うぎゃああああああっっっ




碇シンジの、号叫。エントリープラグ内で、眼をおさえて激しく上半身を震わせていた。瀕死の獣のように、筋肉の反射に無軌道な命令が送られ続け、ビクっビクっと意味のない痙攣の姿が発令所内に曝し続けられていた・・・・・




「痛いっ、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛いっ、痛いよう・・・・・」

プラグ内でなければ、転げ回っていたであろう、尋常でない苦痛を味わい・・・・
血の匂いのする水の中で、碇シンジは溺死しかけていた・・・・・



「葛城一尉」
はじめて、渚カヲルが打擲するかの如くの烈しさで他者を威覚する。


そうでなければ、誰も動けないほどの・・・・・・・碇シンジの阿鼻叫喚



真っ先に碇シンジの苦境を救うべき葛城ミサトは・・・・その叫びに直接、心を抉られて小娘のように、顔を青白くしてモニターを見上げることしか出来なかった。





「強制停止信号を打ち込んでおけ・・・・・・今の初号機では暴走の恐れがある」
実の息子が、これだけ藻掻き苦しむ有様を直視しながら・・・・総司令、碇ゲンドウの命令にはいささかの乱れもない。



「マヤ」
「はっ、はい・・・・・・強制停止信号、送信。受信確認、エヴァ初号機、活動停止しました」
モニターを直視することも出来ず、赤木博士に背中をさすられるようにして俯いたまま、キーボードに命令を走らせる伊吹マヤ。



角の折られたエヴァ初号機は、糸の切れた木偶人形のようにその場に崩れ落ちた。
人間に限りなく近い構造をもっているだけに、突如、動きを停止せしめられると、そのようになる。




その姿を見下ろす、エヴァ弐号機と、エヴァ零号機。
光学レンズ眼は、いつもと変わらずエヴァ初号機の姿を映しているはずだ。
今はただ、その動きを止めているだけで・・・・ケージにいる状態と変わらないはず。



「なのに・・・・・・・なんで、こんな・・・・・・」
惣流アスカは最後の一言を口に出せなかった。足下から忍び寄る冷たさに、震えていた。



エヴァ初号機がこんなにも弱々しく見えること・・・・・
その中で泣き叫ぶシンジに何もしてやれずに、一歩も近づけないこと・・・・・



みわたす限り、弱さだけがここにある気がした。







弐号機と零号機により、初号機は回収される。碇シンジは意識不明に陥り、集中治療室へ。







EYES
EVANGELION




episode15 eye of the beholder








うぎゃああああ・・・・あれ?




原因は全く不明だったが、碇シンジの様子はすぐに沈静し、担ぎ込まれた集中治療室で呆れられるほど、「あ、痛くなくなりました」・・・・あっさりと診察台から起きあがった。



ネルフの医療スタッフは超一流であるし、モニターの中で狂い回っていた碇シンジを科学者の視点で見ている赤木博士もきていた。あの有様はとても演技などというものではない。ただ、あらゆる医療機器や長年の医師のカンも「この子のどこに問題があるの?」と告げていた。先ほどの激痛など、夢まぼろしだったように、その痕跡がない。


痛みを感じているのは、本人であるのだし、その本人が痛い、と言えば痛いのだろうし、痛くなくなった、といえばそうなのだろう。
とりあえず、めでたしめでたし、だ。



けど、これはどういうことなの・・・・?

赤木博士は疑念を覚える。
初号機が損傷した部分は・・・・外部装甲の一部、「角」なのだ。
鬼の子じゃあるまいし、サード・チルドレン碇シンジに角に対応する感覚器などない。
機械的にも、角の部分にはセンサー類を二、三、埋め込んではあるが、さほど重要なパーツではない。戦闘において、船戦で使用された衝角の様な効果を期待したわけでもない。
そこを折られたからといって、何故、そこまでの激痛を覚えるの・・・・?



右手をグシャグシャに巻き砕かれてもほとんど動じなかったというのに・・・・
それはそれで、脅威というべきだが・・・・・
シンジ君とエヴァ初号機のシンクロは・・・・他のチルドレンとは・・・異なっている。



今さらながら、だが、こう結論づけるしかない。
だからこそ、碇司令がこの人類火急の刻に呼びつけたのも分かる。



アキレスの踵・・・・・ふと、そんな言葉が浮かぶ。
無敵を誇ったアキレスが踵だけは弱く、そこを狙われて負けたか死んだかいう神話だ。



すぐにその考えも捨ててしまう赤木博士。シンクロ状態が異なっていることと、角が弱点であることは重なる部分があるにせよ、同一ではない。安易な理解は自滅の元だ。
科学者として怠惰とさえいる。



だけど、その兆候はあったのだ。いくつか仮説もたてている・・・・度重なる使徒の来襲と葛城ミサトの妨害と碇シンジの逃亡に、詳しく調べられずにきたが・・・・・
もうなりふり構っていられない・・・・・今回はじっくりと調べさせてもらおう・・・。



他のチルドレンと比べても、「これ」だけは抜きんでて特殊だと思っていた・・・・
以前の証拠・データーもある。現に今回、彼は苦痛に眼をおさえていた。



即断はできないが・・・・・シンジ君の特異なシンクロの源は・・・・・・・にある?



シンジ君の「視野」は、もしかして・・・・・・・




しかし、赤木博士の予断は粉々に砕かれるはめになる。




ぺた、ぺた、と裸足のままに碇シンジがやってきた。ふらつきもなく、まず、安心だ。


「なにごともなくて良かったわね、シンジ君。少し、驚かされたけれど?」
眼球や、その他視覚などにも問題はない。全くの健康体だ。精神的なダメージがあるだろうが、そのあたりはミサトにまかせましょう・・・。


と、それでも普段よりかなり声色がやさしい(1.75倍くらい)赤木博士であった。


「使徒は・・・どうなったんですか?ミサトさん」



「?・・・・・ミサト?」
ミサトが入ってきたのだろうか、と辺りを振り向いてみる赤木博士だが、その影はない。

それに・・・・碇シンジの目線は、まっすぐ赤木博士に・・・・あるのだ。
視覚には問題はなかったはずだが・・・・・・これは・・・・・・



あの一撃で壊されたのは、角だけではなかった。



粉々に打ち砕かれたのは・・・・・・世界を認識し形作ってゆくイマジン、心の眼。



十四年の歳月をもって形成されてきた、幾百の人の面影グラス、瑠璃夜光、それが一時に幾千の破片に解き放たれた。グラスを翳すだけで反射のように知れた人の姿が、今や世界一困難なパズルと化して、碇シンジの手の中にある。





そのことが分かったのは、およそ一時間後。診断書のサインには赤木、と記されて在った。今回の戦闘に出撃した弐号機パイロット、惣流アスカと零号機パイロット、綾波レイにも強制で診断が行われることになった。碇シンジの状態を聞かされぬままで、惣流アスカなど憤懣やるかたない様子だったが、葛城ミサトが珍しく、声を荒げて黙らせた。







停止するエレベーターの内部。


総司令官執務室に向かう赤木博士と葛城ミサト。
エヴァ初号機パイロットがこのような状態に陥った以上、即時報告の必要があった。
階数パスコードの入力されない理由は、せめてもの情けか。

赤木博士はかいつまんで、しかし、手加減なしに碇シンジの今の状態を教えてやった。

碇シンジの視覚自体には異常はない。外界の映像をそのまま水晶体に映し、脳に送って処理されている。眼球に傷がついているわけでも、濁っているわけでもない。集中治療室の様子はそのまま捉えることが出来る。つまり、見えている。部屋の間取りはどうなっているとか、そんなことは分かるのに・・・・・人の姿を「取り違えて」見せている・・・・というか、見ている、というか・・・・精神的なものなのか、機械的神経的なものが原因なのかそれはまだ不明だ・・・・・・



先ほど、赤木リツコ博士の姿を、葛城ミサトだと言った・・・・見知った人間をその当人だと「見破れない」・・・・・忍法で化けてでもいるかのように、碇シンジには信じられない世界になってしまったわけだ。

これが、知らない人間、初対面の人間であった場合はどうなのか・・・・・碇シンジの方に確認のしようがないだけに・・・・(途中、写真で確認させたらどうか、というアイデアも医療班から出されたのだが、無駄であった)・・・・後の詳しい調査を待たれる。

惨い話だが、惣流アスカ達を磨りガラスの向こうから碇シンジに視認させてみたところ、やはり残酷な事実が分かった。誤認現象は(赤木リツコから葛城ミサト、葛城ミサトから赤木リツコ等)対応パターンになっているのかと思いきや・・・・・・・



とんでもなかった。葛城ミサトほどの人間でも、一瞬、息が止まった。




「続けるわよ?」

かけられる言葉はあくまで冷静。激情に身を任せるのは葛城一尉の自由だ。

「ええ・・・・・」

問題は・・・・ふたつある。赤木博士はさらに手加減しなかった。
一つは圧倒的に悪いこと。もう一つは・・・・快方に繋がるかも知れないが、実は悪化に繋がるかも知れないこと。それも配分は三対七・・・だ。



階数パスコードを入力する赤木博士。稼働を始めるエレベーター。



原因は未だ分かっていない・・・・・・つまり、いや・・・そして、更にこれだけでは済まない可能性が高いこと。エヴァとのシンクロは勿論だが(赤木博士はこの時点で碇シンジの初号機の搭乗をほぼ諦めている・・・シンクロ可能であっても。他の要因をもって)通常生活の視覚への影響・・・・対人間への誤認が、対全視界へと悪化してしまったら・・・・(受動と能動が未だ判別されていないが)それは脳に異常を及ぼす、ということだ・・・下手すれば生命維持に欠陥が生じてくる危険性もある・・・人間の体はある意味、バランスで成り立つだけの、とても弱っちくデリケートなものだ・・・・あの号叫は、体の全細胞があげる悲鳴だったのかもしれない。
来るべき命殻カタストロフィに嘆き苦しんで。




碇シンジは暗闇に煮炊きし暮らすことになったのではない・・・・百万の光輝(ぞはる)に囲まれながら、泳ぐように彷徨うことになったのだ。
それは、いまだかつて誰ものぞいたことのない万華鏡・・・・・。
ほんのすこし、首をゆらした程度で、つぎつぎと世界が切り替わっていく・・・・
それは、さめることのないマハラジャの夢・・・・・




たとえ、対人誤認の状態で自然に治まるなり、ある種の薬品で悪化を封じてみたとしても、人とのコミュニケーションがとれない・・・・その状態でどうやって生きてゆく?
好きな人間を好きに「見れない」・・・・嫌いな人間を嫌いに「見れない」・・・・・
今、自分の前にいるのが誰なのか・・・・・「分からない」・・・・絶対に。



カチコン、カチコン、カチコン、カチコン・・・・・・・
ギザ円盤が階数を刻んでいく・・・・・



これが使徒のコア攻撃による、副作用か主作用か、これまた初号機の損傷具合を詳しく調査せねば分からないが・・・そういうものであった場合、非常に危険だ。
使徒に、人間の心が理解できるようには思えないし、扱いに細心の注意が必要なこの分野に今回の使徒が向いているとは思えない・・・・つまり、適当な所でとどめてくるような匙加減が期待出来ないからだ。人の心に興味をもってくるような知性的なタイプではないわ・・・・・外見で判断するけど・・・。
言ってみれば、「精神毒」・・・・ATフィールドをやすやす破ってくるところを見るに、そのような能力が込められているのではなかろうか・・・・反発能力の他に。



しかし、まだ別の原因も考えられる。・・・・・後天的な・・・碇シンジ君の精神的な問題だ。人の心は弱い。シンジ君の心も・・・・お世辞にも強いとは言いかねる・・・弱い。思いも寄らない大ダメージと激痛を負ったシンジ君は、無意識に「エヴァに乗るのはもうイヤだ、懲り懲りだ、逃げたい・・・・」と強く感じ、体にそれが刷り込まれてしまった・・・・・それを防御する鎧がプライドや使命感、闘争心だったりするのだが、それが透き通るくらい薄い初号機パイロットには破心痛恨の一撃だったのだろう。
あっさりやられて、日和ってしまう。物がうまく見えないなど、絶好の言い訳である。
意識がそう考えてなくとも、無意識がそれを命じている・・・・・。
人間を生かしているのは、意識ではない。はっきりいって「無意識」だ。
工場のようにして、自分の体を運転しきっている人間などいやしない。いたとしても、それで一日が終わってしまう。行者でなければただのばかだ。頭の中のかしこい工場長が、「こんな仕事受けてたらしんじまうぜ。たまらんぜ」と判断し、「ボイコットスト」を開始した・・・・・



そういうわけで、赤木博士は碇シンジが「逃げたい!」と思ってもべつに責めはしない。あの子も人間だったのか、とどこか近しく思うくらいだ。でも、エヴァには乗ってもらう。



カチコン、カチコン、カチコン、カチコン・・・・
ギザ円盤が階数を告げ続ける・・・・なんのための古風か




「声・・・・・・」
葛城ミサトがふいに言った。

「え?」


「声はどうなの?シンジ君の・・・・目は悪くなってても、耳は?!」
それで、見分け・・・いや、聞き分けが出来るのなら・・・・という葛城ミサトの切ないほどのせめてもの問い。人間には五感がある。視覚だけで全てを掴んでいるわけではない。
このままでは、碇シンジがあまりにも・・・・あまりにもかわいそうで、半ば力尽くで無理矢理に考え出したのだが・・・・・口にしてみると、盲点をついている気もした。



だが・・・・・



「それが、もう一つのこと。快方に繋がるのか・・・・悪化に繋がるのか・・・・・・・
そもそも・・・なぜシンジ君はエヴァ初号機を動かし得るのか・・・・

昔から考えてたのよ・・・・・・・初号機が・・・・・シンジ君が・・・・・・・・・・空から帰ってきた、あの日から。ずっとね・・・・・・」



なんで科学者という人種は・・・・こんな時に黄金金貨を見つけたような表情が出来るのだろう。どんなに隠しても内心、ウキウキしているのが葛城ミサトには分かる。
半ばその凄みに圧倒されながらも、過去の残心のゆえに、そう考える。




その昔・・・・・

闇天を支配した十二枚の雷翼



白い地獄から屹立した六枚の光翼




それを想うは、地下の世界の二人の女・・・・・・・語られる「仮説」




「psi-Trailingって知ってるかしら」

「犬とか渡り鳥とかが自分の家にきちんと必ず戻ってくる・・・・ってあれでしょ。
人間にはわかんない、超感覚的な追跡行・・・・でもそれが?」


「そう。・・・・・それからミサト、あの時不思議に思わなかった?軍人として・・・・初号機があの”高度”から”正確”に使徒のいる位置にあの”速度”で降ってきたことを」



あの水晶三角大王な使徒との戦闘のことを言っているのか・・・はっきりいって、そんな余裕はなかった。あとで輸送機と都市のセンサーからの報告を読んだ覚えもあるが、一笑に付してその数値は覚えていない・・・・いくらなんでも無茶苦茶だったからだ。

確かに、作戦が大掛かりになればなるほど・・・・細かい数値計算が必要になってくる。大打撃を与える方法になればなるほど・・・・・・我陣の被害を少なくするためにも。
三国志の時代じゃあるまいし、有能な軍人である、ということは有能な計算者であることとほぼ同義だ。



だが、世の中には「計算してもするだけ無駄」という領域がある。
敵を倒す、という目的はアナログでも、そのためにどうするかは、デジタル。こう言う事。



ちょっち真面目に考えてみると・・・・・左手もなくドテっ腹に杭が貫かれて、しかも連戦で整備もされずに長距離空輸、中にいるパイロットは硬直気絶状態、もうひとりはど素人・・・・・これで戦え!・・・・というのだから今考えてみるとこりゃ「死ね!」と同義語だ。しかも使徒はバカ強い・・・・わたしたちは鬼か・・・・・


これを戦術的見地から数的計算してみると・・・・・士官学校なら即、退学もんだわ。


さらに問題は、降ってくる間の空気の抵抗や、目標地点への角度の計算など・・・・・・空のことだが、山積みだ。マギを搭載したとしても、一瞬のことで間に合うかどうか。

もちろん、そこそこやる気があったようだが、普通の中学生、碇シンジの手に負える計算問題ではない。それは現在の学校の成績でも分かる。


言われてみると不思議な気もするが、大体、そんなことにかまけていられるほどヒマではなかったしなあ・・・・その後、「僕は帰ります」なんて言い出すし・・・・・
雷を食べて勝手に電力補給しだすし・・使徒さえ倒せばそれで一件落着なのがアナログ。



「遙か上空から降下した初号機が、第三新東京市の使徒の直上に着地する可能性はほぼ零に近い・・・・しかも、使徒を一撃で破壊出来るほどの速度となると・・・限りなく不可能に近いことを、限りなく不利な態勢で行ったシンジ君・・・・・」

四号機の”誘導”があったにしても・・・ね。

「それを行いうる・・・・・・力の源、真に注目すべきは・・・・・・」

言葉を選んでいる赤木博士。全ての負要素を集合させてもても、なおかつ。
爆発的に正の事象に転化した奇跡のエジェクト・キーは・・・
それが今回のことに繋がっている・・・・・とするのは、科学者の、カンだ。
「たぶん、彼の”視野”は・・・言い換えるなら・・・くう」



カチコン



エレベーターが停止した。目的の階に到着したのだ。


無慈悲に開く扉。そこには・・・・・・二人の人物が立っていた。


ネルフ総司令、碇ゲンドウ

ネルフ副司令、冬月コウゾウ



「手間が、省けたな」










碇シンジは赤木博士の指示により、そのまま医療棟に送られた。
入院だ。長期になるか、短期になるかは本人と総司令の判断の具合による。

ネルフに来てより、今までさほど縁のなかった病院生活を送ることが多かった碇シンジだが、また、そういうことになってしまった。今回は理由が自分でも納得できるものであるから多少は心安らかになれるだろうか・・・・・



「僕は一体、どうしたんだろう・・・・・」

そうでもなかった。碇シンジはひどく悩み、心配していた。

あの、頭にチルドレン殲滅用の特製黄金の太い杭をハンマーで打ち込まれたような大激痛。それが消えると、今度は体中の血が眼窩からドバドバ噴き出していくような、とてつもない痛み。失う、ということが心が冷える程度で済まないのを思い知った。痛い。
一瞬、これで死ぬのだろうか、とさえ思った。一瞬、しか考えられなかった。
ただ、ひたすらに痛い。頭だけを切り離せたら、どれほど楽だろうか、と本気で願った。それもまた一瞬のこと。とにかく痛い。苦痛はそれだけで世界を完結してしまう。


とにかく、自分が痛いのだ。他のことなど考えていられない。この痛みをどうにかしてほしい・・・・・自分では多分、どうしようもない。ひたすら救ってほしかった。



たとえケモノのように叫んでも。



なんで、これほど深く大きな痛みを感じるように出来ているのだろうか。人の心も体も。
考えることになにか人間の価値があったり、状況を好転できたりする知恵を生んだりするというなら、何も考えられない、苦痛にある状態というのは・・・・無駄な気がする。
とにかく、こんな痛い思いをするのはまっぴらごめん・・・・僕はそんなに強くない。
人の心にもクラッチがあって、接続が切れるようになればいいのに・・・・・痛い痛い。
少しの痛みならば、壊れる前に逃げるよう、体を守るために必要なのだろうけど、こんな大きな痛みは・・・・・耐えるためだけのものなのか・・・・・僕はお坊さんでも神父さんでもないから・・・・試練なんていらないのに・・・・

珍しく、そこまで碇シンジが考えたのには理由がある。
この痛みの源・・・・・どこで痛みを感じたのか分からなかったからだ。
体には・・・・特に頭部、眼には外傷は、無い。傷一つ、ない。嘘のように。

じゃあ、なぜ痛みを感じたのか・・・・・神経が痛い、と決めたのか・・・・・それとも。

心が痛い、と感じたのか・・・・・・心の痛み・・・・・あれほど獣のようなものが自分の裡にある・・・・?血の赤で塗りつぶされたような生々しい・・・・モノ




そのうち、痛みが嘘のように消えた。



痛みが一瞬で、すーっと波がひいたように消え去ったときは、生きてて良かった・・・と心の底から思った。それが通常の状態であるにもかかわらず、そう思った。


ようやく、ものを考える余裕もできた。ここは・・・・・エントリープラグじゃない。
病院、・・・・だろうか。当たらずとも遠からず、担ぎ込まれた先の集中治療室だった。プラグスーツは脱がされて、手術衣のような・・・・手足がベルトで固定されていたりする・・・・・暴れた覚えはないんだけどなあ・・・・・「あ、あのう・・・・もう、痛くなくなりました・・・・」周りのお医者さん(だろう)たちが目を丸くしていたっけ。
それでも括りつけられたのだから、手際がいいんだなあ・・・・・まな板の上の鯉だね。


・・・・そんな場合じゃなかった。使徒はどうなったんだろう?
戦闘続行中なんだろうか・・・・カヲル君がいないからアスカと綾波さん二人だけで?


あ、ミサトさんがいる・・・・と、いうことは、戦闘は終わったってことだよね。
二人でどうにかしてくれたんだ!さすが。でも、詳しい様子をきかないと。二人とも・・・怪我なんか・・・・してませんように・・・。


「なにごともなくて良かったわね、シンジ君。少し、驚かされたけれど?」
なんだか言葉の調子が違うなあ・・・・まるでリツコさんみたいだ。真似してるんだろうか。でも、雰囲気は暗くない。うまく、治まったんだろう。


「使徒は・・・どうなったんですか?ミサトさん」




あの時、ミサトさんは怪訝な表情をしていた・・・・・・
そして、いくつか検査を受けさせられて、大事をとって入院することになった。




しばらく、帰れない。





それにしても・・・・・



・・・・・・あの人。母さんにとてもよく似た・・・・・基地の中にあんな人がいたんだ。見間違いかもしれないけど・・・ふっと、言っちゃったんだよね。やけに賢そうにみえるミサトさんは変な顔していたっけ。父さんも来てたからそう見えたのかもしれない・・。


出来れば、いちどでいいから話をしてみたいな・・・・あの人と。



喉元すぎれば熱さをわすれて、悪徳政治家でもあるまいに「謎の緊急入院」慣れしている碇シンジは悩み心配するのをさっさとやめて、別のことを考え始めていた・・・


だが、普段とは違い、その表情にはどこか翳りがあった。と、思う。









作戦会議室には、チルドレンが集められていた。当然、碇シンジをのぞいて。


「それで!シンジの具合はどうなの!?」
血相を変えて葛城ミサトに詰め寄る惣流アスカ。この場に碇シンジは来てない。初号機のあの尋常でない状態に、自分達まで急遽、検査診断を受けさせられたことを鑑みるに、初号機パイロット、碇シンジの状態が思わしくないのは・・・・・バカでも分かる。



葛城ミサトの表情は重く・・・・・・硫黄のため息をもらしていた。


「まさか・・・・・死んだんじゃ・・・・・・」
呼びだしておいてなかなか口を開こうとしない葛城ミサトに、不安と焦りと不吉な予感を炸裂させて縁起でもないことを言い出す惣流アスカ。



「バカなこと言わないでよ・・・・・・体には異常ないわ・・・・・」
ここまで言われてようやく、話始める気になったらしいが・・・・この様子だと、碇シンジの身になにか・・・・とんでもないことが起こったらしい。
チルドレン三人は、今まで間近で碇シンジと初号機の、象に踏まれてもティラノザウルスに蹴られてもダイダラボッチにトップロープからボディープレスかまされても死にそうにない不死身の無敵ぶりを見てきただけに、葛城ミサトらしくもない、そのひっかかる物言いに戦慄を感じた。



「・・・・・精神的な・・・・・ものですか」
例えば、記憶喪失・・・・精神世界の在りように異常も正常もないことを知っている、またはそこに一線を引くことに興味のない綾波レイが青白い波のように尋ねる。
だが、その綾波レイが他のふたりにさきがけたのは・・・・・・・。


「・・・・・・・・」
渚カヲルならば、赤木博士の思考もある程度はトレースできる。そこに独自の解釈を加えて。四号機のパイロットでもあるこの少年はさらに近い場所にいるかもしれない。



「そういえば・・・・あの時、シンジ・・・・眼を押さえてたけど・・・・・・!!」
この自分が駆け寄ることさえ出来なかった・・・・・苦すぎる光景を思い起こす惣流アスカの脳裏に最悪のイメージが走り込んでくる。ノド潰されるような圧迫感が・・・きた。



使徒・・・・・それは人類の想像を超える存在である。目的は不明ながら、人類の敵。
人類に・・・その中の一人の人間にいかなる打撃を与えうるのか・・・・・
または。その代償に、何を取り上げていくのか・・・・・・




葛城ミサトの説明したことは、子供たちの予想を遙かに超えていた。


碇シンジの眼は、まともに機能していない・・・・・対人確認において。

赤木リツコは葛城ミサトに見える・・・・・・綾波レイは渚カヲルに見える・・・・・・

渚カヲルは綾波レイに見える・・・・・伊吹マヤが赤木博士に見える・・・・・・




まるでポーカーの好きな酔っぱらいだが、これだけでは済まなかった。
なにせ急なことで人数を集めて調査したわけでないのでまだ、それほどハッキリしたことが分かったわけでもない。どちらかといえば、人文系にも強い霧島教授の領域であろう。



ただ・・・・・・この時点で既にとんでもないことが判明している。



赤木博士が、この「病状」が、「現状維持」で済まず、「悪化の可能性濃シ」、としたのもそのためだった。原因解明に「短期」でなく「長期」かかる、と予想立てしたのも同じく。



アマゾンの密林をザンザカ切り開いていく山賊刀の精神の切れ味をもつ葛城ミサトが言い渋るほどの事態とは・・・・・一体・・・・・・しかし、かろうじて口をひらいた。




「今のシンジ君には・・・・・わたしが碇、ユイさん・・・・・つまり、シンジ君のお母さんね・・・・に見えるらしい・・・・のよ。これが・・・・・・」



葛城ミサトは「泣くよりも」困った顔をしている・・・・・・



すい・・・・と綾波レイが、さあ・・・・・と渚カヲルが、唯一人残った方を見た。



惣流アスカである。碇シンジにはどう見えるのだろうか。



「な、なによ・・・・・・別に知りたくもないけど・・・・要するに眼の錯覚でしょ。
そんなの・・・・あ、アタマ叩かれすぎてちょっと脳に来てるだけよ!。スグに治るわ。
と、ととにかく!あのバカ、生きてることは生きてるわけね?」



すい・・・・と綾波レイが、さあ・・・・と渚カヲルが、一人残った方を見ている。



惣流アスカはぎくしゃくと、回れ右して帰ろうとした。なんか、いやあな予感がする。
順当でいけば・・・・・ファーストが渚で、渚がファーストなら・・・・・まさか、ドッペルゲンガーじゃあるまいし、自分の姿が向こうに見えるってこともないわよね・・・・見間違うって言っても限度ってものがあるだろうし・・・・アタシなら、ちょっと雰囲気が違うけど背格好からして・・・・ヒカリ・・・・でも、本部内で見かけたことはないはずだから・・・・・もしかして・・・・・


色々と無駄な推理をしている惣流アスカ。人生は推理小説と最もかけ離れている。
奇、ではないからだ・・・・・残念なことに。また、ドカンと一発・・・・・・



霧島娘(キリシマムスメ)マナ?!・・・・・多分、そうだ・・・・・なんか頭くるけど。
碇シンジはそーゆー奴だ。あのバカに会ったのは人生最大の失敗だわっっ!
結局、心配するだけ時間の無駄なのよ・・・・。
なんであんなバカのために頭使ってやんなきゃならないの・・・・・このアタシが。



すい・・・・と綾波レイが、さあ・・・・・と渚カヲルが・・・・葛城ミサトの方を見る。




「で・・・・・?アタシの姿は誰に見えるんだって?あのバカ」
”あのバカ”が使徒にやられて絶叫したことなど、三億光年向こうに送ったようなしゃーしゃーとした表情で振り返って聞いてみる惣流アスカ。一部、顔がこわばっていたが。




「碇司令に見える・・・・・

らしい・・・・・

んだけど・・・・・・聞いてる?アスカ」




聞いてなかった。



「眩暈がしてきた・・・・」