土耳古・カッパラル・マ・ギア
 
 
今日はその邪眼をもって使徒五体を睨み殺した。だが、もはや数えることもしない。
何の意味も、興味も、感慨も浮かばない。まとわりつく羽虫を払うほどの記憶もない。
使徒の墓場としてここほど相応しい場所が有ろうか。
秋なく夏なく三春なく、冬もない。飛ぶなく走るなく介鱗もない。草なく木なく花もない。
核戦争の跡地を連想させる、とろけたマッシュルームのような奇岩景の夕暮れに浮かぶエヴァ十号機。
五体を完全に揃えることを許されず、土の柩に座ったまま。
 
 
ニェ・ナザレ
 
 
十号機専属操縦者・・・・・とある城で大火傷を負った彼女は外界に出ることはない。
エントリープラグに満たされた特殊な培養液、特製のLCLの中でしか生きられぬ身体。
風や空気に触れることのない、水棲人間。十字架に詰め込まれた大量の胎児の集合体。
人は死ぬと風になり、生きているときにいけなかった場所へいけるようになるというが。
たとえば。
世界中の人間を皆殺しにしてやりたい、と考えたとする。
五体がそろっていようがいまいが、十号機でここを離れる・・・ことを想う。
邪魔する者、妨害する者立ちふさがる者は全て殺す・・・・ことになるだろう。
けれど、この場を守護する者がいなくなれば、世界は滅びる・・・・・同じことだ。
いろいろやりたいことがあるのだが、自分の代わりはいない。力はあるが、動けない。
なにかと似ている。雲の上、星の上にいる存在に。ああ、そこにいるのかそこにいるのか。
 
 
孤独、ではなかった。雲や星の上ではなく、土の柩の中に寝ころんでいるせいか。
ソドラとゴドムの守護のついでに守っていたカッパラル・マ・ギアの住民にもいつしか情がうつってしまった。ものを喰うことも水を飲むこともせぬ身ではあるが。なぜか、供え物が絶えない。この地では貴重であるはずの花や緑が、柩のそばの粗末な祭壇に飾られることも。結局はこの身に届くことはなく、それを見越した貧しい泥棒の懐に入ったり監視の者に処理されるだけのことなのだが。彼等は己の名も知らない。そう、孤独ではない。
十号機が自分なのか、自分が十号機なのか、それともすでに溶け合ってしまっているのか。
精神汚染レベル、シンクロ率、そんな数値はもはや己には関係がなくなっていた。
十号機の機動が停止すれば己も死ぬであろうし、己が死ねば十号機も死ぬ。
ソドラとゴドムをいつまで守護すればいいのか・・・その答えも十号機の完全さ同様、与えられなかった。自分をこの十字架に縛りつけ、十号機がここから離れるのがそんなに恐ろしいのか、機体を完成させることさえさせなかった臆病で卑劣な命令者にそれ相応の報いを与える・・・・この場を離れることこそが、最大の反撃にして最高の復讐であるのは分かり切っている。相手は、それが出来ぬと確信している。毎日、呪っやっているはずなのだが、発狂して死んだ、という話は聞かない。
 
 
「”いすてじあ”、もよく耐えるもの・・・・」
外界に身をさらせぬ動けぬ身ではあるが、この世界の情勢にはこと誰よりも詳しかった。
表も、裏も、使徒殲滅業界のことも、すみからすみまで。
黙っていても、この力を求める者たちが情報を集めてくるからだ。それもひとつの供物。
こちらが動けぬ事、何も出来ぬ事を知っているから、安心して彼等は語る。
さまざまな事を語る。死期を悟った老人の過去の事件を悔いて懺悔告解に近いものもあれば、闇に暗躍する強者切れ者どもの動けぬ巨人を前に度胸試しの優越に浸るものもある。けれど、真に語りたい、という相手には言葉は届かぬ。
 
 
東方島国(いすてじあ)が、現在面白いことになっているようだ。
 
 
当初の計画では、使徒にくれてやるはずの小さな島。
ロンギヌス・・・黒月卵・・・罠、を仕掛けて使徒を招き寄せる。
もっとも効率の良い使徒殲滅の仕掛けだったはずだ。代償として小島は消えるだろうが。
それが、実験機や試験機、前期制式機などを使って、戦闘ともいえぬ対処療法的な撃退を行っている。無理無茶無策。子供に戦闘ができるのか・・・・いすてじあの人間は気が狂っているのだろう。海に沈んでしまっても文句はいえまい。知っているのか。
数字を刻印された子供たちは、使徒を倒してその返り血を浴び、また、最後には使徒に殺害されることがその目的。エヴァの寄り代として、その生命の火を吹き消されるのだ。
使徒との戦闘など・・・・
 
 
数字を刻印された特別あつらえの子供たちが、順に消えていく「儀式」。
塩で造られた聖なる宮殿で、塩柱の司祭たちが、蝋燭を掲げて列をなす。
秘時石の上に、目玉模様が象嵌された七つの燭台。灯火が二つ消えていた。
塩で出来た教皇が、玉座より秘時石に歩み寄り、穢れのない吐息で一つの火を消した。
燭台の影と火影が、時を知らせる。次の火を吹き消す時は、もうすぐ。
運命ともいい、魔術ともいう。それが成就した時に何が起きるのか・・・・・
 
 
まあ、関係のないことだ。好きにするがいい。どうせこの場から離れられぬ身・・・・
だが・・・もし・・・
十号機に取って代わる程の力を持つ者がいるならば・・・・土の柩の守護を任せられる
その者がこの地に現れるなら・・・・サードチルドレン・・・・碇シンジ・・・・
いすてじあにて、百の使徒を滅ぼした子供・・・・会ってみたいが・・・
かなわぬ夢か。神の代わりを。
ニェ・ナザレはいつものように悪夢しか見ない眠りについた。
 
 
 
 

 
 
 
都市部であるのに、なぜか甘やかな森のような匂いとろとろした湿度のある、あの夏特有の早朝空気の中・・・
 
 
白い唐唐(とうもろこし)がころがっている・・・。
 
 
日本国の国道である。どこかのネバーランドではない。早朝のまだ車などまばらな、コンビニの配送車くらいしか走っていない時間帯であるから許される光景であろう。ごろん、ごろん、と道のど真ん中を白い唐唐が転がっているというのは。しかも、大きい。人間が入っているんじゃないか、と思うくらいに。
 
 
実際、人間がはいっていた。近くでよく見れば分かるのだが、それは白い寝袋状のもので、その内部に長い、とても長い白髪の人間がくるまれて眠っている。はみ出したそれがちょうど唐唐の毛のように見えるのだった。にしても、寝癖が悪いというのか、どこかで星空野宿青空キャンプでもしゃれ込んでいたのだろうか、それが道まで出てくるとは・・・
 
しかも、そのころがり速度がけっこう速い。内部で眠っている人間に特殊な体術の覚えでもあるのか、驚き呆れ目で見る新聞配達のおっちゃんの自転車などおいてけぼりにするくらいのスピード。または寝袋に特殊な仕掛けでもしてあるのか・・・あまり意味のない仕掛けだが。それが証拠に、あまり車のこない時間帯とはいえ、車道のど真ん中に出てしまっているのだ。走行のための大事な機能が欠如している。歩道ならばまだいいだろうが。危険極まりない。24時間マラソンランナーが遮蔽物のない場所で睡眠中にも距離を稼ぎたいというのとは違いすぎる。とにかく、危険行為だ。パトカーに見つかったら即免停、いや取り消しであろう。寝袋免許なんてもんがあれば。ハンドルもアクセルもブレーキもなく、ただ直進するだけの物体に乗っている・・・
搭乗者というか、睡眠者になんと注意すればよいものか・・・・・
 
 
ぶぎゅる
 
 
ああ、轢かれてしまった。コンビニの配送車である。これで仕事終わりで営業所に戻って家に帰ってしこたま眠ろう、などと考えていた矢先のことである。直線コースであり、交差点の出会い頭で運が悪かったね、というパターンではない。目で最初に視認したときは白いゴミ袋かと思ったのだ。動いているから、ビニールかシュレッダー書類でも詰まった目方の軽いオフィスゴミが風で飛ばされたのかと。危険度低し。ハンドルはそのまま。こっちの風圧でどこかへ行くだろう、と判断力の低下といえばそうだが。まさか寝袋に入った人間が車道に転がっているなどとおめめばっちり開いてても考えないものだ。
 
 
ぶぎゅる
 
 
前輪で轢き後輪で轢く。風圧で飛ばす気でいたから、まったく速度は緩めてない。
アクセルから、座席から伝わる、伝わる「轢死の感触」。ブレーキはかなり遅い。
「やっちまった!!」
車に乗る者が一度や二度は必ず経験するあの、息を呑む瞬間。呑みっぱなし。
腰が砕けるあの瞬間。砕けっぱなし。目の前が不幸色に染まる、あの色を見る。
運転手・楼村(ろうそん)トイチは、免許証が赤い、血の冷汗流す幻想を見た。
行きすぎてから踏んだのだから衝撃はまるで減っていない。車体重量はまんまタイヤ下の物体に伝わりゴリグリ押し潰したはず。配達終了時で荷物がないのがわずかな救いか。
 
 
だが。轢く前に見てしまった。
あの白いゴミ袋には・・・・人間の、おそらく、女の子の、顔があった・・・・・
眠たげな、わずかに開いた瞼・・・・黒い瞳・・・・・なんでこんなところに・・・
マネキン人形・・・・ではありえない。確かに、人の表情があった。覚めるのが遅すぎる。
 
 
逃げるか・・・・・・ナンバーはばれてないよな・・・・・いや、でもこの配送車は目立ちすぎる・・・すぐにばれちまう・・・・・って、そんなことより救急車!!まだ間に合うかもしれないし!けけっけけけけけけけけけけ携帯携帯携帯!!いやまて、状況を確認する方が先か?目撃者に見られてねえかな・・・・誰かヘルプ!神様ヘルプ!助けてくれなきゃあの子と誰かがキス・・・じゃない、というか傷口をさすったり人工呼吸したりとか・・・それともこの車で病院まで運んじまうか?それで、そのまま冷凍庫の中に放り込んで証拠隠滅か?いや待てなにいってんだおりゃー。コンビニ配送運転手・楼村トイチは混乱の極みにあった。平常心はいいねえ。
 
 
こん、こん
 
 
その時、運転席の窓が軽く叩かれた。楼村トイチの心臓にはハンマーでの一撃に等しい。
ドラのように鳴る心臓。心臓ってドクドクだけでなく、バーンとも鳴るんだな・・・
 
白い繊手。そこからつながる白い、筒袖の長い幅広ゆったりとした中国服。手袋の代わりにもなる指先近くまで伸びる袖丈。その白さは寝袋と同質のもの。ボタン一つで寝袋にもなれば服にもなるという、昼夜関係ない便利服。
もちろん、そんなものは東急ハンズにいっても売ってないし、そんじょそこらで手に入る代物ではないし、並大抵の人間が覚悟も無しに普段着に着れるもんでもない。つまり。
 
 
筋金入りの怠惰者(なまけもの)にしかこの服に袖を通す資格はない。
 
 
白い、不純物が完全に排除されたような白さを持つ肌。手首には目玉を模した水晶数珠。
どんな顔をしているのか・・・・・恐ろしくて見れない。どんな恨み言を言われるのか、恐ろしくて耳を塞いでしまいたい・・・・だが、運転手は覚悟と諦めを決めてウインドウを下げる。謝ればいいのか・・・・・・いや、なにか肝心なことを忘れているような・・・・・・そうだ・・・・・・確かに、轢いたはず・・・・・・・なんで・・・・
なんで窓が叩ける?・・・・・・・歩いてこちらに来て、・・・・「生きてる?」・・・
生きてるわけない・・・たとえ生きてたとしても虫の息、ノックなどできるはずがない。
死人が甦って、轢いた当人であるところの自分をあの世にき引きずり込もうとしている・・・・・そう、そうに違いない・・・・!!!と、いうことはここは逃げの一手であり、まだ死にたくないので轢き逃げということになるが、逃げるしかない!!
 
 
ガチャガチャと慌てまくった操作でエンジンをかけ直す。アクセルを踏み急発進!!
 
だが・・・・・コンビニ配送車はピクリとも動かない。エンジンは周り、慌てまくってはいるが操作は間違っていない・・・ギアは確かに入っている・・・こんな状況でエンストで裏切ってくれる薄情な車体ではなかったわけだが、実際車は前進しない。動かない。
「なななななななななんでだよううううううううううううっっっっ!!」
逃げるのは恐怖を感じるためだが、それを封じられたとき、人は何を感じればいいのか。
涙と同時に鼻水がでた。おかあちゃーん!!
 
だから、運転手の彼はウインドウの方を、白い手がノックしたそちらを見るべきではなかった。だが、原因はそれしかない。逃げるならば、その点をなんとかせねば・・・・
 
 
つまみ上げている。
 
 
白い繊手が、ドアの縁をつまんで、車をわずかに地につかぬように浮かせている。
馬牧場を鋼の箱で包んだような機械は、まるで意味をなさなくなっている。
意味がないから、エンジンは”馬牧場を鋼の箱で包んだだけの代物”に成り下がる。
その白い手には魔法が籠もっているのか、鉄の車を紙風船のように扱う。
孔子様も語らない怪力乱神というのはこういう者のことをいうのか。
 
運転手の彼は気絶しようとした。それがいいかもしれない。物理的に逃亡が不可ならば、誰にも追いかけられない精神という内的宇宙に、ロケット発射(シュート)するしかない。
だが、そちらの発射には燃料管にヒビでもあったのか、打ち上げ失敗してしまった。
だから、運転手の彼の耳は聞いてしまった。
 
その白い唐唐人間が、女の声で「タイヤは大丈夫かな・・・ああ、これなら走行に支障はないね。無事に走れるね・・・・さすが日本製。いいタイヤだね」と自分の車のタイヤの心配をしてくれるのが。
 
 
もしや・・・・・いい死人?英語でいうと、グッ・ゾンビ?
 
悪人がくたばればもろに悪い死人になるだろう。だが、善人が亡くなった場合はどうなのか。あいにくと運転手の彼にそんな経験は、花畑間近の臨死体験も、なかったから不明だが。落ち着くには十分だった。タイヤの心配だけして、運転手の心配をしない、というのはタイヤフェチの超極悪人であろう。その可能性もなくはないのだが。ダイヤの為に人を殺す者はいるだろうが、死んでからタイヤの心配をしてくれるなんて・・・・ウルトラ善人に違いない・・・・・ああ、オレはそんないい人をやっちまったのか・・・日本の損失・・・いや、なんか外国の人っぽいから外国の損失か・・・・うう、罪悪感がレベルアップ。死人が力持ちとは知らなかったが、別に非力であると決まっていたわけでもない。
 
 
「あ、あの・・・・・・すいません、お墓はちゃんと造って毎年おはぎもってお参りにいきます。うちのお袋のつくるおはぎ美味しいんですよ・・・気に入ってもらえるかどうかわからないけど、き、きれいな花とかも枯らさないようにこまめに変えますから・・・・すいません、すいません、注意が足りませんでした。轢き殺してごめんなさい!!」
運転手の彼は車から降りると、相手の顔も見ずに土下座した。
 
 
「お顔をあげてください。猪突猛進な礼儀をする運転手の方。いえいえ、こちらも寝ぼけてしまって。故郷では馬車に轢かれるのも鼻のない象に踏まれるのも慣れてますし。
ここが馬より車の多い日本だということを身体が忘れていました」
 
 
配送車をつまみあげた、クレーンのような力のある指がそっと運転手の彼の手首に触れると、ふわっと心地よい飛翔感とともに身体が持ち上がった。自分の背に羽根が与えられた・・・快感さえ覚える誘導手であった。桁外れの腕力がそれの源。
 
 
「あの・・・・ご存命でいらっしゃる?」
意味は通るが、あまり正しくない日本語である。意訳すると”あんた生きてるの?”になる。そのびくびくした確認に、白い唐唐人間・・・・は、にっこりと微笑んだ。額のあたりに竜の爪でつけられたような傷があった。不思議にそれが人相を悪くすることはなく、なにか、高貴高位の椅子に座る資格を天から与えられた証明のように感じられた。
 
「はい」と、白い唐唐娘は答えた。人間はよく見てよく分類すれば、十代後半くらいの娘・・・少女とはいわせぬ風格があるが・・・・顔つきは確かに。眼鏡を、かけた。
そして、何より・・・・・髪が美しい・・・白い髪・・・これほど綺麗な髪は見たことがないし、これからもないであろう。これが人間の髪か・・・なにかそれより美しい、綺麗なものを鬘にしてそれをかぶっているのでは・・・・いや、それにしては髪は霊気に満ちて輝きすぎている。この髪でシャンプーやリンス、またはリンプーのCMに出ようものなら売り切れ店続出間違いなし。棚はその商品で独占され埋まるだろう。この髪で「わたしは石鹸で軽く水洗いのみです」などといおうものなら、シャンプーやリンス会社はぶっ潰れ、首をくくるしかあるまい。その後で石鹸が、我らの時代だ!と高笑いするのだ・・・
それくらい美しい。そして、絶妙、あまりにも絶妙なほのかぐあいでよい香りが。
香りは電波にならないが、デパートの香水販売の店頭販売の売り子などやらそうものなら、女たちの激甚な争い勃発、つかみ合いの奪い合いになるだろう。
我ながら、散文的だなー・・・・と運転手の彼は思った。妖精だの天使だの、というには中華的だしなあ・・・仙人の孫娘とか・・・・
 
 
「あの・・・とても頑丈でいらっしゃるんです、ね・・・・見かけによらず・・・どこか有名な女子プロレスラーとか・・・・・空手家とか・・・・万国びっくり・・」
人間大賞とか、と言いそうになったが、その白い唐唐人間は、すらり、としていて動きは素早そうだが、とても頑丈そうにはみえない。その無駄な脂肪のないスレンダーさは最上の舞手をおもわせる。
いい死人さんだから、こっちに気をつかってくれてるんじゃないか・・・・・運転手の彼の気がふたたび重く。明かされぬ謎はたやすく人の心の周辺に怪奇幻想を招き寄せる。
それを見て取ったらしい白い唐唐娘は、適当な言い訳をもってきた。
「実は、このスイッチ一つで寝袋にもなる服なんですが、たくさんの衝撃吸収素材が入っていまして、防弾チョッキを千倍くらい頑丈にして弾力性をもたせたようなもの、とお考えください、そのために大丈夫だったのです。私の発明した自慢の一品です」
 
「は、はあ・・・・・な。なるほど・・・・・それはすごいすばらしい」
なんでそんな服を着ているのか、という疑問はわいてこない。日常生活を保持しようとする精神が必死でブレーキをかける。これ以上深入りするんじゃない。戻れなくなるぞ。
 
 
ふつうの人間じゃ、ない。
 
 
目を見れば分かる。のぞき込むと、ごうっ、と音をたてて魂が引き込まれ、自分が馬鹿でかい城の広場で玉座を見上げて腕も千切れよと旗をふる住民になってしまうような・・ラストエンペラーの映画の中に入り込んでしまったかのような巨大な錯覚を覚える・・・・歳相応の娘などではありえない、なにか巨大な存在が娘の皮をかぶってそこに立っているような。配送車を指でつまみあげた。事実が事実。とはいえ、ぶぎゅると 轢いてしまった引け目があるのもまた事実。義理と人情、ではない、事実と事実のベアハッグ。
 
 
「ところで」
 
 
「は、はい」
 
 
「ここは、松代のどのあたりなのでしょう?」
白い唐唐娘がたずねた。
 
 
「い、いや・・・・ここは・・・・・第参新東京市ですけど・・・・」
頭で大日本地図帳を五秒ほど律儀に繰ってみてから運転手の彼は答えた。松代?
ここは松代ではない。
 
 
「・・・・松代、ではない?第参新東京市・・・・ほんとうですか・・・
さては・・・・暗の奴・・・・私が寝ている隙に移動したわね・・・・起動実験はさぼるしかないですか・・・・しょうがないなあ・・・・鼻羅もおいてけぼりにして」
白唐唐娘はひとりでぶつぶつと呟く。
 
 
 

 
 
 
「参号機と、フォースが、来る?」
 
葛城ミサトのその声は訝しさの煙で満ちており、戦力が増強されるという喜ばしさを見つけることが困難なほどだった。参号機、の箇所を使徒、に、フォース、の箇所にN2爆弾かかえて、のワードをはめ込んでも違和感がないほど。エヴァ四体をその直轄に組み入れた部隊の指揮をとるネルフ本部の作戦部長、おそらく世界を滅ぼせるほどの力を手に入れるその声に歓迎歓喜の意はない。重大な案件であろう、その情報の伝達があまりに唐突だったこともあるが。碇司令冬月副司令ともに本部を空けている。
 
 
赤木研究室。主の喫煙量が「あれ以来」、めっきり減ったのでどこか虚ろな空気は清浄。
それも、小声でぽそっと教える気があるのかないのか、それとも明瞭にそれを口にすれば何か取り返しのつかぬ不幸が起こるのだ、とでもいうように。
または、それに対してまったくもって興味がもてない、といわんばかりに。
完全に老け込んでしまった・・・・・金髪も艶が失せ、驚くほど白金に見える。
人琴の嘆、というやつだろうか。
 
「とうとう、というか、こんな時期に、というか・・・・・・」
第2支部と四号機の消失。この事件の直後、委細構わずに話が電撃的に決まった。
遠慮がないのか深謀があるのか・・・・このタイミングで渡してくるとは。ギルめ。
葛城ミサトのオーラは黒ずんでいる。が、赤木リツコ博士の漂泊具合はそれ以上。
霞むほどに。目をこらしていないとこっちまで消えてしまいそうで。
 
「そうね」
やる気のない返事。家族、というか義姉妹弟というか、とにかく一つ屋根の下同じ釜の飯を食べる関係が戻って、それを精一杯守り維持していこうとする友人に助力もする気無しの完全傍観者の声色。葛城ミサトの双肩には過重なプレッシャーがかかっている。通常の人間には耐えきれず捌き処理しきれない身体が二つか三つほしい類のプレッシャーである。こんなとき、軽口やからかいの言葉をかけて、この場しのぎの気晴らしの間をつくってやることも東方賢者には出来たが、やらなかったし、やれなかった。今までのように。
 
 
渚カヲルが消えたから、
物事は悪い方向にだけ進むようで
 
 
これから先が思いやられる。世界は、理性色をした白銀の灯火を失ってしまった。
吹き消されてしまった。
 
 
いつか、どこかで
 
 
生きてさえいれば、そういうこともある。それは慰めにすぎないが、あるのとないのとでは大きく異なる。闇夜と星空のように。だが、消えてしまった。
いい大人が子供を頼るな、と己に発破をかけるのだけれど、駄目なのだ。
どうにも力が湧いてこない。ミサトには同情する。わずかの間でも同居していた血の繋がりのない子供でもこれだ。自分のような冷静な女でも、そうなのだ。もし、ここに渚カヲルのクローンが、それが偽物、たとえば自分をなんらかの意図をもって始末しにきたような、不出来な偽物でも、同じ顔をして現れれば、自分はたぶん、躊躇せずに抱きしめる。
確信がある。自分を分析する自分は、それを制止出来ないことが分かる。
研究室の椅子にすわり、白衣をまとい、東方賢者の看板を背負った、ただの女。
正直、誰とも語らず、家の中に引きこもっていたいのだ。仕事で感情を誤魔化す?あれは嘘だろう。心に区切りがつかないのは、葬式がないせいだろうか。悲しいだけならまだいい。第二支部の消失の件で最も強く大きく心に渦巻いたのは、「呪い」。
非科学的感情。怒りでも恨みでもない、それを突き抜けた強烈な、呪い。
こんなものが自分の心的機構にあることに驚く。呪いとは、こう想うこと。
 
 
ああ、支部に生きる数千の人命と引き替えに、あの子を返して、と。
 
 
叫んでそれが叶うなら、発令所の真ん中だろうと人のゆく市街だろうと声の限りに叫ぶ。
非道と罵られようと発狂したかと嘲られようとかまわない。ただ、叫んでもなにもかわりはしないから、心の中にとどめておくだけ。非常識なのは自分でも弁えている。
だが、なんらかの作業行程のミスであの子が失われたのだとしたら・・・・
それとも「暴走」・・・・・あの子のミスで、数千の人命が消えてしまったのだとしたら
 
赤木リツコ博士は、現在の所、使い物にならない。
いってみれば洗濯機に放り込まれたヘドリアン女王みたいなもんだった。
 
 
だけれど・・・・・まだ、最後の希望はある。それは分かっているはず。
葛城ミサトは思う。
その最後の希望を持ちながらあのザマだ。その希望も消えて完全に絶望が始まればこの女どうなるのだろう?子供を誘拐された親のように打ちひしがれて・・・生死が不明の方がいいのか?
 
 
・・・人間のやらかせる最大の悪事は、最後の希望を吹き消すことに違いない。
 
 
”こういうこと”は、以前にもあった。
サードチルドレン・エヴァ初号機専属操縦者・碇シンジ。彼のケースが。初陣。
忘れもしない。忘れるわけがない。肝臓がえづくような苦渋の記憶。消失。心の古傷。
 
 
だけれど、彼は戻ってきた。
今回もそうでない保証など、なにもない。そう、なにもない・・・・・
ネルフ本部の全力をもって全世界を捜索にあたっている。そう、全力だ。
あの少年に恩を返せる時は今。天山に串刺しにされていようと雲を柩に閉じこめられていようと海の底に鎖に繋がれていようとこの世のどこかに留まる限り、必ず探してやる。
必ず、探し出してやる・・・・ネルフの人間の目は今、獲物を探す飢狼より鋭い。
なぜなら、生きる場所は異なっても、彼は彼等の一員であるから。今も。
べつだん神様でなくとも、迷える子羊・・・まあ大人より賢く弱々しくもないすごく優秀な子羊だが・・・を探すのはあたりまえのことだ。
子供がいなくなったしたら、探すのは大人の役目だ。
今のネルフはそういうわけで、特務機関の皮をかぶった田舎の村と化していた・・。
第二支部消失の後始末と同時進行なので、それは苦労二倍二倍、でジェーシー高見山を背負って金比羅階段を駆け上がるような激重労働であったが、彼等は耐える。それを可能にしたのは例の金貨の力である。本部内の渚カヲルと面識のあったかなりの人間がそのために金貨を使った。惜しくはない。やはり最後は経済力と体力がものをいう。
 
その中でもなまけている人間もいる。消えてしまった人間など探せるか、と。
絶対に領域内の仕事しかやらないやつ。それが赤木リツコ博士。
固まってしまって、蝋人形みたいなもんだ。希望に縋るのは愚か者のすることだからか?
 
 
ま、しょーがないわね
 
 
葛城ミサトはそう判断して、参号機とフォースに関する資料ファイルを借りて研究室を出た。かわいそうだと思う。友人として。いかんせん、こっちもまだ陸地にたどりついていない半溺れ状態で、引き上げてやる余裕はない。なんとか自力救済を祈るし、今やリツコなんかよりよっぽど強くなったマヤちゃんが頼りだ。たのんます社長。なにが冷静。情が、深いのだ。自分たちよりよっぽど。・・・・・かえって、あたしの方が薄情かもしんない。
だから、シンジ君に頼らないとアスカをどうにもできない。レイの視線がこのごろ少しちくっと注射針のように痛めなのだけど、かんべんして。
 
 
 
アスカはボロボロだ。使徒の返り血を浴びて浴びて、その両手を紅に染めて染めて
 
 
元来、エヴァもチルドレンも「あれほど」戦うようには出来てない。使徒の大量降臨を考慮したスペックにはなっていない。内蔵電源で五分、という機動時間を考えればわかる。あれはただ、無理に無理を無理矢理に通しただけのこと。七色に輝く光も、偉大な音楽もないけれど、力づくで発生させた奇跡。
その代償は誰がどのように払うのか。特に注意深くなくとも分かる。
アスカがその神経と精神をすり減らして払うのだ。その持ち出し分はかなりでかい。
多少の睡眠で補えるものかどうか。睡眠が精神と神経を雲のように編み出しているならよいのだが、アスカは悪夢にうなされていた。シンジ君のいない間中。
母親を呼び、ユイさんを呼び、わたしを呼び、そして最後に渚君とシンジ君を呼んだ。
どんな夢を見ているのかわかるはずもないが、おそらくは戦闘の夢、戦いの夢。
火の騎士も眠りの中では襲撃の炎に焼かれる王女になるのか、王国を守る最後の魔法のように騎士たちを呼ぶ。その名を呼べば、自分の役目はすんだとばかりに死んだように眠りにつくのだから、救いがない。まったくもって救いがない。最後の最後まで意地をはるから、安からに眠れるのはわずかな時間。どうせ夢なのだから、開始三十秒くらいで呼べばいいのだ。呼べないのなら、代わりに呼んであげる。ただし、こっちの世界で。
 
 
というわけで、シンジ君を呼び戻したわけなのだが、レイのその時の目が恨みがましそうだったのは気のせいだろうか。できれば気のせいであって欲しい。むりかな・・・。
とりあえずは、「いかないで・・・」とか、引き留められたりしなくてよかった・・・。
おそらくはその時は成功率80%を越えるだろう・・・よかった。
 
レイには酷なのだが、渚カヲル、第二支部の消失のことを伝えた。
碇司令、副司令経由で既に聞いているのかと思いきや、その表情のかすかな動揺を見るに、自分に任されていたらしい。くそ、それはサード、セカンドも同様ということ。
碇司令からサードチルドレン、碇シンジにそれが伝えられることはない、というわけだ。
部下共の”本部部外者・よそもの”渚カヲル捜索に黙認はしてくれているようだが・・・・
 
綾波レイに事実を伝えたのは、その群を抜いた精神安定度を信頼してのことだが・・・・
いや違う。さっさと三人全員に伝えるべきなのだ。起きた事実を。それをしないのは
ダメージの深さが予想されるからだ。深さは予想できるが、深度は予想できない。
「ああ、そうなんですか。残念です」では、すまない・・・・・・
アスカにとって、シンジ君にとって、渚君は・・・・・
いや、レイにとって彼の存在が軽かった、などという気はないのだけど。
人の心は、その人のもの。ダメージコントロールをする権限なぞ自分にあるのか。
遅くなればなるほど取り返しのつかぬ事になるか。どうせいずれわかることだ。
消えていたものがいずれ現れる・・・・・愚かな希望だろうか。縋っているだろうか。
 
 
それはともかく、葛城ミサトはここで一つミスを犯した。
 
綾波レイがかすか、とはいえ動揺を見せたことに対して、反応しきれなかったことだ。
それは心で緩和しきれなかった事件の衝撃の余波なのだと、それがかすかに表情をゆがませたのだと、レイだって人間だもの・・、と葛城ミサトが思っても無理はないが、実は違った。動揺を受けるほどの衝撃がありながら、なにごともないように、いつもの月の映った海のような表情に淡々と戻ってしまうのが、一番の異常なのだ。重力を狂わすような魔力を自分の心につかって、なんとか表面の平静を取り戻しただけで、心の奥では嵐が続く。
 
 
ようやく思い出した「あの薬の名」。
 
 
けれど、時既に遅し。レリエルはフィフス、彼を連れ去ってしまった。
間に合わず、何一つできなかった・・・・・。からくりは発動した。深い、悔恨がある。
「これで、負けたかも、しれない・・・・・」
 
葛城ミサトは見逃した。
 
自分の目の前に、ことの全てを知る人間がいるというのに
 
そして、その人間が底なしの責任感という怪物に関節技を極められて、心の棚をへし折られてしまい、その瞬間から、気を病んでしまったことを。たった一人で。
 
気晴らしをさせてやれそうな碇シンジも傍を離れてしまっている。
 
もともとは、惣流アスカの怒りから避難するため小賢しいほどの機敏さでさっさと夏熱風暴風領域から逃げ去った碇シンジであるから、それがおさまった過ぎ去ったとなれば戻るにやぶさかではなかった。まるで本宅と妾の家を行き来する社長的アクションであるが、もちろん本人に自覚はない。「五十年に一度の、かまいたちの夜」などとほざいていたのがその証拠。(懐かしゲームであるから、おそらく山岸マユミから借りたのであろう。本を好む綾波レイに取り入る?ためか、サウンドノベル系のゲームを一緒にやったりしていた)
これが葛城ミサトの耳に入れば、さすがに我慢できずに鎌で惨殺にされるであろう。
びゅうびゅうびゅうのぶうらぶうら ざんぶらぶんのぶん
 
しかし、台風などの自然現象は通り過ぎれば、急にバックギアをいれて戻ってくる、ということはないが、人間にはそれがあり得る。それとも、いったんは鎮火の方向に向かっていた火事が再び勢いを増してくる、ということか。とにかく、人間の感情はかなりなんでもアリであり、よほど悟った老人相手でなければ、絶対安全、などということはありえない。びゅうびゅうびゅうのぶうらぶうら、と戻ってきた碇シンジには惣流アスカの問答無用の怒りのガトリング・ハリピン三百発くらいかまされる恐れは十分にあった。
ただ、そうなれば碇シンジは再び、わりあい心地よい避難地、幽霊マンモス団地に戻ってしまうであろう。中学生であるが、碇シンジが社長的アクションをとらない保証はない。
碇司令もよく考えりゃあ厄介なものをくれやったもんだわ・・・・・ガトリング・ハリピンの場合は盾になろかね、この場合の同行した葛城ミサトはふうっと息をつき、ドアを開けた。気分は、独逸軍が迎え撃つ、連合軍のノルマンディ上陸作戦・・・
 
 
 
惣流アスカはリビングにいた。ポテトチップをかじっていた。
「あれ?帰ってきたんだ」
 
 
「うん、ただいま」
 
 
「おかえり・・・・お化け団地生活は楽しかった?」
 
 
 
 
・・・・・なんなんだ、その「間」は。あんたたち
 
夫婦喧嘩に負けて逃げていった夫の行き先、天気がいいからなじみの釣り堀、天気悪りゃパチンコ屋、をしっかり把握していて、ほとぼりがさめただろうと戻ってきたダンナにその釣果戦果を尋ねるようーな絶妙な「間」は。練られていて、みたらし団子のようなその空気は。
 
 
これがもうちょっと辛子がきいていれば、さながら自分と加持リョウジのやり取りなのだが葛城ミサトは気づいていない。子供は大人の真似をする。それも、すぐ身近の。
もうちょっと直接的に、加持リョウジが惣流アスカに入れ知恵をしたのかもしれないが。
その他に、洞木ヒカリたち友人たちの同年代意見や野散須夫妻の年寄り説教があった。
なるほど練られているわけだ。べつに葛城ミサト一人が心配しているわけでも、任せきりにしているわけでも、ないのだ。彼女のことを。
惣流アスカのダメージは特に内面に甚大なものがある。けれど、人間は内面だけで生きてるわけでもない。表面だって、きっちりと生かされている。内面のダメージが表面に警報のように表れるなら、表面を滑らかにやわらかにしていけば、いくばくかは内面も癒されることもあるだろう。
宗教でもあるまいに、内面を総ざらえして救うことなどそこらの凡人にはできない。
あいにくと、少女のまわりには凡人しかいなかったし。
 
 
また、元通りになった。鞘におさまる、というのはこういうことか。
 
どちらがどちらの鞘だったのか。収まってみると、ごく当然のような気がするが。
最早、小さな折り畳みナイフなどではない。彼女等の存在は長大な刃。その姿を世に曝すだけで気を乱す。剥き出しにするのは許されない。隠すため収めるための鞘がいるのだ。物騒な関係だが、まさに二人は。・・・・くそ、野散須親父の言うとおりか。
そして、刃は鞘の内でこそゆっくりと休むことが出来る。次の戦いに備えて。
戦いを、忘れることもできる。その日から惣流アスカの睡眠は爆眠になった。
 
 
碇シンジの眠りは、鬼眠である。幽霊マンモス団地にいた時とかわりなし。巫山の夢でもない。
一応、記しておくが、惣流アスカと碇シンジが同衾したわけでは、ない・・・・。
ついでに記しておくと、綾波レイと碇シンジが同衾したことも、ない・・・・・。
それじゃあ葛城ミサトと同衾したのか!大人しい顔しててめえ許さねえ!!・・・・ということも、無論、ない。のでご安心を。
 
 
だが、渚カヲルの消えたことを聞けば、”抜けぬ刀”になるのではないか・・・・。
”ただ”二人でいることだけを許されない。意味と意義を探ってしまう。
それはもはや家族とは、いえまい。自分が一番、道具視しているのかもしれない。
じゃあ、自分の役目は刀を磨き研ぐことか?錆びぬように折れぬように。
 
使徒が現れれば、あの子たちは戦う。疲労し血塗られた刀が引き出される。
頭数が増えることは、救いか。爆弾のように投げ込まれるフォースチルドレンと参号機。
 
なにが”実戦未投入”・・・・・起動実験を松代で行う?茶番もいいところだ。
ギルのマイスター・カウフマンの秘蔵っ子、黒羅羅・明暗・・・こいつは難しい。
あの使徒の大量降臨の一幕・・・鉾からの雷撃以前のあの映像を思い出す。あの力。
 
 
ファイルから指し抜かれる二枚の写真を見る。
そこには長く美しい白髪の第四類適格者と、長く美しい黒髪の第四類適格者が写っている。
白髪の方には「明」、と黒髪の方には「暗」とドイツ人の手によるわりには達筆の漢字が。
同じく、額に竜の爪でつけられたような傷跡があった。
 
 
「どちらが”偽物”・・・いや、”起爆スイッチ”か・・・・そんな心配までせにゃならんのか・・・・全くこの時期に・・・・厄介な」
葛城ミサトのため息が、決して身の程知らずの贅沢我が儘ではないことが、後で知れる。
ずいぶん急なスケジュールだが、松代まで出張だ・・・・フォースとはそこで合流、初顔合わせということになる。
今回は迎えに行く必要はないわけだ。未練げに消えた子供を捜すことへの嫌がらせかもしれない。この繰り上げは。予定されていたこととはいえ、この時期にやることはないだろうに・・・・・・一筋縄じゃいかない相手だ・・・気合いを入れ直さないと。ぱしぱし。「おまいさん、いってらっしゃい」「おう」とか、誰かに景気づけの火打ち石でも打ってもらいところだ。
 
 
、と思ったらライターをもった加持が現れた。まあ、これで手を打とう・・・・・
「アメリカ帰りの加持君、お願いがあるんだけど」
「すまん。土産を買う時間はなかったんだが・・・・、と、そんな様子でも無し、か・・・・・コード707を調べてみるんだな」
 
「・・・・・・・・・・・・・・・何言ってんの?」
「いや・・・・なんとなく、ね」
 

 
 
「おい、生きてんのか?それとも死にたいのか?
生きたいならニャーと鳴いてみろ」
 
 
国道。そろそろ通勤車が詰まりだし、学校に向かう子供らが道をゆく早くも遅くもない朝。
 
長い、長い黒髪の、高い立ち衿の黒い中国服の若者が死にかけの猫に呼びかけている。道路に直接、腹這いになり、顔を死にかけの猫に向けて。早朝のタクシーにはねられて気づかれることもなく、わずかに通る人間たちに避けられ避けられ、順当に死の道を下っている猫。もうとっくに引き返せない赤い領域まで来ていた。いまさら動物病院に連れていってももう遅い。
それが分かっているのか分からないのか、長い美しい黒髪をもつ若者は呼びかけたのだ。
声は純粋な問い。それだけが知りたい、と。他意はない。
 
「・・・・・みぅ・・」ねこはないた。
 
「じゃ、助けてやろう」黒髪の若者は一本毛を抜くと、気を注入してそれを針のように。
「動物の医者にいけば助かるだろう」猫の額に刺した。猫はいったん激しく振るえると、動かなくなった。立ち上がり、猫を片手で抱きあげると、黒髪の若者は歩き出した。血やはみ出し気味の臓物汁で衣服が汚れようと気にもかけていない。どころか。
 
ぺろぺろ・・・・ぺろぺろ・・・・裂けた傷を舐めはじめた。
医療技術などそれしか知らぬ獣がやるように。ぺろぺろ・・・・ぺろぺろ・・・
 
死にかけの猫なんぞに声をかけ助けようとするのも奇特だが、いくらなんでもそれは奇行奇人の部類に入る。早くも遅くもない朝のこと、人の目衆目にこと欠かない。しかも、黒髪の若者から放たれる圧倒的な存在感に撃たれて、そこから目が離せない。筋肉モリモリの巨体でもないそのしなやかな身体から、通常人の何十倍もの生命力が大河のように溢れてそこらへんを浸す。魂の床上浸水。すぐそこらまで、力がきている。
黒髪の若者の生命力を横綱クラスだとしたら、道をゆく通常人の生命力は紙相撲の力士くらいしかない。四股どころか、歩くだけでズンズン振動を感じるのは当たり前だった。
 
ぺろぺろ・・・・・ぺろぺろ、ぺろぺろ・・・・・ぺろぺろ・・・・・
 
「おまえは赤猫だな、たぶん」
 
舐めながら歩を進める。注目の的である。奇行の美、というものが目を奪う。
カリスマ、というのは簡単にいえば、何をやっても絵になる、ということだが、この黒髪の若者にはそれがあった。獣的な行動でありながら、それを涼やかにするものを備えていた。・・・・・・しばらく歩を進め、とまった。まだ動物病院の看板は見えない。
道が分からない、のではなかった。この黒髪の若者はここから最も近い動物病院への最短コースが分かっていた。その鼻が病んだ傷ついた獣群の匂いを確かに、嗅ぎつけていた。
それを辿ればいいのだから、道に迷いもしない。もし、道がないとしてもその足ならば、通った後に道が出来る。黒髪の若者はそんな魯迅先生的な足腰を持っていた。ただ、その道は誰もついてこれない険しい道だったが。
 
 
「ん?なんか忘れてたような・・・」
 
 
「まあいい。思い出しかけたってのに、思い出せないなら大したことじゃあねえだろう。
鼻羅は砂漠のど真ん中に置き去りにしても大丈夫な奴だしな。まずは、こいつを病院に連れていって、妹分と弟分の顔を見る、とこれでいいな・・・・よし!」
 
黒髪の若者はこれからの予定を再確認すると、また歩を進める。豹のように走り、サルのようにビルの谷間を渡ることもできたが、ねこの傷にさわるので雲を歩くように滑らかな歩法。まぎれもなく、達人の技であった。
 
 

 
 
鼻が、でかい・・・
 
 
葛城ミサトはそう思った。
 
 
松代のネルフ第2実験場で、初めて出会ったフォースチルドレンは鼻がでかかった。
 
 
と、いうか写真と違っていた。全然、まるで、完全に。多羅尾伴内でもここまでの変装は不可能だろう、というくらいに違う。そもそも身体のフォルムからして人類の規格に入れていいのかどうか分からない。ラーメンのドンブリ、あれを二つ閉じ合わせて球状にしたような感じ。そこから、グローブみたいにでかい手足と「鼻」をつけたような、なんとかロボとかいって縁日で売ってそうな子供むけ三百六十円くらいの玩具な体型だった。
まあ、強烈にデフォルメされている。このまま鼻塚、いやさ手塚赤塚作品に登場できる。
もちろん、着色、じゃない、着ているのは衿長袖長の中国服。赤地に金糸でドスコイパンダの刺繍がされている。そして、何より重要なのは、「黒聖杯」の符をさげていること。
ギルの紋章では、なく、だ。
 
「部風風風風風風・・・・・」
 
しかも鼻息で返事をしやがる。細い糸目からは何考えてんのかさっぱり分からないし。
それにしてもでかい鼻。お茶の水博士か、我王くらいある・・・いやもっとあるか。
 
マア、問題なのはそんなことではなく。
この鼻のでかいのはフォースチルドレンではなく、単なるお付きの者であるということ。
ちなみにギルの職員でも、なかった。隅の方へ追いやられている。
一応、この鼻のでかいお付きの者は先に現地に到着していたが、肝心要のフォースチルドレン、黒羅羅・明暗当人が、到着していない、ということだった。おまけに連絡もとれず、所在も知れないという。鼻息であらゆる異なる言語の者と意を通じる「鼻会話法」の達人は「鼻羅」と名乗った。鼻息で。まあ、世界は広い。いろんな芸の持ち主がいる。
べつに葛城ミサトは中国語がいけんわけではないのだが。
・・・面倒な者を連れてきたな・・・と思った。この鼻羅の力量のことではない。
その黒聖杯の符のことだ。フォース・チルドレン、黒羅羅・明暗は「ある教団」のトップに立つ存在なのだった。この歳であるから開祖、ではない、教主というような立場であるらしいが、詳しいことは分からない。資料にないのだ。赤木リツコ博士が手を抜いた、わけではなく、ギルから提出されたものは空欄で、こちらから調査しても「分からない」だけのこと。大陸は広い、そして深い。その大陸にけっこうな規模で浸透しているらしい。分かっているのは教団のシンボルが黒い聖杯で、そのトップが「黒基督」と呼ばれることだけ。宗教のことはよく分からない。ダライ・ラマのようなもんだろうか。とにかく、フォースチルドレンは何をどうやったのか、元々その教団の生まれだったのか、不明なのだが、とにかく、黒基督、その地位にいるのだ。つまりは、チルドレンにして教団トップ。
厄介な点、その一、である。
果たして、どう扱ってよいものか。同列に扱えば、すむ、というのは人間、宗教の恐ろしさを知らない奴のいうことである。これは未確認情報であるのだが、教団内で罪を犯したものは教主が直接、手を下すらしい。そうしないと死んだ魂は鬼となり、天国へ行くことができないと。・・・そういうことを日常茶飯事にやっている奴を部下にもつということはどういうことか。想像してみるといい。その教団の人間がお付きでついてきたりした日には・・・・葛城ミサトの渋り具合苦り具合が分かるであろう。
さらに、ギルではその扱いに厄介な注文、爆弾を扱う時のような警告書を添付してきた。
フォース、その人格の「爆発力」についての、脅しのようなものだった。
または「お前に果たして無事に使えるか」というギルからの挑戦状ともとれた。
とても、ほかのチルドレンにいえたようなものではない・・・アスカは知ってるかもしれないが。
厄介な点、その二、である。 
 
 
立場といい、類といい、これまでのどの子供とも違う・・・・フォース。
 
これまでは優等生良い子普通の子しかいないクラスに、よその学校から札つきの悪の不良がやってくることになった担任の気持ち・・・・・悩みを千倍ほど濃縮圧縮したようなもんであろうか。ある程度、覚悟を決めてきたはずだが・・・・・そいつがいない?
来て、ない?転校初日からサボりか、ええ、おい? ていうか、起動実験どうすんの。
参号機の方はとっくに到着して、十字架に磔にされたまま操縦者を待っているっつうのに。
 
「チャイニーズ・ジョークとかいうんじゃ、ありませんよね?」
いちおう、ひきつらない笑顔で、鼻でかに聞いてみた。他に護衛の者もいない。
貴重なチルドレンで、大切な教主なんでしょうに、こんなんでいいのか?
 
「部否否否否否・・・・・・・」やはり返答は鼻息で。
 
「この鼻っっ!・・・」
あんた達、何考えてんの、と怒鳴りつけてやろうかと背中に不動明王の炎を走らせた葛城ミサトを携帯の音が止めた。本部からだ。「はい葛城・・・・・・・ええっ?シンジ君が・・・・怪我あ?
学校に局地的地震が起きて花瓶が飛んできて?流血?・・・・ん、それで・・・・はい、はい・・・・はい?・・・・フォースがそっちにいる?なんで!?
まさか実験の日を忘れてました、なんてんじゃないでしょうねえ・・・・・ギロ、とお付きの者、というからにはマネージメントの責任もある鼻でかを睨みつける葛城ミサト。
 
「有得素素素素素素素素・・・・・」
そりゃありえますなあ、だと?鼻息なのに言いたいことが分かるのが余計に腹立つ。
異文化コムニケーションなんぞくそ食らえである。さもありなん、と全く動じた様子がない。
 
 

 
 
黒髪の若者が、ねこを動物病院に預けて、碇シンジや綾波レイ、惣流アスカの通う中学校までやってきた時にはすでに授業一時間目は始まっていた。
 
歳はともかく、その格好はもろに部外者のそれであり、教師でも生徒でもない人間が校門から内部に入ることは当然の事ながら禁止されており、エヴァのパイロットが通う、というその特殊な事情から、特務機関ネルフの警護が隠密になされていた。教師用の駐車スペースにはいつも数台、教師以外の乗用車が止まっている。司書や保険医、用務員の車、では無論ない。生徒を驚かさぬようにスモークシールドにしてあるが、その中には腕利きかつ強面の警護の人間が張り込んでいるのだった。おかげさんで、この中学校では包丁もった異常者が入り込む心配も、カメラ提げた痴漢が活動する隙もなかった。当然、裏手から入り込まれぬように、センサーやカメラなどが死角のないように見張っていたし、教職免許を持っている警護はなんと教鞭までとっていたりするから、その警備にぬかりはない・・・はずだった。
 
 
「見知らぬ黒服の子供が鉄棒のところで大車輪をやってるぞ!!ここから見える!!
お前ら寝ぼけてたのか!!」
教師役の警護から駐車している指揮車内に緊急連絡が入った時にはそりゃあ仰天した。
急いで警護班の主力は車を出て確認に校庭に走っていってみると・・・・確かに、いた。
 
 
黒い旋風、大車輪。その見事さに校内で授業中の生徒たちも気づきはじめている。
たまたまどこのクラスも体育の授業がなかったから良かった、というより発見が遅れた。
にしても、失態である。のんきに鉄棒なんかやっているが、これが銃器をもった刺客であったら・・・・面目丸潰れではすまない。切腹獄門さらし首ものである。
警備の接近に気づいたのか、黒服の子供は鉄棒から手を離し、大車輪を止めて月面宙返りに移行。あまりの高度と距離に、見とれてしまい、足が止まった。自分のクラスから見ていた生徒たちから歓声のような悲鳴のような声が上がった。確かに、これはオリンピックでも見られないほどの技。人間離れしている。なまじの筋力ではああは飛べまいし、着地の際に足を折るに決まっている。ふわり、と砂煙もあがらないほど柔らかく。降りた。
そして、さささーーーーとゴキブリのような素早さで、校舎反対側の陰に消えた。
 
 
顔つきはよく見えなかったが、とても長く美しい黒髪をもっている。
 
 
「なにあれ?誰?なんかこっちを見定めてるのに飽きて鉄棒始めたって感じだったけど、誰かの知り合いかなー?」
二年A組・・・碇シンジや綾波レイ、惣流アスカ、エヴァパイロットをここぞとばかりに集めたある意味、危険度の高いクラスである。ちゃっかしこのクラスに転校して、もはやすでにクラスの核となっていたりする霧島マナが明るくも鋭いことを碇シンジの方を向いて言った。霧島マナは学者の娘であるからかどうか、とにかく聡い。碇シンジより綾波レイ、そして惣流アスカの方に、因縁あり、と見抜いてしまった。この間、0,3秒。
 
「はー、背丈は低いけど、新しい体育のセンセと違うんか。あないに見事な技、よう決められへんで。はー、大したもんや。ムチャクチャ飛んだなあ」
「確実にメダル級だね。あれは。しまったなー、撮りそこなったよ」
授業にそれだけ身をいれてない証拠であるが、鈴原トウジ、相田ケンスケ、この二人が学校で一番早く鉄棒の異変に気づいた。黒服の長い髪のけったいな奴がじっと校舎を・・・こっちを見上げていることに。この距離でガンのタレ合いメンチの切り合いもないのだが、なんだか目が離せなく・・・・まあ、それだけ授業がいつものように退屈だったということだが・・・なり、じっとそっちを見ていた。鈴原トウジのそれに気づいた霧島マナが視線の先を追い、続いた三番目に。じっと観察してみた。鉄棒の上で、胡座をかいている・・・・まあ、とても素晴らしいバランス感覚の持ち主には違いない。
隣の席のシンジ君にもこの楽しげなことを教えてあげよう、としたのだが、授業を熱心に受けているので、その邪魔をするのもあれかな、と思いやめた。
自分でもすでに飽きてしまった担任の先生のセカンドインパクト以前の話、懐古談をこれだけ飽きもせず聴けるというのも、これまた素晴らしい・・・と思うし。記憶力に問題がなければ・・・うん、そうだね。
 
黒髪黒服が大車輪を始めるにいたってクラスの生徒の窓側移動がワーワー始まった。
担任も、それを咎め注意するでもなく「どれどれ・・・」と闖入者の演技を見物しているのだから。警備体制を知るが故ののんきさだが。
中には、その退屈な平和をやぶる楽しげな異常事に好奇興味を示さない者もいた。
綾波レイなどその最たる者だったが、警備の体制をこれまた知るが故に、その異常を確認する必要を考えて、校庭を見た。素性の分からない人間が、ここで鉄棒なんかやれるわけがないのだ。集団幻覚、という方がまだリアル。
好奇心との配分量が異なるが、同じようなことを考えて惣流アスカも夏の日差しに暑げな校庭に目をやった。ここで何かある、とすればそれは、その原因はまず自分たちに有ると思って間違いなし。だから・・・・・
 
 
蒼空に跳ね舞う黒髪
 
 
それを認めた瞬間、綾波レイの赤い瞳が、惣流アスカの青い瞳が、凍った。
 
 
「あ、ムーンサルトだ」碇シンジのその声で呪縛が解けるまで、自分たちが”何を”見ていたのか、頭が混乱し動きが停止していた。フォース・チルドレン、黒羅羅・明暗。
その存在、その名は二人の少女の過去の記憶を呼び覚ます。強制的に。
 
綾波レイは北欧行の霧の谷のあの出来事を。
惣流アスカは自分が育ったギルでの暮らしを。
 
その時、深く彼女たちの瞳を覗き込めば、過去が見えたかも知れない。
「なぜ・・・・・」
「なんで・・・・・」
 
 
その時。
 
 
ズシン・・・・ダシンッ
 
 
強烈な縦揺れ横揺れがたて続けに来た。「地震か!?」誰かが慌てて叫んだが、それは正解でもあり誤解でもある。なぜなら、学校校舎2年A組だけが揺れたそれは自然現象ではなく、人為的なものだったから。鉄棒での観察、演技を終えて校舎の陰に走っていった黒髪黒服のフォースチルドレン、黒羅羅・明暗が土を撃して発生させたものだから。
どうやったのかは分からない。不明である。爆弾でも携帯していたのか・・まさか人間の身で徒手空拳ということはあるまい。それに、その選択性の都合の良さは・・・他のどのクラスも微動だにしなかったというのに
 
 
横揺れのパワーが教室に飾ってあった花瓶を吹っ飛ばした。こまめな委員長のおかげで水は涸れることなくしっかりはいっており、けっこう重たい。それが、飛んだ。
ちょうどその直線上に霧島マナがいた。そのままいけば、頭にぶつかる・・・・。
そこに邪魔者の頭が割って入った。碇シンジの頭である。
 
 
ガバリン!!
 
 
ガッとぶつかってバリンと割れればこんな音がする。幸い、割れたのは花瓶であり、碇シンジの頭ではなかった。逆であったらかなりスプラッタな事になっていた。だが、花瓶の方もけっこう硬くしぶとかったのか、碇シンジの流血を割壊の代償とした。即座に気絶したため、碇シンジが意識的にやったのか、それともたまたまだったのかは分からない。
だが、ちょっとした騒ぎになった。なんせ碇シンジはエヴァのパイロットなのである。
「もしかして碇君、死んじゃった?!」と思って泣き出す女子生徒もいたし、「おいシンジ、しっかりせえ!傷は浅いで」「・・ってびんたはなしだぞ。トウジ」「目を覚ませえ!」「・・・って揺さぶるのなしだっての!頭なんだぞ」「邪魔!鈴原!大きな破片を片づけるからどきなさい」
「えー、担架担架・・・この間習ったよな。作り方・・・面倒だ!両手足もって運ぶか」
「誰か・・・・保険の先生を・・・いや、救急車、呼んで・・・」一歩間違えば花瓶の直撃を自分が受けていた霧島マナの顔は青い。それでも、仕切る。無茶な男子は御神輿のようにして怪我人を持っていこうとするし、女子は委員長洞木ヒカリを除いてまともに動けないし担任がまだ状況をとらえきってないのだからしょうがない。
 
「みんなー!余震がくるかもしれないから気をつけて・・・・」
霧島マナの言いかけた注意も途中で消える。隣の教室から様子を伺いにきた教師や生徒の表情を見れば、どうもこちらと同様のダメージを受けたふうでもない、のだ。
そのちょっとした混乱の中、綾波レイと惣流アスカの姿がないことにも気づいた。
 
碇シンジの怪我を一瞥し命に別状がないことを確認し、即座に反撃に向かったのだ。
正確には、すぐに教室の外へ移動、珍しく駆けだした綾波レイの跡を、惣流アスカが追う、ということなのだが。
 
「あなたは・・・・碇君のそばに」
「冗談じゃないわよ!いきなり・・・・・こんな、こんな・・・こんな喧嘩の売られ方して黙って・・・・られるもんか」
「?・・・・・」
 
もちろん、普段ひそかに訓練を重ねている惣流アスカがこれっぽち駆けて息がきれるわけがない。噴き上がる感情を抑えきれず・・・・泣かされた子供のような・・・激しく怒りつつ、激しく恐怖しているような・・・いじめっ子に無理矢理立ち向かう、そうせざるを得ないいじめられっ子のような・・・なんともいえん歯切れの悪さ。
らしくもない。足手まといになるから、戻っていた方がいい。綾波レイはそう判断したが、口で言ってもわからないだろうし、力でそれを強制するのも時間の無駄。
自分たちの教室だけを襲った地震・・・・・あれがフォースチルドレン、北欧行で出会った参号機の操縦者ならば、それくらいのことはやるだろう。驚くにあたらない。
おそらく、あれはノックのようなもので、自分たちに、出てこい、と告げているのだ。
 
ただ、目的が分からない。
まさかただ単に会いにきただけ、顔見にきただけ、ということはないだろう。
それに大体・・・・今日のスケジュールでは松代で・・・参号機の機動実験があったはず。フォースは参号機の専属操縦者で、参号機はフォース・黒羅羅・明暗に合わせてチューン、カスタム化されている。どこか初号機にも似た個人機体。それを放っておいてこんな所で一体何をしているの・・・何を考えているのか・・・・・分からない・・・
よく似た、別人なのか・・・けれど、あの黒髪は・・・あれほどの黒髪は他に・・・・
気配・・・何より心のカタチが同じなのに。まさか、エヴァのパイロットが・・・実験を「サボる」など・・・ありえない。まさか・・
 
 
 
「あれ?出てきたのはあなたたちだけ?」
 
後ろの窓からふいに声がした。声の主は中庭に。
急速停止して振り向く綾波レイと惣流アスカ。完全にふいをつかれた。これで相手に悪意があれば、首を狩られている。白い指が、窓枠をつまんだ、と思ったら、するり、と白い長髪に白い立て衿袖長の服の眼鏡娘が二人の目の前に立っていた。背がすらりと高く、胸には鶏頭肉(ふくらみ・乳房の中華的美称)。知らず、圧倒され、一二歩さがる。こと戦闘力で言えば、綾波レイ、惣流アスカ二人を足して掛け算しても及ばない、世界で一番強い人間・フォースチルドレン、黒羅羅・明暗がそこにいた。
 
 
「・・・・・・あなた、誰」綾波レイが問う。自分たちの、自分が追ったのは黒髪の。
そして、今、目の前にいるのは白髪の。黒と白。あまりにも反対すぎる。だけれど、目に頼らない、綾波の感覚が告げる。土を撃して自分たちに呼びかけたのはこの者なのだと。
 
 
「”明”・・・・・」惣流アスカは知っている。黒髪と白髪のからくりを。その正体を。
 
 
「”わたし”とは初めてだよね。霧の谷では”暗”が出てたから。
はじめまして、綾波レイ。第四類適格者・黒羅羅・明暗だよ。改めてよろしくね」