綾波レイは列車の天井の上で皆が眠りから覚めるのを待っていた。
 
首のもげ腹のかっさ割られた偽装エヴァが霧の中に還っていくのを見送り。
 
そして、この世の最後の兵士のようにどことなく残酷に寂しげなエヴァ参号機と。
 
対峙していた。
 
綾波レイにはまだ、体がない。レリエルから降下した、意識というか魂というか、ずいぶんとよるべなく、はかない存在だった。ふよふよと。時間が、停止している。時間の外におかれているようで。これを専門用語で綾波霊と呼ぶ。
 
列車ごと偽装エヴァの体内に入れられた乗客たちは、分泌液の膜に包まれ強制的に冬眠状態に入らされていた。その効果がどのくらいで途切れるのか分からないが待つしかない。
 
自分も正確には起きている、とはいえないだろうが・・・・肉体はカプセルの中でレリエルとの再接続を待っている状態だ。心臓の、生命のリセットにこちらも時間がかかる。
(変身は一瞬なんだけどねー、戻るのには時間がかかるのよ:レリエル談)
 
 
綾波レイは単独で、参号機と対峙していた。
 
 
黒鬼羅刹を見上げる、白い霧の妖精
 
 
もしかすると、参号機は自分たちをも破壊するかもしれない・・・・
 
 
暴走しているのか、はたまた操縦者の意思か、他のなにかか、偽装エヴァを完膚無きまでに蹴り殺し、そのあとは呑み込んだ列車を取りだすべく、ナイフで偽装エヴァの腹を見事なサバイヴァー手際で裂いた。列車に傷ひとつなく、振動すらさせずに軌道に戻す手腕はとても自分たちに及ぶものではない。機械時計を扱う盗賊の手際とでもいえばいいのか。とにもかくにも慣れている。使徒戦にも投入されず、時期的にいってチューンから上げられてそう間もないはずだ。フォースチルドレンの適格者としての能力は、その戦闘能力は特別格だ。
 
フォースチルドレンがその才能に溺れきった性格破綻者でない保証などどこにもない。
 
ただ、レリエルの内部で見えたいくつかのイメージがその考えを封鎖する。
それほど単純かつ甘いものではない。もっと救いのないものが、光を降ろすことを止め輝くことを停止した、光の枯れた、黄昏の天国とでもいうようなものが、この四番目の中にある。それを、闇というのは容易いが。もっと力を生命を秘めている黒い土、大地のような感じ。
 
セカンドチルドレン、惣流アスカを炎に喩えるなら、同じプログラムを受けたフォースは土のイメージがある。粘土のように伸びる腕といい。ある種の符号を感じる・・・・
 
 
今は全く動こうとしない参号機を前に、綾波レイはそんな魔術的なことを考えていた。
 
 
 
すると・・・・・
参号機がふいに動きだし、足を折りしゃがんだ。首を曲げるとエントリープラグが排出された。調査する気かどうするのか、操縦者が出てくるつもりらしい。
フタが空いた、と思ったらそこから黒い影が猿(マシラ)のごとく降りてきた。予想してはいたが、上海雑伎団もビックリの恐ろしいほど身の軽さだ。その軽さが参号機に完璧に反映されるのだろう。あっと、気づくともう操縦者は綾波レイの前に立っていた。
 
 
 
「よーう、一号」
 
 
フォース・チルドレンはそう挨拶した。肉体がない、綾波レイの意識に向かって。
 
かぷっ、と綾波レイの耳たぶを、噛んだ。
 
正確には、あるはずの空間を、であるが。綾波レイの意識はたしかに「噛まれた」と知覚したのだからどっちでもいいのかもしれないが。
 
「姿もねーけど、声もしねーけど、ここにいるんだろ。
匂いがする。ニェと同じ第一類のな」
 
そう言って狩人のように鼻をひくつかせる黒羅羅メイアンである。
単なるカンではない、確信をもって話をしている。その目は確かに綾波レイを見ている。
 
 
「オレは参号機専属操縦者、黒羅羅(ノ・シュ)メイアン」
 
 
いきなりの登場に使徒よりおどろく綾波レイであるが、その風貌を確かめることにする。
長い、長い黒髪。LCL濡れ鴉色に輝く。ちょっと驚くほどに美しい髪の毛だ。
長い髪には霊力が籠もるというが確かにそれは当たっている。ただ、芸術品として美しいのではなく、聖獣めいた生命ある動物の毛皮としてその輝きに衝撃を覚える。その髪を鬘にして被ってみれば百歳の老人でも若々しく再生しそうな、命の魔力が。
 
体型はすらりとしており、背が高い。チルドレンの中では誰よりも高いだろう。
ネルフのものではない、ギルのプラグスーツ。フードがついている。左手首に水晶か何かで出来ているらしい、眼球を模した不気味数珠をブレスレットのように巻いている。
 
そして、顔。額に竜の爪でつけられたような古傷がある。目には虎のようにキラキラとした光が宿っている。さっきのさっきでコレモンだということは、根っからの戦闘大好き人間であることは間違いなさそうだ。戦う為に生まれてきたことに疑問をもたないタイプ。
 
 
ただ、ひとつ間違いであったような点をあげるとすれば、どうも、フォースチルドレンは
 
 
「女」
 
 
なのではないかと・・・・・プラグスーツの外見ではしかとは判別しにくいが、やはり、「声」で分かる。まあ、こちらもしかとは判別できかねるわけだが。おそらくは。
 
 
いずれにせよ、意識だけの綾波レイをやすやすと喝破し、さほど疑問もなく挨拶してくるあたり、相当に変わり者であることは確かなようだ。霊感も強いのかもしれない。
 
「あー、そう怯えなくてもいいぞ」黒羅羅メイアンは手を振って。
「今日のこたあ、こっちの警告を無視で領域に入ってきやがったから強制排除したまでのことだ。教士連のオヤジどもの中には丁度いい機会だからあんたをさらってこいとかぬかすアホーもいたけどな、窓から突き落として黙らしてやった。
 
 
冗談じゃねえよなあ・・・・オレにとってみりゃ言ってみりゃ、お前らは妹分、弟分だぜ?
 
 
計画とかオレにもよくわからねえが主匠(マイスター)がそう言うんだからそうなんだよ。いろいろ悔しい思いもしたけど、ようやく参号機も戻ってきた・・・・
心配いらねえ、もうお前らだけ戦わせねえ・・・・」
 
 
その時、一陣の風が吹き、黒い髪が戦鬼旗のごとくはためいた。
その瞳が竜国のお宝のように輝いた。
 
「へへ・・・いきなり兄貴宣言ってのもなんだかヘンだけどよ、ずっとそう思ってた。
もっと早くに一緒に戦えてりゃ、お前らだけ痛い目見ずに済んだのによ」
 
綾波レイがあっけにとられる、それは告白だった。
あれだけの目に偽装エヴァをあわせておきながら、照れ照れズケズケとこんなことを言うのだ。兄貴なのか、姉貴なのかよく分からない。やはり、性格破綻者かもしれない。
 
 
だが、その戦闘の実力的には確かに言うだけのことはある。
元々、参号機というのは、実戦において最初に投入されるべき特質戦闘機体だった。
プロトの零号機、実験機の初号機、ようやく制式モデルの弐号機、管理用の四号機。
こう並べてみれば、なぜ今の今まで使徒戦に参号機が投入されなかったのは不思議だが、理由がある。参号機の完成が遅れていたわけではない。ただ、事故によりいっぺん五体がバラバラに爆砕してしまったのだ。それを再生させるのに手間取ったのだった。
しかし、遅れてきた戦鬼は強い。フォースチルドレンの専用機として完全シンクロを目指しフルチューンされてきただけに、激強い。最新技術が使われていて、新強い。
 
 
そして、その強さの源・・・・・・第四類適格者、黒羅羅メイアン。
 
 
しかも、ゆーとることにまったくもって嘘がない。
肉体のない相手に嘘をつく必要もあるまいが。
意識だけの綾波レイはフォースの黒瞳を覗いてみたのだが、その豊壌の闇めいた精神はなんの抵抗もなく潜れてしまう。ただ、裏表もなくとてつもなく羅刹の色が深い。
 
 
「じゃまた日本で会おうや。今度は生身でな」
 
なぜか胸が疼く・・・・・この戦闘者に、自分と似たものを・・・・・感じる
 
 
 
 
この会見は夢ではなかったのだろうか・・・・・
 
 
 
 
綾波レイが目覚めたとき、そこは病院のベッドの上で、野散須夫妻、加持リョウジ、青葉シゲル、旅の同行者たちが喜ばしさ満開にして笑顔と歓声をふらせてきた・・・・
 
 
あれから二日経っていた。定刻に予定区画を通過せず突如、鉄道交通網から消え中央管制室からの連絡にも応じずあらゆる連絡手段も通じず捜索にもひっかからなかたMS−511パンプキンヘッドは当然、大騒ぎを引き起こしていた。何者かの強烈無比の情報隠蔽工作によるものだが、犯人はおろかその手口さえ判明していない。何十年も前から、その列車消失はダイヤの中に織り込まれていた、とでもいうように。システムは何も語らない。挙げ句の果てにパンプキンヘッドはスイスに到着する前に「自爆」した。
とてもじゃないが、こんな気味の悪い列車に乗っていられない人間は全てハイリンヒック峡谷で救助の大型ヘリに乗り換えていたからいいものの、運転手もなしに今度は自走し始めた無人列車は、しばらくいかないうちに爆発。シコウ少年が語ったように爆弾でも予め仕掛けられていたのか、それとも・・・・調査の方法もなく真実は闇の彼方。木っ端微塵。混乱の極みの中、日頃の鍛錬のたまものか、いち早く強制冬眠状態から抜け出した加持リョウジをはじめとするネルフ一行はようやくやってきたドイツ支部のヘリに綾波レイを搬送させて面倒な事になる前に少年少女とも慌ただしい別れを告げてその場をトンズラした。ヘリの中から列車の自爆シーンを見下ろし、加持リョウジともあろうともがゾッとしたという。今回だけはスリルとサスペンスを味わい余裕もなくただひたすらに疲れた。タチの悪いボッタクリ遊園地に連れ回されているようだ。
敵対組織の内部機密を漁っている方がなんぼかマシだ。これでまた肝心の仕事は始まってもいないのだ・・・・。死んだように眠っている綾波レイと、防護トランクを見やる。
冬眠から覚めても今度は本眠に入っている(異様なズタボロな彼の身に何があったんだ?)青葉シゲルを見る。元気なようでもさすがに年がこたえるのか蹙め面の野散須カンタローを見る。まるで本能のように本当の孫娘のように、凛として綾波レイの容態を見守るソノさんを見る。最も肝心な任務は、ここにある。己に命じねばなるまい。冷静に、だ。
加持リョウジともあろうものが、この身を寄せ合う光景に、感情の起伏をおこした。
男性の本能、家族への守護本能ともいうべきものが、動きかけた。一瞬、焼けつくように葛城ミサトの名が、胸を走り抜けた。アスファルトをきりつけるクルマのような。
参号機の出現を知ったなら、まだ別の欲求がこの男の中で鎌首をもたげてきたかもしれないが。
綾波レイの体調を考慮に入れつつ、スイス入りを果たして病院に緊急入院させた。
これは一刻も早くそこらに入院、という野散須夫妻と揉めたのだ。が、自分たちをとりまくこの不自然な状況の混乱から考えて、ここは一気に見えない包囲網を突破すべき、という加持リョウジの珍しく強い語気におされて少女の容態と競争することになった。
今時、列車を丸ごと爆破するような相手だ。この先も何を仕掛けてくるか分からない。
ここぞ、という点で加持リョウジは絶対に己の判断を曲げない。
それゆえに今まで生きて来れた。
 
 
「ユダロン・・・・そこまで行けばこの旅は終わりです」
 
 
病院と近くのホテルを根城にしそこで数日は本部との連絡を試みながら体勢を整えることにする。なかなか波瀾万丈の旅だ。加持リョウジはネルフをクビになってもツアコンで十分やっていけるだろう。綾波レイの身体にとくに異常は見あたらないという医師の診断だがお姫様は目を覚まさない。が、心臓はきちんと脈を打っている。死相はない。
 
そして、綾波レイは目を覚ました。意識は肉体の棺におさまってあった。
 
目覚めてすぐに、左胸をおさえた。ここに使徒が、レリエルと名乗る使徒が、いる。
 
 
同じエヴァシリーズでありながら対使徒戦以外の運用をされる偽装エヴァ・
消失したはずの、伍号機。ネルフ以外にもエヴァを操る存在・組織。
 
 
比類無き戦闘力と残忍性・・・・黒く長い髪と真実を囓り獲る獣の感覚をもつ・・・・参号機とフォースチルドレン。
 
 
ぶっつづけ、立て続けに強烈な事象が起こった。精神の極が転換するほどの。
眠りから覚めてみればすでに以前の自分ではない。見ていたのは運命夢。邯鄲の夢。
 
 
夢から覚めた自分が、すでに前の自分ではないことをどう告げるか誰に告げるか。
 
 
碇司令?
 
 
・・・・・・
 
 
 
 
「なにはともあれ、良かったのう。綾波のお嬢、具合はどんなかの」
「あ・・・・・」綾波レイは言葉を探した。
 
 
迷いのある。使徒との共生。左胸の現実が喉を締めつける。声を失わせる。
感謝のことばさえ出ずに、探しあぐねて俯く綾波レイ。
誰に、何を、言えばいい?目覚めはしても、途方にくれる。
「儂らも心配したが、日本の方でもだいぶ・・・・そりゃそうじゃな、今まで音信不通じゃったからな。にせ者の件で大騒ぎになっておったようじゃし」
 
「え・・・・?本部への連絡は・・」
 
「直通回線はまだ邪魔されてつながらんが、綾波のお嬢の方法が巧くいったんじゃ・・・・・いいかの、青葉君、ソノ」
「はい」「レイちゃん、ちょっとベッドを上げるから・・・・はい」
野散須カンタローに何やら頼まれた青葉シゲルが回線接続されたノートパソコンを運んできて綾波レイのベッドに付属の折り畳みボードの上に置いた。 そして、ソノさんがベッドのスイッチを押すと腰から上の部分がウィーンと持ち上がった。
さっき、作戦顧問は、自分の考えた方法、と言ったのだろうか・・・・・?
なんのことか・・・・パソコン画面に表示されるコンテンツの意味もよく分からなかった。はて?うぃざーどりぃの掲示板?なんのことやら。覚えがない。
 
 
だが、そこに並んでいる人名と、どこかで聞き覚えのある文句と、いきなりでかくなるフォントにはどこかで既視感を感じる・・・・・
 
 
<アスカ>アンタ、ばかあっ?!
<シンジ>お見舞いでそんなこと書かなくても・・・綾波さんもいろいろ大変だったんだろうし・・・・綾波さん、調子どうかな?良かったら柿子してね。
<トウジ・ケンスケ>柿子って誰やねん!柿子って!
<マユミ>碇君、柿子じゃなくてカキコ・・です。書き込みのことを略してそういうんですが・・・・あっ・・・洞木さんもここまで律儀にタイプしなくても。
<ヒカリ>あ、そうなんだ。つい記録係やっちゃった。議事録じゃないんだよね。
 
 
 
「これは・・・・・」
液晶画面の中に確かに彼らの息吹がある。第三新東京市の、彼らの声が。
画面左上の時間を見てみると、時間は現在進行形。リアルタイムで繋がっている。
一体どうやって・・・・・世界最強レベルの通信設備を誇るネルフ本部への連絡があれほど叶わなかったというのに。なぜこんな、いかにも最弱の素人個人レベルの場所で連絡を
つけることになったのか。騙されているんじゃなかろうか・・・。
 
 
「おそらく盲点だったんだろう」
情報員として最も疑い深くなってよい加持リョウジが言った。
 
「まさか今時・・・しかもネルフの職員ではないが、シンジ君やアスカと繋がりがあり、ホームページという前世紀の遺物を密かに継承し稼働させ続けて、さらに会員制の掲示板などを開いている物好き・・・・いや、趣味人が第三新東京市にいるとは思ってなかったんだろう。さすがの妨害者さんも」
不敵かつ素敵な笑顔が止まらない加持リョウジ。別に己がやったわけではないが、してやったりといった感だ。ネルフ内部で既に連絡の妨害がなされているのだとしたら、いくら凝って冴えたやり方でも通じないはず。要はどこかで一旦、バウンド反射させること。
それも、微妙な角度で隙間を狙うことだ。やはり、日頃の人間関係は重要だな。縁というものは・・・。
 
「うむ、まさに”朝顔につるべとられてもらひ水”じゃな」
野散須カンタローもうなづく。
 
エビで鯨を釣り上げる、もしくは齧歯類が恐竜を駆逐するのにも似た痛快がある。まさに小良く大の裏をかく。どんな強烈なスピンボールでもやすやすと打ち返してきた凶悪テニス選手が、へろへろのしょぼしょぼのネットすれすれにかすって落ちるボールがとれないようなもので、あまりの非力さに、直接当人には届きもしないか弱さゆえに、どうやら網にひっかからないようなのだ。妨害してる方にしてみればいくらなんでもそこまでチェックできるかあっ!と怒り出すであろうほどのマイナー。
「あれだけ執拗で緻密な妨害網から相手にされないなんて大したもんだ。半端なマイナーさじゃないぞ。オーラが出るくらいのマイナーだ。大気圏から出て行けレベルのマイナーさだぞ。山奥に隠遁する謎の爺でももうちょっと注目度がある。グレートマイナー、キング・オブ・マイナーいや、限界を超えた存在感の無さは、まさに透明人間国の王女、インビジブル・プリンセスと呼ぶにふさわしい」力説する青葉シゲル。
 
これらが山岸マユミへの賛辞になるかどうかは別として。
この趣味個人掲示板が既にネルフ関係者の独占状態にあることを考えればその点大いに感謝せねばならないだろう。本部への報告も、おそらくこれを手渡し方式で経由して届けられているはずだ。
 
 
<アスカ>それでアンタね、長いことこっちに連絡も入らないもんだからちっと心配したわよ・・・・なんだか色々大変みたいだけど、生きてることが分かればいいわ。
早く帰ってきなさいよ。はいシンジ交代!
 
<シンジ>長旅で体調を崩してるみたいだから、あまり無理をしないでね。ミサトさんや父さんにも連絡してあるから心配しないでいいから。ああ、それから綾波さんの書いた旅行記なかなか面白かったです。良かったら続きを読ませてください。はい、トウジケンスケ
 
<トウジ・ケンスケ>なんや漫才のコンビ紹介みたいやな・・・綾波い!美術館燃やしてみたり車強盗してみたりいろいろ大作戦やっとるようやけど、スッパイすんなや。(鈴原)がはははは・・・・綾波、君とマユミちゃんの意外な一面がみられたよ。貴重だよ。ありがとう。(相田君)
 
<マユミ>管理人の”繭野コズミ”こと山岸マユミです。
綾波さん、お話したいことがたくさんあります。早く帰ってきてください。
 
<ヒカリ>綾波さん、こちらでもいろんなことが起こっています。詳しいことは分かりませんけど、この旅でふだんとは違うものを見てきたあなたが多分、驚いて、こちらにいたわたしたちが旅行から戻ったあなたを見て驚いて・・・・そんなその日を楽しみにしてます。外国は気候も違うでしょうから、体にはくれぐれも気をつけてください。
 
 
微塵も動かす画面を見続ける綾波レイ。
いくつか疑問が残るが、まずはこの文面から溢れてくるものの処理が片づかない。
繰り返し繰り返し、この短い手紙を聞き直す。そう、声が聞こえる。彼らの声が。
 
そう遠くないうちに、この声を消し去ってしまわねばならない・・・・・
 
切なさはそれにつきる。左胸が、疼いた。
おそらく、この掲示板の連絡方法はレリエルが考えついて実行したのだろう。
よくもまあ、こんなことまで知っていたものだが、自分の姿を用いて第三新東京市を徘徊し隅から隅まで調べ尽くしているに違いない。情報戦がこなせる使徒なわけだ。
あの、レリエルは。
そして、必要とあれば、エヴァ零号機に乗り込んだ自分ごと内部から操るなり取り込むなり・・・・初号機弐号機をケージ内にて背後から襲撃することも・・・。
 
「それにしても・・・レイちゃんは小説なんてかくのね」
ソノさんがいきなりこんなことを言い出した。
 
「えっ・・・?」
またしても覚えがない。碇君もそんなことを言っていたけれど。
しかし、覚えがあろうがなかろうがまさか、それをやったのはわたしじゃありません、第十二使徒レリエルです、と言ってみても単に混乱を招くだけで、認めておくほかない。
それにしても・・・小説?・・・・使徒が小説・・・・使徒小説・・・・
知性というか情緒まで備えているということか・・・・
ちなみに綾波レイは読書感想文さえ書いたことがない。
 
「しかも、挿し絵までつけて」
なんじゃそりゃである。ちなみに綾波レイは”へのへのもへじ”さえ描いたことがない。
 
ウインドウを開いて掲示板のページをめくってみると、・・・・連絡、連絡、本部への報告、報告、報告、連絡、連絡、連絡、ここぞとばかりに大量に今まで貯め込まれた実際事務的な報告事項で埋め尽くされたページの向こうがわに、それはあった。
 
 
綾波レイの旅行記
 
 
とタイトルのつけられたそれは、かなり少女趣味かつ軟派な文体で北欧に出発する時点のことから現在のことまでかなりのインチキをまじえつつ軽妙に記されていた。やたらに食物に対しての話が多い。まあ、これを読んで心配する人間はあまりいないだろう。
ソノさんが旅行記、といわず、小説と言ったのはそのためだ。作り話なのだ。
肝心な点は、これがゆえに山岸マユミは掲示板に記された一連の情報を綾波レイ発だと信用した、ということだ。綾波レイが旅行の服を買ってもらった店のことなど本人とそれをたまたま見ていた山岸マユミと洞木ヒカリくらいしか知らない。それがなければ、この薄気味悪い大量の報告文書など消去されていただろう。なにかコンタクトするのにカムフラージュしなければならない理由があってこんな旅行記なんてまわりくどいことをしたのかしら・・・・と考える想像力が管理人山岸マユミにあったことが幸いした。
文末に、「絶対にこれを電子メール等で転送しないでね。他人に見せるときはプリントしたものを手渡ししてください」などとあるから容易ではないことも考えさせた。
 
この旅行記に対する感想もいくつか書き込まれたあと、山岸マユミこと管理人の繭野コズミは常連訪問者に対して説明し、「しばらく貸し切り状態」の札をかかげておいて
 
「ネのつく公務員に連絡オーケー」と書き込みをして次の連絡を待った。
そうしたらくるわくるわ、国番からすると今はスイスにいるらしい、大量の情報が高速で書き込まれてくる・・・すぐに葛城家に電話をいれて指示を求めた。青い稲妻のように葛城ミサトが飛んできてプリントされた報告書をひっつかむと疾風のように去っていった。
「ほんっと、ありがと!!広辞苑くらい分厚い図書券でお礼させてもらうからっ!」
 
風雲は急を告げたわけだが、荒事に慣れていない山岸マユミはぽーっとするしかない。
 
それでも、いそいそと「綾波レイなにをトチ狂ったか美術館放火疑惑連絡会」でこのことを報告しなければならない、と思ったのだった・・・
 
嘘八百の綾波レイ旅行記を読みながら、綾波レイは血圧の上昇を感じた。
これを自分が書いたことになっている・・・・・・血圧の上昇を感じた。
この挿し絵のちびっこいのも自分なのか・・・・・血圧の上昇を感じた。
 
「ドレスの裾に血文字で番号が書かれていたからよほど重要なものだと思ったんだけど・・・・勝手に見てしまってごめんなさいね」
その火照りを見てとってソノさんがあやまった。
血文字のアドレス・・・曰わくありげな・・・・レリエルというのはかなり芝居がかったことが好きな使徒らしい・・・、と、そういえばっ!
綾波レイは何やら気づいてあわてて自分の姿を確かめた。病院の寝間着だ。
 
 
あ・・・・・
 
あの・・・服・・・野散須夫妻に買ってもらった・・・あの黒い洋服は・・・・・
 
レリエルに取り替えられてそのままじゃなかったか・・・・・・愕然とする。
 
いつもの綾波レイならば、その愕然とする自分に驚く冷淡さを残しているところだが、本調子でないせいか、そんな余裕はなく、ひたすら愕然とした。たかが服一丁であるはずが。「あ・・・・」急に沈み込む綾波レイ。こんなときなんていえばいいのか。
 
 
「すいません・・・・服を・・・」
 
 
服なら着てるじゃないかい、と男性陣は思っただけだろう。まさか綾波レイがたかが洋服一丁のことを気にしているなどと思いもよらぬ。装備を紛失しました、という報告調で言われたならば、まだしっくりときただろうが。かろうじて連絡は繋がったものの、それも制式なものではないしいつ断線するかわかったもんではない。今の内可能な限りの連絡を果たして目的地に入りそこから潜伏してしまう。まだ気の許せる状況ではないのだ。
兎がかろうじて木の虚に隠れこみ、一時的にアギトから逃れたにすぎない。
 
「いいのよ、レイちゃん。今度は・・・・・第三新東京市に戻ったら、そう、青い海の色の服を買いに行きましょう」
 
青い海の色の・・・・・・・なるほど、さぞかし綾波レイには似合うであろう。
そんなことを呑気に考えている場合ではないのに、そんなことを考えてしまう。
このやわらかく抜けていく息は、家族の呼吸にも似ている。
わずかばかり許される時間を用いて。
わずかばかり許される時間は終わる。
 
 
「彼女の意識が戻ったからには出発を急ぐことにしましょう。今晩の23時。それまでに各自準備を整えておいてください。・・・・・いけるかい?・・・彼女をお願いします」
加持リョウジは綾波レイに確かめ、そして野散須ソノさんにサポートを頼んだ。
 
大人たちは最後の段取りにまわり、少女は病室に取り残された。ノートパソコンと共に。
 
「・・・・・・・・・」
もう一度画面を見てみる。彼らの言葉を。指が震えた。
「・・・・・・・・・」
もう一度言葉を辿ってみる。彼らの言葉を。震えた指がキーに触れる。
「・・・・・・・・・」
目を瞑って考えている。彼らの言葉を。指がそのまま返礼を打つ。
 
 
お・ぼ・え・て・る
 
 
                       綾波レイ
 
 
目を開けたとき、すでに送信してしまっていた。おそらく現時点で、誰も理解することのない悲しい挨拶を。視界の支配を解かれた時、肉体は正直に切実にものを語ることがある。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
猫の王のようだ、といわれて碇シンジは箸の手を止めた。
 
 
赤木屋敷での晩餐。差し向かいの金髪浴衣美人は前触れもなくそんなことを言った。
深海の水でつくられたとかいう冷や奴を箸で割りながら。
 
「猫の王様・・・・・ですか」
 
「そう、猫の王様。最近ふと思うのよ。シンジ君、あなたは・・・・」
 
猫の王。それは、高貴な地位を識別するしるしもなく、ごくふつうの顔をしながらごくふつうの家に住み着き、ごくふつうの生活をしている。だから、本物の王になる資格を確かめることはとてもむつかしい。それを見分けるには・・・・
 
「その猫耳を切り落としてみる・・・・・もしその猫がほんとうに王たる資格をもつならばただちに自分が誰であるか遠慮なく宣言するであろう・・・ってね」
この家はクーラーも必要なく、食事中もとても涼しい。
 
「もしくはある日、どこかで猫の王が死ぬと猫の仲間がそれを飼い主に伝えにやってきて
”ティッテン・タッテンによろしく。あなた猫に、グリマルキンは死んだと知らせてください” ”ディルドルムにドルドルムが死んだと知らせろ” ”バルグリーが死んだとバルギャリーに伝えてくれ”とかね。飼い主がそれを家の猫の前でしゃべってしまうと、その猫はすぐにいなくなってしまい、二度と帰ってはこない・・・・・信号が発せられると」
 
 
「どこか、そんなところがあるみたい・・・・・って逃がさないわよ」
 
冷や酒を猪口でやっていただけのくせにもう酔っぱらってきた赤木博士から今までの経験則から逃げようとした碇シンジは捕まってしまった。リツコさんは複雑だから酔い方も複雑なんだ。酔わないときは何しても酔わないクセに、酔うときは簡単に酔う。
 
「今日は副司令も来られないし、・・・・ゆっくりお話しましょう」
妖艶な誘いの言葉ともとれないこともないが、相手が碇シンジである。
 
 
「シンジ君、あなたはこれからどうするの?」
「これから・・・・リツコさんにつきあいます」
座り直すと碇シンジは自分のコップに麦茶をついだ。まだ猫の王は死んでいない。
リツコさんみたいな人でもさびしいと思うときがあるんだな・・・・・・
 
 
この介護的共同生活もそろそろ終わろうとしている。
 
 
その夜は、昔話をえんえんと語られた。別に泣かれたわけではない。
父親である漂泊の都市制作者・赤木レンタロウ博士、母親である人工知能の泰斗・赤木ナオコ博士のこと、それにまつわる碇シンジの父親、碇ゲンドウと碇ユイの話。
「アルバムがあったから・・・・・」
見せてくれた。若い頃の父親たちの姿。このときに何を考えていたのだろう。
そして、今。何をしているのか。使徒という歴史上前代未聞の人類の天敵相手にして、しばしその願いの歩みをとどめているのか。碇シンジはその答えを知ってか知らずか、問うことはしなかった。それよりも、記憶の流れを辿る赤木リツコ博士の顔を見る。
 
「カヲルくんだ・・・・でも学生服が冬服・・・あ、写真館で・・・・・そうかぁ」
「あ、ミサトさん?!うわー、車大破だ。学生の頃から運転荒かったんですね・・・・」
「うわぁ・・・・すごく綺麗な猫・・・・・だからリツコさんは・・・」
「うわー・・・・貧乏そうな父さん・・・・でも、なんですこの京都守銭道って」
何かを思い出そうとしている人間の表情は・・・・・子供のように神聖で。
ひどく、人間っぽい。その人間の歴史の匂いがして。記憶することで体内に時を封じ込めている。その時は流れ去っていってこの世のどこにもない。
たぶん、風景や面影は命のおまけ。そのおまけに魅せられたのなら、生きていくこともまんざらではない、と思える。懐かしい風景も、愛しい面影も、覚えている記憶しているその人が死んでしまえばこの世のどこにもなくなる。おまえしか、いないのだ。
だから忘れずにいよう。忘れるに決まっているけれど、この裡にあるということを。
碇シンジは、赤木リツコさんの顔を憶えた・・・・。
 
マヤさんが早く帰ってきたほうがいいな、と思った。
 
 
 
そんなわけでその夜は、いつもの日課の「テロリス」はやらなかった。
 
 

 
 
 
秋葉森・伊吹商事
 
 
「サブロウさん、何読んでるの?」石野丸アラシが百山田サブロウに聞いた。
大きな手にかわいい小冊子。ゲーム絵の表紙がついている。
 
「ん?これかい。これは、ゲームの取説だよ」
「ゲームの取説?なにそれ、そんなの読んで面白いの?え・す・ぱ・あ・どりいむ・・・迷宮寺院ダババ・・・愛戦士ニコル・・・・すごいタイトル」そういう世代なのである。
「ディスクシステムという大昔のゲームだからなあ。今じゃプレミアがついて貴重品なんだ。ゲームの方はいくらでもコピーできるけどね」
「ちょっと見せて見せて」「ああ、いいよ」「うわー、シールもついてるー、これ、なんに使うシールなの?」「書き換え用ディスクに貼るもんだったんだ。使わなかったけどね」
「一枚ちょうだい」「だめだよ」「売るの?誰かに」「いや」「じゃ、価値が下がるわけでもないしいいじゃん。ちょうだいちょうだい」
何事にも鷹揚な百山田サブロウがしばし、悩んだ。「大事にするかい」「うん!これに、インベーダーキャップに貼るから!」石野丸アラシが命の次に大事だと言う愛用のインベーダーキャップを指さす。こういう甘やかしは教育に実によくない。が、その仕草はあまりにも可愛すぎた。ぺた。シールを貼って貰って喜ぶ少女の声とそれを見て和む社員たち。
 
 
 
そして・・・・・・
 
 
それを見て鬼瓦せんべいの仮面をかぶって悔しがる人物がある。
 
 
にせ東京タワーより怪人二十面相よろしく自社特製の超高性能望遠鏡で覗いている、時田氏であった。「うぬぬぬ・・・・・なんなんだ、こいつらは」
伊吹商事の和みように怒っているのは別に同じ経営者として労働者が額に汗して馬車馬のよーに働かないのを伊吹社長に同情しているわけではなく、単に近頃の自分たちの労働がまったく報われなかったことにある。
 
赤木ナオミに命じられて秋葉森における伊吹商事の動向を探り始めたのはいいが、酷い目にあいっぱなしだった。手始めとして、産業スパイの王道、侵入ハッキングを試みたものの結果は惨敗。こちらの機材をねこそぎ逆襲された。えらいな被害額であった。
秋葉森には世界条約で厳禁され使用したが最後一族郎党まで打ち首獄門市中引き回し間違いナシの凶悪極悪ウイルスが日常的に取引されているというがまんざら冗談でもないらしい。入り込んだそれはサザエのごとく殻を閉じて排除を拒否して居座り続けていた。カツオのような弾丸速度であと一歩でJAのメインフレームまで入り込まれるところだった。
 
 
「もう少しで真・JA計画が水泡に帰すところだった・・・・・」
これだけでも(というか自分が悪いのだが)断じてゆるせんところなので、次は基本的なところで人間の産業スパイを送り込んでやった。よく考えたらそっちの方が安上がりで確実だ。専門の土俵で競うことはないのだ。あんな小さな会社ではろくな保安警備も出来るまい・・・・・
ここ、秋葉森では腕利きの非合法活動人種がそろっている。日本のトップ10に入るハッカーの半分は秋葉森在住だ。そして、秋葉森者はことのほかよそ者を嫌う。よそ者で得体が知れず、謎の資金を動かす伊吹商事など格好のターゲットであろう。
「金に糸目はつけないから、一丁、噂に聞く秋葉森の手際を拝ませてくれたまえ」
と、つてを頼って秋葉森でも有名な非合法活動人を雇おうとしたところ、断られた。
「七刻山と石野丸の関係者がいるとなれば手は出せませんね・・・・諦めた方がいい」
たかが地方の電気店のオヤジにこの時田シロウがびびるとでも思っているのか・・・・・、とは思ったが敵を知り己を知れば・・・である。伊吹商事のメンツの研究から始めた。
 
「うぬっ?松下コウノスケ・・・・百山田サブロウ・・・・N石・・・・」どういう手練を使ったものか、たかがオペレータが揃えたにしては豪華すぎるメンバーだ。日経でちらほら顔を拝んだこともある。うちに欲しいぞ「藤原ルカ・・・・・橘エンシャ・・・・・祭門・・・・」年齢性別関わらずの少数精鋭主義らしい。なにふりかまっていない。
「祭門チサト・・・・保護者の七刻山ショーコ・・・・・ははぁ・・・・石野丸アラシ・・・・・この二人のことか。秋葉森の酋長格の・・・・なるほどな。ここで活動するには願ってもないバックがついているわけだな」寺社保護がついているようなものらしい。
それならそれで・・・・・そういう格式に敵対する性質の人間に頼めばいいわけだ。
時田氏は秋葉森の地下茎街・アンダーネッコに変装コートをはおって赴くと、「ジメジメ屋」とでも命名したくなる鬱々とした暗黒バロック調の店で電脳の傭兵を求めた。
「標的は?」「伊吹商事」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「やだ」
危険を冒しながらこんなところまできたのにこの返答に時田氏は思わずチョップを食らわして相手に反撃として噛みつかれた。「東芝マスオさん・・・・・あの人がいるからだ」
その代償として得た情報だった。「東芝マスオ・・・・”ンガ・グッグー”・・・・」
こんな情緒もカビにまみれていそうな男に恐怖を抱かせるほどの極悪クラッカー・・・。
なんでそんな奴まで採用したんだ!?人事部長でてこいっ!面接の仕方を教えてやる!
 
 
仕方がないので、自社ブランドで我慢するしかない。
以降はみーんな、時田氏のところの社員さんだ。
 
 
朝は朝刊を運ぶ爽やかな美談苦労系の少年を、昼は乳酸菌飲料を売りにくるオバチャンを、昼下がりには面接希望の若く美しく有能そうな女性を、夕方はぐっとバイオレンスに買い物に出かけた伊吹社長を誘拐する宅配の運転者を、夜は遠慮なくサスペンスに黒づくめの覆面特殊襲撃部隊を、送り込んでみたのだが。
 
 
全て失敗
 
 
 
どういうわけだかさっぱり分からないのだが、伊吹商事には秋葉森にしか棲息しないという正義の味方、「ISDN回線男」がついているのだった。少年は説得され、オバチャンは売り物を全部大人買いされ、お姉さんは他の良そうな会社を紹介され、宅配の運転手は箱詰めにされ、覆面特殊部隊は伊吹商事に向かう途中で先制攻撃を食らって壊滅させられた挙げ句パイルドライバーで公園に人柱として朝まで放置されたというから半端ではない。
 
 
「こうなれば私自ら出陣するほかあるまいな・・・・・」
愛する社員をここまでやられて(というか自分が悪いのだが)黙っていられる時田氏ではない。社長に就任してからは封印していた神の如く趣味なハッキングの手腕を奮うことにした。最初は嫌々やっていたくせにすっかり本気になってしまった時田氏はさっそくプロジェクトチームを結成すると秋葉森に乗り込み伊吹商事のプロテクトに襲いかかった。狙うは連中がのんきに緊張感の緩む、夕方の食事時である。なかなかよく調べている。
「この作戦を夕焼け三号作戦と名付ける!」「いやあ社長、光瀬龍のジュブナイル小説みたいですな、懐かし燃えですよ」「そうか?ともあれ、発動!」
 
 
さすがに時田氏とプロジェクトチームは優秀で、伊吹マヤが組んだ「お手軽666結界」も突破して伊吹商事内の中枢機にアクセスし作成中の「思考公園(レーダーパーク)」の一部を盗み出すことに成功した。「ははははは!夕焼け三号作戦、完了」
 
 
さっそく解析してやろうと、自分トコの機械に入れ込んでみたが・・・・動かない。
扱う容量があまりにも巨大すぎてとてもじゃないが全社のコンピュータをこれの解析にあてたとしても1%も動かない、というとんでもない計算結果が出た。
やってやれないこともないが、起動するのは千二百年ほど後になる。
「なんだこりゃ!?世界中の計算機をかき集めて連結でもさせるつもりか?」
愕然とする時田氏。それも、ただの一部だ。全体ではない。
それでもなんとか考古学者のようなセンスで人間力と根性で解析にかかる。
「この特製の”文字”がやたらに容量を使うらしいが・・・・・なんだんだこの使用範囲の広さと緻密さは・・・ネルフのネギ・・・・いやマギだったか・・・あれならばこいつを動かせるのか・・・・?いや・・・」
それならばあの女から一言あるはずだ。命じてくることは無茶苦茶だが無駄足を踏ませる
ことはしない。とにかく、この連中が作っているのが特殊な軍事プログラムなどではないことがわかった。世界征服用に組んだとしても、もうちょっとサイズは小さくなる。
とにかく無用に馬鹿でかい。完成しても泣きをみるだけだろう。だが・・・
「それにしても・・・多少でも覚えのある人間ならこんな無駄な形式を用いるはずが・・・・・・・まるで原始人に壁画を使って算数でも教えとるような回りくどさだな・・・・・・とにかくぜんぜんわからん。やたらにでかいが機能としては・・・・・単なるデータ保存用の基礎・・・・ん・・・・思考公園レーダーパーク・・・・・・」
わざわざ秋葉森まで人間を特派させ、有能な人材をかき集めて作ったにしては・・・・・
あまりに使えんプログラムだ。いや、誰にも使わせないように作っているとしか思えない。
データをひたすら膨張させ拡散させる、混沌としたカオスだもんね的電子の呪文。
喩えていえば、時間を知るのに腕時計ですむところを、わざわざ巨石文明に立ち戻ってストーンサークルを建設しているかのような憎悪すべき悪徳の手間をかけているわけだ。
圧縮し数理の美を求めず整理整頓を目指さない、反コンピュウ的、逆プログラム・・・
こんなもんを支えきれる無限の底なし記憶媒体が都合よくあればいいがな・・・・
 
 
 
「まさか・・・・」
 
その時、時田氏の脳裏に閃いたものは・・・・人造人間エヴァンゲリオン。
機械のように記憶すること。人間(ヒト)のように記録すること。
 
雷に打たれたように身震いがした。おそらくはあの小娘は指示を受けただけだろう。
そのバックにいるのは・・・・赤木リツコ。その巨大な領域を用いて何をするつもりか。
あの都市まるごと面倒みているマギシステムの領域そのまま問題なくおさまるくらいの。
 
現代の機械科学者はこう思っているし夢見ている。計算機(コンピュータ)を超える、思考機械がそのうち生まれてくるぞ、と。
 
武装迎撃要塞都市・第参新東京市、そしてその守護者たる人造人間エヴァンゲリオン。
都市中枢たるマギシステム。チルドレンと呼ばれる選ばれた子供の操縦者たち。
あの都市は機密の都市。ネルフと呼ばれる得体の知れない特務機関が牛耳るおおよそまともなもので稼働していない都市。沈黙の都市。機密という心臓で動く都市。
 
人造人間エヴァンゲリオン、それは総司令部をもたない生身にして無敵の軍隊。
絶対領域を侵し合う者同士の争いとなれば・・・・冷静な判断力をもつ方が勝利する。
莫大な情報と常時リンクする、冷徹な知能、と言い換えてもよい。
プログナイフ・ポジトロンライフルといった強力な兵器を扱い、ATフィールドという絶対の防御力を誇り、エヴァ初号機の雷降臨、操支配力、ゼルエルの鉾といった単体特有の特殊能力、これ以上何が必要になるのか、と言えばチルドレン、子供が搭乗するがゆえの
根本的な弱点の克服に他あるまい。発想として正しい。
 
どこかで碇ゲンドウがニヤリと笑った。
 
 
「走狗煮られても困るからな・・・・黙っておくことにしよう」
どうもネルフもこのままやられっ放しでもなさそうだ、と判断した時田氏はニヤリと笑うとこの事実を赤城ナオミに報告しないことにした。それにこの思いつきが正解だとは限らない。このあまりにも突飛なこのアイデアは。「・・・・実現できるのか」。いくらあのネルフでもここまではしないだろう・・・。「そんなこと出来るわけがないじゃないのさ」あの癇性持ちにどう神経触って意地悪されるか分かったもんではない。
 
幸いなことにここは秋葉森。さすがのオレンジの髪の魔女の目も届かない。
 
「とにかく、完成してもらわんことにはこの思いつきが正しいかどうかわからん。
こらー、お前らー、遊んでないで仕事しろー仕事ー」
、というわけで時田氏はお門違いもいいところの檄をにせ東京タワーから伊吹商事に向かってとばすのであった。社長という人種は憎むべきライバル社の社員に対したとしても、「思いっきり遊ぶがよいっ」とは言えないのかも、しれない。
 
 
 
そのころ、伊吹マヤ社長は祭門チサトに連れられて秋葉森アーケードをハシゴした後、錆びた鉄骨の一群が色づく秋の森のように広がる、「「秋葉森」」にいた。
そこには、巨大な目玉のような馬鹿でかい時計盤がある。よく見ると複眼になっており、数千個の時計の集合体であることがわかる。それを見上げる茶房「ちいさいあき」
 
 
 
苦労が実ってようやく追い込みの時期に入った。
日中、社員たちが制作している膨大なデータを夜にチェックして朝に指示を出す。
伊吹マヤはこのところ、そんなわけで昼夜逆転生活を送っていた。
お肌と健康に悪いが、そうしないと社員の生活が逆転してしまう。
夜間に動くのは、昼間も働く24時間戦っている松下コウノスケ、暗闇の職人加藤ジンエ夜に強くて朝に弱い夜行性の藤原セト、孫娘から分離した祭門ライゾウ。明け方くらいにN石部長がいつのまにか出勤して働いていたりするが・・・・。
そういう時期のまっただ中のこと。
 
「そろそろ休みいれないと、あんた、死んじゃうよ。死相がでてる」
 
橘エンシャにそう言われ、強引に二日間の休みをとらされた。貴重な二日間である。
躊躇しながらも、「死んだらもともこもないし・・・・」と女子トイレの鏡の前で自己暗示をかけながらぼーっとつぶやく伊吹マヤ。そこには疲れ切った24歳の顔が。
「先輩ならもっともつんだろうなぁ・・・・・・煙草が効くのかな・・・・」
赤木リツコ博士のハードぶりを見ているため、自己憐憫に陥ることはないけれど、しょせん、凡人と天才とでは基礎”執念”が違うのである。その分、人生を早く消費しているといえなくもないのでバランスはとれているのだろう。それに、今の自分には「なんと!」(今頃今更いうのもなんだけど)社員がいるのだ。一人ではない。一人ではない。
 
 
その貴重な休日を利用して・・・・・・・・・やっぱり仕事する伊吹マヤであった。
 
 
そのかわり、出社はしない。社員には内緒の極秘の仕事を。
秋葉森に来た理由、パート3の扉を開く・・・・。
 
 
「チサトちゃん、町を案内してくれない?会社とホテルを往復するだけで他の地域はほとんど知らないから」
複雑怪奇な構造にもかかわらず秋葉森には地図がなく、地理に不慣れなよそ者が勝手に動くとひどい目にあう。ガードが強いのでひどい目にあいそうもないのだがこの誘いに伊吹社長に恩を感じて尊敬している祭門チサトが喜ばぬはずもなく、松下コウノスケの許可を得ると勇んで案内役をつとめた。そして、アーケードと根源名所「「秋葉森」」(あきばもりのなかのあきばもり)を案内すると、この茶房で昼食とって一休み、というところ。
祭門チサトとの食事は、伊吹マヤにタイムスリップ感覚を与えた。
「自分と先輩もこんな風だったのかな・・・・・」まだ少女の興奮さめやらぬ話かけてくる表情にそう、思う。
 
 
「それにしても、マヤ社長はお強いですよね」ふと、祭門チサトがしみじみと言った。
 
 
「?え、何」酒も喧嘩も社員の前では実力をみせてはいないはず。
 
「いえ、実は・・・・」
 
 
秋葉森にはひとつのジンクスがある。よそ者が秋葉森ででかい顔するとかならずバチがあたる、というとんでもないジンクスが。とくに商売関係ではかならず下手をうつ、という。そのために、外地の企業が秋葉森に支社を出そうとする折りには、支店長ポストは空白にしておくのである。「そんなのはよそ者嫌いの秋葉森者の妨害工作にすぎん」などと言ったが最後、てきめんにやられてしまう。これは、早い話が祟りだ。
「社長」などと名乗ったが最後、必ず地獄へ突き落とされる・・・・という話だ。
祭門チサトが感心したのは、いまだに伊吹マヤが特にバチもあてられず、ぴんぴんしていることだった。社員たちも内心、いつやられるか、いつやられるかと思っていたのだ。
 
「へえ、そうなんだ」そんなもん、怖くもなんともない伊吹マヤであった。
言われてみれば、立ち上げ時のメンバーがすんなり脅迫に屈したのも、それを見越してのことだったのかもしれない。
 
 
「それで、午後はどこにいきましょうか・・・・疲れが静まる”じおふろ町”の大深度地下洞窟とか、世界のボウフラが見られる”どぶ川水族館”とか・・」
「「・・・チサト、まだ秋葉森歌舞伎の券は残っていたかな・・・・」」
「あんなプロレスと区別がつかない歌舞伎なんて見せられないよ、もっと心身ともにリフレッシュできるところ」「「・・・・それならば・・・鉱物盆栽展がよかろう・・・・」」
 
祭門爺孫の会話をやんわりと伊吹マヤはさえぎった。
 
「ああ、午後は私、行きたいところがあるんだけど」
 
「え、どこですか?」
 
「チサトちゃん、ライゾウさん、”フランケン屋敷”って知ってる?」
 
「フランケン・・・?ああ赤木町の赤木番地赤木一号の、あのコンクリで塗り固めた怪しさ爆発の怪奇スポット。
よくご存じですねー。そんなの外地の人間は秋葉森マニアの人くらいしか知りませんよ」
「「・・・・危険区域として一般人として立ち入りは禁止されている・・・現在もな」」
「宇宙人の死体が保存されてるとか、賞味期限を過ぎて爆裂の時を今か今かと待ちわびる呪いの缶詰が山と積まれているとか、死に神とあだ名された狂気の天才外科医の病院で生きながら解体された患者の死体がゴロゴロしてるとかいろいろいわくがあるんですけど。
元は燃料庫か弾薬庫として使われたガソリンスタンドだったんじゃないかと。・・・・ショーコちゃんなら詳しく知ってるかもしれません。聞いてみましょうか」
 
「あ、いいのいいの。ちょっと行ってみたいだけだから」
・・・・それにしてもえらいな言われようだ。その、”フランケン屋敷”と秋葉森の住民にあだ名されているのは、赤木家の元別荘なのだ。そして、その地下に大がかりなシステムが眠っている・・・・・それが秋葉森にやってきた理由パート3。
 
 
ゼーレ基地・丸独商事のシステムも優秀だが、現在までの伊吹商事の成果はそれを凌駕しつつある。そろそろ”こちら”のほうに移転させてもよい頃合いだ。
学生時代の赤木ナオコ博士、碇ユイ博士、などなど、何十年か前の若き天才たちが集結して作り上げた有機コンピューター。その名も・・・・・・
 
 
 
旧マギ
 
 
 
かっこ悪ければQマギでもよろしい。ただし、機能の方は折り紙付き。
作ったはいいが手におえなくなって封印したくらいだからだ。その有機な化け物脳ぶりに。
秋葉森が外部回線からの攻撃にやたらに強いのは地下深くでナマズ邪神のごとく眠るこいつのおかげが78%。別名、「沸騰する脳髄(ボルボック)」。
有機コンピューターであるので自分で有機キノコを栽培して暮らしている。
このあたりのことは碇ユイのレポート「有機コンピュータと有機キノコの関連」に詳しい。
 
伊吹マヤも最初、この話を聞いたときはさすがに「うそだあ。いくら科学万能の時代でも」
と思ったが、どうも秋葉森にやってきてちょこちょこ確認するうちにその存在と能力を信じていった。確かに、マギの冷凍地下洞窟で手に入れたパスワードに「なついて」くるのだから。返信として電子メールで「ママー・・・・・・・・」と野太い怪物音声を送り込まれた時はさすがに背筋がゾッとしたが。
 
 
その旧マギに対面する理由と時間ができた。
 
 
「じゃあ、行きましょう・・・・・」、と席を立とうとした瞬間。めまいがした。
立ちくらみかな・・・・と思ったときには目の前の風景がとろけた。とろり。
 
「?マヤ社長」
 
まずい・・・・・と思ったときにはもう。ばたん、きゅーと。