昇天
 
 
鉾を昇り天に近づくのは、ゆるやかに
 
「・・・死んでいっているのかもしれない・・・」
ぼそ、と碇シンジが呟く。その一言はあまりに小さく、
 
「え?なんか言った?」
あまりにそばにいる惣流アスカも聞き取れなかった。
 
猫のように叫ばれるのもあれだが、こう近くで死人みたくぶつぶついわれるとまた不安になる。とっくに危険などというレベルは超越してしまっている。ただ視点が高い、高度があるというのならばエヴァで慣れている。それとはまた別種の・・・なんというか、生命の匂いが希薄な。生命のあるものの侵入を許されていないとでもいうか、猛烈にして攻撃的な押し潰されそうな孤独感。しっかりと抱いていながらこうなのだ。超高層ビルから見下ろしたりする、科学の力で守られてない生身の人間感覚では。正直、ひとりではやりきれない。よくこんなところに挑む気になれる・・・・禁忌の領域である認識をひしひしと。なんの準備もせずに、こんなところに来てしまって大丈夫だったろうか・・・とてもじゃないがギルジャケット一着では用意不足という気がしてきた・・・宇宙の海をゆくのに水着をもってきた程度の意味しかなかったのでは・・・・・自分でも今さらながらとは思うけど、無茶しちまったなあ、と。シンジの奴はなんか準備期間もあったし、それなりに「自分のだけ」はやってきてるんだろうけど・・・・・
 
 
惣流アスカの見立てはまさしく正解。背を向けているから分からないが碇シンジの瞳の色をみれば、天上切符をもたず、元来その予定もなかった人間、突然の不純物を積載したまま登上しようとするのがどれくらいの苦労か分かっただろうが。
 
 
勿忘草色 オールドブルー ミンブルー コバルトブルー マドンナブルー 
スレートブルー サルビアブルー緋衣草色 ストームブルー 
のぞきいろ インディゴ エナメルブルー 花紺青 
ミッドナイトブルー サファイアブルー エジプシャンブルー 
ホライズンブルー ムーンライトブルー  
 
 
その色の変化がどのような意味をもつのか、天にある銀鉄指揮所にお願いしとるのか、それともパスワードを破ろうと四苦八苦ドットハックしとるのか、誰にも分からない。
ネルフ発令所の高解像望遠カメラをもってしても、碇シンジの瞳の変色は捉えられない。
魔術でも、科学でも届かない、力では辿り着かない、世界へ。
 
 
「・・・つきぬかいしゃや十日三日月 みやらびかいしゃや十四つぃぐる・・・」
 
 
ふいに、碇シンジが唄いだす。今まで抱き留められるだけだった惣流アスカにぎゅっと腕をまわして自分からもきりっと掴んで。「・・・・!」これが合図だとすぐに分かった。
 
 
でも・・・・・
 
鉾と第二支部とは直接連結はしていない・・・・・その間を・・・・
 
・・・・どうするんだ・・・・・
 
 
ゆーばなぶし ゆふいくえーぶし いりーぬうぶす 
ゆーばんまんじゃー ゆーいーふぉーぶす ぶーにーぬぶやぷつ
 
 
飛ぶ、にしたってここまで全然加速されていない、鉾から離れたら最後、急転直下で大地に叩き落とされる気がする!かなりする!!すげーする!!絶対する!!!今まではなんだかんだと鉾の存在感と安定感で騙してこれたが、惣流アスカの脳内にある物理知識が肉体に再び恐怖を呼び起こすが、精神力でねじ伏せる。足下から這い上がる冷えた浮遊感をなんとか耐える。覚悟とはそうしたものであるし、碇シンジのゆるやかな調子の唄が恐れを洗い流してしまうのだ。大丈夫〜、ではないが、小丈夫・・!、くらい。どんな日本語だとも思うがそれが正直な話。
 
目を閉じずに、しっかりとこの先を見ていく。
青い瞳が。
碇シンジも「怖かったら目を閉じていていいよ」などと頼りがいのあることはいってくれないし。
 
少年少女、二人とも必死だ。
 
 
そして。鉾の先端まで登り詰めて、そこから、わずかにジャンプし、宙へ
それから
 
 
トロッコは、ドンブラコッコ、ドンブラコッコと、鉾と臨時駅の間を、流れていった。
まるで、そこだけ、精霊を送る、見えない遡る川でもあるように。
天の川(てぃんがーら)を我田引水したかのように。
ゆっくりと、ゆっくりと、地上とのなごりをおしむように、まるで二度と戻ってこれぬことを下界に知らしめるように、ゆっくり、ゆっくりと。
 
 
それを見上げる葛城ミサトなどは鉾を発射台にして、ずどーんとロケットのように加速して打ち上げられる様を予想していたから、いやがおうにも不安になる光景であった。碇シンジにいわせると「それじゃあほんとにお星様になっちゃうよ」ということで、そっちの方が危険なのだが。
 
 
そして、トロッコはようやく第二支部臨時駅にたどり着く。銀河鉄道の夜のジョバンニは改札口も通らずにいきなり鉄道に乗っていたことを考えればえらい手間である。
 
だが、これもかれも、碇シンジが切符を落とすからいけないのである。
 
そうでなければ、割合にとんとんとコトは進んで楽に臨時駅まで到着できていたはずなのである。きちんと、証人もいる。しかもふたり。
 
 

 
 
十分の一ほどに握り圧縮されとはいえ、もとが広大なネルフ第二支部である。
 
 
そう一口に「臨時駅」とはいえ、12本の銀鉄が集結して停車しているプラットホーム部分、あえていうなら”ステーション地点”にまでいかねばならない。外縁に流れ着き、またそこからトロッコを走らせて12の光線路が集まっているところへ。
 
碇シンジも上がってきた直後は「あれ?」とかいっていたが、考えてみればそうなる。
 
銀河とはいえ鉄道だけあって、バスなどと違ってあまり融通が利かないらしい。
 
 
「なんだか、遠距離通勤のサラリーマンみたいだねえ」
「夢がないけど、あえて異議なし・・・」
 
夜の砂漠をゆく。再び碇シンジとフッ君がシーソーを漕いでいる。
このキリコな幻夢のまっただ中でそれ以上の夢もいるまい。
 
「そうかあ、諸君らの世代は夫婦共働きというわけだなあ!!夫は外で働き、妻は家でハウスキーパーというのが憧れのライフスタイルなのだがなあ!で、子供は何人くらいがいいんだい、キミたちとしては。その子達の面倒を見なければならない家令の身としてはぜひ知っておきたい情報だなっ!!」
夜の砂漠をゆく。使徒の力に支配された人外の魔境をゆく。膝までの高さの侵入禁止の警告看板や盆栽サイズのサボテンの群れ、100円を入れたら動きそうなサイズの飛行機・・・今の所まだ人間には会っていない。見過ごしていないという保証もないが。
が、雰囲気ぶち壊し。
 
 
「・・・・・子供なんていらないわよ」
 
 
ぼそ、と惣流アスカが呟いた。
答えるというよりも、自分のために、守るように告げるように。これ以上それについては踏み込まないでと。たとえ冗談でも。深くならないように、かたちのない混沌に話題を投げ捨てる。
 
 
「アスカ?どうしたの」碇シンジがけげんそうに
 
「あ?い、いや、こんな空気マッチョにベビーシッターなんか頼まないって話よ。って、どうしてこんな話になるわけ」
いかにも鈍そうなこの二名の前でいかにもワケありそうな口をきいたこと自体が失敗だった。異質にして強い精神重圧から解放されて羽目がはずれたのか、ついやっちまった・・・大急ぎで話を逸らしにかかる惣流アスカ。
 
 
「ふうん・・・・」あまり納得していない顔の碇シンジ。ついで
 
「僕はもう、名前も考えてあるけど・・・・・アスカがそう言うなら秘密にしとこう」
 
 
「「なにいっ!?」」
惣流アスカと風船人形のハモリ。こんな答は予想もしてなかった。
 
 
「ヘイ、アスカラングレー。シ、シンジはこうブルースプリング、ボーイズビーに見えて意外にヤル奴なのか・・・・?」
「そ、そんなの知らないわよっっっ!!?アタシに聞くなっ!それになんなのよヤルってのは!!」
「なんというかヌケヌケというもんだぜ・・・・というか実はシンジはどこかのプリンスなのか?その人生予定調和ぶりは。その頭脳の中にはすでにパーフェクツな家庭計画が構築されているわけだなー」
 
碇シンジがこういう奴でないのなら、ただそれは場をさらりとなだめるための適当なフォローであろうし、このナンパ野郎メ欧風コンニャロメですむのだが
 
「教えなさいよー」
 
「秘密」
 
「ゼヒ聞かせてくれーゼヒ聞きたいんだー」
 
「秘密」
 
「フン、どうせアンタのことだからまたへんてこな名前に決まってるわ、今なら無料で訂正して修正してあげるから教えなさい。まさか顔文字とかは使ってないでしょうね?」
 
「秘密」
 
「()カッコの使用などもまずいとおもうぞ!教えるは一時の恥、教えないのは一生の恥だぞー」
いつの間にか惣流アスカとフッ君が共闘している。まだ親父になってないくせにこんな頑固は問題だ。一応この二人、三分の一くらい本気で将来の、未来の碇シンジの子供の心配をしているのだ。それを有り難いと思ったのかどうか、碇シンジは・・・・「それは・・・・」
 
「おお!」「それは?」
 
 
「それは、秘密なんだよ。なるほどくん」斜め角度の笑顔一言で追求をかわしてしまう。
 
 
「「なるほどくんって誰!!」」夜の砂漠につっこみが響いた頃、ステーションが見えた。
 
 

 
 
 
鳥が死にました
 
 
赤い鳥が死にました
 
 
暗闇に舞う不死鳥の幻想。その傍に立っている白い裸身に白い長衣を打ちかけた「自分」。
 
 
鳥が死にました
 
 
赤い鳥が死にました
 
 
レイちゃんのせいで死にました
 
 
唄は手鞠、唄うごとに舞う不死鳥が丸くなり、「自分」の白い手が打つ鞠となる。
 
 
「レリエル・・・」
それを見ている自分は・・・・綾波レイは、目の前の「自分」の名を呼んだ。
 
意識がはっきりしてない。確か零号機のエントリープラグの中のはずだが、操縦桿の感触もなく自分が寝ているのか起きているのか立っているのかさえよく分からない。
ただ分かるのは、レリエルが自分を愚弄する唄を目の前で唄っていることだけ。
赤い鳥とは・・・・零鳳と初凰のことだ。自分の手で他に代わりのない名刀二振りを失ったことには当然の自責がある。が、自分と同じ顔をしていようが言われる義理はない。
さすがに腹が立ち、平手打ちのひとつでもしてやろうかと、思った。が。
 
 
 
「なんで銀鉄に乗ってないの?レイちゃんは」
 
 
その前に逆に、ぎろり、と睨まれてしまった。自分と同じ赤い瞳で。
 
 
「切符は二枚送ったのに。なんで?なんでシンジ君と一緒に乗ってないの」
 
 
咎められているが、咎められているようだが、咎められているのだろうが、謎すぎる。
返答のしようがない。銀鉄とか、切符とか・・・・綾波の関係者、ではあるまい。
 
 
「レイちゃんに来て欲しかったから、無理をいって二枚用意してもらったのに。
あの天上切符、手に入れるのすごーく大変なんだよ!?印刷発生確率が二兆・・・・いや、こんなこといってもしかたないけど、でもなんで?なんでレイちゃんがこんなところで木こりの真似してのび太くんしてるの?」
 
分からないことだらけであるが、自分の意識が外ではなく内でもないところにあることは分かる。こちらにしてみれば、あなたドラえもん?と問い返したくなる。夢にしてはあまりに自分の知らないことだらけ。その割には、なんか胸の底から沸々と怒りらしきものがわいてくる。まさかレリエルのそれに同調したわけではない。
引っかかる一言があったせいだ。
 
 
シンジ君と一緒に・・・・・・レリエルは確かにそう言った。
切符は二枚送った・・・・・・郵送先は当然、彼の所だろう。自分はもらってないが。
そんな事実があったことさえ。・・・・・・碇君・・・・・
 
 
「有効期限ぎりぎりまで使ってくれないし・・・・・使えば使ったでもー、あんなだし。
シンジ君の上に”バカ”ってつけていい?一応、友好成分は入ってるけど、軽めに」
不死鳥手鞠をこねまわし、赤い恐竜をつくるレリエル。がおーと火を吹く。
 
 
「・・・・知らない」
 
 
「おろ?もしかして、その態度、シンジ君から全然全く完全完璧に聞いてないとか。
こっちもいろいろと忙しくて確認する間もなくて。いやー、だって、ふつーそうじゃない?これだけでかい重要出来事(イベント)なら、レイちゃんを誘うってもんでしょー?・・・・信じられない!バカじゃないの?」
 
自分と同じ顔でこうもキッチリ「バカ」だと言ってもらえると少しは溜飲が下がらないでもない綾波レイであった。だが、根本の所でレリエルの言いぐさは間違っている。
もし、碇シンジがそんなものに自分を誘おうものなら、説得・・・はたぶん無駄であろうから、多少罠にはめようと監禁してでもやめさせるに違いない。また、碇君もそんなことは承知であろうから、・・・・碇司令の息子だし・・・・・黙って実行した、と。
 
 
「でも、しょうがない。カヲル君はシンジ君が来てくれればいいんだし・・・・レイちゃんも来てくれればよかったけど・・・・これも運命かな。シンジ君がレイちゃんを出し抜くなんて・・・・」
 
よよよ、と嘆くように長衣で目元をぬぐうレリエル。
 
「・・・・・」
その仕草も相当、頭に来る。ふざけているのだろうが、半分以上、本気で残念がっているのだ。それを隠すためにふざけているのが、分かる。それがまた頭に来る。もと半身の。
 
 
「臨時駅の出発まであとわずか。いくらレイちゃんでも、もう銀鉄には追いつけない」
火の恐竜を丸めて、鞠に戻してしまうレリエル。
 
 
「・・・・・一体、なんのために、呼んだの・・・・?それから第二支部は・・・・」
 
 
「質問はひとつずつにしようよ、レイちゃん。でも時間ないから教えてあげる。
第二支部は、代償。一概にはいえないけど、それが一番大きい。シンジ君とレイちゃん・・・まあ、実際はシンジ君ひとりだけだったけど、宿泊クーポン付きの交通費みたいなもんかな。出現のタイミングはカヲル君だからよく分からない。でも、誰にとってもこの状況で下ろすのが一番いいんじゃないのかな。あの質量を地上に無事におろせるのはあの・・・”ゼルエルの鉾”だけだからね」
 
 
「・・・・・・・・」
もし、消滅した第二支部の返還を代償に、自分の所へ切符が送られてきていたとしたら・・・・自己犠牲の陰鬱を一蹴できただろうか。そして、レリエルは今、あの鉾のことをなんと呼んだか・・・
 
 
「それから、二人に来てもらいたかったのは・・・・
入滅合涅槃会・・・・・ああ、これじゃ分かりにくいか。平たく言うと・・・・・
 
 
”お誕生会”・・・・・かな、そう、お誕生会に来て欲しかったんだよ。
 
 
シンジ君とレイちゃんに。でも、レイちゃんは残念だったなー・・・・会場は銀鉄でしかいけない場所にあるから。使徒目につかない遠い場所・・・・・光馬」
 
 
レリエルが背を向けた。そのまま自分が戻るべき天上を見上げる。
「もう、信号が青に変わる・・・・・出発だよ」
 
 
「私たちのこの目が、信号だったら、いつまでも止めておけるのにね」
 
 
「レイちゃんが来てくれないことが、ほんとに残念だよ。でも、仕方がないかな。
・・・・さよなら、レイちゃん」
 
 
言いたいことだけ言ってレリエルは姿を消した。この目に白い残像を焼きつけて。
そして、綾波レイにもう一度あがく力を与えて・・・・。
と、記すと美しいが、要は挑発して怒らせたわけである。
 
 
赤はとまれ、であるが。
 
 
碇シンジにもレリエルにも、ここまでコケにされて黙っていられる綾波レイではなかった。
 
 

 
 
臨時駅ステーション部分に着いた碇シンジ達を待っていたのは意外な人物ふたりだった。
 
 
「トウジ?」「鈴原?」
 
「おう、やっと来たのう。シンジ・・・・ん?惣流、オマエもかい」
なぜか鈴原トウジと。ジャミラ化はすでに解除されている。
 
「・・・・あ、こんばんは」
 
「ヒカリ?」「洞木さん?」
 
なぜか洞木ヒカリ。委員長はこんなところに来てもいいのか、時間も遅いし。