オスロ・ファルネブ空港 に到着した、北欧の日本人。「巴里のアメリカ人」ほどには語呂がよくないが、ミュージカルをやりにきたわけではないのでいいだろう。
武装要塞都市、第三新東京市は特務機関ネルフからのご一行をノルウェイの白夜が迎えた。



黒の麗の影浮かぶ。ファースト・チルドレン綾波レイ。白と黒の時の反転。
操縦者としての赤い瞳の眠る夜色。のぞまぬたびびと。


「・・・・・・」
白夜・・・・太陽が一晩中地平線の下に沈まない夜のことである。
この一行四人の中で、白夜を知らぬのは綾波レイだけ。無表情なので時差ぼけ温度差なんのその、というところだったが、さすがにこの奇妙な現象に何か感じることがあるらしい。
空港ターミナル中央ホールで野散須ソノさんとふたり並んで座っている。流れる外国の空気。その国の空気。聞き取れない言葉を話す人々。姿。英語もけっこう多い。ここは異国。


加持リョウジは荷物取りやら換金やら。野散須カンタローは用足しに。
観光旅行客そのままだ。本来の身分をだせば、黒服の護衛がダース単位でやってきて周囲を取り囲んでいるはずだ。だが、今回の「旅行」の護衛は加持リョウジ一名のみ。
それがいきなりツアーガイド雑用をやっているのだ。か弱い女性ふたりを残して安全は大丈夫なのだろうか。たしかに、この日本と同じくらいの面積をもつ国は治安もよろしいが。



「ぺらぺらぺら」「のるうぇのるうぇのるうぇ・・・・・・」「でんまでんまでんま・・」「ふぃんふぃんふぃん・・・」「すえすえすえ・・・・・・」



なんだか注目度100%。シンクロ率より高い。周囲の目が綾波レイに集まっている。
あの夜冬服に、単にオリエンタルと表現するには崇高な不思議の表情で時を見つめて。
謎めいた赤い瞳。氷姫のような水色の髪。透き通った沈黙の白。


その姿をおそらくは賞賛している様々な言語。は、順に英語、ノルウェー語、デンマーク語、フィンランド語、スウェーデン語、である。なのである。
あまりに人間離れして綺麗でまばたきもせず黙っているので、「人形か?」と思った者もいるようだ。デンマーク語なので、いまひとつ不明ではあるが。
「どこかの王女さまだろうか・・・お忍びで」と思った人は、「ローマの休日」の見すぎ。



ふいに立ち上がる綾波レイ。


おおうっ、とざわめくトラベルギャラリー。


「どうしたの、レイちゃん」
お付きの口うるさいばあや、にしては口調も表情もやわらかすぎる野散須ソノさん。
異国のざわめきにも動じもしない。たしかに、レイちゃんは可愛いですからねえ、と内心微笑んでいる。表に出さないのは慎みというものだ。


「・・・頼まれごとがありました」
これは、もし、立ち寄ることがあって、都合がよくて、時間があったらのことなんですけど・・・・と途切れ途切れの前置きがあっての山岸マユミのたのみごと。「ムーミン切手」を買ってもらえないか、と。むろん土産の催促ではない。それが出来る気性ではない。
そのようなものがあるのだ。「たのしいムーミン記念切手」。現地にいかないと買えないものというのはある。本人以外には、どういう価値があるのか分からないものほどそうだったりするから厄介。綾波レイは頼まれてしまった。ちょうど空港内に郵便局があるのが目に入ったから、そこで購入しようと思ったのだ。旅の境地に入って、心がるんるん浮き立つ・・・ようなことは綾波レイにはない。ように見える。


白夜の空港を、闇雪姫がムーミン切手を買いにゆく。


幻想リトグラフのような光景である。が、しかし。Jeg forstar ikke norsk・・・・
(私はノルウェー語はわかりません)のはずなのだ。綾波レイは。

ぞろぞろと白闇の王女の挙動を確かめるべく異国の者ども、引き連れて。
理髪店と銀行の間にある、空港内郵便局。銀行で換金していた加持リョウジは何事かと振り向けば、それは綾波レイだったという案配。「おやおや・・・何事だあ?」
換金はまだすんでいないから、綾波レイはお金をもっていないし、ネルフのカードは通じない。そして、さらにいうなら、ムーミン記念切手はフィンランドで買えるのだ。



果たして何が起こったか






十分後



「綾波のお嬢、どうした。顔が赤い」
野散須カンタローが用足しから戻ってきた。その長さで貴重な瞬間を見逃してしまった。
加持リョウジも野散須ソノさんもなんともいえぬ顔をしている。


「いえいえ、なんでもありません。それではホテルにいきましょう。本当はもう夜ですから。レイちゃんも慣れない飛行機で疲れたでしょうし、ね」


「いえ・・・はい・・・」
めずらしく、発言に歯切れが悪い綾波レイ。先ほどの戸惑いがのこっている。
生まれてこの方、一度もなかったことがさっきその身に起こってしまった。
それは・・・・なんと・・の勅令(ヨーロピアン・ジョーク。つかみはおーけー)で、



ウケてしまった綾波レイ



周囲を爆笑の渦に巻き込んで、自分は渦中の人になってしまったのだ。
一躍、空港の「今日の人」、人気者状態である。すでに空港内なら誰でも知っている。


空港内郵便局のカウンターの前までやってきた綾波レイは、切手を購入しようとしてそこで一気に言葉につまった。そこでようやく、今の自分の状況を悟ってしまったのだ。
ノルウエーの言葉がしゃべれない。そう、ここは日本語の通じる日本ではないのだ。

とはいえ、カウンターの係りの局員は親切な人だった。英語で応対してくれた。
わざわざ外国の郵便局でやることとなれば、そう多くない。手紙や小包を出すか絵はがきや切手を買うかくらいだ。綾波レイくらいの少女となれば、ここで両替をしにきたわけでもあるまい。中学で英語は習っているので、綾波レイも英語は理解できる。その上、相手の思考は読めるのだから、それほど慌てることはない。


「切手を・・・買いに・・・来ました」


片言なのは、母国語でもあまり変わらない綾波レイ。おおうっ!どよめくギャラリー。
日本人が英語使って悪いか!という所だが(綾波レイが日本人に見えるかは不明である)
浮き世離れした感じがするのであろう、何を考えているのか、空港内なのにカメラをかまえる、林家ぺーのような旅行客がいた。局内でも注目が集まり、仕事の手が止まっている。

応対する局員も大体、心得ている。封筒を今、手に持っていない、示していない、ということは、普通の切手ではない、記念切手のことなのだろう。スタンプがわりに買っていく旅行客も多いし、ついでにノルウェーゆうパックもよろしくね、王女さま。そんな笑顔で記念切手メニュウを差し出してくる。


それをご覧になる綾波レイ。


しかし、「ニルスの不思議な旅」の記念切手はあったが、ムーミンのものはなかった。

首をかすかにかしげる綾波レイ。月と雁が北欧の地にも輝く。

「どのような切手をおさがしですか?」
まるで宝石を求めている相手に対するように、大げさに、ちょっとおどけて局員。

ボールペンと紙を渡してもらった綾波レイはちょっと考えた末、さらさらと何かかいて見せた。そして、いつもの表情でこう伝えたのだ。




「むーみん」




だが。




その紙にかかれていたのは、ムーミンではなく。




「雪だるま」だった。





・・・・・これは、コーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れながら「うーん、コーヒーはブラックに限る」と自信満々でいう演歌の大御所か、「使っているシャンプーは?」と尋ねられて、「リンプー」と答えた硬派の丸刈り野球部員O君か、生徒がだんだんやつれていくのを心配して、「先生、毎晩こんなになるまでなにしてんだよ?」と問いつめたら誇りをもって「数年後にはメジャーになるスポーツ」と答えて、さらに数日後問いつめたら平然と「カバディ」と答えてくれた、それで天下をとるつもりらしいS教諭並の・・・・



綾波レイだった。



本人はその、アーノルド坊やは人気者収録スタジオのような爆笑の渦の中にありながら、遠く日本は第三新東京市の碇シンジのことが頭に浮かんだという・・・・
碇シンジのあの日常の言動が「ウケている」ということなのかは、別として。


満面の笑みと、目に涙を浮かべながら太った大男の局長が、特別に、とそれは本人のコレクションだったのかもしれないが、「ムーミンの記念切手」をだしてきてくれた。


あやうく駆けつけてきた加持リョウジの介入のお陰で、ネルフのカードはあるものの、日本円もドルもクローネもユーロも、とにかくお金をもっていない綾波レイは、思いついたように紙に{「千円」}と書いて支払おうとしたが未然に防がれたのであった。
いくら碇シンジでもそこまでしない。旅の恥はかきすてだというが・・・。



ともあれ、一行はタクシーでオスロ市内のホテルに向かう。
何色のタクシーだったかは、不明である。



「こりゃまた、はりこんだのう。加持君」
第三新東京市でのような心臓のやり取りはなく、手配した加持の指示通りに到着する。
そこは、市中心部、国会議事堂の正面向かい。一等地で、見るからに伝統と格式を誇っていそうな立派なホテルであった。



グランド・ホテル


続けて読んではいけない、高級ホテルである。全308室。この一階に有名な「グランド・カフェ」がある。ノルウェーを独立の機運に導いた「ボヘーム運動」を推進した文化人のたまり場だった。店の奥の壁一面に、当時店に集まった、イェーガー、クリーグ、ビョルンソン、ムンク、イプセンなどが描かれている。


普段の生活の割りには、高級だからといって臆しているわけでもないこの面子。
いきなり安宿場とか民宿というのも寂しいが、空港に隣接したサス・ロイヤルホテルや、王宮(ノルウェーは立憲君主国)のそばにあるアンバサダーやクナ・ホテルなど中級でも
良かったのだが、まあ、手配した加持に云わせると、「この方がなにかと便利がよい」のだそうだ。一泊なのだから、豪華でもかまうまい。さすがに加持君はただ優秀なだけではない、遊び心があるのう。野散須カンタローもニヤリとした。


「輝くカンテラをマストの天辺に掲げ、後方には海岸線が闇の中へと消えてゆき、世界中が寝静まっている。ああ、うるわしき夜の旅立ちかな・・・・」

どこで覚えたのか、強引に白夜を極夜にしかねない一編の詩を暗唱すると、ぐんぐんと、野散須カンタローは歩を踏み出す。元気満々の旅の長。
「さあ、ゆこうかのう。諸君!」



・・・・こうして北欧旅行第壱日目が終わろうとしていた。休暇、とはほど遠い雰囲気になってしまっているが、場所が変わったからといって人が変わるとは限らないのだから、仕方がない。この北欧休暇旅行、略して「北バケのQ暇郎」。


ちなみに、綾波レイと野散須ソノさんの宿泊した部屋は普通だったが、野散須カンタローと加持リョウジの部屋は、「ゴルゴの間」と云う、ある謂われのある部屋であった。
ワイシャツを羽織っただけの、あられもない姿で綾波レイが景色を見るために通路まで彷徨い出してあわてて野散須ソノさんがおいかけたり、食事にいく途中で日本人のようだが眉毛の太い目が平行に研ぎ澄まされた、加持リョウジの「大先輩」とすれ違ったり、と「ほんとうに歳とらないな・・・あの人も」いろいろあったが、旅ははじまったばかりだ。

明日も・・・語ろう。



つづく