男は壁の前に立っていた。
 
鉛色の海を見下す強い風の吹く岬。黒い灰と化して滅んだ城。それ一枚のみ残った溶け灼けた壁だけがかつての偉容を伝えている。
そして、惨状を。
 
全て残さず焼き尽くされた。
 
ここには甦る再生の力はもはや働くことはない。悪魔も化け物も棲みつかぬ忌み地。
世界から切り離されたように。動くことはない。時が、壊れていた。
行方も知らず、どにょりと沈殿して訃沼のようになっていた。
残された長の壁は屹立する時計塔。影すらもここでは狂い役目を忘れていた。
 
ここにはなにもない。
 
かつて、ここには始まるための全てがあったというのに。
かつて、ここは世界再生のための祭壇だったのだ。
そのために集められた子供たち。
 
「マルドゥック機関が選出した66人のチルドレン・・・・」
 
男・・・長髪を後ろで束ね、無精ひげだが黒眼鏡から覗く目が恐ろしく鋭い。
 
「一夜にして消えた・・・・」
呟き程度の声だが、風に囚われることはない。猛禽の爪が捉えようとしていた。
 
焦土に埋もれたはずの「真実」を
 
「ネルフ総司令碇ゲンドウ、副司令冬月コウゾウの関与は認められず」
 
「・・・現時点では」
 
灼け溶けた壁の中央に、彫られていた紋章。半溶している。ヤハウェの七眼。
嘆いているようにも見えた。
 
男はそこを辞した。
 
血に染まる夕日。朱命が海に流れゆく。波音が終わりのない呻きに聞こえる。
人影が歩む。
花束を持った子供が一人・・・・赤と黒に浮き上がるその顔は少女のもの。しかし、装姿は・・・・少年のもの。美少年という溶け合った中性的なものではなく、はっきりと境界がついた・・・まるで魔術師が顔をすげ替えてしまったかのような、魔力を秘めた人形を連想させた。
美しい、という者もいれば、ひどくグロテスクに感じる者もいただろう。
 
その眼を見ればすぐにそのような容姿などに囚われていられなかっただろうが・・・。
 
闇の中の機械眼。人間に隷属することをやめた機械ならばこんな眼をするのかもしれない。
 
壁の前に立った。
さぁ・・・・・・・しなやかな指先が花束を舞うように放った。
 
ニ・イ・・・子供の目が視線を歪ませた。花束が、裂かれ、四散した。
 
散り咲く花のひとつひとつが夕日に灼かれた。おそらくは、悶えた。
 
「訣別」
 
言葉一つ残して子供は去った。それだけは壁に刻まれ朱に染まることはなかった。
 
 
 
 
 
 
 
       七ツ目玉 エヴァンゲリオン
 
 
       第十一話「大切の、言葉はいまも・・・」
 
 
 
使徒来襲によりギタギタにされた第三新東京市。しかし、それも撃退殲滅されたことで、早くも復興し始めている。特撮映画には及ばないが、人間の生命力というのはもの凄い。また壊されないという保証はどこにもないものの、日々を生きるため、暮らしていくために壊れた都市を癒やしていく。都市(まち)は生き物、とは言うがそれは詩人のうそ。
人がなおしてやらねば元には戻らない。・・面倒くさいがしょうがない。
 
壊れたものを直すなど、たいていの人間にとって億劫な作業である。
もしかしたら、とても・・・。
 
そうではあるのだが、住民たちの顔はそれほど暗くはない。
暗くしても仕方がない、ということもあるし、慣れているということもあった。
 
ここは第三新東京市なのだ。
 
対使徒用、ネルフの武装迎撃要塞都市、という顔をもった都市。
言ってみれば、世界という家の鬼瓦だ。
そういう意味で、この都市の住民は大人でも子供でも大なり小なりの「鬼」を背負って生きている。都市が崩れれば老人も赤子も見境無しに死ぬ。
その覚悟が・・・人ひとりの心のうちにひっそりとある。
 
キリスト教の世界ならばまた別のものを背負うことだろうが。
 
そんな覚悟・・・・それは無意識のものだ・・・があっても先の使徒との攻防は恐ろしかった。電気がほとんどなく、シェルター内も電池の明かりしかない薄暗さが恐怖に拍車をかける。響いてくる不気味な蠕動振動音。鳴動する地上。涼やかだが不思議な声。
そして一日で済まない長期戦であること・・・・などなどパニックが起きてもそれこそ不思議でない状況。それに耐えてきたが・・・・恐ろしかった。
 
死の恐怖
 
大人も子供も男も女も老人も赤子も皆。分け隔てない平等の恐怖。
それに対して立ち向かう術もなく。ただ待っているしかない。
シェルター解放のアナウンスを。
 
避難自体は今までも数回あったことだが、人間、命がかかっていると異様にカンが研ぎ澄まされ働く。
「今の状況がどうなのか」というのが空気を通じて肌で分かる・・・それが今回はどうもやばそうだ、と知らせていた。あまり鋭い表現で受け取らないのが恐怖予防法。
しかも空気の質がどんどん重く濁ってきていた。アナウンスは沈黙したまま。
 
しかし、何事にも限界というものはある。いくら他の都市にくらべて肝が座っている第三新東京市民でも溜めておく心の瓶に溢れ出す瞬間が来る。
住民地域リーダーは気が気ではなかっただろう。葛城ミサトほどではないにしても胃が痛くなっただろう。
 
限界が近くなったとき・・・・
 
ぱっ
 
ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ・・・・・・・・・・
 
明かりがついた。尋常でない速度で明光が駆け抜けた。
終わった、にしてはあまりに唐突な明かりの再生。アナウンスはなかった。
誰も避難が終了した、と認識しなかった。普通の生活に引き戻してくれる合図であるべき電気の明かりが市民を黙らせる不思議の光景。燻っていた不満の声さえ一気にかき消された。明るすぎるがらんどうの空気。空白に沈黙がおりる。赤子の声さえなかった。
 
まるで光の凍結。
それは長かったのか短かったのか。麻痺したように時間感覚が無くなっていた。
やがて。
 
アナウンスが光の凍結を解いた。
それでとろけるように皆、安心した。ようやく、終わった。予想された騒ぎはなく、安らかに息をはいたのみで、皆、静かに家に帰っていった。
どこか、ミサから戻る敬虔な信者の一列のようだった。
その中に鈴原トウジや相田ケンスケ、洞木ヒカリなどがいた。
 
学校が再開されたのは三日後のことだった。
そして、それから一週間経った・・・・・。
いわゆる十日後。
 
第三中学校2年A組
 
「おい、今日、転校生が来るんだってよ」
 
クラスに一人はこの手の話題をすぐに集めて皆にばらまくのを何より楽しみにしている子がいるものだ。2年A組も例外ではない。子供の数は少ないがこういう存在は絶えることはない。手書きの紙吹雪のように元気よくしかし乱雑に広がっていく情報。
受けとり方は様々で、黄金パターンの「男か女か」論争や「美人かいい男か」幻想、または「どの部に入るか、転入生は強力助っ人」願望、などなど騒がしく。
または我関せず、と言う顔をして実は興味あったり、ほんとになかったり。
ふん、つん、おれも知ってたわたしも知ってた、という変な意地をはってみたり。
中には・・・・
 
「ようやく来るの、アイツ」
ほんとに知っている顔をした女の子もいた。
 
惣流・アスカ・ラングレー。エヴァンゲリオン弐号機専属操縦者。
 
「ふ・・・・・・」
微笑んでいる少年。
渚カヲル。エヴァンゲリオン四号機専属操縦者。
 
「・・・・・・・」
”ルバイヤート”を読んでいる、ほんとに興味のなさそうな少女。
綾波レイ。エヴァンゲリオン零号機専属操縦者。わずかに瞳をあげた。
 
「なに、アスカ、知っているの?転校生がどんな子か」
洞木ヒカリ。エヴァ・・ることはないがちょっと厳しい学級委員長。
 
「渚、なにいきなりわらっとんのや。気味のわるいやっちゃな」
「トウジ、鈍いな。このご時世でしかもあの十日後くらいで第三新東京市へ転校してきてなおかつ、渚が謎めいて笑ったってことはだな・・・」
鈴原トウジと相田ケンスケ。
「どういうことや」
「ああー、鈍い、鈍い、鈍すぎるよ。トウジ君。エヴァの・・・」
「おお」
惣流アスカが復帰してきて近く、それを思い至らない生徒はまずいなかった。
鈴原トウジは希有な例と言える。もしかしたら感情に火がつかないよう、とぼけてみせたのかもしれない。
渚カヲルが近くにいる。
 
「それで、どんな奴なんだ。初号機のパイロットってさ」
「渚がこんなんやからなあ。細おないと操縦席にはまらんのとちゃうか」
 
「碇シンジ。エヴァ初号機のパイロット。まー、同い歳だけど後輩みたいなものね」
惣流アスカはそう答えながら考える。それとも、モーツァルトに対するサリエリか。
「そうなんだ」
結局、洞木ヒカリだけがそばにいる。と、いうか洞木ヒカリだけがそこに踏みいることが
出来た、ということだが。階段を昇る気になったのは委員長ただヒカリ。
いつぞやのように呼びに来ているのかもしれない。樹に登ったまま下りられなくて夕方になった妹をむかえにきた姉のように。または姉を呼ぶのも妹だけ・・・。
 
「だけど、すごくガキっぽい。小学生レベルね。ものの考え方も感性も・・・」
「そ、そうなんだ」
惣流アスカは自分が今、恐ろしいことを語ったことに気づいていない。
言葉に混じった真剣の欠片がやわらかな常識にこまかな傷をつける。
「そろそろ先生がくるわ。仲良くできれば・・いいね」
「うーん」
返事とも頭をひねるとも、どっちともとれる「うーん」であった。
 
話は五日前に遡る。
使徒、殲滅。ヤシマ作戦終了後・・・・・。
さすがに2,3日は誰しも身動きできなかった。まともに戦える、という意味では。
ここに使徒が来襲していたらおそらく第三新東京市は内側から崩壊しただろう。
たとえ、エヴァ初号機が倒した、としても・・・。
 
葛城ミサトもこの時ほど作戦顧問の存在に感謝したことはない。それを招いてくれた上司にも・・・・貴重な瞬間であろう。おかげさまで撤退作業の指揮がだいぶ楽になった。
「現役時代は”逃げの野散須”と呼ばれたものよ」とは作戦顧問本人の弁。
 
皆、ぐうぐうぐうと眠りたかった。
五日ほど経ち、ようやく葛城ミサトや赤木博士など要職にある者も、仮眠室とはいえ、ぐう程度には眠れるようになった。容色にはピンチな生活だった。
それでもこうして生きていられるのだから贅沢はいえない。
 
作戦の看板役者、肝心要のチルドレンは一人除いて全員入院しているのだ。
生命に別状はないのだが・・・・一人除かれた者は当然元気だが・・・。
眠りっぱなしの渚カヲル。検査づけの綾波レイ。硬直の残る惣流アスカ。
綾波レイの見舞いにいった碇シンジ・・・・・は何かと理由をつけて病院に止めてあった。今度は院内と庭園内ならば自由に歩き回れるようになっていた。
筋肉痛みたいで体が痛い、というので鍼と按摩などを中学生の分際でしてもらっていた。
その程度で済むわけがないのに・・・と首をかしげるのは初号機を調べた赤木博士。
まあ、詳しく調べるのは「後」にしましょう・・・と他の急務にかかりきりになっていた。
碇シンジや惣流アスカ、もちろん渚カヲルや綾波レイに会いにいきたい葛城ミサトもその立場上、仕事場を離れるわけにも行かず、結局、「顔見せ」が行われたのはあれから五日後のことだった。渚カヲルと惣流アスカも回復し、ようやくチルドレン全員が揃うとき。
 
病院の食堂を貸し切り、顔見せ晩餐会が行われた。
場所柄から言っても当然そんな豪勢なものではないが、うるさい碇司令は不在。冬月副司令が留守を預かっている。子供たちも起きてきたし・・・。
「うまいビールが飲めるってモンだわ」
と、葛城ミサトが考えたのもそう不自然なことではない。
もちろん、これは仕事の一部だ。チルドレンたちの親睦と理解を深め、これからのチームワークを醸造していくための必要不可欠な会合だ。こういうことは早い方がいい。
いつまた使徒が襲ってくるか分かったもんじゃない。
それまでによりよいチームワークが出来上がっているのとそうでないのとでは、被害や勝敗に雲泥の差が出る。出ると言ったら出るのだ。
・・・・・今回のような勝ち方はしたくない。と、能書きはよい。
ホッケとウズラ串とじゃがべー、お品書きくらいで丁度いい。
 
とにかく、そういうわけで病院でビールを飲んでもよいのだ。
 
昔は消毒は焼酎でしていたくらいだ。ちなみに搬入作業は日向マコト二尉と青葉シゲル二尉。責任者は葛城ミサト。会費は大人一人6000円。子供は300円。
 
参加者はチルドレン、綾波レイ、惣流アスカ、碇シンジ、渚カヲル、作戦部葛城ミサト、日向マコト、技術部赤木リツコ、伊吹マヤ、冬月部青葉シゲル、である。
 
発案実行者は当然、葛城ミサトだ。しかし、気が乗らない者も多かった。
というより発案者以外は全てそうだった。子供らのほうはともかくとして、大人の方は、正直、眠かった。ぐうぐうぐうと眠りたかった。泥のように。
タダ酒というならまだしも、金払ってまで・・・しかもロクなものがあるわけがない病院の食堂だ。下ショクライスとかやたらに硬いエビフライとか鬼のようにマズい寿司とか。
そんなものしかないのだ。どうせ食事をしない人はいいが・・・・。
葛城ミサトを補佐すべき日向マコトは自分の財布で補佐した。
使徒との戦闘には関係ないのだろうが、何を食べても旨い葛城一尉にその辺りを期待してはいけないことを彼は、知っている。
 
「それでは、再会と対面を祝して、かんぱーい」
葛城ミサトの音頭が貸し切りの病院食堂に響く。なんか不自然でかなしい。
「かんぱーい・・・」
盛り上がっていいものかよく分かっていない声が続く。
総司令が総司令であるから、どうせ慰労会などの予定は金輪際あるわけがないが、こういうのもなにか・・・・と面々の顔に書いてある。
「それじゃ、自己紹介いきましょか。ちょっち白々しいけど」
「分かってはいるのね」
「・・先輩、聞こえますよ」
「ま、ここは年の功を考えて、年齢順でいきましょう。赤木リツコ博士」
ギロリ。
いきなり非友好的な雰囲気で始まる自己紹介。
「・・・・技術部E計画担当博士、赤木リツコ。よろしく、タメ口の葛城一尉」
「それで私が作戦部長の葛城ミサト。よろしくねっ」
誰を相手にしているのか不明な、銀河の奥に吸い込まれていくかのような愛想だった。
その次・・・・・。
青葉シゲルと日向マコトが同時に立ち上がった。
「あれ?」「あれ?」
「オレの方が生まれは早かったんじゃないか」「そうだったかな」
どちらがどっちでも成立する会話であった。あまり違いはない。
「どっちでもいいわ。一緒にやんなさい」
さっさと3缶目に入る葛城ミサト。
「オペレータの日向・青葉マコト・シゲル・だよ。よろしく」
「同じくオペレータの伊吹マヤです」
これで大人サイドは終わり。こんどはチルドレンだが。
正真正銘で初対面なのはセカンド・惣流アスカとファースト・綾波レイの二人だけだ。
しかし、年齢順というならば、子供らはどうするのだろう。
 
「綾波レイ・・・・」
すう・・・と口を開いて気づけばすでに閉じていた。しゅるるとラーメンを食す。
迷うこともなかった。すでに番号はついている。
「セカンド・チルドレン、惣流・アスカ・ラングレー」
もしかしたら、この顔見せ晩餐会は、惣流アスカのために開かれたのかもしれない。
なにせ色々あったのだ。いきなりネルフの中に復帰するには色々とあるだろう。
葛城ミサトから召還取り消しのことを聞いたときには・・・・泣いた。
いや、詳細を聞くことはこの先もないのだろうが、葛城ミサトの親指の爪が剥がれていることに気づいたら泣いていた。
 
なんかいつのまに10缶目に突入しているが。・・・・色々とあるのだ。色々と。
 
初対面のファースト・チルドレン、綾波レイは黙してすすっている。
無愛想なのはいつものことだが、ことさら瞳を合わせなかったのは、おそらく・・・。
 
無愛想な子ね・・・・まあ、パイロットらしいといえばらしいかな。
碇シンジを教えたことで、多少は対人免疫のようなものができていた惣流アスカ。
ATフィールドはバリヤー・・・これを思えば多少のことは許していけそうな気がする。
 
コイツのことを思えば・・・・
 
「い、碇、シンジです・・」
これが本当に碇司令の息子でサード・チルドレンにしてエヴァンゲリオン初号機専属操縦者なのか・・・・色々の極みだ。紫というのは自然界ではとれにくい高貴の色だというが。
一応、碇シンジは葛城ミサトと赤木博士と綾波レイと惣流アスカには対面しているわけで向こうは知っていても、自分は知らないオペレータ三人組や渚カヲルに、とくに丁寧に目線で挨拶をした。
父親が父親であるし、それ以上に、あの初号機をあのように駆ってみせた張本人だ。
イメージ違いすぎる。だが、その意外さは、好意に転化されるものだ。
オペレータ三人組も渚カヲルも穏やかな微笑を返した。
 
さて、フィフス・チルドレン、渚カヲル。
笑っているが、立って自己紹介しようとしない。
「渚君?」
笑みを浮かべたまま。なにか首が春の浮雲のようで。
「渚君?」
視線は涅槃彼岸の方を彷徨っているかのように。
「ああーっ、コイツ・・・・」
惣流アスカがあることを見破った。
「目、開けたまま寝てるんだわ!」
「ええーっ!?」
なんと器用な・・・・しかし表情がほとんど変わらないこの少年ならば可能かもしれぬ。「・・・・それは誤解というもの・・だよ」
「今、起きたんでしょうが」
惣流アスカの追求をするりとかわし、碇シンジの方を見る。
「うたたねはいいねえ・・・そうは思わないかい、碇、シンジ君?」
「どうして僕の名前を・・」
「知らない者はいないさ。いま、自己紹介してもらったしね」
「渚くんは起きてたんだね」
「カヲルでいいよ、碇君」
「ぼ、僕も、あの、シンジでいいよ」
にっこりと笑う渚カヲル。
「やっと、君に会えたね」
あの、暗雨の夜から・・・・紫雷の夜をすぎて。
 
「なんか・・・二人の世界に入っちゃってるんですけど・・・・おーい」
「男の子の友情って・・・いいですね」
「マヤちゃん、これは特殊なケースだと思うよ・・・・」「うんうん」
「これは都合がいいわね・・・・」
「何、顔赤くしてんのよ・・・男同士で・・・」
「・・・・・・・・」
なぜか取り残された気分のひとたちは勝手なことをほざくことにした。
そういう乱れが入った気分は、酒も食事も進ませる。品はひとまずおいといても。
自己紹介も済んだところで、ようやく皆の固さがとれた。と、いうより単に諦め入ったのかもしれないが。搬入物資が恐ろしい速度で空と消えていった・・・・・。
建前上は「晩餐会」であり、酒が入ってもそれほど長いこと貸し切っているわけにもいかないはずなのだが・・・・・。
 
ぺぺぺんぺんぺん・・・・・・びんっ。三味線の糸が切れるように・・・・荒れた。
 
お酒はコンディションのいいときに飲みましょう。
 
誰と誰と誰がどのように荒れたかなどは、当然、国連直属の非公開組織、特務機関ネルフの機密となっている。
 
突然。
そんな「楽しい」晩餐会の熱気圧を一気に引き下げてしまう発言がされた。
綾波レイ、ではない。
 
「いやあ、こんないい人たちと今日でお別れなんて、少し、寂しいなあ」
飲まされたビールで顔は赤いが酔ってはいない。言葉もはっきりと。
 
碇、シンジ君だった。
 
食堂を霊と天使のアベックが通り過ぎていった・・・・。
全員が碇シンジをまじまじと注視する。例外はなかった。
 
「あれ?・・どうしたんです?」
 
「シンジ君・・・今、なんていったのかな」
鼻からビールが出そうになった葛城ミサトがやさしく尋ねる。が、目が怖い。
鼻からイカクンが出ている日向マコトなど即、退いたくらいだ。
だが、碇シンジがそんな目芸を理解するわけもない。酔っているんだな、と思った。
「今日でお別れだから、少し、寂しいな・・・って言ったんですけど」
 
「っ、ななんあ・・・なあんでそうなんのよっ!」
惣流アスカの平手がテーブルに叩きつけられる。
他の者はあっけにとられていた。なにかの冗談かと思ったが、そういう子ではない。
 
「明日、帰るから」
 
けろっと言い返す碇シンジ。ひどく、当然といった風情。
 
「帰る家、ホームがあるという事実は幸せにつながる・・・・」
「渚、アンタ、起きてて言ってんでしょうね・・・」
「顔見せ晩餐会」はただ荒れるどころではすまなくなった。巻き起こる波乱。
おさえるべき碇は引き上げられようとしている・・・・。
 
「良いことだよ」
「って、アンタ、納得してどうすんのよ!説得しなさいよ!このバカを」
 
「僕はバカじゃないしとろくもないよ」
 
「・・・どうするの、ミサト」
「まいったわねー、完全にお別れ会だと思ってたみたいね」
「きちんと説明しておかないから、こういうことになるのよ。碇司令はいないんだし」
「司令がいたっておんなじでしょ。帰るなら帰れ!・・・ですませるわ。たぶん」
「・・・・洗脳・・・ですか・・」
「マ、マヤ・・・」
「先輩を尊敬していますし、自分の仕事はします。・・・でも、納得は・・・できません」
「・・・そんなこと言ってないわよ」
「潔癖性は生きていくのが辛いって・・・私だって知っています・・・・でも、でも・・・・・」
泣き始める伊吹マヤ。彼女も相当飲んでいた。
「・・・ほ、ほんとうにそんなこと言ってないわよっ・・・」
「あーあ、リツコ、泣ーかした」
「半分はあなたのせいでしょ」
「あら、人のせいにする気い?」
波に壊され、心海の底に沈んでゆく人間関係・・・・・。
青葉シゲルと日向マコトはサキイカじゃんけんを始めていた・・・。
どうせ、オレ達に出来ることはなにもないさ・・。
 
よたよたと飲酒人生運転。ほんとにコンディションの悪いときにはお酒はやめましょう。
 
未成年なのに体を柔らかくするため、と称し、ワインをぐびぐびやっていた惣流アスカは「からむ」ことが既に目的となっており渚カヲルにからんでいた。
元々口が達者な上にアルコールにより、タコのような柔軟度を与えられており、渚カヲルでさえ多少、難儀していた・・・・。
 
なにか急に空気が淀んできたような・・・・その中心にいると気がつかないものだ。
碇シンジはその波乱の模様を理解不能な様子で見ていた。
 
「碇君」
その空気を氷のメスですうっと切るような綾波レイの声。
韻律の冷風が皆の耳朶をしん、と冷ます。
「どうしてそういうこというの」
 
「どうって・・・・」
 
赤い瞳に見つめられてうろたえる碇シンジ。照れることも許さないほどに綺麗な瞳だが、やっぱり照れていた。
 
「帰るから・・・・もうここにはいないから、少し寂しいなって思ったんだ」
 
「そう、良かったわね」
 
そのやりとりに期待を抱いていた周囲は一気にこけた。綾波レイ、沈没。
「そう、良かったわね、じゃ、ないでしょ!認めてどーすんのよ!認めて!」
惣流アスカの標的が変更される。相手にしない綾波レイ。水を飲む。
「くっ!・・・このバカシンジ!」
やはり自分でやるしかない。ほんとに頭来るわね、このバカには!
 
「バカバカ言うなよ。ほんとにバカになったらどうするんだよ」
 
なんか態度がこの水飲み女と違うわね・・・・。ま、そんなことはどうでもいい。
「既にバカよ!それもウルトラバカよ」
 
「なんで僕がバカなんだよ」
 
「とにかくバカなのよ。アンタはっ!バカバカしすぎて説明する気にもなんないわっ!
とにかく、アンタはエヴァ初号機のパイロットなの。アンタがいなけりゃ誰が初号機動かして使徒を倒すっていうのよ!言ってごらんなさいよ!言えないでしょ!だから、バカなのよ、アンタは・・・・」
このバカに分からせるには、こんな言い方じゃダメだ。それは分かっている。
だけど、言葉がでてこない。形にならない感情が口から先に噴きこぼれてくる。
 
嵐の晩餐会になってきた・・・・。
 
「ごめん・・・・でも・・・・僕がエヴァンゲリオンに乗るには・・・分からないことが
多すぎるんだ・・・」
惣流アスカのことは聞いていた。乗れないことで苦しんだことも。ちょっと無神経な言い方だったかもしれない、と反省する碇シンジ。
「約束は果たしたし・・・・・・」
それでも、碇シンジには碇シンジの立場がある。
「それに・・・あんな寂しい山の中に母さんひとりきりにさせるわけにもいかないし・・・・・それは、僕だけにしかできないから・・・」
 
真摯な言葉は皆の胸を打つ。とくに赤木博士の胸を。
 
晩餐会はお開きになった。
少年の気持ちが混じった酒気が、重かった。夜の口が閉じられる。
 
その、次の日。
 
ネルフはそんなに甘くはなかった。だが、それ以上にあの初号機のパイロットである。
無理矢理乗らせても、いや、一度乗せてみたその後が怖い。
なにせ電源零で勝手に電気を自前供給して動き出したことがあるような化け物だ。
その操り手と信頼関係がないというのに乗せられる代物ではなかった。
それに、子供だ。平気で兵器で仕返しにくるという悪魔の洒落をかましかねない。
左手の謎も未だ解けていない。監禁して強制説得に当たるなどしたら、本部内を駆け抜けて少年を助けに来かねない。そうなれば使徒の脅威どころではない。
 
少年を説得できるのは、ネルフ総司令にして父親である碇ゲンドウただ一人であった。
が、不在。
 
結局、サード・チルドレン、碇シンジは予備役待機、ということになった。
 
どちらにせよ、初号機は修復作業や調査が終了していない。冬月副司令の判断だった。
さらに、碇ゲンドウ不在を逆手にとり、父親が戻るまでは、と言いくるめてしまう。
人徳のありそうな年長者の言にうなづいてしまう碇シンジ。
 
やっぱりネルフは甘くはなかった。
 
これは副司令冬月コウゾウでなければやれぬ仕事、といったところか。
年輪と知識が違う。
それでも、搭乗を承諾させたわけではない。唯とどめただけのこと。
 
その間、使徒が来ればエヴァ零号機、弐号機、四号機で相手をせねばならないが・・・・零号機も大幅改修中。四号機も義眼を壊された。弐号機は起動実験中だ。
第三新東京市全体も未だ戦えぬ。
「せめて、今は使徒がこないことを祈るよ・・・・・」
 
ネルフ本部・第二実験場
 
エヴァンゲリオン弐号機、起動実験、成功。
パイロット、セカンド・チルドレン、惣流・アスカ・ラングレー。
「続いて連動試験に入ります」
声には軽い高揚があった。コントロール・ルームも安堵の声に満たされる。
 
「やったわね、アスカ」
復調の翌日、さらにあの晩餐会の次の日、ということで葛城ミサトとしては安全万全を期して、少なくとも2,3日の余裕をおくつもりであったのだが、惣流アスカ本人の希望で今日の起動試験が行われた。・・・・正直、怖かった。
だが、こうやってシンクログラフが絶対境界線を超えるのを見ると・・・・良かった。
 
音が、聞こえた。
芽の出る、音が。
 
それに答えはしないものの、惣流アスカの口元が、ぱあっと咲きほころんだ。
 
「花信だの」
花が咲いたという知らせ。其を花信という。作戦顧問の声はでかいのだが理解したものはあまりいなかった。渚カヲルくらいなものだった。綾波レイは・・・どうか分からない。
おそらく絶対知らんであろう碇シンジはこの場にはいない。
 
続く連動試験。最大の目的はやはりATフィールド。
不調の原因でもあった。安心するのはまだ早い、のだが、誰も心配はしていなかった。
シンクログラフの伸び具合がその先取り保証もしていたからだ。
 
「ATフィールド発生開始・・・・」
 
ブンンンンンンン・・・・・・高周波音の神鍵をもちて絶対領域の扉が開かれる。
不可視の女神が微笑みみせて帰還を祝う。光山吹のヴェールがその肩にかけられる。
今・・・
エヴァンゲリオン弐号機は、なんぴとにも犯されざる聖なる領域に戻ることを赦された。
 
「ATフィールド、出力2アクトで発生」
 
「やったあっ!!」
喜びのあまり近くの赤木博士に抱きつく葛城ミサト。男性ならばとてもうれしい。
しかし、同じ女性ならば・・・嬉しいのは分かるが、ちょっとくるしい。
「ちょっと、ミサト・・・く、くるし・・・」
手加減無しの感激にかなりくるしんでいる赤木博士。それでも男性ならばうれしいだろう。
 
コントロール・ルームの計測員たちは互いに握手を交わすなどして、その感激を分かち合っていた。
 
柔らかに微笑む渚カヲル。無表情な綾波レイ。
感情の表現が人とはちょっと異なる二人だが、嬉しくないはずはない、と思う。
少なくとも、良い、ことではあるだろう。
 
「やったのう、アスカのお嬢」
作戦顧問はこの二人の方を見た。ギョロリ、とした目が笑んでいた。
「そうは思わんか。カヲル少年に綾波のお嬢」
 
「はい」渚カヲルはそう答え、
綾波レイはただうなづいた。
 
「ふう・・・・」
ATフィールドも張れた。エヴァ弐号機も起動してくれた。
自分で自分を誉めてあげたい気分である。その奥に謙虚の教会があり、そこから響いてくる鐘のように自然に納得できる気分だった。
惣流アスカは自分のことが分かっている。だから口では言えないだろうな・・とおもいつつモニターから見えるコントロール・ルームの様子にそっと手を合わせた。
心の内で。向こうからもこちらの様子はわかるからだ。
向こう・・・・モニターの四隅を視線でなぞる。かりり、と音がした。
ん・・・シンジがいない・・・・やっぱり、そうか・・・・
 
「今日はこれくらいであがりにしましょう」
「おつかれさま」
エヴァが起動しATフィールドが発生可能ならば言うことはない。
 
起動試験連動試験はつつがなく成功、終了した。
誰しも安堵のため息ものだった。
 
ミーティング・ルーム
反省会、というほどのものではない。単に葛城ミサトが話したかったのだ。
さらに言うなら誉めてあげたかった。
「おつかれさん、アスカ」
「ま、まあね」
「今夜は祝杯ね。とびっきりいいトコ連れてってあげるわ・・・・って疲れた?」
「昨日の今日だから・・・少し」
はてな。単に疲れたにしては表情がおかしい。あごの線に歪みがあるような・・。
ああ、そうか。思い至った葛城ミサト。
「ああ、加持君たちはまたちょっと仕事なのよ」
ありゃ。どうもそうでもないらしい。そこまで聞き分けは悪くないか。
シンジ君と違って・・・・・。って、まさか?
その頃の碇シンジ。
 
神社にいた。そろそろ日も暮れようとしているのに帰ろうとしない。
そこはビルとビルとの間にある、伊勢神宮第三新東京市分社である。
単にビルの影という以上に鬱蒼としげった森がある。祟りでもあるのか、そこは地面がそのままで土だった。数々の使徒との戦闘にも負けず、潰れていないのだから御利益はあるのだろう。昼間は木々を求める人々の憩いの場所となるが、夕暮れになると顔をかえてくる。本職の・・・神域としての顔を厳かに見せはじめる。
だからここには不良もちんぴらもたまり場にしようとはしない。
 
そんな場所に碇シンジは来ていた。
錆びたような自動販売機で買った交通安全のお守りを握り、神様にお願いしていた。
昼頃、思い立ったようにここにやってきて、ずっといる。
賽銭は少年にしては奮発して、500円だった。
「どうか、うまくいきますように」
何時に始まり何時に終わるのかはよく分からないので、20分おきにこうして賽銭箱の前にたつのだった。それで一分ほど願う。
終わると、社務所の前のぼろいベンチに戻り、ビルの空を見上げるのだった。
 
「なにやってんの、アイツ・・・」
青いルノーの助手席のウインドーが下がる。惣流アスカだった。
葛城ミサトがもしやと思い、連れ出してきたのだ。居所は知れている。
知れているが・・・この少年の行動はよく、分からない。
「たぶん・・・・お祈りしてるんだと思うけど」
先ほどまで最先端科学の城の中にいたので落差に頭がついていかない。
ただ、肌で感じるものはあったが。
「祈るってなによ?」
まごうことない宗教施設での宗教行為、なのだが奇異に感じない。
相手が碇シンジだからだろうか。
「さあ。聞いてみれば」
葛城ミサトはルノーを降りた。惣流アスカもドアを開けた。
 
「どうかうまくいきますように」
 
「なにやってんの・・・・」
 
ほんとに驚いた碇シンジ。「あわわっ!」わずか三段の木段をずっこける。
 
と、とろすぎる・・・。同時に思う葛城ミサトと惣流アスカ。弁護の余地もなかった。
この子には・・・本当に向いてないのかもしんない・・・。エヴァのパイロットなど。
「実験はうまくいったんだ・・・」
「そう」
 
ルノーの車内。もう日も暮れたから、と碇シンジを送ってくことにした葛城ミサト。
先ほどは何をしていたのか、とは聞かなかった。それは野暮というものだ。
会話は子供らに任せ、自分はカーナビのマップでなにやら検索している。
ちょっと渋滞気味であったから、ちょっとは安心だ。
 
しかし、停滞する車内の空気。碇シンジはお世辞にも口が回る方ではないし、惣流アスカも何も聞いてこなかったからだ。それでも、なんとか口を開く碇シンジである。
「あの・・・・良かったね」
「なにが」
 
惣流アスカの表情は助手席にあるから見えない。
 
これは・・・嫌われてるのかな・・・。やっぱり・・・。碇シンジは先夜のことを思い返し、そう思った。しかし、事実は違った。ただ単に。
 
呆れられていたのだ。
 
先夜のことを思い返す割には、先ほどのことはなんとも思っていない、神経が太いのか細いのかよく分からない不思議な精神構造をしていた。
これで動かすからエヴァ初号機は強いのだろうか・・・・・・・・うーん・・。
弐号機を動かす惣流アスカとしてもどう答えたものか。
 
作戦部長葛城ミサトは「いっきゅうさんクイズ」を思い出していた。
一足す九足す三は?という問題で、答えは十三、ではなく一休さん、というあれだ。
赤木リツコ博士などに出題すればあとで毒薬でも仕込まれそうだが、一面の事実だ。
人類科学の粋を集めた人造人間エヴァンゲリオン。限りなく近い神の領域の数字と論理で組み上げられている存在。そこに一休さん、もないものだが、思い出したものはしょうがない。良くも悪くも赤木博士などには百年たっても思い浮かぶまい。
十三、と答えを導くのが通常のチルドレンならば、一休さん、と答えるのが・・・・・・、と、やめておこう。ますます初号機が遠くなってゆく。
しかし、こんなこと口にしたら速攻でクビでしょうね・・・。
 
「シンジ・・・あそこでアンタ、なにしてたの」
前をむいたまま、なんなんとはなしに、聞いてみる惣流アスカ。
葛城ミサトとは違い、肌で感じるものはなかった。文化と思考の異なり。
「と、とくになんでもないよ。いい神社だなあって思って」
「ふうん・・・・」
 
「ミサト・・?信号、青だけど」
 
「え、ああ、そうね・・・・・」
五秒ほど死んでいた葛城ミサト。
やり場のない気分をアクセルにこめた。カーナビの指示を無視してルートを変更。
急に気が変わった。
ルノーはネルフでもとびっきりいいトコでもないところへ向かった。
 
なんの変哲もないが営業しているコンビニ。
 
に、途中で寄り。ビールだのジュースだのレトルト食品だの菓子だのを買い込み。
 
峠の展望台。
そこで停車した。いつのまにやら日はとっぷりと暮れている。
 
なんでここで止まるのだろうか。子供二人は分からない。
コンビニに寄ったあたりで惣流アスカはなにかおかしい、と思ったが、どうせ早く帰ってみたとて待っている者がいるわけでもない。酔狂につきあってみることにした。
碇シンジの方は、道を違えてついでに買い物もすませたのだろうか、と当たり前だがどこか当たり前でないことを考えていた。相手が葛城ミサトであることを計算にいれてない。それではまるで子持ちの主婦だ。
 
ヒグラシの声も無し。展望台にこの時間登ってくる物好きは彼女らくらいのもの。
「さー、降りて。さっきの買い物も出してね」
ここで何するつもりなのやら。
惣流アスカはつきあうことを決めているし、碇シンジもよほどのことがなければ人の意向には逆らわない。ふいの誘いに素直におりていく。
 
「はい、シンジ君。はい、アスカ」
コンビニ袋から缶コーヒーを三つ取り出すと手渡す。もたれる手すりの後ろには第三新東京市ビル群の、蒼鴉が集めた光り物で飾りつけたような遠景がある。
復旧作業は急ピッチで、夜通し行われる。点滅のひとつひとつに人の姿声があるはずだ。
かといって、べつに熱血な説教をするつもりでもないらしい。
こん、こん、と二つのコーヒー缶に挨拶させる。
「ふたりとも、ほんとうにおつかれさま」
なぜか耳元でちいさく囁く。ほの暖かい。そして、にかっと笑った。
もしかしたら恥ずかしかったのかも知れないが、照れた笑いではなかった。
そんなに長くはない。初めて見つかった星の瞬きほど。
そのためにこんな遠くまでわざわざ連れてきたのだろうか。
冷静公平な他者の眼のない所まで。
 
ささやかなコーヒーの宴。
座るところさえなく、三人とも並んで手すりにもたれたままで星を見上げている。
そのまま体をそらせば天地逆の第三新東京市が見える。少し、危ないが。
 
葛城ミサトは、再び会話を子供らにまかせる。適当に水をまいた後で。
 
「ま、ここなら誰もいないから、お互い好き勝手なこと言ってもいいわよ」
 
「え?」
「え?」
 
「多少の大声でもあそこまでは届かないでしょうからね」
好き勝手の手本をみせている葛城ミサト。
「言いたいことがあるなら今のうちに言っておきなさい」
 
「言いたいことなんて・・・」
「別にないですけど・・・・」
 
「ふうん・・・・じゃ、あたしが好き勝手言わせてもらおっかな」
自分で連れてきておいてとんでもないことを言い出す葛城ミサト。素面なのだ。
 
「まずはシンジ君」
びっ、と首を振り少年と視線をあわせる。
「は、はい」
直立不動で答えてしまう。素面の酔狂というのは、こわい。
「この街がきらい?」
 
「え・・・・」
 
「それからアスカ」
答えを待たずに今度は少女の方へ首をふり視線をあわせる。
「なによ・・アタシは・・」
こんなことならつきあうんじゃなかったなあ・・・と今更後悔しても遅い惣流アスカ。
「シンジ君のこと、どう思う?」
 
「え・・・・」
 
「もっと・・・あなたたちのこと知りたいなあ・・・」
さあっ・・・と一陣の風が濃霧を吹き払い、蒼穹に舞い戻るような表情をする葛城ミサトだが、出してきた質問はとんでもなく難しかった。