当初、野散須夫妻と、その意を汲んでいる加持リョウジは、旅行のスケジュール前半は北欧をあちこち鉄道見物旅行をするつもりであった。後半になってから自分達の「本来の用件」を片しにいこうかと考えていた。前半でどこか気にいった場所でもあれば、綾波のお嬢はそこで加持君と逗留すればよい。そうせんと、「ズレこんだ」場合、その地からどこにも動けなくなる可能性もある。休暇を、と託された綾波レイのことを慮ってのことだが、本人が「先に作戦顧問の用件を済ませるように、自分はかまわない・・・・」そのようなことを昨夜の会食の場で云うので、スケジュールを反転させることとなった。
「気をつかうな」と野散須夫妻はいうのだが、綾波レイ本人の意思がそうなのだから。
あちこち駆け足で名所を巡るような旅は、綾波レイの趣味に合っていないこともある。
野散須作戦顧問にまともにつきあっていたら休暇どころか、おもいきり疲れ果ててしまいそうだ。ただ、この昼だか夜だか定かでない白夜の空気は良いものだった。
それでこの休暇の価値は十分。多くのことを望まない(望みようもなかろうが)欲のない綾波レイは、かくもささやかな旅行気分を完成させていた。だから、いいのだ。
そして、元気に振る舞っているが、野散須作戦顧問の体調が決して万全でないことも知っている。基礎として頑健があるのだろうが、所々に無理がある。暑くもないのに額に汗が浮いていたりする。年の功だけあって誤魔化しようが巧いが、綾波レイには通じない。
この時期に第三新東京市を離れるというのは、相応の理由があるはず。義足だ。そして、それを動かしている身体、義足の調子が悪ければ、体に負担がかかる。若くもないのだし。
だから、綾波レイはこれで休暇を終わらせる気でいた。残りの期日、おそらく義足の工房と病院で待つことに費やされてしまうだろうが、それでもよかった。
一行の乗る列車はオスロを出発してスウェーデンを通過して、フィンランドに向かう。
列車の中で持ってきた本をひらく綾波レイ。旅のお供に、と山岸マユミが貸してくれた本。「揺れる電車で読んでも酔わない」工夫が・・・・なんのことはない、林檎の香りのする栞がはさんであるだけなのだが・・・・されている。茶色を中心とした黒や白の混じった細かい模様のある落ち着いた色合いの座席は、車内のうす茶色と相まってくつろげる雰囲気を醸していて、気分もよい。真ん中の通路をはさんで二人掛けと一人掛けになっているから、一人になれてのんびりできる。綾波レイは、野散須夫妻にも加持リョウジにもとくによい感情やわるい感情はもっていない。一緒にいようが離れていようがどちらでもよいのだが・・・・・ただ、あのでかい声にはさすがに閉口するのだ。普段、近くにいる大人の男は碇ゲンドウをはじめとし、機密性を高めた、抑制された声質であるから余計に。
恥ずかしい・・・のとは違うかも
「綾波のお嬢、ジュースはいらんかのう!空気がかわいとるからノドがかわくじゃろう」
「あなた、レイちゃんは本をたのしんでいるんですから・・・あとでわたしが」
しれなくないかもしれない・・・・。加持リョウジはすこしばかり離れた席をとっており、新聞を読んでいる・・・・またはそのフリをしていた。内心で、彼女に合掌。
第三日目(THE THIRD DAY)使徒来襲せず 天気晴れ
北欧は広い。寝台車で寝ても白夜の中。おかげさまで車窓が寝転がりながら見られるのだ。観光に力を入れているだけあって、途中駅で連結した寝台車もガタガタうるさいこともない、トイレも壊れていることもない、水はミネラルウォーターパックに入っててけっこう使える、なかなか眠りやすい寝台車であった。しかし、護衛として周囲に油断のならない加持リョウジはともかく、近くの旅行者たちと意気投合して食堂車で何やら夜遅くまで騒いでいた野散須夫妻、寝台車の窓から星のない白い夜景をずうっと一人で見ていた綾波レイは、「寝坊」してしまった・・・・・。
そういうわけで、盗難事件が起きたことを知ったのは、午前11時の「食事時」だった。食堂車に行くまでもなく、車内販売のランチセット。それはそれで旅の旅情の駅弁でいいのだが、どうも車内がざわついている。その発生源を見ていると・・・・
「宅の主人のイトコはケントデリカット州の州知事なんZAMASU!!訴えられたくなかったら早く犯人を捕まえるZAMASU!!ZAMASU!ZAMASU!ZAMASU!」
「北欧は治安もよくって楽しいバカンス・ダイジョーVだと思ったのにネ!ママ」
「とにかく早く見つけるSHUWAAAAA!!じゃないとSPAWWWNNNN!!」
「あの着飾ったデブチンども。アメリカ人か?なにを車掌につめよっとんじゃ?」
胡麻パンを食い千切りながら加持リョウジに事の様子について尋ねる。
「貴重品・・・・宝石らしいですがね、を盗まれたとかなんとか。七時からですからもう四時間もああして追及してるんですよ。保険くらいかけてあるんでしょうに・・作戦顧問たちの”起床時間”は正しかったかもしれませんね」
「のはは・・・それをいうてくれるな、加持君よ。ちと調子にのりすぎた。反省しておる」
年甲斐もなく照れる野散須夫妻と、まだ眠気が抜けきらず、ぼーっとしている綾波レイ。
白プラスチックのプレートの上のサラダがねぼう記念のように赤くなり。
「それにしても、列車での宝石盗難とはのう。一昔前の探偵小説のようではないか」
「まだ”犯人”は車内にいるようですね・・・・」
「加持君はこのような事件には興味がないのか。仕事柄、判じ物は得意じゃろう」
「今回は宝石よりも遥かに重要なものを護衛していますのでね・・・遠慮しておきます」
「それもそうじゃの。・・・やけに空港で手間取っておった頑丈そうなトランクとかかの」
「・・・・いえいえ。自分の任務は・・・」
「あー、すまんすまん。つい余計な口を挟んでしもうた。楽しい休暇旅行じゃというに。
もめ事にはかかわらずに、楽しまねばの。・・・・あちらも、まあ。
映画のように人死にが出とるわけでもない。高みの見物といくかの」
日本語で好き勝手なことをとなえる野散須カンタローと加持リョウジ。
捜査に協力などもってのほかで、思いきり非協力的にほっておいた。車掌が聞き込みに来たときも、にわか素人探偵が情報を収集に来ても、一睨みで追い返す。その様子を、宝石を盗られたアメリカの金持ちのデブチン夫人に見られて「あの連中が怪しいZAMASU!」と騒がれさらにマッチョな次男が綾波レイを見初めて突発プロポーズをスマッシュしてくるなど大いにもめる一幕もあったが、徹底的に黙殺を決め込む一行。ネタリナイ首相と化して白夜の昼寝する。ぐう・・・・・
流れゆく北欧の車窓・・・・・・それは交響曲のように
夕方になって、ようやく解決された、と車内放送があった。
「怪しい日本人グループ」である一行には関係がなかったし、暇つぶしにもならなかったが、それを解決したのはスウェーデン在住の日本人であったという。
一般の旅行客には、さぞエキサイティングでミステリアスな旅の思い出になるのだろうが、(宝石を盗まれたのが謎の美女の未亡人か女スパイなにかでなくても)使徒迎撃武装要塞都市に住んでいるネルフの人間にとっては、なにほどのことでもなかったのだった。
それ以上に、実際に恐れることがある。「誘拐」である。
この業界において、ファースト・チルドレンはまさに「見つめる至宝」。
人間世界遺産に指定されてもおかしくはない。ネルフの威光はあるものの、どこぞのトチ狂った組織・・・宗教関係がやばい・・・が狙ってくるや分かったものではない。
エヴァのパイロットとして以上に・・・・綾波レイの力を欲してくる輩は。
とはいえ、事実上、実力で強奪されることはあるまい。そのための加持リョウジ。
大きな能力をもつ組織であればあるほど、所在は知れる。下手に手を出せば、ネルフの、碇ゲンドウの血も涙もない恐ろしい報復が実行されるのだから。
問題は、武装ヘリで前ぶれもなく襲撃をかましてくるレベルの移動性中規模の組織だが、
それを抑えるための対策は日本でし終えてから現地入りしている。欧州はわりあい強い加持リョウジ。双子の兄弟、加持ソウジの方はアジアに強い。
そして、資金も物量もなく使えるものは人と知恵、という弱小組織・・・は、そもそも情報すら掴むことはできぬであろうし、よしんば旅客にまぎれて・・・・としても加持リョウジに敵うわけがない。盗難事件が起こるなど、彼にとっては素人しかいない「平穏な」証拠。ほほえましいくらいの出来事なのであった。そして、それが護衛・・・・超一流の平穏演出者、である加持リョウジの仕事なのである。
そういうわけで、三日目も過ぎた。目的地フィンランド到着は明日。
綾波レイは、ずっと車窓を眺めていた。その心情は、綾波レイ旅日記・・・つまり報告書に人知れず夜に記されていくのだが、これは総司令碇ゲンドウがイの一番に目を通すほどの重要文書であるから、残念なことに非公開なのであった。