深夜未明 ネルフ本部 作戦会議室



総司令碇ゲンドウをはじめとするネルフの主立った面々が集められていた。
その要件は特務機関ネルフにおいてただ一つしかあるまい。



「使徒」ANGEL FALL IN NIGHT



これ以外でこの時間帯に各部局の責任者クラス、そしてそれ以上に総司令が出席する事態なぞ存在しない。
挨拶無しに本題から切りこみはじめるE計画担当博士赤木リツコ。
運が悪ければ死んでいたかも知れぬ事態が起こったのはたったの数時間前。
しかし、そんな様子は一切見られない。その話し方は端的にして簡潔。そして冷静にして・・・・・・冷血。
使徒、の一語がまるで出てこないにも関わらず、誰も口を差し挟まなかった。



話はここ数日の本部内の妙な噂・・・・噂が指し示す事象と言い換えた方が適切かも知れない・・・・を数的データに変換したものを列挙することから始められた。
こうして数字にまとめられ見ると出るわあるわ・・・・で149件。
各所に設置されたロボットカメラから収集されたデータらしいが、プライバシーがどうのこうのいう者はいない。さらに、これは<一時調査時>とある。さらに件数は増えるということだろう。これと組織の最終命題、使徒殲滅にどう結びつくのか、まだ話は見えてこない。

ただ、この中の何名かにも覚えのある、ここ数日の「奇妙さ」の異様な数に表情が強靱に引き締まっていく。大したことではない・・・・・、

たかが、とん、とん、という軽く叩かれただけのこと・・・・・

誰もまともに原因究明などしはしない。
しようとした人間もいたようだが、まるで見当違いの場所へ迷い込んだだけだった。

だが、アリの穴から強固な堤が壊れることもある・・・・・

彼らはその実例を何度も見てきたはずだ。歳は若いが、葛城ミサトでさえも。

そして、その穴はかなり広がってしまっている。赤木研究室の一件は既に聞いていた。

さらに赤木博士の示すデータは日数を経て、加えられる衝撃のレベルへ。
「とん、とん」から「どん、どん」、そして「ごん、ごん」・・・この辺りになると機械や壁に影響が及んでいる。出てくる事象も「整備員の負傷」などという見過ごせぬレベルになってくる。さすがに「喧嘩・傷害」が出てこないのはネルフ人員の質の良さを伺わせるがだからどうだというわけでもない。

しかし、この辺りになるとほぼ全員が覚えのある異変に頷く表情をみせる。
機械の調子が悪かったのはたいていの部署で覚えがあったし、部下達にどうもイージーミスが多かったのが目についた。
とはいえ、葛城ミサトなどほとんどが「疲労がたまっているのか、志気に弛みがきているのか」どちらかだろうと見ており、組織の命題に関わる事態だとは疑ってもみなかった。

そこにきて赤木研究室襲撃事件である。本部内で起こっただけに、人間の仕業だと考える認識の甘いスカタンはこの中にはいなかった。
入り口が強圧によってひしゃげていた、という点。ばかでかい音を出して作業している、という点。赤木博士個人を狙ったならば出てくる所を狙えばよい点など、不自然なことが多すぎる。腕利きの情報員ならばこんな不効率なことはせぬだろうし、腕自慢のチンピラ程度ならば本部内に侵入すること自体が不可能だ。

ここまで来れば、そろそろ「使徒」の一語が出てきても良さそうだが、赤木博士はまだその名を使用しなかった。

使徒・・・・謎の存在である。そのサイズが巨大であるのが唯一の特徴、というあまりにも穴の多すぎる「唯一」にしがみつき続けるほどに頭の固いのはやはりこの中にはいなかった。大体、固定観念に凝り固まっていたい人間はそもそもネルフに入らない。

小人サイズで通風口あたりから侵入してくる使徒がいたとしても・・・・・・そのように
科学者が説明してくれるのならば・・・・・・おかしくはない。
人間の常識を超えて、どんな反則でも使ってくるのが使徒である。
その目的や知性の有無は疑問が残るが・・・・・人類に対する強力無比の敵性体であることだけは確かだった。


ただ・・・・


それが使徒であるならば、なぜ戦闘態勢・・・せめて警戒シフト程度になっていないのか。
本部内にも関わらず、パターン計測機がそれと認識していなかったのか。
危急にして悠長。その二律背反が皆の視線を厳しくさせる。
その先にある赤木博士。冷静なその瞳が導く結論を待ち受けている。
データを揃え終わり、展開し終えた赤木博士。
赤木博士から推論として語られたそれは・・・・




「透明な・・・・使徒?」
すぐさま反応を返してきたのはやはり葛城ミサト。


「そう、透明な使徒。我々の目に見えず、本部内で成長を続けている・・・・」

「透明って・・・・ちょっと待ってよ!!。そんな特撮映画みたいな話・・・・。
使徒が接近・・・いやもし、本部に侵入したとしてもすぐさま警報に、パターン反応が出るはずでしょ?マギはなんていってるわけ?」

「波長パターンは出ていたのよ・・・・・・誰も気づかなかっただけ」

「はあ?いくらなんでもそんな馬鹿な話が・・・・」
発令所にいる全員がここ数日居眠りし続けたというならばまだしも。波長パターンさえ出ていれば見過ごすわけがない。ネルフの羅針盤のようなそれを見過ごすなどと・・・・。
あるわけがない。


赤木博士は一瞬だけひどく悲しそうな眼をした。誰にも気づかれることはなかったが。


「波長パターンは・・・・・・透明・・・・・・」







エヴァパイロット待機室

「なにがあったんだろう・・・・・ね・・」
プラグスーツに着替えた碇シンジは眠そうにつぶやいた。ひとりごとに近い。
「ふわぁ・・・・・・・・」
あくびをする碇シンジ。緊急事態だから呼び出されたわけで、それが、こうしてあくびをしていられるというのは良いことなのだろうか・・・・。

「はい、シンジ君」
こちらは昼間といっこうに顔色も様子も変わらない渚カヲル。眠気覚ましにコーヒーをいれて碇シンジに手渡す。
「あ、ありがとう。かをるくん・・」
使徒との夜間戦闘かも知れない、というので気を張りつめていったところ、到着してみれば待機を命ぜられた。おかげで眠気がぶり返してきた碇シンジ。
眠ってはいけない、とは分かっているが・・・・まぶたがおもい。

「シンジぃ、きっちり起きてなさいよね・・・・・・アタシたちが呼ばれたってことはぁ・・・ただごとじゃない、んだから・・」
こちらも目元がとろん、としてくる惣流アスカ。戦闘モードに脳内スイッチが入っていれば眠気などいっぺんに吹っ飛ぶのだろうが、碇シンジ同様、気合いを外されてみると、やはり眠くて仕方がなかった。
静かにおかれたマグカップに「ん・・・ありがと」礼をいいつつ、ネルフのロゴとにらめっこをしている。話せばそのうち眠気も消えてくるのかもしれないが、和んでしまっては待機の意味がない。予想される戦闘のための緊張は高めておかなくてはならないのだから大変だった。そうして練っておいた紅色の集中力を、出番がくれば朱唇に走らせる。

戦神に奉納する舞いを舞う遠い国の舞踊手のように。


「君は」
「わたしは・・・いい」
目は薄く閉じているものの、もちろん眠っていない綾波レイ。声の調子はいつもの通り。水面に波をうたすこともない。夜の空気にこの少女はよく映えるのかもしれない。
惣流アスカと違い、戦闘のために猛る気合いを溜めておく、ということはない。

月神に仕える巫女が儀式の前に祈るような深韻がその赤い瞳には感じられる。


「そう」
自分でいれた珈琲からたち昇る香りを味わう渚カヲル。フィルター式のインスタントだが。そんな余裕がある。渚カヲル。この少年は夜の方が調子がよいのだろう。おそらく。
闇を遊歩する黒衣の麗人。この待機任務にあるのも遊びのようなもの・・・・・。
楽しい夜はこれからだよ・・・・・夜という時間に少年の体は浮かぶように踊っていた。


「ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ・・・」
あまりの眠さを防ぐために真言を唱え始める碇シンジ。
「ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ・・・」

その姿は何百年の法統を伝えてきた名刹の高僧が大願成就のためにひたすら経を唱える・・・・そこの門前の小僧、といったところか。

三分経過・・・


「シンジ・・・・やる気はかうけど、それ聞いてたらコッチが眠くなってくるから、向こうでやってくんない」

「ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ、ねたらだめだ・・・」
碇シンジは唱えながら席を立つと、待機室を出て本当に向こうへ行ってしまった。
誰もおかしいとも思わず呼び止めようともしなかったのは、惣流アスカのいったことが本当だったからに違いない。綾波レイも渚カヲルも。



「渚・・・・本部で一体、何が起こってるの。ミサトたちはアタシたちをこんなトコで待機させといて何やってるわけ・・」
碇シンジがいなくなって、しばらくの空白。惣流アスカはふいに渚カヲルに尋ねた。
「さて・・・。ぼくにもわからないよ」
立場は・・・・こうして同じ時間に同じ場所にいるのだから手に入る情報は同じだ。
惣流アスカが知らなければ渚カヲルも知っているわけはない。論理的に。

漠然とした時間はキライだった。しかも、こんな片方の髪を鎖に掴まれたようなそれは。

苛立ち・・・・・眠気からくるもの以上に。自分たちの出番はまだなのか。
ズズーーーーーー、と熱温いコーヒーを一気にすする惣流アスカ。
持久戦というならば我慢もしようが・・・呼ぶなり待機というのは何なのだろうか。

綾波レイや渚カヲルと違い、むろん碇シンジは論外で、戦闘に対する気合いを盛り上げて自らを鼓舞するタイプの精神をもつ惣流アスカは、こう意味もなく待たされてしまうと、その熱がたまりすぎてそのうちメルトダウンを起こしてしまう恐れがあった。
心の炉は耐熱金属で出来ているわけではない。
しかし、その焦げかけたイラつきを他者に見せるには少女のプライドが許さない。
碇シンジはまだ行脚の途中らしく戻ってこない。
渚カヲルも目を半開きにしてなにやら思索の世界に入り込んでいる。




「ファースト・・・・アンタ、なんでエヴァに乗ってるの・・・・」

ぽそっと尋ねていた惣流アスカ。答えはあまり期待してなかった。
単なる時間つぶしだ。エヴァのパイロットとして、聞いておいても別に悪くはない質問。

聞かなくても別にかまわない質問。こんな時間でもなければ聞いてみようとも思わない質問。先に渚カヲルにした問いならば同じ答えがかえってくるだけのこと。
なんで聞いてみる気になったのかは分からない。先日、更衣室で肩を叩かれたからだろうか。目に見えない、言葉にならない・・・・サイン・・・として。



あれは・・・・・・



「・・・・だから」


「え」

質問しといてなんだが、少し自分の中にはいっていた惣流アスカは綾波レイの返答を聞き逃してしまった。密かな心を告げるように瞳をあわせることもなく、いつもの調子で語られた綾波レイの言葉。いつもどおりに、みじかい。白月夜露。

釣り逃した、いや聞き逃した魚は大きい。深い滝壺に棲む幻の白魚が水底にゆらり・・と還っていくような・・・・


しかし、もういっぺん聞き直せばいいのであった。



惣流アスカが口を開こうとした、その時。


いきなり闇が覆い被さってきた。これが、ぬばだまの夜・・・・電灯がふいに消えた。






「波長パターン・・・透明・・・・・?そんなのがあったわけ・・・・・」


初耳であった。しかし、ずいぶんと紛らわしいパターンだ。そんなのいきなし言われても見分けがつくもんですか・・・と葛城ミサトは口にしかけたが、やめておいた。
こちらの索敵方法を使徒が見抜いてカムフラージュをかけてきた、という可能性もある。相手の目を眩ますのは戦術の基本中の基本だ。そのセオリーを踏んでいる、というかその本能に刻み込んでいる使徒がいてもおかしくはない。
計測器に直結し判断を下すマギがそれに対応し、独自の判断でかろうじて表現してきた、とすれば・・・・・。

第三新東京市の市政すらこなしてしまうスーパーコンピューターとはいえど、最終的には人間がその意を汲み取ってやらねばならない。2015年でも未だ人間に命令できる皇帝のようなコンピューターは完成していなかった。



「マギの判断です」
葛城ミサトの見立ては本筋のところでは正解だった。同時に、その機械的な説明の底の方に感情めいた澱がたまっていることを葛城ミサトは聞き逃さなかった。
リツコ・・・・なあんか、隠してるわね・・・・。


センサーの類には一切引っかからない点、その対象物(人体を含む)に加える圧力が日毎に増加している点、事象データと空間サイズを照らし合わせて推測すると、狭いところには入れなくなっている・・・・つまり、体格も(どんなフォルムをもっているかは不明だが)日毎に大きくなっているらしい点。これはかなり低い確率の推論、と前置きした上で・・・この侵入者はおそらく視覚が利かない、という点。等々。


次々と推測される特徴を挙げていく赤木博士。あまり嬉しい特徴はない。

ただ、その透明な使徒とやらがどのようなものであろうとも、各々、これから何が始まるのか、自分らの分担はどんなものか、大体の察しをつけ算盤を弾いていく。

作戦部長葛城ミサトのそれは最も厄介で最も素早かった。
命題だけはハッキリとしている。不動のそれは総司令より締めとして語られる。


「諸君・・・・話は赤木博士から聞いた通りだ。我々の任務は使徒の殲滅だ。
本部に侵入されようが市街に現れようがそれは変わらない。

ただし・・・・・・・使徒の本部侵入の事実は存在しない。

本日の第一種警戒態勢は特別の実戦想定訓練だ・・・・・・・・葛城一尉・」

そのための緊急召集なわけだ。だが、その時。会議室は唐突に停電の闇に包まれた。







「どうしたの?一体・・・・こんな、停電なんて・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」

待機室のチルドレンたちはふいの停電にも取り乱すことも騒ぐこともなかった。
すぐさまプラグスーツの手首部分のメタモル時計に目をやる。蛍光数字は三時十三分を示している。その時刻をつぶやいて状況の確認をする惣流アスカ。
渚カヲルと綾波レイは夜目が利くようだったが、手首バンドを操作してわずかな灯りをともした。ペンライト程度だが、ないよりずいぶんましであった。赤い瞳は綺羅と反射する。

顔を見合わせる三人。慌てることはない。しばし、待っていた。

「なにが原因かは知らないけれど、すぐに復旧するはず・・・・」


闇の中の時間は長く感じられるが、メタモル時計は確かな時を刻んでいた。
三分・・・・・四分・・・・・


「ちょっと・・・・遅いわね」
自然に声はひそひそ声になってしまう。
「本部の電源は、正、副、予備の三系統・・・・予備を使用するなら、全域に行き渡るまでに八分はかかるわ」
「日本に多い、地震・・・・じゃないわよね。揺れなかったし。施設の工事ミス・・・・?」「これがぼくたちが呼ばれた原因かもしれないよ・・・・」
「じゃあ、シンジだけがいればいいんじゃないの。初号機でさ・・・・・・・・え・・・
ところでシンジは?」




五分・・・六分・・・・・



「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・ミサト達から連絡が入らないってのは・・・変じゃない・・・・」

あと二分。明かりがつけばすぐに動く。闇に浮かぶみっつの顔が視線を交わす。
赤い瞳と青い瞳。それは峻厳の意志の宿る宝石。危難を知る知性の輝き。
どうも・・・・やばい展開になりそうだ・・・・


そして、長い夜に・・・・・・・・・・



七分・・・・・・・・・八分・・・・・・・三時二十一分。



ネルフ本部は闇の中に完全停止した。ジオフロントは黄泉の世界に隔絶していく。






「夜分遅うにすいまへん・・・ワイ、いや、タワクシ・・・やなかった、ワタクシ、2年A組クラスメートの鈴原トウジというモンですが、洞木ヒカリはんをお願いします」
「鈴原?」
前日の夜の九時。洞木邸に電話がかかってきた。ちょうど洗い物をすませたところだった。
いきなりの関西弁。かつてなかったことだが、間違い電話よりは確率がある。
なにより。その声に聞き覚えが・・・少し他人行儀かな・・・・あった。

「あ、なんやイインチョー本人かいな。声がえろう落ち着いとるから家のひとかと思うたで」
「な、なに・・・連絡網なら違う人でしょ」

もしかしたら硬派としては夜の九時に女子の家に電話をかけるなどとは軟弱なコトなのかも知れない。しかし、それでもかけてこなければならない用件があるらしい。
運良く、洞木ヒカリ本人が電話をとってくれたことに安堵している鈴原トウジ。
だが、毎日家事をこなしている洞木ヒカリにとって落ち着いているなどとはたいして誉め言葉にはならない。どころか見方を変えればおばさんぽい、と言われたようなもの。
さらにだが、鈴原トウジに言われてみると、まんざらでもない気分がするのだった。
とはいえ、いきなりのことなので、照れもある。乙女心は複雑なのだ。

「なにゆうてんねん、イインチョーもおもろいなあ。地球防衛バンドのことに決まっとるやないか・・・・・・・・・あ、スマン。もしかして、忙しいかったかの」
くだけた物言いになるトウジ弁だが、もとは硬派だから硬い。くだけない部分もちゃんとある。きちんと相手を見ている。
「え・・・いいの。いいから。洗い物は今、終わったところだし」
「ほうか。明日学校で話してもかまわんかもしれんけど、イインチョーには早く報せておきたくて、こうして電話させてもらったんや・・・・・・ホンマに忙しゅうないんか」
「ほんまに・・・・じゃなかった、ほんとに大丈夫だから。気にしないで。
それで、報せておきたいことってなに?」
すでにイニシアチブは交代している。が、少し顔が上気している洞木ヒカリ。
「綾波も参加することになったんや。シンジが説得したんやが・・・・・・・・・」
そこから先は所詮、論理的雄弁には向かないトウジ弁である。
報告というよりは雑談に近くなった。

「・・・・それで、ピアノの連弾・・・・・・・ふーん・・・・・・・それから、碇君はなんていったの?・・・・ええっ、それほんと!?・・・・・うん・・・・」
もしかしたら、鈴原トウジは電話の向こうで身振り手振りしているのかもしれない。
洞木ヒカリの方も珍しくはしゃいでいる姿を姉妹に見られてしまい、あとで追求されてしまうのだった。

「それでなー、イインチョーに頼みたいんは、言い方は悪いが惣流の手綱をとってくれんか。惣流に華があるんは認めるが、あの気性やからなー・・・万が一っちゅうこともある。シンジも一緒に暮らしとるゆーても、男やからなー・・・・もともと惣流にはかないそうもないけどな。それで、ワイもあんまりそういうんでケンカしとうないからの・・・」
「・・・・うん!任せておいて。アスカもみんなと仲良くやりたいと思うし」
最後は言いたかったことをきっちり締める鈴原トウジ。
洞木ヒカリも力強くうなづいた。




だいたい同時刻。相田ケンスケもようやく山岸マユミの説得作戦を成功させた。
あまりごり押ししていくと繊細な彼女に嫌われてしまう・・・・という危険性の高い困難な作戦であったが、微妙に外堀から気づかれぬように埋めていき、なんとか、うん、と言わせることが出来た。本質的には根気強い押しの一手。
口が達者で根気強くて山岸マユミの内心を多少は慮って惚れている・・・・相田ケンスケならではの成果であっただろう。そのために時間は少々かかってしまったが。
失敗か成功かしかない撃沈碇戦法とはやはり手練の差がある。

しかし、基本となるアイデアを考え出したのは碇シンジだった。入れ知恵だが。
最初、その案を聞いたときにはマジかよ・・と思ったものだが、こうして成功してみると妙案だったと言わざるをえない。
綾波レイと山岸マユミをいっぺんに片づけてしまおうという単純案ではなかったのだ。

シンジ・・・・・・・・・意外に切れるやつだったのか・・・・・


マユミちゃんは本が好きだ。物静かというよりは、その読書量から湧き出る内心の呟きの方がはるかに自分自身を現しているのだろう、だからことさらに外に語る必要がない。
相田ケンスケはそのように分析している。
だが、本の感想を語り合う人間が欲しくないわけでもない。読書仙女じゃないんだから。
同好の女子・・・・が欲しいわけだ。オレもカメラを愛するの同好の士が欲しい。
まあ、それはいいとして、だ。
そんな彼女とコンビを組ませるのに、綾波レイはたしかに意外な人選だが、いわれてみると確かに雰囲気も水と霧のように・・・・あっているような気がする。
そして、綾波レイも本を読む。これは好きで読んでいるのかどうか不明だが、とにかく。電話帳や国防白書というわけでもない・・・それなりに楽しんでいるのだろ・・・うか。山岸マユミも綾波レイにはほのかに興味をよせているようだった。
エヴァ零号機のパイロットとして氷のように冷厳にはね除けられる可能性もないではないが、それは碇シンジの領域だ。

それから二人のために、連弾、の形式を選んだこと。
これも引っ込み思案の山岸マユミを説得させる大きな要因となった。
虚をつかれて、そこを相田ケンスケが一気に押し込めたからだ。
一人でなく、二人なら。単純な論理だが、それだけに強力である。

「それじゃ・・・やって、みます・・・」
戸惑いを残しつつも、顔をほのかに桜色に染めて、うつむいたように云う様子が電話口でも分かった。

ふう・・・・作戦成功に相田ケンスケは踊り出す・・・・でもなく、ゆっくり息をはいた。あーあ、なんか自分のイメージじゃないよな・・・・と思いつつも、笑みを浮かべる。
ありがとう、シンジ。明日、帰りになんかおごってやるかな・・・。



明日・・・・・・



すでに明日は今日になっている。しかし、大半の人間はまだ眠りの中。
慌ただしい都会の生活の中で置き忘れてきた、人を信じるぬくもりや安らぎをそっと取り戻している・・・・・闇の中で、心は、やすらう。
蘇生可能な死を満喫しているだけのことかもしれないが。煙のように。

人の造りだした暖かな・・・闇。光に浮き彫られることもなく、形が溶けていく。
街の源。人間の共有するその闇の中から街が立ち現れている。人の群れ。共同幻想。

闇夜を恐れず怯えずに休めるというのは、ことによると人類の悲願だったのかも知れない。起源と行末を教えられず知らされずに楽園を追い出されてしまった人間としては。
なにはともあれ、罰のひとつをチャラにできた人間。群れることが出来る場所を造った。
長い時間をかけて、夜も明るい場所を造り上げた。神の灯火である星々よりも。
神様は贖罪の方法も指定されはしなかった。しかし、このやり方はお気に召したのだろうか・・・・・。
そこから生まれ出るものに・・・・・・祝福は与えられるか。

そして、存在の許可を。ゆるしたもうか。



暗い海より現れる使徒はどのような神の意志を伝えにきたのか。


ざばああああっっっ・・・ああんんんんんん・・・

海面より浮上してくる海神の神殿の柱の如くに屹立する四本の脚。
アーケロンの甲羅を天逆に設えたような胴体。浮上してより瞑られていた胴体各部の目玉たちが次々と開き、闇の中にビカビカと異光を発する。

その眼光で位置を測定していたのか定かではないが、おもむろに陸に向かい侵攻を開始する使徒。裏死海文書・使徒名鑑によると、その名をマトリエルという。






国連軍 管制所 総合警戒管制室

「測的レーダーに正体不明の反応あり。予想上陸地点は旧熱海方面」
アナウンスが深夜の気怠い空気を一瞬にして切り裂く!!・・・・・・はずだが・・・
責任者はこんな時間だ。帰宅した、というか出勤していないというか、とにかくいない。とりあえず連絡を入れることになるが、どうせやることはないのだ。
使徒を倒すのはネルフの仕事だ。ここに襲いかかってくるようなら話は別だが。
管制オペレータたちはマニュアル通りに仕事をし、推移を見守ることになる。
だが、その彼らも特務機関ネルフの現在の状態をもし、知っていれば一体どういう顔をしただろうか。






第三新東京市 ジオフロント ネルフ本部 発令所

「・・・・予備回線も繋がらないのか・・・生き残っている回線は」
「1.2%、2567番からの復旧回線だけです!」
あれから大急ぎで発令所に戻り本部内の電源チェックの指揮をとる冬月副司令。
隠密作戦どころではなくなった。物に動じないこの人物が額に汗を浮かべて、階下で走り回るオペレータたちに指示を飛ばし、苦り切っている。電話線すら使えず、まさに船の甲板の水兵状態での状況報告も切迫したものばかりで、状況の厳しさを思い知らせる。

即決する冬月コウゾウ副司令。
「生き残っている回線は全てマギとセントラルドグマの維持に回せ」
「全館の生命維持に支障が生じますが・・・・」
難色を示す青葉シゲル。
「かまわん。最優先だ」
「はいっ」

それにしても・・・この原因はなんなのだ・・・。正、副、予備の三系統が同時に落ちるなど考えられん・・・・本部全域の中枢電源そのものを破壊されたわけでもない。
本部内で徘徊可能なサイズならば透明使徒の破壊行動もたかが知れている。
たとえ大本のケーブルを千切られ切断されようと、別ルートの予備が動き出す。
その作動がなかったということは・・・・・・やはり。

考えながら、席の裏手の収納部からロウソクと徳用マッチを取り出す冬月副司令。
酸素の心配はしなくていいが・・・・電気が使用不可というのは・・・・苦しいものだ。

「やはり・・・・ブレーカーは落ちた、というより落とされたと考えるべきだな」
分析結果は同じく。総司令碇ゲンドウは人間の心を虚ろに誘う闇を見下して云った。

「せめてもの救いは本部内初の被害が同じ人間によるものではなかったということか。・・・・わずかな差だがな」
それが諧謔になるには、さすがにやりきれなさが隠ってか、口調に力が足りなかった。

「所詮、人間の敵は人間だよ」
救いそのものを嘲笑い、軽く壁に振りつけて砕くような碇ゲンドウの口調。
警句と云うには人徳が伴っていなかった。または。その必要もないくらいにごく当然の真実なのかもしれないが。人の、世界では。






「だめ。つながらない」
「こっちも」

待機室に備え付けの電話には虚しい断通音だけが続く。惣流アスカはそれを戻す。
予想はしていたが、多少の落胆はある。なんのための非常回線なのやら。
綾波レイと渚カヲルも、一応プラグスーツの通信機を試してみるが、結果は同じく。
どうも受信に問題があるようだ。うんともすんともいわない。

この事態の原因は大体察せられるが・・・・・その規模において信じ難かった。
本部全域で完全に近いほどの停電。それも複数系統の電源が一挙に落ち、切り替えさえなされないというのは・・・・・・・・・・・これが本当に現代科学の粋をこらした施設のザマだろうか。

発令所には連絡がつかない。待機室はいまだ闇の中。プラグスーツのほのかな明かりだけが三人の姿を浮かび上がらせている。しかし子供たちは冷静だった。
ただし、屋根裏部屋にあがったままに鍵をかけられ取り残されたようなもので、決して楽しいものではない。惣流アスカの項に針のような冷汗が伝う。

赤い青い視線が入り口に向けられる。閉じたまま動力を奪われた門番は眠っている。
「・・・・手動じゃあ、開かなかったわね。たしか」
「まず無理だろうね」
「ミサトたちからの連絡待ちってこと?・・・・・ク!・・・・・・・・あのバカ」

入り口の向こうに戻ってきている気配はない。どこほっつき歩いていたのか知らないが、いくらとろくても、急な停電に戸惑ったとしても、異常を感じればすぐさま戻ってくるはずだ・・・・・。それとも地震じゃあるまいし、その場で固まっている・・・・とか。
青ざめる惣流アスカ。ギルで仕込まれた緊急事態の対応ケース。それが次々に悪いイメージとして浮かんで血の泡になって消えていく。その繰り返し。

自分があんなことさえ云わなければ・・・・・・・・・思ってみても詮のないこと・・・・・・・・だけど・・・・・・・・


「シンジ君なら大丈夫だよ・・・・」
ひどくのんきに渚カヲルが云った。少なくとも惣流アスカにはそう聞こえた。
しかし、祭礼の神枝で肩をひとなでされたように落ち着いてしまう。
誰にも人の運命やこの先起こる事象を前もって知ることは出来ない。
それでも、それを悩むことを人間は止められない。
だから渚カヲルが止めた。

渚カヲルにも・・・・綾波レイにも・・・その資格はあった。
ただ口に出さなかっただけのこと。


だが、三人には碇シンジの心配ばかりしている余裕はなかったのである。
運命を、未来を知らずに悔やんでいても時間の流れは待ってはくれず、やがて現在になる。
その繰り返しの中に人は止まろうとするが、運悪くしてそれが叶えられぬこともあるのだ。


どーん!


いきなり強烈な力で叩かれる入り口の自動扉。闇は本来、静寂のもの。
それが予告もなしに凹ま破られて、惣流アスカなど、びょんっ、と飛び上がってしまう。

「な、なによっ・・・・!!」

碇シンジが戻ってきて、力の限り叩いてみたとてこうはなるまい。至近距離から旧式の大砲でも撃ち込まれたような・・・・あまり近づかないが、入り口がへこんでいる。


どーん、どーん、どーん!


三連続。この入り口がどんな造りであるのか、一切関係ないらしい。
この・・・・訪問者には。力尽くで入ろうとしているのか・・・・グングンとへこみ圧力のままに押し込まれ歪んでいく入り口。開けてくれるのは歓迎すべきだが・・・・・。

「ミサトか・・・・ネルフの職員・・・・・にしてはやり方が荒っぽすぎるわね・・・・一声あってしかるべきよ・・・」
「まるで江戸時代の町火消しのようだね」
「人間じゃ・・・・・・なさそうね」

どごんっ、どごんっ、どごんっ!


「用件はなにかしらね・・・・まさかアタシ達にあってサインをねだりにきたわけでもない・・・わよね」
「握手はかんべんしてほしいノックの仕方だね・・・」
「・・・・・・・・」


どがんっ、どがんっ、どぐわんっ・・


「大きな声たてたら逃げてくれないかな・・・・それとも刺激しちゃマズい・・・・・」「それよりもここは・・・兵法の極みだね・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


どがっどがっどがっどがっ・・わん



入り口はとうとうチルドレン達を死守できなかった。哀れに強圧力の前に耐え果てた。
せめても敵に背を向けることなく、前のめりに彼はくたばった。屍を越え・・・・・・・深夜の乱暴すぎる訪問者は・・・・・チルドレンに・・・・・・・




いなかった




惣流アスカ、綾波レイ、渚カヲルの三人は煙のように室内から消えていた。
室内は入り口が一カ所しかない、いわば密室だった。これは密室逃亡だ。

だが・・・・訪問者はその謎を解くことはしなかった。その資格がない。
チルドレンが煙のように消えたなら、訪問者は室内に入りながらもその姿がなかった。

透明訪問・・・・・とでもいうのか。
ただ、古代ギリシャの哲学や禅問答と異なるのは、入り口の跡。その猛乱な痕跡。
腹を空かせた食人鬼の所業か。明確な結果。やたらに力のある「モノ」の仕業だ。


どごっどがっごかっごごっごんっ


壁に炸裂する見えない圧力。日本では障子にしか目はないようになっているが、壁に目がついていたとしても、なぜ今、己が凹まされていくのか分かるまい。また、その目的も。苛立っているのかなんなのか、その圧力を発する「モノ」は十分程度、四方の壁を凹まし壊し続けると、止んだ。去ったのであろう。音が消えた。



じりりりいりんっ・・・・じりりりいんっ・・・・
電話が繋がったのか、突如、鳴り響いた。しかし、それを取る者はいなかった。






「なにが透明な使徒よ・・・・・ちょっち勘弁して欲しいわよね・・・・そー、思うでしょ、日向くん」
「は、はひ・・・そそそそですね」

強力な懐中電灯に簡略戦闘装備一式の葛城ミサト。チタンとセラミックの防護ベストに、直撃くらえばマンモスでもあの世行き間違いなしの強電圧電気麻酔銃をホルスターにぶち込んで、さらに着弾して後に三倍から五倍に膨れ上がりおまけに高温で着火もする国際条約で使用禁止をくらった悪名高いムダムダ弾を装填可能な極悪ライフルを肩から提げている。バックパックはお供の日向マコトに担がせており、すぐさま動ける身軽さを保っていた。闇の通路を三人がゆく。まるでアクション映画の破壊工作チームだ。
それとも、大金庫を狙う美貌の首領に率いられた犯人グループか。

「いくら作戦部だからって、そりゃエヴァを使ってのことでさ、使徒を狩りたてるなんてのは勝手が違いすぎるわよねえ」
「は、はひ・・・そそそそそですね・・・・」
「大丈夫?日向くん。顔色が悪いけど」
「葛城一尉、あんたが元気すぎるだけじゃろう。・・・・空元気もいいが、たかが儂ら三人で志気を高めるもあるまいが」

むっ。葛城ミサトは作戦顧問、野散須カンタローが嫌いであった。
出来れば同行などしてもらいたくなかったが、なにせこの状態では人が揃わない。
正体不明の・・・・透明な使徒が本部内の闇を暴れまくっている。
そこを待機室で待機しているチルドレンを迎えにいかねばならない。
迎え・・・のんきな響きだ・・・・つまり、安全圏に避難させる。それも速急に。

緊急で本部に召集されてから、数時間しか経っていない。
そもそも、それはこれからの対策をたてるための会議だったのだ。
それすら謎の大規模停電により中断され、透明の使徒とやらがどんなものかもよく分からない内に闇の中に分断されてしまった。

本当に・・・・これは分断だ。電気の力がないと、夜の中では人はかなり無力だ。
簡単な連絡すらままならない。それどころか、出入りの扉すら開かなくなるのだ。
エレベーターもエスカレーターも移動通路も動かない。自分の脚で行くしかない。
そうなってみると、本部がいかにバカ広いかよおく分かる。着任当時もよく迷ったが。

せめて電源さえ復活してくれれば・・・・・それだけでも大変だというのに・・・。
赤木博士をはじめとする技術部スタッフは血眼になって復旧にかかっている。
警備部や諜報部はどこのヌケ作がこんなマネしてくれたのか調べ上げとっ捕まえて血祭りに上げるべく動いているはずだ。作戦部も武器をとり、D級以下の勤務者の避難誘導保護やら原因調査のスタッフをガードするだの様々な仕事がある。
大まかな指揮は碇司令が執っている。珍しく司令らしい仕事だ。

葛城ミサト自身が待機室まで出向くのは、口頭で命令を伝えるためだ。
一番の安全圏・・・・それはエヴァの中だ。緊急用のディーゼルでエントリープラグを挿入する。あとは非常用電源を搭載して、四号機を起動させる。
困ったときの渚君頼み。なんせ本部内のことだ。行動には微妙な判断が必要になるだろう。
初号機はその点・・・・ちょっち信頼度が落ちる。



透明な使徒・・・・

マギもギリギリの電力でかろうじて自体を維持している状態だ。普段の能力は望むべくもない。なんで波長パターンが透明なのか、そのへんは人間の頭で解くしかあるまい。

救いが多少あるとすれば、ATフィールドの発生を確認していないことか。そのために発見が遅れたともいえるが・・・・。ATフィールドが無く、サイズも陸上動物程度ならば・・・・「見つけ」次第、撃ち殺してやるわ。コアも透明なんでしょうけど、粉々になるまで撃ち込めばいいだけのこと。


このくらいの気合いがなければ、とてもじゃないが目に見えない化け物が徘徊しているかもしれない通路を、無駄口叩きながら行けるものではない。実際、電力を使用するルートが使用不可になっている状況では、発令所からパイロット待機室までは異様に遠回りになる。普段は絶対つかわんような階段、通路を遠々といくのだ。本部内のケモノ道、と呼ばれる隠しルートまで使う。検査システムもダウンしているからいいものの・・・・という冷や汗たらたらものの通路ややっぱりどこにでもいるのね・・・の鼠や蜘蛛の巣の張っている忘却の道などを使って進んでいく。いくら緊急時でも仕事でも誰でも、後込みするような道のりだった。まともな通路はほとんどない。ひどい時など、ダストシュートまで通っていったのだ。これで三ヶ月ほどは話のネタに困ることはないほどの体験を一夜でしてしまった日向マコト。マンガにすれば単行本二十冊はかるいかるい。しかし、十本単位で白髪がふえてしまった。その心配のない作戦顧問はいいが。

「これであの子達が自分でなんとかして発令所にいってたりしたら、悲しいモノがあるわね・・・・」
もしそうだとしたら、ちょっと恨んでしまうかもしれない・・・。

「その可能性、大いにありじゃの。あの子らは賢いからのう」
べつにあんたに言ってないでしょ、と内心でそのハゲ頭にツッコミをいれる葛城ミサト。どうもこの年寄りが苦手であった。理由は分からない。
なんかひっかかるものがあるのだ。異分子、と思うほどにネルフに染まったのか。
いや、異分爺・・・か。と、今はそれどころじゃない・・・・・。子供たちを。


パン、パン・・・・通路の奥から銃声が聞こえた。ひどく頼りなく。か細い。





「タラップなんて前時代的な飾りだと思ってたけど、まさか使うことになるとはね」
「備えあれば・・憂い無しですよ」
発令所内でも上がり降りするのは自分の脚。司令塔が文字通り高所にあるのはいいとしてもそこを上がり降りせねばならない自分の立場が恨めしい。
まさか下方からでっかい声で「マギにダミープログラムを走らせます。全体の把握は困難になると思います」などと言うわけにもいかない。わざわざ碇ゲンドウらの前に行かねばならないのだ。

まったく・・・この忙しい折にどこのトンマがこんなマネしてくれたんだか・・・・。
電源を人為的に落としておき復旧ルートから本部の構造を探ろうというのだろうが・・・・・よりによってこんな時を狙ってやらなくてもよさそうなものだ。
赤木博士は頭の悪い人間が嫌いである。そして中途半端に知恵を巡らす人間はもっと嫌いで殆ど憎んでさえいた。頭脳労働者である自分にこんなことをやらせるのだから、その憎しみはいや増していた。運動なんて10代前半より縁がない。息が切れる。

ふう・・・・・、それにしても・・・・・・・

波長パターン 透明 の意味を知りたいが、冬眠モードに入っていてそれは叶わない。
自分で考える他はないが、今はそれどころではない。ふう・・・・あー・・・・死にそう・・・副司令、「救心」お持ちでないかしら・・・・・


「先輩・・・・」
伊吹マヤは気の毒そうにつぶやいた。彼女は軽快そうな外見とおりに足腰は達者である。こんなタラップなどすーいすい、であった。それだけに赤木博士が万一、脚を滑らせて落ちそうになったら、自分の身を盾にしてでもこの人類が誇る天才頭脳を守るつもりでいた。けなげ・・・・。

しかし、そんな余裕があるだけに頭の片隅では考えることがある。今回のこと。

波長パターン「透明」・・・・・赤木博士以外の人間がこんなことを云えば、いいわけにしか聞こえない。使徒を探知できなかった頓知めいた言い訳にしか。あの碇司令にぬけぬけとこんなことを説明できるのだからさすがに先輩は相当な度胸。肝っ玉科学者ですね。普通は、こういう先覚者一人しか知らないような事態は受けいられるまでに相当な時間がかかって、その間に犠牲者はムダに増えていく・・・というのが世の常なのに。

ネルフの人間が「使徒慣れ」してきたためもあるでしょうけど・・・・。

計測器は所詮、データを表示するための機能しかない機械。新たな事態に対応しきれない。・・・・とはいえ、それで使徒なのかそうでないのかを見極めていたのだから、それが動いてくれないと困ることになる。・・・・どんなデータを加えればいいのかしら・・・。
伊吹マヤもやはり科学者である。

マギに直接アクセスして得られた結果・・・・・・・パターン、透明・・・
これはどういうことなのだろうか・・・・・マギはなにを言いたいの・・・・・・
ただ不可視属性だから、そんなパターン名をつけてみたのか・・・・・
理論的にそれはちょっと違う気もする・・・・その程度ならば、そんな誤解をまねくような結果を出力しない・・・・・と思う。もっと・・・・本質的な・・・・


ここまで考えて、多少、自分の内におかしみを感じてしまう伊吹マヤ。
なんで自分は・・・自分たちは・・そこまでマギを信用するのだろう。
マギだって人間に造られたものなのに・・・・まるで神様に選ばれた預言者のように
その理由がわかっているから、伊吹マヤはおかしみを感じる。

ロマンチックな科学万能。それが基礎にある。

人間の感覚器や情報処理能力などたかがしれている。マギの足下にも及ぶまい。
単純に数的比較してみても、五感と・・・・本部と第三新東京市すべてを見守っている大いなる視座・・・・とりわけ人間の五感は視覚に頼る割合が大きすぎる。それは今の自分たちの様子をみればわかる・・・タラップなんかをてんてんと昇るわたしたち。
目がそろそろ慣れてきたのか、薄闇ほどに浮かぶ発令所のレイアウト。
目の前には先輩の姿しかない。それも、ぼんやりと緑の非常灯に浮かぶだけの。

だから、ふと、おかしかったのだ。くすっと唇からこぼれた。






「ふうむ・・・・」
英国の有名な探偵がパイプをくゆらせているような物言いをする霧島教授。

入り口が強力侵入により無惨にひしゃげられた赤木研究室前。
現場である。
自然光に近い光を発するライトが設置され、研究分析部の白衣を着たスタッフ達がその周辺を鑑識している。その中央を俳優のような立ち姿の霧島教授はその穏やかな視線で入り口を丹念に見ていった。
「牧君、ここを見てくれたまえ」
「はい、先生」
サツマイモを美男子にしたような助手を呼ぶと、ひしゃげた部分を差し示す。
「随分ときれいなものだね。どのような衝撃の加え方ならこのようになるのか・・・・・加えた方の破片も肉片も傷跡すらない。純粋に圧力のみを加えている」
「生物タイプではない・・ということでしょうか」
いくら馬鹿力で金属製の入り口を破壊出来るとはいえ、細かい痕跡は残る。皮膚や滲む血液、体液、脂肪など、接触の状況を報せてくれる貴重な証拠を。外骨格生物のように硬い殻で覆われており、それで衝撃を加えたとしても顕微鏡レベルならば同じことだ。
そして何より、壊された入り口の微細な破片があるはずだった。
念力でも使ったのだろうか。この一見しての無惨さに誤魔化されなければ、その奇異さが分かる。
「結論は出せないが・・・・単に優れた保護色の特性をもっているだけ、というわけではなさそうだね。今回の使徒、は」
生物、無生物の概念を超えた存在、それが使徒である。
それが本部の中をいつのまにかうろついているというのに、霧島教授は落ち着いている。

その雰囲気が、生物の行動パターンの一つ、「巡回」に従って、またこの場にやってくるかも知れない、という当然考えられる恐怖を和らげ、スタッフ達を迅速に作業を進めさせていた。人間でも、犯人は必ず犯行現場にもう一回やってくるということがある。
一応、ガードがついていることはついているが、自分たちで「今回の使徒はただものではない」と証明しておいて、その「ただものでない」使徒のふいの襲撃予想地点に居続けねばならないのだから、現場に立つ科学者は大変なのだ。知能指数もさることながら神経が
太くないとつとまらない。

「虎は虎、という名前がつけられるまでは闇の中で、神にも近い獣怪でいられたのだが・・・・ね」
霧島教授は独白する。古代中国の銅鏡に刻まれるようなモティーフだが。詩、というには理性の光が強すぎた。ライトに透かされて、煙る。







はーっ、はーっ、はーっ
薄闇の中に荒い息。はーっ、はーっ、はー・・・・

狭い通路。待機室床面隅を外して繋がる隠し通路だ。万が一のために造られていた道だが、そのために制作予算もそれなり、大きさもそれなりで、子供たちでも少し腰を屈めないと頭がつかえてしまう。現在位置は待機室より直線で100メートルほどの通路が左右に分かれており、多少丸広くなっている所だった。あれからスクランブルダッシュで逃げてきたチルドレンだが、ここで足が止まり、一息ついていた。バイオな光苔を封じ込めたカプセルの点々としたオレンジの小明のなぐさみがうれしかった。


「な、なんなのよ・・・・アレ・・・・・・・」
なかなか息の荒さがおさまらない惣流アスカ。訓練を受けた身にとっては大した距離ではないはずだが、心臓の震えが止まらない。

「使徒だろうね・・・・」
息の乱れをほとんど感じさせない渚カヲル。殿を受け持ったが、その冷静に乱れ無し。
綾波レイの様子を年経た神獣のような眼差しで見守っている。

「・・・・・、 ・・・ふ・・・う・、・・・・・ん・、 ・・は・・・・・」
呼吸自体を凍りつかせて静めようとしているような綾波レイ。この通路を示したのは彼女だが、体の弱さはいかんともしがたい。走ってはいけないのかもしれない。


「・・・・・・・・・・・大丈夫なの?」
自分の呼吸が落ち着いてから尋ねる惣流アスカ。
綾波レイはうすく・・うなづいた。
だが、すぐさま行動再開に移れないのは目に見えている。渚カヲルと目を合わせ、しばらくここで今後の行動について相談することにした。

「使徒ってコトは・・・本部に侵入されたってわけ」
「人間サイズか・・・・それ以下・・・ならば、使徒の能力をもってすればどこからでも侵入可能だからね。新しい・・そして利口なやり方かもしれない」
それ以下、という点で少し考えてから・・・・渚カヲルは答えた。
「じゃあ、・・・召集はかかったのに、エヴァを起動させなかったのは・・・?」
「対応の仕方を考えていたんだろうね。本部の中でエヴァは動かせないよ」
「いや。そうじゃないわ。渚、アンタのことよ。四号機なら・・・・」
「それも含めての、ことだよ。ネルフ本部内に使徒侵入なんて、おおっぴらに出来ることではないよ・・・・」



「ふうん・・・・それはまあいいとして・・・・。
この、停電は一体なんなの?使徒の仕業・・・・にしちゃあ念が入りすぎてるわよね。
電気工学の専門的知識をもってる知性的なヤツには見えなかったしい」
「そちらは・・・・人間の仕事、だろうね」
「あー・・・・むー・・・・・、そのおかげでアタシたちがこんなニンジャまがいなことをしなきゃなんないわけね・・・」



しばし沈黙がおりる。



「ところでさ」
「ところで・・・」

子供たちには頭の痛い課題がもうひとつあったのである。

碇シンジである。しかし、今の状況ではどうすることもできない。自分たちもつい先ほど怪奇現象から命からがら逃げてきたのだ。あのままあそこに留まっていれば今頃どうなっていたことやら・・・・。
だから、そのことを言おうとはしたが、途中で変更する。

「この先、右と左、どっちにいく?」
「発令所に向かうべきか・・・・・ケージに向かうべきか・・・・・それが問題だね」

分かりやすく言えば、上か下か、ということだ。
はてさて。なぜか分かりやすくない・・・・・・選択肢は二つ、または戻るを加えてもたったの三つだというのに。
そのことに知能指数の高いチルドレンはすぐに気づいた。

「ところで、ファースト。アンタ・・・・」
ようやく落ち着いてきた綾波レイに尋ねる惣流アスカ。
「この通路、どっちがどこ行くか、当然知ってるわよね」
隠し通路に導いたのが綾波レイである以上、道先案内は綾波レイに任せるしかない。
さすがの渚カヲルも隠し通路の存在自体知らなかったし、惣流アスカは言うまでもない。
道先案内人が黙っているから、行く道に迷ってしまい、現在位置を把握することすら分かりにくいのだ。
その、綾波レイの返答。

「知らない・・」

「へ?」






国連軍 総合警戒管制室
モニターには暗い海岸から上陸しようとする使徒の姿が映し出されている。
主席クラスも緊急連絡に叩き起こされその様子をやることはないが眺めていた。

「使徒、上陸しました」「依然、侵攻中」

その報告にもネジを失くした古時計のように動じることはない。
「第三新東京市は?」「沈黙を守っています」
使徒の迎撃はネルフの仕事だ。それが何を寝とぼけているのやら。音信すら不通だ。
「一体、何をやっとるんだ、ネルフの連中は!」
主席クラスの一人が不機嫌を爆発させる。
「事故でもあったのか・・・・しかし、連絡はとらねばなるまい」
「だが・・・どうやって」
「直接、行くんだよ」

空自のセスナが伝令の役を果たすことになった。確実と言えば確実だ。





そして。





「一体、なにがあったんだろう・・・・・・・・抜き打ち・・非常訓練かな」
行脚を続けた先のエヴァ初号機のケージでは碇シンジが通じない内蔵エヴァ電話を片手にぽつん、と立っていた。