浅間山火口
周辺

「匂いをかぎつけて来るだけは来てみたってわけね」
「ほんとに・・・なんなんですかね、あの連中は」
「あんま、ノタノタしてるとそのうち使徒まんじゅうでも売る屋台が出来かねないわね」

観測所内に設えた指揮所に葛城ミサトと日向マコトが外部の様子を映すモニターを見ながら話している。浅間山を取り囲むように戦自のがやってきており、空にはUNの空軍。

「噴火の恐れがあるから住民の避難、か・・・・ご苦労なこって」
その名目で戦自は動いている。しかしながら空軍の方はN2爆弾をどっくりと抱えて飛んでいる。こちらの「しくじった場合の後始末」、のためだそうだ。
「ふん・・・N2爆弾如きで使徒に勝てると思ってんの」
偵察カメラがあの高度からでも鵜の目鷹の目で見ているはずだ。使徒よかエヴァを。
「それこそ山が爆発するわよ」

「浅間山には浅間記念館もあるってのにさ」

珍しく、独り言が多いな・・・葛城一尉・・・・日向マコトは上司がいつもの調子ではないことに気づく。やっぱり勝手が違うしなあ・・・・。それに。
赤木博士は四号機修復作業のためにここにこれなかったのだ。狙い澄ましたように義眼が今日、到着することになったのだ。あれだけは他の生体部品とは違い、他人には任せられないらしい。そのため弐号機一体での単独作業となる。万が一のサポートもない。
それも前例のない未知の作業だ。そこに子供を送り込まなきゃならない・・・。
あんな・・・マグマの中に・・・。

どんな人間でもこの指揮を執ることに億劫さを感じるだろう。葛城一尉もおそらく・・。
表に出そうとしないものが染み出てしまうのか、それが独り言。
周囲をリラックスさせるというには声が小さすぎ、早すぎた。
マグマの中に入ってしまえば、緊急のエントリープラグ射出、という手も使えない。
失敗の許されない、極限の集中力を要求される作戦。こんどは人の命がかかっている。
観測機をあっという間にぺしゃんこにしてしまったマグマの力・・・それを目の中たりにしているだけに・・・葛城ミサトの内心は慮ることも憚られた。恐ろしい。
とてもじゃないが、仮にも一緒に暮らしている子供を送っているのだ・・・常人に堪えられる内圧じゃないだろう。そして、弱気を微塵も吐くことを許されない。
それに加えて、外部からのプレッシャーだ。葛城ミサトという人は・・・・・すごい。

「弐号機もそろそろ到着するわね。K型装備・・・・楽しみだわ」

そんなはずがない・・・・のだが、葛城ミサトはせめて笑ってみせた。






ネルフ本部

やれることはない、というのに本部待機を命じられた碇シンジ。
平日の日中。普通ならば学校、のはずだが同じエヴァのパイロットが任務に就いているというのに一人だけ学校に行かせるというのは・・・・・元々、というか本質的にやる気が足りないこの少年には「危険」だと赤木博士は判断した。

だが、ほんとうにやれることはない。

いつものパイロット学習はきちんとスケジュールが決められている、というか詰め込みで結果を出すものでもない。教える方にも仕事があるのだ。
乗るエヴァがないのだから、綾波レイのように本当に待機している必要と意味がない。
渚カヲルも四号機のことで忙しい。

だから、惣流アスカを送り出した後、碇シンジはひまだった。
具体的に何をしろ、と言われたわけでもない。それなら学校に行っていても変わらないんじゃないかな、と思いもしたが、赤木博士に逆らってまで行きたいとは思わなかった。
おもしろい友人もできたことだし、決して学校がいやだというわけではない。
ただ、碇シンジの心境を正直に表現するなら、

「なんだか・・得した気分だよね」

と、いうことになる。重りが一時外されたときに感じる軽さのようなもの。
大したことじゃないのだと、中学生くらいになれば分かってはいるのだが・・・・もしかしたら、「今頃みんな何やっているのかなー」、とか「自分のいない席ってどうなってるのかなー」、など、そんな空想が巡らせることが出来るのが楽しいのかもしれない。
これは大人でも子供でも分かることだが、その場に自分がいるのに、そんな空想を巡らせることが出来るとしたら、その人はよっぽどの天才か頭がおかしい。又は幽体離脱をしていると考えて良い。


さて、そんな碇シンジは一応あてがわれた部屋と教本に飽きて、一休みするべく自動販売機のコーナーにいる。その前に立って、ふくふくと思い出し笑いなどしていた。
一人で思い出し笑いをするのは、よっぽどの悪人か底抜けのお人好しだというが。

押そうとした種類は、樽をあしらった缶コーヒーだった。
「K型装備か・・・・・あはっ」
出発前のちょっとしたもめ事を思い出していたのだ。





「なによ、コレエェッ!」
格納庫に惣流アスカのカン高い声が響く。非難キンキンである。
渚カヲルはいなかったが、先にその姿を見せてもらった碇シンジと綾波レイ・・はどうか分からぬが・・・も、似たような感想を持った。特に表立って言いはしないが・・・。

特殊装備の弐号機・・・・K型装備とは・・・・

一言で云えば、鉄の漂流海賊である。しかも、海賊同士か海軍との海戦に負けて船から叩き落とされ、なんとか近くにあった樽の中に入り込んだ下っ端海賊のような・・・・・というか見た目はまさにそのままだ。
頭の部分だけが丸く出ており、金属製の金魚鉢を被っているようだった。
説明によると、あれはD型装備といい、弐号機の全身を極地戦用の耐熱耐核耐圧防御服で包み防御しているのだそうだ。それだけでも十分そうだが、さらに安全対策として、K型・・・・あの耐熱耐圧耐核防御樽に入るのだ。腕などは必要とあれば、というか作業上必要だろうが、にょっきり生やすことが出来るようになっている。

確かに見た目は不格好だが、安全そうではある。樽の方はいかにも急拵えだが、そこはネルフ技術開発部である。盾でもクサリガマでもなんでもござれだ。とにかく造ってしまうのがすごい。

惣流アスカの方も、いきなりの見た目にああは言ったものの、格好よりも実質、性能だ。マグマの中に潜るのだ。備えはいくらあっても足りはしない。有史以来、こんな作業やるのは自分が初めて。マニュアルのない・・・・ある意味、これは冒険だ。
格好悪いが仕方がない・・・・。どうせマグマの中に入れば見えはしないんだ。
暑さにはこのところ慣れてきているところ。伊達にクーラー無しで生活してないわ!
現在、パイロットの中で一番暑さに耐久があるのは多分、アタシね。
・・・・・自慢にならないけど・・・さ。


「でも、K型装備ってどういう意味なんですか?」
碇シンジが赤木博士に尋ねる。怪獣子供発言にはまるで屈託がない。

ふ。やっぱり男の子ね。メカにやはり興味がある。いいことだわ・・・シンジ君。
「KはKAZAN・・・・・火山型装備、というイミよ」
ファイア・マウントのFはフライング、で使っているしね。特に深いイミはないのだけど。

・・・・ふふ。このあたりでそろそろシンジ君のぼけがくるわ。注意しなきゃね。
用心する赤木博士。この次には微妙な四号機の作業があるのだ。先のように精神を乱されるわけにはいかない。

「へえ。そうなんですか」
意に反してあっさり納得してしまう碇シンジ。分かりよい日本語だったためか。
「僕はてっきり、あれ、からとったのかと思いました」
「あれ?」
「すごく、あれに似てるから・・・・なんて言うんだったかなあ・・・」
頭をひねる碇シンジ。綾波レイも、つうと、視線をむける。無表情のままだが。
「思い出せないなあ・・・・のどまで出かかってるのに」

「何?なんかあったの?深刻な顔して」
やはり神経が多少、鋭く硬くなっている惣流アスカ。駆け寄るように割って入ってきた。「あ。アスカ。・・・あれ、変わってないね。プラグスーツ」
「それよりも、何かあったわけ?防御壁に傷がみつかったとか」
「いいえ。そんなことじゃないわ。見つかっていればもう直している」
ちょっとナーバスになっているようね・・・・。アスカは。
「K型装備が何かに似ているって話をしてたんだ」
それに引き替え・・・・・のんきすぎるシンジ君。いくら自分が出撃しないからと言って。
まるきりアスカの心配をしていないようだけど・・・。

「カニ缶だとかほざいたら・・・・コロスわよ」

しかし、誰もそんなことは思っていなかった。
「カニ缶は平べったいじゃないか。・・・・・・思い出せない」
「へぇ、アスカ・・・・技術開発部の苦心の作をカニ缶呼ばわりなんて・・・・」
「・・・でも、はさみはないわ・・・・」

三人三様の反応だが、とくに赤木博士の目つきが危ない。精密作業をこの後に控え、精神を乱されるわけにはいかないと承知はしているはずなのだが・・。
危険な作業に赴くパイロットに余計なプレッシャーをかけてはならないと分かってはいるのだが・・・。理性と感情のせめぎ合いだ。右脳と左脳が争っているのね・・・。

「うっ・・・・」
自ら墓穴を掘ってしまった惣流アスカとしては言い訳のしようがない。
たとえその原因がどう考えても碇シンジにあるとしても。

「クロヒゲだ」

その原因が急に手を叩くように言った。

「そうだ、黒ヒゲ危機一髪に似てるんだ」





「ほんとにあのおもちゃに似てたなー」
樽コーヒー缶がガチャン、と落ちてきた。自分がダンプカーでの片輪走行なみの絶妙の間を通り抜けてきたことも気づかず、碇シンジは思いだし笑いなどしてたのだ。
悪人かもしれない。

ちゃらりー、ちゃらららっらっららー、
明滅する当たりランプ。その気はないのに当たってしまった。早く押さねば。
「あ、あ、あ」
天性のとろさに加え、慌てているせいで受け口で手をひっかけてしまう碇シンジ。
さらに「次はなんにすべきか」という頭脳的判断も同時にこなさなければならない。
同じコーヒーはなんだし、しかし果汁系もコーヒーには合わない・・・紅茶かな。
うーん・・・・あっ、早くしないとこのチャンスが消えてしまう!
缶コーヒーはお金出して買ったのだから後で取り出せばよいのにそれに気づかない。

とすっ

後ろから伸びてきた太い腕が押してくれた。振り返ると・・・・・
「あ、加持さん」

無精ひげに長髪を後ろでくくって、着崩したようなスタイル。加持だった。
「よっ。初めまして」




「そうですか・・・加持さんと・・あ、いや、でもいいのか・・・兄弟なんですね。
でも、そっくりだなあ・・・・。全然見分けがつきません」
結局、当たった缶コーヒーは加持・・・リョウジにあげてしまう。
並んで座って話すことになった。加持リョウジはひまなのか。
「だろうなあ。母親でも見分けがつかないくらいだ」
どういうわけだか葛城ミサトは区別がつくようだが。
「ネクタイの色で区別をつけるとか・・・・しないんですか」
「そういう案も当初はあったんだがね。特にガキの頃はそう強制されたもんさ。
だが、それで区別をつけると特撮ヒーローものの偽物と本物呼ばわりされるんでね。
せめて、一号、二号、くらいにしてほしかったよな・・・・」
「あははっ」



「さ、コーヒーごちそうさん」
初対面だが、顔がそっくり同じで声も同じで性格も裏表のように違いはないので、そんな気がしなかった。それどころか加持リョウジはなんとも口が達者で飽きさせるとこがない。
こんな風にたとえるのは失礼かもしれないけど、缶コーヒー一本じゃ安いなあ・・・・。
と、碇シンジは思った。
もちろん、その口説の後ろで加持リョウジが興味深げに自分を観察していたなどと思いも寄らぬ。
楽しい時間だった。
「シンジ君はこれからどうするんだ」
「皆さん忙しいみたいですから邪魔にならないように、テキストでも読んでいます」
ひまだからといって、本部内をほっつき歩いていいわけでもないのだ。
特に今日は大規模作業が重なり、慌ただしくもがらんとしている。人が出払っているだけ
人間が集中して配置され、いない所には徹底していない。
この通路も先ほどからほとんど行き来はない。その空白地帯におかれた碇シンジは相当さびしいものがある。

「コーヒーのお礼をしなきゃな・・。良かったら、面白い人に会わせてあげよう」

誘われるままついてゆく碇シンジ。根が真面目であるから、待機任務にある綾波レイに話にゆく、なんてことはできないのだ。しかし、テキストを読み続けるほどでもなかった。



周囲が忙しく働いているというのに飄々とゆく加持リョウジ。
その後ろを別段の疑問もなくついてゆく碇シンジ。
遊び人の近所の若衆兄貴に連れられたぼんぼん、といったところか。
昭和初期に滅んだような匂いのあるその佇まいに、ベルトコンベアも下駄に見えてくる。


霧島研究室

と、表札がある。木製である。墨で浮かぶ文字は達筆。
「加持です」
特にインターホンの類は見あたらないのだが、それで入り口は開いてしまう。
ここにくるまで、一つも質問はしなかった碇シンジ。エビフライはとっておくタイプ。
一歩入ったその光景に、新鮮に驚いた。今までが無機質の極みだった分、別世界に踏み込めた足が喜んでいる。なにより、目に。

飛び込んできた。その、光景が。いや、襲いかかってきたといっていい。
でででででんっ
鼓膜に幻の太鼓の音が響き出す。打ち鳴らされる。周囲が暗くなった気がした。
正面からすぐに目に入るそれ・・・・・壁面に埋め込まれたコンピューター本体。
モニターではない、機械の内臓おさめる本体に墨絵様に描かれた異形の絵巻。
恐ろしくもどこかあいきょうのある・・・・古代日本の鬼たちのありさま。

魅入られた碇シンジ。完全に見入っている。

和風の内装やこの時代に珍しいほどの壁面にならべられた本・・・書物といった方がよい和綴じや古びた皮表紙のものが多い・・・浮世絵や仄かに薫る香なども気づかずに。


「それは、遊離連結式コンピュータ、百鬼夜行というんだよ。それとも絵柄が気に入ってくれたのかな。碇シンジ君」
碇シンジが初対面の相手に挨拶もせずにぼうっとしているのは珍しい。
この研究室の主人、使徒研究分析部の長、霧島ハムテルに声をかけられるまで。

「・・・え、あ、し、失礼しました。あの、僕は碇シンジといいます!初めまして」
相手は碇シンジのことを知っているが、碇シンジは相手のことを知らない。
加持リョウジもこれほど碇シンジが気をとられるとは思っていなかった。
誰でもここに来るまでの無機質の通路に目が慣れてしまい、この室にはいるとちょっと驚いてしまう。高速道路や架橋下のように何もない白い壁にアクセントとして落書きがされている程度の画力ではないことは碇シンジが今、証明している。
誰の趣味なのか加持リョウジも知らないが、なんでもかんでもネルフのロゴが入っている環境にあればなおさらのこと。彼も一度目は驚いたのだ。

「シンジ君、こちらは使徒の研究分析部の部長にこの度就任された、霧島ハムテル教授」
「よろしく」
理知的な外見に似合っているが堅さのない声だ。
リツコさんとはずいぶん違うんだなあ、同じ科学者でも・・・・と碇シンジは思った。
・・・・この絵はこの人・・・霧島部長が描いたのかな・・・あ、描かれたのかな。
何が専門なのかなどという至極まっとうな疑問は感じない碇シンジ。

いきなりサード・チルドレンを紹介されてもさほど驚いた様子もない霧島ハムテル教授。
かといって、じろじろ観察するわけでもない。ふーむ、来てしまったのですか。
この子がそうなんですか。・・・・・まじめそうな子ですね。
桜の色は桜色、とでもいうような顔をして、相手を落ち着かせる雰囲気がある。
この自然さが教授の持ち味なのだろうか。



霧島教授も仕事があるのだろうに、碇シンジとどうも意気投合する部分があったのか、多少早いのだが昼食がてら話すことになった。
使徒胎生が回収されるとなると、初の大仕事となるはずだが、霧島教授はまるで重圧を感じていないらしい。それともすでにプランは完了しているのか、とにかく後のことは牧というサツマイモを美男子にしたような助手に任せて男三人そろって食べにゆくこととなった。

その際、碇シンジが何かに気づいて、「ちょっと待ってもらえませんか・・」と大人二人を残し、駆け出していくという場面があった。
大人を待たせるなど普段の碇シンジはやらないのだが、加持リョウジは伝聞で大体の少年の性格は知っていたし、霧島教授も少年の声に気遣いのようなものを感じてのんびり待っていた。もともと気にしない性格なのかも知れないが。
十五分ほどで碇シンジは戻ってきた。まさか手洗いじゃあないとは思っていたが、意外な人物を連れてきていた。






浅間山


「空飛ぶ石川五右衛門みたいでカッコ良かったわよ。K型装備」
「イシカワゴエモン?ドラエもんの友達かなにか?」

指揮テントでざっとなされる回収作業の手順説明。
クレーンから弐号機をワイヤーで吊り下げて沈降。
目標予測合流地点にて電磁柵内に使徒を捕獲。そして、浮上。

相手がマグマでなければ上から道具で釣り上げるなりなんなりの手段も考えられるが・・・今回はまさに極限状況だ。半端な手は通用しない。正攻法しか、人の手、エヴァの手でやるしかない。比喩でもなんでもない、文字通りの・・・・いや、生中の人間の想像力など遙かに及ばぬ本物の灼熱地獄に潜ろうというのだから。
生きたまま。そして、生きたままに帰る・・・・。

軽口をたたき合う葛城ミサトと惣流アスカだが、その実、歯の根があっていない。
エヴァの力とD型装備とK型装備を信じていないわけではないが・・・・実際にやるとなると・・・・現場ではどんなことが起きるか分からない。対策なんてものは過去のデータがあるからこそやれるのだ。昔の人はこんな無茶はやらなかったのだ。
それをこれからやるのは14歳の女の子だ・・・。

「まっ、さっさと終わらせて浅間記念館でも見学して、その後温泉にでも行きましょう」
「て、ことは今日は一泊か。シンジに連絡、よろしくね。三人分つくってたらもったいないからね」
「はいはい、まかせて」


陸、空の兵器に囲まれた中、空気が清浄機を通してもキナ臭く変わってゆく・・・。
惣流アスカに合わせて、指揮車の冷房を切るなどというあほなロマンチシズムは葛城ミサトにはない。だが、その戦気に炙られた匂いはどうしようもなかった。

「あったく・・・・ただでさえ・・・・暑いってのに・・・・」



エヴァンゲリオン弐号機に搭乗する惣流アスカ。
外見上、イメージカラーの真紅は封じられているが、今にいやというほどお目にかかることになる。耐えられるか。岩さえ溶かしてしまう温度に。鉄をも砕く圧力に。
弐号機ならば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いける。

「アスカ、行くわよ」

耐熱仕様のプラグスーツの右手スイッチを押す。・・・・・・承知の上。
背に腹暑さはかえられぬ。

「準備はいい、アスカ」
「いつでもどうぞ」

指揮車内、そして作戦区域全体に緊張が走る。ドクリと呑み込む沈黙。

「回収作戦開始。・・・・・発進」

クレーンから吊り降ろされるエヴァ弐号機K型装備。
中に入っている惣流アスカには悪いのだが、どう見ても、死刑にしても生き返ってくるような重犯罪人をあの世に送っているようにしか思えなかった。

浅間山のマグマは流動性は小さいものの、粘性が大きい。

ガヴォ・・・・
マグマの口に呑まれたような奇妙な音をたててエヴァ弐号機は沈降していく。
一瞬、誰もが命綱ワイヤーを確かめた。機体の方ではなく。
それさえ繋げてあれば、なんとか還ってこられる・・・・・本能というものだ。


マグマダイバー・・・・

燃えさかる真紅の世界。注視していたら視神経が焼き焦げついて、切れてしまいそうだ。
サラマンダーやフェニックスの舞い踊り。亀を助けたわけでもないけれど、そこは灼熱の竜宮城だ。早いトコ開けてびっくり孵ってびっくりの玉手箱をもらって帰らなければならない。・・・・・この立場に置かれたら誰でも予想ぐらいはするだろうが、その最悪ならぬ最暑の予想さえ、現状に比べたなら冷え冷えの冷蔵庫の中にいるようなもの。
そんなハンパな暑さではないのだ。もう既に頭の片隅に原色の赤の巨大文字がウネウネとリンボーダンスを始めようと竹を並べ始めていた。

「うふふふ・・・・・こんなモン・・・・第三新東京市の熱帯夜に比べりゃなんてこたあないわよ・・・・うふふふ・・・・・」

この期に及んでこの軽口が叩ける、希有な根性の持ち主、惣流アスカでなければこの熱さから逃れるためにトリップしていたところだ。いわば、マグマ・トリッパーだ。

「ふん・・・・夜景も見えないことだし・・・CTスキャンに切り替えます」

高温高圧だけは十分すぎるほどあるくせに他に何もない世界。灼熱の孤独。





「さすが・・・格好が格好だけに頑丈ねえ・・・バチスカーフとは比べものになんないわ」

指揮車内。観測機が圧壊地点でもエヴァ弐号機はヒビ一つ入らない。
その、ヒビが一つ入り、亀裂が走り始めれば・・・・または命綱ワイヤーや冷却液供給パイプの強度は・・・・不安要素を数え上げればキリがない。

だが、自分はまだ幸せだ・・・・葛城ミサトは思う。
ネルフのスタッフはヤシマ作戦時で証明されたように、信用に足る優秀さだし、パイロットもそれに勝るとも劣らないほど。
状況は針の先ほどの油断も許さないほどだが、人を信用できる、というのは指揮する人間にとってこれほど安心できることはない。どんなチョロイ作戦でも人が信用できなければ達成率はそのチョロさに拘わらず、恐ろしく低くなる。
武田信玄を気取る気はないけれど・・・・その程度の不安は甘受せねばなるまい。

せめてエヴァがもう一体・・・・あればな。

初号機・・・・・・四号機・・・・・どちらも、どうも狙われたように使用不可にされたわけだが・・・・渋っていた義眼の到着のタイミングなんて・・・・・・、やめよう。
今、考えるべきことじゃない。

「そろそろ・・・・か」
対流計算から割り出した、使徒胎生との予測合流地点は。






ネルフ本部 士官食堂

普通の、「地下にあっても地下食堂」とは違い、座敷のある、どちらかといえば食事より閑談するための場所。料亭ではないから、こんな所で悪巧みを大声で話す人間などいない。福利厚生施設のひとつなのかもしれない。ちなみにお値段もそれなりなので、葛城ミサトは利用したことがない。

その奥座敷

ネルフのロゴがやっぱり入っているお重が四つ。海老天重二つに鰻重ひとつ、そして菜天重ひとつ。
霧島ハムテル教授に加持リョウジに碇シンジ。そして、綾波レイだった。
客は彼らしかいない。人の声の混じらぬさらさらと流れる水の音が耳に心地よい。

この四人でこの空間を独占しているわけで、基地内はなんやかやと慌ただしく忙しいことを考えると、これは相当な贅沢だ。時間に贅を感じること自体、すでにこのうえない。
働き者の日本人にとって、罪悪感を招くような、間、だが、そこには仙術でもかけられたように、そのことを気にするものはいなかった。朱に交わって赤くなったのか、碇シンジでさえも。
バランス、取り合わせも一見、奇妙なようでいて、あっていたのかもしれない。
話すのはもっぱら大人の方だ。加持リョウジは口が達者であるし話術にも長けている。
霧島ハムテル教授も、教授の位は伊達ではない。加持リョウジのようなケレン味には欠けるがそのキャリアから興味深い話をする。
子供の方は聞いているだけだが、碇シンジの時間を停止させてしまうような理解能力と、綾波レイの相づちもうたないが、無用の手加減を許さない澄み切った赤い瞳。
バラバラのものがうまく組み合っていた不思議の時間。

碇シンジが綾波レイを連れてきたのは、答えのあるようなものではないが、正解だったといえる。無心が呼んだ組み合わせの妙、だった。



「昭和三十年代の頃の話です。
岩手県南の穀倉地帯とよばれる胆沢平野は、昔は大麦や小麦がまるで育たなかった。農業試験場の技術者たちがいろいろ手をつくしたにもかかわらず、そこで栽培された麦は毎年、悲惨な姿を現した。
葉がこよりのようにねじれ、先端が茶色に枯れた、けっして実ることのない麦ばかりだったのです」

霧島教授は興がのってきたのか、そんな話をはじめた。

「そんなある年のこと。広い麦畑の中で完全に生育を遂げた麦が二メートルの幅でどこまでも続いている・・・・その両側は、これまでと同じく生育不良のあわれな麦が風にふるえているばかりだというのに。・・・・その時の技術者たちの顔を思い浮かべてください」
どこか神父さんのようだが・・・鰻重を食べている加持リョウジもその手を止めた。

「研究者たちの目はその原因をつきとめるべく、辺りを穿ち、掘り起こしていくのです。・・・・ふと、視線をあげてみると、そこには電話線が。よおく見てみれば完全に生育した麦のゾーンは、その電話線の下を、それに沿ってどこまでも伸びていたのです」

「碇シンジ君」
「は、はい」

「なぜ、電話線の下の麦は生育がよかったのでしょう」
いきなり指名され、慌てる碇シンジだが、霧島教授の穏やかな語り口は人を萎縮させなかった。間違ってはいるだろうけど・・・・言ってみようかな、と気にさせる。

「電話線だから・・・電気とか電流とか・・・が影響したのだとおもいます」
ふんふん・・・・なるほど、と頷いてから、次は綾波レイを指名する。

「綾波レイさん、あなたはどう思いますか」
「麦踏み・・・・」

ふんふん・・・・なるほど、と頷いてから、次は加持リョウジを指名する。

「加持リョウジ君、あなたはどう思いますか」
「えっ!?俺もですか。いやー、まいったな、こりゃ。何年ぶりかな・・・・」
まさか自分もやられると思っていなかった加持リョウジは頭をかいた。
「こんな仕事していると人為的なセンしか浮かびませんね。すいません」

「いえいえ。植物の生育を促す要素は数多く、またそれらは複雑に作用し合いますから。熱、光、水。大気成分。土壌成分。気象。あるいは紫外線、赤外線、電磁波、ことによったら放射能、ということもあるかもしれません。人の行動も、もちろんその中に入っていますよ。しかし、技術者たちは可能性の多いと思われる条件から調べ始めました。
土壌調査です。電話線の下とその外側の土壌成分を比べてみたのです。すると・・・・」

ぐぐぐっ。穏やかでありながら引き込んでしまう語り。さすがに教授だ。

「その地域、胆沢扇状地にはこれまでも全般的に土壌成分中に、銅が欠乏していることが知られていたのですが、それにもかかわらず、電話線の下の土壌には、豊富な銅が含まれていることがわかったのです」

「銅・・・・」
綾波レイの呟きの底には、黒い粉のように訝しさが散っていた。
霧島ハムテル教授はそれに気づいた。
「そうですね。土壌中の銅は、含有量が多いと、植物に大きな害を与えますが、肥料の三大要素の他に必須微量元素として、マンガン、亜鉛、銅、モリブデン、鉄、硼素などがあるのです。これらが欠けると、植物には大きな生理的ダメージとなります」

「しかし、その銅は一体どこから・・・・?」
話が園芸系にさしかかると、加持リョウジものってくる。

「電話線は、裸の銅線だったのです。・・・・銅線は陽にさらされ、雨に打たれ、表面からわずかずつ風化していき腐食します。そして雨が降る度に、表面から剥落した銅の微粉が水滴と共に地上に落下していくのです。時にその単位は分子の大きさでしょう。
その繰り返しがやがて、下の土壌に相応の銅元素の蓄積をもたらした・・・・と、このようなことです」
しめくくりのようにお茶を飲む霧島ハムテル教授。


かなり長めの・・・それでいてあまり時間を感じない面子の昼食も終わる。



「ごちそうさまでした」
支払いを終えた霧島教授に碇シンジが礼を言い、綾波レイはすうっと頭をさげた。
「私も優秀な生徒を前にして講義ができて楽しかったですよ」

「多少、歳くったのもいましたが」
鰻重をおごりで食えた加持リョウジが笑っていた。

花見桜が散るように、散会となり。
そして、加持リョウジは消え、霧島ハムテル教授も研究室へ戻る。

実質待機任務にある綾波レイと虚質待機任務にある碇シンジ。

なんとはなしのエレベータ。

まだ講義の余韻があるのか、静けさも重く感じない。碇シンジも無理して話そうとはせず
「箱」の変化状態などを想像していた。ふふ・・・驚くだろうなあ・・。


「碇君・・」

「どうして・・・」

「え」

「どうして・・・わたしを呼んだの」
綾波レイが急にたずねてきた。

自分の想像にふけっていた碇シンジはただでさえ遅い反応がより遅かった。

「え、あー、うー、それは・・・・」
昔の首相のようなことをいい、碇シンジは特に理由はないことに思い至った。
考える。さらに思い出す。・・・・・・ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。
頭の良さそうな綾波さんを満足させられるような答えは・・・・・・ない。
半分、断られるかな、と思いつつも待機が退屈なことは知っているから呼びにいっただけなのだ。
いくら待機中でもご飯は食べなきゃいけないわけだし、怒られることもないだろう。
出来ればカヲル君も呼びたかったんだけど、アスカの様子も見られないほど忙しいみたいだし・・・。

「今日はなんだか・・・・寂しいから。綾波さんもそうじゃないかな、と思って」

碇シンジの感受性がころん、とそんなことをいわせた。一人遊びのびいだまのような。


「心配・・・・・・してる」

綾波レイのとぼしい抑揚で、ただでさえにぶちんの碇シンジに真意を伝えるのは、ほぼ不可能だといってよい。背を向けているので、ますます独り言なのか語っているのか分からない。
・・・・・綾波さんの言葉ってむつかしいなあ・・・・詩や俳句を作るのが趣味なのかも。内容が深いんだな・・・・たぶん。でも、霧島教授の話も加持さんの・・・あ、どっちがお兄さんなのかな・・・聞きそびれたな・・・話もためになって面白かったし、無駄ではなかったよね。だけど、本当はあんまり出歩きたくなかったのかな・・・。

見事なまでに思考のレベルが違う綾波レイと碇シンジ。

綾波レイの言う心配とは、総司令碇ゲンドウの不在と作業中の弐号機パイロット、惣流アスカや現場で指揮執る葛城ミサトのことだ。

だが、その点に関してまるきり心配していない碇シンジはその意味が分からない。
もし、碇シンジが鈴原トウジなら、「なに昼間っから寝言かましとんねん」のひとことで片づけただろう。綾波レイでなければツッコミの一発でもいれていたかもしれない。

しかし、自分の実の父親と同居している二人のことだ。なぜ平然としていられるのか。
もしや、あまりにのんきな碇シンジに対し、責めていたのかもしれない。

それとも、内心では不安に苛まれているがそれを隠そうとしているのか。
それがふと、寂しい、と言わせたのか。

肉食でなければ食事の方法に拘りのない綾波レイは、碇シンジの考えているようなことは微塵も思っていなかったのだ。

ならば、自分を呼んだ理由など、何故聞こうとしたのだろう・・・・。
零号機専属操縦者 ファースト・チルドレン、綾波レイは。


エレベータが開いた。碇シンジはここでおりる。
「あ。・・・それじゃあ」

「・・・・・」
にこりともしない白い顔。ドアーが閉じる。

「さみしい・・・・」
謎の呪文のようだった。このまま地の底にともにある。






四号機修復専用第十二番格納庫

「義眼」埋設移植作業が行われていた。
よりによって「今日」届くことになった四号機の特別製義眼。
赤木博士と渚カヲルの直接指導の下、その作業は行われているのだが、科学作業と言うより魔術の儀式めいた沈黙に支配されていた。
作業に要する繊細さは無論のことだが、何より作業工程が半端な複雑さではないのだ。
そのためのレジュメを渚カヲルは作成してきていたのだが、全工程を理解して目を通した者は赤木博士を除いてはいない。各自、己のパートを理解するだけで手一杯だった。
エヴァの生体部品を扱い慣れている専門家ですらこれである。
「義眼」そのものの構成を解き明かそうとは・・・・考える者さえいなかった。

生体部品というのは、ある程度の傷ならば勝手に直ってくれる便利な代物だが、その分、寿命が短い。その上、病気になることもある。嘘のようだが本当だ。
まあ、いいことばかりはない。完全無欠の材料など有りはしないのだ。

この義眼がその生体部品であるのかどうかさえも、よく分からなかった。
結晶体の如くに扱うパートもありの、聖水を振りかけるというパートもありの、とこれは予定された作業というより、未知なる儀式と作業員たちが受け止めるのも無理はなかった。
おまけに指導するのは14歳の少年である。エヴァ四号機の操縦者フィフス・チルドレンであり、直轄試験場の管理人の肩書を持つとはいえ、見上げる我が身を疑ってしまう。
レジュメという実際の証拠がある以上、文句は言えないが・・・。

完全無菌室にてネルフ特製の超高性能電子顕微鏡で欠陥の有無を調べる。

埋設移植作業そのものは比較的、簡単なのだが、それまでが大変なのだった。
一度、埋め込み接合させてしまえば、おいそれと刳り出すことは出来ない。
あえて卑近な例を出すとすれば、人間の目玉の裏側に細い睫毛がいつまでも残っているとしたら・・・それにシンクロした人間はたまったものではない。
第一、機能が働かねばなんにもならぬ。生体部品なのか結晶部品なのか分からないが、恐ろしくデリケートな代物であるのは確かだ。

さらに言うならば・・・・。
赤木博士と、口にはしないがおそらくは渚カヲルも、この送り主を信用していない。
四号機の本物の目玉を刳り抜いて義眼を填め込んでおいたのはその連中だったからだ。
多少の傷物でも輸送中の事故として、しらんふりをされるのは目に見えている。
それは、思い出すだけで赤木博士ほど冷静な人間でも、頭に血が昇るのを抑えきれない。
それに比べればシンジ君とのやりとりも・・・・ガス抜きのようなものね・・・。

儀式・・・・いや、作業は淡々と正確に進められていく。
移植前のチェック作業も終了し、動作確認作業に入った。
大掛かりな外科手術のようなもので、誰も格納庫を離れようとはしない。
のんびり昼食を摂っている間もない。宇宙食にも似た、作業食で秒単位で済ませる。

今、そこにある未知

技術者、科学者として、それを見逃す手はなかった。

プラグスーツに着替え、実験用エントリープラグに入る渚カヲル。
義眼に疑似神経接続し、その様子を確認するわけだ。
作業の指導から、実験役までこなす、まるで俳優出身の映画監督のような渚カヲル。

「準備はいい、渚君」
「どうぞ・・・」

シンクロ・スタート。義眼への疑似神経接続まで一気に駆け抜けて問題なし。
その外見からは伺い知れないが、赤い瞳が顕わしている、人並みはずれた精神力だ。
仮定として・・・・
エヴァのシンクロが登山だとしたら、麓登山口で赤い霧に包まれた、と思ったら山頂にその姿を見せるようなもの・・・・。足腰が達者だとかいうレベルではない・・・・。

やはり、この子は・・・・

「ほんとにすごいですね、渚くんは」
「え、ええ・・・そうね・・・」

その凄さの源は・・・・どこにあるの・・・・枯れることはないのだろうか・・・・
ふと、そんなことを思う赤木博士。今、考えることじゃ・・・ないわね。


「疑似神経接続、開始」



エントリープラグ内 渚カヲル
瞑目している。かりそめにつながれた第三の眼。脳裏に直接浮かぶ映像。

ギ・・・・ギョ・・・・ン・・・・

それに合わせ、動く義眼瞳。しばらく眼の体操でもしているように遊動していた。
とりあえず、問題はないようだ・・・・。さすがに一息つく作業員達。
「渚君、どう、義眼の調子は」
運動の様子で機構的には問題がないと分かった赤木博士もとりあえずは・・・安心した。

「ええ。とくに問題は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「どうかして?」
いつもの柔らかい笑顔が翳ってゆく・・・・モニターの渚カヲルの様子がおかしい。
「渚君?」

「先輩」
伊吹マヤがすぐさま対応すべく、指示を仰ぐ。緩みかけた空気も一瞬にして凍りつく。
なにか、義眼に接続することすら危険な致命的欠陥でもあったのか。


「これは・・・・・・・・・・・・・V・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

何かに気を取られている、渚カヲルらしくもない声。ぼうっと空を見上げているような。
「渚君!しっかりなさい」

「先輩!」
伊吹マヤの悲鳴に近い声。実験記録者たちもおののいている。
そちらに仕方なく目をむける赤木博士。が、そこで体が動かなくなる。

「義眼」
遊動していたものが完全に停止し、その代わり、赤い血の涙を流している。
充血などという生やさしいものではない。カプセルよりロウロウと大量に流れ出始めていた・・・。瞳も紅く染まり混濁し始めている。危険な兆候だ。カンで分かる。

「どこから・・・こんな・・・・いや、実験中止!疑似神経接続、すぐにカットして!」

び・・・・しゅ・・・ぶしゅっ・・・・

何カ所か・・噴き出してきた。内部から強圧力がかかっているの・・・・。
赤木博士は急いでエントリープラグを開かせた。渚カヲルの生体モニターも異常な数値を示している。・・・・・それよりも彼の眼が、視神経が心配だ。緊急検査に回さ・・・・

「!」
引き出された渚カヲルを見て、皆、愕然とする。
渚カヲルは・・・・凝固粘液に漬け込まれたような不自然な睡眠状態・・・・・右目を閉じ、左目は開いたまま・・・にあった。意識があるのかないのか・・・・。
まるで、未熟な剥製人形作りの手にかかったように・・・・。

「渚君・・・・・」






火口マグマ

沈降を続けるエヴァ弐号機。そろそろ対流計算し直した目標との合流地点だ。
互いに流されているからチャンスは一度きり。
さすがのK型装備にもあちこち亀裂が入り始めている。手加減無しの沈降続行に大自然の脅威だ。ダブルサンド無茶によく持ちこたえているといえる。さすがに実質本意の格好だけのことはある。

「もうすこし・・・・頑張って・・・アタシも我慢するから・・・・」

この辺りになれば軽口を叩く余裕もない。口を開くだけでそこから熱が入り込んできそうだった。葛城ミサトの励ましの言葉もほとんど頭に入っていない。それでも話しかけたのは・・・・地上に上がれば惣流アスカは認めないだろうが、多少でも弐号機が元気になるように・・・と思った。そのためだ。
朦朧としかける意識を必死でねじふせ、定位置に力尽くで保持して、タイミングを待ち構えている。
・・・・・・二度とこんなトコには来たくない・・・・絶対に失敗してたまるか・・・・真紅の世界に唯一の青をギラギラと輝かせて惣流アスカは操縦桿を握りしめる。

黒い大きな楕円形の塊・・・・・・・あれだ

あれさえ・・・・とって帰れば・・・・・・


あっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



あつう・・・・・・・・・・・・・・・・・


「キャッチャー展開。目標、捕獲しました。これより帰還します」


なんだか・・・自分の声じゃないみたい・・・いつ捕まえたんだろう・・・・・なんだか体が勝手に動いてた・・・・・自分で操作したに違いないのだが、いかにも捕まえてやるという気合いはなかった。それでかな・・・・・力まないのが良かったのか・・・・。
対流計算が正しかったってわけか・・・・・相手の方から柵の中に入り込んだようなもの・・・・そんなに難しいことじゃなかったわね・・・・こういうのをたしか・・ことわざで・・・・




命綱が引き上げられ、浮上していくエヴァ弐号機。
指揮車内でもようやく緊張の糸がほどけた。
「ここで気を抜かないでね。地上にあがるまで仕事は終わってないわ」
と、部下達を締めながらも頬がゆるんでいく葛城ミサト。
「エヴァ弐号機とアスカの状態は」
「さすがにK型とD型の二重防護は大したものですね。細かな亀裂はありますが、機能は完全作動中。浮上に問題はありません。パイロットの健康状態も生命維持に問題なしです。さすがに長風呂でうだってはいるようですが」
今度は日向マコトの方が口数が多い。本当に容赦のない連続沈降に、腑が冷えるような思いもしたが・・・・・こうして成功してみると・・・・別種の怖さを感じる。
作戦中、葛城ミサトの感じていた、肩に架かっていただろう恐怖を今更ながら、察することが出来たからだ。責任者の重圧などその場に立ってみなければ分かりはしないのだろうが、この場合は察するだけであまりある。成功の確率がどうのというのではない。
人の命がかかっている分、それも知った人間、一緒に暮らしている子供なれば・・・・・命27%分、5%分などというものが仮定でさえ存在しえないのだから、完全を求めるしかなくなる・・・これほどの公衆の面前で子供殺しの責任を被る可能性が僅かでもあるというなら・・・・考えただけでゾッとするが・・・・。失敗したその後のことなど考えるまでもあるまい・・・・・全てを失いかねない作戦・・・・・・だったのだ。

ここは第三新東京市ではないのだから・・・・。

そんなことを改めて考えられるのは惣流アスカが現実に作業を終了させ生きて還ってきているからだ。とにかく。よかったよかった。


「空軍と戦自もこの暑い中、ごくろうさまだったわね。こーゆーの空出張っていわないのかしら」
ここで命綱のパイプやワイヤーが金属疲労によって切れてしまうなどとしたらドラマのようだ。もちろん、そんなことはない。この手の装備は帰還時の状態・行動を想定して造られるのだから。人為的行為以外で命綱が切れることはまず、ない。
命綱が熱で溶ろけるなり疲労に耐えかねる前に、惣流アスカの方が先にきれてしまう。

捕獲した胎生状態の使徒がいきなり羽化を始めてキャッチャー内で暴れでもしない限り・・・・さすがに使徒の力は計算不可能だ・・・大丈夫。


グングングン・・・・・灼熱の火の世界から戻ってくるエヴァ弐号機の姿は、どうにも人間の根元的な感動神経を大いに刺激するらしい。見ている者の胸をじわりと熱くさせる。

「アスカ・・・・」
まだ全ての作業は終わっていない。それは分かっているが・・・これは抑えきれないものがある葛城ミサト。モニターの中の惣流アスカは、ふやけかけた赤ダルマ状態でぐーてんぐーてんになっている。鏡でもし、自分の姿を見ることができたら、即座に叩き割っていただろう、そんな姿。葛城ミサトはかえって、何も言えなかった。

そろそろマグマ面より浮上して顔を見せる・・・・・・・肉眼で安心をつかまえるその時

空中で爆発が起こった。空に一瞬だけ灯る炎球。突如現れた、煙尾を靡かし落ちてゆく不完全なほうき星。地に激突・・・・・・大爆発を起こす。

「空軍と戦自に連絡!・・・事故か?」
和んだ顔を一瞬で軍人のそれに切り替え、すぐさま指示を飛ばす葛城ミサト。
いくらなんでも報道のヘリかなにかを撃ち落としたなんていんじゃ・・・にしては高度がありすぎる・・・・あの影は軍用偵察機・・・・・整備ミス?操縦か・・・・
とりあえず、遠方に落ちてくれて良かった・・・・・。

「なにか・・・・あったの・・」
カサカサに乾燥しきった声、声帯が熱気で痛いのだろう、惣流アスカが尋ねる。
消耗しきっているだけにカンが鋭くなっているのだ。そして、不安もある。
「大丈夫、機械に問題はないわ。・・・頼もしいお味方が居眠り運転してただけ」



グングングン・・・・・
エヴァ弐号機、溶岩面より浮上。・・・・・・完全に姿を現した。

「おかえり、アスカ」
「・・・・ただいま」

後の指揮は日向マコトに任せ、葛城ミサトは先ほどの爆発について情報を集める。
いや、集めるなどというものではなく、アスカに聞こえぬよう外に出た葛城ミサトは携帯に向かって怒鳴りつけ脅しあげた。もちろん相手は空軍だ。
こんな危険な作業に無用のプレッシャーかけてくれた挙げ句に事故だあ?ふざけるんじゃない・・・・足引っ張るにも限度ってもんがあるでしょうが!
無人機でなければ、飛行機のパイロットは死んだだろうが・・・・・・・
自分たちをN2爆雷で狙っていた人間に同情するほど葛城ミサトは甘くない。

使徒にも真っ正面からガンつける葛城ミサトに、電話の相手は震え上がっただろう。
だが、ブチ切れているわけでもない。同時にもう一個の携帯で戦自からの報告を受ける。やはり空軍の偵察機であったとか、現在炎上中で消火作業に入るだの、さして役に立たないものばかりだ・・・エヴァ弐号機はすでにクレーンまで上がり横移動に入っている。

キャッチャーも異常なし。無事だ。灼熱に炙られたK型装備・・・・・その中にたった一人で潜っていったアスカ・・・・こんなこと異常の沙汰だ・・・・それをやらせる私達も・・・・それを思うとタダで済ます気はなかった。



「ん・・・・あれは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
白い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鳥か


見上げる葛城ミサトの視界の奥の奥。空の果て。ある一点。
翼を広げるものが見えた。遠近に支配されないのか、その白い鳥は、爆撃機機影のさらに上空にありながらその形象がはっきりと見える。

不吉・八月十五日


本能のフィルムに焼きぬかれた白い影像に名づく題・タイトル
ひどくいやな感じがする・・・・・・N2爆雷が頭上にあろうと平然としていた心臓がザワザワと震え騒ぎだす。

いんいんいんいんいんいんいんいんいんいん・・・・・・いんいんいんいんいんいんいんいん・・・・・・・


空が唸りだした・・・・・目には見えないが上空一杯に蝉の群が魂揃えて鳴き始めたような・・・・それでいて透き通るような・・・・心の一部を吹きぬかれていくような・・・・・・・・音色だ・・・・どこか四号機のあの・・・





ネルフ本部 総司令官執務室

がしゃん・・・
震えのおさまらぬ手が受話器をおく。副司令冬月コウゾウ。
「エヴァ伍号機の投入だと・・・・・・・ゼーレめ・・・・」




弐号機エントリープラグ内 惣流アスカ
ようやく・・・・一仕事終わったか・・・・・浅間記念館も温泉も・・・どうでもいい・・・・・そんな元気ない・・・・・家に帰って・・・さすがに今日はリビングで寝よ・・・・・・

クレーン横移動終了。エヴァ弐号機、帰還。地に足が着いた。
「はあっ・・・・・・・・・・・・・・・」
深い、ため息。LCLの中で、肺が直接酸素を取り込んでもため息はため息だ。
でも、悪くない気分だ・・・・・。いつもの使徒殲滅に比べれば・・・・・危険の質は違うけれど・・・だからシンジも心配しなかったんでしょうね・・・・心配かけてもしょうがないことだしさ・・・・でも、これで・・・コイツを研究すれば・・・少しは楽になるのかな・・・・・コイツを・・・・・

惣流アスカはキャッチャーの中の使徒を見た。・・・・・たしか・・・胎児の姿だ・・・。研究って・・・・どうするのかしら・・・・・まさか飼い慣らすってわけにもいかないでしょうから・・・・最終的にはバラバラに・・・遺伝子レベルで・・・切り刻むんでしょうね・・・肉片一つ一つにわけて、何が効くのか、とか調べたりさ・・・。

タッハウ・・・・いや、そうでもない、それはよくあること・・・・・とても・・・

ここから先はわたしの知ったこっちゃない・・・・だけど、化けてでたかったら・・・・・・どうぞ。私は惣流・アスカ・ラングレー。エヴァ弐号機のパイロット。

そうじゃないとフェアじゃないから・・・。負けてやる気はないけどね・・・・。

こんなこと考えられるのも作業が成功して地に足が着いているから、か。
あー、暑う・・・・・早くシャワー浴びたい・・・・・・

ん・・・・あれ・・・・水の音が聞こえる・・・・・・






コンフォート17マンション 葛城ミサト邸
とん、とん、とん、とん、
碇シンジが台所にたち、夕飯の準備をしている。三人と一匹分の。
今日は特に暑気払いの涼風のメニュー。のどにするすると通っていくような鯛そうめん、蒸し鳥や卵焼きをキュウリを細長くきったものなどを散らす。
それにフルーツポンチなどを作っているのが、らしいといえばらしい。

リビングのテレビをつけっぱなしにしている。横になるペンペン。
ニュースを知るためだが、今のところ浅間山が大爆発したなどというニュースはない。
今日も一日、それなりに平穏な一日でした、と女性キャスターの表情にある。
この局にしているのは、ペンペンがこのキャスターのファンだからだった。
ペンギンの目にはこのキャスターがどう映っているのだろうか・・・・・。

準備を終えてしまうと、部屋に戻る碇シンジ。机の上にはあの箱がある。
「できてる、できてる」

「・・・これを見たら驚くだろうなあ・・・」
その出来具合の様子をあらためて、ひとりで喜んでいる。

「早く帰ってこないかなあ・・・・」
待ち遠しくて、夕暮れに笑みこぼれる。