フィンランド 北極圏の境界村 医師モランの病院
 
 
 
すでに「手術」は始まっている。
 
 
住宅と一緒になっている個人病院というレベルの施設だが、此処にもはや欧州でも数えるほどしか残っていない機械義足を扱える医者がおり、そのための設備が整っていた。
義手義足の専用手術室は地下にあった。冷戦下の建築基準でシェルター設置が義務づけられているのだが、それを利用したものだという。
外見からは、木造の古式建築にしか見えないのだが。付近の村からの病人も数人入院してはいたが、綾波レイの知っている医療施設とはあまりにかけ離れていた。
待合室で待つこともなかった。なぜなら、そのような場所がないからだ。
 
 
モラン宅の居間で、暖炉の火を見つめている。窓の外はうろ黒い雪景色。溶闇。
太陽が昇ってきていない。夜のとばりをしまい忘れているのか。異国の夜の世界。
手術室の方に電気を使うので、こちらの照明は落ちている。代わりにロウソクの明かりが。
陶器の人形のようにみじろぎもしない綾波レイ。となりに野散須夫人が編み物をしている。
 
 
 
「綾波のお嬢は、皆に日本の話しでも・・・いや、土産物でも見繕ってくるとええわい。
ここらは意匠の優れた日用品やらがたくさんある。自分用に買ってもよかろうしのう。加持君や。綾波のお嬢を連れて・・・・
 
 
手術前のことである。野散須カンタローは・・・往生際が悪いというべきだろう・・・・綾波レイに頼むようにして言った。楽しませてあげてください、と葛城ミサトより預かった綾波レイが、なにも自分のような年寄りにつき合うことはない。待つことはない。
ここまでつき合うてくれたんじゃから、これ以上気の重いことをさせるわけにもいかん。
レイちゃんのおかげで、手術を怖がる余裕がなくなりましたね・・・・レイちゃんが来てくれてほんとに良かった・・・野散須ソノさんはそのように言った。
だから、もういいのだ、と。気をつかってくれて、わたしたちには十分すぎるほど、と。
野散須夫妻のおもうことは、同じだ。
 
洒落た店でも見てきてくれんかのう・・・・この土地の名物料理でも食うてきてくれい」
 
 
ギロッ。目玉を底光らせる。これは加持リョウジを脅しているのである。これを聞かんと後で非道い目にあわせるぞ、と。被護衛者に護衛者が痛い目をみせられてはかなわない、加持リョウジとしては従うにやぶさかではなかった。権限はなくとも、その年輪に。
 
 
しかし、綾波レイ本人が従わなかった。
 
 
「ムムム・・・・・っ」
野散須カンタローは鬼柿の如く渋りきり・・・・この雪娘をギロリと睨みつけた。
鉄血の軍人でも銃を投げ捨て裸足で逃げそうな戦艦主砲超怒級の迫力(ワガママ)
 
 
うむむむむむむ・・・・・・・・・・
 
 
だが、しょせんはかなうわけはなかった。「すまんのう・・・・綾波のお嬢・・・・」
非常勤なのをいいことに、総司令碇ゲンドウにもまともに下げたことのない頭を下げた。砲丸のように重々しい・・・ハゲ頭だった・・・・ひかっていた。
 
 
 
「あー・・・・・しょうべんがしてえのう・・・・」
 
 
 
手術室に台車で運ばれる直前の言葉がこれであった。しきりにこんなことを言っていた。機械義足との「接続」をオフにするために麻酔をかけたためか。いつもギロギロとしたあの目の光がうつろけていた。大昔の中国に、自分の骨を削られても眉一つ揺るがない長髭の豪傑がいたというが・・・・これからこの年寄りは、両足を失う。すぐさま繋がれるとはいえ、無の感覚を喪失感を味わい、その古剛の体に刻まれる。元来ならば耐え難い。
余裕をかましているわけではない。どのような人間でも、恐怖のことがある。
そして、それ以上に生理現象というものは逆らいがたいものなのだ。
 
 
連れ添いの野散須ソノさんはもちろん、護衛役の加持リョウジ、そして綾波レイも。
一度、肉体から離されたものをもう一度接続し、感覚を通じさせることがどれほどの苦痛を伴うものか・・・知識としてもっている。それが機械義足の自由に動かせる代償。
精神的な、しかし耐え難い喪失感の復活、幻の痛覚、義足であることが人間が物ではないことを思い知らしめるのだ。その者の頭に。自然に逆らってまで進める意志の有無などを。
しかも、頑健にして元気だが、老齢のこともある。ノンビリどころではないのだ。
 
 
葛城・・・・気持ちは分かるが、あの気性の作戦顧問に、この同行は酷だったかもしれんぞ・・・・・いや、酷だからこそか。加持リョウジは窓の外を見ながら煙草に火をつける。
今一つ、彼女(かのみさと)の考えていることが分からない。対岸の存在か・・・・
 
 
ともあれ、待つ他はない。医師モランは名医だ、と野散須カンタローは言った。
北欧くんだりまでかかりにいって任せられるほどにの。他の医者にはかかる気がせん。ま、風邪もひかん儂にはその必要もなかろうがの。かかかか・・と笑っていた。
 
 
野散須カンタローは「連れ添い」と呼ぶ、女性、ソノさん。長い時を同じくした相手を他人の手に任せるという気持ちというのはどういうものだろう。隣で炎を見つめる綾波レイはその熱を感じない。心の一部に真空が入り込んでいる。それが心温を奪う気化冷凍する。自分では隣の彼の女人(かのひと)を暖かくさせることができないから、ただ、その冷たさの側にいることくらいしか。かける言葉もない。安らぎの言葉がない。祈りもしない。
 
 
 
どうしても陰鬱になる居間の空気。予定というものがないらしいが、長い手術だ。
もうかれこれ・・・・・
 
 
「kaji・・・!
「rei・・・!
「sono・・・!
早口の、ぴし・ぴし・ぴしっと白樺小枝のムチでたたくよな三連チャンで呼ぶ声が。
 
 
小柄な、しかしピリリとマスタードの利いたタマネギのような女性が台所からお茶とお菓子を運んできてくれた。医師モランの奥さん、ミィさんである。ムーミン絵本の中から抜けだしてきたかのように、ミイそのものの人で、早口でエネルギッシュでいいたいこといいまくりで、世界の果てに腰掛ける怪物のようにモサっと陰気で無口で「モフ、モフ」としかしゃべらず暗あいモラン医師のよい相方となっている。
足して二で割れば、ちょうどよい、夫婦なのだからそれでいいじゃないですか、ということだ。日本からの患者とその同行者にも、言葉が通じないなり(英語もいけるのだ)にザクザクミュニケーションをとっていた。早い話がじめっとした遠慮がない。
何か怒ったような口調だが、それは本人の地なのだった。子供はいなかった。
 
 
「お茶だよ。あー、それにしても長いねえ。なんせ久しぶりだからジジイ二人して思い出話でもしてんじゃないかね。あんたたちも日本から来てこんな所で待たされてサ。
終わったら呼んであげるから観光にでもいってくりゃいい。どーせ、麻酔ですぐさま目を覚ますわけじゃないんだから、つきそったって時間の無駄ってもんさ。
あー、カジ。煙草はやめておくれよ。あたしも吸わないわけじゃないけど、茶の香りに混じっちまうからねえ。・・・レイ、暖炉がそんなに珍しいかい?そんなに見つめると暖炉が照れて溶けちまうよ。ほどほどにしな。それからソノ、十二番目のそこは編みが違うんじゃないのかい?老眼鏡が要りようならばあたしのを貸したげるよ」
 
 
生粋のフィンランド人でも聞き取れるかどうかの早口。それでいてなんとなく言っていることが分かるのは不思議。なんでもかんでも自分でやるのが大好きで、人が手伝おうとすると怒り出す。手際がよくて、よそ向いて話しながらポットからこぼすことがない。
 
 
「ほい、カジあんたの」「ほい、レイあんたの」「ほい、ソノあんたの」
「ほい、ミィあたしの」ポーカーのカードでも配る早さ!でカップを並べる。
 
 
それから、好きなようにフィンランドのことをしゃべる。昨日の夕食の席では、根ほり葉ほり一行のことを聞いてきたが、年の功で適当に対応していたのは野散須カンタローだけだったから、残りの面子の様子を見きっているのだろう。そのせいでネルフのネの字もでてきていない。ぬけぬけと作戦顧問は大嘘をついているからだ。ちなみに、オスロで泊まった時も、予約の宿帳には偽名をつかった。野散須夫妻は、根面山(ねもやま)ダレタロー・トラ、加持リョウジは双子共有の加山スイジ、そして綾波レイが、綾皆レイコという。この村ではその必要もないから、よかった。本当に。
 
 
「それにしてもなんだねえ。あんたたち、ほんっとーに、自分のこと話さないね」
マスタードを塗りつけるような口調でふいに言い出すミィさん。
「これがいわゆる東洋の神秘ってやつかね」
 
ほんとうのことは日本においてきている。話せるはずがない。昔話ではない、神話を。
綾波レイの赤い瞳は小揺るぎもしない。蝋燭の明かりを反射する。
「・・・・まあ、いいかね。だけど、日本の話でもしておくれよ。ああ、文化がうんたら言う話はいいよ。あたしゃ怖い話が好きなんだ。日本にもあるだろ?怖い話」
 
 
手術の待合いにて百物語。その発想自体がすでに怖いような気もするが、何か話している方が陰鬱も多少は紛れるかもしれない。漂う空気も、とわいらいとげな匂いがする。
 
 
「ああ、そういうことなら」
加持リョウジが口火を切った。「日本では怪談といいましてね・・・・」
小泉八雲のようなもの、それとも落語のようなものがいいかな・・・・・ちょっと一考してこの口達者な男は語り始める・・・・・・・
 
 
 
舞台は、京都
 
 
 
ぷるるうっ
 
加持リョウジの胸ポケットの携帯(震動・ネルフ諜報部特製)から連絡が入る。
どうも、危急の事態らしい。「ちょっと、すいません」加持リョウジは席を立った。
核爆発にも耐えられる設計になっている、「あのトランク」のことが暗く頭に浮かんだ。
 
 
 
「この写真はアタシが若い頃、ルチア祭りに女神役で出たときの写真サ。この髪をサ、こー結い上げる前の話でね。目つきはまー昔っから悪かったんだねえ。よく選ばれたもんだよ。どーだろ、コレ・・・・・それで・・」
 
居間から離れ、携帯を取り出す加持リョウジ。ここから連絡される事項はろくなものであったためしがない。仕事柄とはいえ、血の匂いが回路に染みついているんじゃないか、と思うことがある。今、この携帯に連絡できる人物は・・・・・
「加持です」
 
 
 
 
一瞬。
 
 
 
 
カッ、臥ッ、
 
 
古虎の咆哮
 
 
なんとも形容しがたい、古神社に描かれた破れの屏風の閉じ込められていた悪虎が最後の力を振り絞って自分の体の和紙ごと食い破って頭だけ無理矢理現世に出てきたような不気味で凄みのある咆哮が地下から突きあがり、階上にいる人間をグワンっと持ち上げた。少なくともこの世の生物の発するものではあるまい。化け物が背後に突如、現れて黒鉄大鐘をドドロと割り上げたよな錯覚に囚われる。
 
それを発したのが、自分達と同じ人間だと、あのハゲ頭の年寄りだと知っていながら、加持リョウジも、綾波レイも、携帯を、ティーカップを、取り落としてしまった。
何かの気合い術にかけられたように、手がびりびりと麻痺してしていた。血の震える。
 
 
「・・・カンタロさんは大したもんだね。ウチの人のアレにかかってたったの二声だ。
麻酔でもゲンゲンくんだけどね。足一本で一声、二本で二声。・・・そろそろ終わりか」
 
 
ミィさんの手は麻痺することはなかった。義手だからである。
割ってしまった綾波レイのカップをひょいひょいと片づけていく。
野散須ソノさんは、綾波レイのこぼした紅茶を急いでふいていく。咆哮はきくはずもなし。
 
 
 
「あっ・・・・」
体が動かない。大砲のような痛覚の伝達に神経回路が打ちのめされて、混乱を来している。
エヴァの神経接続などの実験に慣れたこの体が対応も出来ない種類の衝撃・・・・
 
 
 
おどろく
 
 
 
綾波レイは、おどろいていた。その名前さえ浮かばないほどに縁がなかった感情の働き。
かたかたかた・・・・ほんとうに小娘のように体を震わせる綾波レイ。
 
 
百戦錬磨の加持リョウジでさえ虚をつかれては、少々、腰をぬかせていたのだ。
「作戦顧問、死んだのか?!」という早計が浮かんだというから類は違うが。
人間でも、化け物のような声を発する時がある。それが本性だというのは文学の読み過ぎであろうが、たいていの人間は驚く。人の中には吃驚箱が用意されている。
 
 
「あらら。もしや、もらしてないだろうね。レイ」
 
・・・ミィさんはほんとうに遠慮のない人なのです。看護婦ということもありますが。
加持リョウジもここにいませんし。悪気はもちろん、ないのです。
 
確かにおどろきはしたが、それは恐怖に通じるものでなく、迷いに近いものだから、そのようなことはないのである。度胸一般でいえば、使徒と戦う方が恐ろしいことだろう。
 
「は。別にそれでもかまやしないからね。ま、病院だからね、いろんなことがあるさね。アタシも若い頃、火事場でケガ人の面倒みてたら、後ろからいきなり血まみれ大ヤケドの男に何カン違いしてんのか、ネックハンキングツリーかまされたことがあるからねえ。そんときはやっちまったよ・・・」
 
「レイちゃん、気持ちが悪かったら二階にあがっていてね」
小柄でもオニオンヘッドパワーで豪快なミィさんと、障子にさっしに気をつかうソノさん。
 
 
綾波レイともなれば、おどろくのもたいへんである。
 
 
 
 
カツーン、カツーン、カツーン・・・・・
 
 
「・・・・・?」
今何か聞こえたような。
 
 
カツーン、カツーン・・・
 
 
「うわっ!?」
加持リョウジの驚いた声が向こうである。気配がビョンッと飛び退いている。
 
 
 
「まさか・・・・もう?」
人間はロボットではないのである。大業に体をいじくれば、安静にしておかなくてはならない。しかし、この聞き覚えのある音に綾波レイは老女ふたりを振り返る。
 
 
 
カツーン・・・・・
音は、わざとなのかなんなのか、あざといくらいに居間のドアの前で止まった。
 
 
 
しーん・・・・・ドアは開かない。
 
 
 
 
開けてよいものかどうか、綾波レイには判断がつかない。ネルフの教科書通りにいくならこちらから開けてはならない状況であった。怪しすぎる。
 
 
 
しーん・・・・・・木製のドアは語らず。
 
 
 
もしや、再接続を完了し、医師の止めるのもきかずに調子こいてここまで見せにやってきたはいいが、いきなり動かして義足の調子がおかしくなったか、痛みが走って人間の方がおかしくなったか、・・・・・そのようなケースも考えられる。その姿を見た(のかどうか分からないが)と思われる加持リョウジがなんのリアクションも起こしてこないのも気にかかる。
 
 
 
「かまいたち・・・・」
 
ぽそっと、綾波レイが言った。
 
 
 
そして。
 
 
 
カツーン、カツーン、カツーン・・・・
音は遠ざかっていった。一体、なんだったのだろう・・・・。謎、であった。
 
 
 
「ああ、ご先祖さまさ。・・・・遠くの国から来たあんたたちが珍しかったんじゃないのかね」
 
 
 
こともなげにミィさんは言うと、「さ、そろそろ電気の光に戻そうかねえ。ジラジラっとしたのは嫌いだけど便利はいいからねえ」さっさと電源を切り替えに出ていった。
ここは病院だ。そのようなこともあるのかもしれない。詳しいことは加持リョウジが知っているだろう。教えてくれるかどうかは別として。綾波レイは銀の月みあげるオオカミの遠吠えを聞いた気がした・・・・。空の色が青から緑にかわる。
 
 
 
廊下では、この暗がりでは見えまいが、飄々とした普段より血液を一リットルほど抜いたような加持リョウジが携帯を握りしめたまま、呼吸を整えていた。
「なんだったんだ・・・・・アレは・・・・・亡霊・・・」
 
 
「どうしたのだ加持君・・・?そちらで何かあったのかね」
 
突如、機能的にありえない空白が混入した携帯からは通話相手の訝しげな声。
 
「いえ・・・なんでもありません・・・・(ががー。。ぴぴー))電圧の調整が・・ですね・・・・ところで先ほどの話ですが・・」
ちなみに、(ががー。。ぴぴー))の雑音は、加持リョウジの自前の演技である。芸達者。
 
 
 
「トランクを使うことになりそうだ」
 
 
 
電話の向こうの声は陰鬱である。使わずにおれば最上の策、というものがある。
加持リョウジとしてもここまで持ってきた甲斐があったわけだが、報われる気もしない。
 
 
「至急、「学者貴族(ザビタン)」に向かってくれ」
 
 
「学者貴族」・・・・マギ弟子の一つ、北方賢者、マギの六号の暗号名である。
マギ弟子にはそのような異名がついているものもある。北京のマギは「論子・(ロンシ)」
ワシントンのマギは「林檎大統領・(プレジデント・アップル)」、ほかにもある。
しかし、機能能力的にはネルフ本部のマギ・オリジナルに束になっても及ばない。
 
綾波レイの北欧行きなんぞを許可したのは、最初からその計画があったためである。
作戦顧問と同行したのも、その目的と合致したためにすぎない。
もうしばらく、ご一緒したかったが・・・・加持リョウジは情としてそう考えた。
 
「そうなると、護衛は・・・」
 
「すでに代わりをそちらに送ったよ。気の毒だが、これで休暇は終・・・・
 
 
突然、通信がぶつ切れた。碇司令ならばともかく、副司令にはついぞないことだ。
いぶかしむ加持リョウジ。二、三度送信を繰り返すが、繋がらない。
「はて、どういうことだ。これは」
 
 
自然現象か、はたまた機械的なトラブル、または人為的なものなのか、判断がつけにくい。最悪のケースとしては、こちらに標的を定めた通信妨害が考えられる。
人間を捕獲するために、こんな村など丸々焼き尽くすほどの火器をもつ部隊の包囲。
加持リョウジはすぐさま確認する。ここは欧州。どのようなことでも起きる。
村の周囲の木々に差し込んだ、針ほどのセンサー。たとえ光学迷彩を着込んでこようが見逃すことはない。それを展開させて索敵範囲をキロメートル単位で広げる。
 
再び通信を求めるが、完全に繋がらない。なにか、あったようだ。盗聴か。ゼの字か。
ありえない、ということがありえない。裏の世界の混沌は読み違えると、死につながる。
独自の判断で動くほかナシ。加持リョウジの表情がにやけてくる。危険な男だ。
葛城ミサトの知らない男がそこにいた。おそらく、最悪のケースが起こり謎にして冷酷で機能的な戦闘部隊が襲撃してきたとしても、護衛者は仕事をやり抜くであろう。
 
 
それだけに、慎重である。加持リョウジは動かず、しばし状況確認のため時間をおくことにした。実際の所、綾波レイを同行させねば意味がなく、それは、体力的に難しいものがあるからだ。連絡のあった、次の護衛者に合流引継をかわしてからでも遅くはない。
いくら至急でも、死んでしまってはおしまいである。加持リョウジはよく知っている。
 
 
「カジー、長い便所だね。悪いけど早く出て手伝っておくれ、久しぶりにオペ室を使ったもんだからブレーカーがおかしくなってやがるんだよ」
貴重な男手が呼ばれている。加持リョウジは普段の表情に戻ると、よばれていった。
 
 
 
 

 
 
            頭上を見よ 彼の子はそこにいる
 
 
 
見上げることしか出来ない。エヴァ初号機。その中にいる碇シンジ。
使徒に勝利したにもかかわらず、発令所は神雷でも落とされたような静けさに包まれている。誰もが泣き出しそうな顔でモニターを、市街を、その中央にある初号機を見上げている。エントリープラグの中に浮かぶ、気力を使い果たして眠る少年。声を喰われた。
奇跡爆心地。
 
 
葛城ミサトは、赤木リツコ博士の言葉を思い出していた。
 
 
「もう、初号機に関して思い煩うことはやめたわ」「なぜ?」「一線から退いたときの研究テーマとして残しておこうと思うの」「なにそれ」「進化しているから。兵器として、順当に、ね」「どーゆーことよ」「兵器の歴史をそのままなぞっているということかしら」「頼むからもうちょっとわかりやすく」「・・・・後世の歴史書ではどんな捉えられかたをするのかしら・・・たぶん、終末の悪魔兵士とでも」「おいおーい、戻ってこーい」
「・・・・エヴァ初号機は強いってことよ」「・・・それって誰かさん入ってません?」
 
 
 
「二倍、五倍・・・・・いえ、三十倍でもきかないほどの、圧倒的な”操支配力”を」
 
 
 
そこまで言われてようやく気づいた。戦争兵器としての「根絶消滅兵器」がひとつの頂点だとしたら、もうひとつの至高が、「操支配兵器」・・・・相手を思うとおりに従わせ使ってしまう能力だ。究極的に強力な兵器力も、そこに至るための一つの階梯だといってもよかろう。相手の力がそのまま自分のものになる・・・これほど美味しく理想な話はない。鼬ごっこの空しさを、軍人ほど通説に感じている者はいない。前々から考えては、いた。エヴァの空前的能力絶後の戦闘力を人間の軍隊にぶつけたらどうなるか、と。
勝つの負けるの破壊するのという、玩具のよな使い方はするまい。
 
 
たとえば、エヴァ四体による、A・T・BABYLON・・・・・四号機の目測計算能力があれば海底基地のシエルターのトイレに隠れようとも、ピンポイントで対象人物のドタマをぶち抜けるし、
 
 
 
たとえば・・・・・これは恐怖の想像だが・・・・・・
 
 
 
綾波レイと零号機だ。
エヴァにシンクロ可能だということは、その搭乗者の能力もそのままエヴァのサイズで発動可能だということだ。チルドレンである、ということはそういうことだ。
零号機に乗り、その一つ眼で催眠(ヒュプノス)を電波に乗せて放った、とする。
これだけで、綾波レイさえその気になれば、千年の女王にさえやすやすと無血即位できる。
使徒と相対するときはそれどころではなかろうが、もし綾波レイの虫の居所が悪く、世の中に絶望などしており、ネルフのスタッフ相手に「みなさん、しんでください」などと催眠をかけられでもしたら・・・・それで本部は全滅である。芦ノ湖は自殺者で埋まる。
 
エヴァというのは起動が手間がかかる分、これほどまでに恐ろしい兵器なのである。人間をそのままばかでかくしているだけのことはある。
ある意味、とんでもなく、邪悪だ。綾波レイの佇まいも、その意味で正解なのだ。
幹部クラスともなれば、こういうことにも気づいておろうが、口にすることもない。
 
 
 
ところが、である。
 
 
 
先ほど、エヴァ初号機がみせた「それ」は、単なる「巨人につきまとう恐怖」を超越した「完全に人であることを越えてしまった存在」の「御業(みわざ)」
 
 
 
限りなく、あっけなく、静かだったが、見ている者の精神世界に、心象に与えるイメージ。
太陽がそのまま墜落して大爆発を起こしたような衝撃。強い強い光に包まれた時、人間はただガタガタと小動物のようにうち震えるしかない。太古の羊歯の葉の下で。
 
 
エヴァ初号機の強いのは毎度のことだが、今度ばかりはまさしく、世界次元が異なった。「強い」だの「無敵」だのいうレベルではない。なにせ自分では何一つしなかったのだ。遠方より、JA下兵卒が戦うのを見物していただけなのだから。わずか五秒ほどの。
 
 
発令所の誰も、何ができるのか知らなかった。彼の子供に。
何もできないだろうことは、知っていた。あらゆる条件付けが彼の子供の意志を封じ込もうとしていた。使徒が第三新東京市に侵攻してくれば、奇跡が起こることの予感くらいはしていたが、これほど早く起きるとは、予想だにしなかっただけだ。使徒との戦闘の最先端、ネルフの発令所の人間の思考よりも速く、事象が回った。これまでの経験の全く通用しない。時代遅れ、という単語がこれほど鋭利に響くとは。そう、気づくのが遅かった。
世界という戦闘基盤に駒を動かし、勝利を収める。
 
 
発令所が喰われ、すでにエヴァ初号機の腹の腑におさまっていた。
 
 
これは、ある意味見立ててみれば、そういうことだ。丸呑み。コマンド・たべる。
勝手に戦略思考し、戦術を行動に移す機能・・・・・人造人間に最も会得してほしくない機能・・・・そして、操支配能力。JA側の人間は夢にも信じたくないだろうが・・・・
 
 
 
あのとき。
 
 
 
ビルの中から現れる初号機。このときはまだ起動指数までシンクロ率があがりきっていなかった。ビルにもたれるような格好で気合いの入っていない初号機。教会に慈悲をねだりに来た浮浪者のように眼に光がない。銀の燭台でも懐に隠していそうだった。
ようやくシンクロ率が二桁になり、曲がりなりにも起動可能になった、が・・・・
 
 
 
かっくん からくり人形のように
 
 
首だけ動かして                 じー・・・・・・・・・・・
 
 
 
何かを見ていた。その方向は、使徒とJAが戦っている凄惨なリング。
初号機が「次の行動」に移って、はじめてそれがわかったのだが。
 
 
 
ざっ、さっ。                      (じょ、わっ)
 
 
 
おざなりな十字をくむ真似をした。あるいは、うろ覚えに崩れた宇宙の印形か。
 
それだけだ。
 
 
 
なんの意味があるのかは、戦闘現場のモニターがすぐに教えてくれた。
そして、第三新東京市上空を監視するカメラからの映像が。
 
 
夜空に閃いた、曼陀羅のよなコバルトブルーの「絶対運命系統回路図」・・・(或いは、人に造られしもののためのセフィロトの樹)
 
 
 
それが超音速の気流に乗りつけた闇の大凧に記されて東涯に吹き飛んでいく。
いまや死に絶えんとする鉄の兵士を戦鬼として甦らせる戦わせる王導の。
 
 
そして、敵を殺させる。
 
 
邪眼。悪魔がひどく好むような戦法であろう。楽して子分に戦わす。
また同じようなことが「日常的」に出来るのだとしたら、すでにJAは初号機の臣下だ。
 
これを、「偶然」と見なすことは可能である。だが、葛城ミサトは覚えている。
これと似たような事象を。または似たような能力をもつ少年のことを。
渚カヲルと四号機。エヴァシリーズに対する「制御」。その増幅拡大版だといえないか。
 
 
上位技能「操支配」・・・・生まれを同じくするエヴァシリーズをも服従させることが、
出来るのだとしたら・・・・今後の展開はまるで異なってくる。エヴァ初号機勅令。
 
 
専用機以外にも操縦可能だというその能力。賢いだけに、最小限の公開で済ませていたが、もしや彼も・・・・・法皇のように
しつこいように今更だが、銀色の髪の少年の不在を惜しむ。詳しく問いただしたい。
そうだ・・・実戦の場に残される友人をそのままにしておくようなタマじゃない・・・。
 
 
 
けれど
 
 
もし・・・・・
 
 
もし・・・・・・・・・碇シンジ君、
 
 
 
君がこういわなかったなら、他のことも考えられたのに・・・・・
ただ一言。
 
 
 
 
「・・・動いてよ」、と。
 
 
 
 
「まさか、狙っていたんじゃあるまいな。碇」
シナリオの一部が突出して苦労するのは私なのだぞ、といいたげな冬月副司令。
まあ、マギの件がある以上、多少は見せつけて身辺を掃除する余裕が欲しいところだが。
 
 
それには答えず、総司令碇ゲンドウは席を立つ。「あとは頼む・・・・ケージだ」
 
 
「ふむ・・・・父親としての面倒か」
碇ゲンドウ専門家として、珍しいものを観察したように述べる冬月副司令。
もちろん、紳士である副司令は碇ゲンドウに聞こえるようには言わないのである。
冷静なこの人物は、碇シンジが高熱を抑えて戦ったことに適量以上の同情を抱かない代わりに、エヴァ初号機が絶大な力を示したことにも圧倒されない。
あとを頼まれたからには、適当に事後処理するだけである。困ったことに、自分が「あとを頼む」べき葛城一尉がケージにすっ飛んでいっているので、あとを頼めない。
ロンゲのわり・・・いや、若いわりにはよく働く青葉君もいないから、ちと面倒だな。
赤木君もまだ戻らないしな・・・・・仕方がない。
 
 
「パターンは消滅だな。・・・戦闘態勢より警戒態勢に移行・・・・・
ひとまずの勝利だ。今回は後片づけをしなくて済むのが助かるな。そうだな・・・祝電でも打ってやるか」
いつも通りに平然とした冬月副司令の命令が、発令所を事務的に動かしていく。
神聖な恐怖に囚われていたスタッフたちも、散文的に有能な自分を取り戻していく。
さすがにネルフの大番頭。やはり学者には惜しい人物であった。
その祝電の文章を考えているところに赤木リツコ博士がようやく戻ってきた。
 
 
 
「ただいま戻りました・・・」
 
 
金髪にかかる霜を払いながら、疲労困憊といった様子で眼の色に光が失せている。
クール・ビューティーというが、あれは修辞上の嘘だな。女性を冷凍してもどうもな・・。
「一杯のかけそば」をなぜか連想してしまう冬月副司令であった。
 
よろり。足取りも危うい。今にも倒れそうな調子であるが、抱き留める甲斐性は副司令の灰色の辞書の中にはない。
「大変だったようだね・・・・」せいぜい、ねぎらう程度だ。
「それで、マギの調子はどうなのかね・・・・・・おや?」違和感に気づく。
 
赤木リツコ博士の隣、または一歩引いて後方にいるはずの、伊吹二尉の姿がない。
出発時には確かにおり、こうして帰還したならば、戦闘態勢は解除されたとはいえ、警戒態勢中では発令所オペレータとして早々に職場復帰してもらわねばならんのだが。
見てみたまえ。日向君など明後日からテレビの視聴が不可能な生活が待っているとも知らずに奮闘しているというのに。
 
 
「ところで伊吹二尉はどうしたんだ。まさかマギの中に忘れてきたのではないだろうね」
そんなことになっていれば、伊吹マヤはすでに死んでいる。マギの中は赤木一族の案内がなければ生きては戻れぬ魔窟なのだから。人の悪い。
使徒との戦闘後に戻ってきたことは咎めはせぬものの、まあ、発令所体というものもある。
 
 
 
「は?副司令、マヤがどうかしましたか」
 
 
 
が、返答は冬月副司令の眉をひそめさせるものだった。どうかもきんかもないものだ。
 
「君に同行した伊吹二尉だ。この通り、たてこんでいるのでね。戻ったところを早速で悪いのだが・・・」
 
 
「ちょっと待ってください、副司令。同行というのは・・・・私は”一人”でマギの中に降りていったはずですが」
 
「・・・・そんなはずはあるまい」
 
いくら疲労しているからといって、その思い違いはあるまい。と、なると伊吹二尉は置き去りをくらったことになるではないか!それはえらいことだ。
碇シンジが重熱をおして初号機に搭乗したときも、葛城ミサトが張り手を食らわしたときも冷たいほどに平然としていたくせに、これには少々慌ててくる副司令であった。
 
 
じろり。赤木君の目をみる。・・・・・・困ったことに、なんらかの作為ではないようだ。早い話が、真面。・・・・なんだか薬緑に血走っておるような・・・・怖いな。
だが、確認はせねばなるまい。早急に。するまでもないと思うが、なにせこの目で見ている。確かに赤木伊吹の二名がマギの内部に入っていくのを、この私が見ているのだから。
発令所のほかの者たちも確かに見ている。ついでに言うなら碇も見ている。
 
 
 
マギの中で何かあったのではあるまいな・・・・・人生に対する意見の相違など
 
 
 
オペレータに命じてマギの内部にまだ人間がいるかどうか確認させる。やれやれ、こんな後始末が待っていたとはな・・・セキュリティや温度調整の復帰をしばし待たせておく。
全く、どうしたというんだ。赤木君は。鈴木その子のような顔をして。まるで気がない。マギのことがやはり、よほどの負担になっているのか・・・・・
 
 
 
「マギの中は完全無人、確認いたしました・・・」
とりあえずの安心だが、報告の歯切れが悪いな。続きがあるようだ。「どうしたのだ」
 
「先ほどの点検時のマギ内部入室記録なんですが・・・・・一名しか、赤木博士のものしか認識記録されていないのです・・・・伊吹二尉の識別記録が・・・・ありません」
 
 
「なんだと」このオペレータも二人が潜るところを見ている。周りの者も操作の手を止めその異常事に注目し始めた。ケージの方でもなにやら異常時が起こっているようだが。
 
「そんなはずはないだろう。もう一度確認してみたまえ」
言ってはみたものの、使徒戦に関わるネルフ発令所のオペレータがそんなミスをするわけがない。事が事だけに報告前に五十回は確認したはずだ。
 
 
「確認も何も、始めからマギに入ったのは私ひとりなのだから、記録が残るわけがないでしょう」
 
「誤認では、ありません・・・・システムは正常です・・・」
マギの言うことが本当なのか、自分たちの目で見たことが本当なのか。
 
 
「疲れました・・・・・しばらく研究室で休ませていただきます」
 
 
「霧島君・・・・・どう思うかね」
冬月副司令の視座はこの程度のことでは揺るがない。他者に適量以上の信用も愛情も幻想も抱かない人間だけがもてる安定器から測ってみると、出る回答はただひとつだ。
「”マギ隠し”ということにでも。語られずとも・・・遠からぬうちに」
そして、変形ではあるが最も適切な対応を献じる。
 
 
「君も冷たい男だな・・・・この場に丁度、葛城一尉や野散須がいなくて良かったぞ」
 
 
伊吹マヤはマギ内部から戻ってこなかった。むろん、本部内の何処にもその姿はない。
失踪・・・・といってよいのか。ともかく、消えた。消失・ロストである。
諜報部に捜索されることもなく、三日後、伊吹マヤの身分証は抹消廃棄された。
 
 
 

 
 
 
エヴァ初号機ケージ
 
 
 
 
戦闘ともいえぬ戦闘。ただ戦場に立ちはしたが、その機体に瑕瑾もなし。ただ。
 
市街にでたが一歩とても移動しなかったくせに、その電力使用量は「凄まじい」の一言に尽きた。まともに計測すれば新たに電力の単位が必要となるだろう。「1シンジ=」とか。電源ケーブルから引くことをせず、自前でまかなっている「らしい」(赤木博士説)ので第三新東京市としてもネルフとしてもいいのだが、問題は、その極大電力をアースせずに使用してしまったことだ。なにせ刹那一瞬にして不可視の出来事であるから、確固として言いかねるが、おそらく空中に逆放電し潮のごとく流し込んだ際に、コントロールしそこねたか余剰分の電気が初号機の体内を伝って大地に環流しようとしたのだろうがまずいことに、その途中のエントリープラグ内LCLに迷い溜まりこんでしまった。
 
 
 
と、どうなるか。
 
 
 
よく碇シンジは死ななかったものだ。が、人間電気ウナギとなった十四の少年はエントリープラグから出られなくなってしまった。正解は、とっくのとうに気合いと緊張が抜け、さらに高熱のせいでとっくのとうに意識を失っている碇シンジを周りの者が手を出しかねているという状況だ。逆に、近づいた整備スタッフを何人か緊急病院送りにしていた。
発令所から烈火轟雷疾風怒濤の勢いで葛城ミサトが駆けていったのだが、動物的カンで直撃をなんとか避けていた。髪の毛が一部チリチリにされたが。周囲五メートルは雷撃圏。
空間限定に異常レベルで雷が発生しやすくなっている。雷獣やイズナに護衛されでもしているように、液体の玉座に眠る少年に触れようとする者は強制ボルテス排除される。
近づけるものではない。機械でさえも次々とおかしくなっていく。
 
 
 
聖なる櫃(アーク)・・・・・とても迷惑な。まさにアーク。
 
 
 
「LCLを抜いたらどうすかねえ。電気がひたひたって感じでどうもアイツがいけねえような気がしますぜ」
「バカ野郎!この状態で噴き出させてみろ。被害が広がるばっかりだ」
「それに碇の坊の体のこともあるだろう。・・・・埒があけねえなア。赤木のセンセイはまだ潜ったままかい・・・・このままじゃナマズの子になっちまうじゃねエか」
「しかし、手えまわすなら速い方がいいですよ。この調子じゃプラグ周りの機器もおかしくなりかねない。初号のアレは多少カミナリに強くはしてますがね・・・」
「フタくれえは開けてみるか・・・・おい」
 
電気は科学に統制されていたんじゃなかったのか!?とここまで「きちまった」整備者に弱音を吐く者はいなかったが、これはさすがに厄介だった。
 
 
 
「あった!?耐電服・・・え、試作品?かまうもんですか。緊急時なんだから!!
え?女性用じゃない?あー。もうそんなのいいって。なんか問題あんの?!はぁっ?
デザインが「おーい!はに丸」そっくり?機能だけ保証してくれりゃなんでもいいわよ!」
 
直接つっこむとどうなるか思い知った葛城ミサトは早々に次の手を打ってきた。
整備の若い衆に命じて耐電服を持ってこさせたのだ。いきなり赤いジャケットを脱ぐ!
 
 
「おい、葛城サンよ。あンた、何しよってんだ」
整備長は赤いジャケットも黒いインナーも関係なし。「おおー」とのけぞるタマゴローな自分とこの若い衆より無茶な突撃に諫めかかる。
 
 
「止めないでください」
 
が、聞く耳もたぬ。服というより埴輪のぬいぐるみのようなそれの背中のジッパーを下ろして着入ろうとする。目の色は火事の中に取り残された子供を助けようとする紅蓮の母親。こりゃ、止めようがねエわな。チャキっと諦める整備長。人生はてめえのものだ。が。
 
 
「てめえら、この無茶苦茶女を止めとけ」
 
 
命令一発、わっと整備の人間が葛城ミサトに被さるようにして止めさせる。
 
 
「わわっ!!普通、こういうときは素直にいかせてくれるもんでしょうがあっっ!!」
 
二、三人葛城ミサトにぶん殴られてハネ飛ばされるが多勢に無勢。十人にのしかかられて抑えられる葛城ミサト。それでもまだ暴れようとする。まるでアマゾネスだ。
 
「・・・ンなこと誰が決めたんでえ。ここは整備のシゴトバだ」
ビシ。煙管でやけっぱちの額を一喝する円谷エンショウ。
 
 
「女の出る幕じゃねエ。頭に血イ昇らせてねえで、やること見てな・・・・よ」
 
 
 
首をめぐらせた。その渋い視線の先には・・・・・総司令碇ゲンドウが立っていた。
 
「あたしらの手にゃア負えません。頼みますぜ」
 
 
 
いらえはない。眼鏡を指で直し、ただ進み出る。感情を表さぬ足音。
「・・・・・・」
 
取り押さえられている葛城ミサトの側で歩みが止まる。ここから先が雷撃圏だ。
「葛城一尉・・・・・」
 
 
「はい・・」火薬の匂いのプンプンする返答。直接、首でも言い渡しにきたか。
 
 
 
「シンジは・・・・」
 
 
 
「は・・・・?」
 
 
 
「一昼夜、そこの木箱の中に詰めておけ・・・・それで治る」
声が出現元に置いてある、棺桶のような木箱を指す。これのことか。疑問を表に出す前に碇ゲンドウの歩が進む。
 
 
 
エントリープラグまで。その歩法になにかあるのか、子の雷を無効化する。
無言の表情のままに。碇シンジ、息子の前まで雷撃圏を問題にせず近づく父親。
 
 
 
「ふむ・・・・・伊達に六分儀の名を捨てたわけではない、か」
 
 
 
これまたいつの間にか現れた冬月副司令が謎めいたセリフを語る。
 
「副司令・・・・」
 
「なかなかいい格好だな。葛城一尉」
 
抑えつけられたままの葛城ミサトを見下ろして、川柳でも詠むようにいう。
なかなか言えることではない。まるで悪の組織の怪人博士だ。
「まあ、そのまま見ておきたまえ」
 
 
「あのー・・・もう暴れる気はないんですけど。傍観モードに入りますし」
ある意味、碇司令より意味不明で頭にくる上役だ。偉さは認めますけど。
副司令直々にこうのたまった以上、事が済むまで葛城ミサトは解放されまい。
もしかして、このまま暗黒の懲罰房に叩き込まれて、どんな極悪人でも紳士的に大人しくなる、塩分抜き食事を食わされるかもしれない。・・・・やりかねない。
 
 
 
「別段、碇も息子のことをそれほど知っているわけではない。離れている時間が長すぎたからな」
 
 
「はぁ・・・」
 
 
碇ゲンドウがエントリープラグまで辿り着いた。開閉装置を操作するが、反応がない。
手動に切り替え、ハンドルをギリギリ回し始める・・・・・機械的に。
 
 
 
「殿様ガエルの子は雨蛙ってことですか。血脈はモーターで回るにあらず、と」
自分の焦げ付いた一房の髪の匂いが強く香る。自分には道は開かれなかった。
まあ、当然か。先ほどは自分が少年の行く手を塞いだ。
 
 
 
「・・・・・・君でもいじけることがあるのだな」
さも意外、といったように冬月副司令。
「悔しいかね」
 
 
あんた鬼ですか、といってやりたくなったが、黙っていた。どちらかというと、副司令のそのような言葉、響きこそが意外だった。人間的、というかある種の親しさというか。
それは、共通項の移動なのかもしれない。結びが「碇に関わる者」にかわっての。
 
 
 
ぎりぎりぎりぎり・・・・・・・・・・・・・・・・バカッ
 
 
 
エントリープラグのフタが開き、肉眼で中に眠る少年が確認できた。
 
 
 
「息子のことは知らないが、母親のこと、妻のことはよく知っている・・・・・
要は単なる経験の差、そしてその応用にすぎないのだよ・・・・」
 
 
 
長身の父親が息子を引きずり出す。そしてそのまま背負い、帰路につく。
まったく表情が変わらない。まるで登山者がリュックを背負っているような。
シジフォスが岩を山頂に押し上げるときでももうちょっと人間味のある顔をするだろう。
新・銀河テレビ小説「おげん」・・・・・そんな怪しい単語も思い浮かんで困る。
周囲の者も、どう反応してよいやら分からずに無言で見守るのみだ。
 
 
「まあ、こんな親子なのだよ。不器用でな・・・・・・それでは葛城一尉、あとは頼む」
副司令は、まさかこれをいいたいがために降りてきたのではあるまいか、という一抹の疑惑を残しつつも、整備長に目で仕切を任すと去っていた。
「へい・・・・おい、葛城サンを放してやれ」
 
 
ようやくお許しが出た。被害重大役得十分、な役目であった。後が怖いので早々に葛城ミサトを解放する。脱兎して立ち上がる。駆け出す先は碇親子とは正反対。
この親子に関わるのがつくづく嫌気がさして逃げた・・・・・わけではない。
 
棺桶のような木箱。よく分からないがそれに詰めておくよう指示された箱。
手伝ってやれ、とは整備長は命じなかった。これは他人が手エ出すことじゃあねえなア。
まあ、勝手に体が動いちまうのあ、しょうがねえがなあ。止めもしない。
何が入っているのか知らんがな・・・・・機械整備の領分じゃねえのは確かだ。
「ン・・・・なんか臭せえな」鼻を甲で撫でる円谷エンショウ。
「墓場みてえな・・・・・おい、こいつア・・・・・!」
 
 
パチパチ・・・・・・なんだか異様な撥音が。それに、炭素がじじけている臭い匂いが。原因はすぐに分かった。こちらに歩み寄ってくる親子から。
 
 
 
青白く光る眼鏡。人格的威圧感によらず、なんか電子的に明滅しとるような・・・・
その長身からも煌めく霞のような異様なオーラが・・・・精神の昂揚とは無関係げに
 
 
碇ゲンドウが焦げている・・・
 
 
平然としているだけで、どうもしっかりダメージはあったらしい。それとも鈍感なだけでいまごろ雷撃圏の威力が通じてきたのか。それはともかく、これではカチカチ山だ。
正面位置からではみれないが、後頭部はもしやアフロになりかけているのでは・・・
このままではネルフ総司令がやばい。いち早く見抜いた葛城ミサトが慌てるわけだ。
 
 
「こりゃやべいっ!手前らあるったけ消火器もって来い!!漏電用のやつだ!」
 
一応、人間相手だ。スプリンクラーや設備用の泡消化器を使うわけにはいかない。
号令一発、大急ぎで各所に散っていった整備員たちが赤ボンベの消火器を集める。
 
 
「シンジ君っ!!」
 
 
木箱はかなり重かったが、そこは火事場のバカ力。一気に運んで叩きつけるように碇親子の前にそれを置く!メリメリメリっと大急ぎでフタをあける。指が痛いが気にならない。中に何が入っているのか、確かめる間もなく、父親が息子を箱の中に放り込む。
そこに碇シンジに覆い被さるようにして背で守る葛城ミサト。ほとんど反射だ。
 
 
ビシッ 青白く光っていた眼鏡の左眼レンズが・・・・・・割れた
 
 
「一斉放射だ!!」
まるで未知の怪物に対抗するように、二十人からの整備員の消火器攻撃。
中にはピンを抜いていなかったり、ホースの先のフタを外してなかった者もいるが、十をこえる消火射線が焦げる碇ゲンドウを真っ白く染めて泡ぶくゴリラの出来上がりだ。
 
「よ・ぐ・・・・」
 
何やら息子に言いかけたようだが、その言葉も泡と消える。時間にして十秒ほどだ。
このときは予期せぬ異常事態に慌ててしまったが、よく考えてみればそんなには消火器はいらなかったような気もする。整備の団結力と行動の迅速さがまあ、裏目に出た・・かも。
 
 
まさか国連直属の特務機関の総司令まで成り上がって、こんな目にあうとはさすがの碇ゲンドウの行動表にもなかっただろう出来事。ゼーレや人類補完委員会のメンバーが見ればウキウキ両手を叩いて喜んだであろう。
 
 
さっきとはまた、「別の意味」で言葉がない。冬月副司令がまだこの場にいればなんとか余裕をかましてくれたかもしれないが。とどのつまり。碇司令も。
 
 
やせ我慢だったのかー・・・・・・・・
 
 
だが、やはりこのときにも碇ゲンドウの表情は微塵も変わらなかった。
己のなす事を済ませた後は、何事もなかったようにケージを無言で去った。
背中は・・・・・白けてなかった。
 
 
 
飛沫を浴びて、背中が白くなった葛城ミサトはゆっくり上半身を起こして碇シンジを見る。
髪の毛がぱつぱつ音をたてた。静電気か。もうこのレベルに落ち込んでいるらしい。
それとも、父親が無駄な電気を取り上げてもっていったのか。なんにせよ・・・・
 
 
 
「タマネギ・・・?」
 
 
 
薄情なようだが、碇シンジのおたふく状態がなぜかおさまっていることよりも箱の中身に先に気がいってしまった。木箱の中には、神秘的なバラの花束、ではなく、たまねぎがギッシリ詰まっていた。たまねぎ=タマネギ、玉葱である。ゆり科の多年生栽培植物。まりを押しつぶしたような形の鱗茎は食用になる。・・・・そりゃいいのだが、これはなんなのだろう。まだバッテリーが詰められていた方が納得できる。サラダじゃあるまいし。
 
タマネギがなぜか電気を吸い取っていることには気づかない葛城ミサトであった。
 
 
ともあれ、これはネルフの極秘事項となるだろう。先ほどの件をしめしあわせて。
 
 
 

 
 
 
オスロ・ファルネブ空港に、一人の若い日本人男性が降り立った。
 
 
 
北欧の風にロンゲが吹かれる。「俺は飛行機だー・・・」機内での睡眠不足のため何やら怪しいことをつぶやいている。ふらふらー・・・・疲労気味らしく足がふらついている。モーレツ商社のビジネスマンかと思うとさにあらず、背中のギターバックと茶色のグラサンからしてみると、何かの間違いでレコードがヒットしてしまって憧れのアビィロードでレコーディングしようとしたところ、なにかの間違いで北欧に来てしまった音楽関係者のようだが。「俺は機関車だー・・・・・」つぶやく言葉も歌詞に聞こえないこともない。ふらふらとタクシー乗り場にむかう。周囲の旅行者もよけて歩く。
 
 
彼こそ、冬月副司令の命令により何の前触れもなく極秘任務を授かって北欧に飛ばされた青葉シゲルであった。身分は国際公務員である。文句もいわず特務機関員の鑑であろう。
 
 
「ううっ、寒いっす・・・・・」
なにせいきなり仰せつかって、ろくろく冬装備も整わぬうちのフライトだ。
しょうがないから昔、バンドをやっていた頃の皮ジャンを引きずり出してきたが、寒い。早いトコ暖かいタクシーに乗り込もうとするが、いきなりの乗車拒否にあう。
任務遂行、前途は多難であった。
 
 
 
と、思ったら五分後にはトラックに便乗していた。「俺はトラックだー・・・・・」
ばばばばば・・・・・・・助手席から頭を出してロンゲが風靡する。アングルが怖い。
一夜漬けで覚えさせられた数々の暗号コードをつぶやく目つきは忌野スナフキン。ぎろ。
白夜の青葉君はちょっと違う。白夜の青葉君はいい髪吹いてる。白夜の青葉君は男だぜ。
 
 
トラックは北へむかう。