錆びついた零が転がり その部屋は埃だらけ
 
 
 
沈められはしないもののグルグル巻きにされて塞がれた電話機、墓場のカバのように口を開け続けるデスク引き出し、散乱した変色した書類、腐りかけのレヂオ、斬殺された段ボール、天井には空調機が恨めしげに外気をぼそぼそ吐いている。
せめて過労死した社員の白骨死体なぞがないのが救いか・・・・・・
 
 
 
死に絶えたオフィス
 
取り壊され、新たに再生を許されることもなく、何年も放置されていた。このまま。
ただ潰れた会社、というだけならば何年か待てばいずれは新たな主人を得て再び生きることもできただろうが・・・・・・ここには呪縛がかかっていた。
 
 
呪縛をかけたものはすでにいない。その存在を消されてしまった。
ただ、呪縛は続いていた。この建物が正当に生きることを許さない。
 
 
 
「マルドゥック機関」
 
 
 
所有者は消えている。しかし、もともとがダミーとして使われていただけに、ろくな事後処理もなく忘れ去られ、ただ単に廃屋とされてしまった。探る者も訪れる者もなく。
 
 
使用する者もなく。
 
 
108あるダミーの中に二、三は機関情報員用にまともな設備が秘匿されている。
ここは、その中のひとつ。「この街」の特性を存分に有益に取り込んだ、中継所。
もし、なんらかの偶然でこの先、新たな主が入居するとしても、ここがダミーであることを知らねば本来の意味での稼働はあり得ない。薄汚いコンクリート壁を一枚剥いだところに巨大な電子基盤がカムフラージュされてそのまま眠っていることなど。このあとなんらかの奇跡で十年後くらいに再開発が決まり取り壊れるまで気づかれることはあるまい。
 
 
ともあれ、符号を知る者はいない。存在の意味を空洞化した完璧なるダミー
床には錆びついたゼロが転がる。何一つうごくものがない。
 
 
 
キィ・・・・・・・
 
 
 
そのはずだったが、ドアが開き、光が射し込む。風が埃を舞わせる。そして
 
 
「丸独商事・・・・・ここね」
 
二十代前半か、白いスーツにホログラフ眼鏡を、弦に鈴を垂らしイヤリングのように、
かけた、ショートカットの女性がつぶやいた。後方には大きな旅行鞄とトランク。
 
 
「うわー・・・・さすがに年期の入った荒れよう・・・・これは掃除から始めないと」
ひとたび、ぶるっと震えると若い女性は足を踏み入れ、室内の窓を次々と開けていく。
そのたびに埃が舞う。キラキラと輝いているふうなのは、この建物の喜びか。
何年分かのツケを払わせ襲いくるように換気されていく。時間の垢を吹きおとし。
まさか、このような娘が現れるとは。無機質の存在でも驚いていただろう。
声色の若さは、まるで四月に地方から上京した大学新入生のようだ。
窓からの強い風がショートカットの髪を揺らす。その晴れやかさは。
瞳の中の優しくも凛々しい光。その光源は・・・・・
 
 
とんとん、指先で壁を叩く。古い感触ではなく、位置を確かめるように。
何カ所か叩く仕草は、パスワードを入力するそれに似ていた。
事実、女性の指先にはコンクリ以外の感触があり、頭の中には特定された英数字がある。
それで建物にかけられた呪縛は解除された。手始めに独立発電機が起動しはじめる・・・
 
 
・・・・・建物の機密を知る理知。
 
 
「このままじゃ掃除機も使えませんからね・・・でもこれじゃ今日いっぱいかかるかな。
人集めは明日になりそう・・・・・間に合うかな」
かたちのよいあごに手をやって考える。
 
「まあ、どこから手をつけていいか考えていたところだし、ちょうどいいかもね」
 
 
「掃除道具一式買ってこなくちゃ」
女性はトランクと旅行鞄をとりあえず室内に入れて外から鍵をかけて出かけていった。
と、思ったらベキベキとドアの外で音がした。「これ、どうしようかな・・・・アンティークってほどじゃないし、捨てよっと」なにやら入り口で剥がしたようだが。がらん。
 
「本式にはもうちょっと立派なのが欲しいけど、今日はこれで我慢してね」かんこん。
釘でも打ち付けてなにやら代わりに入り口に下げたようだ。看板だろうか。
哀れにも「丸独商事」の看板はすぐそこの共用ゴミ捨て場に捨てられていた。
 
 
そして、軽電気自動車の出発音がする。大きな買い物になるようだ。
 
 
建物はいま先ほどの交代劇にあっけにとられていた。
主の名前はいまだわからねど、確かに役立たずの呪縛から解き放たれ、新しい主にはなにやら行動する思惑があるようだ。・・・・・面白い。
そして、一番先に自分の手で清掃をしてくれるというのが気に入った。
 
 
さきほどまでの己の名前の喪失も気にならない。一応だが、新たな名前が与えられた。
この先、何が起こるか分からないが、期待をもって己の新たな名を確かめる。
 
 
 
「伊吹商事」
プログラム工房・アトリエ・イブキ・・・・よろずプログラム作成ひきうけます
 
 
 
木製の浮かし彫りのそれは、どこかケーキ屋のようでもあったが、建物は大いに気に入った。言葉通りに新しい息吹が吹き込まれたような気がしていたからである。
しかし、のんきに喜んでいられるのも今日だけであった。
 
 
 
新しい女主人は、第三新東京市からやってきたのだから・・・・・
 
 
 
「道が狭いなあ・・・なんか怖いくらい・・・・なんだろあの標識?見たことないな」
第三新東京市にはまずない「一方通行」の標識に首をひねりながら、平気でそちらに入っていく伊吹商事のとりあえずの「清掃係」。「この街」ではナビが使用不可なのにもかかわらず、怖いといいつつまるで恐れていない。若いくせにオバハン並の度胸だ。
 
 
その街のルールや交通事情に不慣れな旅行者の運転するクルマは怖い。
事故を起こしやすい。
たとえ、とろとろ運転だろうと、ここは一通である。対向車にしてみれば予想外だ。
距離さえあれば、「迷惑なバカ常識を考えろよコノヤロ」で済むのだが・・・・
世界一交通事故の少ない都市からやってきた女性は、まさか自分がそれを起こすなどと
考えの隅にもない。それは危険予測が大幅に減速することを意味する。
 
 
 
ヴァンッッ
 
 
対向車は電動バイクだった。赤色の全車体カウル式の大型。90度直角ドリフト走行で
路面をきしませ角を曲がったところからいきなし現れた。ライダーはかなりのテクニックをもっているのかそれが日常なのか、全速でそのまま直線に繋ごうとする。
テクニック以上に反応速度、動体視力も優れているらしい。直線から、円へ。
エンジンパワーを制御したままでのスピン運動。バイクがいいのか腕なのか、この距離では当然発生する正面激突を、龍が昇るような螺旋運動に化けさせて空間に喰わせてしまう。
 
 
「あ・・・・」
悲鳴すらあげない。
人ごとのように正面の紅バイクの演舞を正視している他郷者ドライバー。
そのおかげか、ライダーが単独ではなく、タンデムに一人乗せてしがみつかせているのを
見て取った。二人乗りであの回避技。これは、本職(プロライダーかおまわりさん)かもしれない。乗り手が慌てて振り返り、後方に無事を問うている。
ヘルメットで面体は分からないが、桜の代紋がないところは推理の後者は外れか。
体は細いが・・・・乗り手は青いジャンパー・・・・荒々しくヘルメットを脱ぐ。
 
 
「どこに目えつけてんだ、このアンケラソ!!あやうく死にかけ・・・・・」
 
怒るのは当然である。電動バイクもスピードを出しすぎていた感もないではないが、確かにここは一通をノコノコ突っ込んできた軽が悪い。鉄火な調子でまくしたてるのは、髪の長く、隠されてない方の片目がよく光る、頭を振るともう一丁もよく光る眼をもつ・・・・・高校くらいの制服を着た女子高生だった。自分時には絶滅していたはずのスケバンをイメージさせる娘だ。涼やかではあるけれど。
悪びれずそんなことを考えているドライバー。
うーむ、免許はあるのだろうか。
あの怒りようだと、鋼鉄ヨーヨーでもぶつけてくるかもしれない・・・・・
ズカズカと軽に近づこうとするのを後ろの連れがそでを引いて止める。
 
妹分かしら・・・・白とエメラルドグリンのヘルメットを脱がないので顔は分からないけれど、こちらは私服だ。銅鏡色の九尾紋章ネクタイが目をひく。
うつむきがちにぼそぼそ訴えるような口振りに、しぶしぶながら怒りの矛を収める長い髪の、影の意味の「伝統的生徒」。
 
「ああ、”面接”まで時間がないんだよな・・・・・・カンベンしてやるか。
 
ともかくなあ、オバハン。この裏道はなあほとんど町内私道状態なんだ。朝は秋スポ届けるハーレー爺の新聞配達が爆走するし、昼は奥様連中と商売人が屯(タムロ)するしな、下校時間になりゃガキんちょが忍者ゴッコで塀の上から飛び降りてくるしな、そんなわけで時間時間で使用者が決まってんだ。一応、公道だけどなー、よそ者は使うなよ」
 
 
「それじゃあな、オバハン。人だけははねるなよ。さっきのは水に流してやるからな」
電動バイクごと背を向けると、さっさと走り去っていってしまった。嫌みがないが忙しい。
 
 
 
「おばはん・・・・・・・」
ドライバーは生まれてこの方、かつて言われたことのない単語を耳にし固まっていた。
だから、好き勝手言うだけ言った「小娘」の青いジャンパーの背に大きく特徴的な印字で「新・雷門」と稲妻黄金に記されていることには気づかなかった。
「この街」の名所マップでもチェックしていれば必ず目にする有名人であったのだが。
 
 
 
三十秒ほど言語学的世代格差(題名:おばはん呼ばわり)について思考していた若き女性ドライバーは、その原因がグラスとスーツ姿にあることに思い至り、安堵すると再発進させる。一方通行ということらしいらしいので、そのままバックで進行して元に戻って別のルートをとることにした。とんだ寄り道になってしまった。その割には、女性の顔にはほほえみさえ浮かんでいる。錆の浮いたゆがんだ信号機が赤。停止する。
フォログラスを外して、生の眼で街の光景を楽しむ。
 
 
「ごみごみしてるんだけど、なんとなく、懐かしい・・・」
 
 
としのころは、二十四。二十四の瞳で街をみる。第二次破滅級天災(セカンド・インパクト)を、ものおもうころに味わったとしのころ。初めて訪れたこの街に感じるものがある。
機能的に再生される前の、ありのままの生活から生まれた都市文化を色濃く残すこの街に。
写真などに撮影される価値もないから記録には残らない。人の記憶の中だけに。
雰囲気、匂い、音、声、その他もろもろ雑多、としかいいようのないもの。
昔から伝えられてきたもの・・・・一度破壊され、無理と無様を承知で復活させたもの。
それとも、単に金がなくてカッチョ良く復興できなかっただけかもしれないが。
ただ、活気だけはある。余るほどに売れるほどに。
 
 
第二東京の機能政策都市としての復興から切り捨てられた不合理なものを寄せ集めて造られた街・・・・誰が呼んだか、その街をがらくた都市「武蔵野秋葉森」という。
通称、秋葉森。どうやってつくられたのか、記録は残されていない。
ようやく復興の目処がついたところの第二東京が気づいてみると、もう出現していたというのだから。日本の九龍城になりはすまいか、と当初は大いにビビっていたようだが、気風と地形の問題なのかそうはならなかった。日本的路地のせいかもしれないし、こまごまとした畑が町中に切れ込んでいるせいかもしれない。
 
 
都市の中核は呼び名が連想させる、巨大電気街・・・だが、東京中からの混沌歴史をこの器にそそぎ込んだ結果、それだけではすまなくなっている。
 
 
首都である第二東京が引き受けなかった、「何か」をこの街が引き受けてるのだから。
 
第三新東京市からきただけあってこの若い女性は、その「何か」に忌避を覚えない。
タフである。ただ、懐かしさをおぼえるだけだ。感傷に浸っているひまはないのだが。
フォログラスをかけ直す。
 
走り出した軽から「にせ東京タワー」が見える。黒くそして巨大パラボラと塔腕が設置されており吠える巨木にも見えるそれが世界最強のECMを放送し続けている。三分の一ほど本物の鉄骨を使用しているという。にせ、と名付けたこの街の人間の気性がこわい。
 
 
「人集めもけっこう大変になるかもしれない・・・」
 
 
「人探しもしなきゃいけないし・・・・・がんばらないと!」
 
グラスとスーツで決めている割りには、どうも言動が若い。
フォログラスを外した素顔は、童顔であまり迫力や神秘性というものにかける。
人を集めてどうこうしようというのには、どうも年輪が足りないようにおもえる。
よほど強力な後ろ盾でもあれば別だが。国連直属の特務機関、とか。
 
 
ともあれ、謎の女性は近場の巨大ディスカウントショップ「秋本カメアリ」に入っていった。秋葉森での謎の活動が始まったのである。「さ、さすがに安いわ・・・なにこれ!?信じられなーい・・・あ、こっちも・・・」
カムフラージュとして「おのぼりさん」を演技しながらも。たぶん。
 
 
 
目的の品以上のものを買い込んで、嬉々として帰路につく。
 
丸独商事、もとい、伊吹商事・アトリエイブキに。
 
 
「ただいまーっと、さあ掃除を始めようかな」
生まれてまもないオフィスのただひとりの社員。むろん、外回りから戻ろうが出迎える者などいない。寂しい限りだが、利点もある。入り口に鍵さえかけてしまえば周りの目を気にする必要がないことだ。
 
 
「更衣室はないとやっぱりまずいでしょうね・・・」
 
丸独商事はあまり社員の福利厚生を考えない悪徳な会社であったらしい。さすがにトイレくらいはあるが、給湯室は減量中のボクサーを囲うジムじゃあるまいし蛇口を針金でグルグル巻きにしてあるし、ガスコンロも蜘蛛の巣が張っている。更衣室も・・・・パイプラインの走る空調室を兼用させていたらしい。二段のプレートが教えてくれる。
買ってきたビニールシートを敷き広げると、その上を足場にして掃除をするに汚れても良いトレーナーに着替え始める。せっかくの白いスーツもぼろいロッカーに入れる気にならなかったので、たたんでビニール袋に仕舞うとトランクに収納する。靴も安全スニーカーにはきかえる。こまごまと準備がよいが、着替えるとほんとうに学生のように若い。
そして、ぽっけにメモ帳の入ったエプロンと髪に埃がつかぬようほっかむり。
完璧な掃除のおねえさん、クリーンレディに早変わりである。
 
 
それから手際よく掃除を開始する。動きに淀みがない。清掃検定一級は間違いない腕並だ。
室内のあちこちを・・・とくに床と天井を・・・見て回り、修復の必要な箇所を詳しくメモっておく。
 
 
人の声もなく、ラジオもつけず物寂しい中の作業。空調が動いていないのですぐに玉の汗が浮く。はっきりいって、暑い。やはり秋葉森でも年中夏なのだ。
 
 
 
「・・・・・・・」
 
 
 
ほっかむりのせいか、汗が頬を流れる。目にしみるのか、掃除の上手なおねえさんはふいに動きを止めてうつむく。
 
 
 
「・・・・・・・ぐすっ」
 
 
 
汗のせいにしては多すぎる量の水分が瞳にもりあがる。・・・・・涙だ。
なにか胸につかえるものがあるのか、ほんとうは掃除なんぞいやでいやでしょうがないのか、一人でなかなか終わりそうもない作業に対して、なんだか哀しくなってしまったのか。
周りの目を気にする必要がないとはいうものの・・・・・・突然の感情の起伏。
体を動かしていると何も考えなくていい、とはいうが、かえって思いおこすことがある。
頭で理屈を捏ねて思考しないだけに、昔の、生の、感情が。
この若い女性には、どうも思い起こすと泣いてしまうようなことがあるらしい。
 
 
 
「センパイ・・・・・」
 
 
 
言葉が哀切にひびく。そして、ようやく動き出した空調の駆動音に消される。
 
 
 

 
 
 
 
「儂もいかせてもらう。異存はないじゃろうな、加持君よ」
野散須カンタローはゴリ押した。
 
「ですが、リハビリもおありでしょう・・・・」
護衛者として難色を示す加持リョウジだが、完全に押されている。
引継の護衛者が早々に到着してくれていれば、まだ話のしようもあるが、なにせ急なことで次の護衛者も遅れているのか、連絡より五日経ってもこの村に姿を現さない。
「リハビリは済んだぞ」
その為に、このように鼻で笑われる。
日頃、どういう鍛え方をしているのか、たしかにそれはごまかしでもなんでもなく、作戦顧問の義足はたしかに調子よく動いている。名医の力か、野武士のような体力の賜か。
ネルフの中で軍人といえば、結局、この人しかいないのかもしれんなあ・・・・
要は、これからひと戦できる、ということだ。気力横溢。
任務遂行の為に、力づくで大人しくして頂く、という手もどうも使えそうに、ない。
それに決して本人がこの調子でいる限り、足手まといにはなるまい。
本部との通信は未だ断線中・・・機材の故障ではない・・・・電波状態のそれでもない・・・どうも不安定な状態が続いている・・・・護衛者が未だ到着せぬのもそのせいか・・・・・・のんびりした北欧の村にありながら、加持リョウジは緊張を解かない。
こうした場合、分断状態の方が危険性が高い・・・・判断の複雑化は避けたい。
早急にザビタンに向かわねばならんのだが・・・・・合間の休暇になっている。
 
 
 
竿がしなった。
 
 
 
「おお、加持君、きとるぞ」
「おっと!」
「・・・・・・モフ」
 
 
こうして近くの湖に釣りなど・・・・・しているわけだ。モラン医師を含めた男三人が凍った湖に穴をあけて、日本で言うワカサギ釣りだ、そこから釣り糸をたらしている。
はっきりいって全然釣れない。ハナからその気があまりないせいのか、昔話の方に花を咲かせているせいなのか。それがようやくかかったので年寄り二人も青年の方にやってくる。野散須カンタローはけしかけるために、モラン医師はタモをもって。
「おお、こりゃ大物じゃのう!がんばれ、加持君。今晩の芝居パーテーのええ土産になる」「モフ!モフ!」
 
 
かかってみると、かなり大物らしい。グラスファイバーの竿がぐにゃりと曲がる。
せいぜい、鰯鰺レベルの予想しかしてなかった加持リョウジはちっと慌てた。
なにがかかるか知らずに釣りをしていたのだから、のんきの極みです、な・・・・むむ!
諜報員の体力をフルに発動して引き抜こうとするが、北欧の自然は青年釣師をあざ笑う。
 
 
グンッ!
 
 
「おおっ、こりゃ凄い!負けるな加持君、日本男児の心意気を見せてやれ!」
「モフ」
年寄り二人も手を出さずに見物モードに入る。若い者は慣れぬ氷の足場に踏ん張る。
腰を据えて歯を食いしばる加持リョウジ。気分はさすらいの風来坊釣り師・鮎川魚紳だ。
 
「いけいけ!」「モフモフ!」若者をけしかけるのは老人の特権、とばかりに。
「まかせてください、ふふふ・・・・・・・・・ぐ、おっと」
「おお!加持君。このヒキはもしかして幻の・・・・フィンランドタキタロウかもしれんぞ!」「それは・・・・ばらすわけにはいきませんね・・・・」 
 
 
 
その頃、綾波レイは野散須ソノさんとともに、現地の小学校にきていた。
 
 
日本から来たお客さんにぜひ、来て欲しい、ということでお招きにあずかったわけだが、その木の内装のあたたかな、子供のもつ独特な雰囲気の教室に・・・・入る前から。
 
 
綾波レイ、大人気。
 
 
ミィさんの運転するビーグル車で送られて校門の前に下りるとすでに、子供らが興味津々の風で待っていた。ムーミンをかたどった雪だるまをふたつこさえてへたっぴな漢字で、「四宇子草」の旗をもたせてある・・・「ようこそう」・・・なんか勘違いがあるようだが歓迎の意志にかわりはない。そばかすの残る若い女の先生と子供たちの目をみれば。
 
 
表にはあらわさないが、ちょっととまどってしまう綾波レイ。
好奇心と善意がそのまま直結している感情波・・・・恐怖されていないことに。
それから、自分の中にそれに対して連感したものがあることを。
自分が、はじめて会う、はじめて見る、彼らをすんなり受容しようとすることを。
こころのなかに。
 
 
隣には、にっこりつきそってくれているソノさん。安心、している・・・・・
こんな遠くの国で、通じるものが、ある・・・・・
 
 
第三新東京市の巨大な墓場のような幽霊マンモス団地で、ひたすらに自分の視力を封じようとしている少女には、心揺らされるものがある。意外な、発見・・・・・。
それを確かめようと、よく彼らを見ようとした。
 
 
 
          
            あなたたちは・・・・・
 
 
 
同じく、子供らも綾波レイを見ようとする。赤い瞳に、いろんな色の瞳。
ちょっと動物めいているが、素直で純粋な心の交換会、というやつだ。
これが、子供のあいさつなのかもしれない。大人はそうもいかないが。
 
 
赤い瞳にみつめられる。少々、こませたお子さまは顔を赤くするが、男の子も女の子も同様に、ぽーっとし、こう思った。おひめさまだ・・・・・・・・
ちょっと、言葉がでない。なんか最初に言おうと辞書をひいて準備していた子もいたが。
 
 
にかっ。こませたお子さまが、こませたフライング笑顔を見せた。おそれを知らない。
 
 
綾波レイは、ふわっと微笑みかえす。天上の職人のつくる、月光カステラのように
 
 
おそらく、第三新東京市の友人たち・・・碇シンジや惣流アスカ、鈴原トウジや相田ケンスケ、洞木ヒカリに山岸マユミがこの光景を見たら、じたんだ踏んで悔しがったであろう。
それとも、あっけにとられただろうか。いや、悔しがったであろう。断じて彼らにこの光景をみせてはならない。それが互いの平和のためである!!・・・・それくらい。
麗しの甘さである。「ふわふわふわ・あまあまあま」子供が好きにならぬわけがない。
 
 
綾波レイ本人はとくに意識なぞしていない。自然な反応だった。
普段の生活では、いつも目上と年上ばかりを相手にし、いいとこ学校での同級生を相手にするくらいで、ほとんどじぶんより、目下の、幼い人間を相手にしたことがない。
そのためどう対応してよいものやら、不明だったのだが。必然的に、知り合いの中で一番精神年齢の低い人物に類型になってもらうほかはない。そして、なってもらった結果。
 
子どもをとりこにしてしまった、というわけだ。
 
 
簡単な授業参加のあと、体育館でお芝居の稽古を見学する。
「ドーブル山のトロールたち」とかいう題名のその子ども芝居は今晩の村長宅で行われる芝居パーティーで上演することになっている。そっちの方も行くことになっているのだが。
稽古としてはこれが最後なワケで、なかなか見応えがあった。
王族のご来訪といった感じのコースだが、実際にVIPといえばVIPなのだからほんとうだ。観ながら、地球防衛バンドに参加していた時分のことも思い出す綾波レイであった。
子供らのつくった、たのしげというかあやしげというか、手紙やら写真やらペーパークラフトやらのおみやげを渡され、帰る。なんだか、逆サンタクロースだ。
 
 
「レイちゃん、楽しかった?」
帰りの車内でソノさんに聞かれた。
 
・・・・・楽しい・・・・・というよりは、どこか夢をみているようだった。
それでも、その夢が楽しかったことには変わりはない。苦痛では、なかった。
「はい・・・」うなづく綾波レイ。少し、頬が上気している。子どもの興奮の移り香か。
「帰ったら、いい土産話になるかしらねえ」
 
 
この北欧行きの話を誰かにする?そのような発想はない。聞いてくれる人もいない。
話をするつもりはなかった。でも、請われたら・・・・・話すだろうか。
それは、報告ではない。誰か、わたしの話を聞きたいとおもうのだろうか。
 
こころあたりがない、といえば、それはうそになる。
 
 
「へへへへー、そういう旅の話はねえ、レイ。女友達なんぞは後回しにしてだねえ、やっぱ、狙ってる男にするもんだよ。ま、気のある、気を引きたい野郎にねえ。男はどういうわけだか、旅をしてきた女にはグッとくるもんなんだよ。自分の目の届かない範囲に行かれてうろたえんだねー、こりゃ動物の習性サ。謎を秘めた女は強いよ、聞きたい聞きたいと焦れてるところをこう、横目で見計らってだね・・・・・」
運転中は横目をつかっては危ないのだが、ミィさんは危なげもなく講釈を続けた。
 
 
 
病院に帰り着くと、その入り口の前に変な格好の若い男が立っていた。
 
寒くないのだろうか、というくらいの薄着だ。カーキ色のぼろっちい防寒コートを羽織っているだけで、中はなんとラッパジーンズとドクロ太陽のプリントのTシャツだ。
ピースバッチも胸につけており、ギターケースを背負って、濃緑のレイバン。
そして髪型は、茶色に所々、金色の混じったロンゲ。ヒッピーの亡霊のようだ。
鼻から氷柱をぶら下げているところを見ると、北欧の寒さをなめているのではなく、単にお金がないのだろう。やっと辿り着いた、という風に疲れ切っており、周囲の目を気にする体力もないらしい。ノックもせずに立ちつくしているだけだ。
 
もしかしたら、死んでいるのかもしれない。
 
 
「なんだいアンタ、営業妨害しにきたのか、うちに用があるのか、それとも保険の勧誘かい。二番以外ならさっさと失せな」
変質者かもしれぬのに、まったく恐れる様子のないミィさんの誰何。
 
 
「あ・・・・・・」
意識が消えかかっているやばい目つきでふりかえる若いロンゲ男。
顔色もおかしい。なんだか肝臓ヤラれてる系だ。
 
 
「うちは機械義足義手専門でね。健康がマズイってんなら救急車呼んでやるよ」
とても病院の前での看護婦の言葉とも思えない非情さである。
 
 
「あ・・・・・・」
栄養の足りない消耗しきったフランケンシュタインの足取りで近づいてくる男。
その目の先には綾波レイがある。チョコチョコチョコッッ・・・・と背の低いミィさんは男に近づくと遠慮なくそのスネを蹴飛ばした!
 
 
「痛てえっ!!」叫びは、日本語であった。
 
 
「断りもなくウチの客の孫娘に近づくんじゃないよ。三秒以内に去らないと警察呼ぶわよ」
 
 
「もしかして・・・・青葉さん?」
脅しあげるミィさんだが、綾波レイと野散須ソノさんは、その日本語に聞き覚えがあった。
姿形とファッションはちょっと危ないが、そのロンゲは確かに・・・・・
 
 
ネルフのオペレータ、青葉シゲルさん・・・・・・ではなかろうか
 
 
「そうっス!!・・・・・・・あ、いや違った、そうじゃなかった・・・・それじゃ変装の意味がない・・・・・自分は・・・ワタシは・・・」
 
 
一度は肯定しておきながら、あやしげな否定と独り言をつぶやいて考えるロンゲ男。
 
 
「アレクセイエフ・シゲルンコ・スナフキスキーです!!ブルガリア系ロシア人。
言いにくければ、アレクとでも呼んでくださいっす」
 
 
「・・・・・青葉シゲルさん、でしょう」
もういっかい、尋ねてみるソノさん。せっぱ。青葉とかけて、シゲルととく。その心は?
 
 
「いえ、アレクサンドロス・シゲルンコ・スナフキスキーです!!。ともかくアレクと呼んでやってください」
 
 
「さっきとファーストネームがちがうわ・・・・」
ファースト・チルドレンの冷厳な眼差しが零下にロンゲを凍らせる。釘が打てる。
 
 
「そ、そうそう。アレキセイイエスでした。どうも日本語の発音は難しくて。そんなわけで詳しく突っ込むのはやめて、頼みますからアレクと呼んでください」
 
ぺらぺらと如再なく日本語で自分をフォローしておいて、自らをアレクと名乗る、青葉シゲル疑惑を完全否定した、若いロンゲ男。世界は広い。このような見事なロンゲ男が二人もいるとは・・・・・それにしても、そっくりだ。そっくりすぎて、日本のネルフで働く青葉君のイメージがガタ落ちにさがるくらいだ。
 
 
じとっ、と信用度ゼロのミィさんと綾波レイ。
 
 
「そ、それで・・・・アレクさんはどういったご用件で・・」
最近の若い人の考えることに、ちょっとついていけませんね、と思いつつも聞いてあげる野散須ソノさん。暖かい言葉をかけられて、気がゆるんだのか、アレクは力が抜けたようにへたりこむ。
 
「ブルガリア支部から護衛の追加に来たんですけど・・・・・その前に食事させてもらえませんか・・・・・・どういうわけかこっち、カードが使えなくて・・・・」
 
 
ようやく、護衛の引継がきたのだが・・・・・・・なにか、手違いがあったようだ。
「コイツ、なんなんだい?ともかく知り合いなんだろ?」「そのはずだけど、本人が否定するしねえ・・・こっちにはお仕事で来たみたいだけど」「護衛っていったけね。誰の」
「レイちゃんや・・・うちの人じゃないかしら」「カンタロさんの?この死にかけが」
 
 
アレクが取りだして見せた赤いカードはたしかにネルフのカードだ。綾波レイが確認する。
そこに刻まれている名前と所属IDは・・・・・
 
 
 
「おう、青葉くんか」
 
容赦なくでかい声がその正体を遠慮なく看破する。
男たち三人が釣りから帰ってきたのだ。一メートルを超える大物をさげてご機嫌だ。
ご機嫌であるから、少々のことは気にしない気にしない。
青葉シゲルがいきなりフィンランドにきてようが、変なヒッピーまがいの格好をしていようが、男たちは気にしない気にしない。あんたが一番、わたしが二番。
ようやくやってきた「護衛役」が青葉くんでも気にしない気にしない。
 
 
 
・・・・・・と、そういうわけにもいかなかった。
体温が下降しているような青葉シゲルを家に運び込んで、ともかく食事をさせる。
 
 
思わぬ来訪者、うっかり青ベエの登場にすっかりめんくらってしまった、北欧闇雪姫様ご一行なのであった。
 
 
「まさか、彼が来るとはなあ・・・」
冬月副司令の意図を読みかねて、首をひねる加持リョウジ。
この先、どうなることやら。、と、ナレーターやっている場合ではない。
 
 
 

 
 
 
日本・武蔵野秋葉森 チャンコの店「弾丸写楽」の奥の座敷・・・・・・
 
秋葉森には武道館こそないが、両国からやってきた美味いチャンコの店がある。
予約席には、これまでの人生で顔を合わせた覚えのない六人の男女が座っていた。
共通しているのは、ここに今日、この時刻、呼び出された「理由」がおそらく同じである、ということだけ。まるでサスペンス小説だ。店内のダイゴロンな雰囲気があれだが。
 
「お好きな具や足りない具があったらいってくだっさいでありんす。ウチはとっぴん具のサービスやってますからでありんす」
浮世絵から抜け出たような仲居さんが一礼してさがっていく。商売繁盛、忙しいようだ。
座布団七つで一つが空白。そこが招待主の席。開始の時間はまだ。時間いっぱい。
 
 
なぜ、チャンコ屋なのだろうか・・・・・・?
 
 
招待主の名は分からぬが、招待された方の名前は分かる。
どういう趣向なのか・・・・席の前に「社員証」が置かれているからだ。
入社した覚えのない会社の「社員証」。しっかり顔写真と名前と生年月日、血液型まで記入されており、裏面には「会社の規則」が刻まれている。
 
 
「伊吹商事」・・・・・聞いたことのない会社だ。携帯している機械で検索してみた者もいたが、そんな会社はない。高千穂あたりに木材を扱うその名前の会社があるようだが、どうもそれとは関連がなさそうだ。
 
 
出席者は皆、黙っている。出方をうかがっている。互いに自己紹介もせず、ただいまの事象について話し合うこともしない。それより、考えている。出席の理由について。
名前だけがテーブルの上に転がっている。招待主の登場までに拾い集めておこう。
 
 
松下コウノスケ (まつした・こうのすけ)
N石エイキチ   (えぬいし・えいきち)
東芝マスオ   (とうしば・ますお)
橘エンシャ   (たちばな・えんしゃ)
藤原ルカ    (ふじわら・るか)
百山田サブロウ (ももやまだ・さぶろう)
 
 
なんの因果でここに集まっているのやら。分からないのだから落ち着かない。
落ち着いている人間もいるが、お互い観察しあうだけで当たり障りのない天気の会話さえ
始まらなかった。むろん、ここに自分たちが集められた理由についても。
 
 
松下コウノスケは、銀行員かサラリーマンか役人か、ともかくその上にエリートがついて四角い眼鏡をかけて若ハゲており、目つきが鋭い。いかにも切れ者そうである。三十代後半であろうか。思いっきり時間に追われていそうな身分だが、昼食時でなんとか時間を作ってきたのであろう。神経質なのか汗っかきなのか、しきりに額を拭いている。
 
 
N石エイキチは、五十代後半で小柄。かなり仕立てのよいスーツを着ている。温厚そうな顔立ちではあるのだが、自らが置かれた立場に少々困惑を隠せない様子。なぜかこの人物だけ名字が一部仮名になっているのが謎であった。どこかトンベリに似ている。
 
 
東芝マスオは、いかにも普通のサラリーマンといった感じで宇宙人がやってきて職業図鑑の撮影にやってきたら類型としてモデルにされそうである。ただ、かもしだす雰囲気はそうなのだが、異様に頭がでかい。ほそながく、でかい。夏だからいいがセーターは着れまい。個性的な髪型の嫁さんの家に婿養子にはいっていて、舅と姑がいて義理の弟と妹がいて、子どもが一人、という家族構成をなぜか伺わせる。
 
 
橘エンシャ。女性の四十代で髪を赤く染めて、それがキッチリ決まっているというのは、ちょっと主婦では荷が重い。女優かヘアデザイアか占い師くらいしかなかろう。
ハーフなのかもしれない。いかにも炎の女、という感じで煙草をくゆらしている。
 
 
藤原ルカ。白い肌に切り揃えた黒い髪。市松人形のような静謐な無表情をたたえた女性。
彼女だけが当然のようにここに現れ、座っている。その落ち着きに招待主かと勘ぐられたが、当人もこの会席の意味を知らない。
 
 
百山田サブロウは、蓬髪の巨漢である。チャンコ屋にふさわしい。いかにもよく食べそうだ。丸い眼鏡のその視線はやさしげで、ドカベンな感じだ。面子をちらっと見回しただけであとはじいっと品書きを読んでいる。
 
 
 
松下コウノスケが腕時計を見た。約束の時刻まで、あと、三分。
 
 
 
「座敷予約のお客さんでありんす?ほなほな、こちらへどうぞでやんす」
 
自然に皆、耳をすませていたから仲居の言葉が聞き取れた。とうとう現れる。
果たして、どんな人間が自分たちを呼びだしたのか・・・・・
弱みのない人間というのはまずいない。謎の出席に応じたのはその証拠。
そして、この店の選択・・・・・・さぞ「頬の一筋」業界のゴッツイ感じの大男だろうか。
 
 
緊張の、一瞬。
 
 
「皆さん、こんにちは。はじめまして」
白いスーツにショートカットの若い女性が現れた。あまり似合わない大きな眼鏡。
 
 
緊張の、二瞬。
 
 
「あ、もう全員お揃いですか?私ももう少し早くこようと思ったんですけどいろいろ手続きに時間がかかってしまって。銀行はともかくお役所の方は人間がこなしてるんですね。窓口のおじさんにいろいろアドバイスしてもらえたのはいいんですけど・・・・」
 
 
緊張の、三瞬。
 
出席者全員、警戒を解かずにまじまじと現れた若い女性を見つめている。
まさか、これではあるまい・・・・・秘書かなにかで後から本物がやってくる、筈だ。
 
 
その気配は、ない。若い女性が軽やかに座敷にあがる。ぺたぺたと仲居も去る。
 
 
 
緊張の、十秒経過。若い女性が空いた席に座ると同時に。凝縮された問いかけを。
 
 
 
         「「「「「「なぜ、ここに?」」」」」」
 
 
 
それがこの席の、髄。若い女性がにっこり笑って答える。
 
 
 
「申し遅れました。私、伊吹商事の社長、伊吹マヤと申します」