止させ死体のように横たわっている。
世界はしらけきっていた。ここは死者の都市になったのか。
ビルには明かりもつかず、乗り手を失った車は放置されたまま、道路の血脈は絶えて久しい。この都市は現在、生者にあらぬものに支配されていた。

ずいぶん長いような気もする。





ジオフロント ネルフ本部発令所
ここでもやはり砂の匂いのする沈黙に支配されていた。
機器類の発する音だけがかろうじてそれに抵抗してはいたが、空しかった。



「・・・・・・・」
作戦部長葛城ミサトも黙っていた。赤木博士も黙っていた。オペレータたちも黙っていた。司令副司令は言うに及ばず、作戦顧問は目玉をギロギロ光らせていた。

時計は現在、七の時を示している。


夏とはいえ、さすがに日も暮れる。そして作戦行動は現在も継続中。第一種戦闘態勢も解かれていない。

沈黙のままに。


エヴァ四体、本物二体、ダミー二体とも無傷のまま。ただし、使徒も損傷無し。

そして、交戦はしていない。使徒に対して攻撃を加えない代わりに使徒からの攻撃も無し。

事情を知らない第三者から見れば、まさに「やる気あんのか」状態だが発令所の者たちは至って真剣だ。時間の方が耐えきれず、砂に化しているが、人間の方は張りつめている。当事者達は知っている。
これが「睨み合い」などという生ぬるいレベルではなく、実力伯仲、一撃必殺の力をもつ存在同士が相対すれば、当然の帰結なのであるということを。
互いに急所を一撃で切り裂くべく、隙をうかがっている。
わずかでも気を抜けば、負ける。そしてそれは、死に直結していた。
だが、こんな長時間、よく常人の耐え抜けるものではない。

四号機、フィフス・チルドレン、渚カヲル。

その操縦席には、想像を絶する重圧がかかっているはずだが、少年は地表に出てから瞬き一つせず、使徒をみすえ続けていた。
ここまでくると、ひとつの宗教画のように見えてくる。

空間を支配するかのように鎮座する使徒

月のように口裂け笑っている四号機

それが世界の七時間を支えていた。

そのシュールに描かれた世界に、四号機の額のボコリと義眼が浮き上がっていた。
そこだけは偽物だったから。



渚君・・・・・
言葉をかけることもならない完結された相関図。
それを見上げながら頭の中でこちこち時が刻まれてゆく赤木博士。
しかしその赤木時計は円環をなしていなかった。停止点にむかって下りゆく時針。
赤木リツコは知っている。
その異風の芸術家の設計図のような光景がなにによって支えられているのかを。
渚カヲル本人から口止めされた事実。

エヴァ四号機は・・・・。



うーん・・・・・
赤木博士とは別の次元で言葉に出さず、内心でうめく葛城作戦部長。
こんな展開になるとは思いもよらなかった。膠着持久戦。
ほんとに使徒の戦闘思考パターンというやつは分からない。
そして、それ以上にフィフス・チルドレン、渚カヲルのことも。


当初の予定は電光石火の時間差攻撃で早々にカタをつけるつもりでいた。
大体、エヴァンゲリオンというやつは長期戦には向いていない。
電源コードのアンビリカル・ケーブルのこともあるし、何より体力的に弱い子供が乗っているのだ。しかも人類の命運を賭けた、という想像を絶する重圧がその細い肩にかかっている。LCLの中に長時間浸かっているというのも決して気分のいいものでもなかろう。
あんなわけのわからん、使徒などと向き合っていては・・・・。
それが四体のエヴァの巨体が地表に現れいでても、使徒は攻撃をしかけてこない。
四号機も攻撃を仕掛けない。

過粒子砲とのコンマ0秒を争う、飛び道具の撃ち合いになるかと見ていたが実際のそれは・・・・・居合い抜きの名人同士の果たし合いに近いものがあった。

渚カヲルと四号機が攻撃を仕掛けなかったのは、命令を無視するためでも臆したわけでもこの期におよんで起動をしくじったわけでもATフィールドの収束に遅れを生じたわけでもない。
それは見ていれば分かる。モニターからであろうが、寒いほどの殺気が発令所に吹き込み凍てつかせていた。白銀の四号機が世界の果てで氷壁に封じられる冷凍魔人に見えてくる。

「コアが・・・・見えない」


渚カヲルの一言。
それが鯉口を切ったまま、赤い光が鞘走らない理由であった。

コアをやらなければ使徒は倒れない。それを外せば貫かれる。おそらくはリフトごと。

その呟きを聞いて赤木博士は唇を噛んだ。
せんでもいい苦難を子供らに強いている者たちを呪った。胸の内で朱に染まる。
第三眼さえあれば、こんなことにはならなかった。


葛城ミサトもそれを聞いて呻いた。考えが甘かったのか。・・・・生き物のように正中線に急所がある保証はどこにもない。こうなると今まで弱点まるだし、さらけだしてきた連中が可愛く思えてくるほどだ。
一旦、引かせるべきか・・・・・判断に迷うが、すでに相手のレンジに完全に入り込んでいる。地下に引き込まれる隙を狙われた日にはよけようがない。いい的だ。
しかも、顔をつき合わせた以上、向こうも強敵の四号機を狙ってくるだろう。
数学的判断に従ってそうしてきそうな予感がある。

綾波レイが一度だけ、指示変更の確認を求めてきた。
継続。変更はなし。
「はい」
こちらも病み上がりの相当な負担だろうが、冷静なままに。
恵まれてるわね・・・・・慰めかもしれないがそう思う葛城ミサト。

しかし万能にはほど遠い、人間である以上、こんな状況にはまり込んで、ダミーとは言えエヴァ初号機、弐号機に目がいくのは仕方のないことだろう。
この二体が起動するなら・・・・・一瞬だけだがそれを考えてしまった。


そのまま時間だけがさらさらと砂時計のように流れていった。
持ち時間を浪費してしまったような恐怖と疲労が発令所にたまっていく。

いつしか誰も口をきかなくなった。

変化無しの状況にオペレータも。新たな手を考え出そうと焦りはする作戦部長も。
なんとか科学的なサポート手段を高速検索している赤木博士も。

そのまま誰も口をきかなくなった。

そして都市は夕闇の中、停止し続けている。







「僕の母さんは、僕が7歳の時にいなくなったんだ」
碇シンジは惣流アスカに話し始めた。これまで誰にもしたことのない、自分の話を。


「初めてあの街・・・・第三新東京市に来た、その次の日、母さんはいなくなった。
なにか仕事がある、と言われて待っていた白い建物・・・・病院だったのかよく覚えていないけど、そこでずいぶん長い間、待ってたんだ。日が暮れても夜になっても母さんは迎えに来てはくれなかった。どうでもいいけど、父さんも。
多分、そのままソファかなにかに寝てしまったんだと思う。
目が覚めたら朝になっていた。母さんの姿はなく、父さんが立っていた」


「母さんのことを聞いても何も答えてくれなかった。なにかよくないことが起こったのがなんとなく分かった。周りもどことなく慌ただしかった。
泣いても喚いてもつかみかかっても、父さんは母さんのことを教えてはくれなかった。
無言ではね除けられたんだ。壁に、思い切りぶつかった。
父さんはそのまま出ていった。・・・・・・・・それから、知らないおばさんがやってきて車に乗るように言われた・・・・なんでこうなったのか、さっぱり分からなかった。
足を滑らせて、落とし穴にはまりこんだような気がしてた。
なんで自分がここにいるのか・・・・・捨て・・・いや預けられたというのが分かったのはそれから一週間くらいたってから。母さんも父さんも迎えに来てはくれない・・・・・便りも、電話の一つもなかった・・・自分が忘れられたことに気づいたんだ」




なによ・・・それ・・・・
惣流アスカはあっけにとられるより、寒くなってきた。死者の気配があった。
療養中って言ってたけど・・・・・ほんとは・・・・・


「母さんは生きてる」
内心を言い当てられたようで、ドキッとする惣流アスカ。
しかし、特にその意味はないようだ。碇シンジはうつむいている。

「あの朝・・・・父さんは泣いてなかった」


その一点においてのみ、少年は父親を信じているらしい。
しかし。それは純真だが、ものを知らなすぎる子供の見立て。
悲しいとき、必ず涙が流れるとは限らない。悲しみが過ぎれば、心が麻痺してしまえば、感情のうねりさえ死んでしまえば、涙は、流れない。
また、愛情が強すぎて、事実を頑として認めない、という心の働きも人間にはある。
まるで、愚者のように。
その心は当然、少年にもあるのだ。

「だから僕は・・・・あの都市へいったんだ」


そこで待っていたのは、人造人間エヴァンゲリオン初号機。
それに乗り、使徒という謎の怪獣と戦え、という父親の言葉。
条件が理不尽であればあるほど、父親が信用できた。
何があったのか知らないが、ただで会わせるような人間ではないことは思い知っている。

「そして僕は・・・・エヴァンゲリオンに乗ったんだ」
もしや、この言葉は惣流アスカには痛かったかもしれない。
だが、次の言葉で一気に突き落とされる。奈落の底に。


「でも。負けたみたいだけどね」

さらら、と、ひどく当然のように言うせりふ。
「見たことも聞いたこともないのに、あんな強そうな怪獣に勝てるわけがないんだ。
時間稼ぎには成功したみたいだけど・・・・・零号機とか言ったかな・・・・綾波さんがやっつけてくれたから・・・・怪我を負ったみたいだった・・・・」
なぜかだんだんと声が弱くなっていく。だが、加持ソウジはともかく、惣流アスカには、そちらへんはどうでもよかった。肝心なのは、頭部分。

まけた


なんでアンタがそんなこというわけ・・・・・・。
奈落の底で尻餅ついたように愕然とする惣流アスカ。





嘘をついているわけではない。嘘つく理由がどこにもない。
大体、エヴァには乗れなくて当然、勝てなくて当たり前だのクラッカーというのが碇シンジの立脚点なのだ。


・・・・それはいい。ある意味、コイツは特別なのだろう。でも、なんで?
なんでコイツは自分が負けたと思ってるワケ?あんな戦いともいえない一方的勝利を収めといたくせに・・・・どう考えても勝利でしょ、アレは・・・・。
でも、嘘はついていない・・・・・どういうこと?なにかが抜け落ちている・・・。


「とにかく僕は約束を果たしたんだ。少し、時間がかかったけど・・・・母さんにも都合があるんだろうし・・・こんなところにいるなんて知らなかったし・・・・、とにかく
会えるんだ。話が・・・・なんであの時急にいなくなったのか、理由が話してもらえる」



痛々しいな・・・・
惣流アスカが考えている裏の事情などに通じている加持ソウジには、碇シンジの話す、少年の気持ちを見て取っていた。その冷凍保存された幼さに、改めて碇シンジの方の不安定さを思い知る。・・・・・アスカも大変だが碇シンジ君も大変だ。

いなくなった、と少年は言う。


「会えなくなった」でも「会わなくなった」でもない。・・・・「いなくなった」と。

いて当たり前なのだ、と少年は思っている。14の今でも。だからそのように言う。
あまりに唐突に引き離され、自分でその落差を埋めることも叶わなかったのだろう。
なにか適当な理由を造りだすことが出来なかった。
結局、その当時のままの姿で母親を乞う気持ちがある。マザコンだと笑うのは簡単だが、碇シンジはそれがゆえにエヴァンゲリオンに乗り、動かし、使徒を追い払った。

ひどく不安定な救世主、なわけだ。


最強の福音を預かりながら。





「だから・・・・あの時、意味がない、なんて言ったんだけど・・・邪険に聞こえたかもしれない・・・そのことは、あやまるよ。ごめん」
実際、邪魔に思い、邪険にしたのだがこれが言葉の綾というものだ。
ぺこり、と頭をさげる碇シンジ。


「アンタが謝る必要なんて・・・・ないわよ」
かといって自分から謝ることもしない惣流アスカであった。
その上、そっぽむいて呟いたその言葉は不幸なことに碇シンジの耳には届いていない。

「そういうわけで・・・・別行動になるんだ」

せっかく火口を別に向けておさまりかけたところに、性懲りもなく油を注ぐようなことを言い出す碇シンジ。

惣流アスカ、再燃す。

だが、その炎の色は今までとはひと味、違っていた。

「イヤよ」

「へ?」

「こんなド田舎の山の中にアタシ一人で待機してろって言うの?じょーだんじゃないわよ」

思わぬ反応に奇音を発したまま二の句がつげない碇シンジ。
なんなんだ!この女の子は!こっちがこれだけ話したのにまだ分かってくれないのか。
・・・・とはいえ。
なんにせよ、自分のことでついて来てくれたのだ。確かにここには遊ぶところもないし。
時間の潰しようがないだろう。おまけに母さんとは長い話しになりそうだし。

わがままだなあ・・・。
と思いながらも、あんなきつい道のりを一緒に来てくれたのだ。見上げた根性だ。
しかし、道が潰れているとか言ってたからタクシーじゃ行ってくれないだろうしなあ。
ネルフの秘密にでもなってるんだろうしなあ。結局、この子は父さんの命令で来ていたわけでもなかった・・・・。

はて・・・・父さんの命令でないのに一緒に行ってもいいんだろうか・・・・・。
父さんの・・・・・。

「なっ、何よ・・・・・。邪魔だから来るなっていうわけ・・・・その目は」

「いいよ。加持さん、いいですか」

「えっ」
加持ソウジと惣流アスカが綺麗にはもった。






夜闇に塗り込められた第三新東京市。

均衡が崩れるときがやってきた。さながら砂時計の砂が流れきったかのように。


「使徒内部にエネルギー反応!!」
「円周部を加速、収束していきます!」
オペレータ青葉シゲルが戦機の展開を告げた。誰しも過粒子砲のことを思った。
「渚君!構わないからやりなさい!!レイは防御!」
事、ここに至ってはやるしかない。四分の一の確率だが、葛城ミサトは渚カヲルに防御を命じなかった。裂帛の気合いと共に指示が飛ぶ。


四号機の白い腕が振り下ろされる。赤い死二神の鎌の如く。


発令所の誰しも、これで終わってくれ、と願った一撃。


しかし・・・・・・


スパッ、聞いただけで切り裂かれそうな音。


を、「残して」


使徒ラミエルは確かに、縦方向に真っ二つにされた。



だが。すぐさまくっついて、元に戻った。あらかじめ、予定されていたように。




「なんじゃそりゃあ!!」
インチキなどというレベルではない。その鮮やかさはここまで来ると魔術に近い。
恥も外聞もなく叫ぶ葛城ミサト作戦部長だが、それは頭に叩きつけられるように現れた四文字を力づくの気合いで引き剥がし、追い出すためだった。

絶対敗北、の四文字を。



まだ戦闘は続いている。
それを一番よく知っている四号機パイロット、渚カヲルがようやく口を開いた。

「コアが・・・見えました」


それは多少なりとも、好材料になるだろう。なんといっても敵の弱点なのだから。
まだまだ負けではない。これからこれから。

だが、渚カヲルの真実の言葉はそんな空元気すら砕いてしまう。


「見えないと云うよりは・・・・・正確な位置が掴めなかったのですが・・・・」
今はそんな、らしくない言い訳より攻め立てる時だ、と葛城ミサトの作戦頭脳は言うのだが、カンピューターが渚カヲルが今、こんなことを言い出す裏を感じ取っていた。
今、無闇に攻めても無駄だ、と告げている。レイにも攻撃開始を命じずにいる。

「どういうこと?」
赤木博士が代わりに問うた。少年のいいようがおかしい。どんな事実であろうとさらり、と風のように語るのに。戦闘中でもそれは変わりがない。

「あの使徒には・・・・・・五つ、コアがあるんです」



ベキッと吹雪の中の樹木が破裂するような音をたてる発令所の空気が裂けた。
皆の顔色から血の気が引いた。今度こそ完全に押し潰しにかかる不吉の四文字。


「碇・・・・」
「ありえんことではない・・・・が」

誰しもこの事実を押し返す材料を持っていなかった。
が、それでも人は戦わねばならない。


「渚君、レイ、一旦退いて」
「ミサト?」
葛城作戦部長の唐突な退却命令に、赤木博士が異議を唱えるような顔をする。
「根本的に作戦、考え直す必要があるわ」
「・・・そう」
要するに、真っ正面からやり合おうものなら絶対に負ける、ということだ。
玉砕しても、負ける、ならばこれ以上立たせておくのは体力の無駄。次に障る。




退却戦というのは、難しい。さらに今回は、
なにせ飛び道具構えた相手の懐から逃げようというのだから。

「全方位よりミサイル攻撃。弾幕を張ります」
その隙に下げてしまおうというのだが、それほど甘い相手かどうか・・・。
しかし何もしないよりはましだろう。何によって相手を視認しているのかは分からないが。まるでタコね・・・・・。
強すぎる相手にはせめて気分を圧せられぬようにしなければならない。
縮こまるのは誰にだって出来るのだ。

「使徒、上方頂点にエネルギーを集中し始めました!」
まだ何か仕掛けてくるか!しかも過粒子砲以外にも何かあるのか!

「全速降下!ミサイル発射して!」

完全に逃亡状態だが、死ぬよりはましである。
しかし、使徒の行動はそれをあざ笑うかのように、攻撃ではなかったのだ。

ボーン。


エネルギーが集中した部分、上部先端の四角錐が、分離して上空に打ち上げられた。
どこか、落下傘花火を連想する速度だった。ただ、それと違うのは打ち上げられたまま、落ちて来なかったということだ。第三新東京市の上空にて停止。


夜空に浮かぶ、水晶の四角錐。



どこか童話めいた光景だが、葛城ミサトのカンは全力でそれの不吉を叫んでいた。
単に上をとられた、本能的な圧迫感だけでない、もっと悪い予感だ。
絶対勝利をモノにするための油断無い布石を打たれたような・・・・・。
喉元がキリキリ迫り上がる。あれをそのままにしておいては、負ける!

「上空のあれを撃ち落として!」

何発かのミサイルが飛ぶのだが、効きはしない。あれにもATフィールドがある。


「ぼくをあげて下さい・・・・悪い予感がします」
切羽詰められたような渚カヲルの声。少年も感じている。かつてなく声が、苦しい。
「わたしも・・・いきます」
渚カヲルと綾波レイが再び、戦場に立つ。だが・・・それは使徒の思うツボだったのだ。



再び、四方を取り囲む四体のエヴァンゲリオン。

ガシーーイインン・・・とリフトが響く音が消えるより速く!

四方にむけて光が貫いた!


四方同時の過粒子砲。どういうわけだか、エネルギーの収束反応もなく一瞬のことだった。夜闇を走る四つの閃光。それは高見から見下ろせば見事な光の十字を形作っていたのだがそれに貫かれた巨人達。その内部、延髄筒では・・・・・。


「・・・・・・・・・・・・・・・かっ・・・・・・・・ふ・・・・・・・・・!!!!」

「はうっ・・・・・・・・・・・・ああ・あああうっ・・・・・・・・・・・・・・!!」


悲鳴さえ狂った熱のあぶくと消える、釜茹で地獄が現出していた。




かちかちカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ・・・
ここにきて時間は高温で熱されたように凄まじい勢いで蒸発を始めた。

「レイッッ!渚君っ!!・・・・・・すぐに下げてっ!」
すぐさま地下にひきこまれるエヴァ二体。四号機と二号機。

偽物ダミーは過粒子砲に耐えられるはずもなく、一瞬で溶解消滅。

だが、初号機の左腕はどうなったのか。


勢いで弾け飛んだらしい腕本体は斜め後ろのビルに余熱のためか張りつけにされていた。

完全に狙われていた。手のひらを貫かれた。かろうじて指がくっついている状態。
ぶらーん・・・・ぶらーーーん・・・・


ボトっ・・・・・・・・・ ぼとっ・・・・・・・・・・・・ ボタッ


指が三本、落ちた。熟しすぎた柿の実よりもなさけなく。




それをつつむように、天の錐から青い、水晶で出来たようなヴェールが降りてきた・・。さながら、罪人敗者への情けのように。やがて、第三新東京市すべてを覆った。