「な、なんで・・・・」
 
発令所の空気が固まっている。人間は塩の柱にされたように立ち竦み、メインモニタを見上げている。鉾の上空に突如、出現した巨大な浮遊物体・・・・でかい、半径8,9キロ。鉾もでかいがこれに比べれば、皿回しの竹ひごのようなものだった。
だが、いくらでかかろうと、突然であろうと、使徒の来襲で鍛えられてきたネルフ発令所がこうまで意表をつかれて、魂抜かれることはない。多少、遅れをとろうと敵意に身体が反応するし、指揮官である葛城ミサトがそれを許すまい。しかし。
 
 
「そんな・・・・・なんで・・・・」
その葛城ミサトからしてあまり意味のない問いを繰り返すばかりで呆けてしまっている。
身体がモニタに映る物体にどう反応していいか、神経が混乱衝突交差点玉突き事故を繰り返し、これがロボットであったら確実に頭から煙吹いてショートしているところだ。ちなみにマギは学者のように沈黙している。ゴー・ストップ・ゴー・ストップを繰り返し、頭をリセットかけて再起動させるまでしばしかかる。それまで脳裏に「それまでの記憶」が保存の悪いビデオテープのようにカラカラまわる・・・・
 
 
鉾を切り倒そうと、異様な二刀の構えを見せたエヴァ零号機。微塵も動かずに剣気を高めていくその姿に一切の迷いは見られない・・・・道を修めているわけでもない葛城ミサトには剣気などわからんからこれは想像。当たってはいるが。
 
切り倒せ、とはいったものの、実際にそこまでは期待していない。いいところ切り込みをいれるくらいのものだろう、と。要は機能停止に追い込めばいいのだから固い鬼皮さえ剥いてしまえばあとの料理はリツコ先生たちに任せてしまえばいい。人を動かすにはやはりその場の勢い、というものが大事である。それに何より、なんだかんだいってもあれはシンジ君の私物だしなあ、というところがある。バリケードに使っておきながらデリケートな問題であることは承知している。あれをチョン切ればお気に入りのプラモを捨てられた子供以上に怒るだろう。ひどい例えである。が、たとえひとつの都市、ひとつの国家をその手で破壊してしまえる子供であろうと、子供は子供だ。
実際に手を下したレイとの関係も・・・ちょっと頭いたい。
 
 
だが、なんにせよ、「一刀両断」なんてそんな石川五右衛門みたいな真似ができるわけがない・・・エヴァ指揮の専門家でありながら、葛城ミサトはエヴァの力を、その操縦者の力を見誤っていた。それなのに、常識への挑戦者、逆賊・碇シンジを捕縛できるとこの期に及んで捜査網を動かしていた。まさかまさかまさか、とは思うが、非常に強力な第三介入者によってさらわれて、その意図と無関係に働かされている可能性もないではない・・・・・第二東京で自分たちの上位組織の強力さと非道さと嫌らしさと酷薄さを思い知らされてきたところだ・・・・なんだかんだいいつつ、最強の後ろ盾である碇ゲンドウの不在はこんなところにまで影響する。碇司令が本部にいるまでは手出しはしてこないと確信できるのだが・・・・。いると重圧だが、いないとやはり不安だ。
 
アスカもあのまま家に置いておかずに、本部に無理してでも一緒に連れてくれば良かったか・・・・あとから思いついたってダメなんだけどさ。再び視点をモニタに映すと
 
 
エヴァ零号機が、うっすらと笑った・・・・・・
 
 
ように見えた。ぎょっとしてエントリープラグ内のレイを見ると、これまた・・・・
 
 
信じられないことに、いつもの無表情ではなく、楽しそうに微笑んでいた・・・・
 
 
鉾を叩ききるのが、心の底から楽しい、といわんばかりに。斬ってみたくてしかたがなかったの・・・それがかなうのね・・・今。迷いも躊躇いも戸惑いもどころではない。
 
一体の斬殺人形がそこにいる。怖い!ムチャクチャに怖い!!LCLが血の海に見える。
 
シンクロ率も見てみれば、144・・・・145・・・・なんじゃそりゃあの数値。
レイはもしかして、シンジ君に相当な恨みがあったんじゃ・・・・・ありうるのが怖い。
 
「レイはもしかして、シンジ君に相当な恨みがあったんじゃ・・・」日向マコトが。
上司と部下が同じことを考えているところにさらに。
 
「レイはもしかして、シンジ君に相当な恨みがあったんじゃ・・・」青葉シゲルが。
「レイはもしかして、シンジ君に相当な恨みがあったんじゃ・・・」伊吹マヤが。
オペレータ三羽ガラスの輪唱となる。それから発令所の他の者も。こうなるとまるでオペラだが。
 
 
「・・・・・かもしれないわね」赤木リツコ博士のとどめ。
武道の極みをこのように受け取られてはかなわんが、言葉で理解できるものではないので渋く黙っておく怒りの武道、野散須カンタロー。「・・・・まあ、あるいはあったかもしれんしの」・・・若者じゃし。幸いなことに霧島ハムテル教授はお呼びがかかるまではラボで研究中であり、冬月副司令碇ゲンドウともに不在であるので、そこらで打ち止めであった。
 
 
「そ、そんなことないわよ!精神が集中されて・・シ、シンクロ率が高まっているからじゃないの?あー、あのーそう、赤ん坊が自然にみせる天使の笑顔とか、そんなやつよ。多分」
内心では同じことを考えたくせに、一応保護者としてフォローをいれておく葛城ミサト。
綾波レイの普段の素行からして、恨みを買うとなったら悪いのは100%、1000%、一方的に碇シンジに決まっているのだから。ちなみに皆さん正解です。また・・・・
 
 
そのような軽口を叩かねばならないほど、今の綾波レイは恐ろしかったということである。
 
 
そして、綾波レイと零号機の微笑みが「零鳳」「初凰」に伝導されるとき、永遠を寿ぐ鳥たちが歓喜の鳴声をあげる。常人に聞こえるはずのない伝説の神鳥のその鳴き声を葛城ミサトは確かに聞いた。「やばっ・・・!」いまさら気づいても遅いのである。
 
 
神速の斬撃が、悪魔の鎚鉾を、一刀両断に、する・・・・・
 
 
はずだった。
 
 
だが、なんの前触れもなく・・・・いや、鉾の屹立こそが「それ」を呼び招く儀式の一つだったのかもしれないが・・・・現れた巨大な浮遊物体。確認する間もないそれが何か「分からない」のであれば、刀は振り抜かれて、鉾は藁束のように切り倒されていただろう。綾波レイ、エヴァ零号機の斬撃は問答無用だ判定不能のその境地にあった。
わずかに遅れて葛城ミサトと赤木リツコと、野散須カンタローが、そして発令所のオペレータたちが「それ」の正体に気づく。よく知っているもの。それは、消えたはずのもの。
 
 
消滅した第二支部
 
 
神速の中、無我の境地にありながら、綾波レイは、エヴァ零号機は反応し、飛翔の軌道を歪ませて「零鳳」に「初凰」をカチあわせた・・・・・!。突然の剣使主の裏切りに紅蓮の怒りと嘆きの軋みをあげながら、二刀は宿された魂を対消滅させられて、滅んだ。
 
 
折れた。
 
 
「これは・・・・・碇君が・・・・・それとも・・・・・」
これで完全に全体力全精神力を振り絞り使い切った綾波レイの意識がブラックアウトする。だとしたら・・・・私は・・・・。零号機の両腕も過負荷に耐えかね、ダラリとのびきると二刀を手放す。パイロットの意識断絶によりエヴァ零号機はバランスを失った人形と化してそのまま倒れる・・・・
ところを隠匿作業に備えてステルス化していた闇の風のように駆けてきたエヴァ参号機が支える。そこまでの動きをとった参号機、黒羅羅明暗にしても、それ以上は動けずに、抱き支えたまま頭上を見上げる・・・下界のサルを睥睨する黒い月のような。
「・・・・これさえ斬れたかもしれねえのにな・・・・・」捨てられた二刀が虚しい。
 
 
都市の夜空を占拠した巨大な影・・・・綾波レイが真相を看破し反応したのはほぼ直感によるものだが、発令所にいる者たちがそれを確かに認識したのは、自動的に対象をサーチしてくれる対使徒の監視システムが上空からの対象映像を送ってきたことによる。
連想の能力がさほどなくとも、この映像には見覚えがあった。不可解な恐怖と理不尽な怒りとともに脳に刻みつけられている。・・・・・”十分の一”に縮小されてはいたが。
エヴァ四号機の実験中に、謎の消滅を遂げた・・・・アメリカはネバダの第二支部。
 
 
消えたものはいつか現れる・・・・・それは願いであったのか、それとも・・・・
 
 

 
 
「はーっ、はーっ・・・・何アスカ・・・僕忙しいから帰ってから・・・・にして・・・・はーっ、へーっ・・・・・じゃあね・・」
 
息が荒いままに携帯を切ろうとする碇シンジ。声色の端に「しまったなあ、とるんじゃなかったなあ」という色が如実に伺える。実際に、何の気なしにとってしまったが碇シンジもそれどころではないのだ。忙しいのだ。予定が狂っていて大慌てなのだ。急ぐのだ。
 
惣流アスカの耳には、どうもギイコッギイコッと壊れたシーソーを上げたり下げたりしているような奇妙な音がするのだが、少なくともエヴァ初号機の中ではあるまい。その他に漏れ聞こえる音は、市民の皆さんはシェルターに避難してくださいだの表に出ないでくださいだのいう放送だのパトカーのサイレンの音だの信号の音だの、どう聞いてもネルフ本部内にいる様子ではない。こいつは市街に出ている。・・・・なに遊んでんの!?
 
 
ビキッ。もちろん、惣流アスカの怒るまいことか。
「ざけんじゃないわよ、バカシンジ!!この思いッきり異常事態にアンタなにやってんのよっ!」
 
 
・・・・、と普段ならば怒鳴りつけてやるところであろう。が、そうしなかった。
 
 
聞きようによっては、その音が錆びた自転車を漕ぐようにも聞こえて、実験を終えてどこかの店に寄っていたところ異常事態発生にに気づいたものの、足がなく、かといってそこらの原チャリを盗むこともできずにどこぞのゴミ捨て場に捨てられていたゴミ自転車をゲットしてそれを必死に漕いで本部に駆けつけようとしている・・・けなげ・・・なんてことを考えたわけでもない。
 
 
「なんで約束やぶったのよ・・・・」
 
 
ぽつん、と言われて、怒られる前に携帯をきろうとした碇シンジ・ザ・外道の手が止まる。
 
「え?」
そちらのほうが、その声の方がよほど異常事態であったが、さすがにそんなことは言えない。なんか約束したっけな、と脳に酸素を回して思い返すが、そこまで消沈させるようなひどい約束破りはした覚えがない。うーん、もう一回チェックしてみるけど・・・ない。
なんの約束してたっけ?などというギャルゲーのバカな男主人公と違い、おりこうな碇シンジは地雷を踏んだりしない。
 
 
「ど、どうしたの?」
代わりに落とし穴にはまるが。さらにマヌケといえなくもない。ギイコギイコという音も止まった。かなり動揺しているのだろうか。
 
 
ひう・・・・・
 
 
その動揺にさらなる追い打ち。とらなきゃよかった携帯から、激しく脈打つ心臓さえ止めかねないすすり泣く声が。なんで!?うそ!?もしかしてにせ者??ひどい!!やばい!!約束破り検索を可能な限り広範囲かつ正確高速に行うが、まったくもって心当たりがない。泣き声は、火の雨のように、耳朶を濡らし焼く。
「そんなことより、今は異常事態が起きてるんだ大変だよ!」という話題そらしの卑劣テクニックも封じられている。なんせ、それを起こしているのはてめえなのだから。
 
 
いっそ漢らしく地雷を踏んでおけばよかったのだ・・・・・まさにどつぼである。
しかし、時間はなく、碇シンジは忙しい。アリスのウサギのように時間に追われて忙しい。
 
 
ひう・・・・・
 
 
実のところ、なんで自分が泣くのか、涙がでるのか、泣かねばならないのか、惣流アスカ本人もよく分からない。涙で人を引き止めることはできない。碇シンジは人ではないのかもしれない。約束やぶり、というても、たかが十時のおやつをつくらなかっただけの話。そんなことをいちいち責めていては同居はできない。半分、寝言のようなそれ。ヒカリにそんなことを話せば笑われるどころかお説教くらう。
 
 
これは日本語分類でいえば、「言い掛かり」もしくは「いちゃもん」または「ケンカを売る」という。・・・・・不様だ。自分が今どこにいるのか、現場から遠く離れた家にひとり。対岸の火事を眺めるように・・・・いや、雷電鉾だから、対岸の雷か。
自分の力は・・・・必要ないのか。消えたはずの、癒されたはずの昔の傷が再び。
戦力の外。絶対領域の外。左手の負傷・・・ユイおかあさんは片腕だった・・・。
悔し涙なのか、それとも、家に一人取り残された心細さに子供みたいに泣いてるだけか。
自分と同じに足を止めた人間をつくって安心したいのか。それとも、これはほんとうに考えたくないのだが、ほんとうのほんとうに、ただ、フルーチェのせホットケーキを作ってもらえなかったから涙がでるのか・・・・・・ただ、それだけで泣けるのか、
たかが食べ物のことで、たかが人のことで。
 
 
ここで、惣流アスカは絶対に泣くべきではなかった。
惣流アスカ本人は知らないが、自覚もないが、その涙は、これまで好き放題にまるで巨大隕石のように計画を遂行邁進してきた碇シンジ・ザ・外道の軌道を狂わせ移動コースを変更するほどの威力があり、自分自身がそれほどの存在であることを、惣流アスカはまだ知らない。メテオごろしである。
 
 
「今、どこにいるの・・・・」
帰ってきて、とか、顔を見せてひとりにしないでよ、などとは口が裂けてもいうような惣流アスカではない。これはただ、現在位置を聞いただけ。あまり意味はなく、だからどうしてほしい、という意味のことではない。が、今の碇シンジは深読みモードに入っている。
おだて上手の女は多いが、男を深く沈ませ慎み深くさせるのはあまりいない。ラングレー覚醒をきっかけにまたひとまわりパワーがアップしているのかもしれない。苦労は人を成長させる。
 
 
「すぐにいくからっ!出かける鍵は忘れずに!」
 
それだけ言って携帯は切れた。後半はなんだか興奮してるのか混乱していたが、どうせ惣流アスカも聞いてなかったからどっこいどっこいだ。碇シンジがすぐ、といえば本当にすぐだ。いざとなると後ろ髪のない幸運の女神よりも早い迅雷の少年。困るのが、そのいざ、を他人があまり理解しないことだ。それから惣流アスカは、碇シンジの息の荒さから動き回るケースを想定して、動きやすい服装に着替え直す。顔も洗った。靴もそれに合ったものを。それから、年中夏のネルフ本部では支給されそうもない保温防刃防水反射性能ばつぐんのギルジャケットを羽織る。本職の軍人も欲しがるそれに袖をとおすとやはり身が締まる。皮肉といえば皮肉なことに、そこにはパイロットの任に忠実なセカンド・チルドレンはおらず、いるのは惣流アスカただひとり。
カチン、と頑丈なブーツの踵を打ち鳴らしてみせる。その一音で足筋が訓練を思い出す。
命令がないからには、ここで起こされるまで眠っているのがスジなのだろうが、こうやって目覚めたからには、耳であのバカの声を聞いたからには、対岸でのんびり眺めてなんていられない。
 
 
駆ける。
 
 
共に駆ける。選択の機会は思ったよりもずっと早く、唐突に。暴くために共に駆ける。
この選択が正解だとかは分からない。相方があいつであるから、なんか失敗ぽいが。
それでも。
 
碇シンジの方も一度は、これでよしもう大丈夫だろう、もう後ろは振り返らないでいくぜ、とばかりに暴走していたくせに、女の子に泣かれてこれである。まったくもってざまあない。彼岸の存在に会いに行く掟を遵守するよりも、もうひとつの身近な彼岸を優先するつもりらしい。そちらの方が恐ろしかった、ということもあろうが・・・・綾波レイの嬉しそう楽しいね笑顔と同様に。
それから、天上切符はもともと二枚あった、という点も頭にあったかもしれない。
 
 
ギイコ・ギイコ・ギイコ・・・・
ギイコ・ギイコ・ギイコ・・・・
 
 
これがドンブラコッコであると、川から流れてくる桃なのだが、マンションの前に立って待つ惣流アスカの前に現れたのは・・・・・
 
 
「はーっ・・・はーっ・・へーっ・・・ぜーっ・・・・あ、アスカ・・・・」
 
 
トロッコであった。
 
 
中央に手で上げ下げするシーソーがついており、おそらくそれで進むのだろうが、そんなんで公道を走っていいのだろうか、手動力の割にはずいぶんと早かったが・・・
しかも、構造はともかく全体的に古びてみすぼらしい。廃坑で放置されていたのを勝手に持ち出した・・・よりは多少ましな程度。動けばいいのだろうが、とにもかくにも予想だにしていなかった乗り物であった。そりゃカボチャの馬車とかロールスロイスとかハーレーとかで迎えに来いとはいわないが、いくらなんでも。これに乗れってか。
しかも、肩で息をしている碇シンジのシーソーの相方は風船人形だ。体格がよく、胸の中央に「フッ君」と書いてあるから、それが名前なのだろう。風船人形のフッ君。なるほど。
「だらしないぞお、シンジ!!それでも男かあ!」
しかも口が悪い。・・・え?
 
 
「お待たせ・・・・・で、約束破ってごめん・・・・・おまけに、その約束じたい忘れてたよ・・・・・」
 
 
恋愛ドラマの最終回のようなことをいって詫びをいれる碇シンジ。息もたえだえなので、深く反省しているのかそれともそんなこと微塵も考えてないか、よく判別できない。
 
 
「帰ってきてから・・・・・あとで、なんでもいうこと・・・ひとつだけ・・・・だけど・・・・きくから・・・・・・今は・・・・いそぐから・・・・いかせて」
「なにいってんのか、さっぱりきこえないぞお!!さあ、もっと胸をはっていうんだー!!そーれ、”おまえはおれを愛してるー!”える・おー・ぶい・いー!らびゅー、さあーいけい!」
 
「アンタがうるさいのよ」そこらにあった石ころをトルネードで風船人形に投げつける惣流アスカ。しかも、ほんとになにいってんのか聞こえなかった。NHK教育にでてくる体育会命令系キャラよりもさらに視線が左斜めをむいている。迷惑かつ危ないやつめ。こんなのを相方にしてここまで来たのか、シンジは・・・・一体なにが・・・・
もしや、風船人形にして口をきくあたり、こいつはネルフの秘密兵器・・・・・
な、わけないか、石をなげつけてやったのに、ボンと弾いて喜んでYMCAのポーズで踊ってるし。「で、なんていったの、シンジ」
 
 
そんな普段通りの惣流アスカに碇シンジは安心したような、ちょいと恨んだような微妙な顔をすると、杖に似た方向レバーらしいのを操作する。
「じゃあ・・・いってきます・・・・・ああ、もう時間がない・・・・」
ギイコギイコ、とシーソーを動かし始める。トロッコは来たのと正反対に進み始める。
「いいのかい、シンジ。最愛のハニーに黙っていっちまって・・・二度と会えねえかも、しれねえんだぜ?さあー、いいのかシンジ!」
その横で大声でわめいていた風船人形がどこかの映画スターを真似したような声色でいうが、心底疲れたような碇シンジは相手にしない。
 
 
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!」慌てて追いかける惣流アスカ。思わず風船人形の相手をしてしまったが、肝心な碇シンジからはまともな話が聞けてない。ボロそうな音に反して、トロッコは意外な加速を誇る。この格好で良かった。惣流アスカの全力疾走ならばまだ飛び乗ることができた。機を逃さずに、碇シンジを捕まえた!また、その時の形相はルパン三世を追う銭形警部もかくや、というものであった。
 
 
「ちょ・・・!!アスカ、下りて、下りてってば!!ここから先は危ないんだって!」
「下りてほしければ、止めなさいよ。それからじっくりとっくり説明してもらうから!」
「おいおーい、これはちょっと困ったぞお。オレの職場で痴話喧嘩はよしてくれよお。だから言ったじゃないかあ、別れの言葉はすっぱりやれと!おまえとはもう会えないんだ、あばよ、たっしゃでな、元気でくらしてくれよ、そして、たまにはオレのことも思い出してくれよな・・・・新しいダンナとうまくやってくれ・・・子供たちはキミに似てかわいいんだろうなあ・・・」
 
 
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 
 
「視線がつめたいぞお。それともオレの演技力に声もでないかあ、ボイズンガルズ」
自慢げに鼻をならす風船人形のフッ君。こぎながらやるので上手いだけに不気味だ。
 
「なんなのよ、こいつ・・・・・」
「いろいろあったんだよ・・・・正確には予定が狂ったんだけど・・・」
「アンタも苦労してたのね・・・」
「ほんとは路面電車でいくはずだったんだよ・・・・・」
目の前に共通の敵さえいれば、すぐに結束できるのが人類のいいところである。
根本の問題を棚上げにして進歩がない、といえなくもないが。
 
そして、その間にもトロッコは進んでいく。シーソーの人力では出せるはずのない加速で。
しばらく、下ろすことも追求することも、やめておく二人。惣流アスカの髪が風靡く。
臨時駅で別れればいいや、とまた腹黒いことを考えている碇シンジは急ぐので漕ぐことに専念したいし、惣流アスカは漕ぎさえさせとけば目的地に着いてその目的も見当がつくだろうから、とりあえずは見守る。もちろん、代わってなどやらない。力仕事はシンジの仕事。
 
 
夜の市街を、車も通らず人の通りもない黒と三原色の夜の街を、駆け抜ける。ルートに法則性は、見受けられない・・デタラメのようでいて・・・・、いや、どこか覚えのある・・・道筋では、ある。魔法陣・・・儀式円・・・そのような公式めいたものより柔らかく
なんだったか・・・・・・・・・そうだ、渚が帰ったあとの「夜のおでかけ」だ。
あの時、あちらこちらをふらふら徘徊していたルートだ。あれをつなげばこれになる。
こいつは・・・・・
 
 
ぱしっ、ぱしっ、ぱしっ・・・・・弾ける音がしたと思うと、周囲に蒼白い光の玉。
それよりは小ぶりだが、洞木ヒカリがミイラ路面電車で見たのと同質の輝き。
「ん・・・・」
その輝きに、惣流アスカも似たようなことを想う・・・・「ママ・・・」
 
 
「おうっ。ようやく雷脈を辿り終えたみたいだぞ、シンジ」
「・・・うん、これですこし楽ができる・・・・・・・つかれた・・・・」