とん、とん


ネルフ本部総司令官執務室 総司令 碇ゲンドウ


冬月コウゾウはいつものように詰め将棋・・・といきたかったが、いや、その実は大して変わらないかも知れない、使用するのが駒か人間かという違いだけで・・・・・ゼーレや人類補完委員会への対策等々、碇ゲンドウが不在の間に練り上げておいた策法のいくつかを自分で作成した資料に(秘書がほしいな・・・・)そって説明などしていた。

「手持ちが寂しくなれば、人間ろくなことを考えんからな・・。パイロットも見つかっておらん六号機以降の建造を早めるだの、また金の無駄遣いだよ。
・・・・葛城一尉を査問委員会に出してみるかね。多少は攪乱になると思うが」

ろくなこと、というのはどういうことなのか。この哲学的命題を煙にまいておいてけぼりにするようなことを云う冬月コウゾウ副司令。

「・・・・・・・・・」
沈黙の碇ゲンドウ。

「その間に使徒に来られてもかなわんな・・・・」
碇め・・・・まだ気にしているのか。まあ、ゼーレにあれだけの目にあわされて発狂もせず正気を保てるのだ。神経に疲れがでるのは人間の証拠だ。


赤木ナオコ君・・・・・・死んだ人間は生き返らない。マギシステム完成に文字通り命を捧げた女性。美人薄命・・・いや天才は夭折する、というやつか。


あれから十年か・・・・・・・


声も変わるだろう。年経た分だけ、何かが変わる。そのままではいられない。
碇がナオコ君だというなら、ナオコ君なのだろう。ただし、十年前だ。
それはいくら若作りしようと声に出る。それが見抜けぬようではその席に座っておれまい。

死者のみがいつまでもかわらずにその面影を保つのだ。

それゆえにマギは我々に協力してくれるのかもしれないが・・・。


「ゼーレにアナテマを撃たさぬようにせんとな・・・・・シナリオが完遂するまでは」

「ああ」


「だが碇」

「なんだ、冬月」

「先ほど、背中を軽く叩いたのは・・・・・・・・いや、なんでもない」

「・・・・・・・」

総司令官執務室の中に奇妙な空気が流れた。


疲れているのか・・・・歳だからな・・・・・・冬月先生も

自分に敬老精神があるとは思わない。自分が平穏に歳をとることを想像出来ないからだ。しかし、時間の流れは拒絶しようがどうしようが確実に肉体に入り込み、蝕む。
時間の流れが進化を促進し、進化の終着地が死そのものならば。
それは、死への成長か。

しかし

まだ、死んでもらっては困ります。世界中探してもこれ以上の適任はない。
有能で信頼できる、というのは得難い。片方だけなら掃いて捨てるほどいるのだが。
うそつけ。碇ゲンドウが信頼する人間など殆どいない。

ニヤリ。碇ゲンドウは笑う。

「冬月先生・・・・・久方ぶりに風呂でもどうです」

「今日は柚子だったか・・・・」

その風呂がぬるかったかどうか・・・・・・・さだかではない。




コンフォート17マンション 葛城家の朝

「へー、バンドお?それも八人とは豪勢ねえ」
昨晩は実験と碇シンジの検査で遅くなり、帰るなりバタンキューと寝てしまった葛城ミサトは今朝、「地球防衛バンド結成」の話を聞いた。

「ファーストはまだ入るかどうか分かんないんだけどさっ」
朝から浮かれているのは惣流アスカ。昨日はかなり遅くまで洞木ヒカリと長電話をしていた。当然、話題は降って沸いたようだがバンドの話。その中で八割りほど、自分たちがデュエットで歌うなどと勝手に煮詰めていた。これはかなり真面目に、力量の点から見てもそうなるだろうな、と判断してのことだ。八割ほど炭酸のような気分が入っていることも
否めないのだが。山岸マユミは、どう見ても引っ込み思案で人前に出て歌うのを好むタイプにはみえない。相田ケンスケに連れられて半ば強引に参加、ということだろうし、綾波レイは・・・・いうまでもなし。惣流アスカに云わせれば、「敵じゃないわね」ということになる。
たしかに。宇宙怪獣じゃないんですから。

では、渚カヲルは?本人もかなりやる気でいたようだが・・・・。
本部からの帰り道、それとなく惣流アスカは探りをいれていた。
しかし、その結果。
「強敵だけど、構造的弱点があるわ。敵じゃない」
と、いう判定が出た。
まず、第一に、「楽器がなんでもできる」これがやばい。腕前の方は知らないが、そのオールランド性がこの素人バンドでは、格好の便利屋、穴ふさぎに使われるのは目にみえている。
それから、第二に、「渚カヲルは喋らない方がサマになる」これである。声がどこかの野球の監督のようにカン高いとかいうのではない。話の内容だ。その意味の不明さが謎を呼び魅力を高めているのかもしれないが、その調子で歌われるわけにもいかない。
それから、女性の心理として、じっと見つめている分には自分のもののような気がするがそれが皆に向かって歌い出すと、皆のものになってしまってそれほど面白くない。
計算高い鈴原トウジと相田ケンスケがそれを見逃さないはずはない。
それから、第三に、「ボーカルでなくても参加させられる運命」これは大きい。
男の友情とかいうものは惣流アスカには分析不能(その気もないが)。
しかし、それゆえに物事決定の優先順位はこちらよりも劣ることになるのは確かだ。
・・・・計算高さではあまり人のことは言えないかもしれない惣流アスカであった。

まだまだあるが、これくらいにしておこう。
かくのごとき理由で「渚カヲルも敵ではない」のであった。
いくら女子のファンが多くても、同じ女子である惣流アスカがそれを考える義理はない。
芸能の世界は非常なのだ。いや、非情なのだった。


そーゆーわけで機嫌がいい惣流アスカ。
出会ってから、いろんな話をしたけれど、ヒカリとあれほど明るく騒いで話したことはなかった気がする。ただ、単純に。時の流れるのも忘れて。

いや、自分を忘れたから?・・・・楽しかったのは。

最初は、実のところ、カリを返すような気で参加を決めたのだ。
洞木ヒカリ、鈴原トウジ、相田ケンスケ、ミサトが来る前に来てくれた三人。
エヴァのパイロットでない・・・・ふつうの・・・・とも・・・・だ
それを言葉のかたちにしてもよいものやらわるいものやら、判別がつきかねた。
まあ・・・とにかく・・・・。

借りたら返さねばならない。そうでないと気持ちが悪い。人間として当然の義務。
それだけだ。楽器はバイオリンしかいけないけど、つまりはそういうこと。

使徒がいつくるか分からないけれど・・・・

ちらっとパンを囓っているとなりの碇シンジを見る。まだ、眠たそうだ。

「・・・・ところでさ、ミサト。反対しないの」
すっ、と浮かれをしずめて尋ねる。こういう切り替わりの巧さをこの年で知っているというのは不幸なことかもしれない。と、葛城ミサトは思った。

「なんで?」
その反問は包むようにやさしかった。

「使徒が来たらどうするのか、とかさ。・・・・いろいろと」
惣流アスカがほんとうに聞きたいのは、その、いろいろ、なところだろう。
初めてやる事柄には、だれしも多少の不安をいだくものだ。
使徒が来たら、エヴァに乗り、ブチのめせばそれで済むことだ。

「うーん・・・・そうねえ・・・」
しばらく考えてから葛城ミサトはたとえ話をもちだした。
「たとえば・・・相撲よ」

「はあ?」
「・・・・(こく)・・・はっ」
怪訝な顔をする惣流アスカとまだ目がさめない碇シンジ。

「昔、外国人の力士がいてね。ものすごく強かったの。ずんずんと番付をあがっていってそのうち横綱、最高位ね、になれるかもっていうところまできたの」
どういうつながりなのか、さっぱり分からないが、さっき問い返してくれたあの顔がやさしかったから、黙ってきいている惣流アスカ。
「そこで周囲が騒ぎ出したの。相撲は日本の国技だ、外国人は横綱になる資格はない、とかね。宗教的なことを云々言い出したわけよ」
「?そんなのおかしいじゃない。じゃ、ナンバー2まで留まらせておくのが日本の宗教ってコト?相撲って格闘技でしょ。実力があればトップになるのは当然じゃないの」
「横綱には格式っていうものが問われるのよ。ただの人間から精神的な・・・シンボルになっちゃうわけね。その日本のシンボルに外国人がなられては困るのよ」
「・・・・」
なにか・・・深い意味があるのだろうか・・・・朝から酒をかっくらってもネルフの作戦部長だ。惣流アスカは考える。


しかし、考えてもむだなのであった。

葛城ミサトは「それで反対するくらいなら学校にいかせてないわ」という程度のつもりで今のたとえ話をした。要は使徒を倒せばいいのだし、別段、遠出するわけでもない。
さすがに第三新東京市から遠くに離れるというなら一考の余地があろうが。
大体、碇シンジをのぞいて、学校に行く必要などないほどの知的レベルがエヴァのパイロットには備わっている。文部省もネルフにとってはへのかっぱだ。

つまり、惣流アスカの後半の「いろいろ」なところは聞いてなかったのである。
聞いてないというより、まともに受け取っていなかった。
十四の小娘の感性で「いろいろ」といわれても、もはや三十に近い女性の「ごっつぁん」
な感性では同じ女といえど理解にかなりの距離が空くのもやむなし。


そして、葛城ミサト自身にも懸案というものがある。

目の前の子供たち。碇シンジに惣流アスカ。

それはいつものことではあるが、保護者として、監督者として、まあ、昨日はいろいろと頭の痛い問題が持ち上がったのだ。

ちらり、と碇シンジの方をみる。卵焼きをかじっている。




昨晩、つまり、惣流アスカ達が帰った後の、碇シンジの身体検査でのことである。

体の具合の様子を、いわば健康のチェックだと言われれば納得せざるを得ない碇シンジ。
少々、血液や髪の毛、皮膚のちこっと一部を採取されても、まあ医者にかかったようなものだと思い、黙ってその検査を受けていた。
疲れているはずなのに、その振る舞いにどこか溌剌としたものがある赤木博士。
それは初号機の再起動成功のためだろうか、と碇シンジや付き添いの葛城ミサトなどは思い、その仕事熱心さに感心などしていた。

「どう、シンジ君。久しぶりに乗ったエヴァは」
「あ・・・はい、いい・・ゆ、じゃなかった・・水です」

どうといわれても特にいうべきことはない碇シンジ。
エヴァの09システム。それはこの言葉の奥にある砂粒のようなもので起動する。

薬、いや、クスリと笑う赤木博士。
スキャンしたデータをカタカタまとめる指先をしばし口元にあてる。あやしい。
「リツコ、まだあ?シンジ君も久しぶりで疲れてるから早めに切り上げてね。
まー、シンクロ直後のデータが必要なんだろうけどさ。明日は学校もあるし」
親友の仕事への熱意を理解しながらも、碇シンジと自分の体の心配もする葛城ミサト。
本当はここで付き添う必要もなく、他にやるべきこともあったのだが、長年の親友の仕事への熱意を「正確」に理解しているためにここでこうして見張っていた。

ちなみに、途中、「一息いれましょう」といわれて渡されたコーヒーを飲んではいない。

「あ・・・もうこんな時間。これで終わりにするわ」
実はまだまだやっておきたい検査があったのだが、ミサトのいうことも珍しく一理ある。大義名分のあるうちにデータを揃えておきたかったのだが。
実のところ、かなり個人の割合が多くして赤木博士はこの検査を行っている。
伊吹マヤが同席していないのはこのため。葛城ミサトさえいなければ、碇シンジとサシで・・・いえ、マンツーマン体制でデータ収集が行えたのだが。基本なのに。

「じゃ、最後に脳髄液を採取しましょう。それでおわり・・・」


すぱこーん、と叩かれる赤木博士。万能天才科学者にはふさわしい音だ。
こんなにうまく叩けるのはちょっといない。


「な、なにするの!!ミサト!気でも狂ったの」
怒りを込めて振り向くと、そこにはハリセンをもった葛城ミサト。
ヒマだからそこらのいらないデータ用紙を用いて作っていたのだ。

「そりゃ、こっちのセリフよ。なにが脳髄液よ、シンジ君の頭に穴開ける気?」
「現代の医学技術はそれくらいしても大丈夫。超極細のマイクロロボット針を使うから傷も残らないわ。碇司令じゃないけど、問題はない、のよ」

すぱこーん、すぱこーん。
計三発はマギになぞらえているのだろうか。とにかく続けて葛城ミサトはすっぱたいた。「それならそれで、黙ってやりゃいいでしょうがっ!!前置きもなしにズバッと言っちゃうから・・・シンジ君が・・・・・・・あ」

くっ・・・ミサトめ・・・・・純粋なる科学の探究のジャマを。覚えてなさいよ・・・。とにかく今はシンジ君。このチャンスを逃すわけにはいかない。

「シンジ君、痛くないし、傷はつかな・・・・・・あ」
振り向きながら優しく説明しながら、逃げないように手をとろうとする赤木博士。
だが。

碇シンジはすでに逃げていた。

結局、葛城ミサトが発見し、「あれは、シンジ君にお疲れさまっていうお茶目な・・・・つもりのジョークなのよ。赤木リツコ博士ってば冗談のセンスが根本から破壊してるから。それとも。赤木家の人々が十代前に住んでいた先祖の地、メキシコの、メキシカン・ジョークが自然に出たのかもしんない」

相当勝手なことをいって、碇シンジをなだめた。

「これで貸し、ひとつね」
ハリセンで三発もひっぱたかれた上に、貸しまでつけられた赤木博士。
まことに科学探究の道はきびしい。

ただし。
赤木博士の名誉のために付け加えるなら、赤木博士は興味半分で脳髄液を所望したわけではなかった。大真面目で碇シンジの脳みその様子が知りたかった。
これが名誉だと感じられる人は、真の科学者だといえる。しん、とはよまない。

初号機を動かしているのは碇シンジ。つまりはその脳みそだ。
もしかすると胃袋が動かしているのかも知れないが、だとするとこわい。

それも地道な研究を重ねることでおいおい分かってくるのだろう。
葛城ミサトのような邪魔者にはそのうちバチがあたるであろう。どどどん。




あの調子じゃこの先も気いつけてないとやられそうね・・・・・。
もしや、自分じゃなくてリツコのとこに行ってたらどうなってたのやら・・・・。
タバコを覚える程度では済まなかったわけだ。

・・・・・ふわ・・・・おいかけっこしたせいで睡眠時間が・・・・あったく。

今日こそは加持をつかまえて話をきかなきゃならないってのに・・・・。
本部内にはいるはずなのに、なんでつかまらないんだか、あのバカ。

それに加えて、地球防衛バンドの話である。アスカは盛り上がっているが、その隣に一緒に参加するはずの碇シンジが舟をこぎかけている。実のところ、葛城ミサトも眠かった。

夜遅く疲れて帰ってきたとき出迎えてくれる日もあれば、そのために夜遅くなって疲れて朝眠たい日もある。ま、どっこいどっこいといったところか。

こんな日はぺんぎんになりたひ・・・・・。






ネルフ本部


とん、とん

自動販売機エリアでくつろぐ青葉シゲル。その肩をかるく叩かれる。

「ん・・・・マコトか。どうしたんだ」
「そろそろこの前貸した金、返してくれよ」
にこにことした顔で日向マコト。ほんとうの友達は金の貸し借りはしないそうだ。
が、この前、青葉シゲルが泣きついてきたから仕方なく貸してやったのだった。
友達でなければ泣きついても無駄なのだから、むつかしいところだ。
しかし、きちんと借りたものを返しさえすれば問題はない。

「そのことだがな・・・・」
青葉シゲルは声をひそめる。いやな予感の日向マコト。
「まさか返せないっていうんじゃないだろうな」
「いや、まあ聞けよ・・・・こんな噂を知っているか」
「うわさ?」
「このところ、本部でおかしな噂が流れているんだ。こんな風に二人の人間がいると、片方が叩いた覚えがないのに、片方は後ろから叩かれた気がする、と云うんだ」
「なんだそりゃ。いくら妖怪マンガ家に名前が近いからってそんな幽霊話なんてさ。
錯覚だろう、そんなの・・・」
「いや、ホントなんだ。この話は。ここ二、三日であちこちで聞こえる。総務のアヤノ女史の突然の別れ話はお前も聞いただろ、あれはこれが原因らしいぜ」
「ああ、あのエレベータ前で騒いでいたあれか。碇司令が留守で良かったよな。
・・・・・しかし、これと金を返すのとどう関連があるんだ」


フフフ・・・・あと一押しだな。
日向マコトの弱点を知っている青葉シゲルは内心でほくそ笑む。
日向マコトは怪談に弱い。幽霊話に弱い。お化けの話が嫌い。
子供の頃、怪奇マンガによって受けたトラウマにより、今でもその手の話が苦手なのだ。
いくら年中夏でも全館の生命維持システムは人間に程良い気温を保つから、そんな話を聞いてヒヤっとする必要など無い、というのが日向マコトの言い分だ。

それを百も承知で利用しようという青葉シゲル。
まさしく金の貸し借りがからむと友情などもろいものだ。
これを伊吹マヤが知ればなんというか。

「ここはいくら万能科学の粋をこらした施設といっても、土の下でお日様は直接届かないわけだからなあ・・・・地縛霊かなにかが通路を徘徊しててもおかしくないよな。
霊感のないオレたちの目には見えないだけで、壁なんかスウッとつきぬけてさ・・・・」
「まだ仕事がのこっていたっけな。・・・じゃ、また後でな」

ここは機械音がなく気が安らぐが、見方を変えればうすら寂しい自動販売所。
そーゆー話が苦手な人が、そーゆー話をされて長居したい場所ではない。

フッフッフ・・・・やったぜ
ロンゲの髪は幽界へさそう柳の枝か。演技派青葉シゲルの語りはまんまと成功した。
ロッカーのやることではないが、ロッカーは金がないと相場が決まってもいる。
実際、返すべきお金があれば、きちんと彼は返していただろう。踏み倒す気はない。

マコト・・・・・次の給料日にはきっと返す。待っていてくれ。

しかし・・・・それまではこのネタを何度でも使う気でいる青葉シゲルであった。


ふいに、背中から

どん、どん・・・・


「え・・・・・・?」
ふりむくとそこには・・・・・





第三中学校 昼休み 屋上
「まずいことになった」
相田ケンスケはそう切り出した。円陣に座っているのは四人。
鈴原トウジに渚カヲルに相田ケンスケに碇シンジ。男だけ。
しかしながら話題は当然のように地球防衛バンドのことだった。
まだ目鼻も福笑い状態であるのに前評判と注目度はやたらに高い不思議のバンド。
ちきちきばんど・・・ではなく、ちきゅうぼうえいバンド。
それが、まずいことになったようだ。

「マユミちゃんが参加しない・・・・身を引くっていうんだよ」
呻くようにそう告げる相田ケンスケ。しかし反応は鈍い。
「うーん、そうやな。惣流はともかく、イインチョーまでああ乗っとるからなあ」
「彼女はピアノがかなりいけるそうじゃないか。そちらの方にまわってもらったらどうだい」
「・・・・・・・なんで?・・・・ふぁ・・」

「八人っていうのは確かにバンド活動には多いからな。どうしてもキミが必要なんだって口説いた手前、人数がそろうと引き留めにくい面もあるんだ・・・・・もともと目立ちたがりの子じゃないから・・・・って、シンジい、寝るなよお!」

「あ、ごめん・・・ほとんど・・きの・・ねて・・・」
あやまるそばから頭がだんだんとさがっていく。眠気のために。

「かんべんしちゃりや。シンジの今日の弁とー、コーンフレークにのりたまがかけてあるんやぞ。午前中もなんや半分、うなされとったようやしな」
「ああ、頭に穴がとかいってたっけ。聞こえたよ・・・・・渚あ、なんかあったのか?」
「さて・・・」
とぼけてるのか、本当に知らないのか、わからないが、少し碇シンジのことを心配し、少し、今日の弁当の内容が単純さにおいて似ていることに楽しさを感じてしまう渚カヲル。

「なんかいい方法ないかな」
「いい方法ってなんや?」
屋上に連れてきてもあまり意味はなかった碇シンジはほうっておき、相談を進める。
「マユミちゃんを引き留める方法だよ!」
相田ケンスケにはそれしかあるまい。
「うーむ。そないなこといわれてもなあ・・・・ケンスケ、お前が閃かんものがワシが分かるかいな・・・・しかし、なんとかせんとなー・・・・」

それからここで渚カヲル。
「綾波レイ。彼女のことはどうするんだい」

完全に会話の中央点に誤差無しにおかれた銀の鈴のような一言。
私情がないのでその鈴はふれず、鳴らない。
「シンジにまかせるわ。他のモンはやる気からしてダメやろうからな。正直なハナシ」
とりあえず、綾波レイを説得しようと試みたのは碇シンジひとりだけ。
山に登れるのは、山に登ろうとするものだけ。そういうことだ。
責任上、鈴原トウジも最低限は動こうと考えているが・・・・。
あの赤い瞳を前にして態度を変えない自信はない。
綾波レイにはこわいようなところがあった。とても同い年とは思えないほどに。
近づきがたかった。それは今もつづいている。

えらいこと考えてもうたなー・・・・と思ってもあとのまつり。

「そうだね。シンジ君ならグッドなアイディアを出してくれるかもしれない・・・・」
渚カヲルは当然、五面事件も明礬事件も知っている。
論理的柵がないぶん、なにかまた意表をつく考えを浮かべてくれるかもしれない。


雲は天才である・・・・・。


さあっ・・・・・と銀の髪をかき上げて青空を見上げる渚カヲル。絵になっている。
よく用いられているカメラが意志をもつならば、写したくて仕方がない「絵」だろうが、持ち主にあいにく、その気がなかった。





碇シンジの目がぱっちりと覚めたのはようやっと五時間目の終わり。

六時間目の前だった。
なんのために学校に来たのやらよくわからない日であった。

ラップトップ机パソコンに通信が入っていた。
その内容は昼休み屋上でされたことだ。とうぜん、碇シンジの頭には入っていない。


山岸さん・・・・・
綾波さん・・・・・

ふうん・・・・・・ふたりをみる碇シンジ。

<なにかいいアイディアはないのか>相田ケンスケ

葛城ミサトに惣流アスカ、若い女性二人と同居という羨ましくも難しそうな生活をしている碇シンジにはそれなりに女性の心理が分かるのではないか・・・・・。
私情で眼鏡がくもっている相田ケンスケ。しかし本人大真面目。

アイディアはないのかっていわれてもなあ・・・・・あるわけがない。
大体、誰がどれをどうやる、という基本的なことが決まっていない。
その状況では、あなたにこれをやってほしいです、とか言えないんだから説得のしようがない。一日、寝ていただけに基本的なことをきちんとおさえる碇シンジ。

しかし、形からはいる物事、ということもある。
ぶっちゃけた話、抑え切れぬ魂の鼓動を表現する音楽活動がしたくて集まったのではない。集まってからなんかしようという烏合の衆活動なのだ。
それもまた基本のかたち。

もう一度、山岸マユミと綾波レイの方をみる。

うーん・・・・ふたりか・・・・・・・・いけるかもしれない。
ふたりとも騒がしいのはきらいみたいだし・・・・バンドってかたちにこだわらなければ・・・・・まてよ?山岸さんはそうだけど、綾波さんはどうなのかな?

考え込む碇シンジ。・・・・・帰りにでも聞けばいいかな。

イメージはかたまってきているようだ。
あまりやる気のないふたりの少女を快方に向かわせる妙案が。
しかし。
どちらか片方ずつではなく、一気にかたづけてしまおうという楽ちん案が通るのか。






「えー・・・と、ここでいいのかな」
「綾波のやつ、ホンマにこんなトコに住んどるんか・・・・惣流の時とえらい違うな・・・・・・こらギャップ激しいわ」

再開発地域 無人の巨大団地
空気すらしらけきっていて、活気のかのじもない。寂しさもコンクリートの匂いが染みついていて踏み込む足を重くする。灰色の無人城。
打ち捨てられた人形が砂場にころがり、忘れられた花壇には雑草さえうらびれている。
垣樹は入り口を隠すように暗く生い茂ってり、ここから見えるベランダには黒いひび割れガラスしかみえない。

遠くで響いてくる工事の鉄の杵打つ音も下手をするとかき消えてしまう。
荒れ果てた、という形容がこれほどふさわしい場所も第三新東京市内にはあるまい。
コンクリートの巨大な存在感、圧迫感はあくまで乾ききっていて、湿り気のある闇はここにすむことはゆるされない、徹底した疎外感を訪れる者に与えていた。

灰色の無

無は有を嫌うものだ。全てを犠牲にして得たその静謐が破られることを。


そんな場所にやってきた二匹のジャリ。鈴原トウジに碇シンジ。
学校帰りで鞄ももったままだ。
目的は、ここに住んでいる綾波レイに会って、ある話をすること。

だが。

ネルフ住所録のとおりにやってきたここに来てみて、多少、後悔する碇シンジ。
こんなことなら、学校にいる間に話しておけばよかった、と。
日直でさえなければそうしていたのだが、日直だったのだから仕方がない。
子供の数が少ないと順番はすぐに廻ってくるものだ。
こうなれば明日にしても良かったのだが、鈴原トウジがついてきているだけにそういうわけにもいかなかった。
日直でもない鈴原トウジが碇シンジと同行しているのは、責任感と義務感からである。
いささか暑苦しいが、碇シンジがわざわざ妙案を考え出して綾波レイの家まで行って口説こうというのに、一人で行かすのもバンマスの名がすたるっちゅうわけだった。
ちなみに相田ケンスケは、碇シンジからその妙案を聞き出すと、山岸マユミを専属で口説きに行った。
しかし、そんな硬派な鈴原トウジもこの無の窟に足を踏み入れてみると多少、後悔した。呑み込まれて二度と帰ってはこれないような錯覚。行方不明の四字が目の前をコワレカケタ蛍光灯のようにちらつく。

こんなところによく一人で住めるな・・・・・・

アクセントは異なるが、二人とも同じことを考えた。
まだ日は暮れていないが、これで夜になったりなんかした日には・・・・・

お手軽に電話ですませていいこととよくないことがある・・・・・・
いささか古風かもしれないが、この考えは一致している碇シンジと鈴原トウジは、いざ、その暗い階段をあがっていった・・・・・




「綾・・・なみ・・・・ここだな」
国営放送の集金人もここまでくることはないらしく、汚れた表札には名前だけある。
ガスや電気はきているのだろうか・・・・と心配する碇シンジ。
いくら閑静な団地っていってもものには限度が・・・・・療養のために空気は特別きれいってわけでもない・・・・ほこりっぽいし、淀んだ水の匂いがする・・・・。

呼び鈴を押す。

反応はない。

「まだ帰っとらんのか。寄り道するようには見えへんがなあ」
「買い物かもしれない。一人暮らしだから」

もういっかい押してみる
「綾波さん、いる?」

反応はない。

「居留守と違うやろな。こんなとこに来る人間なんて滅多におらんやろうしな、警か・・・・・・・開いてもうたわ・・・・」
鈴原トウジがドアノブに手をやってみると金属のドアは開いた。

「鍵・・・・かかってないのか」
不用心なのか、そんな必要もないのか。後者のような気がする碇シンジ。

「綾波、おるんかー・・・・・・・・おるならおると、おらんならおらんと返事せい。
・・・・なんや!?このえげつなきたない玄関は。百万光年くらい掃除しとらんような汚れっぷりやな・・・・壁に穴もあいとるし・・これがほんまに女の家か・・・」

「中はきれいだと思ったんだけど・・・・402・・・ここでいいはずなんだけどなあ・・・・・あ!」
「どないしたんや、シンジ」
「ここ、綾皮さんのうちだ。綾波さんじゃなくて」

「なんやて?」
「さんずいが汚れで隠れているのかとおもったら、よく見たら違ってた」
「紛らわしい名前やなー・・・・そやけど、家の番号はあっとるんやろ」
「うん、402号室」
プリントアウトしてきたメモを見直す碇シンジ。間違いはなし。
「ホンマにそれ、あっとるんか?ふつー、四だの九だのは敬遠されて使われんもんやろ。
それを402で、死に、やら縁起悪すぎるで。いくら綾波が変わりモンでもそんなとこには住まんのとちゃうか」
「そう言われてみると・・・・そうかもしれない。間違ったのかな」
「棟違いだけでもなんせこの数にこの広さやからな・・・・それに部屋番までアテにならんとなると・・・・まず、探せんな」
「今日は・・帰ろうか。明日、学校で会えるわけだし」
晩の食事の支度もしなければならない碇シンジはあっさりあきらめた。
綾波レイの住居の有様に少々戸惑いも残ってはいるが、こんな広ければひとつくらいまともな明かりのつく部屋があってもいい・・そこが綾波さんの家なんだろう・・などと勝手に考えていた。アスカに聞いたところでは作戦顧問も古びて小さい家に住んでいるという。

ネルフって・・・・意外なところで清貧主義なのかもしれない・・・・。




「ごめん、トウジ。無駄足ふませちゃって」
「ついてきたのはワイの勝手でしたことや。そらええ。・・・・ホンマは、ついこないだ転校してきたシンジよりワシらの方が知っとかんとあかんのにな。惣流の時は渚が手引きしてくれたんや」
「ふーん・・・」
鈴原トウジは碇シンジがその当時のことを知っているつもりで話した。



階段をおりると、夕焼けお空はいわし雲。そろそろ電柱は明かりをつけたくなる時刻だ。

巨大な建物はそろそろ別の顔を見せはじめている。人に飼い慣らされていないことが日の落ちることでいよいよはっきりしてくるのだ。どの家にも電灯がつかない。窓は黒く塗りつぶされたままに夜を待っている。


「蝉も・・・・鳴かないんだね」
「そやな・・・・・・」
少年たちの足が速まる。自然に。少しでもここから早く抜けだすために。
無言なのは怖さを語らぬために。それを口に出すには彼らもちょっとだけ年をとっていた。

ここにたったひとりで住んでいる少女がいるというのに、すこしだらしがない。
しかし、背中はやはり急かされる。まだ夕闇には大人の言葉にならない顔があった。
足首がピンとはり踵の音が強かった。目はするどくして前だけを見つめている。

団地内道路は無視して、垣をつっきる。まだ少年たちにはゆるされるか。

表・・・・外の道路が開ける。ここから帰れる。自分たちの家に。

「あ・・・・・」
「おっ・・・・」
「・・・・・・」

少年たちの足がとまった。その目の前には少女がいた。綾波レイ。
青白い電灯がもう点ていた。その光の中にほの浮かんで・・・・・赤い、瞳。

「なに、してるの・・」

帰ってくると、垣樹の間からガサガサっと出てきたのだ。しかもこの薄暗いところで。
綾波レイは、野良犬・・・、と思ったかもしれない。それが、にんげん。
しかも碇シンジと鈴原トウジだった。
驚いてもよかっただろうが、少女は静かに見つめるだけ・・・・。

「あっ・・・あのっ・・・僕は・・・その・・・・トウジ、交代してよ」
特に悪いことをしたわけでもないのに慌てる碇シンジ。どきどきしている。
「はあ?ああ、ワシか?ワシらは近道しただけや。綾波、お前ん家にいくつもりやったんやがおらんかったからな、帰るとこやったんや。自分、遅かったの」

「そう・・・」
綾波レイはそのまま入り口の坂をいこうとする。ある意味で碇シンジと好一対の態度だ。

こんなところに住んでいるからこんな様子になるのか、こんな様子を保っているからこんなところに住めるのか、鈴原トウジには分からなかった。
寂しいだの心細いだのいう気分も、あいつはすきとおっていくんかいな・・・・。
そんな気がして声をかけるのが遅れた。誘いがかかる、とは思っていなかったのだが。

「あ、綾波さん」
足をとめさせたのは碇シンジの呼びかけ。冷然としているようだが、無視するようなこともしない綾波レイだった。

「なに・・・」

「ピアノ・・・・弾ける?」







「おっそいわねー・・・・・」
リビングでほおづえをついている惣流アスカ。
碇シンジがまだ帰ってこない。日直とはいえ、部活にでているわけでもないのだ。
そう遅くなる理由はない。
パラ、パラ、とページをめくる。歌詞付きの譜面本である。
曲が決まってないのに歌の練習をするほどおめでたくはない惣流アスカ。
ただ、自分が歌うということは既に少女の中では決定事項であるようだ。
大体、日本の歌というのはこんなものか、と概略をのみ込み、さらにそこから・・・・
違う本を開く。

「声をよくする本 あなたもこれで歌がうまくなる」

声帯専門の医師の書いた、一般向けではあるがきっちりした本だ。
声に自信がないわけではない。それどころか他人にわけてやりたいほどあるのだが、惣流アスカの母国語・・・頭の中の思考辞書はドイツ語で記されている。
一般の日常会話で日本語に不自由しているわけではないが、「歌う」となればやはり別なことだ。活舌や微妙なアクセント、イントネーション、その他もろもろ・・・。
自らに不足していることをはっきりと知っていた。ボーカルを自認するだけのことはある。

「のどを冷やすのはよくありません。あるオペラ歌手は新婚初夜にも喉にタオルを巻いてねました」

「プロの道って厳しいわよねえ・・・・・はっ」
読みながらかたわらに置いてあるのは冷たいレモンティーだった。
もちろん、あの連中引き連れてプロになろうというわけではないが、少し伸ばす手に迷いが生じる惣流アスカ。

「ペンペン・・・・・これ、あんたにあげるわ」
「くわあっ?」
夕方のニュースを見ていたペンペンは少々、面食らったようだが有り難く頂戴した。



惣流アスカはベランダに出た。
子供のように、家人の帰宅を少しでも早く確かめたい・・・・・わけではなかった。
夕暮れ。今日は涼しい・・・・・。夕風がそっと少女の髪をゆらす・・・。



「向こうの赤壁に赤蛙が掻き上がって三かき上がる」
「家の行燈丸行燈、隣の行燈丸行燈、向こうの行燈丸行燈、三つあわせて三丸行燈行燈」
・・・・いきなり呪文を唱えはじめる惣流アスカ。

「桜咲く、桜の山の桜花、咲く桜あり 散る桜ある・・・・いや、あり、だったっけ」
これは母音の練習文。一読しただけでほぼ完全に暗唱できた。



「あ・・・ミサトが帰ってきた」
ルノーがこちらにすっとんで来るのが見える。こうして上から見るとほんとに助手席は勘弁して欲しいスピードだ。だから特定もできるのだが。


惣流アスカはそこで練習をやめて、譜面本などを自分の部屋に片づけた。
代わりにファッション雑誌などをもってきて寝ころんで読む。
怪訝な顔をするペンペン。

「ただいま」
「ただいまー」
葛城ミサトと、碇シンジ。途中で拾われたのだろう。
「おそかったわね」

「うん、綾波さんの家にいってたんだ」
「ファーストの・・・・何か、あったの?」
体を起こして聞き直す。ネルフ・・・エヴァ関係の反応だ。しかし、その割りにはミサトの行動が・・・・「ぷはーっ、うまいっ!!冷蔵庫って現代のアークかもしんないっ」・・・・・いつも通りだ。心の電圧が穏やかにさがっていく・・・。

「うん。いいことがあったんだ」
ひとまず区切ったようにして、碇シンジは手提げたビニール袋のなかをテーブルにあげた。おべんとばこ四つ。うなどーん、とある。それから、お椀も四つだし、パック肝吸いにお湯を注いでいく・・・。

帰るなり家の中が騒がしくなるのは円満の証拠なのかもしれない・・・。
葛城ミサトは一風呂浴びにいき、碇シンジは冷たい麦茶をコップについでいると、惣流アスカからアタシのは熱いのにして、と注文をいれられ、ペンペンは自分の分もウナギがあることに大いに満足している。これが現在の葛城家の風景・・・


「いただきます」
そろったとこでフタを開けるのはウナギに対する礼儀作法なのか。
もぐもぐもぐ・・・・・葛城ミサトが奮発したらしいうなどんは美味しかった。
「何で・・・今日はうなぎなの?シンジが遅くなっちゃっから?」
年中夏だと、土曜の丑の日、という風習は意味をなさなくなっていた。
「いや・・僕が会ったときにはもうミサトさん、買ってたんだよ」
ちなみに、そのときは五個あった。
最後のひとつは綾波レイがいまごろ自分の部屋でしずかにたべていることだろう。
「ん・・・特にイミはないんだけどさ。このところ、本部でも疲れ気味の人が多いから、あなたたちももしかしたらそうかなーっと思ってネ」
「こっちとは若さが違うんだからさ、でも、うなぎはおいしーわよ」
「そりゃ良かったわ。・・・あ、それから例の地球防衛バンド?その景気づけでもあるわ。エヴァのパイロットが全員参加なんてね。こりゃ、見物だわ」
そう言って満足そうにビールをあおる。
加持は今日もつかまらなかったが、使徒が出てこないだけでも幸せな一日、か。
内心で琥珀色の笑みを浮かべる葛城ミサト。

「期待してていいわよ、ミサト。チケットだって今なら特別に・・・・!って、今、全員って云った?」
「云ったけど」
「全員ってファーストも?」
「そうだよ。綾波さんも」
代わりに碇シンジが答えた。今日、どういう方法でか、口説き落としてきたらしい。
いいことって・・このことか。それにしても一体どうやってあの無口なファーストを?。
強引さに縁のなさそうな碇シンジに、脅迫さえも通じないだろの綾波レイ。
あらゆる手練手管も通用しそうにないし、まさかそんな命令出す人間がいるわけも・・・。

・・・シンジはファーストに歌ならどうだって云っていた・・・。

急に目の色が沈んでくる惣流アスカ。しかし、碇シンジが気づくわけもない。
綾波レイを参加させたことを単純に喜んでいるシンプルシンジには。

「でも、バンドとは少し違うかもしれません。トウジのいう地球防衛バンドがどういうイメージでつくられてるのか分からないけど、おいおい決めていけばいいよね」
葛城ミサトと惣流アスカにいう。うねうねと自由に形作られる粘土細工を前にした子供の目だ。そのうらで渚カヲルは楽器やスタジオの予約を調べていたりするのだが。
まあ、適材適所だ。司令塔と飛行機の視線が違うのも。
高いところからいった方がうまくいくこともあれば、低いところからいった方がうまくいくこともある。

碇シンジは放課後の行動について詳しく惣流アスカに話した。

山岸マユミと綾波レイ。男子は男子なりに気にかけているものだった。
男の仲間意識と女の仲間意識の違い、というのもあるのかもしれない。
コーンフレーク弁当で屋上になに話していたのかと思いきや・・・・・。
惣流アスカはそのぶきっちょ単純穴だらけ乱雑な思考に・・・・呆れた。
かわいーとこあるじゃないの、キミタチ。にやりと笑う葛城ミサト29歳。

「山岸さんも・・・綾波さんも・・・ピアノは弾けるっていうんだ。
だから、ふたりで一組、”連弾”はどうかなって思ったんだ」

どういう構成になるのかは不明だが・・・・・とにかくそれで口説き落としたらしい。
物静かコンビでウマがあう、と考えたのだろうか。


「レンダン・・・・・・」

連弾。一台のピアノを同時に二人で弾くことである。
それを綾波レイと山岸マユミとで・・・・おこなう。
当然、手や指の配置など、一人の場合とは違い、相手のコトも考慮に入れねばならない分むつかしくなる。曲を弾き慣らすだけでなく息をあわせること。
これは一人の練習では出来ないわけだ。相手がいなければ・・・・・。

碇シンジはひどく簡単に言ったが、実際おこなう場合・・練習などのことを考えてその案を出したのかいまいち怪しい。しかし、実際に説き伏せてきたのだからなんとかなるのだろう。

ファーストがよくそんなんで納得したわね・・・・
ほんとは皆の仲間に入りたかった、寂しんぼうってわけでもなさそうだし・・・・

のほほんとした碇シンジの顔をまじまじと見てしまう惣流アスカ。
どんなこと言ってファーストに参加を承知させたのやら。案の良否はあまり関係なさそうだ。意表をついてはいるが、人の在り方を変えるほど素晴らしい!、というわけでもない。
ファーストは口の巧さで動かされるようには見えない。
かといって、シンジからは「至誠、天を動かす」ような気合いも見つけられない。
コイツの頭の中身、どうなってんのかしら・・・・

いつしか思考がどこかの秘密組織に勤める30歳女性科学者のそれに近くなっている。
アプローチも目的も異なりはするが、ずいぶんと鋭く直線的なのはそっくりだ。

「連弾、なんてよく考えたわね。シンジ君」
音楽にはさほど興味がない葛城ミサトだが、碇シンジが女子のクラスメート、綾波レイもそうなのだ・・・のために知恵を絞ってみるなんてなぁ、格好のツマミである。

「考えたわけじゃありません。聞いた話を思い出しただけなんです」
正直に白状する碇シンジ。実際に10分も考えてないのだから、謙遜ではない。
「へえ・・・・誰からそんな話を?」
「それは・・・・・」

ちるりりりりりりん・・・・電話が鳴った。日常世界からの平常電話。

「あ・・・出ます。ケンスケからかな・・・はい、葛城です・・・あっ・霧・・」
また自分の部屋の子機に切り替えてしまう。いつかの相手らしい。

「逃げられちゃったわねー・・・・」
「ごちそーさま」






ネルフ本部 赤木研究室

今日はこもりっきりで研究に勤しむ赤木博士。サンプルはとれたし、初号機もこちらの手に戻ったし、マギは今日も快調で次々とデータをまとめていってくれる。
科学者として幸せで充実した一日であった。あと、二時間ほどあるが。

ふう・・・・一息つく。タバコにコーヒー。どちらも神経を休ませる効果があるどころか
興奮作用があることは知識として脳が知っている。しかし、体が欲しがるのだ。
このたったふたつの労いで今日一日の知的生産成果をあげるのだから、すごい効率だ。

紫煙が・・・ゆらぐ



それを目で追うと、流体力学の公式が自然に頭に浮かんでしまう。
人の一生は一本の長い煙のようなもの・・・・・そんな詩的イメージはわかない。
手を休めながらもエヴァのことが頭からは離れない。・・・・いけない、いけない。
それでは返って能率が落ちる。他のことを考えましょう。

仕事熱心な赤木博士。まだ根を詰める気でいる。

ゆらぎ・・・・寺田寅彦・・・・自然科学者・・・・本草学・・・・霧島教授・・・・

高速検索のような連想の途中でふいに現れる霧島教授の名。
由緒正しい本草学者の末裔である霧島ハムテル教授。使徒分析部の長だが、教授の名がすっかり定着してしまっている。赤木博士も大学の招聘を承ければ楽勝でその肩書きを手に入れるだろうが・・・べつだん、そのことに興味も未練もない。
研究室ではなく、ゲヒルンに入ってしまってからそちらとは世界が違ってしまっている。

しかし、その世界から来た霧島教授。ふと、懐かしさのようなものを感じる。
十年くらい前には学生だった自分・・・・学校・・・・その呼び名が思い起こさせる。

そこでミサトと加持君に出会った。ここまでのつき合いになるとは思っていなかったが。

ただそれだけでもなかった。

ただそれだけのことなら、他にいくらでも尊敬すべき学者はいる。

意識することはない。しかし、霧島教授には先日・・・・

「ATフィールドは、日中と夜間では様相に変化はありますか」
そんなことを聞かれた。答えることは出来なかった。出力のことではない、と思った。 自分とは全く異なった立脚点にある知性だ。使徒が夜行性であるとか、そんなことを考えてみたこともなかった。使徒を使徒、と割り切ってもいいのは宗教者だけだ。
チルドレンやネルフにしてみれば、襲いくる来襲者、敵性体。
一般市民にしてみれば、形をとった災害だろう。天なる特殊災害だ。

自分たち科学者にとっては・・・・

ただ・・・・。





そして煙は終わっていた。




ぴっ、ぽ、ぱ

二、三言の家への電話。今日は、帰ります。

渚カヲルだからいいものの、これでは惣流アスカや碇シンジは預かれまい。
まるきり監督してない、完全放任主義の赤木博士であった。
渚カヲルにはそれでいいのかもしれないが・・・今日も夜を散歩しているのやもしれぬ。
それが最もベターな形である、と赤木博士は知っていた。

子供じゃないのよ、渚君は。はっはー、と言ったかどうかはさだかではないが。



時間をおいてから、さきほどの仮説をまた精密化してしましょう・・・。
今日はやめたわ・・・。
煙が消えるとなぜか張りつめた気合いも緩んでとけてしまった。


どんどんどんっ

「なに?」
入り口がかなり強力に叩かれる音。ミサト・・・・・?と思いつつもすぐさま考え直した。
いくらミサトでもこの特殊金属製の入り口を叩いてもこれほどの音をたてるのは無理だ。手が砕けてしまう。ならば工事機材でやっている・・・・一体誰が?

どんどんどんどんっ

さらに強く激しく叩かれる。揺れる自動ドア。赤木博士はすぐさま警備部に連絡する。
異常事態だ。一体、これはなんなの・・・・!?恐怖より疑念が先に立つ。
地震・・・・ではない。他のものはなにも揺れていないのだ。ただ入り口の自動ドアのみ。力づくで叩きつけられている。なんの前兆もなく。

どんどんどんどんっ!!

自動ドアが外圧に耐えきれずひしゃげてきた。特殊金属が・・・・どれほどの力か。
赤木博士は逃げようととも隠れようともせず、ただ己の目の前に確かに起きている事象を、その推移を見届けようと、冷徹に観察していた。

どんどんど・・・


音はますますつよく、ドアを完全破壊するために最骨頂に達するかと思われたが・・・


どんどんどんどん

どんどんどん

どんどんどん・・・・小さくなっていった。ドアに加えられる圧力も消えていく。


やがて完全に消えた。後に残るは11を刻むの夜の空気だけ。
現象はいきなり起こり、だんだんと消えていった。



「なんだったの・・・・いったい・・」
疲れた脳の見せる夢ではない。自動ドアはたしかにひしゃげている。

「これじゃ、出られないじゃないの・・・・・・」
歪んだ扉は入室も出室も禁じていた。耳障りな音をたてるだけでその機能を停止していた。

その後、赤木博士は駆けつけてきた警備部の人間によってレーザーカッターでドアをこじ破られて無事、救出された。



午前一時二十三分 エヴァパイロットを含めたネルフ本部への緊急召集がかかった。