「波長パターン、透明・・・・・」
どういうわけだが、さっぱり分からない。まるで薔薇の蕾だ。
どういう意味があるのやら。

マギのだしてきた謎かけが解けない自分。なにかに置き去りにされているような。

赤木博士は呟きながら、次第にそれに囚われていった。
ずぶずぶと思考の底なし沼へ。


耳にあの音響が残っている。入り口をひしゃげさせる圧力。だんだんと力が強くなっていく・・・それなのに、完遂させることなく途中で引き返した・・・・タイミングからして警備員たちがやってくるのを察知したのか・・・・・だとしたらずいぶん頭がいい。
それとも、「透明人間のジレンマ」のとおり、視覚がきかずにあちこちぶつかっていたのか・・・・だとしたら、私の研究室を狙ったのはなぜ・・・?・・・・・それすらも確率の偶然か・・・・・・人の気配を感じただけか・・・・・・

考える材料がほとんどないのに、真実に行き当たるわけもない。
地道な現場検証を続ける霧島教授からの報告待ちになる。が、地道なだけにそれには時間がかかりそうだ。使徒はまってくれそうもない・・・・・。

科学とは・・・・・・耐えることなのね・・・・・・・・


はあっ・・・・・とため息をつく赤木博士。

「先輩?次の指示を・・・・」
その仕草に、この薄暗闇にぞくっとするような艶を感じてしまう伊吹マヤ。
ほんとうはじっと見ていたかったのだが、羞恥が催促させてしまった。
「え、ええ・・・・そうね」
マギにダミーを走らせるための指示を続ける。電力不足によるシステムレベルダウンの隙を狙ってあちこちから、探りの手が入ってきている。
まずはそれをはぐらかさねばならない。普段のレベルならその無礼な小汚い手をグリグリと踏んづけて手首からちょんぎった上で送り返してやるのだが、現状ではそうもいかない。消極的だがこれしかないのだ。
地熱発電のルートも考えておくべきかしら・・・・・。







ぱん、ぱん。

その頼りない発砲の音に急いで駆けつける葛城ミサト小隊。
異常があるから発砲したのであるから、すでに戦闘態勢に入っている。
先ほどまでは疲労と怪奇にへたばっていた日向マコトも目の色が違った。


「・・・・・・・・」
その烈しい眉をしかめる葛城ミサト。
ライトに照らされる通路には、うめき声をあげながら整備員、二、三人が転がっていた。その中の一人だけがいかにもお義理で持たされたという風の非常用短銃を持っていた。
「日向くん」
「はい」
ライフルを構え周りの気配を探りながら、負傷者の具合を確かめさせる。
バックパックを下ろして医療キットを取り出す。出血はないようだが・・・。
葛城ミサトとは負傷者を挟んで対面にまわる野散須カンタロー。村田式蛍光ペイント銃を構えている。三人ともとっくに暗視ゴーグルに切り替えているが、敵の影は・・・・・・ない。
「いったようじゃの・・・・素早い」
こちらの足音を聞きつけ、全速力で逃げたのか。なるほど、整備員が勝てる相手ではない。

「・・・・・・・・」
葛城ミサトは油断しなかった。
実のところ、周囲のみでなく、なんと負傷した整備員たちにも注意していた。
いや、かなりなまやさしい言い方だ。端的に言うと、殺気を叩きつけていた。
おそらくふいの停電で連絡も途絶え、何分経っても復旧しない・・・この異常時になんとか発令所と連絡をとろうとしたのだろう。自分の足で。基本だ。
それなのに、こんな痛い目に遭い、なおかつ味方であるはずの作戦部長にこんなことされてはたまったものではないが、それが闇の中というものだ。

だが、葛城ミサトの考えは違う。暗視ゴーグルのある彼女はべつに闇など恐れない。
緊迫した状況において全ての要素に注意を配るのは軍人としての訓練の反射にすぎない。そして、作戦部長葛城ミサトとして「この整備員たちは何かが化けているもので、油断しているところを一気に襲いかかってくるのではないか」「または内部に寄生されている」又は・・・「本当にネルフの人間だろうか、外部のスパイが化けているのではないか」
等々・・・・・整備員の心臓には絶対良くない想念を留めていた。背中で睨んでいる。
SF怪奇映画の見すぎだと笑えるものはひとりもいない。
ちょっとでもあやしいそぶりを見せようものなら、高電圧電気銃で麻痺させる気でいた。

「肋骨ですね。折れてはいませんが、ヒビがかなりいっています。・・・・・それもかなり広範囲に・・・・単なる鈍器ではこうはいかないはずですが・・・・」

「あやつかの」

「おそらく。・・・・・お話、大丈夫ですか」
作戦顧問の問いに頷いて、多少声色を和らげて葛城ミサトが負傷整備員に声をかける。
「なんに襲われたんですか。姿は、見えましたか」
懐中電灯はガラスが割れて転がっている。
「・・・・う・・・・・くっ・・・・・・・・」
肋骨をかなりやられているせいか、声を出すのも辛そうだ。他の二名は既に気絶している。「くはっ・・・・・・」
なにかを根性で伝えようとはしてくれたらしいが、頭部の頂点に突き抜ける痛みがそれを許さなかった。それらしいことも分からぬままに最後の勇気ある整備員も気絶した。
「見えたから・・・・撃ったのか。それとも見えないままに撃ったのか・・・・・」
後者のような気がする。それにしても・・・・整備員を生かしたままにしておくとは・・・・・人間をとって喰うわけでもないのかしら・・・・・・・
これまた、げにおそろしいことを考えている葛城ミサト。
肉食でも・・・・ない。なら、餌で罠にハメるってのもなしかー・・・・・。
目的がわからない・・・・・リツコの言うとおり、視覚が利かずにうろつきまわっているだけなのかしら・・・・この停電に驚いているのは、わたしたちだけじゃない・・・?

「整備たちをどうするかの、葛城一尉」

うっ。なんか重要なポイントがつかめそうだったのに。いいところで呼び覚ましてくれちゃって・・・・・。
しかし、どうすべきか・・・・・三人か・・・・それが厄介だ。
ここに捨て置くわけにもいかないが、三人ずつで背負って行くわけにもいかない。
いざ、というときに対応できなくなるからだ。かといって引き返すわけにもいかない。
うーむ・・・。

「良ければ、儂がここに残ろう。人が来るまでな」
ここまでくれば、待機室まではもう一歩だ。必要な荷物は日向くんに担がせてあるわけだし、後方の視界がなくなるのは多少あれだが、ぜいたくはいっていられない。
しかし、人が来るまでって・・・・・そんな・・・来るわけがないでしょうが。

「良ければ発令所に連絡をとるが」
ぎろっ、とその大目玉を光らせる作戦顧問。

「れ?連絡って・・・・・・どうやっていったい?!」
それが出来ないから苦労してるっていうのに!!有線の非常回線も通じないのに。
顔を見合わせる葛城ミサトと日向マコト。
「急造りのつまらんもんじゃがな。作戦部の連中には皆、もたしてある」
そう言って、作戦顧問は懐からなにやら取り出した。

それは・・・・・・・・金属製のコップだった

「こんな時には存外、役に立つ。・・・・・・・・”糸電話”じゃよ」
「なにそれ」
・・・・・・言ってしまう葛城ミサト。







「あーーーーんーーーーたーーーーーーーねえ」
首を上下させながら怨ずるようにいう惣流アスカ。
「知らないって・・・・じゃあ、引き返すしかないってこと?!」
なんといわれようとも、ない袖はふれない綾波レイ。
「片方は塞ぐ予定だったのかもしれない。・・・・・・予算が足りなかったのか」
いやにしんみりという渚カヲル。

もともとが万が一の時(こうして現実に訪れてみてもその確率ゆえの貴重さなど感じないのだが)の為の隠し通路だ。火災などの避難路などを想定していたのかもしれないが、そこからすると地上、又は安全な空間に通じてはいても、発令所に通じているとは限らない。危難に追い立てられた人間に冷静な判断を求めるのが無理なのだから、この手の通路は一直線に造っておいて欲しいものだが、こうして二手に分かれているのだから片方はいらない道、または適当な所で行き止まり、な道だと考えられる。
広くはないが通風口ではないのだ。


「かっこわるう・・・・・・・」
別に誰にいうでもなく惣流アスカはせまい天井を仰いだ。
あの時は逃げるしかなかったのだから、綾波レイを責めるべき理由はない。
しかし、隠し通路だけあって親切な案内板があるわけでもない。
シンジなら・・・・・言ったでしょうけどね・・・・・。

「緊急マニュアルに書いてあるんだろうけど・・・・・どちらにせよ、カードはロッカーの中だしね・・・」
なんでもかんでも知っていそうな渚カヲルもさすがにこんな所の右と左の区別までは知らなかった。右と左を見通して、どちらがより良い結果をもたらすのか・・・・。

「追っかけてこないところを見ると、他の所に行ったか、待ち伏せているか・・・ね」
これまた二択。片方はとんでもなく恐ろしいが、言い切りの惣流アスカ。


「どうする?」
赤い瞳の二人を見る、青い瞳。いける道の数が少ないだけに単純な選択だ。しかし。


「待ち伏せが出来るほどの知性は感じられなかったけどね」
日差しの穏やかな紅茶色に詩いだす午後の談笑・・・・のように渚カヲル。
「渚、それは一つ忘れてるわ。野生の本能ってやつがあるでしょっ」
学問的指摘、というにはあまりにも「王手!」の響きに近い・・・・惣流アスカ。
「ここは本部の中よ・・・・・・・」
と、無粋なツッコミをいれるわけもない・・・・・・綾波レイ。


瞳の奥にあるものは三人とも同じだ。選択はその後についてくるものでしかない。



「エヴァに・・・・・乗る」



三つの視線が幻像を浮かび上がらせる。余人には見ることはかなわぬ。

蒼く眠る星の墓守・・・・のようなエヴァンゲリオン零号機

紅く燃える火ノ騎士・・・・思わすエヴァンゲリオン弐号機

白銀の神人・・・・・の形容を纏うエヴァンゲリオン四号機

選ばれたチルドレンにしか動かせぬエヴァシリーズ。使徒を滅ぼすもの。
エヴァに乗っていなくてもエントリープラグに封ぜられていなくとも、パイロットは・・・・・・・命題を果たすべく動き出す。




てくてく・・・・・・・

結局、逆戻り。待機室に向かってまた、背を屈めて歩き出す。
走っていきたいところだが、ここは夕焼けの浜辺でなく、暗い停電の通路だった。
焦ってもどうにもならない。エヴァのケージまで行けたとしても、大体電気がないのだ。諸々の施設もそうだが、エヴァ自体も電気で動いている。この状況でどうしたものか。
それを一切「無視」して動きそうなのは、碇シンジと初号機だけ・・・・。

先頭をいく惣流アスカはなんだかアタマが痛くなってきた。
恐ろしい状況である。火薬庫の真ん前で小さなガキが花火を振り回しているような恐怖。左手だけでも使徒だろうとエヴァだろうとおかまいなしにぶっ倒す凶悪のエヴァ初号機。「ねたらだめだ、ねたらだめだ・・・・」その源であるくせにこの様の碇シンジ。
どんな顔をしてよいのやら・・・・・。
振り返ることはしないから、後ろの二人がどんな顔をしているのかは分からなかった。
「あーっ、もー・・・・・・・」 どうもだめだ、黙ったまま進めない。頭のちりちりするものが口を開かせてしまう。
「あんなのが本部をうろつきまわってるとはね。もしかして、密かに飼育してた怪しげな実験動物かなにかじゃないの。それが停電でロックが切れて飼育檻から逃げてきた、とかさ」
「時間的にそれは無理だと思うけれど。・・・・・まあ、これがSF小説ならありそうな話ではあるね。・・・・ところで、そんな怪物を誰が飼っているんだい?」
「キリシマ教授・・・のイメージじゃないわね。植物の方がご専門らしいから。そうね、司令副司令も悪くないけど忙しいみたいだし、多分、面倒見るヒマはなさそうね。出張から帰ってみると餓死してたとかね。あとは・・・・」

綾波レイは無言。

「リツコ。これは・・・・副業かなにかでやってそうな気がするわ」
「あのひとの専門はあくまで電子工学だよ。エヴァは電力と神経で動くと思っているし、 その天分も・・・・・」
やんわりという渚カヲルに、ふいにおもいついて尋ねる惣流アスカ。
「そういえばさ・・・・、渚。アンタ、リツコの家で暮らしてるんだっけ」
「そうだよ」
「どんな感じ?あんまり想像できないんだけどさ、なんかアンタたち、生活感ないから。リツコなんか家の中まで白衣着てそうな感じだし、なんといっても”あの”ミサトの友人だしね」
それに、渚自身も家でくつろいでいる所など想像しにくい奴だ。 「とても気に入っているよ。赤木ナオコ博士の著作は読めるし、猫の面倒をみるのも意外に楽しいしね」
「ふーん・・・・」
その割りには、隣の花は赤い、というような気分にはならない惣流アスカ。そんなに猫が好きでもないし、自分が十分に赤いからだろうか。そーいえばこの頃あまり論文なんて読んでないな・・・・・毎日の中でいろいろやることが・・・・・・食後、ざぶとんを賭場にしてのペンペンも混ぜた花札とか・・・・けっこう楽し・・・いや!あれはあくまで勝負事に対するイメージトレーニングよ。駆け引きのあれとかさ・・・・。 ・・・・ちょっと自分でいってて言い訳っぽい・・・・


ドクンッ

あまりの大きさに体がつられて一瞬、波打ったほどの・・・・・・巨大な太鼓にも似た、「鼓動」の音。
ドウッドウッドウッ・・・・その余波で血脈がまだ揺れ乱れる。
心臓だけを轟音たてて向かってくるダンプに跳ね飛ばされたような不気味な一撃。
黒くてブ厚いゴムの袋に物も言わずに詰め込まれてぐるんっと天井で振り回された感じ。とにかく、通常いわれる「心音」などという生やさしいものではない。
もっと暴圧的なものだ。

ドクンッ。ドクンッ。

「・・・・・・なにこの・・・・お、と・・・・」
聞いているだけでたまらなく不安になる。鼻を壊すほど獣じみた臭気を思わせる。
しかも半端な音量ではない。恐竜や鯨の心臓でもこれほどの音はしないだろう。
それでいて生体に刻まれたリズムが聞く者の鼓膜を否応なしに支配下におく。
こんなものが自分たちの体の中にあるのが信じられなくなってくる。

ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、

少し速くなってきた。どこから聞こえてくるのか・・・・・耳がバカになっている。
足を止めて互いに顔を見合わすが、言葉が出てこない。それどころか・・・・・だんだん息苦しくなって・・・・・・目の前が白黒にチラチラして・・・・く・る・・・・・・

どくんっどくんっどくんっどくんっどくんっどくんっ

ますます速く。やばい・・・・・・目がまわってきた・・・・・耳鳴りもだ・・・・。
足下がふらつく惣流アスカ。なんとかバランスをとろうとしているのだが・・・・・・・
あ・・・・「まっすぐ」ってどんな感じだったっけ・・・・・・・ク・・・・まわる・・

「う・・・・・・」
口元をおさえ、その場にしゃがみこむ綾波レイ。白い顔がさらに白くなっている。

「・・・・・・・これは・・・・・」
目を鋭くして、その音から何かを読み取ろうとしているかの渚カヲル。
それでもうっすらと汗が浮かんでいた。すうっと壁に手をあてている・・・・。

ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン

その音に引きずられ、自分たちの心臓もさながら悪いピエロが叩く割れ鐘。
生体予定表を黒マジックで塗りつぶした過度の戯れをピストン伸縮し始める。
自律神経ではどうしようもない。意志も及ばずに心臓は騙されて狂った大回転を続ける。

ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク


耐えきれず、惣流アスカの膝が笑って崩れかけ、長い髪が散沙と乱れ舞う。その、時。

ド・クンッ

それが静寂の音になった。

その鼓動の音はふいに・・・・止んだ。白木の杭でも打ちつけられたように。


ドッ・・・・ズズ・・・・・・通路の壁に寄り滑る惣流アスカ。息が荒い。

はあっ・・・・はあっ・・・・・はあっ・・・・・・


「少なくとも近くではないようだね・・・・さらに方向も反対だ・・・・幸運なことに」
「なんで・・・・・分かるのよ・・・・」
うっすら汗程度で済んでいる渚カヲルに、どこかヒロシマの時の碇シンジと重なるものを感じる惣流アスカ。・・・・・それとも、男女差だろうか・・・。
「音は球状に拡散するものだからね。この通路はおあつらえむきに伝声管の役割を果たしたというわけだよ。音が散らずに真っ直ぐにこちらへ来たんだ」

「・・・・・もしかして、今回の使徒って弱いんじゃないの・・・・・」
「どうして?」

「・・・・・弱い使徒ほどよく吼えるってね・・・・・・」
よしょっと立ち上がる惣流アスカ。
「けだし・・・・・名言だね」


「ファースト、はい」
はい、というより、ん!、というのが近い差し出し方だ。手の。
しかし、綾波レイにはその意味が分からなかったらしい。
「もうちょっと道がでかけりゃ、一応、これでもオトコの渚に背負わせるんだけどね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・手ぇ、引っ張ってってあげるわ」
「手・・・・・・」
「そ、手よ。ほら!いくわよ」
気休め程度だが、何もないよりはマシ。先とは違い、ここで休ませるわけにもいかない。あんなモンが本部内で鳴り響くのは、使徒が元気な証拠だ。一刻も早くエヴァでどうにかせねばならない。
それに・・・異常の音が聞こえる、ということは、ここもさして安全でないということだ。大体、SF映画なんかだと、未知なる人喰い生物は通風口などを侵入経路に使ったりするのだ。そこで、一人になった運の悪い人間をガバチョと殺ったりするのだ。
まさに現在の碇シンジ状態の人間を・・・・・・。
ぐいぐいと綾波レイを引っ張っていく惣流アスカ。その殿を受け持つ渚カヲル。




「ねえ、インデイージョーンズって映画、見たことある?」
しばらくいって、惣流アスカがこんなことをたずねた。顔は前を向いたままだからどちらにきいたのかはハッキリしない。しかし、綾波レイ向きではない話題である。
なんのためにこんな話を切りだしたのか、渚カヲルにも、ちと分かりかねた。
もしかしたら葛城一尉の影響かもしれない。さして意味はない、のか。

「考古学の教授が探検する話なんだけどさ・・・・・地下の迷宮だか洞窟だかを探検してて宝を侵入者から守る罠が作動して、通路の後ろから大きな岩が転がりながら追いかけてくるわけよ。マ、大昔の映画だからチャチな特撮なんだけど」
「・・・・・・・・」
「それでどうしたんだい?」
「それでちょっと思ったことがあるの。もし、その映画みたいにアタシ達の後ろから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「前方・・・・・・・・」
「何か前に見えたのかい」
惣流アスカには珍しく、ふいに止められた話に誤解する二人。
「いや・・・・・ちょっと自分で考えといてなんだけど・・・・気色悪くなった」

「・・・・・・・・」
「・・・・・・・?」

・・・・・・・・・・・馬鹿でっかい心臓がゴロゴロ転がってくる・・・・・・・・・・

なんて言えないわよね。やっぱし。
発想が一番身近な女性、葛城ミサトのそれにゆっくりと毒されていっている惣流アスカ。
神経が日々太くなっていると言い換えてもよかろうが・・・。







待機室。その真下へ戻ってきた。隠し床をそおっと持ち上げて状況を確認する惣流アスカ。
「・・・・・・気配はなし。諦めてむこう行ったみたいね」
停電はまだ直っていない。暗い中に綾波レイを引き上げて、渚カヲルも上がってくる。
壁面の破壊され具合に気づき、胸をなで下ろす。やっぱり逃げといて正解だった。


「もう、いいから・・・・・・」
綾波レイの蛍るささやき。草の露がそっとみみたぶにかかるような・・・・
「なにが?」
「手・・・・・・・」
「あ」
その必要はなくなったのに、(渚カヲルに背負わす気でいたから)まだしっかり手をつないでいた。はずかし・・・・・。顔を赤くして、慌てて手を離す惣流アスカ。
「さ、行くわよ!渚、アンタ、ファーストを背負って。少しでも体力は温存しといた方がいいから」
「ぼくの体力はどうなるんだい?」
これは揶揄というものだ。しかし若いみそらで年代物の琥珀色。
「・・うっさいわねー。アンタ、いくら細くたって男でしょ。力仕事は男の・・・・」



「あり・・・がと・・・」




百年とまっていたオルゴールがふいに奏で始めたように驚く。そは幻の音なりや・・



この暗い中、表情が見えるわけではない。綾波レイがどんな顔してそういったのか。



「え、あ、えーと・・・・・・・べ、別に礼には及ばないわっ。作戦行動の先頭がとるべき当然の行動というか・・・・・隠し通路を知ってたのはアンタの手柄なんだし・・・・とにかく!行くわよ!!しんみり・・・じゃなかった、ノンビリしてられないんだから!」

「ここは彼女の言うとおり・・・・」
すうっと、合気道の達人のように動くと渚カヲルはもう綾波レイを背負っていた。
「シンジ君・・・も・・・心配だし」

「渚あ、アンタ今「も」にしようか「が」にしようか迷ったでしょ」
「そんなことはないよ・・・・さあ、いこう」
チルドレン三人はケージに向かって走り出した。







発令所 いまだ停電中

電力復旧に向けて、喉を枯らすほどに指示を飛ばしまくる冬月副司令。
発令所程度ならば、「糸電話」を使わず声にまかせたほうが速い。
それに、志気の問題もある。明かりがないとどうしても人は不安になり、活気がなくなってくる。そんな人間の心理を冬月コウゾウ氏はよく弁えていた。
いつものように冷静に黙っていたとて、下の者には「見えない」のだ。効果がない。
声を出していれば、それだけ復旧が進んでいるように「思える」。これが重要。
静動和荒。この使い分けが大事なのである。冬月コウゾウ談。


副司令もよくやるよなあ・・・・・
直属の部下である青葉シゲルの感想。存外、応援団の経験でもあったんじゃないか?

直属の部下でこれである。副司令の意図は通じているのだろうか。たぶん・・。


それにしても暑いな・・・空気が淀んできてるぞ・・・・
生命維持装置も電気で動いている以上、作動しなくなれば快適な環境を保てなくなる。
しかも明かりはロウソクだったり、八墓村よろしくアタマに懐中電灯をくくりつけたり、と格好もなにもなく実質のみ。明かりをともせば必然的に熱が発生する。
冷光ランプは機材を扱う者に回されたし。発令所には人も多い。熱もたまる。
風なども吹き込みようがないから、蒸す。あつい。




はた・・・・はた・・・・はた
猫の扇子でせめてもの風を得る赤木博士。マギの方は終わったが、まだ仕事がある。
使徒の方をなんとかせねばならない。しかし、脳も熱には弱い。いい考えも浮かばないし「パターン透明」の謎も解けない。

「暑いわね・・・・・・」

「でも、さすがに司令と副司令。この暑さにも動じませんね」
感嘆と尊敬をこめて見上げる伊吹マヤ。

うっ。他意がないのは分かっているが、自分より遙かに年上の碇司令と副司令が平然としているのに・・・・・扇子が一瞬、止まってしまう。




「そろそろ交代してくれ、碇」
「ああ」
要は暑さに動じないように「見える」ことで、「耐える」ことではない。冬月コウゾウ談。科学者だけあって、精神修養にさして興味はない。暑いものは暑い。これが自然だ。
しかし、科学の力で多少なんとか出来ないこともない。

用水バケツ。その中にアイスノン。科学の力だ。

ロウソクと一緒に入っていたのものだ。誰が用意したのか知らないがボーナスものだ。
しかし、一個しかない。そのため、交代で入れる。
足が冷やされていると、頭も涼しい。とても近くで見せられる光景ではないが。
そのため、赤木博士が気にする必要はあまりないのであった。


「しかし・・・・上の街まで停電だというのは・・・・深夜で助かった部分もあるな」
「ああ。闇の中で人間は猿よりも愚かに変わる」

「パニックが恐いよ・・・・その前になんとしても復旧させねばな・・・・」







第三新東京市 市街

地上でもやはり停電状態になっている。
しかし深夜であるせいか、さほどの騒ぎにはなっていない。
だが、深夜に起きている人間というのも確実にいるわけで、突如の停電に戸惑い、怒る。電力機器などは一気にその活動を停止しているわけで、その中でもすぐに分かるのは仕事や趣味に使われているコンピューターや作業機械。電話なども突然の断線になる。
交通事故などで、病院に担ぎ込まれた急患の緊急手術。そのライトも消える・・・・。
家電製品、冷蔵庫などはとくに危険だ。知らぬ間に悪くなって食中毒の可能性もある。
運転手の判断まかせの赤点滅が多くなるとはいえ、急に交差点で信号が消えたら?
細かい例を挙げていけばキリがない。
これが昼間ならばパニックになったかもしれないが、幸いなことに殆どの市民は寝ている。
熱帯夜ではなく、割合に涼しかったためクーラーが途中で切れても分からない。
起きてみて、朝のニュースがつかなかったり炊飯器が炊けてないことでそれに気づく。

・・・・・・・・そんなもので済めば御の字であろう・・・・・


だが、その僅かな幸いすらも許さない使者が空からやってくる。

「こちらは第三管区航空自衛隊です。現在、謎の物体が第三新東京市に接近中です。
住民の皆様は速やかにもよりのシェルターに避難してください・・・繰り返します・・」

セスナがスピーカーで市民の眠りを覚まそうとがなり立てる。
車などの騒音がないだけにそれは市街によく響いただろうが、寝ているところにいきなりその事態を伝えられ逃げろと云われても、まず人間がやることは明かりをつけることだ。

つかない

紐を何度もひっぱったり忙しくスイッチをバチバチ入れ直してみても・・・・つかない。

第三新東京市の住民は他の都市の住民と比べて避難慣れしている。しかし、明かりがないというのは、その慣れさえも帳消しにしてしまう。データが飛んでしまっている。

突如の停電。そして謎の物体の接近。災難ダブルパンチだ。

普通、ここでパニックになってしまって負傷者が百人単位で出たりするのだが、さすがに打たれ強い。懐中電灯を持ち出し、各ご家庭に一個は配備されている携帯ラジオをつける。スイッチひとつでネルフが唯一のスポンサーをやっている第三新東京市放送局の周波に入るようになっている。
田舎に行くと家々に有線で、洪水のお知らせとか稲作の様子などを一方的に報せてくれる町役場からの放送があったりするが、あれの第三新東京市版だ。規模と内容が違うが。
避難状況や交通情報、病院の空きベッドの情報等々、いかにもな実質内容を教えてくれる。無論、エヴァや使徒の情報はオフにされているのはいうまでもない。
ネルフ広報部の仕事のひとつである。





そんな家庭のひとつ・・・・・・高橋家。
ここの主人の高橋ノゾク氏は最近、市議選に立候補した人物である。


「おー、こりゃ大変じゃの、ワレ」
ラジオを聴いて高橋ノゾク氏は妻のヨシノに云った。
いかにも政治に向きそうにない人の良さそうなカバを思わす夫に不釣り合いなほどに美人な奥さんであった。
「そうですねえ」
春の笛でもふくように答える細君。ふたりとも動こうとしない。
「こんな夜でも逃げんといけんかのう、ワレ」
「そうですねえ・・・・・団地のみなさんを誘導しないと・・・いけませんわね」
「起こすのは気の毒じゃが・・・・・、危ないよりはいいかのう、ワレ」
「そうですねえ・・・」




「おとーさん、おかーさん!まだラジオ聴いてんの?!!団地の皆さん、待ってくださってるのに!点呼も済ませたから、早く!」
「親父、お袋、通帳も印鑑も位牌も住民票もカードもいれといたぜ。こん中だ。
早くしろよな・・・・・あったくよー・・・・よくこんなんを町内会の会長に選ぶよな」ガラッと襖開けて中学生くらいの同じ顔の男の子と女の子が入ってきた。
一卵性双生児。運のいいことに母親似だ。男の子がカズイで、女の子がラン。

「ジョウはどうしたんじゃ。ワレ」
「皆さんのところよ。あんまり遅いから呼びにきたの!恥かかせないでよ」
「ほうか。ワレらが最後か。ワレ」
「じゃ、いきましょうか。ありがとうね。カズイちゃん、ランちゃん」
「中三にもなって、ちゃんはやめてくれよなー。カッコ悪い」

そんな調子で高橋家の皆さんは避難した。
おそらく、第三新東京市全域でも五位には入る遅さだった。



未確認の謎の物体接近中・・・・つまり使徒来襲の報を受け、ほとんどの住民が避難する。


その人の流れに輝く針のようにして逆らう者も存在した。




第三新東京市帝国ホテル
そのロイヤルスイートの一室。

金色の髪に白晰の肌、緑の瞳、の威圧的気品のあるブレザー姿の少年。
胸のエンブレムには古代の戦王に天の牛骨、ギルガメッシュ機関の証。
セカンド・チルドレン、A・V・Th。騎士の鎧兜より無機的なその表情。

紅きデウス・マキナを駆るために少年はこの街に来た。

使徒迎撃用武装要塞都市・・・・この巨大な現代神話闘技場に。


「使徒・・・・」

少年はドアマンやフロントの制止も冷厳と無視し、歩み去った。


少年が向かうのはシェルターの地下でもなければジオフロントでもない。


影絵のように月の光に浮かぶビル群。約束されたその一つ。

紅い巨人がそこで待っている。最高の操り手を確かめるために。

エヴァンゲリオン弐号機。セカンド・チルドレン。

「惣流・アスカ・ラングレー・・」
少年が呟くだけで、その火のような名が吹き消されていくようだった。
その姿は闇影を刺し、金色の点を残し消えていく。その点すらも・・・・すぐに・・。




「見事なもんだな・・・・ギルじゃガードの撒き方まで教えるのか」
ビルの影よりすう、と現れるのは、ここのところ葛城ミサトがいくら探してもつかまらなかった加持リョウジ。これで浮気も安心だ。

「さて、とこのまま追跡するべきか、ネルフ本部へ連絡すべきか、それが問題だな」
任務と好奇心と常識的判断と義理人情との四面板挟み。
判断は即座に下された。
「ま、何事も命あっての物種さ」
加持リョウジはそのへんでバイクを調達してくると、ネルフ本部へ向かった。






「うわ・・・・・・・・、なによ、これ・・・」
葛城ミサトが顔をしかめて云った。日向マコトも無言のままに青ざめる。
通路を曲がると、そこは狂った虎の檻のようになっていた。
無惨に引き裂かれた壁面。強力な爪で掻かれたような床の、天井の傷跡。
巨大だが不良品のジューサーカッターが暴れるように廻ったのか、まるで規格の合っていないドリル穿孔が意味のない工事をやらかしたのか。
なにをどうやればこんな風になるのか分からないのだが、もし、たまたま、それが行われた時に人間がこの通路にいたとしたら・・・・・・・・・スプラッターだ。

「いたみたいね。運が悪いというか・・・バチがあたったというか。東レの光学迷彩か」 ブツリと糸を断ち切るような葛城ミサトの言。転がっている手首を拾い上げる。

「あの・・・・葛城一尉・・・・・ここを・・・行くんですか・・・・・?」
「そうよ」
傷跡の一つを照らして、軍人の視点から確かめながら葛城ミサトは答えた。
「葛城一尉・・・・・・恐くないんですか・・・・・」
「恐いわよ」
作戦顧問がいないから遠慮はいらない。
「恐いからその正体を確かめずにはいられない・・・・。そんなもんなんじゃないの。
少なくとも足があるのかないのか・・・・それくらいが分かりゃい

その時、闇を引き裂く強烈なライトが浴びせかけられた!!銃器に手がいく!!







しとしとしとしとしとしと・・・・・・・・・・・・・・

ざーざーざーざーざーざーざーざーざーざーざーざーざー・・・・・・・

「なんで雨の音が聞こえるんだろう・・・・・」
エヴァ初号機ケージ 碇シンジ


ぴちゃ、ぽた、ぴちゃ、ぽた、ぴちゃ、ぽた、ぴちゃ、ぽた・・・・・・

不出来な木琴思わす雨垂れの音が続いている。灰色の電波によらない水の音。
しかし、濡れない。首をかしげる碇シンジ。

「どこにかけても返事がないし、避難訓練にしちゃ徹底しているなあ・・・・」
停電は続いたままだが、ケージには電力無用の非常灯があるのでさして暗くない。

「でも、ほんとの緊急事態ならサイレンくらい鳴るだろうし」

れしゃー・・・・・れしゃー・・・・れしゃー・・・・・れしゃー・・・・


少年の感性では、一人いるケージ内で雨の音に囲まれていても、それを異常とは云わないらしい・・・・。

「待機室に戻ろうかなあ・・・・でも、みんないないみたいだし・・・・まさか・・・・置いて行かれたのかなあ・・・・あーあ・・・・眠くなってきた・・・・」
雨の音はしばらく我慢していた眠気を誘発する。
「でも、ここで眠っていたら何かあったときに困るし・・怒られるな・・・・・」
そう云う割りには眠気がまるで覚めないのだから。



「そうだ・・・・・・」
碇シンジは碇的発想法に基づき、一計を案じた。
「エントリープラグの中で待機していればいいんだ。いざというときにはすぐに動ける」なかなかの名案だと思った。後頭部根本にある操作盤の使い方は惣流アスカから教え込まされていた。ぴ、ぴ、ぴ。


ウイー・・・・・・ン・・・・・・

首部分が折れエントリープラグが露わになる。ぴ、ぴ、ぴ。蓋を開けて乗り込む。


ウイー・・・・・・ン・・・・・・



エヴァンゲリオン初号機はパイロット 碇シンジをその体内に無事、保護した。







ガッチョン、ガッチョン、

使徒マトリエルは好調に進軍を続けていた。メカニマルの蜘蛛のようにいささか不自然だが山も川も田んぼも関係なく、ただひたすらに第三新東京市に向かっていた。

使徒の立場からすると、なるべく急いだ方が良かった。
憎っくき邪魔者エヴァンゲリオンは現在、動けない。
童話風にいうと、「お腹が減ってがんばるちからがないのです」ということになる。
現実はそれどころではなく、ネルフ本部自体がそちらの接近を知らなかったし、パイロットはエヴァに乗っていなかったし、さらに云うならもう一丁使徒が来ており、いいように本部内を徘徊していた。ネルフの人間にしてみれば、「どっちかひとつにしてくれ!」と云いたくなるようなシュチュエーションだが、神様はその意を汲んでくださらなかった。頭を悩ます透明級と力で圧してくるヘヴィ級を使わされた。


ガッチョン、ガッチョン、


これだけの体躯にこれだけの音で攻め寄せているのにもかかわらず、使徒マトリエルは、なんとネルフのふいをついて奇襲をかけることに成功しそうだった。
こうるさい通常兵器の歓迎もない。夜はあくまで静か。天には彼の足音だけが響く。
もしかすると、マトリエルは幸運を司る使徒なのかもしれない。





その幸運を邪魔するのは、黒い疾走する悪魔・・・・・・・にも似た、無精ひげノーへルライダー、加持リョウジだった。いつぞや、野散須カンタローが自転車で発令所にやってきたような通路を使い、本部内を駆け抜ける。施設の電力が切れているわけで、作戦顧問がやったときとは状況が違うが、そこは腕利き情報員である、というか獣めいた嗅覚を元にかなり的確にルートを探り当て、発令所に向かう。


オオオオオオー・・・・・・・・ム


途中、叫び声のようなものと「すれ違った」。風鳴りとは違う、明確な声。
昔見た、幽霊映画を思い出させるが今はそれどころではない。幽霊よりも使徒の方が強い。本部で現在、何が起こっているのか・・・・興味があるが、詮索は後だ。
直角クランクを決めると加持リョウジはひたすらに飛ばした。こんなことも二度と出来まい。ガラではないが、自分が映画の中の人物のような気もしてくる。


「!!」
ヘッドライトにふいに浮かぶ人影!直前ドリフトでタイヤが悲鳴を上げる!!。




「加持君!?」
「葛城?!」

あやうく轢き殺しかけたほどに烈しい再会。葛城ミサトと加持リョウジ。
あやうく撃ち殺しかけたほどに危ない再会。加持リョウジと葛城ミサト。

「なーにやってんのよっ!!危ないじゃないっ!!」
「葛城こそ・・・・その格好はなんなんだ・・・・」

ここまで来るために葛城ミサトに生命力を吸い取られたように日向マコトはへろへろ。
すでにカヤの外。

一瞬にして沸騰点に達したアドレナリンが二人に荒々しく怒鳴らせるが、互いの情報交換だけはきっちり行うさすがの呼吸。
「使徒?上の方でも?・・・・・かんべんしてよね・・・・、あいったなー」
「使徒?こっちでもか?冗談だろ」

「発令所への連絡?それはいいって、これがあるから。んなことより、エヴァよエヴァ」「アスカ達はどうしたんだ」
「分からないわ。とにかく発進準備だけでも整えとかなくちゃ。日向くん!」

「は、はい」
「連絡、頼むわね。それから、荷物貸して。これで運ぶから」
数分前に轢かれ損なったくせに、そんなことを微塵も残していない判断の速さ。
その神経の太さは、そこだけイカの遺伝子を流用して造られているとしか思えない。
”糸電話”を日向マコトにほうってよこすと葛城ミサトはバックパックをバイクにさっさとくくりつけた。そして、加持の後ろに乗る。

「はい、加持君。緊急時だから飛ばしていいからね。急いで」
「後ろに乗せるのは久しぶりだな・・・・・・いくぞ」

ウンッ・・・

「韋駄天っていうのは葛城さんだけじゃないんだな・・・・くわばらしまばら」
サーキットで速いというのは珍しくもなかろうが、暗闇の本部の中でああも飛ばせるというのはやはり常人ではない。日向マコトはせめてもの交通安全を祈った。
そして、”糸電話”で発令所への連絡を。





そのとき、本部のあちこちにいるさまざまな誰かが、さまざまな音を聞いていた。

それがほんとうは何の音だったのかはわからない。音の源がわからない。
なぜ、それが聞こえてくるのか。kokoniha naihazuno oto

何の音かわからない。なら、その音をきいている者はだれだ。
誰もいない谷の風にふかれゆれる松の枝は存在しないか。その幽かな音を。誰か。
ないはずのおとを聞く者は誰か。そこにいるのですか。



ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ、 大量の人間が濡れ足で歩いているような音

きゃふくふふっ、きゃはっ 赤ん坊が笑うような音

かさ、かさかさ、かさ・・・・・・ 踏みしだく落ち葉の音

ち・りーん、ち・りーん、ち・りーん・・・・・山と重なった千個ほどの風鈴の揺れる音

ぽこっ、ぼこぼこ、こぼこぼ・・・・お湯が沸いていく音

パりーん、パりーん、シャりーん、ガラスの割れていく音

ごぐろろ・・・・ごろぐ・・・・ろろ・・・・山肌の崩れゆく落石の音

ずり・・・ずり・・・・ずり・・・・・・・・這う音・・・・・・・ずり・・・

ゴブッ・・・ドドドド・・・・ゴドドド・・・・噴火の音

ざう・・・ざうざう・・・・ざうざうざうざう・・・滝の音・・・・・ざざうう・・・

べちょっ、べちょっ、べちょっ、べちょっ、舐め回す音

ごくんっ ナニカを呑み込む音

ぽきっ、ぽきぽきぽき、ぽきっ、ぽきっ、ぽきぽき 骨と間接の音

ギィ・・・・・・イィ・・・ン・・・・・爪で引っ掻くような音

野火の走る音 草木の音 葉の重なる音 屋なりの音 蠕動音 咳の音 ぽんぽんと西瓜 を叩くような音・・・・・・・・。


存在せぬはずの音の一群。誰かが耳にとめていても。そして誰かもいなくなる。








「そろそろ電力が回復してもよさそうなものだが・・・」
さして悲壮ぶることもない霧島教授。研究機材がなくとも、自分の頭と足で真理に近づいてゆけるのが学者という人種。その中でも、第二次大戦中は疎開先の田舎でトンボの羽を切って飛行システムの解析につとめるような生物学者の裔である霧島教授にとって、コンピューターはあくまで助手の一つ。有能ではあるが、それで研究が出来ないわけでもない。ただ、あればやはり便利であるのは云うまでもない。

ひとまず赤木研究室前でのデータ採集を終え、発令所に戻ることにする。
発令所から、作戦部の護衛役の持つ”糸電話”経由で情報も入ってきていた。
あちらでは本部各所から細々とだが、集められた情報をもとに「一覧表」を作成しているともいう。(データベースと言わないのは、大きい模造紙に手書きで作られているため)まるでお金のない選挙事務所だが、万能科学の砦に日々働く人間がさほどに混乱も無力感にも陥らず、ここまで動くことに霧島教授は見直す思いで感心もしていた。
便利な機械に慣れてしまうとそれに頼ってしまい、こうして機械が停止すると体も頭脳も停止してしまう例を教授はいくらでも見てきた。

「ネルフもなかなかやりますね。金銭ボケした組織だと思っていましたが・・」
研究室の助手連も同じコトを考えていたようだ。無論、護衛には聞こえないように。

「もう一体、やってきたようだ。どうも・・・・大変だ」
姿がおおっぴらに見えて、なおかつサイズ巨大だというならば、これは純然たる作戦部の仕事。エヴァンゲリオンを動かすしかない。だが・・・・・電力はどうなのだろうか。


そして、碇シンジ君。あの子達が戦うことになるわけか・・・・・。
娘のマナと話すあの表情を思い出す。・・・・・十四歳か・・・・・・。

せめて後顧の憂いは無くして送り出したいところだが・・・・・・・。

透明な使徒・・・・・・・そして各所で聞こえるようになった様々な「音」
これらの因果関係とは一体・・・・・・何か分かりかけるような気もしているのだが。



霧島教授と登山口は違うものの、思考の高度において同レベルの場所にいる人物。
赤木博士。

視覚で捉えられなければ、別の方法をとる。連絡法法を原始的原理の糸電話に頼っている現在の状況ではセンサー等々は使えない。だが、あくまで道具としての科学に拘る。

力としての・・・・・科学。
拘って拘って拘って拘って拘って拘って・・・・・・・・こだわり通す。

自分の研究室から伊吹マヤに専用ラップトップを持ってこさせ、マギに接続する。
「波長パターン透明」はあくまでマギ自身の判断だ。その判断の源を・・・・・


訊いて訊いて訊いて訊いて訊いて訊いて訊いて・・・・・・・・訊き倒す。

高速で打ち出される鬼気迫り死人でも甦らせそうなキーボードの音に、赤木博士の周囲はまさに結界となる。伊吹マヤも近づけない領域だ。

かあさん・・・・教えてよ・・・・・


しかし休眠モードに入っているマギは答えない。

地上からの使徒来襲の報が来なければいつまでもやっていそうな眼の色だった。
眉一つ、うごかさずに。

カタカタカタカタカタカタカタカタカタ・・・・・・・・・カ・タ
その指が不意に、止まった。返答が・・・・・あったのだろうか。


「・・・先、輩?」
「なに。このデータは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」液晶ディスプレイ全体に広がっていく赤い文字。紅い数字。朱い記号。
噴き出す血潮の如く流れゆき、黒い二次空間を赤い川に変えてしまう。
そのうち赤の文字群はオレンジに変わって点滅し始める。

「な、なんなんですか・・・・そのデータは・・・」
データは情報の羅列に過ぎないが、その画面を見ていると、それ自体が悪意をもって構成された映像のように見えてくる。点滅すらも哄笑が聞こえてくるようで・・・・・・・・気味がわるい。こんなものが・・・マギの中に入っていたなんて・・・・・信じられない。

「なんのための・・・・・」
肩をゆさぶっていたら、ふいに相手の腹部から腫瘍がはみ出してきたようなものだ。
赤木博士が受けた衝撃は一様なものではない。指が、ちりちりと痙攣していた。


その答えは10分後に糸電話から伝えられることになる。






「なっかなか復旧してくんないわね。電気」
「相当前々から周到に用意されていたのか・・・・・それとも・・・・・」
かなり眼が慣れてきたが、それでも明かりがあった方が十倍いい。
静まりかえった闇の中ゆくは惣流アスカ、渚カヲル、綾波レイのパイロット三人。
エレベーターは使えないし、わけわかんない敵が通路をぶち壊してくれてるしで、ケージに辿り着くまでが結構なほねであった。
何かの具合で、闇の通路をほっつき歩いている碇シンジと合流することをひそかに期待していたのだが、そう都合良くはいかなかった。
エヴァ初号機のケージで待っている(と言えば聞こえがよい)のだから。

ちょっと前は同じ待機室にいて、さらにちょっと前は同じ屋根の下で眠っていた。
それでネルフ本部で肝心なときにいないのだ。あのバカ・・・・・・・・・・
既に自分で追い出したことなど忘れている惣流アスカ。行きながら、十発くらいビンタ張ってやろうと考えている。その頃 、碇シンジはエントリープラグの中で夢をみている。


危険を避けるため回り道もしたが、ここをまっすぐにいけばエヴァ四号機のケージだ。
四号機パイロット渚カヲルは細いつくりのわりにはけっこう力持ちらしい、それとも綾波レイが軽いのかも知れないが、ここまでくるのに息も切らしていない。
四号機のケージに来たのは、本部内では力押しでどうにかするわけにもいかないからだ。格闘もプログ・ナイフもパレットガンも使えない。使えるのは・・・・四号機の千里眼だか透視能力だか、とにかくわけわかんない能力だ。眼には眼を、だ。
わけわかんない専門家・渚カヲルに任せるしかない、ここは!渚、しっかりやんなさい。そういう判断を下した惣流アスカだったが・・・・・


「きゃん!」

ふいに「見えない壁」に真っ正面からぶつかって、そのままきれいな反作用でひっくり返ってしまう。物理の教科書のお手本のような現象だったが、うれしくもない!惣流アスカ。
子犬のような悲鳴を上げてしまったことに、怒り心頭。真っ赤になって喚きあげる。

「な?なんなのよ、コレェッ!!」

「ATフィールド・・・・・・?にしては柔らかいな。空気をつめたビニールの壁のような・・・・奇妙なものだね・・・」
事故のお手本のお陰でぶつからずにすんだ渚カヲルは綾波レイを下ろすと手触りを確かめる。
「邪魔なのよ!どきなさいよ!!」
通路の床から天井まで左壁から右壁まで一面、ぬりかべのように塞がれている。
カンシャクを起こしながら破るように一撃を加える惣流アスカ。

びよーん
その手はまたしてもびより返される。とんでもない弾力性だ。
うきー!!もうちょっとのトコで目的に辿り着くだけにイラつく惣流アスカ。
しかし、見えない壁はちょうちんなまずのような沈黙を守っているだけだ。

「攻撃はしてこないようだ・・・・・」
攻撃仕返してくるものだったら、惣流アスカはどうなっていたのか分からないが、とにかく冷静に分析する渚カヲル。


「どうする・・・・」
「別のルートを探した方が早いと思うね」
自分の四号機のくせにずいぶん淡泊な渚カヲル。それだけ正しいともいえるが・・・。
「ファースト、アンタまた隠し通路とかデンドン返しとか知らないの?」
いくらネルフ本部でも忍者屋敷ではないのだから、そうそうそんなものはない。
とりあえずダメもとで訊いてみただけだった。



「誰か・・・・・・来るわ」

綾波レイは答えた。赤い瞳は通路の奥、闇虚をみていた。