はぁはぁ、はぁはぁ・・・・・
 
はぁはぁ、はぁはぁ・・・・・・
 
いきなり息が荒い。まだコトが起こっていないというのに。手にする拳銃が震える。
グラサンの中の瞳はすでにして血走っている。どうせ元から赤いので関係ないが。
「い、いいか、ピラ・・・あと十分で後戻りできねえんだぞ」
「い、いいいっすよ、チンの兄貴。こここ、こんなチャンスはもう二度とないっすよ」
と赤いバンダナを頭に巻いた太った男が答えた。兄貴分より震えが一回分多い。
「そそそうだな。こんなチャンスは二度とないな。神鉄と悪電が市中警備を外れるなんてな・・・どんな悪党が入り込んだかしらねえが・・・銀行強盗やって三億円ほど奪ってしんこうべからトンズラするにゃこんなチャンスはねえ」
「そそそうっすよ。幼稚園だって海外旅行しちゃうご時世でなんでオレたち綾波の人間だからって温泉旅行もいけないんすか。頭も悪いから医者にもなれねえし、病院の下働きなんかもういやっす。外国にいって広く自分の運命と実力を試したいっす」
 
綾波脳病院下働きの綾波チン(24)と綾波ピラ(20)はこれから銀行強盗をしようとしていた。だいたい目的と動機は彼らの語った通りであり、緊張の余り、少しセリフが説明的になっていた。前々から「こんなとこ、出ていってやりてえなあ」とは思いつつ実行もできず、計画も練っていなかった。たまたまチンがハードボイルド小説が好きなのでモデルガンを集めていたくらいだ。現在手中にあるのはそれだった。そんなわけで、根っからの悪党ではないのだが、(強盗を思いつくだけあって善人でもないが)お調子者ではあった。おまけに若者のサガまるだしで旅好きで女好きでもあった。一応、将来のランクアップをめざして病院内の「とある」試験をふたりそろって受けてみたのだが、ふたりそろって落ちてみたりしたので、逃避傾向に磨きがかかってしまった。綾波党はしんこうべの支配領域拡大政策を実行中で、身内にはいろいろ努力を強要するため厳しかった。
「あと5年もすれば綾波の完全支配になっちまってこの姓で楽できるだろうからそれくらい経ってから帰ろうぜ」などと若者らしく世の中ナメたことも考えていた。こういうのを逆山月記という。とにかく、当分戻ってくる気はないので先立つものが大量に必要だったし、神鉄と悪電を始めとする同じ綾波の警備網さえなくなれば、通常の警察など問題ですらない。名前があれっぽいが、彼らも綾波なのである。
「じゃあ、いいな。俺が三億円ほど奪ってくるから、ピラ、お前は車を暖めておけよ。排気ガスの地球温暖化がちょっと心配だが、なに、すぐ戻るからな」
 
・・・と行きかけてあることに気づいた。
「待てよ。三億円ってけっこう重いんじゃねえか・・・・札が一枚一グラムとしても」 
「三億グラムっすか?!まずいっすよ。兄貴。トラック借りてきますか?」
「バカ!札が一グラムってのは例えばの話だ。しかも一円札なんてあるか。計算を分かりやすくするためにそういってみただけだ・・・・
そうだな、だいたい30トンくらいだろう」
「さすが兄貴!暗算できるなんて!」
「まあな。だが、そうなると計画は根本的に考え直さないとな。このオンボロな事務車じゃなあ、底が抜けちまう」
 
たとえ綾波党が身内に甘かったとしても、この二人を重職に取り立てるのはちょっと不可能だった。だが、そんなことを銀行の横の影でこそこそ相談していても通報されないという綾波ゆえの小さな特権くらいは本人たちの気づかないところで与えられていた。
 
 
だが、悪事は悪を呼ぶ。悪事を行う者はえてして自らに悪が近づくとは思いもよらない。
山を越えようとする悪事(未遂)と山を下りてきた泰悪との邂逅はもうすぐ。
しんこうべに、綾波党に対する最大邪悪の存在との。
小枝のようなチンピラの人生などたやすくひん曲げてしまう雷雲が、すぐそこまで。
 
 
 

 
 
 
 
零下になってしまった・・・
 
常夏の武装要塞都市、第三新東京市がかつて経験したことのないWの季節。
冬である。しかも、厳冬。冬将軍の制圧下におかれ、都市は白く凍りつく。
ユイ初号機と零号機がレジスタンスとなるが、いまひとつ効果がない。
敵はいずこにありや、といったところで、叩き潰すべき使徒の姿が見えない。
都市内を機甲師団のようにうろつく吹雪がそうなのか、落下傘兵のように無限に降ってくる雪の結晶ひとつぶひとつぶがそうなのか、兵装ビルを沈黙させる凍気そのものが。
真夏の陽気にあわせて設定されている各施設の機械がつぎつぎと眠っていく・・・・
発令所のオペレータたちが「眠ったらダメだ!眠れば死ぬぞ!!」とピシャピシャと頬の代わりにコンソールを叩くが、「ねむい・・・・ねむらせて・・・くれ・・」と陥落。
温度はグングンと下降中。上空から地下へ。その半端でない冷気寒気は市民が避難して野菜と激闘しているシェルター内にも「暖かい子はいねがあ、血のかよったあったかい子はいねがあ」なまはげのように凍る包丁もって強行突入してきた。
 
 
カチンコチンに凍らせた冷凍バナナで釘が打てたり、豆腐の角も凍らせてみると頭にぶつけて人が死んでみたり、凍らせた肉のかたまりで被害者の頭を殴って殺して、それをまた解凍して捜査に来た刑事にふるまって証拠隠滅をしたり・・・とかく、ものは冷凍してみると「凶悪」になってしまう、ということがある。
 
アタック・オブ・キラートマト姫など、もっともいい例であっただろう。
次々と子分は地に伏せられていき、とうとう数名の人型護衛を残してボスであるトマト姫は人間たちに追いつめられた。しかし、どこからともなく得体の知れぬ強烈な冷気が吹き込むと、トマト姫たちはフリーザ・トマト姫として、格段のレベルアップ変身を果たした。
攻撃力も防御力もダンチとなった。せいぜい、打撲程度だった攻撃が冷気の鋭さを加えて、確実に人を殺傷可能なレベルとなった。ついでにいうなら冷やしたことで糖分も増した。ニヤリ、と笑うと一転、反撃に転じて包囲網をあっさりと切り破った。まともな武器をもっていない、武道に格別の覚えがない一般市民には敵すべき術はない。先頭にたっていた2,3人が腕や胸などを斬りつけられて流血すると、うひゃーと蜘蛛の子を散らしたように引き始める。その隙を見計らって、トマト姫はまた子分を産み始める・・・・冷凍化された、始めから強い野菜を。アイス・ベジータを。
ここで逃げればさらに不利になるだけで、多少の犠牲を覚悟しつつ、一気にボスであるトマト姫を殲滅してしまわなければならない・・・・だが。
 
「寒い・・・さむいよう・・・」シェルターを突如襲った冷気により、戦闘の熱気も吹き消され人体に深刻な影響を与え始める・・・・・ド寒いのである。トドのよに脂肪のある中年男性ならともかく、赤ん坊、小さい子、お年寄りなどはひとたまりもない。
発令所でも外気の吹き込みを狭くしてみたりするのだが、まるで効果がない。焼け石に水、いや、南極でホッカイロ(しかも一個)だ。もともと、徒然草じゃあないが、建物を造るときは夏を旨とするべし、と設計してあるので、この手の冷気には対応が鈍く、さらに緊急用の対応機構でさえも冷気で眠らされているのだから世話はない。多少の温風を送ったところでほとんどかき消されてしまう。増えないパンを飢餓の群れに投げ込むようなもの。
発令所さえもクソ寒くなっており、オペレータたちの指がかじかんで動かなくなる。
 
ある老人が冷気に伏せつつ、シェルター内に風に踊りちらつくものを見て、眼を見張った。
「雪!・・・・・雪か・・・・・この目で再び見られるとは・・・・
ぬばたまのこよいの雪にいざぬれば明けむあしたに消なば惜けむ・・・・ちゅうか、
屋内のこの静けさやものものし起きいでて見れば果たして大雪・・・・・ちゅうか、
棺桶に合羽かけたる吹雪かな・・・・・ちゅうか・・・・・
うおっ、ピキーンとおっ、鼻毛につららがっ!!」
 
「みずからの心乱してあるときの 息の様なる雪の音かな・・・」
曇る眼鏡を拭きつつ、与謝野晶子をマッチを灯すよに呟く山岸マユミ。
 
「上で一体、何が起こっとるんや・・・!!」
苛立ちと怒りを吐き出す鈴原トウジ。
黒いジャージでなんとか耐えられるが、自分一人が耐えられてもなんの意味もない。
それにしても・・・地下にこないな影響がでるっちゅうことは・・・もしかして・・・
”もしかする”んやないやろな、シンジ!惣流!!・・・・拳を握りしめる。
だが、逆にその表情は力がぬけて・・・・・つくりものめいてやさしい。雪に白く染められた髪が関西少年をふいに十も二十も歳経たように見せた。
「・・・イインチョー、これ着とき」ジャージの上を脱ぐと洞木ヒカリの肩にかける。
「鈴原・・・・」
「なんや、あんまり旗色ようないみたいやな・・・・・こういう日がくるかもしれんとは思っとったけど・・・・雪、やて。始めて見たわ。爺さんやお父に話に聞くだけやった。”冬”を連れてくるような無茶な奴が相手やとシンジも惣流も苦戦しとるやろな・・・」
 
「鈴原ぁ・・・・」
自分たちの運命というものに関して、いつも、心の隅で考えているから。
そこから、沁みだしてくる、水のような声。
 
洞木ヒカリの湿ったまなざしを始めて見た。湿った声を始めて聞いた。
鈴原トウジはそっぽを向いた。その視線はフリーザ・トマト姫本陣にある。
「ワイ、もしかして・・・・」その後は呑み込んだ。いらん言葉や。ただ、腹が燃える。
イインチョーを泣かすあの冷凍トマトはワイが殺す!!鉄パイプを握り直す。手の皮がはりつくのを防護するためにハンカチごしに。もちろん、ハンカチなどという素敵なものを鈴原トウジが自前でもっているわけはなかった。この感情は・・・・
わかものよ、氷の未だ とけざるにおよべ
 
「なに、鈴原・・・」
「あ・・いや、あのカバみたいなおっちゃん、手伝うてくるわ・・・・」
実のところは震えが来ている。寒さだけではない。冷凍化した相手はいわば、長い刃物をもっているようなものでこれでズッパリやられれば・・・・いうまでもない。
それと、鍬もって戦う高橋ノゾク氏はまったくもってよくやっている。市議の鏡だ。
それをフォローするカズイとラン。この猛将家族を中心にして包囲が頑張ってきている。
駆け出す鈴原トウジ。だが、すぐに呼び止められた。
ただし、それは、目に涙をためた洞木ヒカリではなかった。
「水くさいぜ、トウジ。お前ひとりをいかせるわけにはいかない」相田ケンスケでもない。
 
「あ、おーい、おーい、ちょっと待ってえー
ふーふー、あー、まいった。ちょうど良かった。おひさしぶり、鈴原君に洞木さんっ」
それは、霧島マナだった。なぜか、その両手にはごま油缶とサラダ油缶があった。
店舗用サイズのでかいやつで、しかも走りながらではかなり重たかったろう。
どこから運んできたのやら。
「あー、あそこの倉庫からね。いろいろあったんだけど、重くてね、ふたつで限界」
二人の顔色をどのように判断したのか、霧島マナは油の出所を説明した。
 
「霧島あっ!?なんでお前がここにおんねん」
 
「まー、いろいろありまして、ね。とにかく旧交を温めるのは後回し。ね、鈴原君、この油缶あっちで大喧嘩やってる現場に届けてよ。ちょっともー、腕痛くって」
「はあ?油あ?それでなにすんね・・・・・」言いかけて鈴原トウジは似合わん悲壮感にひたっていた己にパンチ入れた。もっと頭つかわんかい!アホンダラ!!
凍って強くなったんなら、熱くして熱で溶かしてやればいいんやないか!
原始人でも考えつくぞ、こないなことは!中東の金持ち!それはオイルダラー!よしっ!
「気合い、すごいね。わたくしも入れてあげよっか?」
言いつつ、もうやる気らしい。霧島マナは自分のこぶしに「はー」と白い息をふく。
「よし、たのむわ。霧島。なんでこないなことに気づかんかったんかなー・・・げふっっ」鈴原トウジの右頬にかなり強烈な左フックがめりこんだ。
「あははは、ごめんごめん。いい感じで炸裂しちゃった。会心の一撃って感じ」
「い、いや・・・これで気合いがはいったでえ。奥歯がちょっカクカクしとるが・・・。すまん、霧島、それじゃ行ってくるでイインチョー!!」
一心太助のようなダッシュ力で油缶ふたつもって駆けてゆく鈴原トウジ。
「す、鈴原って・・・・・」まさか、そーゆー趣味?小さい疑念に大きい心配。
「いってらっしゃい・・・ってやんないの?洞木さん。今時珍しい熱血な若者じゃないかのう、ムサシとタメはっておる」じじい言葉できししと笑う霧島マナ。
「ま、そりゃあいいとして、洞木さん、あなたはこっち。厨房でなんか暖かいものつくってよ。材料はくさるほどそのへんに転がってるし。まー、トンガラシニンニクスープとか?
食べるとその年は吹雪の害にあわないとゆうフキドリ餅とか。
電熱コンロじゃあんまり暖かくないしねえ。自分一人しか暖まれないし」
なんちゅう生活力と適応力の高さ。霧島マナはぜんぜん寒がっていないが、もともと体温が高いところに物資倉庫を探し出してそこからカイロをみつけてきて使っているのだという。さすがに鋼鉄。
「そこらのおばさんに声かけたんだけど、子供の世話で手一杯みたいでね。わたしは料理へただし。洞木さんが見つかってちょうどよかった。さ、さ、Vっといきましょう」
洞木ヒカリの手を引くといやもおうもなしにダッシュする霧島マナ。
この冷凍の修羅場が、まるで陸上競技場の金メダルブイロードでもあるよーに。
 
 
「さすがにこれは辛抱たまらんな・・・・・」
名字に冬の字があろうとも、こう寒いのは好きではない。四季のうちのひとつが戻ってきても歓迎する気にもなれない寒さだ。発令所内で弐番目に年寄りであり、モモヒキをはいているわけでもない冬月副司令はほんとに辛抱たまらなかった。
これで外見上は「寒さなどなんともない。なぜなら私はもっと冷徹だからだ」という顔をしてないといけないのだからなおさらだ。一番の年寄りが怒鳴り声をあげつつ若い衆を叱咤激励しているとすればなおさらのことだ。しかし・・・・うー、寒いっ。ちゃっぷい。
そのためになんとかせねばならないのだが・・・・これをなんとかできるのは唯一人。
 
「・・・・霧島くんにはまだ連絡がつかんのか」無駄であろうと確信しつつ。
研究が今や佳境に入っており、ちょっとやそっとでは外界に出てくる男ではない。
その”ちょっとやそっと”に「第三新東京市凍結危機」がどれくらい食い込めるか・・・
第一、すでに連絡もとれぬニフ・・・凍結樹海へ降りてしまっているのだろう。
そこから上がってくるだけで十何時間もかかる・・・・弱ったな・・・・
四方八方からの姿なき白い機甲師団からの集中砲雪を受けて、零号機も危険な状態にある。
葛城君もいまひとつこの手の姿の見えない敵には野獣のカンが働かぬようだしな。
またそれ以上にシェルター内の野菜に襲撃される市民のフォローで手が一杯だ。
さすがのユイ君もこの寒さを相手にしては・・・・・仕舞いにはネロってしまうぞ。
都市をまるごと炙りかねない。ほれみろ、火炎放射器をあちこち天に向けて配列して・・その中央で火のついた巨大紙ホースを俵の代わりにして角館の火振りカマクラのように振り回して巨大な火焔円をつくっている。吹雪冷気にも負けぬスピードで回転するそれはブオー、ブオーと猛々しく叫び、まるでそこから不死鳥が雄飛するかのようで非常に美しい。その火の粉を浴びると一年間の無病息災、害虫害鳥駆除を祈願できたりするのかもしれない。・・・あの陣形は洋中華折衷の温度差のユイ君の必殺魔拳、「フェムリューの風天嘯」・・・・冷気をまるごと天に吹き飛ばし返すつもりなんだろうが・・・・あんなものを使われたら兵装ビルどころか地下装甲板までねこそぎ剥がされてしまう・・・。必殺技使用時における手加減不要論者だからな。ユイ君は・・・。
最も温厚にして穏便にエレガントにカタをつけられるのは彼だけだ。
だというのに・・・・・さすがに地下奥深くにいてはあの霧島君とはいえ、科学者としてこの美味しすぎるシーンに登場は無理か・・・・果たして
 
そして、返答は。
「はい・・・い、いえ!」ネルフ発令所オペレータとしてはボーナスを棒茄子にされても文句のいえない返答だ。彼女がその危機を逃れられたのは、驚くべき続報のためだった。
「霧島教授、地上、戦闘区域に出ておられます!」
 
「なにいっっ!?」
バリバリの研究学者が戦闘のステージにあがって何をしようっていうのか。これには碇ゲンドウ以外の発令所全スタッフが仰天した。
 
モニターに大映しにされる白い冷凍防護服に身を固めた人間が三人。
さながら白い荒れ野をゆく予言者集団か。まさかお遍路さんが迷い込んだわけでもない。識別番号がもろに霧島研究室のもので、霧島ハムテル教授とその助手弐名。
 
「な、なにをしているんだ、霧島君」大急ぎで地上波で連絡をいれる。
「娘が今日、この街にきているんです。樹海に降りていたものですから連絡が折り合わなかったのです。そのため、戦闘中ですが娘を捜しにいきます」
 
戦闘中ですがって・・・・・発令所のほとんどの人間がものがいえない。
とてもじゃないが科学者の判断とも思えない。そんなのは専門チームに任せておけばいいものを。シェルターに避難していれば生存の可能性もあるが、そうでなければ。
 
「しかしだな・・・・・この現状では・・・」
娘のことは”ちょっとやそっとの領域”を遙かに凌駕しているらしい。
 
「ニフの部屋までの・・・・”ニ”の回廊をあけてください。司寒はそこへお招きしましょう。セントラルドグマへの連絡と地下での設定は全て完了しています。それでこの異常冷気は治まります。温度が30度まで上がったらまた、閉じて下さい・・・・それでは」
冷凍防護服であろうともやっぱり霧島教授の挙措は白い玄鳥のように優雅。冬の終わり春の訪れ形式で一礼の断りを入れると助手と共にホワイトアウトの向こうへ消えてしまう。
 
「お、おい、霧島君・・・」
「霧島教授・・・・・・・」
めずらしく、冬月副司令、葛城ミサト両名が他の者より対応が遅れた。
とちくるってるけどしゃあないな、と思いつつ他に方法がないので霧島教授の指示したレシピの通りにやろうとする発令所の動きの中で二人だけが苦い顔をして立ちつくしていた。
碇ゲンドウにならば百万回裏切られても予想に反したことをやられようが全然気にもとめない冬月副司令であるが、霧島教授にそういうことをやられると・・・・・。
一方、葛城ミサトの方は、幼い南極の光景を思い出して心が霜ついていた。
両者共に弱点をつかれて立ちつくした格好なわけだった。
 
 
「ユイ」
「はい」
逆に、周囲が不審がるほどに碇ゲンドウの指示が早く、ユイのいらえは通じて短い。
ユイ初号機が霧島教授らのガードにまわった。
冬月コウゾウと葛城ミサトらにはなく、碇ゲンドウ・ユイと霧島ハムテルらにあること。
それは。人の子の親であるということ。やたらに意志が強いこと。
 
そして、碇ゲンドウの指示の下、ニフの部屋に通じる「”二の回廊”」が開かれた。
ニフの部屋、というのは霧島教授直轄の研究施設で、よほど危険なものを取り扱っているのか冬月副司令でさえ彼の判断を仰がずにはその扉を開こうとはしない。その周辺の地下領域はいつもひんやりとしており、氷室のようなものだろうか?というのが発令所スタッフの認識だった。極秘中の極秘施設であり、あの渚カヲルのパスコードをもってしても入室不可能で、わざわざ手持ちの機密と引き替えに許可を得て見学していったことがある。
 
そこに何があるのか。知る者は少ない。そして、そこに通じる回廊が今、開かれた。
 
それは白い火山、マグマの代わりに今現在都市を席巻している凍気も問題にならない冷気がを噴き出す。さらに都市を冷やしてどうしようっていうのか?オペレータたちは文字通り震え上がった。だが、不思議なことに温度の下降は認められなかった。それどころか。
劇的な効果があったわけではない。だが、たしかに冷気はそこに吸い込まれるようにしてその後、一時間半で薄れるようにして消滅した。形のない冷気のみの存在、シャルギエルを一カ所に移動させ引き込むほどの何かがその回廊の奥、ニフの部屋にはあるのだろう。
ドルチェ・ビータを用意したアイスクリームの皇帝でも住んでいるのかもしれないし、アメリカの有名な怪奇小説家を鎖に繋いだ隠れ書斎でもこしらえてあるのかもしれない。
 
詳しい謎解きは、おりよく娘マナとのシェルター内での再会を果たした霧島教授の説明をまたねばなるまい。
 
 
セントラルドグマで赤木リツコ博士が回廊を落下していくシャルギエルの行動の理由をブツブツ独り言で「いくら寒いといっても結局マイナス五十度にもならない”高温”の中で・・・」「氷なんて0度で融けるんだから・・・融解温度の80%でマイナス五十五度・・・」「その灼熱の中、絶対零度の収容所を用意してやれば喜んでそっちにいくでしょうよ・・・ビードロの乗り物つくり雪積る白銀の野を行かんとぞ思う・・・使徒を”かついだまま”で・・・・冷気の塊だからこそ、最も暑さを嫌うのよ」
説明してはいたのだが、いかんせんまわりに誰もいないので誰も聞いてなかった。
つまり、シャルギエルは美しい雪花結晶紋様の浴衣を着た「暑いの大嫌い系使徒」であり、降臨したはいいものの、このヒートアイランド的にクソ暑い熱帯夜都市を涼しくして涼もうとしていたのだが、地表では紫の巨人が炎の踊りを踊って邪魔をするし装甲アスファルトで固められた都市はなかなか涼しくならなかった。マイナス10や20程度では人間や冬月副司令にはたまったもんじゃなくても、シャルギエルには太陽のカンカンと照りつける砂漠にも匹敵する灼熱の温度だった。こういうのが年中夏の日本の都市に現れるのが問題があるのだが、おそらくシャルギエルもいやいや降臨したのであろう。昼ではなく夜に降臨したのも少しでも暑くない時間帯を選択したゆえであろう。
そこに「絶対零度」で冷や冷やに冷え冷えしている「地下の庭」を用意したらどうなるか。
一に二もなく、そこへダッシュするに決まっている。
嘘だと思ったら極寒の中、商店街をさすらい、炬燵屋の前で立ち止まったねこに聞いてみるがいい。炬燵で丸くなるかさすらうか。・・・・いや、ちょっと例えがちがう。
そうそう、砂漠で水ももたず遭難したフランスの冒険家の前に立ち食いそばの屋台が現れたらどうするか。蘊蓄をたれるか立ち食うか。・・・・・いやいや。
赤木リツコ博士も霧島教授も使徒(シャルギエル)の正体が分かったわけではない、この広域に影響を与える使徒がどんな形態をとってどこに位置しているのか分かったわけではない。
気圧も変化なし、温度もそれ以下には下がらない・・・となれば。大事なのは本質だ。
そして、あとは適当な時期を見計らって回廊を閉じてしまえば完了。
ニフの庭でいくらでも冷凍活動を行ってもらえばいい。余暇があったら研究しませう。
カン、というのは人間の優れた皮膚感覚のことだが、科学者が優れている感覚は、人間の感覚で物事を考えないところにある。世界は、人間以外のさまざまなものがいて。
・・・と、いろいろと科学者の心得や文明論につながっていくはずのだが、誰もいない。
「ううっ・・・あとでマヤに聞かせよう・・・・・・」さめざめと。
 
だが、そのぬるい涙を一気に蒸発させる事態が起こった!。
突如、警報が鳴り響く。碇ユイのLCLの満たされる円筒形の試作操縦席から。
「液体温度異常高温警報」・・・・・試作ゆえにさまざまな計測器それに付随する警報機が取り付けられているわけだが、その中のひとつが緊急の悲鳴を上げている。
大急ぎでそこに駆け寄り数値を読みとる赤木リツコ博士。顔色が変わる。
 
 
内部液体温度・・・・・180度
 
 
石川五右衛門でも天ぷらにあがる温度だった。隔壁が邪魔で内部の様子は、不明。
 
 
 

 
 
 
「脳病院へ行くには人工島へ渡る必要があるんですが、酸ノ宮発のポートライナーはおそらく思い切り綾波党に見張られてるでしょうから・・・・しんこうべ駅には綾波神鉄、僕らでも正面からぶつかりたくないやつが待ってましたから・・酸ノ宮にはおそらく綾波悪電が待ってるでしょう・・・・シンジさん、大歓迎ですね。それで、橋を歩いていくか、車かバイクか、意表を突いて船でも調達してくるか・・・・エアターミナルとヘリポートもダメでしょうね。背後をつけていいんですけど。どちらにせよ、酸の宮はシンジさんのような方がいくところじゃありませんし・・・すみませんけれど、時間がかなりかかるかもしれません」
本屋で購入した「しんこうべMAP」をひろげながら六分儀タキローが説明した。
ここはしんこうべ銀行。公的機関はおおむね六分儀に好意的で、綾波党の急襲を受けることもないのでのんびりできる・・らしい。
「いいですから」と裏の関係者通路から入ってもフリーパス。法服が効いているのか事前に連絡が行っていたのか、二人がコネでもあったのかまったくもってどういうわけだか、通された豪華な応接間に汗をふきふき頭取が挨拶しに来た。
「まったくもって本日はお日柄も良く六分儀のおぼっちゃまにはご機嫌うるわしゅう・・・・」えらく古風な挨拶をしかけたが。碇シンジがまゆをひそめるまえに、
「いいですよ、あまり僕たちとかかわらない方が。綾波党のことがありますから」
タキローが子供とも思えぬような訳知りなコトを言うとほっとしたように奥にひっこんだ。なにしにきたのであろう・・・・というより、どういう世界なのだろう、ここは。
 
 
「ここはしんこうべ。敵が多く、味方もいないわけじゃないけれど敵の方が元気です」
ユトが買ってきたヤクルトパンをかじりながら言った。しんこうべはパンが美味しい。
 
 
確かに、敵が元気だ。なんせ、この歳になって本物の「戦闘員」を見た。
ここへ来る途中、二度の襲撃を受けた。グルグル包帯の綾波党直属の「戦党員」。
それでもって「ひー」とか「ほー」とか怪しげな”戦闘員語”で話すわけである。
四人人グループで一班になっており、リーダーの包帯には呪文だかお経だかが記されており、すごく怪しい。怪しいのだが、連中は自転車で包帯姿丸見えでここまで来ており、それを住民のみなさんも警察も見とがめもしなかった、というのが何より驚異だった。
まあ、しんこうべでは病院から逃げ出した患者を戦党員が連れ戻す一幕、というのは日常になってしまっているのだ。ちなみに、綾波党の戦党員になるにはきちんとしたペーパーと実技の試験があり、しかも救急救命士の資格が必須となる。けっこう難関なのだ。
まあ、そんなことは六分儀シンジの知りようがない。
その街にいってみないとその街のことは分からない。かといってRPGのようにその街全ての人間に話を聞いてまわるわけにもいかないから、その街の姿はいつも限定される。
よりによってタキローとユトが人気のない裏路地なんぞを通ろうとするからまさに襲撃するなり拉致するなりしてください状態だ。ただ、それはガードとしての実力が選ばせた道であるらしく、予定調和的に現れた戦党員たちをタキロー一人であっさりと撃退した。その戦闘方法は天下駄を転がして天候を変えるというもので、「天候変化は六分儀の十八番ですから」、せまい路地裏だけに限定されてはいるものの、雨を降らせ、雷を降らせて、雹を降らせて、針を降らせた。
他人を巻き込まず、汗ひとつかかずの完勝。それから綾波レイの居所の確認を始めとする欲しい情報を手に入れる。戦党員たちは忠誠心はある感じなのだが、なぜか六分儀シンジの姿を見ると割合かんたんに口を割った。「手間がはぶけましたね」とタキロー。
そして最後に妖怪チックな携帯電話で救急車を呼んでやる。その親切に首を傾げると
 
「赤い目はいませんから・・・・皆、素人です」とのこと。「憎むな、殺すな、赦しましょう」の月光仮面イズムにも通じているのだろうか。かっこいい。
タキローが子供ながら達人レベルで使えることは同じ素人である六分儀シンジにも分かったが、同じガードであるユトがどうにも”使えない”ことが二度目の襲撃で判明した。
 
タキローが情報収集のために本屋で本買いに行った時である。待っている間に赤い顔してユトがもじもじしているから何かと思えば「手洗い」だという。そのような羞恥をあらわす女性と同居していないため、新鮮に思いつつ慌てて行かせた六分儀シンジ。ここで再び襲撃されたらどうしようかな、と思わなかったわけではないが。なかなか戻ってこない。
先に「絶対にシンジさんのそばを離れちゃダメだよ!」と念を押したタキローが戻ってきた。事情を聞くとすぐに姉貴を探しに行った。下駄のくせにやたらに足が速い。
通りのかげになる煉瓦造りの公衆トイレの前で戦党員に頭にゲンコツ入れられて、目をバッテンにして大泣きしているユトの姿があった。おそらく、六分儀シンジの居場所を教えろなどと迫られたのだろう。まあ、大泣きにしていれば教えなくてもすむのであれだが。
綾波戦党員も名にしおう六分儀のガードに大泣きされて戸惑っているようでもあった。
ユトをマークしたということはあのユメヂとかいう爺さんが本拠地に戻ってバラしたに違いない。
「ユト姉さん!!」「タキローちゃあん・・・・」
電光石火。タキローは格闘術にも相当の覚えがあるらしい。今度は戦党員を全て手足関節を全て外して伸ばして不良品のGIジョーと化した。中には女性もいたが情け容赦ない。今度は救急車も呼ばなかった。タキローはユトの涙をハンカチで拭いてやりながら「少し、ゆっくりできる場所に行きましょう」とここまでやってきたのだった。
 
 
「綾波神鉄(シンテツ)に、悪電(アクデン)、それからさっきの怪(あや)さか爺さんが夢路(ユメヂ)・・・・・漢字の名前なんて今時珍しいね」
紙パックのコーヒー牛乳を飲みながら尋ねる。
元気に襲いかかってきてくれるであろう、同じ人間である「敵」のことを。
「それは、墓標案内にするためなんですよ。広大なゆきみる墓場で参拝者が迷わないように綾波党の人間の墓を目印にするためにカタカナでなく、漢字にしてあるんですよ。
戒地名とかいうらしいですね・・・ここに綾波マルコムって黒い肌の坊さんがいるでしょ。この人が考えた風習らしいんですが」
濃厚な桃ジュースをずずずとストローで吸い上げながらタキローは答えた。
「ふうん・・・」綾波さんにも漢字の名前が用意されていたのだろうか・・・・。
いろんな風習があるものだ。郷に入りては・・・とはいうけど。
「そういえば、その綾波神鉄って人は強いの?」
タキローが鞄から取りだした資料にはご丁寧に「綾波党番付表」などというものがあり、戦闘部門で第一位がこの綾波神鉄、第二位が綾波悪電になっている。
「なにせ不死身ですからね。それに・・・このしんこうべを吊り上げている神腕に組み込まれてる筋肉細胞はこいつから採取されたとかいう話です。だから、こいつを怒らせると神腕が共振して、地震が起きます」
細胞の採取・・・SFモンスターものの王道だ。しかもエヴァでもないくせに地震が起こせる?半端な実力の持ち主じゃあないってことだ・・・。そんなのと喧嘩になった日には。
こっちの面子的にそういうバイオレントなパワーキャラとは当たりたくないなあ。
「あ、でもシンジさん。タキローちゃんも強いから心配いりませんよ。・・・ほら」
ユトはじぶんの鞄から取りだした雑誌「Jー1」を開いてみせた。
女子高生向けのファッション雑誌などでは当然ない。格闘雑誌でもなかった。
Jは呪術のJ、呪文のJ、術のJだった。それにも番付表があり、タキローの名があった。
「2015年度全日本護衛術者ランキング」にこの若さで第8位に。蛍光ペンで丸がしてあったのですぐにわかった。なんだか全国模試の成績優秀者発表みたいなノリだったが、なかなか立派なものだ。参加者が何名か不明なところがあれだけど。
ちなみに、ユトの名前はどこにもなかった。
「あ・・・・・」
それについてタキローが口を開こうとしたが、「これも美味しかったよ、タキローちゃん」ユトがその先をパン・デ・プリンでふさいでしまった。
 
 
さっきこのパンを買ってきた「異人神館通り」のあちこちに「消えた後継者・帰還祭り」のポスターが貼ってあった。夜のしんこうべの街・ルミナリエ光をバックにした少女のシルエットは確かに綾波レイのもの。それを記念して大安売りやジャズコンサートやら花火大会やら・・・本気なのか冗談なのか「婿選びイベント」まで・・・・・さまざまなイベントがあるらしい。まるで、ちょっとした王女さまのようだ。要するに人物重要度がそれだけある、ということだ。
「綾波さんには似合わないけど」珍しく、そのとき碇シンジは強く言い切った。
「で、ところで・・・・後継者って何の?」
「おそらく綾波脳病院の院長の座でしょう」
何を分かりきったことを・・・・とは言わないがタキローの顔にかいてある。
「実質的なしんこうべの最高の地位です。・・・まあ、決して表にでることはないでしょうが。黒幕というか影のフィクサーというか・・・綾波レイさんがその気になればその座についた次の日から”綾波市”に改名することもたやすいでしょうね。自分たちの土地を持つのが綾波党の悲願。やるかもしれませんよ」
「綾波さんはそういうことはしないよ」
「そういう人なんですか?」
「どんな人なんですか?シンジさんにとってレイさんは。ねえねえ」
 
「そうだねえ・・・・言うなれば・・・・」
「「いうなれば?」」」
 
 
「・・・自動洗浄装置のついた水晶みたいなひとかな」
 
 
「どんな人ですか・・それは・・・」
かつてきいたことのないタイプの人評にタキローの目が点になり。機械人形に対してだってもうちょっと文学的な修辞をされることだろうに。
「ううっ・・・・・愛が足りないっす。シンジさん・・・・」とユトがなぜか泣く。
 
「じゃあ、人里はなれて月の石がぽつんとおかれた川の上流みたいな人」
文学度が足りないのでは?と二人の目が責めるので言い直した六分儀シンジ。
そう、短歌とか俳句とか・・・あんまり言葉の形容がいらないひとだよ、と心の中でつけ加えて。「そろそろ行こう・・・また襲われたら困るし」と通りをあとにしたのだった。
 
ちなみに、その「異人神館通り」にしんこうべ六大病院のひとつ「異人神館病院」があり、すぐちかくのハンター坂に内臓切る系の外科手術なら世界で三本の指に入る「ハンター外科病院」がある。B・Hと名乗る、切ることが人生の医者が院長やっているここと最強の船医が乗り込んでいる海の病とスポーツ医学の強い船の病院、「海皇病院」はいまだ綾波党に支配されていない。外国人医師の多い「異人神館病院」はかなり綾波党よりであった。
 
「地図を見る限り、綾波さんのいる綾波脳病院・・・・はポートライナーの駅も停まるし、すぐに行けそうな感じがするんだけど・・・・この”酸の宮”発?」
碇シンジは赤ワインソースを塗った神戸牛ステーキパンをかじりながら、つつーと指で橋を渡ってみた。
地図上ですら赤く塗られた赤い、瞳を模した橋。それがなかなか渡れずに苦労するのだが今の段階では知る由もない。
 
「そう、酸の宮」半分カリカリ半分やわらかのふっカリコッペパンをかじってタキロー。「もとは三ノ宮っていったんですけどね。まー凄いところですよ。歓楽街なんですが、しんこうべに入院しにきた明日の生死も分からぬ病人相手の商売ですから、お金に羽が生えたようなものでもう無茶苦茶なんです。朝に道をきかば夕べに死すことも可なり、っていうのがモットーでいわば獣の街ですよ。そのかわり、カジノもショウも世界で指折りレベルですけどね。遊ぶにはこれ以上のところはありません。第二次天災の混乱期に宝塚やディズニーまで買い取ってますから劇を見ながら昇天しちゃう人もけっこういるようで、再生吉原とかいって本物の花魁なんかもそこにはいますよ。人の欲望をそのまま形にしちゃったみたいで・・・・綾波党が仕切ってなければとんでもない犯罪の巣窟にもなってたんでしょうね」
たしかに、機能的かつ乾燥した武装要塞都市からやってきた少年には刺激的にすぎるところらしい。なるほど、強烈極まる”酸の宮”である。
 
「ちなみに、タキローちゃんは宝塚のファンです。通称、ヅカファン」とユト。
 
「それはいいとして、ですね!ユト姉さん!。・・・・・というわけで、まだ本陣である綾波脳病院から距離のある酸の宮で戦は避けたいんです。見つかればどうせ無人自動操縦のライナー自体を止められますからね。なんとか隠れつつ、脳病院の前までいけばこっちのものです。あとはユト姉さんがなんとかしてくれますから」
 
「まかしてください!」ユトがけっこうたわわな胸を叩いた。
さきほど下っ端戦党員にゲンコツされて大泣きしたことをもう忘れたのだろうか・・・
それとも。
 
まかせるほかないとはいえ、なんだか陣取り遊びのようでつかれそうだ。もうちょっと楽な道はないのであろうか。またしても碇シンジがらぶが足りないようなことを考えた。 「もしかして、また愛が足りないよーなこと、考えてません?シンジさん」じろとユト。
 
「いや、べつに・・・・あ、そうだ。変装していくってのは?いくらなんでもこの格好じゃ目立ちすぎるし・・・それならポートライナーに乗り込んでも・・・・」
そう、愛愛いわれてもなー、南の島のお猿さんじゃないんだし、とユトをごまかすつもりで適当な案を提出すると・・・・
 
「絶対にいけません!!絶対にその法服を脱いじゃいけませんよ、シンジさんっ」
いきなりえらい剣幕で怒られた。「私たちがいいっていうまで脱いだらダメです」
 
「な・・・なんで?」
 
「どうしてもです!」
説明になってない。そのあとをタキローが引き継いだ。
「この街では碇シンジさんは敵しかいないんです。六分儀シンジであるからこそ、多少の味方も出来る。・・・・はっきりいって僕たちも六分儀シンジさんであるからこそ、お守り出来るんです。服なんか着ても着なくても同じだなんていわないでください。・・・
それに、その法服はあらゆる状態異常の呪いを防ぎます。ガードする者としてぜひ、これだけは守っていただきたいのです」
 
「わ、わかったよ・・」
たかが服じゃないかと思いつつ、のろいは怖いので、六分儀シンジは了承するが。
 
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
ちょっと空気が停滞してしまった。ユトあたりが盛り上げ直せばいいのだが、碇いやさ六分儀シンジを怒ってしまったことでか、辛い顔をしている。六分儀シンジにもうちょっと年輪があれば、これは何か他に原因があるな、と気づくところだが。
年輪は足りないが、年相応の不器用な少年らしい、やさしさが碇シンジにはあった。
周囲に話題展開の得意な大人が多かったせいもあろうが。
 
 
「そ、そういえばさ。綾波トアさんってどこに住んでるのかな」
 
 
「綾波トア・・・ですか。それはまた・・・・」
姉弟は複雑な顔をした。選ぶ話題を間違えたかなーと、碇シンジは内心で首をひねる。
 
もし、どうしても困ったり、怪我をして身体を診せなきゃならないような時は、
”綾波トア”。この人を探して頼りなさい。しんこうべで唯一人、シンジの敵にまわらない人だから・・・、と全ての事情に通じている母親のユイにこう言われたのだが。
探さなくても分かる人・・・・こうも言われたが、所在は今も分からない。その代わりにこの姉妹にあってしまったからだろうか?ルートが変更されてしまったのだろうか?と碇シンジが恋愛系サウンドノベルにプレイの覚えがあればそんなことを考えたであろう。
 
「「綾波トアはしあわせのむらにすんでます」」
ユトとタキローは声を揃えてそう答えた。自分たちに答えられるのはそこまでだ、と。
なんとも複雑な表情で。今まで切れ味の良かったタキローでさえ歯切れがどうも鈍い。
まるでRPGの村の入り口につっ立っている村人のように。
 
「しあわせのむら?地図には・・・載ってないね」
母親のユイの言うことはとにかく信用できる。というか、全て信用しているからしんこうべまでやって来たのだから信用しないといけない。そのユイが頼りにしろ、といっているのだから頼りになるのだろう。出来れば、きっちり所在を把握して、べつだん怪我はしていないけれど、毒ガスバス爆発で殺されかけたのであるから助力を仰ぎたいところだ。
綾波レイとの対面をセッティングしてもらうとか。すごく直球で。
六分儀から派遣されたガードは実力は不明でしかも秘密主義。らしいといえばらしいけど。
 
「どんな、人なの?」
 
「職業的にいえば・・・庭師というか、農業というか・・・花屋というか・・しあわせのむらでそういうことをやっている方なんですが・・・・・」
タキローの歯切れの悪い説明で謎めき度が多少下がった。お医者かと思っていた。
「少なくとも敵じゃない?」
「そうですねえ・・・・・敵とか味方とか、そんなことにまるきり興味のない方ではあるでしょうねえ・・・・・・敵にも味方にもなりようがないんですよ。あの方は」
なんとなくイメージとしてはスイスのような永久中立的な人物っぽい。ユイが頼れるといったからには思い切り使えない毒にも薬にも鼻紙にもならない無能人物、ということもあるまいし。仙人のような感じだろうか。しかし、庭師の仙人・・・どんなのだろうか。
 
「それより、レンタカー屋さんっていったほうが近いかも」
ユトが全然異なる方向性を打ち出してきた。庭師とレンタカー屋?なにつながり?
「ユト姉さん、混乱するってば。法服を着たままじゃいまひとつ実感できないだろうし」
 
「余裕のあるうちにさわりだけ知っててもらった方がいいよ。多分ね。
シンジさん、6年前の八月十七日、四時三十二分57秒にあなたは何をしていましたか?」
 
「はあ?6年前の・・・っていったら8才の頃・・・の八月十七日・・・どうだったかな・・・・しかも秒まで?そんなの分かるわけ・・・・いや・・・・」
言いかけたその瞬間、後頭部からするりと記憶ディスクを差し込まれたかのように明瞭な記憶、その時刻の光景が頭に浮かんだ。学校の階段を上がりかけていた。3段目に足をかけたところ。そうだ。その当時、階段数まで意識してたはずもないが、確かに。
浮かんだ記憶のイメージが提示された時刻とドンピシャリの保証は、自分の身体の中にある。おかしな話だけれど、確信がある。
 
「そういうことです。それが、綾波トアさんの能力です。しんこうべに足を踏み入れた人間全てに精神能力を加えて、人間の精神活動にかなり広大な余裕領域を与えるんです。
通常の精神領域が一戸建てなら、それに大きな庭を付け加えるようなものですね。
今さっきやっていただいた記憶の思い出しテストで少しは実感していただけたと思いますけど・・・・分かりやすくいうと、しんこうべエリアいっぱいに綾波トアの心、思念が満ちていて、そこにいる人間は無料手続き無しでその心が使えるんです。水を汲むようにというか、ふだん心の言葉を書き込みすぎて真っ黒になっている手帳に足して大きなホワイトボードを貸与してもらえる、と考えると分かりやすいかもしれません・・もっと分かりやすくいうと、ファンタジーなテレビゲームに出てくるMP、マジックポイント、あれが倍加されるとでも考えてください」
ユトはわざと卑近な例を引いているようだった。力では辿り着けないものを近づけるため。
 
山岸さんが「星の感触」(薄井ゆうじ 作)という大男のお話を読んでいたことがあってそれとなく勧められたことがあったけれど、心というのも肥大するのだろうか。
しかも他人が勝手に使っていい?そんなカバヤと思いつつ、確かに心が楽ちんになってるのを感じる。重荷が減ったわけではない、それを支える心の数が、増している。
よく考えたら、自分の居ない隙にウルトラ強い使徒がやってきてアスカをこてんぱんにしている・・・とかいう悪い想像がちっとも浮かんでこなかった!。なるほど。
・・・しかし、これは自己弁護というやつでそんなこたあ考えてしかるべきなのである。
母ユイがウルトラベラボーに強いからいいものの・・・・
 
「精神分裂病には絶大な効果があるらしいですけどね。あと、異様に緊張してしまう人とか、孤独と孤立を病的に恐れる人、忙しくて”いっぱいいっぱい”な人に・・・・。
まあ、病は気から、って言葉がしんこうべでは実証されてるわけですよ。
病気を治しにきてほかの病気に罹ったんじゃ意味ないですしね。
それから、なにより重要なのは幻視をうち消す「幽霊を見ない」ってことですね。綾波党の一族にその能力を保有する者がいたから、ゲンドウ様も最終的にお認めになったわけですから。あの方、霊魂嫌いですから。
そして、当然のことながらその代償に綾波トア、彼女自身も人々の心の空き領域を使用することもある、と・・・・いうことです。これは噂だけなんですが・・・その折りには許可を求めるように声とか歌が聞こえるらしいんですけどね・・・・その者は”しあわせのむら”への訪問を許されているんだとかなんとか・・・」
世の中はひろい、それにしてもまあどらえい人間がいるものだ。
これが綾波さんの里か・・・・奥が深い。巨心をもつ人間・・・・生き仏っていうのか。
さぞかし・・・・・と、年齢と乾燥を経たご老人の姿を想像する六分儀シンジ。
 
「ちなみに、これがお姿です」と、タキローが写真を取りだした。
 
なぜか航空写真。かなりの高度から撮影されたらしいそれは、ナスカの地上絵よろしく広大な庭に不思議な紋様が造園されているのは分かったが、その中央にいる当人がよく分からない。棒のようなものをもって、紫っぽい長い髪で白服かなーというところ。
「あ、すいません。こちらです」といって一冊のカラー冊子を見開きにした。
 
「うっ・・・・・」
仏教系のおミイラ様を予想していただけにショックであった。そのくらいの綾波系(当たり前)の美少女であった。真っ赤な稲穂が実る田んぼの中で大きく眠っている。青銅色の槍だか棒だかが案山子のようにタオルを巻きつけられてそばにつきたっており、トンボが飛んでいた。農作業中には見えず、完全にその不思議な赤い稲穂田が彼女の寝床に供されているようだった。お姫様のイメージではないが、日本男のハートにガツン、とくるものがある。
碇シンジの顔が少し赤くなった。これも綾波トアの影響なのかどうなのか。
「あ、赤い稲穂って珍しいね」こういうのも話題転換、と大人は言う。
写真内の時間は夕方だが、夕焼けで稲穂が染まっているわけではない。素から赤い。
「飛鳥の名物、魂焼稲穂ですよ。悪い霊と戦った呪術者が禊ぎをするために改良された品種でもはや原種はありません。米の霊飯を食わせることで満足させて成仏させる・・・日本の霊でこれで満たされなかったものはありません」
タキローというのは本当に学校に行っているのだろうか。碇シンジはちと心配になってきた。見た目、小学生くらいだが、こんなに教科書に出てこないことをよく知っているというのは・・・勉強が忙しすぎて学校に行くヒマもないんじゃなかろうか。
 
「綾波党の・・・・というより、しんこうべ全域の守護女神なんですよ。彼女は。
敵も味方もない。ただ、綾波党の怪人連中の神通力にターボブースターになってたりもしますが。それから趣味が環境汚染で傷ついた妖怪や造られて捨てられた遺伝子怪物・・・・災害救助に使われるノコギリ犬やクレーン猿とかです・・・の治療と来ている。しあわせのむらはそういうわけで、綾波脳病院以上の金城鉄壁を誇っています。よそ者は航空写真でしかそのお姿を見ることはかなわない、というわけです。ちなみにこの冊子はさっき本屋で買ってきたものですが」
”綾波党の人びと”というタイトルで本が売れるのだからなんだか皇室の方々っぽい。
自分がエヴァに乗ってるもんだから、この程度の感想で済む。
 
 
ひいっ・・・りいっ・・・れいれい・・・・まろまろまろけ・・・・・
ひいっ・・・りいっ・・・れいれい・・・・まろまろまろけ・・・・・
 
 
またしても、しんこうべ到着時に遠くから聞こえたあの声らしき歌らしきものが耳に。
 
「また、聞こえた・・・」
 
「そうですか。僕たちには聞こえませんでしたけど。シンジさんの心は多分・・・・」
なぜか、タキローはちょっと悲しげに、それでいて少し羨んだようにそう言った。
 
「そういえばさ・・・・」六分儀シンジはちょっと思いついたことがあった。
「なんで君たちは綾波さんのことを覚えてるの?」綾波レイアムネジアの影響範囲を詳しく調査したわけではないけれど、不思議に思った。特にユトの方は、幼なじみの二人、
と言った。さらにいうなら、なんで絶滅したはずのブレザーと学生服なのか・・・とかも
 
「忘れようがないからです」ユトの答えは明瞭だったが、説明になっていない。
けれど、嘘のない笑顔をむけるのでそれ以上の問いが出てこない。
 
「・・・・ぼ、僕たちにそんな術は通じないんですよ。小さい頃から鍛えられてますから。ね、ユト姉さん」珍しくタキローが狼狽えた。
 
「無我の境地です。できるとかできないとか、一切考えない。わたしたちはレイさんとシンジさんを会わせることしかないんです。出来るだけ早く・・・それができたなら」
 
「そう、そうしないとシンジさんのおられる第三新東京市は大変なことになりますよ。
・・・使った力にはそれ相応の反作用、使用力が巨大であればあるほど”報い”も強大なものになりますからね。記憶の神様の後頭部をハンマーで殴ってとんずらしたようなものですからね。早いとこ補正をかけないと、都市の御霊が見放して離れていってしまうますよ。超絶の力をもつ人間を束縛する規則はありませんからね・・・・同じような人間が悟すしかないんですが・・・」
「よく分からないけど、なるべく早く綾波さんを連れ戻した方がいいってことだね?」
記憶喪失の反作用というのは、どんなものだろう、と思いつつタキローの話の半分も理解できていない六分儀シンジ。その名をもってしても当主の座につくのは相当な勉強を強いられるであろう。むろん、そんな気はないが。
「そ、そういうことです。あ、念をこらしてみれば、しあわせのむらで綾波トアが何を考えて何をしているのか分かるはずです。心が繋がっているわけですから」
「それって覗き・・・じゃないのかな」
「むつかしい質問ですけど、綾波トア当人はどう考えてますか?」
この姉妹はこういった誘導になれているらしい。すっと、意識をむけさせる。
六分儀シンジの心に綾波トアのイメージが浮かぶ。小川の流れる青紫アジサイの園、水車を青銅の槍で回している・・・歌いながら、そして、彼女は微笑んだ・・・・。
 
(わたしも見てます、あなたのこと・・・だからご心配なく・・・・)
 
「って・・えっ・・・・ええっ!?・・・・今、ウインクされた・・・・・・
なんて言っていいのか、心の中で・・・視線が、届いた・・・・・」
思わず、心臓と握手しそうになる碇シンジ。
エヴァに搭乗するのとはまた別味の驚異の体験だ。
「そういうことです。一方的に見られる、ということはないんですよ。
どちらにせよ、通常の人間は彼女には届きませんけど」
ね、とばかり、芝居の終わった人形のようにかっくんと首をするタキロー。
「あ、そうだ。ついでにシンジさん、今、レイさんが何してるのか聞いてみたらどうです?」
女性的な・・・というか、恋する人間によくありがちな発想はこうあるべし、という発想でユトがゆーてみた。ややこしい。
目的が不明なのであるが、どうもユトは六分儀シンジの綾波レイへのらぶ度(意味不明)をあげようとしているようにも見える。
「そんなこと、初対面の人に聞いても・・・・・・」
正確には名前を知っているだけで顔も合わせていないのだ。心が通じているとは云え。
その代わりに綾波党の人間に居場所をリークされてもこまる。頼りになる、と人に評される人間はたいていの場合、人間関係において真面目に公平であったりするからだ。
やはりトア効果のせいか、いつもより頭がよく回転する。
・・・・とはいえ、綾波レイが今何しているのか、単純粋に興味があった。
もちろん、先ほどの心理テストのような何月何日何時何分にかれこれの行動をしておりました、というやつではない。もう少し長期の行動指針と言った感じの・・・
それにドラえもんの静ちゃんみたいに風呂にはいってたり着替えていたりして、それにビンゴしてしまっても困るし。ほとんどしんこうべにおける人間神社である綾波トアに対して大余裕の態度なのかもしれないが、答えはちゃんと返ってきた。
頭の中にビジョンが送られてきた。しかも、昼と夜版で。
 
 
<昼>
アルセーヌ・ルパンのように片眼鏡と綾波式の白衣をまとった綾波レイは、医者のように、というか医者なのだろう、診察室で数多くの患者を診察していた。大人もいるが子供が多い。しかも外国人も多い。バリエーション多彩で一体何科なのだろうか。そして、はんぱなペースではない、ベルトコンベアーのように次々運ばれてくる患者を目の前の椅子に座らせて、その赤い瞳光で一瞬、走査するとそれでお仕舞い。なにやらにらめっこでもしてるようだが、綾波レイにそんな相手を瞬殺するような面白い顔はできまい。
それで、一本のスプーンを取り出すと患者に「曲げさせてみる」・・・・ある患者には独楽を「回させてみる」・・・・・ある患者には人形を「動かせてみる」・・・・・ある患者にはスケッチブックに「絵を描かせてみる」・・・・患者たちは綾波レイの示すそれに「手をふれずに」やってみせた。
真偽のほど、これが「何の」治療であるか、ということは別として、綾波レイはいま、昼にはこんなことをやっているらしい。大勢の患者たちに待ち焦がれて。期待され信じられ。
 
そして、夜には。お城で舞踏会・・・ではなく。
 
<夜>
江戸川乱歩のように薄くらい土蔵にこもってなにやら原稿書きをしていた。
ワープロではなく、手書きなのはそこに電気も来ていないからだろう。灯りはランプだ。
ビジョンは時間的に早回しされ、その執筆は明け方まで続いていた。ほんのちょっとだけ眠り、人が呼びに来ると早々に起きて出ていってしまう。診察の、仕事だろう。
なんというか・・・・すごいハードワークだ。あの身体の弱い綾波さんのどこにそんなパワーがあったのだろうか・・・って、なかったら使徒と今まで戦ってこれなかったろう。
 
「うーむ・・・・・」碇シンジは考え込んだ。
 
今まで、漠然と、登校拒否を起こしたクラスメイトを母親に言われて家まで呼びに行くような気分でいたのだが、これが本当だとすると・・・・連れ戻すのは当人のためにならないのかも・・・と、ごくまっとうな思考が働きだした。
強制労働で人は癒せも治せもしないだろうし、ましてや睡眠時間を犠牲にして原稿書きなんてしないだろう。本人の意思でやっていることなら。
もともと、誘拐されたというなら、連れ戻すのは正義の行いでいいのだけれど、この場合、自分の意志で消えているのだからちょっと困る。周囲への説明不足に難があるけれど。
説明したって里に戻ることが状況的に認められることがないのなら同じことかもしれないっ!真犯人を見つけた気分で碇シンジはいまごろそんなことに気づいた。なるほどなあ。
 
まてよ・・・ここで連れ戻したら、こっちが誘拐犯ってことにならないだろうか?
もしかして、見つかったら袋叩きにされるってこういうこと?それは当たり前の真ん中。
しゅるるる・・・と連れ戻す熱意度が急速冷凍でダウンしていく。
 
そして、ビジョンの最後は、働きづめの綾波レイがとうとう、診察室に向かう通路で糸が切れたように倒れるシーンだった。とて。唐突に闇に終わる。
 
「!!っ、行こうっ!!」
 
いきなり立ち上がって宣言する六分儀シンジに目を白黒させるユトタキロー姉妹。
「え、シンジさん?」「おやや・・・なんだかいい感じにヒートしてきましたけど・・・・オーヴァードライヴっすか?(はーと)」
 
 
「医者の不養生・・・綾波さんが倒れた・・・母さんの言ってた理由が分かったよ・・・・・・なんでそういうむちゃをするかなあ・・・・人より身体が弱いのに」
碇シンジは怒っていた。しゃれではない。
連れ戻してもどうせ使徒との激闘が待っている。連れ戻さなくても病院の激務と旧家(?)のなんか役割があるようだ。どちらにとっても綾波さんはこき使われてそれで終わる。
それはあんまりだ。同情する。少なくとも第三の道があってしかるべき。
夜の雲の瞳に誤解と雷、宿しつつ。六分儀シンジ、碇シンジは動き始めた。
 
 
と、同時にしんこうべ銀行は「なんだよ電卓で計算したら300キロじゃねえか。誰だよ30トンてウルトラマンの体重じゃねえんだぞ」「いや、それは兄貴が・・・暗算で」と謎な会話をする「赤い瞳の銀行強盗二人組」に襲撃された。「3,2,1で金だせ!!だぞ、いいな・・・それじゃ、レディ、ご・・・・
 
ばったり、と六分儀シンジたちは「綾波チンとピラ」に出くわした。
 
「悪」と「邪悪」との邂逅であった。先を急ぐ邪悪が悪に対していかな血も凍るおぞましい行動に出たか・・・・世間一般の良識と常識への影響を考慮し、その記には時間をおくこととしよう・・・。
「ぎゃー!!どろぼー!」「車ドロボー!てめえらガキのくせに」「じゃ、あなたたちも乗っていきます?綾波のひと」「ちょうどいい、ユト姉さん、この二人脳病院の関係者だ。人質と情報をもらうにはちょうどいい・・・って、なぜ運転席にシンジさん!?姉さん、代わってあげて!なんか、目の色が・・・」「エヴァ操縦するよりは簡単・・・・・・えーと、Rが”良好”でDが”駄目”かな・・・・」「「ぎゃー!!違う違うっっバックバック人がいるんだー!!」」「シンジさん待っ・・・
漏れ出る悲鳴に耳をすますのは自由だが。
 
精霊(しょうろう)のように紫に輝く瞳で。
 
「エヴァ初号車、行くよっっ!!」
 
 
「エヴァ初号車」と瞬命された綾波脳病院事務用車(車検間近)は磁石の魔王直々の壮行を受けたかのように常識外れのハイスピードで逆走していった・・・・危ういところで歩行者は避けてくれ、交差点のど真ん中でベイブレードのようなスピンをかまして進行方向を立て直す。事故がなかったのは奇跡といえる。いや、邪悪の車には交通事故車の霊でさえ介入を嫌がるせいかもしれない。「Dでドライブで・・っす!」涙がにじんだユトが切り替え再発進。これでも隠密行動なんぞ不可能になった。力押ししかない・・・。
こんな派手な真似をして、それがただの誘拐であるのなら、まさに永遠の邪悪。
 
 
碇シンジの知らされた事実は真実のわずかな側面にしかすぎない。綾波レイは自分の問題を当然のことながら全て自分のこととして、やるべきことをやっているだけ。
使徒を宿す自らの身体をいかに生かすか、そして終わらせるか。その答えはすでに。
ウルトラマンを宿すハヤタ隊員ならそれを最終回まで秘密にして戦い続ければ良かったが、人類の敵であるところの使徒に救われ、肉体に同調されてしまった綾波レイとしては・・・・・やるべきことを片づけて、うち切ってしまうしか、ない。
せめては前のめりに、赤い瞳を閉じるつもり。同じ、チルドレンの仲間に自分の身体を破砕させるほど、綾波レイは冷たい人間ではない。レリエルと自分が殲滅させられる日。
いずれ、確実にその日がくることを知っていたし、おそらく、その役目は碇シンジになるであろうことも。もし、渚カヲルがいれば・・・・
 
 
はっきりいって、この時点で両者の覚悟の量も質も段違いであった。碇シンジに綾波レイを説得することはおろか、思いとどまらせることも出来まい。
ただ、一点、碇シンジが綾波レイに勝っているのは、綾波レイが自分の催眠が破られたなどと夢にも思っていないことであった。
そのうえ、まさかまさか、しんこうべまでやって来てるなど。
さらに、まさかまさかまさか、絶望的な速度で大橋に向けて爆走中など。
 
眠ることと行動すること、どちらが勝利するかなんて明らかなのに。
 
 
綾波脳病院の周囲を囲む植物園には兵G県のあちこちの花の名所から持ってきたものが広大にして膨大に咲いており、ゆきみる墓場の献花はここから無料で手折っていってよいことになっている。それでちょうどよいほどここには花が咲き、そして墓に手向けられる。
故人の好みに合わせて、巨大なガラスドームには失われた四季の花や、外国産の花も植えられている。姫路城桜、万葉岬桜、賀集八幡宮桜、祐泉寺枝垂れ桜、須磨浦公園桜、樽見大桜、林田川菜の花、丸山川菜の花、但東チューリップ、ハチ北高原ザゼンソウ、高照寺
木蓮、氷上カタクリ、広田神社ツツジ、一宮神社ツツジ、丹南町レンゲ草、ハーモニーパークのリンゴ、萬勝院の牡丹、薬師院の牡丹、全国しゃくなげ公園しゃくなげ、しゃくなげの里しゃくなげ、大歳神社の藤、住吉神社の藤、近松公園アヤメ、多聞寺カキツバタ、
六甲高山九輪草、荒巻バラ公園のバラ、グリーンピアのバラ、播州山崎花菖蒲園の花菖蒲、
須磨離宮花菖蒲、砥峰高原花菖蒲、満願寺のサツキ、多田神社のサツキ、但東赤花のそば、応聖寺のナツツバキ、須磨浦山上遊園ハマナス、鶴林寺のナツツバキ、念仏寺のナツツバキ、岡見公園のユウスゲ、南光町林崎ヒマワリ、ヒマワリ公園のヒマワリ、好古園の蓮、
平池公園の蓮、神子畑ムーセ邸のサルスベリ、最明寺のムクゲ、高照寺ハギ、こうべ総合運動公園のコスモス、氷上町やすら樹コスモス、佐曽利のダリア、砥峰ススキ、相楽園菊、姫路ノジギク、福知渓谷紅葉、書写山紅葉、西方寺のサザンカ、黒岩水仙、綾部梅、世界梅公園の梅、中山観音梅、月照寺の紅梅、西林寺の唐子ツバキ、越木岩神社ツバキ、長楽寺の散りツバキ〜・・・・などなど。その中でも最大勢力はやはり、しんこうべの花でもあるアジサイだった。そのアジサイに囲まれた中華風の小茶館に綾波レイは、いた。
それも、碇シンジら普段の姿を知っている者たちからすればぎょっとするほどに重武装に飾り立てられた豪華絢爛舞踏な姿で。国際都市と呼ばれた神戸時代を彷彿とさせる様々な文化の集大成、このまま歌舞伎の舞台に殴り込み結婚式を十や二十はしごできるほどの、いや、紅白歌合戦のトリを十分務められるくらいのあれだ。決して美しくないわけではない・・・それどころか超一流のデザイナーのセンスが土台になり、金と愛情にに糸目をつけない簪やアクセサリーやら勲章に彩られて、生きた芸術品となっていた。重いが。
確かに、しんこうべの姫君にしか許されない格好であっただろう。そして、綾波レイは
あまり顔色がよくない。
 
 
休養を命じられて、いた。
祖母であり、綾波脳病院の院長にして綾波党の党首、綾波ナダに。
厳重に、休養を命じられた。「その弱り切った体が快復するまで仕事なんぞよろしい」と。
「綺麗なべべを着て、茶でも飲んでしばらくぽややんとして皆を安心させておくれ」と。
 
 
休養を強制されたのでなにもせんでいいため、思考に没頭する時間が増える。
この格好で街に遊びに出るわけにもいかないし。遊ぶ気分でもないが。
考えるべきことはこの期に及んでも山ほどある。浮かんでは、消えない。
 
 
 
第三新東京市からあまり迷いもせずにこの地へ向かったのは、やはり呼ばれていたのかもしれない、と思う。血に。
自分の到着など知らぬはずなのに、夜のしんこうべ駅にはすでに赤い瞳の者共が総出で待っていた。濃厚な魂の匂い。隠すことなく放たれる魔の雰囲気。赤い目の紋の提灯行列。
列車から見える、墓場の街にまかれ捧げられた赤い花。(そう、それが綾波の本質)その瞬間からトアとのコンタクトが開始された。まるで封印が解除されたように。脳が脈動し、忘れていた記憶の花を咲かす。自分に匹敵する能力を持つ者。心に愛情を送るための葉脈を浮かばせる。
自分にはない能力をもつ異能の血族たち。身体がざわめいた。駅を揺るがす歓迎の声。
 
 
呼ばれていたのかもしれない、と思う。
 
そして、確かに血族は呼んでいたのだ。自分たちの後継者を。
 
 
そこから始まった盆と正月をいっしょくたにしたようなポートピアホテル全部を借り切った夢幻の宴。
綾波レイはしんこうべにおける血族の力を思い知らされた。自分が綾波であること。
綾波神鉄、リーポー、メトロイ、キチロー、フレイエ、虎兵太、ランエン、ムイ、蟻馬、
真珠歌、フトーロ、マルコム、夢路、エナジュ・・・・
次々と一族を紹介されるたびに。その話を聞くたびに。その笑顔を見るたびに。
膨大な血の流れが自分の裡で渦を巻いていること。数多の魂が己の裡で踊っていること。
図書館など問題にならぬくらいの言葉が、囁きが、叫びが、心の中に詰まっていること。
人間は、静寂ではありえない。生きているだけで騒々しい・・・その宴の中で能力を全開にしてみた。普段、八割を抑制にあてているその能力を全開に。都市部でそれをやれば山崩れのような心の声がのしかかってくる・・・・それゆえに人気のない幽霊団地に住み、
人を遠ざけ、能力の耳を塞いできた。だが、宴の中、歓声の中、のしかかる心声は問題なくコントロールできた。遠ざけることも近づけることも。ボリュームつまみが自分の中に設置されたかのように。そして、なによりすでに騒々しい自分の中の声が外の声を帳消しにしてしまう。ことに綾波は歴史に対して叫んできた一族だ。それを思い出したなら。
第三新東京市での日々が、赤く塗り込められていくのを感じる。
自分はずっとここにいたんじゃないか?生まれてこの方、ここを離れたことがないんじゃないか?そんな疑問さえ浮かんでくる。逃げたのに、こんなに気持ちよくて、いいの?
辛くて甘美なこの迷いに、綾波レイは知らず、涙を流した。
その涙をみて、勘違いした綾波党が母親ノイの遺影の下、後継者守護に一丸結束したのはいうまでもない。
 
 
なにもいわないから、あちらこちらで誤解をまき散らす綾波レイであった。
それが怪物のような巨大な迷惑に膨れ上がる。いずれ、それと一人で戦わねばならない。
他人に迷惑をかける者はそれ相応の目にあうのである。
 
 
ただ、誤算ではあったのである。
しんこうべには昔、「全住民が一夜にして片腕をもぎ取られるより凄惨な」争いがあり。
しんこうべに綾波の人間は生き残っていないと思っていた。ところが。
生き残ってここまで勢力を拡大させていたとは・・・・さらに、零号機からの催眠波を凌ぎきって自分のことをしっかり覚えている・・・・同族同士という点を差し引いてもそれは凄まじいことだ・・・その驚きから醒めやらぬうちに手中に落ちた。逃げられなかった。
この街には風に命を削り奪われる、即身成仏になりにきたというのに。孤独の中で。
使徒を宿す身にどんな未来があるのかしらない。
 
 
自分が使徒を宿しているだなどと、絶対に知られたくなかったし、告白もする気なし。
自分が使徒に生命を補ってもらって・・・・つまり寄生して生きているなどと。
それを告白し、使徒の弱点を探るための献体になる・・・という道もあるにはあった。
そうすべき、なのかも、しれない。皆のため、なら・・・・
苦悩の末の逃亡。ずうっと逃げる気でいた。誰にも追いかけられない場所へ。
しんこうべ。ここにはそれがある。
儚んで自殺するわけではない。それではせっかく閉じこめたレリエルを解放する恐れがあるし、自分の裡にある一部分が死ぬだけですぐに再生するだろう。手先が切れたくらいの損害は与えられるかもしれないが。何より、死んで花実は咲かないのだ。かといって、すでにお日様の下で大手を振って生きられる身体ではない。では、どうするか。
 
 
冷凍睡眠。
 
 
SFでよくあるが、実際にあるし、しんこうべのそれは設備的にも実力的にもナンバーワンだった。欧州旅行での列車内の事件のことで考えついた。レリエルが内臓機能のサポートから手をひけば半死人状態になるのは身をもって思い知った。ならもう、始めからその状態に己の身をもっていくしかない、というのが綾波レイの考えである。
それでそのまま凍死してしまったら、それはそれでもう仕方がない。孤独のうちの袋小路。
祖母のナダには使徒に憑依された点をのぞいて、身体のことを正直に話した。
つまりは「嘘だ」ということだが、能力を使って碇ゲンドウの保護下を去った時点でナダの方でも覚悟はできていたらしい。レイの記憶をゲンドウのやつは忘れているらしい、ということは約束もチャラだ、と喜んではいたのだが。尋常な理由で孫娘が戻ってくるはずがない、と。それでも、その話にまるまる二日かかった。つまりは「覚悟ができていなかった」ということだ。十年の時を埋めつつ綾波の祖母と孫娘の話に余人の入る隙はなし。
「終の場所をここに選んでくれたのが、嬉しいよ。同じくらい悲しいけどね」
「・・・・・」
終の場所。そういうことになるかもしれない。なる。少なくともあの要塞都市には戻らないのだから。他に行く場所もあろうはずもない。消えてしまうまでここにいる。
綾波党としんこうべの総力をあげても治癒不可能の病に冒されている・・ということで話がまとまった。そのため、後継者儀式が終わった後に未来の治療方法を期待して冷凍睡眠に入る、と。これは極秘事項で綾波党でもこのことを知る者は気まぐれなトアとしんこうべの埋葬を司るマルコムしかいない。 
「婆ちゃんが300も400も生きてお前の柩を守ってあげるよ・・・全てカタがつくまで眠っておくがいい。長く眠って目覚めたときには、お前のようなのが珍しくなくなっているかもしれないしねえ・・・綾波の血を絶やさなければ、そんな日が来ているかもしれないねえ」
ナダは孫娘に魑魅魍魎な誓いをたて、その代わりに冷凍睡眠に入る前に適当な婿を選んでその精を受けてから眠ってくれ、というとんでもない願いを出してきた。もちろん、これには血筋を絶やしたくない、という根元的な願い、そして党首院長後継の実務もとらずに冷凍睡眠に入る孫娘を綾波党の生ける象徴とする立場固めの意味もある。こういった宗教的な意味結界を施しておかねば、この後、力や欲だけは突出したバカ者が孫娘の眠りを覚ます可能性があることをこの苦労人の老婆は知っていた。冷凍睡眠中の妊娠は徹底的に検査しても読みずらく、身体への危険を考慮して「後継者へのお伺い」という尤もかつへっぴりな理由で目覚めさせることもなかろう、とも踏んでいる。とんでもなくはあるが、多方向から考えてナダにとってはかなり冴え冴えとしたやり方だった。
レイその願いを受けた。旧家のしつけをされているわけではなく、血筋への誇りや過分な愛情があるわけではないが、この「力・・・」異能の力・・・それを継承させることには意味がある、と信じた。いろいろ母親であるノイの話など聞かされるにつけそう思った。
母親の仕事を継承してやってみようとしたのもその一環。体力的に無理だったが・・・。
この力の範囲内にエヴァを操作する能力が含まれていたおかげで、あの都市で生きられた。
だが、まあ、そうなると母親になってしまうわけだが・・・この若さで。解凍後。
ウラシマ効果で年齢が加算されても若いもんは若い。別段、遊びたいわけではないが、使徒の宿るこの身体で出産などして子供がどうなるか・・・人体実験する気はない。
ここは祖母には申し訳ないが、その日が来ても儀式と言うことで「やったふり」だけで勘弁してもらう。しんこうべにも自分に匹敵する催眠能力者はいない。祖母殿と婿殿には悪いけれど。
・・・・というレイの発想も当然、百戦錬磨のナダは予想しており、孫娘には悪いけれど
その手は桑名の焼きハマグリ磯のアワビの片思い方面で計略を仕掛けていた。
 
 
血の器にされることはともかく。
自分の身体が脅迫の道具にされるのだけは耐え難かった。レリエルが敵であるかどうかは正直なところ、よく分からない。ただ、完全な味方にはなれない存在だ。
そして、人類は彼女を敵視する。
それに対抗するためにレリエルがどんな手段を用いるか・・・。何とも言えない。
ことは戦闘だけに及ばない。学校生活を含む私生活についてもそうだ。おそらくレリエルは第三新東京市で起こる全ての出来事を知っている。ネルフに関しても。自分の背後について本部のあちこちを巡って堂々と情報収集できる。いくらエヴァ初号機が強いといっても弱点はある。・・・あると思いたい。なにせ操縦者が「彼」だし・・・。その弱点を探られでもしたら・・・。つまり、自分がネルフにいてもいいことは何一つない。
 
 
そもそも、自分は生きているのか、死んでいるのか。
死体が適当な意識を与えられて操作されているだけではないか?
骸骨踊り、ダンスマカブル。
その証をたてるため、自分の手でレリエルを殲滅してみれば・・・・
レリエルを殲滅し、まだ自分が生きていれば・・・・
 
 
使徒のサポート無しで生きられない命というのは・・・・・たぶん、もう、
 
 
その前に、ユイおかあさんに相談してみたかったけれど、かなう願いではなかった。
自分以上の超絶の力を持つ者として。そして、なにより声を聞くだけで鉛色の雲が切れていくような晴れやかな気分にさせてくれる・・・・楽園風のようなあの心に触れたい・・・
 
だから、もう一度だけ、会いたかった。
 
 
 
そんなことどもをぼんやり考えているうちに
お盆の上の最高級の中国茶、岩茶が冷めてしまっていた。
それなのに、そばにいるメイドは取り替えようともしない。気づいてないのだ。
鈍い。サービス業なんか絶対やってはいけないほどの鈍さであった。
綾波トアの支援効果を受けながらこのザマの蝸牛結いのメイドは綾波ツムリ。
綾波党、いや、しんこうべ中もっとも思考速度の遅い女。口でしゃべるともっと遅い。
今、彼女の頭の中では「お茶にあうBGMはなににしようかなー・・・戦台風がいいかなー・・・清香満山月・・・桂花龍井・・・・どれーがーいいーかーなー・・・」と。
ただ、その超絶の遅さゆえに、能力全開の綾波レイのそばにいても、当人も綾波レイも一向に疲れないという貴重な人材であった。それから戦闘能力は番付表で第六位。思考速度に反比例してその角槍は電電の速度を誇った。同性でもあり護衛にはうってつけだった。
それから、本人は自分でとてもおしゃべりな女だと思っていた。不思議なことに。
それゆえ、「あまり、護衛の仕事中はしゃべらないようにしなくちゃなあ・・・」などと考えていたために女性二人の場でありながら、ひどく言の葉が少なかった。まあ、ここにはそれを補ってあまりある大量の紫陽花があるわけだが。
 
「あ、お茶があ・・・・・・・・・・・取り替えて、きまあすう・・・・・・」
冷えたお茶なんて飲ましちゃあ、ナダ様に怒られるう・・・綾波ツムリはしゅーと滑るようにポットを下げて取り替えに行った。思考速度が遅い分だけ、独特の歩法での移動は滑らかで早かった。もう、帰ってきた。「とぼとぼとぼー・・・・・・・」
 
「ありがとう・・・・」お茶を楽しむような気分ではないが、一応、礼をいうレイ。
 
「あ、そういえばー・・・・・・」それに喚起されたわけではなく、純粋に思考速度の遅さからツムリはようやく”少しはコミュニケーションをとった方がいいかなー”などと考えに及んで「今日もいい天気ですねー」などと会話をしようとした。
レイの方は「日も暮れてきたし、これを一杯飲んだらそろそろ戻ろうかな・・・」と考えたところだった。
「レイ様が戻られてお天気ばかり・・・・・でも、少しは雨が降らないとあじさいたちがかわいそうですね」悪気はべつだんないのだ。ツムリはカタツムリが好きなのだ。
生き物が好きなのはよいことだ。三日月丸、新月丸、満月丸、と名前をつけて飼っていたりもする。その三匹についての話はまた綾波レイでなければ死ぬほど低速だったりする。
「そうね・・・・」
とレイが相づちを打とうとした
その瞬間。
 
 
カカッッ!!
グワラグワラドーーーーーーーンンッッ!!
 
 
大音響が植物園の空気を鬼のように引き裂いた。それが雷の音であると気づいたのはすぐに己を盾にした角槍を構えたツムリの背を見ながらだった。
人工島入り口である大橋の方角。そこに雷は降らず、雷の音だけが降った。
自然現象ではありえない、「現象」。それを引き起こした人の意志。
「あーらーまー・・・・六分儀の鬼の子が・・・山降りて・・・こんなところまで?」
角槍をゆっくりと大橋、雷音が発生した方角へ突き向ける。
「けど・・・・・音だけなんてこけおどしじゃあ・・・天候変化は六分儀の十八番って聞いたけど・・・今月の橋の守護番はフレイエさんだしい・・・・ここまでこれないよう・・・・・・安心してください・・・あれ?レイ様」
ツムリが振り向くと、そこには蒼白になったレイがいた。「そんな・・・・・・」
まさか・・・・まさか・・・・六分儀の鬼の子?・・・・・それは・・・・
あれだけ強力に施しておいたのに・・・彼には特に念入りに・・・・”爆心地”だったはず・・・しかもここまで来た?どうやって?エヴァは?使徒は?
別人の可能性・・・・いや、この期に及んでそれこそが嘘のよう。ほんとに彼は・・・
ほんとに人間じゃない?ほとんど震えながら混乱する。ユト的にいえば、少年が少女をせっかく追いかけてきたというのに、らぶ度もへちまもなかった。
 
「雷・・・・お嫌いですかあ・・・・・降らないうちに帰りましょう・・・・・・さ」
角槍をいったん置くと、ツムリはレイをかるがると抱き上げた。
そして、アジサイ園を下りていく。途中で、「あ、鬼の子のことはレイ様の前で言わないんだっけか・・・・まあ、いいや・・・・隠語だし・・・・」
やっぱり思考速度が遅かった。
 
 

 
 
「ユイさん、大丈夫ですかっ!ユイさんっ!!」
大声を出そうと操縦席への伝達には変わりはない。赤木リツコ博士はその時、全身に重圧を感じた。ネルフ本部の全職員の代理人として。第三新東京市全市民の代理人として。
それ以上の得体の知れない重さは、これが世界人類の重みだろうか・・・
碇ユイの名を呼ぶことの。
 
警報が鳴ってから碇ユイの反応がない。声はもちろん、全ての生体データが使い物にならない激しい揺れを刻み続けている。液温180度の中にあって人体はどうなるか。
ちょっとした想像力があればデータなんぞ必要ない。緊急措置として液を抜いてしまおうとしたが内部から外部操作は全てロックされていた。
初号機の動きが停止したままで・・・・振り回していた火振りカマクラも握りしめたまま消えている。零号機も糸の切れた人形のように・・・起動停止状態。
使徒の降臨が途切れているせいなのか・・・それは休憩の姿に見えないこともない。
この現状を知らねば。
発令所から数度のコールがあったがそれどころではない。頭数を呼んでも内部からロックされていれば出来ることはない。試作操縦席を破壊して操縦者を救出するか・・・・
液温180度・・・・古い機械だ。何かの間違いだと思いたい。知らず叩いている円筒はこんなにも冷たいのに。
葛城ミサトあたりが見ればかなりの違和感を覚えただろう。なぜ早々に操縦者を救出しないのかと。大丈夫かって、大丈夫なはずがない。急激上昇した液温に大火傷を負っているはずだ。死に至るほどのトラブルだ。悠長にすぎる。頭いいくせにバカか!と。
そして、すぐさま惣流アスカを叩き起こすはずだ。
 
「う・・・・・」
呻き声がかえってきた。
 
「ユ・・・いさん?」
 
「うう・・・・う・・・・・」
苦しげとも悲しげともとれる呻き声がつづく。熱液の中から。
 
「ユイさん・・・・・返事を・・・返事をしてください」
 
 
 
「うう・・・・せっかくの必殺技が・・・・・使えずじまい・・・
そんなのって・・・あり?ですか」
 
 
 
「知りません」世界で一番冷血女の声色で返答する赤木リツコ博士。
たぶん、発令所にはその声が届き、スタッフたちを安堵させ司令たちをニンマリとさせていることだろう。・・・・そういう人なのだ。ユイさんという人は。
温度計はゆっくりと降下を続けている。170・・・・165・・・・160・・・・
内部からリセットしたらしく警報音も止んだ。「私には・・・・」
「私にはお気遣いは無用です。貴女を、サポートします。・・・機械のように」
 
しばらくの沈黙の後。
 
「そう、ごめんね・・・・リツコちゃんは強いね・・・」
155・・・・・147・・・・133・・・・・温度計に故障はない。事実だ。
この高温の中にいる人に強いといわれて赤木リツコ博士は涙腺すら凍らせた。
この隔壁の向こう、このひとはどんな「表情」を浮かべているのか。
人ニ在ラザル・・・同時に、限りなく、にんげんの・・・
 
「ああ、さすがに・・・歳をとったとは思わないけど・・・・きついわね。でも。
アスカちゃんが起きる・・・夜明けまではがんばらなくちゃね・・・・・
リツコちゃん・・・・・戦闘記録は順調にとれてる?」
「はい。実験機の機能を全て戦闘用に移行させています。データの変換もマギが」
「ああ・・・・それくらいしか、あの子達に残してあげられないから・・・・
とんでもない母親だね」
「それが、必要なのです。今も、そしてしばらく続く、この先も・・・」
「ふふふ・・・夜は大人の時間・・・・もうひとがんばりしましょうか。リツコちゃん」
「はい」
133・・・・141・・・・・149・・・・再び液温が上昇を始める。
とはいえ、そろそろ限界なのだろう。「子供用」に合わせているのは。
 
「出来る限り、敵数は減らしておきたいわね・・・・そうだ」
 
「アグエニル=E、アンマエル=E、アルクィエル=E、アラジエル=E、
 アサエル=E、アスビール=E、アザエル=E、バラクィネル=E、
 エクサエル=E、エゼクェル=E、ガドレエル=E、カスダイ=E、
 カシュデン=E、コカベレル=E、ペネムエル=E、ファルモロス=E、
 サタナイル=E、タルマイエル=E、トゥレレレ=E、ウシエル=E・・・・
 
もう・・というか、まだ・・というか・・・”埋葬者(ウシャ)”は使える?
あの子達の守りの盾になるはずだった、かわいそうな、あの埋められ者たちは」
 
 
 
 
 
使徒の降臨はない。
 
もちろん、そろそろユイ初号機に恐れをなした・・・・わけではない。
 
それどころか
 
 

 
 
「この次は我らが譲ってもらったジャ」
「いやいや、あ奴はかなりの使い手。ここはそれがしが」
 
入道雲の中では使徒同士が降臨の順番を巡ってもめていた。
三色の蛇型使徒三兄弟 虹色の「ガムエル」銀色の「カツェル」深緑色の「ノズチエル」。
そして、切ったはったの専門家、刀剣型使徒「タブラトーラ」。
一緒に降臨すればいいものを、ガムエルら血の気の多い蛇型使徒3兄弟がまだ順番が巡ってこないところをしびれを切らして、ずる・・というかこの度降臨する順番になっていた使徒「メタルクルエル」に話をつけて譲ってもらったのである。蛇が賢いのはまー、アダムとイブと楽園追放の神話的故事を引くまでもなく。手足がない代わりの口八丁でフォビドンなことをやってしまう。
 
「メタルクルエル」(仮称)。
わりと正体不明なところがある。一匹狐(?)でディスコミュ二ケーションな感じで使徒仲間からも謎に思われている。無口だが経験値が高そうな予感。
「マツブエル」と呼ばれると多分喜ぶ。軟体でありながら硬い。
お面を破壊されると怒る。
「人はなぜ誰かを好きになるのか」の謎を日夜追求しているという
噂がある。
 
メタルクルエルはあまりものにこだわらない大らかな性格の使徒であるので快く順序を執念深いことでは使徒後に落ちない蛇使徒三兄弟にゆずった。だが、そこに待ったをかけたのが「タブラトーラ」。蛇と刃物が仲が悪いのはまー、神話的事実だが、タブラトーラの方も後からやってきてさらに譲れと言うのだからとても喧嘩早い。
実は、それに加えて次の次の降臨予定であった深紅の柱使徒「ヴラディエル」の相手の精神を好戦的にして敵味方かまわず襲いかからせるという特殊能力がすかしっぺのように周辺に漏れていたこともある。「だってガマンできなかったんだもん。待機長いし」
いまさら先陣争いでもあるまいにの愚かな押し合いを冷ややかな闇色のコアで見ているのは「ネクロエル」。闇色コアを中心に幾重にも使徒魔法陣を纏う、惑星軌道図のような天体な外見をもつが、その能力はゾンビ再生。倒された使徒を大体三割の力で甦らす。
けっこうな数がやられ、そろそろ彼の登場が望まれるのだが、出番はまだまだ。
 
「どうせお主らの実力では返り討ちにあうだけであろう。やめておけ」
「なにおう!それジャ試してみるか」兄ジャの言うとおり」ジャ」
ことは仲間割れまで発展しそうになった。人類的ネルフ発令所的には嬉しい展開である。だが、さすがに使徒も数がいると中には仲裁の好きな使徒もいて・・・・
 
「仲間同士の争いはやめて欲しいナ・・・」
 
サントリー時代のトリスの宣伝やっていた開高健のようなセリフとともに登場したのは。
 
「げっっ、レリエル・・・」
 
赤い瞳を使徒共のコアも問題にならぬほどの光量で爛々と輝かすのは綾波レリエル。
この場では単なるレリエルのほうがよいか。ふいの出現に数多くの使徒がびびる。
 
「仲良くやってほしいナ・・・使徒同士なんだからサ・・・・それとも」
これに逆らえばHAWAIどころか伊香保冥王ツアーが待っている。温泉好きなクサツエルなら喜ぶかも知れないが、使徒は基本的に都会好きの田舎嫌いで「鄙びた」ところにはいきたくないのだ。地獄に落とすとて戦闘系の両使徒のこと恐れはしないが、伊香保はイヤだった。
 
「分かったでござる。ここは武人らしく蛇兄弟どのに譲るでござる」
「いや、タブラトーラに譲るジャ」
 
または、それ以上にレリエルを恐れてもいた。
この情報に長けた使徒は他の使徒の弱みを完璧に把握していたから。
それはまた、愛すべき人間に対しても・・・。
 
仲裁に入ったのがレリエルだったため、「勇者ライディーン」の後期のようなライディーンをどっちが倒すか二人の兄弟将軍が競って手持ちの怪物を戦わせて強い方がライディーンと戦う、と言う素敵な状況にはならなかった。戦闘力だけでいえば蛇型3兄弟もタブラトーラも相当なもので互いに潰し合えばネルフ的にはかなりハッピーだったのだが。
 
「じゃあ、マツブエル、あなたが行く?」と狐のお面をかぶった軟体金属使徒にレリエルはたずねた。もとの順番を守っていればもめごとは起きなかったわけだし。だが。
「・・・あ、眠ってるし」
順番を譲ったことで時間ができたとおもったのか、彼は休眠に入っていた。
 
「グヘヘ。じゃ、オメエもお眠むしてな!!」
 
レリエルの後ろから類人猿系に下卑た声が聞こえた。同時に強烈なビームがそれも四方から・・・かわしきれないレリエルを直撃した。本調子でないとはいえ、同士討ちの禁忌に対する油断があったとはいえ、あのレリエルを撃墜したのは。
 
テナガエル、アシナガエル、テナガザエル、アシナガザエルの四柱カルテット。
銀色の体毛に鬼のような顔をした、それぞれ手足が長い。手段を選ばないのは今見たとおりだが、なにより人食を好む。機能的を至上課題とする使徒には珍しく寄り道のようにつけられた補食機能に血道をあげる猛烈な連中である。「お口があるのは食っていいって証拠だよ。グヘヘ」というのが連中の言い分であった。
「ちょっと上の覚えがいいからって仕切ってんじゃねえ、タコ墨女郎」
「戦闘なんざどうでもいいからオレたちはもうガマンできねーんだよ」
「ってわけで邪魔者を処分した功績として順番をまわしてもらうぜ、文句ねえよな」
「ああ、当然おれたちは戦闘なんざ興味ねえから蛇と刀、おめーらにまかすぜ。
おれたちゃ裏側から降下して穴掘って人間釣って食ってるから好きにしてくれよ」
 
「き、貴様らッ・・・・待たんか!!」タブラトーラが怒りと共に制止するが。
 
「ヒャッホー、食い放題だぜーー」
 
四柱の使徒が人食を目的に了承もとらずに降臨した。狡猾なことにユイ初号機、零号機との戦闘を避けてなるべく距離をとった都市淵四方へ。「誰が一番食ったか競争しようぜ」「イエーイ」「なるべく女の多い箇所に当たりたいぜ」「イエーイ」
 
「あの猿どもに利用されるのは気に食わんジャ・・・・・・が!」
蛇の気性は同士討ちの禁忌すらさして気にもとめない。これ幸いと降臨にうつる。
これを見た他の戦闘好きな使徒が我も我もとそれに続く。その数、四十四。
次々とコアの輝きが雪崩をうって降ってくるその様子はまさに爆撃降臨。
数々の戦の恐怖に耐えてきたはずの、世界一勇敢な武装要塞都市、第三新東京市が聞こえない悲鳴をあげる。おそろしい、おそろしい、おそろしい、と。幼子のように。
 
 
その声が聞こえたわけでもあるまいが、惣流アスカが目を,覚ました。