「ふーん、そういう顛末なわけ」
 
 
 
電話先の少女がやけにむつかしい言葉を使った。
 
 
「うん・・・・そういうわけで、修学旅行は日程通りで大丈夫だから」
 
対する大人の女性の声は歯切れが悪い。澄んでいない。
惣流アスカと葛城ミサトの通話である。結局、弐号機だけ帰還させ、セカンドチルドレンはおかまいなし、で沖縄現地で休暇スケジュール通りにこなすことになった。
もし、マギが通常通りであるなら、そのまま現地で遠隔操支配実験が行われたはずだ。
帰還命令は、逆になったはずだ・・・・・・
 
 
「あのロボットにやられるなんて、たるんでんじゃないの、その使徒。
・・・・・焦って損しちゃったわよ。で、シンジのオタフコ風邪ってのはもういいの?
あったく!!なにが第三新東京市は僕が守る!!よ。いきなし気イ抜いてんじゃないわ。
決めた。シンジのお土産はボツ!!帰ったら気合い入れ直してやるからね」
 
「・・・・まあ、出物腫れ物はところ構わずっていうからね。そのあたりはカンベンしてあげて。まだ、眠ってるし・・・」
あんな騒ぎがあったが、南洋の風と太陽に思いっきり”充電”しているようだ。
笑みがこぼれかけるが、碇シンジのことを思い返すと頬がこわばる。
 
 
 
「・・・・・・・・」
 
 
 
ふいに落ちる沈黙  冷や汗のようだ
 
 
「ミサト?」
 
 
「え?ああ、何?それで休みはきっちり最後までいけるから・・・・」
 
 
「なんか声に張りがないけど・・・・気のせい?」
何か知らないが、電話口でにやついているような惣流アスカの声。
少々、カンにさわる。これが加持か野散須親父なら思い切りかみつけるのだが。
 
 
「やっぱ、慣れない子供の看病ってのは疲れるんでしょうねえ・・・・夜泣きとかするの?それとも鼻血が止まらないとか」
 
 
続けて問われる、思いも寄らぬ好奇心。にしてもどういう知識だ?夜泣き?鼻血?。
 
 
「ソッコーで帰ろうかとも思ったけど、やっぱしばらくノンビリさせてもらおうっと。
あとでシンちゃんに恨まれちゃかなわないからー・・・・でも、鈴原たちには教えとこっかなア・・・・・・くっくっく」
 
 
 
「んっ・・・・・」返答につまる葛城ミサト。つづけて少女は誤解する。
 
 
「まー、たまにゃいいんじゃない?保護者らしいトコ見せてあげなさいよ、ね?」
頼むように甘えるように。足して弐で割り、眠る少年へ。
 
「あんま、おさんどん代わりに使ってるとそのうちLにとられちゃうわよー・・・」
 
言ったあとで、なんとなく本人も危惧を覚えてしまったのか、けっこうマジになって付け足す。「日本人の男は金髪に弱いんでしょ。いわゆるブロンディー幻想?それに泣きぼくろもあるし、渚がいなくなってやっぱ猫だけじゃ寂しいでしょうし・・・碇司令へのコネは強そうだし、ちょっとあの女がその気になったらヤバいわよ・・・うーむ・・・」
あまり的確な分析ではない。しかし、対象としているのは不安定なあの少年だ。
 
 
「Lって・・・・・・ああ、なるほど」
赤木リツコ。だからL。なんとなくこの場合、言い得て妙だ。
だが、その冗談交じりの危惧が当たるなどと電話先の少女は予想だにしていない。
 
 
 
今、碇シンジはこの家で眠っている。
 
 
 
司令の言ったとおり、玉ねぎにつけ込むことで身雷現象は治まったが、熱がひかないのだ。
しかし、その熱がひけば・・・・・体調が元に戻れば・・・・・・
 
 
 
少年はこの家をでていく。
 
 
 
決定事項というやつだ。大人の・・・・・そして、おそらくは少年の。
新たな人間の関係式がつくられる。シフトの、変更。絆の組み替え。
 
 
今が絶好の機会であったのだろう。精神の季節がかわる。蛹裂の、とき。
 
 
 
「もし、さ・・・・・・アスカ」
 
 
「?何よ。急にハードボイルドな声だしちゃって・・・かすれてんじゃん」
 
 
 
「シンジ君がこの家をでていくことになったら、どうする?」
 
 
 
返答にはしばらくかかった。惣流アスカは頭がよい。よすぎる。
が、話はあまりに唐突だ。それに葛城ミサトの気質をしっている。
 
 
「別に。どうもしないわよ。言っても無駄なような気がするし・・・・ぼけぼけっとしてるくせに・・・コケの一念岩をも通すっての?あのバカが目えつけたら終わり、と。
 
それで?碇司令にでも引き取られることになったの?」
 
そういう選択肢がアイツにはあるんだ・・・・・言った後で気づく惣流アスカ。
 
「まあ、ほんとにどっちでもいいわよ。・・・・この第三新東京市(まち)から逃げだすっていうんじゃなければ。アタシは、ね」
 
 
「けど、あんま楽しいカテイ・・・IFじゃないわねー・・・・」
わざわざ英語に言い換えた少女の感性に、苦い自己嫌悪を覚える葛城ミサト。
 
 
 
「あ、ごめんごめん。驚かしちゃった?」
 
その声色こそテがこんでいる。いろいろな意味を孕ませる詐術の極みに、少女はころりと安心する。これが、先ほどの逆襲なのだと理解した。やっぱり保護者としちゃ、出発前の「アレ」がらみかな・・・子供じゃないんだから・・・って、相手がコドモなら意味ないか・・・あんまり深い意味はないんだけどなあ・・・けど、やりすぎたかな。
 
 
葛城ミサトは少女の思考を正確に読みとっている。
 
 
もう一つ問うてみようか。おそらく素直に返答がくるのはこれで最後だ。
 
 
「今回の使徒がもし・・・・JAと戦闘せずに直接、第三新東京市に現れたらシンジ君はどうしたと思う?」
 
「はあ?なんか変な質問がつづくわね・・・・と、いうか、昔そんなこと聞いたっけ」
 
その時の答えは「すでに箱根の温泉になぐり込みをかけている」というものだった。
 
 
「シンジが、ねぇ・・・・・・・」
 
 
 
「そうねえ・・・・今回だけはあのバカもスゴく慌てたと思う。オタフコ風邪で寝てたんだろうから、これも、もしもの話だけどねー。見たかったような気もするな」
 
 
「慌てる?シンジ君が?」
 
驚いた、というより虚をつかれた感じだ。ネルフの総司令を組長呼ばわりし初号機にさして問題なし乗り込み、音だけ使徒相手にものんきにハミングかましてたあの碇シンジが。
 
 
「そうよ。多分、慌てフタめいて取り乱す・・・・」
 
 
「まさか・・・」
立ちはだかった自分相手にも怖れることもなく通り抜けたあの瞳、あの歩み。
とてもじゃないが、認めかねる。形容詞が逆だ。あれは、確信、信念の行動だ。
 
 
「そりゃー、シンジは普段はあんな調子でストロングボケボケマシーン一号だけどさ。
今回だけは、・・・・ホントに慌てたと思うよ」
 
 
「それは・・・・シンジ君、一人だったから?」
 
 
「違ーうっ!!ホントにミサト、看病疲れなんじゃないの?それともあれかなあ・・・・こういうことって意外と本人は知らぬがホトケってのかなあ。昔、加持さんが言ってた」
 
 
「どういうことよ」
 
 
「さっきの仕返し。教えない」
うそつきの報いがさっそくやってきたわけだ。報いは適正な量だろうか?
「それじゃ、切るからね。くれぐれもミサト、感染されないでよ、じゃあねー・・・」
電話のやり取り術では十代の女の子には敵わない。みもふたも余韻もなく切るからだ。
 
 
「アスカ!」
 
 
思わず、叫んでしまった。これこそ、分別のかけらもない反射行動だ。
おそらく、この手の謎かけは自分で解かねば、答えを求めて見つけねば意味はないのだ。百も承知だが、困ったことに葛城ミサトにはその余裕がない。気性はせっかちだし、ずるをずるとも思わぬズ太さがある。だいたい、知らぬがホトケなら極楽往生するまで気づかぬ道理だ。まあ、自分のような大うそつきはまともな死に方をすまい。
それなら、せいぜい、知りたいことを手に入れて、納得して生きたいもんだわ。
 
 
ギリギリ間に合った。回線が閉じられる前に。
 
 
「なに?何か言い忘れたことでもあったわけ」
 
「シンジ君はなんで慌てるの?」
 
 
「なにそれ。・・・そんなことか。さあ・・・・分からなきゃそれでいいんじゃないの。それにあくまでアタシの予想にすぎないんだし」
 
 
「それでもいいから。聞かせてよ。・・・・そうでなきゃ、シンジ君起こして聞くわよ」
 
 
「ちょっ・・・ちょっと待ってよ!アンタほんとに保護者あ?よくもまあそんなヒキョーで極道な発想が浮かぶわね。だだっ子じゃあるまいし」
いきなりの脅迫にあきれる惣流アスカ。大人のくせになんつー諦めの悪さだ。潔なし。
しかも、やりかねない。やるとなったら、やるのだ。
 
「分かった!分かったわよ。」
 
 
しょうがない。惣流アスカは自分の予想を白状した。こうなりゃ思い知らせてやる
 
 
「・・・・・・あっちこっちで約束して歩くわけ。いや、逆か。あちこちほっつき歩いた先で約束するわけよ」
 
一番安心できると同時に一番不安にさせられる、混沌の「碇シンジ守護週間」
それに入る前に碇シンジはいろんな人に約束をしていた。
 
始めは鈴原トウジや相田ケンスケなど、ある程度の事情に近いクラスメートらに。
ネルフ内でも道行くスタッフらに声をかけられ、にっこりこっくりとうなづき返し。
オペレータたちや食堂の料理人や整備の人間、などなど。
惣流アスカにしてみれば、任務の重大さが分かっているのか自信が盤石なのかただ単に愛想を振りまいているだけなのか、そう軽々しく「ただひとりであること」を受けて立っていられるのは、真の意味で自覚が足りないんじゃないか、とそう思うのだが、まさか心配げにビクビクしていろ、とも言えないのでやきもきして見ていたらしい。
それで、同情が「横すべり」してしまった、と。彼女はそうのたまう。
 
加持リョウジ、ソウジの二人にも「葛城を宜しく、シンジ君」などと男の表情で頼まれ、すっかり上気していたらしいが。
野散須カンタローにも「ええ勉強になるなあ」と深いことを言われ、あまり理解してない風だがうなづいていたとか。
確かに葛城ミサトにはその光景が想像できた。
困ったことに、見方を変えればどいつもこいつも少年にプレッシャーをかけていたことになる。期待でもない、信頼でもない。ただ、言葉を少年の体内に預けていた。
ネルフを第三新東京市を離れる者は心情的にやむえずとしても・・・・
その類の事を言わなかったのは赤木リツコ博士と霧島教授くらいだった。
 
 
 
「ファーストとか、アタシには多分、皆も言わないだろうけどね」
 
 
 
それがどうだ、というわけではないけれど、という調子で付け足す一言。
しかし、何がいいたいのかは分かる。総量として大きすぎる感情。
自分のことでもあるし、綾波レイのことでもあるし、葛城ミサトのことでもあるし、碇シンジのことでもあるし、渚カヲルのことでもあるし、ネルフのスタッフのことでもあるし、・・・・・これまでの過程のことでもある。韻律万華鏡。
二十八字がギガでも足りない。のだが、電話線は確かに伝えている。これも補完か。
 
 
 
「慌てるのは・・・・約束が急き立てるから?」
三千世界のねじまき鳥が少年の周りで鳴き叫ぶ。意志をもつダイナモがそれをかき消す。
 
 
 
「まさか」
一応、導き出してみた回答は弾かれる。
「熱に浮かされてんのに、いちいち約束なんて覚えてないわよ。雨月物語じゃあるまいし。とにかくあのバカシンジには哲学なんてないわ。ただあるのは、・・・・・・・
 
 
 
ここでいかなきゃミサトさんの立場がわるくなる、
 
 
 
ってまあ、このレベルのことよ。断言してもいいわ」
 
 
惣流アスカはすでに何かあったらしいことを感づいてる。「じぶんたち」に。
だからこそ、声は平静に。「いつもどおり」に。「ありのまま」を。
またなんかやらかしたな、あのばか・・・・・
 
 
「まぁ・・・・・なんていうのかなあ。バカだから、条件反射的に体が動くのよ」
 
 
 
「取り急いでは貴女(ミサト)のために、ってね」
 
 
 
 
 
「う・・・そ」
 
あまりといえばあまりな少女の分析に、少年の後ろ姿を思い浮かべて立ちつくす。
 
うしろすがたも しぐれていくか
 
電光の如く、あの行動の意味が閃く。かくも素朴な考えでふらつき歩んで。
まるで夕立のはじまりかける入道雲を仰ぐ麦わら帽子と捕虫網をもったコドモのように。大雨がふる。家に帰るのはかんたん。
だが、碇シンジはそうしなかった。勝とうが破れようが使徒が第三新東京市に侵攻した時点で葛城ミサトの立場がないことが分かっていたからだ。
だから、JAを動かした。
 
 
 
・・・・真実であるかどうかはわからない。わかるわけもない。
ただ、真実以外はすべて虚偽なのだろうか。どちらかを並べ、より過酷で苛烈な方が人間の心に近いのか。部品がたりず、真実に足りない真実未満というやつがあるのか。
それとも、全てがそろった保証書付きの完成品を真実というのか。
 
 
 
それなら、うそをつくほかはない。