ジェットストリーム砲の標準が使徒に合わせられる。



JA本体と操縦者のJR、異なった形式の砲撃照準思考プログラムを重ね合わせることで、射的距離内ならば、どのように気流が激しかろうが乱れようが外れることはない。
二系統回路。その利点のひとつだった。



「やはり、”ジャンボモクラー”がいいだろう」
「はあ・・・・・・・」




日本重化学工業連合の自社ビルの地下、JAコントロールルーム



操縦者を乗せているため、わざわざ現地までいって遠隔操作する必要はない。戦闘目的プログラムは既にJRに入力済みである。そのため、もしやどこかの特務機関にでも強力なジャミングをかまされようと平気なのであった。そういうわけで、二世号を送り出してしまうとあまりやることがない。実際にスタッフは仕事しているわけだが、社長の時田氏と真田博士あたりの責任者はまさに「親」・・・・我が子を木の上で立って見ている心境に浸るくらいしかすることがない。そこで思いついたのが、ジェットストリーム砲狙撃雲閣・・・・開発コード「サカノウエノクラウド」の、正式名称を考えることであった。


あるにはあったのだが、時田氏が直々に却下した。開発コードは時田氏が愛読している司馬遼太郎の作品から、社長のくせに「竜馬がゆく」ではなく「坂の上の雲」を好むのが、らしいといえばらしい・・・・とったのだ。
が、開発チームがつけた名前が、かなり「飛んでる」名前だったのだ。


ただ今、時田氏が銘々した名前も昭和40年代あたりの空を飛んでいそうだが、その名前の比ではなかった。隣の真田博士が、頭痛もちのような表情をしながらも異議を唱えなかったのがその証拠だ。もしくは、この際どっちでも良かったのかもしれないが・・。


そのようなわけで、十六枚のスタビライザーをもつJA運搬用兼移動砲撃雲閣巨大飛行船は「ジャンボモクラー」と命名された。




「だっさあー!聞いたア?」「ジャンボモクラー?ちょーダサダサって感じよねー」
「アタシたちの愛と!、情熱と!!、友情と!!!、才能の結晶が!!!!、
ジャンボモクラー?それってゆるせなーあいじゃなーい」

ふいにシス中央の時田氏の背後から抗議の声があがる。
ただし、それは黄色くなかった。・・・・・「ドドメ」色だった・・・・・。


無視する時田氏。肩が震えているが。とにかく相手にしてはいけない。
時間と才能を惜しむばかりに変則シフトでチームを組ませたわけだが、完成してしまえば、もう頼むから相手にしたくない時田氏であった。



「ジャンボモクラー」開発チーム、J・B・スカイの連中は!!


チーム総勢13名。二名は新人に毛が生えたようなものだが、あとの11名は各専門分野で二世号のパートリーダーが務まるほどの人材だった。モクラーも確かに重要だが、肝心のJA、JR、この二つほどではない。優秀な人材はそちらの方に欲しいのだ。飛行船はなければないで陸戦を挑めばよいわけだし。
が、そんな当の然な経営者的判断を利かさずに、このようなシフトにしたのは、現場責任者的判断からのことだった・・・・。時田氏はこの場合不幸なことに、両刀だ。


外見で人を判断してはいけないし、言動で判断するにしても、その内奥を考えてカラにしての方が賢明である。人として。


が!!J・B・スカイの十一名は、だからこそ堅苦しい枠に囚われず自由な発想ができるのかどうか分からぬし、企業の受け入れ幅も大分広くなってきた、とはいえ・・・・・・



「社長のセンスってほんとにサイテーよねえ。チョビ髭も似合わないしー」
「でも、そ・ん・な、強引なトコロも実はっ・・・・・好きよおーーーー!!」
「そう?ボクは開発者の権利をなんの理もなく奪い去る、あのヒトが憎いよ・・・・」


別名、男と女のスクランブル交差点・・・・・・な人たちなわけだ。

コントロールルームもそこだけ空気の色彩が違ってきている。
新人の男女はノーマル一歩通行で・・・・重石などとは期待もされていないが、調整役として社命により加えられた。ケンカでもされて死して屍拾う者なし、安達ヶ原の鴉がかーかー状態にでもなられても困るので、調整役、というのはそういうことだ。
極秘の計画であるし、別系列の新会社に飛ばし・・・いや、配置転換したとしてもおかしくない。別天地を得た彼、彼女らはその間、紆余曲折を経て鉄の団結を編み上げていた、というのは本社の誰も・・・時田氏も、想像していなかっただけだ。


造り上げてきた代物も、当初の予定を遙かに超えた高性能を誇っていた。
恐ろしいことだが・・・・この雲閣さえあれば、世界中どこでも、南極でも北極でも、ジェットストリーム砲を撃つことが出来るのだ。十六の安定翼は伊達ではなく、砲撃後も、発射位置よりぴくりとも動かず、静止し続けるほどのシステムとメカニズムが内蔵されていた。



「あの使徒」を倒したエヴァンゲリオン初号機から受けたインスピレーション・・・・


ひとりの技術者として正直な所、それを形にしてくれるのは彼らしかいない、と踏んだ己の眼は間違ってはいなかった。渇きを癒やすための、雨雲だった。

結果さえ出せば文句はない時田氏だが・・・・・・・こうやって背後に連中を感じていると・・・・・・ちょっと、いやだった。




使徒の方は、上空にある新たな、エヴァンゲリオン以外の敵の存在に気づいていなかった。
自分をここまで痛めつける存在が他にいようなどと考えもしてしないだろう。
だが、世界は広い。己の持つ常識が通用しない相手というのもいるのだ。
そして、それと深く関わりをもつことも・・・・・または、生き死にをかけて。


「ジャンボモクラーの調子はどうなんだ。二世号には過去の運用データがあるが、こちらは処女飛行だろう」
・・・・・言ってしまってからマズイ!と時田氏は思ったが口から出た言葉は取り消しがきかない。連中を制動させるつもりで言ったのだが、付け入る隙を与えてしまった。


だが・・・・・開発チームは予想された茶々入れはしなかった。
その、かわりに。


「そうよ!みんな!!社長の仰るとおりよ。ここで気を抜いてはダメ!ジェットクモラー
は生まれたてなんだから、アタシたちが細心の注意と最大の愛情を払ってあげないと!」
どういう容姿のメンバーがこの熱血学園的セリフを言ったか、描写は、省きます・・・。


「そうだな・・・・・しかし、ジェットクモラーじゃなくて、ジャンボモクラーじゃないか」
こちらは、ご本人が容姿について語られるのをひどく嫌うため、割愛します。残念。



「さあ!みんな!!気合いを入れ直していつものやつ、いくわよ!!」


ズラッと中央モニター前に一列に並ぶ、J・B・スカイ十三人衆。
二名ほど俯いているが、他は胸をはって両掌をぴん、とのばして口メガホン。

コントロールルームはいきなしモーゼの十戒状態。スタッフの海が割れる。



「JA二世号、ガッツでーす!」


「ジェットストリーム砲、ガッツでーす!」


「ジェットモクラー、ガッツでーす!!」



中学生の女子テニス部員か・・・・お前ら・・・・・・
これで天才でなければ、速攻で警備員に排除させるところだ・・・・・・
しかも、ジャンボモクラーだ。そこは・・・・!萎える己をじっと耐える時田氏であった。




「ジェットストリーム砲・・・・・計算完了」
真田博士の冷静な声が、かろうじて時田氏を現世に連れ戻した。
JA並びにJRの計算が終了した今、使徒に逃れる方法はない。この高度からならば逆接めくが、この瞬間に逃亡を図ろうとしても、計算上、百パーセント命中する。
静止計算と運動計算、両方を同時にこなすゆえに可能な芸当である。


「JFKモード・・・・転換完了。・・・・・よろしいですか」

「ああ、すぐさまカタをつける必要がある。勿体はこちらの身を滅ぼすだけだ」


「では・・・・・ジェットストリーム砲、発射します」
計算完了、と告げるのと同じ声色。ここまでつまらなそうに言われると、砲もすねて命中させることをやめてしまうかもしれない。連中と足して二で割って三分の一に薄めれば、ちょうどよくなるのかもしれないな・・・・・自分のように。と、時田氏は思った。




はーん・・・・・



ジェットストリーム砲の発射音を正確に表現するとこうなる。煙突のようなJA二世号の頭部よりリング状の煙の輪が・・・・ちょっとへんな煙草吸いのやるあれだ・・・・噴き出す・・・・・ほわほわほわ・・・・・と地上に落ちていく。
見下ろす高度より綿菓子で出来た輪投げでもやっているような・・・・・景品は使徒だ。



JTフィールド。
元が煙りであるために、その発展型である砲も、煙を発射するわけだが、それにしても、遅い。油断しきっている使徒でなければ、早々によけられてしまうだろう。






「なに、あれ?」
第三新東京市 ジオフロント ネルフ本部 発令所

中央モニターには現地の様子が映し出されている。
横から・・・・いや、上からちょっかいだしにシャシャリ出てきたJAのやられっぷりを堪能してやろうという葛城ミサトが呆れたように言った。
特務機関ネルフもその性質上、前回の使徒との戦闘データを譲り渡すなどという親切は持ち合わせていない。自前で収集はしているのだろうが。



はっきりいって、JAはやられる。



それが葛城ミサトの判断である。善戦して、多少でも使徒の足止めをしてくれれば上々。原子炉内蔵が相変わらず、恐ろしいが。下手にやられて放射能でもまき散らされた日にはかなわない。




煙のわっかは落下するに従って、だんだん大きさを増していく・・・・・
発射直後は当然、砲口のサイズしかないものが、使徒をすっぽり入れ込めるくらいに。

拡散、しているわりには煙の密度は見た目、ほとんど変化のないようにおもえる。
落下速度も心もち、増してきているような・・・・



いいかげん、使徒も気づけばよさそうなものだが、動きはない。単に無視しているだけか。



使徒の直上まで煙のわっかが落ちて、ようやくその怪しげな代物に気づいたようでATフィールドを発生させる。本能的な防御反応だろう。これさえ張っておけば大丈夫、と。


使徒のATフィールドとJTフィールドが触れた・・・・・・・その時!
とんでもない反応が起きた!!肉眼でもはっきりと判明る顕著な現象。


バシッ、バシュッ、バシュッ、バシュッ、バシュッ、バシュッ・・・・・
バジバジバジバジバジバジバジバジバジバジバジバジバジバジバジバジバジ・・・・




爆竹百万発ほどのにぎやかましい音をさせながら「反応」は進んでいく。

ATフィールドが使徒自身に向かって熱せられた飴細工のようにタレていく・・・・・
それが使徒の形をからめ、固めていくのが分かる。入浴中の不意打ちに慌てて温泉から上がろうとする使徒だが、上から笊でもかぶせられたように身動きがとれない。




「これは・・・・・・!」
日本重化学工業連合は相変わらずATフィールドを発生させる機構を開発することができないらしいが・・・・原理は分からないものの、それを利用することにかけては赤木博士より長けているかも知れない。発想の原点がそもそも異なっているのだろうか。


「ほーお、すごいすごい」
葛城ミサトはざーとらしくしらじらしく拍手してみせる。
虚勢では、なかった。ここまでで既にネルフの作戦部長は二世号の弱点を見抜いている。




「JFKモード反応成功、敵性体、アンチJTフィールド内に捕獲完了」

「よし、間髪いれずに攻撃する。JA、投下せよ」

「JA、投下」


動きを封じておいて、近づいていき得意の肉弾戦に持ち込むわけである。
卑怯と言えば卑怯だが、要は勝てばいいのである。時田氏に油断慢心はなかった。
あるはずもない。こうして使徒に・・・間接的だが・・・・復讐する時がきたのだ。


復讐するは我にあり!いけっ、二世号!!


トドメをさせそうな所でトドメをさす。戦術の基本である。機械はそれを正確に守る。



ドヒユー・・・・・・・・ン



ジャンボモクラーよりパージされ地上に降りるJA二世号。どこかの巨大ロボのように空が飛べる大容量のロケットを背中に装備しているわけではないので、パラシュートだ。



一歩間違えれば、これは原爆である・・・・・・




「ぬあっ!?」
葛城ミサトなんぞ、砲撃よかそっちの方が驚いた。なんつー、無茶苦茶な運用・・・・・
しかし。考えていることがなんとなく分かる・・・・それがこわい。



「N2爆弾のつもりか・・・・・」
物に動じることがほとんどない冬月副司令でさえ、この暴挙には一瞬、唖然とした。
うちの葛城一尉で「さえ」こんなマネはせんだろう・・・・



そういうわけで、JA二世号は特になにかを率いて降臨してきたわけでは、ない。



ひゅー・・・・・・・・・・・・・・どすんっ


どこの国のどんな厳しい工業品質テストを受けたとしても、二世号は「落下耐久試験」だけは満点に間違いあるまい・・・・・赤木博士の目から見ても、その頑丈さだけは。



二世号は箱根の温泉の大地に立った。平然としている。がおー。一発、一世号の得意だったポーズを天にかますと猛然と使徒に向かってダッシュする。二世号は肘が曲がるので格好良く速し。

使徒は動けない。にもかかわらず、走り込むのが戦闘パターンの作者の怨念を感じる。
格闘ゲームでいえば、100円ノーコイン状態にある使徒だが、遠慮はせぬ。

相撲にしてカポエラを用い、悪役レスラー顔負けの実物凶器を自在に扱い、古今東西の格闘技戦闘パターンを開発チームの怨念と趣味のままに骨のズイまで入れ込まれているJA二世号だが、今回のバージョンアップに従い、もちろんそちらの方もゴンズイッと叩き込まれている。・・・時田氏はお空の連中とは別の意味で、作業着姿だが顔に得体の知れぬペイントを施している彼らもこわかった。


ぐしっ。使徒の上に馬乗りになり、固めてしまう。ヤジロベエ体型なのでマウントポジションといえるのかどうか。とにかく、そのまま攻撃をしかける。
今回はグレーシー柔術なのか?。ちがった。微妙に。



バシンッ。ザシンッ、バシンッ、ザシンッ



喰らわしているのは「モンゴリアン・チョップ」だった。キラー・カーンというプロレスラーが使ったチョップだからモンゴリアンだ。別にモンゴルに古くから伝わっていたモンゴル相撲の奥義ではない、と思う。キラー・カーン氏は日本の新潟県人だからである。


ともあれ、マウントポジションとモンゴリアンチョップを組み合わせたこの技は、まさに。


「MT(マウント)モンゴリアン」と呼ぶにふさわしい。雄大なモンゴルの大地に燦然と輝き、世界を駆けてユーラシアを支配した代々のモンゴル皇帝の眠る場所、黒鉄の山・・

・・・・もなにもかも関係なく、ひたすらに怒濤の攻撃である。

見方を変えれば、動けないのをいいことに、一方的に相手をいたぶっているだけのこと。

コアに打撃を与え続ける。これさえぶち壊してしまえばいいのである。
他に攻撃する箇所がないのもあるが。



バシンッ、ザシンッ、バシンッ、ザシンッ・・・・・・





「なかなか・・・・面白かったけど、あとは見るべき物はないよーね」
葛城ミサトがそう言うと席をたった。
「こっちも用意があるし・・・・ビデオにでもとっといて来週にでも見るわあ」

「ミサト?」
赤木博士は科学者であるから、戦闘の機微などは専門としては分からない。
だが、解説者に頼らなくともたいていのことは自分の眼で判断がつくものだ。
赤木博士の目にはこのまま使徒が一方的にやられていくとしか思えない。
あんな手で使徒の動きを封じるとは・・・・・・まさか・・・・・。


「対症療法は何度も効くもんじゃないわ・・・・・リツコ先生、気い落とす必要なんて、全然ないから。じゃ」
振り返ることもなく、片手でバイバイすると発令所からさっさと出ていく。
見ることに耐えられなくなり、逃げた者の後ろ姿ではない。確信がある。



しかし、モニターの中の使徒は一方的にやられ続けている・・・・・・


日向マコトも弱点探しに懸命にメガネをこらしているのだが・・・わからない。


これでもし、このままJAが押し切ってしまったら、どうなるのだろう・・・・





カツ、カツ、カツ、カツ・・・・・




葛城ミサトは使徒撃滅のための特訓が行われている現場に向かった。



エヴァ初号機ケージ




右眼のみに電光を宿すエヴァ初号機に見守られながら・・・・・



同じく、包帯を斜めにかけて右目のみを世界にさらす、青いレッスン・ウェアの碇シンジ

と、

決意に満ちたその瞳は青い稲妻。対をなす赤いウェアを凛と靡かせる惣流アスカ。




ライトで照らされているために分かりにくいが、相当に汗をかいている。
しかし、ケージで何をやっているのかというと・・・・特訓であるはずだが。


ふたりが・・・・・ダンスを踊ろうとしている・・・・・ように、見える。


そのやたらに正しい姿勢をホールドという。そこから出来ることといったら社交ダンスしかあるまい、というほどに正しい。剣豪が必殺の居合いを放つ刹那を待つ無明の静けさで白い隻眼の碇シンジにいかほどの照れもなく、今の惣流アスカに下手に声をかけようものなら、火傷ではすまないほどの気合いの高まり。それをダンス、と呼んでよいものか。

ともあれ、内面はともかく、外面からしても、おかしな点がひとつあった。

それは、男女の配置が逆なことである。碇シンジがフォローされる女性役、惣流アスカがリードする男性役の形をとっていた。背丈はそれほど違いはしないが・・・。


「それじゃ、23本目、いこうか・・・」
こちらは学生服だが、頭にヘッドセットをつけている渚カヲル。ストップウオッチと丸めた冊子、折り畳み椅子と、これでメガホンとグラサンがあれば映画監督になれる。


軽く、こくんと無言で頷く惣流アスカ。
はーはー・・・・ぜぇ・・・ぜ・・
決して表情には表そうとしない。押し殺す呼吸は相当に荒いはずだ。姿勢を崩さない。



無理もない。ダンスに見えるのは、この踊り始める立ち姿の時点だけで、あとは惣流アスカが無理矢理引きずるようにして、木偶人形のような相手役を動かしているのだ。
まるで体に力をいれてないせいで、それは死体のようなものだ。そのためか、碇シンジの方にはほとんど疲れが見られない。無表情の瞳に相手役を映している・・・・


いかなる特訓なのか不明だが、惣流アスカはよくやるものだ・・・・
落語じゃあるまいし、死人にダンスを踊らすようなもの。本物のマネキンを相手にした方がまだ精神的にも楽だろう。


周囲で見物している整備の人間も、ある程度の事情を察しながらも、今スグ駆け寄っていってこのだらしがないガキをこづいてやりたい衝動をひたすらに抑えていた。



床には地表都市部のルートマップが描かれ、様々な印がつけられている。
エヴァ初号機弐号機の射出口がスタート地点になっており、何種類かの矢印が都市図に走り、丸だの三角だのも十字路には印されていた。



「やってるわね・・・・どう、渚君。ふたりの調子は」
この特訓の発案者、葛城ミサトが現れた。
「見ての通り。変化無しですよ」



すっ

一歩踏み出しただけで、それは出来損ないの箒で床掃除する、敗れた国の元・王女さま、
という光景になる。本人が懸命なのは一目見ればわかるだけに、余計に別物に見えた。
よくもまあ、カンシャクを破裂させないものだ・・・・常人でもこれは捨てただろうに。


ただ、葛城ミサトの予告通りではある。相当に辛くて、力づくで・・・
速いかどうかは、また、使徒にこれでどうやって対抗しようというのか分からないが。
しかも、大勢の人間の目の前である。場所柄、人払いするわけにもいかない。
プライドの高いセカンド・チルドレンのよく耐える様ではない。本来ならば。



が、惣流アスカはひたすらに、碇シンジを引きずっていく。何度でも。



ここがネルフでなければ、誰しも「もう、やめなさい」と声をかけ制止しただろう。
それほど、この特訓には意味がなく、懸命にやればやるほど、少女がみじめに見えた。
昔から、「意味がないから特訓なのだ」とは言われるが、それはやる人間にやる気があって始めて、死中の活の如き無意味の中の意味が生まれ限界を超えるわけだが・・・・・


「タイムが落ちてきているよ・・・・・最初の一本目より遅い」

碇シンジが協力せず、引きずられるままで、惣流アスカの体力が浪費されれば移動スピードは落ちるしかない。単純な道理。朝からほとんど休みもせずに続けている。
告げるのは残酷なことだろうが、それが渚カヲルの役目でもあった。



葛城ミサトの考え出した、使えないはずの初号機を用いた使徒撃滅作戦とは、一見するとただの社交ダンスのできそこないに見える。が、それも理由のあってのこと。

色々と厄介な能力を持つ今回の使徒だが、一番、厄介なのは反発能力だろう。
こちらの動力に反応して、反発し、近寄ればぱーんと逃げ抜けてしまう。
いくら知恵を尽くして罠をはろうとスピードを出そうと奇襲しようと、攻撃の当たらない。
受けられるよりもかわされる避けられる方が攻め手には恐怖である。
そこで考えられたのは、初号機と弐号機を接するほどに距離ギリギリまで近づけておき、
初号機の動力をオフにしておく。弐号機は当然、逆のオン。

本来なら、入れ替わりで使徒へ接近移動中にも、オン、オフを切り替えたいところだが、初号機・碇シンジがあの調子ではそれは望むべくもない。

エヴァは人造人間、外部電源に頼らなければ内蔵電源五分程度しかもたず、シンクロ可能な子供は世界中探しても数えるほどしかいない・・・・代わりに、電源を入れ替えたことでのタイムラグは存在しない。シンクロさえすれば、すぐに動き出す。それがエヴァ。
その性質を使わぬ手はなかった。

二体を組み合わせて、迷わせ、使徒の間合いまで近づき、一気に粉砕する!!
作戦の要諦の一つはそれである。

結果的に、それがダンスをしているように見える。操縦者であるチルドレンふたりがこうして特訓しているのは、組んだままに使徒を追いかけるにはそれが一番早いし、電源の入っていない初号機は、弐号機が足を浮かせる程度でも持ち上げて力づくで連れていかなければならないからである。単に使徒に向かって豪走一直線ならばいいのだが、市街となれば、そうもいかない。十字路などにくれば曲がらなければならない。そのため、ステップやターンまでやっている。
葛城ミサトもこれがダンスだとは思っていない。ただ、動作効率的にまたは、規則的に動かそうとすると、それが最も適しているだけだ。基本的にエヴァは人間の動きをとるわけだし、今から泥縄で研究するにしても、長年洗練されてきたものにかなうわけもない。


だが、それにしても惣流アスカの負担が多すぎるやり方だ。
初号機、碇シンジなど文字通りの足枷、重いコンダラである。敵を誤魔化す、擬皮役だとしても、なにせ重たすぎる。囮のバルーン人形でなく、中身がつまっているからだ。


その上・・・・・この調子の碇シンジに初号機が制御出来るのかどうか・・・・この密着した状態で何かの衝撃でエヴァの暴走が始まったとしたら・・・・弐号機は。


大体、恐ろしいことに、両目を塞いでとりあえずの精神を得た碇シンジだが、そのままでエヴァ初号機とシンクロすると・・・・「目が見えない」。あやうく暴走しかけた。
厄介の極み。そこで右目だけ現してみると・・・・「影絵のような人がゆらめく」そうで
シンクロ率も起動指数ギリギリ。
かといって、両目をさらすとどうなるか・・・・・言うまでもない。

特訓の段階から渚カヲルがヘッドセットをつけているのは暴走封じの遠隔制御の「練習」。
これがこの少年の最後のお役目、ということになる。



危険性が高すぎる。だが、葛城ミサトはそれを選択した。
惣流アスカも・・・・・その案を受け入れた。だから、黙って崩れる踊りを支え続ける。


見た目は・・・・周りから疑念の眼差し、苛立ちの荒い吐息、冷たい囁き・・・不信と不安がないまぜになったそれらが止まない・・・・線路の上でふらついている家出した少年少女を思わす不安定さで・・・・・勝利の予感どころか、行き着く果て、というやつがまるで見えてこない・・・・。JAという対抗馬が調子いいだけになおさらに。


このまま。惣流アスカの方も潰れてしまうのではないか・・・・・前例が、ある。



全てを承知して・・・・・・葛城ミサトはそういう選択をした。



待っている。



無表情の瞳は、包帯の人格。傷が癒えるまで乾くまでのつなぎにすぎない。


葛城ミサトは逆風の状況を叩き伏せるため苛烈にすぎる作戦案を架してきた。
そして、ただでさえ天才の惣流アスカが我を忘れるほどに本気になっている。


そんなものでは、とても応えられはしないだろう。


全力の器量。それを持ち合わせた・・・・今は己の内で眠っている・・・・碇シンジを、待っている。あれだけの激痛を味わわされ、おそらく、心に走った巨大な地裂の中で逆さまにつっこまれて天地も知らず、失神しているのだろう・・・・。
葛城ミサトはどうも、そんな気がするのだ・・・・・自分が湖に放り込まれたから、でもなかろうが。


中途半端に起こしてしまったサード・チルドレンがエヴァ初号機とシンクロし、何をやらかすか・・・

ある意味、使徒よりもそちらの方が恐ろしい。
それは、通常、自分達の知っている碇シンジなのか。心と体に強い衝撃を受けて、元に戻らなくなった、という話はいくらでも、ある。実例がここに一件。
傷跡は、いつも残っている。世界最強の力をもった人間が、その痛みの代償を求めようとしたら、どうなるだろうか。エヴァ初号機を駆る碇シンジはその中の一人だ。

ショックのあまり悪魔のような人格が体を操る・・・・だけなら・・・・・どんなにか心は楽だろう。だが、人間の心はあまりにも多くのストーリーを内包する。

多大な痛みを憎しみに転化させて、見境もなく周囲にそれをぶつけ始めたら・・・


「エヴァ初号機なんかに乗ったから、僕はこんな目にあったんだ!!もういやだ!!」
と”正直に”言い出さない保証など、どこにもない・・・・
自分達の知っている、碇シンジ君が。望もうと望むまいと、最強の福音を預かる少年の背には、多くのものが・・・・・架せられている。それを、自分の意志で放棄するとき。
サード・チルドレン、初号機専属操縦者の資格を放り捨てるとき。

寝た子が完全に目を覚ましたとき。怒れる眼差しで黒く歪む声を叫ぶとき。

あの子にかけた信用と情が失われるとき。震える手で世界を引き裂こうと解放される力。

その扉を碇シンジ自ら開けてしまわない保証は、どこにもない。
誰かに、何かに、操られているのなら、どんなに心は楽だろうか。

エヴァを動かせる子供たち・・・・・「怪物性」・・・・・・その言葉が心の片隅より消えることはない。その心に近づけば近づくほど、それと向き合わざるを得なくなる。

深く知ろうなどと思うべきではなかったのかも、しれない。苦労が、多くなる。
しかし、後悔はしていない。



特訓は続く。



一直線に走って、走って、走る・・・・つもりがよろよろと蛇行する。
「あっ・・・・」
つま先がついていかなかったのか、惣流アスカがよろけた。転倒する。
碇シンジはそれをかばおうともしない、力のない手は相手からあっさり離れる。


「くっ・・・・・・!」
立ち上がった惣流アスカの口から歯ぎしりの音が発火する。
最低最悪のパートナーにとうとう堪忍袋の尾が切れたか・・・・。



「・・・・・もう一本、最初っからいくわよ・・・・・いい?」
ここまで来るといい加減、誰しもビンタかケリの十発でも予想(半ば期待)していたが、外れた。碇シンジの腕をとると、スタート地点によたよたと戻っていく。
泣くでもなく、怒るでもなく、ヒスるでもなく、捨てるでもなく。
ただ、惣流アスカは引きずり続けるだけだ。



ざわめく見物人達が、現れたケージのヌシ、整備長の円谷エンショウの一喝で散らされていなくなっても、特訓は夜遅くまで続けられる・・・・・




渚カヲルと初号機が見守り続けるなかで。







第三新東京市 第三中学校 購買部前廊下

「なんやと!?もういっぺん言うてみい!!」
昼休みに入り、騒がしくごった返す購買部が鈴原トウジの怒号で静まり返る。
隣の相田ケンスケもそれを制止しようとはしなかった。冷たく、硬く眼鏡を光らせている。


「なんだ・・・・二年の黒ジャージか。オレ達に言ったのか、今のは」
相手は三年生の四人組であった。別にガラの悪い番長グループでもなんでもないが、ちょっとスれた感じの目つきをしていた。不良と言うほどでもないが・・・・別に今も割り込みをしようとしたわけではない。そもそも彼らは既にエスケープして昼食を澄ませてきていた。鈴原トウジに喧嘩を売ってきたわけではないのだ。
因縁をつけようとしているのは、鈴原トウジの方だろう。公平に言って。
たまたま、彼らの話していることがこの混雑の中でも鈴原トウジの耳に入ってしまったのが問題だった。


「そうや。・・・・・さっきの話、もういっぺん言うてみいや」


「ああ・・・・お前、確か・・・パイロットさんたちとお仲間だったよなあ」
「別に嘘ついてるわけじゃねえよ。メシ喰ってきた帰りに電気屋のテレビでやってたんだからよ」


「JAとかいう民間のロボットが箱根の怪物を殺ったってよ」


実は、彼らもこうした大勢の前で情報をばらしてみたかったのかもしれない。
このタイミングを狙っていたが、思わぬ場所を得てしまったわけだ。
ええっ!?そんなこと初めて聞いた生徒たちは目を丸くしてざわつき出す。
ここ数日、パイロットたちが全員、学校に来ていないのは知っているが・・・・
それって、怪物にやられてたから?入院!?怪我?重傷?!!デマが廊下を吹き荒れる。




「・・・・そんなことを聞いとんやない・・・・」
鈴原トウジと相田ケンスケは、それを知っていた。彼らも屋上でその情報をキャッチしていたのだ。葛城家に人の気配がない時から、キナ臭い予感があったのだが。
自分達とエヴァのパイロット達には、機密という越えがたい一線があるのは承知している。
どうなっているのか、知らない・・・・・どうしているのか、知らない。
デマの通りの大怪我で入院しているのだとしても、見舞いにもいけない。
一番、苦しい時になにもしてやれない。「見上げる」ことしかできない。
あの時と違い、渚カヲルも来ていない。重大時といえるだろう。


だから、哀しい苛立ちを感じていた。その時、耳に入ったセリフ。


「これであいつらも用済みかー」


三年生四人組も第三新東京市の住民である。悪意からではなかろう。羨望や嫉妬の混じった、ヒトゴトのための軽い冗談。自分達より年下に命運握られていい気がするはずもない。聞き捨てるべきであった。が、聞き捨てならなかった。


「じゃ、どういうことを聞いとんや?」
ニッと笑って関西弁の返し。
「悪いが、オレ達はお前らみたいにパイロットさんたちのお仲間じゃねえからよ。深あい苦悩とか言うに言えない苦労とか、わかんね・・・・」

「ワイらだってわからんわい!!そんなもん!!」

熱血ドタマを怒りにガン震わせての一喝。ただ、手出しはしない。この場合、絶対に。
お仲間、といえば確かにそうかもしれない。彼らは渚カヲルの帰国を知っている。
一番優秀そうなのが抜ければ、残る惣流アスカや綾波レイ、・・・も優秀だが・・・・・
碇シンジの三人がどれほど苦労するのか・・・・苦労の程はわからんが、あいつらが、たかが三人でその苦労に耐えていくことは分かる。あいつらは、無理しとる。たぶん。
今も、必死になって何か・・・・やっとるに違いない。
無理してやっとんのが、この街を守ること、ここにすんどるワイらにケガをさせんことなら・・・・・ここで手をあげられるわけもない。ただ、その言葉ゆるさん。


「用済みになんて・・・・ならないさ」
相田ケンスケがここで。怒鳴ることはしないが、冷光の気迫宿して。
「ロボットが負けた時、今度は誰が戦うんだ?」
それが問題なんだけれどね・・・・。霜つくようなため息、ついて。







ネルフ本部 作戦会議室


「驚かないのね」

「予想はしていたもの」



モニターにはJAが使徒に跨り、チョップをかまし続けるシーンが映し出されていた。


怨念に情念を入れて、これでもかこれでもかこれでもか、とコアに打撃を与え続ける。
使徒は動けない。JTフィールド健在、といったところだ。
使徒ラミエルにあっさりやられはした時点で忘却の彼方にあったが、やはり取り上げておけば良かったか、と冬月副司令も再考していた。


JAのパワーも相当なもので、コアに亀裂が走り始めた。なにせ戦闘開始より一時間半経過している。ひたすらチョップだ。機械でなければ、よく成し得るところではない。
戦闘と言うより、使徒破壊工事といった方がよい。
それにしても、これだけの長時間の大電力を自体でまかなっているのはさすがといえる。
内蔵電源で五分しか保たぬエヴァを見ると馬鹿にしたくなる気分も分かる。



「やっぱ見なくて正解だったわね」

「・・・・・・・・・発令所スタッフ全員、これを見てたのよ・・・・・」



動くこともかなわず、弱点であるコアにも亀裂がはいってきて、使徒の命は風前の灯火。
まるで、ジャイアント馬場の修業時代、「おまえには死にものぐるいの力が足りん」と、師匠である力道山に風呂場に四肢を重りで封じられ閉じ込められた挙げ句にハチの巣を放り込まれたという・・・・・「むむっ、このままでは死あるのみ」状態であった。
別に葛城ミサトも赤木博士も、とりたててプロレスに興味があるわけではないが。
とにかくそうなのである。

が、結末を知っている赤木博士は作戦部長に無駄な映像は見せずに早回ししている。


そして。結末が近づいてきた。


使徒を今までホールドしてきたアンチJTフィールド場がふいに途切れた。
する。構造が簡単なだけに、使徒はするりとのし掛かるマウントを抜けだした。

それから、反撃。

どごんっ

振りかぶったコアの一撃。それでJA二世号はあっさりノックアウトされる。
今まで一時間半の攻撃は一体、なんだったのだろう・・・・・
それを見続けてきた者たちは・・・・・・見守ってきた者たちは・・・・・・



JA二世号は負けた。
がんばったのかどうかいまいちよく分からないが、とにかく負けた。


中学生が見た、電気屋のテレビでやっていた映像というのは、あれはネルフの宣伝部が作ったダミーニュースである。ここでJAが負けましたなどと公表すれば、荒事に慣れている第三新東京市はともかく、他都市の動揺が激しすぎると、日本政府が判断し、ネルフに泣きついてきたためだ。また、諸外国への外聞もある。国連直属の特務機関とは違い、あくまで民間企業のやれる情報操作などたかが知れている。それどころか大々的に宣伝をうつ気でいたのだから。
あらかじめ戦自が現地におり、不可侵地域になっていたから芸当としては難しくない。
当然、放送業界との軋轢があったがネルフは歯牙にもかけない。これでまた嫌われる。



現在、使徒は再び、温泉につかり、亀裂分を修復している・・・・




そういうわけで、書類上は新しい使徒が箱根温泉から、現れたことになった。
内実は何も変わっては無いのだが、人の世の面倒な手順である。
それを上手く利用することで、冬月副司令のような人間は利を得たりする。

JA二世号は、重大なダメージを追いながらも使徒を撃退した・・・・と記され。
殲滅、としてやらないのが、なんとも政治だ。純粋な技術者はたまるまい。

葛城ミサトや赤木博士にも、どうでもよい話だ。



「なぜ分かったの」


かりかりと頭をかく葛城ミサト。

「別に・・・・大したこっちゃないわ。JTフィールド?あれを反転させて動きを止めるのは良かったけど、フィールドを解いてしまえばいいだけのことだしー。
一時間半もかかってようやく気づいたってのは・・・・バカね。今回の使徒。

それから、コアが二つあるってことは生命力も二倍ってことでしょ。
まー、二個いっぺんに一撃で粉々にするパワーが必要よね。それが、二点め。

そして。
ボディ部分がほとんどないから、修復能力はコアに全て注げるわけでしょ。
チンタラやってダメージを蓄積しようとしても・・・・ダメだったわけね。
コアに狙いを絞った点は良かったけど、腕部を先に切り離しておくべきだったかもね。
そうすれば、別の展開があったかもしれない、と。最後に・・・・・

やっぱ、波長パターンが分からないのが最大の弱点でしょ。どこまでやれば息の根を止められるのか・・・・それが分かんないもんだから、単純なパワー押しに頼るしかない。
あって当然だと思ってたけど・・・・もし、ウチにあれがなけりゃ・・・困るわよね。
考えるハバが狭くなるかなー・・・・・

そーゆーことを考え合わせると、JA二世号はよくやったと思うわよ。
時間稼いでくれたし」


・・・今回の使徒が強すぎるだけだ。外見に似合わず。それに、初陣だ。
葛城ミサトはJAを笑わない。彼の戦いは終わったのだから。
テレビの中で、しばし、民心を、世間を安定させるための戦いをする。



エヴァが使徒を倒すまで。



敗者への情け、ではない。そうだったならどれだけいいか・・・・。
明日は我が身である。結局のところは三対一でエヴァも痛み分けているだけなのだ。
今、この状態で雌雄を決すれば・・・・・どうなるか。おそらく・・・・一分も・・・


「それで、時田社長から通信が入ったんだけど・・・・見る?」

「・・・・・そんなもんまで記録してんの?何か有意義な情報・・・・なんてあるわけないっか」
赤木博士が尋ねる事自体、なにかある、との証明だ。なにかあるのだろう。なにか。
「いいわよ。毒を喰らえば皿までってね・・・・・」
葛城ミサトの感情も複雑だ。


モニターに映る時田氏のアップ。
社長らしくもない作業着姿は変わらずだが、チョビ髭など生やしていることを知った。
悲壮にして苦悩の・・・・・それを理性で押し込めている、人間の表情。
どこかの総統のように青ざめた表情。拳銃自殺でもしかねない重苦しさがあった。
何を伝えるために、その苦痛を圧してまで・・・・・プライドがあれば、今はネルフのネの字も聞きたくなかろうに。それとも、「猪木コノヤロー」ではないが、逆恨みでも言いに来たのか・・・・・だが、時田氏は語り始める・・・・




「皆さん、こんばんわ」

「日本重化学工業連合社長、時田シロウです」



「特務機関ネルフ作戦部長、葛城ミサトです。さよなら」

回れ右して帰ろうとする葛城ミサト。毒は毒でもこりゃ気の毒だ。いってしまっている。
いくらなんでも、こんなもんを見るほど悪趣味でも暇でもないのだ。リツコめ。


「手のひら返して、社長自らウチに営業にきたわけじゃないでしょうね」
と、葛城ミサトも遺恨があるから相当にえげつないことを言った。


ぱんっ


予想もせぬ・・・・・赤木博士が葛城ミサトをひっぱたいた。
「なにすんのよ・・・・」
怒るより驚きの方が先に立つ。細腕だから大して痛くもないのだが。


「よく見なさい、ミサト」
白い顎で示すのが熱血ならぬ赤木博士らしい。別に目に鱗はくもっていないと思うのだが・・・・・すでにひと泳ぎしてきたから。



見ると、時田社長が丁寧に詫びをいれていた・・・・。


「・・・それでは、ネルフの皆さんの健闘を・・・・いえ、勝利を祈っております」
そう結ばれてビデオは終わった。何か後ろの方で得体の知れぬ騒ぎの音声が混入しているような気もしたが・・・・ガッツがなんとか・・・・・



「ふん・・・・・べっつにJA二世号一勝のアレは、こっちの都合でもあったわけだし」
いくら大嘘とはいえ、それで大恥をかかずにすんだわけだ。彼らは。
・・・・・社員の、ため、か。



ふと、赤木博士の視線を感じた。


じろ・・・・・・あまりかわいげのな・・・くもない・・・角度によっては・・・・


葛城ミサトが完全に復調したかどうか、見極めていたのかも知れない。
珍しく、感情の複雑系なひねくれた物言いをしてきたため、ちと心配になったのだろう。自分達の命運は、葛城ミサトの采配に「かなり」左右されるということを、赤木博士は知っているためだ。「もちろん」友人だから、などという不確定な理由では、無論ない。
統計的にいって、そうなのだ。確率的にいっても・・・・そう。
葛城ミサトの頭脳の優れた点は、「明謀」・・・とでもいうのか、闇に隠れて人の知らぬ間に物事を決定してしまう「陰謀」より、景気の良さと意表をつくことで多くの者を引きつけて物事を変化させてしまう発想ができる点にある。
ブレイン・キャラクター、「ライトのプラス」といったところか。
それを引き出すのは、本人の「その気」なわけであるから、・・・あまり科学的ではないが経験則的に・・・・赤木博士にしてみれば、葛城ミサトは「バカ」でいてくれぬと困るわけである。
一応、意気復調している葛城ミサトにしてみれば、たたかれ損なわけだが・・・。



「それで、シンジ君とアスカの様子はどうなの?」

「まだやってるわよ・・・・あまり時間ないし」
深く、吐息をおろしながら
「アスカはほんと・・・・よくやってくれてると思う」

もし、チルドレンが百人いたとしても、アスカほどには・・・いや、ハナっから相手にしないかもしれない。誰も。そんな作戦とおかしくなった相手役など。
これで上手くいかなった日には・・・・・完全根こそぎに裏切ったことになる。心を。
命を預かる重圧は毎度のことだが・・・・・今回はちっと・・・・・ひやりとしている。



暴走さえしなければ、あとはこっちでなんとかするから・・・・・願いつつ、待っている。アスカの支えが潰れる前に・・・・・・・・早く・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シンジ君っ・・・・




「で、そのシンジ君のことなんだけど」

「あ、な、ななっっ!?あによっ、ひっぱたくくらいならまだしも・・・頭の中のモノローグを勝手に・・・・あんた、顎の線でも読んだんでしょ!パタリロみたいなマネしないでよねー・・・天才なのは認めてあげるか・・・」

「ネルフ本部の人間の九割九分はね・・・・・」

「へっ?」

「みんな知ってるのよ。ミサトの考えていることは」

「な、なによ・・・それ・・・・」

「アスカとシンジ君のことしか考えてないんでしょ。なら的中率は百パーセント」

「失っつ礼ねえ・・・・・作戦部長つかまえてゲタ占いみたいに・・・・」


もし、ミサトが任務に徹して、私情を排する性格だったなら・・・・「使徒を倒すほどに」直轄のエヴァを配置し動かし得るだろうか・・・・ふと、そんなことを考えてしまう。
似合わぬ胃弱そうな顔をするので、気をほぐしてやろうかという菩薩心を出したのだが。必ず勝つ!と思うからそのための作戦を編み出すわけだ。絶対に負けられぬ!と思うから多少無理しても脳みそをしぼり、考え出すのだ。知恵は、そのためにある。
葛城ミサトの知恵の実は、きっと情の香りがするのだろう。


それもまた、よしや・・・・か。瞳に映る友人の面影を快く感じるように、瞼をとじた。


「シンジ君の・・・・視界の話をしたかしら」

「教えてくれっていったのに教えてくんなかったじゃない」



「ほんとうに・・・・あの子は変わっているわ・・・」

なにをいまさら・・と言いかけた葛城ミサトだが、折角だからげろってもらうことにした。ここで機嫌を損ねたら又その気になるのに何世紀かかるやら・・・・


「あの子は・・・・シンジ君は・・・・エヴァにシンクロしているわけではないみたいね。正確には」


「え!?」


「前々から・・・・変だとは思っていたのよ。訓練も無しにシンクロ可能なのは、それだけの才能、ということで納得出来るけど・・・・・ミサト、シンジ君の初めての正式なシンクロテストのこと・・・・覚えてる?」

「え、ええ・・・・なんか、余裕だったわよね」

「そう。その後で、シンクロ率について尋ねられたのよ。シンクロ率はどれくらいあればいいんですかって・・・・・ね」

「まあ、高いにこしたことはないけど・・・・数字にこだわる性格じゃないでしょう」

「そう。だから私も希望する意味で、高めの数字を答えたの。そうしたら・・・・」
なんか話のリズムが岸田怪談調になっているが、余計なことはいわない葛城ミサト。

「きっちりとその数字を叩きだしてきた、と」

「シンクロ率を設定すること自体は、渚君ほど熟練してくれば出来ない芸当じゃないけど・・・・シンジ君のそれは、なんといったらいいのかしら・・・・。高い記録を出したのはいいけれど、そこから一向に伸びがないことなの。落ちているわけではないから、今まで何も言わなかったけど」
「思いこみが強いところがあるからねー・・・・・・」
「最初は、私もシンジ君の性格上のことなのかと思っていた。でも、これまでのあの子の言動を思い返してみると、別の考え方も出来るの」


「渚君ほどの熟練のないシンジ君が・・・・高い記録を設定し続けることがおかしい?」


「ニュアンスは同じようなものね。本人に設定する意志がないという点を忘れてるけど」

「じゃあ、何なの?」

「もともと・・・・シンジ君はエヴァにシンクロしていなかった、ということよ」

「なにそれ!?いきなしちゃぶ台ひっくり返さないでよね!!」

「だけど、エヴァを動かすことは出来る・・・・・・エヴァが動くのは事実だからシンクロ計測器も動かざるを得ない・・・・・もしかすると、電子機器は彼の思うがままなのかもしれない・・・・クァールみたいにね」

「ここにも雷の一件がくる、と・・・・・ツケ、まわってきてるわね。年末じゃないのに。でも、シンジ君もSF小説のネコじゃないわよ」

「シンジ君のエヴァの操縦には、どこか違和感があったわ。のんきというか、なんというか・・・・・違うわね」




「ひとごとのように?」




「喩えが擦れるように悪いけど、その言い方をさせてもらうわ。シンジ君がシンジ君なりに真面目なのは、みんな分かっている」

「先、続けて・・・・」

「ここから先はデータも何も揃っていない、私の単なる推察になるけれど・・・・。

シンジ君はおそらく、初号機を”外から”眺めながら動かしている・・・・人形使いのようにね。それも、拙い人形使い。手加減が分からないし、痛みも感じない。
A10神経という糸が操る無敵の人形劇・・・・・


だから、視覚聴覚嗅覚などの五感を用いているのかどうか、今一つ分からない。
初号機の存在する空間をまるごと感知する・・・・・空間把握能力とでも言えばいいのか・・・・そんな能力がズバ抜けているんじゃないかしら。角をへし折られたことであれだけの苦痛を感じたのも・・・・・証拠がないからこれは単なる感想ね・・・・それとも、今まで蓄積されてきた痛覚がまとめて神経に突き返されてきたのか・・・・・」

「らしくもない。リツコ博士にしちゃあ、感想と言うより・・・・空想ね」

「そうね・・・・否定、しないわ」

「自分がどこにいるか・・・・・・わかんないなら・・・・・帰ってこれないじゃない。



それも、エヴァの中ならまだしも・・・・外、なんてさ・・・・でも!」

「でも?」

「”なんとかして”帰ってくるわ。シンジ君。そーゆー便利な言葉を使ってもいいのが、シンジ君だもの。タダものじゃな・い・の」

意外とシンジ君、生活力高いのかしら・・・・・にしても、アバウトな信頼ねえ。
ノコギリでも刃こぼれしそうな、肝っ玉に強いけれど。

「じゃ、特訓の様子みてくるから。ありがと」
ジャケットをじゃんじゃんと羽織り直すようにして、葛城ミサトは背を向けて去った。


ふー・・・・・一服したくなった赤木博士だが、ここは研究室ではなく作戦会議室。
禁煙・・・・・である。常識として。


ふう・・・・・・







エヴァ初号機ケージ


へろへろ無惨な惣流アスカの様である。あれから何回繰り返したことやら・・・・
碇シンジは相も変わらず。疲れも知らぬ無表情。
だが、それだけに注意して見ておかねば、急に脱水症状など起こして倒れかねない。
はっきりいって、それは両者に言えた。

渚カヲルの疲労もアベレージを超えるものだったが、他に見る者がいないのだから仕方がない。かろうじて今の惣流アスカを休ませ得るのは、この少年くらいしかおるまい。


「休憩にしよう」


流星雨のようだ・・・・・と渚カヲルは思った。
全身全霊をこの時間と空間に激しく降りそそいでいる惣流アスカの姿。
鬼気迫る、というにはあまりに純粋にして無私にすぎ、意味がない。



「え・・・・・」

ここまでくれば、根性も燃料切れであろう。何かにつき動かされているだけなのかもしれない。それは義務感なのか使命感なのか。踊らされている・・・・。
視線もうつろだ。それでいて、コースを、ステップを、外そうとはしない。


本当は、この作戦はここまでやらなければならないような大層な作戦ではない。
プログ・キャノンを弾いたあの時とは主眼が異なる。別段、上手く踊ることで使徒が倒されるわけではないのだから。


渚カヲルは二人を休ませるために、硬直のホールドを解かせようとした・・・・・!

赤い瞳が鋭く研ぎ澄まされる。


「・・・・・」



碇シンジの右手の甲に・・・・惣流アスカの左手の爪が深々と食い込んでいた・・・・。



二人とも・・・・・・そのことに気づいていない。
渚カヲルは救急箱から消毒したガーゼを取り出し、そっと外した。



だらり・・・・ぼっ



赤い血の流れは速い。腕をつたうとぼたり、と床に落ちた。すぐに止血しようとしたのだが、一瞬、気をとられてしまったのだろう。緑鋼色に散咲く色の紅。


それが虚ろになりかけた少女の碧い瞳に映った。身体が、はじめて崩れた。