夏夜でも一般宅よりは多少は涼しい、幽霊マンモス団地。その綾波レイの部屋。
 
 
ふう・・・・・
 
 
一枚の写真を見ながら、綾波レイがため息をつく。しんこうべ経由で送られてきたネルフの、何者の検閲調査を受けていない米国からの純粋封書にはノノカン(ソースのひと)、の名があり、その中に一枚の写真が入っていた。文面はない。
どこぞの砂漠・・・おそらくは第2支部のあるネバダか・・・の、空に輝く一体の天使。
 
 
白銀の。翼をもつ。
 
エヴァ四号機。
 
 
よく撮影出来たものだ。未来視・・・・出現時間と場所が予め分かっていたとしても。
第2支部がどうなろうと渚カヲルが死んでなどないことは分かっている。
ただ、自分たちのいるところから離れ、去ってしまってだけのこと。
赤木博士にこの事実を知らせればどうなるか・・・・・この現実を。
この写真を見せれば、他の人間も納得はするだろう。渚カヲルの「生存」を。
あの薬を飲んだ以上、渚カヲルはもはや”人”ではない。隔絶された存在になった。
人でなくなれば、エヴァも使徒もネルフも世界も未来もどうでもよくなるのだろうか。
自分たちのことを覚えているかどうかさえ、あやうい。
 
 
敵に、なるのか・・・・・・彼が・・・・・
 
 
思い返せば、もしかしたら、彼も自分に対してそのように考えていたかもしれない。
レリエルと多少の接触があったなら、そこから情報も伝わるだろう。
自分は力を失った。死の淵へ滑落するのを防ぐほどの力だ。しんこうべで得た能力はあくまで人の技であり、死にかけの自分を引き上げ救うほどのものではない。
 
 
考えねばならない。
 
 
この先、どうするか。この事実をどう伝えるか。写真の送り主は語らずに、光景のみを送ってきた。預言者、というか、この場合は、預絵者か・・・・綾波レイは考える。
考えてもどうしようもない、と分かり切っているのに考えねばならない。
自分に不向きなことを、自分一人でやらねばならない。元来は、碇シンジの仕事である。順当にいって。そのポジションからして。男だし。任せてほうってしまえばいいのである。
 
が、綾波レイはそれができない。その姿はまさに責任感の国の第一王女様であり、万民の感涙を誘うのだが、いかんせんそんなことは誰も知らないので誰も同情しないし泣きもしない。ようやく、半使徒の身体の悩みから解放された、と思ったらこれである。
 
その秘密さえ打ち明けた碇シンジに、もういっぺん話してみる、という手段もある。
 
が、出来なかった。渚カヲルが碇シンジの心にどれほどの領域を占めているのか、分からないからだ。惣流アスカは言うに及ばず、外面はあれだけれど、その信頼の根は深く友情の枝葉は広く。
絶不調の折の、それとなしの心遣いに恩義を感じている節もある。それを剪定してやるのは、気がすすまなかった。
 
 
ともだちが、しんだ、というのと、
 
 
てきにまわりました、というのは
 
 
どちらがいいのか。
 
 
綾波レイは考える。考えてもしかたのないことを考える。風を送って湯をわかそうというような無駄な思考。葛城ミサトあたりにまかせてしまえばいいのだ。仕事なのだし。
けれど・・・・気になる。考えずにいられない。一人になってしまって、時間はある。
使徒とは何か、渚カヲルはどこへ行こうとしているのか、等を考えるのは有効かつ有益な思考である。結局のところ、他人の心は、他人のもので自分がどうかしてやれるわけではないので、「心配」などするだけ無駄なのであるが・・・・必要なものだけを持つか、その他余計なものも担ぐか・・・・人間の顔にはそれが表れる。それを福という。
鈴原トウジたちが見れば、たしかにそれが分かっただろう。珍しいな・・・と好意的な驚きをしながら。
強ければものを感じないが、弱くなれば多くのものを感じる。その意味で綾波レイは弱くなった。気を張っていれば外敵を跳ね返すが、気を緩ませればするっと内懐に入るものがある。それは、青い鳥であったり、場合によっちゃあ病気であったりする。
考えすぎて知恵熱がでた、ともいえる。煮詰まって泡がたまった、ともいえる。
責任感で自縄自縛のグルグル巻き、ともいえる。綾波レイも苦労が多い。
 
なぜ、わたしがこんなことをかんがえているの・・・と思わないでもない。
 
しかし、綾波レイはなんとか解決策を見つけだした。
考えて結論を出さないのは卑怯だから。
その解決策は、とりあえず写真はあるので、それを見せて覚悟を決める・・・
腹”は”くくらせておこう、というものであった。なんだか売り出し中の武将の妻っぽい。
ノノカンはそれを見通していたのかどうか。
 
 
だが、今日のことまでは見通せなかったに違いない。
碇シンジが飛来する花瓶の直撃を受けて気絶した、などと。大事をとって入院したなど。
 
 
その犯人である黒羅羅・明暗が「せっかく先に”生身で”話をしに来たんだがなあ・・・・じゃ、また後でな!」と意味深なことを言ってとっとと姿をくらましてしまったことなど。
一体全体、なにしに来たのやら・・・・「参号機はどうしたの」と問うたとたんに首をひねって表情を変えたような・・・・「あ、そうだったな。それがあったんだったな・・・ま、それどこじゃなくなったしな」そこから駆けだしたのだ。
 
「ああ、そういやあ動物病院に赤猫を診せてあるから、金はらっといてくれ。頼んだぞ」
人に命令しなれた者特有のくったくのなさで。しかも野生児の機動力があるから反撃の暇がない。やりたいことだけやっていってしまうのはまさしく獣のそれである。
人語をしゃべる虎と出会ったのとさして変わらない。それに赤猫って、なに?
フォースチルドレン・黒羅羅・明暗。消えてしまったフィフスの代わり。
このことについても考えなければならない・・・・まるで、部隊長リーダーのように。
 
自分がリーダー・・・・その考えに、ほろ苦笑してしまう綾波レイ。
面白くもなんともない、「あの時」、惣流アスカが出張るところか、一歩退いたような反応をしめすからこんなことを考えるのだ。ギルの同期生であろうに、なにを怖がっているのか・・・・
 
その気はなかった、とはいえ碇君に怪我をさせているのだ。第二次保護者を任じているふうの彼女はああも大人しくしているとは・・・・間合いを計っているような・・・
下手に接近すれば、爆弾が爆発する、とでもいわんばかりの腰の引けよう
 
黒羅羅の方はあけっぴろげで構えたところがないのに。なにかがあったのか・・・・
昔、独逸で。
 
・・・・・危険性があるなら、調べてみよう。自分の領域はあいもかわらず、他人とは違っている。他の人とのかかわり、そして使徒とのかかわりにおいても。
命令されたことを処理するだけではすまなくなった。自分で考えて推理して行動せねば。
真実はたったひとつ。それにたったひとりで立ち向かうのは、つかれるけれど。
間違いなく、今夜の綾波レイの精神は、ヒーローの裏舞台にあった。
 
 
写真から、一枚の紙切れに視線をうつす。・・・・・・・領収書。動物病院の。
律儀な綾波レイは、頼まれたとおりに動物病院に支払に行ったのだ。
”あの”碇シンジが花瓶にやられて今際の際、なんてことはないだろうし。
「そんなのほっとけばいいのよ」と惣流アスカには言われたが、いちおう、北欧行での霧の谷で救われた恩義がある。あの時、レリエルに助力を乞うていたならどうなったか。
交換条件として「あの薬」を呑まされただろうか。、にしても・・・・・
 
 
けっこう、とられた・・・・あの包帯でグルグルされた猫は重傷だったようだ
車にはねられたようだ、と動物のお医者さんは言っていた。なんでこれで助かったのかも不思議だ、とも。出来れば、猫が退院出来るときにでもあの黒髪の元気のいいお姉さんをもう一度連れてきて欲しい、とも。お姉さん?と問い返すと「え、妹さんじゃないのかい?そういっていたけど」と聞き返された。まあ、赤の他人が代理でお金を払いにくるわけもないから・・・・青の他人が払いにきたのだ。面倒なので、とくに訂正はしなかった。
 
妹か・・・・・
 
 

 
 
 
「ほんと、まいったわね・・・・・」
松代から戻った葛城ミサトの第一声がこれ。急な出張、急な戻り。結局、参号機の起動実験は中止。肝心のフォースチルドレンがいないのだから、しかたがない。
確かに茶番といえるし儀式のような、実効を伴わない実験ではあったのだが、それでもいくらなんでも、「サボり」など許されるわけもない。まったくもって何を考えてんだ!!
あの鼻のやつにイヤミを雨アラレと降らしてやったが、カエルのツラになんとやらだ。
おまけに、サードチルドレン、碇シンジが飛んだ花瓶に頭を割られて入院、ときた。
命に別状もなく大したことはないようだが場所が頭だ。いちおう、脳波の検査やらがある。これで記憶喪失やら視界反転やらになったら怒る。原因を聞けば、これもまたフォースの仕業だという・・・・なめとんか。
 
 
とにかく、シンジ君の入院した病院に直行。実験中止の後始末は日向君に一任する。
先に仕事場に戻るのがスジだが、その前にやっておくこと、いっておくことがある。
 
なんのつもりか、アスカからの連絡によるとフォースがシンジ君の病室の前に居座っているのだという。反省しているつもりなのか・・・・なんでもいいが、ガツン、と一発極めてやる。とにかく、ここはてめえが一番えらい教団内じゃないことを教えこんでやる!
なんだかんだいいつつ、今までのチルドレンは皆、従順だったのだ・・・・良い子すぎたのだ。そのツケがまわってきたのだろう、と考えることもできるが・・・・
ゆるせんもんはゆるせんのじゃい!!とにかく、すいません、と頭をさげて謝らす!!!
 
 
かつかつかつかつかつかつかつかつかつかつ!!
 
 
鋼鉄のキック板を仕込んでいるわけでもないのにすげえ気合いの入った靴音を院内に響かす葛城ミサト。そのハクリキに通りすがる看護婦も医師も注意できない。ぴーこわすぎ。
 
 
碇シンジの病室の前。つまりは、エヴァのパイロット・サードチルドレンの病室で、その健康状態はネルフの機密といっていい、相応のセキュリティがある本部の病院。
そこに、だ。まだカードその他、身分証を与えられていないギルのフォースチルドレンがなんでぬけぬけと居座って、というか入ってこれたのか。それをいうなら学校もだが。
警護の者が怠けている・・・・のでなければ・・・・これはとんでもない話だ。
それとも、フォースチルドレンには、周囲の人間に木靴をはかせる・・・「サボらす」特殊能力でもあるというのか。
そうでも、ないらしい。証拠に病室の前には黒服のいかにもガード、という脇の下が銃器で膨らんだ猛者猛者な目つきの鋭い人たちが、白い塊・・・巨大な白唐唐を囲んでいる。組み合わせの落差が悪いけど笑いを誘う。ガードの人間が玉の汗を浮かべるくらい真剣なだけに。
葛城ミサトの到着に、プロのくせにあからさまに、ホッとした顔を見せる。そんなにキツい任務だったのか?この白い唐唐を見張るのが・・・・・たえまなくどぎつい殺気が放出されているとか実は人間ダイナマイトとか。・・・・ま、取り扱いには細心の注意を要するけど。白い髪・・・・・こっちが「明」か・・・・寝袋で寝ているらしい・・・・
 
「あとはいいわ。さがって」
逃げ出した虎を遠巻きに監視していたところにやっと現れた猛獣使いをみるようなありがたーい顔をしてガードの者は消えた。そりゃ確かに扱いに困るだろうけどさ
 
「やれやれ・・・・・とりあえず、起きなさい、黒羅羅・明暗」
ゆさゆさ、と寝袋を揺する葛城ミサト。スキだらけ、のように見える。
 
「ふあ・・・・・」
寝起きは悪くないらしい。寝袋から服に戻すと、黒羅羅・明暗は眼鏡をかけて葛城ミサトを見た。するり、と音もなく立ち上がる。静かな竜巻のように。そして、拝礼。
 
 
「はじめまして。葛城三佐・・・・わたしは」
 
人間関係はまず、第一印象が大切だ。だが、会う前の、事前の印象というのも大事だ。
フォースチルドレン黒羅羅・明暗は本日の起動実験をなんの連絡もなしに、「サボり」。
サードチルドレン、碇シンジに怪我を負わせた・・・。マイスターカウフマンの秘蔵子だろうと教団の教主様だろうと営倉にぶちこまれても文句はいえない。こんなことを碇司令に知れた日には・・・・いや、逆にギルとも関係もある、かえって流してしまうかもしれない・・・・この人生の反則行為、見て見ぬ振りをするかどうか・・・・
 
 
葛城ミサトの腕が閃いた。
 
 
「ギルから参りました、フォースチルドレン、黒羅羅・明暗です。マイスター・カウフマンの命により、ネルフへの人質の任、承りました。よろしくお願いいたします」
 
葛城ミサトの手は黒羅羅・明暗の頬で停止していた。かなり本気の力をこめた痛撃(ビンタ)だったはずだが、その衝撃を完全に吸収されていた。音もしない。葛城ミサトはかつて触ったことのない奇妙な感触を掌に感じておののいた。ゴムのようなゼリーのようなおかちんのような、とにかく奇妙な感触だ。
うぞぞっと、腹の底からふいに「くいちぎってみたい・・・」と信じられないほど原始的な欲求がもたげてくる・・・・あたしゃ変態か!?いや、それよか今、この子なんつった?
 
「ああ、わたしの発明した衝撃吸収化粧を薄く施してありますのでそれで大丈夫・・・・、と、いえ、これからは貴女の指揮下に入るのですから虚偽はいけませんね・・・多少の生体データはギルの方から届いているとは思いますが補足させていただきます。わたし、”明”の方には一切の攻撃が通じませんので・・・”暗”の方は100%の確率でカウンターを発動させますので、体罰を与えたい時は先にお申し出下さい。甘んじてお受けしますが、ふいになされた時、つい、反撃してしまうことが・・・”暗”の場合は特に・・・ありますので・・・・ネルフ本部に入城した折には、特製の手錠がありますのでそれをかけてやってください・・・・どうされました?」
 
 
「い、いや・・・・・あなた、ゴムゴムの実でも食べたの?」
思わず日向マコトのようなことを言ってしまう葛城ミサト。
「あ・・・・・そ、それより、その”人質”ってどういうことよ」
ひとじちがわるい、ではなく、ひとぎきがわるい。
 
「言葉通りの意味です。ギルガメッシュ機関はネルフの軍門に下る、ということです。そのための証として、マイスター・カウフマンの最高傑作であるわたしたちが使わされたのですよ・・・・・使徒の大量降臨の撃退、そして、第2支部と四号機の消滅・・・・この現状で身を寄せるに最適は、ここ東方の島国にある特務機関ネルフが・・・最も相応しいと判断されたようです。他にも、わたしたちが米国に赴任したくなかった、ということと、カスタム化された参号機を整備する技術力に対する安心度が最も高いのがここだ、ということと、カッパラル・マ・ギアの他にここほど存分に使徒と戦えそうな場所がないから、ということもありますけれど」
 
人質か・・・・・ものはいいようだ。
 
「なんかなー、韓信の股くぐりって感じがするけどね。それから、天気がヤバイからとりあえずの雨除け弾避けって感じもするわね。流血沙汰は人ン家の庭でやれってか・・・・つまり、日本に、ネルフに来たのは、あなたの・・・あなたたちの希望でもあったわけね」
 
「参号機は一度、爆砕されてますからね・・・・・二度はご免です」
確かに、こんな荒れた状況下では、エヴァが喉から手がでるほど欲しい組織はいくらもあろう。特に格闘戦最強を謳われた参号機は引く手あまたに違いない。パワーバランス論もけっこうであるが、戦力は集中しておかないと意味はない。相手は、使徒なのだ。
小耳に挟んだ話であるが、渚カヲルと四号機が消えたことで、彼等が指揮を執る実験場が閉鎖され、そこから生まれていた成果の分配でいろいろと血生臭い事件が起こったとか。リツコを陰鬱にさせる出来事の一つだ。あの少年がいなくなってあちこちで流れに乱れが起き始めている。まるで、小さな柱を一つ抜くだけで崩れ落ちる古代神殿のように。
参号機を巡っても、どんなえげつない陰謀があるか分かったもんではない。神様でもあるまいに、それを全て見抜き防ぐことなど不可能。そしてギルにはそこまでの力はない。
加持にちょこっと聞いた話によると、その参号機爆砕の事件の原因は参号機から「使徒のパターン反応」が出た、というそんなトンデモ話まで真剣な顔で飛び交っている・・・・それっくらいややっこしい状況になっているという。確かにエヴァの力は魅力極まる。
ネルフでも四号機の件といい、やられたことはあったが、まだなまぬるいといえる。八号機の件も考えてみればあれはあれで無茶な話だ。それが得体の知れぬ至高の権力でごり押しされる・・・・
碇司令という壁がなければ・・・・ほんと、ネルフは変わっている。
それならば状況が一段落、見極めがつくまではやばいものはやばいところへ。火薬庫をもって毒を制す・・・・ネルフへ丸ごと放って・・・人質のように・・・・しまうのは、なかなか出来るこっちゃないが、それはそれで判断かもしれない。碇司令とどんな話がついているのかは分からないが。ユイさんが帰ったからといって、寄りに寄り切られるようなタマじゃあない。
 
そして、何より・・・・写真なんぞでは、うかがいしれない、その瞳。
ここほど存分に戦えそうな場所はほかにはない・・・・・そう言った口。
なんという好戦的な輝き。三度の飯より喧嘩好き、というアレだ。
”明”のほうは理知的で温厚だと資料にはあった。それでいて、これだ。
もしや、先の使徒の大量降臨・・・・あれがあったから日本に来る気になったんじゃないのか・・・・・そう思わせるに十分な、闘志がオーラとなって立ち上っている。
 
 
危険・・・・・
その意気やよし、などとのんびり喜んでいられないほどの危険を感じる。
侍映画などである、人を斬れず血を吸えない妖刀は持ち主の血を吸う、といったような、使徒が現れずにヒマこいていると、その腹いせに同じエヴァに挑んで戦いを始めそうな、風雲を体内に秘めている・・・・物騒。同じチルドレンとのチームプレー、これでシンジ君やレイ、アスカと一緒にやっていけるのか?強いことは強いんだろうが、それを求められる局面もある、というか、ほとんどのケースで絶対に求められる。使徒一体でエヴァ四体でタコ殴りできるようなおいしい戦闘ケースはすでにネルフ本部ではお払い箱にいれられる。マギの初回戦闘予測も、もはや多対多、をベースに移行済みである。スタッフの方の気合いも頭もそうなっている。
・・・・頼りがいはあるよ、ウチは。確かに。自信もっていえる。
 
 
「で、明暗、あなたはここでなにしてたわけ」
 
 
「寝てました」、という答なら合格点ギリギリかもしれない。対シンジ君には。
 
「あ、”暗”から説明したいそうです。すみませんが、葛城さん後ろを向いていてください」つい、とそう言って指をのばすと葛城ミサトの顎先を後ろにむける。簡単な動作だが逆らえず子供のように後ろ向きにされる。体術の腕前は天と地の差がある。そのまま回転。くるり、と元の正面に戻った時には、葛城ミサトの目の前には黒髪の子供が立っていた。服まで黒い。変わり身というか、とんでもない速さだ。キューティーハニーより速い、と日向君なら言うだろう。今月の給料をストップウォッチの詰め合わせに変更されても。
 
「一応、お初だから挨拶しとくか。フォースチルドレン、黒羅羅・明暗。よろしくなっ、葛城将軍」黒髪の”暗”は拳礼を行った。「で、オレたちがここでなにをしてるかというと・・・」
 
「ちょい待ち。葛城将軍ってなによ。将軍って」
 
「オレたちが来たからには、そらもう万の軍勢を率いるようなもんだからな。ただの国際公務員でいてもらっては気合い的に困るわけだ。手下の戦意もあがらねえ・・・そういう意味で敬意を示しているわけなのさ。敬意を」
 
「冗談じゃないわよ。気持ちだけ有り難くもらっておくわ。特務機関で”将軍”、なんてってたら単なるアホじゃないの。時代錯誤もハナハダ丸。逆に気合いがぬけるわよ」
 
「そういや、そうだな。それじゃ、葛城の大姉貴、ということにしておくか。」
 
「あんたね・・・・・日本になにしにきたのよ・・・・」
なれなれしい、と言うかなんというか、初対面でそれではケジメってもんがつかない。
だいたい、ここに来たのはそれをつけてやりにきたのだ。説教しにきたのだ。怒りにきたのだ。日本の礼儀を叩き込んでやりにきたのだ。たく、二重人格め・・・・・
 
 
「あんたたちと兄弟になりにきたに決まってんだろ?」
ふいに、真剣な目でそう言われて葛城ミサトの動きが止まった。気合いに圧倒されたのだ。
本気で、こいつはそんなこと考えてる・・・のが分かった。その言葉には血の熱さがある。
 
 
「そうさ。兄弟や仲間や親戚は多ければ多いほどいい。108人なんてケチはいわねえ。
なりたい奴、なってほしい奴、縁があって会えた奴、拳で語ればなんとか分かる奴、なかなか本拠地の天京以外のところには腰が落ち着けねえ身じゃあるが、いつもオレはそう思ってる。」
 
 
「そ、そりゃあ、いいことだけんども・・・・」なぜか、なまる葛城ミサト。
く、なぜこの起動試験サボり、シンジ君に怪我させた犯人に気合い負けせにゃならんのだ。
反撃せねば・・・・姉貴の威厳が・・・・って、術中にはまってんじゃないの。
 
 
「それでも、同じエヴァを駆れる連中ってのは特別目をかけていたのさ。まー、なんてぇか、出来のいい自慢の弟妹ってやつか。戦闘技術はまったくなってねえけど、その頑張り具合がなんとも可愛くてなあ・・・・」
バカにしているのではない、確かにその口調には聞いている方がくすぐったいような情愛がある。まあ、自分勝手の極みではあるが。中国語でごにょごにょ言ったあとで、
「ああ、日本語に訳すと、出来れば今スグいって喧嘩の助太刀、喧嘩のやり方を手取り足取り教えてやりたいって感じだな」
ヤンキー番長の兄貴が優等生の弟妹に対して言うようなことを平然として・・・
 
まずい、こいつはシンジ君たちにとって、かなり「迷惑な」奴かもしれない・・・
 
「それで、つい先に顔を見たくなって学校に行って、じっくり拝ませてもらった・・・・
なかなか逸材がそろってるな、いや、感心しちまったよ。面白いやつもいたし、な。
そうしたら、せっかくここまで来たからついでに話もしたくなって、”呼び出し”をかけたら、こんなことになっちまった・・・・。シンジにはすまねえことをした、と思ってる・・・・その償いに」
感情がすぐ表に出る。碇司令のような上司をもっているから、それがとても貴重かつ素晴らしいものに感じられる。そして、シンジ君すでに呼び捨てだし。舎弟扱い?
「意識が戻るまで、ここで番でもしておこうと思ったんだ。刺客にでも襲われたらコトだからな。来た早々、こういうこと言うのは角がたつかもしれねえけど、ここは護衛部門が手ぬるいな。良ければ天京から腕の立つのを何人か呼んでやろうか?一人、滞在中、腕が鈍るといけねえから練習相手に連れてきたんだけどな」
 
 
「はあ・・・・・でもさ・・・・・シンジ君、いないよ」
まさか、そいつ鼻がでかいんじゃないでしょうね、と思いつつ。切り返す。
 
 
「ほい?」
 
 
「検査の結果も良好だったし、やわに見えてけっこう頑丈だから。家に帰ってる」
正確には、検査が終わった後、一応、「シンジ君に助けられたんです。花瓶はわたしにぶつかるところで・・・だからそのお礼をしたいんです」という霧島マナちゃんのお誘いで、霧島家でのお食事にお招きあずかったそうな。そのお土産が今晩の食事だったアスカからの報告によると。だってもう十一時まわってるし。
 
「なんだとう!!!?」
 
「だって、あんた寝袋になって寝てたじゃないの。まあ、”明”の方だったけど」
 
「くそ、”明”の奴・・・・・・黙ってこっちにきた仕返しだな・・・大恥だ。・・・・
まあいい。弟が軽傷ですんで何よりだ・・・・」
 
 
ぐう
 
 
なかなか巨大な腹の虫が鳴った。その音の大きさは腹筋に関係あるのだろうか。
「そういや、飯食うの忘れてたな・・・・あー、腹減った」
 
「夜中に喰べると太って虫歯になるわよ」もはや、怒りも苛立ちも迷いもない。
やせ形でも大食いしそうだな、こいつ・・・・・葛城ミサトは頭の中で財布の中味を勘定しはじめた。そう、インディアンと腹の虫は、うそをつかない。
 
「太る?虫歯?なんだそりゃ。オレには関係ない。あー、腹減った」
 
「良ければ飯でも食べにいく?もう番の必要もないでしょ」
 
「よし!行こうぜ、葛城の大姉貴!」
「大、はやめなさい。ネルフ本部にはあたしよか、歳のいった姉貴がいるんだし、ね」
 
 
かくして、葛城ミサトと黒羅羅・明暗は深夜営業の焼き肉・寿司食べ放題の店に突入した。
 
 
酒池肉林の食べまくり。今までどこか子供らにあわせてちまちまと肩をすぼめていたところがあった葛城ミサトだが、ことこやつ、黒羅羅・明暗にはその必要がなく、大人の豪快さ乱暴さを遠慮なく発揮できた。教主様には日本国の法律も関係ないぞ、と酒まで飲ましているのだから始末書ものであった。明と暗、二人の歳を合わせれば自分に届く。その点は心配ない。なにがあろうと、揺らぐことはない。この二つの魂をもつチルドレンは。
 
 
「禁句」さえ、この子の耳に、聞かせなければ・・・・・
 
 
剛胆で強い。エヴァのパイロット、チルドレンにつきまとう、「脆さ」「繊細さ」、というものがない。言葉は悪いが、清浄な箱庭から離され、すでに世俗の河無情の山を何度も巡り足の裏を火で焼かれ頬には泥の化粧をされているようなところがある。早い話が、人にいえぬ類の苦労を重ねている、ということだ。特殊な能力を持つ者の終着地点に、到達点にすでに辿り着いているわけだった。エヴァを駆る能力を持つ人間に普通の暮らしなど出来るはずもない、という暗い問いかけに、あっけらかんと、真正面から答えてしまった存在。特殊な能力を持つ者は特殊な地位に就くべきだ、と。十代にして、すでに結論を出し実行してしまっている。
迫害も利用もされぬ生き方の場、それをすでに得ている者。参考になるだろうか。
渚カヲルにすら、やはり感じた危うさがない。大量の人間の頂点に立つ、という経験からくる風格、安定性は群を抜いている。人慣れし、それがすでに面の皮、血肉になっている。
肉を喰い、酒を流し、寿司を呑み込み、話をしながら、そんなことを考える。
”明”と”暗”は自在にスイッチして入れ替わり、葛城ミサトの目の前に現れ、消える。
そこだけに、幻想のような、儚さを、ちと感じた。
 
 
食べ放題で店が損する客が損するボーダー線をとっくのとうに越えても食べて飲み続ける二人。葛城ミサトの方がコントロールせねばならないのだが、明暗に引きずられてしまい、これじゃあ明日がまずいんだぞっと思いつつもどうにも止まらない。まあ、これもこうなったら仕事の一部だわ、と割り切ってしまう。だが、その割り切りが思わぬヒットを生んだ。遠慮会釈なく葛城ミサトが「そういや、明暗、あんたたち格闘戦最強だって話だけど、ほんとのところ、どれくらい強いのよ〜」と、いわゆる、”格闘家に面とむかって決して言うてはならんセリフ第一位・国勢調べ”を言ってしまったことがその原因。さらに、黒羅羅・明暗はその名のとおり、白黒つけるのが大好きな性格ときている。馬でもあり鹿でもある、ようなことをいう中国系にはめずらしいが。
 
 
「そうそう、それなんだよ!!。葛城の姉貴!」はた、と腿をたたく”暗”。
どういう筋肉をしているのか、じつによい音が響く。
「弱いのが兄貴ヅラするのもなんだと思ってな、じつはそこらへんをハッキリさせとこうと、今日の起動実験で・・・使徒にのっとられて暴走したフリして、力比べをやろうと思ってたんだ」
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あんだと?」
 
「エヴァ同士の実戦訓練ってのはなかなかスケジュールも予算も組んでくれそうにねえしなあ。そこで参号機にちょいちょいと”明”に細工させて説得力ももたせてたんだがな。こう、スイッチひとつで粘菌みてえな網がぶわーっと展開して延髄部分を包んじまう。
あれは、知らなければまず騙されるな・・・・ネルフの麾下に組み入れられちまえば、そんな楽しい遊びはできねえだろうしな」
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちょっと、待て」
 
「3対1,とはいえ、やっぱり事情を知らねえと腰がひけて戦いに専念できねえかもしれねえんで、せっかくの機会だから純粋に試合ってみてえし、やる前に話しておこうと思ってね。どっちが強いのか、やっぱり知っておきたいもんだろ。適格者としては」
 
冗談ではない、本気だ。目がそう言っている。本気でやる気だ。
風を吹かせてみたいのだろう。それと、白黒つけること、それが望みだ。
 
 
「残念ね」
 
 
「何がだい?葛城の姉貴」
 
 
「それをあたしが知ってしまったこと。それで、あんたの勝ち目はなくなったわよ。明暗」
 
 
「・・・それほどの名軍師にはみえないんだがなあ」
 
 
「べつに名軍師でなくっても、そこまで知らされて多少の脳みそがあるなら、格闘戦なんかやんないわよ。あんたの一番苦手なやり方で相手させてもらうわ」
 
 
「へえ。オレの邪魔しようってのか」
 
 
「つけあがりなさんなよ、明暗。首根っこおさえさせてもらうだけよ・・・・」
 
 
「信徒数四百万の頂点、”杯上帝会”の天手を馬と同じに扱うってのか・・・・・」
暗の目に殺気がともり、全身から怒気が放射され身体が二倍にも三倍にも膨れ上がるように見えた。四百万、という数字は肝をシャーベットにするに十分な数字。だが。
 
 
 
「副業になにやろうが、あたしの知ったことじゃない。四百万のあんたのファンには申し訳ないけど、戦うってんなら、第参新東京市・特務機関ネルフはあんたを完膚無きまでに叩き潰すからね・・・・・」
 
 
 
「なるほど・・・・・そういう勝負を始められちゃあ勝てないな。苦手だ。降参する、葛城の姉貴」あっさり、闘気をおさめる明暗。葛城ミサトを試してみたのだろう。
ニヤリ、と笑ってさえみせた。相手が己をどういう位置づけをしたのか見抜き、それに満足したように。脅しのように聞こえるが、同時にそれは最大限の賛辞でもある。小手先の作戦などで参号機と黒羅羅・明暗の動きを止めることなど出来ないし、最大戦力で迎え撃つしかないことを裏をかえせば言っているのだから。脅し賛辞。黒と白。作戦家はまず、戦力を見抜くことから始まる。だから、葛城ミサトの前では、すでに力比べの必要はない。
そういうことだ。
 

 
 
そして再び酒池肉林モード。別名・北の酒場通りモード。
ちょっとおひとよしでくどかれ上手で、髪の長い女が似合う。
 
 
「それにしても、あんたたちの髪は綺麗ねえ。いくら十代とはいえ、これは異常ですよ。やっぱ高い薬液シャンプーとか使ってんの?特別な漢方薬とか入ってたり」
「あーん、高い安いは意味ねえなあ・・・本拠地・天京でしか作らない特製品だから。あと、やっぱ水だな。髪が洗えねえとこは出来れば遠慮したいねえ。日本は水が良いからその点も気にいってんだ」
「さ、触ってみてもいい?」
「ダメだ。さわるな。女は特に」
「いいじゃん〜、いじわるう」
「・・ギルガメッシュとイシュタルの神話はご存じですか?」
「ほんとイヤなのね、いきなり明とわ・・・・でもまあ、その話は知ってるわよ。縁起かつぎなわけ?ようするに、ギルつながりで」
「たとえ話の内容を知っていても、ここは知らないフリをするのが日本の礼儀では?」
「なにそれ・・・・・って、うわ!」
明の指し示す後ろには、耳がダンボの女性従業員たち、女性客が。振り返った葛城ミサトの視線にも照れたように頭は下げるが、戻っていかない。目がギラリンコ。けに、ではない、げに、髪質アップにかける女性の情熱はすさまじい。それも明暗クラスともなれば同じ女性として気持ちは分かる。思い切り邪魔だけど。 さっさと寝なさいよ。髪は肌の一部なんだから。それが一番。・・・って、同じ立場だったらそんな題目信じないケド。
ギルガメッシュとイシュタルの伝説とは、神の血を引く怪力の勇者ギルガメッシュは、女神イシュタルに見初められて結婚を申し込まれたが、断った。好みでなかったのだろう。
だが、恥をかかされた女神の復讐は恐ろしい。ギルガメッシュになんと毛がぬける呪いをかけてきた・・・というハゲしい恐怖をもよおし身の毛もよだつ、というかよだつ毛もなくなる恐ろしい話である。
「どちらかというと、サムソンとデリラなのかもね。まあ、あんまり嫌がるのを強制するのも・・・・・」
「わたしの方はかまいませんよ」
「えっ!いいの?」
「ええ。暗とは髪質が違いますから。わたしの白髪は女性に触っていただいた方が指先の肌から艶脂を頂けてよろしいんですよ」
「ええっ・・・・じゃ、ど、どうしようかな・・・・」
「こう、指先に気をこめた手櫛で梳いてもらうのもいいんですね。葛城さん、よろしかったら梳いてさしあげましょうか」
おおっ、それはなんというか、いかにも「秘密のコツ」という感じだ!ゼヒゼヒお願いしたい葛城ミサトであった。「それじゃ、こちらのほうに」と、膝枕をさせる明。
どちらが姉貴分なのかわかったもんではないが、こてん、ころんと子猫のように。
気持ちのよすぎる手櫛がはじまった。いかん、こんなところで天国極楽昇天してしまっては・・・・し、しかし、こ、これは気持ちよすぎる・・・・・明の指が・・・ああっ
「けれど、結局は単純にお手入れの時間の問題なんです。わたしも暗も、暇さえあれば手入れをしていますから・・・平均的に一人三時間、二人で六時間は髪の手入れをしているんじゃないですかね・・・・葛城さん?・・・・聞こえてます?」
「あ〜・・・へぇ・・・・」
至福の表情でとろけている葛城ミサト。まさに、ミス・ジャイアントコーン。
 
「う〜ん・・・・これがほんとにさっき、暗の殺気にも屈しなかった方の顔ですかね・・・・頃合いもよろしい、そろそろお開きにいたしましょうか。すいません、お会計を」
綾波レイに猫の病院代を払わせた暗とは違い、当然おごられていいはずの状況で支払をすませてタクシーまで手配した明。
 
 
「まあ、いつまでいられるか分かりませんけど・・・・貸しにしておきますね」
 
 

 
 
 
翌朝・・・・
 
葛城アジトのリビングに、主である葛城ミサトと、それの隣で仲良く大の字になって眠っている黒羅羅・明暗を、早めに目が覚めた額にばんそうこを貼った碇シンジが発見した。
じいっと、しばらく二人の寝顔を見比べて。
 
 
「ミサトさんの・・・・・妹?さん?」
 
 
いちおう、間違ってはいない。