道連れ
 
 
この言葉が彼らには一番似合っていた。仲間でも友人でもなく仕事で繋がれているわけでもない。「しかたがない」から、この先も一緒に行動するだけのこと。
適当なところで道が分かれれば、そこまでの縁。最後までいってしまうのか、どうかはまず人間には分からない領域のこと。つまり、「いつまでも君たちとなにがあっても一緒にいるよおっ」という美しく堅い絆で結ばれているわけではない。
大昔ならまだしも、現代社会においてこのような関係に陥ることは、まれだ。
単なる旅行先で知り合った、という言葉どおりのそれではなく、その上に「地獄」とか「あの世」とか、あまり現実的でない形容詞がつくそれは。
 
 
けれど、道というものはたとえ複雑怪奇に曲がりくねっていたとしても一本で、どこかに到達するべき目標地点がある。それがなければ、単なる群れ。いつまでもその場に留まることになる。彼らには、目的があった。それを果たそうとあまりに一直線に動いた結果、ド派手に敗北したのだが。目的は、かわることはなかった。どころか。
 
「・・・・こうなったら絶対綾波さんに会う」
 
目覚めて、そして周囲の面子を確かめて、ユトの脚を見てさすって、六分儀シンジは宣誓した。女の子の脚をさすりながら、真面目に怖い顔で誓うのだから、周囲の面々、タキロー、チン、ピラ、さすられている当人、ユトもちょっと困った。どうリアクションしてよいものやら・・・当人は大まじめなのだ。まあ、それはいいんだが・・・・
 
「皆さん、お願いします。僕に協力してください」と頭を下げた。その間も、それで少しでもユトの脚の痛みが消えると信じているように・・・「さすっている」。
ユトの顔は赤く、たしかに痛みは和らいでいるようではある・・・・ではある。
タキローもあまりのことに怒るより気を外されてあうあう、とするしかない。
 
諸悪の根元、すべての元凶、邪悪の源がこういうのだから、普通の人間は従うしかない。
どのみち、ここで逆らったとしても綾波党が許してくれるわけでもない。
彼らが六分儀シンジに陳情可能なもっとも正当な要求はおそらく「お前に会うまでの時間を巻き戻せ」というものだろうが、それはさすがに無理だということは分かっている。
とにかく、この少年にはやるべきことがあり、それにむけて全力で動くつもりだ。
ユトはあくまで六分儀シンジを守護するつもりでおり、タキローは姉に従う。
チンとピラはやることはない。しんこうべにはもうおれまいから生きるためにここから逃げだす必要がある。だが、二人だけではそれはかなわない。
力の構図として、この中で最も”力がある”のは六分儀ユトだ。攻撃力としてはタキローだろうが、そのタキローがユトに従うのだからいうまでもない。
なにより、敵中ど真ん中でありながらこの抹殺もされずに宙ぶらりんな状況を支えているのはユトだ。ユトが戦党員やフレイエなど綾波党の能力者を”いずこともしれぬ”場所へ誘拐幽閉しているために、綾波党も手を出しかねている。
六分儀シンジが目覚めるまでに、三回、ユトだけが呼ばれて牢から出された。
もちろん、誘拐交渉のためだ。暴力をふるわれた様子はなかった。その必要もなく、綾波党には優秀な読心能力者がそろっており、その走査にかけられたのだろう。病院務めの関連で綾波の読心能力がどれくらい優秀か知っているチンは一回目で絶望した。が、ユトはあっさり解放された。「シンジさんが目覚めるまではわたし、ぜーったいに口を割りませんから。交渉ごとは、目覚めたそれからです」にっこりとユトは言いきった。
「誰が”読んだ”・・・・いや、”読もう”としたんだ?・・・・」読心能力者の尋問走査を受けてにこにこ笑っていられるわけがない。それは肉体的拷問にも匹敵する苦痛。あるいは以上の。脳みそを取り外されてジューサーにかき回されて、それを乾燥機でしわしわにされて・・・という手順を時間の経過を無視して瞬間に何百回も行うのだ。気が狂う。
病院務めの間に「遊び」と称して「読まれた」ことがある・・・読心能力者の中にはとんでもなく性格の悪い奴もいる。それを壁新聞にして食堂に張り付いておいたりと。
そんなわけで綾波党の機関誌なんぞ「恐怖新聞」より百倍は恐怖だ。
「綾波シャウだとか言ってました。猫目の女性でした」こともなげにユトは返答した。
「シャウにやられた・・・・やられて・・・おまえは・・・」チンとピラは絶句した。
シャウは金庫破りを自称するいわば精神の泥棒だ。脳病院で政府筋の依頼かどうか、口の堅い情報員から情報を心の中から盗み取るような作業をやっていた。
「わたしに対しての予備知識がなかったようで・・・すぐに泡ふいて気絶しましたけど」
「ユト姉さんに読心・・・・・・愚かもここに極まるよ!なにも知らない綾波どもが!」
なぜかタキローがブルブルと震えて激高した。
それでも、二度ユトは連れて行かれて、少し悲しそうな顔をして戻ってきた。
「あともう少しで「壊して」しまいそうでした・・・手練れの方でしたから・・・・」
話して、ではなく、壊して、とは。六分儀とはこれほどまでの・・・チンはこののほほん系の女子高生がそら恐ろしくなってきた。このユトは読心専門でないにもかかわらず。
三度も退けた。なんなんだ・・・・・なにかあるのか・・・・・あの赤い靴の踊り・・・
黙っていると、なんだか恐ろしかったからしょうもない会話をしようと思ってチンは声をかけた。六分儀シンジの様子を見守るユトに。ほんとはうそ寒さを感じたのだが
「あー、暑くないか。ここ。お前らもそんなブレザーなんか脱いだらどうだ・・・・見るだけで暑苦しいぜ」
もちろん、下心なぞない。あろうはずもない。
「あは、すいません。でもこれ、脱げないんですよ・・・・」
なぜだか、チンはその言葉に鳥肌になるほどの寒さを感じた。そんな折り、ようやく六分儀シンジが目を覚ました。チンは、助かった、と思った。二度とそんなことは言うまい、と。こいつの中には、なにかやばいものがひそんでいる。たぶん、シャウたちはそんなことにも気づかずにまともに見ちまったんだ・・・・自分たちとは比べものにならぬ毒を。
それを平然と笑顔の瓶のなかにふうじこめているこいつ・・・
この状況で離れるべきじゃない、とチンは計算した。三億円の札束は30トンだと計算した頭で。
本当の最後になったら、まあ、ピラだけは逃がしてやるための時間稼ぎくらいにはなるだろう。・・・・いくらガキでもそのくらいの責任はとってもらわんとな。なあ、ピラ。
ああ、オレのこの能力はこのためにあったのかもしれねえなあ・・・・
おそらく綾波党の中で一番、つまんねえ、くだらねえ、つかねねえ、この能力をよ。
 
「きょ、協力してやるから、お、お前ら、チンの兄貴を信頼して信用しろよ、そ、そうすれば・・・モが」
 
「このバカ!!よけーなこと言いやがって・・・」
なぜか、あわててピラの口をふさぐチン。「お前を一人・・・してやるだけで精一杯だ!」
 
「そうすればなんなんだ。この期に及んで隠し事か」タキローが問いつめる。
「目上に向かって敬語もつかえねえチビには教えてやらねえ・・・・とにかく、お、お前らには関係ないオレたちだけの秘密だ」
タキローはともかく、ユトにじっとみつめられると怖いチンであった。
どうもそういう小学校(しかも低学年)の先生みたく、「先生、きみがいってくれるのをじっと待っているよ」な目をされると弱くもあった。
「お、男の秘密なんだよ・・・・」とちょっと男らしくない言い訳を。
 
「秘密なら仕方ないよね」六分儀シンジがとてもリーダーらしくないことを言う。失格。
 
「飛行補助者(セラフィン)、介護翼とも呼ばれる、ひとを空に飛ばしてあげられる素敵な能力・・・六分儀にもいませんよ」
嫌み・・・ではない、ユトは確かに素敵だ、と言った。にっこりと。ほのかな憧れさえうかべて。
 
「げ・・・なんでそれを・・・・い、いやそうじゃない、お、おれの能力は・・・そう、糸もないのに操り人形を動かしたりするうら寂しい海岸町の夏の海空に似合った能力なんだ。そういう意味で素敵だな〜うん・・・・ちょっと待て!今、オレを”読んだ”のか!」
女子高生というならば、オレとは歳がいくつ・・・て、手玉にとられてたまるものか。
チンはあんまり有効ではないとしりつつ虚勢をはってみた。
 
「いえ、さきほどの尋問の折りに係の方にちょっと”聞いて”みただけですよ。外の様子が分からないと逃げ出しようがないですから・・・情報収集です」
ただ一方的に読心から耐え抜いただけではないらしい。シャウのような手練れが返り討ちにあい、うろたえる連中の様子が想像できる。その間隙をついて質問を刺してみれば答えも得やすい・・・・場慣れ・・囚われ慣れしている。
それなら、もう手札はさらしておいたほうがいいだろう。変なところで当てにされても困る、とチンは腹を決め。
「それはそうだが・・・・オレの能力発動には厄介な条件があってな。
お前らは”飛ばせない”。・・・・おっと、それから先にいっとくが万が一、飛ばせたとしても脳病院とかしあわせのむらとかにゃあいけねーぞ。ま、どうせ飛ばせねーんだからそんな仮定にゃ意味ねーけどな」
「なるほど。綾波の人間以外には使えないわけか」タキローが一人で納得したが。
 
「で、その厄介な条件ってなんなの?」六分儀シンジが聞き直した。
出来れば、その厄介な条件をクリアして飛ばしてもらうってえ目だ。
結局、さっきの暴走にまるで反省してないわけだ。このガキ・・・・チンは頭にきたので仕返しとばかりにその厄介な条件を教えてやった。そのあたりあの妖老人、綾波ユメヂと同じパターンであった。ちょっと恥ずかしくはあったが・・・
 
「それはなー、ピラの言ったとおりだ。お前らがこのオレを”信用して信頼する”こった。
それも腹の底から、一寸の疑いもなくな。ピュアーにトラストすんだよ!トラスト!幼稚園児が親を信用するくれえ疑いなくな。今ントコ、それが出来るのがしんこうべ中、探してもこいつだけなんだがな!それが出来れば、お前らを”飛ばせ”られる・・・・」
いくら高中小の子供相手とはいえ、ちょっと面とむかっては恥ずかしいチンである。
 
「・・・厄介と言うより不可能というべきだ」タキローが言い切った。
 
「それで、その飛行速度は?」だけれど、六分儀シンジの目は真剣さ真摯さを失ってない。
大まじめにそんなことを重ねて聞いてきた。ずずい、とがぶり寄りで。
 
「走るくらいかな。高さは電柱の上くらいかな・・・でもいつもチンの兄貴は本気出してないみたいだから。なんせ兄貴の親父さんはあの無限飛行者アルカディストの綾波ユキト・・・・いてっ」
代わりに答えたピラがチンにゲンコツされた。
「うるせえ・・・黙れピラ・・・・・」
「す、すいません・・・・・」
 
「時速20キロに満たず、高度もそんなものか・・・・スズメ以下だ。敵の前なら撃ち落としてくださいっていってるようなもんだ・・・条件も条件で、それじゃなにもならない」
タキローは幼い己が高い能力を保有するだけあって、どうもちんけな能力しかもたない大人に冷たい。挑発する意図があるでもなく、ただ遠慮がない。
「タケコプターみたいなのを期待してたんだけどな・・・・」
六分儀シンジもがっかりしたようだ。
 
「てっ、てめえら・・・・」この勝手なことをほざくガキどもに掴みかかろうとしてチンは耐えて、ニヤリと、無理矢理卑屈っぽい笑顔を浮かべた。
「そう、だからそういっただろ。オレの能力に意味はねーよ・・・・くだらねえ。
おめえも、聞いたんなら分かってるだろ?尋問の連中、笑ってただろ」
ユトに向き直ってそう言っておいた。大したことない連中だと思わしておく。
まあ、ほんとに大したことねえんだが。なのに、六分儀・・・ユトは言いやがった。
 
 
「でも、この能力、肝心のチンさんは飛べないんですよね。ピラさんは逃がせても」
 
 
「・・・・・・」「・・・・・」タキローも六分儀シンジも何かに気づいたようだ。
 
 
「チンの兄貴をおいたまま逃げるなんて出来ないっす!」
ピラが怒りに気球のように膨れた。「あ・・・・・・・」それから自分の失言にようやく気づいたようだ。まるで犬のフンを踏んでしまったようなピラの顔に四人は笑ってしまった。
 
 
「あ・・・・これからどうするよ」
ひとしきり笑ったあとでチンが切り出した。はっきりいって、今ので信頼とか信用とか、そんなもんは全てパーになった。こんな間抜けな二人組を誰が信用するものか。
 
「もちろん、綾波さん・・・・・ちょっと語弊があるから、これからはレイ・・・・呼び捨てはあれかな・・・・でもまあ、面倒だから時限的に”レイ”、にしとこう・・・
レイに会いに行く・・・・絶対に会う、とにかく会う。なるべく急いで帰りたかったし時間がなかったからあんな手段になったけど、こんどはじっくりと、どんな手を使ってもレイに会う。会うまでは帰らない・・・・・絶対に会う!」
そして、しんこうべにおける最高の悪行にしょうこりもなく再び挑む三人組を誰が信用するものか。レイ、などと後継者を呼び捨てにするあたり、もはや鬼畜邪神の領域。
 
 
なれど、しょうがないから手を組む。
 
 
それが道連れ、というものだった。
 
 
「それで、これからの行動なんですけど・・・まずは陣地を確保しましょう」
六分儀シンジの瞳が闇雲色に変わってしまっている。この先を暗示するかのように。
 
「えーと、まず、この牢がこじ開けられる人!手をあげて」
 
 
しーん・・・(無回答 四名中四名)
 
 
六分儀シンジにリーダーシップがないのは別として。いかんせん、そんな神鉄ばりの腕力を持ち合わせている者はこの中にはいなかった。あまりの強硬姿勢に呆れていたということもあるが。
「ふつー、牢の”鍵”を開ける人だろ。バカ。ゴリラだって開けられるかこんな檻」
「ドンキーコングなら開けられるよ」
「お〜。じゃあ、ドンキーコング連れて来いよ、いますぐ〜、三十秒以内に」
惣流アスカ以外の人間にバカと呼ばれてむっとする六分儀シンジ。
だが、いいかえす綾波チンもチンだった。おもしろいが、かなり不毛だった。
「この会話が監視に聞かれてたら・・・・・かなり恥ずかしい・・・ユト姉さん」
真面目に、檻の材質を調べていたタキロー。確かに合金製の頑丈なやつだが呪術的なガードは一切無い。自分ひとりならすり抜けてどうにかできるタキロー。けれど、姉のユトがあの脚ではどうにもならない。置き去りという選択肢を選んだら今度こそ下駄にする。
 
 
「おもしろいからこのまま聞いていたいけど・・・シンジさん、牢を抜けてどこへ行くんですか」
 
「電話をつないでもらうんですよ。綾波団の偉い人に。こんなところにいたらユトさんの傷にさわりますから、どこか温泉とかある豪華なホテルに移ろうかと思って。
交渉はそれからです」
 
「綾波団じゃねえ、綾波党だ・・・・・って、何だと!?」と、チン。
 
「シンジさん、それからしてすでに交渉ですよ」
六分儀シンジにはすでに腹案があるらしい。さすがにあのゲンドウ様、ユイ様のご子息。
相手が怒ることなどへのかっぱらしい。自分で電話をかける、というのも気に入った。
それは交渉ごとの鉄則。相手への回線さえ自力で開けない人間の交渉など成功するわけもない。
 
「タキローちゃん、シンジさんに召喚んでもらって”鬼綱”の術はじめましょう。
京都の山でもない、異国の海のそばでどれほど召喚べるものか・・・・
シンジさんの六分儀、いやさ碇としての才能、見せていただきますよ」
 
「”鬼綱”のじゅつ?・・・・・」
そんなんで才能の見せようがあるのだろうか、というほど白紙状態で聞き返す六分儀シンジ。
「鬼の綱引きですよ。略して鬼綱。難しいことじゃありません。単に鬼を呼んで綱引きさせるだけのことですから。六分儀じゃよく家を揺らしたりして借金返済を迫るのに使われたりします。あんまり支払わないと家を引き倒しちゃったりとか」
「な、なんじゃそりゃ・・・」「ひでえ話っす・・・」とチンとピラ。
 
「それでこの檻を引き剥がしてしまえばいいわけです。鬼の腕力は相撲取りの比じゃありませんからね。呪術的防護はされてないから、力さえ勝れば破れます。
それじゃ、シンジさん、のどをみせてくださーい・・・・うん、いいのどです」
 
「でも、鬼ってどうやって呼ぶの?」と鬼の現実存在は否定しない。
 
「嘯、長い声を出してくださればいいんです。意味がなければないほど、長ければ長いほど、才能があればあるほどたくさんの鬼が呼ばれてきます。だから、言葉に、言語になる前の源の音を出してください」
 
「何人くらい必要なのかな」
 
「って、いきなりオカルトになるなよ!」「そうっす、チンの兄貴は恐がりなんすから。もー、稲川淳二の稲、の字を聞くだけで夜、一人でトイレにいけないくらい・・・」
「嫌だよ!こえーよ!鬼なんか出すなよ!出すならドンキーコング出せよ!
オカルト反対!絶対反対!心やーさしー!ラララ、ボクたちかーがーくーぅーの子オーー」
恐怖にかられた子リスのように突然「鉄腕アトム」を絶叫しだすチン。
「・・・ほんとにこの二人、綾波の者なんだろうか・・・罠かも」首をかしげるタキロー。
 
「そうですねえ。シンジさんははじめてですから、まあ、余計なことは考えずにやってみてください。一匹に満たなくても、腕だけでも出してくれれば筆おろしでは御の字ですよ。あとはわたしたちに任せてくだされば・・・」
 
 
チンなど無視してユトはにこっと京風の陰陽笑いで段取りを整え始めた・・・・
 
 

 
 
 
たとえKOされたとしても、死ななければ負けではない。試合と違って。
惨めである、無様である、恥である、だが、寝ているわけにはいかない。
弐号機惣流アスカは歯を食いしばっておきあがると、テナガエルに立ち向かった。
 
 
テナガエルは余裕で「人を釣って」いた。
 
 
猿が蟻の巣に棒をつっこんで蟻を釣って舐め食べてしまうように。
テナガエルは器用に己の銀毛でテグスをつくり電柱で竿をつくると、ワカサギでもを釣るようにシェルター上に穴を手長パンチで開けると、そこから糸をたらして釣る。
エサもつけてないのに、こんなんで人間が釣れるはずもない。のだが・・・・
 
 
「なんで・・・・・・」惣流アスカの声が歪んだ。その感情は恐怖に近い。
 
 
人間はたくさん釣られて、ビルの屋上にそろえて置かれていた。まるで釣り師が魚を魚籠にいれておくように。どうあがいてもそこから逃げられないし、飛び降りることもできない。戦闘領域のど真ん中、使徒を間近にし、その恐怖はどれほどのものか・・・・・
惣流アスカの恐怖はそれに強くシンクロしたことから発する。そして、恐怖は連続する。
望遠モードのモニターはその釣り上げられた避難市民の中に知り合いの姿を映していた。
 
「なんで・・・・・・なんで・・・・・なんで?」
洞木ヒカリ、鈴原トウジ、相田ケンスケ、霧島教授、それになぜか霧島娘、マナも。
 
「マズイ・・・あの位置は・・・・・」
テナガエルにそのつもりがあろうとなかろうと、完全にその位置は「人の盾」。
下手にエヴァだの市街兵器で攻撃しようものなら市民が完全に巻き込まれる。
 
テナガエルは釣りに熱中しているのか、弐号機の接近などまるで関知してない。
こちらが手出しできないことを見抜いているかもしれない。
「ミサト・・・・こんなの・・・・どうすれば・・・・・」
惣流アスカの戦闘本能はすでに行動命令を出している。取れうる行動は一つしかない。
犠牲を考慮に入れずに、この隙に全力攻撃・・・・・それしかない。それしかない。
どんな冴えた手段を用いたとしても、使徒と人間との距離が、近すぎる。
使徒を殲滅するほどのエネルギー、その欠片のほんの先の分量でも人間をコナゴナにしてお釣りが来る。そして、あの使徒は強い。半端なことでは二の舞、返り討ちだ。
 
 
有効な手段がもう一つだけ、ある。
 
 
それは碇ユイを呼び戻すこと。碇ユイと初号機ならなんとか出来るだろう。
うまくいけば、その姿をみただけでサル使徒も市民を放って逃げてくれるかもしれない。
 
あまり時間はない。戦闘の時間というのは瞬間の連続。熟慮も即断も同じ瞬間のこと。
 
「あうっ・・・・」酸欠のように呻いた。自分以外の多数の命がその判断にかかっている。
しかも、知り合いの命が。意識がある。使徒と・・・そして、こっちを見ている。
彼らの希望の糸を束ねたものが、この手にある・・・・
ほんのわずかのあやまりで、ぷつり、と切れてしまうか細い糸が。
ヒカリ、鈴原、相田・・・・彼らの命を自分が預かっている。温度さえ感じられる。生々しく。命の温度を掌に感じた。かつての言葉。霧島娘マナにこんなことを言われた。
「学校でのあなたとロボットのパイロットとしてのあなたはどっちが本物?
演技とかしてない?」と聞き難いことをずばりと。そんときは文化祭だったので、「アタシの歌をきけば分かるわよ」と熱血青春テイストで答えられたが。命のかかった戦場では。
頭痛にも似た強い命令。ギルの戦闘本能は彼らを救えない、という判断を即断してきた。
本物の兵士と偽物中学生、偽物の兵士と本物中学生、どちらが自分の本当?頭痛がする。
その口は別れの言葉を告げるかないのか・・・強く噛む唇・・・吐き気がする・・・孤独
 
「あう・・・・・・・」
まなざしを翳らせて、地へ戻ったあのひとに。
惣流アスカはほんのわずかのあやまりをしそうになった。
実のところ、碇ユイはさすがに動けなかったのだ。冷却にあと一時間はかかる。
ここで己以外を頼るのは、裏切りに他ならなかった。己をふくむ、すべてへの。
 
 
 
「枯れ死にのように」
 
 
 
葛城ミサトが言葉を発した。静かにそして鋭く。
隣の野散須カンタローの目がギョロリと葉隠れの武士のように。死ぬことを見つけたり。
 
 
「その場から一歩たりと動かさず、枯れ死にするように倒しなさい、アスカ」
 
 
葛城の言の葉は強弓のように、赤の機体は矢のように、弐号機が、瞬飛攻動した。
 
 
弐号機の左拳にしなやかにテナガエルは迎えた。拳法の達人の動きだ。動きのレベルがやはり違う。風にくるまれるように弐号機の攻撃は封じられ、いつの間にかまた腕は脇にはさまれた。そこからくる「高探馬」の一撃。走り抜ける衝撃は今度こそ弐号機の顎と背骨を粉砕する!・・・・・いや
 
 
「ここでこっちの力を使えば余りすぎる・・・・それをそのまま逆流させる・・・・・」一度食らった攻撃はくらわない。セカンドチルドレンの戦闘本能は。流水でかわす。
弐号機の四つの緑眼はテナガエルの生み出した破壊力を確かに見定めた。
惣流アスカは足下にATフィールドを発生させて、それを踏み出すと一歩だけ前進する。
その一歩で相手の攻撃を封じ、こちらの攻撃の基点にする。丁度よい破壊力が生まれる。
右手をそっとテナガエルの腹部につける。つける、だけ。それで十分。
 
 
ぺき
 
 
枯れ枝を手折るように、テナガエルの体が。葉脈のように全身つつがなく腐葉土に沁む水のように衝撃がとおった結果だった。殲滅するに必要なだけの力が。どんな化け物でも自分の肉体を破壊する以上の物理衝撃は発生させない。攻撃するだけ自分も傷つくなどいうバカな戦闘兵器はない。叩き潰すのではなく、枯れ死にされるなら、こういう方法をとるしかない。天に与えられた才能は、弦。弦をはるのは経験。碇ユイの見せた戦闘は確かに天才の中に息づいて新たなイメージを生んで肉体を動かす。惣流アスカは双方向ATフィールドさえ発現させずに勝った。たんじゅんな掌で。なんらの犠牲をださずに。悲鳴も体液も出させずに。
 
 
「ああ・・・・・」
力をいれないその破壊に、惣流アスカは左手に自然に納得する自分、右手にそれを驚く自分を感じていた。中央にいる自分はその双人を裡に招き入れる。「これが悟るってこと」
 
 
発令所スタッフはあっけにとられている。まるで村はずれで柿木にとまる老鴉だけを立ち会いにした浪人同士の決闘のような、効果音もBGMもない、音のない、早すぎる立ち合いに何が起こったのか見抜けたのは葛城ミサトとギョロ目の野散須カンタローくらいしかいなかった。
分かったような顔をしているが、碇ゲンドウと冬月コウゾウもあまりよく見えなかった。
個々の戦闘の成り行きに司令と副司令はあまり関知しないのだからいいのだ。
 
 
「不死身のかれに背中さえ守らせとけば・・・・経験さえつめば・・・アスカが最強になるのかもしれない・・・・」
腕を組みながら葛城ミサトはそんなことを言った。つくづく自分があずかる十四の少女は天才なのだと思い知った。野散須カンタローに言え、といわれたから言ってはみたのだが。
まさかこうも鮮やかにやってくれるなんて・・・・無責任だと笑わば笑え。
だけど、エヴァの力の本質が見えてきたような気もする。その恐怖の源も。
 
 
とにかく今は、出来ることなら、発令所というセコンド席から戦闘領域のリングにあがって、その紅の腕を持ち上げて思い切り勝利をアピールしてやりたいところだった。
だが、今回はその勝利を称えてくれる観客がいる。ビルの屋上からのなかなかやまない万歳三唱。その中に、洞木ヒカリや鈴原トウジ、といったクラスメートを確認していたから安堵は正直に深く。
 
 

 
 
 
そして、入道雲の中では同じく安堵の息をついている使徒もいた。
 
使徒タブラトゥーラである。「ふふぅ・・あんなサルにやられてはこっちの立場がないのでござる。紫の鬼には劣れどもなかなかに良き敵かな」
その周囲に何体かの使徒がタブラトゥーラに何かしている。
何をやっているのかといえば、「新たなる戦支度でござる」といえば、聞こえはいいがつまりは応援補助能力をもつ使徒仲間に頼んでの「武士道と いいつつ勝てば 官軍よ」の精神でドーピングである。それも出遅れようとじっくりと時間をかけて。「いざ鎌倉」と出ていったところで負けてはなんにもならんわけである。
「ああ、フクビキエル・・・・悪いがもう一回まわさせてくれぬか」
特賞でコアがもう一個もらえてしまうというとんでもない装備能力をもつ幸運と不運を司どるフクビキエルに頼み込んで特賞があたるように祈りつつ、もう一回まわす。
「あっ・・・・タブさん、動かないでよ、もー」
と白い粉をぬりたくるのはクリープエル。その白い粉をつけてもらうとATフィールドが格段に強化される。少し芸術家気質なので頼みをきいてもらうのはなかなか難しい。
「サギョウ・・・・カンリョウ・・・・・シマシタ」
固い声で告げるのは偽コア制作者・レゴエル。コアでありながらコアでない、偽コアを造ることを許された唯一の使徒。オレンジや黄色、紫、緑のそれらを装着すると耐久力が増えたり移動速度が早まったり、手っ取り早く強くなれる。
 
 
こんなにドーピングなんかに頼るなら、こいつ弱いんじゃないのか、という向きもあろうが人類的に困ったことにタブラトゥーラは厄介な特殊能力をもった戦うためだけに生まれてきた純正の戦闘系使徒だった。こと武器を用いた戦いなら負けたためしがない。
戦闘におけるプロ中のプロであり、このように用心深い。臆病ともいえるが、それは勝利に直結するたぐいの臆病、そして、武者震い。カラン、とフクビキエルから虹色玉が出た。
 
 

 
 
 
綾波脳病院院長室
 
 
「あの鬼の子連中はどうしとる・・・あのゲンドウの倅じゃから、そろそろ脱獄したか。
手前で逃げ帰ってくれれば手間もはぶける」
 
綾波ナダは水上署からの連絡をてっきりそんなもんだと思っていた。
 
正面から突っ込んでくるという暴挙かつ愚挙に袋対して袋叩きくらいですましてやったのは第一にはそれがあった。党内部にも「あの事件」に対する復興資金を貸してくれた六分儀に恩義を感じるものは多くいたし、さすがに「あの子供」の命を奪えば綾波党はこの地上から根こそぎ殲滅させられるだろう。
だから、鬼の子の命に対しては厳命していた。かといって孫娘を連れ戻すなんて真似は断じて許されぬ。そこいらのさじ加減が難しいが、見た目、父にも母にも似ず、さして根性のありそうな子供でもなかったから、ちょいと袋にしてやれば怯えて逃げ帰ると考えていたのだが・・・・水上署の方にもそこそこ手を抜いて見張れ、とは命じていた。
六分儀の厄介な護衛がついたせいで、その加減はさらに難しくなった。
 
「六分儀ユト」・・・・資料が届くまで読心の者に尋問させたが、あわてて中止させた。
六分儀が数年前に手に入れた秘蔵中の秘蔵娘じゃないか。あらゆる物理的防御と呪術的結界を問題にせずに、標的を「誘拐」してしまえる、非合法巨大組織がこぞって手にいれようとした裏世界の至宝能力。突発的に誕生した超新星にも似たその能力に対抗する術はなく、狙われたが最後、その魔の手、いやさ魔の脚から逃れられた者はいない。強大な武装も巨大な組織も歴史ある魔法結界も、それを阻むことはできなかった。
それに綾波の者も含まれることになったわけだ。
資料によると、「交渉」以外の方法で六分儀ユトが誘拐者を解放したことはない。
一度として。本人が捕まったとしても、それ以外の方法では。生きて返ってはこなかった。
そんな相手に何人も綾波の者が誘拐されてしまった・・・・
ほうほうのていでしんこうべから泣きべそかきながら逃げ出す予定の六分儀の鬼の子より、そちらのほうに重点をおいて考えていた矢先のことだった。
これまでに73人子供を産んだ綾波ナダにとって、綾波姓のものは自分の体のようなものだし、綾波のために体をはって働いてくれる戦党員は血、赤血球や白血球やリンパ液のようなものだった。
そんなわけで、魂を継いでくれるべき人材、最後の娘ノイの娘、レイに対する想いは三万人分くらいあった。それを引き離そうとする六分儀の鬼の子など引き裂いて食らってやっても飽き足らないくらいなのだが・・・
だが、ゲンドウとの契約は存在する。しんこうべと綾波党の復興資金と引き替えに
孫娘を売り払った己も、ここにいる。一歩間違えば、六分儀との全面抗争になる。契約を破った相手への六分儀の徹底した非情さはある意味、軍隊や宗教の比ではない。
だが、孫娘の命はのこりすくない。その時間を味わうことのなかった故郷ですごさせてやってなにがわるい。たとえ世界中からの異能の目をもつ親類縁者を集結させてもその時間だけは守ってやる・・・・
 
 
だが、それにしても分からないのは・・・
どうやってあの鬼の小僧は孫娘の催眠を解いたのか、だ。
 
 
孫娘の話を聞くに、全力で世界全域の自分に関する記憶を消去してきた、というのにだ。
「綾波」以外の人間にはひとたまりもない精神世界における極大の核攻撃に匹敵する、と「まるであたらしいブッダがうまれたような強い光が発生して・・・・ひとの額から射し込んでは次々にレイの記憶に関する領域が寒天蜜豆や杏仁豆腐になっていきました」トアの報告にあったが・・・団地や街や学園ひとつではすまない、「ねらう力」。
増幅器を用いてのことらしいがそれにしても凄まじい精神操作能力だ。レベルいやさ次元が違う。世界を変革してしまえる、個人で所有するにはあまりに大きすぎる力。
孫娘は外宇宙からやってきた宇宙人なんではあるまいか。・・・・じょうだんだが。
それに関して恐怖も後悔も感じていない、という点、孫娘に危険なものを感じる。
未熟な神・・・・そこに至る階段の前におりながら、不思議そうにそれを見上げる子供。
孫娘のまわりにはろくな奴がいなかったに違いない。人間でさえない、魑魅魍魎の都。
その闇を凝縮してこねくりまわしてつくりあげられた、子供・・・あの鬼の小僧は。
そういうことなのかもしれぬ・・・・・・鬼、というのも生やさしい、尋常ならざる。
なんらかの偶然で、あの鬼の小僧だけ催眠が解けてしまった、そんな見方もできないこともないが・・・。ならば、それを契機に他の人間の記憶ももとに戻るはず・・・・まだ孫娘は能力を、たとえるなら叫ぶようにしか使っていない、歌うような深みがない、なんの理論もなく力づくでしか使わないから効果は強くはあるが雑で浅い。世界に織られた力の綾を視てみたが小学生レベルだ。これでなんの綾波か、と哀しくなったが教える者がいないのだから仕方がない。
ここに戻ってきたからには基礎から学ばせて・・・・やりたかったが時間がない。
もっとも、支配者級の催眠者にはその必要もないのだが。
 
 
それにくわえて気味が悪いのは。
六分儀のガードがおりながら、ゲンドウからはなんの連絡もないことだ。
こと裏切りに情け容赦をかける男ではない。戦慄を覚えながら通告を覚悟していたのだが。
ちぐはぐと。違和感を感じる。冷血に構築された奇手謀術ではない、「目的さえ達成できればなんでもいいのよ、その場のノリで」、というようなどこかドンブリ勘定なものを感じる。ゲンドウの記憶が消去されたままであるなら・・・・あの鬼の小僧はどうやってここに来た?なぜ、六分儀のガードとともに、ここにいる?あれは、碇だ。
鬼の小僧が自分の判断だけでここにきたのであれば、六分儀のガードは付かないはず。
一瞬、牢に囚われた鬼の小僧の背後に何か、絶対的な「力」を感じた。カンだ。
周囲の人間のことなどなんともおもわない、神めいた意志の力。強引愚マイウェイな。
唯我・・・
 
 
「ナダ様?・・・」
 
「ああ、すまないね。ちょいと考えていたんだよ。それで?」
 
「それが・・・・脱獄しようとしたらしいんですが・・・・」
大橋の警護、つまりは綾波党の火器全般を預かる水上署の署長、ダークな一番サングラス、黄金の美髭公、綾波ホーガンらしくない歯切れの悪い。
「さっさと結果をいいな。しくじったならまだそこにいるんだろう?」
「それが・・・・鬼がですね・・・大量にですね・・・・牢の壁から”発生”してですね・・・・連中がいうには檻を引き倒し、逃亡を図ろうとしたらしいんですが・・・・当然、壁は破壊されしまいまして・・・”例の子供”は気絶しており噴き出す海水で溺れかける始末で・・・・その救出作業がこれまた厄介でした・・・なんせ牢部分は海面下にありますから。その鬼がまた海水でできておりまして、蹴飛ばしても殴っても銃で撃っても効果はなく・・・署内が水浸しになるばかりでして・・・」
 
 
「なるほど。鬼呼び・・・碇のお家芸か・・・」
 
 
「あーっ、貴様ら、責任もって早くその迷惑な奴を起こさんか!早く術を解かさんとアックスボンバー食らわすぞ!ウラーッッ!
 
現場での連絡らしく、耳をすませば状況が聞こえる。ビービー鳴り喚く警報装置の阿鼻叫喚とひとごとのような人の声とざぶーん、ざぶーんと荒々しい波の音。
 
「そんなー、そんなのオレたちのせいじゃないっすよ、すべてコイツのせいでして・・・うぷっ、塩かれえー!いてぇー、傷にしみるー!寄るな、近寄るな、あっちいけ!」
「綾波党が困るのはべつに僕たちにとって忌避すべきことじゃないけど・・・この海水は・・・この施設は建築基準法に違反してるんじゃないか。こんな簡単に壁が壊れるなんて」
「シンジさん、シンジさん、起きて、起きてください・・・初めてだったからかなあ・・困ったなあ、ここまで底なしなんて・・・すごい・・・(ぽっ)・・・・こんなに濡れちゃって・・・ぴしぴしぴし、起きて、ください」
 
 
「相当まずい状況みたいだね・・・・分かった。レムタンと銀橋をそっちに行かせるよ」
「それとできましたら、この連中は他の場所で”保管”して頂きたいのですが・・・・とてもじゃありませんが、対呪術装備に欠けるこちらでは・・・津波を飼うようなものです」
「あー、分かった分かった。なんとか考えとくよ」
「よろしくお願いいたします」
 
 
予想だにしない展開に綾波ナダの顔が渋りきる。
水上署は人工島綾波党の防御の要だ。それが内部で海水まみれ・・・・ある程度の耐水能力はあろうが、まさか海水で出来た鬼が大量に闊歩して大丈夫なようには設計されていない。くそ・・・・本当にさらし首にして酸の宮あたりで曝してやりたくなった。
 
うう・・・・世界各国を放浪し日本全国を巡って綾波の者を守ってきた鬼婆の顔で呻く。
呻きつつ、水上署へのフォローの手配をばしっと命じる。
基本的に綾波を率いる血筋は観音のような顔をしているのだが。
 
 
この激烈な苛立ちをおさえるには・・・・いそいそと巨大な院長デスクの厳重に封印された引き出しから大きな封筒を取り出す。面倒見系のおばさんの定番アイテム「見合い写真」。
そのヒエラルキーの、おそらく最上位にいるであろう綾波ナダもこれさえ見ていれば気分がおさまる。トランキライザーである。三度の飯より仲人が好きで、「これとこれとをくっつけて・・・」なんてある意味、血脈のブリーダーでさえあった。
このところはやはり、レイ、孫娘の「相手」にすべてを、全勢力をかけて集中している。
綾波の屍を越えて、みらいへむかう婿殿を。
魂をかけて検索しまくっている。なにせ、孫娘は支配者級の催眠能力をもっているのだ。
それをもって生まれたことがそもそも孫娘と綾波党の不幸だったのだが・・・・・
それを継がせぬわけにはいくまい。それを考慮にいれると、単なる能力の優越、性格、顔の善し悪しで決めるわけにもいかない。火が起こせるわけでも風が呼べるわけでもない人の精神にわずかな影響を与えるだけの催眠能力など赤い瞳をもつ綾波の中では下級に位置する。だが、それに支配者級、という枕詞がかかると話は一転する。全能力中、最強にして最高に位置することになる。それは力の玉座。 世界術、どの系統に位置する術者でもそれは認めるしかない歴然とした事実。パイロキの支配者級より、テレキネの支配者級より、睨むだけで人を殺せる邪眼の支配者級より、聖魔白黒浄濁関係なく、催眠の支配者級の方が強い。勝負をすれば必ず勝つ。もうこれは神様が味方についている、といった方が早い。 支配者級の能力者は絶対に間違っても、催眠の支配者級に喧嘩を売らない。頭をたれて犬ころのように腹をみせても許しを乞う。なぜなら・・・・
 
 
ボーン、ボーン、と院長室の大きなのっぽの古時計が鳴った。中には魔法使いのおじいさんが入っている。なんで入っているのかは不明だ。英国での戦利品。
 
 
「おや。もうこんな時間かい。楽しいはずなのに待ち遠しくないのはやっぱり、残りの回数をかぞえちまうせいかねえ」
昼飯時であった。孫娘といっしょにとることにしている。
 
「待てよ・・・レイならユトとやらから奪い返すことも・・・・いやいや、それは」
一瞬、名案かとも思ったが、すぐに潰えた。それをやれば鬼の子の来神がばれる。
橋の上での雷音ですっかり孫娘は怯えてしまっている。それはそうだろう、まさかあの街から追いかけてこようなどと夢にも思っていなかったはずだ。自分が孫娘の帰還を信じられなかったように。・・・それによほど嫌っていたに違いない。わしの赤い目に狂いはない。もう、それは骨の髄から細胞のひとつひとつまで嫌いつくし、声を聞くことすら厭わしいにちがいあるまい。あの都市でストーカーでもやられていたんじゃあるまいか。あるいは勝手に住居に入り込まれたあげくに乳でも揉まれたとか。・・・・ありうる。
なんせあのゲンドウの息子だ。
不幸不吉の使者だ、あの餓鬼は。なんとしても近づけてはなるまいて。なんといっても、たいていの怪物は見慣れたこのナダでも不気味ながきじゃからなあ。どんな手をつかっても、ごまかしきってくれるわい!
決心を新たにして綾波ナダは院長室から出ていった。
 
 

 
 
綾波レイは脳病院内のナダの屋敷の・・・・・厨房にいた。
じゅうじゅうと熱い鉄板の前に白い厨房服の綾波レイ。あまり手際がよいとはいいかねるがお好み焼きの制作中。割烹着でそれらしくはしているものの、護衛兼お付きのツムリは「いやー、わたしはフランス料理せんもんなものでー」と手を貸そうともしないでケン玉で遊んでいた。
ソースものが大好物で、ソースさえかかっておればたいていのものは食べるナダの昼食をつくろうなどと考えたのはなぜだろう。やることがないから。こういうことでもしてなければ、考えてしまうから・・・・・自分らしくもなく、うろたえているから・・・・・だろうか。
浮いている、とはおもう。ここに、しんこうべに。ここまで。
ぱちぱちと鉄板の爆ぜる音はどこか夕立を連想させる。
 
 
しんこうべに。
 
 
故郷の空気は、かるい。
鮭が匂いをたどって海から長い旅をして故郷の川に帰るのも当然のことだと、思えた。
故郷の空気は、かるい。列車から一歩おりて、すぐに感じた。その空気を体内におさめた肉のかるさを。いい空気、すがすがしい空気、というのも違う。ただ、かるい。
光すら、どこかちがう。だから、世界の法則はすこしずつ異なっているかもしれない。
じつは。
生まれた土地で生きるべく、生まれる最初から入力されていた情報が、目を覚ます。
だから、なにごとも、やりやすい気がする。ドライブで初めてやってきたはずなのに、ぱたん、と開いたグローブボックスにはその土地の詳細地図がなぜか入っているような。
故郷の空気は、かるい。
 
 
碇君、彼が、しんこうべにきている・・・・・
 
 
教えられたわけでも、心を読んで情報を手に入れたわけでもない、けれど。
確信がある。誰でもない、あの雷の音。あの雷は彼の鼓動。その鼓動が、伝わる。
彼のことを考えると、心臓の鼓動が、大きくなる。とくん、どくん、とくん・・・
人造人間ペースメーカー。血流が多くなれば、それにともない感情の波も大きくなる。
今は、不安の方が強い。じゅわじゅわ、と鉄板の焼ける音。
けれど、その不安が、さほどわるくはない、などと思うのは、なぜだろうか。
とくん、とくん、とくん・・・終わるわけではない、それはなにかが始まる音。
なにかがおきると期待している?・・・・・すでに結論はでているのに?
袋小路の先の道へ彼が導いてくれる?・・・・神様でもない、人間の彼が
だけれど、動いて彼はここまでやってきた。じゅわじゅわと鉄板の爆ぜる音。
動けない、動くことを許されない神様と違って。じゅわじゅわと鉄板の焼ける音。
その行動は、その動きは・・・・じゅわじゅわと
 
 
「あの〜、レイ様・・・・こげてますよう。うわー、ソースかけなくてもいいくらいー」
ツムリの注意は時既にかなり遅し。鉄板の上のお好み焼きは黒こげになっていた。
 
 
「あ・・・・」
相当、ぼおっとしている。なんなのだろう、この状態は。
今、彼がどこにいるのか、知ることができたなら、少しはおさまるだろうか。
 
「こうなったらー、焼きそばにしましょう、焼きそばに。ナダ様はソースさえかかっていればプリンでも煮物でも何でもいい方ですからー」
 
と、とりあえず、料理を完成させよう。綾波レイは黒こげになったお好み焼きを捨てた。
食事をしながら、尋ねてみよう。彼の、予想不可能な、彼の動きを。
 
 
 

 
 
ででででででん、ででんのでん!!
 
 
ものものしい刀剣使徒・タブラトゥーラの降臨。
出来うる限りの戦化粧を施したその姿は美しく、単独で堂々と弐号機の前に現れたそれは威風堂々。テナガエルに釣られた人々の救出も完了し、邪魔者はおらず心ゆくまで正々堂々と力の限り、戦える状況が整った。
 
 
「こいつは・・・・なんか倒しがいがありそうね・・・・」
倒すことが名誉と誇りにつながる立派な敵、というわけだ。惣流アスカが相手の本当の強者のみが持つ重厚な闘気に表情を引き締めながら呟いた。
 
何百もの巨大な刀剣が寄り集まり獣の姿を形作っている。一角獣の姿。
額から生えている角が弱点、というのがお約束だが。まず、肉弾戦は出来そうもない。
触ったところから切り刻まれていくだろう。視てるだけで刀剣の切れ味が分かる。
そして、はんぱでない不可視の盾、強ATフィールド。肉眼でもビンビンに確認できるほどのやつが展開されている。それも、三重に。6方向に。死角がない。
そこらへん、拳法に頼りフィールドが皆無に等しかったテナガエルとはまるで心得が違う。
純攻撃型の外見に反したダルマ要塞並の防御能力。ガチガチに着込んだ武者鎧といったところか。それにくわえて、コアに似た物体が体の内部に何個もある。ダミーコアか?
とにかく強敵だ。仲間使徒に協力してもらって思い切りドーピングしてきたことなど人間が知るわけもないが、とにかく強敵だ。
 
 
「またまたどえらいのが降臨りてきたわねえ・・・」
接近肉弾戦がむりなら遠距離射撃戦しかないわけだが、あのフィールドじゃ半端な火器を千発当てたとしてもかすり傷一つつくまい。葛城ミサトは困った。
だが、困るのはまだ早かった。
なぜなら、タブラトゥーラの戦支度はまだ終わってなかったからだ。
 
 
「これから刀を揃えさせていただくでござる。剣の者ども、真の士魂をもつ我に従えい!
おのおのがた、出陣でござる、えいえいおー!、えいえいおー!!」
 
 
とばかりに、いななくと、どこからか陣太鼓が響き、どうしたわけか、兵装ビルから「この時を待ちに待っていたでござる」とばかりに刃物系の装備が一斉にネルフに反旗を翻し、うれしい味方・タブラトゥーラの方へ駆けていったのでございます。ソニックグレイブ、マゴロクターミネーターソード、などなどが痩せ馬に鞭打ったような勢いで。
なんと弐号機の肩口からもプログナイフが長年の忠誠を忘れたかのようにいそいそとかの敵の下へ急ぎます。
 
「はあっ!?な、なによそれ、ちょっと待ちなさいよアンタ!」とプログナイフを呼び止めようとする惣流アスカ様ではございましたが、もとよりそれにこたえるはずもございません。後ろ髪引かれる様子すら微塵もなく、ナイフはかの敵に抱かれました。まるで長年離れていた静御前と源義経が再会したかのように。それはもう、あつあつのらぶらぶでございました。
「うっきー!!なによそれえっっ!!あとで覚えてなさいでございますよー!」
 
 
「げげげげっっ!アスカ!、それはいいから、あの双振りを止めて!!」
 
と、葛城ミサト様が指示されたのはあの使徒を斬るためだけに鍛えられた使徒斬り日本刀エヴァ零号機専用の「零鳳」エヴァ初号機専用の「初凰」の双振りでございました。ネルフの所有する刀剣系装備の上でも最高級の品物でございます。武器でありながら人を感動させうる清冽な美をもつ芸術品。そして、かの鉾を別にして最強の殺傷力を持つ兵器でもございます。葛城様が狼狽えたのも道理・・・・。(ナレーター・伊吹マヤ)
 
 
その零鳳と初凰が馳せ参じようとしているのですから、すわ一大事。
例えるならば、前田慶次とニコラス・ケイジ、いやさ直江兼次がタッグで敵側に寝返るようなもの。豊臣秀吉と明智光秀が信長の下を離れて徳川家康へダッシュするようなもの。
ダーティーハリーとアクセル・フォーリーに捜査されるようなものでございます。
浪人は七度主を変えねば一人前とはいえない、という言葉がございますが、彼らもそれに感化されたのでございましょうか、弐号機の必至懸命の制止を振り切り、あやういところで腕部を切断しかけ、零鳳と初凰はかの敵にとうとう参じきったのでございます・・・
 
 
そういうわけで、あれよこれよというあいだに・・・・
第三新東京市全域の刃物系武器は全てタブラトゥーラに取り込まれてしまった。
その気になりさえすれば各家庭から包丁を始め、爪切りや鼻毛切りでさえ集結させることがタブラトゥーラには出来るのだが、武士の情けでさすがにそれはやらなかった・・・。
武器戦闘で負け無しなわけである。(題字・日向マコト・・・「ってどこに書くんだよ」)
これで負けたらバカである。(音楽・青葉シゲル・・・「脳内で直接、聞いてくれ〜、もち、N国営放送交響楽団のフルオーケストラだぞ〜言うのはタダだぞ〜」)
 
 
「アンタ、バカあ?」
圧倒的有利を飛び越えて完全的優勢を誇るようになった敵に対して弐号機・惣流アスカは言い切ってやった。ちらり、と横目でさすがに奪えなかったらしい我関せずのゼルエルの鉾を確かめてそう言った。あれをなんとかするような敵なら、ちょっとさすがにユイおかあさんにタッチした方がいいけれど、そうじゃないならなんとかなるし、なんとかする。
(主演・惣流・アスカ・ラングレー)
それにまあ、面白い展開ではある。強がりが五割であるが、残り五割、純粋にそう思う。
(方言指導・冬月コウゾウ・・・・「わたしの専門は・・・」)
(殺陣指導・野散須カンタロー・・・「まあまあ、先生・・」)
 
 
それはセントラルドグマで一休みちゅうの(演出・碇ユイ)も同じことを言っていた。
スーツの上半身をはだけて、扇風機(強)にあたりながら、片腕でアイスを囓っている。
現在、冷却中。「さあて、どっちが強いのかなあ・・・・」
弐号機がゼルエルの鉾を使う、という選択はない。工具として使えても武器として使えるシロモノではない。力が足りなさすぎる。しかも、相手は刀剣戦闘の専門家だ。もしかすると、人間に剣術を教えたのはあれかも知れない。あれは、刀剣の主。
 
 
そして、その主に世界中唯一、従うこともない・・・弐号機専用の「第三の剣」
 
 
ともあれ、この戦いは任せる。たとえ、次の瞬間、弐号機が真っ二つに切断されたとしても、まだ動けない。片腕。赤い儀腕が無くなっている。
「やれやれ・・いつまであの子の不在を誤魔化せるか・・・・・似てるのにね」
その呟きを聞く者はいない。赤木リツコはこの場にいない、冷却中は発令所に戻らせたのだった。今頃ダッシュで闇の通路を駆けているはず。たまには体を動かさないと太るわよ、リツコちゃん?。べつにいじめではない。
 
 
「ユイ・・・・」
 
そして、入れ替わりのように碇ゲンドウが姿を現した。
「六分儀から連絡があった。”ユト”を使ったそうだな・・・あの地へ。なぜだ・・・
アレは・・レイを殺すぞ」
「心配のあまり、レイちゃんの記憶が呼び覚まされたの?さすが・・」
「・・なぜだ」
夫婦がまるで宿敵のように対峙する。
 
 
 

 
 
あらかじめ思い切りドーピングをしてきても、人様の武器庫から刀剣武器を根こそぎ現地調達してきても、タブラトゥーラはまあ、正々堂々とした使徒だった。
悪びれる様子もないが、弐号機が「ちょっと待った」とこちらの戦支度を整える時間を要求すると、あっさりそれを受け容れた。このまま時間切れ、碇ユイの冷却終了まで時間稼ぎをする手もあったが、とうぜん惣流アスカの体にはそんなものは生えていない。
 
 
「ミサト!!”例の奴”、用意してよ。これが・・・初御目見得ってやつ?」
なぜか惣流アスカの声は浮き立っている。わくわくとどきどきの合成で、わきわき。
 
「あー、ちょっと待ってね。例の奴は(時代考証・赤木リツコ)先生にしか扱えないんだわ。これが。そのリツコ先生が・・・あ、今戻ってきた。うわー、あんた汗だっくだくじゃない。死にそう?楽しく走ってきたってえ感じじゃないけど。・・・パシリ?
そんな走ってくるこたあないのに。指示さえくれればあとはマヤちゃんでも・・・・
そりゃあ、新兵器の初登場シーンに立ち会いたいってえ気持ちはよくわかるけど・・・・
息が切れてアンタほとんど言うことわかんないし・・・・・マヤちゃん、お願いできるう」
「え・・・でも・・・わたしなんかでいいんですか」
「コードネームならいいんだけどさー。アスカもあれもんでカッコつけだから。
正式名称でコールしてやんないとあとでへそ曲げるのは必定もんでね。いま、この酸素を求めて青ガエルみたいな目でゼーゼーうつむいているこの人じゃちょっと無理っしょ」
「実験名称の”マジックソード”でいいんじゃないですか。言いやすいし」
「それじゃ”燃えない”って当の本人が言うんだから仕方ないわよ。本番の時は絶対に自分の考えた正式名称でコールするって約束しちゃったしねえ」
 
 
零鳳、初凰とそれぞれ零号機専用、初号機専用、しかも対になっている美しい日本刀。
それに惣流アスカが嫉妬こいたとしても無理はない。
べつだん、専用武器が対になっていることなどどうでもいいし、なんか仲間はずれにされたような気がしないでもない!、わけでもないのだが。とにかく、自分専用のなんか綺麗な武器が欲しい、よこせ、と惣流アスカが喚い・・・いやさ陳情したのも自然の流れ。
試験機、実験機である零号機、初号機ならばともかく、制式タイプの弐号機にはそんなもんはいるまい、という非情の判断が当然、下されるのだが。普通。
それを渚カヲルは未来視で見通したのか、ゼルエルの鉾運搬時に、「鉾制作時にたまたま生まれた珍しい金属」もおまけとしてついてきた。
それを用いて弐号機の専用武器が造られた。
それは、惣流アスカ的に大ヒットな武器で、ノリノリで自分で名前もかんがえた。
気に入った一番の理由は、「ウフフ・・・零鳳も初凰も目じゃないわよ」というもので、今まで仲間はずれだった自分があっさり彼らを凌駕したのが面白くてたまらない。
見た目の美しさは確かにある程度の審美眼と渋みが必要な日本刀より惣流アスカの好みだった。つまり、分かりやすく派手なのだ。だが、威力の方はどうなのだろう?と内心、疑問に思っていた。思ってはいても、まさか正面きって斬り合いをしてみるわけにもいかない。自分の方が強い、とは思っていても、なんせ実戦経験がない。向こうの切れ味はたしかに見ていて惚れ惚れするくらいなのに。うむー、と思っていたのだ。危険な思考だが。
これくらいの覇気と愛がなければ、専用武器など造ってもらえないのだ。
 
 
そのうちに、”例の奴”惣流アスカ弐号機専用武器が射出口にセットされた。
 
 
それは、”箱”だった。長方形、エヴァの半身が入るほどの金属製の箱。
 
 
外見上、サイズがあれだがただのコンテナにしか見えない。なんらの派手さもない実用無骨。その中に武器が収納されているのだとしても、惣流アスカ好みでない外見だったし、ネルフの工廠の仕事にしてはひねりがなさすぎた。識別マークすら入ってないのだ。
どこらへんが実験名称「マジックソード」なのか。そんな夢など欠片もないダサさだ。
 
 
「まだあ?向こうさんも待ちくたびれてるわよ」
 
「ああ、もう準備できたわよ。それじゃ、マヤちゃん。アスカもああいってることだし」
 
 
「あ、はい・・・・・それじゃ、いかせていただきます・・・」
「あ、は、ぜー・・・ぜー・・・」と伊吹マヤのかたわらでご臨終近くの老婆めいた赤木リツコ博士の荒い息。それでも一応、専用武器対応のモニターを開いている。実のところこの武器は扱いがかなり厄介なのだ。宇宙船を飛ばすより面倒で複雑な計算を要求する。素人は知らないだろうが、これは一種の「空想兵器」。架空の領域を現実に引き寄せて固定するのにどれだけの手間を必要とするか・・・初号機の頭内のミラーマギを利用する。
 
 
「エルネルエルネ、発射!!」
 
 
金属の箱はとくだん、変形するわけでもなく、箱のまま弐号機付近の地上に出た。
 
「ちがーう!ネルエルエルネだってば!!」惣流アスカは舌噛みそうな、かつ、駄菓子屋で売ってそうな名前をきっちり言って指摘した。
「どっちだっていいでしょうが。訂正するなら勝ってあと!アスカ」
 
「はーい、と」
ずぼっと弐号機の右腕を箱の中につっこむ。そのまま武器を引き出すというのか。
アーサー王の伝説、岩から引き抜く魔法の剣・エクスカリバーに似て。
 
その伝説はタブラトゥーラも知っている。ゆえに、己以外の刀剣の所有は認めない。
それが西洋剣であろうとも、タブラトゥーラの呼びかけには逆らえない・・・。
 
 
はずなのだが・・・・箱は、箱の中身はピクリとも動かない。呼びかけに、応じない。
 
 
 
ゴズドンッ!!
 
 
弐号機の右腕をつっこんだ箱の中から爆発音。中には巨大な銃器があり暴発でもしたのか。
 
 
ズドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッドンドンッ!!
 
爆発音は連続する。それは意図されたもの。弐号機は平然として右腕を箱の中に突っ込んだまま。機械めいたわずかな肩部の上下運動は腕から何かが発射されているように見せた。
爆発音とともに金属製の箱の色が変化していく・・・・野暮ったい地銀から・・・
朱桜へ。まるで血を通わせたように色はみるみるうちに濃く強く美しくなる・・・・・
 
 
目を、奪われる。タブラトゥーラは相手の戦支度をじっと待っていた。
 
 
「にやり」弐号機操縦者、惣流アスカが笑っている。箱の中で何が起きているか、完全に把握している。掌から「生成誕生」の具合が全て伝わってくる。へたな視覚情報など必要ない。この中にあるのは銃器なんぞではない。確かに刀剣。だが、主の呼びかけに応じない。なぜなら、この剣を「造っているのは・・・・自分」だから。ニヤリ。こういう笑いは自由な発想を愛する葛城ミサトと姉妹のようなうり二つ。
 
仕掛けをばらすと、箱の中には一本の特殊な金属からつくられた「針金」が入っており、箱の内側には同様の金属の箔が貼られている。
その金属は底なしに蓄熱できる、という性質をもっている。何度の熱を与えようが融けないし溶けないしメルトしない。渚カヲルの実験場ならではのシロモノだ。
それを中心棒にして、弐号機のATフレイムを高圧力で叩き込んで高速の渦をつくる。
夜店の綿菓子機に近い。物騒さは天地以上に離れて比較にもならないが。ミラーマギを使ってまでコントロールせにゃならんほどの危険度で、なんかの間違いで箱が生成途中で「バコッ」と割れようものなら第三新東京市はソドム市と友好姉妹都市条約を結ぶはめになる。
 
そこから、「ぐりぐり」「ぐるぐる」すると、そのうち、剣ができあがる。
その「ぐりぐり」「ぐるぐる」具合は惣流アスカの胸先三寸、つまりは気合いと気分。
どんな剣が出来るかはまったく分からない。炎の剣というのは不定形なわけだ。
ここいらへんがコードネーム「マジックソード」の由来となる。
人外妖炎、ATフレイムの強さによって威力もまた変化する。ファイヤー!!な精神状態であるほうがとうぜん、出来のいい剣ができあがる。ATフィールド製の剣となればいちいち相手の防壁を中和してから攻撃ー、というちんたらした真似はせんでよくなる。
ただ、それを生成するには徹底的に”好戦的な性格”が求められる・・・ので、綾波レイや碇シンジではむりだろう。
サンドバッグをボコボコ殴り倒してストレス解消するよな気性の激しさが必要なのだ。
さきほど、テナガエルを枯れ木のように手折った悟りの境地はどこへやら、今の惣流アスカのドたまの中にあるのは・・・・・第一には、目の前の使徒への闘争心、ファイティングスピリット。第2にはこのやたらくそ多い数の使徒降臨、という不条理への怒り。
そして第三には、よりにもよってこのとんでもない状況に欠席かましてくれたミスター究極オタンコナス、大ボルケーノ碇シンジへのそろそろリミット癇癪大・爆・発。
 
 
「う・ふふふふふふふふふふふふふふふふふ・・・・うるふる」
 
古今東西、あらゆる神話の中で用いられた神や悪魔のご自慢の剣よりなお美しいそれは
放射能炎を吐くゴジラを腹上で飼うよりも神殺しの竜を懐に忍ばせるよりも危険なそれは
 
 
箱はとうとう深紅に染まり、「朱雀」の紋章を浮かび上がらせた。零鳳、初凰と続く銘は弐朱雀。鳳凰と朱雀は似たようなもの、と聞かされて惣流アスカもご満悦。神話学的にそれは違う、などという蘊蓄をかます輩には高らかにチョップをかまそう。
 
 
掌から伝わる誕生の感触に、予期せぬ歓喜の涙が一滴。
戦闘中なのに感動してもいいのかな。惣流アスカは右腕を引き抜く・・・・・・!
 
 
それは剣の形をした朝日。 勝利を形にした炎。手にするだけでヒーローになることを約束する魔法。刀剣の主の召喚をせせら笑って断りいれた、親に似たのか傲岸の赤子剣。
 
 
「・・・・てえわけで、待たせたわねえ、剣客商売人!!」
じゃきいいん・・・と炎の剣をかまえる弐号機惣流アスカ。出産の役目を終えた金属箱はやれやれとばかりに大量の湯気を吐き出した。それが弐号機とタブラトゥーラを陽炎のように揺らめかせる。いかに内部の熱量が凄まじいか分かる。そして、熱の99%は炎の剣の中央、針金部分に蓄えられてある。フィールドの切断能力はもちろん、超強烈なコテ、熱兵器としても使えるわけだ。危険度でいえば、ゼルエルの鉾に次ぐ。
 
 
「おうおうおうおう!!ここまで待った甲斐があったぞ小娘!なんと美事な良い刀かな。
なんとしてでも、我がものにしてみせようぞ!やあやあ、いくぞ!」
タブラトゥーラは一角獣体勢からさらに、己を構成する刀剣を組み替えて上半身のみの人間型をつくると、その両手に零鳳、初凰を握らせた。二刀流。
腹の底でひそかに望んでいた展開になってしまった。あいつらの刀と、アタシの剣、どっちが強いんだろう・・・・・ちょっと白黒つけてみたいなー・・なんて。
これでもし、あの二本に傷をつけてしまったとしても・・・・それはやむをえない事故だ。
シンジと、もしかしてあのファーストも泣くかもしれな・・・・・
いや、ちょっと待て。ファーストって誰。まだ見つかってもないのに・・・・。おかしい。
シンジは・・・二刀流だったっけか?ユイおかあさんならまだしもあのにぶちんにそんな技が使えるわけ・・・・おかしい・・・まあ、おかしいけど・・・後回しだ。
とにかく、バカシンジの奴が泣くのはおっけーだ。つーより、ホント泣いて反省しろ!
 
 
とりあえず、ここはどーにかするから・・・
 
 
・・・・でも、これで旅先のアバンチュールかなんかで年上の美人にのんきに膝枕でもしてもらってたりなんかしたらマジ殺す。第三新東京市全市民の皆様にかわって天誅くだしてやる!・・・・けど、旅先で有り金全部落っことして途方にくれてるって可能性も。
 
 
「うりゃさー!!いくぞーーーー!!一刀必殺、真豪月・・・
 
馬斬
 
 
弐号機の炎の剣は突進してきた騎馬武者型のタブラトゥーラを蟹分身でかわすと必殺技銘を最後まで言わさずに真横から一気に斬りつけた。その一撃にはあれだけドーピングしまくり重厚のフィールドは一切関係なかった。底なしの熱をともなった豪傑豪快の一撃は、チーズのように本体を真っ二つにした。その切れ味をみれば、どれだけの怒りと怨念を剣にこめたか分かろうというもの。
「シンジ君、こりゃ大変だわ・・・・」葛城ミサトが合掌した。
炎の色をみれば、惣流アスカがなに考えているのか保護者はだいたい分かるのだ。
 
 
「うぬっ・・・油断したかっ・・・・いや、敵ながら天晴れ見事な切れ味・・・・
ならばっ」
防御は敵の剣の前にほとんど役に立たない。それと純攻撃系である己の本分を思いだし、タブラトゥーラは防御を捨てて攻撃のみの形態に変化した。構成刀剣を直列繋ぎにした超巨大な、ゼルエルの鉾にも匹敵する、一本の長刀に。第三新東京市、この都市まるごとを分断できる威力をもった一本の刀。それがこやつの本性。そして、惣流アスカをひとつの勝負に引き込む。己の土俵の真剣勝負。刀と剣との真っ向からの単純一線力勝負。
 
つまり、それを避ければ、都市が代わりにぶった斬られるわけである。
 
斬り合いというのは、速度が問題であり、ネルフ所有の刀剣武器を奪ったのはいいが、そのせいでタブラトゥーラはかなり重くなってせっかく偽コアで強化した機動力も帳消しにしていた。向こうがこっちの召喚に応じない刀剣を持ったことも計算外ではあったが。
だが、斬り合い戦闘のプロであるタブラトゥーラはすぐさま炎の剣の弱点を見破った。
それは剣の軽さ、細さである。実質的にはそれは針金にすぎない。フィールドさえ中和してしまえば、レイピアやエストックのような突剣ですらない針金のハッタリ剣はポキリと折れるしかない。防御用としては捨てたフィールドを全て中和用にまわす。
その上で勝負を挑む。
針金でこの超特大長刀を受けられるものなら、受けてみるがいい!!
逃げるも良し、受ければ途端に真っ二つになる!どちらでも良いことだ。
 
 
天空をも真っ二つにしかねない巨大な刃物が首をもたげる。裂かれた大気が強い風になる。
さん・・・・。触れずとも太刀風で斬る、とは魔剣名剣の常套の謳い文句だが、実際に目にしてみると、刃物というもののほんとうの恐ろしさがよく分かる。発令所の女性オペレータの何人もショックで包丁がつかえなくなったという。百間先が、触れずとも斬られた。
紙筍のようにされたビル。切り口は鮮やかすぎて、すぐに合わせればおそらくくっつく。
 
 
その軌跡真っ正面に炎の蘭のように美しく立つエヴァ弐号機。手には炎の剣。あるいは鉾なら対抗できように。剣を構えて動かない。「・・・・・・・・・・ばーか」
その口元にはうっすら笑みが。
針金が使徒長刀を受け止めるのをすでに未来で見てきたかのように。
使徒のデータがない以上、いくらマギでも強度計算など出来ようはずもない。だが、常識で考えて針金が刀剣を受け止めうるとは思えない。発令所のスタッフはこんなに繰り返しては冷凍焼けで内臓が痛んでしまうだろうが、動きが止まっていた。無謀ではあるが、それを避ければ都市が裂ける。「先輩・・・・・」緊張に耐えきれず、伊吹マヤがすぐそばの賢者に縋る。この中の誰一人として少女が敗れて深紅に染まるところなど見たくはない。
 
 
「大丈夫よ・・・・・だって」賢者が理由を語る前に。
 
 
タブラトゥーラが振り下ろされた!先行する瀑布のような中和フィールドが弐号機のフレイムを蝋燭のように消してしまう。やはり、絶対的に力場の保有量が違いすぎる。
あとは、金属と金属との・・・・単純な力勝負になる!針金と刀剣、どちらか。
大昔、神様が大陸を切り分けるためにナイフを造られた。タブラはその末裔。
神様に使ってもらえるならば、山脈を切断することだってたやすい。大地を検分することが彼家の仕事だった。タブラがお侍言葉なのも、そのせいである。
 
 
弐朱雀はそれを受け止めた。
 
 
「これはあの出鱈目鉾と似たような材質で出来てるんだからね・・・・
いってみれば二卵性の双子の兄妹みたいなもんなのよ・・・・だから・・・・」
 
 
「折れるもんなら折ってみなさいよ!」
惣流アスカの蒼い瞳が燃えた。同時に、剣の中心に蓄えられたありったけの熱を叩き込む!
どろろ・・・・どろ・・・どろろ・・・・・鍛えの足りない刀剣は次々とたまらずに溶けていく・・・どろろ・・・ろろ・・どどろ・・・刀剣をも燃やす高熱。
そして、返す一撃はその高熱すら薙払って内部のコアを両断した。バラバラになる刀剣。
 
 
「ふふふ・・・・見事だ・・・・これほどの良き敵にまみえたこと、嬉しく思う・・・・
我が生涯に悔い無し・・・・これをもらってくれ」
溶けゆきながらタブラトゥーラは諦めが早く、せっかくフキビキエルから引き当てた二等賞を絶望を知らないアッパレードマーチな惣流アスカに与えてしまった。潔いといえば潔いが死んだあとのことをなにも考えてないあたり、無責任といえば無責任だった。
 
 
「・・・・ふん、もらっとくわ」
剣と刀を打ち合わせてみれば、相手のことは分かる。何万言の言葉に匹敵する。
相手が、まごうことなき刀剣の主であったこと。この剣がなかったら負けてた。
相手の魂は、すぐそばにあった。わずかに力及ばねば破れていたのはこちら。
惣流アスカはそれが危険なものではない、と本能で認めていた。称賛の、褒美。
大きさはコアの半分ほどの、その虹色の玉が。あのフクビキエルの二等賞である。
絶大な力を秘めているのだが、いまはまだ知る由もない。
 
 

 
 
 
銀橋旅館
 
 
六分儀シンジ一行は結局、ここにかつぎ込まれた。霊気あふれる竹林の中の和風旅館。
希望どおりの温泉とかある豪華ホテル、たとえばオリエンタルとかではなかったが、牢からの脱出は果たした。宿泊代はとられたものの、きちんと客扱いでつづきの三部屋。
ほかに客はおらず、クーラーもないくせになんか寒い。開けた二階の障子からは竹しか見えない。完全の結界だ。なんせ、道さえもない。遅筆の作家御用達かもしれない。
 
「銀橋旅館・・・・ほんとにあったんだな・・・」
怪奇を恐れるチンの顔は青い。さほど恐れないピラでさえ居心地悪そうにしている。
「同じ綾波のくせになにを恐れてる?」
怪異の本場、京都からやってきたタキローは理解しかねる。小うるさい街中より、こういった環境の方がよほど落ち着いた。壁に飾られる天狗面の目がギロギロ動いてもご愛敬だ。
「寝てる隙に伸びてくる筍に腹でも突き破られる処刑場なのか、ここは」
「馬鹿、そんな生やさしいもんじゃねえよ。あー、オレたち、マジで生かして帰してもらえねえっっ。どれくらいここが怪奇な場所か、タキロー、あれ見てみろ」
「ポストが多いな・・・四つ。そのうちの三つはここの従業員でも入ってるのか」
「怪人二十面相養成学校じゃあないっすよ」
「全国から毎日幽霊退治の手紙がくるんで、ポストが足りねえんだよ。そして、それを処理し続けてるからポストは手紙で壊れない・・・・その顔、お前知ってんな?」
「なんせ、綾波銀橋といえば、幽霊退治の匠としてこの業界じゃ有名だからね。宮内省の勲章なんかも断ったことでもね。旅館なんか経営してるとは知らなかった」
「じゃー!ちったあ恐がれよ!この旅館は幽霊しか泊めねえんだからな!話によると!」
 
「あ、すいませーん。シンジさんが起きちゃうんで、お話はもうすこし小声で」
惣流アスカにマジ殺される危険性があったものの、また気絶中の六分儀シンジはユトの膝枕。脚が折れているのに!とタキローは驚いてやめさそうとしたのだが、「不思議なことに、こうしてるほうが痛くないの・・・磁力でもあるのかな」と、ユトは笑って、ふと。
 
「あ、そういえば。シンジさんが起きるまえにいっとかないと。チンさん、ピラさん、タキローちゃん、シンジさんが海水の鬼を喚んだことは黙っておこうね。喚ぶまえに牢が手抜き工事で壁が抜けちゃったことにしよう、つまり、偶然の事故ってことで、残念ながら失敗したことにしよう?」
そんなことを言い出した。タキローは察しがついたようだが、ユトの兄貴でも弟でもないチンとピラには分からない。別にいまさら、鬼喚んだくらいでオタつくタマでもなかろ。
「ふふふ、そういうことなら真実をこの少年に教えてやろう。なんか忘れてるよーだが、オレたちはお前らの仲間でもなんでもないんだから・・・・な、いや、ないだろーが!
お前らとオレたちの間に信頼とか信用とかは!言うこと聞いてやる義理はねーぞ」
ユトに見つめられると弱いチンであった。もちろん彼女などもった経験はない。
 
「うーん、タケノコにお腹を突き破られてもですか?」ユトは困ったように。
「なに?」姉弟そろってなにほざいてんだ?チンはまだ理解してない。
 
「成功しかけたって分かれば、この人のことだから、まーた同じコトするよ。
今度は竹の鬼がでてくる・・・・海よりは山の方が得意なはずだ。逃げ場もないしね」
「いや、ちょっとまてよ。綾波党だって馬鹿じゃねーぞ?!それを警戒したからこそ、こんな怪奇っぽいところにオレたちを閉じこめたんだろ?それなら・・・」
 
 
「ご理解が早くて助かります」
すい、と自動ドアのように障子があき、和服姿の長い銀髪、眼鏡の男性が入ってきた。
年齢は三十代後半で、学者か作家の雰囲気がある。当然、赤瞳。綾波党一の退霊者。
 
「綾波銀橋・・・・」
 
「ご挨拶が遅れまして。この旅館の主の八代目綾波銀橋です」
今まで水上署で海水鬼の後始末をしていたのだろう。相当苦労したらしいのは、一風呂浴びてきた様子でわかる。まだ髪に水気がある。声にもどこか疲労がある。
 
「皆様にお願いがあります。彼に、断じて、鬼類の召喚をさせないで下さい。少なくともこの、しんこうべにいる間は。とてもじゃありませんが、二度と後始末はしたくありません。愚痴になりますが、これで大幅に処理スケジュールが狂ってしまいました」
「六分儀の方に請求してくだされば・・・・といいたいところですが、私どもも今は人手が足りませんもので」
 
 
ユトの瞳と銀橋の赤い瞳が相対する。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
 
 
「六分儀の未来は明るいですね。次代の御党首は稀代の術者になられることでしょう・・・・・ともあれ、皆様、この旅館内ではお好きなようにくつろいで下さって結構です。
料理は和風しかありませんが、精一杯おもてなしさせていただきます。
大橋での一件は後継者の披露宴で恩赦になるようです。それまでは・・・」
「この旅館から出るな、と?」
「四つのポストを打ち壊してでも、皆様をお止めします。宴が済むまでは」
 
 
ざあああああああっっっっっ・・・・・・
 
 
旅館の主の意志に呼応したかのように竹林がざわめいた。あの中に、相当数の化怪が。
 
 
「分かりました。シンジさんが起きましたらお伝えしておきます。
・・・・それと、この旅館に電話はありますか」
「いえ、ありません。この旅館への連絡手段はポストだけですので」
適度な脅しをくわえつつ、綾波銀橋は部屋から消えた。
 
 
「どうする?ユト姉さん」
「んー、タキローちゃんたちはお風呂入ってきたら?いちおう、ここにもお風呂あるみたいだし。温泉じゃないかもしれないけどね〜・・・・海水べたべたで気持ち悪いでしょ」
「あ、そういえば。風呂上がりで現れた銀橋サンを見て、ちょっと怒りを覚えたっす」
「別に向こうはこっちをもてなす気なんざねーわけだしな。だが、一理ある」
「・・・あるなら、さっさと浴場に行ったらどうだ。なんで僕を待つんだ?」
「べ、べつにオレたちだけで入るのが怖いわけじゃねーぞ。い、いやこの機会にお互いの裸のつき合いで友情の情報交換を深めようと企画画策しているわけでだな・・・」
「言っておくが、ユト姉さんを覗いたら、脳みそが出るまで下駄で踏みつけてやるからな」
「あ、どうしよう・・・・男の人手があるなら、ついでにシンジさんもお風呂にいれてもらえませんか。チンさん、ピラさん」
「お、おれはいいっすけど・・・チンの兄貴が」
「あー、あー、分かったよ。ついでだからな、溺れねー程度に面倒みてやる」
「すいません。ありがとうございます、その間にお食事を頼んでおきます。晩酌させていただきますので。シンジさん、起きてください、シンジさん、お風呂ですよ・・・」
なんだかんだいいつつ、部屋に用意された浴衣で浴場へ向かう三人と寝ぼけが一人。
 
 
 
「ふう・・・・」
一人になったユトは息を吐いた。のんきそうな外見に反してメンバーの中で一番の場数を踏んでいるだけあって、気苦労もたえない。チンもピラもタキローも子供だった。
「六分儀の新当主か・・・・痛いとこをつかれたなあ・・・あの才能が京都にばれたら・・・・大変です」
 
 
竹林が、風に鳴る。さわさわとユトの長い髪を揺らした。
 
 
「どうもね・・・・さすがに、大昔の話だと」
ユトはポケットからコンタクトレンズのケースを取りだした。そして、瞳に指をやる。
「だあれも覚えていなくて、仕事には助かります・・・海水は予想外だったけど」
 
 
赤い瞳
 
 
 
「ここは、空気が、かるい・・・・・よ」
 
 
竹林は、風に鳴る。