七ツ目玉エヴァンゲリオン


第十二話「新約・マグマダイバー」




「暑い・・・」
真夜中に起き出してくる惣流アスカ。ほたほたと暗い中を歩き台所へ。
冷蔵庫を開ける。ポカエリアスのペットボトルをコップに注ぐ・・・・・。
水分補給・・・・じんわりと汗をかいている。冷たく潤うノド・・・。はぁ・・・・。
それで多少は人心地つくが、あくまで一時的なもの。まだ午前三時だ・・・・。
「なんでこんなに暑いわけ・・・・・」
これは疑問ではなく愚痴というもの。理由はかんたんなこと。

単に文明の利器、クーラーがないからであった。

しかも惣流アスカの部屋にだけ。

だから葛城ミサトと碇シンジは今頃いい夢心地で起きてこない。
クーラーがあるからだ。ゆえに冷や冷やと・・・・いや、すやすやと眠っていられる。

これでにこにこ笑っていたら、菩薩の境地に達したか、暑さで脳をやられたかのどちらかだ。・・・それくらい今夜は暑い。熱帯夜だ。しかも、しょぼい夕立のせいで、蒸す。

にこにこ笑いはしないものの、惣流アスカは文句も言わず、自分の部屋に戻った。
怒ると余計に暑い、という消極的理由からではなかった。あくまで惣流アスカ本人の意志でこの暑さをやむなし、と堪えている。

積極的理由・・・・つまり、自分でこの境遇を選択したから、堪えていられる。
と、云うより。そうでもなければ今すぐ・・・・・っ!!である。
暑さと空腹は人間から理性を奪う。しかも自分だけがそうなっていればなおさらである。惣流アスカの精神力は誉められていい。
だが、現在時刻 午前三時。誰も起きていない。誉める人間はだれもない。
自分で自分を誉めてやる気もおこらない・・・・・


惣流アスカはとてもじゃないがベッドで寝られず、床に寝た。
ふすまも・・・・半分ほど開けておいた。風など無いが・・・せめてもの・・・。
「暑い・・・・・・」


どうしてこのような悲劇がおこったのか。
元々の原因は、同居を決めたあの夜・・・・完全惨敗の夜から始まる。
まともにいけば、惣流アスカが一人で家事をこなす、葛城家の家政婦さんになっていた所だが、碇シンジがおずおずとだが、そこに待ったをかけた。
「外国と日本とじゃ・・・やりかたが違うと思うから・・・」
葛城ミサトもあまりにあまりの結果に、いくら楽ちんができるからと言って勝負の厳しさ云々を言い出すことはなかったから、これは惣流アスカのプライドを考えての発言だ。
「慣れるまで・・・食事の支度とかは、僕にやらせてくれないかな」
気持ち半分、事実半分、といったところだ。
自分も外国にいって、そのキッチンを使うことになったら、たぶん戸惑うだろうなあ、と碇シンジは思う。外国、に対するイメージはひどく漠然としていて、カマドの隣に大きな電子レンジがあったりする。炊飯器はないだろうな、そんなことを考える。
そして、葛城ミサトと同じく、やはりあまりにあまりな結果にかえって気を使ってしまっていた。縁起でもない、というわけだ。

日本の縁起など通用しない外国人の惣流アスカには、気持ちだけなら反発を招いただろう。しかし、聡い少女は碇シンジの語りから事実の香りをかいだ。ただ違うのは、家事をなんで自分たちでやるのだろう?と本気で考えていたことだった。
そんなの人にやらせればいいじゃないの・・・別段、じゃんけんに負けたからではない。
ついこの間までそういう生活をしていたのだから、当たり前の発想だった。
それに少女が育った場所が場所である。躾こそ厳しいが、日本の炊飯器の炊き方まで教えるわけでもない。やってやれないことはないだろうが、やる気・・・・今一つその必要性がぴん、とこないのだ。全敗しておいて何だけど・・・と惣流アスカ本人も思うのだが。

ゴミ出し、風呂掃除程度なら、ただやればいい。まあ、丁寧にやるにこしたことはないだろうが、とにかくやればいい。

だが、料理はそうはいかない。・・・・洗濯は各自でやることになるだろうけど・・・。外国の料理も食べてみたいな・・・と年相応な女性の料理に対しての幻想がある・・・・と思うのだが、前記の理由で、いきなりってのは無理だろうな・・・と考える碇シンジとガスの元栓のことで、呆れ半分おみそれ半分で、見方が変わったようで変わってない葛城ミサトと、同情なんてまっぴらだけど、一理あるわね・・の惣流アスカ、この三人の合議により、食事当番は碇シンジ専任となった。
それに加え、時間との折り合いの中、なし崩し的に他の仕事も碇シンジが手伝う・・・というか、やってしまうことが多かった。

その代償として・・・・惣流アスカは、クーラーの部屋を碇シンジに譲ったのだ。
ちなみに葛城家には、クーラーがあるのは、あるじの部屋と碇シンジの部屋とリビング、そしてペンペンの家だけだった。いくら年中夏だとはいえ、全室冷房かけていては電気代がたまったものではない。

だが、これには一応、監督保護者の立場にある葛城ミサトが眉をひそめる。
チルドレンの健康管理、という面からみれば、このクソ暑いのにクーラー無しで睡眠不足にでもなられた日にはちょっち困るのであった。
いくらなんでももう一台のクーラーが買えないほど貧乏ではない。
金が無ければ無いで、空いている部屋の据え付けのやつをかっぱらってくるくらい葛城ミサトにはワケはない。扇風機、という手もある。

しかし、自縄自縛状態の惣流アスカは耳を貸さない。
あくまで「貸し借り無し」の態度を貫き通すつもりだ。見上げた根性だが・・・・・・

結果はこのとおり。

「暑い・・・・・・」
あられもない。団扇もつかわないであえいでいる・・・・。


なんともあはれな姿であった。リビングのソファで寝る、という手もあるが使わない。
朝食をつくる碇シンジは早起きなのだ。見せられるわけがない。
ようやく涼しくなる明け方に眠気がくる。暑さに堪える疲労のためかもしれないが・・・。

もともとヨーロッパ系の白人の血、というのは暑さに弱いのだ。
夏も冬も涼しい。夏でも二十五度くらいのもの。そして湿気のこともある。
ヨーロッパ文明がいろいろと先行しているのは、この涼しさのおかげだという説もある。涼しいと、疲れにくい。それだけ余力が残る。年中暑い国で一生懸命やりすぎれば、体がまいってしまう。

「暑い・・・・・・」
そんなことはどうでもいいし・・・・暑いといったらよけいに暑くなるのも分かっている。でも・・・・暑い。
日本の夏をなめていた・・・・ということになるのかな・・・。
冗談ヌキでヒカリたちの言っていたことが本当になりそうだ・・・・。

惣流アスカが寝入ったのは明け方になってからだった。
今日も晴れ。






第三中学校 二年A組 始業前

「おはよう、シンジ君」
「あ、おはよう、カヲル君」

後ろから渚カヲルの挨拶をうけ、心配そうに惣流アスカの方をみていた碇シンジは振り返り、挨拶をかえす。

「・・・なかなか彼女も大変なようだね」
「・・うん」

机につっぷして眠っている惣流アスカの席を見やって、かるく同情するようにいう渚カヲル。事情は碇シンジから聞いている。まるで落語のような話だが渚カヲルは笑わなかった。いつもわらっているからだ。

まあ、本当に体調を崩すようならば問題だが・・・慣れもあるからね・・・・
どうしようと碇シンジから相談もされたが、にこにこ話を聞くだけで介入はしなかった渚カヲル。それよりも、食事の支度を朝夕やることになった碇シンジが愚痴のひとつもいわないことに、好意に値するものを感じていた。

サード・チルドレンとフィフス・チルドレンはかくのごとくに良好な関係にあった。
早い話が仲が良かった。第一印象通りの絆が結ばれたわけだ。
見方を変えれば、世界最強のコンビであったが、学校でそれをいうのは野暮というもの。クラブは文化系しか考えられない、物柔らかなこの二人のツーショットはこうして見ると一日中、そこだけに爽やかな朝の光が差し続けるのでは、と思わせた。今は朝だが。

では、そのほかの関係はどうなっているか。

ファースト・チルドレン綾波レイ、は本日欠席。零号機が損傷復旧、及び改装作業を終了し再就役されてきて、その調整があるのだ。

セカンド・チルドレン惣流アスカ・・・・は言うまでもない。仲が良かろうと悪かろうと一緒に住んでいるのだ。だが・・・・


「よー、渚、シンジ、早いのう」
「おはよう、トウジ君」
「おはよう、トウジ・・・あれ、ケンスケは」

鈴原トウジ。その気はなくとも、初号機の戦闘の影響で妹をケガさせられたこのジャージの少年は、碇シンジにかなり高い温度で言いたいことがあっただろう。
が、そのことはおくびにも出さなかった。
初めてその顔を見たときは、多少驚いた。見覚えがあったからだ。
ちょっと前か、雨の中、ずぶぬれになっていた変わりモン。

それが、エヴァのパイロット、碇シンジ。

トンチキ。
顔を確かめる前に惣流アスカがそう言ってしまっていた。その強すぎるイメージが名前の前にかぶさり、ひょうげた感じがしてもうてしまった。それでは怒るに怒れん・・・・・やないか。
それに顔を、目をみてしまえば、その想いはさらに強くなる。
いかにもケンカなんぞしなさそうな・・・荒事には向いてなさそうな顔をしとる。
渚のやつは正直、底の方に、怖さっちゅーモンがある。ああいうやつを怒らせたらいかん。
だが、コイツは・・。
こんな弱っちそうなのが、ロボットに乗ってワシらを守った・・・・。

それなら偉そうにしとんかと思ったが・・・・違った。あのずぶぬれの姿が脳裏に甦る。
それに重ねての惣流アスカのトンチキ発言である。
鈴原トウジは、「初対面」のとき、思わず、こう言ってしまっていた。

「お前も・・・・大変やったな・・・」

碇シンジはよく分からなかっただろうが、この声に真摯を感じとっていたようだ。
それから先は、渚カヲルの縁・ゆかりもあり、日に日に馴染んでいった。
相田ケンスケとも似たようなものだった。だが、相田ケンスケは・・・・・

「ケンスケか。あいつやったら・・・」
微妙な表情で入り口の方を見る。いつも一緒に来ているはずだが。・・・・あ。

こちらもツーショット。山岸マユミと相田ケンスケ。雨も傘もないのに相合い傘状態。
何やら楽しげに話している。相田ケンスケが一方的に昨日つめこみで覚えてきた本の話などをしているのだが、山岸マユミはそれを丁寧に聞いている。
どうやら靴箱あたりで会ったらしい。そこから二人並んで昇る階段はまさしく天国へのそれに近く、時間は至福の香りを漂わせていたに違いない。
相田ケンスケが感じるのはそのように大げさなものだが、山岸マユミの方でもそのはにかんだ様子には好意の色があった。
それに比べれば、当然!鈴原トウジなど男の友情など「ぺ」である。

人付き合いがいかにも苦手そうな・・・男子とつき合うことなど思いも寄らぬような山岸マユミ相手にここまでこぎ着けてきたのである。
硬派の鈴原トウジにしてみれば、微妙な顔をせざるをえない。
カメラマニアでミリタリーマニアな親友の別の面を見れば多少寂しいような気もするのだ。硬派としては、当然表には出すことではない。冷やかせば、大人しい山岸マユミを守るために本気で怒ってくるのでそれもできない。
相方をとられた形になり、多少、物足りない・・・・渚カヲルや碇シンジとは芸風が違う。

ジャージ少年の憂鬱・・・・。

そこにぐー、と手が伸びてきて、耳をひっぱる。珍しい憂鬱を破ってしまう。
「いててててて!な、なにするんや、イインチョー!」
二年A組専属学級委員長、洞木ヒカリであった。
「鈴原!なによ、この学級日誌は!」
差し出された日誌は、昨日当番だった鈴原トウジが書いたものだ。
「なんや、イインチョー。字が汚いのはかんべんしてくれや」
一応、さぼることはなく、書いてはおいたのだから文句をいわれる筋合いはない。
「内容が問題なのよ、内容が」

ぱらぱら開いて・・・・昨日の日付の「今日の一日」の欄を指さす。

#今日も暑いのう。こんな日はプール入ってコーラ飲みたいのう#

「なによ、これは!。真面目にやりなさいよ」
「これは・・・・ちょっと」
「正直は人間の美徳だけれど・・・・・」
のぞきこんだ碇シンジと渚カヲルも味方せず同様の感想をもらす。

う、うらぎりもんーーーーーーー。こんな時、ケンスケなら・・・

「ゾフィーの世界っていう哲学の本なんだけどさ・・・これがけっこう読んでみると・」「それ、ソフィーの世界じゃないかしら・・・。私もそれなら読みました」
「そうだったかな?やはは・・・それで作者の名前が男なのか女なのかよく分からなくてさ・・・」

完全に二人の世界に入っていってしまっとる・・・・。

「書き直しなさい!これをみんなが真似したらどうするの」
「これを真似するんはワシの許可がいることにしよう・・・マルにC、のマークだったかのう、渚」
「COPY LIGHTのことかい?」
「なにバカなこと言ってるのよ。渚くんもつられないで」
トウジって・・・意外にせこいかもしれない・・・・・・と碇シンジは思った。





葛城家の夕食。今日は鉄火丼であった。それにとろろ。
疲れ気味の惣流アスカにあわせて強精作用があって、食べやすいものにした。
一応、とびきり変わったものでなければ、日本食も大丈夫なのだった。
家計費の内わけ食費の心配はする必要はなかったが、碇シンジも本職のコックというわけではないから、料理の本などを読み、洞木ヒカリにも尋ね、いろいろと工夫していた。
葛城ミサトなどにしてみれば頭の下がる努力だ。洞木ヒカリも感心していた。
なぜなら、すぐにばれるような病人食まがいにしてしまえば、ひたすらに暑さに堪えている惣流アスカは・・・・バカだと言われたようなもの。少なくとも少女はそうとるに違いない。さっさと医務局に押し掛け、自分用の薬を調合させてそれを呑むようなことになる。科学的、効率的といえばそうだが・・・。

たかが暑さ、されど暑さ、である。もし現在の日本にクーラーがなければ文明は崩壊していたかもしれない・・・・。

クーラーをもう一つ買えば済む問題であるのだが・・・・。それもまた、効率的。

惣流アスカは日本(とは限らないが)の料理などに詳しくないので素直に食べている。
多少、寝不足だが学校でそれを補い、シンクロテストの成績は高いレベルを維持している。

碇シンジの方は・・・・まだ見学状態だ。
家事は確かに大切だが、エヴァのパイロットはそれでつとまるわけでもない。
最低限の知識、必要なことを覚えさせる方が大事だった。知る義務と・・・・権利。
その匙加減は難しい・・・・・。葛城ミサトは細心の注意を払った。

初号機凍結封印と父親の長期不在。この二つを誤魔化した。
調べる方法が少年にない、そして葛城ミサトを信用している以上、それを疑うことは碇シンジにはない。初号機は修復作業中、父親、碇ゲンドウは長期出張、ということにしておいた。真実は、少年の世界とはかけ離れすぎている・・・・渦中にあるというのに・・。

死なぬための知識・・・・それが必要だった。
それが生きるためのものに転化するのはいつになることやら・・・。

そして、同時に。ネルフ作戦部長として、初号機の用兵にはかなり考え直す必要に迫られていた。この時間はそのための時間に当てる。臍を噛んでいても仕方がない。
生きるためのよりより方法を模索する・・・・葛城ミサトの時間はその命題に対し、純化し結晶化し始めていた・・・・。誰か、葛城ミサトの心臓を掴んでみれば、それは冷たかったかも知れない。・・・・熱を奪うがために。


でも、シンジ君もわかんない子よね・・・・
葛城ミサトは焼き海苔を千切ってふりかけている碇シンジをみながら、思う。
惣流アスカが横から見て真似をしている・・・・。

外見上、どこにでもいるような子だ。同じチルドレンでもアスカや渚君、レイなどはどこから見ても一目で、これは違う、と見分けがつく。エヴァの操縦者、チルドレンであるからにはそちらの方が当然といえば当然なのだが。

目が違うのか。使命の自覚が放つ、目の輝きが。

と、まあ、大体ネルフの総司令を「組長」呼ばわりしたくらいだから、それは望むべくもない、か。ビールを傾ける葛城ミサト。
それでいて・・・・一番の謎を秘めている。それだからこそ、か。

渚カヲルはいかにも「不思議な少年」、であり、追求する気が無くなる。
あの歳で赤木リツコ博士と学問というテーブルで同列以上に語れるのだから、天才だ。
天才・・・・天が与えてくださったのだろう、この才能の少年を。

そして、レイも同じだ・・・・・。



だが、碇シンジのあれは一体なんなんだろう・・・・・?
手元において、これ、になったのだが、わからない。日々の生活を共にしているというのに。・・・・・いかにも子供子供してるくせに、アスカに今、密やかにみせているような気の使いかた・・・・誉められることを、気づかれることすら期待していない情のかけかた・・・・・まるで母親のそれ・・・・あの、手紙か・・・。

「あ、下の方にも魚が入ってる」
「ヅケっていうんだ。マグロを醤油につけといたものだよ」
二段重ねなのね・・・やるわね、シンジ君。

「ごちそーさまでした」
「ごちそうさま」
「そういえば、シンジは自分が作ってるんだから、おそまつさま、って言うんじゃないの」日本語の教科書にでもそうあったのをふと、思い出したのだろうか、惣流アスカはそんなことを言い出す。今日のはとりわけおいしかったのだろう。

なんか・・・馴染んでるわよね・・・・たいていの日本人にとってそんな国語学的問題は
どうでもよいし、葛城ミサトにとってもどうでもよい。真面目に悩むのは碇シンジくらいなものだ。・・・・もし、アスカと二人だったら、どうだったかしらね・・・。
ビールを傾ける。



皿を洗う碇シンジ。片づけるのも食事の当番仕事のうち、らしい。
惣流アスカは風呂に入っている。

「シンジ君さあ・・・」
「ミサトさん・・・・」

皿を洗い終えてエプロンをしまっている碇シンジに声をかける葛城ミサト。
同時に碇シンジからも呼ばれてしまう。見事なタイミング。話題は一つしかない。

「あ・・・たぶん、同じだと思うけど、シンジ君からどーぞ」
「アスカのことです」
「やっぱねぇ・・・」

「やっぱり・・このままじゃいけませんよ」
「でも、あの性格だからねえ・・・」
理性的判断で言えば、なにもこの程度のことでつっぱるこたあないのだ。
だが、自分で決めてしまった以上、アスカがこの状況を自ら変えるとは思えない。
夜中に暑さで眠れないなどと、なんともあわれげな話であった。
「なにかいい方法はない・・・」

ちりぃん・・・・緑の風がふいに吹き抜けたような、涼しげな、音色。

つけていたテレビからの風鈴の音だった。時代劇で侍が縁側で涼んでいた。
「・・・・いいですね、風鈴って・・・・・・そうだ!」
「シンジ君・・・・風鈴は風がないと・・・」

「なに話してんの?あがったから、次のひと、どうぞー」
惣流アスカが風呂からあがってきて、その話はそれで打ち切りとなった。
なぜか、次の人、はタオルをもったペンペンだった。






再開発地域 幽霊マンモス団地前 廃止停留所付近

屋台が来ていた。
しかしながら客は一人だけ。中学の制服を着た女の子だ。
綾波レイ。ノリラーメンをすすっていた。汗一つかかない。






無言







客も店主も黙り込む。この辺りは人間などふたりしかいないというのに。
コンクリートの威圧感に人寂しさを感じて、普通は世間話のひとつやふたつ、口からでてしまうものだが・・・・無愛想の競争でもやっているかのように、無言。
結局、それが破られたのは食事がおわったからだ。


坂本龍馬の千円札を出す綾波レイ。

おあいそだ。

無言でそれを受け取り、釣り銭を返す店主。「まいどあり」とも「へい」とさえ言わぬ。そのラーメンが旨いのかどうか、それは綾波レイにしか分からない。
団地の中に消えてしまう青い髪の少女。
店主はそれをみても平然としており、また屋台を引いて、街に消えた。






その次の日 学校からの帰り道

エヴァのパイロットは日常生活では出来る限りかたまって行動するように義務づけられている。家が同じの碇シンジと惣流アスカが一緒に帰るのもそのためだ。
そうでなければ高踏派惣流の権威失墜させたかわりに、男子の人気が噴き上がってきた惣流アスカと一緒に帰れるうらやましい碇シンジは毎日学校の裏に呼び出しをくらっていることだろう。しかし、二人きり、というわけでもなかったのでそうでもなかったかも知れない。碇シンジ、惣流アスカ、綾波レイ、渚カヲル、鈴原トウジ、相田ケンスケ、洞木ヒカリに山岸マユミ。ちょっとした集団下校だ。
もちろん、毎日この面子で、というわけではない。揃わないこともあれば、途中、男子と女子で別れてしまうこともある。その他、当番という、洞木ヒカリという監視役がいるので怠けようのない義務もある。

それでも、家が近くなって、カバンもおかず遊びに直行、ということでもなければ最後には碇シンジと惣流アスカは当たり前のようにふたりきりになる。

「あ、忘れてた」
皆と別れて、家の前まできた碇シンジはふと、足を止めた。
「買い物があったんだ。アスカ、先に帰っててよ。じゃあね」
急に駆け出して行ってしまう。その唐突さに惣流アスカは多少、怪しんだが、どうせシンジのことだ、目覚まし時計の電池が切れかかっている、とかそんなんでしょ、と推測し、言われたとおり先に帰った。




リビングの時計は六時を示している。

「ちょっと・・・遅いわね」

そろそろ食事の支度を始めないとならない時間だ。碇シンジはとろいやつだが、食事の支度を遅らせたことはない。きっちり定刻に始めてきっちり食事前にあげてしまう。
当たり前のようだが、何種類も同時進行で作りながら、出来上がり時刻にズレがない、というのはただ料理を作ることに集中してはやれることではない、かなり高度な時間的配慮というものが・・・・・って、こんなことはどうでもいい。

六時十分
「ま、まあ、たまにはシンジにも息抜きってのも必要よね」
と、思いつつも見たくもないニュースの方にチャンネルをあわせる。ローカルだ。
「どっかで遊びほうけてんのよ、きっと・・・・」

六時二十五分
なんかいやに長い感じがする・・・・まだ十五分しか経ってない
「そろそろ始めないとやばいんじゃないの」

がちゃっ

帰ってきた!あのバカ・・・

「たっだいまー。今日のご飯はなんだろなあ」
この家の主だった。
「あれ?まだなの」

六時四十五分
「絶対おかしいわよ・・・・」
「そうねえ・・・・シンジ君なら連絡くらいいれそうだし」
「まさか、アイツ、とろいから・・・車にでも・・・」


がちゃ・・・
「ただいま・・・・あ、ミサトさん帰ってるんだ」
そんな声が聞こえる
「すいません、遅くなりました」
その割には罪悪感のない碇シンジが帰ってきた。なにか大箱を両手に抱えている。
「ずいぶん遅かったわね」
ここでギャンギャン喚くのは不安の裏返しだ、と惣流アスカは抑えて言った。
「心配したわよ。シンジ君、で、その箱はなに?」
心配よりも興味の方に早々と移動してしまう葛城ミサト。
まだ七時前だし・・・・いい子すぎるわよね・・・・ホントに
「・・・宮田模型店・・・アンタ、買い物って・・・」
箱の横の店名を見て惣流アスカの顔色が変わる。
「あ、ご飯はすぐにつくるからね」
その危険性を感じ取ったわけでもないらしいが、碇シンジはすぐに背をむけて自分の部屋に入っていった。たぶん、箱を置きにいったのだろう。
なぜか、ご機嫌な碇シンジであった。そのように見える。



今日の夕食は炊き込みご飯。アラと大根の煮物。そして、お吸い物。

遅くなるのは予定にあったのか、炊き込みご飯にしておくなど手抜かりがない。
しかし、惣流アスカは黙りこくっている。

葛城ミサトは先ほどの質問をする。
「シンジ君、あの箱けっこう大きいけど、何買ってきたの」
「それは・・・・」
子供の表情。歳相応以下に幼く見えてしまう。模型店とあるからには、やはり・・・。
趣味には如実にその人間が出る。葛城ミサトは仕事以上に興味があるし、惣流アスカも。
「ひ・・・」
「ひ?」
「ひ・み・つ、です。まだ」

「ああああ、アンタねえ・・・っ」
「あー、待って待ちなさいアスカ。まだっ、てことはそのうち教えてくれるんでしょ」
「アスカは興味なさそうな顔してたじゃないか。怒るなんてずるいよ」
「ずるくない!そんな人蕩しみたいなコト言う方がよっぽどずるいわ!」
「人・・たらし?日本語ですか、ミサトさん」
「一応日本語だけど・・・アスカ、よく知ってるわね」
「加持さんが使ったことがあるから覚えてた・・・・それはともかく!今白状しなさい」
「白状って・・・なんか僕が悪いことしたみたいじゃないか」
「したのよ!」
「ご飯が遅れたのは謝るけど・・・・・そんなにお腹減ってたの?」


これのどこが人蕩しなの・・・・・まだまだ甘いわ・・。
うぬぬぬぬ・・・・・・・の惣流アスカを横目で見やる。
葛城ミサトは惣流山大噴火の前に、助け船を出すことにした。
「シンジ君・・・・アスカはあなたのことが心配だったのよ。珍しく、遅くなったから」
「え・・・そうなの?」
「ま、シンジ君も時間を忘れることもあるでしょうけど、ひとりじゃないんだから・・・・・カエルコールを忘れずに、ね」
「あ、はい・・。心配かけて、ごめん」
素直なのは碇シンジの美徳である。先手を打たれて謝られてしまえば、静まるしかない
「分かりゃいいのよ、分か・・・・、いや、違う!なんでアンタの心配なんかしなきゃなんないのよ!た、ただ、車かなにかに轢かれてないかと思って・・・」
・・・・のだが、頭に上がった血流が還るまでにはしばらくかかる惣流アスカ。
「それが心配っていうんでしょ。普通」
「あ、あ、あ、謝るだけなら、サルにも出来るわ。悪かったなあって思うんなら、その証拠を見せなさいよ」
「証拠?」
「なに買ってきたのか、教えるのよ」
「なんだよ、それ。・・・・・外国式?ですか、ミサトさん」
「かもねえ」
外国人が聞いたら大半は怒るようなごり押しをさして咎めもしない葛城ミサト。
やはり興味がある。

「寝る前の方がいいと思ったけど・・・・まあ、いいや」
そういって部屋にとりいく碇シンジ。すぐに戻ってきた。あの荷物の割には早い。
そして、その手には・・・・

ちりぃ・・・ん

歩く震動で涼やかな音を奏でる・・・・風鈴であった。

「買ってきたって、それ・・・・?」
「あ、これは帰り道にふと見かけて買ったんです」
「やっぱりね。模型店って模型を売る店なんでしょ。そっちの方は」

「ひみつ」
けろっと言い放つ碇シンジ。

「だ、だましたわねえ!乙女の純真な心を!」
「これだって買ってきたものだから、うそじゃないよ。・・・それに、僕は半分くらいしか悪いと思ってないんだから、だから、半分だけだよ」

どっちもどっちであった。こぎつねとカモのだましあい・・・・。

もしかしたら、これを買おうか買うまいか、迷っていて遅くなったのかも知れない。
アスカの暑気が多少はやわらぐように・・・今日は風があればいいわね、シンジ君。

童話のように展開される・・・・、らしさ、に、やさしい気分になる葛城ミサト。

だが・・・・・・。


「ミサトさん、良かったら使ってください」


「はあ?」
鼻の穴が広がるようなマヌケな声を出してしまう葛城ミサト。気分ぶち壊れ。

「でも、なんの楽器なの、コレ。それとも、仏教徒が使う風流の鐘?」
クーラーのある現在、風鈴の存在など惣流アスカが知るわけがない。
ちりん、と指先でつついてその音を楽しんでいる・・・・。





「・・・・てなわけなのよ。ますます分かんなくなっちゃったわねー」
葛城ミサトは昨夜の話などをする。それを聞いてオペレータ達の表情も自然、ほぐれた。

ネルフ本部 実験棟 シンクロテスト中

碇シンジを除いた、三人のチルドレンのテストは通常通り行われ、予測通りの結果となった。三人とも起動レベルを平均維持している。問題なし。

しかし、赤木博士の表情は硬い。硬いままだ。葛城ミサトの話も耳に入っていないようだ。
「・・・赤木博士、これでよろしいでしょうか」
実験責任者の赤木博士が終了を告げないので、何か問題でもあったかとオペレータの一人が尋ねる。通常ならばこれで終いだが、疑問点があるならば追加の用意をせねばならない。
「・・・え?あ、いいわ。実験終了。三人ともお疲れさま・・・」



「お疲れさま・・・」
逆さビル群の黒影を闇のシャンデリアのように蒼い空洞に映しているラウンジ。
斜に流れる銀の糸。繰られた玩具のように上がってゆくモノレール。
赤木博士が唇を閉じたままにその光景に問いかけている。けだるく。
背後からかかる声がぽん、と肩をたたく。
コーヒーのコップを両手にひっかけた葛城ミサトであった。
「まだいたの・・・?早く帰ってあげなさい」
「それを言うなら、あんたも同じでしょ」




「・・・・・四号機のあれ、まだなの」
「本物は望むべくもない・・・・・義眼でさえ焦らしてきてる・・」
「ほんとにここ、地球の命運をかけてんでしょうね・・・・。将棋じゃあるまいし、なんで飛車角落ちでやんなきゃいけないのよ・・・・。しかも相手は格下じゃない・・・」
「励ましに来たのかと思ったけど」
「わたしの尊敬する赤木博士にはそんな可愛げはないわ」
「・・・ケンカ売りに来たのなら、10円あげるから帰って」
「あの碇司令がこんなに手こずるなんて・・・・・ほんと、上の方は何が気にくわないんだか・・・。ご挨拶もできゃしない」


・・・・い・のよ
かすかに紅唇がうごく。掠れた声は聞き取られぬ。
「はあ?何ていったの」
「ごちそうさま。それじゃ、シンジ君の箱の中身が分かったら教えてね」
赤木博士は席をたつと歩き去っていった。
取り残された葛城ミサト。「なんだ。聞いてやんの」ずうー。





碇シンジの箱の謎はその次の日の夜に解けた。
その日は日曜日。一日中、鈴原トウジらの誘いも断り、部屋に籠もって何やらやっていたようだが、夕食の後のことである。

「シンジ君はまだ上がってこないわね」
「・・・・日本人の美徳は察しと思いやりだったんじゃないの」
風呂場の前にペンペンを見張りに立たせ、葛城ミサトと惣流アスカは碇シンジの部屋の前に来ていた。当然、目的は箱の謎を解くことにある。


「シンジ君、そろそろ教えてくれない?」
「何をですか」
「あの、ひ・み・つ・よ」
夕食時にかなり露骨に聞いてみたのだ。だが。

「まだ、できてませんから」
碇シンジの答えはにべもない。
「そういわずにさ。教えてよう、ねぇ」
結局、アスカのことはどうなったのだろう。性格の把握のためにも・・・興味あるわ。
「模型でしょ?どーせ、クルマとか戦車とか・・・そんなモンでしょ」
その割にはサイズがでかいし重そうだったのだが、と、これは引っかけだ。
相手を挑発し、怒らせて情報を引き出す手法。シンジなんかイチコロよ。

しかし、碇シンジは自分のやっていることによほど自信があるのか、挑発にのることはなかった。逆に・・・・・。
「アスカ、クルマのモデルを馬鹿にする気・・・・・?」
なぜか葛城ミサトがひっかかっている。目つきが半分以上マジだ。
「アンタがひっかかってどうするのよ、ミサト!」
「とか、はやめなさいね・・・、とか、は」

「ごちそうさまでした・・・」
自分が原因の無益な争いにさっさと背を向けて部屋に戻っていってしまう碇シンジ。
女の人って・・・しょうがないです・・・とその背中が泣いている・・ようにも見えた。

むきぃーーー!!、バカシンジの分際でえ。くやしいいいい!。
惣流アスカの天才的頭脳をもってしても、実のところ、碇シンジの箱が何か分からない。単なるプラモデルなどではないらしい。さっき、うっすらと浮かべたあの、子供が掌をにぎってこれは何だ、と問いかけられて外してしまった相手にむける笑顔・・・。
くっ、くやしい・・・・・。

ひゃ、百年早いわ・・・・シンジ君。
風鈴のことで見事にかわされてしまった感のある葛城ミサトは、碇シンジの発想が読めないことに戸惑いと・・・豆がハシでうまくつかめないような苛立ちを感じていた。

いざ、エヴァに乗ったとしよう。綾波レイ、惣流アスカ、渚カヲルは自分の命令に、己の意志と義務感で判断し、従うだろう。そして、そのように動いてくれるだろう。
だが、碇シンジは違う。
その真面目さがやる気に転化しているだけのこと。戦う意志があるわけではない。
使徒との戦闘において、どこまでやれるかといえば、それは街と人と友人を守ることまでだろう。殲滅、なんて難しい単語はこの子の頭の中にはない。
それはそれで結構な話だ。碇シンジの役目は天下無比のアームズ・コントロールである、ということなのかもしれない。無知であるがゆえに無私になれる・・・・あまり好きな考え方じゃないけど、自分の中の、最も冷静冷酷な葛城ミサトが言うのだ。
「エヴァ初号機の中で死ぬなら、それはそれでしょうがないんじゃないの?」、と。
あの紫電の光景を見てから、心の底でその言葉が止まらない。
自分なんかにそもそも手に負えないんじゃないか・・・。
だから、知りたいのよ・・・・。
なんといっても、14年しか生きてないんだから、足りない部分を出来ることなら埋めてあげたい。セカンド・インパクトのあった自分たちもこうしてこの年まで生きて来れた。なるべくなら、その時間の色はあなたたちと重ならないように・・・。
思い上がりでしかないかもしれないけれど・・・うまく、導いてあげたい。
特に碇シンジは、パイロットなど似つかわしくない子供だ。怖いほどに・・・。

何を考えているのか・・・・「いざというときに自分のいうことをきいてくれるのか」

エヴァ初号機に乗りさえすれば、この子は・・・誰の手も届かない存在になる・・・。

エントリープラグのこの子の意志が、全てを決定してしまう。
12枚の雷翼が天を覆い尽くすように・・・・それを止められる者はない。
気紛れでも・・・・怒りでも・・・・悲しみも・・・・絶望も・・・・・

義務も自覚もイデオロギーも、子供には関係ない。だが、子供にしかエヴァは動かせない。その点、渚カヲル達は希有な子供たちといえる。ギルの方針もその意味では正しい。

碇シンジだけが・・・普通なのだ。

その「普通」が「普遍」に変わるとき・・・・・・。其れを決める時計は少年の内にある。

その「普遍」を妨げるもの・・・それは「奇跡」・・・奇跡の存在・・・・使徒。
エヴァのみが使徒に勝てる。同時に、使徒だけがエヴァに勝てる・・・・。




さ、理論武装は終わったわ。

さっそく覗いてみましょう。時間はそれほどないわ。
まさかとは思うが、足下に鳴り子かなにかが仕掛けられていないか見てしまう葛城ミサト。
「さすがにいつも片づいてるわねえ。ほんと、いいお嫁さんになれるわ」
誉めることを言ってしまうのは、さすがに多少、罪悪感があるゆえか、の惣流アスカ。
「お婿でしょ。・・・・・これね」
机の上に新聞紙をひき、そこで広げられているのは・・・・

「うわぁ、シンジ君て器用なのねえ・・・」
「これって・・・」

一言で云えば、水槽の中の箱庭、といったところだ。森の中の家、を表現したらしいが、その家というのは・・・・洋風の歴史ありそうな木造建築。顔のようにも見えるセンス。
そばに図書館から借りてきたらしい、写真本が何冊か開かれている。
「なになに・・・ドイツの家・・・ドイツの楽しい建築・・・・」
ちょいっと本をあげてみて題名をのぞく葛城ミサト。
どれもこれも山の中にあって涼しそうだこと・・・・・しかも、ドイツか・・・。
「ははぁん、だから秘密にしたわけか」
「え?なんで。・・・・ヘタならまだしも・・・巧いもんじゃないの。でも、分かってみたら、そー大したことじゃなかったわね」
「ふふ。そうね」

「ウギョー、ウギャー、ウギョー」
ペンペンからの合図だ。意外に早風呂だ。しかし、隠蔽もせずにこの場を離れてしまうのは・・・甘かったわね、シンジ君。探す手間と片づける手間が省けて助かったわ。
「本の位置はこの角度だったわね・・・、アスカ、慌てないように」
こらえ性のないふたりはとうとう目的を達したわけだったが、惣流アスカはともかく、葛城ミサトは実のところ、またしても碇シンジにするり、とかわされていた。
それに気づくことは当然なく、ふふふ、と大人の余裕の笑みをうかべて撤退する。
「アスカ、言うまでもないけど、このことは内緒よ」
「ミサトに裏切られたとなったら、シンジの奴、傷つくでしょうねえ」
その得体の知れぬ笑みが気に食わぬのか、同罪であるにも関わらず惣流アスカは言う。
謎がとりあえず解けたことで気分の良い葛城ミサトは相手にしない。
それどころか、なに食わぬ顔で風呂上がりの碇シンジに話しかけるのだから・・・。

「こういうのって、日本じゃタヌキっていうのよね・・」

「あー、今日もビールがうまいっ!」






ネルフ本部 戦略会議室

床面モニターに次々と切り替わっていく写真映像。データとしての視点をかえて何種類か繰り返されるが、それを見る者たちの目は一点に集中している。

オレンジにゆらぐ映像の中央の黒い影

その場に居並ぶ者たちの視線はあくまで分析者としてのものだったが、モニターによる照り返しに造られる陰影が彼らの内心を切り抜くように表していた。

浅間山地震観測所からのデータ。火口内に「影」が見えるとの報告。
影・・・つまり高温のマグマ内にそれなりの質量が存在するということだ。
マグマ・・・溶岩・・・・岩さえ溶かす高温の中にいかなるものが存在を許可される?

大昔の怪獣映画の怪獣でさえマグマの中に落っことされればくたばったというのに・・。
そんな常識の通用しないもの・・・・使徒。

「無視は出来んな・・・・」
ネルフ副司令、冬月コウゾウがため息をつく。外れであってほしいが・・・。
「マギの判断は」
観測所のデータの信頼性・・・情報操作を含めてのこと・・・・マグマ質量計算・・・・ひいては浅間山の歴史の総覧まで・・・・を総合し、下したスーパーコンピューターの判断・・内心、予想はしながらも赤木博士が伊吹マヤに報告させる。
「フィフティ・フィフティです」

「現地へは」
「葛城一尉がすでに」
青葉シゲルが即答する。引き締まっている。彼だけではない、ネルフ全体がそうなる。

使徒、胎動

傷が完全に癒やされてもいないうちに・・・・半分ギプスで固められた状態で挑むことになるや・・・・。




浅間山地震研究所
「ギリギリで間に合いましたね・・・・パターン青、使徒です」
耐熱バチスカーフ観測機を圧壊させてまでもぎ取った観測結果は・・・・・・

卵の中に背を丸めた胎児の黒影・・・・・これが、使徒か・・・・。
葛城ミサトはすぐさま研究所を封鎖し、人、情報の出入りを完全禁止させる。


身が震えている・・・・あの姿はまだ成長しきっていない・・・いくら使徒でも・・・・生まれ出ていない胎児の状態ならば・・・・手が出せまい。
常に出現しては第三新東京市を狙ってきた、使徒のお決まりの行動パターンに外れている。これは・・・初めて先手が打てる機会かもしれない・・・。

あの使徒の状態は伊達ではない・・・おそらく、本当にまだ動けない・・・・。
パイロットの見つかっていないエヴァのようなもの・・・・。

エヴァ初号機、エヴァ四号機という飛車角双翼を封じられたネルフ作戦部長としては、身が震えてくる・・・・。勿論、安堵のためなどではない。
爛々と瞳が輝いてくる・・・・闇に燃える肉食獣のそれだ。

「副司令にAー17の発令を要請して」
ネルフ本部に使徒確認の報告に併せ、A-17の名をもつ特別シフトの要請をする葛城ミサト。
通常回線を使用してまで急ぐのは、競争相手の存在があるからだ。
襲いかかってくる心配のない、胎児の状態の使徒・・・・つまり、捕獲してしまえばそれは重要なサンプルになる。敵を知れば・・・・百戦あやしからず。妖しい相手の使徒に今までは手探りで戦ってきたが・・・詳しいデータがとれればより安全に簡単に勝てる。
それだけ、生命の危険もさがる・・・。

だが、同じコトは誰でも考える。特に、戦略自衛隊、戦自や国連軍・・・政治力でいえば民間は除外してもよかろう・・・も使徒のサンプルは欲しくて仕方があるまい。
使徒のサンプルを研究さえすれば、使徒を倒す兵器を開発出来ると思っている。
そして、ここは日本の領土だ。早めに首根っこを押さえつけておかなければ後で面倒になる。ハゲタカの群がわんさとやってくる・・・。そんなことはさせないわ・・・。

未知の脅威を前にして、美しき人間の協力体制を構築・・というには人の世は複雑だ。

葛城ミサト自身もそんな気は微塵もない。





「A-17を発令するだと」
「こちらから討ってでるのか」
人類補完委員会 緊急会議
その場にはネルフ総司令代理として副司令冬月コウゾウが出席している。
「生きたサンプルとしても無論のことですが・・・・」

「使徒の出現と裏死海文書の記述にズレが生じてきている以上、胎生状態にある使徒の重要性は言うまでもない・・・と思いますが」
・・・・碇の奴が口元を隠しているのは、笑いを堪えるためかも知れんな・・・
代理でありながら、その任を平然と、または内心で冷笑を浮かべながら務める副司令。

茶番だよ・・・・

しばらく闇が凝り固まるようにして相談している委員達。死神よりも青く皺びた指で算盤を弾いている。これが世界の中枢とは・・・・まるで死者の国に来たようだよ・・。
その境界を越してきた覚えはないのだがね・・・。

「失敗は許さん」
議長であるキール・ローレンツの裁定が下る。命令にしては意味がない。
世界の声を代表してのことだとしても・・・あなたにその資格はないでしょうな。
・・・・キール議長。


会議は終了し、次々と委員達のホログラムは消えていく。
その去り際。キールの顔に歪んだ笑みが浮かんだような・・・・地獄の闘犬が笑ったとしてももう少しかわいげがあるだろう・・・悪徳の壺がひしゃげるような笑みだ。
・・・・・?
碇の笑みも似たようなもので慣れてはいるが・・・ああいう連中は意味もなく笑ったりはしないものだ。虚勢を張る必要もなく、蟻地獄にはまった者を上から眺めて喜んでいる。

碇のことか・・・・それとも・・・・




同ネルフ本部 作戦会議室
パイロットたちが集合し、今回の作戦を知らされる。

「今回の作戦は使徒の捕獲を最優先とします。出来うる限り原型を留めて生きたまま回収する。いいわね」

「これが・・・使徒ですか」
「そう、まだ完成体になっていないサナギのようなものね」
「怪獣の子供だったりして・・・・」
「なるほど。一理あるかもしれない」
「・・・・・・こども・・・・・・」

「もし、それが出来なかったら、どーするの?」
赤木博士が怖い目つきになりそうだったので、仕方なくフォローしてやる惣流アスカ。
「即時殲滅。いいわね・・・」
擦り潰すような四文字熟語。にもかかわらず碇シンジと渚カヲルは平然としている。

「作戦担当は、アスカ、特殊装備の弐号機で回収作業を。レイと零号機は本部にて待機。渚君は四号機の義眼修復作業の調整を・・・そして、シンジ君は・・・」