「今日で終わりにするよ・・・・・ありがとう、アスカ」
振り返って碇シンジはそう言った。



「・・・・別に」
惣流アスカはそっけない。



海沿いの道はコンクリートの壁に遮られ。七時半の夜の風がふたりの間に吹く。
車道をゆく車もまばら。緑なのか白なのかはっきりしない電灯が照らしている。


「アタシは散歩してるだけ。別に礼を言われるスジアイはないわ」


「うん。・・・・・でも、ありがとう」


「気い・・・すんだわけ?」


「うん・・・・・」


「そ」

惣流アスカはあくまでそっけない。



渚カヲルがネルフ本部を去り。一番最後までダメージが抜けきれなかったのは、やはり碇シンジだった。そうして取り始めた行動が、夕方から夜にかけての外出であった。
夕食の支度をすませて、そのままふらっと家を出て、あちこちあてもなく散策するだけのことだが・・・・大体、六時半から八時までの・・・・彷徨。


渚カヲルのことだけではなかったかもしれない。前回の戦闘のこともある。
危うく弐号機・・・惣流アスカをこの手にかけそうになった事が・・・・
視覚異常からくる、精神の疲労・・・・・それは心が欠けるほどのもの


目には見えねど


「あまりに短期間に多くのことがありすぎる・・・・・」
葛城ミサトら、大人にしても耐久度ギリギリの事態が立て続けに起きた。


生気が抜けたようにぼーっとすることが多くなった。
それが、碇シンジの耐え方なのかもしれない・・・・・が、
日に日に、表情から色が消えていく。悲しさに薄められて。
親しい人間がいなくなるとは、そういうことだと。


あるいは、戦い終えた埴輪のように 土の中に還るような目をして



その碇シンジの夜のお出かけ・・・・・・「逃避行動」だと言った少女があとをつけるようになった。三日目からだ。葛城ミサトは一晩、考えた後、惣流アスカに任せた。



二週間、続いた。



碇シンジは家のドアを出てから一度も振り向かない。行き先は毎日、違った。
ひたすら歩くだけのこともあれば、人気のない映画館にはいって興味なさげに眺めていたり、環状線にただ乗っているだけのこともあった。惣流アスカがついてきていることなどお構いなしに、ふらふらと・・・・・急に雨の降ってきた日も・・・・・五メートルほど
離れての雨やどり・・・・完全に無言・・・・気付くふりすらしない少年の横顔


フン・・・・・そんなもんをじっと見ているほどヒマじゃないわ。
惣流アスカは拝借してきたSDATを取り出すと、テープを走らせる。ビートの利いたロック。ビーズだがピンズだかいうヤツの「レディ・ナビゲーション」とかいう曲。
そういやぁ・・・・ここ数日の時間の流れも、ひたすらに速かったよな気も、する。
ロックを聴くように・・・・無駄で有意義な。
こんな気分じゃ苛立つかとも思ったが、どこか、心が充電されているような。


その時は惣流アスカも別のことを考えていた。前回の戦闘について。あの高速の風の中、一つに溶け合った視界・・・・・あの時は確かに、碇シンジが何を見ているか、はっきりと分かった。いや、そうじゃない。あの時は全てが見えていた。視界そのものを、海図のようなものに変換してしまうことで。感じたことのない、青く正常で単純な世界の姿が。


わたしたちのまえに、ひらかれてた



だけれど・・・・・・それも、錯覚だったのかもしれない。単なる。
そこまで考えてふと碇シンジの方を見てみると・・・・・消えていた。いつのまに。
さすがにその日は頭にきて追跡をそこで打ち切ったのだった。あのバカッ!



鈴原トウジたちも、心配していた。
包帯に眼帯の碇シンジの姿を見ている。大怪我した挙げ句に、大親友の渚カヲルがいなくなったのだ。気いのやさしいシンジには、たまらんやろな・・・・これではカツもまだ入れかねた。かといって、このままでいいというわけでもないだろ?なんとかしてやらないとな・・・・。



委員長洞木ヒカリも買い物の帰りに、その姿を、追跡行をみていた。
懸命に碇シンジを走らずに追う、その表情を。声も、かけられない。
その次の日に噂高い女生徒たちが惣流アスカが碇シンジを追っていることを見かけたのか、かなり無責任な推測をこめて噂をけたけたやっているところを見た。切れるというのはこういうこと・・・・。


山岸マユミは、いつかイメージを重ねた童話の少年たちのようにならぬよう、願った。
カムパネルラを失う物語を体験することで、ジョバンニは大きく成長するのかもしれない。
けれど・・・碇君は「ほんとうの切符」をもっているのかしら・・・・・



そして、綾波レイは・・・・・・



碇シンジと距離をとるようになっていた。ある意図をもって、避けている。
元々の様子が様子であり、碇シンジもあの調子で、少女に話しかけることがないので判然としなかったが、とくに動く様子はない。碇シンジのために。
それが見抜けるのは・・・・・残念なことに、ここにはいない渚カヲルだけだった。




「あの・・・・野散須作戦顧問・・・・・ご相談したいことがあるのですが」

「加持くん?悪いけどサ、今夜空いてる?・・・・うん、ちょっち、ね」

「あのさ、リツコ先生。これは一般論としての話なんだけどさ・・・・・・」
葛城ミサトは手をこまねいてはいない。早々に対応策を練ることにした。

その後、冬月副司令に意見を上申。意外なほど、あっさり承認された。

チルドレンの休暇が。もちろん使徒に備え一人ずつ一週間ほどだが・・・・

お膳立てを整えて置いて、すぐにそれを用いる愚はおかさない葛城ミサト。
傷が塞がりきっていないうちにリフレッシュも何もない。それが必要なのは、表面上、強がってはいるが惣流アスカと、やはりどことなく様子のおかしい綾波レイの方だった。
碇シンジが落ち着き次第、しばし、この少年からふたりを遠ざけておいた方がよい。


それが大人たちの判断だった。碇シンジは・・・・・本人にその気がなかろうが・・・・
時に激しい雷を閃かせる「渦」なのだから。



ようやく、「人形つかい」ではなく「操縦者」を得たエヴァンゲリオン初号機は、もはや
「強い」だの「無敵」だのいうレベルではなくなっていた。サード・チルドレンと一心同体になることで・・・・・赤木博士の見立てによれば、「三十倍ではきかない」力をその手にしていた。断定。使徒との戦闘を経てみなければ、という仮定すら語らせずに。
碇シンジがその気になれば、来襲した使徒ごと第三新東京市を壊滅させることも・・・・





「今日で終わりにする」


人の心はわからない。ただ、シンジ自身がそういうのならば、そうなのだろう。
意表をつかれても、誤魔化されたことはない。今まで。嘘をつかれたことも。
惣流アスカはその言葉を信じた。結局、その行動がなんだったかなど、物思わない。
今日で追跡行はおわり・・・。
心の整理、なんらかの踏切・・・・じゃない、踏ん切りよね・・・・がついたのだろう。
全く・・・・・・



人の心はわからない。なんでアスカはついてきてくれたのかな・・・・・そういう世話焼きの性格じゃないのに・・・・何もいわなかったのは、正直、ありがたかった・・・・。
碇シンジは、こころのうちで感謝のきもちをささげた。口も手も達者な少女が今まで黙っていてくれたことに。じっと我慢してくれたことに。世話を焼いてくれたことに。



じつのところ・・・・・碇シンジの彷徨は、放心のゆえ心の修復のためではなかった。
とある目的のため。とあるものを探すため。少年も、多少なりと心が強くなっている。



渚カヲルに託されて。



彼に習うように、弱いままではいられない。大切な人がいなくなったぶんの、大切な場所はどうすればいい?ほうっておけば、雨ざらし野ざらし街ざらし人ざらしに消える。
帰ってくるまで、戻ってくるまで、僕がその番をしておこう。僕が。



惣流アスカらがその「真意」に気づくのは、最後の最後になってからだが・・・・

それにしても。
さすがに、周りに気をつかわせないほどの余裕はないが。それは、大人になってから。




「じゃ、帰るわよ」
さっさと歩き出す惣流アスカ。今度は逆に碇シンジが追いかけることに・・・・・・


「・・・・・まだなんかあんの?」

ならなかった。碇シンジはその場につったったままであさっての方角を見ている。
もう用件というか任務というか・・・・は済んだのだから置いて帰ってやってもいいのだが、何かいいたげな碇シンジの横顔に、足を止める惣流アスカ。


「アスカに・・・・・珈琲か紅茶かケーキか・・・・・おごりたいんだけど・・・・・・いいかな」

大阪弁に訳すと、「茶あ、しばかへん?」でナンパ花月なお誘いになるのだが。
この時間で喫茶店に寄るなど、不純異性交遊で、ふりょーのやることである。
しかし、こんな時間にこんな場所では浜茶屋だって開いていまい。
唐突に考え出した感謝の言葉にしては、何か方向性が定まっている響きのある。


感謝されてもさしてうれしくもない惣流アスカ。少女マンガじゃあるまいし。ふん・・・・・
けどまあ、まるで感謝しないってよりゃあ、百倍いいわね。コイツもムリして言ってみたんでしょうから・・・・まあ。
「明日にしなさいよ、明日に。それならつきあってあげてもいいわよ」

「今がいいんだ」


・・・・まさか自動販売機じゃないでしょうね・・・・でも、ケーキっていってたし。
感謝の気持ちにある種の美麗さを求めるのは、小娘のサガ、というものだろうか。


「ほら、あそこに。開店記念で本日、半額セールだって」
指さした先にはバスが止まっているだけだ。なんか塗装が少し変な気もするが。
「どこに?」
感謝の気持ちで半額セールというのがひっかかるほどに惣流アスカはせこくない。
が、どこを差しているのか分からない。まーた、目がおかしくなってんじゃないでしょうね?このバカ。
「あのバスだよ。乗り口のところに立て看板がしてある」
「あ・・・・あれね・・・・」


青い瞳は夜の方がよく見える。そう言われてみると、なるほど。けど、なんなんだろう。
ワゴン車でホットドッグやアイスクリームを売るというのは見たことがあるが、こんな路線バスを改造したようなやつで、人気のない海沿いの道で初日の営業をしているなんて。
さらによく見ると、車体下からコードが伸びており、それが浜辺に・・・・海中にまで。
なんか怪しい・・・・・。碇シンジはそちらの方にはまるで目がいっていないようだが。


「行こうよ」


君子、あやうきには近寄らず、だ。何もこんな怪しげなバスで紅茶飲む必要がどこにある。
まー、第三新東京市で営業するくらいだから・・・・・・と、逆に危ないか。
外装もあれだが、店内でどんな怪しげな人物がやっているか分かったもんじゃない。

惣流アスカには二つの選択がある。
「ふん。こんなワケ分かんないトコで茶なんか飲めるわけないでしょ、バッカじゃないの」
と言い捨ててさっさと帰ってしまうこと。が、まず一つ。

「今、何時だと思ってんのよ。明日も学校に、本部でシンクロテスト。気が済んだなら、さっさと帰って明日に備えるのよ。今夜に召集がかからない保証はどこにもないんだし」
と、パイロットとしての自覚を説きながら碇シンジも帰してしまうこと。が、二つ。


だが・・・・。
その選択に対する碇シンジの反応も察することができた。
それに、自分で説教する光景を思い浮かべながらも、少々空しさを感じもした。
兵士の嗜みは、砂を噛み。そんなことを繰り返すしかないのかな・・・・・・

わたしたちは道具じゃない・・・・・・

この二週間、碇シンジを追ったのは、もしかしてその確認のためだったのかも、しれない。
渚カヲルのあとを埋めることを考えもしない、サード・チルドレンへの苛立ちに背を押されながら。自分はそんなことばかり考えているというのに・・・・・。



「アスカ?・・・・・・遅いから、やっぱりやめようか」
下を向いて何か苦いものを噛んだような顔をしている惣流アスカに声をかける碇シンジ。
長く歩いたことの疲れを感じたのだろう。

「・・・・・・いい、」

「え?なに」


「今日くらいは、いいわ!アタシが許す。行くわよ、シンジ!」
「うん」
疲れていたのかと思ったが、パッと顔を上げ何か急に元気になった惣流アスカのあとをついていく碇シンジであった。景気からしてどちらのおごりなのか分からない二人連れ。



海底を見る喫茶店「二萬マイル」



と、ある。店主はジュール・ベルヌのファンなのだろうか。海底都市に泳ぐ白鯨を模したロゴ看板にはそうある。中からはほのかな電灯とダイナモのうなり声が聞こえる。ほかに客の姿はない。昇降口は半開きになっており、そこが入り口になっている。
路線バスなどを改造したわりには、海の店にありがちなけばさがない。店名にもそれなりのポリシーが感じられる、内容重視の簡素なつくり。


「・・・・・・ごめんください、かな」
「別にいいんじゃないの。一応、営業してんでしょ。看板もでてんだしさ。こっちは客よ」

「はは。じつは、海底人が地上を制圧するためにつくった前線基地だったりして」
日向マコトのもっている古い漫画にも使われてなさそうなネタをふる碇シンジ。

使徒だけでも厄介なのにそんなのがいてたまるか・・・・・「アンタ、ばかあ?」



「こーらっ。君たち、こんな時間にこんなところでなにしてるの」
声はふたりの後ろから。女性の声だ。まさか補導のおばさんにしては、声が若い。
振り返ると、Tシャツとジーンズというずいぶん飾らない格好の、片手にテレビカメラのようなもの、もう片方に作業箱を提げた、若い女性が立っていた。
年の頃は二十代後半か。三十路には入っていまい。電灯の反射か、額にさしてある緑に輝くサングラスが特徴的だ。肌もこころなしか褐色がかっていた。

「えっ・・・・・・・あっ・・・・・・す、すいません」
なぜか謝る碇シンジ。反射行動なので、論理と気持ちがこもっているわけではない。
「このお店の人ですか。アタシ達、お客なんですけど」
さすがに惣流アスカの方は反応が早い。すぐさま、この女性が何者かを見抜いた。

「お客?営業は明日からなんだけどね」

「え?・・・・でも、この看板は」
「触れば分かるけど、触らないでね。ペンキ塗りたてだから」
どうも、外に出して乾かしていたらしい。手作りだけのことはあるが、とんだ偶然だ。

「え。そうなんですか」

「そうよ。でも、営業していたとしても・・・・・君たち中学生くらいでしょう、お客にはできないよ」
サバサバとそう言うと、「もうお家にかえんなさい」とあっさりしまえた。
「カメラの具合はまあ、こんなもんか・・・・・潮の具合も」
子供たちなど完全に眼中にない。独り言をぶつぶついいながらバスの中に戻ろうとする。


「ちょっと待ちなさいよ」


「・・・・・?」
遊んでいる中学生程度に見たのだろう、それが呼び止めたことに怪訝な表情の女性。

「一応、看板を出したからには、それを見てやってきた人間にはお客として遇する義務ってもんがあるでしょ。いくら営業してないからって、客商売ならさ。それとも、こっちが子供だからって甘くみてるわけ」
「・・・・あ、アスカ・・・・」


いきなり喧嘩腰の少女に面食らう様子もなく、サングラスの女性は平然と見つめ返す。



しばし、のち。
「そう言われてみれば、そうかもしれないわね。今日はバナナオーレしかないけど、それでもいいなら。どうぞ、お客さん」
応接というにはずいぶん投げ釣りないいかたであるが、言葉に温度がある。

「・・・・なんだか、ミサトさんみたい」
小声で碇シンジがつぶやいた。惣流アスカのうなづきはゆるやかなカーブをえがいた。



女性の名は李遠(りおん)ナナセ。ここのオーナーにして従業員・・・・なのだという。
作業箱をそのへんに置き、テレビカメラを肩にかつぐと、先に車店内にあがっていった。
「中学生が最初のお客か・・・・・まあ、らしくていいね」

内部も当然、改装されているのだがどうも暗い。半分ほどとっぱられた座席でのスペース
で狭さは感じさせないのだが。しかし、回転率を期待しているわけでもなさそうなのに、客の席はまるで茶席なみ。シャレでもなかろうが、商売として成り立つのかどうか。

心配してやるギリはないけどね・・・・・売らない言葉に買い因縁・・・・なんて諺はあったかどうか、当初の予定としては引き上げるつもりでいた惣流アスカはなぜかこんな所にいる。子供扱いされたことに対して、ついカッとなってしまった・・・。


「あれ・・・・外が見えないや」
乗り物の中から外を見ようとするのは、子供に強いが、まあ自然な習性だろう。
採光のための窓はブラインドが下ろされることもなくそのままにされているのに、外が見えない。電源の入っていないテレビ色でこちらをみかえすだけ。

「ああ、いま”つける”からね」
店主、李遠ナナセが後部に設えたカウンターから声をかけた。素早いエプロンのかけ方が格好良い。見かけによらず、さすがの手際の良さでジューサーも回っている。



ぶんっ 軽く電発の音。


「あっ!」

店内の色彩が一気に変わった。窓だと思っていたのは、薄型のモニターだったのだ。
店内いっぱいに・・・・天井にもあるから大小、けっこうな数のモニターだ。
映し出されているのは・・・・・海の中。明光調節を加えてあるのか、青くうかぶ光景は


・・・・・沈める街の。それは、水底のえぴたふ。



海底を見る喫茶店、というのはこのことか・・・・・個人でやっているわりには大した映像技術だ。固定カメラのみならず、まるで遊泳する亀の背にくくりつけてでもあるかのように視点の移動していくものもある。映像のみならず、数的データ、グラフの並んだ情報モニターもある。これはリアルタイムなのか、ビデオなのか分からないが、どうも海中にまでのばすコードを考えると、前者なのではないか・・・・に、してもよく、この第三新東京市で営業許可がおりたものね。護衛が介入しない点を考慮すると、心配することはないようだけど・・・。もしかして、グリンピース・メーカーあたりの人間かしら・・・



いずれにせよ、こんな「昔のこと」を目の前にみせられると・・・・・・・
それらは、百年も経ていないのに、神話のように昔のこと。
自然と、時と、人工の。ほんの少し想像力を働かしたなら。



「すごい・・・・・・」
感にいっている碇シンジ。

「驚いた?あまり見られない光景でしょう・・・」
バナナオーレにアイスクリームをのせたフロートにして、自動的注文の品がやってきた。

「え?ああ・・・・・ま、まあね・・・・・」
惣流アスカの目は、GAINA・・・(あとは陰になっていて分からない)・・・と看板が出ているビルが映ったモニターに釘づけになっていた。確かこのルートから使徒が・・・。


「そうか。先生がいつも授業を中断してまで、僕らに伝えたかったのは、こういうことだったのか・・・・うーん・・・・・」
担任の先生の住んでいた「ねぶかわ」という所もこんなになっているんだ。百聞は一見にしかずってよく言ったものだなあ・・・・。腕組みをする碇シンジであった。

「それからこっちは開店サービス。看板どおりなら半額ってことだから、二杯分かな」
大して広くもない店内を恐ろしく手慣れた速度で移動する女性だ。
もう二つグラスを。

「当店自慢のオリジナル、唄うラムネ・・・・その名も「FLY ME TO THE MOON」・・・・・もう一つの赤い方は「CRY FOR THE MOON」・・・・好きな方を選んでね」
当初、無愛想に見えたが、やはり人をもてなすのが好きな性分なのかも知れない。
初めての客である子供たちはもういっぺん驚かされた。その「唄うラムネ」とやらに。



「・・・・ほんとに唄ってる・・・・・」



ゆっくりとだが・・・水琴の音で。たしかに名前通りの曲を奏でているのだ。


「これ、飲めるの・・・・・」
むろん、味の上手下手や飲料可能かどうかの問いではない。曲が終わる前にグラスの中を消してもよいのかどうか、自問に近い問いかけ。
「曲の途中で飲むも、終わってから飲むもご自由に」
種明かしはしてくれない。陳腐な言い方であるが、ようやく「異世界に入り込んだような」心もちがしてきた惣流アスカと碇シンジであった。ある意味で、それは正解 。
ここは、ふふっと笑ってカウンターに背を向けていった長い髪の店主の世界なのだから。



そして、時刻は九時をまわる・・・・・・



碇シンジから惣流アスカを誘った、という点でこの夜はいつもと違う魔法の夜
一夜かぎりのPECULIAR NIGHT。何が起きるや・・・・・









「シンジ君とアスカ・・・・・・遅いわね」
「うぎょー・・・・」
葛城家では、葛城ミサトが旅行雑誌と勤務表を並べて、旅行プランをたてていた。
家主がここんとこ禁酒しているので、晩酌につきあえないペンギンは残念だ。


「うーん・・・・・・・」
葛城ミサトもこうして家に一人きりでいると、自然、内省に入ってしまう。報告書で腐るほど繰り返してきたことだが・・・・・前回の戦闘の・・・・初号機、シンジ君の弐号機への「錯視」を予想できなかったのは、自分のミスだ。野散須の親父は「ありゃ、補佐役の儂が気づくべきことじゃった、すまん」と謝ってくれた・・・心が多少軽くなったが・・・・あっちは急立の「箱男作戦」で多忙を極めていた・・・・が、自分の抜かりだ。
大事にならなかったが・・・・・思い出すだけで今も背筋が凍りつく・・・・・
なあにが作戦部長なんだか・・・・・無能感に苛まれる。


・・・てなことをほざいてるとまたあの親父に放り込まれるわね



「むーん・・・・・・・」
こめかみのあたりをこりこりとやりながら。
「こうなりゃ、修学旅行に重なるまで待ったげよっか!?どう思う、ペンペン」
「う、っぎょー・・・・」
落ち込んでるのかハイになるのか、人間は忙しい・・・・どっちかにしてほしいね。



「ただいま・・・・かえりました」
「戻った・・・じゃない、帰ったわよ、ミサト!」
子供たちが夜遊びして帰ってきた。


「あ・・・・・」
その声になにを聞き取ったのか、葛城ミサトは旅行雑誌を冷凍庫の中に放り込むと、同じく冷蔵庫の缶ビールを取り出した。「ま、ね。朝までかかんなくて上等、上等・・・・」


ぷしっ




「こんな遅く帰ったのに祝杯あげる保護者ってぇーのも、珍しいわねえ」
惣流アスカは禁酒の意味を知っている。
まるで、大昔の白黒テレビドラマにでてくる、職人肌のラーメン屋のガンコ親父(どうも出前一丁の主人のことらしい)みたいねー、とケタケタ笑ってやろうとしたのだが、その前に葛城ミサトがにんまりと目を細めるのが早い。

「で、ふたりの初デートはどうだったの?」


ぶっ!!・・・・がっ、がほっ・・・・かはっ・・・」
必殺の秘孔をつかれたように飲んでいた麦茶をあわびゅ!と吐き出しそうになり、それをさせじと耐えてむせる惣流アスカ。ひくひくと一分程度テーブルでくるしむ。


「あれ・・・・そんなに面白かった?今の」

「どこが!デートなのよっ!!しかもっ!!シンジなんかとっっ!!」
そんな軟弱なことでこのスタンピード・バカとつき合えるわけはない!断言してやるわっ。
それに、あれは「しょーがないから」つき合ってやったまでのこと。何が・・・・


「べつにー、いいじゃない。ンなに血相変えなくたって。たかがデートの一本や二本」
すごい数え方だ。ともあれ、葛城ミサトをからかうにはまだ年輪の足りないのであった。


「そうですよ、ミサトさん。ただお茶を・・・・バナナオーレとラムネでしたけど・・・お冷やはでなくて・・・・あと寺庵さんがビスケット出してくれたっけ・・・・」
碇シンジは台所で夜食の焼きうどんをこさえている最中。そっちの方に集中しはじめて、
何をいいたいのやら。説明にも弁解にもなっていない。夜中だというのに平気で青のりをふりかけているし。ぱらぱらぱら。

「いわれてみりゃ・・・・そーよね。アナタたち、親睦を深めるとかなんとかいう以前にすでに同居してんだもんねー。それでもでも、たまにゃこういうのも刺激があっていいっしょ」


たまにゃ、普通の中学生、か。内心のつぶやきは今はしまっておこう。相談にすらのってあげられない不出来な保護者としては。結局、自力で復活してくれるのを待つほかない。
まー、人間誰しもそうなのだが。に、しても痛められ方が尋常でなかったしなー・・・


「はい、できた。・・・・・・で、なんの話でしたっけ」
碇シンジが三皿に盛って運んできた。
「フンっ。さあね」
惣流アスカは答える代わりに割り箸をわり、かっこみはじめた。
「・・・・そんなに慌てて食べることないのに。おかわりないんだから」
「足りなかったら・・・・・むぐ、アンタのをもらうからね」
少年らしからぬことを碇シンジがいうと、乙女らしからぬことを惣流アスカがかえす。
葛城家名物、思春期破り・みもふたもない会話、だ。家主の影響が多分に出ている。


「それで、その李遠さんって人はどんな人なの?」
が、影響者じきじきに流れに介入する。聞いていると面白いのだが、ひさしぶりだし・・・・しかしながら、その名前にどっかで聞き覚えがあったような気もする。
知り合いというわけでは無論、ないが、どこかで・・・・いや、ネルフで聞いたような。
はてな。

子供らがいれかわりで、聞いてきたことを教えてくれる。

李遠ナナセ。海中探索カメラを始めとする海中考古学(・・・・というのも語弊があるかもしれない。セカンドインパクトのせいで海没した現代都市の中にはまだ歴史の波に洗われていない宝がある・・・具体的にいうと避難搬出が済んでない美術館の美術品やら銀行のインゴッドやらだ・・・それを無許可でサルベージして自分の懐にいれる商売者・揚げ屋じゃなかろーか、と葛城ミサトなどは推察するのだが、子供の夢はこわしたくないので黙っておく)の技法を用いて海底を見る喫茶店「二萬マイル」を明日から営業を開始する二十七歳、女性。
既婚。寺庵ネモオ、二十六歳という別姓のパートナー、旦那とは言い難い力関係は、「あれが世に言う姐さん女房ってやつ」なのは見ればわかるらしいが、丸々と福々しい人相で、こちらの方が年上に見えるのだ、そうだ。


このようなことをあてつけがましい表情で喋るのは惣流アスカに決まっている。
そこだけアクセントのいやに強い、年齢まできっちり聞いてきている。


「・・・・ふーん。まるであなたたちみたいね」
と、サクッと切り返しておき、どこでその名を聞いたのか葛城ミサトは思い返した。


・・・・そうだ、思いだした。副司令だ。
日向くんたちとリツコが休憩時間にどこかで聞いてきた噂とかで、話してたっけ。
この所、上の街での仕事が多い副司令がたまたま、営業許可を下ろせ下ろさないでもめている光景にでくわしたらしい。単に雑務がいやになった気晴らしかもしれないが、まるで「水戸黄門」の前半十分のごとくその場にしゃしゃり出て、まとめてしまった。
第三新東京市のその性格上、民間業者に海底にカメラを放流するだの、あるレベル以上の電波設備・電子機器を使用するだのの許可がおりるわけがないのだが、機材の使用意図と
営業方針を聞いただけで、副司令は一件を落着させてしまったのだという・・・。


「まあ、実害があるわけでもなし。道楽のようなものね」と、赤木博士。
手元のモニターにその店の情報を呼び出してコーヒーをすする。

「にしてもまあ、副司令にそんなトコがあったとはなあ・・・・」
直属の部下の青葉シゲルが言う。あまり上司に新境地を開発されても困るものがある。

「インテリやくざにありがちな、芸術コンプレックスみたいなもんですかね。あはは」
とんでもない喩えを出して日向マコトが笑った。が、周りは誰も笑わなかった。

いつの間にか副司令が戻ってきていることに気づいたからだ。
タイミング的に聞かれてしまったのは間違いない。が、冬月副司令は何も言わない。

ただ来月の日向マコトの給料がなぜか「米」で支払われることを葛城ミサトは知っている


・・・と、その時は他に考え事をしていたので、うろ覚えだったのだが、たしかにそれだ。
そんなわけで、プロフィールなどは既にして知っている。まさかこの子たちがその店に行くとは思いもよらなかったけど。この時間で中学生を入れるとは・・・・へんな店だ。
インベーダーゲームやブロック崩しや平安京エイリアンの筐体でも置いてありそうだ。 シンジ君によると、幻の伝説プラモ「ガンバなんとか」が飾ってあったとか。

少し興奮ぎみの子供たち。この子たちのお目にかなったなら、悪い人間じゃないだろ。
「うちの子に限って」モードに入っている葛城ミサトは次のビールを開ける。


碇シンジは沈んだビルの内部をリモコン遊泳カメラが映し出す光景をもどかしげに話してくれた。こんなに長く話すのも、ひさしぶりか・・・・渚君が帰ってから。


「うん、うん・・・」


「真面目に聞いてんの?ミサト。さっきから相づちばっかりで」




「うん、うん・・・・・・もちろん、聞いてるわよ・・・・」
語尾が涙声になるのは、どういうことだろう・・・・。胸が熱い。面をあげていられずに顔をふせる。じわじわと胸に感情の・・・・潮、満ちてくる。しまったな・・・・あ


「どうしたのよ・・・・・」「ミサトさん・・・・・?」
少女と少年にしてみれば、あっけにとられるほかはない。その理由がわからずに。


「いや・・・・・あ、ごめんね・・・・・なんか、ほんとにうれしいんだけど・・・・・ってえか、ほっとしちゃって。酔って涙腺がゆるくなるなんて歳かしら・・・・ね」

手の甲で涙をふこうとする姿は、逆にひどく幼く見えた。かつて見たことのない姿。

なんと言えばよいのか・・・・・惣流アスカにもわからない。碇シンジも分からない。
ただ、自分達に葛城ミサトがどれだけの想いをかけてくれたのか、直感的に、分かった。

だから、言葉を待っていた。葛城ミサトのこれからの言葉を。
かと言って、葛城ミサトとてこの先のことなど分かりはしない。ただ、これから先も厄介なことが多くやってくる、ということだけ分かっている。

「これからも・・・・・がんばって、いきましょう」

惣流アスカと碇シンジが力強くうなづく。結局のところは、それしかない。
単純かつ素朴。が、今はそれで十分だった。
この時間を共有した者だけに、感じる、とんでもなく時代遅れなものを。
日本中探したとて、いまはもう、いまい。これは義姉妹弟(ぎきょうだい)のような三人。






ネルフ本部 総司令官執務室



白銀の十字架を背負い、月光の原野に立つ蒼銀色のエヴァンゲリオン



後期制式型、後弐号機である。四つの光眼をもつが、頭部の形状が前期制式、赤の弐号機・テスタロッツァとは異なっている。西洋騎士の兜を思わせるフォルムが、主にのみ忠実に従う近衛騎士を連想させる。その点、対称として赤の弐号機は、同じ騎士の誇り高いイメージを顕わしながらも、自らの信念と正義の為ならば炎の旗を掲げて反旗を翻しかねないようなところがあった。それもまた、搭乗する操縦者の印象に負うところが強いのだが・・・・



A・V・Th・・・・それが後弐号機専属操縦者の名である。セカンド・チルドレン。



聖騎士が神に己が鉄の心臓を捧げるように両手を広げる。左右に展開される絶対双璧。
双方向AT・フィールドである。使徒マトリエルを一撃で圧殺した・・・・・


それはまた、蒼い炎に変化し・・・・鋼の繭の如くに全身を


蒼い炎を纏う・・・・・・高圧高出力AT・フィールド・・・・正式名称ではないが、便宜上にあえていうなら・・・・・・これはAT・フレイムだ・・・・・



後背部に架せられ・・・いや、装備されている十字架様の物体は、説明によると、「携帯用の兵装ビル」のようなものらしい・・・・第三新東京市で用いられることを想定しないエヴァならではの発想だ・・・・あの中に武器弾薬だの外部バッテリーだのが装填されているわけだ。バックパック・ランドセルと言い換えても良さそうだが、それを十字架に組み上げたセンスというのは、さすがに外国製だけのことはある。
第三新東京市からの供給は受けずに使徒を倒すという無謀を懺悔するためでもなかろうが。


「強襲型、ということか・・・・・・参号機と同じく」
衝撃がまだ、鬢をかすかにくゆらせているのだが、口調にはそれを表さない冬月副司令。


先の参号機の実戦演習の記録といい・・・・この後弐号機の記録といい・・・・・
確かに、どちらが配備されても渚カヲル、四号機の穴を埋めるに十分だろう。戦力的に。

ギルガメッシュ機関とゼーレより、ついでにいうなら人類補完委員会からもそのような選択が与えられたネルフ首脳部。参号機か、後弐号機を使徒殲滅の任に充てる。
どちらを選ぼうが剣呑なのは変わらない。はたまた厄介な選択だ・・・・・


「碇、どうする」

「ああ・・・・」