「あのねえ、日向君、分かってるとは思うけど・・・・」
葛城ミサトにしては歯切れが悪い。
 
 
ネルフ本部 作戦部長室
 
 
そこでは日向マコトを呼びつけた葛城ミサトが難しい顔をしていた。
これからガラにもないことをせにゃならんので気が重い。しかし、直属の上司として、信頼する部下を、部下の私生活について、”意見”せねばならない・・・・
 
 
「私生活について意見する」・・・・・・葛城ミサトを、その私生活の有様を克明に、またはそこはかとなく伝え聞く程度の人間でも、作戦部長葛城ミサトにその資格があるのかどうか、腹の中ではそれを逆に問い、あるいはケタケタ笑ったことであろう。
現にそれを聞いた赤木リツコ博士などは「似合わないことを・・・・鵜の真似をするカラスはおぼれ死ぬのよ」などと言った。または「説諭、って漢字で書ける?」などと。
 
 
葛城ミサトとて、たいていのことならば放っておく。仕事さえすりゃあ問題ないし、どこかの総司令のように私生活に乱れを生じるような元気と時間があるならもっとコキ使ってくれよう、というほど鬼ではない、つもりだ。戦闘態勢中に発令所で「アイーン」とか奇声をあげたり、本部食堂でいきなりラジオ体操を始めたりするわけでもないなら、たとえ自分の部屋で女装しようと連日連夜おさわりバーに通おうと上司の知ったことではない。ただ単に変態の烙印を押してやるのだけのことで、借金さえこっちにまわしてこない限り問題はない。さすがの飲み屋の取り立てもネルフ本部までは来やしないだろうし。・・・・・つまりは、直属の部下であるところの日向マコトくんは「たいてい」ではすまされないことをその私生活でやっておるわけだ。いわば、他部署から睨まれるような・・・
 
 
「くあ〜・・・・・あったく・・・こっちの生活もまだ体勢が整ってないっちゅうのに」
一年中夏になってしまったので冬眠ができない母熊のような声をあげて首をぐるぐるまわす葛城ミサト。ここでいう体勢、というのは碇シンジが出戻ってないことを意味する。
 
 
「まあ、そりゃいいわ。・・・・・あー、日向君、まどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に言うからそっちも単刀直入に答えなさい」
 
 
「はい・・・ですが・・・・」
 
 
「あーあー、いいからいいから。イエスかノーかで答えてくれればいいから。」
 
 
「はい・・・・」
 
 
 
「同棲してるって
マヂ?」
 
 
 
 
「はあ、それがですね・・・・」
と、いうわけで話は三日ほど前になる。頬にミミズ腫れがある日向マコトの釈明というか説明である。
 
 
 
 

 
 
 
「買いにきたのはあなたですか?」
 
 
激務につぐ激務をこなしようやくもらえた帰宅許可(!)にホクホクかつヘロヘロしながらの帰宅途中の日向マコトはいきなりそう声をかけられた。時刻は夕暮れ時、珍しくサラリーマンらが帰る時間にシンクロしていた。たまには豪勢にデパートの地下食料品売場で全国の駅弁イベントをやっているのでそこで駅弁やら有名レストランのカニコロッケ買って帰るかと思っていたところだった。彼のその時の心理状態は普通の会社員と大きく変わらなかった。あくまで、あくまで表層真理のことである。深層心理内には熱く燃える世界平和のための使命感が存在しているのだが。あくまで。そうでなければ特務機関ネルフのオペレータ三羽ガラスの一人として活躍できようはずもない。
 
だが、彼とて人間である。この事実を彼の名誉のために事前に記しておく。
声をかけられたのは、なるべく許されたこの短い時間を有効利用すべく帰宅途中のルートをショートカットする裏通り。あまり人目のつかない場所を使うのはネルフ職員として好ましくないことであったが、そこまで子供扱いされるのもまた気の晴れないことでもある。
 
 
「ん?」
そう言われても帰宅サラリーマン状態の脳はとっさに反応できなかった。
聞き間違い、もしくは同音異義かと思った。正確に意味を判断するのなら、それは・・・
なんといいますか、いわゆるおピンク関係のお誘いというか契約というか・・・・
自分も木石にはあらず、なわけでして・・・しかし、疲労の溜まりに溜まった肉体は色も水も必要としない。正直な話、あまりむつかしいことは考えたくなかった。脳をつかいたくないわけなのでしゅ。思考すらも幼児レベルにダウンしてしばしの安楽を求める。
現状の彼は三羽カラスというよりは、焼き鳥のタレのついた竹串のようなものである。
日向君がそうだ、というのではない。すべからく、そうなのだ。帰宅途中で脳みそをフル回転させる、という生活様式の方がどうかしている。
 
 
美人であった。
 
 
さあっと、夕方のオレンジ光景が鋏切られてしまうほどに冴えた美人であった。
あっという間にその他の風景は認識もされない無意識の闇に。
あなたしか見えない、というやつだ。
年齢は二十代前半、といったところ。薄い灰色をベースに複雑な幾何学空模様がほどよくプリントされたワンピース。曇天に散りゆく桜のように、懐かしく儚いものを感じさせた。
同時に、左の二の腕に入れ墨。若い娘がファッションでいれるような可愛い代物ではなく、極妻でもちょっと恐れ入りそうな「九頭竜」・・・どこの彫り師の手によるものか、その九つの目玉には生きた精気があり、女性を守護するように周囲を睨みつけていた。
右肩には大きめのカバンをさげているのだが、そのデザインも赤金色の人面。下手に手をつっこうもうなら食いちぎられてしまいそうな・・・いや、そんな掏摸行為には当然の報いとは言えるが・・・ふつう、カバンは人を噛んだりはしない。
霊感を備えた者なら、即座にその場を離れたであろうが、あいにく日向君は科学の子。
おかしいな、どこかで会ったような・・・・こんな美人なら忘れるはずもないのに。
こんなモンモンがあるなら、そりゃ間違いようがない。あと彫りサクサク?
日向マコトの耳の奥で「どろろんエンマくん」のエンディングテーマが流れた・・・。
 
 
「買いに来たのは、あなたですか?」
まるで祈るように両手を握り合わせている。目がすこし潤んでいる。
 
「ぼ、僕にいっているのかい?」
いちおう、確認する。人違いだったら哀しい。正解だったらもっと悲しいけれど。
 
「そう、あなたに」
女性は近づいてきた。不思議な匂いがする。香水などではない、もっと落ち着く包み込むような遠く迷い込んだ街でもやはり、ここにも同じ人が住んでいるのだな、と安心させるようなあの匂いだ。彼女が動いたことで、その空気が自分の胸に届いた、そんなはずも。警戒すべき人物だ。理性と頭はそう判断し、距離をとるように警告する。
けれど日向マコトの足は動かない。身体はその必要なし、と知っているかのように。
敵ではない、敵意はない、敵であるはずがない、敵意をもつはずもない・・・・
使徒戦闘、任務の最も重要な中枢部分が麻痺するような感覚・・・・自分には許されない・・・・その柔らかさ、心地よさを受け容れることは何かの放棄だと悟った。
女性は、すこし棘がささったような、悲しそうな顔をした。
 
 
「・・・・で、でもね、君。ぼくは違うと思うよ。そんな話はした覚えはないし・・・待ち合わせのようだけど、他の人間だよ」
 
「あなた、じゃないんですか。・・・・はあ・・・どうもこれで本日763人目のはずれです」
女性はがっくりしたようだ。奇妙なことに手は祈りの形に握り合わせたまま。
まあ、どうがっくりしようとその人の自由なのだが。
 
「どうにも無責任ですね・・・・・わたしに売ってくれ、と頼んで無理矢理代金を渡してきたくせに、こっちが断ろうとやってきたら、姿も現さない・・・・・」
 
もしや、怪しげな薬の取引か・・・・・日向マコトの顔が引き締まる。
美人だからといって、ケミケミなお方でないとは限らない。
 
「何を・・・・売ってくれ、と言ってきたんだい?その人は」
ネルフは警察ではないが、ここであったも他生の縁というか、百年目。中高生の若者が薬牙に囚われる前にどうにかしておく必要もある。これは男の義務だ。
 
 
「この、都市(まち)をです。まるごと」
 
 
「・・・・・・・・・」
 
 
ああ、宗教か。日向マコトもがっかりした。そんな手合いを即座に見抜けなかった自分に。
一瞬でも、気圧されてしまった自分に。葛城さんのようにはなれないか・・・
 
日向マコトの足が動く。背を向けて歩き出す。美人であるが、もはや会うこともなかろう。
電波さん、さよなら。さよおーなら、電波さん。また会う日は、ない。
 
「探すのも大変ですし・・・・ねえ、あなた。ひゅうが・・・日向マコトさん」
 
足が止まる。なぜ、名前を?振り向き、相手を目で捉えるのは危険を感じたから。
 
 
「この都市を売ってしまって、いいですか?」
祈るように握り合わせていた手をほどいた。その掌には・・・・・一枚の金貨が。
”埋め込まれて”いた。
 
 
「だって、とれないんですもの・・・・・・手が金気くさくなってしまって困ります」
 
例の、「金貨」だ。200近い使徒大戦の終結の証に都市住民全てに配られた使徒の金。
だが、それは購買に使えるように、離れぬように手に埋め込まれてたりはしない。
 
 
日向マコトは直感した。この女性の金貨は「特別」なのだと。
 
 
その証拠に金貨の数字を彫り込む箇所に「第三新東京市・代金」とある。
この箇所には数字以外のものを掘り刻むことが厳禁とされている。危険を察知する予知する能力に乏しいか、遺伝子に刻まれた民族的前世記憶の警告を無視したのか、そこに数字以外のものを刻んだ愚か者戯け者が何人かいたのである。人のサガというか、安易に人の心を買おうとしたケースが多かったが、その者たちには天罰というか強烈無比な呪いがてきめんに降りかかった。おぞましい姿に変わり果て、今、その者たちはあまり望みのない治療を受けるため京都・六分儀本陣に極秘裏に捕獲され強制連行されている。
作戦部の彼が詳しいことを知っているわけではないが、加持リョウジ経由でそれとない情報として耳にしてはいたし、映像も。金の魔力・・・使徒の能力か。金数の本質を侵そうとしたものは報復としてその身体を変質させられたわけだった。やるだけやって金貨は嘲笑うように煙のごとく消えてしまうという。
 
 
「なぜ・・・・あなたに・・?」
 
「だって、箱根からこのあたりはすべて”わたしの持ち物”ですもの。昔から」
女性はケレン味のかけらもなく、まっとうな調子、ごく自然にそう述べた。
だから、相手は売ってくれ、とお金を払った。無理矢理に一方的に。そうでしょう?
”都市の持ち主”・・・・・まさかそんなものが存在するとは・・・・
もしや、使徒が退却後に金貨を見境なくばらまいたのは、この都市のどこかに「必ずいる」持ち主に届けるためではなかったのか。・・・・くそう、なんたる悪徳商法攻撃!!
 
 
えらいことになった・・・・・・
 
 
それは「お賽銭」などというレベルではない。都市がまるごと買えてしまう単位の超大金の話。そして、持ち主は「断るのにも疲れたからこのまま売ってしまおうか」などと悪徳地上げ屋に苦しめられて弱気になったビルの谷間にある小さな小間物屋の老夫婦主人のようなことを言う。おまわりさんや弁護士などでは対応できないレベルだ。
 
 
もしここで自分が・・・・
 
「どうぞ、売っちゃってください」などと答えたなら・・・・・
 
まだ中間地点で宙ぶらりになっている売買契約は本決まりになってしまい、都市は金貨一枚で買おうとした「何者」かの手に渡ってしまう。何者か、というのは・・・・
「使徒」しか考えられまい。冗談、もしくは夢のような話だが、万が一、億分の一でも、これが真実の話であったら・・・・200近くの使徒が降臨したこの都市でもはや何が起ころうと不思議ではない。
 
で、この都市が使徒の所有になったらどうなってしまうのか・・・・・
考えられない、というより考えたくない。武力に破れて占領されるのもいやだが、ドナドナじゃあるまいし、売られてしまうのも・・・・かわいそうな瞳でみているよ。
 
 
「と、とりあえず、き、今日はお疲れでしょう!よろしかったうちにきて御神酒でもいかがですか?ごいっしょにカニクリームコロッケなどはどうでしょう?ただいまならセットでお安くなっておりますが」
ハンバーガー屋の店員のようなことを咄嗟に言ってしまう日向マコト。
御神酒とコロッケの取り合わせの異様はともかく。まずは時間を稼がねば。
こんなバカな話・・・・こんなバカな話・・・・こんなイヤン・バカン・アハン・ウフーンな話・・・っっ!!自分の他に誰が信じるっていうんだ?ビールは御神酒になるかな?
な、なんとかせねば・・・・・繰り返すが、彼は帰宅途中で疲れ切っていた。
できれば、めんどーなトラブルなどに巻き込まれたくはなかったのに。
しかも、このシュチュエーションはまるで・・・・漫画だ・・・・しかも青少年系。
なんだかなア・・・
 
 

 
 
「で、居着かれた、と?その都市の持ち主に?つまりは人外の娘・・・・ってやつね」
なにか、かわいそうなものを見るような目で葛城ミサト。ため息をつく。
ああ、こんなことなら冬月副司令のあの話が実現していればよかったのに。
しかし、そういうことなら説明が付く。いくら諜報部が洗ってもその同居人の素性が不明、という点は。この都市に住んでいる身で”持ち主”に逆らえるはずもない。
 
 
「一つ屋根の下、ってか。で、これからどうすんの?オバQじゃあるまいし、一人で炊飯器まるごと食べるらしいじゃないの、その娘。申請すれば扶養手当がでるかもよ」
その前に、赤木リツコ博士の実験室に送られることになるだろうが・・・・・・
諜報部に送られるよりはまし、だろうか。ここで、葛城ミサトは上司として定番のセリフを省いた。「なぜ、わたしに一言相談しなかったの」・・・されても困る相談というのもある。マカロニ報・連・相である。賢い上司と部下はそんなことはわかっているのだ。
 
「いえ、食料はべつに困らないんです。朝起きると、ドアの前にどこからともなく米俵が一俵、置かれていて・・・味噌や野菜なんかも・・・・郷土料理ばかりですけど、ちゃんと作ってくれたんです・・・彼女・・・・」
 
「笠こ地蔵みたいな話ね。で、名前は?彼女の・・・・」
 
「マチ・・・さんです。そう呼ばしてもらいました。まちのもちぬし・・・そのままです。本名は・・畏れ多いんで」日向マコトはかるく笑って見せた。
 
「まいっちんぐ・・・戦勝祈願に行ったこともないからそういう”方面”、詳しくないんだけど・・・・やっぱり箱根神社・・・”方面”からいらしたのかね・・・
あー、そいから聞き違えかもしんないけど、作ってくれた、って過去形になっているのは?」
 
「今朝、出ていったからです。正確には、昨夜、金貨を外す方法を思いつきまして、それがうまくいったものですから。もといた場所へ帰りました」
日向マコトは手袋をはめた手で証拠物件を提出した。葛城ミサトもそれをおっかなびっくり受け取った。金額欄のところに「第三新東京市・代金」と彫られた罰当たりの金貨を。
もはや使徒の魔力は失せ、ただの金ころに萎み変わり果てている。
 
これで彼、日向マコトは使徒の経済攻撃から誰も知らぬ間に都市の住民を救ったことになる。なんの派手さもなく。誰も傷つくことなく。有り難がられることもなく。
 
「どうやったの・・・・・・・・あ・・・・もしかして・・・日向君、あなた・・・まさか・・・・自分のを・・・」
 
「惜しくはない、と思いますよ」
その金貨を買い取った。自分の金貨で。金の魔力の相殺。それは、使用法さえ間違わなければ、この先の人生で必ず役に立ち、支えになる貴重なもの。一生ものの”武器”。だからほとんどの人間は使わないでいざ、というときにとっておく。葛城ミサトとてそうだ。これは楽園のお金。そんなに、軽々しく使えるものじゃあない。
 
 
「ふーん、・・・・・寝ちゃった?」
もはや上司云々、ネルフうんぬん、の領域ではない。日向君は唯一人、たった一人で難問に立ち向かい、それを真正面から撃破した。これは知られることのない影の活躍。
その顔が晴れやかでつやつやしているので、つい聞いてしまった。まるで友人のように。
興味本位といえば興味本位で誤魔化されたらこの話はそれで終わり。
 
「起きてみると、ベッドの上は桜の枝・・・桜の花でいっぱいになってました」
 
「その頬の傷は、枝でひっかいた、と」どうでもいいつっこみだ。桜の花を証拠品にみせてみろ、などというのは野暮天の極み。地に伏すがいい。
 
「うん、日向君。分かったわ。あとはわたしが関係省庁に話を通しておくから。
忙しいトコ呼び出して悪かったわね。どうもご苦労様」
 
 
ここでまたしても葛城ミサトは定番のセリフを省く。「立場を考えて行動しなさい」
つくづく自分は私生活に意見する、なんてことに向いてない上司だ。己を知っている。
部下のことも知っている。直接、その口から聞いて見れば分かる。
今後も共に戦うに値するかどうか。・・・・その力を、広がりを増していることを。
その奇妙な体験は日向君の男をあげさせた。それでいいじゃないの。
長い人生、怪しい体験の一つや二つ。三十も五十もあってそれが組織内通裏切りへの道をダッシュすることになっても困るが・・・・まあ、そういうこともある。
 
 
 
「ああ、雨が降ってきましたね・・・・」ふいに日向マコトがそんなことを言い出した。
 
 
ここは地下であり、部長室には悪の総統の玉座のように偵察員が報告する地上の様子をモニターする水晶玉のようなものはない。
 
「たまには、シンジ君たちを迎えにいってあげるというのはどうでしょう?」
確かに一番面倒なこの仕事さえ終われば今日はもう帰る気ではいたけど・・・・ちょっちねえ・・・・タイミングが・・・・
 
現状のレイとシンジ君にはちょっと手出しを迷う。そのふたりの関係は微妙。
 
かすかであるけれど、香のある、というか。わずかな磁力というか・・・・味というか
二人そばにならべておけば、安定感があるのだ。妙な話だが、不安が消える。
 
碇ユイのイメージ。それがある。それが、生まれる。
 
二人でユイさん一人前、というか、ユイさんの子供シンジ君には面影があるけれど、男である。それに、レイが女性の雰囲気を注ぎ足している・・・化学(ばけがく)式。
そろそろ葛城ミサトも気づいている。碇シンジの手足を突き刺す残酷な釘に。
彼は、身動きがとれないはずだ。釘に打ち止められて動け、なくなる。
 
手には白銀の、渚カヲルの面影釘。
 
そして、足には真っ赤な夕焼けの色の、碇ユイさんの面影釘。
 
人は、彼に、その二人の、あの二人の面影を彼に重ねる。期待する、求める。
なぜなら、二人はもういないのだから。
だれかが、黙って代わりを務めなければ、ならない。優れた人の残酷さ。深い穴を穿つ。
人の心に。だから、埋めなければならない。代わりをつとめなければならない。
もとより、力不足の負け戦。だって、彼は彼らではないのだから。
これは特殊なケースであり、特殊な責務だと思う。誰しも経験するケースではない。
かわいそうに、ばかのようにやさしい、彼がその番にあたってしまった。
まだ茨の冠はかぶっていないけれど、彼はまだ十四才の子供なのだ・・・
 
人は十四の子供にそんなバカなことを期待するわけはない、と言うだろう。でも内心は。
悪いけれど、本当に悪いのだけど、自分でもおそらく、それをする。彼に期待する。
白銀の釘を打たれて、彼は痛い、とは言わなかった。今度もわずかに俯くだけで言わないだろう。あの二人と別れて、誰より辛い当の本人が。そんなことをつらつら考えていくと、本当に手も足も口もでなくなるのだ。期待と信用はどう違うのだろうか。
人に去られる猛烈なつらさ。誰しも覚えがあるが、そこに間髪間隙なく打ち込まれる釘。
耐えてもらうしかないが、泣きわめきのたうちまわる姿を他人にみせない権利くらいは当然保証されるべきだろう。誰にだって、子供にだってプライドや誇りはある。
「耐えろ」とここで言う権利をもつのは父親である碇ゲンドウだけ。何も言わないが。
親子だけに、その誇りの形がみえるのかもしれない。
彼は、渚カヲルが去った後、そのことで泣き言をいわなかった。ネルフ本部内で大小のフィフスを呼ぶ声が百万回も繰り返されても彼自身は言わなかった。自覚があったのだろう。
ある意味、アスカよりも堅固で堅牢な巌のような自覚が。怖いほど奥に秘められていた。
結局のところ、エヴァ四号機、渚カヲル不在のままで彼は守りきり、生き抜いた。
化け物のような初号機の強さはそのつけたしの理由にもならない。普通の人間ならば、その強さに溺れきっているはずだ。エヴァと同化しきってしまい。彼は、とくべつだ。
兵器、としてあるならば、それが理想のはずなのだ。人の形をしているのはまやかし。
化け物とともに戦いながら、人間のまま、化け物にならない、というのは。
 
だから、彼を見ていたい。それは、趨勢。
 
綾波レイ。彼女は・・・彼におそらく、なんの期待もしてない。赤い瞳を見れば分かる。
ただ、信用がある。透徹な、信用が。それが月の光のように碇シンジにかけられる時、なにかが結びうまれる。人の影。碇ユイのおもかげが。
作戦部長がこんな内心を吐露すれば、なんて惰弱なのだ、と人は笑うだろう。去る者を追う愚かさを咎めさえするかもしれない。野散須の親父になにかのついでにぽろっと話してみると笑われも咎めもされなかったので、それでいいと思っている。
もしかして、レイにはそれは、人間的な財産になるかもしれない・・・・
 
 
と、いうわけで三味線じゃかじゃか弾きまくり、「帰ってこいよ」とはなかなか・・・・
こんな最近のザマを赤木リツコ博士(まぶだち)はこの上なく楽しげなまなざしでみてくださる。ちきしょ。
 
日向君ごときに、背中を押されると言うのも・・・・今さっきまで、私生活について意見したろうと思っていた部下なのだから・・・うーむ・・・・
 
「会えて、いいたいことがいえるなら、言うべきです。人間は・・・それくらいなら、人間にも許されてますよ・・・たぶん。会えるんですから・・・人間同士は」
 
「そ、そうね・・・・そうかも・・・日向君、一皮むけて説得力アップしたわね・・・
得体の知れない広域感知力といい」手元の端末をちょいとつついてみると、確かに地上では雨が降っている。このあたり一帯の持ち主・超特大地主(そういうことにしておこう・・・・ここは一応、科学の砦だし)と”知り合った”、というならそのくらいのことはあるかもしれない。戦術オペレータとしては有利なスキルだし。
 
「・・・・って、でもまだシンジ君たち下校時間じゃないでしょ・・・まだ午後の授業の中頃じゃないの」
 
「いやー、僕もカラスが話しているのを聞いただけですから。背格好、様子がどんぴしゃな中学生の一団がエスケープしてずぶ濡れになってるのをカアカアわらってます・・・・・その目はなんですか・・・・なんというか、そういう体質になってしまったんです。
木にとまっている動物や鳥の声が聞こえるんですよ。たまにですが・・・・まあ、ドリトル先生の助手くらいはなれますかね」
 
「日向君、今日はもう帰っていいから。これ命令。家に直行してぐっすり眠って休んで・・・・ごめんなさい、あなたの心の奥深いところをグッサリ傷つけたみたいで」
 
「え・・?いや、あの葛城三佐?」
 
「ゆっくり夢の中で少年の心にもどって。で、起きたら元の日向君に戻ってね。お願い」
 
「いや、あのその、ほんとのほんとなんですよ!!本当に分かるんです!!」
 
「じゃあ、今度ペンペンでテストしてみるけどいいわねえっ?!」
 
「ペンギンは木に登らないからダメです!!・・・あっ!ど、どこへ行かれるんですか。
そんな悪い女に騙されきった洗脳男を見るような哀れみの目で見て!」
 
「べっつに。シンジ君たちを迎えにいくだけよ。もちろんじゃないの」
うーむ、部下の私生活に意見するのは非常にむつかしい・・・。
 
けど、シンジ君は迎えに行こう。下校時間になったら。雨が降ってるから車・・・・なんとなく無理しなくてよさそうな状況設定ではあるわね・・・・葛城ミサトは追いすがる神様入った部下・日向マコトを「テリオス」で七段階スライド方式でノックアウトした。
これで目を覚ましてくれればいいけど・・・・・しばらく、ラウンジでコーヒーでものんどこ。
 
 
 
だが・・・・・
 
実際に日向マコトの言うことは当たっており、本日の午後の授業、なかなか帰ってこない碇シンジにシビレを斬らせて神経と血管もぶちっと断ってしまった(最近の食事にカルシウムが足りない、という説もある)惣流アスカが直接対決を申し込んだのである。
どこか適当なカラオケボックスでマイクパフォーマンスでもかましちゃろうと。
そのため、サボりのエスケープ。
 
「これは見物・・いや、血を見るね・・・そのためボクたちもついていった方がいい!」
という相田ケンスケにより、なんだかんだと肝心要の惣流アスカと碇シンジ以外の面子がぞろぞろついてくることになった。つまりは心配だしさぼれるし。
相田ケンスケ、鈴原トウジ、洞木ヒカリ、山岸マユミ、そして、綾波レイ。それからまだまだ霧島マナ。とうとうこっちに転校してきてしまったのである。転校早々サボりに荷担とはとても学者の娘とは思えないが、完全にこの地球防衛な面子に馴染んでいたし、アグレッシヴに先頭誘導さえした。もちろん、碇シンジの味方であるのはいうまでもない。
 
 
だが、勉強が本分の学生がさぼりなどしたせいか、大雨が降ってきた。
 
 
 
「まいったな・・・・あ、みんなの分の傘でも買おうか」と、碇シンジがびしょびしょになった一同に向かって懐から「例の金貨」を取りだして、皆に必死に止められたという・・・・それは正しいお金の使い方、ではあるのだが。
 
賠償金をとりたててきた当の本人がそんな・・・5ガンプラ(一ガンプラは約三百円)程度の値打ちしか認めてないとすると、一体なんなんだ、ということになる。今この瞬間に値打ちが多いに下がってしまったのではなかろうか。・・・卵三パック分くらいとか。
 
見上げる雨の空は、かの月曜日のような暗黒。しばらく止みそうにない。
 
「じゃあ、何につかえばいいの?」碇シンジのその問いに必死こいて止める友人たちはなんとかこやつに納得させようと知力の限りを振り絞った説得を開始する・・・・このまま放置しておけば、ほんとうに一ガンプラ(約三百円・だいたいガンダムのプラモデルが一個買える値段)くらいの使い方しかしそうにない・・・。
 
 
空の色などまるで関係なく、子供らは元気で騒がしい。カラスも呆れてカア、と鳴く。