「箱根は敵の手に陥ちたか・・・・・」



ネルフ本部 発令所


中央モニターには、例のヤジロベエ型使徒が大写しに映されていた。


そこは箱根の温泉地、先日の死闘で退散したはずの使徒は、なんとそこで温泉につかりながら傷を癒やしていた。その気があろうがなかろうが、箱根は使徒に占領されたも同じだ。
だが、建物への破壊活動や地域住人への殺戮等を行う気はないらしい(こうなればとっくに住民は避難しているが)・・・・温泉ノレンの虚しくはためく箱根の街でひたすらその身を休めているだけだ。箱根を守る「ハコネゲリオン」なんてのがいれば良かったのかもしれないが・・・・。



現在のところは。

ネルフから派遣された勇気ある調査隊からの報告によると、亀裂の入った使徒のコアは順調に回復していっているらしい。なにせ構造が単純なだけに、コアさえ治ってしまえばすぐに第三新東京市に再侵攻してくるのは目に見えている。碇シンジの初号機にしてやられたことを怒り、復讐を企んでいるように見えるのは赤いからだけではないだろう・・・。
鉱物質にみえた光球体はいまや、醜くぶよぶにょと蠢動しているのだ。
戦闘意欲剥き出しの呪いの心臓をおもわせて・・・・・。



「この調子で自己回復していけば、十日もせぬうちに完全に元の状態に戻るでしょう」
とは、現地に飛んだ霧島教授の見立て。恐らく、外れまい。



「止めが足りなかったからな・・・・」
発令所にて、ネルフの、そして初号機の初陣、第一次直上会戦のことを回想する冬月副司令。あのときは、ほぼ瀕死の状態までダメージを与えていたため、逃げられても魚の餌になる最後が待っていたわけだが・・・・今回は。
正直なところ、横で座っている総司令の碇ゲンドウと同じく、冬月コウゾウ副司令も、特に箱根を愛しているわけでもなかったから、箱根が使徒の手に落ちようと、温泉にこの先客が集まらなくても、いっこうに構わないが、問題はそんなところにはない。



浅間山の一件で研究する度胸もなくした戦自幕僚会議から、ピーピーと「なぜ、使徒に回復する時間をわざわざ与えておくのだ!!(箱根の住民には「多少」我慢してもらい)、早急にエヴァを現地に投入し、使徒を殲滅しろ!!」
と、このような通信がひっきりなしに送られてくる。



「ひまな奴等だ・・・・・・」
では、君達でなんとかしてみせたまえ、と言い返すほど冬月副司令はひまではない。
当然、その程度のことはとっくに検討済みだ。
箱根には、当然のことだがネルフのエヴァンゲリオンが戦うように出来ていない。内蔵電源で数分。これが、外地に送り出した時のエヴァの活動限界。例外も一体、あることはあるが、使用不可だ。
数分でカタをつけられる保証はどこにもない。二体がかりだとしても。

エヴァは第三新東京市でこそ、最大の能力を発揮するように出来ているのだ。
現地で暴れ回っているわけでもない以上、わざわざ不利な地を選ぶ理由もない。



それから、使徒も馬鹿ではない・・・・単純構造だが、馬鹿ではない・・・・・。
もし、応戦も出来ぬ程の状態であるなら、わざわざ第三新東京市から近い・・・・すぐに察知されるほどに・・・・箱根で傷を癒やすことはない。見つかりっこない遙か彼方の遠方で休むのが、当然の理だ。そして・・・・・
「”手負い”の生物に手を出すには、その生物を知り尽くし、準備万端調える必要があります。使徒という未知の存在に対して、我々の持ちうる時間はあまりに少なく貴重です。
百パーセントの勝機がないならば、うかつに討って出て、この時間を無駄にするべきではないと思います。・・・次の使徒に備えるためにも」
霧島教授の報告書の末尾には、このようなことが記されていた。


作戦部長、葛城ミサトにしても観点は異なるが、ほぼ同意見。付け加えるならば、手負いの状態を攻め込んで、先ほどとは異なった戦闘パターンをとられるのが「怖い」という点か。碇シンジのことがあっても、その戦術駆け引きの冴えは死んでいない。


赤木博士は、使徒の攻撃方法とチルドレンへの身体的影響との関連が解明されていない点をあげ、箱根投入へは反対。加えて弐号機の調子も多少、おかしいらしい。




ただ・・・・・

もし、エヴァ初号機が健在ならば、エヴァ四号機があれば、これらの意見がどうなったかは定かではない。・・・・・・誰も、会議席上では口に出しはしなかったが。






赤木研究室


「それは、”家族”ということじゃないの?」

碇シンジの目に、葛城ミサトと惣流アスカがまるで別の人物に・・・・・母親と父親に見える、というこのタチの悪い冗談のような現象についての、赤木博士のコメント。


「シンジ君が心の奥底で何より望んでいる、人間関係・・・・・・それが意識の騒乱の中で表に出てきたのだとすれば・・・・・他人より近い位置にある、あなた達がそのように捉えられてしまうのも・・・・仕方のないことなのかもしれないわ」



「仕方がないっつってもねぇ・・・・・・・」

葛城ミサトの言葉には力がない。



あれから三日経ったが、碇シンジの様子は相変わらずだ。身体的にはなんともない・・・・・と言うのも語弊があるが、負傷しているわけでも、意識が戻らないわけでもない。
無責任で便利な言い方をすれば、「まともではない」状態なわけだが・・・・。

いつまでも病院に閉じ込めておくわけにもいくまい。
そろそろ別の口実が必要にもなってくる・・・・・。



が、回復する見込みは現在のところ全くなし、打つ手なし、手がかりなしの、三無し状態。

無用の刺激を避けるために、面会謝絶の状態になっていた。今ごろ、一人の病室で・・・・・・・「何やってるんだろう・・・シンジ君・・・・・」あの時のように、虚ろに天井でも見上げているのだろうか・・・・胎児のようにまるまって眠っているのだろうか。




なんだか・・・・



ひどく遠くに離れてしまったような気がする・・・・・所在は知れているのに。



その原因は分かっている。・・・・・これは後から知れたことだが、アスカと自分の面影に対応するものが、シンジ君の瞳の中には「ない」のだ。どういうルールになっているのか分からないのだが・・・・そもそも、そんなものはないのか・・・・碇司令の姿は副司令の姿に見えるらしい。副司令の姿はそのまま、碇司令に。シンジ君のお母さん、碇ユイ
さんのそれは・・・・・確かめようもないので分からずじまいだが・・・・。



「現段階では、あくまで推論の域をでないけれど・・・ね」
単純な認識の取り替え現象ではすまない、と赤木博士が判断したのもその点にある。
惣流アスカと葛城ミサトの対応が無いのも、たまたま、現象の悪化が(ここまで来ると、赤木博士は”錯視”という用語を使いたくてたまらないのだが、自ら戒めている)この二人から先んじて始まっているため・・・・・と、いう見方が出来なくもない。ゆえに。
偶然である、とあまり本人も信じてはないのだが、赤木博士はそう付け加えておいた。

ほうっておくとすぐにつけ上がり、縁を切ってやろうと思ったのは十回二十回はきかない、
最悪の部類に入る友人だが、さすがに可哀想だったからだ。慰めにもなるまいが。




碇シンジ君の世界から、何の前ぶれもなく、忽然と消されてしまったわけだ。




これが、外的要因・・・使徒による精神に対する攻撃だとしたら、これほどえげつないものもない。
しかし、今は二人で済んでいるが、これが、ひとり、ふたり、と増えていく・・・・・・・・視界から知った面影が消えていく・・・という可能性も否定できない。
そして・・・・「誰もいなくなった」・・・・・推理小説じゃあるまいし。
何一つ特定できない現象に対して、心配してみたところで始まらない。時間の無駄だ。




本来のところ、葛城ミサトは碇シンジの心配などしている場合ではない。
使徒は殲滅されたわけではない。身を癒やしながら、復讐の機会を狙っているのだ。
今度こそ、完全の返り討ちにしてやらねばならない。初号機は・・・・使えない。
弐号機と零号機、惣流アスカと綾波レイの二名でなんとか出来るよう、作戦を立案しておかねばならないのだ。エヴァ三体を用いても完勝できなかった使徒相手だ。しかも、初号機の投石攻撃は僥倖といっていい、二度はない、マグレだ。本質的に、使徒に効果的な攻撃を与える手段を編み出しておかねばならない・・・・。飛び道具は・・・・さほど有効ではない。超長距離からならばまだしも、すぐさま間合いをつめられる。とんでもなく高速で動くことが可能なのだ。あのヤジロベ使徒は。反発能力を持つ、ということはそれを反転して用いれば、引き合う・・・・つまり、どこに逃げようが間合いをあけようが、すぐに近づいてこられる、ということだ。なんだ、そんなの当たり前だろ、と言われそうだが、さにあらず。問題は、「知的に判断しなくとも、反射的に移動してしまう」ということだ。相手をするのは、パイロットの、人間の乗るエヴァなのだ。エヴァの限界反応速度も自然、そこまでに限定される。いかに鍛えようが人間の反射速度はたかが知れている。動物とまともにおいかけっこしてもまず勝てないのと同じことだ。それを補うのが知恵であるのだが、知恵を持つ者は困ったことに、脳みそが一ミリグラムしかない相手でも、「知恵がある」として相手をする悪癖がある。「最低レベルの知恵、イコール、自分のほーが賢いぜ」だとしながらも、相手に知恵の存在を投影して認めてしまう。「知恵がない」とはしない、不思議な性癖がある。目の前の相手には、必ず知恵がある。そして、それをだまくらかしてやろうとする。知恵があればあるほど、その本能はつよくなる。縛鎖である。

「次は相手はどう動くか」戦闘者が優秀であればあるほど、先先読んで手を打って勝利をおさめるわけだが、今回のように、構造が簡単で、原理も単純なものであると、それが逆にネックになってくる。「押せば引き、引けば押す」なんか、奥義のようだが、これだ。単純な表題には、無限の動きのパターンが詰め込まれているわけだ。縦でも横でも斜めでも十字でも、アンタの動きよいよーに動けば、ということだ。が、構造の複雑な生物だと動けるパターンなど、その肉体的条件で制限されてしまい、結局の所、使えるのはわずか数パターン程度。無理して動けば、自分の体が壊れてしまう。しごく、当然のこと。
よく、武芸者などがわざわざ滝だの雪山だの荒波だの自然を相手にして修行するのはその鎖から解き放たれるためだろう。

訓練を受けている葛城ミサトや惣流アスカなどは、どんな奇妙に見える相手でも、見かけの奇妙さをさっさと見捨てて本質をえぐり出してしまう眼力がある。まあ、使徒相手に実行するにはそれに倍する、人類限界レベルの「度胸」・・・昔の人も本質をついているかもしれない・・・・が必要ではあるのだが・・・・。

相手が機械でも生物でも、それは変わらない。だが。

構造と原理が単純であれば、それだけとれるパターンは飛躍的に大きくなる。この場合、加速的といった方がよいか。つまり、インチキなほどに動きが読めずバカ速く動けるわけだ。それに対抗できる機体と人材はいま、幽霊をつくっている。つかえない。



つかえないから、なんとか他の手段で対応するしかないのだ。



回復の見込みがないのであるから、この危急の時に碇シンジのことを考えるのは余計事のはずである。ネルフの作戦部長は使徒が来襲すれば多くのものを預かる立場なのだから。使徒を倒して後に、ゆっくりと回復の手だてを探すなり復調を待つなりすればよい。

「悪い魔法使いに呪いをかけられたようなものね・・・・・伝書カラスの犯行声明が送られてこなかった?」
原因が分からなければ、治りようがあっても治しようはない。本人の自然治癒能力に賭けるほかはない。ただ、現在の所、碇シンジに病識はない。多少の違和感はあろうが、それは戦闘の疲労だと思っている。治る気、はないわけだ・・・・・自発的に。



「シンジ君の視界がどうとか言ってたけど・・・・・あれは一体、どういうこと?」



?・・・・・・・・顔には出さなかったものの、今の葛城ミサトの返答に多少、驚きを覚える赤木博士。一度くらいは噛みつかせて、その後、弐号機と零号機の話に入ろうかと思っていたのだが・・・・・・なんなのだろう、このミサト「らしく」ない、声の円みは。



別に、”母親”に見られているからといって・・・・・・



「・・・・・あ、ああ、あれね。また考えを纏め直しているから・・・・・シンジ君の回復の経過を見ながら・・・・機会があれば教えるわ」

「纏め直す前の考えでいいから、教えて。・・・・・・・・お願い・・・・・」
せまる葛城ミサト。

吐息が湿って熱い。・・・・・・なんなのだろう・・・・このミサトの女々しさは。
この余裕の無いときに・・・・友人として、そんな人間・・・最大級のガサツに浸かっている代わりに、時間を無駄にする最下級の愚かさとは無縁・・・ではないと思っていたけれど。既に打てるだけの手は打ってある・・・・・自ら志願してくれたとはいえ、あまり気の進まぬ手だが・・・・現時点において、確実性でこの方法を上回るものは、ない。
碇司令の承認を得ていないのが、厄介といえば厄介だったが・・・・面倒になりそう・・




苛苛してきたので、煙草の箱に手をやる赤木博士。もちろん、教える気はなかった。





一服すると、少しは気が安らいだ・・・・・・・うまくはない


「渚君と・・・・・レイに・・・・・・様子見に行ってもらったわ」



目に見える「真実」になす術もなくなぶられて・・・・、か。厄介なこと・・・・。





ネルフ本部内総合病院 脳神経外科棟


碇シンジの病室は「面会謝絶」


こん、こん、とドアがノックされた。木製だと閉塞感が多少は緩和されるだろうか。
孤独感は、それが叩かれることで少し、一時だけ、癒やされるのだが。

「どうぞー」
渚カヲルと綾波レイが来てくれたことは、前もって知らされた。急な刺激を与えぬため、ゆっくりと噛んでのみこむ時間を与えるためだが、碇シンジはそんなことは知りはしない。

ただ、葛城ミサトと惣流アスカがきてくれなかったことが、すこし、足りなく思ったが、
「まあ、退院すれば毎日会っているんだし」三秒で忘れた。



「こんにちわ、具合はどうだい、シンジ君」
「・・・・・・・・・・・・・こんにちわ」

「来てくれてありがとう、カヲル君、綾波さん」
二人は並んでいる。そのために碇シンジの笑顔には間違いはない。
あれだけの激痛を感じた後で、さすがに病室でも大人しいものだがその額には、「暇」とある。面会謝絶を喰らっていることは知っているので、渚カヲルと綾波レイの見舞いがことのほか嬉しかったようだ。



だが・・・・・渚カヲルと綾波レイは一瞬だけ瞳を見合わせた。

碇シンジの「眼の中」を見たから。



自分達を・・・・・いや、誰も見ていない、見ていられないほどに荒れ狂う・・暴風圏
瞳の中の黒い嵐。次々と、面影という帆船が引きちぎられ呑み込まれて沈められていく。表情はこれほどまでに多少の照れと喜びに溢れていながら・・・・碇シンジの瞳だけは



夜の雲海の中で、ごうろんと下界を見下ろす・・・・・


化け物のようだった。





「これ・・・・・・授業のノート・・・・・」
「シンジ君、このバラを・・・・・・そうだね、花瓶に生けておく方がいいかな」

さすがのファースト、フィフス、チルドレンふたりもその瞳に一瞬、圧倒されてミスを犯した。対応の打ち合わせはせずとも理解していたはずだったが・・・



「?・・・・・・綾波さん、ノートを生けてどうするの?」



「え・・・・?ああ・・・・そうね」「あ・・・・・・・そうだね・・・・」





「はい、桃どうぞ」
なぜか見舞い籠が冬月副司令から来ていた。見舞いの王者、果物を看護婦に頼み、せこせこと給湯室の冷蔵庫にいれておいた碇シンジはそれを持ってきて、果汁に反応して絶対に果物しか切れない果物ナイフで器用にむくと、硝子の器に普通のフォークを差し置いた。

「あ・・・、いや、美味しそうだね。では、いだたくよ」
「美味・・・、と、・・・ありがとう・・・・」
見舞いに来ておいて、桃なぞむかせておいてはいけないのだが、碇シンジ本人がやりたいというのだから仕方がない。桃は冷えていた。糖度はさすがに副司令だけのことはある。
が、あまり味わっている余裕はなかった。実際、やってみると難しい。


食べながら、話をする。使徒も「退散した」ことだし、日常の話を。


のだが・・・・・、やはり、どうしても会話に無理が生じる。饒舌でも沈黙思考でも両方よろしな渚カヲルはよいとしても・・・。

「綾波さん、今日はよく・・・・話すんだね。ちょっと、驚いたな。もちろん、いい意味でだよ」
裏で葛城ミサトでも糸を引いていれば、台本でも作って練習させたかもしれないが、赤木博士の魂胆は直接的で、別の点にあることを考えれば、これもやむなし。
渚カヲルが黙りがちなのも、碇シンジは怪しまなかった。やはり、少し悲しいからだ。



それにしても、渚カヲルと綾波レイの苦労は相当なものだ・・・・



今の碇シンジはただの・・いつもの・・・にぶちん中学生ではなかった。
理解能力等、相手を推察する知能は据え置きのままなのだが、その瞳が空気を変じてきていた。その、何処を見ているのかわからない瞳。確かに、自分達を映しているはずの瞳。それを前にして・・・・・・背中から視線を感じる・・・・・天井から視線を感じる・・・・・・壁から視線を感じる・・・・窓から視線を感じる・・・・床から視線を感じる・・・・それも、高電圧のレーザーで穿たれているような強烈さで・・・・・四方六方を不可視の檻に封じられたような・・・・監視カメラが狂ったわけではない、もっと生々しく
精気に満ちたものだ・・・・見射抜くほどの意志が感じられる・・・・・ここが近代設備の粋をこらせた病院施設でなければ、十分に宗教的体験と言って良かった。

同時に、ぺたぺたぺたぺたっ・・・小人が肩を遊び駆けていくような、視線が撫でていくのを感じる・・・・柔らかく、頬のあたりをぴろーんと触られていく、感触。


物の怪の館にでも迷い込んだような奇妙な現実喪失感と、肌に粟生ずるほどの強烈な重圧感。その二つに左方と右方を絡め取られながら。困難な演技を続けねばならない。



「見られる」ということが、人固有のものではないと、多少でも感受性のある人間ならば詩人でなくとも理解できよう。動物に見られる、というのが理解の第一歩。見る心があるのかどうかはよく答えうる者の少なかろうが、眼球に映るのだから、科学的客観的にそういえる。この次が、植物やサイズの小さな生物、潜らない人間には関係なかろうが、魚類もそうだ。第三歩あたりから、事実認識の共有がされにくいであろうが、無生物。卑近な例をあげると、人形などだ。もうちょっと国語的な例をあげると、壁や障子などもそうだ。それから、百人に一人も分からないような、かなり偉大な例をあげると、天、星、山、太陽など。大地とか、海。これは宗教的情熱に取りつかれているか、大王並に自意識が過剰でないと、なかなか到達できない領域だろう。

ともかく、実際にむこうが「見ている」のか、単なるこちらの「錯覚、思いこみ」に過ぎないのか・・・・ただ、「視線を感じる」だけなのか、客観的に判断は下せない。
現在の碇シンジの状態は、百人が百人とも「まともに渚カヲルと綾波レイを見ていない」と言うだろう。それは正しい。取り替えて見ているなんて、巫山戯ているのか。
しかし、碇シンジは大真面目で二人の前に居る。そのようなことを夢にも思っていない。

ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、瞳孔が激しく拡大する。



退屈なところに見舞いにきてくれた、友だちを見ている。そんな、当たり前の目。



シュハー、シュハー、シュハー、シュハー・・・・・瞳孔は収縮を繰り返す。


だが、視線は、どういう生体機構の誤作動なのか、百倍にも千倍にも電圧を加算された挙げ句に、周囲の空間に拡散し、血走るように根根渡り、見境もなしに感電死に至らそうとしていた。その電気変換の狭間から生まれた名もない雷精の子供がいいように怪奇現象を引き起こして遊ぼうとしている。このまま、その瞳を放っておけば、そのうちもっと恐ろしいものを呼び出しかねない・・・・・・ここが日本でなければ、民族学的にそれは
こう呼ばれる。



「邪眼」

と。

いーん・・・・・・・・・・・・・・・・・


頸動脈近くに、三日月を真似て造られた鋭い刃物を構えた灰影を感じるふたり。

錯覚に過ぎないことは理解している。ここには三人しか居ない。

綾波レイの役を演じる渚カヲル、渚カヲルの役を演じる綾波レイ、そして。





渚カヲルと綾波レイのふたりは心の中で、同じ言葉を唱えた。







コンフォート17マンション 葛城家 リビング

惣流アスカが特殊な偏光ゴーグルをかけながらビデオを見ていた。
無論、娯楽でもなんでもなく、先の使徒との戦闘記録である。
予想される現実、使徒の再侵攻に備えて、データを組み上げて勝利の方程式を導いている所なのだ。偏光ゴーグルは細かな戦闘状況、観測センサーからの報告、などを一々分厚い報告書を捲らずとも情報をトレースして、画面を観ながら調べられるという便利な代物だった。情報処理の高度な訓練を受けていなければとても使えるものではないが。




見始めて二十五回も映像を繰り返し再生させていた。

今が二十六回目。だが、覚え書きはいまだ白紙のまま。
万年筆もその手にとられることはない。青い瞳はほとんど瞬きもせずに。




夕方になるが、今日も碇シンジは帰ってこない。葛城ミサトも遅くなる。


ペンペンが冷蔵庫から起き出し、お気に入りの夕方のニュースを見ようとする。
てってっ、と歩み寄ると、コントローラをとってニュースに切り替える。
時間はちょうどで、若い女性キャスターがにっこり笑って挨拶している。



「・・・・・・・・・」



ペンペンは隣に座って”今日の出来事”などを文字通り鳥観し始めるのだが、惣流アスカはそれを咎めるでも怒るでもない。じっと画面を見続けていた。



一時間してニュースも終わった。ペンペンは一風呂浴びに去り、惣流アスカもようやく偏光ゴーグルの電源を切り、画面から目を離した。外も薄暗い・・・・



「ふうっ・・・・・・・」

・・・・・戦闘データのことなど殆ど頭に入っていない。心の一部分が膨れ上がって、頭が上手く働かない。たった一言が心に棘のように食い込んで、しつこく気を惑わす。
追い払おうとしたが、すればするほど、それは大きく膨れ上がり血液まで濁ってきぞうな感じがする・・・・逆に脳は氷を直接当てられたようなイヤな寒気がある。

碇シンジのことが心配だとかいうのならば、納得は出来ないが納得する部分もあるのだが・・・・・そうではない。そんな立派なものじゃない。
自分でもこれには・・・・気づいて愕然とするのだが・・・・・あまりのちっぽけさに。




「他人にどう見られているのか、考えるのは、恐怖である」




今は鳥さえもいないのだから、自分自身にだけ吐露するのだが、この粘液性の高い思いが心の奥の泉でペンキをねちょねちょさせて原色に乱濁らせている・・・・。


今までそんなことを考えたこともなかった・・・・・いや、あったにはあったが、それは怪談話のようなもので、いくら恐ろしくとも、曖昧模糊として実感の伴わない、伴ったとしても、すぐさま打ち切ることの可能な、流動性の高い、簡単なものだった。


これは、何種類かある人間の心に仕掛ける罠の中で、最も有効性の高い一種である。
もっと高度なものを看破する訓練を積んだ惣流アスカにとっては、これも知能精神テスト百問の中の一問くらいにしか過ぎない・・・・・はずだった。



そんなもんを恐ろしがるのはガキか、自分に自信がない証拠。
どう見られようが自分は自分、他人の目なんか知ったことか。
心の内なんか知る必要も知られる必要もない・・・・・成すことだけを見確かめて。



「人間は内省ということが出来るようには造られていない。それは単なる幻想。
他者の存在だけが正確に自分を映す鏡になる。だから・・・・・恐ろしい」



こちらが百パーセント自分の情報を提供し、なおかつ、相手に百パーセントの対人物鑑定眼と透徹にして無私な心情を組み合わせた場合のみに・・・・まず、不可能だけど、これが最低必要条件でしょ・・・・・正確なコミュニケーションが生まれる。奇跡でもないかぎりそれがなし得ないのだから、番号札さえもたされず、百階のビルを彷徨うことになるのは、当たり前だのクライスラーなわけ。




強気で自分を説得しようとしても、ひたすらに、その棘は自分の裡深く潜り刺さり続けていく・・・・その先端は何で出来ていて、どんな形状をしているのか知らないが、頭に来るほどに器用に自分の記憶をほじくり出してくる・・・・・



「想像力だけが、正確に心を傷つける」



日本に来てから、いろんな人間に会った・・・・・・ネルフ本部で・・・・学校で

その人達に自分はどう見られているのか・・・・・・エヴァ弐号機のパイロット、セカンド・チルドレンとして?・・・・それは、エントリープラグの中にいる自分。
不思議なことに、そのことは、今はさして気にならない・・・・・
それは、自分にとって良いことなのか、悪いことなのか。



このようなことを、ぐじと考えてしまうあたり、惣流アスカの精神状態も安定しているとは言い難かった。心の窯の火温が下がってきている。



いや、そこに預けられなくなっているだけ・・・・・その一点で片づけることが出来なくなっただけ・・・・損をして弱くなったのかもしれない・・・・それだけ楽ができない。よりたくさんのものが目に入るようになるのは。いいことなのだろうか?
命題に向かって、一点のみを見つめて、強く走り続けるためには・・・・・不必要かも。




葛城ミサト

その名が思い浮かぶ。その顔が思い浮かぶ。その声が思い浮かぶ。
なんで、あのとき、ドイツに行ったのか。どうして。
あのときのミサトの目にわたしは・・・・どう映っていたの・・・・・・・

今から考えてみると死にたくなるような無様な・・・・写真なんか写されていたら地獄の業火で焼きたくなるような惨めな表情をしていた・・・・と、思う。

それでも、一生わすれることはない。
答えを、そのときにもらったから。




それは、今、直面している問題、碇シンジに当てはめることが出来るだろうか。


惣流アスカと碇シンジの関係は、実のところ、この年齢で同居しているわりには、とても複雑なものがある。何かの間違いで、はずみで、一緒に住んでいる、という方が「正しい」かも知れない。この三人に、同居する必然性は何一つ無いからだ。



当初、惣流アスカはサード・チルドレン、碇シンジ、正確には初号機、その左腕を意識しまくって・・・本人は百年経っても認めないであろうが、端的にいうと恐れていた・・・・・人間が未知の化け物を恐れるように、だ・・・・その当人と出会った。最悪の第一印象と、拍子をハズされっぱなしの第二印象。そして、天より轟来した最強の第三印象。



碇シンジにしてみれば、理由も知らずに同行してきた惣流アスカは、偉そうで賢そうで、強情っぱりな青い瞳の外国少女、くらいの印象しかなかったに違いない。同じエヴァに乗るセカンド・チルドレンと言われても「へー、そうなの」くらいのことしか思わない。



面白いように、一ミリとて印象の重ならない二人であった。
こうして出会っているのだから、縁はあるとしても、感性によほどの違いがあるのだろう。それぞれ過ごしてきた過去、人格に、男女差、そんなものがあるにしても、これはひどい。

ただ、それは強烈ではあった。おかげで今の今まで、なにかと聡い惣流アスカにほとんど碇シンジをまともに・・・と、いうか、ふつうに意識させなかったほどに。




「今まで何回、バカ呼ばわりしたっけ・・・・・・」

ぽつん、と呟く。



なぜ、バカなのだろう。サード・チルドレンであり、総司令碇ゲンドウの実子であり、教える事へののみ込みも・・・・悪くない。その素直さも手伝って、良い方だろう。


バカだからバカなのよ、あのバカ・・・・・・・なんで、こんなに速く言えるのか。
馴染んでいるように・・・・・早く。バカと言えばシンジ・・・・連想になっている。

シンジがバカだとしても・・・・・・この態度は・・・・・あまり正しくない気もする。

言われて楽しいもんじゃないのは分かってる。でも、口から出てしまう。考えるより先に。態度を決めているから。もう、決まっているから。決めかねる、迷う必要がないから。


馴れ、なのだろうか・・・


いつ、決めた?

シンジとわたしはそんな間柄じゃなかったはずだ・・・・・・・仲もよくない・・・・

ただ、エヴァのパイロットとして、利便性から一緒に暮らしているしているに過ぎない。だとしたら・・・・・なんなんだろう・・・・・この馴れは。
「他人」・・・・・・・・のはずだ・・・・・。



その思考の終末を道化が笑うように碇シンジの目には、少女の姿が父親に映る。


だが、それとてもさほど重大事でもないのだ。今は、自分の心しか青い瞳は映らない。



「どーせ・・・・・あのバカには見えないんだ・・・」







脳神経外科棟 碇シンジの病室

器を片づける、と動きが素早い綾波レイが出て行った。渚カヲルと視線を交わして。
今日は無口な渚カヲルと二人きりになった碇シンジ。そろそろ面会の時間も終わる。
暗くなる前に帰ってもらうのが礼儀というものだろう。ちょっと、さびしいけど。


「ほんとに、今日はありがとう・・・うれしかった」
なんで、人と話すだけで、こんなに足りた気分になれるんだろう。
人と話さないと、あんなにもさびしい気分になるうらがえしだろうか。

でも、もう少し日が経つとカヲル君と話せなくなるのは・・・・・やっぱり・・・・・・

それを考えると、今少しでもたくさん話しておきたい気分なのだが。



「碇君・・・・・・」
すっと近づいてきた渚カヲルが息がかかるほどに近づいてきた。

「?・・・・・いま、カヲル君・・・・」

「眼をみて」
接近に慌てることはないが、訝しさをわずかに感じた碇シンジの視線を捉えた。



「綾波レイ」が。



あまり時間がない。



「え?眼?」



ひいんっ・・・・・・・・・・・・・・・シン



黒い嵐海の中央点に、赤光が射ち込まれた。闇の水平より赤い天頂の星をよぎり精神の虚空に描く無限の子午線をあらわす。正確な一線が必要になる。以前、試した時は霧に吸い込まれるようでわずかな反射すら戻ってこなかった。



だが今回は。


碇シンジの黒い瞳が、だんだんとほの赤く光り始めている・・・・



予想通り。碇シンジを守っているのか封じているのかは分からないが、綾波レイや渚カヲルにさえ姿を見せない、普段からサードチルドレンのそばにいる不思議な何か(サムド・シング)も休んで旅行にでも行っているらしい。完全に無防備になっている。



綾波レイの視線から逃れられる者など・・・・・渚カヲルとて、完全な防壁は望むべくもない・・・・・いないはずなのだ。・・・・・心が無いとでもいうならばまだしも。
それを特殊な心術を心得ているわけでもない(心得ても無駄なのだが)碇シンジがかるがると韜晦するのは・・・・・一体。




「碇・・・・君」
瞳の赤光がいやましてきている・・・・・この状況を望んだわけではない・・・・・が



この、時を・・・・・・紅玉でつくられた魔法の小箱がひらきはじめる



「渚カヲル」が戻ってきた。もちろん、所用は二人の時間を作るために。
言葉はかけずに、綾波レイと碇シンジの間に座る。サポート役だ。
実際の所、綾波レイが何をするのか、渚カヲルは分からない。これは、世界の誰一人として追随することさえ考えられない、綾波レイ唯一人の専門領域であるからだ。
エヴァンゲリオン零号機を起動させうるのとは別に・・・・


ファースト・チルドレンには、不思議な力がある・・・・


しかしそれは、一万の人間を救おうと、公表されれば忌み嫌われ石持てぶつけられる類の力だった。深く知ろうとするのは、残酷なこと。
綾波レイの内にも、赤い瞳の「何か」がいるのだ。それを用いて、碇シンジに何を成すか。


行為が始まった以上、綾波レイの意志に委ねられている。

その不思議な力もて、この奇妙な現象を抑え、サード・チルドレン碇シンジを復調させる。
これが当然の任務だ・・・・・綾波レイも、そのために力をたまゆらに振るうだろう。


が、綾波レイは神様でもなく、女神様でもない。全てを見通しているわけではない。
思わぬイレギュラーに足をとられてしまうかもしれない・・・・不運、ということだが。

静水が突風に飛散くるように・・・・・・意識が碇シンジの中で散じてしまったら



彼女に危険性があるわけではない・・・・・綾波レイがその力の代償にどれだけのものを支払うのか知っている渚カヲルには確信がある。心理学者がいうように人の心の奥に魔宮
があるとしても、巫女がひとたび足を踏み入れたなら、そこは空なる神殿に変わる。

綾波レイは信頼に足る。能力も。そして人格も。その点において気を配る必要もない。



だが、わずかに・・・・。

相手が、今日までその赤い瞳をなんなく誤魔化し続けてきた碇シンジであることと。
今日、この病室までの通路で・・・・かすかに、綾波レイが歌を口ずさんでいたことが。

・・・・・気に、かかる。







第二東京 日本重化学工業連合ビル(社名変更しました!) 地下秘密格納庫


時田氏と開発スタッフたちは、悪魔のようなスケジュールに耐えに耐え抜いたその挙げ句の見事な開発大成功を祝して記念撮影を行っていた。この偉業は永遠に讃えられるべく、会社入り口ホールに黄金の大額縁に入れて飾られる予定であった。


「はい、いきますよー!みなさん、笑ってー!、はい、チーズ」


ぱしゃ


最高の笑顔の社長の時田氏と開発スタッフ達。そして、その奥にある、全ては入りきるわけもない巨大な鋼影・・・アングルを工夫すれば入りらないわけでもないが、これは企業の即席写真なのだ。それに、この巨影の全ては皆々の顔の笑顔の皺に刻まれている。
時間の流れを表すように、時田氏はチョビ髭など生やし、貫禄をアップさせていた。

日本重化学工業連合の全てが、これに注ぎ込まれている。
血と汗と苦労と涙と時間とお金と人間関係が形を成したもの、といって良かろう。


開発コード、「JA2」・・・・・今や晴れて正式名称が名乗れるのだ。


JA二世号・・・・・という。



大幅パワーアップ改良された、最高にして最強のジェットアローンである。
「これを超えるものを造れ!、と言われたら、私は社長をやめるでしょう」とまで時田氏が言い切ったほどだ。なかなか日本企業の社長の言えることではない。
ハッタリでも宣伝でもリップサービスでもなんでもなく、事実、そうなのだ。

とにかくでかいのと、開けた場所ではない格納庫のことであるから、全貌は見えない。
が、格納庫の闇から発せられるその威圧感はまぎれもなく、本物だ。まさに、白銀の城。

企業トップシークレットの場所ではあるが、もし、ここに記者でもおり、エヴァとの比較を問うてきたなら、どう答えるであろうか。時田氏の鼻の穴にでも尋ねてみよう・・・。

「ふん・・・・・ああ?エヴァ・・・・たしか、そんな名前の”がんばっている”人造人間クンもいましたね。なかなか、よくやってくれているみたいですね。はっはっはっは」
とにかく、すごい鼻息だ。既にしてライバル視すらしていない。


さらに、企業トップシークレットの場所であるから、どこぞのスパイが入り込んだとして、その実力の程を詳しく検証すべく、格納庫の最深部で情報を収集していた、としよう。
その中でも、比較的ガードが易しいものから手をつけるだろう・・・・・そこには。

なんと!!(実際、どこぞのスパイ、加持リョウジもこれには驚いた)



ばかでかい・・・・おそらくはJA用だろう・・・・・エレキギターがあったのだ。


正式名称は、「ドカ・ベン」。(言うまでもなかろうが、この”ベン”は弁当のべん、ではなく、ザ・ベンチャーズのベンである。てけてけてけてけ・・・・・・)

何に用いるつもりだったのか・・・・まさか企業セレモニー用ではあるまい。

が、驚くのはまだ早かった。(実際、加持リョウジも終いには開いた口が塞がらなかった)



どこからか購入してきたのだろう、SSTOを改造した巨大な超電磁コーティング盾。裏殻には太陽電池がびっしりと貼られていた。防御力もこれで格段にアップしたわけだ。


さらには、お馴染みの凶悪なアタッチメント式攻撃武器。ドリルだのハンマーだのねじ回しだのまるで大工道具だ。使徒を全て片づけた後には建設機械として売るつもりなのかもしれない・・・・企業の戦略として。
眼をひくのは、接近戦を得意とするはずのJAに「弓矢」があったことだが、その理由は後ほど判明する。



そして・・・・・・ここからが以前のJAと大きく異なる点なのだが・・・・・頭部にアンバランスなほどに馬鹿でかい、砲塔がついているのだった。


人呼んで「ジェットストリーム砲」。正式名称は「JAL砲」JET ALONE LONG キャノンというのだが、殆ど誰もその名を使わない。格好良さからも、実際の効果のほどからも、そちらのほうがマッチしているからだった。

別段、腕利きの産業スパイでなくとも、大体察しがつくだろうが、これがJA二世号の最強最終兵器であった。どっかの宇宙戦艦の波動砲のようなものか、とネルフのオペレータ日向マコトなら言うだろう。


その威力は、これは加持リョウジほどの腕利きでなければ分からないのだが・・・・・・要約すると、「遠距離JTフィールド」・・・・ああ見えて接近戦のことのほか得意なJAの戦術パターン上、近距離でしか効果を発揮できない(しかも、強風と雨にも実は弱い)という弱点を苦心惨憺、研鑽を重ね克服した、世界中でここでしか、ネルフの誇る天才万能科学者赤木リツコ博士でさえ造れないだろう、超兵器なのだった。


ここまで来ると、変形合体機能さえ付け加えられていそうだが、さすがにそれはなかった。


「”ドカベン”を使う機会が無くなったのは惜しかったな。里中よ。あの運指プログラムにどれだけ苦労させられたか・・・・」
「まあ、それをいうなよ・・・・社長はほんとうのところは、トランペットもつける気でいたらしいからね」

記念撮影も終え、スタッフ達は打ち上げに赴くべく、苦労話に花を咲かせながら格納庫を出ていった。盛大なお披露目記念式典などはない。なにせ初陣が近いのだ。
最後に社長、時田シロウ氏が残り、JA二世号を見上げている・・・・



「いよいよだな・・・・」
企業の生産品、つまりは売り物でありながら、努力の結晶。そして、そこに込められる想いは我が子のようなもの。

時田氏は「使徒」がどれだけ恐ろしい化け物か、肌身に沁みて分かっている。
JAが敗れ、JRをこの手で砕いて以来、片時とて忘れたことはない。臥薪嘗胆だ。

JA二世号の無敵の力を信じながらも・・・・・わずかに躊躇いがある。
我が子が傷つくことを厭わぬ親がどこにいようか・・・・・たとえ戦うための兵器として生み出されたとしても、だ。我々が心血を注いで造った・・・・大事な、大事なJAだ。つまらぬ感傷、ロマンチシズムだということは分かっている。己の立場に反するし、何より、JAの復讐のために生み出されたモノなのだ。これは・・・・二世号は。



「私の心臓を切り裂けば、吹き出るのは赤い血でも青虫の体液でもなく・・・・オイルかもしれんな・・・・・フッ・・・・・


「社長」

「・・・・・・何だ。真田くんか」

男の浪漫な時間を台無しにする、冷静な、冷静にすぎる女性の声。真田ミツコという。
三十の若さでロボット工学の世界的権威・・・・経歴の凄まじさと独身な点がどこか赤木博士に似てなくもない。時田氏が「JAの父」ならば、真田女史は「JRの母」である。


「パイロットの調子はどうだね。・・・・初陣も近い。出来れば使いたいのだが」
「JA10神経接続、成功しました・・・・・立ち会われますか」


「・・・・・もちろんだ」

パイロットも二世号竣工に間に合ったか。それが最大の懸念であったのだが。
これで憂いはなくなった。時田氏は真田女史を従え、格納庫を出ていった。

その背中は哄笑する必要もない自信に満ち、足音は下克上の秋を今や遅しと響かせていた。






人類補完委員会 特別召集会議


「・・・・・悪くはありません」

それがネルフ総司令碇ゲンドウの、委員会による「要求」への返答だった。


「だろう。願ったり叶ったりというところじゃないかね。オモチャが一体、増えるのだ」「しかも、ちゃんと動くものだ。かわいい子息を危険にさらさずに済むよ・・・・碇君」

碇ゲンドウの後方に控える冬月副司令は、おそらくゼーレの意向そのままだろうが、委員会のあまりの悪辣なせこさに内心、苦り切っていた。この種のせこさは遙か昔より政治が人間の世に生まれてからすぐさま登場したのだろうが、なかなか死に絶えようとはせず、今もこうして現役でホログラフィに浮かんでいるのだ。委員達を攻撃する気もすでに失せている。一体、何を考えているのだ?なんのための「世界の席」なのか・・・・・。



要求は、あまりに分かりやすく、芸の欠片もなく魂胆が見え見えで呆れてくるほどである。

「使用不可能になったエヴァ初号機とサード・チルドレンをこちらでしばらく預かる。
その代わり第三新東京市の守備には、参号機とフォース、後弐号機とセカンドをまわす」

四号機とフィフス、渚カヲルをこの時期に取り上げたかと思えば・・・・今度は初号機か。そして、碇シンジ・・・・シンジ君か。なんとも強引で単純なチェスだよ。


分かりやすい委員会はともかくとして・・・

ギルのあの男が何を考えているのか、今一つ掴めないが、何れにせよ味方ではない。
格闘戦においてエヴァシリーズ最強の誉れ高い参号機を遂に完成させ・・・・・
伍号機の欠番を埋めるためと称し後期制式タイプの後(こう)弐号機まで・・・・


操縦者の身一つで来るならばまだしも・・・・エヴァを備えての懐駐屯なぞされてはたまったものではない。こちらの弐号機と零号機では、勝てまい。惣流アスカさえ、ギルの出身であることを考えると・・・・単純だが、うまいことを考えたものだ。



これを呑む手はない。はね除ける手段は・・・・・・こちらも簡単にして単純。


「しかし、エヴァ初号機は十分に使えます。こちらのパイロットが脆弱なために、委員の方々がそのような印象を持たれた・・・・のも無理からぬこととは思いますが」
鋼の冷厳さをもって返答を続ける碇ゲンドウ。毒をもって毒を制す見本だ。



「ならば、その証拠をみせてもらおう・・・・・」
サード・チルドレンの現況を既に入手済みである委員会は余裕である。碇ゲンドウがあっさり承諾するはずがないのも承知の上。うまいこと、罠にはまりおった・・・・。
近頃、冗長しつつあるネルフに誰が主であるのかを教えてやるにはちょうど良い機会。
参号機、後弐号機の投入の準備もすでに完了している。



「初号機を用いての使徒殲滅・・・・・ネルフの諸君の精励を期待している」


議長であるキール・ローレンツのその言葉が終わると同時に議場も闇に包まれた。



「・・・・・面倒なことになったな。碇」

碇ゲンドウは返答もせず、目の前のうろぶれた闇を魏っと凝視していた・・・・。
事態は彼の息子、碇シンジに委ねられることになった。何一つ伝えたわけでも教えたわけでもない、息子に。息子の器量に。・・・・・それは皮肉なことに、己の器量でもある。
知恵と年齢と経験という黒漆に塗り重ねられていない、素の器。


他者はもとより己を解剖するにもあまりにも鋭いメスを用いる人物、碇ゲンドウにとって、今感じているものが・・・どれだけ剣呑なものであるか・・・・・


これまでの人と人との関わり・・・絆の綾取りをしていく内に沈み染まっていく、赤漆。
くだいて言うと、他者からの影響。もっとくだいて溶かして言うと、人としての成長。

どれだけの現実が入るのか。その器には。ふいに試されることがある。
誰の手助けも邪魔も入らぬ領域で。ラプラス。





「ユイ・・・・・シンジを・・・・・どこまで・・・・・ればいい・・・」









使徒により半壊させられた箱根温泉街 その中のひとつ 「・・・・楼」



「あー、いーい湯だなあ・・・・。独占状態なのが申し訳ないくらいっ!」
とっくに住民の避難は完了しているはずなのだが、不届きというか度胸がいいというか、旅館の人間もいないのをいいことに、ただで温泉に浸かっている・・・・若い娘がいた。水色の髪の・・・・・衝撃で斜めに倒れた生け垣をものともせず、そこから暮れる箱根の夕日を味わっていた・・・・・・




ざばん・・・・・・



少女がふいに湯を滴らせて立ち上がる・・・・・のだが、
残念というか当然というか、水着だった。
そのまま湯船をすすみ、縁においてあったタオルをかけた木桶から冷えたジュースを取り出した。湯河原ブルーベリージュースであった。こく、こく・・・・


「潤うのどが私をいやしてくれるわねー・・・・いや、ほんと」
にこにこと口をぬぐってみせるのは・・・・・・もうひとりの綾波レイだった。


それから、縁に腰掛けると、「温泉黒タマゴ」の袋をとりだす。硫黄泉に含まれる硫化水素のためにタマゴの殻が黒いが、ひとつで七年、ふたつで十四年、さんこでどうなるのか知らないが、寿命がそれだけ延びるという、なんともありがたいタマゴだ。



「んっ?あなたも食べる?」

・・・・・無人であるのが先言ったとおりで、人の気配は完全にない。ここがボイラーでない証拠と言えば証拠なのだが・・・・・箱根名物な綾波レイは、屈託ない笑顔を見せるとタマゴをひとつ、差し出した。

「ほーら、これで精つけてがんばってね!。明日はホームランだー!!なんちゃって」
手品師のように手首をまわすと、タマゴは消えてしまう。どこへいったのか・・・・・



ズム・・・・・



軽い地震が起きたのか、多少、揺れた。湯船にも軽い波・・・・しかし、すぐに治まる。


「さー、自分のぶんを食べようっと・・・・・え?まだ欲しい?べー、だ。あげない。
あとはあたしんだもん!」
カラを向こうとする箱根な綾波レイは誰と話しているのか、夕日にむかって舌をだした。


赤い夕日・・・・・・・・・・・だが、なぜか二つある。



いや、片方は日暮れの空に向かって持ち上げられている・・・・・・赤いコア。
日本人の愛した温泉、箱根の夕暮れに使徒のアームとコアが浮かぶ。シュールな光景だ。


「そんなに慌てなくてもいいじゃない・・・もうちょっと、長逗留しようよ。ねっ?
結束の乱れた人間集団なんかちょろいもんなんだから。指先ひとつでダウン・・・てね」


それを見上げながら・・・・光度をあげていく赤い瞳。夕暮れの赤もコアの赤もすぐに及ばなくなるほどの・・・・・真紅。あーく・くりむぞん。



「勝手に共倒れしてく・・・・・・そこまでの器量というなら」

すう・・・と先ほどの無邪気はは影をひそめ、綾波レイは両手で湯をすくってみた。
瞳の色に染め上げられて、血のように赤くなる掌の器。

指をひろげると、そこからとめどなく紅い流れ。



「夢も終わるわ」




つづく