「なぜ、裏切ったのです・・・・・」
問う銀橋。すでに諦観。今まで数々の霊物にあの世の橋を渡らせてきた彼である。
いつかこんな日がくるであろうことも覚悟していた。畳の上、銀橋旅館の中では死ねまいと。一人、橋を渡る日がくるだろうことを。
目の前に、リャノーン・シー。白いケット・シーに腰掛けている。両脇に脳髄を剥き出しにした鎧騎士(ヘッドナイト)、ラナウン・シーを従えて。
S地区・夜魔の森の双頭目が一人。
森の色の髪をした絶世の美女にして、最強クラスの吸血鬼。理知的にして温厚、わりあいに人間には好意的で、ある事件を契機に銀橋と信義ある交渉があった。
だが、今現在その冷たい腕の中には意識を失ったユトがある。首筋にXの傷跡。血を吸われない代わりの術封印〔オルラ〕だ。これで「誘拐」は使用不可になった。S地区の頭目である彼女がこんなところまで来た理由も不明で、完全に隙をつかれたこともあるが、そもそもの実力が違うのだ。相手は何百年を生きてきた「本物」なのだから。それは伝説の緒源なり。
まことに生命の保証がないが、ここにくればホラー映画は作り放題。
「うぬぬ・・・・・」「ウギギギ・・・・」「ねえさん・・・・ゆと・・・」「・・・・」
ツムリも、虎兵太も、タキローも、チンもピラも動けない。狡猾な、またはあまりそうでない吸血鬼にとっても得意領域の金縛り。素人ゆえにあっさりとはまった。こうなってしまうと緊急脱出用というチンの存在価値というのはまるきりゼロであったということが証明されてしまう。だが、動けないものは動けないのだからしょうがない。睨まれると金縛りになるなんてまるで映画みたい、とここでボケのひとつもかましてくれそうなユトは意識すらない。非常にやばい。ここで終わりぽい。
銀橋は心の中で念仏を唱える。すでに十歳の時に葬式を済ました身であるけれど。
周囲はすでに取り込まれており、突破は不可能。面倒なことに、有力者の気配を感じ自分たちの優勢を確信したのか、元来のH地区の病院系怪物連中もぞろぞろと再集結しつつある。ここを中心に集会のようになってきた。血の集会(メドヴェキア)だ。その数たるや・・・・
たとえ自分一人でも。それに・・・
リャノーン・シーの目を見れば分かる。生かして帰す目ではない。つき合い方に間違いがあったとは思えないが、どうもあの瞳の奥にチロチロと炎のように燃える輝きは憎悪か嫌悪か。それが温血者に対する冷血の吸血鬼の本来の色だと分かってはいるが、銀橋には疑念があり、問わずにいられない。自分が殺される理由を。おそらく、リャノーン・シーは「自分を狙って」ここまでやって来て、このキャンプを襲ったのだ。彼女ほど高級な者はわざわざ領地を離れて血狩りなどしない。する必要もない。これは怨恨だ。
今、彼女の腕の中にいるユトはまったくのとばっちりということだ。
そのためにも、理由は聞いておきたかった。裏切り、または変心の理由を。
その価値のない相手を信義の対象にしたとは自分でも今でも思ってない銀橋。
夜魔の森の頭目は信用できる相手だった。霊物相手に幾多の生命の駆け引きを越えてきた自分の目だ。それがその値をつけた。信義に値する相手だと。それが・・・・
「わからない・・・・」
予想せぬことに、問いは瞳の奥の炎を揺らせた。
「わからない・・・・とは?」
リャノーン・シーは年を経てきても理知的であり、問いかけには常に明確な返答が返ってきた。人間のような迷いなどせぬ。それが・・・・。わからない、で裏切られても困る。
「ただ、あの光を見たら、そなたが信義に値せぬように思えてきた・・・・」
「あの光?」
リャノーン・シーがすうっと、指先で霧向こうにほのかに見える「闇色の光」を差す。
「そなたを待ち助力するでなく、ここから殺しにいかねばと・・・・そんな気にさせる・・・・」
邪悪
左目と右目にそれぞれ太字のゴシック体に黒山羊の角を生えさせて暴走突入してきたような感覚。そうとしかいいようがない。それほどまでに、あの光が感じさせるのは「邪悪」極まるものだった。あれに比べればこの霧でさえ生まれたての赤子を祝福し優しくつつむ柔らかな毛布のようなもの。・・・・うわっ、一瞬見ただけなのに、猛烈に死にたくなってきた。完全なる絶望と暗黒と邪悪に精神が閉ざされて、世界にはそれしかなくなったような妄想が脳を支配しようとする。闇あるところに光なし。光砕かれ闇現れる。猛悪にして激悪。それは人と和する吸血鬼を本来の闇に染めるに十分な暗さ。世界には悪人しかおらず、それらが全て自分を敵視し集団で襲いかかってくるような焦燥感と不安感にとらわれる。悪人は悪だから必要数以上に団結したりせぬ、いいところ党を結成するくらいで悪村や悪町は出来ることはない、のだが、そんなことをおかまいなく、こころがそれを受け容れる。生きていてもなんにもいいことはない、どころか早く、一刻も早く死ぬことこそが至上課題であるような気さえする。いやそうだ。そうなのだとにかく死なねば。
「いえ、その必要はありません・・・・・・私が自分で死にます・・・・それしかないのです。いえ、そうして当然のこと。天地自明の理なのです・・・・・」
幾多の霊物の誘惑詐術に耐え抜いてきた銀橋にして、あの闇色の光には一瞬で陥落した。
それは、それほどまでに強力な・・・・・ものごとを逆転させる。
銀橋は己の刀で己の首にあてた。
「銀橋さん!?」
金縛りのおかげで、闇光を見なくてすんだタキローたちはいきなりの銀橋の反転に目の玉を剥いて驚いた。吸血鬼に操られているんだろうか・・・とにかく、ピンチである。
このままだと銀橋の首がぼとっと、落ちてしまう、ぼとっとスプラッタに。
だが、その場から動けないので銀橋を止めようもない。ただ、声の限りに叫んでなんとか銀橋の目を覚まさそうとするのみ。小心なチンなどパニくってしまい、なぜか「おれはジャイアン」の歌を歌い出す始末。「やめてぇやめてぇ」と気の狂ったような全員山本リンダ状態。だが本人たちは真剣にして大まじめだ。なにせ銀橋の命がかかっている。必死だ。
「それもよかろう・・・・・だが、なんだ、この頭に霞がかかったような・・・」
リャノーン・シーは美しい顔をしかめつつも、銀橋を止めてくれない。殺すより死ねばいいのだろうか。吸血鬼にしてはあっさりしている。と、この緊急時にそんなことはどうでもよいことだが。銀橋の刀の切れ味はここにくるまで飽きるほど見せてもらった。
あと、ちょっとでも刀に力がこもれば・・・・・すとーん!と・・・・いく・・・・
「ひいっ!・・・・・・・・」いってしまうかと、喉がひきつって叫びが止まったその時。
「あれ・・・・人の声が・・・・なにか、聞き覚えない?綾波さん」
「・・・・・ええ・・・・・・・あれは・・・・碇君!」
「こんなところによくもまあ・・・ねえ、シグノ」
「だなべし・・・・・分かっているべし」
霧の向こうから子供の声がした。または言うその言葉こそ、聞き覚えがあった。
銀橋の刀が停止したのは、その言葉の主こそ、「力」の発動者だったから。
六分儀シンジ、こと、碇シンジ。そして・・・・・
綾波党正当後継者、綾波レイ・・・・・・・・・・
ゆきみる墓場最奥部に住む未来視ノノカン・・・・
墓場最奥部全域を統括支配する大怪人綾波シグノ。
そして、天の道理に逆らう力で灯された光・・・・すべてを逆さまにする闇の光
破れ提灯の口から踊り吐かれるそれが、墓場のすべてを狂わせる。
信義ある関係を、不信と憎悪の裏切りに。生き抜こうとする生命力を速攻の自滅自爆に追い込み。ついでいうなら、聞き覚えのある人の声のした血の集会の中心部に向けられた天逆光に照らされた霊物たちが、なんと・・・・・
「早く・・健康になりたい!!」
とばかりにフンが!ムンガ!とその場で元気良く腕立て伏せを始めたではないか。足のある奴はエアロビクスのエクササイズを始めたりもしている。白すぎる犬歯を見せる笑顔がかなり不気味だ・・・・。このH地区の霊物たちは極めて性質が悪く、健康どころか成仏する気など微塵もないような、生ある者に祟ることを楽しみの生き甲斐、いやさ死に甲斐にしているような悪あがき呪い怨霊たちばかりだというのに。
「なんだかこちらの方が怖ろしいな・・・・」虎兵太が呟いた。ここまで来て霊物を恐れる感覚などとっくに麻痺してしまったが、この光景には怖気が来た。常識が破壊されることが。一体、どうやれば死人どもにこんなことをさせられるのか。神か悪魔か菩薩か魔神か・・・
その光はこちらに近づいてくる・・・・・その近づき方はぷらぷらと無造作極まり、注意力のかけらもなかった。その力の振るいように自覚が足りないと言わざるをえない。
と、いうわけで。
「う、死なねば今スグに・・・」
虎兵太、ツムリ、タキロー、チン、ピラ、が一気に強制切腹自滅精神状態に追いやられた。
「シンジくん、提灯の口を閉じた方がいいよ。このままだと、あの人たち自殺しちゃうよ」
未来視のノノカンにはそのヴィジョンが見えたのだろう。
「え、なんで?」
「・・・・・・」碇シンジが納得するのを待っていたら彼らは死んでしまう。
綾波レイが闇光を発する源、提灯の口を黙って閉じた。
「あ、みなさん・・・?」
要救助者・発見にして、これが再会。
「あ・・・・・生きてた」
碇シンジがその左腕で灯した提灯の光は天逆の力がこめられている。
それで照らしつつ、全ての状況を反対逆さまにしながら墓場を進んできたのだった。
危険は一切なかった。
なにせ、シグノと一緒だ。今は綾波レイの疲れを考慮してノノカンが交代して一方を持っているが、ここまでシグノを碇シンジと綾波レイとで担架で運んできたのだ。
「これで四つ足」などと碇シンジはほざいたので、シグノもノノカンも呆れるほかない。
確かに四つ足だが、それでは子供向けの謎々だ。碇シンジにしてみれば、こうすれば危険な墓場行に強い人を同行させることができて、安全でいいし、人にはさまざまな好みがあるとはいえ、いくらなんでもこんな墓場で暮らすこともないんじゃないの、と思ってこれを口実に一緒に街へ出さそうと思ったのだ。北海道系ドラマの見すぎかもしれないし、または中坊らしい小賢しさの極みであろう。
だけれど、碇シンジには綾波レイを安全に送り届ける義務があった。それを自らに任じていた。それを考えると、おそらくベストな選択であっただろう。
それを可能にしたのが、ひとえに左腕に込められた新技能「天逆能力」のおかげだった。
それを隠してしまうと、霊物たちは元に戻って健康になりたくなるのをやめて、再びこちらを祟って呪って襲いかかってきそうなものだが、そこはそれ、綾波シグノがいるし、元々友好的だったリャノーン・シーが正気に戻ってくれたので、そこはすぐに危険度ゼロの絶対安全圏と化した。シグノの姿を見るだけでさっさと蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。
で、今度はシグノが綾波の者を食べてしまうのではないかということになるが。
それは、赤い瞳のノノカンと同居していたことが一つの答になる。ただ、それを表には出さずに、天逆の力のせいで、その憎しみがそっけない友好に変わっている演技をした。
綾波シグノは人外に成り果ててしまったが、男でござる。
そこから先はトントン拍子で最奥部を抜けられた。統括支配者がいるのだから当然か。
戦場の五十メートルを歩くのと、買い物がえりの五十メートルをいくのは違う。
ユトたちは距離感の不思議というのをつくづくしみじみ味わいながら帰路につく。
なんとか任務完了だ。
もちろん、その途中、二人に、特に、碇シンジには「言いたいこと」「言ってやりたいこと」が五万と山のようにギリギリと歯がみするほどにあったが、二人はシグノの担架を運んでいるので下手なことは言えない。爆弾が爆弾を運んでいるようなモノで、そばにいる綾波レイに危険が及ぶ。
「別におれたち、来なくても良かったんじゃないっすかねえ・・・・」
ピラの呟きは全店共通どこでもお使いいただけます。
「そんなことないですよ」と、リャノーン・シーにオルラを解いてもらったユトが笑う。「ゆきみる墓場最奥部からの後継者の救出、生還を果たしたんですから、お二人には”キャリアの金箔”がつきますよ。もうただのチンピラじゃないですよ」
「そ、そうか・・・・いや待てよ?もうってことは今まではチンピラだったわけか・・・しかもただの・・・・てめえユト!!」なぜかこの期に及んでユトには怒れるチンである。「そうです。まさにゴールドチンピラ。もしかしたら、CDも出せるかも〜”夢見るチンピラじゃいられない”とか」
「なぜCD・・・・」ツムリとタキローが同時につっこむ。
「ねえ、虎兵太さん、帰ったらこの二人表彰してあげてくださいよ。そして、名誉の称号とか・・・そうですねえ、”ザ・グレート・チン”に”エンペラー・ピラ”、とかどうでしょう」
「えっ?そ、それはどうでしょうか・・・・・一応、上の者に伺いだけは立てておきます」真面目な虎兵太は流すということができない。もしかすると実現させてしまうかもしれぬ。戦闘力としては頭数にもならなかったが、弱い者が逃げもせずに勇気を振り絞ってここまで付いてきたことは確かに評価に値する。プロレスラーのリングネームのようなあだ名がつけられることがその代償になるのかは分からないが。
「じゃ、じゃあ、X印なんてつけられたてめえは”ユト・エクストリーム”だな」
「あはは。これも名誉の負傷ですよ。お二人が生きてたんですから」
「ユト姉さん・・、そんな傷、六分儀の薬ならすぐに消えるから・・・・」
「ありがとう、タキローちゃん」ユトが笑った次に、続いた声がある。
「ありがとう・・・ございます」
うつむき加減の綾波レイ。どんな顔をしていいか、わからずに、そんな己をまた恥じているような冬に咲いてくれた櫻のような風情・・・・・・
じわじわぁ・・・・と、それだけでここまでの苦労が報われる、としみじみ感動を味わっているツムリと虎兵太、銀橋でさえも。だがしかし。災厄はここでも。
「救難ヘリコプターとか、しんこうべにはないんですか?」
別に責めているわけでも、雪山遭難捜索よろしく歩いてやってきたことに有り難みを感じてないわけではないのだ。ただ、使徒戦闘の激しい第三新東京市ではそれが当然のことだったし、そうしてもらえれば早くみつかって綾波さんも不安が少なかったろうに、と思う碇シンジにはいつものとおりに悪気はないのだが、人間には第一印象というものがあり、それがあとあとまでも尾を引きその者の言動評価に影響する・・・ことがある。第一、こいつが後継者を連れて逃げたりしなければこんなことにはならなかったのだ・・・・という腹が綾波側、さらにはユトたちにさえある。 横向いて口笛吹くチンをのぞいて。
カチン!、ときてムカッ!!ときて、腸がグツグツモツモツ煮えた・・・。
とかく人間、「いい場面」を邪魔されると頭にくるものである。しかも相手は張本人。
特に銀橋など、あやういとこで自分で自分の首を切り落とすところだったのだ。
いわれてみれば、そんな方法もあるかな・・・・という表情をこれまた第三新東京市使徒戦闘暮らしの長い綾波レイがしかけたのは、彼らにとっては悲劇の序曲が大音響で始まったような気分だっただろう。ツムリの槍握る手にグググと力がこめられた。
「あることはあるけど、上空を飛ばれるのを嫌がるの。ここの住人は。シグノもね」
ノノカンが説明した。「飛んだが最後、すぐさま撃墜されるわ。綾波党の飛行部隊もここには決して近づかないもの。飛行するものに襲われたら最後だものね」
「へえ・・・・」その物騒な説明に碇シンジは納得した。さすがに武装要塞都市の少年。「じゃあ、みなさん、お化けだらけの中を苦労して探しにきてくださったんですね。
ありがとうございました」
シグノの担架を運ぶ手はそのままだから、ぺこりとお辞儀する碇シンジ。
・・・・・腹腸鍋が焦げるまえに火を止める効果くらいはあった。
よく分からないが、確かに綾波レイをこの墓場の中で守り・・・守られたのかも知れないが、シグノとの関係を見ると、多少は守ることがあったのではないか・・・・
それで勘弁してやろう・・・
「ふふ。わたしの目に狂いはないですよ。らぶ度230円増アップですね・・・ところで」
「はい」ユトはノノカンを振り返り。
「事前に話を聞いていた伝説の人、シグノさんはいいとして、なにげに同行されている貴女は一体・・・・・」
「わたしは綾波ノノカン。姓にもこの赤い瞳にも特に意味はないよ。シグノとここで暮らしていたんだけどね、ちょっと外にやることができたんで出てきたってわけ」
「出稼ぎですか・・・買い出しですか」
「まあ、その両方だよ」
「出口付近でいきなり敵対とかしませんよね?そうなるといまのうちに体力を再計算しとかないといけませんから」
銀橋が、ここらで言っておきましょうか、ということをユトが代弁した。兜の緒を締めることを。まったくもって隙がない。緊張と弛緩の操作は見事としか。こういうことは他人に全く心を開かない人間にしか不可能な芸当だ。職人芸的な客観視力。
「大丈夫、わたしたちは”何事もなく、出口付近までいける”よ。その後のことは保証できないけど・・・・・」ちら、とノノカンは碇シンジの方へ目をやった。
ちら、と何かいいたげに綾波レイも見ている。未来と現在と過去と。そして、何かが決まる。決める時間がそろそろやってくる。寄り道をしてきたけれど。そろそろ。
その時が。くることを。
これから、どうするのか。
あの街に戻るか戻らぬか。
どうにも、決めかねている。あれほど、覚悟を決めてきたというのに。
台無しにされてしまった・・・・ような気がする。彼がやって来てから。
どうすればいいのか。いっそ、未来を視るという彼女に教えてもらいたい。
だが、その彼女にすら、彼の行動思惑は分からないという。だからなのだろうか。
他の人間の心は読めるのに、彼の心だけは読めぬのは。
彼の心を読むことができれば、それを縁(よすが)に過去を振り切り、未来を決める?
そんなことは・・・・・・
「皆さん、おつかれさまでしたー」というユトの声が考え沈んだ迷いを覚ます。
いつの間にか、最奥部ゲートを抜けていた。ここはもう、人の領域。陽の光さす通常の墓場。一般の墓参りの客がそこらに見られる。ここからは電波も邪魔されずに使用可能になるので虎兵太と銀橋が党本部に連絡を入れている。朝に出発して午後三時。けっこう歩いたわけだ。時間の感覚がないので、分からないけれど、墓場に墜落してもう何ヶ月も経たような気もする・・・・「あーもう一歩も動けねえ!!シンジの奴じゃねえけどここまでヘリ寄越してくれ!それで豪華ホテルに直行!それしかねえ!!今日はもう貯金はたいても豪華ホテルに泊まっちゃる!ユト、タキロー、てめえらも面倒みてやるぜ!」大の字になって芝生に寝ころんでダダをこねているのか誇っているのかよく分からない表情のチン。「銀橋さんの旅館じゃなくていいんですか?こういう場合の打ち上げ宴会はやはり・・・灰色さんの料理美味しいですし」「・・・その予約、謹んでお断りします」耳ざとく聞きつけて断言する銀橋。もう二度と関わり合いになりたくない、と顔にかいてある。
後継者・綾波レイの迎えの段取りさえつけばすぐにも解散帰宅したいようだ。
六分儀との契約として、後継者綾波レイの探索が成功した場合の受け渡しはしんこうべ駅ということになっている。そこで六分儀の二人は京都に戻り、追っ手はかけず数々の事件に関しては不問、ということになる。水上警察署の件を始めとして、設備的金銭的人的被害、または面子を考えると、綾波党側に割りのあわない話かもしれないが、それをさしおいても後継者・綾波レイを取り戻すというのが、綾波の総意なのであろう。六分儀がその場で手ぶらで帰る、ということはそれ以上の後継者への手出しを諦める、ということでもある。なんにせよ、とにかく後継者さえ戻れば全てオール・オーケーなのであった。
”六分儀”シンジのことをふくめて。むろん。
さすがに、これ以上騒ぐようであればどうなるか・・・・・・ナダも思案のしどころだ。
碇シンジはどうするのか・・・・・失敗したが、それを学んで再び連れて逃げるか。
今はシグノとノノカンと話をしている。
「このまま、ずっと”足”になってもいいですか」
「くく・・・やられたべし。墓場からは出ぬでし。このまま二人で外にいくべし・・・だが、このすがたをよくおぼえるべし・・・たたかうというのはこういうことだべし。しねぬというのはこういうことだべし・・・・戦う人間は嫌いだべし。
お前たち、食ってやりたかったべし」
「・・・・いつか、魂だけになっちゃったら、ここにきてもいいですか」
「だめだべし。おまえはもうくるなべし・・・・・それではノノカン、達者でやるべし」
「うん、シグノもね。帰ってこれるかどうか分からないけど、アメリカにいくから・・・・・そこに、わたしの場所がある気がする。未来視の座、世界の未来が見える場所が」
「見つかるといいべし」
そして、綾波シグノは最奥部の闇に帰っていった。すでに人の世にすめない身。
それを見送って、ノノカンは「それじゃ、わたしも行くからね・・・・あ、これ」べつに綾波党員でもなんでもなく、後継者騒ぎからフリーの立場であるノノカンはここで別行動となる。ソースの瓶をひとつ取りだして、碇シンジに手渡した。血のように赤紫ソース。
「館で造ってたものだけど、すごく美味しいよ。出会った記念としんこうべのお土産にね」
色がちょっとあれだが、グロテスクなものほど美味いという鉄の掟グルメ法度もある。
礼を云って受け取った。確かに、そのソースは恐ろしく美味く、碇シンジの財産の一つとなった。製法が今ひとつ謎だったが。葛城ミサトや惣流アスカの怒りを回避するのに大いに役立つことだろう。それを見越していたのかも・・・
「それから、帰ったら街には赤い雨が降ってるから、傘を持っていった方がいいよ。じゃ」
「・・・・?」よく分からないが、手をふる碇シンジ。
「でっ?どうしましょうシンジさん」
うわっと、驚くようなタイミングですぐそばにユトの顔と囁きがあった。
「このまま、綾波レイさんとお別れになりますか。それとも・・・・」
このまま虎兵太とツムリと銀橋を片づけて・・・・ますか、という顔をしている。
リャノーン・シーにやられたとはいえ、体力的には一番残存量が多い。ツムリら戦闘綾波は後継者レイの手前、気を張っているが実のところへとへとのヘロヘロで、彼らこそチンのように大の字になって眠りたいところだろう。六分儀ユト。敵にまわすとこれほど怖い相手もいない。銀橋らがしこたま稼いだ経験値で、出発前よりかなり手強くなっている。
もし、ここで碇シンジが父親のゲンドウよろしく「問題ないから・やりたまえゴー」サインなんぞ出した日には血の雨がここでザバザバ降っていたことだろう。
「いや、いいんです。なにもしないでください。僕も、なにもしませんから」
しかし、碇シンジからかえってきたのは意外な言葉。疲れているわけでもない。
なにもしない、という意思の光がある。”なにもしない”にはどうしたらいいか。
碇シンジはそれを実行にうつす。もしかしたら、「すごくいじわる」かもしれないなあ、と思いながら。
「綾波さん、あ、レイの方の・・・つまり、後継者さんの方です・・・話があるんだけど」
綾波レイのそばを離れずがっちりガードのツムリの槍のような視線にさされつつ、左腕を振って呼びかける碇シンジ。ここらじゅう、綾波だらけなのだからむつかしい。
「二人だけで」
この期に及んでこの野郎ッ!!
・・・とユトをのぞくその場全員が飛びかかりそうになったが、ユトがそれを止めた。
「ああ、ここで最後のお別れになるかもしれませんものねえ・・・・どうぞ、いってらっしゃい、二人とも。でも、あまり遠くにはいかないようにね立ち聞きなんかしませんから」
ユトが二人の仲に肩入れして楽しんでいるのは知っているので、説得力がない。
だが、静かなるその迫力。触れば斬られる必殺の気合いすらあった。タキローやチンなどにはたまにみせる、ユトのこの仕事の度を超えた肩入れが不思議でしょうがない。なぜ。
それでもツムリは承伏しかねた。あのガキだけは何をしでかすか、予想もつかない。危険すぎる。守護する女同士の火花散る。だが、それも主たるレイがおさえた。
「心配、ないから」と。
「彼に、話さないと・・・・」それはたぶん、別れ話。ツムリはそう判断した。
そうに決まっている。帰ってきたいから、戻ってきたのだ。レイ様は。
「これでいいかな?」
少し離れた、見晴らしのいい丘の上で。碇シンジは左手で自分の目を隠した。
「たぶん、これでいけると思う」
「・・・・・・・・?」なんのことか、分からない。ロケーションからすると恋人同士の符合っぽいが、そんな関係ではないのだから分かるはずもない。心も読めないのに。
「”効かない”の反対は、”効く”・・・だよね。
”読めない”の反対は、”読める”・・・・・」
その呪文めいた不思議な言葉の意味するものは。まだ、分からない。彼の、心は。
「僕はもう、綾波さんを連れて帰らない。一度、好き勝手にやって失敗したから。
今度は、綾波さんが好き勝手にする番。そうしていいんだよ」
「え・・・・・」
「記憶を消してくれるかな?このしんこうべにきてからの記憶を。そのあとは好きにしていいよ。綾波さんの好きなように。それが、何よりの証拠になるし」
何の証拠になるのかさえもわからない。とにかくなにをいいだすのか。シグノの館で言われた時以上に胸が高鳴る、ぎゅうっとおさえつけられる。噴き出す、強い感情。
「使徒のことも・・・知られなくなるわけだし」
心臓が、止まる。目の前が瞬間、暗くなる。その時、感じたのは孤独感。疎外感。
見捨てられた、という理由もない寂しさ。秘密の共有を拒まれた。絶望。逃げられた、とまったくもって故(ユエ)もないけれど、そうおもった。のどの奥まで熱いものがせり上がって。
逆に、胸の奥は氷を仕舞い込んだように冷え切っているというのに。
ならば、そうしてあげる・・・・・
赤い瞳に力をこめた。本人がいうのだから、確かに力が通じるのだろう。
言うとおり、効かない、の反対は、効く、だ。なんて分かりやすい。あるいは彼にそんな能力は必要ないのかもしれない。最強の福音を預かる彼には。最強の反対は最弱。
武装要塞都市の最強の守護者の秘密が、目の前に明かされる。この手にできる。
その誘惑には逆らえない。初めてあったその日から謎の花咲くこともある。手折れる。
孤独と引き替えに、プレゼントをもらえるとしたら。まさに飛んで火にいる碇君・・・・
綾波レイは。能力を、解き放つ。
瞬間。
碇シンジは。
碇ゲンドウにも、碇ユイにも似た、とても、優しい顔をしてみせた。
「でも、一人で耐えられなくなったら、もう一回、教えて。その時は・・・・僕は」
即断せずに、もうちょっとうじうじと迷っていればよかったかも知れない。碇シンジの言葉の終わる前に、能力は赤い瞳から鞘走って彼の記憶の一部を持ち去っていずこかへ消えてしまった。
「あ・・・・・」
今月の兵庫、ではなく、標語。後悔、先に立たず。短気は損気。みんなも気をつけよふ。
これでもう、碇シンジはしんこうべ・綾波党に対して、脅威災厄足りえなくなった。
後継者として、見事な初仕事であった。
一触即発・今にも血の雨
それがネルフ本部発令所の雰囲気であった。猛々しいのは使徒来襲においては毎度のことであるが、今日ほどヤバげな雰囲気はちょっとなかった。何せ、使徒ではなく人間同士が声を荒げて深刻な意見の対立、つまりは口喧嘩をやっている。いかに今回の使徒が破壊活動を行わずに金を生み出す、またはそれをただ喰らい続けているだけ、とはいえ。冷静さの欠片もなく、エヴァではなく、意見を戦わせている、というのはまさに異常としかいいようがない。その議題が「今回の金産み使徒を倒すべきか否や」というのだから。
ネルフはなんのための特務機関なのか、本人たちも忘れているわけではないのだが。
ことが「金銭」に関することだけに、ヒートアップし歯止めがかからない。
また、それを抑えるべき碇ゲンドウ総司令がいつの間にか雲隠れしている、というのも。
「アンタたち、正気なの?!目ェ覚ましなさいよ!」
「口を慎みなさい!葛城三佐!!」
作戦部長葛城ミサトの声量と気合いに負けない赤木リツコ博士の一喝が真っ向からぶつかる。両方ともすでに夜叉も般若も顔負けの迫力。今までさんざか論議を尽くして、葛城ミサトがいつものように迫力で押そうとしたところ、そうはさせじと東方賢者が押し返す。「冗談じゃないわよ!!ネルフが使徒を倒さずにどうしろってのよ!!」
「あくまで、研究のために捕獲するの。力押しで殲滅するだけがネルフの任務じゃないわ」
「金成る木使徒倒せ派」と「金成る木使徒有効利用派」の対立である。
いかんせん、両方に正当な言い分があるのだが、数としては「有効利用派」の方が順当に数を増やしていき、「倒せ派」は少しづつその数を減らされていた。それをそのままあてはめたようにシェルターに避難していた市民が地上で金拾いをする数も増加していた。
金銭の持つ時間や労力の保存性というやつは、人間に宿る利己的遺伝子に強く働きかけるものがあるのかも、しれない。
葛城ミサトにしてみれば、信じられない光景であった。お金が欲しいのは誰しも同じ。
あたしだってそりゃあ欲しいけど、いくらなんでも使徒の降らせた金なんて・・・・・
市民の素人さんがそれにダマされて群れるのはまだ、わかる。が、だが、
そんなアホな話に親友であり科学者である赤木リツコがどっかりと股火鉢のようにしがみついている、というのが頭に来て信じられなくて腹ダタしくて仕方がない。
赤木リツコにしてみれば、この正直バカの愚か女の脳天をカチ割ってやりたい気分であった。お金が天から降ってきたのだ。これを拾わぬ手があるか。これは正当な戦利品なのだからなにを綺麗事で遠慮する必要があるのだ。まったくもって理解不能。これだけの金銭があれば、これから先も苦労しなくてすむのだ。いやまったくもって、金銭に苦労しないからこっちの言うことが分からないのだ。あんたたち、作戦部の無茶を聞くのにこっちがどれだけの苦労をして涙を呑んできたか・・・・・分かってないのよ、分かってない。
一応、これは「一万円札を道で拾ったら、警察に届ける派」と「届けない・猫ばば派」の抗争ではない。それよりはもっと・・・もうちょっとくらい高尚な議論なのである。
これをピンチと見るか・チャンスと見るか、といった方が近いかもしれない。
お互い、歩み寄りのしようがない。こじれるだけこじれて、切れるまでこじれ続ける。
「とにかく絶対使徒は倒すわ・・」
「あれは研究用に捕獲します・・」
それぞれの派閥の長は一歩も譲らないので、野散須カンタロー、冬月副司令、長老同士が折衷案を出す。それは、ここで唯一の中立派、霧島ハムテル教授も手を加えてある。
その隙に、「倒す派」ナンバー3の日向マコトが伊吹マヤにけちょんけちょんに論破されてあやうく「有効利用派」に取り込まれてしまうところであった。ふう、油断がならない。
とりあえずは、まあ、貯金箱使徒を倒そうではないか、と。
金の成る木使徒はひとまず放っておいて。あの二体は金を食べる・・横取りしているわけだし。完全なまでのどちらにも良い顔をした折衷、肝心なことは後回し方式である。これが国なら滅びる。だが、この場合それが最もよい案であっただろう。
だが、葛城ミサトがごねた。話にならぬ、とつっぱねた。折衷案などカトちゃんぺだ。
「あの貯金箱使徒の行動を見ていれば、金成る木使徒から金食いという行為でエネルギーを引いて稼働していることは一目瞭然です。エヴァのケーブルと同じ理屈なんでしょう。アスカの弐号機を子供扱いにし、ユイさんの駆る初号機を鼻息で飛ばすような相手ですよ?まともにぶつかる愚をなぜ犯すんです?その危険に対して誰が責任をとるんですか?ここは金成る木使徒から片づけるべきです!!それしかありません。それから、シェルターから地上に上がる市民についても、逮捕拘束を含めたもっと厳重な対応をとるべきです」
「それは推論にすぎないけれど。逆にこんなことも考えられるわね?エネルギー供給源を断たれ、我を忘れて凶暴化した貯金箱使徒がいよいよ都市、そしてエヴァへの破壊活動を行う、と・・・・・ある意味、時間を稼いでいるのよ。この状況は」
赤木リツコ博士の反論。すっかり闘魂とシンクロ率を失った惣流アスカのエヴァ弐号機は
つかえない。すっかり機体は未だ使徒の影響圏下にある。さすがにもう札束ぺちぺちはやられずに、糸の切れた人形のように転がったままだ。
だが、使徒がやろうとおもえばいつでも機体はコナゴナにされる。
そして、ユイ初号機も発令所の作戦が定まるまで体力と気力の温存のために地下に戻った。
心なしか、その声にも力がなかった。「できれば、アスカちゃんの様子をみたいけど・・」
肉体に損傷がなくとも、人格が変容するほど精神に多大なダメージを負わされた様子を心配しているのだろう。現在は鎮静剤を打たれて医務室で眠らされている。あのざまでは志気にかかわる。あのままでは・・・・
「それに何の意味があるのか、わからないままに?使徒を認めろと?」
それなのに、発令所では方針すら定まらずに口喧嘩などしている。まったくもって、碇ゲンドウがいないだけで、こうなのだろうか。戻ってくるまで証明はできないが。
全く、使徒は人に対して何をあがなう気でいるのだろう・・・・。
できれば、彼、シンジ君が戻ってくるまで・・・・・ユイさんもそう保たない。
赤木リツコ博士は言葉を呑み込んだ。それは禁句だった。儀碗も二本目・・・・。
大量の金で、時間を買っているのだ、とも思う。ユイさんの登場、その頼りがいのために誤魔化されているのかもしれないけれど、まだ使徒は雲のようにいるのだ・・・。
同じことは葛城ミサトはむろん、考えている。けれど、それ以上に、あの金成る木使徒には危険を感じるのだ。論理的な説明はできない。カンだ。根底からグズグズに崩されそうな・・・二度と立ち上がれなくなりそうな・・・・そんな恐ろしさを。使徒の、強さを。
葛城ミサトもまた、碇ユイの生徒の一人。
ユイ初号機も及ばないあの異常な強さにも、ある仮定をたてた。それはさすがにコンピュウターに入力できない類のことなので、日向マコトにも言わず、野散須の親爺だけに言ってみた。おとぎ話じゃの、と笑われるのを覚悟で。金銭の数字的ルールの極大影響・・・・それが今回の使徒の根本的な能力ではないかと。返答は「そういうこともあろうかの」
その力を金銭的数値に変換してしまう・・・・・のだとしたら。
その力、その強さがひどく、「静かでおとなしい」のだ。そう、まるで数式のように。
ユイ初号機を鼻息ひとつで吹き飛ばしたが、その際、周囲のビルなどにはなんの被害もでなかったのだ。エヴァを吹き飛ばす風力と言えばそれはもう、マジンガーZのルストハリケーンには相当するであろうし、風のピンポイント攻撃なんぞ聞いたこともない。
ユイ初号機を凌駕しながら、今ひとつ恐れを発令所、いやさ避難市民さえ感じないのはそれを直感的に理解しているせいではないか。自分も含めた・・・まあ、自分は職業柄、それを明確な言葉、形にしてみせねばならんのだが。強いのだが、怖くない。無敵の強さ、大量に蓄積された力、というのはそれだけで畏敬の対象になるのだが、金を拾ってモクモク喰らう使徒には、それを感じない。違和感。それを契機に考えをすすめるとそうなる。
今回の使徒、ただ金銀を化学分解して強力なパワーを手に入れているとはどうしても思えない。もとより高い実力をもつのなら、さっさと他の使徒のように襲ってくればいい。
奇妙な考えに思えても、本質を見抜こうとするのを、その目は止めない。
それさえやめてしまえば、脆弱な人間が使徒に勝つことなど不可能になる。
神の代理人が相手だ。世界の法則に干渉して一時的に変則させることもやってやれないこともないのかもしれない。大体にして、その存在自体、常識を外れている。いまさらだ。
単純に言って、十円は百万円に絶対に勝てない、ということだ。値段が上の方が勝つ。
十円には政治的な十円も快楽的な十円も子供の十円も大人の十円も正義の十円も悪の十円も赤色の十円も黒色の十円も男性的な十円も女性的な十円もない。百万の数に内包される、という点のみをとって、十円は百万円に勝てない。これは、大は小を兼ねる、という話でさえない。
真実、優れているかどうかは関係なく、値段が上のものは高い位にある。だからこそ、ああ必死こいて金を喰らいまくっているのではないか。たぶん、際限がないはずだ。あれが目指すのは無限。人間の使用する金銭数字はかならず有限だ。無限の金銭などはありえない。そんなもんは流通しないからだ。ただ、終わりのない金庫の中に入れられた預金なら。わずかづつでも、利子がついていくのなら。もし、使徒が人間をよく研究して、自分たちの有利な土俵をえらべるのだとしたら、この金銭の土俵はなかなかよく考えている。
有限のものは無限には敵わないのだから。必ず破れるようにできている。もしかしたら、戦闘開始直後から、あれらは金を食べ続けていたのかもしれない。それでもまだ、ユイ初号機に勝てる自信がなかった・・・。いや、もしかしたら、彼、シンジ君の初号機のことを警戒しているのかもしれない。あの子は・・・・底なしだから。無限に勝る。
そして、もうひとつ。大量の金は時として、大地さえ買ってしまうことがある。
買った以上は、その者の所有になる。常識と道徳さえ無視すれば好き勝手できる。
この天から降る大量の金は、なんのために降るのか。これは、支払っているのではないか。この都市全域を買ってしまおうと。この都市のどこかにいる、都市の持ち主あてに。
自分たちもその存在をしらない、けれど、どこかに必ずいるのだろう、都市の主に。
、と、そこまで考え出したら完全にファンタジーになってしまう。いかん。
使徒は確実に迫る現実存在なのだから。なんとか夢想妄想以外のもので対処せねばならない。葛城ミサトは野散須カンタローとひそかに相談しつつ、「あるモノ」を大量に刷らせていた。超法規的組織ネルフだからこそできる大量の「あるモノ」・・・・それは
偽札贋金
・・・である。もちろん、技術部に相談できる義理ではないので、諜報部加持経由で議論の間に極秘裏になんでもない顔して増刷増鋳を進めさせていた。
名付けて「悪貨は使徒を駆逐する作戦」である。いつもの通り、葛城ミサト。
それを貯金箱使徒にむさぼり食わせるわけである。うまくいけば腹痛の腸捻転でも起こしてその場でのたうちまわって苦しんだあげくにゲロゲロ吐きながらくたばってくれるであろう・・・。そのためには複製機からコピーした、なるべく精巧なものから、そこらのカラーコピー機のガードを外して刷っただけの単純なものまでいろいろ用意した。中にはセロテープで増量したアゾート札や人生ゲームのお金も混じっていたようだが、まあ、使徒の反応を見る意味もあるのでそれはいい。
「お金を殺せるのはお金だけよ・・・・」なんだか葛城ミサトの目がやばい。ズドーン!
たとえお金で愛情や友情が買えたとしても、買えないものも確実に一つは存在する。
それは、お金である。お金でお金は買えないのである。両替・交換、という行為はあるが、
お金でお金を買うという行為はこの世にない。古銭・記念硬貨を買うのはまた別の話。
ちなみに、銀行で両替してもらってもお金を取られるのも別の話である。土日だからといって自分とこの預金してる銀行のATMで使用料をとられるのも納得いかないが別の話。
ちなみに、赤木リツコ博士も裏の方で伊吹マヤにマギを稼働させて、金成る木使徒捕獲後の財産増加計画を早くも立てている。まさに捕らぬタヌキの皮算用もいいところだが、その計画試算によれば、もうネルフ本部は資金に泣くことはなくなるのだそうだ。貧乏な支部に十分な資金援助も可能になるとか。なんとしてもゲットするしか!それはともかく。
百万円払っても、一円は買えないのである。一円で百万円ももちろん買えない。
金銭の本質が流れ、にあるため、その流れには逆らえない。川の流れを掬いあげたり吸い上げてみても、それは流れでなくなる。たんなる、水。それに似ているかもしれない。
結局のところ、葛城ミサトも貯金箱使徒から倒さざるをえないだろうな、とは考えている。
どうせ、金の成る木使徒を先から殺ろうとしても邪魔されるのは目にみえている。貯金箱二体を倒して、それから金の成る木使徒を倒す・・・・・そうしないとアスカは正気を取り戻さないかもしれない・・・・どうしちまったのか、すっかりアスカは山岸マユミちゃんになってしまっている。あんなアスカはアスカではないし、精神に異常を起こさせるような卑劣陰険な使徒は必ずぶっ潰す!!。市民が全て金の亡者に変わる前にケリをつける。
捕獲なんぞ冗談じゃないってのよ。二体を倒した余勢を駆って、金の成る木も切り倒す!!
さぞ恨まれることだろう・・・・が、覚悟はできている。お金の関わるトラブルにはいつも招福亭仁鶴さんでもまるくおさめられない赤い雨がふるものだ。リツコとの友情もこれでご破算になるかもしれない・・・・・・だけど、それでもやるわ
偽金作戦と同時進行で”アレ”を使ってね。
に、しても碇司令はいったいどこへ行ったやら・・・・・・
任務至上主義らしいしかつめ鉄面皮はこういう時にこそ役にたってもらわんと。
なにさぼってんだか・・・・まったくもって、父子そろってどろろん、てなあ・・・・
閻魔父子め
もちろん、碇シンジはともかく、碇ゲンドウが仕事をせずにさぼっているなどということはなかった。ただ、特務機関ネルフ総司令碇ゲンドウとしてでなく、昔取った杵柄、「京都守銭道」、あやかしに金を貸し利子としてこの世ならぬ力を回収してきた一族、六分儀の元・頭領として。六分儀ゲンドウとして。
ここは地下の廃棄実験場を利用した特殊な檻の中。
ユイ初号機の捕獲した使徒、レトロエルの前に立っていた。
黒い、特別な着物姿で。六分儀の最高位法服・その名も「六分儀」。
着物であるから目の前の使徒にやられたチョンマゲ頭が似合わなくもないのだが・・・
「”古道かえし”・・・・こんなん、まだ使う人がおるんどすなあ」
碇ゲンドウのチョンマゲの髪をほどいている人物がいた。怪人だ。後ろからみれば紅葉色の髪も雅な着物姿の女性なのだが、前から見ると、巨大な仮面、足下まであるいっそ「仮体」と呼びたくなる、アフリカの部族が踊りにつかいそうな大きな盾にも似たそれで顔出で立ちを隠してしまっている。ただ、袖からのぞく腕は血管神経の走るのが見える。アラバスターのように半透明な、体を隠しているのだ。そして、はんなりとした京都弁。
「使ったのは人間ではない・・・・まだか」
「大正の時代ですっかり失伝崩壊してしまいましたぇ、歯止めかからず、京もすっかり・・本店のある通りをうちらが保存するだけで精一杯・・はい、おわりましたえ。」
それで、あれだけしつこかったレトロ光線によるチョンマゲ状態が解消された。
この怪人も六分儀性をもつ。名を二十七章。六分儀二十七章。六分儀最高の術師。
漢字文化圏でも最大の術式保存量を誇る。歩く魔術虎の巻である。化外の者にも金を貸す六分儀の裏面を取り仕切る重鎮の一人。仙人になりかけたところを六分儀の借金で昇天しきれなかったという生きた伝説。科学の砦、ネルフ本部に出現していい人物ではなかった。
だが、拒否反応もなく使徒をも恐れずにけろっと見上げている。
ここには伝令でやってきた。最後の伝令。
「ヒロシマの方からの伝言です。ユイはん、もうもたん」と。
「しんこうべに急襲し、坊ちゃん回収し、鎧都に戻って頂くや」と。
時間がもうない、と。離れ業をやってきた無理もそろそろ限界。京をながく空けるわけにもいかないと。
ゲンドウは即断。「待つ・・・」と。何を待つのか問い返すこともなく、二十七章は「それではそのとおりに」と帰ろうとしたところで呼び止められた。
「手伝え」と。「久方ぶりに・・・・術法を使うことになりそうだ」と。
六分儀ゲンドウの顔と声で。二十七章はその仰せに従う。予感はあったのだ。そのために「六分儀」を持ってきていた。どうせ、ゲンドウの去ったあとの六分儀には着られる者がいない。術力が足りなすぎる。近親相姦、京に淀む血筋との婚姻を進めすぎた結果か。
しょせんは金貸しなのだから、霊術名家ぶることはなかったのだ。こんな科学の砦の中ではどうでもいい御伽話だれけど。
「おそらく、作戦部の人間は”これ”を用いる気なのだろうが・・・・」
これ、とはレトロエルのこと。ユイ初号機によっていい感じでボコられており、完全に生命活動を休止している。あともう一つきすればコアも砕け散ることだろう。そして。
レトロエルの発するレトロ光線。これに目をつけるはずだ。金銭数字の魔力にそろそろ気づく頃であろう。葛城ミサトにはユイに似た、そんな鼻がある。余計な知識がないだけに感覚は鋭敏だ。だからこそ、作戦部長に据えているのだが。
感覚的にそれが敵に打撃を与えうる、ということは分かっても、その使用方法、調整方法など知りようもない。例えるなら、安全装置付き機関銃を与えられた原始人、グローブをはめてKー1のリングにほうりこまれた火星人、 戦闘宇宙船に放り込まれた地球人、といったところだろうか。使用方法を違えれば、酷い目にあうということだ。
対人駆逐・・・ヒトマジリのネピリム式は人に強い影響を与えうる一方、人からの影響も受けやすい。
事前に安全装置を解除し、適当なスイッチを押しておくくらいのことはしといてやろう。あまりに荷が重すぎる。これは努力でも閃きでもどうにもならん領域のことだ。
専門家の領域。そして、今現在もっとも近くに在住し、もっとも実力と実績があり、しかももっとも「金がかからない!」専門家は・・・・自分、六分儀ゲンドウなのであるから総司令の椅子なんぞを暖めてるひまなぞない。
六分儀ゲンドウは気を整えると、レトロエルにむけてさっさと術文を唱え始めた。
なるべく、というかできるだけ、というか、とにかく絶対こんな姿を部下どもには見せたくない碇ゲンドウである。葛城ミサトや野散須カンタローあたりがやってくるまえに術式を終えねば・・・・・その次は、闘魂を奪われた弐号機操縦者の治療をせねばなるまい。もちろん、そんな姿もさらしたくない。二十七章に命じて極々秘密穏行状態にして行う。そして、最後にユイの見舞いだ。・・・・それを考えるだけで、声にますますいやでも気合いが満ち満ちてくる・・・いそのいそのと・・・二十七章もびっくりするほど朗々と。ならではのその術才は。やはり。「やれやれ・・・ユイはんなんぞにとられなけば」
「二十銭、十四銭、八銭、三銭、六銭、八銭、七銭(統制)、一円五十五銭、六円五十銭、十一円六十銭、十五円、十五円四十五銭、十四円三十銭、十三円(公定価格廃止)、十円、十五円、二十円、五十円、八十円、百円、百二十円・五銭、五銭、五銭、十銭、二十銭、五十銭、�輝漾∋葦漾�五円、十円、二十円、三十円、六十円、八十円、百円・五円、八円、十三円、四十五円、三百円、二千円、三千九百五十一円、五千五十円、八千四百円、九千百円、一万一千四百円、一万八千七百円、二万三百円、二万四千百円、三万千九百円、四万二千七百四十四円、五万八百五十六円、六万九千八百八十八円、八万一千四百円、八万五千九百九十二円、九万五千七百八十四円、九万八千五百九十二円・・・」
霊能力や魔力のない人間には単なるラムネや山手線の運賃、”生かさず殺さず”と謳われた教員の初任給の値段の変遷を告げる金勘定の声に聞こえるが、そうではない。術法に彩られた金言霊は瀕死のレトロエルを捻子を巻くようにギュウギュウギュウとしめあげ絞り上げた。しかも、六分儀ゲンドウの声には催眠学習洗脳効果もあった。
術の使える二十七章にはそれが分かる。残念ながら一般人には分からないだけである。
こんな調子でお経六巻ぶんほど続くのだが、それを聞くのは哀れなレトロエルだけで充分だろう。
「五厘、一銭、二銭、二銭五厘、五銭、十円、十二円、十五円、二十円、二十五円、三十円、五十円、六十円、七十円、八十円、二銭、四銭、五銭、十銭、十円、十二円、十五円、二十円、二十五円、三十円、四十円、五十円、六十円、七十円、八十円、九十円、四円五十銭、六円、七円、八円、五十円、四十円、二百円、一万三千円、二万六千円、六万一千八百円、六万八千円、八万円、十万五千円、十四万円、十六万円、十八万円、二十七万円、三十五万円、三十八万円、六銭、七銭、八銭、十銭、十五銭、二十銭、二十五銭、三十五銭、五十銭、三十五銭、二十五銭、三十銭、三十二銭、五十五銭、三円、二十二円、二十円、三十五円、四十円、七十円、八十円、九十円、百円、百二十円、百五十円、百八十円、二百円、二百五十円、三百五十円、四百円、四百五十円、五百円・・・」
あんパンとジャムパン、桐の箪笥に時刻表・・・の値段の変遷のように聞こえるが、これは強烈な祝詞なのである。しかも、ウイルスも混じっている。その箇所は魔力がなくとも見破れたりもする。ただし、見破ったからといって陰陽師になれたりはしません。
その時。
くん、と二十七章が鼻を鳴らした。「あら、血の匂いどすか、さすがにゲンドウはんの鎧の都は雨すら赤い、血の色をしとるんどすな」その目は地上の様子を見透かしている。
「雨は雨の色だ・・・・それ以外にはない」六分儀ゲンドウは答えた。