そこは特別機の機内だったのか、それとも雪上車の中だったのか・・・・・

もう、思い出せない・・・・・・向かいあって座っていたか、少し離れていたのか、それすら・・・・・ただ、目も合わさなかったことだけはよく、覚えている。


「ミサト、オーロラの色はどんな色か知っている、か」

「・・・・・知らないわよ、そんなこと」

「オーロラの代表的な色は酸素原子の緑と深紅の、窒素分子イオンの青、窒素分子の赤だ。このうち、酸素原子の深紅は地上200から600キロメートルという高い高度で発光する。酸素原子の緑と窒素分子イオンの青は90から150キロの範囲で強く、普通は110キロメートルあたりで最も明るい。90キロ以下の高度では窒素分子の赤が強くなるがこの高さでは窒素分子イオンの青も発光するので赤紫あるいはピンク色にみえることになる。したがって・・・・」


「やめてよ。そんな話・・・・・・・・・・聞きたくない」

そんな話なんか・・・・聞きたくないよ。もっと他に話して欲しいことがあるのに。
話さなきゃいけないことがあるでしょ・・・・・おかあさんの・・・・・



おとうさん



葛城ミサト、十四の記憶。

さして不幸な家庭ではなかったつもりだが、幸福でもなかった。
ある日、予想された終わりがきた。細くなった糸が、途切れるように。
父と、母と、自分。原因はなんだったのだろう・・・・。
父親は学者。大学の教授、研究室の博士、というよりその呼び名が似合う人だった。
家庭を顧みない・・・・のか、眼中に入らなかった・・・・のか、ともかく、これが自分の父である、と言いにくい、影の薄い人だった。たった三人の家の中で・・・・。
特別の、女と男のつながり・・・・夫婦の間に何があるのか・・・・・
何かあったのか・・・・・あったのかもしれないが、とくにつよいものでもなかったのだろう・・・・うちの場合は。母が父と別れる、と言ったときもすぐに賛成した。


だけど、その時も父は・・・・・学者のままだった。



綻びは淡々裂け、砕けた鏡は欠片も残さず、波も風もたたずに、処理されていく。

自分の、家が、綺麗に、なくなっていく。さして悲しくもなかったのが悲しかった。
友達がその時、何か言ってくれたような気もするが・・・・・覚えていない。

母に引き取られることになったわたしに、今まで何も言わず全ての条件を受けつけてきた
父が、たった一つだけ最後の願事をした。それが、一週間の南極研究基地への同行だった。


母は、行けとも行くなとも言わなかった。わたしのことが目に入っていたかどうかも。
だから、自分で決めた。それで何かが変わると期待したわけじゃない。そんな力はなかったし、そんな気も・・・・勇気もなかった。ただ、行くことだけを決めたのだ。



ただ、それだけを・・・・・



だが・・・・・・・ただ、それだけの決定が私の全てを、その後の全てを、変えた。
十四の時の呪縛。それが今も続いている・・・・・運命というものが加勢すれば、人は過去の自分にも勝てなくなる・・・・・のだろうか。時間は、取り戻せない。



研究所内での父は、別人のようだった。それとも、これが本当の父の姿だったのだろうか。
どのくらいの権限を持っていたのかは分からないが、父は自分の娘を基地内の各所に連れて歩いた。焦るようにして・・・・早足。ついていくのがやっとで説明などほとんど覚えていない。とても早口で怒鳴り続ける・・・・・激しい性格・・・・周囲に恐れられていたようだった・・・・父は何を見せたかったのだろう。
最後の最後に打ち解ける・・・・どころか、戸惑いだけがあった。



南極は世界で最も強い風の吹く場所であること・・・・瞬間最大風速100メートル、デニソン岬の斜面下降風、カタバティック・ウィンド。カタバ風というのだと・・・・。

雪が風に削られて、激しい凹凸の生じた畑のうねのようなサスツルギの雪原。
そこを雪上車で越えようとすると、まるで車酔いか船酔いにかかってしまうこと。

南極の氷の厚さは人工地震観測の方法で調べること。二千メートルの厚さの氷・・・・。
東南極、ウィルクスランドでは三千、四千クラスの氷の厚さがあるという・・・・。

南極の氷をとりさった下の基盤の地形、ほんとの南極の姿ってどんなもの・・・・?
南極って氷の大陸じゃないの?・・・・いや、ガンブルツェフ、ベルナドフスキー、山脈さえも隠されているんだよ・・・・・

「あ、ペンギン・・・・」「アデリーペンギンだ」巣作りに必要な小石のうばいあいをしていた。隣の巣から盗んでくるやつもいた・・・・ペアで巣を離れると、全部石を盗られてしまうのだ

「隕石?」「そうだ。隕石だ」どういうわけだが、日本は南極での研究のおかげで世界一の隕石保有国なのだそうだ。不思議なことに、隕石が集積する場所があちらこちらにあるとかで・・・・・そのメカニズムを解明しようとした話はきいたが・・・覚えていない。


学者になる気など、これっぽっちもなかった。大して勉強も出来なかったけど、ぽつぽつと質問の形で口をひらいていったような気もする。到着してすぐさま、外国の基地にさえ連れて行かれた。ひどく急いでいた・・・・・のに、娘を連れ回すのは一体・・・・・・


ただ、父が尋常でない癇性の人であることが分かった。気性の激しい・・・・よくもまあ今まで隠し通してきたものだ・・・・・家族、相手に。
そして、父がこれからも平然として一人で生きていくだろう事も。
正真正銘、父は家族のことなどどうでもいい人なのだ。心にも、頭にも、どこにも、そんな言葉はない。完全に何かに魅入られており、そのことに全身を傾けるために生きている。
私を連れてきたのは、それを伝えるためだったのではないか・・・・。



でも、基地の狭いベッドで自答することもあった。「もし、その激しさを自分達に向けていたらどうなっていたんだろう・・・・・?」、と。


そのあまりに小さな疑問は、答えられることはなかった。永久に。






西暦 2000年 南極





セカンド・インパクト



零下五十度の死の世界に吹き荒れる破壊の風。科学の力をもってかろうじてその生命を保っていた人間どもを容赦なく引きちぎっていた。廃墟と化した研究ドーム。




光の巨人 八枚の光翼




突如、白い極域に現出した地獄。阿鼻叫喚も風に消される無音のコキュートス。
いかなる生命の存在も許さぬ死の世界。カタストロフィ。完全消去。呑み込む。





その中で、たった一人の生存者。脱出用カプセルに乗せられた。
抑える胸から滲む血、頬を血塗られている。首にかけられた十字架も赤く染められて。




「うしろすがたも・・・・しぐれていくか・・・・・」

それが父から与えられた最後の言葉。救出されるまでくりかえし、呟いていたそうだ。
山頭火だと知ったのはずっと後のことだ。
学者なのに、十字架なんか持っていて、山頭火が好きだったのか・・・・のかどうか、ともかく、死に際にそんなことを言う人だったことを知った。父は、そんな人だったのだ。それは、死の恐怖を誤魔化すためだったのかどうか、知らない。
ただ、父は自分が生き残って、今起きている現象の解析、またはデータを残そうとは、しなかった。私を、私の、かわりに、死んだ。最後の最後で、学者の仕事を放棄した。



研究の結論を出すこともなく・・・・・・・・・今も生きていれば、定年かしらね。
まあ、のんびりと研究に専念できるような状況じゃなかったけどね・・・・・



でも、ずっと・・・・・・いきててくれたら・・・・・



仲直りはできなくても・・・・お酒くらいはついであげてもいいかも、しれない・・・
飲める人だったのか、どうか・・・・知らないけど



目の前には・・・・・烏龍茶




「ん・・・・?ああ・・・・・・うたた寝してた・・・・・」
いつの間にかテーブルに突っ伏していたらしい。目の前には烏龍茶の缶が置かれている。惣流アスカが買ってきたものだろう・・・・


「アスカ・・・・・」
買ってきた当人もなぜか、葛城ミサトの対面でうたた寝していた。時刻を見ると午前二時。ベッドに入っている時刻だが・・・・・おそらく、つき合いだろう。
「風邪ひくわよ・・・・」
少女の律儀さに、呆れ半分、ちょっとばかしにくらしいような、なんともいえぬ感情半分で、声をひそめて起こそうとする葛城ミサトだが、その肩から、ふぁさ・・・と軽く舞い落ちたものがある。タオルケットだ。見ると、惣流アスカの肩にもかけられている。


一瞬、アスカがかけてくれたのかしら・・・・と思ったが、そんなわけもない。
自分で自分の肩にかけられるわけもないし、第一そこまでするなら自分の部屋に戻るだろう。と、なると残るは・・・・ペンペン・・・・・では、もちろんない。


「シンジ君・・・・?」






「シンジ君・・・・・・・起きてるの?・・・・・寝てるわよね」
碇シンジの部屋の前で声をかける。おそらくは寝てる・・・・・・




「・・・・・起きて・・・・・・・・・ます」
しばらくして、ふすまの向こうから、返事をしようかすまいか、迷ったような碇シンジの声がかえってきた。

「タオルケットかけてくれたの、シンジ君ね。ありがとう」



「いえ・・・・・・・起こした方が良かったかもしれません・・・・ごめんなさい」

なんだか様子が変だ。いや、変なのは当たり前なのだが・・・・・眠れないのか。



「入って、いい?」
と、いいつつ同時にふすまを開けている。部屋には電灯は点いておらず、机のスタンドが少年の姿を浮かばせていた。床につくでもなく、椅子にかけるでもなく。
ベッドに背もたれて、じっと天井を見上げている。



まだ、起きていた。
「シンジ君、眠れないの?」



「・・・・・ミサト、さん」

入ってきたことをとがめている口調ではないが、視線はあげたまま。葛城ミサトを見ようとはしなかった。もしくは・・・・


葛城ミサトに言葉はない。黙って、碇シンジの前にあぐらをかいて座った。
男親だったら、こんなときかけてあげられる言葉があるのだろうか、と思いながらも。
邪魔なのかも知れない。煩わしいかも知れない。碇シンジが何を思って、天井を見上げているかも分からない。こんな時は一人にしておくのが正しいのか、やさしいのか、それも分からない。けれど、話したいなら、聞き手くらいには、なれる。ねむることもできないくらい胸の内で唸る感情を上手に保存しておくほどには、十四の少年の心は固くも冷たくもないはずだ。・・・・・これすらも経験則にすぎないのだが・・・・




「こんな・・・・・こんなことって・・・・・あまり、なかったから・・・・・・・」

ぽそっと、碇シンジがつぶやいた。消えたフィラメントのように。脆い光が散った。


「ほんとは・・・・・分かっているんです。カヲル君って本当に・・・・なんだかマンガの中の謎の主人公みたいに不思議で・・・凄くて・・・・ほんとうに、僕たちの、僕の友達でいていいのかなって・・・・思うときが、ありました。そんなに長くは一緒にいられない感じが・・・してたんです。きちんと自分の考えをもっていて、なんだか大人で、それでいて、誰にも優しくて、丁寧で、・・・・・・それから、誰にも見つけられない、特別な願いを秘めている感じで・・・・王子様ってイメージですよね・・・・カヲル君。




少しだけ話してくれたことがあったんです・・・・・・カヲル君が生まれたところは・・・・・・ものすごく広い研究所だったって。ばいお・・・なんとか・・・・かんとか。


その時、初めて聞いたんです・・・・・・」


「何を?」



「・・・・カヲル君が、すこしだけ早口になるのを・・・・・」



「カヲル君、もしかしたら無理、してたのかも・・・・・しれない。カヲル君が辛そうな顔をしたら、みんながだめになるような・・・・・いつも微笑んでいてくれたから、エヴァに乗ってもなんだかうまくいくような・・・・・気がしていました」

それは誰しも感じていたこと。・・・・・シンジ君でさえ、そうなの・・・・?

「僕たちは、不安なときは不安な顔をしていてもよかったけど、カヲル君は・・・・・」

「シンジ君・・・・・・」

「だから、・・・・・・・・・これで、いいのかも・・・・・・・・・・・」




「でも、ミサトさん・・・・・・僕は・・・・・すこしだけ・・・・」

「なに・・・・?」

「かなしくても・・・・いいですか」
上を見上げていたのは、誰かにこの愚かな問いかけをするのを待っていたためかもしれない。ささやかな泣き笑いが、ライトの光に流れ闇に、かなかなと溶けていった。



友だちのために・・・・がまんする、かあ・・・・・男の子だね・・・・・シンジ君



シンジ君にとって渚君は、何より大事な友だちだったのね・・・・・・そっか・・・



十四から十五の年月を経た女性でもある葛城ミサトは、これがまだ序の口であることも弁えている。まだ現実になっていない喪失感。それは幻の痛み。予想もしなかった知らせに空白になっている心は痛みの伝えに鈍くなっている。これから、たくさん悲しくなってくるのだ。嵐の前の静けさ。豪雨のように感情が押し寄せてくることも知っている。



まだこの子は、誰かがいなくなる、ということをよく知らない・・・・・その眼差しは。


が、その瞳は、葛城ミサトらが思いもよらない渚カヲル像を浮かばせてみせた・・・・。おそらく、そんな風に渚カヲルを見られるのは碇シンジくらいなものだったろう。
王子様の心を知るのは、若様、ということなのだろうか。



「ミサトさん・・・・・・ありがとうございます」

「なにが・・・?」


「カヲル君のことを教えてくれて・・・」
少し、驚く葛城ミサト。まさか、こんなことを言われるとは、思ってもみなかった。
悲しい知らせなぞ出来ることなら聞きたくないものだ。出来うる限り、耳より遅らせて。
そして、どうやら碇シンジの言いたいことは、渚カヲル本人がこのことを何も知らない自分達に告げるのは・・・つらいだろうから、それを肩代わりしてくれたことを感謝している・・・そういうことらしい。グリコのおまけくらいの比重で、(ちょっと変わった)親身になって話を聞いてくれたことも入っていたかもしれない。



ほんとうに・・・・・この子は・・・・・・・



(眠りもせずに、嘘をつくなんてことは人はしないものだ)




本当だったら、または、碇シンジの気性が惣流アスカの半分も温度が高ければ、葛城ミサトはこの部屋を訪れて、こう言っただろう。言わねばならないことだ。

「渚君がいなくなれば、男のパイロットはシンジ君、あなた一人になるわ・・・・・。
これまで以上に気を引き締めて、鍛錬研鑽を重ねて、レイとアスカ、ふたりを守ってあげてね・・・・・・・わかった?」

そして、気合いと覚悟のこもった「はい!」という返事がかえってくるはずなのだ。

だが、元々、引き締めるほどの気はない上に、鍛錬研鑽を重ねているのは惣流アスカだ。
綾波レイにしても、守られなさい、という指示でも出さぬ限り、そうはなるまい。

戦闘意欲は惣流アスカに遙かに及ばず、使命に対する真摯さも綾波レイの足下にも及ばず。



だけれども・・・・・そんなこと、言われなくとも、シンジ君はそれを墨守してくれる。
エヴァ初号機の力を、そのために使ってくれる・・・・・渚カヲルが第三新東京市、使徒との戦線を離れることで、不安になっているのは結局、自分も同じなのだ。
エヴァを守れるのはエヴァしかいない。それを操るチルドレン、パイロットだ。

使命感も、正義感も、心の強さも、はっきりいって、碇シンジには、ない。
こんなんで世の中渡っていけるのかな、と心配になるくらい、ばかのようにやさしい。


ただ・・・・・この子には・・・・・




薄情なようだが、葛城ミサトは、あまり、悲しみにはつきあえない。

とりわけ、死者のための悲しみなど、真っ平ごめんだった。この家に仏壇飾るなんて冗談じゃないわ・・・・・。びんっ、と無意識に指で弾いた十字架が鼻にあたった。

「あいた・・・・・」

「大丈夫ですか」

「う、うん。あー、大丈夫よ・・・」
十字架相手に仏壇なんていったから、天バチがあたったのだろうか。ちょっちカッコ悪い。
だが、それで想いの閃きが消えてしまうこともなかった。

惣流アスカには、現代ではほぼ死滅した、「勇敢」という美徳がある。それを口先だけでなく、体現できるとなったら、そうそうおるまい。アスカはそうだ。他にどんな欠点があるとしても、その一点で許されていい。が、それを乗りこなすとなったら十四の小娘には荷が重い時もある。落馬すれば、骨折で済まない時もある。が、乗りこなせば、一日千里を走るようになる。放っておいても自己研鑽を重ね、いつかその境地に到達するだろう。


碇シンジは・・・・・なんせ素地がない。「エヴァのススメ」から始めただけあって、この先が思いやられる。「おつりで三千両」ほどの才能を持ち合わせているとしても、だ。
渚カヲルのことを心配するのはいいのだが、彼がいなくなれば、その制御が出来る者がいなくなる。使命感も正義の心も精神力の強さもなく、小さく若芽の心のままに。
まだ大して深くもない、澄んだ浅さの器の中に、「正しくありたい」という願いがきらめいている。凶悪の力そのものの初号機の中に・・・・・・これは皮肉なのだろうか。

そして、そのやさしさはただ表層の、柔和だというだけのことなんだろうか・・・・





「ミサトさん・・・・・」

「ん・・・・?」

「カヲル君には・・・・もう、会えないんですか」



「そうね・・・・・・残念だけど」
再び、渚カヲルと四号機が第三新東京市に戻るときは・・・・・ネルフとエヴァがピンチに陥っているということだ。初号機を含むエヴァ三体で勝てない相手で四号機一体だけ投入するなんてバカなマネはしてほしくないんだけどさ・・・・。使徒を全て倒して、体が空いたとしても、機密の申し子のようなチルドレン同士をわざわざ一会させるなんて粋なことをしてくれるわけもない・・・。今生の別れだ。




「そう、ですか・・・・・・・・・・・・やっぱり・・・・・・」

あーあ・・・・・・やっぱり、泣いちゃったか・・・・・。上をむいていようが何しようが涙はこぼれてしまうものなのだ。せめてハンカチでも渡してこの場を去るとしますか。
あんまり役にたたなくて、ごめんね、シンジ君・・・・。けど、もう少し望んでもいいかしら・・・今夜はまだ、いいけどさ・・・・

「うぎゃ」
「あ、ハンカチありがと。はい、シンジく・・・・・って?なんで?」
なぜかペンペンがいつの間にかすぐ近くにつったっていた。爪でハンカチをわたして。


「うぎーぃ・・・・・・」
こんな夜はペンギンでもおちおち眠っていられない・・・・・



そろそろ朝になるのだが、今夜は窓の外にメテオライトでも降ったのではあるまいか。




「でも、生きてりゃどうにかなるかもしれないし、さらに長生きすれば、うるさいコト言う爺さん連中はくたばってんだから、シンジ君達の天下よ。そんときになったら、好きにすればいいのよ。それから、・・・・こーゆーのって慰めくさくってやなんだけど・・・・・・・・想い続けていれば、そのうち叶うって。石の上にも三年っていうでしょ?あれ、嘘じゃないわ。わたしも最近、実例にお目にかかったばっかだしね・・・・・



励ますことしか出来ないのなら、どんなことでも言って励ます。どんな悪知恵でも仕込んであげる。百でも二百でも都合のいいこと言おうじゃない・・・・よくがんばっているよ。シンジ君は。この葛城ミサトが認めてあげましょう。碇、シンジ君をほめてあげよう。



・・・・ほんと、なんでこの子がサード・チルドレンなのかなあ・・・・・・



葛城ミサトは、碇シンジの泣き顔が終わるまで、よしなしもないことをしゃべり続けた。
べらべらと・・・・・観音様の三味線のように。


「ねっ、そんな置き去りにされた自転車みたいなカオしないで」
話題の順序が逆なのは、葛城ミサトの甘さといってよい。作戦部長でも、保護者でもなく、今は、姉貴モードに入っていた・・・・・







次の日 碇シンジが学校をさぼった。



ガードもついていることであるからすぐに判明した。本部に向かっているという。そのような命令を出したのかどうか、向こうから確認が来たのだが、もちろん、そんな命令は出していない。学校には腹痛と連絡を入れ、惣流アスカには適当な説明を与えて学校に行かせ・・・・・・ようとしたのだが、すぐに見抜かれ失敗し、同行することになった。

ほぼ徹夜状態なのにいつもより早めに朝食の支度をし、珍しく惣流アスカに一声もかけず先に出た、という時点でおかしいな、とは思ったが、そんなこともあるだろう、と昨夜を思い返していた葛城ミサトである。しかし、本部に何しに・・・・・まさか司令と談判するわけじゃ・・・・・・・どうだろう・・・・あり得るだろうか。


「カヲル君を向こうに帰すんだったら、初号機で本部をぶち壊すぞ!とか喚く気なんじゃないでしょうね・・・・・あのバカ」
助手席で、怒っているのか楽しんでいるのか、よく分からない惣流アスカ。表情のカードを裏ふせてある。
シンジ君はそういう発想はしないわ・・・・とは言わない葛城ミサト。黙っていた。
まさか、アスカの方が・・・・・。うーむ・・・・とにかく今はシンジ君だ。


「飛ばすわよっ!!!」「・・・・・ん!」



なるべくなら、本部に入る前に話をしたいもんだけど・・・・さすがにそりゃ無理か。
葛城ミサト駆る青い弾丸ルノーでも、さすがに光速は出ないのだ。






四号機ケージ 碇シンジはそこにいた

すでに最終の整備も完了している。使徒でも来ぬ限り、このままの姿で帰ることになる。
なにせ急な話である。整備の者たちは完徹を余儀なく「した」。もともと完全実戦レベル
で整備は仕上げられている。が、この四号機はネルフ本部の整備棟梁に言わせれば「元ン所じゃ使うだけ使ってロクな手入れもされてねエ」ようで、それに結局、中央三眼の入った完全型にはお目にかかれもしなかったが・・・最後の最後に、ピッカピカにされることになったのだ。
白銀の中の白銀・・・・・ミスリル至高白銀、なんてものがこの世にあるなら、それはまさしく今の状態の四号機のことに間違いなかった。


「すごい・・・・・・・・っ」
兵器を美しい、と思うことはよくないことかも知れない。しかし、碇シンジはりん、として言った。さすがにカヲル君の愛機だけはある。どれだけすごいか。
それを整備の人たちは誰よりもよく知っているのだろう。だから、これほどまでの・・・
あちらこちらで、満足そうにくたばっているのだった。



さて、学校をさぼってまで碇シンジが四号機に何の用なのか・・・・

それは、少年の装備を見れば分かる。え型装備。画板だの絵の具セット一式だの、技術で使う計算尺セットなど。四号機の姿を描き残しにきたのだった。
ただのデータとしてではない、エヴァンゲリオン四号機の、姿。それを。

正面からではない、少し斜めからだが、うまいこと全身が見られるアングルに視点を配置して碇シンジは筆をとった。そのまま集中して、没頭してしまう・・・・・



サード・チルドレンにしてエヴァ初号機のパイロット、碇シンジが学校にも行かず、四号機のケージで絵なんぞ描いている姿というのは、なんとも思いっきり特務機関ネルフでは浮いているのだが、少年の邪魔をする者はいなかった。渚カヲルと碇シンジの仲のよいことは知れ渡っているからだ。葛城一尉の粋な計らいなのだろう、と常識的に見ている。
実際、赤木博士からの不審げな電話に車内から葛城ミサトがそのように返答をしておいた。



「司令に知られなきゃいいけど・・・・・こんな時に限って本部にいたりして、おまけに四号機ケージを散歩してたりすんのよねえ・・・・・」

「そういえば、碇司令って本当にシンジの父親なの?どーも、そこらへん、信じられないんだけど」
カートレインではいくら頑張ってもスピードは一定だ。ここで一息入れていた。
碇シンジの早朝出奔の目的が「絵をかくこと」というなんとも平和的なものであることが
判明した以上、そう慌てることはなくなった。パトカーは結局、追いつけじまい。



「まー・・・・変わった家族だかんねー・・・・・・」
変わっていない、普通的お手本家族なんてのがあるのかどうかを別にして、父親、母親、息子、とまあ、とにかく変わっている。緋色の研究でもせねば、分からないだろう。
何神家の一族、でもあるまし、たったの三人だというのに・・・・。これがまた。



軽口のつもりで言ってみた言葉だが、存外、厄介なことを引き出してしまうことに気づいて惣流アスカは話題を変えた。
「そういえば昨日の夜、シンジのやつ、泣いてなかったあ?」
「男の子のそんなこと、聞かないものよ。アスカ」

「・・・・その口振りだとメソメソ泣いてたみたいね・・・・なさけないやつ」
「ところで・・・家の近くの自販機が、へっこんでたのは誰がやったのかなあ・・・・」


「さあ?」






碇シンジの筆はその思いをのせて休まない。模型を造るだけあって、立体的絵心もなかなかのもの。生物学者には写生能力は必須といってよいから、血筋というものかもしれない。
四号機の、こうしてみるとやはり戦闘用とは異なる用途を持つエヴァなのだと分かる、姿がだんだんとかき上げられていく。その集中力は開始からさほども減じていない。
従って、後ろに立つ威圧的な気配になかなか気づかなかった。




「ここで何をしている・・・・」




碇ゲンドウ。ネルフ総司令にして碇シンジの父親。葛城ミサトの危惧通りによりにもよって四号機ケージに現れた。無論、学校に行っているはずのサード・チルドレンの姿を見咎めぬわけがなかった。




「・・・・・・・・」
碇シンジは振り向きもしなければ、返事もしない。筆の滑る音だけが続く。







「おわっちゃあ・・・・・・・・なんでいんのよ、司令・・・・・・・・」
到着が少しばかし遅かった。出ていくタイミングを完全に逸した。碇司令のおでましだ。
制服は地味だが、あの長身は目立つ。遠目だが一発で分かる。出ていける間合いではない。
「ブン殴られるんじゃないの・・・・・シンジ」
まるで気づいてないのか、自分の意志で無視しているのか、よく分からないが、その光景に子供の頃の反応で胸の奥がキナ臭くなる惣流アスカ。眉間に固くひきつれる。

こうなったら二人に出来るのは見守ることだけ。異変に気づいた整備スタッフ達も同じく。




碇ゲンドウ。碇シンジ。ふたりの父子は、強情なのかなんなのか、あれから口を開こうとしない。聞かれたのは碇シンジであるから、その返答をまっているのだろうが・・・・・
多忙であるはずの碇ゲンドウにそんな暇な時間はないはずだった。

答えることもなく、重ねて問うこともなく・・・・・・・






「・・・・絵を描いてるんだ。カヲル君に贈るための絵を」
ようやく碇シンジが口を開いた。答えるときだけ、絵筆が止まる。







それから、また、長い・・・・そう見る者に感じさせる・・・・時間が流れる。




「そうか・・・・・・」







万感の思いをこめている・・・・・わけでもなかろうに、なんなんだろうか、この間、は。
葛城ミサトと整備員たちは陰でこけそうになった。反則的な会話の仕方だ。
これが本当に実の親子の会話だろうか。まるでスローモーションでもかかったようだ。
ぎこちない、のともまた違う。この二人の映写機だけが壊れているのだろうか。







「父さん・・・・・・」







「なんだ・・・・・・」







またこの調子である。ほんとうにいい加減にしてくれと言いたくなる。これで身になるようなことでも言うならまだしも、全然大したことを言わず、ただ「間」だけがやたら長い。

「カヲル君が・・・・・もといた場所に帰ることは・・・・・いいことなの?」







「それは・・・・・・本人だけが知っていることだ。他人の干渉する余地は、ない」







「父さんは・・・・・・友だちっていたの・・・・・・?」







「友情は同盟の別の名だ・・・・・・」







普段は葛城ミサトと同居し、碇ゲンドウ本人も本部には不在であることの方が多く、長年離れていたとなれば、会話は問いかけとそれに対する返答、という形で成り立つのは当然、というか、嘘でもつかなければ、そうなるしかあるまい。そして、それは世知と呼ばれるものだ・・・・・まあ、それはいいのだが。


「なんなの・・・・・この親子の会話・・・・・・・」
葛城ミサトをはじめ、壁の耳たちは、今やぐんなりとしていた。
骨肉の争いの声を聞くのも辛いだろうが、この会話を聞き続けるのも疲れる。テープかなにかで録音しておいて、一時に早回しで聞きたいくらいの、超スローペースだ。
不器用とかなんとかいうレベルではない。周囲が聞き耳をたてているのを知り、それに対して嫌がらせをしたろう、と二人が考えたとしても、ドはずれた遅さ。ゆるせんくらいだ。
しかし、そうならそうと、聞かなければよいものだが、そうもいかない。やはり聞き始めたからには最後まで聞いておきたい。しかし、この調子では冗談ヌキで日が暮れてしまう。





「できた」



「・・・・ああ、そうか。すぐに戻る」





碇シンジの四号機の絵が完成したのと、碇ゲンドウの携帯に連絡が入ったのはほぼ同じ。
結局、学校にいけ、とも、特に身になる話をするでもなく、ネルフ総司令官は去った。




「ぐ、ぐはぁっーー・・・・・・・つ、疲れた・・・・・・・・・・」
加持リョウジが所属する特殊諜報部はこんなことを毎日やっているのだが、作戦部長の葛城ミサトの性には合わないらしい。大いに疲れた。
「なんでアタシがこんなこと・・・・・・く、来るんじゃなかった・・・・・」
ほとほと後悔する惣流アスカ。


「・・・・もうこんな時間か。地下食堂でお昼食べてから帰ろう」
バンド活動などやったせいか、すっかり「ふりょー」になってしまったのかもしれない、学校さぼっても平気の平左の碇シンジ。せんこうなんざ、手でひらひらさせて消すんだぜ、いえーい。いきをふきかけちゃいけないんだぜ、いえーい。てなもんである。





その頃・・・・・・綾波レイは、本部内の一室で渚カヲルより伝えられた機密を自動書記していた。ノートに高速で記されるそれを伊吹マヤが解析して端末に打ち込んでゆく。それがマギに保存されるという段取りで、悪い言い方をすれば「今日もこきつかわれていた」
良い言い方をすれば「まじめにはたらいていました」ということになる。
そのうち、きっといいことがあるだろう。




そして、渚カヲルは・・・・・・・作戦顧問の家の縁側で、涼しくわらび餅を食べていた。
台所では、奥さんの野散須ソノさんが昼食の準備、作戦顧問はいつものようにスイカとカボチャを某畑にもらいに行っていた。盆の上に麦茶と鯛焼きアイス。



「夏休みも終わる・・・・・・・・・・・ね」

呟きが風になったのか、風鈴がちりん、と軽やかに音色を吹いた。






次の日 新横須賀

エヴァ四号機が海路で運ばれていった。おそらく、この国の大地を踏むことはもうあるまい。天気はいい日和だったが、ネルフからの見送り一同の顔はその限界対極にあった。
いまにも雲を呼び嵐を呼びそうな凄みを利かしている。船よ、沈めえ!!といわんばかりの凶悪な目つき。ネルフのロゴがなければ、テロの一群と間違われてもおかしくない悪辣な表情をしていた。



だが、艦群影が消えてしまうと、一同の顔はぐしゃっ、と崩れた。



「零号、初号、とも違って面白エ奴だったが・・・・」
整備の棟梁、円谷エンショウがリンゴ箱に腰かけながら煙管を噛む。
直接、機体に触っていた整備の人間にしてみれば、人造人間といえど・・・「なんせエの字ってやつあ手がかかりやがんだ・・・赤子だな」・・・寂しさもひとしおであろう。
非番の者でさえ、整備ツナギに袖を通してやってきていた。もう扱うことはない機体への。




「行ったわね・・・・・・」
「ええ・・・・・・・・・」
赤木博士と葛城ミサトである。今さっき受け取った書類をビリビリに破いて捨ててやりたい欲求をひたすらに耐えている。くそ・・・・あの楽しげなカオ・・・・・
いっぺんあんたたちも使徒にボコボコにやられてみなさいよ!!海に向かって叫びたいのをひたすらに堪える葛城ミサト。


カチッ、煙草で気を落ち着けるためか、ライターを点ける赤木博士。
あたしも吸おうか・・・・今日だけは・・・・・と目をやる葛城ミサト・・・・・・・・・・・・・・ぎょっ!!

「リツコ!!あんた何やってんの!!」
「え・・・・・・・?」

重要書類を燃やそうとしている!!腹の内では何万回やってもいいが、実行に移してはさすがにやばい!!気持ちは分かるし確かにそれをやれば、胸がスッと晴れるだろうが・・。
慌てた手刀がライターをもった手に飛ぶ。反動で、ドプとライターは波間に落ちた・・・。
「あ・・・・煙草はこっちか・・・・・」
ライターのことも打たれた手刀のことも眼中にない赤木博士。今ごろになってじわじわと効いてきているらしい・・・・「渚カヲル不在効果」が・・・・・。

大丈夫なの?・・・・・・そういう自分も後になってやばいかもしれない・・・・・






「なにぃ!?そりゃ、ホンマか!?」
そう言って目を剥いたのは鈴原トウジ。

「うん・・・・残念だけどね」
渚カヲルは答える。穏やかな悲しみは微笑に似ている。



屋上での昼食。例の八人、手早く言うと、地球防衛バンドのメンバーが集まった所で渚カヲルの転校が伝えられた。まだ、時はあるとはいえ、すぐだ。それに他の生徒たちにはその影響を考慮し、用意された虚偽が教えられることになる。
八人といえど、半分はチルドレン、既に悔しいほどに知っている。残りの四人、エヴァに乗らない子供たち、鈴原トウジ、相田ケンスケ、山岸マユミ、洞木ヒカリに本人が直接に事実の欠片を伝えたのは、つきあい、縁、絆、なんといってもよかろうが、そのようなもののためだったことは想像にかたくない。世界が、異なっている。その必要もない。
渚カヲルの心、以外は。



「ホンマの、ホンマなんか!!?」
つかみかかるようにして鈴原トウジが怒鳴る。心が荒ぶるのは信じたくないから。

「うん・・・・」
鈴原トウジのために、もう一度うなづいてみせる渚カヲル。


「なんでやねん・・・・・・」
去る方がつらいのか、去られる方がつらいのか、それは分からない。
だけれども、それは変えられない事実。目の前にある事実。それが消えるときには友人も面影だけしか残らない・・・・。

鈴原トウジのこんな声をきいたことはなかった。
相田ケンスケも、洞木ヒカリも。
どんなつらいことがあった日でも、人前ではギャグの一発でもかましていた鈴原トウジが。


・・・風の又三郎みたい・・・・・
山岸マユミはそう思った。まだ出会って日の浅い友人のための、本好きな少女の、もの哀しくすきとおった感情を。




みな、黙りこんでしまった。その理由はみなが知っていた。ただ、言葉にならない。



まことの ことばは ここになく・・・・・

こどものなみだは、 つちにふる



鈴原トウジはムスッと口をきつく引き結んでコンクリを睨みつけていたし、
惣流アスカは無言で蒼空を見上げていたし、綾波レイはまなざしを閉じていた。

相田ケンスケは何か考え事をしているようだったし、
洞木ヒカリはなにか言葉をかけるべきかどうか迷っていたし、
山岸マユミはうつむいていた。


じりじり・・・と夏の日差しが少年少女をあぶっていくのだが、暑さを感じなかった。


碇シンジは・・・・・・・渚カヲルを、見ていた。


つうっ・・・・・・・・・渚カヲルが汗をひとすじ、流していた。




ううううー・・・・・・・ん

警報サイレンが蒼空に響くのと、チルドレンの携帯へ非常召集がかかったのはほぼ同時。
何かひどく現実感が失せる間合い。綾波レイですら、わずかに反応が遅れた。



「使徒だ、ね・・・・・」
つとっ・・・・・頬を伝っていた汗が、呟きとともにこぼれた。







ジオフロント ネルフ本部 発令所

中央モニターには、現れた使徒が大写しにされている。



ヤジロベエ



一言で形容しても十分なくらいに、「それ」はヤジロベエだった。

「ずいぶん安めに造られてきたものね。そろそろお金が尽きてきたのかしら」
赤木博士にこう言わしめるほどに、今回のヤジロベエ型使徒はシンプルな造形だった。
左右のコアがむきだしに孤をえがく腕をつけられておもりになっている。
記述の順番が逆のようだが、それくらい「本体」、バランス部分には何もない。余った部品をそのまま使用したような、出来損ないのこけしのような・・・・・十六葉菊花紋様に
目玉がペイントされているが・・・・・いかにも貧弱な感じだ。

「なにはともあれ・・・・・分かりやすい形でよかったわ」
作戦部長、葛城ミサトは本音をもらす。ああも弱点がさらけだしてあるとは・・・・・・
あとは単純なパワーファイトだ。はっきりいって現在のエヴァの敵ではない。
四号機を欠く、三体ではあるが・・・・・。

コアが二つある点に、多少の不安を覚えないでもないが、五つある使徒も倒してきたのだ。
まあ、なんてことなかろう。サイズの方も、弐号機とサシでやらせても構わないくらいだ。
油断する気はない。エヴァは三機とも投入し、一気に叩きつぶす。短期戦だ。

ふらふらといかにもバランスを保てないふうに、空中を進軍してくる使徒。
税金のムダ使い攻撃はいつものように足止めにもならず、強羅絶対防衛戦はいつものようにその命名の意義を忘れさせてくれていた。



「裏死海文書にない奴か・・・・・最近、多いな」
三万年は生きてそうなことを言い出す冬月副司令。要するに、長生きするということだ。「そうだな・・・・・・奴は「ヤジエル」・・・・いや、「ヤジロベル」がいいか・・・・・・・・迷うな」

「・・・・・・・」
総司令、碇ゲンドウはいつものように無言。暗黒に端然。




「三人とも、いい!?」
エヴァ零号機、綾波レイ、エヴァ初号機、碇シンジ、エヴァ弐号機、惣流アスカ、に兵法の極意のひとつ、「戦いに臨んでは、変化に応じよ」という命令を与え、出撃させる葛城ミサト。ちらっと視界の片隅にある渚カヲルに意識がいく。すでにプラグスーツに着替えることもなく学生服のまま、穏やかに、首をすこし傾げたような表情でモニターを見上げている。四号機はすでにない。


「よりにもよって・・・・こんな時に・・・・・・思い知らせてやるわ・・・・」
十四の少女にしてはドスが利きすぎている惣流アスカ。

碇シンジですら厳しい表情をしていた。綾波レイの冷静も、いつもとは温度が違う。


自分達が今いる場所に、渚カヲルがいない・・・・それを思い知らされているから。
前回の戦闘よりさほど時も経っていないと言うのに。
あの四機一体の高揚感を覚えているから、それは大きな喪失感を生んでいた。




「エヴァ全機、発進!!」

葛城ミサトの号令が下される。ジオフロントの奥深くより、こんな時にノコノコやってきたバカ使徒に天誅ならぬ、地誅喰らわしてやるために殺気に輝くエヴァ三体が出撃する。




第三新東京市エリアに入り込んだヤジロベエ使徒。どこか田舎よりやってきたおのぼりさんを連想させる。何しにやってきたのか、その気合いのまるで入っていない外見よりは伺えないのからだった。「はー、なんだかわけんねけど、おら、こっただトコまで来ちまっただよ」そんな感じだ。「ここはどこだべ?ちょっくら駐在さんにでもきくべえか」
いかにもモタモタと進んでくる。コースも、一応はここまできたわけだが、かなり歪んでいる。本当ならば、もっと早く来襲できたかもしれないが。


ガッシャン・・・

エヴァ三体が出現口より現れる。三体ともレンズ眼に危険な光をたたえている。
リフト・オフ。拘束具から解放される三体の人造人間はどう見てもやばい感じだ。
猫背気味の体勢はヤッパでも呑んでいて、目のあった不幸な相手を刺しにいきそうだ。


「あ、ちょうどよかった。あんたたつ、地元のひとだべか?ちょっくら道を・・・・・」そんな感じでのたくさと、カントリー・フレンドリーな案配でエヴァに近づいていく使徒。

ザンッ

エヴァ零号機はライフルを、エヴァ初号機は装備されているプログナイフを、そしてエヴァ弐号機は高周波ブレードの長刀、ソニック・グレイヴをその手にとる。



「・・・・な、なんなんだ!?あんたたつ!誤解するでねえ、おらはちょっと道を・・」さすがにそのやばさに気がついたのか、ようやく進軍をやめて迷ったように停止する。
左右のコアを「やめれ」とばかりにるーるーとやるのが、あわれといえばあわれ。


エヴァ弐号機が一薙ぎにせんと、獲物に飛びかかる豹の如く高速で襲いかかる!!。

援護射撃に入るエヴァ零号機。逃さぬように、回り込むように移動をする初号機。
先手必勝にして、ケンカ慣れ、そして後詰め十分、と、特に迎撃用の強力な飛道具でも持っていそうにない使徒がそこから逃れる方法はない!!。

・・・・と発令所の誰しも思ったし、パイロットたちもそう思っていた。


「勝ったな」
前回は不在のために言うことが出来なかった科白をいう人。冬月副司令である。



だが・・・・

すかっ・・・・・・・ソニック・グレイブの一撃は見事に外れた。かわされた。



「え・・・・・なに?」
かわされた当の本人が。何が起きたかを把握できない。それほどの刹那の出来事。
今のは完全にくらったタイミングだ。コンマ壱秒まで目前にいた。どうやってよけたの?!
長い武器だからこそ、攻撃の途切れには注意しなければならないのだが、戦闘パターンが頭に豊富にあるだけに、一瞬「これは目眩まし・・・幻だろうか」と判断を切り替えるや否や、で惣流アスカ、弐号機にスキができた。確かに今のは・・・・・・



「アスカっ!!上ッ」 「弐号機!よけなさい!」
初号機、碇シンジから声があがる。 零号機、綾波レイより警告が走る。




ごー・・・・・・ん

なんと使徒は自分の弱点であるコアを、ぐるぐる振り回して、弐号機の脳天に頭上より一撃を喰らわした!弐号機もとっさに反応できたが、ATフィールドも関係なし。
重たいゲンコ攻撃が惣流アスカの頭にもろにフィードバックしてきた。


「がっ・・・・・!!!」
痛いなんてものじゃない、あやうく気絶するところだった。
だけど、この痛み・・・・今までとは別レベルの・・・・はっきり、しすぎている。
とにかく・・・・・痛ったあ・・・・・・・・・この野郎・・・・・・・・・・・!!




「弐号機、シンクロ率急激に低下!!・・・・・パイロットにもダメージが・・・・・・な、なんなの・・・これ?せんぱ・・・赤木博士!これを、見て下さい!」
発令所では、伊吹マヤが顔色を変えていた。
「・・・・・なに、どうしたの・・・・・・・・・まさか!?」
エヴァのモニター画面を見て、その数値に信じられない、と声をあげる赤木博士。

「使徒の攻撃に何かあるの?あるなら早く教えて!」
弐号機の一撃をかわしたことに葛城ミサトも訝しさを感じていたが、まだ他にもなにかあるらしい・・・・・・さすがに使徒、ってことかあ?。

「・・・・・今の攻撃で、アスカの頭にたんこぶができてるわ」

「そりゃそうでしょうね、まともにくらったん・・・・・・・!!ちょっと待ってよ!!」

「遠距離からの攻撃に切り替えた方がいいでしょうね。もしかしたら・・・・・・」

「ATフィールドも、特殊装甲もおかまいなしに、エヴァの中にいる、パイロットに直接危害が加えられるってこと・・・・・・・冗談でしょ!!?」
エヴァからのフィードバックでは、たんこぶまでは出来ないはずだ。
葛城ミサトの叫びはほとんど悲鳴に近かった。次から次へと・・・・・・・・なんで。
「これだけじゃ即答は出来ないけど・・・・・されたくもないでしょう・・・」

「くうッ!!・・・・アスカ!レイ!シンジ君!距離をひとまずおいて、遠距離攻撃から様子をみるわよ」
たんこぶ程度で済んで良かった。コアをむきだしにしてあるのはダテじゃないってことか。簡単には勝たしてくんないわけか・・・・・。が、アスカはやばいかもしれない。
頭にくらってシンクロ率が落ちた、ということは脳波にきている、ということだ。

だが、葛城ミサトは使徒がどうやって弐号機の一撃から身を逃すことが出来たのか、よく考えてみるべきだった。極限までシェイプされた造形は何を意味するのか・・・・・。



「早いっ!」
とりあえず、命令された通りに距離をとって建て直しを計ったエヴァ三機だが、その気になった使徒の戦闘速度はとんでもない。初号機の目前に迫ると、またしても腕を振り、デンデン太鼓の要領で左右連続して叩きつけてきた!!
腕の材質は柔らかいらしいが、コアの破壊力はとんでもない。
分厚く強力なことで有名な初号機のATフィールドさえも問題なく透過してくる。


ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかっっ!!


「あ痛たたたたた・・・・・・・・・・!!」
エントリープラグの中でいいようにポカポカ殴られている碇シンジ。
光景としては、どこかのんきなのだが、本人は惣流アスカと同じく、とんでもなく、痛い。

「こ・・・・・このおっっ!!」
プログナイフで反撃するのだが、見事にかわされる。磁力で反発しているかのように。


ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかっ!!


かわした後はすぐさまだだっ子パンチで仕返しにやってくる。手に負えない。
それしかないんか、攻撃は。と、いいたくなる単純さだが、侮れない。
エヴァ初号機がかつて、ここまで追いつめられたことはなかった。


このままでは、初号機が負けてしまうぞ・・・・・・発令所に戸惑いと戦慄が走る。

総司令と副司令は未だ顔色を変えてはいないが・・・・。


「田舎もんだと思ってばかにしやがって・・・・・おらとこの村の拳法大会はいつも優勝だあ。おもいしったか!都会もんめ」そういいたげに、ひとまず攻撃をおさめる使徒。


さんざかやられて、こてんきゅーと倒れる初号機。ヤジロベエ使徒が満足げに見下ろす。
「これにこりて、けんかをうるなら相手をよくみるこ・・・・

説教したげな十六紋様の目に飛び込んできたのは、ライフルの弾丸であった。


ズドンッ

情け容赦なくめり込む。油断間髪いれずに速射で次々と。零号機、綾波レイだった。
遠間からのアンチ・ATフィールドで使徒のフィールドに空隙をつくり、そこに正確なライフル射撃。「飛び道具とは卑怯だべ?!」そして攻撃はまだ終わらない。


ぶんっ

なにか使徒めがけて得物が飛んできた。飛来する影。それは・・・・・・・・ぐるぐると使徒にガンジラメに巻き付いていく。プログレッシブ・クサリガマである。
以前、零号機がテルテル坊主型使徒との戦闘のおりに使用したものだ。


それを放ったのはエヴァ弐号機。


「いくら素早いったってねえ・・・・・・捕まえちまえばこっちのもんよっ!!
シンジっ、やられたフリはもういわよ」
多少、シンクロ率が低下しようが、惣流アスカのケンカ上手・・・・いや、戦闘達者なのは変わりはしない。やられたままに反撃反転にかかる中距離戦闘。それを成立させるための手早い行動力。さっさと得物を切り替えてくる頭の回転の速さ。セカンド・チルドレンの面目躍如である。・・・・・・渚が見てんのにブザマな戦闘できないでしょーが!


だが、あれだけぽかぽかやられた初号機のダメージを計算にいれていないのは、読み違えというものでは・・・・



ズンッ・・

復活の大魔人よろしく、いきなり起きあがり使徒を鷲掴みにするエヴァ初号機。
旧世紀の大魔人は清楚な乙女の祈りの涙で甦るが、新世紀の紫の大魔人は、気性の激しい赤色の戦乙女の声で甦るのだった。・・・・・単に鈍いだけかもしれないが。




「・・・・初号機のシンクロ率・・・・ピクリとも低下してません。パイロットにもダメージはほとんどありませんし・・・・肉体的損傷という意味で、ですが・・・・」
弐号機の状態を計算にいれると、とっくのとうに危険域レッドゾーンを突破しているくらいの回数の攻撃をくらったくせに、初号機と碇シンジは一向に平気の様子。
「あいた!」程度で済んでいるのは、いっそ不気味なくらいだ。

「・・・・シンジ君、痛覚がないんじゃないの?」
碇シンジを人間扱いしてない発言の赤木博士。そうとでも考えなければ、弐号機だけダメージが大きく、初号機がけろりんとしている理由が分からない。ATフィールドは透過されているはずなのに・・・・装甲の耐久性もスペックでいうならば、ドイツで組み立てた弐号機の方が優れているくらいだというのに。


「なに、グズグズ言ってんのよ。・・・・・・そろそろ決まるわよ」
三人の臨機応変フォーメーションが、ここまでこなれていることに、こんな時であるが、やはり嬉しい葛城ミサト。モニターを見上げ続けているおかげで、赤木博士の言葉は耳に入らなかったようだ。



処刑的アイアンクローで本体バランス部分をギリギリと搾り潰しにかかるエヴァ初号機。悪の組織の親玉が、任務に失敗したできの悪い部下を片づけているようにも見える。
一見、残酷そうで、その実も残酷な、この攻撃方法にはわけがある。直接、使徒本体に触れての攻撃ならば、高速度で逃げられる心配はないからだ。どんな理屈でスピード出しているのか、それはパイロットたちの知ったことではない。理屈は使徒を倒してからだ。

本体を行動不可能にしておいて、あとで腕を切断するなりして、コアを砕く。
惣流アスカの目論見はそんなところだ。
コアが攻撃手段として強力ならば、本体部分が弱点になる。簡単な発想の転換だ。
だが、使徒との追撃戦を早々に諦め、さっさとエヴァ初号機を盾囮に使う点など、まさしく惣流アスカ、恐るべしである。


だが、初号機が使徒の攻撃に耐えきれなかった場合は、どうしたのだろう?
おそらく、この少女はふいをつかれた表情で、こう答える。

「ああ、そんなの、考えもしなかったわ」

なぜか、そこだけ通常の戦闘理論から外れて、非論理的領域となっていた。無茶だ。
それは、くろいはこなる感情。


「・・・・・・」
綾波レイはそのことに気づいていたが、それがあながち外れでないことも、知っていた。いつものように、黙って、弐号機より飛んできた指示に応じてみせた。
だが、アンチATフィールドの手応えに、多少の訝しさを覚えていた。それを報告すべきかどうか、ライフルを正確に構えたまま、思考していた。



勝敗の天秤は、八割方、エヴァ側に傾いていた。元々が三対一だ。誤った戦術手順を踏むこともなかったから、ここからひっくり返されることはなかろう・・・・。


ぎりぎりぎりぎりぎり・・・・

フルパワーで締め上げる初号機。ここで「かわいそうだ」などと馬鹿な同情をかけるほど碇シンジはメダカバカではない。ダメージは軽微とはいえ、さんざかぶん叩かれた後だ。
その帳尻をきっちりと合わしていた。



深々と、指先が本体部分を抉っていく。使徒が酸素呼吸をする生物だったら、とっくにお陀仏だっただろう。酸素呼吸をしない生物、もしくは光合成をする無生物でも、そろそろくたばるであろう。


ぼじゅっ

内奥まで到達し、五本の指は拳をつくった。とぼそ、とぼそ、と使徒の体内から燃料なのか体液なのか、謎の液体がこぼれ落ちる。それでも、碇シンジ、初号機は勘弁しなかったのは、渚カヲルが見ているせいかもしれない・・・・・


ほぼケリはついたというのに、碇シンジが辛そうな顔をしているのは。



「シンジッ!気ィ抜いてんじゃないっ!。コアを潰すまで、終わってないのよ!!」
葛城ミサトが言おうとしたことだ。こら、今回、出番はないわね・・・・・
ほんとうに、真面目でけなげな子供たちだ・・・・・・・かなしいくらい。

勝てるべくして勝つための・・・・・一声。そうでなければ、渚カヲルは帰れない。



「わかってるよ・・・・・」
渚カヲルを欠いたままの戦闘も、これで終結する。碇シンジの物憂さは、文字通り、手加減なしの使徒殺しの一撃に転化・・・・・紫電の手刀をもって使徒の腕を切断にかかる。

そして・・・・・・・使徒は壊された玩具と化す・・・・・・・・・はずだった。




「使徒のATフィールドが急に出力上昇しています!!おかしいですこの数値は・・・・」「使徒の波長パターン、いささかも弱まっていません!未だ反撃の余力を残しているものと思われます」
発令所ではオペレータ伊吹マヤと青葉シゲルが死に損ないのはずの使徒が異様に強気であることを報告する。やはりエネルギーの源、コアをやらなければ使徒は平気であるようだ。「ふん・・・・最後のあがきでしょ。ここでうっちゃられるほど初号機は甘くないわ」
葛城ミサトの言葉はおもい。落ち着いている横綱級におもい。



「なにか・・・・・・おかしい・・・・・」

綾波レイのことばが終わるか終わらないかのうちに、使徒の最後のあがきが始まった。




ギュルルルウルルルル・・・・・・

バランス本体を中心として高速で回転を始める使徒。その動力はコア。ふたつのコアが反発しながら無限の円運動を・・・・・時には螺旋を描き・・・・絶対領域のリングループを形成していた。

初号機の右腕を巻き取ったままに



ゴギュッ

イヤな感じの音がした。超高速の回転運動に抗しきれず、人工筋肉が、人造骨が、神経血脈の束が、常に在らざる形に変形せしめられた。二の腕は、樹齢千年の木の根の如く、ねじられた。自然には戻らぬ。



惨事というのは、いつも突然に起こる。誰にも予想されない形で、突如、目の前に現れる。これほど招かれざる客はない、というのに。

弐号機、惣流アスカも、発令所の人間達も、一瞬、言葉が出ない。

エヴァとの神経接続は解除されてはいない。その有様は、直接パイロットの脳へ伝えられるはずだ。神経を焼き尽くすそれは、到達するまでもないかもしれないが・・・・。
痛覚への耐久訓練を受けている大人だとしても、これによく耐えられるかどうか。

ねじゃくれて、半ば破裂した初号機の右腕。それでもまだ、使徒を離そうとしていないのは単に、からまってしまっただけか・・・・壊れた神経の一筋、二筋が・・・・


ゴクッ・・・・つばを呑む音がやけに響く気がした。それから、からまった乾きを断ち切るような葛城ミサトの指示が飛ぶ。

「初号機右腕、神経接続カット!その後、右腕上膊部より切断して、早く!!」

あのままにしておくわけにはいかない。右腕は既に使えまい。今はパイロットを危険域から離すことが先決だ。葛城ミサトはそう判断した。


さすがの惣流アスカも体が動かない。この「スキ」にコアを砕いてしまうことは。
実際、高速回転するコアを、いかにして止めて、破壊するか、その算段も出来ていない。

だが、エヴァ弐号機は既に駆け出していた。パイロットの再計算が終了していないというのに・・・。

異変に対する反応は、冷静な分だけ、綾波レイ、零号機の方が早かった。
初号機の右手が破砕されても、眉一すじ動かさなかった。それで、初号機が救われるわけではないと知っている・・・・。
アンチATフィールド発生を停止し、ATフィールド出力全開に切り替える。
それを用いて、使徒のコア回転を止めるつもりだ。白い火花のような恐ろしく激しい手段。
それを用いるときも、やはり綾波レイは、眉一すじ、動かすことはなかった。




「は、はい。神経接続、解除しま・・・・
伊吹マヤがその指示に従おうとキーボードに指を走らせようとした時。



「その必要はない」
上方から威厳を外壁にした、黒狼仏めいた命令がのしかかってくる。
総司令、碇ゲンドウである。



「司令・・・・・・?」
急な命令撤回に、怒りより疑念が先にくる葛城ミサト。一秒でそれは逆転するが。

「かまわん。初号機はそのまま続けさせろ・・・・戦闘が終わるまでだ・・・」

「なっ・・・・・!?それは・・・・・どういう・・・・・」
この人物に人間性を期待したことはなかったが、これはあまりに無茶だ。ざん!と振り向く葛城ミサト。己の領域を無断で侵されたことも視線を蒼く研ぎ澄ます。
碇シンジは激痛のあまり気絶でもしているのか、初号機はぴくりとも動かない。
もしや、あまりのショックで心臓が・・・・・あり得る・・・・・・・。

戦闘開始より殆どうつむいた眼差しは・・・・・・・表情、意識の有無が読めない。

プラグスーツ、ヘッドセットより送られてくる生体データが言葉の代わりだ。




「あいたたた・・・・・・」


あいたた・・・・?誰の言葉だ?不謹慎な・・・・シンジ君たちはねえ・・・・こんなもんじゃすまな・・・・・い・・・・・え・・・・・・この声は。



衝撃に静まり返っていた発令所内がざわつく。



「ああっ!!右腕がこんなになってる!!」
すごく驚いているらしい碇シンジ。しかし、周りはそれ以上。


「えーい!!離れろ離せ!!よくもやったなあっっっ!!」
そう叫びながら、手近な兵装ビルに使徒を力尽くで叩きつける初号機。
プロレスでいう、鉄柱攻撃のようなものだが、効果は絶大。ビル自体を半壊させながら、振りほどくことに成功した。爆炎のようなセメント埃の中、内蔵されていたマゴロクターミネーターソードにうまい具合に突き刺さってくれたのも、運が良かった。


「シンジ君・・・・・平気なの・・・・・?」


「これでも、くらえっっ!!」
心配げに尋ねる葛城ミサトを珍しく無視する碇シンジ。さすがに頭に血が昇っているらしい。転がされたことで、一時、回転を止めてしまった使徒を、コアをめがけて踏みつぶしにかかる初号機。おばさん主婦が台所のゴキブリでもみつけたような戦法だが、殺傷力は折り紙つきだ。



「これでもくらえ・・・・・ってアンタねぇ・・・・・・・」
初号機のあまりの不死身ぶりに、なんといってよいやら・・・の惣流アスカ。



「・・・・・・・・フィールド、切り替え」
無言のままに右から左へ。高名な魔法使いの優秀な弟子のように、綾波レイ。




すぎっ

しかし、踏みつけ攻撃は紙一重でかわされた。使徒は空中に戻り、再び高速回転を開始する。こうなると、単なるヤジロベエではなく、変わりコマのようでもある。



睨み合う初号機と使徒。



「コマエル・・・・にするか」
と冬月副司令が考えないほどに、状況は油断と予断を許さない。



「まずいわね・・・・・」
実戦レベルでの使徒の解析は、赤木博士の仕事である。今まで得られた使徒のデータをマギにぶちこんで、キリキリと使徒の弱点を暴くなり、得意技を封じるなりの解析計算をしていたのだが、まずいことが判明したらしい。

「どうしたの?!」
司令の言の意味は、とりあえず分かったところで、今度はリツコか。忙しいわね。

「使徒を手放したのはまずかったわね・・・・・あのまま・・・

ギロリ・・・・底光りするものを秘めた葛城ミサトの眼。

「・・・・あのまま、何よ。はっきり言ってください・・・・赤木博士」

「・・・・このままだと百年たっても決着つかないわ。使徒には絶対に追いつけない」
シンジ君を研究室に呼ぶには、ミサトの機嫌を損ねないことだ・・・・切り口を変えて説明に入る赤木博士。戦闘中には、この手の説明はやらないのが科学者のセオリーなのだが、説明をやらないと 誰にも信じてもらえないのが、誠実な科学者のつらいところだ。
信頼よりも論理。論理のろん、はロンリーのロンだ。

「・・・・・まあ、言ってみれば、磁石みたいなもんね。同質のものだと反発しあう、と」
赤木博士の説明を聞き、簡潔に葛城ミサトはそうまとめた。睨み合いの膠着状態とはいえ、戦闘続行中だ。あまりのんびりしていられない。大本の所だけ、わかればいい。

「あくまで、言葉の綾、として、喩えとして、だけど。エヴァの動力か、それともある部分の部品にかは分からないけれど、使徒のコアはエヴァの内にその反発の駆動力を求めているとしたら・・・・・ATフィールドの可能性が最も高いけど」
「こっちがどんなに速く動こうと、裏をかこうとしても、追いつけないって寸法ね。
ふたつのコアがぐるぐる回ってんのも、その理屈?」
「アンチ・・・・とはまた性質の異なる・・・・・マイナスのATフィールドってところかしらね」
「皆様に開かれている、普遍領域・・・・・・?こっちのフィールドをものともしないのはそのためか・・・・・・さぁて、どうしたもんか」

考えるべきコトは、考えてしまうことは、山ほど在るが・・・・今は使徒を倒すことだ。

性質の違う二つのコアを自在にスイッチ作用させることで、つくも離れるもお好み次第の使徒。弱点を攻撃に使っているだけあって、攻撃力も侮れない。装甲、という観点での防御力はスカらしいが、攻撃が当たらなければ意味がない。高出力の狙撃兵器で攻めてもいいだろうが、どうも当たる気がしない。的が小さい、細い、速すぎる。

・・・・・もしかしたら、こちらからケンカを売らなければそのまま通り過ぎていったんじゃないだろうか・・・・・

だとしたら、第三新東京市はかなり不幸だ。





三方を囲みながらも、決め手に欠け、膠着状態のエヴァ三機。

初号機が使徒を対面にある距離で睨みつけ、弐号機、零号機は距離をとって抑えてある。
あの信頼とかなんとかいう以上の無感覚ぶりをみせつけられれば、それは正解であった。

碇シンジは熱くなっている。燃えている。真夏の鉄板のように。

惣流アスカに半分脅されながら制止されなければ、すでに飛びかかっていただろう。
初号機の双眼はそのままで、碇シンジは辺りを見回した。器用なことだが、エヴァならできる。


じり・・・・・じり・・・・・・
視線を合わせたまま・・・・・・気分として、また事実として・・・・・猫足で移動する初号機。距離はつめず、孤を描くように。じり・・・・・・・・・じり・・・・・停止。


「どうする気・・・・?シンジ君・・・・・アスカ?」
作戦部長がこんな調子ではいかんのだが、ふと、惣流アスカの指示かと思い、確かめる。
「アタシ知らないわよ・・・・・それより、なんか方法はないわけ?」





「綾波さん・・・・・・」
初号機碇シンジより零号機綾波レイに通信が入る。
「そこ、危ないかもしれないから。危なかったら、よけてね・・・・」
どうも、内緒話のつもりらしいささやき声。別に使徒に聞こえるわけでもないのだが。

「碇君?・・・・・」
何が危ないのか、何をするつもりなのか、肝心なことを話さずに、通信は切れた。
綾波レイにして、これは少々、戸惑うほかない。

ゆっくりとしゃがんでいくエヴァ初号機・・・・・・何くわぬ顔・・・・・は、出来ない
が、パイロット碇シンジはそのつもりでいるのだろう。

「まさか、シンジ君・・・・・」
渚カヲルはその浅はかな・・・浅はかすぎる魂胆を、推察することが出来た。
自分では、たぶん、考えも想像もしないことだ・・・・・・それは。



ぶんっ

零号機の頭部スレスレを飛び過ぎていった、圧倒的なパワーを与えられた高速の飛行物体。
安めの杉板のように、進行方向にあるビルの列をかんたんに貫いていく。
それは、結局、肉眼視界の限りでは止まらなかった。彼方に、消えた。

使徒の攻撃か・・・・・・こんなもんが頭に当たれば、零号機の頭ももって行かれたかもしれない・・・・・・だが、違った。使徒は回転したままに、それだけを続けている。

それは、碇シンジの言った「あぶないかもしれない」もの・・・・・・・

十分に、無茶苦茶に、凄く、大変、全く、完全に、鬼のように、危険だった代物・・・・

鉄筋セメントの塊・・・・・先ほどたたき壊したビルの破片だ
それを初号機の左腕が使徒めがけて投げつけたのだ。剛にして豪にして業の左腕。

ガキんちょのケンカでも、石は最終兵器とされている。モノホンの人類最後の決戦兵器、エヴァンゲリオンがそんな真似したらどうなるか・・・・今のが実例だ。




「綾波さん!ごめん、大丈夫!?使徒に当てるつもりだったんだけど、はずれちゃった」
碇シンジはさして野球の心得はないし、サウスポーでもない。右腕が使えない以上、こうするしかないわけだが・・・・・・・危なすぎる。外れたですむか!



「え・・・・・ええ・・・・・」
すこし、声が震える綾波レイ。危うく、同じエヴァのパイロットに命消される所だった。
碇シンジの発想がまるで読めない・・・・・・人の心が・・・・・分からない・・・・・その、ことが・・・。


しかし、ゆっくり考えていたら第二球が飛んでくるかもしれない・・・・



「シンジッ!!!この・・・・・・無限底なしバカ!!!何考えてんのよ!!!
アンタ、ファーストを殺す気?!!使徒に寝返ったわけっっっっっ!!!!!」

烈火の如くに怒りあげる惣流アスカ。これは、帰ったらタダではすむまい。



ぶんっ

今度は大命中!!見事に回転しているコアのひとつにうまくあたるラッキーつきだ。
たまらず、コアもヒビが入り欠けてしまう。二等賞、十四型テレビくらいだろうか。



「「うそっ・・・・・?」」
帰ったらこれまた思いっきり叱りつけるつもりだった葛城ミサトと惣流アスカのユニゾン。



「まだまだ行くぞっ!!」
今度は少し小さめの塊を矢継ぎ早に投げつける碇シンジ。ソフトな下手投げがいい感じ。
ドンドコ喰らわしていく・・・・・・




「碇・・・・・・これでいいのか・・・・・」

「ああ、問題ない」




「先輩・・・・・今日のシンジ君、ひと味、違いますね」

「え?・・・・(これは、そういう問題なの?)」



「もうちょっと、スナップを利かせるべきだな。うん」
「いや。あれは腰の安定だろう。それから打者への目線だよ」


発令所の各所でおかしな会話がなされている。そうすることで、目前に展開されている光景と、自分達の常識との止揚をはかっているかのように。




ぐわんっ

そろそろトドメとばかりに初号機はいちばん大きな塊を持ち上げて、接近した。
左腕一本のアメフトプレーヤーのよう。パスする相手はいないが。

やはり弱点であるコアを思いも寄らぬ手段で傷つけられ、使徒も弱ってきている。
都会の怖さが身に染みたであろう。ここは魔人の巣くう、山のあなたのいない、第三新東京砂漠なのである。

おら、帰りてえだ・・・・・そういいたげに、回転速度も心もち鈍ってきている。

初号機が大きくふりかぶって・・・・・・勝利を決めようとした

使徒が玉砕特攻とばかりに突っ込んできた!!だが、それは初号機とても承知のこと。

「ええーーーーーーいいっ!!」

どんっ
ぐんっ

初号機と使徒の影が交錯する!!互いに必殺の一撃を相手に喰らわそうと居合い・・・・・・コンクリ塊とコア・・・・強力無比な鈍器による叩き合い。

互いに位置を入れ替えて・・・・

だが、これはさして意味のない一幕なのかもしれない。
初号機の攻撃は、近接戦ともなればまず当たらないであろうし、使徒の攻撃も、喰らわしたところで「痛い」で終わる。運良く、何かの拍子でコンクリが使徒にぶつかっていればこれで終わっていただろうが・・・・。




ぽきん・・・・

なんだか軽い音がした。皆、その音の源がなにか分からなかった。そんな音のする何か。
聞こえるはずのない、その音。だが、モニターに映る初号機の姿を見て心のどこかが落っこちたような、その音を聞いた。




初号機の「角」が折られていた。




こうなってみると、初号機も、目つきの悪い紫カワウソのようだ。丸坊主にされた感じで愛嬌があるといえなくもない・・・・・・

使徒はそれにもかまわず、ほろほろと逃げてゆく。初号機はそれを追わない。

「シンジぃ・・・・・・?」
「シンジ君・・・・・・?」
「碇君・・・・・・・・・」

はて、サード・チルドレン、初号機パイロット、碇シンジはどうしたのやら。
誰しも口には出さないものの、そんな表情をしている。使徒はひとまず退散した。が。
アンビリカル・ケーブルは接続したまま。電力が切れたわけでもあるまい。

疑念に対するその、返答は。人々の背筋を一瞬にして凍らせる。



うぎゃああああああああああ



碇シンジの苦痛に悶える叫びが、発令所にこだまする・・・・・・それは、魂の返り血

べったりと天井に染みついて、おちることはない