「誰か・・・・・・来る」

「誰かって誰が?」

「いや、足音が聞こえる・・・・・・この音は・・」




カツーン、カツーン、
そう言われてみて耳を澄ますとたしかに聞こえてきた。
高くて硬い靴の音。新世紀に入ったところで一世紀先祖返りしたような年代物のその音は。




「おっと、お嬢たちか。葛城一尉はどうしたかの。会ったんかの」
作戦顧問、野散須カンタローだった。
「ミサト?会ってない・・・ませんけど」
葛城ミサトと同じく惣流アスカもどうもこの爺さんには勝手が違った。
その口調のせいか、年齢に対する敬意や経る年月を仰ぐ尊敬というのも沸いてこないわりには・・・・・・ないがしろには出来ない何かがあるのだ。やりにくい。
なんだか古風な銃を構えているし、肩から投網なんか掛けてるし。
「ふーむ、ほうかの。ずいぶん先に行ったはずなんじゃがの・・・・・それで、お嬢達はこんなところでどうしたんじゃ」


待機室からの停電以降、一番目の再会者がこの年寄りだったのはいいことなのかわるいことなのか、子供たちには区別がつきかねた。

普通ならば、こんな闇の中で子供三人で彷徨い続けて、ときにはわけ分からない怪奇使徒現象に脅かされながらも、めげずにエヴァパイロットの使命を果たすために進んできた所・・・・ようやっと頼りになる大人がやってきたと思えば。こんなパニックの再会というのはもっと感動的になるのが人生のお約束というものなのに。

「こんなところでどうしたんじゃ」、と云われてもなあ・・・・という表情の惣流アスカ。
加持さん、っていうのも出来過ぎだからそれは望まないにしても、せめてミサトかシンジ
だったら・・・・精神のカタルシスってやつがある・・・・それがこの、ノスタル爺さん
かあ・・・・・・


「ここに見えない壁のようなものがあるのです」
とりあえずの渚カヲルの説明に、どれどれと試してみる作戦顧問。
「ほほー。壁なのか膜なのかよく分からんが、これじゃいけんのう」と、納得する。


「・・・作戦顧問はどちらからいらしたんですか」
葛城ミサト一尉が先行して待機室なりケージなりに向かって、自分たちと合流していないということはそのルートが正解だと言うことになる。初号機のケージだろうか。
シンジ君がいないことを問わない、ということは、彼は無事だということ。発令所で把握しているということ。渚カヲルはその事に表には出さないが、安堵した。
とにかく、情報が欲しい。今、何が起こっているのか。どこまで進行しているのか。
・・・・このひとはあまり知っていそうな感じではなさそうだけれどね。
その割りに四号機のケージに向かおうとしていたのは・・・・・・。


「碇君は・・・・・」
綾波レイが静かに、問う。

「シンジ!・・・・碇シンジはどこにいるの・・、です、か?!」
そーいえば、この爺さん、シンジのことは云わなかった。と、いうことは・・・。


三人同時で質問される作戦顧問。しかし、すこしも慌てない。
聞こえなかったように、見えない壁の具合を確かめている。

「ふーむ・・・・・まるでぬりかべじゃのー」

「あのおっ!・・・停電で分断されちゃったんですけど、サード・チルドレンの碇シンジは無事なんですか?!」
納得してもどーしようもないことを納得してないで、こっちの質問に答えさないよ!
なにがぬりかべよ・・・・ばーか。

「分かった分かった。ちょっと、下がっておれ」
全然、分かっていない。野散須作戦顧問は子供たちをなんのつもりか、下がらせる。

まさか・・・・・力尽くでこのぶんぶくした壁を破ろうってんじゃないでしょうね?
自分で試して見事に失敗している惣流アスカはすぐさま思い当たった。
人の質問を聴きもしない悪い爺さんだが、体当たりなんかされて目の前で怪我されるのも
・・・・それでザマミロというほど安いプライドもってない。


綾波レイはこの経過を静かに見つめている・・・・



「渚少年、ちょっとこれらを預かっておいてくれんか」
「ええ・・」
渚カヲルに村田式ペイント銃と折り畳み投網を預けると、作戦顧問は見えない壁に立つ。

「ちょっ、ちょっと!!待ってよ。殴っても叩いても・・・」
惣流アスカは止めようとしたのだが、作戦顧問の小柄な体から発せられるとはとても思えない大きな気合いに一瞬にして黙らされる。吹き飛ばされるかと・・・・・思った。
「去ねいっ!!」

その大喝とともに、見えない壁に接する、「ほんものの」壁をむんぐと踏みつける。
悪鬼を懲らしめる仁王のようなぶっとい太足、剛猛の一踏み。


めりめりめりめりめりめりめりめり・・・・・・・・・っ


今夜はなんども奇妙な音を聞いてきたが、これはその中でも極めつけだった。
少なくとも同じ人間が、目の前でやらかしたことであるだけに、それは・・・・・

特殊金属の壁に踏みつけた足がめりこんで・・・・・壁に凹みが走っていく・・・・・
ビキビキと、それに従って亀裂さえ入り込んでいく・・・・・・



ぷわっ
目の前で大きな風船が割れたように空気が舞った。惣流アスカや綾波レイの髪を揺らす。
作戦顧問には髪はない。

すかすか、と「壁」があった空間を手でひらかしてみる。
「・・・・なくなったみたいじゃの」


「・・・・すごい・・・・・・・・・・・・・・というか・・・人間?」
「その方法があった・・・・でも、あんな荒技はつかえないけれど・・・・」
「・・・・・・・・」
子供たちは感心というか呆れているというか・・・とにかく余人には為しがたい豪快だ。

「感心してくれるのはいいのじゃが・・・・・まねしてはいかんぞ」
振り向きざまに教育的なことを云う野散須カンタロー。あまり意味はないだろうが・・

「おっと・・」

その体勢が崩れた。さすがに寄る年波には勝てない、ということだろうか・・・・

ゴトッ

何か重くて硬い音がした。

「!!あっ」
「・・・・・・・」


作戦顧問の左足が・・・・・・・・・・・膝からスッポリ・・・・「外れている」

「無茶しすぎたかの・・・・・しまったしまった」
片足になってしまって、作戦顧問はばつの悪そうにはめ直そうとした。が。

ずてんっ

バランスを崩し転びそうになった。渚カヲルが素早くまわって支える。
「お、すまんの・・・渚少年。助かった」


義足。作戦顧問の爺さんの足は・・・・・おそらく両方とも・・・・義足だ。
だから、あんなに異様に靴音が高かったんだ・・・・・今見せたこんな真似が出来るのも。惣流アスカはあの怖いほどの気合いの意味を悟った。
機械的な義足をあんな使い方して接続が外れた場合、どうなるか。
ある程度神経にも繋がっているのだろうし、何よりおいそれと再接続出来るものではない。
ヘタすると数ヶ月程度・・・・。それほど・・・・・・
それほど・・・・状況が切迫している・・・・・・・


「お嬢たちは先にいってくれんかの。たぶん、葛城一尉がケージでエヴァあの発進準備を進めてくれとるじゃろうから・・・・・上でもう一体、来とる」

「わかり、ました」

「それから、シンジ少年は・・・・・・・悪いが、儂も知らん」

「・・・・はい」
はい、と答える悲しみ。抑えつけていた不安の傷口がひらく。

パイロット三人はケージに向かった。






キキキキキイイッ・・・・ジ
葛城ミサトと加持リョウジは整備員たちの根城、整備統括コントロール室に辿り着いた。まさに殺人的速さだ。たった二人で制圧でもしかねない荒々しさで乱入する。
「作戦部長、葛城ミサトです!!至急エヴァの手動での発進準備を要請します!」
入るなりすぐさま言い放つ。・・・・・のだが・・・・

「え?・・・・・・・・・なんで?」

なぜか大方、両手をあげて止まっている。中には平然と煙管ふかしている人間もいるが。
「おいおい、葛城・・・・・ライフルだよ」
葛城ミサトはつい軍事訓練の反射で整備員達にライフルをつきつけていた。
加持リョウジに注意され気づくが、これはかなりのひんしゅくだ。
「あ、スイマセン・・・」

「諜報部の加持です。どーも」
荒々しい相棒とは違い、そつない挨拶をこなしてからバックパックを整備員に渡す。
「それじゃ、葛城。オレまだ仕事の続きがあるんでな」
「あっ、加持君?」
「それじゃーな、ガンバってくれ」
立ち居振る舞いには慌ただしさなど微塵もないのに、捉えられないほどに素早い。
フットワークのいい風みたいな野郎だ。しかも、抜け目がない。

ヴルンッ。
バイクは来たとき同様、疾風と化して去った。

「しまった・・・・・」
葛城ミサトは舌打ちをした。写真のことを聞き損ねた。まあ、そうしていたら打つ舌を噛んでいただろうが・・・。とにかく、今は。気を取り直す。
「葛城一尉・・・・この停電は一体なんなんです。私らの方からも人を出して確かめにいかせたんですが、彼らも戻ってきませんしな」
「あ・・・・・」
説明している時間はないが、そう切り捨ててしまって動くほど人間は簡単ではない。
総司令碇ゲンドウほどの強権と威圧的カリスマがあれば別だろうが。
ライフルを向けてしまった引け目もある。
が、それでも先に、待機室にいたはずの子供たちの安否を問うたのはさすがの強さだ。
そして、本部内と市街への使徒来襲の連撃に整備員らはざわめいた。
エヴァの発進準備の要請については・・・・・・未だ電力は戻っていないが・・・・・・
「ようござんす。緊急用のディーゼルも外付け電池もありますし、あとは人力でやればなんとか・・・・・」
とんとん、と煙管をたたいて請け負った白髪の頑固そうな人物。
整備長、円谷エンショウはここで言葉を切り、ざざんっと後ろの連中を振り返る。
「やれるな、てめえら!」

「へいっ!!」

振り向き富士に三十丈の荒い白波。ネルフ百景とでも言いたくなるよな見事な気合いの掛け合いであった。今時、大工の世界にもこんな光景は見られまい。
なんか宮大工の一座が仁王像でも造っているような・・・・・
それでもとにかく、「電力がないとどうだのこうだの」抜かさないで良かった良かった、と葛城ミサトはとりあえず満足した。

エヴァの電池から電気を取り出してくるというアイデアには脱帽するし。
そこそこの機材は動きだし、ディーゼルも稼働し始める・・・・縄でオーエスと人動く。
荒々しいかけ声が響く。いつしか、ここが大昔の造船所のように思えてくる。
あとは、パイロット、あの子達か・・・・・・・
待機室は入り口が破壊されてた・・・・・・・でも、血痕はなかった・・・・なんとか・・・・・逃げ延びてくれたと・・・・・思う。きっと、ここにくる・・・。


透明な使徒・・・・・って、一体なんなの?姿を消しているだけ?それとも・・・・・



「なに?初号にはすでに乗り手が入ってるだと?」
慌てて知らせに来た若い衆の報告に額に皺を寄せるように云う整備長。
「一体全体、どうやって・・・子供の隠れん坊じゃねえんだぞ」
「それはわかりませんが・・・とにかく、初号機だけに」

「葛城さン」
「シンジ君が初号機に・・・・シンジ君だけなの?!アスカや渚君、レイは?!」
「いえ、初号機だけです・・・・どうやって動かしたのか・・・わかりませんけど」
しきりに首をひねっている若い衆。彼だけではないだろう。

「急ぎなら初号を優先させた方がいいな・・・・碇の坊はやる気はどうなんだ」
「それが・・・返事はないんです。いることは分かるんですが、内からロックされていて開かないんです。それで・・・」
と、葛城ミサトを呼びに来たらしい。が、それ以上は必要なかった。
もう走り始めていた。





エヴァンゲリオン初号機ケージ。

初号機エントリープラグ内 碇シンジ

碇シンジは夢を見ていた。人類最後の切り札にして究極の汎用決戦兵器の中で見るわりには、なかなか幸せな夢だった。


・・・・・・とデートする夢だった。年相応に碇シンジもそんな夢を見ることもある。
ふたりきりでどこかに遊びにいこうという話から始まる。
芦ノ湖にいこう・・・・・と確か自分から云ったような気もする・・・・・
夢だからその点はいい加減だ。そして、予定表をつくるのだが、銀の鈴で待ち合わせて、それから映画へ。何の映画か考えてないのだが、とにかく映画。それから芦ノ湖へ。
バスだったのか電車だったのか徒歩だったのかエヴァだったのかよく覚えてないのだが、なんとか到着した。道中、なかなか楽しかったのは覚えている。
芦ノ湖に到着すると、ロープウエーに乗って遊覧船にも乗る。
よほどこの季節の芦ノ湖観光は人気がない(と碇シンジが思いこんでいるのか)のか、他にお客がまるでいない。それでいて人寂しい気分がしないのは、周りに目がいかないせいだろう。
ふたりは朝何時に起きたのか分からないが、ここでお昼となる。
何料理だったか忘れたが、たぶん鍋と中華では無かったと思う。

それから、水族館にいって、動物園に行って、さらにアイススケート場にもいく。
芦ノ湖周辺にそんなものがあるのかどうか不明だが、とにかくいった。
さらに水上音楽堂で、コンサートまで聞いてしまう。これはスケジュールになくたまたまやっていたらしい。
いいかげん日が暮れてもよさそうなものだが、まだ日があるのであった。
さすがに一泊する度胸はない碇シンジの精神が影響しているのかもしれない。


そして。
一息つくように、植物園の喫茶コーナーでハーブティーなどを向かい合って飲んでいる。


白いカップに・・・・その顔を映す・・・・
紅い・・・・・液体・・・・・・・・・・・


「・・・・・・・・」




紅い液体の中で・・・・・・碇シンジは目が覚めた。そこは、LCLの注がれたエントリープラグの中・・・・・



「あっ・・・・・・」
夢からさめてもしばらくぼーっとしている。が、じわじわと紅い液体の意味が脳に染みわたって意識の方も覚醒させていく。丸く暖まっていた神経が急激に全身に広がり、意志の力を行き渡らせる・・・・・・・数々の機密暗号が解除されていく・・・・・・・・・・開かれていく・・・・・封じられていた底なしの力・・・・・・・スイッチが、入る。

ギロヌン・・

凶悪の双眼に込められた無限軌道の雷が降り積もる緑闇を砕いていく。

エヴァンゲリオン初号機、起動。



「あーあ・・・・・・・」
何かあったのは分かっていても、いい夢を覚まされて碇シンジはため息をついた。

「シンジ君?!シンジ君?大丈夫?!起きてるの?」
葛城ミサトの慌てた声が通信機から聞こえてきた。
とりあえずLCLをぶっかけてみたのは葛城ミサトの指図だった。
「ミサトさん・・・・・?」
「良かった・・・・・・大丈夫なのね?怪我とかしてない?」
うーん、この切羽詰まった感じは・・・・避難訓練だけど、停電は予定に無かったことかもしれない。それで心配してくれてるのかな・・・。
「はい。大丈夫です。・・・ところでミサトさん」
意外に碇シンジの言葉がしゃっきりしているので安心する葛城ミサト。
「なあに」
アスカ達のことも聞いておきたいが、どこではぐれたのかいかにも知らなそうな声だ。
ま、シンジ君が無事なら、あの子達も・・・・。
「避難訓練は終わりですか?僕、寝ていたみたいなんですけど・・・・・・・」



「・・・・・・・・・・」
装甲外側のエヴァ電話からかけていた葛城ミサトの表情がギシッと固まる。



「・・・・ミサトさん?」
夜間に緊急召集されたはいいが、待機室で待機。しかも不意の停電。透明な使徒が徘徊。他のチルドレンからも分断されて、なんの情報もなく闇の中。なんとか安全な場所をキープできたのは原初の本能か・・・・・・別にシンジ君が悪いわけではないが・・・・・


一瞬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いぢめてやりたくなった・・・・・・・・シンちゃんってば・・・・・・・・・・・・・



「シンジ君・・・・聞いてる?」
大人のずるさで、沈黙を断線のせいにする。
「え・・・・・・はい」
「アスカ達はどうしたの?一緒じゃないの」
「少し外に出てたら、停電になっちゃって。その後、待機室に電話をかけたんですけど、いないみたいで・・・。でも、ミサトさん・・・・知らないんですか」
「・・・・・・・・・・」
こんなことなら最初っから四人ともエヴァに乗せておくべきだった・・・・・悔恨する。

しかし、今はグダグダ言っててもしょうがない。初号機が使えるだけでもラッキーだと
思わなきゃね・・・・。


「雨の音は・・・止んでますか。ミサトさん」
「え?なに?」
碇シンジの云っていることがわからない。ケージに雨なんか降るわけがない。
それに雨にはあんまりいい思い出はない・・・・・。不安が強くなる。




ヴーン・ヴーン・ヴーン

いきなり警報が頭上で鳴り響く。重苦しく鼓膜を震わせるそれに葛城ミサトの顔色が変わる。まだ照明は非常灯のままだ。電源が復旧したのならなぜ照明が戻らない?
警報だけってのは・・・・それにこの警報は・・・・・・

「まだ初号機の発進は命じてないわよ!!」
慌てて整備統括コントロール室に駆け戻ると、構わずに怒鳴りつける葛城ミサト。
すぐさま円谷整備長に喧嘩以上の真剣で怒鳴り返される。
「違う。こりゃあ弐号機だ!弐号機の管制システムが勝手に動かしてやがる!」
白黒のモニターが映すのは確かに拘束解除されていくエヴァ弐号機だ。
誰も乗せずにエントリープラグも自動的に挿入されている。無人。
「なに・・・・・まさか・・・・・外部からのハッキング・・・・?!こんな時に」
さすがに顔色が青ざめかける。パイロットが乗ってないエヴァはただの巨大カカシだ。
カラスやスズメでもない使徒に通用するわけがない。
「いえ、でもそんなまさか!ハッキングっていってもそれはシステムだけのことで・・・・・全体の電源が戻ってないっていうのに・・・・なんで弐号ケージだけそんな都合良く・・動くわけが・・・」
「泣き言はよしゃがれ。さっさかどこから命令されたかつきとめろ!」
電気事情についてはここはよそに比べて、多少はましだがそれでも細々としたもの。
それでも乾電池を一列につなぎ合わせるようなせこせこな努力を重ねて発進準備を重ねていたのに、弐号機ケージだけ勝手に動こうとしているのである。それは泣きたくもなる。
そこを一喝して働かせるのが親方というものだ。今や顔つきは鬼面そのもの。

順調に射出口まで送られる無人のエヴァ弐号機。ゾッとする光景だった。

「異常ありません!命令は通常のルートから下された正常のものです!!」
調査の結果はほとんど泣き叫ぶような声で行われた。
「あんだと・・・・・・・・お?」
「正常のって・・・・・・・マギからの・・・・・・・・・・・嘘でしょ?!」

その意味を正確に彫り上げる前に。

「し、進路クリア・・・・・・お、オール、グリーン・・・・・」
射出ルートの各シャッターも「都合良く」電源復活してくれたらしい。
リニアレールの具合も云うまでもない。完全だ。問題なし。
ただ一つ、パイロットが乗っていないということを除けば・・・・・、だ。

初号機をどう使うか判断が固まっていないうちに。

エヴァンゲリオン弐号機、発進。



「アスカが・・・・戻ってきたのかな。駆けつけ発進?。早いなー・・・さすが」
初号機の中で感心する碇シンジ。




「ななななな・・・・・・・・・・・・・なんで!!?」
ようやく四号機ケージに到着した惣流アスカ達。三人のエヴァパイロット。
しかし、薄暗いが遠目に見えるは射出口に背掛けるエヴァ弐号機。そして打ち出される。
弐号機パイロットの自分はここにいるのに・・・・・やっときたのに・・・・・・・

「これは・・・・・・・・・・・・・・やはり、そうか・・・・・・」
辛そうに瞳を曇らせる渚カヲル。

「・・・・・・・・・」
いつものように感情を表さない綾波レイ。ただ、弐号機を吸い込んだ射出口を見ている。
自分の零号機ではなく。


しばらく、ケージ全体に沈黙が下りる。人の動きが止まってしまっていた。



じりりりりりりんんっ
その中で初号機のエヴァ電話がその沈黙を破る。切り替えて碇シンジがとった。
「はい、もしもし」

「そ、その声!シンジ君かい?」
「あ、日向さん。はい、僕です」
「この電話にでているということは今、ケージだね。葛城さんはそちらにいるかな」
「はい。それじゃ、変わりますね。今、呼びますから・・・・あ、ところで日向さんは今どこにいるんですか」
「待機室だよ・・・・やっとここまで辿り着いたんだ。君達も無事なようでよかったよ」
日向マコトの話に多少、おおげさだなあ、と思いながらも碇シンジは葛城ミサトを呼んだ。

しかし、少年は今、エヴァ初号機に乗っているのだ。

「ミサトさーん、お電話です。日向さんから」
と、いうのを初号機を使用してのボディランゲージで表現する必要があった。

そして、それを実行した・・・・・・



先ほどの沈黙は一秒で消し飛び、どよめくケージ内。


エヴァ初号機が・・・・・葛城ミサトのいるコントロール室においでおいでをしている。
はっきりいって・・・・・・・・・・・・不気味だ。
中に碇シンジがいると知っていても、強面の初号機がやるだけに。

葛城ミサトも考え込んでいた中で周りの者が指さして騒ぐので何かと思って目をやると・
・・・・・・・点になった。

大急ぎで初号機の元へ駆け寄ったのはいうまでもない。
ようやくおいでおいでをやめるとエヴァ電話が鳴りだした。
それをとれ、ということだろう。
「シンジ君?!あのねえ、今のはっ・・・・・・・」
「葛城一尉、日向です。状況はどうなっているんですか」
「あ・・・・・・・日向くん・・・・・って、それどころじゃなかった。本部、じゃない、発令所に速攻でつないで!マギの指令によってエヴァ弐号機が無人のまま発進ってね。
初号機はパイロットはすでにスタンバイ完了、あと数分で発進可能」
「え?あ、はい!いやでも、そのままですか?マギがってどういう・・・」
「早くしなさい!!」
「へいっ!!!」
強くて尊敬する上司に対する返事の響きというのは似てくるのかも知れない・・・・。
日本人のDNAに刻まれて。合点承知の助という。それどころ日向の守。連結器となる。


その間に初号機をどうするか考える・・・・・上に出すしかないか・・・・・調べものにはハードの面からもソフトの面からもさらにいうなら!キャラクターの面からも初号機は向いていない。渚君と四号機の到着を待つ方がいい。
弐号機が上がってしまって、アスカの出番はナシか・・・・・こりゃまた厄介な・・。
そして、レイと零号機は・・・・・・





発令所
日向マコトからの糸電話連絡が震撼させる。
「エヴァ弐号機が、無人のまま発進だと・・・・」

「マギの指令だと、葛城一尉は確かに言ったのね」
糸電話自体はオペレータが管理しているのだが、もたらされた情報について考えるのは、冬月副司令や赤木博士の仕事だ。
ラップトップの液晶ディスプレイはまだ不気味な色彩の鳴動を繰り返している。
伊吹マヤがそれをぐっと見張っている。

「はい」
その重要なポイントを日向マコトが違えるはずもない。

「どういうこと・・・・・・このデータが・・・・?」







エヴァンゲリオン出現回収ビル。

本部内からパイロットを乗せずに射出した後、地上のパイロットと合流するための施設。ほぼ自動的にエントリープラグの挿入も行う。あしたのための備えの一つだ。
その最上階の搭乗ポイントで待っていた、A・V・Th。
すでにプラグスーツに着替えていた。碇シンジ達、ネルフのチルドレンのものとは多少形状が異なっている。胸部のプロテクターが左半分だけになっており、白の部品と夜黒色のスーツを組み合わせて、頭部にヘッドセットをつけてあるのはそのまま同じだ。
が、
左肩に「666」と赤い刻印が打ってある。そして、それを静かにさすっている・・・。



ぴーぴーぴーぴー・・・・・・電子音が地下よりの出現を告げた。

ゆっくりと瞼を開く・・・・・緑の瞳が・・・・・ナパーム弾に灼かれたように・・・・ドロドロと紅蓮に染まっていく・・・・焦土の色が顕れて・・・・・滅びの紅玉になる。

「第一次階梯・・・・証明」


ゴオッッ・・・・・・ンンイン
地の世界より現れる機械仕掛けの神様。エヴァンゲリオン弐号機。

四眼には光なし。A・V・Thは無言の神像に歩みゆく。
そして、その巨大な頭部にゆっくりと身をまかせた・・・・・・。





がっちょん、がっちょん、

使徒マトリエルは快調に進軍を続け、とうとう第三新東京市までやってきた。
のんびりそうな体の造りだが、このサイズであるから時速にすればけっこうなものだ。
それでも、ここまで攻撃も受けず未だにエヴァのエの字も出てこないのだから、やはり、かなり幸運な使徒だ。それとも、物足りなかったかもしれない。
その実力のほどは未知数だが・・・・。


市街に入っても兵装ビルからの攻撃もない。エヴァも出てこない。
わはは。おれさまの強さにおそれをなしたか。と、思ったかどうか。

ずかずかと土足で上がり込み、第三新東京市零ポイント、ネルフ本部直上へ向かう。

そのあきらめのよさにめんじて、まちをこわすのはかんべんしてやろう。
こうみえてもわたしはじおらまづくりがしゅみなのだ。わはは。と、思ったかどうか。




ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだきさまは

使徒マトリエルは初めてその進軍を止めた。
前方に立ちはだかる巨大な物体がある。人の影形をしている。

かんべんしてやろうとおもったところだったが、じゃまするきならようしゃはせんぞ

つうかいくしざしにしてやる



ぬう・・・
その鋭い先端の長い脚部の一つを、まるで夜天半球を削るばかりに恐ろしく持ち上げた。そうやってみると身長サイズは十倍ではきくまい。獲物を竦ませるほどのでかさの威圧。

その人型の物体は動かない・・・・・。

ぶん!!獲物を串刺しにするべく振り下ろされる死神の鎌にも似た脚部。

くしざしだー

人型の物体はとくに避けようともせず。嘲笑するように・・・・四つの光を閃かせた!!





「あっ」
この時刻、ネルフ本部にいた殆どの人間の第一声がこれであった。
電源が復旧し、照明が元にもどって明かりに包まれたときの。
薄闇の中でおぼろげだったものが、完全にその姿を浮かび上がらせる。
断水状態にあったのがダムが開いた。システムもその能力を完全に使用可能になった。
人間の方もまた同じく。発令所でも、ケージでも、その他の場所でも、そして上の街でも・・・・・・ようやく、いつものレベルが戻ってきた。
あって当然のものがなくなると、腹立たしくなってくるが、それも度を超すと悲しくなり、終いには不安になってくる。そこから反省が導き出されるには、資質とかなりの時間が必要になる。たいてい、そこに行き着くまでに人間は喧嘩を始めて憂さを晴らそうとする。だが、今夜のことは・・・・まだ夜は明けていない・・・・・さほど長時間でもなかった。復旧したことに単純に喜べるほどの長さだ。スイッチを入れて切ってみてその感触を確かめる。ついたり、消えたりする。そして、また、つく。停電は終わりだ。


だが、まだ終わってはいない。


敵を、使徒を倒してはいないのだ。それまでは・・・・・









「なんか・・・・・ようやく朝って感じね・・・・」
「結局、なにがどうなったの?」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・朝、だね」

ここはジオフロントの片隅にある野散須家 朝の光が明るい縁側である。
目の前の小さい庭にはにわとりが放し飼いにされている。
そこに思い思いの格好で座っているチルドレン四人。奥の台所からみそ汁の匂いが流れてくる。ラジオから昨夜の停電の被害状況なども知らされるが、聞く者はいなかった。

不機嫌なような、心をほうっているような、それともないているような、惣流アスカ。
昨夜の事件、ひとりだけカヤの外にいた、浅い浦島太郎のような碇シンジ。
朝の光が庭場で踊る様子をしずかに映しているような綾波レイ。
うつらうつらと、いかにも朝の弱そうな渚カヲル。このまま消えてしまいそうだ。


停電が回復してから・・・・・・・・・・ようやくネルフの本領発揮、という所で事態はすでに終息を迎えていた。


あの奇妙な現象はもう起こらなくなっていたし、四号機の眼で本部中をくまなく探したがそれらしいものはない。あれが使徒だというのならば、コアがあるはずだ。
マギにも改めて波長パターンの捜索を行わせても、今度は反応はなくなっていた。
もう本部の外に逃げてしまったのだろうか。



市街に侵攻してきた使徒は・・・・・・・・これまた片づけられていた。
エヴァ弐号機に。一撃で。何をどうやったのか、あまりに早すぎる戦闘に復調していなかったカメラはそれを記録してはいない。ただ、残骸だけが明確な証明を残していた。




ペチャンコ
のしイカ、いや、「のしグモ」とでも云うのか使徒マトリエルは真平たく潰されていた。綺麗に圧縮されていたのだ。二度と解凍されることはない、一方的なものだが。
爆発することもなく、そのセンスはともかく、ビル群に立て掛けかけられて奇妙な昆虫標本オブジェと化してその哀れな末路をさらしていた・・・・・・。




今頃、ネルフ本部では大わらわだ。一応、使徒が消えたためにエヴァパイロットのやることはなくなった。ただ、とてもこのまま家に帰れるものではない。精神的にも肉体的にも。かといって、待機室はあの有様であるし、子供たちが落ち着ける場所は騒乱の都となっている今のネルフ本部にはない。盛大に破壊されてあちこち修理が必要な場所も多い。



そこで、「すぐに本部に戻れて、一応はメシも食える」ということで作戦顧問の言に従うことになった。惣流アスカはここに来るのは二度目だが、他の三人は初めてだった。
丁寧に朝風呂まで沸かして、野散須夫人は待っていてくれていた。
にこにこと微笑むだけでとくに何もきかずに。


「さあ、ごはんですよ」
旦那のカンタローは戻ってこずに、代わりに四人も子供たちがきてもめんくらうことのない。なぜか茶碗類も人数分そろっていた。けっこう、古いものだ。
割り箸ではないのが、おおらかな家風を感じさせる。そろいの塗り箸だ。

「いただきます」

「はい、どうぞ」


釈然としないものを残して、残しすぎて、迎える朝。何も入りそうにない。
一人をのぞいて。

「美味しい・・・・」
みそ汁をすすって感嘆するようにいう碇シンジ。
それにつられるように、ぽそ、ぽそ、とほかのお箸もうごきはじめた。


柱時計が七時をつげた。ぼーん、ぼーん、ぼーん・・・・・

子供が四人もいるわりには、ずいぶん、しずかな朝餉だった。







その頃、葛城ミサトはセカンド・チルドレンと対面していた。
第六会議室。

見上げる緑の瞳は黒い森を思わせる。気を張っていないと引き込まれそうなほどに。
相手の魂の深い部分にいつしか根をめぐらせ絡みとっていくような・・・・・
こうして前に立たれているだけで、日差しが封じられ、精神が影に覆われていくような・・・・とても十四の子供とは思えない圧迫感。石牢に閉じ込められた気すらしてくる。

これがギルガメッシュ機関の主、マイスター・カウフマンが直々に育て上げた・・・・・
セカンド・チルドレン、A・V・Th・・・・・絶対双璧を操るエヴァ弐号機専属操縦者。

その実力は・・・・・・渚カヲルに匹敵するか・・・・・・使徒を一撃で圧殺。
弐号機レコーダの記録を見てみた。そこには、両手を広げると同時に、左右二枚、しかも使徒を挟み込むほどに広域のATフィールドを展開させると一気に挟み潰してしまった。ひどく機械的な・・・・戦闘とは言い難いほどに容易く、そして正確に。
「鋼鉄の処女」などという恐ろしくも血みどろな詩的イメージも沸いてこない。
だが、強い・・・・・・。「確実な」強さだ。指揮者にやりやすい「計算的な」強さ。

その簡潔さが・・・・・怖かった。

軍人として、作戦部長として、それは喜ぶべき、望むべきことのはずだった。
判断がしやすくなり、作戦も立てやすくなる。それは戦力の無駄な損失を防ぎ、市街住民への被害も減少することを意味する。兵器としてそれはけっこうなことだった。


だが、葛城ミサトはこの「眼」を見てしまった。
同じギルで育てられたとはいえ、惣流アスカとは決定的に異なるものがその中にあった。

この子は・・・・・・命令さえ下れば・・・・・エヴァに乗って人が殺せる・・・・・

正確に・・・・兵器として・・・・エヴァを用いることが出来る、ということだ。

十四の子供だが、歴史にはいくらでもそのような先例はあるのだ。
そのことが真実であるように教育を受けてくれば・・・・・心はそのように形作られる。

それだけではない。自分の持っている力の意味と威力とを十二分に把握している。
それが使命感につながる・・・・・や否やは個人のパーソナリティーに左右される部分が大きい。正確にいうならば・・・・・使命感「のみ」、につながるや否や、だ。
自己肥大のような低地の泥沼に填るようなら、あの岩人間に選ばれていないはずだが。



都合良く弐号機のみ発進できた裏のことなどを思い合わせてみると・・・・・・・・・・どーーも、素直に、優秀な新戦力参入、と喜べないのよねー・・・・・


でも、なんだかんだいっても体張って使徒は倒してくれたんだし、結局の指示は海の向こうで出してんだろうし。気味悪がってんのも、この子に悪いかな・・・・
先のことは誰にもわかんないわけだし。まさに、一寸先は闇ってことで。

「初の実戦で疲れてるところ、悪かったわね。あとはゆっくり休・・・・・

バシッ

労いのつもりで肩に手をおこうとしたら、冷厳に打ち払われた。

「下賤」

まるで馬上の騎士がトウのいった野菜売り女でも見るかのように。

か、かわいくない・・・・・・・・・・・この、ガキ・・・・・・・・・・・・
ナスビのように変色する葛城ミサト。いまにもカボチャもって、とっキュウリと礼儀を教えたりそうにひきつる。






総司令官執務室

「まさか・・・・・マギ自身が予備回線を止めていたとはな」
「申し訳ありません・・・・・これまで痕跡にすら気づかなかった私のミスです」


正、副、予備の三系統の電源が完全に落ちた今回の大停電事件。
正、副は確かに外部から手を加えられた・・・・それも第三新東京市建設当初より組み込まれていたギミックだった・・・・人為的なものだったが、残る予備回線を止めたのは、マギ自身だった。その中にいつの間にか埋め込まれていたプログラムが自らの首を絞める行動をマギに強いたのだった。正、副の電源が落ちれば予備も止めるように、という催眠による殺人強要のような自殺強制プログラム。条件づけが条件づけなだけに、いくら赤木博士といえど、その気で探さねば見つかるまい。
だが、三人の人格をもつ東方の三賢者の名を冠するマギ・・・・その名の通り、三人寄って文殊菩薩のように賢いマギに、これほどの愚かな行動・・・・自殺を強要するような力を持つプログラムを誰が組めるというのか・・・・・・・・
陳腐な表現だが、荒れ野の悪魔か蠅の王様なみの悪賢さだ。
さらにそこからあの暗闇の中、指令を変更してきたのか、弐号機の発進だ。
予備回線を止めたのがマギならば、再開させるのも容易いことだ。

エヴァ収納ビルの内部で約束されたように待っていた、ギルのセカンド・チルドレン。
確かに、使徒を一撃で倒したことを見てその力の程は認めるが・・・・・・・
「あざとすぎるやり口だな・・・・・初号機の時とは状況が違う」
苦り切っている冬月副司令。初戦闘にして単独出撃だ。お披露目としては・・この上ない。「勝ったからいいようなものだが・・・・負けていればどうするつもりだったのだ」
使徒ラミエルとの戦闘のことは忘れようにも忘れられぬ。

「波長パターンの計測のあれはどうだったのだね。赤木博士」
碇ゲンドウは手を組み合わせたまま沈黙を守っている。
「あれも、仕掛けられた罠の一つだったのか」

「いえ、あれは・・・・・パターン反応、透明、の判断は100%マギのものです」
「ならば、その意味は一体なんなんだね・・・・・」


透明な使徒、というのは確かに本部内を荒らし回って・・・・・そして、消えた。
施設内各所に人間のものではありえない傷跡が残り、重傷、軽傷の負傷者もいる。
確かに・・・・存在はしていた。停電も重なり、闇の中で眼には映らないが・・・。
その行動目的も分からない。本部内に侵入し、ひたすらに最奥最深部を目指すのかと思いきや、本部内を徘徊しているだけ。上に下に。作成された表を見れば見るほどその行動パターンがつかめない。気紛れに遊び呆けているようにさえ見える。
そして、各所で聞かれた奇妙な「音」。本部内では聞こえるはずのない自然の音。
たしかに、奇妙な使徒だ。ちなみに裏死海文書・使徒名鑑には載っていないタイプだ。

予備回線のことをさっ引いても、やはりマギは信頼するしかあるまい。
しかし、なぜ「透明」なのか。通常通りにパターン青、または判断保留のオレンジではないのか。ナオコ君、もったいぶるのは君の悪い癖だぞ。
その意が汲めるほど私には若さは残ってはおらんのだから。


「・・・・・・・・」
赤木博士は返答できない。博士自身、未だにその意味が分からないのだから。
それについて思考を巡らすことさえも億劫になってきた。胸が、疼く。

「まあ、いい。使徒の分析は霧島君の仕事だからな」
奇才、天才という華やかなれどけばけばしい称号が似合いそうにもない、普通の科学者である霧島ハムテル教授が、今回の使徒のようなケースをどう解明するのやら。
仮説先行の欧米型、悪くいえば山師のようなところがないだけに、快刀乱麻、切れ味鮮やかな解法は期待できそうもないが、そのために招聘されたのであるから、なんらかの結果は出してくれるであろう。表向きのことではあるが・・・



「だが、本部に侵入されたのはまずかったな。委員会あたりが口を挟んでくる」
「・・・・すでに手は打ってある」


またしてもこの先、暗雲の兆しだが・・・・・・・避けても通れない。時間の通路は誰にも人幅ぶんしかないのだ。風雨にさらされ天に全てを露わに見下げられるほどに単純な・・・・一本道。それでもゆくしかない。晴れの予報もないのだが。







ぴるるーーうう、しゅるっ、ぴるるーうう、しゅうっ、ぴるるーうう、しゅうっ

縁日で売っているような吹くと伸び縮みする紙金箔の笛を吹く少女。
空色の髪に白い肌、赤い瞳。綾波レイ・・・・・・によく似ている。
まだ人気のない児童公園のベンチに腰掛けて、楽しげに。
その脇には焼きたてパン屋「りとる・こっくさん」で買ったパンが袋いっぱいに詰まっている。コーヒー牛乳はすでに開けられていた。

しばらくすると、それを袋にさして片づけて、今度はポケットから何かとりだす。
耳元にその・・・貝のようなものを近づけて、その音を聞く・・・・・。


「息が止まれば簡単に死んでしまう。息吹は生命の源・・・・・。
その逆さまに、命の無いものに息を吹き込んで息をするようにすれば、

命がうまれる・・・・・・・・・・



うん、このトーンね。このくらいのミステリアスで賢そうな響きにシンちゃんってば弱いのよねー。
あ、でもちょっと頬に血の気があつまってる。・・・・照れているの・・・・わたし。



ぷっ・・・・・くくくくく・・・・・・・・・

なーんちゃって、かあ?うひゃー、やっぱしイメージじゃないなあ。とてもじゃないけど、あんなシリアスモードもたないなー、と、さてさて・・・・そろそろ・・・」


「レベル・・・178765390846478399006436748736451125347・・・・・・まあ、こんなもんかあ。何か足りない気もするけど」



「8746578383・・・・さすがにシンちゃんと初号ちゃんはガードが固い・・・・・・でも、これくらいなら・・・・・46533839・・・」

朝からかなりでかい声であやしげなことをわめく少女だが、どうせあたりに人はいない。
雀も鳴かなかった。
しかし、先ほどからその赤い瞳は高精度の電子機器のように微動だにしていない。


「・・・・・・・・364738,と。これで終わりっと。あー、お腹へったあ。
ごはん、ごはん、あさごはんだよー。ふんふん、自分で言っちゃうト音記号ー」
鈴原トウジと気が合いそうなノリでパンを取り出していく。

「うわー、おいしそー!!いっただっきまーす。・・・・・・むぐむぐ・・・・・ああー、し、あ、わ、せ。朝から早起きしてこんな美味しいパンを焼いてくれる人がいるなんて」

はた、と次々に新たなパンに伸びていたその手が止まる。

「あ、待てよ。もしかして・・・・これが最後の晩餐・・・いや、今は朝だから朝餐になるのかな・・・・・もうちょっと味わって食べたほうがいいかも・・」
しかし、すでにハイペースの結果、ラストにあんパンしか残っていないのであった。
ぱく。
「おいしい・・・・・・ぱく、ぱく」

「・・・・・今ごろ、シンちゃんたちはどうしてるのかなあ」
少しだけ寂しそうに空をみあげてつぶやく少女。
それは最後のあんパンを食べ終わったせいなのか、それとも・・・・・。






「綾波さん?・・・・・どうしたの」
碇シンジは、先ほどから瞳を見開いたまま、凍りついている綾波レイに声をかけた。


食事も終わって、子供たちはまだ野散須家にいた。呼び出しがかかっていないせいもあるが、なにせ眠たくて仕方がない。四号機を徹夜で起動させ続けた渚カヲルは、さすがに保たずに朝食が終わったと同時に、フィラメントがきえるように眠りについた。
惣流アスカも、なにか不機嫌そうな顔つきで朝食を済ませるとすぐに縁側にいき、柱にもたれてなにやら考え込んでいたようだが、すぐに睡魔においつかれた。とけるように眠ってしまう。碇シンジはエントリープラグの中で夢まで見ていたくらいであるから、平気だとしても綾波レイは・・・・どうみても体力はなさそうなのに、二人のように眠りこけてしまうということはなく・・・・・しん、といつものように静かにしていた。


渚カヲルと惣流アスカを奥の客間にふとんをしいてもらって、そこに運ぶ。それから・・

碇シンジが台所でお茶碗を洗うのを手伝って戻ってくると、綾波レイの様子がおかしい。横になっていた。
さすがに眠くなったのかと思った碇シンジだが、眼は開いたまま。
うつらうつら、という風でもなく・・・・・まばたきもしない。そして、どこを見ているようでもないのだ。そうやって休んでいる・・・・・のかもしれないが。個人の癖もある。
しかし、本当にぴくりとも動かないので、見ている方は不安になってくる。
碇シンジもそれをじっと見ていたわけではないが・・・・・なんだか妖気のようなものがゆらゆらと立ち昇っているような気がしてきて、心配になってきた。

綾波さんって霊感が強そうだし・・・・・・・・なにか、とり憑かれたんじゃ・・・・・

それではまるで、小中学生向けのこわい話だ。しかし、碇シンジは現役の中学二年生だ。エヴァのパイロットではあるが、今回はほとんど何が起きたのか知らないのだ。
渚カヲルは疲れていたし、惣流アスカは機嫌が悪いし、綾波レイはいつもの通りだし、で教えてもらってもいないのだ。三人もさしたることは知らないし、出来れば教えてほしいくらいだったろう。今回の事件の全体の構造を。
そんなわけで碇シンジは自前で想像力と推理力を働かせるしかない。
辿り着くのは、青葉シゲルが日向マコトへの借金をごまかすために使ったのと同じ所だ。

それで声をかけてみたのだが・・・・・おやすみのところを邪魔することになったら謝るつもりで・・・・しかし


返事がない。眼は見開いたままなのに。
「なに・・・・」とか、こうしてやすんでいるだけ、と否定してほしかった碇シンジは、ぎょっとした。まさか弱いからだに疲れすぎて死んでいるんじゃあるまいか。
以前ドラマで、突然死んでしまう、突然死というものがある、と見たことがある。
いくらなんでも魚じゃないのだから眼を開けながら寝ているわけがない・・・・・

「綾波、さん・・・・・・・」
ゆっくりと肩をゆすってみる。女の人の手はつめたい、と聞いたことがあるけど・・・・・・肩もかな・・・
「えーと・・・・・寝るなら客間のほうで、ふとんもしいてもらってるし・・・・布団で寝た方が健康にいいし・・・背中がいたくならないし・・・・えーと・・・・・」



「音の・・・・・・海・・・」


そのつぶやきは神託のような・・・・

「え?音ノ海って・・・・・相撲取りのしこ名?」

綾波さんは相撲に興味があるのか・・・・意外だなー・・・・・・
とりあえず生きてはいるようなので安心する碇シンジ。目を開けてるようでも寝ぼけているんだ。普通は瞼が重くなるものだけど、そんな人もいるんだろう。特技かもしれない。
相撲に特に興味はない碇シンジは、その音ノ海なる力士が番付に存在するかどうか疑いもしない。それで綾波レイにかけるタオルケットを取りに行った。


「74758748・・・・」







エレベータの中は密室である。

みもしらぬ人間と二人きりになってしまうとなんとなく気まずく、いやなもの。
同性でもこうなのに、異性の組み合わせなどもってのほかです。

エレベーターのひとつやふたつ、乗り遅れたところでたかがしれています。
駆け込みなどやるのはよほどの・・・・・・

「そのエレベーター、ちょおっと待ったあっ!!加持君、待ちなさい!!」
「葛城?・・・・・・なんかヤバそうだな・・・・・あとでなー・・・・」

エレベーターに先に乗り込んでいたのは加持リョウジ。葛城ミサトならば密室で同席してもかまわない関係のはずだが、その血相に危険なものを感じ、この超一流の諜報部員は本能に従って「閉」のボタンを押す。情けは無用。死して屍拾う者なし。
閉じゆく扉。葛城ミサトも見事な快速で走り込んでくる。

「止めなさいよ!わたしも乗るんだから!!」
「せまい日本、そんなに急いでどこにいくってな。転ぶなよー、葛城い」

わずかな差で扉が閉じる方が早い。追われれば逃げたくなるのが男というものだ。すまん。

「あ、よ、と、とったっと、たてとっと・・・・わ、わ、わ・・・ああーーーーっ!!」通路の傷に足をひっかけて盛大にすっころぶ葛城ミサト。注意されていたのに・・・・。「あたたた・・・・・・・・」



「大丈夫か、葛城。だから云っただろう?」
加持リョウジが前に立っていた。ひとつ乗り遅れても・・・・だ。
「元はと言えば、あんたが止めてくれなかったせいじゃないの」
「エレベーターはこれひとつきりじゃないんだ。それに、別に月にいくわけでもない」

「・・・・・学生時代の加持君の詩集、食堂あたりで大公開しよーかしら」

「・・・・・何が聞きたい」

「これは密談。エレベーターの中で話しましょう・・・ようやくつかまった・・・」



動き出すエレベーター
葛城ミサトは例の写真を見せた。

「ふーむ・・・・・・かなりの代物だな・・・・・こいつは」
「冗談かと思ったら、かなり高価値なネタだったってわけ。加持君、どう思う?」

「さあな・・・・・・そんな酔狂な人間もこの業界にはいないようでいたりするからな」「そうねえ。ここにその見本が一人いるし。変移抜刀霞のリョウジに霧隠れのソウジってね」
「・・・・誰がつけたんだ。聞いたこともないぞ」
「今、あたしが」

「へいへい。素晴らしいコードネームを有り難うございます。作戦部長殿」
「・・・・あなたなら、このネタとってこれる?」

「タダではやれないな。必要経費プラス、心が震えるほどの報酬がないとな」
「そうよね・・・・代償、が・・・いるわよね」
この情報と引き替えになるほどの・・・・・代償。払った覚えもないし持ち合わせもなかったはず・・・・・

うっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん

ふっと加持リョウジの顔が近づき、防ぐまもなく唇を奪われた。そのタイミングは見事に自分に入り込まれて心臓を撫でられたほどの感触・・・・完全にすきをつかれた。
やられた・・・・・・・・・・・・・・・・・・



かちこん、かちこん、階数メーターがくうるくうると廻っていく。


長いキス


・・・・・・・・・・・・・・・う・・・・・・・・・・・・・



ここは密室。邪魔する者は誰もいない・・・・・もしかしたら、自分自身でさえも。


かちこん、かちこん、・・・・ちん、特にゆくあての設定したわけでもない階数で止まる。

さらっと体を離す加持リョウジ。すでに何くわぬ顔に戻っている。
多少、あちこちを乱された葛城ミサトの方は・・・・・損だ。代償の分か。


「あ・・・。こういうのは・・・やめてくれる・・」
「心が震えるほどの価値ある代償・・・・・・こういうことだな。オレの場合は」

ウーン・・・・扉が開いていく。密室の時間は終わった。
その階では伊吹マヤと青葉シゲルが待っていた。






第三新東京市 赤十字病院

「昨日の停電のせいか・・・・ケガ人が多いんか」
多少普段より混雑している受付フロアを抜け、鈴原トウジは妹の病室へ行く。
病院は停電などで困る施設の一つだ。その影響が心配で鈴原トウジは一、二時間目をさぼってでも妹の様子を見に行くことにしたのだ。



”鈴原ナツミ”とある病室。
「はいるでー」
もうここに何回来たやろうか・・・。はよ、家に帰ってこいや。
こんな混雑しとる日にも、この棟は静かなんやな・・・・。病院が繁盛するのはようないことやけどな・・・・・アイツひとりなんが・・・・・。
おっと、こないなこと考えとったら、ナツミにブチのめされるの。

ガチャ

「よ」
ベッドの上でバイクの雑誌に目を落としながら、片手だけで挨拶してみせる妹。
ラジオの声が外界とのせめてもの埋め合わせをしていた。

「兄ーちゃん、どないしてん・・・・ははあ、サボりやなあ?妹の見舞いにかこつけて。
そりゃーいかんで。マジメにべんきょせんと」
「学者になるわけやない、そんなモン留年せん程度にいけばええんや。それより、具合はどうなんや」
こんな蓮っぱな調子だが、さびしい、きつい、とは口が裂けてもいわんような妹だった。
「べつに・・・・いつものとおりやん」
なにゆうてんねん、といった素知らぬ顔をする。小学生の女の子が、昨夜の停電、そして寝台に乗せられたままの避難が怖くなかったわけがないのだが、そんなことを話す兄妹ではなかった。鈴原トウジとしても慰めに来たつもりではない。
「ほーかあ」

ただ、それだけ。絆というのは、作動するシステムではなく、存在しているだけで。
すでに。


「それより、兄ーちゃんのほうはどうなん?」
「ああ、お爺イもお父ンワイもちゃんとメシは食うとるで」
「そーやなくて!・・・・って、今のは狙ったボケやね。三十点や」
「いきなり採点かい?!なんでやー!今のマジメな話やないけ」
「なんでウチがいい年こいた男三人の心配せんとあかんの?米くっときゃ人間は死にゃーせんて。ビタミンBが不足するけどな、かっけにならんようにしときー」
「おのれは鈴木梅太郎かいっ!」


絆というのは・・・・・・うーむ、これでええのん?ほんま。


「そーいえば、あの例の地球防災バンド?あれ、どないなったん?」
「地球防衛バンドやっちゅーとろーが。ケッ、その名に思い入れを抱かんヤツにはメンバーのことは教えたらんで」
「ファンクラブの会報やないねんから、かんべんしてな。な?ダンナあ」
「誰がダンナやねん!・・・・硬派なんか軟派なんか分からん芸風やな、お前んは」

にっ、と笑いあう鈴原兄妹。すでに他人の入る余地はない。



・・・・・・・
「それでな、シンジの奴、綾波にこんなこといいおんじゃ。あれにはたまげたでえ」
存外、口の軽い鈴原トウジ。別段、口止めされていたわけではないが・・・。
だが、すでに碇シンジのことも話せるようになっている・・・・・。

「ホンマ!?うわー、そりゃ兄ーちゃん邪魔やったんと違う?シンジさんに悪いわー」
「それならそうで、シンジと綾波だけで話しおうたらええことやないか」
「ひそかに恨まれとったりしてなー」

・・・・・・・

「検温の時間です。あら」
「あ、いつもいつもウルサイ妹が世話んなっとります」
入ってきた看護婦に立ち上がって一礼する鈴原トウジ。ちょっと九州入っている。
「いえいえ、でも・・・お兄さんは・・・学校はどうしたのかな?」
「お、もうこないな時間かー。ほなら、ナツミ」
「ん」
重役出勤、というのは中学校にはない。重役登校なら・・・・・・も、ない。
カバンを肩に掛け戻して行こうとする鈴原トウジ。ふと、足を止めた。

「あら、忘れ物?」
いつも、こっちが拍子抜けするほどにあっさり切り上げるお兄さんが・・・べしょべしょとするのを嫌うのだろうか・・・・・珍しく。

「この、曲・・・・なんや・・・・」
「曲?」

ラジオから流れるピアノ曲だった。気にしなかったが、すでに番組が変わってクラシックのそれになっている。すこし、もの淋しい・・・・
「なんなんや・・・・・・この曲」

兄キがクラシックに興味があるとは知らなかった。しかもこんな寂しげなのを。
さっきと表情の違う。
「さあ・・・・・ウチ、ピアノことはよー知らんし・・・・」

「あら・・・・・別れの曲・・・・・だったかしら」

答えてくれたのは看護婦さんだった。ピアノの経験があるのかもしれない。
ただ、クラシックが好きなだけかも知れないが。



「ほーですか・・・・・・・・・・・・・・・・なんや、狙いすぎやな。二十点や」

エンギ、わるいな・・・