秋葉森の謎の会社、伊吹商事に新入社員がやってくる!
 
 
 
先日、行われた完全に実力のみを問われる試験に見事合格した、プロの中のプロ、仕事師選ばれし者たち。しかし、年齢制限をしなかったために、おもわぬ結果になってしまった。
受験者の最年少が小学校四年生で、最年長が七十であったのだが、その両端がなんと受かってしまったのだ。どちらも、ふつうでいえば就業年齢から外れている。
そこを採用してしまうのが健康保険もない伊吹商事のすごいところだ。
 
ただ、どちらもかなりの高得点・・・実技の点数のみでいえば、二位と三位だった。
実力のみを問えば、問題はない。ただ、どのように働かせるのか、ちょっと頭がいる。
 
 
その他の合格者にも、どうもばらつきがある。
 
 
無職の十六才がひとり、三十歳の未亡人がひとり、三十五の流れの「電詞職人」がひとり。五十代が二人、六十代がひとり、と計、八人。半分が、五十代以上、といういきなり平均年齢をレベルアップさせている。もちろん、高齢者採用給付金など出るわけもない。
実技試験が難しすぎてほかに合格者が出なかったのだ。
 
 
時間に追われる時限社長である伊吹マヤには悩みどころだ。微妙な数である。
微妙な年齢である。微妙なばらつき具合である。驚いたことに頭が柔らかそうでコキ使えそうな二十代の合格がなかった。ここまで来たら多少、合格点をさげても良かったろうが、そういうことは松下コウノスケが許さなかった。「足手まといは最初から入れるな」
じゃんけん太郎作成の百山田サブロウは「うーん、もうちょっと楽しめるものにすればよかったかな・・せめて次郎にも後出しオプションをつけておけば・・・」
なにか別の反省をしていた。
 
 
「体力テストもいれておくべきだったかも・・・・・・」
 
 
なにはともあれ、合格者八人は望んで伊吹商事にやってくる。
ヘッドハンティングと書いて脅迫と読む、戦国時代方式で引き込まれた六人とあわせて十四人。社長もいれて十五人。そこそこの面子になってきた。
 
 
ぐぐっ・・・・・これでいけるの・・・・・
 
 
「”がいちゅう”・・・」
伊吹マヤの不安が表に出たのか、N石の部長がうしろでつぶやく。ただし謎。
 
「これで足りなければ、外注すればいい。よそと違って秋葉森の電詞文製作所は粒ぞろいだからな。こちらできっちり指示書さえ渡せばその通りにあがってくる・・・・・部長が仰っているのはそういうことだ」
松下コウノスケが説明をしてくれた。
 
 
「この手の仕事は頭数が多ければよいとは限らん。基本だ」毎度のことだが、偉そう。
 
 
 
そして、新入社員歓迎会が伊吹商事・会議室で開かれる。
ここでもやはり、下準備を手伝ってくれたのは、東芝さんご一家。マスオさんの義理の父親、シオヘイさんもやってきて、会社の前に門松と花輪を立ててくれている。
 
 
なにはともあれ。
 
 
乾杯の後、伊吹商事の平均年齢が一気に上昇する、自己紹介タイムが始まる。
 
まずは年長者から。年齢トップ合格者、齢七十にしては背筋がしゃんとしていて眼光も鋭く、鳩のような鼻眼鏡。お洒落なゴルフルックな出で立ちでじろーと周りを睥睨すると、
 
ゴホン、と。
 
「わたしゃ、尾道カンジといいます。元はゴルフ屋だったんですが、今はすっかりすたれちまって五十の手習いでコンピューターなんぞ始めまして・・・歳は一番のじじいのようですが、技術は未熟なもんですので、どうぞよろしく」
 
 
次が六十代だ。こちらは年相応に・・・・・老けてない。
 
 
「は!、どうもどうも、あたしゃ姓は海老名、名はトラジロウと申します。長年トラック
運転手をしておりました。通り名は魚屋のトラ。秋葉森通路が担当でしたもんですから、門前の小僧、習わぬ経を読むってやつでいつの間にかそこそこコンピュウさんも使えるようになっちまいまして。正式に勉強なんてしませんでしたから、はー、いやー、受かるなんて思ってなかったんですけどねえ。いやはや、腰が悪くならなきゃまだトラックの方が似合いの無骨者ですけど、こうなっちまったら精一杯、がんばりますんで」
 
 
そして、まだまだ五十代。
 
「原田ホウロクといいます。よろしくお願いいたします」
「勝山チョウスケです。コスモス電子部品(株)で働いておりました。」
 
伊吹商事の安全牌といったところか、名の知られている電器会社と部品製造会社の定年退職者で、いちおう、子供も育て上げ、さあ、第二の人生を踏み出そうというところ。
能力はあるのだから、その選択が正しかったのかどうか。結果はすぐにわかる。
経験と実績に裏打ちされた、いぶし銀の安全弁、と言い換えてもよいだろう。
両方とも、役つきを経験している重厚な顔だ。
 
 
四十代をとび越えて、三十代に。
「加藤ジンエ、といいやす。電詞文造りの腕をお貸しして世間をふらふら渡っているケチな野郎でござんす。ナリは小さくともこちらの会社は、見れば雑誌などでも拝見する、有名なお顔がちらほら・・・・どうぞ、面倒な”残飯処理”はあたしに任せておくんなさい。・・くくく」
 
 
面接の時に一番金銭面のことをケツの穴をほじくるようにして聞いてきた男だ。
確かに、腕はよいらしい。その代わり、なめくじのように職場がじめつく、という話でどこもかしこのシゴトバもこの男を長くは雇わない。死神のように顔色が悪い。
 
 
「春込イスズといいます・・。皆さん、よろしくおねがいします」
同じ三十代でひとあわせにするのはかなり可哀相な、春の花のように若やいだ笑顔の女性。
二人の子供をかかえた旦那が行方不明な未亡人、春込(はるこむ)イスズさん。
こちらも伊吹商事を希望したのは金銭的なことと、短期であることだった。
この女性が加藤ジンエの隣にいるから雰囲気が中和されてちょうどよくなっている。
 
 
この次は・・・・・あの新雷の七刻山ショーコが連れてきて試験に押し込んだ、ショルダーパーツが目立つ、少女・・・もうちょっと幼く見えたが十六歳なのだった。
 
 
「あ、あの・・・・祭門チサト・・・・です。よ、よろしくお願い・・・します」
 
 
とつとつと、どもりを抑えるようにしゃべる。顔色も赤い。
 
見た目にもサイズ巨大で雨宮慶太氏がデザインしたような凶悪モードの肩装甲から、もうちょっとイケイケゴーゴーな挨拶を予想していた周りは拍子抜けした。それ以上に、誰しも口にしたくて内心ウズウズしているのは・・・・「その重たそうな肩当ては一体、何?」ということだったろう。
 
服装がまともなだけに、余計に目立つのだ。これがいっそ全身ヘビメタなら・・・。
人並みの好奇心を持ち合わせている伊吹商事面接官も、面接のおりに尋ねてみたが俯くだけで返答はなし。答えなかったから落とされてもしかたがない・・・・と言わんばかりのだんまりぶりに面接官も折れた。まあ、ちょっと変わったファッションだと思えばいい。
 
なにせ試験の成績はダントツ一位だったのだから・・・・・
 
 
ただ、気が弱い小さいのだろう、かんたんに挨拶をすますとすぐ一歩下がろうと・・・・
 
 
したときに「待った」がかかった。
 
 
「ねえ、その大きな肩ってなんなの?」
 
 
この手の遠慮なく大人げない質問ができるのは、子供だ。
 
最年少合格者、小学四年生、石野丸(いしのまる)アラシ。ジーンズにTシャツにベスト。
赤い、インベーダーのキャップをかぶっている。
本人の言と試験用紙の記入によると「男の子」・・・・なのだが、どうも無理矢理長い髪の毛を帽子の中に押し込んでいたり、その綺麗な顔立ちからして「女の子」に見えるのだが・・・・まあ、それで大人がだませると思うなら子供なのだろう。
石野丸、と言えば秋葉森では言葉は悪いが「名門」の家だ。石野丸電気店といえば七刻山に匹敵するほどの力をもつ。それはさておき。
 
「え・・・・」
思わぬ方向からの追求に、傍目にもわかるほどにうろたえる祭門チサト。
 
「え・・・・こ、これはねえ、ギ、ギプスなの・・・よ」
 
「ギプスってそんなところを固定してもしょうがないじゃない」
小学生のくせに観察眼が鋭い。嘘なのは態度からすぐに分かるとしても。
 
「それから束ねた髪でカムフラージュしてるけど、うなじのところに肩からコードが走ってる。・・・・・それ、何?」
子供特有の残酷さを発揮してズケズケと問う石野丸アラシ。その賢い目は相手が困っていることを知っている。いきなりこの場の雰囲気がマズマズしくなってくる。
 
 
「え?・・・・これは・・・・あの、その・・・・」
小学生にいいように追いつめられている。それにしてもこれまでにもこういった質問はあったろうに、どうやって言い訳してきたのだろう。この娘は。ただ狼狽える。
適当に言い訳しても、すぐに見抜かれて言い返されるからか。しどろもどろに。
 
少女の肩の秘密は聞きたいが、さすがにこれは可哀相だ。だが、初日から子供を怒るというのは・・・・・周囲も介入しかねていた。
 
 
「大人の女になれば、わかりますよ。・・・・・・ねえ?」
にこっと笑って進み出た伊吹マヤ。そして、ぱっと石野丸アラシのインベーダーキャップを取り上げて仕舞う。絶妙のタイミング。押し込められていた髪の毛があふれ出す。
 
 
「ああっ!か、返してっ・・・・それっ!」
慌てた声は、声変わり以前とかなんとかいうまえに、こりゃ女の子のものだ。
 
 
「人のことは言えませんから身分の詐称についてはうるさくいいませんけど・・・・・
ただ、いけずは許しませんから。・・・・・分かりましたね、石野丸アラシ君?」
 
「分からないことを聞いて何が悪いのよ!だって、どう見たってあの人ヘンじゃない」
面接の時のぶっきらぼうな男言葉を忘れている。分からないことはすぐ人に聞け、とでも親に教え込まれているのだろうか。そんなものは時と場合によりけりだ。
機械じゃあるまいし、初対面の人間にすべてを明かすものでしょうか。
帽子を返してやって伊吹社長は言いきりでのたまった。(伊吹商事・格言その壱)
 
 
「ヘンでいいんです、ヘンで。仕事さえすれば」
 
 
それでも石野丸アラシは言い返す。髪を帽子の中に再び押し込めながら
「へんなパーツとうなじにコードがついてるなんて、人間じゃないかも知れないじゃない。もしかして、サイボーグとかスナッチャーとかビジョネイルだったら・・・・」
 
「あのねえ・・・アニメは心が安まる動物ものとか魔女っ子ものをみてなさい。心が精神汚染されちゃう精神病理SFロボットドラマなんか見てはだめよ」
 
困ったな・・・早熟の天才児にありがちな、”人生メルヘン”状態なのかな、この子。
能力があっても協調性がないのは困る。はあ、さっそく脱落者一名か・・・
社長なんぞになってしまうと、人を見る目に安らぎがなくなってしまいます・・・。
 
 
 
「騒がしいな・・・」
突如として響く、カサカサと乾いた機械音声が周囲を驚かせる。
 
非人間的でありながらも、威厳を感じさせる、どこか神様めいた声だった。
天からそれが降ってきた・・・・わけではない。この音源は・・・・・
 
 
「あっ・・・・・!!」
慌てて祭門チサトが黒左肩甲を抑える。たしかに、その声は、そこから聞こえた。
注意深い人間には分かるし、そうでもない人間にも彼女の態度で丸分かりする。
 
 
「チサト、大丈夫だ・・・。ここには知っている人間が何人かいる」
「おじいさん・・・・」
 
一人二役の腹話術か、多重人格者か、はたまた、石野丸アラシが言い出したようにサイボーグを始めとするSFチックな過去を背負ってきているのか。とにもかくにも左肩の秘密が文字通り、語られる。
 
 
「私の名は祭門ライゾウ・・・・・諸君らの目の前にいるチサトの祖父にあたる」
 
 
「祭門ライゾウ・・・博士?!二年前、突如行方不明になった脳神経生理学の権威の?」「あれって一家、皆殺しになったとかいう悲惨な話じゃなかったか。新聞にデカデカと載っておったような・・・」「それは違いますよ。一応、病死寸前で入院先からふいに消えたという事件です。状況から誘拐ではないと警察の判断で・・・」「祭門という名前はどこかで聞いたような気がしてたのだが・・そうだったのか」「秋葉森に来てらしたのか」
 
おのおの、そこそこ常識的なリアクションをとるが、どう目をこらしても目に映るのは、孫娘らしいチサトの姿だけで、ご本人の姿は見あたらない。
 
「まさか・・・・意表をついた、カンニングの道具・・・・?そこからお祖父さんの指示が出ていて試験を解いた、とか・・・・」「成る程。この若さであの点数もうなづけるな」
・・・・・・そういうことではないだろう。声色からしてそんなオチャメな感じの人物ではない。一応、世間的には死んだことにされている人物なのだ。
 
 
「あのー・・・・お祖父様でいらっしゃいますか?チサトさんの?」
 
 
死人と応対するのも、やっぱり社長の仕事だった。へた売って祟られるのもバチが当たるのもおそらく。逆ギレして人格が入れ替わっている、とかいうのではない、これは。
祭門チサト本人は俯いたまま、蒼白になりかけている。ふるふると震えながら。
「要するに、その・・・・左肩についている肩当ては・・・・伊達ではなく」
 
 
「そうだ・・・・私は脳だけの存在になっている。左肩プロテクターはいわば頭蓋だ」
 
 
「”生きている脳”・・・・・・・科学もここまで進んだの・・・・」
そういうことが出来るものなのかどうか、専門でないからよく分からないが・・・。
短時間であればなんだか出来そうな気もするが、長時間となると・・・それに、そんなことをする意味と意義がどこにあるのか。知識なぞ後進に伝えればそれでよいではないか。
死にたくない、と誰しも考えるし、どんな形になっても生きたいと思うなら・・。
ただ、そんな話なら遺体が消失して、埋葬されていないという符号には一致する。
科学者であれば、感無量を覚える話だろうが、伊吹マヤが感嘆しながらもちらっと最初に考えてしまったのは、「と、いうことは社員がもう一人いる!ってことで、お給料は・・」
ということだった。気づいて慌てて、心の中の神棚におわす金髪の命に謝る。
 
 
「これは本当に君の悪戯じゃないのかね」
常識人であるところの、実年五十代の原田ホウロク氏がたずねる。
原田氏の目にも祭門チトセはそのようなヤンチャ娘には見えないのだが、確認だ。
「その・・・・なんだ、初対面のわたしたちを和ませるための、手品、とかだね」
悪戯、と聞いて祭門チトセがぶるっと、怯えた目になるので、頭をかきかき。
 
 
「いや、実技試験の時のことですが、彼女だけにおいらたちは満点をつけました。
回答の出来で言えば、尾道さんも石野丸君も完璧以上に面白く、満点をつけたかった。
彼女の・・・”二系統二種類二形態思考ルート”を持つ祭門さんの答案さえなければ」
 
 
実技試験担当の百山田サブロウがなぜか渋い表情の松下コウノスケに同意を求める。
 
 
「そう、私は”テロリス”の採点をやったが、あのテストには個人のクセが出る。まさかと思い祭門ライゾウ博士のデータを取り寄せて照会してみたが、思考パターンがそっくり同じだ。そして、こちらも二種類の回答を彼女は出してきた。多重人格者だとしてもテロリスの回答にはさして違いはない。こういう真似が出来るのはよほどの大天才かシャム双生児くらいなものだ。二つの脳でももっていない限り、凡人には無理な話だ」
 
ここで松下コウノスケがいう、”天才”とは赤木ナオコ博士やルルビー・メイズ社長クラスの世界規模の人物をさす。
 
「祭門博士には二度ほどセミナーで教えて頂いたことがある。拙い質問の手紙にも丁寧な書簡で答えてくださった・・・・その著作「頭を使うやつはよくハゲる」には感銘を受けることが多かった・・・・」
 
 
うっ・・・そんな話、全然聞いてなかった。教えてくれたっていいじゃないですか・・・
やっぱりまだ怒ってるのかなあ・・・・一応、身に覚えのある伊吹マヤであった。
 
 
「二つの脳を持つ少女、ってことでやすか。こりゃ、週刊誌の絶好のネタだ。祭門博士の生命の尊厳を冒した延命策って話を絡めてもねエ・・・ククク」
加藤ジンエが遠慮なく「見せ物」をみる目で歪んだ笑い。だが、その目の奥に鋭く光るものがあった。話し方こそニコチンのように臭うが、指摘することは本質をついている。
 
 
「おいおい、なんだか手塚治虫さんのマンガみたいな話になってきちまったねえ・・・・、それが本当なんだとしたら、なんだい、え?このジジイは脳味噌だけになっても未練たらしく孫娘の人生にブラささがってるってワケかい?ダッコちゃんじゃあるめえし・・・」
言っているうちに怒りがこみあげてきたらしい、海老名トラジロウさん。
 
 
自己紹介の時間がすっかり、ざわざわと査問会めいてきてしまった。
 
 
「なんだかえらいことになってきたねえ・・・・・」後ろで橘エンシャが呟く。
 
「”さらしもの”・・・・」いつの間にか背後にN石部長がつけている。
 
「ああ、アタシになんとかしろって?確かにあの子、このままじゃ可哀相だね」
シンライがついているにも関わらず、あの歳で高校にいってないのは、本人の希望にも見えないし、必要がない以上に、あの左肩のせいか。まだ、学生が似合っているのに。
 
 
「ああいうのも、家族っていうのかね・・・・・」紫煙を吹きだす。
 
 
「皆さん、皆さん、落ち着いて。ここは裁判所じゃないし、皆さんも陪審員じゃないんですから、あまり個人の事情にドカドカ踏み込まないように」
そう諫めても、どうしてもこの場の空気と視線は「左肩・祭門ライゾウ」に向かう。
 
「それじゃ、気を取り直して自己紹介の続きを・・・・石野丸君、石野丸アラシ君」
 
 
「ねえ・・・・触ってみても、いい?」
 
完全に視線が固定して、他のものが目に入っていない。子供のスーパー集中力だ。
確かに、「頭蓋」にあたる黒色の装甲はどんな材質で出来ているのか興味をそそられる。
いい歳こいても、やはり好奇心というものはある。思わず、遠慮も配慮のない、「見せ物」
を見る目が・・・・・藤原ルカや春込イスズなど良識派さえ、つい・・・・・その問いに誘発されてググイッと集まってしまった!!。アンタハメズラシイモノ・・・
 
 
ひぎっ・・・と祭門チサトの表情がひきつった。
 
 
「ご、ごめんなさいっ!私、やめます・・・!」
耐えきれなくなったのか、悲鳴のように謝ると・・・少女は逃げた。外へ。
やめます、というのは、辞めます、ということで辞意を表明したのか。となると、帰ったということになる。ここ伊吹商事は祭門チサトの居場所ではなかった。むざむざ優秀な人材を逃してしまったが・・・・ここまで内向性だと他人と仕事などできまい。
 
 
「あら・・・・」
新入社員歓迎会でいきなり退職者を出してしまった・・・・最悪のスタートだ。
いきなり逆風社長業の苦難の道のりを味わわされる伊吹マヤ。人生そんなにあまかない。
 
 
「待って!」しかし、伊吹マヤの足も速い。やたらに広いジオフロントで鍛えられただけのことはある。それに加え、祭門チサトにはハンデがある。すぐ追いつくハズ・・・・
 
 
だったのだが・・・・・「うっ・・・・うっ・・・・ぐすっ、ぐす・・・・」
泣きべそをかきながら、会社前に駐めて置いた緑色の三輪ミニバイクに飛び乗ると魔法のような早業でゼロヨンめいた猛烈スタートダッシュ。あっという間に角を曲がって見えなくなってしまった・・・・。タッチの差で逃げられてしまった。
 
 
「あーあ・・・・・」
 
 
”ハカイダー”みたいだ・・・・それも気が弱い・・・・
走り去る影を見ながら社員の誰かはそう思った。某特務機関に勤めるメガネの青年と違い
口に出して給料さっ引かれるようなことはないが。
 
 
フォログラスをかけ直すと、ひとつ、大きな息をつく伊吹マヤ。
 
ここに社員の注目が集まることを知っている。この場における社長の動向・・・・。
つまり、どういう人間が、ここの頭をとっているのか。
いきなりの足抜け者にどのように対処するのか。その手際を。
去る者を追わず、うずく良心回路(ジェミ二ィ)・・・・・・・・さて。
 
 
「橘さん・・・・それから、尾道さん」
振り向いて呼びかける。わずかな罪悪感と決まりの悪さと成り行き任せの好奇心、彼らは鍋の中にいる。それをうまいこと料理してくれるのは、この二人だろう。
やはり、自分は陣頭指揮をとるタイプではない。
 
「あと、お任せします。私、彼女を連れ戻してきますから」
 
 
「いいのかい、あの子は辞めるっていったんだろ。時間の無駄じゃないかねえ」
「それより、社長さんなあ。忠告するけど新雷の関係者と揉めるとあとが厄介なんですわ。
門の表も裏も七刻山・・・っていいましてね。おおっぴらな話じゃないですけど、火器の携行も天災後のどさくさで許可されとるんです。下手なコレモンや警察より怖いんですわ」
 
指名された方は慌てたふうでもないが、事情を知らぬ娘の蛮勇を諫めにかかる。
 
「社長さんが行ったあとに、シャベルカーが何台もやって来てここをガレキの山に変えちまって帰ってみたら何もなかった・・・・なんてことになったらどうしますか」
 
「秋葉森の仕来りを知りませんから皆さんには苦労かけますね・・・・
でも、そのときは逃げてください」
 
「あくまで行く気かい。たしかに、あの娘の能力は爺さん込みでけっこう買えるだろうけど、本人にやる気がないんだから仕方がない。要するにまだ、子供なのさ」
「それ、あてつけなのか」石野丸アラシがぶすくれるが返答はなし。
 
 
 
「社長の私が認めてないんですから、辞めるもなにもありません。
 
伊吹商事はそれほど甘く、ないんです」
 
 
 
きっぱり言い放つと、伊吹社長は軽で追跡を開始する。社長はつらいよ。
 
ただ、伊吹マヤの計算違いだったのは、どこをどう追いかけるかという算段だった。
履歴書の住所欄の通りに、新・雷門にいけばなんとかなるだろう程度に思っていたが、地図には新雷の場所はのっていないのだ。それから、秋葉森もそう狭くはない。
社員のみなさんがそれに気づいてもあとのまつり。軽はとっくに消えていた。
 
 
「うーむ・・・あの飛び出し様は・・・・まるでガッチャマンみたいな社長さんだ」
誰かがぽつりと。「科学忍法・火の車、にならなきゃいいけど」
 
 
「いーや、ありゃたぶん、最良の弟子を見いだした師匠の反応さ。逃げても逃げても追いかけていって教え込むんだ。怠け者の人類が発展できたのあ、そのおかげかもなあ・・・・・・そういうわけで私ら凡人は笑っちゃいけないんだが・・・・・笑うわな」
 
 
わははははははははははは
 
 
 
今日もいい天気であった。

 
 
 
 
チェコスロバキア プラハ中央駅
 
 
 
「うーむ、なんだかえらいことになっとるのう・・・・」
売店で買ってきた翻訳新聞を読みながら野散須カンタローは首をひねった。
 
「こりゃー、どう見ても儂らじゃないか。のう、加持君」
「ザビタン行きのキャンセルは正解でしたね。完全に罠です」
 
 
その新聞には「KAMIKAZE吹き荒れる!オランダ総合美術館に日本人観光客来襲!!
美術品を多数破壊、名画にも火をつける!そのまま逃亡、以前逃走中」という記事が
でかでかと載せられており厄介なことにその犯人一行が大暴れている写真まである。
 
 
その写真に写っているのは・・・・・・やたらに写真うつりがいいそれは・・・・
 
綾波レイ、加持リョウジ、野散須夫妻、青葉君・・・・・・に、「よく似た」人間たち。
 
 
オランダ行きを取り止めた本人達にやった覚えがないのだから、他人に決まっている。
 
 
「だが、まあよくにておるなあ・・・・青葉君なんぞ本物より美男子だぞ」
 
ギロギロ目を光らせて写真を見る。加持リョウジは本物よりいくぶん無精ひげが濃い。
野散須夫妻もよく似ているがこれは外人を使ったのだろう。目つきと鼻のあたりが微妙に違う。青葉シゲルは本人は否定するだろうが、たしかに少女漫画家にリファインさせたように本人より1.29倍くらいマツゲが長い感じで美形だった。よくまあ探して連れてきたものだ。世界には自分と同じ顔の人間が、誰が統計とったのか不明だが、三人はいるという。その三人を今見ている。問題はそれが目立ちすぎる犯罪を犯してくれたこと。
 
 
それから・・・・・綾波レイだ。
 
 
「綾波のお嬢は・・・・・こりゃ、本当にそっくりじゃなー・・・非の打ち所がない」
「今、テレビでもやってますよ。髪の色といい肌の色といい、なにより瞳の色です」
携帯テレビをイヤホンで聴きながら加持リョウジがうなづく。
 
「洋服の色が黒と白の違いをのぞけばのう・・・・」
 
 
 
警備カメラからの録画なのか、騒乱現場の光景がテレビで放映されている。
天井に向けてサブマシンガンを乱射しシャンデリアを砕く、にせ加持リョウジ
奇声をあげながらとびはねて白い女神像に飛び蹴りをくらわす、にせ青葉シゲル
なぜか日本刀をもって西洋騎士鎧に兜割りをくらわせる、にせ野散須カンタロー
宝石や希鉱石をもちいた冠や腕輪を自分の巾着に放り込んでいく、にせ野散須ソノさん
 
 
オランダ総合美術館というあまりひねりのない名称のこの美術館は、実は正式には美術品の避難所として造られた。水没の危険に備えるためだが、稼働する羽目になったあの年以来、ここはオランダ各地の美術館から一カ所に集積されることになった。帰ることなく。
それだけに、これもんで暴れてどのくらいの被害総額になるのか、計算しかねる。
 
 
 
 
そして、火のついた金の燭台をもって名画の前にたち・・・・・氷の微笑をもって
大水害を生き延びた人類遺産、魂の名画たちを滅ぼしにかかる・・・・
白水晶姫(クリスタ・ベル)
 
 
にせ綾波レイ・・・・・・・・真昼と深夜・マグリットの「光の帝国」のような対称
 
 
ぼっっ。耐火処理をしてあるはずの絵がメラメラと焼けていく。燭台が揺れる。
 
 
ファン・エイク兄弟「ニコラ・ロランの聖母」「ゲント聖壇画」「受胎告知」「神の子羊の礼拝」ファン・デル・ウェイデン「十字架降下」ボス「聖アントニウスの誘惑」
 
 
たて・・・・・よこ・・・・・たて・・・・・・よこ・・・・・・・十字に。
 
 
ルーベンス「十字架建て」レンブラント「ペテロの否認」ハルス「ハールレムの聖ギオルゲウス市民隊の幹部たちの宴会」フェルメール「手紙を読む女」カルフ「銀の水差しのある風景」ブリューゲル「アイリスのある花束」ライスダール「ヴェイク・ベイ・デュールステーデの風車」それから、ゴッホ・・・・「ひまわり」
 
 
それだけで火線のとどかない絵達も次々に燃えていく。ステンドグラスのマリアが泣く。
おそらくは悲鳴に満ちた場内を白い少女が悠々と歩き、そして、レンブラントの「夜警」
の前にたつ。そこで録画は切れたようだ。キャスターが語る。
「犯人達の遺留品の中から重要な手がかりが発見されており・・・・・」
 
 
 
「身分証明書くらい落としていきかねませんね・・・・・この調子ですと」
「そうじゃな・・・暴れるだけ暴れてさっさと治外法権のオランダ支部の中に逃げ込む、と。警察なんぞにつかまるのは、のこのこやってきた無実の儂ら、とこういうことか」
認証番号を奪われ、その上あれだけ似ていればまあ、言い逃れはできまい。
その前に、こう顔を知られてしまえば精神的財産を踏みにじられた一般市民が許すまい。街中なんぞ歩けば後ろから袋詰めにされて肉屋の工場に放り込まれるやもしれぬ。
 
「お客や警備員に怪我や死亡は出ておらんからまだいいが・・・・」
この上、殺人の疑いをかけられるというサスペンスものの王道まで歩まされるとなると
たまったものではない。どちらにせよ、無罪の証明はまず不可能。
 
 
「えらいな休暇になってしまったのう・・・・加持君」
新聞を折り畳みながら野散須カンタローがいう。
 
 
「はあ・・・・」
オランダで自分たちの露骨な偽物が現れた、ということはザビタンに手をつけられた可能性が高い。あそこまで似た人間を用いてただ暴れさせるというのはリスクに合わない。
順序で言えば、ザビタンに入った後に市街にて行動する、と。美術館は半焼したようだ。
にせ黄門と違い、さっさとオランダを離れただろう。どこかで足止めされたが最後、どこぞへ連行されて二度と光を拝めない、ということになる。やれやれ・・・・
加持リョウジは考えていた。
 
 
「人生、一寸先は闇じゃのう。儂らは祖国の土も踏めずに異国の地で逃亡しつつ果てていくのかのう・・・・儂らのような年寄りはいいが、君らのように若い者は生き延びねばならん・・・・せめてもの心残りはもう少し梅干しをもってきておけばよかったことか。
それから意固地な葛城一尉のことじゃな」
 
 
「・・・・・」
 
 
「年寄りの戯れ言だと思ってきいてくれ、加持君よ」
 
 
「なんでしょうか」
 
 
「君は長生きしそうにない男じゃが、同様に葛城一尉も長生きしそうにない女じゃ。
 
 
儂は、君らはちょうどよかろう、と思うぞ。・・・・・・怪しい奴はおらんな。
さて、そろそろ行こうか」
ベンチから立ち上がる。にかっと笑い、その人物は威風堂々。
とてもじゃないが、欧州全域に指名手配されている濡れ衣人間と思えない。
 
 
 
ただ・・・・・ある有名な「家族」を模しているので、別の意味で注目を集める。
 
 
 
「しかし、急ぎのことで服なんぞ買っとるひまはなかったが、これは便利でいいのう。
そこそこ皆さんにもウケがいいようじゃし」
「追われている身としちゃあ無駄な出費は省きたいところですからね」
「なにせ、布きれ一枚かぶればいいんじゃから、楽なもんじゃよ。顔もみせんでいい・・・・・で、ところでこのピンクのお化けはなんというのかの?」
「バーバ・パパです」
「そうかそうか舌かみそうな名前じゃが。それじゃ、君はバーバ・カジ君じゃな」
 
 
ぬけぬけ堂々と彼らは全身すっぽりと布をかぶって身を隠している。
そして、それが怪しまれない。先ほどの会話はこの格好でなされたわけだ。
 
 
 
プラハ発 特別豪華特急MST511・・・愛称「パンプキン・ヘッド」
 
 
先頭車にまる被せる緑のエアロパーツが装備されていることからこう呼ばれるのだが、
内装もおとぎ話をほうふつとさせる、もしシンデレラがガラスの靴のかわりにガラスの定期券でも渡されていたらこんなカボチャの列車が空飛んでやってくるのではないか。
国際的遊園地産業の支援を受けて、中は凝りまくっている。有名絵本作家のスケッチや値打ちのある初版本、プレミアおもちゃなどの展示のある博物館的車両も一両あるくらいだ。
絵本や童話の図書館車両もあり、旅の途中、借り出してきて美しい景色を舞台にして読むという贅沢もできてしまう。そして、乗客も乗客で好きな人間が乗るのだからただでは載らない。仮面武装・・・・ではない、仮装してやってくる。仮面舞踏会列車とも呼ばれる所以だ。乗員も乗員だ。人魚姫(未婚ならばこう書く)とマッチ売りの少女(ただし年齢は三十代)がコンビくんでパスポートのチエックやフランダースの(麻薬)犬を連れたネロ少年(半ズボンで気分だしてる!)が密輸のチェックをしてくれるのは欧州広しといえどもこの列車だけだ。ちょっっと不気味だが・・・。食堂車も超一流のシェフが指揮をとり、特に「三匹のこぶたの丸焼き」は絶品らしい。
この食堂車で食事をするときには、ネクタイ・タキシード・ドレスといった正装のかわりに、”童話の仮装”と決められている。
 
どうどうと身分と素性を隠してさらに仮装までしてオッケーな、そのスジの人間にとってはまさに「夢の列車」である。
 
もちろん、スイスを通るのは言うまでもない。
ここまで来ればユダロンまで一気に到達するだけ。そこに行けば誰も手出しは出来なくなる。ただ、同時に本部への連絡を絶ち、隔絶することも意味する。
このままユダロンの住民になりにいくわけではない。なんとか巧いこと連絡をとらなければ。絡め取られている絆を手元にたぐっておかなければ。一応、三十六の方法を講じて実行しておいたのだが、成功の手応えがない。警察に追われ時間に追われる。
はて、なんとかこの不透明な状況をブッちぎる四十八の連絡方法を考えねば・・・。
 
 
赤色の布の中で加持リョウジは頭をひねっていた。
ほかの「バーバ家族」と違って車窓に浮かぶ不気味にライトアップされたプラハ城の異様を楽しむひまもない。
 
 
「最悪でも、お姫様にはきれいな体で戻っていただかねばなア・・・」

 
 
 
 
「やっぱり、こんな姑息な罠にはひっかからなかったか」
頬杖をつきながらにやける赤木ナオミ。
「せっかくあれだけそっくりの偽物を探してきたっていうのに、ねえダビデ」
 
 
「ノチラス夫妻はフランスの引退した料理人とイギリスの片田舎の舞台女優です。
アオバ・シゲルはパリの地下鉄で似顔絵を描いていた若者を拾ってきました。
整形をせずにあれだけ似ている・・・・というのは面白いものでしたよ」
 
 
「それで加持リョウジが、これは完全に変装したヘドバがやってる、と」
「他の彼らは完全に素人ですからな。あれを映画の撮影だと思っています」
「まあ、そりゃそうだわね。二時間で終わることが決まってる映画でもなけりゃ自分の身分証明なんて現場に落とさないから・・・ちょっとシナリオ甘いかな?
あぁ、そういえば、あの人達のアリバイ造りにミスはないでしょうね、ダビデ」
「それは完璧です」
「ミスがあったらすぐにいってね。改竄してあげるから」
 
 
「ナオミ様はお優しい・・・・」細目の太り肉の神父は微笑む。
 
 
「?優しいってなに?」オレンジ色の髪を揺らす。
 
 
「いえ・・・・・」
 
「それにしても・・・・このレイちゃんはそっくりねえ。クローン?にしてはよく動くし。どこで見つけてきたの?」
 
「ああ・・・・この少女は予定外でした。到着現地でヘドバがあまりに似ていたのでスカウトしたと。予定の少女は中国人だったのですがあまり適役とは言いかねましたから」
 
「ふーん・・・ちゃんとその子も国に帰してあげたんだろうね」
 
「もちろんです。ナオミ様の目は誤魔化せませんので」
 
 
「それで?この子のアリバイは上手く出来ているの?どこの出身?年齢は?住所は?職業学校は?性別は?肌の色は?民族は?目の色は?使用言語は?髪の色は?家族は?整形は加えたのか?催眠はかけたのか?旅行の目的は?どうやってここにきた?・・・・・」
 
 
「それが・・・本人の言によると日本の深神戸(しんこうべ)から来た、と。
パスポートはムサシノ・アキバモリ製の偽造でした。深神戸市・神戸去街出身と」
 
「あそこ・・・・・?神戸去街、されこうべ、で髑髏の意味(コト)、墓場じゃないか。確認のしようがないじゃない。ダビデ・・・・」
 
「申し訳ございません。調査を続行しているのですが」
 
「怪しいなあ。渚のカヲルあたりが女装してるんじゃないでしょうね・・・・・。
でも、ものすごく似てるし・・・・。これほど似てるっていうのは・・・・。
 
ともかく。それじゃ、人間の目しか使えないじゃない。秋葉森秋葉森秋葉森秋葉森秋葉森
 
秋葉森秋葉森秋葉・・・・・つあっ!!・・・・・いたたいたいたいたいたい痛い痛い痛い頭が痛いようっ!いぎぎぎぎぎぎぎ・・・・・・・ダビデ!ダビデ!く、・・・・・・
 
・・・薬・・・・薬ちょうだい・・・・心臓が疼く・・・・あの女が睨んでる・・・・・
 
 
あの女が囁いてる・・・・・わたしが・・・・・・く、くすり・・・・」
 
 
 
突如頭を抱えて痛みを訴え出す赤木ナオミに予想していたように薬と水を差し出すダビデ斉藤。「やはり、反応しますか・・・・・どうぞ、これを」
 
 
ぐくんっ・・・・・錠剤を呑み込む。それで、嘘のように頭痛はおさまる。
その効果のほどからして、本人の意識の問題か、またはよほど強力な薬剤なのだろう。
 
 
「脳共鳴かな・・・・これは。赤木一族の脳が呼び合ってる・・・・」
 
「私は医師ではありませんからなんともいいようがないのですが・・・・ナオミ様」
 
「ああ・・・薬さえ飲めば治まるんだからなんてことはないよ。そろそろ目の前をあの女の影がちらついてきた・・・・・血脈の中を漂うドッペルゲンガー・・・か」
 
 
とろとろとした目つきにゆっくりと小悪魔のランタン光が戻ってくる。
 
「なにはともあれ、”彼女の記憶”Memoriesには気をつけとこ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・例の件は・・・・
あ、そーだ。時田にやらせよ」
 
 
「しもべの電話帳」を繰って時田シロウに一方的に「つーわけでやっといて」命令する。
 
 
「これでよし。廃止駅でのんきに写真撮影なんかやってたわ。社長のくせにビンボーな光画部員みたいな奴ね。高級料亭で銀行と芸者と俳句でもひねってりゃいいのに」
 
「ナオミ様・・・・伊吹マヤの追跡調査の方はどうなさいます。あの件も時田氏にお任せしたのでは」
 
「ああ、あのリッちゃんの助手の子?いいわよ、あんなの。どこかに潜りこんだにせよ、
マギの中で頭でも打って死んだにしろ。たいしたことないわ。ネルフの諜報部も捜索を打ち切ったしねえ。内調の方も停止かけといて」
 
「しかし、マギのマーカーから突如消えるなど・・・・・事故死よりなんらかの策謀の可能性の方が高いと・・・・」
 
 
「マギの中には”抜け道”があるの。それを使えば誰にも知られずに外に出られる」
ひょい、とこともなげに赤木ナオミが言い出した。
 
 
「なんですと・・・!?では・・・」
「テロ対策の意味あいもあったけれども、八割以上、遊びで造ったのよ・・・・
 
地下生活はそれなりに快適だったけど、食堂のお弁当にもあきちゃったし、かといって外
 
に出るって言うと護衛に挟まれだんご三兄弟だし、まともな外との接点は手紙だけ。
 
造っておいて正解だったわ・・・・・。ああ、思い出してきた・・・・ユイさんとソーナ
 
ちゃんとつるんで・・・・・・中華料理食べに遊びに出かけて。
 
 
言葉はテープに保存された朗読のように
 
 
それから”あの人”・・・・、薄闇の中に輝く、銀時計みたいな・・・・あの人・・・・
 
 
レ・・・・・・・・レ・・・・・レン・・・・・・
 
 
レンタロウさん・・・・・あの人も多分、あの道を通って・・・・・」
 
 
 
「ナオミ様、それ以上思い出さぬように。あなたの時間が壊されます。
さあ、涙をお拭きください」
 
「ふぅ・・・・記憶にも拒絶反応ってあるんだね・・・・私はナオコのはずなのに。
赤木ナオコになることは心地よいことだったのに・・・・これは悲しむべきことなのか」
 
「理論ではあり得ないことなのですが・・・・お嫌でしたら、記憶を消去させますが」
 
「確かにねえ。私の人格はマギからコピーしたものだからね。肉体の方の記憶の引継なんて発生するわけがないんだけど・・・・知識が感情にまみれている・・・・か。
 
でも、まあ面白いからいいよ。しばらくこうしておこう。どうせ時間もあまりない」
 
 
それから、しばらく考えて「伊吹マヤはほうっておく。リッちゃんも足手まといだっていってたし。生きてようと死んでようとどっちでもいいよ。凡人になにもできないよ」
 
 
ぴー。ぴー。百面モニタの一部が明滅し、電子コールが鳴る。
 
地図を拡大すると北米大陸のある州が赤く染まっている。よく見ると鉢巻きを巻いたオレンジ色のタコのアニメキャラクターが「ヤッター、ヤッター」と勝利の盆踊りをしている。
ライトユーザー向けのシュミレーションゲームのような画面光景だが、この先にある現実空間では突如中枢コンピューターをダウンさせられた「オズ社」オペレータたちの青ざめて天を仰ぐ姿がある。そして、十数分後、メギへ完全屈服の証を刻み込まれ、何事もなかったかのように再起動するわけだが・・・・
 
 
「カンザスの”オズ”も支配下に入ったね・・・逃げるのだけは巧かったけど」
この調子でメギは世界中の配下を続々と増やしていた。が、まだまだ他に仕事はある。
 
 
歴史学における想像上の産物、”アルフの部屋”のように透き通る地球眼球。
オレンジの髪をゆらして、復讐の女神が世界を見ている。
 
四方隅のモニターにモノクロの「ブロックテニス」が、ぽこーんと映っている。
 
追跡型通信連絡妨害プログラム。打ち返されるとマークされた人物の通信は繋がらない。
規則不規則構わずに、対象は通信をなそうとするがことごとく打ち返される。
現代では破壊され尽くしたか廃棄されたかでもなければ、どんなローカルなところにも
コンピューターは使われる。使われる以上、どんな気の利いた手段を用いようとここのモニターから逃れることはできない。どこぞに必ず足がつく。擬態し、関係関連のないサーバーをいくら経由しようとも見逃さない。いったん、この・・・「赤木のブロックテニス」にマークされた以上、コンチキ号でも造って黒潮に運んでもらって天気に任せたまま直接出向くくらいしか方法はない。確率計算したところ、その方法で相手に辿り着くのはエヴァを起動させるのとどっこいどっこいの低さであった。ま、実現不可能というわけだ。
 
そんなわけで、加持リョウジがいくら頑張ろうが一行からネルフ本部へ連絡はつかないのであった。もちろん逆にネルフ本部から彼らへの通信もシャットアウトしてある。
 
 
オレンジのタコのイヤリングを弄くりながら楽しげに唱える。夢を見る目つきで。
 
 
「ナキヨシュア・ユーシャロト・ボルタルク・・・・
 
 ナキヨシュア・ユーシャロト・ボルタルク・・・・
 
 ナキヨシュア・ユーシャロト・ボルタルク・・・・
 
いやさ、槍と鉾をふるう初号機は悪辣なほどに絶対無敵の存在だね。手におえない。 
強すぎるから、彼はキーパーソンになれない。”あそこ”から動かさないのが得策だよ」
 
 
「だから、狙って正解なのはファースト・チルドレン綾波レイ・・・・。
そうそう、昔から綺麗なお姫様は誘拐されてしまうって決まってるのよね」
 
 
ふふふふふ・・・・
 
 
「ところで、ギルの方とは話はついた?ハイリンヒックの白霧峡谷あたりで仕掛けるから」
 
「そのことですが・・・・適役も見つかったことですし、ここはやはり穏便に列車内での”取り替え”で済ませた方がよろしいかと」
 
「いい加減、ネルフ本部の連中も異常に気づくでしょうからね。けど、ザビタンのマギ連結の件と美術館の騒ぎを調べるので数日はかかるでしょう。その間に事は終わってるってわけ。問題ないわよ。
 
 
で、・・・・・カウフマンからの返答は”否”なんだね」
 
 
「はい・・・・”4番目の結界”に触れるな、と。”黒風ニ吹カレ死ノ淵ヲ見ヨ”一文が添付されておりました」
 
「ふん・・・・・どうせ手駒のA・V・Thがいないんだ。邪魔出来る者はいない。
遠慮なく触れさせてもらうよ」
 
 
「それにしても”4番目の結界”、ねえ・・・・・」
 
 
 
 
「と、キメたところでもうこんな時間だ・・・・・さあ、今日もオープニングに間に合った。ふんふんふん・・・・・・ビルの街に、チー!夜のハイウェイにポン!・・・」
 
抜け目なく時間を確認して日本のお気に入りのロボットアニメ「麻雀合体ロボ・サンバイマン」(藤井青銅氏・作)にチャンネルをあわす赤木ナオミであった。
こうなるともう、委員会から通信が入ろうがゼーレから呼び出されようが動かない。
百面モニタの他の画面は「気がちるから」という理由でブラックアウトする。
 
メギの侵攻もこの時間だけは停止を余儀なくされるのだった。小休止だ。
 
 
 
ダビデ斉藤も下がり、薄暗闇の中、テレビ画面の反射光の中に丸くなった白衣姿が浮かび上がる。一人で見続ける瞳の中に、宿る役満。
 
 

 
 
ネルフ本部はざわついている。あちこちでひそひそと交わされる噂。
 
原因は今朝のニュース「日本人観光客、オランダ美術館を半焼!!」という昔ならば戦争が起こってもおかしくない事件だった。
ただ、トピックとして騒いでいるわけではない。言っては悪いがその程度のこと、巨大生物兵器たる「使徒」がモノホンに降臨して暴れ回る第三新東京市に住み、それを撃退すべく日夜、つまり二十四時間戦っている特務機関ネルフの人間が騒ぐほどの話ではない。
 
問題は、それを引き起こしたのが、引き起こしたとされる人間が、自分たちがよく知っている人間だった、ということだ。
 
広報部の部長は首吊りものだが、例のにせものが暴れている「映像」が第三新東京市全域に流れてしまった。第三新東京市周域、日本国内ならばまだしも外国の話である。
ローカル放送ならばまだなんとか出来ようが、衛星放送まで遮断することは不可能。
マギさえ健在ならば事前にチェックされてまだなんとか食い止めることが出来たであろうが、それはかなわない。やれるといったら新聞くらいなものだろう。朝イチのニュースで出てしまった。まだ実名はでていなかったが・・・。
 
 
映像が雄弁に語ってくる・・・・・・「こいつらは綾波レイご一行様ですよー!!!」と。
 
 
見れば、分かる。すぐに、分かる。絶対、分かる。ムチャクチャ、分かる。
本人達は覚えがないからすぐに「にせ者」だと分かるが、他人には分からない。
なにせ、どう見てもそっくりなのだ。しかも、第三新東京市にいない。
幹部クラスしか知らないことだが、彼らとは連絡が途絶えていたこともある。
綾波レイに生き写しの少女、野散須夫妻にクリソツな老夫婦、加持リョウジとしか思えないのだが、実は加持ソウジかもしれない男性、青葉シゲル・・・「いつかはああいうことやるかもしれないな、とは思っていましたよ、ええ」(友人H談)・・・・・そのもの、な青年。この組み合わせも偶然とは思えない。なにか旅先で悪人に催眠術でもかけられて
銀行強盗をやろうとおもったけど、道に慣れてなくて隣の美術館に入っちまったよ、と言う推理がバッチリくるほど・・・・・・そっくりだった。
 
 
「・・・シリーズ中、一度はでてくるニセ黄門・・・・」
幸い?なことに伊吹マヤと青葉シゲルが抜けているせいで彼らの仕事も引継なしでやらにゃならん日向マコトは徹夜連続、過労死寸前、枯れて呟く言葉は誰の耳にも届かなかった。
ばた。・・・・力がつきたようだ。
 
 
にせ者が現れて、本人が知らぬところで悪さをする、というテーマは古今東西で語られてきたわけだが、そこで証明されるのは「まさかなあ、と思いつつ(証拠があるなら相手の人格はひとまずおいといて)疑ってしまう」という定義である。それを劇場の観客として見ると「バカじゃないの、こいつら。信じてやれよ」と思ってしまうわけだが、市場に三回虎が出た、と話が出れば一応、バカなと思いつつ疑ってしまうのが人間だ。
問題は、「どれくらい」まさかと思い、「どの程度深く」疑うか、ということだ。
それは純粋な悪意とどうつき合うか、という試験(エクササイズ)でもある。
 
 
 
さて、このところ赤木家の少年主婦、ならびに一応自分の家、団地一棟を持ち、葛城家をこのごろ出てきた「三世界に家あり子」の碇シンジ君の場合はどうだろう。
 
 
このところ、掃除ばかりしている。猫はたくさん住んでいるが人が住まないお屋敷は広い。ほとんど猫版ムツゴロウさんの家と化している。これなら寂しくあるまい。
猫アレルギーの人間はとてもじゃにゃいが住めたもんじゃにゃい。
 
 
「初号機に乗せてあげるから、猫の面倒をみてくれないかしら」と、いうのが約束。
声色からして冗談でもなんでもなく、リツコさんは本気だった。
 
 
弱みを突かれ、足下を見られた契約である。「あの時」だけは葛城ミサトに言うわけにいかない碇シンジとしては、赤木リツコ博士に頼るほかない。代償が安いのか高いのかよく分からない。人類最後の切り札、究極決戦兵器人造人間とただの猫。くらべるいみがない。
 
 
「シンジ君にしか頼めないのよ・・・・」熱のせいであまり深く考えなかったけど、とりあえず約束は守らないといけない。「いいですよ」猫は家につくんだったかな・・・・
まあ、いいや。今はいかないと・・・・。よっぽど困ってるんだな。
 
 
そんなわけで寝泊まりは赤木家でする事になった碇シンジ。猫の面倒を見て、といっても大したことをするわけじゃない。時間通りに食事をつくるだけ。
それから、学校に行って、放課後は「自分の家」・・・・山岸さんに「碇君の箱家」なるあだ名をもらってしまった・・・・で掃除。一番見晴らしのいい最上階の真ん中の部屋。
ひとつ使えれば十分。どういうわけか、ガスも電気も水道も電話も通っている。
いざとなれば、けっこうな数の家族がここに住める。使徒に街が壊されても・・・・。
そういうつもりで残してあるのかな。トウジもケンスケも手伝ってくれるけど、いつも帰るときにはふくざつな顔をする。それまでは騒いでいるのに。まだ、ここには住めない。
そして、三人で団地を後にする。
 
 
夕食の買い物をして猫屋敷に帰る。台所にたって夕食をつくる。とんとんとん・・・・包丁を使いながらつぶやく。「ふたりとも食べにくればいいのになあ・・・・」葛城ミサトと惣流アスカのことのである。誘ってもなにやかやと「ご、ごめんなさい・・・ちょっち仕事が」「アンタは休みだろーけど、こ・っ・ちは定期実験で遅くなるから」断られる。
 
 
おそらく、ろくなものを食べていないだろう。れとるととんとんとんとん・・・・・
 
 
その横顔からは葛城家を出たことに関してなにもうかがうことはできない。
 
 
自由になった、としばしの解放感に浮かれているわけでも、行く先を決めかねた迷子の鳥の目でもない。当然、環境の変化になんらかの心動が見られてもよいはずなのに、平然とかまえている。座って半畳寝て一畳、くたばるときの畳を背なにくくりつけてでもいるように。鈴原トウジや相田ケンスケが今ひとつ、つっこんだ問いをしかねるのもこの無心ぶりにあった。
 
うまくいっとったように見えたが、ほんまはシンジの奴・・・・家のことは
外から他人が見てもわからんからな・・・・・今ひとつ治りが遅い妹の病室に向かう途中でそんなことを考える鈴原トウジ。
 
プラスとマイナス。喜怒哀楽、総計がちょうどゼロになったとき、人はどんな表情をするのだろう・・・?自分の部屋でカメラを手入れしながらそんなことを考える相田ケンスケ
 
 
 
「ただいま・・・」
計ったように定刻で帰ってくる赤木リツコ博士。この習慣はむろん、碇シンジがやって来た後のこと。定刻で帰ってこれるようならば猫の世話を頼む必要はそもそもない。
 
碇シンジの来訪が予想外だったわけではない。
 
初めて碇シンジが(勝手口が開いていたのでそこから入って)玄関で出迎えた時も
 
 
「来てたの・・・」
さして驚く様子もなく、やつれた微笑みを見せただけ。「ありがとう。助かるわ・・・」
砂漠を踏破してきたような疲労困憊ぶりである。実際、仕事量でいうならばネルフで一番働いている赤木リツコ博士。無尽蔵の労働砂漠を日に何度も何度も旋回往復する妖鳥じみた処理速度はますます赤木研究室を余人の近づけぬ聖域(ハムラプトラ)と化していた。
 
 
こんなに一人で疲れた人がいていいんだろうか・・・・・
電気の切れかかった、ひどくやばいものを感じる碇シンジ。
このまま、死んじゃうんじゃないだろうか・・・・・・コロリといってもおかしくない。
 
 
えらいなとこに来てしまったなあ・・・・と、正直思わないでもなかったが、いまさらこの有様をみて逃げるわけにもいかない。もはや泣く元気もない三十路のひと・・・・・
 
 
もしかすると、碇シンジのこの考えを聞くと赤木リツコ博士は猛然と抗議・・・・する体力もなかろうが・・・・するかもしれないが、碇シンジの中では、二十九歳の葛城ミサトは「姉貴」の感じが強いのだが、たった一歳違う、三十歳の赤木リツコはどうも「母親」の感触がある。正確には、本物の母親、碇ユイがはたらく科学者で、「こんな風に神経すり減らした感じでがんばってたのかなあ」などと連想されるためである。ちなみに、母親と同世代の女性、イコール、「みんなおばさん」という簡単な話ではない。
母親は遠くにいるが、死んだわけではないので、「投影」しているのともまた、違う。
 
 
ともあれ、知ってしまった以上、放ってはおけない。
 
いつまでもこのペースで仕事が続くというなら考えもするが、今のところ一段落つくまでここにいた方がいいかな、と思うのだった。ともかく、無茶苦茶に忙しいらしい。
科学者だからインスピレーションがわくと寝食を忘れるほど忙しいんだろう。
なにか、「発明家」と勘違いしているフシもある。
 
 
赤木家の風呂は葛城ミサトが羨ましくて仕方がない檜風呂。しかし、赤木リツコの風呂はカラスの行水、やたらに短いすぐあがる。そして手早く着替えるのは意外に浴衣。
あまり知られていないが和風屋敷の中では、かのひとはあなくろな着物になる。
確かに葛城ミサトをずぼら呼ばわりする資格はある。家の中は碇シンジが来る前も落ち着いたし、何より重厚な年期の入った黒光りする、ツツジの紋の入った仏壇の手入れは半端ではない。
 
「猫がなめてくれるから綺麗なのよ」最初に線香あげさせてもらった時、冗談とも本気ともつかぬ表情でそう言われた。油をなめる猫又じゃあるまいし・・・・それじゃ落語だ。本当は、ほんとに年期がいっているから多少のことでは汚れないのだという。矢傷や刀傷があるでしょう、と指さされたが・・・・いくらなんでもそれは嘘でしょう、と言うと、
 
「この家は本家から一度解体して運び込んで再組立したものだから、歴史があるの」
この話には渚君も驚いた顔してたわ、とちょっとだけご満悦な笑みを浮かべたリツコさん。
 
「リツコさんの家の歴史・・・・・ですか」
新しもの好きの科学者は、そういう血筋とか歴史とか古いものに価値を見いださないのかと思えばそうでもないらしい。金髪でエヴァにとり憑かれていて煙草吸い人間キライそうで、あまり人格者人徳系科学者に見えない、奇天烈系科学者のリツコさんの意外な面だ・・・・・リツコさんって”いいとこのお嬢さん”なんだ・・・・・ふーん・・・・
 
それに感じいっていたため、碇シンジは余計なことに気づかずに済んだ。
 
 
正面の遺影は赤木ナオコ博士・・・・つまり母親のものだけがある。
 
 
 
と、いうことは・・・・・・「お父さん」は・・・・・
 
 
 
 
食卓はしずかなものだ。二人静。
 
 
「いただきます・・・・・」葛城家のにぎやかな食卓と違ってさぞ寂しい淡々とした食事になる・・・・かと思いきや、そうでもなかった。
 
ちょうどこの時分になると、そとで遊んでいた猫たちが帰ってくるからだ。
帰り方にもいろいろあって、「琴」という猫はわざわざぴょーんとジャンプして高い窓枠に飛びついてそこから中をのぞき込む。「きょうのおかずはなにかにゃー」それから中に入ってくる。「雪乃」という猫は一番先に屋敷に到着しているくせに中に入るのは一番最後にする。「笙」という猫は必ずネズミをとっつかまえて来る・・・・・そんな案配だ。猫は十二匹いるそうだ。今、十匹しかいない。
なんでもおばあちゃんのところに長年住んでいる長老三毛猫に「行儀見習い」の修行に出しているのだとか。これまた本当かどうか分からないが・・・本部の研究室に詰めている時と違い、白衣を脱ぐと科学がどうたらいう話は殆どしない。
 
猫たちが帰ってくると、疲れた表情が安らいで、ほろほろと口が開きもする。
確かに、三十代独身女性科学者と、中学二年生の少年である。普通、話があうわけもない。にゃーにゃーうるさい、名古屋な食卓・・・・・・風景である。
 
 
にくきゅうみたいな感触がいい、とわらびもちを愛好する赤木家の食後のお茶。
 
 
 
「鉾が来るの」
 
「初号機専用の武器・・・・というか、避雷針みたいなものね」
 
 
渚カヲル立案・制作の巨大兵器「鉾」の存在も知らされた。それさえ組み上げて装備させてしまえば、再びオーバーロードすることなく初号機を起動出来る、そういうことだ。
”避雷針”言い得て妙。それ以上の詳しい話はなかった。
 
 
もう少し、夜が更けると冬月コウゾウ副司令が赤木家に現れる。
 
 
これは将棋を指しにくるのだ。相手はもちろん、碇シンジ。
一局、一時間ほど指すと勝負がつこうとつくまいとそれで「続きが楽しみだ」と帰ってしまう。対局の間、ぽつぽつと話すこともある。話すというより、冬月副司令の問いかけに碇シンジが答える、という形だが。
 
赤木リツコがいやに熱心に対局を眺めている。「リツコさん、将棋好きなんですか?」
いつもあんまり熱心なので、そう尋ねてみると、
「え・・・?、ええ・・あ、そうね・・・・・将棋盤は好きよ」
意味不明の回答がかえってきた。「あと、駒の形とか・・・・いいわね、うん」
何か他のことを考えていたのだろう。が、深くは追求しない碇シンジであった。
 
 
深く追求しないといえば、例の「伊吹マヤさんマギ隠し」事件の一連のことも深く追求しない、”消失”の第一人者・碇シンジであった。そのうちマヤさんが戻ってくるだろうことはとくに根拠もないのだが、確信していた。妄信といってもよかろうが。
そのせいで、赤木リツコが悪者になっているのも知っているが、それは信じていない。
 
 
そして、朝も明け切らぬ暗いうちから赤木リツコ博士はネルフ本部へ出勤する。
 
さすがにそこまでつきあいきれない碇シンジはまだ寝ている。
六時前くらいになり、朝焼けが見られるころ、起き出して食事の支度。
学校まで遠くなってしまったので、早めにバスに乗らないといけない。
 
 
そんなわけで、碇シンジは朝のニュースを見なかった。
当然、綾波レイ北欧旅行組の災難を知ることもない。知らぬがほとけ、事象を知らねば信頼も疑惑もない。「いってきます」普段どおりに学校にいく。
 
 
 
 
さて、葛城ミサト、惣流アスカのふたりの場合・・・・
 
 
 
碇シンジという年若い主夫を失ったことで生活はてきめんに荒れる・・・・・
ということはなかった。いなければいないでなんとかしてしまうものだ。子供でもなし。
 
 
「ふわーぁあ・・・・・ねむい・・・」
朝は惣流アスカが起きだしてパンを焼く。トースターにつっこんでインスタントコーヒーをいれてインスタントスープをあっためて作り置きのザワークラフトを盛ってソーセージを茹でる。インスタントなだけに早いことは早い。
 
 
むしゃむしゃ・・・・・がりがり・・・・・・・
 
 
目は半分シャッターがおりている。惣流アスカ、未だ開店にならず。
生活を改めたわけではなく、単に意地になって早起きしているだけなので、眠くてしょうがない。・・・がりがり・・・・・・・がりがり・・・・・囓っているうちに今日もまたあの裏切り者へ対する怒りが沸き上がってくる・・・・・ぶくぶく・・・・・ぶくぶく
 
 
まさか・・・・・Lの家にあがりこんでるなんて・・・・・ぶくぶくぶく・・・・・
 
 
「あ、茹ですぎた・・・・・」あまりはっきりしない目つきで鍋からソーセージを取りだそうとする・・・が、「あちっ!」手元が狂って湯がはねた。どぼん。あざ笑うかのように湯の中へ逃げる腸詰め。それをぼーっっとして見つめる早朝の少女。
 
 
なんでこういうことになったんだろう?
 
 
事態は少女のてのひらを風のようにすりぬけて、ほほいと去っていった。
碇シンジがこの家を出ていったことにいまいち納得がいかない惣流アスカ。
別に出ていきたきゃ出ていけばいいのだ。が、その理由がはっきり見えてこない。
 
バカにはバカなりの行動理由があるはずだ。
 
 
同時にある仮定も考えつく。「ほんとはこの家にいたくなかった?」
 
そこまで強いものではなくとも、確かに居づらいことはあるかもしれない。
元々はミサトが一人で住んでた家だし、慣れはしたけど、なにせ基本的に狭い。
 
 
それから、あー、まー、うー、記憶にございませんってわけにはいかないんだけど、・・・・・これまで使徒との戦闘やらなんやらで意識する余裕もなかったけど、女二人に男一人ってえのは、・・・・・あ、やっぱり記憶にございません、ってことにしとこ・・・。
 
 
あー、ダメだダメだ、こんなんじゃ使徒が現れたとき、返り討ちにあう。
惣流アスカは頭をぶるんぶるんと振って気を入れようとする・・・。
 
 
ミサトもミサトだ。物わかりがいい理解者になっちゃってさ。なんなのよ・・・。
あの人非人科学者に預けて何されるかわかったもんじゃないってのに。
めっきり老け込んだとゆーか、年齢相応に落ち着いたとゆーか。絶対前者で、・・・・・
臆病に見える・・・・なんてことだけは絶対にない・・・・・ミサトが
いっぺんあのバカにはギャフンと言わせてコンコンと説教してやんなきゃ・・・・
 
 
 
ともかく・・・・・あのバカのせいだ・・・・・・・・
 
 
 
一つ屋根に住んでおるから・・・・何か揉めたらそりゃ、皆均等に、悪い・・・・・
 
そういえば、野散須のジイさんにそんなことを言われた覚えがある。そう思わんでいいのは赤ん坊くらいじゃの。かかかか・・・・。
 
「一つ屋根に住んでいたから・・・・・・か」過去形でも少し、気が楽になる。
 
 
ただ、こうやってこの先も早起きして朝食をつくらにゃならんと思うと・・・・・
 
 
ぐさっ!フォークで突き刺すソーセージ。怒りがぶり返してくる惣流アスカであった。
「ちきしょう、早く帰ってきたって家にいれてやんないんだからあのバカ!!」
朝から阿部定・・・・・のようなおとろしい情景である。つと矛盾があるが。
 
 
静かな朝。なにかが去ってしまっている。それは、必要だったのか。
テレビの音でその埋め合わせをする。一度慣れてしまうと、また忘れるのにしばしかかる。
誰かにあわせる必要ないから、英語放送だ。一人の朝に、ただ流れる。が、
白人ニュースキャスターが多少、興奮気味に読み上げるその事件が視界に飛び込む。
 
 
 
「!?」
なんなのよ・・・・・これ。この映像は・・・・・。
 
 
 
燃え上がる壁一面の絵画を背に薄ら笑いを浮かべる、白いドレスの少女。
室内に熱風が吹き上げているらしい。寂しい空の色の髪がばさばさと舞っている。
「夕陽の館の少女」煉瓦橙の色彩の中の白い少女。これがひとつの絵画なのじゃないか。カメラを意識しているような強い、赤い瞳・・・・・・構図が決まりすぎている。
火災炎の中に取り残されている者の姿ではない。右手には炎を宿す燭台がある。
 
 
 
これは・・・・・どう見ても・・・・・・・ファースト・・・・・・
 
 
「おはよ・・・・・アスカ」
葛城ミサトがこれまた朝から「本日店休」のような有様で起きてくる。
 
「ミサト・・・・・・・コレ・・・・・見てよ」
 
 
他人を信用するかどうかはその時のコンディションに大きく作用される。
今の惣流アスカに他人を信用する体力は残っていない。               
 
 
 
相田ケンスケも、洞木ヒカリも山岸マユミもしっかりとこの映像を見てしまった。
鈴原トウジは野球ニュースを見ていた。
 
 
 
ネルフ本部・総司令官執務室
 
 
「しばらく連絡がつかんと思ったらかくの次第か・・・・・」
加持リョウジに任せておけば大概のことはうまく処理してくれるだろう、と大人に構えていたのが仇になった。一応、青葉君もしっかり画面に映っているが・・・・。
「メルキオール代行のザビタンの連結も・・・」
 
「ああ、おそらくは別の誰かが成りすまして行ったのだろう」
 
ここのモニタにもにせ綾波レイ・白波レイが燭台で炎十字を描いている姿が映っている。
 
さすがに碇ゲンドウ、冬月副司令とも動揺した様子もないが、さすがにこのえげつないやり口には閉口する。いくらなんでもこの暗黒の裏神話の陰謀業界の仁義に外れている。
これを命じたのは平気でルール破りをする子供か・・・後の保身を考えていない。
委員会からもゼーレからも呼び出しはない。まるでこの件に関わり合いを避けるように。
通達はおろか、連絡すら寄越してこない。沈黙を守っている。
 
「欧州の警察機構を調べたが現在のところ足取りは掴めていないそうだ。”両方”な。
ついでに圧力をかけておいたが・・・・範囲が広すぎて効果のほどは期待できん。
下手なところで逮捕でもされてみろ・・・・例えば、独逸・・・・全く、頭が痛いよ。
欧州支部総動員であたらせているがあの男がついているだけに逆に発見は困難だろうな・・・・・・まあ、最終地点はスイスと分かっているからまだいいが」
 
この一連の事件を仕掛けてきたのはどこのどいつだ?
 
「オランダか・・・・」
ニヤリと笑う碇ゲンドウ。この人物には疑惑も信頼も境界的な意味を、なすまい。
 
 
もう、おらんだ