天気雨
 
 
は「戯」(そはえ)ともいう。日が良いのに、雨が降るなどと云うのはどこか天の神様が遊んでいるかのようではある。だから、昼になって綾波銀橋に告げられたこともまた、なにかの戯れのように聞こえた。もちろん、そんな長閑な関係ではないにもかかわらず。
 
 
 
「後継者が・・・来るう!?」
 
 
昼食過ぎても昨日の酒が過ぎたか六分儀シンジ、タキロー、ピラの三人はまだ目を覚まさない。だから代理としてユトとチンが聞くはめになったのだが・・・・
 
 
「そうです。綾波レイ様がおいでになります。時刻は夕方すぎになるでしょう。
巡幸、という形式ではありますが、目的はそちらの・・・”六分儀シンジ様”との会見です」
そこでちらっと銀橋はいやそーに、まだ眠っている六分儀シンジに目をやる。
 
「綾波党の主立った者が正装して随行してくるでしょうから、そちらもそれなりの”支度”をされた方がよろしいかと・・・無論、六分儀の法服にケチをつける気はありませんが・・・・お気に召すかどうか、勝手ながら見繕ってご用意させていただきました」
 
つまり、最低限、その子供の目と酔いを覚まさせておきなさいよ、ということだ。
 
確かに今この状態で後継者に来られてはまずかった。幻滅から殲滅させられたであろう。
ついでに云うなら、「お付きの者」であるあなたたちもそれなりの格好・・・死出の旅衣装になるかもしれないのだし・・・をしておきなさい、という銀橋の心遣いというか美意識を告げられた。持ってきてくれた不思議な行李の中には底なしに着るものが入っていた。
京都から来たユトには分かるが一番目からして、これだけで一財産の最高級の着物。
その次にはタキシードに蝶ネクタイが入ってたりするのだから。
 
 
「そちらのご配慮に感謝いたします。・・・・それと、出来ましたらシンジ様用にあともう一式、動きやすい旅装の服を揃えていただきたいのですが。
・・・良くも悪くも。宿泊は今日で最後になりましょう。今までお世話になりました」
ユトはそう礼の言葉をつげて頭をさげた。
 
そのさげた頭に突き刺すような冷たい銀橋の言葉。
「六分儀ユト様。貴女には別室にて身代金の交渉をお願いします」
そう、いまだに大橋で「誘拐」された綾波の者は帰ってきていない。
「旅装服はまた後ほど用意させます・・・それでは」
 
 
 
「ど、どどど・・・どうしたもんだよこれは・・・・」
銀橋が行ったあと、小心者のチンは予想外の展開にハートバイブしている。
「別にどうもしませんけど。シンジさんの計画どおりじゃないですか。お芝居みたいに姫様が一人、人目を忍んでやってくるってこっちの都合のいいようにならなかっただけで・・・・・巡幸、つまりは大名行列で軍勢率いて機動隊みたいにやってくるみたいですね〜・・・いやー、こわいこわい」
ユトに饅頭のように言われると震えもビビリもおさまってくるチンである。
 
「あんなヨタ小説がそんなに大したもんだったってのか?・・・・わざわざ自分でやって来るほど・・・」
「わたしたちには理解できなくても、シンジさんと綾波レイさんにとってはそうなんでしょう。・・・・正直、後継者の権威をフルに使って単独で登場するかと思っていたんですけど、綾波党も甘くはないですね。ま、夕方にはまだ時間がありますから・・・」
「どうするんだ?!と、とりあえず、連中を起こすか?」
「あー、まだいいですよ。酔いは無理に起こして抜くより、睡眠で吸収させた方がいいんです。良くも悪くも、これから少年少女の運命が決まっちゃうんですから、なるべく自然のままにさせてあげましょう。酔いなんて少し残ってた方がいいんですよ・・・」
 
「・・・なんかおめーはさらっと、とんでもねえこと言うなあ・・・意外と冷血なんじゃねえんだろうかこいつはごにょごにょ・・・・って、どこ行くんだ」
 
「厨房に。もう少し飲みましょう、チンさん。これがほんとの迎い酒です」
 
「はあ?お、おい・・・・」
ユトはかまわず、鼻歌まじりにゆらゆらと階段をおりていった。
 
 
 
「天気雨・・・・・こんな天気にわざわざ来るこたあないと思うがなあ・・・・」
縁側に立ってひとり、大気の奥を見つめながらぽつんと、呟くチン。
 
「おふくろ・・・・元気ですか」
大気のむこう。人を飛ばせても自分はそこまでいくことはかなわない。
もし能力が増強され、世界中の人間を残らず空に飛ばせても、自分一人は地に残らねばならない。・・・・どうだろう、もしこいつらが窮地に陥って、オレを信用していたなら、オレはこいつらを飛ばすだろうか?・・・。敵のど真ん中に取り残されたとしても。
この旅館にいて気づいたことがある。歩いて周りを囲む竹林を抜けることは不可能でも、空を抜ければ脱出可能であること。そして、六分儀の能力、鬼喚びその他を封じても綾波の能力を封じられることはないこと。それどころか能力が整えられている感覚さえある。
胃腸でいうなら整腸作用というやつだ。快食快便快能、の三拍子。うーーーむ。
 
 
 
「お待たせしましたー・・・・ってチンさん、泣いてるんですか?」
ユトが厨房から笊にはいった里芋や果物、毬栗、奉書を敷いた三方(崇める心を形にした美しい道具。白木がポピュラーだが塗り物もある。”丸前角向こう”ともいう。窓のある四角箱に四角盆が上についた鏡餅をのせたりするアレである)団子を抱えて戻ってきた。
 
「な、なんでえ。今さら泣くかよ。目にまつげが入っちまっただけだ。・・・で、なんだよその芋とか栗とかは。まさかそれがつまみか?」
酒はほかの「幽霊客」からもらってきた紙に包まれたままの供え酒が部屋の隅にピラミッドになるほど置いてある。ちょっち酒仙になった気分だった。
 
「まさかまさか。これはムード作りの小道具ですよ。”お月見”の作法ってやつでして」
ユトは白い丸団子をひとつ摘んで見せた。なるほど一寸五分ほどだ。
 
「月見・・・って、まだ天気雨で月なんかみえねえぞ」
 
 
「月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月・・・・なんちゃって、ね。
 
これから見るんですよ・・・・・後継者、綾波レイという月をね」
 
 
ゆん、といつの間にか、ユトの瞳が赤くなっていた。
 
 

 
 
 
七・五・三
 
 
をまとめてやろうかという雰囲気であった。8・1・3は足したら12だというあほみたいなアルセーヌ・リュパンの暗号だが。足して十五の室礼(しつらい)の綾波脳病院院長屋敷。
やたらに騒がしい。騒がしくなってきた。ツムリのそばから離れないレイにも扉の向こうからやってくる慌ただしさが感じられる。
 
 
「・・・・・・」
 
 
頭にさんざんガチンコしたツムリはまだ目を覚まさない。そして、レイは眠っていない。
屋敷から抜け出そうとツムリに見つかって失敗して院長室に連れて行かれて祖母に猛烈に怒られてあれから。ツムリを自分の部屋に運んでもらい、そのそばについていた。
番付六位の実力のせいか、あれだけトンカチで叩いておいて生命に別状はないという。
そのうち目が覚めますと、キチローが言ったのだから間違いはない。だから、待つ。
彼女にあやまるため。彼に会うのはその後でいい・・・・
彼女を連れていかないといけないだろうけど・・・・・
 
 
それなのに、祖母の話はずんずん進んでいき、扉の向こうの思念波を捕らえて読んでみると、いつのまにか「後継者、初の御巡幸!でフィーバーフィーバー!!」な雰囲気でどうも大勢で思い切り装ってついてくる気らしい・・・イメージとしては大名行列とオカゲ参りがごったになったようなもの。悪電率いる綾波放送がここぞとばかりに特番を開始し、綾ジュンがレポートに屋敷まで来ているし、生田神社をはじめとするしんこうべに存在する全ての神社の「千歳飴」が綾波党に買い占められたし、「運盛り」に使うので八百屋からだいこん、にんじん、れんこん、ぎんなん、きんかん、もまた買い占められて消えた。
運盛りとはラストの「ん」が運に通じ、吉運を呼び込むようにとの願いをしつらえたもの。
それから、「鬼は外、福はうち」節分よろしく、豆、柊、あたり棒(すりこぎ)、鰯の四点セットも買い占められた。他にあられや南天なども。
 
さらに、ここまで来ると大人げのかけらもないが、「雛人形」も。人形屋に持ってこさせて並べさせたセットで百以上のそれはまさに「光源氏の野望」状態。そして、脳病院をぐるりとひとまわりする雛あられをまき・・・普通は雛あられは蔵から通じ繋ぐもの。不幸にも幼くしてこの世を去った祖先の少女たちが雛祭りに参加できるように道しるべとした・・・それは「ゆきみる墓場」まで繋がっている。スケールが違う。むろん、菱餅や蛤などもねこそぎやられた。
 
当然、しんこうべの全装備服飾関係は本日は強制的に店じまいで綾波党本部にありたけの商売ものを積んで綾波党本部に呼びつけられた。ちなみに、あとで計算してみるとこの日だけで四年半分の売り上げになったそうだ。綾波党所属の怪人連中が何より喜んで、「ここぞとばかりに」自分たちの鎧を新調したのが大きかった。戦党員も制服を「ここぞとばかりに」式典バージョンに綺麗にアイロンをかけた。千里眼でちょろっと見てみたが、目がクラクラしてくるほどに怪しい。特にベルトにこだわりがあるようだ。「やっぱり黄金ベルトだろー黄金。奮発したんだぜ」「ミネビタエキス管・・・ウロコ筋肉・・こわれたらとりはずせるカセット頭脳・・・マント羽根・・・羽毛触覚・・・手裏剣銃・・・なつかしの”アリサゼン”蟻左前装備で決めてみたんだがどうかな?」「いいと思うよ」
「タコゲルゲ・モードにしてみたんだけど・・・後継者様はタコ好きかな」「しらんっ!」
「じゃ、じゃあバルタン・モードにしたけど・・・セミとかエビとかは」「しらんちゅの!」
「へそくりを全部おろして”立花バイク店”でバイクを買いました。もちろん改造です」
「デストロン系の機械合成怪人服は・・・重たいな・・・火焔放射器との接続が・・あち」
それを子供のように見せあいっこして喜んでいる光景はなんとも不気味で・・・
 
同時に可愛かった。
 
 
 
 
 
 
          絵
          ヤンロン画伯
 
 
 
 
レイはくすり、と笑いさえした。
 
が、はっと気を取り直すと笑い事じゃない。ああいうのがぞろぞろとついてくるのだ。
これは祖母のお仕置きなのではないか・・・いや、趣味かも。
 
「レイ、あんたには必殺の勝負服を用意してあげるからね。そりゃもう田園調布に家どころか城がたつくらい、屋久島にホワイトハウスがたつくらいのやつさね」
そんなこと言ってたし・・・祖母は世界を巡ってのどこかの大統領夫人も問題にならぬくらいの凄まじい衣装持ちでもある。若い頃は色香で最高品質良質の「胤」をゲットしてきた女だ。まんざら冗談でなかろう。必殺というならほんとに必殺なのだろう。
確かに、このファッション攻撃にはさすがの彼もタジタジになるかも・・・・
 
 
かあっ・・・・・レイの顔が赤く染まる。もちろん、これは少女漫画的な赤さではない。
 
 
タジタジになられても困るししょうがないのである。別に籠絡してどうもというわけではなし。単に、話ができればいいし、しかもこれは秘密の話。お互いの魂の音がかすかに触れるのが聞き取れるくらいの静穏の中で行われるべきこと。鐘朧のふたりだけで。
 
 
ナダに正直に言ってもいいのだが・・・・だいたい反応が読める。能力を使わずに。
「なるほど、魂か・・・・うん、いい言葉だよ。だけどねえ、いいかい、レイ。魂てのはじゃあどこにあるんだい?わからんだろう。それはお互い手探りで探っていくしか分からないもんなんだよ。それでだ、あたしの体験からして言わせてもらえばね・頸動脈が・・」
と、ド凄まじい体験談を聞かされる。自分の中にこのひとの血が流れてるとすると・・・
 
・・などと考えようものならジェットコースター三回転半くらったように酔ってしまう。
ナダはとにかく口がうまく、話が上手で、喋りが達者。能力はむろんのこと、それで党をまとめているのだから元より役者が違う。すぐに誤魔化されてしまうのは目に見えている。
 
子供扱いよりさらにひどい、「孫扱い」。ああ・・・絶対に二人きりになぞさせまい。
 
 
 
使徒にかかわるひとのはなし。
 
 
それさえ出来ればもんくはない・・・・・・・いくつかの問いに答えてもらえれば
それを抱いて眠りにつける。無責任だけど、出来ればここまで来てくれた彼に託したい。
わたしのこたえを・・・・
 
 
それなら「電話」でもよいような気もするが、幸か不幸か、くだんの銀橋旅館には電話はない。電話が通じる空間にない。連絡手段は手紙しかないそうだ。
直接、この身で会うことを許されたのは派手好みの祖母のあくまで「趣味」だろう。
それだけを可、とするしかない。もしくは声だけのほうが良かった?・・・かも
 
 
正直、会うのがおそろしくもある。
何せ相手はあの碇シンジで、しかも何考えたか変名までしているのである。こわい。
そんなことまでして自分にエヴァと第三新東京市放って自分に会いに来る神経がこわい。
彼には執念が宿っている・・・・ような気がする。よもや自分と戦いに来たのでは・・・・とさえ思う。
 
 
別に先制の奇手・・・「あんなこと」やられたからといって、こっちもカウンターで驚かすような真似をしても仕方がない。彼にとってかろうじての連絡手段だったのかも知れない。今は銀橋旅館に囚われているとか・・・・一日八万八千八百八十円の宿泊費も払わされたとか・・・よく考えたら・・・怒り心頭かもしれない・・・・さすがの彼も。
 
 
あの日轟いた雷の音を思い出す。あれが彼のほんとうの声・・・。心を読めないからそんなことから察するしかできない。
 
 
「続きはまたこんど」・・・・小説の最後を思い出す。あれさえなければ・・・・もっと深刻になれたのに。どうも今ひとつ・・・もしや、彼の思いやりなのか・・・・・
 
 
いろいろ考えてしまう。やばい症状である。綾波党後継者、綾波レイほどの者がたかが六分儀の小僧一人にこれだけ考えてしまうとは・・・・端から見れば、医者でも治せない「とある病気」の初期症状に似すぎていた。やばい、ひじょうにやばい。しかも寝不足。
この同時刻、まさか六分儀シンジ、いやさ碇シンジが酒が抜けずに「くーすー」眠っているなどと予想だにしていなかった。知らぬが仏、知れば夜叉。
おそらく、現在冷静さを欠く彼女は許すまい。彼の行く手に茜と山査子の棘を。。。
 
 
 
「レイ・・・・・・様・・」ツムリが目覚めた。
「あ・・・・・・・・・・」薄情なようだが、ふいをつかれたレイ。怪我人のそばにありながらほかのことを考えてしまっていたのである。なんのための看病人か。罪悪感。
「どうなり・・・・ました・・・・怒られ・・・・ました?」
声に水分がない。からからに涸れている。レイは答える前にコップ水を出した。
ツムリはそれを何遍も・・・計2リットルほど飲むとようやく元に戻った顔をした。
 
 
「ごめんなさい」
レイは心から謝った。あやうく彼女を一番卑怯で罪深い方法で殺しかけた。
そういう人間だということを見抜けなかった。なんの支配者級の読心か催眠か。
その恐ろしさになんの対抗策もとれずに手をひかれ震えていただけの自分。
ツムリの・・やはり速度の足りなそうな笑顔を見ていると、思い出す。
 
 
「・・・・・ごいっしょさせてもらいますよー・・・レイ様」
ツムリはしばらく・・・かなりしばらく考えて笑って答えた。もしかしたら、それはトンカチで殴る前の記憶なのかもしれない。綾波ツムリ、しんこうべで一番思考速度の遅い女。
 
それでも、連れていかないわけにはいかない。一番そばで。
 
そして、ツムリもやはり自分の「正装」に着替えるというのでついていった。
できれば、ナダの指示の下、手ぐすね引いて待っているであろう綾波党衣装部にはなるべく遅く行きたかった。まさかと思うけれど・・・・あの怪人たちよりもっと「怪しい」悪の女帝、首領の格好だったらどうしようかと・・・・一抹の不安があったせいだ・・。
 
 
その不安もツムリの着替えを見た途端に雲散霧消した。
 
屋敷内の空き部屋をツムリら護衛の部屋にあてていたのだが、着替えはそのツムリの部屋で行われた。遊鎖の一件で、ツムリと遊鎖はルームメイトで広い部屋を二人で使っていた。
当然、遊鎖の監視のためである。それはいいとして、身体を洗い清めるなど下準備を整えたツムリの崩れた髪を結い直すのは遊鎖だった。ちなみに鎖使いの彼女は鎖ジャリジャリと鎖帷子なハードロックなボンテージ。それが彼女の正装らしい。鎖の一本一本が歴史的な業物らしく、不思議に乱れた下品なセクシャルな感じはない。
 
「ツムリ、あんたの正装は面倒だから鍵奈も呼んでおいたよ」
もう一人、眼鏡の茶色警備服の娘がレイに向かって緊張しながら敬礼する。綾波鍵奈。「鍵能力」の持ち主で鍵奈が家の中にいればどの扉も窓も完全に鍵がかかる。人間オートロック。鍵のない扉にも鍵がかかるのが素敵。もちろん、装甲車が突っ込んでも破られることはない。
・・・・そこから先は能力うんぬんではなく、単純に女の経験値の世界でレイには手出しも口出しもできない。技術を奪うことも献能させることも出来るが・・・。
 
しばし、見ておきたかった。
 
 
コテをあてて癖をなおし、前髪の毛をわけ、鬢(頭の左右側面の髪)の毛をわけ、根の毛をとる。根の毛に油をつける。和紙をあてがい、元結いでくくる・・・・油をつけてつと型をいれて根のところで元結いにくくる、つとの髪の横に油をつけて広がらないようにする、鬢の毛をときとおして根のところで左右くくる・・・・・・髷になるシャゴマ(ヤクという動物の毛)の毛をつける・・・。
 
 
短い髪の自分では逆立ちしてもやってもらえない快楽のかたちであろう。
昨夜、あれだけぶったたいたトンカチのあとで、血髪を洗い、結われて痛くないはずはない。それなのに、ツムリの表情は。遊鎖たちの手さばきも見事なものだが。
他人を羨むことにあまり縁のないレイであったが・・・
いつぞや北欧行きまえに洞木ヒカリや山岸マユミを軽く嫉妬させたように・・・
ちょっと羨んだ。
 
 
見事に結われたツムリ結い。そして、化粧。
首を塗るのは鍵奈がやった。「三本足でいいですよね」「うん」
それからツムリが自分で白粉を塗っていく。遊鎖と鍵奈が着物の準備。やはり、和服だ。
生え際が自然な感じになるように、白粉を延ばしていく。粉をはたく。眉についた余分な粉を取る。頬紅で赤みをいれる。眉をかく。余分な粉を取る。鼻筋をたてる。睫毛を整える。そして・・・・紅をさす。ツムリが己の内心鏡より外に戻りこちらをむいた。
 
 
「レイ様・・・紅をさしたことはあります・・・か」
 
 
あるわけない。
 
 
「それじゃー、今日がはじめてに・・・なりますね」
 
 
そうなの・・・・か。長い髪はなくても、唇はあるから、それは・・・紅もさせるだろうけれど・・・・なんだか予想だにしない展開になってきたが、それをいうと祖母は嘆くだろうか。レイ、それじゃ六分儀のダサ吉と同じじゃないかえ、と。己を装うことに興味もないのか、と。装いの中にはその者自身の心のありようがでてくる。だから、あんたのような口べたは百万言に相当する装いの形でアピールするがいい・・・一番いいのはね、着るものとの間に恋心が存在する・・・ってえことだね。そのくらいになりゃ誰にだって分かってもらえる。襤褸は着てても心は錦、ありゃウソだ・・・・だけど、あんたは背筋、立ち姿がいいよ。野球でもそうだけど要の人間が、キャッチャーとかね、姿勢のキリッとしたところはたいてい強いよ。優勝する。なるほど、レイ、あんたはその背筋で同じ子供たちを守ってきたんだろうね、支えてきたんだろうね、とか。祖母は、口がうまい。
 
 
 
「それじゃ、そろそろ行こうか」
毛氈がひかれ、遊鎖のかけ声で着付けがはじまる。
「ちなみに、この着付け方法はツムリだけに通用する方法で、一般的じゃありませんのでそれをお断りしておきますね」と、なぜか念のいったことを鍵奈が言う。
はあ。どうせレイには分かりはしないのだが。
 
 
衿を深く抜いて肌襦袢を着せる、その上に襦袢を重ねて着せる。衿をしっかり抜く。
硬い装甲刺繍半衿を衿にあわせて付ける。蹴出しをかかとにかかるようにして、腰のところでしっかりと巻く。着物を襦袢の衿にあわせて着せかけ、背縫いにあわす。引きずりにする着物の長さを決めて、前身ごろをあわせて着つけ、腰ひもを腰骨のところで締める。
胸元の衿あわせを決めて紐で結ぶ。紅絹のしごきを腰に幅広く巻きつける。生体装甲の腰枕をつける。「この腰の細さで六位につけてるんだからな・・・」「ツムリさん、腰枕は”新月丸”でよろしいんです?」「そうだねー、レイ様のおそばだから新月ちゃんかな。月がふたつあっちゃーおかしいもん」生体装甲の腰枕はツムリのペットが化けるのだった。
ファンタジー小説やRPGテレビゲームではお馴染みパターンだが、和風でやられるとかなりぎょっとする。そのどちらもレイには縁がなかったが。「はは?ああ、これですか」レイが退屈しとるかもしれないなー、と今さらながらに思ったツムリはのんびりフォローをいれることにした。「これ、腰枕っていって・・・私の場合は・・・腹部を守る・・・なんというのかなー、小学生がケンカの時、マンガ雑誌をお腹の中にいれるようなもんです」・・・あまり適切な例えとはいえなかったが、レイは納得したふりをした。
それより着付けの続きを見たいのです。とうとう「帯」に行程がはいる。
ツムリの帯は”黄金カタツムリの集団が信号を無視して暴走する”・・・というとんでもない図柄だった。
手先の長さを決め、帯の上を折り返し胴に二回巻き、二回目を帯の上にもっていき、手先とで結ぶ。力いっぱい結び「うーん、ギリギリと・・・遊鎖ちゃん、こないだの仕返し?」「ま、まさか!ただ気合いがはいっただけよ」「はい、手先、折り目正しく、安全確認よしです!」鍵奈の指先確認が一区切りつける。
 
 
だらり(羽)の長さを左右同じになるようにして、帯山を決め、ひだを綺麗に折って作り、手先をひだのうえにかけて垂らす。ひだの山を右、左、と広げ、上で少し重ね、だらりの下が一枚に重なるようにする。手先の上、帯の山の下に枕を入れて帯を固定して形を整える。帯揚げを枕の上に掛ける。この時、手先などを帯の間に入れて処理する。
帯留め(ぽっちり)の付いた帯留めをする・・・・・で、できあがり。
 
 
このあと、髪飾りや団扇、お札のチョイスなどもあるのだが・・・・
「お前にやらせると日が暮れる・・・レイ様の御支度もあるんだ」と遊鎖と鍵奈がばばっと選んだ。「レイ様に・・・選んでもらおうーと思ってたのに・・・・」とツムリはぶーたれたが。そして、そろそろしびれを切らしたらしい、党本部のナダから呼び出しがかかった。時間切れ。もういかねばならない。が、先ほどと違い、どこか期待する自分が居る。
護衛三名引き連れて、レイは本部に向かった。わずかに頬も紅潮する。
 
 
 

 
 
 
赤い瞳
 
 
「ちょ、ちょっと待て・・・・お前、その目は・・・」
まさか泣きはらしたわけでもあるまい。チンはその瞳の色を知っている。
他に例えようもない、その色を。綾波の赤瞳。悪戯のカラーコンタクトなんぞでは出せぬ色だ。いやさ、今までよく誤魔化されてきたのものだ。これほどの赤を。
 
 
「ふふ・・・わたしも生粋の六分儀じゃあないんですよ。というより、故郷から誘拐されてあちこちを転々としてきました。望んで離れたこともありましたし、所属していた組織が壊滅させられたり、任務の途中で囚われて転向を余儀なくさせられたこともありました。
・・・・けっこう大変でしたよ。この能力のおかげで犬ころのような扱いは受けずにすみましたけど、どこも同じことを考えるみたいで、飼い犬に手をかまれないよう首輪とか猿轡とか枷をいろいろはめられましたね。ある程度名が売れてからは、前の組織のつけた枷を外せる力をもった組織がわたしの雇い主になりました。トレード、というのはなかったですね。わたし、人気者でしたから。
で、最新の雇い主が六分儀、というわけで、名乗ってはいましたが、わたしの名字はとくにないんです」
 
 
「綾波・・・・・だろう・・・だが、そうしたら・・・・」
赤い瞳の統制は厳しい。誕生の時から綾波党の人別帳にしっかりと記載されているはず。
故郷から誘拐された、といっても・・・・記録はあるはず・・・だが
 
 
「ああ、まだ六分儀ユトだから心配しなくていいですよ。なんらかの罠の可能性なんて。
まあ、秒読み体勢ですけどね・・・・・綾波に戻らせていただくのは」
ここでガラッと態度が悪女風にかわるのであればまだよかった。ユトの態度も声も物腰も雰囲気もこれまでとまったくかわっていないのが。その赤い瞳をのぞいて。
 
 
ちろ、と六分儀シンジの方を見た。眠っている。
 
 
「シンジさんが綾波レイさんと会うこと・・・・そこまでの護衛が六分儀のわたしの仕事です。それを果たさねば、わたしはあの法服に報復されるでしょう・・・なんちゃって」
呪術に詳しくないチンにしてみれば、なんのこっちゃいなというしかない。
だが、あの法服こそ業界で信用強制力最高位トリプルAを誇る契約のしるし。
 
「おふたりを会わせさえすれば・・・・
あとは好きなようにしていいらしんで、好きなようにします。こんな条件だからわたし来たんですよ。ほかの六分儀の方々はじつのところ”碇の若様”はお好きじゃないみたいでしてね。まあ、忙しいこともありますが、それに危険だし、それで、わたしのような雇われ者が出張してきたんですよ。あ、ちなみにタキローちゃんは生粋の六分儀ですよ。」
 
 
「ちょ、ちょっと待ってくれ・・・・・ぜんぜん話についてけねえ・・・」
 
 
「のろま」
 
 
ユトに言われてギョッとするチン。これを「ちょとまてちんぎょ」という。
 
 
「八千の人間を音速で飛ばせる人間がなに言ってるんですか・・・・
そろそろいいでしょう。本性にめざめたって。わたしもこうやって本性みせてるんですから・・・・二枚四枚十六枚・・・どころか最大一万六千枚・・腐るほどの翼をもっているくせにそれを使おうとしない・・・・分け与えようとしない・・・もうちょっとシャンとしてくださいこのマザコン」
 
 
「てっ、てめえ・・・ユト」
なんべん言わされたかわからんセリフだが、舌が凍る。頭はカッカきているのに。
ユトの赤い瞳は真剣。この口から出る情報は真実の音色。だから舌が凍る。
 
 
「大橋での戦闘で誘拐したひとたちに聞いたんですからほんとうのことです。
なかなか有名な話みたいじゃないですか。しんこうべ小学校での転校初日の飛行事件は。
そして、何よりここはしんこうべ。能力治癒者が院長やってる病院もある。そこいらのスプーン曲げ少年のように能力が長じるにつれ消滅することはありえない・・・・
もうちょっとがんばっておけば、綾波党のエースになってたかもしれませんよ。
まー、そうなってたら完全に敵になっててこうして話する機会もありませんでしたけど」
 
 
「なにがいいてえんだ・・・・・・」
8000人うんぬんは別として、トラウマな子供の時分の事件は事実。それを知りつつ語り出すこととは何か・・・・この期に及んで。
 
 
「べつに。情報を与えているだけですよ。いままでついてきてくださったお礼に。
”その時”になって急に「わたしはじつはこういう人で、あれはこうでした」って言われても判断に苦しんだりするでしょ。ただでさえチンさんは小心なんだし」
 
 
「”その時”・・・・・ってなにする気だ・・・」
 
 
「決まってるじゃないですか。わたしにできることなんて、それしかないんですから」
 
 
「後継者を誘拐・・・・だと?」
 
 
「脚がこんなんじゃなかったらもっと違うやり方もできたんですけどね。神鉄さんは知ってらしたかもしれませんね。足音で人の性根を見抜くそうですから、あの方は。
とにかく、わたしの間合いまで来てもらえれば歩包結界法・・・つまり能力誘拐が成立します。残念ながらわたしも生まれは綾波なのでここの空気は調子がいいくらいなんです。タキローちゃんの天候操作は封じられてますけどね。とにかく、誘拐さえしてしまえばこっちのもの。絶対に手出しはできません・・・・」
 
 
ちら、とふたたび六分儀シンジの方を見るユト。眠っている。ピラもタキローも。
 
 
「あの・・・あのな・・・・・お前、もしかして忘れてるかもしんないけどな、
ここの話は・・・あー、聞かれてるんだろう?なんつうか、旅館の人間に・・・
やばいというか危険じゃないのかなア・・・かっさらって身代金ゲットの誘拐じゃなくて、融解、とろけてメルティな方だよな」
どんなんじゃい、そりゃー!とマイ・ハートに自分でつっこむチン。つくづく小心。
 
 
「アイスクリームの皇女様、ですか?スティーブン・キングなんて読まれるんですか、チンさん。こわがりなのに・・・・大丈夫ですよ、さっき下におりたときに旅館の人間は全員誘拐しておきましたから」
 
 
「あー、そうかそうか、オレはてっきり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだと?」
 
 
「意外ですか?そうみたいですね。綾波の人間は甘いですね。やはり、定住地をもってしまった人間は甘いです。放浪をしていた時分の方が・・・・だから党首のナダ様はお強いのでしょうけど、孫娘のレイさんはアキレス腱です。義理の息子も実の娘も見殺しにして孫も復興費用のために売り払ってしまうような方ですが、もうダメでしょう。二回もかわいい孫を見捨てることはできません・・・」
 
 
「六分儀の仕事か・・・・それが・・・・いや、そうじゃない、そうじゃないな。
お前・・・・もしかして、後継者に恨みでも・・・・・あるのか。いや、綾波に」
 
 
「チンさんは・・・・・ピラさんもそうみたいですが・・・・・「六甲島事件」の後の転入組でしょう?」
 
「六甲島事件、そうだ・・・・・六甲アイランド浮上計画が急遽中止になったあれだ。
新聞とかニュースとかで知って、それから十日もたたずにしんこうべにむけて引っ越しだ。理由はわからなかったが、えらく急でなあ、ずいぶん親を恨んだもんだよ・・・・イヤ、待てよ・・しんこうべの方で大地震があったんだったかな・・・神腕のトラブルとか・・・空が飛べる親父はその修理にかりだされた・・・・どうも記憶があやふやだな・・・・なんせ昔の話だからなあ」
 
 
「ちがいます。六甲アイランドはほぼ浮上状態にあったんです。神鉄の弟、王鉄と同調させた神腕クレーン黄腕式、赤腕式がしんこうべと同じように天に釣り上げるはずだった。
あの日、神鉄に王鉄の頭が握りつぶされなければ、ここの地図は変わっていたんです。
いえ、それもまた正しくない・・・・そうしなければ、綾波党の存在自体なく、このあたりの勢力図も一変していた。追い散らされて綾波自体消滅していたかもしれませんね・・
記憶もあやふやになる、昔のこと・・・・
・・・ナダ様率いる綾波党は追いつめられていたんです。それも、たった一組の親子に」
 
 
「それも、義理の息子とその娘、つまりは孫娘・・・ですね。早い話がしんこうべ全域を舞台にした骨肉の争い・・・・身内の喧嘩ですよ。なぜ争いを始めたのかは不明です。もともとその義理の息子は綾波の赤瞳者とようやく手にいれた領地を奪うため党首の家に入り込んだとも言われています。名家と呼ばれる家にはどこにでもあるありふれた話です。ただ、その能力が半端じゃなかったからお皿が飛ぶだけじゃすまなかったんですよ。
 
 
天逆・・・・この天と地のはざまにあるすべての陰陽を逆さまにする能力。
男を女に、女を男に、善人を悪人に、悪人を善人に、生者を死者に、死者を生者に。
貧乏人を金持ちに、金持ちを貧乏人に、憎悪を愛情に、愛情を憎悪に・・・
ジャングル黒べえの”ウラウラベッカンコ”の超強力版だと思っていただければ」
 
 
「ジャングル黒べえ・・・・ウラウラベッカンコ・・・・・」
もはやつっこむ気力もないチン。ユトの赤瞳に圧迫され、グロッキーだ。
だが、そんな出鱈目な話があるのか・・・・もしそれがほんとうなら誰も勝てまい。
 
 
「ひさびさに出現した支配者級の催眠能力者を娘にもった父親がどういう行動に出るのか、それを予測できなかったことがそもそもの悲劇のはじまりだったんでしょうけど、まあそれはいいです。どうせ、時の流れすら逆さにし、未来を予見さえした怪物な人ですからね。
しんこうべを一気に綾波の物にしてしまおう、と独占欲の強い人間もたくさんいました。
赤い瞳の者はいつもいじめられていましたからね。支配者級の催眠能力者がそんな人たちをそれだけ勢いづかせたか・・・六甲アイランドに陣をはり、内部分裂したんです。
結局のところ、レイさんは碇ゲンドウ様の手で奪還され、ナダ様の義理の息子、ノイ様の夫、レイさんの父親はなんと、能力クローンで造り出された十二人の天逆コピー総掛かりでやっと倒されました。12体のコピーの方も同時に身体を裏返しにされたようです。相討ち・・・に見えましたが、実は人形を逆さにしてつくった”形人”・・・・・人造人間のようなもんですか、に脳を移植して娘を奪い返す戦闘を継続しました。
その戦闘能力は凄まじく、一夜にして全住民の片腕を生きたまま切り落とし、ゆきみる墓場にずらりと並べて娘と交換交渉に及んだというから並じゃありません。・・・・・ウソだと思うでしょうけどほんとうです。わたしもその時切られましたから。返してもらってつけてみるとくっつきました。マネキン人形になった気分でしたよ。
これにはさすがに六分儀も正式に介入し、全国外国から続々緊急帰国集結した外綾波の者たちと力を合わせて、碇ゲンドウ様の指揮のもと、”騙し討ち”でようやく討ち取ったのです。卑怯というにはたぶん、あたらないでしょう。なにせ相手は敵を味方に、味方を敵にすることのできる天逆能力をもっているのですから。その騙し討ちの中心に立ち、手を下したのはノイ様でした。碇の名がかなりの悪意をもって語られるのはこのへんに問題があるんでしょうね。なんせノイ様は能力と人格で、女神のように人気がありましたから。
それから、どさくさまぎれにレイさんを行方不明と称して連れていったであろうことも。
 
 
そして、なんとかコトが終わり・・・・悲惨なのはその後、一月ほどでした。
敵と味方に別れて争い弱り切った綾波は、弱肉強食の世の掟どおりの血の洗礼を受けました。六分儀の方はお金を出しても手は出しませんでした。守ってくれる者もなく、やはり世界に散っていた強い同族が再び集まるまで、奪われ啄まれ続けました。綾波とは何より赤い瞳です。貴重な能力をもった人間です。そして、コントロールしやすい赤瞳の子供は裏の世界では眩いばかりに輝く宝石と同じです。世界中から狩人が、捕人者が、ハンターがやってきました。
 
 
・・・・・わたしが何人目かはわかりませんけど」
 
 
 
「・・・・・・・」
一瞬、刹那の間だけ、キカイダーと仮面ライダーがまじったような話だな、と思ったが無論口に出せるわけもない。
 
 
「わたしも始めから”誘拐能力”なんてスキルをもってたわけじゃないんですけど。
わたしが最初に所属したその組織はけっこういい子がそろってたみたいで生き馬の目をぬく、てな感じだったんですよ。弱い物体引き寄せ・・・アポーツなんて珍しくもない、機械や薬物で強化されて年寄りみたいになった子供とかいまして、ビルを揺らすほどの力がありましたからね・・・・”フォークじゃだめだ。シンカーを覚えろ”なんてコーチは言ってました。ああ、一番最初に抱かれたのはこの人なんですけどね。硬い机の上で。よくわかんなかったんでずっと目に入った新聞を見てました。”誘拐”ってのはそこから覚えたんです。どこぞの子供がゆうかいされて、ちゃんと家にもどれましたよって記事だったんですけどね・・・・」
 
 
なんでオレたちの瞳は赤いんだろう・・・・とチンはふと思った。
目立ちすぎるじゃねえか・・・・たぶん、人狩りは暗がりで震えるこいつらの目を確かめて探したはずだ。赤なんぞでなければ・・・・
どれだけ歪めば、そんな誘拐なんぞという悪夢の形になれる?素朴な引き寄せ能力が。
 
 
そして昔話をする者たちは、夜の雲の瞳がわずかに見開いていたのに気づいていない。
 
 
「まさか・・・・だから、後継者に恨み思い知らせてやるってんじゃないだろうな・・・・」それが事実なら、そう考えたとしても無理はない。ここまでこのバカガキの面倒を見てきたのもその怨念腹があったのならば納得できる。ただのガードに出来ることじゃない、ありゃいきなりクエストだ。暴走だ。だが・・・・
 
「つ、ついでにこうなりゃ聞いておくがユト、お前の弟・・・・弟分か、ピラと同じの。
・・・そういうことは六分儀のタキローも承知してるのか?な、なんちゅーか、あいつはお前を慕ってるというか懐いているというか・・・」
 
 
「タキローちゃんは六分儀ですから。シンジさんを守るでしょう。そうでなくちゃいけません。それしかありません。もし、シンジさんとわたしがレイさんをはさんで敵対するようなことになれば、当然、シンジさんの味方につくんです・・・・ね、タキローちゃん?」
 
 
「いやです」
子狸寝入りだったのか、タキローは呼びかけられると快傑ライオン丸の地虫忍者よろしく跳ね起きた。余談になるが、声優の千葉繁氏が若い時分にこの役をやっていた。二メートルほど穴に土かぶせて埋められて、カチンコが鳴ったらバーン!と三メートルくらい跳ね飛んで登場してください、と言われたそうだ。なんの仕掛けもなく。
 
 
「僕はユト姉さんの味方です・・・・ろ、六分儀を、京都を、捨てたって・・・・」
今のタキローなら軽々とやってみせただろう。
 
 
「・・・・困ったタキローちゃん。でも、ありがとう」
 
 
「もしか・・・ピラ?ピラおめーもタヌキ寝入りかましてんじゃねえだろうな」
と何発かピラのおケツにケリをくらわしてみるチン。
「は?はあ〜ん・・・・・なんばすっとですっかチンの兄貴・・・・っス・・・・」
「よし、完全に寝入ってやがるな・・・・・・よし、困ったピラだぜ・・・ふう」
 
 
「で?話は続くのか?なんかもー、十分にLAコンフィデンシャルな関係が瓦解しまくりという感じで、これ以上猛獣より危険なお前らと同じ部屋にいてもいいのか疑問なんだが」
ピラに話しかけると元気になるあたり、キング・オブ・小心兄貴なチンである。
 
 
「いや、もう終わりです。ご静聴ありがとうございました」
ユトはそう言ってかるく頭を下げた。視線の先にはもぞもぞ動く六分儀シンジがいる。
 
「さあて、ちょっと階下におりてきますね。銀橋さんとお話が・・・・」
白々しく言いつつ階下に消えるユト。コンタクトをはめ直すのだろう。
 
 
「ん・・・・ああ・・・・」
そして、ちょっくら悩ましげな声をだして六分儀シンジが起きた。
ユトの言ったとおり、酔気は消えている。
 
 
「さあ、シンジ!男の連れションと行こうじゃねえか」
突如、チンが起き抜けの六分儀シンジの腕をとるとざーとらしいまでに高らかに。
その意図が見抜けぬタキローではあるまいが、男の情けかチンとの連れションがイヤなのか介入を避けた。ふん、すきにするがいいさ・・・・。
女性の方のために説明しておくと、「連れション」とは「連れだってマンションを見に行く」の略ではない。念のため。
 
 
あまり美しくはないが仕方がない・・・・・六分儀シンジは「後継者・綾波レイ訪問」のことをチンから厠(WC)で聞いた。真に美しくないが・・・「オレは親切で教えてやってんだからなあ・・・・・それから、まー、ユトには”何かと”気をつけた方がいいぞ。オレの口からは詳しくはいえんのだが・・・・”何かと”気をつけろよ」
 
 
「・・・うん」
チンの忠告というか警告はまるで役にたつもんではない。だが、六分儀シンジもさして追求することなくうなづいた。「ありがとう、チンさん」それは寝起きのせいか、それとも。
 
 
「チンの兄貴ー、そろそろ着替えないとマズイそうっす。ユトさんが言ってるっすー」
ピラの呼び出しがかかった。
 
「うるせー!女に会うのに寝起きで会えるかバカ!一風呂あびてからだ。そう言っとけ」
ユトにはもはや直接こんなこと言えそうにもないが、ピラには言えるチンである。
 
「い、いいか、シンジ。い、いよいよ試合開始ってやつだが、これは武者震いだ・・・とにかく落ち着いていけ、まさか後継者も会うなりとって喰ったりはしねえだろう。多分。
ビ、ビビッたら負けだぞ、負け。ゴングが鳴ったら先制攻撃でガツーン、とかましてやれ。
ここはなんせ、綾波のホームタウンだからな、よそ者のおめーに勝ち目はねえ。とにかく、向こうが許す、というまで攻めて攻めて攻めまくれ!おめーは意外に口が達者だからな・・・・とにかくこっちが頭を下げるのは向こうが譲歩してからだ、いいな。こんなところまで来たおめーにもおめーの事情があるんだろうが、とにかく、向こうが譲歩したらすぐさま頭さげろよ、図にのって畳み掛けたり・・・・・、とにかく!!絶対に泣かしたりするなよ。そうなったが最後、オレたちに明日はねえ・・・」
トイレで作戦を与えるチン・・・あくまで美しさに欠けるが、やもうえない。
ここは”男の結界”であるからさすがのユトも入ってこれんだろう、という怯えゆえ。
 
 
「うん・・・・」
分かっているのか分かっていナインか、うつろなかんじでうなづく六分儀シンジ。
 
 
「じゃ、一風呂あびて寝汗流してこい。オレは衣装選びがあるから行くぞ」
そう言って階段を疾風のように駆けあげるチン。実のところ、まだ腹が決まっていない。
このまま傍観者を決め込めれば一番いいのだが・・・そうもいくまい。
今からここが戦場になる。
 
 

 
 
しあわせのむら(SHIAWASENO MURA)
 
 
夢殿
 
に、一日十八時間の、帝国憲法草案作成時の伊藤博文なみの猛勉強をこなす時田氏がいた。
とうぜん、真・JAに例の人工島を持ち上げる神腕クレーン、そのコピーを取り付けるための猛勉強である。その技術も技法もここにしかないのだから、ここを離れる前に完全に吸収し己のものにしておかねばならない。元来、門外不出のものを持ち出し可と応じてくれたのは相手の気持ち。それに応えるためにも真・JAを完全無欠無敵の人類を守る最後の砦にするべく、謙虚に学ばねばならない。経営すること山のごとし、製造すること火のごとし、部下騙すこと林のごとく、学ぶこと疾風のごとし・・・(時田語録2015年)
 
ここはともかく、集中できた。邪魔な気を散らすものが一切無く、なんというか・・・・明鏡止水の境地に簡単になれてしまう。とにかく頭が冴え渡る。空気が違う。脳がいつまでたっても疲れない。煙草やコーヒーなど刺激物がいっさい欲しくない。
とにかく、集中集中大集中。自分が二人いるような軽やかな便利さを感じる。
ウソのようにナイスなアイデアがポンポン浮かぶのだ。まったく不思議だ。
いやー、来て良かった。おかげさまでほとんどの改造案のめどはつき、あとはその後の強化案でも・・・と思っていたところだった。ちょっと一息つくか・・・と身体を伸ばす。
 
 
こんこん、と木の扉が控えめに叩かれた。もはや音でわかる。
 
 
「ああ、どうぞ。入ってください、トアさん」
「すいません、お勉強中に」
紫色の長い髪の少女がお盆に茶菓子と・・・古風なラジオを載せて現れた。
 
 
しあわせのむらの長、綾波トアである。年齢的に時田氏からみればトアなど小娘もいいところだが、やはり尋常でない人間のもつ尋常でない風格に自然と敬意を払わせた。それに、この娘が招いてくれねばこの素敵な(この歳でこの表現は照れるが)場所で学ぶことはできなかったのだから。社長などという世間の肩書きもまるで関係なかった。
ここでは、心の大きさがだいじなのだ。
トアの乗ってきた犬ぞりを引くノコギリ犬たちの声に応じる時田氏。「わんえー」にこり。
JAの妄執に囚われた焦るしかない自分に気づいて以降、体調もよくなった。
鏡でつやつや顔色を見ればそれは歴然と。医者も部下も驚くだろう。
「あんな大きなロボットを愛せるなんて・・・なんて大きなこころ」
そうやって認めてもらえば楽になれるのだから人間は不思議なものだ。
そんな心持ちをロボット製造者全てに伝えていこう。そうなればロボットに心は宿る。
確実にJAは敗北と進化をかさねてより堅牢さを増している・・・
 
 
綾波リーポーら神腕関係者が時田氏をしあわせのむらに向かわせたのはやはり健康の問題があったからだが、心と体、それは見事に解決されていた。「途中で血を吐いて死んじゃったら寝覚めが悪いアルから」・・・「あのような俗人中の俗人にトアに会う資格があるとは面白いものだがな」・・・「俗人はあのようなロボは造るまいて・・・ひゃひゃひゃ」
 
一日一時間ほどだが、トアと土いじりの仕事をするのですでにうち解けてもいる。
一生、このしあわせのむらから出ることもないだろう、というトア相手になにをしゃべればいいのか最初は迷ったものだが、トアは一向に構わずにJAの世界の話を乞うた。
 
もし、JAが時田氏が言うとおりに頼りになるならば、そのエヴァ零号機とやらに後継者・レイは搭乗しなくてもすむ。綾波一族が手を貸したのはその意図もあってのことだ。
外界より、守護者としての綾波レイを奪う代償として、新たな他の守護者を使わす。
そう、JAは綾波の使徒である・・・・・。
 
AA・えーえー(Ayanami Angel)と改名してもいいかもしれない。
 
綾波レイの記憶が消去されている時田氏がそんな意図が見抜けるわけもない。
世の中にはこんな純粋な、人の中の人、もいるもんだなあ、と毎日感激するのみ。
 
 
それで、ラジオである。
 
「お勉強の具合はどうですか」と、茶をすすめてトアは聞いてくる。
「もう一通りは学ばせてもらいました。できればこのまま強化アタッチメントの方まで仕上げてみたいですね。何度も言うようですが、ここはほんとうに素晴らしい環境だ」
「ふふ・・・一般の方は近づこうともしない危険地域なんですけどね。でも、ありがとうございます。村の長としてうれしいです・・・・・けれど、時田さん、そろそろ戻られる潮時です」
 
えらく唐突だが、驚きはない。トアのいうのは月が満ちた、とか、月下美人がいま咲きますよとかいうのと同等のこと。名残惜しいが、潮時なのだろう。今まで外界に通じるものは何一つなかったここにラジオなど持ってきたのがその証。分かってはいた。
 
 
「お別れです。最後に、面白いものを聴いていきませんか」
 
「面白いもの・・・ですか」
この澄み切った聖域で、そんな享楽めいたことに脳が刺激を感じるかどうか・・・
 
 
「”現在”と”過去”の口げんか・・・ですよ」
トアは古風なラジオのスイッチを入れた。時刻は夕刻となる。
 
 
 
 
ぴゅーびゅびゅー・・・きゅるーびゅー・・・・びゅびゅぴゅー・・・びゅびー・・・

ぎゅるーぴゅぴゅぴゅ・・・・きゅーきぃ・・・・びゅるびゅー・・・ぎーがーぎーぐ
 
 
 
月孔城
 
 
渚カヲルが若き城主を務める世界で最も秘密の深い城である。
 
そこの自室で渚カヲルが大きな椅子にこしかけてヘッドホンをつけて何か聞こうとしている。ヘッドホンが繋がれてるのは、空色の髪をもつ白い肌赤い瞳の少女の持つ鉱石ラジオ。
赤いネクタイに黒藍の欧風ドレスにクローム製の合わせ手指を模した腕輪がポイント。
そばに控える巨大なスレッジハンマーはアンテナなのかもしれない。
 
「聞こえる?」少女が確認をとる。
 
「いや・・・・もう少し・・・・さすがに結界が強いのかな・・・」
ヘッドホンから聞こえるのは雑音ばかり。普通の雑音ならば解析もできるがこれは。
 
「難しいわね・・・あまり力を使うと今度はここの結界に裂傷ができるし・・・
そうなると、わたしがここにいるのがばれちゃうしね・・・仕事さぼって」
 
レリエルである。「カヲル君も立場あるし。もうちょっとだけ待って・・・どうせシンジ君がらみだからなんかトラブって開幕は遅くなるよ」
 
片手の指にはいるくらいに、指を折って数えたらそのまましばらくじいっと握ってしまうほどに大切な記憶のひとつを思い出して渚カヲルは苦笑した。
その表情を見れば月孔城の住人はさぞ驚いたことだろう。なんて・・・人間的な。
 
そして、なんて非人間的な。人類の天敵・使徒と仲良く語らうとは。彼の立つ場所とは。
 
「僕が聞いてもいいものなのかな?・・・・それは」
 
「貴方こそ聞くべきなの。”現在”と”過去”の口げんかを・・・・”未来”の貴方が」
 
「喧嘩なのかい?シンジ君と綾波レイ・・・彼女が?」
目をすこし丸くしてみせる渚カヲル。どことなく楽しげに。ここにも綾波以外に彼の少女を覚える者がいた。瞳が同じく赤いせいであろうか。
 
「面白いのはね、お互いに”相手はわけがわからない!”って思ってるところなの。
理解不能者どうしが互いの理解について話そうっていうんだから喧嘩にならないわけがないのよ・・・・おっと、調整がうまくついた・・・このレベルで安定・・・・どう?」
 
 
ぎゅぴー・・・・ひーりー・・・・・まろまろまろけ・・・・ひいっ・・・・りいっ・・
ろぉおんしぃ・・・・まいらあ・・・・・・言霊が形をとって清聴状態に。「うん・・」
 
 
 
碇君のばかっ!!
 
 
 
いきなり聞こえてきたのは予想だにしないドストエフスキーな綾波レイの怒り声。
まさに怒りレイ。
渚カヲルの目が演技でもなんでもなく赤い満月に。かわいい。