「よう、元気か」
 
 
「はい、げんきです」
 
「そうか、そりゃ良かったな。頭の怪我はもういいのか。重たいとか中味がすかすかになったとか、調子よくなかったら言え、治してやるから」
 
 
「はうわーゆー」「あいむふぁいんせんきゅー」を彷彿とさせる小学生クラスの英会話教科書のような会話をしたあと、碇シンジはすこし「えんどゆー」か「ふーあーゆー」のどちらを優先させるか、考えて結論を出した。
 
 
「お元気ですか」
 
 
「おお?元気だよ。まあ、見ての通りだ。長い髪と頑丈な身体くらいしか取り柄ねえから」
そう言って、黒髪の若者はニカッと笑った。こんもりと繁った夏山の緑を見た時に自然にわいてくるような鮮やかな笑みだった。しかし、ちょっと会話の流れが怪しい。
ある意味、宗教的で、深遠・・・でもないか。碇シンジもあわせて、ほこっと笑った。
 
 
ここは葛城アジトで時間は早朝。気絶した分の睡眠時間を差し引いたのか、早く目が覚めて起き出してきたら、リビングには主である葛城のミサトさんと、見慣れぬ黒髪のひと。ものすごく綺麗な髪のひとだなー、とひとしきり感心していた碇シンジ。
若い燕を連れ込んだのか、とかいう邪推はない。気配に気づいたのか、むくり、と黒髪の人が半身起こして、そう言ったのだ。
 
 
「ところで・・・・ミサトさんの妹さん・・・・・か、親戚の方ですか」
 
「ばかやろ。”オレ”は男だよ・・・・・どうもまだ話が通じてねえみたいだな。
まあ、いろいろと段取りを狂わしたのはオレだしな。無理もねえか・・・・・よっと」
黒羅羅・明暗の暗は旋風のように立ち上がると、葛城ミサトにやったように拳礼をした。
つられて、神妙な顔でそれを返す碇シンジ。どこかで銅鑼が鳴ったような気がした。
 
「ギルから来たフォースチルドレン、黒羅羅・明暗だ。よろしくな。参号機に乗ってお前らと一緒に使徒と戦う兄弟だ・・・・・って、何を構えてるんだ?」
 
「え・・これから拳を打ち鳴らして、東方は赤く燃えている!とかなんとか、言うんじゃないんですか」
 
「んー?そうか?なにか誤解されているような気もするが、やってやるか。でも題目を唱えるのはナシだ。うるさくすると葛城の姉貴が起きちまうからな。・・・・ほら」
暗がかるく拳を突きだした。これを逆にするとカウンターを間違って入れてしまい、碇シンジを死亡させてしまう恐れがあるからだ。よくて拳をグズグズにされてしまう。
碇シンジ、エヴァ初号機専属操縦者。超絶破壊の源。細胞がそれを敏感に感じ取って肉体を動かさない保証はない。肉体は正直で、信頼するしない、を肌であらわす。
 
 
こん
 
 
碇シンジの拳と明暗の拳が、かるくぶつかった。
 
 
体術の腕前と肉体能力の差は、それでM87星雲と地底世界ペルシダーくらい離れていることが判明。こりゃ、基礎から鍛えてやらんといけねえなあ・・・・甘やかしはよくねえ。
葛城ミサトが予想したとおり、碇シンジにしてみれば迷惑そのものの考えを腹で暗。
思い立ったが吉日。すぐにやるから効果がある。時間とはあると思うな、思えば負けよ。
 
「そういうわけで、シンジ。これから第参新東京市を案内してくれ。地理を知らなきゃ戦えねえからな。お前たちとコンビネーションもとれねえだろう?」
 
「これから・・・ですか」
中国人みたいだけど、なんという便利な日本語をつかうのだろう。どういうわけで?
 
「そう、これからだ。使徒ってやつはいつ来るかわからねえ、厄介な奴なんだろ?」
 
「そう、そうです」
明暗が碇シンジの腕前を見切ったと同じように、碇シンジにもなんとなく、そこはかとなく、うっすらフィーリングで、明暗の腕前を感じた。でたらめにべらぼうに強い。
虎や獅子や熊を前にすれば、それが強いということはまともな生物なら感じとる。
少年ならば、気の大きい強い兄貴分には憧れを抱くもの。ぷんと、酒の匂いをさせているのもどこか大人っぽかった。それが、自分たちやこの都市に友好的なことを言ってくれるのならば。碇シンジに否やはない。応援有り。遠方より来たり。また喜ばしうれしからんや、である。
大量の人間の上に立つだけあって、乱暴なようでいて明暗は賢い。智恵があり頭がまわる。
いきなり走り込みをさせてウサギ飛びでタイヤを引っ張らせてどこかのジムや道場に殴り込みをかけさせる、などという無茶なことはさせなかった。初日であるし。
自分は走って、碇シンジには自転車で「ついてこさせる」。誤記ではない。いくらママチャリとはいえ、碇シンジが顔を真っ赤にして漕いでも、明暗は汗ひとつかかずに自転車をおいてけぼりにするような速度で走る。この都市の地理戦術地形など実のところ隅から隅まで頭に入っている。
 
 
「ここが僕たちの通う、学校です。エヴァのパイロットはおなじクラスなんです」
「ほうほう」
 
 
「・・・この都市には、あちこちに・・・・エヴァの電源設備があるんです」
「ほうほう」
 
 
「避難施設なんかも完備されてて・・・あれがシェルター・・・の入り口です・・・・」
「ほう、なるほどなあ」
 
 
それでも、息の切れ切れの碇シンジのバカ正直な地理案内を楽しげに聞いていた。
自転車と走りでは、甘えの入る余地はなく自転車の方ががんばらざるを得ない。
ひーこらいいつつも、碇シンジは不満も不平もなく、明暗の脚力に驚きながらもついていった。「パイロットはもっと、鍛えないと、いけない、のかな・・・・男だし・・・」
外見はともかく、自分は男だ、という黒羅羅・明暗(むつかしい名前だ)さんの体力をまざまざと見せつけられて、自覚を促される碇シンジ。アスカや綾波さんと同じ、なわけにはいかないんだ・・・・女所帯ではかえってなかなか気づきにくいことである。
マッチョイズムながらしなやかすぎるその高速の背をママチャリで追う碇シンジ。
しかし、目標にするには黒羅羅・明暗はあまりに遠すぎることは、まだ知らない。
 
「すぐ息があがるのはな、シンジ、普段からの呼吸が浅いせいだ。普段から深い、深い呼吸を心がけろ。そうしときゃ、あとはだんだんと身体の方で対応するようになる。
そう、この都市で二番目に深い呼吸をする生物になれ・・・・そんなイメージだ」
「に、ばんめ・・・・ですか」一番ではなく?
「一番はこのオレだからなあ。生半可な努力じゃ追いつけねーぞ?」
そう言って天を見上げて雲を食らうような大口で笑う明暗。
 
 
「・・・なんや、トレーナーの方がへばってしもうとるやないか、シンジ気合い入れ!」
その光景を、新聞配達のバイトをしていた鈴原トウジや、
「碇君・・・・と、あれは・・・鉄棒の?知り合い、だったんだ・・・」
早朝の焼きたてパンを買いにきた洞木ヒカリに目撃されたという。
 
 
「・・・案内、なかなか役にたった。できれば明日も頼みたいんだが・・・・いいか?」
「・・・・・・・せー、はー・・・・ぜーはー・・・・は、はい・・・・」
都市の全てをめぐれるはずもなく、適当に切り上げる。
ぽたぽた汗を額からたらすほどの碇シンジと好対照に涼しい明暗。まだ朝飯前の出来事なのだが、これから食事をつくって学校にいく体力ははたして碇シンジに残っているのか。
 
 
「今日の朝飯はオレがつくってやるよ、風呂にでもはいって汗流してこい」
料理の得意な体育会系の先輩後輩、合宿の朝の図、という感じである。
「あ、こいつを風呂にいれておくとすうっと疲れが抜けるぞ」と小瓶を放ってよこした。いいなりに、浴室にすすむ碇シンジ。誰がこの家の人間なのか分からない。
激しい消耗と、不思議なことに、なんともいえぬ高揚感と湯気に包まれて風呂釜の淵に立ちて湯が満ちるのを待つ碇シンジ。初対面でまるきり知らぬ相手だったのに、なんだろう、この違和感と警戒感のなさは。つき合う時間などまるで、関係ないといわんばかりに。
湯が満ちると、言われたとおり小瓶の中味をちょっといれてみる。黒い、油のようだ。
ちょっとの量でもどんどんと水を真っ黒に染めていく。魔界へのゲートが開いていくような・・・疲れが取れる、というのは魂とられる、の間違いなのでは・・・・そんな色。
匂いも海産系の生臭さ。・・・・・これは入れるのを間違えたのでは。シャワーですまそうか、とも思ったが、ものはためし、と入ってみた。
 
 
うぃ・・・・・・・・・〜〜〜〜・・・・
 
 
朝からこんな快楽にはまっていいのだろうか。絶妙のぬるぬる気持ちよすぎる・・・・
水の一滴一滴が最高のマッサージ師に変化して、毛穴から疲労を掘り起こしているような。蒟蒻大王に即位して、ゼリーの女王を嫁にもらってプリンの寝床で初夜を迎えたような全身から硬さという硬さが雲散霧消していく気持ちよさ。とろぷる。こんな入浴剤がこの世にあってもいいのか・・・
どこで売ってるんだろう・・・あとで聞いてみようっと・・・・でも、こんなに気持ちいいのが毎日続くとダメになりそうな気も・・・・・ああ・・・・・はあ・・・・
はあっ・・・・・ああっ・・・・・
葛城ミサトや惣流アスカが聞いたら確実に誤解するだろう、明暗の奴に襲われてんじゃないのか・・・・シンジ貞操の危機!!とか・・・、儚げな声が浴室にこだまする。
 
 
「かかか。効き目抜群みたいだな。さて、と」
キッチンでは暗のほうが料理していた。朝っぱらから人間離れしたスピードで餃子を作っていた。ざっと二百個ほどつくって焼く。運動の後に餃子がいいかどうかは問題ではない。
中身の具が何でもあるかも、この際、問題ではない。碇シンジの帰還後はコンスタントに栄養バランス良く材料が入っている冷蔵庫がほぼまんべんなく使用されたこともやはり。餃子の皮が足りなくなって平たくつぶした米の飯や食パンで代用したことも。
「よし、まあ、こんなもんだろう・・・・・、よし、髪を洗わせてもらうとするか」
味見として、暗が摘んだ餃子には、「梅干し」が入っていた。カリッと天神を噛んだ。
 
 
「ん・・・・・・ああ・・・・・」
餃子の焼く音が耳に入ったのか、香ばしい匂いが鼻をついたか葛城ミサトが目覚めた。
しばらく、OSを立ち上げています・・・・起き抜けのニガミガした目つきで周囲を見渡す。まぶたにあたる日光がにくらしい。顔でも洗ってくればまたそれが快感にかわるのだが・・・・だが・・・だが・・・・・。
 
「あ、おはようございます、ミサトさん」
どこかいつもの、おかあさん系とちがった清々しい感じ、さわやかスポーツマン系の笑顔を見せるシンジ君。まるで早朝マラソンでも健やかに一丁かましてきた感じじゃないの・・・・だが・・・・・
 
「起きたのか、葛城の姉貴。朝飯は出来てるぞ・・・・じゃ、オレはひと風呂浴びさせてもらうから、シンジ先に喰ってていいぞ。味は保証済みだ。なかなか面白かった」
 
 
なぜ明暗。こやつがここにいる?しかも、とっとと風呂場へ
 
 
昨夜は・・・・・確かに・・・・髪を梳いてもらって・・・・・・もらって・・・だね、あれ・・・・そこから記憶がない。タクシーに乗って帰ったっけ?まずい・・・減給もんだこれは・・・いや、そんなんじゃすまないか・・・・・こんなことなら事前に説明しておくべきだった・・・・とにかく、「禁句」は告げてない・・・わね
微妙な言葉だから、会話の流れで、ぽん、と出てこないとも限らない。
普通の人間じゃないことを教えておかないと・・・・見りゃわかるだろうけど。
 
 
「ね、ねえ、シンジ君・・・・彼女、朝来たの?」
 
「ミサトさんと一緒に寝てましたよ。リビングで・・・・最初は妹さんかと思ったけど、僕たちと同じエヴァのパイロットなんですね・・・・明暗さん、少し、歳が上なんですか?」
 
 
うーん・・・・なんと言ってよいものやら。まだ第2支部のこと、渚カヲルのことも話してないのだ。ずるずると、状況は先へ先へと進んでしまう。だがまあ、準備なしで内懐まで入り込まれたんじゃ仕方がない。第四類適格者のその特異性から、その邂逅にはくれぐれも注意を払う必要があったのだけど、案ずるより生むがやすしか。結局。
 
 
「シンジ君・・・・・・」
 
「はい」
 
「今日、話があるから。悪いけど、今日は学校お休みして。アスカも一緒に」
 
「え・・・はい」
 
「じゃ、とりあえず焼きたてのうちにいただきましょうか!本場の味を」
わざとらしい、とは思ったが、朝から重たい空気はやりきれない。どうせ本部に出れば、参号機の起動実験の中止の後始末だの、厄介な仕事は山積みされているのだから。
ただ、まあ多少の救いがあるとすれば、黒羅羅・明暗が協力的であり、その戦意が高い、ということか。最低限のハードルを今更越えるような手間をかけなくてすむのは本当に助かる。使徒をステルス装甲の影から挽肉にするような技量の操縦者に起動実験など時間の無駄以外のなんでもない・・・一応、”本人急病”って名目で誤魔化しといたけど。
「しかしまあ・・・・・なんか、でかい餃子ねえ・・・・本場ゆえ?」
と、焼き具合のよいやつをひと口に入れてみる・・・
 
 
「うっ!!・・・」
くそ、なんだこりゃ・・・・・この餃子、ラッキョウが入ってる丸ごと。八つ。
 
 
「う・・・・」シンジ君も箸と頬が停止した。何が入っていたのやら、不意打ちだ。
「カレー粉です・・・・」餃子の味を舌が予想して受け容れ準備を整えていただけに、この不意打ちは効いたようだ。「まさか・・・」冷蔵庫を開けてみると、まんべんなく使用されている。・・・・・まさに闇餃子。何が入っているか分からない。
 
 
「なんか、こいつも一人暮らしが出来そうな感じじゃないわねえ・・・・・さすが教主様」
合掌する葛城ミサト。
 
 
「なかなか悲惨なことになってますね」
そこに白服の明が現れた。
 
「なかなか悲惨って・・・・・あんたが作ったんでしょうが」
「誰です?ミサトさん」事情を知らなければ驚くしかない。いきなり見も知らぬ人が入ってきて料理の寸評をしているのだ。「突撃、となりの晩ご飯」じゃあるまいし。
「ああ・・・・・はじめまして。碇シンジ君。わたし”も”黒羅羅・明暗です。
あなたの額の傷をつけた張本人ですよ」
「???」
「混乱するからやめて。説明はあとでするから。風呂でも入っておきなさいよ、明」
「その前に作り直しますよ。暗は料理なんかやったことはないんです。見よう見まねで出来ると思ったみたいですけれど、それほど甘くないのです。人に食べさせる料理は。かえって手間になるからわたしが作るといったんですけど、ね」
「はあ?それならなんで・・・」
「シンジ君に作ってあげたかったんですよ。早朝から自転車で特訓させてましたから」
「特訓?シンジ君、朝、二人でそんなことやったの?」
「え。地理案内ですけど・・・明日も頼まれました」
「なんて手の早い・・・・・シンジ君、ネルフじゃあなたが先輩なんだから、新入りにぁービシッと言ってやんなさいよ。兄貴ヅラさせてもいいけど、ビシッとね」
 
 
「葛城三佐、お先にお風呂どうぞ。気持ちがいいと思います」
闇餃子を、三種類に選別、一つをそのまま、ひとつをボールに入れてこねまわし、ひとつをスープをはった大鍋に放り込む。手際がいいしプロバスケットボールの試合のように動きが速い。匂いがその腕前を予告する。今度は大丈夫だ、と。それでも多少は時間がかかるので明は先に葛城ミサトにすすめた。あるいは、家の主をさしおいて朝風呂、というのは明の礼儀には反しているのかもしれない。
「あ、それはもう。ミサトさん、黒い特別の入浴剤を入れてもらったんですけど、これがもう、すごく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気持ちいいんです」
湯船での体験を感覚を思い出したのか、ほうっと上気する碇シンジの顔。
いまさら年上の女性に入浴を勧めるのに赤面などしない。
 
「いまのタメはなに?・・・・期待しちゃうけど・・・・それじゃあ」
昨日の酒がすこしのこってるかもなー、と思い返しつつ、葛城ミサトが風呂に向かおうとしたその時。
 
 
うわわわわわわわわあわああっっ、何コレっっ!!
 
 
惣流アスカの悲鳴が聞こえてきた。もちろん、浴室からである。気合いをいれるために起き抜けに熱いのと冷たいのと両方のシャワーを浴びるのだが、何の気なしにふだんの行動パターン生活風景にホラー映画よろしくとんだ異色が塗り込めてあったのだ。それは驚くかもしれぬ。が、悲鳴まであげなくてよかろうに。いやしくもエヴァのパイロット、多少のホラーなど使徒にくらべればなにほどのことかい。ま、そうもいくまいけど。
ここは戦場でなく、安全な「家」なのだから。
 
ズダダダダだダダダダっっ、こちらへダッシュしてくる足音。
「シンジっ!!ミサトっっ!!ふ、風呂釜がっ・・・・・」と、いいかけ、ここに、この家にいるはずもない人物の後ろ姿を目撃する。黒羅羅・明暗・・・・・・
 
 
うっ、うわああああああああああああああっっ!!
 
 
目の前で殺人事件でも発生したのかのような、雄叫びをあげて飛びすざる惣流アスカ。
そのあまりの激烈反応に、碇シンジも葛城ミサトもぽかん、として見ているのみ。
「アスカ?」硫酸に水を放り込んだような・・・・それは確かに驚くだろうけど。
入浴前だったからバスタオル一枚だし。・・・・・かなり、変だ。
 
 
「いや・・・いや。・・・・・なんでアンタがここにいんのよ・・・・」
息が荒い。心臓に欠陥でも生じない限り、風呂場からのダッシュであがる体力ではない。精神的に強い衝撃を受けている。はあっ、はあっ、はあっ・・・・はあっ、はあっ
 
 
「アスカ・・・・・どうしたのよ・・・・」
それほどまでに驚くことか・・・・シンジ君と違ってアスカは明暗の素性も正体も特異性も知っている。同じギルの子供であるから。恐れている・・・・?それだけじゃない。
ちら、と明暗の方を見る葛城ミサト。明暗の方もアスカの反応を疑問に感じているようだ。ただ、演技であるか、本音であるかは見抜けない。アスカの悲鳴が本物であるのは確か。「アスカ・・・・・この人なら心配いらないよ・・・・だいじょうぶ」
笑ってしまうわけにもいかず、介抱するように、言葉でその背をさすってやる碇シンジ。
 
「だいじょうぶ・・・・・だいじょうぶ」
 
「あ・・・・・う・・・うん・・・・」言葉をのみ込むようにうつむいて、顔をあげた。
その時には。「いつもの」惣流アスカに戻っていた。
 
「あ・・・いや、ご、ごめん・・・・た、単に驚いただけよ!だって、いきなり風呂釜がまっくろけだし、フォースチルドレンが来てるわけじゃない?、朝っぱらから!そりゃあワンツーパンチで驚くわよ、いやー、まったく、驚いた・・・・・って、明」
 
「なに、アスカ」
 
「気い、悪くしてない?暗の方も。もし、そうだったらごめん。ミサトに招かれてきたんだったら問題ないの。ゆっくりしていって」
 
「いいえ、全然」大量の人の上に立つ者の包容力を体現したような笑みをみせる明。
人工的で不自然なものだが、安定しているし、相手を理性的にさせる効果がある。
 
だけれど、朝の空気はこれで終わった。家族の悲鳴をきいて安穏としていられる奴は人間ではないし、ここにいるのは、家族と人間だけだったから。
 
 
焦げる匂いがした。フライパンを動かす必要があるようだ。
碇シンジが、動き出す。
 
 

 
 
ネルフ本部 作戦部長室
 
 
綾波レイと碇シンジ、二人が呼ばれていた。惣流アスカは弐号機のケージに行っている。
一体何の話か。綾波レイには完全に察しがついている。この話が終わった後で、碇シンジと話さなくてはならない。懐には「例の写真」がある。会合場所も指定している。
 
 
「話ってのは、ほかでもないの。今回、来日したフォースチルドレン、黒羅羅・明暗に関して、詳しいことを教えておくわ。アスカは・・・もともとはギルで育った子だからね、ちょっち外してもらってる」
今朝あったことは綾波レイは知らない。この場に同席していないことを疑問に思ったが、その適当な説明で納得しておく。質問するだけ時間が無駄になる。出来れば、自分の話を先にしておきたいくらいだった。まさか呼び出しがくるなんて。自分の情報こそが最重要だと確信していたし、この重圧、重荷を早いところ誰かと分かち合いたかった、ということもないではなかった。結局のところ、碇シンジしか、彼しかいない・・・・早く。早く。
表情にはいつものとおり出ないのだが、急いていた。彼氏彼女の事情。
 
 
黒羅羅・明暗が「明」と「暗」、「白髪白服」、「黒髪黒服」に切り替わる徹底した二重人格者であること。
 
チルドレンとしての立場の他に、「杯上帝会」と名乗る大陸信徒数四百万を誇る教団のトップであること。
 
表向き起動実験を行っていないようになっているが、その実、実戦で動くレベルに仕上がっており、その戦闘力は現在の初号機、零号機、弐号機に比べても遜色ないこと。等々。
 
綾波レイには分かっていることで、ほぼ碇シンジ向けの説明になっている。
碇シンジも分かっているのかいないのか、質問を挟むことなく黙って聞いている。
そのうち、話は黒羅羅・明暗と微妙に枝分かれして参号機の話に移行する。
綾波レイは内心の焦燥を隠すため、うすく目を瞑った。公式スペックなぞ、専用機としてカスタム化された参号機になんの意味ももたない。ステルス装甲をもった「忍者エヴァ」などという碇シンジ向けのわかりやすい説明には正直、目眩がしてくる。
 
 
「そういうわけで、参号機もちょっと変わってるんだけど・・・・それを動かす張本人」
だが・・・葛城ミサトの語る予想外の情報が、焦りを断ち切る。
 
 
「第四類適格者・フォースチルドレン・黒羅羅・明暗・・・・・彼女は、実は」
 
「第二類適格者・セカンドチルドレンなの・・・・アスカと同じ類に入るわ」
 
「これは”絶対”に、”明暗に直接言わないこと”。何があっても・・・・・・いいわね」
葛城ミサトがかつて、子供たちには向けたことのないような声で。顔で。
絶対の禁句。大爆弾の起爆装置。
「2でも4でもどっちでもいいような気がするでしょうけど、明暗にとってはそれが全てなのよ。参号機を駆るのはフォースチルドレン・・・そう、決まっているから」
それは、人の生死、ふたつの魂の存亡にかかわる話だった。
 
 
以降は、適当な嘘を信じた碇シンジを帰した後で、綾波レイのみに語った話。
 
 
「明か、暗か、どちらかはもう死んでいるの。どちらか・・・、分からないけどね。
 
そんな名前じゃなかったんだろうけど、双子がいたの。精神病院とは名ばかりの、暗い、わずかな明かりが射し込むだけの土牢に閉じこめられた、ね。明暗の名は、そこからつけられたらしいわ。土牢を見張る獄卒・・看守たちにね。そこに入れられていた詳しい理由は分からない。敵対して皆殺しにされた組織の親玉の子供が脅迫の道具として誘拐されたまま生かされてた、とかなんとか、セカンドインパクトの混乱期、しかも大陸とあっちゃあ何でもありだったろうね、もしくはもっと酷い話なのかもしれない・・・・・
誰に省みられることなく、そのまま死んでいてもおかしくはなかったけど、有る一点、明暗という子供に施された宗教的な・・・つまりは、非人道的にして非科学的ということだけど・・・実験が、彼女の存在を救った。特異な能力の発現。それが、ギルの前身・・・当時のマルドゥック機関の”子供狩”の網に引っかかった。とりあえず土牢からは出られるようになった。その時、実験、ないし儀式と称して二十日間も土に埋められていた明暗を助け出したのがマイスター・カウフマン。マルドゥックの方はその後、いろいろあってお取り潰しの憂き目にあったんだけど。
ギルガメッシュ機関のボス、マイスター・カウフマンに引き取られたときにはすでにそうだったらしいわ。自分たちには二つの心、双つの魂があるってね。
土に埋められていた子供は闇を好む”暗”だった、といえるし、かろうじて明かりの射す場所を与えてもらっていた”明”こそが最後まで生き延びた、のも自然だし。
土牢に入れられた子供は双子、二人いた。けれど、助けられたのは唯一人。
身体が女性だから、明、の可能性が高い、ともいえる・・・・暗は自分を男だと言い張るわけだしね・・・・まあ、あの人間細工師でも判別がつかない話だから素人じゃまず無理。その資格もない。その意味も見つけられない。本人たちは巖として自分たちは双つの魂で一つの身体を使っている、とそう信じ切っている・・・・そして、何よりその考えを、エヴァ参号機が証明している・・・・それが、それだけが問題なのよ」
 
「明が搭乗しても、暗が搭乗しても、参号機は動く。それも、明の時には機体を白く、暗の時には黒く染めてまでね・・・・・だから、誰も何も言えない。言われずにここまで来たのよ。ギルの差し金とはいえ、自前の教団まで手にいれてね」
 
「ただ、事実として、双子の片方、どちらかはすでにこの世にいない。失った片割れを求めるあまりに造り出した仮想の人格、というお手軽な答は参号機が粉砕する。
 
いや、そうじゃない・・・。なぜ、そんな幻想にエヴァがつき合う必要があるのか。
 
参号機はシンジ君の初号機と一緒で、明暗だけのものになってしまっている。
公式スペックなんてお笑いなほどのチューンが施されてんのよ。ステルス装甲なんて序の口、参号機は腕も足も伸びるのよ?シンクロ状態でそんなことやられてみなさい。とても戦闘なんて出来やしない。激痛で転げ回るでしょう。けれど、あの明暗はそれを平然と駆る。武道の達人が間合いを無視した攻撃を仕掛けるんだから、格闘戦最強も当たり前の話よね。エヴァとチルドレンの間にはどれほど重なる部分があるのか・・・・たまに不思議に思うことがあるのよ。
 
明、と暗、ではパーソナルパターンが激しく異なるの。伊達にイメージカラーが白と黒じゃないわね。双子でありながら、エヴァを起動する”鍵”はまるで違うカタチのものをそれぞれ持っている・・・・参号機にしてみれば、わざわざ別口の鍵に備えて、弐種類の鍵穴を自分に空けておかなければならない・・・・・明、もしくは暗、を無視する方法だってとれるだろうにね。さしたる負担ではないのかもしれないけど、ずいぶんと顔に似合わず親切なことをする、と思うのよ。それなら、明暗以外の人間にも起動を許してもいいんじゃないかと思うんだけど、それはかなわない。黒羅羅・明暗にのみ駆ることを許している。名馬が勇将を選ぶようなものかしらね。
 
二人で動かすから二倍の力、それゆえの格闘戦最強、と豪語するんだけどね。
ギルチルドレンのお得意の双方向ATフィールド、あれも明暗が編み出したらしいわね。
エヴァの起動する条件はほんとうに謎で厄介なもんだから、双子の片割れが動かしたなら、もう片方が、生きていれば、動かしただろう、とみてもおかしくないのかもしれない。
そのあたりは、あなたたちの方がくわしいわね。なぜ、エヴァは動くのか、なんて。
ギルガメッシュプログラムに準拠して明も暗も第弐類適格者だとするならば、2×2で4になる。それゆえのフォース、第四類」
 
「それは・・・・・」
 
「確かにおかしな話ではあるわよ。なんでそこまでして、第四類の肩書きが必要なのか。
セカンドとフォースを手中にするというギルの政治的必要性、という単純な種明かしがあるのかもしれない。わたしも、渚式分類法ってあんまし信じてないし、というか、できれば信じたくないし。
 
シンジ君とか、みてるとね・・・・・あの子も三重人格ってことになるわね・・・
 
重要なのは、土牢に閉じこめられた双子の、どちらが生き延びたか。本人たちはその事実を否定して、砂上の楼閣とはおもえないほど強固な嘘の上に絶妙なバランスを保って生きている。教団の教主ってのも無関係じゃないんだろうけど、それくらい強靱な精神力がある・・・・けど、バランスを崩されるとやはり脆い。第四類であることは、二人の、双つの魂を認めること。生きている、ということが魂が稼働している、ということならば、
 
それを否定して数を減らすことは、もう一人の消滅を確定させること・・・・・そうなれば、どうなるか、ギルから警告書が来たわ。ネルフ本部の最後の日になるだろう、ってね。おまけに、今頃アスカに関しても。セカンド・・・同類は”共鳴”し合うから、慣れるまでどちらかを隔離しておけ、なんてね・・・冗談かとおもったけど、まんざらでも・・・・なかったわ。共鳴・・・どういう意味か正確なところはわからないけど、良い影響とは言い難いみたいでね・・・・・レイ、その点気をつけておいて。お願い・・・」
 
 
「わかりました」
でも、双つ魂があるなんて・・・・そんなことがあり得るのか。幽霊に取り憑かれているとか・・・・エントリープラグに二人のパイロットがいる・・・それをエヴァが認識している・・・・エヴァがそれで動く。それのみが重要で、あとの人格の数など大した問題ではない。たいていの人間にとってはそうだろう。そして、ファーストの自分にとっては。
 
同類の共鳴、というこれまた厄介な問題がつけ加えられて重荷が増えた。まさに人生。
綾波レイの女坂。不公平といえば不公平である。なんでもかんでも押しつけて。
そんなことは自分の手元にいる”男の子”、碇シンジにガシガシ担当させればいいのである。本来は。しかし、綾波レイは不平など言わない。少女であるのにこれほどまでに受容性に長けている。葛城ミサトの言った裏の意味をも精確に受け止めている。
第二類のバランス問題・・・・小説や映画のように極端な二重人格、それに対応する参号機・・・逆に考えれば、フォースチルドレンを成立させているバランスを崩せば、参号機は動かなくなる・・・・ということだ。ギルが警告書などという脅しをかけるのも分かる。
正式戦闘型、実戦投入型でありながら爆砕された参号機・・・・神経質なのもやむなしか。
仮定の話なのだろうが、本人たちがそこまで強く思いこんでいるなら、それが解消されたときの精神の動揺度は計り知れないものがあろう。戦闘可能な精神状態を失う。永久に。
動かなくなる、ということはその戦闘力を根こそぎ奪う、ということであり、
 
最悪、万万が一、参号機が敵にまわる事態があろうとも・・・・・・犠牲を払わずにすむ、ということだ。こちらの。
 
人間は、相手が人間であればあれほど、好きになり、また信用できなくなるのかもしれない。混沌を好みつつ、また、それを恐れる。混沌を制御できる人間はいない。
黒羅羅・明暗は誰の言いなりにもならない・・・・・育ての親を除けば。
自分によく御しきれる相手ではないと、葛城ミサトはすでに見切っている。
立脚する世界が違う・・・・人類の未来も世界の平和も明暗にとってはどうでもいい・・・・守護するためではなく、ただ戦うために戦う・・・実験型でも試験型でもなくそれを、それだけを望まれた実戦型・・・・エヴァとしての型式の違いもあるだろう・・・・
というより、欲する利益が別である、共有する利益があまりない、ということだ。
 
もし、明日には明暗からにっこり笑って「悪い。敵になることになった。じゃ、戦ろうか」
といわれても、さして驚きはしないだろう。そして、綾波レイが見るところ、葛城ミサトのその想念には不思議なことに悲壮感はない。信じがたいほど、透き通って明るい。
彼女は見たことはないが、天高い秋の空のように。地平線までつづく草原のように。
どうもてなせばいいのかも、分かっている。もめ事を避けて雨宿りしにきた客人のように。
参号機を巡る面倒な政治的な動乱を避ける、雨宿りの借りを返すまでは信用できる・・・
それに、直轄部隊に配備されたからには、それを使用しない、という選択もむろん、ある。
強襲型、という参号機そのまんまの戦闘データがどうしても欲しい、というわけでもない。
ギルとしてはエヴァの共闘データというのは欲しくてしょうがなかろうが。
というのが、葛城ミサトの明暗に対するとりあえずの結論であった。
惣流アスカを同席させないわけである。
 
 
重荷を追加された以上は、今まで背負っていた荷を早く降ろして少しでも楽になりたい。
外見に表れることはないが、倦怠感がある。絶望感がある。焦燥感がある。孤独のだるさ。
葛城ミサトの話が終わり、本来の用件であった碇シンジに写真を見せる・・・事実の伝達をするとしよう。正直、気の重い仕事であった。けれど、代わってくれる人間はいない。綾波レイは碇シンジとの会合場所・・・・チルドレンの男子ロッカールームに向かう。
そこは二人の少年が使用していた。今は一人しか・・・・過去と現在と未来、ちょうどいいだろうか、どっちにしろ、そこしか思いつかず他人に聞かれていい話でもない。
本部内で数少ないプライベートが確保されている、戦場に出るひとときの空間。
それから・・・また二人が使うようになるのか・・・いや、どうなるのだろう・・・明のときはいいが、暗の時には・・・・
 
別に、足を止めてまで考えるべき問題じゃあない。好きなようにするだろう。関係ない。
そんなことは、どっちでもいい・・・・・。それなのに、綾波レイの視線が硬い。
不機嫌、と称するにはあまりに乏しい変化ではあるが。
・・・そんなことは許されるはずもない・・・、と結論を出して歩を進める。
 
 
ロッカールームの前まで来た。息を整える。これから、し慣れないことをする。
それも、とんでもないことを。自分の口で。なにせ相手が碇シンジ。
ユイおかあさん、の名前をひとこと唱えて、まじないのかわりにする。勇気のまじない。
中に魔物でものたくっているような態度だが、たしかにえらく変わらないかもしれぬ。
ただ、魔物でもなんでも、自分の話を、今ロッカールームの中にいる者は、聞いて信用してくれるだろう、ということは疑わない。
 
 
渚カヲルがきえたこと
ひとのせかいから、消えたこと
あらわれるときは、仄暗い天から現れるであろうことを
 
 
予言書的にぼかすな、と言われれば、明確にこう言ってもいい。
渚カヲルは使徒の側にたったのだ、と。「あの薬の名」おそらく使徒になったのだ、と。
 
 
嘘つき、などと言われる心配は微塵もしていない。この本部の中の全ての人間が自分のこの話を受け容れることが出来ないのを知っていながら。こんな話をしたが最後、戦闘のストレスで精神をやられたか、と思われるのが関の山。碇司令に話せば、その反応が正確にわかる。・・・しばらく行動の自由を制限されるだろう。頭と心を冷やして静めておけ、というように。強制的休養を取らされる。
騒乱と迷いの源、自分の息子、碇シンジとの接触も禁じるだろう。たぶん、そうなる。
ユイおかあさん、ともう一度、もはや会えないひとの名を唱える。祈りのように。
あー、レイちゃん、それはやめといた方がいいんじゃない?と祈りの中の面影はいう。
 
 
それでも、彼は、碇シンジだけは、違う、と。綾波レイは、信じていた。
 
 

 
 
「さて、ここが今日からオレたちのねぐらか」
 
 
闇一色に赤く、ネルフの紋章が輝いている。本部内にある第四隔離施設。
平たく言うと、人間を拘束する牢屋である。特務機関ネルフの影の領域・・・・・
当然の事ながらいくつものゲートを通過せねばここまでやってこれない。
神出鬼没がモットーの黒羅羅・明暗であるが、今日は正式にカードを発行してもらい、それでここまでやってきた。やれるかどうか侵入を試みてもかまわないが、ここをねぐらとすると、いろいろ荷物を運び込むのにそんな手間もいちいちかけていられない。
 
「やれやれ・・・・”きどお実験”なんぞ、逆に肩が凝るな」
今日は松代までヘリで行き、参号機の起動実験を無事に成功させてとんぼ返りした。
葛城ミサトは見かけによらず上手な嘘つきで、こちらは急病ということになっていて、周囲の何も知らぬスタッフには逆に気をつかわれてこそばゆかった。ネルフの人間は人が好い。もちろん、その場に残していた鼻羅は誤魔化しようもなかったが。
操縦者に遅れること6時間、参号機も第参新東京市に到着。現在、ケージへの搬入作業の最中だ。葛城ミサトの指示らしいが、なんとも速い。スタッフもエヴァを扱い慣れている・・・またはよそのエヴァを扱う、というありがちな遠慮がない。責任者の意思が浸透しているのだろう。その必要なし、と。昔からいた機体のように扱えばいい、と。
そうだ、それでいい。スタッフに物怖じされて困るのは参号機とオレたちだ。
意図したわけじゃねえが、先にこっちに来たのは正解だったなあ。なあ、明。
寝床の準備を整えたら、ケージに挨拶にいき、それで寝ようか・・・。
 
 
黒羅羅・明暗はここに「住む」
 
 
明暗は碇シンジや惣流アスカのように保護者に引き取られることになるなど馬鹿馬鹿しくて考えもしなかったし、綾波レイのように特殊な住環境を用意してもらえるとも思っていなかった。本部内に住むのは使徒との戦闘の際には駆けつける手間が省けるし、なにより暗は牢屋暮らしが大好きときている。牢屋というのは単純にして無駄で余計な装飾がなく、何より少々殴ろうが蹴飛ばそうが大丈夫な頑丈なところがよかった。自分たちの寝相がお世辞にもいいものではないことを知っている。それに、眠れさえすれば場所などどうでもよかった。正直、野宿でもかまわないのだが、それではネルフの人間が落ち着いて眠れまい。明のほうはそれでももうちょっと小綺麗な寝所を好んだが、「人質」という立場上、ここが一番面倒なくてよろしいな、とは思っていた。基本的に、双りともものにあまりこだわらないのだ。それを認めた赤木リツコ博士も顔をしかめはしたが、自分で引き取ろうというわけでもないので、強くは言えなかった。いまさら体面がどうこうもむなし。
それを後で知った葛城ミサトが明暗を慌てて説得に訪れたのだが、耳を貸さない。
 
 
「そんなことより葛城の姉貴、あんたは焦げつきそうな妹分の面倒をみてくれよ。
この緊急時にのんきがすぎる弟分はオレが鍛えてやるからよ。
それにどーせ、ここは使われてなかったんだろ?血の跡もない、綺麗なもんだ。怨嗟の声も聞こえない、静かなもんだ。ただ、オレたち向きにアレンジするのは勘弁してくれ。いろいろ荷物もおかせてもらう・・・・連れの方は枕が変わると眠れないんでな。
それに、ま、男用の部屋を用意されても、女用の部屋を用意されても、困るんだ。
ここなら護衛も見張る手間も少なくてすむだろうしな」
そこまで言われては認めないわけにもいかない。自分の立場をようくわきまえている。
こんな時期にやってきたフォースチルドレンをどのような目で本部の人間が見るか。
一見、奇異に見えるが、一番手っ取り早い面倒の少ない方法を選んでいるわけだ。
手枷をはめることで、信をもぎ取る・・。なまなかの自信手腕で出来ることではない。
 
と、いうわけで、黒羅羅・明暗は本部内に自分の寝床を築いた。
一歩間違えれば、「杯上帝会」の出先機関、出張教会の出来上がりであるが、今のところ信者を増やす気はなさそうだった。愛蝙蝠の「斬妖」、愛鯰の「黒震河」などお気に入りのペットまで連れ込み、床には黒土を敷き詰めて、すっかり落ち着きの環境を造り上げていた。土の上で寝るのは暗のとりわけのお好みで疲労度の回復がまったく違うという。
明暗の隣に、鼻羅の独房があり、鍵をもっている明暗の許可がなければそこから出られない、というとんでもない環境であった。が、この鼻男は教主の隣に控えていられるのが何より幸福らしく鼻息も軽かった。葛城ミサトがそのことを咎めたのだが、本人がそれに反論・・・例によって鼻息で・・・しているのだから世話はない。宗教的な結びつきはよく分からない・・と、ため息をつかせる。だからといって、本部内をうろちょろしてもらうわけにもいかない・・・偽善がどうの、と余計なことを考えさせぬ智恵なのかもしれない。
 
 
「なかなかいい出来映えだ。これで星と風があればいうことはないが・・・・」
地下でそんなもんはあろうはずもない。明暗は贅沢と出来ぬ望むには無縁だ。
「あとは、最後の仕上げ、といくか・・・・・明」
暗から明に切り替わった。白服の長袖のたもとから一本の錆び黒い「釘」を取り出す。
それをもって、自分の左拳に打ち込む!!トラックの重圧にも平然と耐える肉体が穿たれて赤い血が噴き出た。「・・・・暗」。黒服黒髪の暗に切り替わる。左拳が唸る。
壁面に叩きつけられる拳は、そのまま腕の移動のままに、巨大な血文字を描く。
 
 
 
 
そのまま四文字絶句に続けるが、完成はさせない。明暗の絶句は常に未完のままなのだ。
左拳に包帯を器用に巻きつけ、寝床を最終完成させた。
血文字はすぐに闇に紛れてしまうが、これでよかった。さて、参号機の様子を見に行くか。
 
 

 
 
ケージの参号機は完全だった。完全、とは単にケージに収まったということではなく、今すぐにも出撃可能な状態だということだ。さすがに実戦を修羅場を潜り抜けているだけのことはある。四号機と第2支部の件で、世界中どこの軍隊も組織もエヴァの整備じゃ腰が引けていただろうに、未知の参号機を扱うにこの速度とは・・・快い度胸だ。
明暗は大いに気をよくして、整備の詰め所に挨拶に行った。鼻羅には大金を用意させてあったが、こういう自負のある連中には逆効果だろうな・・・。技術は金で買えても、度胸は金で買えない。さすがに、綾波レイと違い、人の心が見てはとれても読めるわけではない明暗には、それが「わけのわからねえ」実験の犠牲になって消えた四号機への手向け、悔しさの意趣返しのようなものであったことまでは分からない。度胸だけの仕事ではない。まるで、気合いの入った整備をすれば、四号機と渚カヲルが帰ってくると信じているように。まさか本部ではそんなばかな話がまかり通っているとは思ってもみない明暗であったが、とりあえず恐れているだろう整備員を鼓舞するに大金を放るなどいう真似はしないで正解だった。礼気の沁み入った拝礼をするだけですませた。それで、十分だった。
さて、明日もシンジの奴を鍛えてやらないとな・・・朝も早い、寝るとするか・・・・
複雑怪奇なはずの本部構造もしっかり頭に入っている明暗は迷いもせずに通路をゆく。
 
 
 
「ん・・・・・・?」
その途中、綾波レイを見かけた。「こんな時間に、家に帰ってないのか」
無人の通路で窓から地底湖を見下ろしている。そこから魚でも見えるというのか。
詩想にでも耽っているのか。それとも、涙を流さずに泣いているのか。
 
 
「どうしたんだ」
 
綾波レイは無言。だが、そこから去りもせず、去るようにも言わず、そこにとどまる。
なにかをじっと、たえている、こらえている。なにかというと、つらさにきまっている。
その様子が兄貴分を自称する暗にはたまらない。妹萌えなどとぬかす奴は殺す。
 
「誰かとケンカでもしたのか・・・・・なんか、ひどいことでも言われたか」
古今東西、腕力の強い系兄貴の定番のセリフの暗。明ならもっとソフトに上手に言うのだが、この場合はそれがヒットだった。いかにもそれが心理数系の誘導尋問であったなら、綾波レイもひっかからなかったはずなのだ。聞き慣れぬそれだからこそ。
幼子のように、反応してしまった。
ちなみに、この下の句は「兄ちゃんが今スグ行ってそいつをぶん殴ってやるからな」であり、その反応速度は光速を凌駕するという。ジャイ子に対するジャイアンみたいな態度だなーと日向マコトがこの場にいればそうつっこんだに違いなく、幸いなことにいなかったので殺されずにすんだ。
 
 
 
「碇君に、嘘つきだって・・・・言われたの」