「なぜ?」
「なんで?」
 
 
問いかけではじまる小説はウルトラへたくそな証拠だが、事実、綾波レイ、碇シンジ、ふたりの開口一番、ダブルカウンターのように放たれた言葉はそれだったのだから仕方がない。
 
 
 

 
 
 
飼い主の子供の言の葉を食べるせいで失語症にしてしまい、あやうく焼き鳥にされるところを助けられたスズメがいた。銀橋旅館の裏の動物園で飼われている。「来るちゅん」
純然たるニワトリなのだが、ニワトリ以外の鳥のたまごばかり産むので気持ち悪がられて処分されたかけた雌鶏が鳴く。「来るこけこー」
「オレは人間だ」と明瞭な言語でそればかりわめくので不気味がられてここに引き取られてきたチンパンジーが初めて別のコトバを語る。「・・・来るぞ、鎖の始まりが」
災害救助用に遺伝子改造され、いまは引退しここで番犬として余生を送るノコギリ犬がいとおしげに鼻を鳴らす。「すみれのようないい匂いの方が来られるおう」
冷血動物でありながら、卵を暖めたがる愛情豊かな銀鱗の蛇が瞳を細める。「来るしゅる」
雨にも負けず、蜻蛉が大量に飛んでいる。まるで、虹の精霊のように。
 
 
動物の方が敏感だ。いよいよ来る。自分たちの飼い主の主、しんこうべ最強の存在が。
 
 
敏感だが、その力に戦いていりゃあいいドーブツと違って人間はもてなしの準備に忙しい。
 
それも貴重な時間をユトの人除けの誘拐で奪われていたので、さらに忙しい。どういう風に事態が流れていくのか分からないが、食べる物や飲む物の準備もせにゃならぬ。
 
「あらあら・・・悪いことしましたねえ」とユトが反省するほど従業員は右往左往。
 
旧い建物のゆえ、痛むので掃除機は使えない。箒でずうっとやっていく。
おからの入った袋での拭き掃除。おからを温泉で絞って汁をつくり、それで雑巾掛けをして埃をおとし、それからおから袋で力をいれてこする。それが乾かない内に清拭きを二回。障子の桟など細かな部分は竹籤や爪楊枝などに絞り汁をつけたてぬぐいをかけて拭く。
天井から廊下の板と板の間の隙間、くずかごや電気スタンドにいたるまで、隅から隅まで。
厨房の方も応援を頼んで総動員で動いている。その手際はとてもここが人間の客を迎えることのない幽霊旅館だとは思えない。訥々と綾波灰色の采配は見事としか。
スッポン鍋、カボチャの茶巾絞り、ミョウガの酢漬け、かますけんちん杉板焼き、車海老の竜田揚げ、きす昆布締め、ゆり根の唐揚げ、生麩のしぐれ煮、イカ焼売、どびん蒸し、白梅出汁巻き、ぜんまいと大徳寺麩の胡桃クリームかけ、マンゴードレッシングのあんこう鯛フルーツ巻き、甘えび親子和え、鴨かき揚げ餅、たらの白子鍋、あわびの酒蒸し、鮎飯、馬刺、山蕗と身欠き鰊とがんもどきの炊き合わせ、あさりのみそ汁、フカヒレ胡麻味噌姿煮・・・・などなど。
今晩のデザートは、詩人の立原道造が宮沢賢治の妹のように欲しがった「五月の風のゼリー」。ここでしか食べられない。ねむれる旅館、銀橋旅館。
「旅館業務はあくまで、ついでのことなのですが・・・」銀橋のいやそーな顔。
最後の最後まで面倒をみる羽目になった銀橋旅館従業員一同であった。
 
 
先導役の綾波小人殺人が行幸陣の到着を告げる。
月に吠えるような虎落笛の音をあげ竹林の結界が、消える。
夕刻の天気雨というあやかしの時空間に銀橋旅館の大門が今、開かれる・・・・
 
 
 
 
「とうとう始まったなあ・・・・始まっちまったよ」
「始まるマッチって、シャレっすか、チンの兄貴」
「ト、トイレにいくなら今の内だぞ、ピラ」
「チンの兄貴、蝶ネクタイが曲がってるっす」
「そ、そういえばシンジの奴に水をたくさん飲ましておくのを忘れたな」
「なんでっすか?水なんて・・・しかもバケツに氷水っすか?」
「試合に入ると体温があがるからな。あらかじめ冷やしておくわけだ。備えあれば憂いなしってな。あ、あとワセリンや絆創膏もあるぞー」
「チンの兄貴・・・・闘鶏の軍鶏じゃないんすから。ボクシングでもないっす。少しは落ち着いてくださいっす」
 
「だけど、それはある意味あたっているよ」と半ズボン学生服でないタキロー。
 
「六分儀の後継候補・・・と、綾波の正当後継者・・・・結局のところただですむわけはない。備えの方向はまるで見当ちがいだけど、その心持ちは正しいね」
「け、拳闘ちがい?」とチン。
「とにかく、落ち着いて。長丁場になるか、一瞬で終わるか・・・・分からないけど。
闘鶏のたとえでいうと、一回戦は30分、二回戦は45分、三回戦は一時間、四回戦は一時間三十分、五回戦は三時間、決勝ともなると無制限になるからね。恢復のために三週間ほど間をおくんだけど。日本の闘鶏は蹴爪を短く刈り込んでいるからそんな長く闘えるけど、東南アジアの方じゃ爪に鋭い三角形の鉄刃をとりつけたりして・・・勝敗はとびちる羽根と鮮血の中、急所にえぐりこんで一撃で決まったりもする・・・・・」
「つまり、武器をもっているかどうかってことっすね?」
「そう、それも相手の弱みを正確に突ける鋭い武器が。できれば、どちらかそういう武器を持っていた方がうれしいな。・・・・こんな茶番、さっさと終わればいい・・・うひゃ!つめたっっ・・・なにをする!」
「チン様特製アイスフィンガー99だ。タキロー、熱くなってんじゃねえぞ。ぐひひ」
「ああっ・・・・ユト姉さんにあわせた折角の洋装が・・・しみが・・こ、この・・・」
「そろそろ後継者が入場されるっす!」
 
 
もとより銀橋旅館、綾波領地では異端である彼らのこと、こうなりゃヤケ、とばかりに揃って洋装で決めていた。タキローですらタキシードであった。
 
 
会場は銀橋旅館の四階、山形県銀山温泉能登屋旅館の大正高楼をひっこぬいてきたかのような「アジサイの間」。銀橋旅館で最もいい部屋であるのは言うまでもない。その間には少年と少女、碇シンジと綾波レイふたりだけになる。どういうわけだか、六分儀シンジは例の六分儀の法服を脱いでしまい、代わりにユトの注文した動きやすいザ・ノースフェイスの旅装服にしていた。ユトと銀橋が難色を示したが、碇シンジは碇シンジに戻ってしまった。
 
ちなみに、行幸と称し、ある意味、大橋の戦闘時以上の大軍団でやってきた綾波党に対してユトは向こうが事前交渉を持ちかける前にさっさと誘拐した人質を解放してしまっていた。これがユト一流の交渉術なのかどうか「この期に及んで交渉ごとなんかでシンジさんのそばを離れたくないからですよ。もう、綾波レイさんは会う気になってるんですから」
天下無敵の誘拐魔は交渉についても達人の域にあるようで、いかに身内を取り戻そうかと頭が焦げていた綾波党はすっかり気を抜かれてしまった。銀橋旅館にたどり着いてみれば、誘拐された者たちが迎えにでているのだから。そのおかげで、綾波レイ、碇シンジの会見の前に当然あるべき、ねちこい誘拐人質交渉がなく、スムースに入った。
碇シンジはユトのその対応を見て、六分儀の法服を脱いだ。静かな目で。
 
「もう会えるから、いままで護衛ありがとうございました」と。
 
「いましばらくはおそばに控えさせていただきますよ。碇シンジさん」とユトが答えた。
 
「でも、ユトさんたちはここから帰れます?今なら・・・・」
 
「大丈夫です。わたしたちも六分儀ですから。二人ならなんとか・・・見事なまでにすっかり囲んだ気でいるみたいですけど、そこがつけめです。さすがの綾波党も幽霊客を追い出すわけにはいかないから、旅館内に入れるのは知れてますしねえ。一度に動けるのもたかがしれてます。精選された付き人が十八人ほど・・・通路に四十七人ほど」
 
「旅館を火事にして陽動とか・・・・やめてくださいね。僕、この旅館、好きですから」
 
「そうですね。わたしもシンジさんの書いた小説、好きでしたよ」
 
「それじゃ、いきます。綾波さんに会いに・・・ずいぶん長い間、会ってなかった気がします」
 
「会わぬほどに思いは募る・・・・世の中は、月に村雲、花に風、思うに別れ、思わぬに添う・・金襴緞子の帯しめながら花嫁御寮はなぜ泣くのだろう・・・・ってもんですよ。
とうとう、らぶ度がリミット値を超えましたね〜
レイさんに喰らわしてあげてくださいな。あはは」
 
「ら、らぶ度ってなんなんですか」
 
「ふっ・・・シンジさんはこの次、”そんなんじゃ・・・”というセリフをいいます」
 
「そんなんじゃ・・・あれっ」
 
「つまりは、それが、らぶ度なんですよ。男は度胸です、ここまで来たからには腹をくくってください決めてください白々しく告げちゃってください鍾愛(愛を集めて特別にいとおしむことなのです)しちゃってください、がつーん、と!」
 
「がつーん、とですか・・・綾波さんに」
 
「そうです、綾波レイさんに。
でも、本当にいいんですか。法服を脱いで。もっといい服もありますし、たぶん、あっちは極め極めのメキメキでやって来ますよ。服飾会社の本社も人工島にはたくさんありますし真珠歌を筆頭に世界的デザイナーも多いですしね。好きな子の前で見劣りしたくないでしょうに」
 
「綾波さんが混乱しちゃいけないし。これで、いいんですよ。じゃあ」
 
襖の向こうに碇シンジが消える。綾波レイを正座で待つ。
 
 
「まー、お姫様はいっぺんきちゃない格好した方が幸せになれるんですけどね。
けど、ノースフェイスもブランドといえばブランドですし〜・・・」
 
 
「なんつーか、お見合いだよなあ。マフィアの手打ちみたいな気がしてたが。名家どうしの若様、姫様の。ま、こっちのは”ばか様”だけどな」
「あら、チンさん。トイレは・・・じゃない、覚悟は決まりましたか」
「なんの覚悟だよ。オレはあくまで関係ない一般ピープルだ。お前らみたいな誘拐魔と同じにするな。ちなみに荷担もしねえからな。シンジには誤解をとくよう言ってあるからな。これでオレとピラは晴れて無罪だ。お前らとは関係ない、どっちかてえと”敵風味”なことになるなあ」
「・・・”敵風味”、ですか」
「ま、それで一応警告しといてやるんだが・・・・ここで後継者を誘拐したり、傷つけたり・・・殺、ろしたりだなー・・・そういうことはやはりイカンと思うんだが。どうだろうか」
「どうだろうか・・って言われましても。どうなんですか」
ユトは微笑んでいる。これが嘘でもオレは見抜けねえ。その程度の関係じゃあるが・・。
「いろいろ昔、恨み事があって・・・憎しみをよりあわせてその急先鋒にお前がいるんだろうが・・・恨みさえ晴らして思い知らせてやれば、あとはどうなっても知るかっ!てな心境なんだろうが、どうもオレはそういうのが嫌いで苦手なんだが・・・・
こ、後継者もあんま幸せいっぱいの苦労知らずって感じじゃねえじゃねえか。そ、そりゃシンジのバカ話を信じてるわけじゃねえが、お前の話でいうと、悪いのはナダ様の義理の息子で後継者の親父であって・・・さらに、あんなシンジみてえな不気味なガキに若い時分から言い寄られるってのもかなり不幸だと、オレは思うぞ」
 
 
「そのとおりですよ」
 
 
「へ?」
 
 
「昔はそんなことも考えていましたけど。別に今はそんなこと、どうでもいいんです」
 
「なんだと?じゃ、あれは・・・」
 
「シンジさんを焚き付けるための”作り話”ですよ。あの時、ひそかに目が開いてましたからね、起きてたんですよ。・・・そうでもしないと、綾波レイさんをしんこうべから連れ出してくれないかもしれませんから。シンジさん、へんなところで物わかりがいいから。へんなところで悪いんですけど。認めちゃうかも知れないし。
それじゃ、わたしは困るんです。大切なひとからの頼まれ仕事が完遂できないんです。
とにかく、レイさんを連れて第三新東京市に戻ってもらわないと」
 
 
「じゃあ、一芝居打ったてのか?!」
 
 
「いやあチンさん名演技!しんこうべ出身のチンさん相手じゃないとあのリアリティはでませんからね。ああやって驚かしておけば、せっぱ詰まるって行動するでしょう。
ま、人を騙そうという人間は騙されても仕方がない・・・のですよ。世の摂理です。
少年は少女を守るべく・・・ああ、この人の手を離さない、僕の魂ごと離れてしまう気がするから・・・てなもんですよ」
 
「て、てめえユト・・・・」
 
 
「わたしポリシーとして、いったんしくじった相手には二度と手を出さないんですよ。
 
昔の話です。
綾波レイさんと碇シンジさん、いまはもうないんですけど、とある組織の命令で両方をいっぺんに誘拐してやろうとまあ、小さいおふたりのいた研究所に忍び込んだんです。首尾は上々・・・あと一歩、というところで運悪く邪魔されたからですけど・・・人生の分岐点でしたね。あの子達にとっても、末路を歩むわたしにとっても・・・。
 
月の綺麗な夜でした・・・・・その邪魔してくれたひとにこんなこと頼まれてるんですから・・・うーん、人生っておもちろい」
 
 
「オモチロイ・・・・じゃねえだろう!てめえは水木しげるか!オレはなあ・・・・」
 
「まあまあ、チンさん。落ち着いて。別にわたしが手を下さなくたって、そのうち綾波党なんて分裂して大喧嘩を始めますよ。しんこうべも後継者もタダじゃすまない・・・。
どうも特殊な能力をもつ一族にはそんな・・分裂、争乱の遺伝子があるみたいです。この業界で生きてきて、なんとなく、そう思います・・・虚しい繰り返しが続くんです。
チンさんのお父様はそれを知っていたのかもしれませんね・・・・」
 
 
「おめえはどこまで本気なんだか・・・まあいい、どうせオレは観客にすぎねえんだ」
 
 
「綾波レイが・・・・来た」襖の自然な隙間から眼術を用いて様子をうかがう係のタキローが注意をうながす。試合開始だ。言葉が、ゆらと震え青ざめている。
 
「・・・・・・さすがの綾波の後継・・・・
すごい・・・・なんでこんなに・・・・
極め極めに・・・・くそっ・・・・せせら笑ってたけど・・・・
これは御輿に乗せてくるわけだよ・・・・それしかない・・・・・
まるで”海”そのもの・・・なんて巨大な青色・・・・
あれが噂に聞く・・・・赤瞳の者共を率いるための陣羽織・・・・その名も”綾波”・・
・・くそっ・・・眼術なんてつかってたら目が潰されそうだ・・・まるで青い火焔・・反応する灯りが強すぎるっ・・・・」
 
 
「じゃ、わたしも。霊記の中に謳われた、人魂の長たる青なる君、くりかえし乱れて人を渡すかな、と。あれってマーブル染めで染めてるのかなー・・でも、色が変化してるような」
 
「で、どれどれ・・・・・つまりは綾波の人間であるオレたちはいーんだよな・・・どけ、タキロー。オレが代わりに見ておいてやらあ・・・・・ってうおおおおおっっ!!」
「な、なんすかチンの兄貴!?これからペガサス流星拳でも放つんすか?」
「ピラ、これをみせねえと末代まで恨まれそうだからお前もみとけっ!!なんつーか、見てるだけで露天風呂に入って体をのばして空を見てる気分になれるぜ・・・・・ほれ」
「へえ、そうすか、そいでは・・・ってアッと驚くタメゴロー×100倍っすーー!!・・・・・ちんちららな海光がなんか緑川洋一さんの写真みたくキラキラしてて綺麗っすねえ・・・・あっ!こ、後継者のあたまから帽子から”滝”が流れてるっす・・・」
 
「”滝絹”で作られた身隠しだろう・・・」目をぐりぐりしているタキローが解説する。
 
「滝絹?ってなんだ」
「滝でつくった絹のことだ。織るのにとんでもない長い年月と手間がかかる。あれほど純度の高いものは初めてみた・・・さすがは赤道直下でも腐らないとうたわれた神戸水。
所有しているだけで火難からは生涯逃れられる。あれで金鯱を包んでやると毎晩、口から黄金を産む、といわれてる」
「滝はけっこうあるっすから・・・・布引の滝、鼓が滝、亀が壺、オウネン滝、扁妙の滝、七種の滝、黒岩の滝、太田滝、飛竜の滝、野原の滝、鹿が壺、三が谷の滝、千畳の滝、原不動の滝、あ、これは有料で大人200円っす。段の白滝、阿瀬四十八滝、十戸の滝、八反の滝、一つ滝、二つ滝、白糸の滝、清竜の滝、猿尾の滝、瀞川滝、吉滝、霧が滝、シワガラの滝、天滝、布滝、床尾の三滝、不動の滝、独鈷の滝、鮎屋の滝、浅野滝、百間滝、曇り滝、最明寺滝、黒滝、二重滝、僧屋敷の滝、足尾滝、皆坂の滝、鮎返しの滝、おねみ滝谷、小の倉滝、三宝の滝、大釜の滝、小沼の滝、テリガシ滝、二段滝、小城48滝、サナの滝、久津山天が滝、真塩の滝、大滝、荒滝、要滝、鈴滝、新屋八坂の滝、桂の滝、一の渡しの滝、白綾の滝、魚が滝、栗鹿雄滝、雌滝、毘沙門の滝、そうめん滝、大川瀬滝、龍涎の滝、比地の滝、オノブの滝・・・どこっすかね?チンの兄貴、あとでオレたちも絹織りにいきましょうよ」
 
「あららピラさんすごいですね」
 
「ドライブするの、けっこう好きなんっす。それで”探訪 ひょうごの滝”って本を片手に見てまわったことがあったんす」
「勝手にすればいいさ。でも、百年やそこらでできるしろものじゃない。一説には人間じゃなくて妖怪が余暇につくってるなんて話もあるくらいだ」
 
「た、たしかになんかありゃ人間の手におえる反物っぽくないぞ。やめとこうピラよ・・・・で、帽子飾りに本物の・・・草花か・・・・」
「天人花やスミレ、オレンジ、レンゲ草、月桂を冠にせず鎖におとしてあるな・・・・雷除けか」
 
「と、ところで、なんであの海色の着物の袖は四つあるんだ?しかも全部から手が生えてるぞ・・・後継者は千手観音か?」
 
「なんで六分儀の僕が綾波の人間に綾波の着物の講釈するんだ?」
 
「まあまあ、タキローちゃんの専門分野でもあるじゃない。六分儀は質屋でもあるんだから」
 
「能とか歌舞伎とか、外国人の方が詳しかったりするの、よくあるっす」
 
「・・・ユト姉さんがそう言うなら。”綾波”・・あの海色の着物のことだけど、あの着物は四つ袖になっている。タコやらイカやら海の生物を模したのか、袖を多くすることで海のただよう感覚や波の表現をしようとしたのか、古来から袖は魔力のあるものとされてきたから、呪力を増すためなのかもしれない。代表者が儀礼や戦の折りに着る将旗の役割のあるものだから、しかもあの特別な材料の要りそうな生地はそう再現できるものじゃないしね、大男でも小娘でも着られるようなことでそうしたのか、それは分からない。
あの海の深さは・・・あの色はあの艶は・・・・現在のハイテク繊維技術でも・・・作れそうにない・・・たぶんね。裏地の方は、逆に防弾やらを考えた最新技術の詰め合わせ。
当代の技術の粋を集めて改造に改造を重ねるって話を聞いたことがある・・・
だから。
その全てかも知れない。誰が織ったのか知らないけど、そんな小賢しい意見は全て呑み込まれてしまうよ。どうやったら、着物の中の海に七福神船やイアソンの船を浮かべて進ませることができるんだ?魚影を回遊させることができるんだ?話によれば綾波が漂流してきた海のすべてが記されて”生きた海図”として使えるそうだし。漂着した宇宙人の服かもしれない。四本の手をもつ・・そんな気さえする・・・・」
 
「なんだそりゃ。わからねーならわからねーと言えっての」
 
「菩薩骨襦袢・・・六分儀にもあるけど・・・文殊や月光、菩薩の骨を持つ白襦袢。
指の骨だか肋骨だか忘れたけど、銀糸の経文の縫い取りが隙間無くつめこんである。
おそらく、下にそれを重ねてるんだろうけど・・・それには逆に袖がない。だけど、それ相応の資格のある人間が着たならば、賢く尊く美しい弥勒の救いの手が生えてくる・・・四つあるから二つ引いて二本か・・・・綾波レイの資格は・・・相応なわけだ」
 
「ゴクッ・・・で、手が生えてくるとど、どうなるんだ・・・・・?」
 
「便利なんじゃないか。この場合は、おそらく重力軽減のためかな。手にそのための浮珠を握ってる。着物の重ね着は重たいからな。衣装道楽に年季のいった綾波が身体の弱い後継者に無理をさせるわけもないだろうし」
 
「あと、気のせいかもしれないっすけど、後継者の着物が光ってないっすか?なんか微妙な光で・・・お日様やお月様を肌に閉じこめて周回させてるみたいな・・・あー」
「うーむ、端的に同じ女性の立場からはっきりいうと、透けてますね・・・一部、微妙にその光のせいで。ふらい みー とぅ ざ むーん な感じで透けてます」
 
「光輝臨照の日月星辰の三章文をぬけぬけと使ってるわけですが・・」
 
「お、なんだそのいい方。べつに太陽や月に肖像権があるわけでもねーだろ」
「すいません。これはある意味、嫉妬だったかもしれません」
「?どういうことっすか?」
 
「それは祈りの力を象徴するからです。全部で十二あるんです。日・月・星辰・山・竜・そうい(虎と尾長猿の紋様のある祭器)・華虫(雉子)・藻・火・粉米・斧・ふつ(青と黒の糸で・・カクカクしたMを縦に背中合わせにしたような形の刺繍)・・・・
光輝臨照の日月星辰、神変の竜、礼節の華虫、明らかな徳の火、猛威と智と考のそうい、
清潔の藻、養の粉米、賢明な判断の斧、そして、善のふつ・・・・・
六分儀にもそれを発動させられるものはおりません。日本全国探してもそうはいないでしょう。後漢明帝永平2年(59)から民国3年(1914)まで二千年の間、中国皇帝が、我が国でも聖武天皇の天平4年(732)以来、孝明天皇の時代まで天皇の礼服の文様として着用されてきたんです。着物道楽の綾波がその意味を知らぬはずがないんです。その本当の意味を。だから、ぬけぬけといいました」
 
「た、たしかにそれは・・・ぬけぬけかもしれん・・・」とチン。
「ただの人民サービスのシースルーじゃないんすねえ・・・」とピラ。
 
「祈りの力が服にある日月星辰を動かし輝かすのです。祈られていない人間が着るとドス黒い喪服に変じると云います。人の本質、魂の格、本性への評価を容赦なく映し、曝し出す。恐ろしい着つけですね。祈りは人の先行きを照らし出します。
ああ・・・まだ目が痛い・・・・」
 
「あの足下でレイさんの横をとことこついてくる更紗のマントをつけた白い毛玉みたいなのは?」
「歩く座布団、飛ぶマフラー、にするにはあまりにももったいない、はくたくの子供です」
「はくたく?新種のアルピノ・トトロじゃないの?」
「悪妖怪を殺して食べていくという伝説の正義妖怪です・・・・違うかもしれませんが。
その体香にさえ破邪の力があるとか。単なる生きた幸福梟かもしれませんし・・・着物があれだけの代物だとオプションもただじゃすまないってことだけは確かです。あの紐ひとつだってそうですよ。白神真百霊昇天紐・・・”朝霧”・・・凄まじい霊験力・・・あれを結ぶだけで七人みさきだろうが歳経た犬神だろうとあっという間に凍る砂に、琴の音のする松風になって消えてゆくという産土年代クラスの霊物ですよ・・・・はあ、解説してくときりがないんでこのへんでやめにしましょう。そろそろシンジさん、綾波レイさんのお二人も・・」
 
「袖のトコロに小さくついてる、なんか錆色の手回しハンドルみたいなのはなんすかね?
学生服じゃないっすからボタン・・・ともちがうようなんすけど」
 
「あれは・・・”水門釦”。あれをゆるめると大量の海の水が着物からあふれ出してくるとか・・・錆落としもしてないところをみると嘘じゃないらしい・・・で、そろそろ」
 
「あっ、でも最後にもうひとつだけ!タキローちゃん。綾波レイさんが伝説を着て歩いてるのは分かったけど、あの帽子につけてある趣味の悪いバッチはなに?」
 
「歓喜天と暴悪大笑面のあれですか・・・・歓喜天の方は・・・まあ、ごにょごにょ・・・・・で、暴悪大笑面の方は、悪を笑って仏道に向かわせる、ということで・・・確かにファッション的には適切じゃないでしょうけど・・・連中には意味があるんでしょう」
 
 
 
「お、そろそろはじまりそうだぞ。試合開始だ、ゴング鳴らせゴング」
「はいはい、それじゃ、かーん!とね。いっっちゃってください!シンジさん!!」
 
 

 
 
「ふふふふふ・・・・あの白さに映える紅の色・・・みごと化粧師」と鍵奈が微笑む。
「六分儀の子供は腰をぬかしているんじゃないか」と遊鎖が。
「あれ?・・・・・六分儀の法服を脱いでますー・・・・・なぜ」とツムリが。
 
「お付きとして貴女達の仕事はここまで。ご苦労様でした。あとは自分たちにお任せください・・・その、一番近い位置におられると、警護がやりづらく・・・・・」
後継者の婿候補にもあげられている若猛者、虎兵太が襖裏に陣取ろうとするが
 
「バカなことをいわないでくださいよー、虎兵太さん。この位置じゃないとレイさまのお着物の崩れとかあった場合、対応できないじゃないですかー。女の着物は大変なんですよー」
「そ、そうなんですか」戦闘力は卓絶していても武士の倅のような純情で一本気な虎兵太はそういわれては困った。ただ、任務は任務。だが、レイ様の晴れ姿を邪魔してよいものやらどうか・・・・サーベルタイガーを模した戦闘鎧の好青年は苦悩する。
 
「どうせ六分儀の連中は皆殺しなのだろう・・・大橋で捕獲された愚か者どもも解放された。なにを遠慮することがある・・・・・こんな愚劇つきあっちゃおれんねっ・・・・」
黒い太陽を模した兜を首までがっぽりかぶった綾波黒陽がクールにいいつつ襖裏位置をキープしようとにじり寄っていたところをツムリに突き落とされた。
 
「男は邪魔ですー。階段の方にいてくださればいいんですー」正装しつつ、武器の角槍はしっかり装備しているツムリが恫喝する。「ど頭トンカチ事件」が知れているので異議を唱える者はいなかった。始めは護衛役などやる気のなかったツムリだが、どこをどう気にいったものやら・・・しんこうべで一番思考速度の遅い女・・・今やすっかり王女を守護する白い騎士。しかも六位の実力者。圧倒できる神鉄や悪電などはこの場に来ていない。
 
 
「で、あの口紅の色なんですけれど・・・・いやー、苦労しましたヨ」
「そういや鍵奈、お前の実家、美容院だったな」
「びよういんときて、びよういん・・・・」
「うわっ、寒っ。ツムリ、お前、”ついでにとんちんかん”の”間 抜作”より寒いぞ」
「床屋の娘の遊鎖さんの説明セリフもなかなかのものですよ・・・・で、着物がなんせあれでしょう・・・。あれ、じつは裏地がまた凄いんです。脱いでも凄い、リバーシブル助六構造で、あっちの方は西洋風でナダ様がどこぞの魔女から奪ってきた男たらしの媚薬効果100%の男ならそりゃもう、馬だってオケラだってアメンボだってひっかかるとゆータチの悪い仮面ライダーブラックマトリクス・・・ナダ様が若かりし時はあの衣で某国の大統領邸宅に遊びに行ったとゆー・・・・・・あの、ツムリちゃんなぜ私に角槍?ですか?」
「イメージと違う・・・そんなのはレイさまじゃない・・・・」
「そ、それではもうちょっとティーンな感じで話題を」
「鍵奈、お前さん警備員だろう。式典警備服が泣くぞ。わたしが言うならまだしも」
「それは警備員に対する偏見です。で、わたし実家が美容院なんでたまにボランティアで養老院にお化粧しにいくんですけど、80代、90代のおばあちゃんが顔そりとか化粧サービスに真っ先に手をあげるんですよ。施設の人に聞くと、ふだんは無気力無感動でぼーっとしてるらしいんですけどね。それで驚いてたり。やっぱり化粧は女性の心を晴れやかに、華やかにさせるんですよ。あの服は立派ですけど、やはり重たいですから。着て楽しいものじゃないです。だから、口紅のチョイスは最新の注意をはらって選びに選んで」
 
 
 
「そろそろ始まる・・・・」映画館での早送り不可の最新作情報がようやく終了した観客のようにツムリは表情を入れ替えた。さて、これからが本編。
 
 
 

 
 
綾波レイと六分儀・・・いやさ、その衣をはぎとった碇シンジ、ここには二人しかない。
詩人がふたりでやる「詩のボクシング」というものがあるが、これはそれに似ている。
ふたりは完全に自分たちのことだけしか目に入らず耳に入らず心に入らない、世界のほかのものは邪魔者以外のなんでもない。とにかく、身勝手好き勝手なことしか言わないので、それでもよろしければおつきあいねがいたい。
そう、どちらが勝つのか見届ける観客として。
これ以降、地の文もレフェリーのようにしか出てこない。主役はこの二人である。
試合開始にグローブを打ち合わせるかわり、ふたりは掌を、上をむいた碇シンジの掌に綾波レイの掌をおく。嘘をつかぬと誓いのように。
 
 
 
「なぜ?碇君がここにいるの」
 
「なんで?綾波さんは急に消えちゃったの」
 
「なぜ?エヴァと第三新東京市・・・使徒との戦いはどうしたの」
 
「なんで?皆、綾波さんのことを忘れている・・・・忘れさせたって」
 
「なぜ?碇君だけ覚えているの」
 
「なんで?同じ顔の綾波さんがいるの・・・・双子がいたの」
 
「なぜ?この街だとわかったの」
 
「なんで?綾波さんに会うのにこんなに苦労するのは・・・嫌だったから?」
 
「あの・・・お話は結局、なんだったの?」
 
「ところで・・・なんでそんなに綺麗なの」
 
 
 
「碇君、答えて」
「答えてよ、綾波さん」
 
 
 
「僕がここにいるのは、簡単。綾波さんを探しに・・・会いにきたんだよ」
 
「わたしにはそれしかなかったから」
 
「アスカがいる・・・・けど、出来れば早く帰りたい。使徒がこないことを祈ってる」
 
「そう、わたしが零号機を使って皆の記憶を消したから」
 
「さあ。知らない。お風呂に入る途中、なんでか思い出したんだけど」
 
「双子じゃないけど、それにとても近い・・・ひと」
 
「その、そっくりな影武者のひとに聞いたんだ。だから分かった」
 
「・・・・ごめんなさい」
 
「綾波さんをおびきだすための僕の創作・・・だけど、ネルフは壊滅しそうな感じ」
 
「衣装がいいから・・・」
 
 
 
「帰る気は?・・・・ある?」
「ないわ・・・ここまで来てくれてありがとう・・・でも、あそこには帰れない」
 
 
 
「人の記憶を消すなんて火星人の侵略みたいなことをしてくれたんだから、並の覚悟じゃないのは分かってるし、ネルフのみんな、それからトウジたちも許さないと思う。絶対に。
それから僕も、許さない・・・・心配さえさせなかったそのやり方は許せない。たぶん、帰ったらみんなに囲まれてタコ殴りにされても文句はいえない。だってひどすぎるんだもの。僕もたぶん、助けない。だって、裏切りだもの。裏切られたことさえ知らないなんてひどすぎる。腹がたったなら、連れてきたお付きの人たちを全員この場に呼んでくれてもいいよ・・・でもね、みんなの代わりに、代表として、言わせてもらうよ。
ひどいよ、綾波さん、ひどすぎるよ・・・・とにかく、ひどい。なんとういうかひどい。
ひどいの十乗。極悪県非道市にお住まいの14歳少女・・・っていうか、だめだ、もうねたが尽きてきた・・・・あの時教わっとけばよかったな・・・・とにかく、ひどいっす。
みんな、綾波さんと会ったこともないなんて思ってるんだよ。たぶん、今も。
綾波さんがほんとは戦いたくなかったなら・・・・・そう正直にいってくれるなら・・・・・代わりに僕が戦う。もうエヴァに乗って使徒と戦わなくていい。頭数がどうとか関係ない。辛くてつらくて嫌で嫌で仕方がないなら、死ぬほどいやならもういいよ・・・」
 
 
「あなたさえ覚えていなければ、こういうことにはならなかった・・・・
なぜ?なぜ、あなただけ覚えてるの?碇君、あなたには忘れて欲しかった。だから、」
 
 
「正直な話、綾波さんは戦闘なんかにむいてない。むいてるわけがないんだよ。
アスカは戦闘向きだから、そのアスカと正反対の綾波さんが向いてるわけがないんだ。
女の子だし色は白いし体力ないし大人しいし本は読むし真面目だし敷居が高い深窓の令嬢っぽいとおもってたらそれどころじゃない島ひとつまるごと支配してる大名家のお姫様だし。頭はいいけど、やっぱり体力勝負の戦闘は無理だと思ってたんだ。零号機だってプロトタイプだからしかたがないけどなんかいま一つ弱そうだし・・・・・」
 
 
「弱そう・・・・・?」
 
 
「だから、里帰りしたいっていうのも分かるけど・・・・
ところで、なんで第三新東京市で僕だけが綾波さんのこと覚えてるんだろう?
それが不思議でしょうがないんだけど。思い出しさえしなければ、ここまで来るわけがなかったわけだし」
 
 
「それは、・・・・分からない」
 
「分からないなんて・・・・ちょっと無責任なような気もするけど・・・・」
 
「分からないものは分からないもの・・・」
 
「やっぱりATフィールドになにか関係してるのかな?だとしたらアスカも思い出してもおかしくはないんだけど」
 
「でも、あなただけ、じゃない・・・・第三新東京市で行き先を指し示した、わたしと同じ顔の・・・」
 
「影波さん?そういえば、あの娘もなんで覚えてたんだろう」
 
「普通の人間じゃないから・・・あの娘」
 
「僕もそうだっていうの。それはないんじゃ・・・・ないかな。確かに、こんなところまで来ちゃって迷惑だったかもしれないけど、思い出したものは仕方ないし」
 
 
「仕方がない・・・・・・碇君は思い出したくなかった・・・ということ」
 
 
「いや、そういうわけじゃ・・・・確かに苦労はしょいこむことになったけど・・・
でも、なんで僕なの?」
「なぜあなたなの?」
 
 
「うーん」
「・・・」
 
 
「・・・・・じゃあ、聞いてくれる?ここまで来るまでの話を。逆に辿っていけばなにか手がかりがつかめるかもしれない・・・・・綾波さんのことを思いだしてからみんなに聞いて回ってみたんだけど、誰も覚えてない。心当たりは全部まわってみた。全部ダメだった。それで、綾波さんの家に行ってみたら影波さんが中でお菓子食べてシャワー浴びてたんだ」
 
「影波・・・?シャワー・・?」
 
「そこで綾波さんが自分の意志で消えたことと自分の能力でみなの記憶を消したことも聞いたんだ。それからしんこうべ、緑腕地区・綾波脳病院・・・結局、いけなかったけど・・・の住所を聞いたんだよ。そして列車に乗って・・・」
 
「許可は得たの・・・・?司令や・・・葛城作戦部長の・・」
 
「許可してくれるわけないじゃない。だって綾波さんのこと忘れてるんだから。
アスカなんてトウモロコシの新種を作った人とか、ミサトさんにいたってはテニスプレーヤーだったっけ?とか言ってるくらいなんだから」
 
「え・・・・じゃあ・・・・」
 
「それから、しんこうべについて・・・でも、碇姓の人間はフクロだたきにされるって聞いたからとりあえず父さんの六分儀の姓を拝借して活動しようと思ったら、その六分儀から派遣されてきたガードの人が現れて・・・六分儀ユトさん、タキローくんて言うんだけど。ユトさんの方は小さい頃の綾波さんを知ってるふうだったなあ・・・それで、なんとしてでも会わせてくれるっていうんで行動をともにすることになったんだ。この二人がいてくれなかったらただじゃすまなかった。なんか・・・お里を悪くいって悪いんだけど、この、しんこうべってところは石ノ森章太郎先生が造ったんじゃないかな・・・・それとも雲の上から特撮のカメラがまわってる感じ・・・第三新東京市もいいかげん強面な街だったけど、ここはそれ以上だった。だって、町中を戦闘員がうろついて、しかも襲いかかってくるし・・・バスに乗ったら怪しい老人が毒ガス攻撃してくるし・・・観光都市として売っても人気がでるんじゃ・・・って、それはいいや。正義はこっちにあるんだ、って錯覚できたから」
 
「そんな・・・・・」
 
「正直いって、その時点で引き返そうと思ったけど、六分儀のガードのユトさんに”愛が足りない”って怒られるし、もうちょっとがんばろうかと思ったんだ。綾波さんの意志で失踪したんだったら無理矢理連れ戻すのってアリかな・・・・って考えてたんだけど」
 
「なぜ引き返さなかったの?」
 
「こうやって思い返してみると不思議なんだけど・・・・その時点では大変だなーと思っても過ぎてみると大したことないのねって思えるんだ。その”次”がまた大変だったから」
 
「大橋の雷・・・・・あれは・・・」
 
「ああ、聞こえてたんだ。そうだよ。リツコさんに造ってもらった護身用具。「幻雷太鼓」っていうんだけど・・・ひと振りで戦意喪失、ふた振りで精神的ダメージ、さん振りで肉体的ダメージ、四振りであの世行きっていう物騒な音波兵器なんだけど。押収されていまはないけどね。それで、銀行の前で車を調達して、ついでにドライバーの人も一緒に。
この人たちは綾波チンさん、ピラさんっていうんだけど、綾波さん知ってる?」
 
「いえ・・・でも、綾波の人間が・・・・」
 
「すすんで協力してくれたわけじゃなくて、単に僕たちが巻き込んだだけ。急いでたし、綾波脳病院の車だったからちょうどいいなと思って借りたんだ。ごめん」
 
「・・・・・・」
 
「こっちも何回か襲われたわけだし・・・慰謝料だと思って・・・・ごめん・・・
 
いやでも、車で脳病院に向かおうとしたら、橋の上で大軍に待ち伏せされてて・・・
ひどい目にあったんだ。綾波さんの指示じゃないよね・・・・だとしたらほんとうの本気で許さないけど・・・・・ユトさんの脚が折られたんだ。両腕がゴリラみたいに大きい神鉄とかいうのに・・・そりゃあユトさんは何人も誘拐してみせたけど、それは待ち伏せなんかするから仕方なく・・・・・」
 
「待ち伏せ・・・・・!」
 
「そっか。綾波さんはやっぱり知らなかったんだ。良かった」
 
「碇君・・・・その時・・・・怪我は・・・・」
 
「したよ。袋叩きにされたんだ。僕は自分の勝手で突き進んだからまだいいけど、ユトさん、タキローくんも痛めつけられた。チンさんとピラさんも何発か殴られたみたいだ・・・・その後、どこかの牢屋に入れられた」
 
「牢屋・・・・・」
 
「なんだか時代劇みたいだね。綾波さん、ほんとに知らないんだ。世間知らずのお姫様みたいだ。悪家老にいいように操られる・・・・それで、善人を処罰しちゃたりして。
 
でも、そんなわけでチンさんとピラさんは巻き込まれただけで、全然関係ない人なんだ。
死刑になるー!!さらし首じゃー!!とかいってすごく怖がってるから許してあげてほしいんだけど。完全に無実だから。ピラさんにはけがを治してもらったけど、巻き込んだ張本人の僕が言うんだから間違いないよ。
お願い」
 
「ほんとうにそうなら解放されているはずだけど・・・・・・分かったわ」
 
「ありがとう。これで約束が果たせた・・・チンさん、くどいから」
「え?」
 
「いや、こっちの話・・・・それで、その牢もなんか建築基準法に違法してるとかであんまり丈夫な造りじゃなかったみたいで水漏れしてきてね、それでこっちの旅館に移ったんだよ。それから、こっちから押し掛けるのはもう無理だと判断したから、今度は綾波さんをおびき出そうと思ってね、真実のノンフィクションをルポタージュしてみたんだ。できれば六話までかけたからもっと読んでもらおうと思ったんだけど」
 
 
「あれは・・・ほんとうのこと?」
 
 
「そうだよ。エヴァを使っても勝てない使徒の経済攻撃、第三新東京市乗っ取り攻撃だよ。
・・・・だって、そうだと思わない?街の人、一人一人に一番欲しいものを売ってその代償に街・・ネルフを買い取ろうとしてきたら・・・・誰も止められないよ」
 
 
「人類の命運がかかっていても」
 
 
「かかっていても止められないと思うなー。そこで、綾波さんの出番。
第三新東京市で一番欲のない綾波さんならネルフを売ったりしないよね」
 
 
「・・・・・・・碇君は」
 
 
「僕?売りはしないけど、質にいれるくらいはしちゃったかな。だってこうやってほったらかしてここに来てるんだもん・・・・・・」
 
 
「・・・・・・なんてこと」
 
 
 
 
 
「って、あはは、やっぱリアリティないよね。チンさんにはお前小説家になれるって言われたけどやっぱり無理っぽいね。綾波さんを連れ戻すにはやっぱり、”ネルフ全滅、壊滅の危機!”とかいって煽るしかないなーと思ってたけど。やっぱりダメだ。ネルフが危なくなったらこんなことでこんな話してないもん。すぐに帰るよ」
 
 
「そう・・・」
 
 
「でも、こういう時に限ってやたら強力な使徒がでてきたりして、アスカ、苦戦してるかもしれない・・・・だとしたら恨まれてるだろうなー・・・・ミサトさんやトウジたちにも。まあ、そんなテレビアニメみたいな展開にはなってないと思うけど・・・。絶対ないともいいきれないしなあ。本当に街が壊滅してネルフが全滅してたらどうしよう・・・・・ねえ、綾波さん
 
 
 

 
 
ちなみに、現在のネルフは使徒を一体捕獲して、待機の体勢にあった。
 
 
捕獲した「特殊な能力」を持つ使徒と「対になる能力を持った使徒」の降臨を待っていた。
かつて、使徒の降臨を待ち望むと云うことは無かった。少なくとも使徒が人類を痛めつけにやってくることを知っている第三新東京市住民、そしてネルフの面々は。
 
その、「特殊な能力」によってネルフは、第三新東京市は異様の姿に変えられた。
ユイ初号機がいる限り、ほとんどの使徒は敵ではなく、この使徒も例外ではなかったのだが、とかく厄介な、後を引く能力のせいで皆、困ってしまった。強いか弱いかといえばその使徒は戦闘能力らしい力はほとんどなかった。ゆえにすぐに捕獲されたのだが・・・殲滅されなかったのは、ひとえに「対になる能力をもつ使徒」をおびき出すためである。
碇ユイの発案だが、それに反対する者はだれもいないほど、困ってしまった。
例えるなら、提灯に瓦の袴をつけさせたようなオレンジの光を放つ使徒だ。
苦難には慣れているし耐えもするネルフの人間も、これには困惑、頭をかかえた。
第一、最高トップである碇ゲンドウからして珍しく、ひとすじ、冷や汗を流していた。
 
 
だが、天はあざ笑うかのように、「対になる能力をもつ使徒」を降臨させなかった。
丸二日である。
 
使徒名鑑にも確かにその存在は確認されているし、次の、別種の使徒が降りて来ないことを見ても確かなことだ。かならず、降臨してくるはず。碇ユイのカンは葛城ミサト以上によくあたるし、実際、当たってもらわねば困った。それほど使徒の特殊能力は暴威を振るったのだった。特に、降臨直後もろに奇襲をくらってしまった弐号機の有様が一番酷かった。使徒の恐るべきは戦闘力のみにあらず、特殊能力にある。惣流アスカもまだ甘い。
丸二日。対になる使徒はついに降臨しなかった。
 
「今日も・・・こなかったわね・・・・」暗い表情の葛城ミサト。なぜかその格好はいつもの赤ジャケットではなく、絢爛豪華な花魁着物を引きずりながら羽織っている。
 
「使徒の戦略に変更がかかったのかしら」こちらはいつもとかわりない白衣姿の赤木リツコ博士。「あまりに損失が大きいため、撤退を考えているとか・・・楽観にすぎるわね」
 
「来てくれないと困るわよ・・・・・全く、なんなのよお・・・・・・」
とケージでのスクランブル体勢にないとおかしい弐号機パイロット惣流アスカがこんな作戦室なんぞにいる。ちょっと泣きそうな表情だが、困惑も度が過ぎれば涙がでるのだ。
特に、外国で育った彼女にとってはそうであろう。今回の状況は。なんせ格好がすごい。
縄文や弥生か、とにかく卑弥呼のような格好をしている。別にコスプレでもなんでもない。
同様に、葛城ミサトの格好もファッションでもなんでもない。これは、総司令であるゲンドウの頭部を見れば分かる。
 
チョンマゲ。
 
そう、チョンマゲだ。チョンマゲなのだ。
隣で自分は難を避けた冬月副司令が今日も笑いをこらえている。
 
 
「発令所でたまには一緒に戦えるってのも、おつなもんじゃない」と葛城ミサトは惣流アスカをなぐさめる。そんな無駄っぽいなぐさめをこくん、と黙ってうけるほど、惣流アスカはまいっていた。それは、エヴァ弐号機の有様をみればよーく分かる。
 
 
朱塗りの埴輪・・・
 
 
現在の弐号機の状況を端的に、情け容赦なく表現すればそうなる。
人類最後の決戦兵器・・・天目学的予算をかけて製造された人造人間が赤埴輪に。
特殊装甲、生体部品が全て。がらんどうの焼き粘土に・・・・・
救いといえるのは、ATフィールド(と、いってよいものか不明)が発生できることと、
惣流アスカの「願い、もしくは祈り、さらには”やる気”」で動いてくれること。
手っ取り早く云うと特撮映画の「大魔神」になってしまったわけだ。
 
これが使徒の特殊能力。「先祖帰り能力」「退化能力」「回帰能力」というでもいうのか、提灯使徒が発するオレンジの光線を浴びるとこうなるわけだ。弐号機はモロに浴びたので影響が大きかったのだ。兵装ビルも「櫓(やぐら)」に、地下の特殊装甲板も「襖(ふすま)」に。
隙間からほそーく漏れてきた光線を運悪く浴びてしまったひとも「昔に帰った」。
服や頭が変化したくらいなら・・・着替えたり結い直せばよかろうと思うが、使徒の能力は徹底しており、一度変化した部分はどうしようが変化するのだ。服を脱いで裸になった時が一番ひどく、皮膚がメキメキと入れ墨状に変化して色彩が浮かび上がってくる。
光線を浴びてしまった箇所はもう、現代とおさらばしてしまったものと諦めるほかない。
 
 
だが・・・・
 
 
「諦められるかこんなのーーーーー!!」というのが大半の人の絶叫であり、その声に応えるために碇ユイは好みでない「使徒質をとってのおびき出し作戦」を敢行した。
なんせ、弐号機はこのままにしておくわけにはいかない。とんでもなく打たれ弱くなってしまった。「全身が肝臓になってしまったようなものね。接近戦は出来なくなる」と碇ユイ。なんせ材質は焼き粘土。ちょっとパンチくれたらコナゴナにされるだろう。
だが、ネルフの科学力をもってしても元に戻すことは不可能。惣流アスカが泣くわけだ。
そこで、昔帰り使徒の対の能力、「未来進化」能力をもつ使徒をおびき出す・・・・。
 
 
「レトロエルとメトロエル・・・これらは対になる使徒で、本来同時に降臨してくるはずなのだが・・・なにか降臨時に事故でも発生したのか?」とは使徒命名協会のいちばん偉い人冬月副司令のお言葉。冷静に渋い口調で云われると、今ひとつ信頼できそうにないこの考えにも、なんか救いが出てきたような気がするから不思議だ。
だが、進化能力をもつ(とされる)メトロエルはなかなか降臨してくれない。
丸二日。
 
 
 

 
 
なんで、使徒って現れるんだろう・・・・」
 
 
「敵だからよ・・・・人類の敵だから・・・理由なんてない・・・。
 
 
大丈夫、わたしがいなくても。それだけの理由で全てがネルフに結集するわ。
零号機の操縦者未選出は、スケジュールを調整させて新たな戦力をネルフに与える。
介入の時期を舞う鷹のように伏せる虎のように待つギルの後弐号機、A・V・th、参号機・黒羅羅・明暗、作戦部長が交渉を進めている九号機・グエンジャ・タチ・・・それから十一号機・マーリンズマーリンズマーリン・・・・・実験場との調整次第では四号機のフィフス・・・渚カヲル・・・彼が戻る可能性もあるわ・・・わたしがいなくても、大丈夫・・・あなたの帰りが遅いことだけが心配なの」
 
 
「うっ!・・・さすがは綾波さん・・・・考えてる・・・すごく説得力が・・・
しかもカヲル君が帰ってくる可能性もあるなんて・・・ポイント高いかも」
 
 
「それは義務感なのかもしれない。でも、ここまで来てくれてありがとう、碇君
そして、ひどい目にあわせてごめんなさい、碇君。
だけれど、その予感は的中するかも知れない・・・・。あの都市に必要なのはあなた。
・・・わたしの時につきあい、”過ぎ去りし昔日の王”になってはだめ」
 
 
「過ぎ去るしセキジツ・・・のなんとかは分からないけど・・・
ありがとうってことは・・・僕はここまで来て良かったんだね。・・・・すこし安心。
極悪人のストーカーみたいにチンさんたちには言われてたから・・・・戦闘員の人たちには忠誠心って感じで身体はって邪魔されたわけだし・・・うーん・・・・・
いろいろ痛い目みたけど・・・・綾波さんが大事にされてるところを見れたのは・・・・嬉しかった・・・・それと、その海色の着物・・・・すごく綺麗・・・・眼福の神様・・・・表情が、すごくいい。無感情で無表情なのは、きれいじゃないよ。やっぱり。綾波さんは向こうにいるときは、いつも山の上のダム湖かみたいに感情をたたえて、水力発電するみたいにしか表情を使わなかったけど、今日はちがうね。ああ、山の湖から海に流れてきたみたいだ」
 
 
「あっ・・・あの・・・・ありがとう・・・・」
 
 
「巡幸の様子も実はテレビで見てたんだけどね。凄かったなー・・・・いつもあんな感じなの?京都の祇園祭も青森のねぶたも博多の山笠もびっくりだけど。特に改造バイク軍団が凄いよね。思い切り怪人してて迫り来る地獄の軍団、我らをおそう黒い影〜って感じ。綾波団って」
 
 
「今日は特別・・・・・なの・・それから、団じゃなくて・・・党」
 
 
「だけど本当に凄かった・・・・オープンカーとか馬車とか駕籠とかなら分かるけど、御神輿にのってくるんだもん。この天気雨なのに。マラソン大会みたいに道路の真ん中をつかってるし沿道の歓声がすごいし・・・本当にここにくるのかなー?とどっかよそに行くんじゃないかなと思ったくらい」
 
「作法・・・らしいんだけど・・・」
 
「古い歴史があるんだね・・・で、綾波党は綾波さん・・・ややこしいなあ・・・・以外に継ぐ人はいないの?」
 
 
「わたしに子供がいないから・・・」
 
 
「は?あああっ?!こ、子供・・・・・・・子供というと一姫弐太郎な感じでチルドレンですか・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・党組織なら選挙で選ぶなりすればいいのに。
 
困ったことになったな・・・・・」
 
 
「碇君?」
 
 
「綾波さん、僕を鬼だと思っていいけど、僕は綾波さんをしんこうべから連れ去るよ。
詳しい事情は話せないけど、どうもまだほとぼりが冷めてないみたいだ」
 
「ほとぼり?」
 
「エヴァには乗らなくていいし・・・・第参新東京市には戻り辛いだろうから、ヒロシマに行こう。そこでしばらく隠れていて。迎えにはいけそうにないけど・・・・
さあ、行こう」
 
「あっ!碇君・・・」
 
 
 

 
 
と重ね合わせた掌を一方的に握った碇シンジは立ち上がり、綾波レイを引き上げようとする。少年らしくない強引さである。反射的に引っ込めようとする綾波レイだが、少年の力の方が強い。結局、力づくでことを性急に運ぼうというのは若人の悪い癖である。
この場においては、反則行為にあたろう。
 
 
すう・・・・・
 
 
綾波レイ側、碇シンジ側、双方の後ろの襖がすいっと開いて、綾波レイ側からは綾波ツムリ、碇シンジ側からは六分儀ユトが、互いに示し合わせたように盆に茶をのせて現れた。
二人の女に見咎められてさすがに気まずげに座り直す碇シンジ。
茶道の教本になるような見事な所作で、二人の主に近づいて茶を置くと、微風のような何気なさで耳元で何言かささやいて、さがっていった。
インターバルである。ふたり、無言で茶をすすり、のどの渇きをうるおす。
そして。
 
 
 

 
 
「わたしが・・・・ここにいるのは・・・許せない?」
 
 
「許すも許さないも・・・綾波さんが決めたんだから。今まで十分に戦ってきたんだし、もう引退したい、けど、そんなことネルフのみんなが許すわけがない、と思ってるなら記憶を消したこともある意味、しょうがないのかな、とは思う。僕がここにいてこんなこと言ってるのは綾波さんにとっては予想外のことなんだろうし・・・でも、今はしんこうべを離れた方がいい」
 
「ヒロシマでも・・・同じことなのよ。その、ほとぼりって・・・・何」
 
「なんというかー・・・あーうー・・・・・綾波さん自体悪くもなければ覚えもないだろうけど、とある人から恨みを買って、その人が復讐しにやってきてるとか・・・すぐそばにいたりとか・・・そういうことがこういう歴史のある街じゃあるんじゃないかな、と。
偉い立場になれば狙われるし・・・悪の組織と間違えて正義の仮面が討伐にやってくるかもしれないし・・・」
 
 

 
 
 
「お前の話に完全にひっかかっとるな・・・あいつと知り合っていつも思うんだが、一体どういう教育受けてんだ?」首をひねるチン。
「さあ、やはりパイロット教育なんじゃないですか。ロボットの」しらり、とユト。
「正義の仮面が討伐にやってくる・・・うんぬんはまんざら外れてないけれどね。しんこうべを完全に手中に収めたら次はなにをするつもりやら・・・」とタキロー。
 
「それで・・・・あの話はどのくらい・・・・・”作り”はいってんだ?」
「そういうことは知らない方がいいですよ、チンさん」さらり、と流すユト。
「覚悟のない奴は聞く資格がない」タキローがじろり、とにらみつける。
「・・・片手間にユト姉さんの人生を聞くな」
「・・・せえなあ・・・・ガキは黙ってろ・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 
 
「あー、はいはい、こんなところでセコンド同士喧嘩しない。喧嘩するのはあの二人。
付き添いの人間は仲良くしてください」ユトがあっさり仲裁する。
「不幸な・・・年月っすね」そんなことができるようになるのは、とピラは思った。
 
「それにしても・・・・僕たちを”売り”にでるかと思ったけど、そうしないね。
僕が逆の立場なら、すぐさま危険を排除するけどな。勘定ができないのかな・・・・甘い。
やっぱりあの人は駄目だ」タキローがこれまた薄ら寒いことをいう。
「確かに、六分儀の頭領としてはね。落第だわ・・・・あの才能は惜しいけど。
そーいうことは前もって言われてたし、いいんだけどね。京都の暗闇で金勘定するにはむいてない。どちらかというと、綾波レイさん向きでしょうね・・・目的のためなら手段を選ばない、弱音も戯れ言も吐かない、他の全てを迷わず犠牲にできる・・・」
 
 

 
 
「碇君、あなたはあくまでイレギュラーなの。零号機を増幅器に使った催眠は通常人には解くことも感じることも出来ない・・・・それに、そんな人が来てもいいの。そんな人が来たら・・・喜んで会うから・・・」
 
 
「僕はかなり苦労したんだけど・・会うの。知らなかったとはいえ・・・。
・・・・それにね、綾波さん」
 
 
「・・え」
 
 
「綾波さんはそりゃ、さっきみたいに鉄壁の守りでガードされてるからいいだろうけど、その仕返しする気の復讐人は、返り討ちにあったらどうするんだよ」
 
 

 
 
双方の襖の後ろで盛大に転ける音。階段から落ちる音も。スリップ、スリップダウン。
「な、なにをかんがえとんじゃ・・・」
 
 

 
 
「絶対、綾波さんに仕返しさせるわけにはいかないけど、その人だってかわいそうだよ・・・・まあ、たとえ話だけどさ。あくまで」
 
 
「碇君・・・恨んでるのね・・・」
 
 
「だから、その仕返しされる前にしんこうべから脱出すれば、仕返しされることもないし、その人も返り討ちにあう心配もない、とそういうことだよ。綾波さんが刺されればいい、とかそんなこと全然考えてないから!!」
 
 
「・・・・・・・」
 
 
「う、嘘だと思うなら、僕の心を読んでもいいよ。綾波さん、読めるんでしょう?前々からそうじゃないかなーとは思ってたんだけど、まさかほんとだとは・・・・しんこうべに来てから聞いたんだけどね。で、ほんと、すごくほんとだよ!上から三番目、左から2番目くらいにその人の情報を覚えてるから」
 
 
「・・・・・・・」
 
 
「ほら、分かったでしょう。こういう場合はテレパシストって便利だね。
そういうわけで、綾波さんに納得してもらえたところで・・・話は変わるけど」
 
 
「読めないの」
 
 
「はい?」
 
 
「読めない・・・他の人間の心は読めても、あなたの心だけは読めないの・・・
だからかもしれない。あなただけ、思い出してしまったのは」
 
 
「はあ?なんで?僕の目は赤くもないし、緑でもないよ・・・・あ、まずかったかな、このいい方。ごめん。でも、目から黒い鱗がはがれたら赤くなるかも・・・」
 
 
「怖くないの?」
 
 
「なんで?」
 
 
「なぜ、あなたは読心者に恐れを抱かないの・・・・その力が自分には通じないのを知っているから?」
 
 
「それはよくわからない。相性がわるいんじゃないかな。周波数とか・・・なにごとにも例外はあるから、あまり深く考えない方がいいと思うよ。はげるかもしれない。うん。
・・・・・綾波さんがあんな寂しい幽霊団地に一人で住んでたのはそのせいかあ・・・・街中で遊んだりしないのも・・・学校も、もしかして、辛かった?ひとつ、謎がとけちゃった。それに、読めないなら僕は綾波さんを怖がらなくてもいいってことでしょう。
今までどおり、普通でいいってことだよね。・・・あ、でも他の人には黙ってたほうがいいかなあ。この怪人の花の都のしんこうべ以外じゃ刺激が強すぎるよ。怪人軍団の首領の一人として心を読む、くらいの超能力をもってたっておかしくないけど、よその地域だとやっぱり・・・・ああっ!
 
 
「どうしたの」
 
 
「綾波さんの頬が・・・ふくれてる・・・・・微妙だけど・・・はじめてみた・・」
 
 
「・・・・・・」
 
 
「綾波さん、怒っちゃった?」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんなに怪人じゃない・・」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(すごくかわいい)」
 
 
 
「だから、怖かった・・・あなたのこと」
 
 
「は、はいー?どこが?どのへんが・・・」
 
「その存在が」
 
 
「・・・・・・・・」
 
 
「ある日、突然やってきてエヴァ初号機を容易く操り、そして使徒を殲滅すると消えて・・・・また、雷とともに現れた。夢のように敗北を知らず、戦士のように戦いを続けて、
あの街を子供のように歩くあなたの姿が」
 
 
「別に僕は・・・・」
 
 
「ごめんなさい、ひどいこといってる・・・・だけど、怖いの・・・
こうして手をかさねていると、逆にあなたに心を読まれているような気がして」
 
 
「読むことはできないけど、嘘ついてるかどうかは分かるよ」
 
 
「え」
 
 
「だって、これ、リツコさん直伝の嘘発見術だもん・・・こうすると掌の電流を関知して相手の嘘がわかるの。リツコさんの家にいたとき習ったんだけど、かなり的中するよ。
でも、綾波さんが僕の心を読めないっていうんじゃ不公平だねえ。やめようか・・・
嘘ついてないってことが分かるのも、けっこうつらいよ・・・」
 
 
「あ・・・・いえ・・・・それは・・・」
 
 
「よく考えたらこんなことするから、顔の距離がちかくなって、よく見えちゃうし・・・・赤い瞳の奥底まで・・・綾波さん、すごくいい匂いするし・・・・・・あ、いや・・・嘘発見術なんて、姑息だし・・・・やめよう・・・いいんだ、どうせ僕なんて・・・・ネルフに来るまでは父さんは組長かと思ってたし、初号機はオートマチックで動くと思ってたし、初号機だけは角があるし、たぶん人造人間じゃなくて妖怪人間なんだ、早く人間になりたいんだ。だから強いんだ。ひそかにエントリープラグの中で血を吸われてて、あの中じゃ分からないし・・・僕は妖怪人間化してるんだ・・・だから綾波さんに心を読んでもらえないんだ・・・心のないロボット鬼、使徒殲鬼なんだほんとうは・・・・うううう・・・・・・・無理しなくてもいいよ、綾波さん、怖がるのは当然だよ・・・僕なんて漂う月の雫を浴びて、剥がれ落ちてゆく記憶を叫んでいればいいんだ・・・ああ、祈りは罪を、嘘は綾波を、引き寄せてたぐり寄せて泣いていればいいんだ・・・綾波さんのまなざしを散りゆく最後に想うから」
 
 
「これが嘘でないなら・・・真実はどこにあるの・・・・とにかく、碇君、碇君、
元に戻って」
 
「あいたた・・・・そんな小指だけ握らなくても・・・」
 
 
「わたしが・・・ネルフを離れた本当の理由・・・・・話すわ」
 
 
「?」
 
 
 
「使徒に取り憑かれた・・・・って言ったら信じてもらえる?」
 
 
 

 
 
がたっ。
時田氏は座っていた椅子から思わず立ち上がった。
かつて、どのような極秘情報を聞いてもこれほど驚愕したことはない。
その事実はダイヤモンドより硬く、咀嚼するのにしばしかかった。
 
 
これがなんらかの誤認、詐術のたぐいでないことは目の前の紫の髪の少女が証明する。
ネルフのサードチルドレンが、こんなところにいたことも驚きだが、この会話相手の少女は一体・・・・「綾波レイ」・・・トアにその名を告げられた途端、記憶が、戻った。
今までシコシコと貯めていた、ネルフのダダ漏れていた情報の中にあるエヴァパイロットの情報、その中に確かに存在する「ファーストチルドレン・綾波レイ」。その名。
なぜ、いまのいままで・・・真・JAの腕部設計のために大概のことは忘却の彼方にあったが・・・あのこ憎たらしいネルフとこずらにくいエヴァどものことは忘れようもないのに。対話の中で言っていた零号機を用いた催眠・・・・対人兵器に転用されたらとんでもないことになる。結局のところは、こういうことに必ずなるのだ・・・時田氏は怒りを覚える。それは、義憤。催眠の恐怖を知りながら、それを越える誰かのための、義憤。
聞きつつ、情報を整理していく・・・・・。それが終了間際、さらなる衝撃。
エヴァのパイロットが「使徒」に取り憑かれている・・・・・
非科学的と笑い飛ばす余裕すらない。連中に人類の常識は通用しない。
なによりそれは、武装要塞都市、第三新東京市の根幹たる生け贄の巫子、サードチルドレンとファーストチルドレンがここ、「しんこうべ」にいる、という事実・・・・。
ネルフの連中は何を考えているんだ・・・・呆れるほか無いが、思い返す。
そう、ファーストチルドレンの存在は無かったことにされている・・・・
ならば、サードチルドレンは?ネルフの意向ではない。少年個人の意思だとしても。
異常事態が進行していることの理解を余儀なく。思い知らされる・・・。
現在ネルフ本部が保有している以外のエヴァ情報は特ダネののお得だったが・・・。
そうなったらそうなったで、真・JAの売り込み戦略をまた根底から考え直さねばならないではないか・・・・社長部分の脳みそがピクリと動き出してしまう時田氏。
 
 
「わたしたちが、あなたに協力した理由・・・おわかりですか」、とトア。
 
 
熱意に打たれただけじゃないのは承知の上だが、まさかそんな裏があったとは。
基本的にファーストチルドレン、綾波レイをしんこうべの外へ戻す気がない綾波党の連中はその見返りとして、エヴァ零号機の代役として真・JAを使わそう、という気なのだ。
対人洗脳兵器として完璧な力を見せつけたファーストチルドレン駆るエヴァ零号機。
たしかにもう、世の中に出す代物ではない。封印すべきである。・・・・だが。
現実に使徒の脅威はある。ファーストチルドレンは使徒に侵されてさえいる。
その「治療」・・・・あえてそう表現しよう・・・・に技術力で協力させられるだろう。
それは代価。適正である、と時田氏は判断した。
綾波レイが、ファーストチルドレンでなかろうと、綾波党の後継者であろうと。
 
 
「・・・わかりました。出来うる限りの全力を、尽くしますよ」
ただ、あのネルフがこの事実を知ったなら・・・・・使徒ごと少女を処理するだろうか。
さながら魔女を焚滅するように。それとも、貴重な人体実験の被験者として闇に繋ぐか。
結局、特務機関の人間など、そういうものだ。人間の皮をかぶった何か別の生き物だ。
ナオミの連絡途絶・・・・・つまりはそれと同じようなことになろう。走狗は煮られる。
だから、私はエヴァが吐き気がするほど嫌いなのだ・・・虫酸が走る・・・・・
 
 
「正直な話、その、”使徒”とやらがわたしたちにもよく分からないのです・・・・
時田さん、あなたや・・・・六分儀、いえ、碇シンジくんの心の中も探させてもらいましたが・・・今ひとつよくわからない・・・・戦っている人間にもよく分かってはいないのですね。ただ、あの子がその身に抱えてしまった使徒、というのが人間全体に対する・・・厄介な・・・困ったもの・・・・皆に迷惑をかける爆弾のようなものであるなら・・・わたしにわかるのも、せいぜい・・・レイ、あの子が真剣に悩んでいるということだけで
 
爆弾であるなら・・・・ここで爆発させればいい。毒であるならここで噴き出せばいい。
血も膿もこの地で流せばいい。隠すべき悪しきものなら、ここで引き受けましょう・・・
ここはあの子の故郷なのだから」
 
 

 
 
 
「・・・・使徒に・・・取り、憑かれた・・・・?」
 
 
「そう・・・・」
 
 
「そんな・・・そんな・・・・ばかな話って・・・・・・」
 
 
 
「だけど、ほんとうのこと」
 
 
「そうか・・・・・・・・・・!!だから、僕だけ思い出せたのか・・・・
そうか・・・・謎はすべて解けた!」
 
 
「待って・・・・いえ、そうじゃないわ。取り憑かれたのは、私」
 
 
「使徒に・・・・・取り憑かれる・・・・わかった!使徒幽霊だ。確かに、身体も巨大だしその分、恨みも大きそうだし・・・なるほど、しんこうべにお祓いの人がいるわけだ」
 
「いや・・・そうじゃ・・・ない・・・そうじゃ、ないの・・・
だけど・・・・もともと・・使徒は」
 
「そうかあ・・・ついに謎はすべて解けた。やっぱり綾波さんは綾波さんだ・・・・
そうなったら話は簡単。エヴァサイズの祓え串でもつくってもらってお祓いすればいい」
 
 
「臓器に侵食・・寄生されているの・・・・いえ、使徒の力でわたしの心臓が動いている・・・・その力が不随意筋を補っている・・・・そう言いかえた方がいいかもしれない。
零号機の暴走事故で壊れてしまったわたしの身体・・・・臓器・・・・つまり、部品。
壊れてしまった部品をそのまま、使っているのよ・・・おそらく、わたしと同じ姿をしているのはそのせい・・・・あなたの見た、同じ顔をした、もう一人の、わたし・・・」
 
「そんな・・・ロボットじゃあるまいし。それで、不随意筋ってなに?」
 
「自分の意思で動かせない・・・内臓の壁や、眠っている間にも働く筋肉のこと・・・・」
 
「なるほど。・・・・ところで、いつから・・・そう、なったの」
 
「始めの使徒が現れるのとほぼ同時期・・・・だと、思う。あなたが第三新東京市に現れるより前のこと」
 
「テレビ番組で言うと、第一回目からすでに・・・ってことか。いや、ごめん・・・
あまりよくない例えだった」
 
「使徒からみればわたしたちは人形のようなものかもしれない・・・
でも、人形にも人形使いに抵抗する権利はある・・・動くことをやめることで
 
 
わたしたちが人形を修復したり操ったりするように・・・・わたしは
 
 
・・・・死人のようなものかもしれない・・・」
 
 
「なんでそんなこと思うの?」
 
「わたしには、分かるの・・・・・だから、あなたたちとはもう一緒にいられない」
 
 
綾波レイの手が浮き、離れ・・・・・ようとしたが、碇シンジが握りしめる。
 
 
「怖く、ないの・・・・・・・私の手・・・」
 
 
「べつに。使徒の手ならこわいけど、綾波さんの手だもの」
 
 
「同時に使徒の手でもあるの・・・それでも」
 
 
「切り落とすわけにもいかないでしょ。使徒に汚染されたからって・・・・・
それに、死人の手はもっとぎしぎしと固いもんだよ」
 
 
「碇君。もし、逆の立場なら・・・・・わたしは。あなたを切るわ。弐号機パイロットも。フィフス・・・渚カヲル・・・彼も・・・・それでも」
 
 
「切るのはいいけど、切らせないよ。切られたらいたいもん。でも、アスカやカヲル君が使徒になっちゃったら、それは辛いかも・・・・大変だ・・・・ん?・・・・綾波さん、
 
今、すごく震えたけど・・・かなり電流がびりりってきた」
 
 
「なんでもないわ・・・なんでも・・・」
 
 
 
「そういえば、エヴァに乗れる子供ってのはなんでこんなに少ないんだろうね?」
 
「そ、それは09システムが・・・・」
 
 
「選ばれし者の恍惚と不安、我にありって心境にならない?」
 
「えっ?」
 
 
「にはは・・・・綾波さんは思わないんだ。よかった。考えが似てるんだ。僕もあんまり思えないんだよ。そういうの。僕らは”海の近くで遊んでいる子供”なのかもしれない。
だから、嵐になるのをいち早く気づけたり、堤防に穴があいてるのを指を差し込んで塞げたりするだけなんだろうと思う。たまたま、海の近くにいて、”その時”、出来ることが、ある・・・その間、嵐や大波はどんどん近づいてきているんだけど、時間稼ぎくらいは出来る・・・労働者だねえ、僕たちは。エヴァとか天文学的な予算をつかって、僕たちは時間をつくってるんだと思う。モーターと発電機みたいな関係。
ピースメーカーならぬ、タイムメーカーだよ。
でも、”たまたま”海の近くに遊ぶ子供は少ない・・・海があることを知ってる子さえ。
それは仕方がない。まあ、どんなにがんばってもがんばらなくても、作れる友人、知り合える人間の数は限られてるから、そんなに悲しまなくてもいいのかもしれないけど。
 
ねえ、綾波さん。その限られた知り合えるひとのなかに、綾波さんがいてくれてよかったと思う。始めから知らなかったなら、そして記憶を失ったらならまだしも、僕は知ってる。
 
 
僕にとって、綾波さんは・・・・・そうだなー、たとえるなら・・・南総里見八犬伝」
 
 
「八犬伝・・・・?」
 
 
「そう。西へ向かうよニンニキニキニキニンニンニン・・・・じゃない、しんこうべのテレビは昔の番組ばっかりやるから間違えたよ。それは西遊記だった。で、八犬伝の八犬士ってあるじゃない。牡丹の痣のある、仁義礼智忠信考悌の玉をもつ八人の義兄弟ってやつ」
 
 
「・・・・ユイおかあさんを伏姫と考えるなら・・・碇司令は八房・・・・いえ、それは危険な考えよ・・・・いえ、どちらかというとウルトラ兄弟に・・・碇君がタロウ・・」
 
 
「どしたの?急にうつむいて小声になって・・・・聞かれちゃまずいことは頭で考えた方がいいと思うよ・・・・綾波さん、ウルトラマンすきなの?へえー。それで、八犬士は八人しか仲間にいれちゃいけないわけだよ。八犬士っていうくらいだから。どんなに良い人間がいても九人目にしちゃいけないわけ。・・・脱退者がいれば話はべつだけど。
だから、その八人って数字が多いか少ないか、それが問題になってくるんだよ」
 
「ああ・・・」
 
「もし、仁の玉の人が考の人に100人分くらいの友情を覚えるなら、単純計算して106人も友人がいることになるわけだよ」
 
 
「・・・・・・え?その計算・・・」
 
 
「それで、義の人にも100人分くらいの友情を覚えるならなんと205人!ここまでくれば智の人にも覚えるだろうからしかも304人!それも、ここまで来たらサービスしちゃうよお客さん!てな感じでボーナスが50人ほどついちゃうわけだよ。で、354人。
こりゃもう、相当なモンだよ・・・・・なぜだろう?急に襖の向こうからパチパチ算盤の音やピコピコ電卓を叩く音が聞こえるのは・・・・怪奇現象?・・・まあいいや、そういうわけで、第三新東京市で、”信”の名前をもってるひとも、”礼”の名前をもってるひとに、そのくらいの・・・・・をもってるんだよ。100人分くらい・・・その人がいるのといないのとじゃかなり違う。
四人しか、っていうのが四人も!八人しか、っていうのが八人も!って思える・・・・んだけど、な・・・・」
 
 
「・・・・・・」
 
 
「・・・・・・」
 
 
 
「なぜ、信じられるの・・・」
 
 
 
「騙されてるってことは・・・・・そうか、綾波さんにはないんだっけ。人の心が読めるんだもんね。そういえば使徒の心も読めるの?」
 
 
「それは・・・・」
 
 
「確信があるからこんなことしたんだよね。身体のことだから僕にはなんにもいえないけど、だから、ネルフを、エヴァから、離れるの?操られて、後ろから斬りつけたりしないように・・・・それだけ?里帰りした理由は」
 
 
「しばらく、眠ろうと思うの・・・・冬眠のような深い眠り。
それで、使徒の一体は・・・・本人はレリエルと名乗っていたけれど・・・動けなくなる・・・・・わたしといっしょに氷の中で。使徒の侵攻が終わるまで。これが最後の一体になる日まで」
 
「それならますますヒロシマ行ったほうがいいような気もするけど・・・・・
それって、SFでよくある宇宙船の中で乗客が眠ったりする、こーるど・すりーぷとかいうやつ?死なばもろとも・・・じゃなくて、眠ればもろとも・・・ってこと?」
 
「そう。使徒について、わたしもいろいろと考えてみて・・・出した答え。
たとえ、見当はずれの愚かな答えであったとしても・・・わたしと共に使徒がネルフ本部内を歩くことだけはなくなるわ。エヴァのコントロールを奪うことも」
 
「確かにねえ。もともと零号機は狙撃や援護のうまい後方のサポート役って感じだし、それで前で僕やアスカが使徒と戦ってるところに後ろから脳天をずばーん!と撃ち抜かれたらたまらないなあ。それに、その使徒が綾波さんと二人三脚でネルフ本部内をうろついて内部情報がだだ漏れしちゃうのも危ないなあ。エヴァの弱点とかが知られたら・・・・・知ってる?実はエヴァってくすぐり攻撃に弱いんだよ」
 
「それは初めて聞いたけど・・・・・碇君・・・・納得してくれた・・・?」
 
 
「いやでも、それじゃ、綾波団の人たちはどうするの?あんなに慕ってくれてるのに。
里帰りしてすぐに冬眠なんかしちゃったらみんな寂しいんじゃないの・・・それに、後継者っていったらいろいろ覚えることとかあって大変なんじゃないの。大病院の院長ともなるとやっぱり、つきあいでゴルフとか麻雀とかゲートボールとかもやるんだろうし」
 
 
「党・・・・それに、ゲートボールなんてしないわ・・・・
それに、後継者はあくまで名前だけのこと。十年ぶりに帰ってきた人間なんて必要ないの。
わたしが珍重されるのはあくまで能力があるから。その能力も次代の指導適格者に移植すればわたしは必要なくなる。・・・・祖母の助言を受け容れてそうするつもり。
碇君、わたしの両親のことは誰かから聞いた?」
 
「いや・・・お祖母さんがたいそうな女傑の人だってのは聞いたけど・・・・どんな人?」
 
「わたしを守ろうとして、この街を泣きながら壊してしまったひと・・・・それが父」
 
「・・・・・・・」
 
「街を守ろうとして、逆巻く流れの中でお互いを崩してしまったひと・・・・それが母」
 
「不思議な力をもっていた。この世の中の森羅万象を逆さにしてしまえる天逆の力。
この世に流れるはずのない力を導く単独のひと。・・・それが父。
誰も癒せない見えない能力の傷を見て、触れて、それを治してしまう能力治癒の力。
奈落にも似た孤独な能力者の痛みを共有するほんとうの共感者・・・・・それが母。」
 
「もう、いないんだ・・・・・・・・・・・ごめん。
ちょっと不思議に思ってたんだ。なんで今まで放っておいたくせに、いまごろ大事に匿うのかって・・・・・・そうなんだ。ごめんなさい」
 
「気にしないで・・だから、もともと、人を導く・・・そんな資格なんてないの」
 
 
「父さんは・・・陰謀組長、母さんは・・・・隠居科学者・・・・・
うちもけっこう凄いと思ったけど、綾波さん家もすごいー・・・それで、綾波さんもその逆さまの力と癒す力が使えるんだ」
 
「能力治癒は使えるけれど・・天逆の力は使えない・・・・男性でないと。
それに、これは封印されるべき力だから・・・・。
脳病院の後継者に求められるのは能力治癒の力。それが脳病院の由来だから」
 
「そうだねえ、さかさまだからって男の人が急に女の人にされたりしても困るしねえ。
悪人が善人になるくらいならいいけど・・・・・ご両親はもう、おられないんだ」
 
 
「ええ」
 
 
「もしできたら、生まれてからずっとここに・・・・・・・・・あ、いやごめん・・・
そんなの当たり前か。好きこのんで使徒と戦うための都市に来たりしないよね」
 
 
「碇君・・・・この世界は善と悪と、どちらが総量が多いと思う?」
 
「変なこと聞くね。そりゃ善の方が多いに決まってるよ」
 
「悪の方が多いとしたら・・・・」
 
「その考えでいくと、逆さまにした方が世界は善が多くなるけど。・・・・・
綾波さん、ちょっと周囲のひとたちに影響受けてる?やっぱり苦労もいろいろあったんだろうけど、あんまり思い詰めちゃだめだよ・・・たしかに綾波団は悪の怪人組織っぽいけど・・・・やり方も待ち伏せとか、もろに悪だけど・・・それはお家大事っていうか綾波さん大事のゆえだと思うと許せなくもないかな・・・・・」
 
「ネガとポジは、どちらが真実の姿に近いと思う?」
 
「どっちもどっち・・・かな。カラー写真もあるんだし。やっぱり、真実うんぬんっていうむつかしい哲学的なテーマは、現物をみて判断するしかないような気がする・・・あ、もしかして、これって禅問答?じゃ、じゃあもっと禅っぽいやつで、”ガポ”とか」
 
 
「使徒と共存するわたし、と、そのままのわたし・・・・
あなたとエヴァにのって戦うわたしは使徒と共生するわたし・・・なぜ、信用できるの」
 
 
「綾波さんだって最近気づいたんでしょ、本人がわからなかったことを僕らがわかるわけないじゃない。僕にいわれてもなあ・・・・・あれ、どこかで牛ガエルが鳴いてる?」
 
 

 
 
少年が真摯な少女に向かって「僕にいわれてもなあ」などと・・・もちろん、牛ガエルではなく、綾波側、六分儀側からBOOBOOブーイングに決まっている。それは世界の選択。
少女の香りに騙されず、物事を安請け合いしない点を評価する者は誰もない。
碇シンジの判定勝ちはますます難しくなった。
 
 

 
 
「でも、いまはあなたはもう知っている。それでも」
 
 
「うん、たしかに原因は解明できたけど。綾波さんの言葉は信じるに値するし。
なんというか、使徒病?っていうのかな・・・うん、”使徒心臓病”にしとこう。取り憑かれたとか寄生されたとかいうよりはきつくないし、信じてもらいやすいから。説明もしやすいし。うん、我ながらいい名前だ。綾波さんは使徒心臓病にかかってしまって、死を覚悟したのでゾウがゾウの墓場にいくように人知れず、しんこうべに向かった、と」
 
 
「説明?だ、誰に・・・・」
 
 
「母さんに」
 
 
「ユイ、おかあさんに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うそ」
 
 
「綾波さんの事情はなんとなく分かったから、つらさとかはともかく、・・・・・冷凍睡眠施設くらいヒロシマの研究所にもあるよ。たぶん。なけりゃ造ってもらえばいいし。
実は今、第三新東京市に母さんが来てるんだよ」
 
 
 
「うそ・・・・・・・」
 
 
 
「嘘じゃないよ、ほんとだよ。で、しんこうべの駅で母さんの帰りの列車に途中で乗せてもらえばいい。これなら第三新東京市に顔みせなくていいし。気まずくないよ・・・・って、ああ誰も覚えてないから気まずいもおいしいもないんだけど」
 
 
「そんな・・・・・・」
 
 
「そんなに驚かなくても。別に死んでて墓場から甦ったわけじゃないんだから。
お祖母さんには悪いけど、やっぱり”ほとぼり”が冷めるまで隠れてた方がいいよ。
それに、なぜか母さんも綾波さんのことを覚えてるんだ。いろいろ便宜を図ってくれたのも母さんだよ。なんで覚えてるのかは不明だけど・・・・綾波さんの知らない場所にいるからとかなんとか言ってたけど、怖いところじゃないよ。
ヒロシマならなにがあっても安全だしね。・・・・・・・あれ?・・・・泣いてるの?」
 
 
「そんな・・・・・・・
そんな・・・・・・・・なんで、そんなうそつくの・・・・・・」
 
 
「嘘じゃないよ、ほんとだよ。」
 
 
「ユイおかあさんが・・・・出てこられるはずがない・・・・そんなはずが」
 
 
「僕と入れ替わりに。来てくれたんだ」
 
 
 
「・・・・・ほんとうに・・・・」
 
 
 
「ほんとだよ」
 
 
 
 
「碇君のばかっ!!」
 
 
 
 
「ば・・・・なんでえ?!なんで?!」
 
 
「なんで、ユイおかあさんにそんな無理させるの・・・」
 
 
「母さんが来るっていうんだから仕方がないよ。それに、だいたい綾波さんが勝手に消えちゃうからこういうことになるんだよ。迎えにいくのに留守にできないし」
 
 
「た、頼んでないもの・・・・そんなこと・・・・なのに、なんでそんなこと」
 
 
「うう・・・・・・・・・・・・・・そりゃーないんじゃないかな、綾波さん」
 
 
 
雲は月を覆い隠そうと、月は雲を拡散し去ろうと、険悪極まりない睨み方で睨み合う。
 
双方、引かない。卍巴の剣呑沈黙が、かなり長く続いた。で、ここでCM。
 
 
 
 

 
 
「・・・・・・・・・シンジ君・・・・」
渚カヲルが左手を額髪にやる。これが、”現在”と”過去”の口げんかか・・。
これをどう判定しろと?それにしても、綾波レイ、こうも彼女が冷静さを失うとは。
 
 
「あれ。まずいなあ。ふたりが・・・シンジ君はともかく、レイちゃんがこんなに頼りないとカヲル君、”未練”がでてきちゃう?失望しちゃった?」
 
 
「それはないけれど・・・・・ね。
現在の彼女は恐怖を抱えている。巨大な恐怖だよ。自我境界線ぎりぎりまでの。
綾波レイ。彼女でなければとっくに崩壊していただろうレベルの、深い恐怖。孤独。
かろうじてバランスをとっていたのは、彼女に読心能力があったためだ。
使徒には心がないから。他者の心を感じられるなら、まだ人間でいられる・・・
絶大な能力をもつゆえの孤独、そして使徒に侵食された者としての孤独。
その二つを相殺させて保っていた心が、シンジ君、彼の登場で乱れていく。
彼の前では、綾波レイは同じパイロット、チルドレンでしかない。普通の人間になれる。
絶大な催眠、読心能力を持つ者としての孤独から解き放つことのできる・・・彼ほど告白にふさわしい人間もいない・・・同時に、エヴァのパイロットは使徒を狩る者でもある。
つまり、徹底して正体を秘匿しなければならない相手になる。
綾波レイ、彼女にしてみれば、最も来て欲しくなかったのが彼、碇シンジ君だろうね。
混乱と破壊の使者・・・純粋な二律背反の悪魔のようなもの。
 
どうなんだろう?もし、シンジ君・・・彼が介入しなければ綾波レイはこのまま第三新東京市を離れたままだったんだろうか・・・・
あの時、彼が降臨しなければ彼女が光撃ち抜かれていたように」
 
「そして、おそらく眠り続ける・・・・”現在”と”過去”の関係はそんなものだから。
過ぎ去りし昔日の王・・・・レイちゃんと結ばれれば確実にシンジ君、彼は弱くなる・・・・・弱体化するわ。レイちゃんも同じく。その血に磨かれた特異な能力は衰退する。
でも、そのために”杖”を与えてもいる・・・・できることなら、天を裂くためでなく、海を呼ぶために使って欲しいけれど・・・・今まで何回もその機会を与えてきたけれど、いつも人は・・・恨みと怒りに猛り狂い、天を裂いてばかり。
望むと望まざると戦を呼び・・・砲華の冠、焦熱の剣鈴、血の化粧を繰り返す天輪の戦王・・・惣流アスカ・・・・・赤い騎士を妃にめとるなら、その可能性は高くなる・・そう、彼女が”輪廻”・・・最強の幻影を映し続ける紅い映写機・・・カタカタと石造りの塔の中で・・・・終時計の部隊に蹂躙されるまで」
 
「けれど、彼女はその本質に目覚めていない・・・・忘却の度が強まってさえいる。その意味で日本に来た・・・いや、引き戻されたのは正解だったのかな。”瞬間”・・・12刻の時計に現れぬ、心の中にだけある時間・・・まさに、セカンド」
「それは過去も同じだけどね」
 
「そして、”光階段”使徒・・・・・偉大なあの方を退けられるのも彼女一人だけ・・・ということだけど・・・・進化と退化を司る偉大な方・・・おそらく、ぼくたちでは取り込まれてしまう?」
「ラジエルさんの報告書があがったから、様子を観にいらしただけ。あの”霧”で誤魔化されなきゃ今頃あの都市は・・・うっきーな”猿の都市”になってたでしょうね。レトロ、メトロの脇侍をおいて、もうゆかれたわ」
 
「それでもシンジ君は恐ろしい?」
 
「わたしたちだけに効く、専用の毒、のようなものだから。とりわけ、あの街にいられたら手の出しようがない・・・天から視るあの都市は邪気立ち上る毒壺のようなもの、夜にも眠らぬ蠍の街・・・ま、食べ物は美味しいけどね。手を噛まれるわけにはいかないの」
「折角だし、もう少し聞かせてもらうよ。まだ、ぼくにもどうなるかが見えない・・・」
 
 

 
 
 
「今すぐ、帰って」
 
 
「間に合わなくなる前に、早く」
 
 
 
「そうもいかないよ。綾波さんを連れて帰らないと母さんに怒られちゃうよ」
 
 

 
 
うげっ、である。
 
 
「はあっ!?あのBROKENバカ野郎・・・・・オスマン・マザコンさんかてめーはっ!あほっ!すかっ!とるこっ!この期に及んでそりゃねーだろう・・・巻き込まれたオレたちの立場がねーじゃねえか!」
耳をダンボにしながら口はネズミのようにチンが文句をたれる。
 
「まあ、それが正直な心境なんでしょう。シンジさんの。今時、恋人だってこんなところまで追いかけてきたりはしませんよ。それに、あの二人の間に恋愛感情は微塵もありません!」ときっぱり言い切るタキロー。「僕にはわかります」
 
「まあなあ・・・・恋愛感情がありゃコトバはいらねえ、さっきからああもぐちぐちわけわかんねえ会話を続けてるってのはそうかもなあ・・・」さらにチン。
 
「でも、物にはいいようってものがあるっす。それに、おかあさんに無理をさせるのはいけないっす。でも、チンの兄貴、愛のためならいいっすか?」とピラ。
 
「いや、そういうわけでも・・・・いわゆる、レッドクロスだ。山口さんちのツトムくんじゃあるまいし、そりゃねえだろうといいたいわけだ」チン、謎の言い訳。
 
「あららあら〜・・・・・信頼度と愛情度ががた落ちに・・・これはまずいですよ・・・せっかくここまで身体ひとつで迎えにやってきたアドバンテージを全て失ってしまった感じです。く〜・・・・シンジさんのバカ」ユトが高級ドレスの裾を噛んで悔しがる。
 
「あちらの襖裏、綾波側じゃ音をたてずに拍手してる・・あ、ウェーブもしてます・・僕らの主の”失言”に」と涼しげにタキロー。
 
「勉強ができて、利口そうに見えても、ばかを扱えないやつもまた、ばかなんだ・・・って死んだじいちゃんから聞いたことがあるっす。後継者はかしこいっすよね?」とピラ。
 
「まー・・・なんだな。難しいなア。たとえ後継者にシンジに対しての恋愛感情がミジンコもなくても、いまのは自分がナイガシロにされた感じで面白くねーかもなあ。・・・・って、待てよ?年の割に冷静そうに見えるんで安心してたが今のでとうとうブチ切れあそばす可能性もあるってか?それで攻撃命令なんぞ出された日には・・・まずい、まずすぎる・・・シンジのバカ野郎、あれほど怒らせるなって言っといただろうが・・・こ、後継者は、か、賢いよな」安心を求めてユトに問いかけるチン。
 
 
「人間はね、チンさん。24時間、365日、賢さを営業してるわけじゃないんですよ。
たまには大バーゲンで喧嘩売ったり、怒りを買ったりするんですよねー・・・わたしの見たところ・・・」
 
 
「見たところ?」チン、タキロー、ピラが揃って。欠けた黒い家鴨のように。
 
 
 
「今や、同レベル」
 
 
 

 
 
「碇君が・・・・ここまで来たのは、ユイおかあさんに言われたから?」
 
 
「いろいろ理由があるけど、それが一番大きいかな・・・」
 
 
「ユイおかあさんに言われなかったら、ここまで来なかった?」
 
 
「かもしれない」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
 
「じつは」
 
 
 
「なに」
 
 
 
「綾波さんが好きだから・・・・・・・」
 
 
 
「うそ・・・・・・・・はじめて、あなたの嘘がわかるの」
 
 
 
「うん・・・・・・・・とかなんとか、そんなこと言えれば楽だと僕も思うんだけど。
なんだか全部、それのせいにできて便利だし。でも、もしそうだとしても言えないよ。
いろんな人に迷惑を・・・とくにアスカに負担かけて・・・・きたんだから。
正直、好きだから迎えにきたっていうのは違うとおもう。それに、ここまでこれたのはほとんど僕の力じゃなくて、ガードのユトさん、タキローくん、巻き込んだチンさんピラさんのおかげだから。結局、会う場をつくってくれた綾波団のひとたちもね。フクロだたきにされたけど・・。それと、ラッキーだったってことも分かってる。僕の、意思の力じゃない。好きだから、こけの一念、岩をも通す、でここまで来たんじゃない。アスカでもミサトさんでも、他の人でも同じようなことになったら、トウジやケンスケでもだよ、同じことするだろうから、好きとかなんとかじゃあ・・・ないんだ。ごめんね」
 
 
「あやまる必要なんてないわ・・・」
 
 
「でも、こんなところまできてわかったこともけっこうあるんだ。
探さなくともすぐそこにあるってこと」
 
 
「ん・・・・それ?・・・」
 
 
「こんなに苦労しても会いに来る価値が綾波さんにはあるってこと。それが分かった。
今度また・・・同じような目にあって場所は変えて・・・・今度は火星あたりに迷うことになったとしても・・・タコ型の火星人に邪魔されても、僕は、またやって来ると思う。今度はもっとうまくやるよ」
 
 
「うそ・・・・・」
 
 
「この道行きは同じ顔をした、もうひとりの綾波さんが導いたことでもある・・・
なにかの罠の可能性が高いけど、母さんが言ったから信じられる。
まだ、会いに来るに足るなにかがあるんだって・・・・やっぱりあたってたね」
 
 
「なんで僕だけ思いだしたのか、それを本当に聞きたかったんだ。それがなにかの偶然じゃなくて、綾波さんの意志なら・・・・その、使徒に身体の一部を補ってもらう・・・外せない眼鏡や補聴器みたいな・・・補臓器かな・・・・誰にいっても信じてもらえないそんな苦しさは想像もしてなかったけど、なにかいいにくい苦しさがあって、・・・僕ならもしかしたら信じるんじゃないかなって考えてくれたんなら・・・・いちおう、同じエヴァのパイロットだし、同い年だし、同じ中学だし、同じネルフだし、アスカみたいな女同士じゃないし、ミサトさんやリツコさんや父さんみたいな大人じゃないけど、僕がちょうどいい相手だったのかもしれない・・・話を聞くくらいなら出来るから・・・・そんなことをちらっと頭の片隅で考えて、記憶を消すの失敗したんだったら・・・」
 
 
 
「それはないわ」
 
 
 

 
 
サインはV、である。
 
 
綾波側の襖奥で護衛の者たちはほくそ笑んだ。これにて、一件落着だと思った。
意味不明の討論が続いたが、ここまで見事に振られてみれば六分儀の鬼小僧も諦めるだろう。いまのはKOパンチである。ここまで言われればどんなバカでも自分がおよびでないことが分かっただろう。わはは、俯いたあのみじめな顔!ざまーみそしるである。それに、何より大事なことは、「後継者が連れ戻されることを嫌がっている」という点が確認されたことである。戦党員や怪人の中には「ほんとうは後継者は戻りたがっているのではないか。だから行幸にかこつけて危険人物六分儀に会おうというのでは?」という不安を感じている者もいた。「純粋な後継者の足下をみて悪辣な交換条件で連れていく気なのでは?」と心配する者もいた。それは杞憂だった。
 
後継者はしんこうべに残り、綾波党を継ぐ。
 
お体がどうも優れないようだが、それはそれ、そのための医療都市・しんこうべ。
いささか辺鄙な武装都市でこき使われて”ノイローゼ気味”であるが、すぐによくなられよう。
「野暮と化け物はしんこうべより東に住む」である。
 
使徒だかなんだか知らないが、怪人はともかく、巨大怪獣なんぞ本当にいるわけがない。
いるわけがないじゃないか!全く常識だよ
 
・・・・おかわいそうに。
 
エヴァだかなんだか知らないが、戦党員はともかく、巨大ロボなぞ本当にいるわけがない。
いるわけがないじゃないか!全く常識だよ
 
・・・・おかわいそうに。
 
 
なんとしても、そんな、ぴちがい的「異常な世界」に引き戻させてはいけない!。
あのようないわさきちひろ系の儚げな風情の少女に。黙示六分儀少年に手をとらせては。
実力実行が嫌いではない護衛の者たちは無音のままに手慣れた戦闘の準備を始めた。
 
 
 

 
 
 
「そう・・・・」
 
 
「碇君、一刻も早くあの街に・・・帰って」
 
 
「お願い・・・・もう二度と会うこともないから、何も・・・お返しはできないけど」
 
 
「・・・おかしな綾波さん。なんで僕の母さんがそんなに大切なの?」
 
 
 
「昔、わたしを救ってくれたから。恩人。わたしにとっての・・・・ひかりのひと
楽園の光景をかいま見せてくれる、ひかりのひと。崩れたはずの未来への階段をつないでくれたひと。奈落へと落ちるわたしの魂を火の傷もものともせず、ひろいあげてくれたひと・・・あのひとが乗っていたからわたしもエヴァにのれるの・・・・」
 
 
「ひかりのひと・・・・それは・・・ちょっと過大評価かも・・・霧だし・・」
 
 
 
「碇君のウルトラ大ばかっっ!!」
 
 
 
「ウ、ウルトラって・・・綾波さん・・・・・なんだか、襖の後ろで雪崩のようなすごいズッコケ音が・・・あ、なんか怪しい武器が暴発したような音も・・・・」
 
 
 
「だいたい、なんでここまで来るの!わたしのことなんて放っておいて無視して、ユイおかあさんの言うことも聞かなければいいのに。今、使徒が来襲してきたらどうなるの?
弐号機パイロットは力と技は強いけれど、興奮しやすく計略にはまりやすい。瞬発力はあるけれど、それに頼りすぎる傾向がある・・・待つ、ことができないのよ。誰かがついていないといずれ、命を落とすわ・・・」
 
「それはしょうがないじゃないの。エヴァは内臓電源だけだと五分も動かないんだから。
そのあたりを考えてアスカはよく動くんだと思うよ。じっと黙って祈るだけですべてがかなうなら誰も苦労しないよ・・・・全くその通りだと思うけど、そんなこといわないでよ」
 
「肉月(にくづき)・・・・・」
 
「どうせ僕はM78星雲から来たウルトラ大バカだもん。遊星猿人ゴリ以下のスペクトル大バカだもん。闇を引き裂く怪奇大大バカだもん」
 
「なぜ、あなたがエヴァ初号機を動かせるの・・・・・初号機があなたを呼んでる」
 
「聞こえません。そんな、神託っぽく言うのはずるいと思うな。熱血ヒーローなひとなら一発でだまされちゃうよ。ずるい。綾波さんはずるいよ。そんなの・・・・無責任だと言われてもわかっちゃいるけどやめられない。す・・・・」
 
 
「すいすい・・・・・・って言ったらゆるさない、から・・・・」
 
 
「うっ、なんで綾波さんがそんなスーダラ見事な相殺予想を・・・・これも使徒の能力!?」
 
 
「そんなわけない・・・・・・・・・・・けど、もしかしたらそうかもしれない・・・・旧いものが好きみたいだったから・・・」
 
「どっちなの?」
 
 
 
「・・・と、とにかく、碇君はもう・・・帰って・・・・目的は・・・こほっ・」
 
 
「ふだん、大声なんて出し慣れてないんだから・・・息切れしてるよ」
 
 
「目的は果たしたんでしょう・・・・わたしはネルフには戻れない・・・・」
 
 
「かといって、ちょっとしんこうべにも置いておけないんだよ。詳しい事情は話せないんだけど、ここにいちゃ危ないよ」
 
 
「碇君、あなたが一番危険なの」
 
 
「あっ!、そういうこと言うんだ。綾波団の次期団長なのに」
 
 
「言うわ。だから、早く帰って。それだけユイおかあさんの身体が赤く・・・」
 
 
 
「あしたのために」
 
 
 
「なに?」
 
 
「母さんの綾波さんに対する言葉。聞きたい?」
 
 
 
「!!・・・・・・・・い、いえ・・・・・・聞きたくない・・・・・」
 
 
 
「顔に凄く聞きたいって書いてあるよ。だから発表します、綾波さんのあしたのために!」
 
 
 

 
 
じゃざざざんっ!
 
 
「あしたのために」などといって立ち上がり、綾波レイに迫る碇シンジ。
目つきがあやしい。ケモノの血がはいってるんじゃなかろうかノーガードで突っ込む。
その場にいるほとんどが碇シンジが何をトチ狂ったか綾波レイを殴るんじゃないかと思い一気に会場は沸騰した。一度ならず二度までも。これでは決裂、強制介入もやむなし。
突入にかかろうとする襖裏の綾波党の護衛団。
 
 
碇シンジは両腕で綾波レイを抱きかかえようとした・・・・・なんという破廉恥な!・・・・「軽い・・・・バレーボールより軽いよ」・・・・碇シンジにさほどの腕力はないのだが、綾波レイ本人が軽いところにさらに、孫娘に負担をかけないというナダの至上命令で改造された特製の着物はまさに天女の羽衣。綺麗な上に、信じられないくらい、半重力物質でも仕込んであるんじゃないかと思うくらいに軽い。じっさいに、勢いあまってすこし腕の中でぽわとりん、と浮きさえした。それが碇シンジには幸い、綾波レイを含むほかの者全てに災いした。そのまま綾波レイを抱きかかえたまま、なんと碇シンジは縁側にダッシュすると、そのまま外に飛び出したのだ!!。
 
 
「チンさんっ。お願いします!」
 
とゆー、謎の言葉とともに。アチョー〜〜〜〜〜〜〜 。
 
 
 
「おおおおおおおおおおおおおおおおオレかああ!?」
 
完璧なまでに。正気など一ミリグラム 以下も残っていない、狼狽しきった声が碇シンジ側の襖の裏から響く。ほとんど悲鳴に近い。無理もない、ふつうの一般市民、観客だと信じ切っていた人間がいきなりリングにあげられたのだ。大昔、缶コーヒーの宣伝でそういうのがあったのだが、指名をくらったチンにはそこで一息つく缶コーヒーすらない。
また、ついているヒマもなく、碇シンジと、それに抱きかかえられた綾波レイは重力の手に引きずり込まれて落下状態に早くも入っている。そんなに慌てることもなかろうが、その時間は万国共通だ。早いトコなんとかしないと、大怪我は必至。死ぬかもしれない。
ここは四階の高楼だ。
 
 
しかも、無責任なことに碇シンジはチンになにをしろと指示もしない。ただのお願い。
もし、チンがマニュアル人間だったとしたら、ふたりの少年少女の生命はやばい。
そして、チンがこの無責任に応える能力を持たない人間だったとしたら・・・・・
ショックをうけた小動物のようにフリーズしている時間はない。
養鶏場から逃げ出すニワトリの粘土アニメ「チキン・ラン」を思い出しているヒマもない。
愛する者を救うために、秘められた能力をここぞ、とばかりに解放するのがお約束なのだが、いかんせん、綾波チンは当然碇シンジも・・・高嶺の花で若すぎる綾波レイもとくに”愛して”はなかったし、とにもかくにもいきなり急なことで、打ち合わせもナシにあのガキ・・・などと言っていたら時間はすぐになくなる。少年少女は地面のすぐそば。
 
 
 
「ああああああおおおああああああああっっっげぼっ」
 
 
極度の緊張のせいであろうか、はたまたそれが能力を解放する鍵であったのか、チンは吐いた。鳥の羽を、それも大量に吐いた。キクイビタキ、ヒガラ、メジロ、メゾソムシクイ、コサメビタキ、ルリビタキ、ゴジュウカラ、コマドリ、カワラヒラ、コジュリン、ジョウビタキ、シジュウカラ、スズメ、ヤマガラ、コルリ、ベニマシコ、ウグイス、カシラダカ、コゲラ、ノゴマ、ホオジロ、ミヤマホオジロ、オオマシコ、オオジュリン、ヒバリ、アリスイ、イワヒバリ、ツバメ、コムクドリ、モズ、ギンザンマシコ、シメ、ヒレンジャク、ハクセキレイ、イカル、アカハラ、クロツグミ、ツグミ、シロハラ、ムクドリ、オオコノハズク、ヒヨドリ、アオゲラ、あかげら、ブッポウソウ、コジュケイ、ヨタカ、ヤツガシラ、キジバト、シラコバト、ライチョウ、エゾライチョウ、アオシギ、カケス、ヤマシギ、オナガ、アオバト、アオバズク、オオジシギ、トラツグミ、キジ、ヤマドリ、ハイタカ、カワラバト、ミソゴイ、チゴハヤブサ、チョウゲンポウ、カラス、サシバ、オオタカ、フクロウ、ノスリ、トラフズク、コミミズク、ハチクマ、ワシミミズク、トビ、イヌワシ、
 
 
・・・・赤い瞳が爛々と輝く。吐き続ける「げほ、げほっ、ごほっ、がべっ・・・・」
心臓がかつてないほどの強烈さで早鐘を打ち続ける。このまま割れかねない。
 
 
人間に翼をつけるよなことはできない。ただ・・・・オレに出来るのは、人間の「飛行衝動」を刺激することだけ。信じる、信じないは関係ねえんだ、すまねえな、詳しく説明しときゃよかった。まさかンなことを考えてるなんて・・・ここ一番でオレを指名してくるなんざ思いもしなかったから・・・・な。その衝動を持たない者、”飛べない奴は飛ばない”んだ。更に吐く。
 
 
ミソサザイ、コチドリ、カワセミ、キリアイ、アカエリヒレアシシギ、キセキレイ、セゴロセキレイ、カワガラス、ヒメクイナ、イソヒヨドリ、タマシギ、ムナグロ、ウミスズメ、クイナ、アカショウビン、タシギ、タゲリ、コアジサシ、ヨシゴイ、ウトウ、ヤマセミ、トモエガモ、ミツユビカモメ、ユリカモメ、チュウシャクサギ、ハシボソミズナギドリ、オシドリ、ホオジロガモ、ハヤブサ、カルガモ、ゴイサギ、カワアイサ、ヒシクイ、アホウドリ、オジロワシ、・・・・・・・・どうもまずい。この羽根どもが飛行衝動を形にしたもので、これが発動すれば赤く染まる・・・はずだが、「当たり」がない。
シンジも・・・・後継者のぶんも・・・・または・・・能力発動自体をしくじったか。
いや、それはない。この赤い瞳の疼き・・・・かつてない力の脈動を感じる。
 
 
「チンさん、やりましたね」背中にやわらかい女の手が。やさしくさする。ユトか。
「なに?」もう片方の指先が差す方を・・縁側の方を見てみると。あんぐり。顎があいた。
 
 
 
「な、なんだありゃ・・・・・・」信じられないものがいた。
 
 
 
「チンさん、ありがとう」
窓の外には・・落下したはずの碇シンジが浮いている。”雲に乗って”浮いている。
雷光のようにピカピカ輝く雲・・・七つのプロペラをつけた・・・不思議の雲。
その腕には気を失ったらしい後継者・綾波レイ。その背には・・・コバルトに輝く戦闘機械めいた翼が生えている・・・・・どちらもまともな・・・チン的に一般的な・・・飛行衝動のかたちではない。こいつら何で出来てんだ?自分の能力がこれを引き起こしたのか
どうも信じたくないが・・・・「ちょ、そ、そこでオレの名前を出すんじゃねえっ!!」
 
 
「あ、ごめん。でも、綾波さんから”許す”ってお墨付きをもらってるから、綾波団のひとたち怒らないでください・・・それで、僕たちこのまま第三新東京市に戻ります。
いろいろとお世話になりました・・・・チンさん、ピラさん、タキローくん、それから・・・・ユトさん。復讐なんて忘れて幸せになって下さい。そっちの方がいいですよ絶対」
 
 
わざとやってるのか、天然なのか、碇シンジはぺこり、と頭をさげると完全に止まっている一同に反論もされずに、逃げにかかった。結局のところ、碇シンジは綾波レイを説得するつもりなど頭から無かったわけである。自分の力量をわきまえているともいえるが。
どういう操作系なのか、(チンにも不明)分からないが、ゆっくりとだった七つのプロペラが忙しく回転はじめた。たかが雲でどれだけのスピードが出るものか・・・・
 
 
「チンの兄貴・・・あれって、もしかして、”きんとうん”っすか?孫悟空の乗る・・」「知るかあ!!プロペラはねーだろっ」チンは泣きそうな顔で叫んだ。
「だとしたら・・・無茶苦茶速いっすね・・・・お釈迦様でないと止められないっす」
「オレのせいじゃねえ!!オレのせいじゃねえ!!オレは知らないっ!!」
 
 
「お前のせいだー・・・・・」と、チンの喉元にツムリの角槍が突きつけられる。
 
「はやく、能力を解除してください。あくまで話し合いで、とレイ様がおっしゃるから黙ってみてましたけどー、もうがまんできないー」
「い!!、いま解除したら後継者もろともまっさかさまの大怪我・・・です、よ、と」
さらに角槍がつきつけられ、ぶっさりと刺さるのをさけるためつま先立ちのチン。
「隙をつかれただけ。もうフォローはできてる。解除してもレイ様にお怪我はないよう。
でも、あの鬼の子は落っこちてもらう。首でも腕でも好きな骨でも折れればいいんだー。
そのあとで”へそ”でもとってやる・・・・もう許さなあい・・・」
 
 
「チンさんは僕にさらわれて落っこちかけた綾波さんを助けたんですよ。ね、チンさん」
逐電者・碇シンジがフォローをいれる。いちおう、逃げる前に。
「そんなわけで、悪いのは全部、僕です。・・・・・・それじゃあ」
 
 
「そうはさせないよう・・・・・レイ様!レイさまーーー!!」
完全に後継者は相手の腕の中にあるため下手に手出しができない。ツムリは一か八かでチンを角槍で殴って気絶させた。だが、綾波の能力はそんなものでリセットされるほど甘くはない。それに、この介護翼の能力はいったん発動すれば飛行者は気がすむまで飛び続けられるのだった。渡り鳥のように。
だが、津軽海峡の冬のツバメのように悲痛なツムリの吹雪な叫びは確かにレイに届いた。
意識がはっきりしないが、なぜか碇シンジの腕の中にいる自分をぼんやり認識。
 
「え・・・いかり・・・・くん・・・・・・」
 
「あ、やばい。綾波さん、これはね・・・・」
 
一応、罪悪感はあるのだ。さすがに。自分のものでもないくせに、賭につかってしまったことに。碇シンジは下手な言い訳をしかけて、つい綾波レイの飛行衝動・・・コバルトの戦闘機械翼に触れてしまった。
 
強く身体、肉体を突き動かし変化させるが、「衝動」というもの自体はとてもデリケートなもので、身体の内奥に丁寧に保存された温室の南国花のようなもので、ふれなばおちる、ひどく微妙に”感じる”代物だった。
 
無理もない。鳥の遠祖から古生代や白亜紀やらいろいろ超えて二億年ほどかけて成してきた「飛行夢」を、もともとピョンピョン跳ぶのが関の山の歩く人の身で視ようというのだ。
ライト兄弟の成功〜、1903年、12馬力のガソリンエンジン、複葉プロペラ機が斜面を利用した木製レールから飛び立ったのは時速48キロ、一分たらず、距離数百メートル。
リンドバーグの大西洋単独飛行〜、1927年、ニューヨーク・巴里間5809キロを33時間半で渡る。技術革新は続き、鳥の急降下でもなしえない音の壁を破り、ヒマラヤ越えをなすツルのさらに上空をゆき、1989年、IATA(国際航空輸送協会)は一年間の定期航空利用客が十億八千万人を越えたと発表。数字上、人類の4分の一が渡り鳥のような渡りをやらかしたことになる。ちなみに、十億の個体数を誇る生物種はあまりない。
これも、人が冷たい鉱物に愛されたがゆえのことであろうが・・・とにかくすごい。
2015から1903差し引いて、たかが112年で2億年の鳥の夢を視ようというのだ。
その慌ただしさ、ずーずーしさ、強烈さ、荒々しさたるや・・・・そして、それに触れること
 
いつぞやナダが孫娘について心配した・・・・「乳もみ」の比ではなく。
 
そして、青く光り輝く異形の翼は、強烈に「天の使い」をイメージさせた。己が身の。
 
それが。他人に触れられようものなら。
 
 
鵜飼い役のチンが起きていれば注意して事なきを得たかもしれないが・・・すでに軽度のタナトスノート。大霊界へのパスポートの証明写真撮影など。
 
 
触れられた綾波レイの顔が一気に紅に染まる。そして、天を貫く絶頂の悲鳴。
 
 
 
「あや・・・・」
 
 
居合わせる全てのものの口を封じるかのようなソニックブーム。鬼のような加速だ。
腕に覚えがある者ばかりのはずだが、竜巻爆弾を投げ込まれたような強風圧に全員、すってんころりんと転ばされた。
七転び八起き。
それ相応の逃亡を阻む結界も施してあったのだろうが、暴走機関車に対する藁束カカシほどの役にもたたなかった。一瞬にして、全ての拘束を振り切って碇シンジは綾波レイを連れて銀橋旅館からの脱出に成功したわけだった。上空にも綾波タルホ率いる「未確認飛行物体部隊」が控えていたのだが、碇シンジはそれからも逃げおおせたことになる。
もしかしてプロペラ付きの雲なぞ、とんでもなくのろまだったのかもしれない・・・少なくとも、目的は第三新東京市・・・もしくはヒロシマ、とはっきりしている。
 
 
そのまま悪夢のような激加速で、世界最大の墓場「ゆきみる」墓場の最奥地点に突っ込んだりはしないだろう・・・・タルホの飛行部隊から党本部に入った報告によると・・・・
「青い、コバルトの翼がなんとか浮上しようとする黄金の雲を”真っ二つ”に切り裂いて、墓場に高速降下していった」
とのこと・・・・墜落、と表現しなかったのは責任転嫁のためだろうか。ゆきみる墓場の最奥に入りたい人間などいない。墜落事故、となれば調査の必要もでてこようが・・。
その場にいた全員、呆然とするしかなかった。結果だけみれば、後継王者・綾波レイが無謀な挑戦者・碇シンジを文字通りに大逆転KOに墓場に沈めて防衛したことになるのだが・・・歓声も拍手もない。勝者も敗者もこの場にないのだから当然か。
 
 
果たして、誰の責任であろうか。事前に「全部、僕が悪い」と明言した碇シンジのせいであろうか。やはり。