隻腕の女性が立っている。片翼もがれた妖鳥(SIREN)のように。
 
 
 
赤木リツコ博士。片腕たる伊吹マヤが消えても、平然として仕事を続けている。
もとから自分は隻腕だった、といわんばかりに、マギ隠しの事件に対しなんのリアクションも起こさなかった。直属の部下にして無二の弟子がネルフ籍より登録抹消されたとて抗議の申し立て一つ発しなかった。問いつめようとするオペレータ連中の機先を制し、冷厳な視線が語る。
 
 
伊吹マヤ?・・・・・・そんな娘、いたかしら
 
 
どんなに冷酷で冷静でも、一番のそばにいて懐いていた人間が消えてしまえば動揺は隠せない。その言葉に、仕草に、表情に、どこかに僅かにでも、表れるはずだ。
しかし、赤木リツコ博士には、それがない。完璧にない。
たまあに、見せる、これまで周囲が見たことがない様子といえば、仕事上でなにか停滞事が発生した時に、不味い煙草の煙を吐き捨てるように「便利な”マギ手伝い”がいなくなったせいで面倒なことになったわね」と言わんばかりのため息をつくようになったことか。まるで大正時代の意地悪で金持ちの毛皮の未亡人と若くて働き者の女中だ。
伊吹マヤの消失を悲しむなり惜しむなり意気消沈するなり、ということがない。
 
 
マギ内部の捜索を要求する「伊吹マヤ救援隊」も適当にあしらって退けた。
内部で滑落などが発生し、事故死したのではないか、という噂が有力だが真相は明らかにされていない。赤木博士が知らぬ存ぜぬを決め込んでいるからだ。埒もなくマギの記録を表に出して、まともに答えようとしない。これは労災問題になる。ネルフはその性質上、組合(ユニオン)なんてものはないが、「本部互助会」なるものは存在する。
 
 
「真相を公開せよー!!」と赤木研究室に何人も押し掛けるが相手にしない。
ただ警備の者を呼ぶでもなく、自分の声でこう答えた。
「伊吹マヤは既にネルフの人間ではありません」と。「職員でなくなった人間の安否を問われてもお答えのしようがない」もはや、関係はなくなったのだ、と。
 
 
「伊吹さんは生きているんですか、死んでいるんですか?!」「マギ隠しなんて時代劇じゃあるまいし、それで我々が納得するとでも思ってるんですか」「事故なら事故とはっきり真相を語るべきです。いつまでも隠し通せるものじゃありません、赤木博士、あなたの名誉にかかわりますよ・・・」「赤木博士!」「赤木博士!」「赤木博士!!」
押し掛けた者の表情はみな、必死だ。目立たないようでも伊吹マヤが周りにいかに好かれていたのか、よく分かる。マギの内部は深く暗い。機器の狭間に落ち込んだか、誤って高電圧の部品に触れたか、おそらく、伊吹マヤは事故死したのだ。それが最も順当な推理だ。
隠匿したがるのはよく分かるが、それではあまりに伊吹マヤが浮かばれないではないか。
 
 
 
「マヤちゃんがいなくなって、あなたは本当に平気なんですか?あなたにとっては部下とか弟子以上の・・・妹みたいなものなんじゃないんですか!!
少なくともマヤちゃんは・・・・・!」
 
 
日向マコトだった。オペレータ三羽ガラスの最後のひとりになってしまった。
 
 
「あなたをいつも、尊敬していたし、信じきっていたんですよ・・・・」
 
叫ぶことは怒鳴ることは伊吹マヤにそぐわない。だから眼鏡はうつむいた。
表面上がどんな風に見えたとて、一番辛いのは赤木博士。彼も信じていた。
童顔だけど、仕事に耐えかねて失踪するような覚悟のない人間じゃ、ない。
 
 
 
「期待が、外れたわね」
 
 
「は?」
 
 
「もうちょっと辛抱のきく娘だと思ってたけど、見込み違いだったみたいね。
よく働くのが取り柄で目もかけてきたけれど、これ以上の成長が見込めない。
要は才能がなかったのね。慕ってくれるのは嬉しいけど、付きまとわれるのは迷惑だったのよ。ちょうどいい、頃合いだったのかもしれないわ」
 
 
「!!・・・・・」
 
 
「知ってる?日向くん。師匠を追い越せない無能な弟子は死んだほうがまし、なのよ。
あの娘の中にはいくら待ってもなんの輝きも見いだせない・・・・つまらない・・・」
 
 
「あ、あなたは・・・・・本気でそんなことを・・・・」
 
 
それは剣の追悼文。天才の輝きは強烈な毒入りの瓶の輝きなのかもしれない。
なるほど。痛みも悲しみも感じないわけだ。すっかり神経が麻痺されている。
 
知らず、片翼もがれても王水金色の湖面に歌いつづけるセイレーン・・・・
すこし窶れて、顎の線がするどくなって、賢しさとは遠く離れた魔性のことば
知性を野生として生まれついた者のもつ、愚者を見下ろし笑む瞳
三十代の女性科学者、という人間の演技をやめてしまったかのように
 
 
フッ・・・・・・・苦笑すら奏でるように
 
 
これが、本性というものだろうか・・・・・
赤木リツコの美しさは尋常ではなかった。選ばれた猫のような。見る者をゾッとさせる
翻す白衣が一瞬、黄昏を飛翔する羽に見えた。赤木リツコはこれまでになく、楽しんでいる。なぜなら、専門分野に戻ってきたから。総合科学者としての任を好むと好まざると果たしてきたが、愛しているのは自らの専門分野。太い幹よりしなやかで先端の枝を好む。
世界中の何者よりも早く、風を感じる場所に。哲学者や科学者や求道者がいつも望んでいる理知の風を体内に吹かせ、金色の髪で反射する。光滝のように自らの魂をそそぎ込む姿。
 
 
やるべきことは定まっている。はっきりこの目に映っている。絶好調だ。
 
 
MAGI再生
 
マギ内部に降り立ったことで、自分の腹が確認できた。良くも悪くも科学者としての自分の源はここなのだと。マギ最奥部で感じたもの。自分は健忘症だったのではないか、と疑うくらいのスピードで忘れていた記憶が甦るのは面白かった。ここより堕ちる落ちる墜ちるおちることはない・・・・どんなに最低最悪になったとしてもここより下におちることはない・・・・なるほど、人間はそういう意味では既に救われているわけだ。
母さんたち・・・マギの開発メンバーたちが倉庫がわりにしていため、見つけることのできたいくつもの過去。その系譜を引き継いで、自分たちがここにいる・・・・
頭ではどんなバカでもわかる理屈だが、体で実感するのはいかなる賢人にも難しい。
 
 
赤木リツコはマギを再生する。あと十年はモデルチェンジ不要な完成度で。
 
 
また十年ほど経てば他の誰かが新たなマギを構築するだろう。やはり、十年が一昔の区切りになるレベルで物事は進めねばつまらない。それこそが王道。その時まで・・・・
 
 
そして、皇帝列会式・メギを棺桶の中に駆逐する。理由は邪道であるからだ。
皇帝など必要ない。広大な人の思考の海の中で中心を気取ってみても意味はない。
計算機の王様(SOROBAN KING)を目指すのであればかわいいから認めたかもしれないが。それもまた、母さんの大事な仕事のひとつには違いないけれど・・。
いかに強大であろうと消えてもらう。たとえそれが、人類補完計画の一端を担うものであろうとも。
 
 
 
あまり、時間がない
 
 
 
「メギ」を起動させたものがいる・・・・・アバドンか
 
 
 
委員会で囁かれていた新式マギへの移行話というのはこれを基幹にしていたわけだ。
エヴァを取り上げることがかなわぬなら、今度はマギを、という話だ。くだらない。
マギ最奥部「子宮」に秘蔵されていたメギのシステムの基礎部分が抜き取られていた。
理論上でいえば、マギに勝てるモノはメギしかなく、メギに対抗できるものはメギしかいないからだ。メギはその本能から次々と「領地」を拡大し、「兵力」を無限に増殖する。
そりゃ、居所さえ分かれば物理的に消去、という手も使えないではないが。
マギではメギに対抗できない。新式と旧式の差もあろうが、設計思想が異なる。
こと、正面からのリングにあがってクラッキング決闘なんぞやらかそうものなら真っ白な灰も残るまい。単純に換算しても、その戦闘能力は三対五百くらいの差がある。そのかわり、メギには戦うしか能がない。労働は配下にしたものにやらしゃあいい、という考えなのだ。まるでジンギスカンだ。
 
 
ただ、それだけにメギの中にマギが組み込まれでもした日には・・・・その日が戴冠式だ。
 
 
ネルフの周囲にある組織からしてみれば、ただでさえエヴァを三機も保有しその戦闘力は
絶大だというのに、挙げ句にこんな物騒なスパコンなど起動された日にはたまったものではない、世界が征服されてしまうではないか、お前らズルいよ、というところだろう。
だが、ネルフの赤木博士にしてみればそんなことは知ったことではない。
ただ自分の仕事を完遂するのみである。
 
そのために、全てのことを犠牲にする。
 
 
「・・・・・・・」
 
きいているわね
一瞬、虚空を睨みつける。その目が告げる。この歌を歌い終わるまで、待っておいで、と。
それまでは微生物も寄りつかぬ硫酸の岸辺にて歌い続ける。片腕を失っても喉を焼いても。
 
 
意味が分からぬままに歌を聴く者はただ、引きずり込まれて溺れるのみ。
 
 
労働災害伊吹マヤ事故死疑惑というひどく人間的な問題と、人間離れした妖性をもって鳥が歌うようにして天職を果たそうとする非人間的な命題と。
 
 
鉄の枷をかけられたまま、赤木リツコ博士は働き続ける。
メルキオール停止の理由を未だに納得しない宿老頭目たちに説明せねばならない。
渚カヲル・・・直轄実験場より碇シンジ、初号機用に送られた兵器「鉾」の受け取りなど
他人に任せられない専任の巨仕事も持ち上がってきた。殺人的に忙しい。
それでいて、伊吹マヤの後釜を決めていないのだから負担は倍増。
 
 
 
これで碇シンジが飼い猫の面倒をみなかったら、志なかばにして女三十、赤木リツコ博士は散華していたであろう。
 
 

 
 
 
ここでお話は少々、前後する。
 
 
惣流アスカがせっかくの楽しい沖縄修学旅行を自己判断で切り上げて、第三新東京市に、そして自分の家までタクシーでぶっ飛ばして帰ってきたところから・・・・
 
「おじさん、お釣りはいらないからねっ!飛ばしてくれてあんがとっ!」
「いややや、スピード違反の一つや二つ、へでもないよ。大事な用あんなら急ぎなよっ・・・・ととっ、お嬢ちゃん、荷物荷物!!」
「あんっ、ごめんっ、おじさん。そこに投げておいてくれていいから!」
 
 
惣流アスカは止まろうともしない。だだだだだだだっっ、何もここまでくれば駆けることもないだろうが走り出す。足が速い。ツバメ返しの速撃でELV階数ボタンを押す。
ここまでの高速の意志と努力をあざ笑うかのような降下の遅さ。のろのろのろのろ・・・
主観的な問題なのだが、いっそ階段でいってやろうか、と云うところでカゴが開く。
 
 
スポーツバッグをさげた碇シンジ・・・・・・・
 
 
が、そこにいた。冗談みたいなタイミングに虚をつかれて後ずさる惣流アスカ。
 
 
「あ、おかえり。アスカ・・・・早かったんだね」
 
 
「・・・・・・た、ただいま」
ここで言われてよい言葉だっただろうか・・・もしかして、自分が急いでいたのはこれを聞きたかったから・・・・・何の代わり映えもない顔しちゃってさ。こんなに急いで帰ってきのがあほらしくなってくる。なんのために・・・・・?、ん、バッグ?
 
「シンジ・・・アンタ・・」
 
「ちょっと、行って来るから」
 
「どこへ」
 
「まだ話せないんだ」
 
「なにそれ」
 
「ここに来たときと同じ・・・かな」
 
 
「・・・」
 
 
「こんなに早く帰ってくるなんて思わなかったから何も用意してなかったよ。ごめん」
 
「ちょっと行ってくる・・・・ってこたあ、すぐ帰ってくる・・・旅行、でしょ。
えーと京都だったっけ。ま、アンタも休暇をとる権利くらいはある・・・・」
ところでファーストは北欧から帰ってきてるんだろうか。ま、自分が帰ってきたから
 
 
「うーん・・・。第三新東京市にくる前に、先生にはそう言って出てきたんだけど」
おそろしいことを言い出す碇シンジ。
 
惣流アスカもサード・チルドレンに関する記録を思い出した。訓練、経験ともにゼロ。
状況的に断る余地なし、半ば以上騙されて搭乗し、初陣。使徒に楽勝、のちに消滅。
 
 
消滅
そう、消滅。消えてしまうことだ。
その、第三新東京市にくる前に一緒に暮らしていた「先生」なる人物にしてみれば、そのような簡単すぎる挨拶を残して戻ってこなかった、碇シンジという少年は・・・・
消えてしまったのと同義だろう。死亡通知を送るくらいのことはネルフはやりかねない。
 
 
さて、今回もおなじようなことをいって、この場から去ろうとする碇シンジは、惣流アスカにとって、どういう存在になるのだろう。まさか、事物は繰り返されまい。
コイツはエヴァ初号機のパイロットなんだから。どこに行こうが使徒が現れさえすれば、否応もなく初号機の中に、エントリープラグの中にいるはずだ。ふん・・・・
 
 
「ちょっと行って来るよ」というのは、少年の考え得る、長いのか短いのか分からない、トンネルをくぐる、お別れのための精一杯の挨拶。ひどく遠くにいってしまいそうな。
バカのくせにアナグマみたいなことを・・・・・子どものころに読んだ絵本を思い出す。
 
 
「オキナワ・・・・けっこう、楽しかった」
なんか言ってやらなきゃな、と思いつつ、こんなことしか言えなかった。
「みんなと一緒にいければよかったなあ・・・・・スキューバで潜ったりしたの?」
みんな、か・・・・シンジのいう”みんな”はたぶん・・・。惣流アスカには分かる。
そうだと思うよ・・・。渚やファーストもいれば、もっと楽しかったよね・・・。
どうもコイツと話してるとペースにのせられる・・・。なんでコイツはこんなにへーぜんとしてるんだろうか。ほんとにこのバカ、人間じゃないんじゃなかろーか。
あわあわとした空気がただよってくるのがわかる。
へーぜんといえば、オタフクかオタフコか、いう風邪は治ったのか。それを聞いて・・
やらなきゃ。そうしてしばらく、立ち話。十分くらいの。話は、ふいに遮られる。
 
 
 
ざあざあっ・・・・・
いきなりの雨。しかし、少年はこの雨を知っているかのようにバッグから傘をとりだし。
ぼん。傘を開く音が、翼を広げる音に聞こえた。
「それじゃ、行って来るよ。アスカ」
 
 
いってしまった。天気雨にしては激しい。少年の背をかきけしてしまう。
 
 
「あ・・・・・・」
ただ見送るほかない。不安は的中したのに。話が突然すぎたせいではない。
自分の胸からわきあがる感情を抑えつけるだけで手一杯だったから。
ぼろぼろと音が鳴り始める・・・・・自分の中に住むジプシーの老婆がかき鳴らす弦楽器
雨のギタア。ぼろぼろぼろぼろぼろぼろ・・・・・・・・・
「う・・・・・・」
 
 
             うらぎられた
 
 
             うそつかれた
 
 
直感が心臓を刺す。理屈もなにもなく、その想いに貫かれる。
絶対に、そんなことしてほしくなかったのに。ほかのだれにやられても。
そんなことしてくるはずない、と思っていたから。攻撃する気力もない。
理性はそれを否定するし、なんらかの納得する理由があるはずだ、と。
そもそも、それが少女にとってそのように定義されるのか、どうか。
うそつき・・・・・いや、うそでもほんとでもなんでもいいから
 
 
しんじさせてよ 
 
 
「お嬢ちゃん、荷物はここに置いて・・・・・・どうしたい?!」
大荷物をホールまで運んでくれたタクシーの運転手のおじさんが驚く。
あれだけ急かして急がしていた娘は、何があったのか、ホールの床に座り込んでいた。
気分でも悪くしたのか、と尋ねても俯いたまま答えない。あまりに極端な変わり様だが、小学生の娘をふたりもつおじさんは半分納得して、半分驚いてみた。
うーん、困ったな、と犬のおまわりさんの気持ちになっていたところで女の子の姉かどうか知らないが黒髪の女性が降りてきて連れていった。変な・・・と言えば失礼だが、軍隊マニアでもあるおじさんは「襟章」に気づいた。はて、軍属か。線が二本だ。かなり険悪な雰囲気だったが、そこまでは踏み込むこともないので、荷物を渡しておじさんは去った。
 
 
 

 
 
 
いっそ、泣いてやろうかと思ったが、やめた。
 
 
自分のいない間に、一体何が起こったのか。それを知るのが先決。
あのバカが休みの日にどこに行こうが、アタシには関係ないもの。
いちいち、言うことがおもわせぶりなのだ。言葉に配慮がないというか、よおく聞いてみるとのほほん、とした調子で相当好き勝手なことをほざいている。
だまされた、のが正解か・・・
 
 
だが、しかし、葛城ミサトの説明はそんな小娘の想像を遙かに越えたものだった。
話としては簡単しごくだが、説明者の表情は複雑だ。
 
 
 
「まず、話をわかりやすくするために、始めにいっておくけど・・・・・実はシンジ君、碇司令から”あるもの”をもらったのよ」
 
 
「”あるもの”?」
碇司令は碇シンジの実の父親。しかし、誕生日プレゼントとかするような感じではない。
ネルフの総司令とエヴァ初号機のパイロット。その距離をあくまで崩さなかったのだが。意外なこともあるものだ。それにしても話が見えない・・・・
 
 
「家よ」
 
 
「はあ?!家って家?本物の?ミニチュアのあんなのじゃなくて?」
あんなの、とは前に碇シンジがクーラーもなく熱帯夜に魘される惣流アスカをすずしくするために造り上げたドイツ家屋の明礬結晶仕掛けの飾り物である。
親子して考える方向性が同じなのか・・・・。
 
 
「そう、それもアパートでもマンションでも一軒家でもなくて、団地一棟を丸ごと」
 
 
                  
「団地一棟丸ごと?!」
 
ほんとに何を考えているのだろうか。産油国の王様じゃあるまいし。そんなものを十四才の息子にくれてやる親父がどこにいるというのだ。まさかそこに管理人でもやりながら、「住め!でなければ帰れ!」なんて話じゃ・・・・・頭がクラクラしてきた。
 
 
「バカな話に聞こえるかもしれないけど、それほど現実離れした話じゃないの。
そこはレイの住んでいる・・・あの再開発地域の幽霊団地なのよ。周囲に一般市民がいないからね、警護はやりやすいらしいわ。みかけこそあんなだけどセキュリティシステムの牙城みたいなものだから・・・・」
 
 
 
「ファーストの・・・・・って、同棲させる気!?」
 
 
なんでお約束的にそっちのほうにいくかなー、と思いつつ、つっこむ元気は葛城ミサトにもない。効率で言えば、チルドレン一人を守るのも二人守るのも同じで、元々サードをそこに住まわす話もあるにはあったのだ。まさかこんな形になるとは予想だにしなかったが。
 
 
「レイが戻ってないのに・・・・、それは冗談。とにかく、シンジ君がそこに住むかどうかはまだ分からないわ。一棟の所有権が彼に与えられたってことだけで、彼の趣味にあうかどうか分からないし・・・・かなり特殊な環境だしねえ」
 
 
「あそこ、ファースト以外の人間が住めるの?」
昼もいい加減薄気味悪い場所だが、夜になると巨大な墓地の中にいるようなものでとてもじゃないが、自分には住めないし、たいていの人間にもそうだろう。
ほーんてっど・あやなみ団地。いってみりゃ、都市幽霊城だ。
ただ・・・・もしかしたら、シンジには住めるかもしれない。住めば都だよ、なんていいそうだし。僕、お化けなんて信じてないから平気だよ。アスカはこわいの?
 
 
「でも、いくらなんでもあんなとこ・・・」
いきなりエヴァ初号機に乗せて実戦に投入するよりはまだ穏やかだが、おシン人形じゃないんだから、こんな首をひっぱりあげて入れ替えるなんて・・・・そこまで考えて惣流アスカは気づいた。
 
 
「これって・・・・もしかして配置転換なの?」
必要以上に上司である葛城ミサトや同じパイロットのセカンド・チルドレンと接近させて
おけば、不必要な情や甘えが生じる・・・・・ネルフの管理者なら考えそうな措置だ。
 
 
「それだけじゃ、ないんだろうけどさ」
どうも葛城ミサトも投げやり気味というか、消化不良ぎみだ。胸焼けしたよな顔だ。
実際、そんな簡単な話じゃないのだ。葛城ミサトは惣流アスカに聞かせる必要はない、と自分で判断した事象はズバズバカットするつもりでいる。初号機のことなど最早科学者でも手に負えなくなってきているのだ。トーシロが説明しようとしても時間の無駄。
あまりにエヴァ本体が強力になりすぎて、拘束装甲やエントリープラグなどの機械類がついていけなくなっているのだ。少々の耐電処置を施した程度では人造人間の生み出す計測不可能、理論値ぶっちぎりな底なしの電力を統制できない・・・・早い話が、この調子だと初号機は使えない、ということになる。こんどまた碇シンジが雷を纏うようになれば助けようがなくなる・・・本来エヴァというのは電力不足に泣く巨大兵器だったのだが、これは膨大な太電力にうなされる。現時点の科学力ではこの怪物を抑えられない。どうやって解決するかは赤木博士にお任せしよう。なにかいい方法があるようだが・・・・
 
 
と、こんな話をしたところでアスカを混乱させるだけ。
 
とはいえ、自分自身、気持ちの整理がついているわけではない。
それどころか、出来るならば大酒かっくらって大の字になってクダ巻いていたい心境なのだ。襟章がキリキリうるさい。いきなり総司令執務室に呼び出しくらったと思えば、なんの事前話もなく「葛城一尉を三佐に任命する」ときた。五十秒ほどの式典だ。
任命者は碇ゲンドウ、隣に冬月副司令、出席者は、赤木リツコ博士、霧島教授、それから碇シンジ。これもスピード出世というのかどうか。ただ面白くも嬉しくもなんともない。使徒こそ来襲してこないが、マギの件で本部はごたついている。伊吹マヤの失踪事件や綾波レイなど北欧組の歯抜けなど、どうも落ち着かない状況でこんなもんもらっても・・。だいたい、碇シンジの「おたふく風邪」が治癒ってあと、どう接してよいものやら全然分からなくなっていた。上司として指揮者として、なにを寝ぼけているのかと自分でも思うのだが・・・・上手く嘘がつけなくなってきている・・・のか。
 
 
 
もう、一緒に住むべきじゃ、ないのかもしれない・・・・・・
 
 
霧島教授と同じ帰り道。赤木博士と碇シンジは残されて、先に。
饒舌と同じく沈黙すらも映画のような霧島教授の隣で、たぶん見透かされている。
 
 
「子どもは成長しますから。自分の娘でも、ふと驚かされますよ」
そのようなことを別れ際に言われた。確かに。子どもは成長するものだ。
見守る方がその変化に戸惑っていては、かないませんよ、と穏やかに諭された気がした。
さすがに、男性の了見は違う。了見が、懐が広い。
そして、つまらない枝葉を捨てて、本質を見る。
風の先を指先で、すう、と差ししめすのみにとどめる。賢者は多くを語らない。効果的に。
 
 
小娘である惣流アスカと女である葛城ミサトの物の見方の差の一つに、それがある。
惣流アスカは成長途中で、葛城ミサトはその成長を見守る心の高度が、余裕があるということだ。シンジ君をどうしてやればいいのかな・・・・、行く先を想える。
現在の一瞬、一瞬が閃き輝き、咲いていく現時点しか頭にない十四の少女とはそこが違う。
だがね、惣流アスカにそれを要求するのは、ちとまだ、酷というものだ。
 
 
「アスカもそうしたかったら、またマンションの個室でも用意するけど?」
うっかりそこまで口にするとこであやうく呑み込む。少年と少女のそれは条件が違う。
 
 
さて・・・・
 
碇シンジ君をこのまま、女所帯に住まわせておいてよいものか、どうか。
彼には成長する義務がある。なるべくなら視野の広い、立派な人物になってもらいたい。
男の子は父親の背をみて育つと云うが・・・・女親べったりだと、心根はやさしくても物の見方が狭くなったりする。まあ、一概には言えないが、保護者は心配するものだ。
成長が早い、ということはこの時期に取り込まれる知識や情報がどれだけ大事かということだ。同じ物ばかりを大量コピーに取り込んでもあまり意味はない。
 
 
シンジ君ほどの家事能力があれば、立派に一人暮らししてけるだろう。
人間は孤独な生き物である。一人でなにもできないやつはだめである。
人に囲まれることも、一人でいることも。そして、どんなところにいても。
十四という年齢が早い、とはセカンドインパクト世代の葛城ミサトは思わない。
家さえあれば、さっさと出ていきたい、と考える年齢じゃなかろうか。
やれるかどうかは別として。このまま自分たちと同じように一緒に暮らしていても少年のプラスになるかどうか。自分にとっても、冷静な話、精神的な負担が減る。
もう、この街・・・・第三新東京市にも慣れただろう。
その気になれば、弱さをはねのける強さもある。のんびりなのも大器の証、か。
それに、・・・いい子だし。父親からみれば、それが「物足りない」のかもしれないが。
 
 
ほんとうに・・・・
 
 
ごんっ・・・・・・
エレベータ階数ボタンに頭突きをかます葛城ミサト。そのまま。
 
 
どうも・・・・女は・・・・感情の生き物っだってえのは・・・・バカにしないでよ、と思ってたけど・・・・・ありゃ、本当かもしれない・・・・あー、ダメだな・・・
 
 
自分の子どもでもないのに、こんな厄介な気持ちなんだから・・・・・
これが自分の子どもだったら・・・・・・たまんないだろうねえ・・・
なんべんもなんべんも、こんなこと考えるんだけどさあ・・・・・・しつこいね
 
 
だから、碇ゲンドウが碇シンジに家をまるごと与えたこともあまり驚きはなかった。
それがネルフ総司令としてなのか、忘れた頃の親父としてなのか、分からないが。
いつまでも部下に、自分の息子を任せておくことに後ろめたさを感じるヒゲじゃない。
ただ、いつものパターンで、シンジ、団地に住め、と命じたわけではない。
「家を用意した。あとは好きにしろ」とどちらの立場から発したにしても、甚だ無責任なことしか言わなかったらしい。そう、いつまでも続きはしないらしい。なにごとも。
 
 
 
好きにしろ、と言われたら、碇シンジはほんとに好きにする。
 
 
葛城ミサトを無視してエヴァ初号機に乗り込んだ碇シンジ。
作戦部長としても、たぶん保護者としても、その意を裏切られた葛城ミサト。
 
「なんであんなムチャをしたの?」碇シンジが起きあがり一度だけ問うてみた。
惣流アスカの言葉は正しいのか。それとも、自分の見立てが正しいのか。
あのとき、エヴァに乗り込んだ碇シンジのほんとうの気持ちは。
いろいろと穿った問いを繰り返して、推理することは出来るが、それでは意味がない。
自分に向かって、少年がどういう言葉を選ぶのか。それが、知りたい。
 
 
「・・・・・・・」碇シンジはほんとに言葉を選んだ。自分はこれから、あなたをごかましちゃいますよ、と云わんばかりに。じっくりと、時間をかけて。または子どもがデパートでカレーを食べるかオムライスを食べるか、どちらをとるか、迷うように。
これがもし、三十分のアニメやお芝居であったら、これだけで終幕になるほどの・・・・「おらー、金返せ」と空き缶が飛んでくるほどの時間がたって、ようやく返ってきた。
 
 
 
「あのときは、ほんとにただ、行かなきゃいけないから行きました。ミサトさんに云ったら多分怒られて断られるだろうから、リツコさんに乗せてくれるように話しました。
父さんには・・・・・話たくないから話しませんでした。思い上がっていると云われるかもしれないけど、あのとき、僕は使徒はこわくありませんでした。だからむちゃでも勇気があったわけでもないです」
 
 
「もし、アスカや綾波さんや・・・カヲル君だったら・・・・どうするかなって考えなかったって云ったらうそになりますけど。あんな風になれたらいいなって、いつもちょっとだけ思ってました。いつか、アスカに話したら笑われちゃったけど・・・・」
 
 
「カヲル君と一緒にネルフ本部に泊まった時、教えてもらったことがあるんです。
エヴァ初号機はシンジ君のものなんだ・・・・って。たぶん、それは責任感をもつってことなんじゃないかな・・・カヲル君は頭がいいし・・・もしかしたらもっと深くて違うことなのかもしれないけど、・・・僕はその言葉を信じます。友達だから」
 
 
「ベッドからいっぺん、起きようとして、だるくてふらついて起きあがれなかったんです。
ほんとに苦しかった・・・・・、綾波さんて、いつもこんなにくるしいんじゃないかな・・・・体が弱いのに。こんな時、どうやって立ち上がるんだろうって・・・・やっぱり、僕たちが見てない、知らないだけで、歯を食いしばって上半身を持ち上げて・・・・・
・・・・そう思ったら、ベッドから転げ落ちて目が覚めました」
 
 
「エヴァ初号機は・・・たぶん、正義の味方じゃないけど、みんなの味方なんです。
初号機の立場っていうものが、たぶん、あるから・・・・休めません。
このごろ、感じるんです。気持ちっていうのかな・・・・僕を、待っているときとか」
 
 
「ミサトさんは・・・・怒るだろうと、思ってました。案の定、びんたされちゃったけど。
でも、ごめんなさい。もしまた、同じようなことが起きたら、僕はまた、同じ事をやると思います。でも、相談もしなかったのは・・・・・悪いけど仕方がないと思いました。
ミサトさんは絶対にダメだって云うから。事前に話したらすぐに飛んできてにこにこ笑って押入に閉じこめられそうだし」
 
 
 
「でも、あのとき、ミサトさんに怒られなかったら・・・・・僕は・・・・・」
 
 
「僕は・・・・・」
 
 
 
「最後まで・・・もちませんでした・・・・・・」
碇シンジが、声を、震わせた。
少年は無理はしきれず、最後の一押し、無茶させたのは、自分だった・・・・・
結局、見抜くどころか、何も分かってなかったわけだ。いい気なものだ。
 
 
「・・・・・・」
最早、完全にこの少年とどう接してよいものやら、分からなくなってしまった。
理解するどころか、触れることさえ恐ろしくなった。結界のように。踏み込めなくなった。
心の壁。なにをいっても嘘になりそうで、空々しくなる。
 
 
とまれ、ことばのいとおしさ 
 
 
治ったあと碇シンジはボチボチと荷物をスポーツバッグに詰め始めた。葛城ミサトの態度に何かを感じたのだろうか。日帰り程度の量ではなかった。
 
 
「ちょっと行ってきます。行き先は秘密にするように言われてますから聞かないでください」
小学生にやらせてももうちょっと気のきいたことを言うだろう。
そして、玄関口で。
 
 
「ミサトさん」
 
 
「ん?なに」
 
 
「僕、父さんに家をもらったんです。団地をまるごと。」
 
ぺこり。一礼して、いってしまった。葛城ミサトが知らないと思ったのだろう。
 
「住めるかどうか分かりませんけど、掃除して二、三日住んでみますね」
もしかしたら、それは楽しいかもしれない。自由になれる。
ドラマチックな挨拶はこの子には似合わない。これがお別れになるかもしれない。
 
 
碇シンジが出ていったあと、突然降り出した雨が教える
そして、間の悪すぎるおかえりを言うためにおりていく
 
 
これが「巣立ち」なのかなー・・・・よく、野生の動物をテレビでやっていたけど
結婚式や葬式などと違って、けっこうさばさば、あっさりしてるものだ。
 
 
肩の荷がおりた・・・・気がするのもたしかだ。子どもを二人も預かるのは器量じゃない。
寂しくなるけど、こんどばかりは取り返しにいくわけにもいかないし。
 
 
今度、あの子の前に立つときは、「作戦部長」の葛城ミサト三佐、か・・・・
時の過ぎゆくままに、人は、変わりゆく。行く先も知らず、ゆっくりと、暴走している。
 
 
この時点では、葛城ミサトも碇シンジが「行って来ます」のは第三新東京市・再開発地域
幽霊マンモス団地だと思っていた。
ところがギッチョン、碇シンジの行く先は幽霊団地ではなかった。
 
 
碇シンジは「ある契約」を果たしに「ある屋敷」にいくのであった。
その名は第三新東京市、番町猫屋敷。近頃、金髪の主に構ってもらえない住猫ともが夜な夜な騒ぎ立て、周囲の住民に喧嘩を売り、怒りを買っているが市役所や警察に届けても一向に対処されないと不気味がられるおまけまでつけて都会の闇に佇んでいる古い屋敷だ。
「赤木」と年期の入った表札がさげられている。渚カヲルも住んでいた。
 
 
 
このことがまた葛城ミサトと惣流アスカを激怒させることになるのだが・・・・・
 
 
 

 
 
 
武蔵野秋葉森
 
 
可愛らしくて働き者でついでに謎だらけの伊吹マヤが社長を務める謎の会社「伊吹商事」の採用試験(実技・面接)がちかくの公民館で行われた。電詞の機織る修羅場を耐えてくぐり抜けられる猛者のみを求める、年齢不問実力第一愛想が二番、集え!プロ中のプロ!
 
 
 
・・・・・というノリで行われた試験だったが。
集まった人間の年齢に、伊吹社長に言わせると「ちょっと」、ばらつきがありすぎた。
「やはり、ある程度の年齢制限はしておくべきだったでしょうか」
開始時刻の今頃になって気づいても遅いのであった。ひとがこなかったわけではない。
人数という面からすれば、予想外の反響があった。さすがに給料が法外なだけのことはあり、作成計画を完遂すれば解散するという運命の時限企業、ということもその方が都合がよろしい、という、「流れの職人」的な人間も秋葉森には多い。
ただ、である・・・・
 
 
「これも、社長、アンタの人徳のなせる業ってやつだね」体を動かす仕事は一切やらない橘エンシャがそっくりかえって煙草をふかす。一応、ここが面接官控え室だ。
となりの試験会場からは動物園のような奇声があがり安普請の壁をゆらす。
 
「ねえー、まだ始まらないのお?アイスがとけちゃったじゃない」「うー、あー、暑いのう。のお、銀さんや」「あ、タクちゃんもここ受けにきてたの?この会社ってさあ・・・」「すいません、受付のおねえさん、トイレはどこですか」「あ、君たちレベル高いねえ、写真とっていいかな?綺麗なやつ。やっぱり履歴書の印象が違うよ」「まみむめも!」
 
 
「下は小学四年生から・・・・上は七十まだまだ現役・・・だそうだからな」
書類を速読で流し読みし、呆れたようにいう松下コウノスケ。
「あー、これこれ、きみたちい。けんかしちゃだめだよー、タダエー、こっちの子が気分悪そうだ、たのむよー」「はいはーいタダエでございまーす、と。じゃ、カツヲ、ひとっ走り三河屋さんで冷えたジュースとお茶頼むわー、ダース単位でねー釣りは小遣いー」
隣から、家族まで面接試験の手伝いにきてくれた東芝マスオ一家が奮闘する声ーがすーる。
思い切り家族工場的なありさまだった。他の者がこういうことに関して無能としかいいようがないので感謝しきりの伊吹マヤ。藤原ルカに受付を任せて、その手伝いにこれまた東芝家のヤカメちゃんが忙しく立ち働いてくれている。さらにいうなら、マスオさんのお義理母さん、フメさんが、知り合いの婦人会でおにぎりの炊き出しをしてくれている。
選挙がかってもいる、この雑多な雰囲気に呑まれそうだったが、伊吹マヤはなんとかふみとどまっていられるのは、この人たちのおかげ。
 
例の「”ほうちょう”・・・」でつけあわせのたくあんを切っているN石部長。
実技に使用するテストプログラムを徹夜で組んで大鼾でも今日もきた百山田サブロウ。
相変わらず風速三十メートルびゅーびゅーエリート風で「こいつはダメだな。前科がタチ悪すぎる」・・・現役指名手配中の電脳犯罪者をはねていく事情通の松下コウノスケ。
「面接だけはまかしときな。あんたは今日は働きなさんなよ。ただでさえ威厳がないのに軽くみられちまう・・・化粧でも濃くしたらどうだい」と、橘エンシャ。
 
 
そして、応募してくださった秋葉森の住民のみなさん。
小学生から七十のおじいさんまで。厄介なことに、ほかの都市ではいざしらず、この秋葉森では小学生でも一丁前以上に機器を操るから困る。じいさんの方もいわゆる引退知らずでキャリア半世紀以上の主レベルがごろごろしている。伊吹商事のどこに目をひかれたのか、というか基本的に火事場ヤジ馬の気性が強いから、ぞろぞろやってきたのだ。
はっきりいって、採用数は「若干名」だ。十名も採りはしない。
なのにやってきた二百九十五名。・・・・やれやれだ。
 
 
まあ、実技試験が難しいから選ぶのにそう手間はかかるまいが。
作成したのはあの百山田サブロウだし。
 
 
「ふぅ・・・ちょっとした運動会ですね」東芝マスオが一息いれにきた。
予想外の飛び入り含めた応募者に大汗だ。各自持参の携帯コンピュータにテストプログラムを接続するのに手間がかかっている。飛び切りも締め切ったのはつい先ほどだ。
「あ、お疲れさまです。会場、たいへんですね」「まー、いろんな人が来ているもんですねえ。秋葉森も狭いようで広いですよ」「東芝さん一家が手伝ってくださらなかったら・・・・って考えたらぞっとします。ほんとにありがとうございます」ぺこり、と一礼する。巨大な頭をふきながら、東芝マスオはニコニコ笑っている。
 
 
「あのー、しゃちょうさん」ヤカメちゃんがやって来た。「ん、何?」
「ルカさんが、ダウンロード終わりましたって」「分かったわ。ありがとう」
うなづくと、ぱたぱたと行ってしまう。おかっぱがかわいい。
公民館にもそこそこの機器があったりするのが秋葉森のいいところだ。
「じゃ、そろそろ始めましょうか・・・・」
と、伊吹マヤが立ち上がりかけたところでタイヤがスリップしたような音が聞こえた。
 
 
ききいいっ
 
 
試験会場として借り受けている公民館の駐車場で受験者の事故は、かなり困る。
が、ぶつかったような破壊音がしなかったので多少は安心する。葛城一尉がたまにやっていたドリフトターンで一発駐車で乗りつけたお調子者だろうか・・・
いちおう、責任者として現場を確認にいく伊吹マヤ。おや?入り口の受付で人盛りが出来ている。もう受付は締め切ったというのに。
 
 
「えっ!もう受付は終わった?!」
若い女の子の声だがかなり戦闘的だ。「は、はい・・・」弱々しい声で応対するのは後片づけでもやっていたのだろう、ヤカメちゃんだ。察するに遅刻飛び入りらしいが・・。
 
「頼むっ!そこをなんとかしてやってくれないかな?まだ試験始まってないんでしょ?
言い訳はしたくないけど、半環(ハンカン)が事故って・・・」
秋葉森名物道路、半分環状線だ。略して半環。青いジャンパー。はて、どこかで見たような。事故ったのは本人なのか、左腕が赤く染まっている。にしては痛みもなさそうだけど・・・元気に景気良く怒鳴っている。隣には・・・ひとまわり小さくなっているおとなしそうでそのままでは連れ合いの長髪の気合い入った娘より目立ちそうもない白い洋服の少女。しかし、銅鏡色のネクタイより、若草色のリボンより、ぎょっと、目をひくものがある。・・・・・肩が。
 
ズングリト。きゃしゃな少女の体格に似合わない、大男のアメフトプレーヤーが装着するようなばかでかい装甲めいた、黒々とした肩当て。なんかアニメかゲームの登場人物のコスプレ、というものではなかろうか、と伊吹マヤは一瞬、思った。悪いが無骨で、このおとなしそうな子には似合わない。さぞ重たかろうに・・・・
 
 
「ありゃ、七刻山(しちこくやま)の・・・・」「ああ、新雷(シンライ)だ」
まわりの者は知っているらしい。驚いてはいるが、わるい印象ではない。
「ショーコちゃんは困ってる人間をほっとけない性分だからねえ・・・・」
「あの返り血も、また先月みたいに車からけが人を引きずり出したかどうかしたんだろ」「新雷なら、ちょっと大目にみてやってくんねえかなあ」「いや、ここの社長は秋葉の人間じゃねえんだろ・・・七刻山ったって知らねえだろ」
 
 
はてな?おっしゃる通りにわたしは知りません。そんなに有名人なの?あの娘。
一応、この街のことは勉強してきたつもりなんだけど。
 
 
「・・・いいよ、ショーコちゃん、いいよ・・・・・しょうが、ないよ・・」
隣の肩甲少女が七刻山ショーコのそでをひく。注目を集めることを恐れるように。
「なにがいいのよ!ちきしょう、一時間も早く新雷を出たってのに。・・・・こうなりゃここの社長にジカ談判してやる」
この声・・・・・思い出した。掃除道具を買いに行ったときに道を逆走して、そのとき。
おばはん呼ばわりしてくれたバイクにのってたスケバンっぽいあの娘だ。
七刻山ショーコのハクリキに押されて気の弱いヤカメちゃんは泣きそうだ。
 
 
「私が社長の伊吹です」
 
「あんたが社長さん?・・・・・・あ」
この娘は記憶力がいいらしい。伊吹マヤの顔をみてすぐに思い出したようだ。
ぽん、と手判をおしてこういった。
 
 
「あん時の、逆走おばはん!」
 
 
 

 
 
「まあ、まあ、そう落ち込みなさんなよ。十代の小娘にしてみりゃ二十代のアンタでも立派なおばさんなんだからさ」
立派なおばさんであるところの橘エンシャに言われても慰めにならない。
しかし第三新東京市の某特務機関では、若くてピチピチした清純派でならしてきたというのにちょいと河岸を変えるとこうである。年齢を自覚するのは、むつかしい。
さて、これからどんな年齢を演じていけばいいものやら。
 
 
「べ、べつに落ち込んでなんていませんよ。ただちょっと、動揺してるだけ、です」
「人間だれしも歳をとるんだから。そーゆーアンタだってアタシが二十代の頃なんて想像できないだろ?そんなもん、そんなもんだよ。あぁ、少年の頃はうち解けず、反抗的。
青年の頃は高慢で、御しがたく。大人となっては実行に励み、老人となっては気軽で、気まぐれ・・・・」
 
「?なんですか、それ」
 
「ゲーテだよ。ゲーテ。勉強しときな、娘さん。あんたは目上とも目下ともうまくやってかなきゃならないんだから。これからね・・・・」
 
「勉強と言えば・・・・橘さん、新雷・シンライってなんのことかご存じですか」
 
「新雷・・・・・ああ、よその人間にゃ分からないよねえ。秋葉森の雷門のことさ。
それで新・雷門。にせ東京タワーと同じだよ。原典は浅草のお寺にあったけどね」
 
「ずいぶんと名が知れ渡っているみたいですね。もしかして・・・・・、知らなかったらもぐりですか」
 
「その街の常識ってやつはガイドブックにいちいち書いてないし誰も教えないからねえ。
てか、新雷の由来ってのは秋葉森が生まれた理由にもろ直結する、いってみれば国造り・・・・ならぬ、街造りの神話だから」
 
 
 
「街造りの、神話・・・・?」
 
 
 
「聞きたい?アタシは民俗学者でも社会学者でもないただのインチキ占い師だからさ、おおげさのゲサに話すけどね」
 
「はい・・・・」
 
 
だが、橘エンシャが話す秋葉森縁起は、たしかに神話めいた異様なエネルギーを内蔵していた。
 
「西暦2000年の第二次天災、その翌年の2001年の頃の話だよ。一言でいえばどこもかしこも地獄だった・・・・混乱期ってのは人口の多い方が泣きをみる。死亡者も負傷者も行方不明者もケタがそれだけ違ってくるからね。だから首都・東京はたいへんだったさ。死んだ人間はまあ、とりあえずそれ以上苦しむことはないからいいとして、だ。
生き残っちまった人間は・・・・それも、あの混乱の中、家族子どもとはぐれちまった人・・・なんてことになったらどうする?てえか、はぐれない方がおかしいわ。運がよかったんだ・・・・ラジオもテレビも周りの人間もそんなこたあ教えてくれないよ・・・。
情報自体も混乱してたからねえ、今聞くと腹かかえてわらっちまうようなネタがびゅんびゅん飛び回ってたもんさ。どいつもこいつも大まじめな顔してそれを聞くのサ」
 
 
「あの・・・もしかして・・・」
 
 
「アンタは聡いね、社長さん。でも、そんな昔の話、なのサ。これも、ね。あたしゃ、アレがくるまで、けっこう自分が人生の主役だと思ってたんだけど・・・・と、そんなことはどうでもいいね。それで、その中の噂話に、雷門、ってのが出てくるんだ。
浅草寺にあった雷門は、でかい提灯があったんだ。それが、待ち合わせの目印に使われてね。そこで行方不明者や迷子を捜してくれるっていうんだ。冷静に考えてみりゃどこのどなた様があのご時世にそんなことしてくれるんだってすぐ分かったんだろうけどね。
ま、行ってみたわけ。本物の雷門じゃないことくらいは分かってた。アダ名なんだってね」
雷門みたいなよく目に付く待ち合わせ場所を誰かが造ったんだろう、って。
情報は集まるところには、どばっと集まるからね。それを上手く仕切ってくれる人間さえいてくれれば・・・・悪くいうつもりはないけど、お役所なんて当てにはならなかった・・・・かなりの成果が期待できる。行ってみたねえ・・・・あの日のことは忘れられない。
人人人の、ぎゅうぎゅうすし詰めの狭い道だよ。初詣じゃあるまいに。皆、目をギラギラさせてね。噂で聞いた、その雷門、とやらに自分の家族を求めて歩いてるんだ。夜通しでね・・・懐中電灯は電気がもったいないからあまりつけたがらない。暗いんだ。なんだか自分たちが蟻になっちまったような気がしたね。お伊勢参りって感じじゃない。ひたすら暗くて誰も喋らず、もくもくと。人の流れるままに、自分の足で歩き続けて。車なんて走ってない。あんなに歩いたことはないね。もう、ないだろう。たまに夢で呼吸の音を聞くくらいでね。そいで、道をのぼりきった、その時だよ。
 
 
新雷・・・・新・雷門とかぬかす、不気味ででっかい電球の化け物が怒ってたのは!
圧倒されたね。あんなに驚いたことはなかった。とにかく、でかくてね。
ベタベタする夜を怒鳴り散らすような迫力で赤々と野太く・・・人のために光ってた。
近くで見て見りゃ、どこかからかき集めてきた何百もの電灯電球ライトの類を積み上げて
一斉に光らしてるんだよ。ふつうの白色球は言うに及ばずコンビニの看板とかパチンコ屋の宣伝照明とかね、まあ、使えるものは全部集めてきたって感じだったね。
ほんとに、異様で不気味で下品でね。どんな”ぴちがい”がデザインしたってこれよりゃましなもんができたろうに、てね。エイリアンか火星人かボスコーンの宇宙船かと思ったくらい七色の内臓みたいでグロテスクでね。あかりぃー、なんて大人しいもんじゃなくて、ありゃもう、光で天に向かって吠えてたね。神様仏様に恨み言をネジ込まんばかりに煌々と。
 
 
でも・・・それを見た奴はみんな泣いてたね。大の男だって号泣してた。
 
 
暗い中をずっと黙りっぱなしで不安に押しつぶされそうになりながら歩いてきたあとの、ようやくの光、だったんだ。恥も外聞もありゃしない。誰が造ったんだか知らないけど、あんなもんを人目にさらすのは、すっ裸になるより恥ずかしいことだったろうさ。
どんなに無様でも、あれはたしかに、人間のつくった、人間のための明かりだった」
 
 
「ぐすっ・・・・・・そ、それで、橘さんも・・泣いたんですか・・・」
 
 
「ちょっとちょっと、ここで泣かないでおくれよ、社長。アンタ、これからスピーチがあるんだろ」
「だ、だって・・・・・・・」
 
 
「これじゃアタシが泣かしたみたいじゃないのさ。他の連中は出払ってるし。
つーわけではしょるよ。そんなわけで、大量の難民を集めることになった新・雷門はそこを基点として街が造られ・・・それが今で言う、誰が呼んだか武蔵野秋葉森ってわけ。
混乱期の際に、いち早く対応して私財をなげうち、新雷を造ったのがもともとこのあたりの顔役だった、七刻山電気店の主人、七刻山グンペイ翁。
電気店としての使命は雷門のバッタモンで果たしたっ!てんで、もう、行方不明者迷子探し屋に・・・って、金がもうかるわけもないけどね・・・商売替えしてね。近頃は落ち着いてきたから卵人形焼き屋と施設とまた戻って電気店をやってるわ。そんないきさつで、七刻山電気店の人間は秋葉森じゃ、とんでもない”顔”なわけ。日本最大のアーケード商店街、秋葉森商店街の会長でもあるしねえ」
 
 
「なるほど・・・・」
別に、使える人材が集まりさえすればいいので、多少の遅刻などなんというほどのこともでない。その七刻山の少女の言うとおりに、お連れさんの女の子の受験も許した。
確かに、ただものではない雰囲気だったが。あ、連れの子の名前を聞くのを忘れた。
 
 
「社長、受験者の方の配置と試験説明が終わりましたんで、それじゃ始めの挨拶をお願いします、演台はないのでこのコードマイクで・・」
 
忙しく東芝マスオさんが呼びに来た。頭がでかいのと急ぐので頭を入り口にぶつける。
「あいたっ」ゴン、かなりいい音がした。「あっ、大丈夫ですか」「いえいえ心配していただくほどでは・・・あたた」「アンタ、頭がでかいんだから気をつけなよ」
「とりあえず、このハンカチで冷やして・・・・・それじゃ、いってきます」
「ああ、町内カラオケ大会の司会でもやるつもりでいっといで」
 
 
 
伊吹マヤ社長が入魂の始まりの挨拶をしている間に、実技試験の内容を説明しておこう。内容は簡単。一言でいえば、「じゃんけんゲーム」だ。
プログラム1のじゃんけんゲームプログラム「じゃんけん太郎」、と
プログラム2のじゃんけんげーむプログラム「じゃんけん次郎」。
このふたつのプログラムは対戦用に連結させてあるのだが、その能力としてはプログラム1,「じゃんけん太郎」の方が格段に強力で、相手に走査をかけて、なおかつ後出しまでしてしまうという悪辣ぶり。テストは、この「じゃんけん太郎」相手に「じゃんけん次郎」を勝たせる、というものだ。五回やって、三勝すれば、というか、させればよい。
そのために、「次郎」を試験時間内に改造してヴァージョンアップせねばならない。
もちろん、「太郎」の内部閲覧は可能だが、なにせゲームの大王、天才百山田サブロウが造った代物だ。素人がそう簡単に勝てるものではない。
 
 
百山田サブロウ曰わく「じゃんけんゲームを制す者はパソコンゲームを制す」という有名な格言があるらしい・・・・。奥が深いのだろう・・・。
 
 
これでかなりの人数が落とされるであろうが、もうひとつの実技がまた難しい。
「テロリストのテトリス」という、こちらはかなり有名な試験問題方式。
どういうものかは、そこらの専門書を紐解けば親切な解説が載っているであろうから省く。これに元日本ルルビー・メイズ社の松下コウノスケが直々に手を入れている。
「これを八十点以上とれたなら、こんなとこに来んでも一流以上のまともな企業で引く手数多だ。私が保証してやる」そんなわけでこちらは合格点は五十点になっている。
が、この試験で百点満点の受験者がふたりも出ることになる。
 
 
 
「・・・・と、いうわけでみなさん、試験がんばってくださいね」
伊吹マヤ社長の入魂のスピーチが終わった。伊吹商事の新たな力を求めるための試験が始まる。小学四年生から七十の爺様まで、はばひろーく。
 
 
「それでは、実技試験、はじめてください」
藤原ルカの号令がかかる。各人様々なアクセスが開始される。
簡単なようでいて、試験はかなりハイレベル。じゃんけん太郎は強敵だ。
 
 
そして、試験はつづく・・・・・・