(綾ジュンのしんこうべお天気情報)
 
 
本日は狐の嫁入り、いわゆる天気雨が続きましたが、夜半から大いに崩れ、嵐になりかけ・・・ましたが、ナダ様ががんばってくださったおかげでなんとかおまさり、現在はルミナリエと同じくらいに星も綺麗に輝いています。
どうにも不思議な天気でしたが、長い人生そういうこともありますもんですかね?。
 
では、明日のお天気ですが・・・・視聴者のみなさん、ごめんなさい。最初に謝ります。
明日のお天気は・・分かりません。とても不安定な天気になりますので、なるべくご用の無い方はお家の外に出ないように。なるべく、空もみないように。とくに、ゆきみる墓場の方角はとにかく大凶なのでそちらの方はなるべく目をそらすようにしてください。
それでは、今晩はこのあたりで、明日も元気でいきましょー!雨や槍がふっても大丈夫なように頑丈なスーパー高分子繊維のヤシロ傘店の傘などをお供にするといいかもしれません、さらっとCMいれながら、それでは皆さんさよーなら〜
 
 

 
 
「バチがあたたた・・・・」
 
ボロボロにKOされた敗者碇シンジが呻いた。ほのかに酒の匂いがする。
それから白く染まった雪土の上で完全に気を失った。
それを見下ろす逆転ノックアウトの勝者綾波レイ。
その赤い瞳に温度はない。愚か者を見る瞳は限りなく冷たい。
罰が当たった、と碇シンジはいいたかったのかもしれないが、そんなことは現状からしてみればどうということもない。勝者も敗者もへちまもなく、碇シンジの右腕が”ペシャンコ”になっていたからだ。この状態でよく悲鳴も上げずに言葉がでるものだが、よほど言いたかったのであろう。アイラブユーとかユーブラミーならともかく、さほど信心深いわけでもないくせに・・・・よほど悔恨があるのか。無理に連れ出そうとしたことに。己の分を思い知ったのか。とにかく、碇シンジの右腕はペシャンコになっている。最早、使えまい。最悪極悪ペシャワールである。どこをどうやれば、こんなマンガのようになるのか。常識外れの速度で打ちつけられたあまりの衝撃のためか、綺麗にプレスされている。このまま博物館に飾れそうな。血もでない、「愚かな傷」
 
そして、何より。
 
碇シンジの左腕がない。
 
肘から先が、無くなっている。
 
不思議なことに、出血はない。断面は赤く、出血する、そこだけ時間を停止したかのように。今にも噴き出してきそうな色を見せて。いつか見た、エヴァ初号機の左腕のように。
そこに触れると、「きぃん・・・」と硬質の風鈴ガラスめいた音をたてた。
そこいらに転がっていれば、もしかして、つけて見ればそのまま何もなかったかのように再接続されるんじゃないか・・・・だが、少年の左腕はここにはない。このあたりには。
 
 
赤い瞳は果てしなく冷たい。永久凍土に埋められたルビーの指輪のように。
なぜ
 
 
確かに、碇シンジには”罰”があたったのだろう。だけど、それならば
なぜ
 
 
自分はなんともないのだろう。傷一つない。暴走した飛行衝動で地面に向かって高速で突っ込んでいく・・・・それは超高層ビル屋上からの飛び降り自殺と変わらない。垂直のベクトル。地球物理は誰に対しても公平のはず。記憶は正常。思い出せる。
銀橋旅館での会見。突如の碇シンジの強奪・・・自分を抱いての暴走ならぬ暴飛行。
飛行衝動の発動。綾波の能力の一つ、特殊な系統に属するが、たしかにあれは綾波の。
碇シンジに対してののみ発動されたそれを、献能と同感覚で反射的に取り込んでしまった。
(それはチンの能力を欲する祖母やトアの狙いであったのだが、綾波レイの知る由もない)
発動を促す能力それ自体もまた練られていない反射的、かつ暴走気味でまるで操作されていない粗雑で荒削りなものであったとしても。気性の荒い馬に乗せられたようなものだ。それを乗りこなせず、思い切り鞭をくれてやるようなことをしたのは自分。
連れ去られるなんてのはまっぴらごめんだった。こわかった。おそろしかった。
なんとしても逃げたかった。振り切りたかった。そこが宙であることなど念頭になかった。恐慌に陥った。混乱した。相手のことなど思いもしなかった。だから、”力”を振るった。
なんとか墜落を引きとどめようとする雲を・・・・・切り裂いた。自分の意思で。
あの、ユダロンシュロスでのことを思い出す。
 
 
愚かな傷跡。彼は罰があたったという。だけど、それならば
なぜ
 
 
ぺしゃんこになった右腕、は彼のもの
水晶のギロチンで切断されたような、どこかに飛んで無くなった左腕、もかれのもの
その目に見える現象はおそらく、神が与えたような・・・・
もしくは、絶対の障壁、ATフィールドの発現か・・・・または六分儀の一族の術なのか
考えたくないが・・・・覚えがないけれど・・・・雲と一緒に蒼光翼でやってしまった・・・?だとしたら・・・激しく出血しているはず・・・裂かれた雲は消えているのだから
切断面を堰き止めている何か、不思議な力が稼働している・・・飛行衝動の消えた今も
・・・・それは都合のいい言い訳だろうか。確率としては、それが一番なのに。
 
 
なにひとつ傷のない身体は自分のもの・・・
その目に見える結果を成したのは偶然という名の奇跡ではない・・・
なんのことはない、なんて単純な、彼の腕は自分の身体の下にあった。
彼の腕をマンガのようにプレスしたのは速度を纏った自分の身体。
なぜ
 
 
「助けたの」
 
 
嬉しくも何ともない。今、感じているのは絶望。自分がぺしゃんこにされた方が何百倍もましだった。なんてお節介な・・・こんな目にあう、あわなければならない理由が彼にはない。どこにもない。それは、確かに強引なやり口ではあったが、彼なりに考えての行動だったのだろう。ここまでの目にあう罪科にはならないはず。
わたしを連れ戻すことはそれほどの「罪」か・・・・・・・・・
 
いや、今は・・・・・
 
 
彼のことを
 
 
両腕が使えなくなってしまったのだ。彼の両腕はただの両腕ではない。本人に自覚が少々欠けていようが、彼はエヴァ初号機の専属操縦者で、その腕は使徒と戦い、その来襲から多くの人間を守護するための腕。それになにより。
その腕は、ユイおかあさんの子供、碇司令の子供の腕。
その原因が自分だと知れば、ただではすまない。完全に見捨てられる。見離される。怒り、嫌われ、憎みさえされるだろう。あの面影から差す光、心の楽園が閉ざされる。そこから、放逐される。想うことさえ許されなくなる・・・・・罰、とはこういうことだ。
この身勝手な思念にこそ罰は与えられるべき。罪と罰。
彼の痛みを、感じることができない。寒さだけがある。吐息でさえ冷たい。
考えただけで背筋と心が凍る。涙も流れない。血が冷たい。思考が停止する。
未来のこと、この先のことなど考えたくもなかった。強度の混乱がある。
 
なぜ、自分はここにいるのだろう?
 
 
けれど
 
 
ここは死人の世界から歩いて十分(じゅっぷんと呼ぶかじゅうぶんと読むかは自由)ほど・・・かなり近い世界最大級の墓場・ゆきみる墓場、その最奥部。使徒に取り憑かれていようが片腕がぺしゃんこになっていようが暖かい血のかよう人間の子供ふたりが存在していい場所ではなかった。
 
 
ちなみに天気は崩れてきており、闇夜の住人にはあつらえ向きの時間帯と雰囲気。
しかも寒い。信じられないことに雪が積もっている。ここは確かにしんこうべで年中真夏の日本国のはず。けれど、ここには季節をさかしまにして冬に変えたように雪があり、気温も低い。寒い。綾波レイはツムリから聞いた話を思い出す。ゆきみる墓場のその名の由来。外周部じゃ無理ですけど、最奥部にいけば雪が見られるそうです、死者が眠るにふさわしい、白い綺麗な雪が。だから、雪見・ゆきみる。逝き見、の意味ももちろんありますが最奥部に近づけば近づくほど涼しく寒くなりますから本当のことなんでしょう。わたしも見たことはないんですけどね〜・・・とんでもなく危険なところですから・・・くれぐれも近づかないように。レイ様。・・・・そう言われたが来てしまった。白い雪の中。
”綾波”のオプションではくたくの子供がついているが、それが暖かい毛靴になってくれなければ屋内から靴も下駄もはかずに飛んできたのでしもやけ必至であった。
 
それにしても・・・・・
 
えんえんと墓が続くだけである。大人でも心細さに泣きそうになりそうなロケーション。
街路灯もないのにそれなりに明るいのは、うようよと漂う光のオタマジャクシこと人魂のためである。これだけ多いと逆に、たすかるなあ、としか思えない。
同じ世界最大で少年少女が二人きりなら、遊園地か、せめて博物館動物園図書館あたりなら良いのだが、とにもかくにも墓場。墓しかない。妖気は見えぬ壁となり塹壕となり迷路のように。あちらこちらで空間が歪んでいる。ぽっかりと異界が口をあけている。いろとりどりの霊魂が振り落ちテトリスのように二人の周囲を積み上げ固め打ちしていく。
 
 
墜落現場もまあ、場所が悪かった。土葬エリアZ地区である。まだこの世で使用可能な肉体が配備されている領域である。肉体があるから与し易い・・・かもしれないが気味が悪い。じりじり・・・・と現在進行形でゾンビがぞろぞろ近づいている。すでに取り囲まれている・・・・いやさ、元々、彼ら彼女らのテリトリーなのだから、闖入してきた鴨ネギか。あれだけ派手にやらかしたのだからばれぬはずもない。数、およそ30。
 
 
雪にゾンビ・・・・
 
 
衛生的観点からいうと正しい組み合わせだが、だからといって近寄ってもらいたくない。
生きる気力が失せてくる。ちなみにゾンビ、というと弱い、吸血鬼の手下、大量生産がききそう、というイメージがあるが、しんこうべ最奥部のゾンビともなると、かなり強力であった。
そこらへんの東欧の城で下僕をやっていたり、アフリカで人間の代わりに労働していたり香港映画のスクリーンでピョンピョンはね回っているのとは根本的に違う。
完全に道具として調整、組立をされて人格、死人権を喪失している。今、周囲を取り囲んでいるのは偵察用であるから、それ用に具合がよろしいように、人皮を限界まで延ばし忍者凧のようになったタイプや、蝋人形になった己の身体をそのまま灯火に用いるタイプ、目鼻耳をたくさん使用できるように頭部を縦に、ダルマ落としやトーテムポールのように、積み上げたタイプ・・・人類がいかに邪悪だとて、そこまでは思いつかぬという悪夢具現化能力をこれでもか、と行使した「道具死人・グッズマン」・・・がしんこうべのゾンビである。だいたいにおいて、五体満足な人間の形を残していない。メイドなどの愛玩用は別として。そういうことが出来るのは、材料が豊富だからである。かつて、第二次天災の死体がこの世界最大級の墓場に船で山積みとなって運び込まれた。材料が豊富なればこそ、遊び心や発明心がでてくる。ここは生者の法は通用しない、治外法権の死の国。官憲はもちろん、非合法な武装宗教関係者いわゆる、拝み屋や吸血鬼ハンター、クレニスク、ストレゴイ・ベネフィキといった善玉吸血鬼すらも手の出しようがなかった。闇が広すぎるのだ。そんなわけで住み良い所だと噂が広まったのか、世界中から伝説的長寿な有名な親玉クラスの闇の住人が引っ越してきた。ゆきみる墓場におけるオーシャンビューの高級住宅地、V地区に住んでいる。吸血鬼のクラス分けは諸説あるが、最近は支配下における空間の広さでその力を区別する方法が一般的である。中国の水族館が年齢ではなく客の身長で料金区別をするのに似ていて合理的だ。
「呪人」〜「呪家」〜「呪城」〜「呪村(里)」〜「呪町」〜「呪街」〜「呪市」〜「呪都」〜「呪国」〜「呪界(空・宙)」・・・とランクづけされる。これは余談だが、クリスマス十日過ぎには「呪倉」という最低ランクが付け足される。これはクリスマス十日過ぎるとカボチャやスイカが吸血性をもつからである。血の滴りを流し、地面を転げ回って
うなり声をあげて生まれ変わる。ただし、よわい。それらのランクで上から数える方が早い数も少ない魔力の強い実力者たちが退屈な長寿に倦んでいたところ、久方ぶりに覚えた趣味が、これらの「ゾンビ造り」であった。豊富にして良質な材料を用いて、闇の中で浮かんだおぞましいアイデアを形にする。若い死体が多かったというのも彼らにとって都合が良かった。「活き」の良さが違うからである・・・。言語学者の頭を鈴なりにつけた「通訳」や、高音低音思いのままのひとり和音の「歌い手」こういった趣味の領域はもちろん、己の爪となりキバとなる戦闘部隊の強力さは言うまでもなかった。選び抜かれたボクサーやレスラーやグラップラーや特殊部隊の隊員のボディを使っているので弱かろうはずもない。しかも、どんどんモデルチェンジされる。
死んで腐ってしまえば強いも弱いもないだろうに、とは人間の発想であり、鍛えた技と力は不滅なのである。こういう場合は困ってしまうが。
とにかく、しんこうべ・ゆきみる墓場において、ゾンビ製造術は格段の進歩を遂げたわけである。いまやゾンビ造りのメッカといってもよい。
よい作品ができると見せびらかしたくなるのは制作者のサガというものだが、これらのゾンビがゆきみる墓場最奥部から出ることは決してなかった。それをやったが最後、コナゴナに破壊されることを・・・・管理責任を問われ制作者を含めて・・・・承知しているからだった。かくも邪悪を内包しながら秩序が保たれわりあい平和であるのは、ゆきみる墓場の謎のひとつとされてきた。つまりは、掟破りを破壊する番人管理者がいるわけだ。
ただ、それを”どうやって”、”誰が”やっているのか・・・・綾波党の最高機密だったりする。
 
 
じいいいいい・・・・・・・・・・・・
 
 
偵察用ゾンビたちは飽きずに綾波レイたちを見張っている。ここから逃げればすぐ追跡にかかり、行き先を捕獲係に伝えることだろう。なにせ、暖かいシチューのような子供の生き血だ。主たちがどれほど喜ぶことか・・・・直接、首にキバを突き立て吸い上げる快感を味わえることにどれほど驚喜するか。それだけに、取り逃がした時の怒り、失望は計り知れぬものになろう。
自分たちの目玉にうつっているものはすでに一心同体の主たちも知っている。
 
 
じいいいいい・・・・・・・・・・・・
 
 
監視カメラのように見張る。ゲームや映画のように涎をたらして獲物にむしゃぶりついたりはしない。ただ、すぐさま来るべき捕獲班が遅いなあ、とは思う。この久方ぶりの極上の獲物を前に、チキチキと足の引っ張り合い出し抜き合いの競争をしているにしても遅い。
これでは、ほかのいぎたない他の地区の連中がやってくるかもしれない。そうなったら戦闘力のないじぶんたちは一巻の終わりだ。奪い合いになっては勝てない。たまにあるのだ。
神隠しでもやられたのか、または綾波的能力が暴発したのか、子供が迷いこんでくるようなことが。または無謀な雑誌記者やカメラマンがスクープ真実を捉えにくることが。しょうこりもなく、宗教的使命感に燃えたハンターがのこのこやってくることが。それらがどうなったかは蝙蝠と闇だけが知っている。それにしても、遅いなあ・・・・・・・捕獲班の吸血バイクや吸血車なら・・・一番乗りがやってきてもおかしくないのに、反応がない。応答もない。これが普通のゾンビなら、それならちょっと「お毒味」をしておこうかな、と欲を出すところだが、職務に忠実な偵察ゾンビは見張り続け、捕獲班の到着を待った。
 
 
だが、彼らのもとに捕獲班がくることは永遠になかった。
 
 
彼らは即行で来る途中に「天敵」の存在を察知し、それの向こう方向と自分らが同じことを知り、その場で急ターンして主たちのもとへ逃げ戻っていたのだ。主たちもそれを渋い顔をして認めるしかなかった。確かに、あの墜落は派手すぎた。「奴」が気づかぬはずもない、と。事実、賢い者はそもそもそれを見越して偵察さえ走らせなかった。
 
 
「・・・・・・・・」
綾波レイは碇シンジを守るようにして抱きかかえている。
息はしているけど、とても自分を守ってくれそうもない・・・期待してないけど。
見かけと予想に反して襲いかかってこない異形の死人たちに訝りながら。
そんな闇の住人たちの都合など知る由もなし。それを知るためには、死人の心を覗かねばならない・・・やってやれないこともないが・・・ぞっとしない。躊躇があった。
NO DATAの暗黒文字が点滅するだけであろうと思うし・・・・さすがに気味が悪い。
 
 
「でも・・・・・守るもの・・」
思い切った。なくてもともと、なにか有益な情報があれば御の字・・・・・
清水の舞台から飛び降りる十倍ほどの勇気が必要だった。そして、それを着火させるもの。
おかしなことに、それはレリエルの声だった。「使徒だ使徒だってこだわってるくせに人間の死体が怖いの、レイちゃんおっかしいの!」茶化すのとはまた違う。自分で自分の背は押せない。綾波レイは死者の心を読みとろうとした、赤い瞳を向けたその時。
 
 
 
ゾンビは消えていた
 
 
 
三十体そこらいたのが全て。忍者凧型の空中にいたのすら。いつの間にか。
決心を固めるため、視線を伏せたわずかの間に。皆、いなくなっている。
あれだけ遠慮なく、じろじろと人を観察監視していたくせに。なんのあいさつもなく。
 
 
その代わりに、大きな白い蛇が立っていた・・・・・。
 
 
いや、蛇ではなかった。それは、手足もなく直立する包帯に包まれた人間だった。
膨らんだ頭は白い頭巾のようで、顔を白い”無”と黒字でぬいた布で隠しているが。
見える。無の布の向こう。その顔は。
爛々と輝く、赤い瞳をもっていた。人間以外の感情を浮かべた、人の知らぬ技法で染められた綾波の瞳。
まごうことなく、同族の瞳。だが、それよりも綾波レイを驚かせたのは、その傍らに「腕」
があったことだ。ころん、と転がる作り物、義手、を思わせるそれは、不思議に綺麗な、時が止まったような切断面をみせていた。
 
 
「それは・・・・・・・・・・・・・」
 
 

 
 
 
「よりによって・・・あの場所か」
 
ナダの怒りは海運の怒り。ナダの名は船霊(ふなだま)に通じ、怒らせるとてきめんに海が荒れる。綾波どころではない、荒波津波になり嵐にもなる。綾波一族を守護する綾波党党首の名は伊達ではない。不世出の精霊使い・シャーマン・えれめんたらあ・・それだけに感情、能力のコントロールはほぼ完璧。敵対する港に荒波を起こしてやることも出来る・・・古来よりの伝統伝承能力の一つ、あいにくノイもレイも受け継がなかったが。元来、海の漂流民であり、現在も港人工島であるしんこうべにおける王権能力のひとつ。だが、それだけに滅多に発動されることはない。ことにしんこうべ周辺ではむろんのこと。だが、いま海は荒れている・・・ナダのせいである。院長室でなんとか自分を抑えようとするナダ。キチローやマルコム、党の重鎮らがいるが声をかけることはない。かえって精神集中の邪魔になることをわきまえている。しばらくすれば収まることも分かっている。
ただ、ナダの受けているショックがそれだけ大きいのだ。このような嵐変化はノイが死んだ日以来のことだ。孫娘レイがゆきみる墓場最奥部へ墜落したことを恐れている。それで死んだわけではないのはわかっている。六分儀のこせがれも生きている。
 
 
「”橋は流されました、夜を明かさなくてはなりません”・・・ですか。
早く救出隊を送らなくてもよろしいんです?」
吸血鬼もののミュージカルコメディの題名をうたうようにしてユトが質問した。
「天気も崩れてきそうですし」
どこか聞きようによっては楽しそうでもある。
「なんというか・・・、”潮騒”状態になってしまうかもしれませんね」
綾波党党首のナダを前にしてぬけぬけと。キチローやマルコムが党首を刺激せぬよう釘を刺そうとしたが、ナダがそれを制した。
「ああ、まったくそのとおり。その通りなんだよ・・・・」
 
 
ここに、ユト、タキロー、チン、ピラの四人が銀橋旅館から連れてこられていた。
丁重とはいいかねるが、そこそこの扱いをうけて。院長室まで。
「・・・・・ぼくたちに今さらなんの用だ?」
墜落の知らせを受けて、こりゃもう抹殺決定だとこの世の名残を惜しんでいたのがなんとか首がつながりそうだというので一転して泣いたカラスのように喜ぶチン・ピラコンビを横目で見ながらタキローはそう小声で呟いたのみでここまで黙って来たのだが。
何があるのか知らないが、綾波党の対応が変だ。あれだけ大事に騒いでいた後継者が六分儀に強奪されて、墓場に墜落したのだ。こちらを血祭りにあげて景気をあげて京都に攻め寄せるくらいのことはしでかすかと思ったが、どういうことだか、後継者さえまだ救いだしてないらしいし、安否の確認さえできていないらしい。いくらゆきみる墓場が広いといってもヘリでも使えば一発だし、位置特定は服に発信器の一つでも・・・仕込んでなくとも、あれだけの大霊気だ、犬でも追跡できる。
 
 
「だが、それが出来ない・・・・綾波の者を送ったが最後、生きては戻らないだろうよ・・・・ゆきみる墓場・最奥部、しんこうべでありながらあそこだけは綾波党党首であるこのナダの手の、力の届かぬ及ばぬ場所なのだよ・・・」
 
「もとより、幽霊化け物の類を恐れる綾波党でもありますまいに。それとも、後継者を救難するのに命を惜しみますか?」
タキローが冷たくあざけった。もはやあるともおもえぬ命。せいぜい好きな事を言う。
 
「ふん・・・恐れるさ。あの墓場は六分儀の手が加えられたくらいで鎮まるような甘い代物ではないわ。まさに人工のサントリーニ島だ。・・・世界中から面倒な産業核廃棄物がごとく、どさくさまぎれて鎮魂も封印もされず運び込まれ放り捨てられた邪悪怪奇鬼魔神の類を何も言わず人知れず”処分”している”あの男”が最奥部で睨みを効かせておるから大人しくしておるだけさ・・・・」
 
「”あの男”・・?」タキローやチン、ピラは首をひねる。一応、人間らしいが、あまり人間らしくない生活スタイルだ。超高徳の僧、または神官なのだろうか。
 
「ああ、その”あの男”と綾波党の皆さんは仲が悪いわけですね。入ってきたのを見つかったが最後、とって喰われるくらいに。つまり、”人喰いパックン斎”が怖いと」
怖げかつお茶目な名前をあっけなく。年の割にディープな裏街道育ちのユトが言った。
 
 
「人喰いパックン斎〜?」
なんだそりゃ・・・・あ。
 
 
「てめえユト・・・さん、そういったジョークはTPOを考えた方がいいと思うヨ。ぺし」
大きな声で言ってしまって、ナダを始めとする党首脳部の顔ががぜん厳しくなったのを見て持ち前の小心を生かしてフォローをいれるチン。ああ小心。
 
「いや、これあだ名なんですよ。正体不明な未確認人物なものですから。
ただもう、とてつもなく大食いな方で、人だろうと霊だろうと鬼だろうと悪魔だろうとなんでもかんでもペロッと眼にも止まらぬ速度で食べちゃうらしいんですよ。吸血鬼狩りの組織に所属してるときに聞いた話なんですけど、どうしても手に負えない相手の場合、だまくらかしてなんとかゆきみる墓場最奥部まで誘い込むと、その人が食べてくれるんですよ。油断してると誘い出した当人も食べられちゃうんですが。パックンと」
 
 
「それで人喰いパックン斎か・・・・どこかで聞いたような名だなー」
「あだ名なんてそんなもんですよ。ど根性ガエルが放送されていた時は、日本全国でアゴの大きいひとはみんな”ウメさん”だったんですから」
 
 
「彼の名は綾波シグノ・・・・というのだ」綾波マルコムが教えてくれた。
 
 
「へえ、シグノさんっすか。でも、綾波・・・・・綾波の人間なんすか?じゃあ・・・・いや・・・なんでっすか?あ、いやあ、ワケありだったんならいいっすけど・・・・・」
同じ綾波でありながら、ナダが手出しできない、というのは尋常なことではない。
人を食べるという時点ですでにそうだが・・・・
 
「へえ・・・同じ綾波なら、連絡して後継者を救助してもらえばいいじゃないですか」
タキローのこれはもちろん嫌みである。「電話くらいひいてあるんでしょう」
 
「”綾波”、”菩薩骨”を着せてある限り、どうせ墓場の者共に手はだせん。
最奥部で問題なのはあの男一人・・・・・神鉄でも勝てるかどうか・・・・難しい」
子供の嫌みなど相手にせず、ユトを直視するナダ。
 
「しんこうべ最強人物、神鉄さんが敵わない、ということは四次元胃袋のほかに不死身者でもあるわけですね。それでいて、墓場を出て綾波党を襲ってこない・・・・シグノさん」
すごく素敵な人かも、とユトはひとりごちた。
「ちなみに、最近里帰りしたばかりの綾波レイさん、つまり後継者にも遠慮見境ない・・・どころか、敵意すらもっている、というところですか」
 
 
「まあな・・・・見つけたらただではおくまい・・・・」
 
 
「墜落といえばかなり派手なんでしょう。すでに見つかって”ただ”ですまなくなっているのでは」
 
「そこが、微妙なところでな・・・・お前たちを連れてきた理由よ」
ナダが赤い瞳と声にドスを利かせた。ユト以外の者は竦むしかない。さすがに綾波党党首の貫目である。そろそろくるのがきたか、と覚悟をきめている風でもなくユトは応じる。
 
「はいな、なんでしょう」
 
「お前たち、六分儀の小倅はどうするつもりなんじゃ?あのままにしておくかね」
声の効果範囲、お前たち、という指示語になぜか自分たちも入っているような気がするチン。まさかな・・・・
 
「もちろん、ガードとしては対象者をきちんと生きたまま雇い主のもとまで送り出すまでがお仕事ですから。”お話”さえ終わればすぐにでも墓場の方へ直行しますけれど・・・・・・まあ、事故対応といいますか、アフターサービスですね・・・・」
 
「なるほどなるほど・・・・さすがは六分儀。我らもこういった点は見習わねばな・・・・・・で、じゃな。その綾波シグノという男は妄執の虜で半分気狂いの妖怪のようになってしまってはおるが、本来、勇敢で恩義をわきまえとる性分でな。六分儀の人間は嫌いではないのじゃ・・・・美味い不味いの話ではないぞ。孫娘と六分儀の小倅が同じ場所におれば・・・・あの男が先に見つけたとて、しばしの間は思いとどまる”やも”しれん」
 
「よほど綾波の人が嫌いなんですねえ、パックン斎、じゃない、シグノさんは」
 
(要するに、自分たちは憎まれてて怖いから、ぼくたちに代わりに連れて帰ってこいってわけでしょう)と、タキローはいいかけたが、ナダの迫力で古びた巨大な南京錠をかけられたように口が動かない。ユトの背に隠れていたくはないのだけれど。まだまだ格がちがいすぎる。ユトはタキローに安心させるように微笑んで、
 
「わかりました。もし、六分儀シンジ様のおそばに綾波レイ様がいらしたら、同様に保護しましょう・・・・お引き渡しの場所は・・しんこうべ駅でよろしいですか」
 
「そういえば、六分儀の倅は法服は脱いでおったそうじゃが・・・・」
「契約が終了しておれば、すでに京都に戻っていたのですが・・・・」
逃げるなよ、と釘をさし、逃げる気ならばすでに逃げてる、と糠に化け。
その眼をみれば、確かにこやつは墓場に向かう気であるとナダには分かる。
 
 
「うむ、すまぬなあ。持つべきものは古き友族よの」
まんざらおためごかしでもなく、ナダは礼を言った。党首として祖母として、ほとほと困り果てていたのだ。実のところ、こんなまどろっこしい真似はせず、自ら一軍を率いて最奥部まで探しにいきたいところだが・・・・その暴挙を待つのは壊滅と破滅の計四文字。
それほどまでにシグノは強い。昔から出鱈目に強かったが、いまやどれほど強くなったか見当もつかぬ。ゆきみる墓場のわりあい平和な状態・・・それが全てを語る。たった一人であの巨大な墓場の平穏を造り出しているのだ。それがどれほどの能力を必要とするか。
あれが番人をやめた日、しんこうべに地獄が現出するだろう。悪魔の肥溜めと化すのは間違いなし。統一された典礼も祭式もなし、ひたすら個人のマンパワーで膨れ上がる亡者の怨念を処理していっているのだ。死者の無念は放射能のようなもの。まったくもって、防御策のなにもない原発と同じだ。いつ爆発するのやら・・・・ゆきみるにはあまりにも多くの死者が集められすぎた。あまりにも。だからどんな宗教も太刀打ちできずに撤退していった。処理が追いつかない。とてもじゃないが、元来、穏やかな平和な空間になるはずもないのだ。他県から数千人単位で「喚ぶ」・・・そんな異常事態が当然のように続発する魔異空間。それが本来の姿のはず。数が多すぎる。あまりに積まれた死者の数が多すぎる。
 
それをなんとかやっている韋駄天地蔵のようなあの男。
 
感謝と尊敬を捧げるしかない、そんな男に血の涙を流され恨み骨髄に憎まれるのは辛い。
その原因をつくってしまった今は亡き娘に愚痴りたくもなる。そして、義理の息子にも。
かといって、「早とちり」した当人が悪くないわけでもないのだが・・・・・
 
 
「まあ、十中・・八、九しくじるでしょうけど」
 
ナダの懐古を閉ざすようにユトがぬけぬけとほざいた。「あとの心配をしなくていい、後腐れがないというのがすくいですかねえ・・・ああ、こんなことならネプチューンソサエティの骨沈没海葬なんか申し込んでおくんじゃなかったですねえ・・・・一括振り込みだったのに」
 
「ぬうっ・・・・・」なんだかんだと六分儀の小倅を綾波党後継者に会わすまで守護しぬいたガードにしては弱気な発言なのはまだ交渉を続ける気。
 
「とりあえず、わたし一人が行けばよろしいでしょう?このタキロー”殿”は京都に送り返してやってください・・・すでにお調べでしょうが、わたしは六分儀の雇われ者、ここの六分儀正当とは違います。・・・・重みが、違いますよ。後々のことを考えられると」
 
「なっ!?ユト姉さん!!」タキローの戸惑いは悲鳴に近い。
「・・・・・・!・・・・」驚愕のまなざしのチンとピラ。
 
「後継者の存在を欠いたまま、六分儀と一戦交えるおつもりで?」ユトの眼が夜を切り取る三日月のように研ぎ澄まされる。「古く親交のある友族と?それは悲しいことですが」
 
「と、なると最高二割あった成功率が大幅に減ることになるが」とキチロー。
 
「ふふ・・・・もとから簡単な話なんですよ。こんな仕事がうまくいくわけがありません。
単に諦めがつかないだけなのでしょう?ほんとに生きてるとは思っていないのでしょう?いいじゃないですか、もとから帰還するはずのない後継者・・・あれは幻だったのだと思えば・・・よろしいのでは?だいたい、後継者候補ならほかにもトアさんがおられるのでしょう?祖母として人の一人も送ってみないと気がすまないというなら、わたしがいきますよ」
 
 
院長室が重く静まり返った・・・・
 
 
「くくく。このまま死の坂を下らせてやろうかい、六分儀の雇われ小娘・・・・・・だがねえ、人生には3つの坂があるのさ・・・・わかるかい。上がり坂、下り坂・・・そして、
”まさか”ってやつがねえ。マルコムや、それはどう書くのかね」
 
「”真坂”、と書くのがよろしいでしょう」
 
「そうさ。どうせ人間、上がり下がりの坂をえっちらおっちらいくだけじゃ、動物とかわりない。たまにそんな坂があるから人間やってく価値があるのさ・・・・」
 
 
「たまさかまさかよもつひらさか・・・・・・なるほど、追いかけてみましょうか。
あのふたりにはそれだけの値打ちがあります」ユトは席を立った。だが、まだ治癒しきっていない赤い靴をはいたその足はいかにも頼りない。だが窓の外は嵐気が消えていた。
ナダの腹が決まり、能力を抑えたためだろう。契約は終了した。
 
「じゃあ、ここでお別れだね。タキローちゃん、チンさん、ピラさん・・・・
あ、そういえば、そういうわけで、わたし一人でいってきますのでチンさんピラさんのお二人の処分はどうぞ穏便に。もともとわたしたちが巻き込んだだけですから・・・
成功率についてはご心配なく、もともとわたしはチームを組むのが苦手な単独犯の気性なので・・・・・ともあれ急がないと。では」
 
夾雑物のほとんどない、澄み切ったカロン、と氷の浮くような簡潔な別れ。
チンピラコンビにはともかく、タキローにまで同等にその澄んだ簡潔さは先ほどまで連れであったものの足を床に深く深くミシンのように縫いつけた。
 
「あと、出がけの駄賃に松葉杖か何か貸していただきたいんですけど・・・・できればなんか特殊能力がこもってたりすると都合がよろしくて・・・・」
病院の看護婦に頼むような、ちょっとだけ甘えるような、悲壮感のまるでない、いっそこの世には女だけしかいないよーな気の違ったよな明るさを持つユトにナダたちの調子がくるう。天下無双の誘拐魔。たしかに尋常な人間ではない・・・・まみれすぎた人の世の塵香に、海や水を思わす綾波特有の、同族の匂いも消えていた。
 
 
 
「待〜て・よ」
 
チンであった。足はガタガタ震えて動かないので、言葉で。唇すらも緊張の余り振動し波々とした言葉になった。「オレがいく・・・・」
 
「はい?なにいってるんですか、チンさん。
こんなお偉いさんのいる前で冗談いっちゃいけませんよ・・・ねえ」
 
 
「オレが行くっっつんてんだ!!オレが!!」
逆ギレでなんとか自分の意志を吠えるチン。顔がトンガラシ魔人になったように赤い。
 
「行くのはいいですけど・・・・秒殺されますよ・・・・というか、食べられます。いや、シグノさんに会う前にそこに巣くっている大量の霊団に祟りころされるかもしれないし、吸血鬼に悩殺されてひからびるまで血を吸われてゾンビにされるかもしれませんよ」
 
「し、知るかよ。もともと、シンジのやつにハメられたとはいえ、能力を発動させたのはオレの責任だからな。てめえのケツくらいてめえで拭くぜ。ユト、てめえはすっこんで病室で少女マンガでも読んで足のリハビリでもしてろ!」
 
「そりゃあ、無理な相談ですよ。チンさんみたいなチンピラが行くんだったら、綾波の戦士系の皆さんは行かないわけにはいかないでしょう。そして、みんな”そして たべぇられるぅ〜”になっちゃうわけですよ。自己満足の勇み足は周りの迷惑です」
 
 
「ふふ!!甘い、甘いぜ。そこらへんをオレが考えてねえとでもおもうのか!」
 
 
「ええっ!?なにか秘策でもあるんすか?チンの兄貴いっ!!」
ピラの一声がかかるととたんにやたらにところかまわず元気になるのがただの小心者ではない、キング・オブ・小心者のチンのチンたるゆえんである。
 
 
「そうだ!!。パンピー必殺、
”黙ってりゃわかりゃしねえっっ”攻撃だ。
知らせるからいけねえんだ。どうせオレみたいなパンピーにマスコミの取材がくるわけじぇねえし。菊輪でも積んで病院の車で出ていきゃ誰も注目なんかしねえよ。いっぺん、綾ジュンにインタビューでもされてみたかったがオレレベルじゃ確実に不可能だ!がっはっは、まいったか」
 
 
「あーあ、声がでかい・・・・・それに、それは”攻撃”か?」
タキローがため息。けれど、それはどこか温度がある。縫われた足も、もう動く。
自分たちの一族の若者のレベルを目の当たりにしてナダたちも、ため息。
 
 
どどどどどん!!
ドッドドドドドドドンッ!!
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴン!!
 
 
とたん、ゆきみる墓場から送られた怪奇現象のように院長室の扉が大きく叩かれた。
「ひいっ!?」自分の身の程を知らぬ発言がこれを引き起こしたかと怯えるチン。やっぱり小心、とても小心。ちょうどそばに立っていたユトの腰にだきつく。故意ではない。
 
 
「どうも、一族から礼儀が失われてきているようですな・・・・」にやつくマルコム。
「会議中だぞ・・・諸君」とキチロー。音の正体は判明している。
「聞かれてしまっては仕方があるまい。・・・・・入れ」入室を許可するナダ。
 
 
「ひいっ!?」ユトの腰に抱きつきながらさらに恐れるチン。なにせ、
 
 
綾波氾濫
 
多少の順不同はあるが、綾波番付表の者どもがぞろぞろと・・・・しかも万全の戦支度で眼には殺気とやる気を漲らせて・・・院長室が戦本陣に様変わりしてしまった。後継者ゆきみる墓場最奥部に消ユ、の報を聞き、続々と集結したのだ。最奥部突入をナダに停止させられて今か今かと待ちかまえていたところをチンの一声である。怒らないはずがない。
チンの責任はまあ、本人の言ったとおりなのだが、六分儀シンジよりチンそのものを串刺しにしてやりたい、と思う者も少なくなかった。チンさえいなければ、しんこうべの中でありながらここまで面倒なことにはならなかったわけで。室内温度が20度はあがった。
 
「るん、るん」と百罪錬磨の女、ユトが唄う。扉の向こうにぞろぞろとセットされていたこの着火直前の爆弾のような気を感じ取らぬはずもなく。
 
孫娘のためを思うその熱意を感じながら、ナダはあくまで嵐気をおさえるように冷静で絆されることはなかった。行かせれば死ぬだけで、とにかくシグノを刺激するわけにはいかない。・・・・それほどまでにシグノは強く、綾波者に恨みを感じている。
 
 
 

 
 
 
「まいったなあ・・・・もしかして死んじゃったかな」
碇シンジはつくづく困ったように言った。かなりの勢いで墜落したから、綾波さんをなんとかするので手一杯。クッションくらいにはなれたと思うけど・・・・
ああ、やっぱり人の嫌がることはするもんじゃない。罰が当たった。
綾波さんがそばにいない、ということは助かったんだろうか。それとも綾波さんだけ天国にいったとか。ありうる。
それにしてもここは・・・・・寝ころんだ体勢で意識が戻ったわけだが、見上げる「海」に下を見ると「空」があり、背には木々の枝の葉っぱの感触。天に伸びる「大樹の根」。
どうもあべこべ・さかさまの世界だ。
 
 
「あ、ようやく起きてくださいましたね」若い男性の声が。柔らかく、どこか女性的ですらある。とにかく碇シンジの目覚めを待ち望んでいたらしい。しかも敬語。
背を起こして振り返ると、そこには長めの空色の髪、赤い瞳の若い男性がいた。
色彩はともかく、特徴というか印象にかける人物だ。ポロシャツの服装もじつにふつうだ。
その隣に、黒く長い波髪の、優しい赤い瞳の若い女性が立っていた。
なぜか、人間の腕を持っている。うわー、優しそうな顔して実は怖い人かな、と思ったらそれは自分の腕らしかった。見てみると左腕がない。「あなたのですよ・・・いま、つけてあげますからね」と、その女の人はいとも簡単につけてくれた。これは夢?
 
 
「君が今、限りなく”こちらの”領域近くにいるからです。」と空色の髪の男性。
「と、いうことは、お二人はいわゆる、亡くなった方、ですか」と碇シンジ。
けれど、知り合いにこういう方たちはいない。その色彩に覚えはあるけれど。
「あ、もしかして、綾波さんの・・・・・」
 
 
両親だという。
 
 
ふたりとも、あまり似ていない。特に、父親の方がひどく気つかいのようで、中坊である碇シンジに対して腰が低い。えらく緊張しているようでもあり。ふつう、逆じゃないのかしらん、と。よくドラマなどである婚約者の父に初めて会いに行く若者を思わせた。
母親の方は、のんのんのんのん、としている。思わず、なんでも話してしまった。さすがに読心能力不要のうたわせ女、人間自白剤の異名をとっただけのことはある。
 
 
「実は・・・ピンチなんです」落ち着きのない父親はいきなり、がしり、と碇シンジの左腕を掴んで、せっぱ詰まった調子で眼には涙をためながら訴えた。
「娘が、危機に陥っているのです大変なんですなんとかしていただけないでしょうか」
 
それは大変だ。
 
「あなたの左腕に天逆能力をセットしておきましたから、なんとか娘を助けていただけませんでしょうか、お願いします!、お願いします!!、お願いします!!!」
興奮のあまり自分の頭と一緒にぶんぶんぶん、と左腕を上下にふる。まるで選挙だが、その熱情はほんものだ。お願いします、とふつうは涙を流せない。
しんこうべ始まって以来、綾波の一族の歴史上、最強最悪の異名をとった男のこれが涙。
「身体さえ、命さえあれば、たとえ目玉おやじになったとしても、娘を守るのですが・・・・・・ああ・・・・レイ・・・・」
碇ゲンドウとはあまりに違いすぎる父親像だ。正反対といってよい。ヒゲもないし。
 
 
「助けます。約束します」夢でもし会えたら。不思議なことだが、とにかくそんな話を聞いた以上放っておけない。ところで、どんなピンチに陥っているんですか?カメラにフィルムをいれるように当然な顔してセットされた天逆能力ってなんです?と碇シンジが尋ねようとしたところ、「ああ、よかった。それじゃあくれぐれもくれぐれもくれぐれもよろしくお願いします」
と、高い高いをするように逆天樹から突き上げられた。天にある、海へ。
 
 
 

 
 
 
昔の話、あの抗争よりも前で、今や限られた者しか知らない拗れた紐のような話だ。
 
 
この話を、ナダは真に孫娘を救出に行く者だけに聞かせた。
 
 
「シグノとノイはむすばれなかった」・・・・・・
 
 
一言でいえば、こういう話だ。いかんせん、娘のノイはもてすぎた。全世界で良い男を漁ってきた自分の血がどう作用したのか、ノイはだまっていて男が寄ってくるタイプだった。
男の”どうしようもない”サガの深いところにあるものと共振するものをもっていたのだろう。自分の娘ながらかぐや姫のような不思議な女だったよ、と。とてつもなく聞き上手だったせいかもしれない・・・どんな無口な男でも、あの神鉄でさえも、ノイの前では頬を赤くした小学生のように夢を語ったもんだよ、口を、心を開かせるなにかをもっていたんだ。たいていの男はノイに惹かれた。玉の輿を狙わせるべきだとおもったね。ま、最後の娘でしんこうべの綾波のことを考えなければ、の話だけど。旦那は最低限、党首になれる、または一族のまとめ役を果たせるくらいの器量の持ち主、と決まっていたのサ。
そりゃ、そうだろう。
端的に言うと、綾波で一番強い男のもとへ嫁ぐ、とね。原始的だがそれが一番だ。それがわたしら一族の・・・法則だね。それに従った方が自然なんだ。掟じゃない。
 
 
結局、義理の息子になった写真屋の倅も、そうだった。
 
 
いや、そうなった・・・だね。ノイを自分のものにするには最強の力が要りようだったから、そうなったんだ。トカゲが竜になるように。
 
 
あいつの天逆能力も最初はなんだこりゃ、と思うほどちんけなもんだったよ。
写真をカメラ無しでうつしたり、人形にわずか砂時計分・数分の命を与えて踊らせたり。
子供だましだった。とても戦闘につかえるしろものじゃないし、ノイ、綾波党を守護する能力じゃなかった。番付表にすら載らなかった。おさななじみで、泣き虫なガキでね、あまのじゃくで、ノイを姫様扱いしなかったのは奴一人で、それが決め手になったのか・・・・とかく、あの二人の結婚は誰も予想だにしなかった。そこまで辿り着くとは。
それが、最後には”ああ”だよ。
誰も、名前を呼びもしない呼べない・・・・デイ・あの日の男、としかね。
はは、まるで「ハリ山ポタ吉」に出てくる悪の魔法使いだよ。なに?ハリ山ポタ吉ってなにかって?どーでもいいじゃないか、和訳で読んだのサ。・・・ああ、話がそれた。
 
シグノの話だった。
 
シグノはそりゃ優秀な男だった。おまけに不死身でね。脳細胞が死ぬことがないから、経験値も知識も積み上げるだけ積み上げて・・・そうさな、バベルの塔のような男だったよ。なにか仕事をやらせるとたとえそれが不可能ごとであっても完遂しないことはなかった。
公平に見て、世界で鍛え抜かれてきた外綾波の連中に比しても勝るとも劣りはしなかった。
ノイの婿の最有力候補の一人だったわけさ。つまりは綾波党の次期党首だ。
優秀かつ、綾波者にしては珍しいビジネスマンみたいな感覚の持ち主だったから、綾波一族、党組織に貢献、そして融和のためにしんこうべの全住民に認められる仕事をしてから、プロポーズしようと考えてたんだろうな、あの男以外、考えつきもしない大仕事にとりかかった。
 
 
ゆきみる墓場の鎮圧
 
 
シグノが入る前までは、墓なんてもんじゃなかった。そこは単なる死体の山、死体山脈だったね。今思い出しても吐き気のするような地獄だよ。秩序もへちまもありゃしない。
当初は神戸市の計画だったから、予算も人員もついたんだけど、係員が次々と悪霊や起きあがりの死体にやられるもんだから、怖がってそのうちほったらかし・・・噂を聞きつけて得体の知れぬ悪い者が入り込んで我が物顔・・・・荒れに荒れての凄まじい有様の中、シグノはたった一人で最奥部に入っていった。誰も知らせず、夜のうちに。
その前に、こっち宛に「ゆきみる墓場を鎮めることができましたら、ノイ様を私にください」と、書き置きを残してね。いいとも悪いとも返事を聞かぬ間に実行に移すのはあの男の人生最大の失敗だった。肝心のノイ本人に何も伝えてないのだから。馬鹿め・・・・。
その時はこっちも、シグノなら多少時間がかかろうとやるであろう、と分かっていたし、
確かに、それをやり遂げて、「くれ」と言われればやらないわけにはいかない。それくらい墓場の問題に関しちゃ頭を悩ましていた。人死にがでていることだからね。
神鉄の神腕同調と同じく、それはしんこうべ全域の浮沈の大命題だった。神鉄に生殖能力がない以上・・・・なんだえ?別に変な話じゃないだろう?真面目な話だよ。まあ・・・・それで。
ノイの方もまだまだ結婚は遠い話、みたいな小娘の顔をしていたからね。これはあたしの失敗だ。親の都合の勝手な絵図面と言われりゃそれまでだけど。
結局、シグノがゆきみる墓場の鎮圧をやっている間に、ノイは写真屋の倅と出来ちまった。シグノにしてみりゃ”かっさらわれた”ようなもんだ・・・・。
 
ここからがちょっと難しいんだが、写真屋の倅は、そのちんけだった天逆能力を鍛えに鍛え上げて・・・よそから求婚にやってきた外綾波の連中も問題にせぬ攻撃力を身につけちまってたんだ。闘いようによっちゃあ神鉄も悪電も手の出しようがないくらいに。まあ、人格や仕事の手腕はともかくとして、攻撃力だけは文句のつけようがなくなった。
 
シグノの方も8割方鎮圧に成功して、わりあいの平穏を取り戻したところで手紙をよこしてきた。「すでに我が身体、闇に同化し人生をこの墓場の鎮魂に、この身を以て皆様の住まわれる外界への扉となり、命、捧げることに決めました」・・・・墓場の外へ出られない身体になっていたんだよ。有能すぎて不死身なんだから救いがないわな。慈悲の大悟心に目覚めて、まさしく地蔵菩薩になってしまったか、と一瞬思ったんだが続きがあった。
 
「ノイ様を、こちらに寄越してください」とね。
 
住めば都、とかなんとか書いてあったような気もするが覚えてない。その一文見ただけで破って捨ててやったからね。
 
 
・・・なんだい、その伏姫の親父、里見のなにがしの顔を見るようなツラは。
どこの世界に自分の娘を墓場に寄越す親がいるかい。それならまだしも貧弱で天の邪鬼で泣き虫の、貫禄ってのがまるでない、党首の資格ゼロの写真屋の倅にやったほうがいい・
 
 
・・・その判断もまた違ってたんだがね。
 
写真屋の倅、義理の息子とノイの話が風の噂で墓場の奥まで届いたかどうか、しばらく気が気じゃなかったねえ。義理の息子の強さはこの目で見ているけど、いまや墓場の天魔王と化しているだろうシグノの実力は計り知れなかった。なにより、あの男がその鎮圧仕事を放棄すればどうなるか・・・・つくづくゆきみる墓場というのはでかすぎた人を埋葬しすぎた。死者の雄叫びってのは聞いたことがあるかい?そりゃあゾッとする。出来れば生きてる間は聞きたくないね。墓場から吹く風に死者の怨念、囁きがこもって花を涸らし、鳥を凍らせ、人の笑みを吹き消していく。それはそれは陰気な場所になるだろうさ。
まさしく、髑髏(しゃれこうべ)の街にねえ。
 
 
あの男は墓場の奥から出て、こなかった。
 
 
ゆきみる墓場の平穏こそがその存在証明。音も形も名すらなく。忍の一字だ。
ノイのことを知らなかったわけじゃなし、また忘れてもおらず、他に楽しみを見つけたわけでもない。忍の一字で、ずっと己の出番をまっていたのさ。ノイを堂々と”かっさらえる”時を。真面目で有能で不死身なんだ。それが思い詰めると凄まじいことになるぞ。
あるいは、己が身を犠牲にして平穏を造り出すゆきみる墓場を嘲笑、いやさ唾を吐きかけるに等しいしんこうべ、六甲アイランドでの同族の抗争・・それに絶望しただけかもしれぬ。シグノがとうとう墓場の最奥部から出てきた・・・・・・たった一人の”第三勢力”
どうも六分儀のサポートをいろいろ受けていた匂いはあるんだけどね。
・・・ノイを奪還しに来ただけの敵味方正体不明のあの男に劣勢だったこっちは大いに救われた。こっちに言いたいことや恨み言があったんだろうけど、とりあえず、実際的に”ノイをかっさらった”写真屋の倅を倒しにいったんだ。どちらがノイにふさわしいか・・・・・決闘だよ。古風な男でもあったわけだ。シグノは。レイ、娘がいようとまるで眼中になかっただろうね。その存在も知っていたかどうか・・・・
 
 
それで、決闘の結果、どうなったか・・・・・決闘の事実自体、ほとんど知られてないのが答えだよ。シグノの惨敗。ゆきみる墓場を鎮圧する不死身の男でさえ、義理の息子の天逆能力には”手も足もでなかった。”四肢の不死身性能を奪われて、銃弾の銀雨を浴びせられて削り取られもぎとられたそうだ。
シグノは命からがら・・・不死身の男がだよ・・・当初の目的だったろうノイの奪還もはたせずに墓場の奥に逃げ帰った。「墓場からきて、この世で地獄を見た」ってわけだ・・・。
それ以来、シグノからの便りはない。が、墓場の平穏があの男の存在証明。
今も確かに生きている。だけど、まあ、あの男がこのしんこうべの住人、とりわけ、綾波の一族にどんな感情をもっているかは推して知るべしだ。
互いに侵さぬ約定で平和を買うしかない。
 
 
世界最大の墓場、ゆきみる墓場は巨大な闇の地域と化している・・・はずだが、わりあいに”平和”であるのはあの男が取り仕切っているせいであろうな。もともと、ことに戦いを、争いを憎む。戦いを称賛し美化するものを憎む。戦う者を憎む。戦を始める者を憎む。
 
憎んでいるからだろう・・・。望んでいるわけではなく。
 
 
 
 
「・・・そういう方が支配してらっしゃる地域に墜落したわけですか。
あの二人は。・・・・・・よりによって」話を聞いてユトがため息ついた。
「ゴールドコーストやスペースワールドならともかく、怨念渦巻くゴーストワールドとは・・・・またまたらぶ度が最安値を記録しそうですが・・・」
 
 
ユト、タキロー、銀橋、虎兵太、ツムリ、なぜかチン、ピラ。
結局、ナダが墓場突入、後継者救出を任せたのはこの面子だった。ほかの実力ある綾波者から大いに不満の声があがったが、ナダが一喝でおさえた。
 
「あくまで、責任をとらせるための処罰だよ、こりゃ。六分儀の者とは契約だ、虎兵太とツムリはレイ、後継者の護衛、警護の責任を全うできなかったそのため、・・・・残る二人は・・・・あー、まあ、責任だ。能力暴走とはいえ、原因をつくったわけだからね・・・・・銀橋はわたしが命じた。墓場の奥にも詳しいからね」
チン、ピラはともかく、虎兵太とツムリに土下座までされて「なにとぞわたしたちに任せてください」と頼まれては黙らざるをえない。確かに、筋といえばそれが筋。
かといって、ナダも銀橋、虎兵太とツムリ、という実力者をむざむざ失う気はなく、やばくなったらチンに「飛行衝動」を発動させ、離脱させる気でいた。と、なるとチンはどうなるかというと、ユトが「誘拐」してどこか山の上でも放置しておく・・・・。
そういう段取りになっている。小心者のチンにそんなとっさの判断などつくわけがないので、そこの操作はユトがやることになっている。とにかく、シグノに見つかれば一巻の終わりで、急速に離脱が可能なチンの能力が不可欠になる。この作戦のキモはチン。
それを任されているユトがこの一団のリーダーということになる。
最年長にして霊物に経験豊富な銀橋がいるが、命じられて仕方なく渋々という顔を崩さず、
ほかの者を導こうという気力にかける。遅れたり迷えば即座においてけぼりをくらわすだろう。・・・・・なにせ、生命がかかっていることだ。
綾波シグノ・・・・・地蔵のようでもあり、悪鬼のようでもある。
彼に見つからないように、行動せねば・・・・・。気分は固体の蛇のよう。
 
 
 

 
 
 
もとはベンチャー企業のソース工房だったというその大きな採光窓のついた、芸術家のアトリエを思わす薔薇のアーチなんかあったりする箱形の建物。小規模ながら菜園があり、そこでは豊富な栄養のもとマンドラゴラや人参果が育てられているようだ。
 
 
シグノの館
 
 
・・・・に、綾波レイと碇シンジは連れてこられた。とりあえずまだ命はある。
シグノの背に乗せてもらい、ここまで来た。四肢がなく地に這て進むシグノだが、それが恐ろしいスピードで闇の森を突き抜けて確実にバイクより速い。人間離れしている。
この綾波シグノと名乗る男が、碇シンジの左腕を拾ってくれたのだった。
 
「晩飯が不味かったから口直しにちょうどよいと思って天から降ってきたこいつを”食べて”みたが、硬くて”食べられなかった”べし」と。そう言って返してくれた。
 
「代わりにここらにいた”干物”を食べたからいいべしが・・・・墜落してきたのはお前たちべしか・・・神隠しにしては派手だったべしな・・・・まあ、とりあえず一緒に来るべし」
決めつけのワイルドな物言いだが、敵意はなかった。信用する材料などなにひとつないが。
 
「その男の子供の腕がくっつくかどうか、”みてやる”べし」
 
その一言で同行することに決めた。悪人か善人か、とりあえずは生きた人間だ。
言葉が通じるところもゾンビにくらべればまだましだ。情報は手に入る。
怪人ではあるが、嘘の気配はない。この人物に嘘はない。同行の途中に「あれが不味かった今晩の飯だべし」と首をしゃくられ教えられたのが10メートルはあろう、青っぽいイボイボのついた得体の知れない邪神っぽいタコだかイカ<?>の足ゲソ。まだうねうねと動いている。「70年ほどすれば再生するらしいべしが、いかんせん不味すぎるべし。人間の味覚の限界値を超えている狂気味だったべし。あれ以上は食えんべし」・・・確かに嘘じゃない。この人物は真実を語っている。この深海からやってきた得体の知れぬ青タコイカがほうっておけば人の世にたいそうな悪さをしたであろうことも。それを食べたことも本当だ。ただ、なぜそれで胃袋が破裂しないのか。
・・・・・綾波的能力のひとつだろうか。この怪人物も綾波だ。謎だべし。
 
 
「帰ったべし。お客を連れてきたべし。怪我してるから治るかどうか見るべし」
 
 
一人暮らしではないらしい。シグノは器用に長い舌でカメレオンのようにインターフォンを押すと中にいるらしい同居人に告げた。
 
 
「おかえり、シグノ。とうとう”この日”が来たね」返答は若い、少女の声でなされた。
綾波レイはその声を聞くだけで危険を感じた。反発、かもしれない。年若いくせに空恐ろしいほどに落ち着き払った・・・その同種の声に聞き覚えがある。
渚カヲル、彼に似た声だった。その理由はすぐにわかる。
 
 
綾波ノノカン
 
 
「うん、その腕くっつくわ。つけてみて」
碇シンジの左腕をみるなりそう言って綾波レイに指示した。奇妙なのは切断面もみることもなく、ちらっと碇シンジの顔を一瞥しただけでそれが決定事項のように言ったことに合点がいかなかったが、ためしてみた。・・・・・ついた。体内に血仙虫でも飼っているんじゃあるまいか。もしくは、その白い髪赤い瞳。薬師眼、という見るだけで怪我を病を治療する医薬系綾波的能力の最高峰があるときいたが、それなのか。
 
「違うわ。十分後の彼の腕を”見て”みただけ。その時間にくっついてるなら簡単につかないとおかしいの。・・・それだけの話。」
 
「なんで、腕がつくかなんてわからないけど、ね。平たくなった右腕の方はよく分からない。たぶん、治る必要がないの。ようこそ、シグノと未来視ノノカンの館へ。現在を見る碇シンジさん、過去を見る綾波レイさん・・・・それから、さようなら、残念だけど、一時間後にあなたたちは食べられてしまうわ」
 
唐突すぎる未来視の挨拶に、あっけにとられる綾波レイ。
 
「抵抗したければしてもいいし、悪い夢だと思うなら思ってもいい。
けれど、過去は未来には勝てないから、生き残りたかったらすぐに碇シンジさんを起こしなさい。現在は過去には勝てないから、彼に頼み事、命令できるのはあなただけ」
 
レリエルが化けているのかと思って眼をこらすが、そういうことではない。人間だ。
ただ、他人、しかも初対面の人間とのコミュニケーションに問題がある。
こんなところから学校に通えるはずもないから、仕方がないのかもしれないが。
とにもかくにも、民話チックな危機に陥ってしまったのは確かだ。
あのシグノという四肢のない怪人物が自分たちをとって食べるつもりなのだ。
今は自分たちをノノカンに任せて風呂に入りにいっているようだが。
しまった・・・それなら、腕なんか治してもらわなければよかったかもしれない。固くて食べられないといっていた。あの「べし」に騙されてしまった・・・・
 
 
「あなたは一体・・・・」
絵に描いたような怪人であるシグノと同居するこのノノカンという自分たちの同年代・・すこし下かもしれない・・キバが生えてるわけでも頭が二つあるわけでもない、赤い瞳も綾波だとすればまあ、いたってまともだ。未来視を自称するあたりがちょっとあれだが。
 
「わたしのプロフィールが知りたければ読心した方が早いわよ。でも、その前に碇シンジさんを起こした方がいいんじゃないかな。お風呂からあがったら珍味で一杯やるのがシグノの楽しみだから」
 
 
「・・・・・・・」
出来れば、碇シンジはベッドか何かで休ませて欲しかった。甘いと言えば甘い。世の中それほど甘くない。赤い瞳の同族に対する甘えがあった。いまだ、理解が浅かった。だけど、彼の肉体は適切な場所での休睡眠を欲している。起こすにも抵抗がある綾波レイである。
 
 
「信じなくてもいいけれど、未来を変えることができるのは現在だけ。過去のあなたが未来視のわたしに負けるのは当然としても、彼には抵抗する権利があるのじゃなくて?
それじゃ、わたしはシグノの背を流しにいくから」ノノカンはこの場を離れた。
この隙にこの館を逃げたらどうするのだろう。可能かどうか不可能だ。一秒で分かる。
とにかく、寝たままの碇シンジなど足手まといもいいところであり、とりあえず・・・腕もつながったことだし、起こしてこの難局をどうするか相談する・・・必要はあるだろう。なんせ相手はふたりとも食べるなどとぬかしているのだし・・・・。なんとか生きねば。
 
 
そして、シグノが風呂からあがってくるまでの時間、綾波レイのけなげな苦闘が続く。
もともと他人を起こした経験などない綾波レイのことである。ふとん強制剥がし、鼻の穴封鎖術、デコピンや電気アンマなどの効果覿面の便利な最終兵器の存在すら知らぬ。
これでは立派なギャルゲーのヒロインになれない。ならんでいいが。
ちょっとやそっと揺すった程度ではおきやしない。
「エヴァはじつはくすぐり攻撃によわい」という碇シンジの言葉を思い出して実行してみる。・・・・が、起きない!。どこらへんがくすぐり攻撃に弱い!なのだろうか。平然としている。時間は圧している。シグノはあの身体で入浴には時間がかかるようだが、こっちも時間丁度に起こしてもしょうがない。これまでの状況説明をする時間が必要だ。
なるべく早く起こさないと・・・・・・
 
 
手段その壱、眼球の白目の部分に針を刺す。麻酔のかけすぎで起きてこない患者にやるように。これをやられて起きてこない患者はだいたい三途の川を渡りかけている。
 
 
手段その弐、「眠りの森の美女」か「白雪姫」か、とにかく、王子様がお姫様を起こす「双方合意の上でない」伝統的方法をとる。もしか、これで起きなかった場合、”先”に進んでいたんだろうか・・・・
 
 
手段その参、せっぱつまっているときはシンプル・イズ・ベスト。ひっぱたく。
 
 
 
「効いた〜・・・・・愛の目覚めえっっ!!」上記参手段のうちのどれかを用いて綾波レイは碇シンジを起こした。そして、大急ぎで状況説明。飲み込みの早い方ではない碇シンジ相手だが、なんせ命がかかっている。シャレでもなんでもなく、あのシグノは自分たちを食べる気だ。森の中で珍しいキノコを採ったくらいの感慨しかないに違いない。しかも起き抜けの碇シンジは毒キノコを食べてトリップしたひとくらいしか知能が働いてない。
眼の色をみると、どうも話を理解したふうでもないし、対策をたててくれるでもない。
 
 
「僕、綾波さんのお父さんとお母さんに会ったよ・・・・・」
などと意味不明のことを言っている。ほんとに忘却の河三途の川を渡りかけていたらしい。
綾波レイはその戯言を信じない。
 
 
「ああ、ほんとだ、約束どおり左腕がくっついる。けど、はあ、右腕がぺらぺらだ・・・・・」と碇シンジが言って壊れたかかしのように腕を振ったとき、綾波レイは泣きたくなったし、涙がこぼれた。別に、頼りないからではない。自分が彼を守り切れそうにもないことが悲しかったのだ。ごめんなさい、ユイおかあさん・・・・大事な子供を使わしてくれたのに。期待や信頼、それを裏切ってしまったことが。
 
 
「なんで泣いてるの・・・・?」その顔には、せっかく墜落から助かったのに、とお気楽マーカーで大書きされている。ああ、やはり理解してない人の話を聞いてない。
綾波レイには碇シンジの心、碇シンジの心だけが読めない。道行きをともにするにこれほど不適当な人間がいるだろうか。せっかく、ひとのこころがよめるのに。
 
 
「・・・・・・・・・」
もちろん、うれしいからではない。悲しいからだ。決まっている。諦めの境地に入る。
風呂からあがったらしいシグノが浴衣に着替えてやってきた。お銚子をもったノノカンも一緒だ。タイムリミット。タイムアウト。
 
 
 
「これからお前たちをいただくべし。一口でぱっくりいくから痛くないべし」
綾波だが、これはもう人間やめている。いっそ清々しいほどの単純、神々しいほどの野生が口をあけた。大口に星空があった。碇シンジの夜雲瞳がじっとその口の中を見る。
(成る程・・・・これはピンチだ)
百雷が夜雲に深く根付くようにズブズブと生育していく。その雷は、赤い色をしていた。
 
 
「生きてる人間の男は酸性で女はアルカリ性、肉と野菜のようなものなんだべし。
そろえて喰わねば栄養学的にバランスが悪いべし。胸焼けがするべし。
そのぶん、お前たちは都合がよいべし。バランスがいいべし。しかも、わかくて水分も豊富だべし。それでは
 
 
いただくべし〜〜・・・・・・・」
 
 
シグノの大口が眼前に迫っても碇シンジは恐れずに、言い返した。
 
 
 
「と、なると僕たちは食べられないことになるよ」
 
 
 
「なぜだべし?」
意外な言葉にシグノの動きが止まった。未来視のノノカン、綾波レイも驚く。
 
 
 
 
<さて、そこで問題です>
 
ここで、碇シンジ君はなんといって、人喰いパックン斎こと綾波シグノの大口から逃れることができたのでしょう?
 
応募された正解者の中から抽選で一名様に「なるペソ・ザ・ワールド(解答編)」をプレゼントいたしまーす。
 
<第一ヒント>もちろん、綾波レイさんも食べられないようにしました。(当然ですね)
 
<第二ヒント>未来視のノノカンさんが嘘をつくこと