りりりりりりん
 
 
電話が鳴った。おっとっと取らねば。それが待ち人からのものであれと。
1・2・3・と碇シンジは念をこめて。受話器をとる。
 
 
「はい、葛城です・・・・・
 
ミサトさん!今どこなんですか無事だったんですかなにしてたんですか手間取りすぎてますおそすぎますすぐ帰ってきてください・・・・いや、そういう冗談はいっさいいいですから、怒ります、で、何時頃帰ってくるんですか・・・・絶対ですよ、時間厳守で、綾波さんたちもいっしょなんですね?寄り道なんてしないでください
 
 
・・・じゃ、アスカに代わります」
 
 
「ミサトなの?」
めずらしい碇シンジの剣幕に惣流アスカが目をまるくしている。自分の役どころをすっかりさらわれてしまったようで、言うことがなくなってしまった。「ほんとにミサト?」
「うん、お昼までに。時間厳守してもらうから・・・・というわけで、買い物に行ってくるよ」
 
「え?あ?ちょ、ちょっと待って・・・・シン
 
呼び終えるまえにさっさと。なにが、というわけなんだか。ふだんはへろん、としているくせに時折、電光迅雷のような動きを見せるときがある。だいたい、ろくなことをしない。なんなんだ南極基地から帰ってくるダーリン旦那を迎えるみたく。
自分の部屋でなんかゴソゴソやったみたいだが、そのまま玄関を飛び出していった。
おそらくスタンプがもらえるのでマイ買い物バッグでも持っていったのだろう。
 
・・・・ジのバカ」
 
 
玄関をいつまでも見ていてもしょうがないので、意識を受話器内に切り替える。
なんだかひどくなつかしい・・・・使い古されたフレーズでちょっとはずかしいが・・・・声が流れてきた。耳の軟骨が、ぽたぽた焼きになりそうで。
 
 
「・・・アスカ、元気だった〜・・・・・それでシンジ君、どうしちゃったの?なんかマズイタイミングの電話だったのかしらん」
 
電話口には確かに葛城ミサト、この家の主の声。もどかしい。早く帰ってこい。ばか。
 
「べつに。それだけミサトが恋しいのよ、なんせお子さまだから。で、どしたの?えらく手間取ってるけど・・・もしかしてまたあのロボットがなんか・・・」
 
行く先は第二東京。惣流アスカ最大の鬼門。まさか悪夢ふたたびなんてことは
 
「・・・・詳しいことは帰ってから話すけど、こっちもほんとにほんと、大変でしたよ。ちょいと面倒なんで情報管制かけてもらってたけど、そっちは大事なかった?」
 
「なにも・・・・と、いいたいけど帰ってから話すわ」
 
「・・・シンジ君関連?なんか進展あった?ストーリーレベルあがった?」
 
「なんのレベルよ。ほとんど寝てるんだから、なにも起こりようがないでしょ。シンジの奴がその気にならない限りは・・・」
 
「・・・よく考えてみたら、その状況ってけっこうキケンだったのねえ・・・・シンジ君だからって安心してたけど。残念?」
 
「な・に・が・よ。これ以上詳しく聞きたかったら早く帰ってきなさいよ」
 
声を聞けば完全に向こうの状況が分かる、なんてことはないけれど、とりあえず死人がでていればこんな軽口も叩けまい。なんせエヴァが二体もいたのだし。問題なんてなにも
 
 
そう、問題なんてなにも
 
 
おきるはずがない。
 
 
「・・・もちろん、ようやく一仕事終わったし、愛しいあなたたちのもとへ飛んで帰りますよう」
 
「愛しいビールたち?冷蔵庫の中に2本だけ、かろうじて複数形だけど」
 
「・・う、うぐ・・・・」
 
「あ、でも今シンジが買いにいったみたいだから・・・・・ああ、出張あけの祝杯か、ほんと気がつくわね、あいつは・・・」
 
 
「い!?」
突如、電話口のむこうで葛城ミサトが寄声をあげる。なんかあったのだろうか。
たとえば膝かっくんをやられたとか・・・・まさか
 
 
「どしたの?ミサト」
 
「シンジ君、そこにいないの!?」
なにをそんなに驚いているのか・・・きょとんとする惣流アスカ。
 
「疾風怒濤の勢いで買い物にいったけど・・・・なにか聞くことでもあったの?」
それならそれで携帯電話があるのに。シンジの剣幕がそんなに、というか意外にショックだったのかな。
 
「・・・すぐ戻ってくるって言った?」
 
「さあ・・・・ビール類だけならコンビニですむけど・・・・あの調子だともうちょっと張り込んでスーパーにでもいくんじゃないかな。なんか気合いはいってたけど、ね」
 
「・・・そ、そう・・・・そうよね。い、いや、もしかしたらそうじゃないかなーと、気をつかわせちゃって悪いなあ、とか考えてみたわけですよ!。離れてみてつくづくわかる家族の有り難み。てのひらのしわとしわをあわせて、しあわせって感じですよ!わはは」
 
「なんかものすごくごまかされてる気がするんだけど・・・・まあ、いいか。伝言ある?いくらなんでもシンジが帰ってくるほうがミサトたちより早いだろうから」
 
「・・・いや、いいわ。ちょっと驚いた・・・じゃない、感激しただけだから。それじゃお昼にあいましょ。センス炸裂の第二東京みやげ期待してて。・・・眠たかったら寝ててもいいけど。寝る子は治るってね」
 
「うん・・、でも、なんとか起きててみるわ・・・・それじゃ」
久方ぶりの声が終わった。受話器をおとすまで、この電話機には同じ重さの黄金の価値があった。笑ってもいい。けど断言する。そして、この電話機はふつうの電話機にもどった。
 
 
ふわ・・・・・・
ああはいったものの、急に眠くなってきた惣流アスカ。やはり薬が強力なのだ。
そのぶん効き目も抜群なのだろう・・・・・起きておかないとまずいけど
 
本調子とはほど遠い現在の能力。そうでなければ、葛城ミサトがこの通話中、”必ず間をおいて”考えながら話していたことに違和感を感じていたはず。例外は碇シンジの不在に驚いていたときだけ。
 
 
だめだ・・・・ねむい・・・・
 
 
まあ、シンジが帰ってくればおこしてくれるだろう。妙なところで説教臭い。
あいつはそういうやつ。部屋のベッドまでは戻れないから・・・・ソファにころがる。
 
まぶたが・・・・重たい。
 
 
無意識にだっぴくんを貼られた腕をそっと抱く惣流アスカ。そのまま
くー・・・・・・・すー・・・・・日常を枕とする眠りへ。平穏の寝息が。
見る夢は、ひさかたぶりに家族がそろう光景か。
 
 
だが、十時になっても昼になっても
ゴーサインが入った碇シンジが惣流アスカを起こすことは、なかった。
 
 

 
 
「・・・・いたことはいたけど、逆にトリガー引いちゃったかもしれないわね・・」
携帯を胸ポケットに仕舞いながら葛城ミサトの表情は沈鬱。
 
さきほど惣流アスカと会話していた、携帯電話会社のCMに出演できそうな家庭人カエールの気配などどこにもない。
そこには特務機関ネルフ作戦部長がいるだけだ。戦闘の指揮を執り使徒の殲滅がその使命。
碇シンジのあの態度は待ちに待った交代要員がようやく来たときのそれだ。露骨に。
アスカというリレーのバトンを手渡されてあとよろしく、とダッシュで出ていったような。
 
スクランブル。涙を流さない鋼鉄の勇者のようじゃないの。
 
買い物?あれは・・・・どこぞで一戦交えてこようとするものの気配が濃厚に。
早々にアスカに代わられたことも誤算であった。レイのことを伝えて釘を刺しておこうと思ったのに。自重してくれと。その名の通りに重みを増してくれと。それが彼に望むことその一。だんだんと目が離せなくなってきている・・・・なにをやらかすのか、雲のむこうにあるように読めない・・・・まるで人がかわったように
 
自分の方こそ二重人格なのではないか、と思う間もなく。独り言をつぶやくのはどちら?
 
「・・いや、考え過ぎか・・・・・アスカは元に戻ってるみたいだし・・・・
あったく、こんなことが起きるから・・・・・調子が狂うわ・・・」
せめて、家では激しかろうとなにかろうと、日常でいてほしい。ねがうくらいは。
 
 
大変というのもなまやさしい状況をようやく鎮定し終えた。今後の方策協議を詰め終えてJA連合会長室を出た直後の連絡。早足で辿り着く発着場には、二人の子供が待っていた。
 
 
一人は車椅子、綾波レイ。
その傍らに黒羅羅明暗。
 
 
両名とも表情が厳しい。仕事を片づけ終えた達成感充実感など欠片もなく、二人とも十年も百年も年をとったような重苦しい悲壮感が漂う。それのみならず、明暗からは抑えに抑えてはいるが凶極の殺気が漂う。その状態で睨めば生き物が死ぬので目は閉じている。必殺の破壊力を秘めた肉体は降る朝光の煌めきを尽く吸い、辺りを水墨枯山水の色彩に変えてしまっていた。
尋常な怒りようではない。無言であっても、纏う黒衣が気ではためき唸るようでさえある。
 
 
その原因は隣の綾波レイ。白い医療用のローブを着せられており、喉には包帯。自らの力で立ち上がれないほどに消耗し、ほんとど棺桶に片足どころか、身を横たえている状態でぐったりとして今にもくたばりそうなのだが、葛城ミサトの言葉を待つためだけに、瞳を赤らせている。まるでさそりの火。髪の色さえもこころなしか白くなっていた。なにか鬼気せまるものがあり、明暗との相乗効果で常人は近づけないコール・サックの凄惨空間と化している。
 
 
「待たせたわね・・・・・シンジ君はまだ家にいるわ・・・・・安心した、レイ?」
 
この一言を聞くために、綾波レイはこの疲労度ダメージ度にも関わらず、医療カプセルに入って休眠することを巖と拒否して待ち続けた。どうしても、どうしても、と。それを聞くまでは意識を保ち続けることをけっして裏切れぬ誰かと約束したように。なにがそれほど重要なのかは本人にしか分からないが。なにがそれほど心配なのか。・・・・・分からぬままに嘘をついてしまう。
うそつきはかつらぎのはじまりのおわり。それともおわりのはじまりか。
 
 
「・・・・・・」こくり、とうなづく綾波レイ。声はでないのだ。喉が潰されていた。
 
 
全翼機に吊されて、左手が妙な感じに膨れ上がっているエヴァ零号機と同様に。
 
それで、深い安堵とともに限界がきたらしい。車椅子に沈み込む。「もう、いいんだろ」それをまるごと明暗が持ち上げて機内に運び込む。いまさらその腕力に驚く元気もない。
 
 
「帰りましょう。ちょっち今回は働きすぎ・・・・収穫がなかったわけじゃないけれど・・・・・疲れたわ」
今回のことはとてもじゃないが、すぐに公開できたものではない。時間が必要で、自分でもまだ整理できていない部分が多い。・・・・・というよりかは謎だらけだ。
狐にばかされた、それも白面九尾の大狐にやられてしまった、奇妙すぎる体験。
今でも信じられない・・・・・確たる証人、綾波レイさえいなければ。
 
 
 
自分たちは、時を遡った。かわのながれのように。にうよのれがなのわか。
 
 
うそだろうと、じぶんでさえ、じぶんにいってやりたいくらいだ。
 
第二十八放置区域・JA連合発足記念式典会場周辺にいたものすべてまるごと。
エヴァ零号機がヨッドメロンに戦闘術式を仕掛ける一瞬前から、時が遡った。
まるで、それが気に喰わぬなにものかにリセットボタンを押されたように。
その間の記憶が確かにある。自分たちはヨッドメロンの吐き出したエヴァ壱万号機と会い、月怪と大戦をやらかした。夏の夜の夢なんかではない。見るにしたってもうちょっとハッピーな夢をみる。あそこにいた人間すべてが、式典のその日をなかったことに、強制キャンセルさせられた。一人や二人がタイムトリップするのはよくある話だが、こうやって数百人単位の人間がまるごと時間を遡ってみると、なんというか、非常に白々しい感じがしてあれだ。なんせ、記憶もリセットされているならまだしも、その一日の記憶はあるのだ。
これから、どうなるのかが分かる。分かっている。相手の顔をみれば、相手も同じことを考えているのがわかる。この白々しさ、シラケ度は筆舌に尽くしがたく、言語道断絶対無敵。自分がテレパシーと未来予知の能力を同時に発動させるサイコなテラ戦士になってしまったかのようで、非常に気恥ずかしい。ラベンダーの香りの中で悶え死んでしまいそうであった。
ともあれ、戻った時間は葛城ミサトたちを基準にすれば、第二東京、現地会場に到着した、まさにその時間。強制的にその時間まで押し戻された。それよりもう少し早ければ、突然の記憶の錯綜に混乱した機の操縦者が逆噴射起こしてお陀仏になっていたかもしれない。
上書きされたわけではない、これは「片手落ち」だったのか、それとも力を下界のものどもに思い知らしめるためだったのか、夜の激闘の記憶が明瞭に残ったままに、午前へと。
自然の現象ではないことだけはわかる。こんなことが自然に起きてたまるか!と吼えるのだが、なんの抵抗もできずにお人形のように時の流れからつまみあげられたのは確かだ。
これが鮮烈な夢であっても、これほど詳細に他者と共有できるはずもなく。なにより。
 
 
エヴァ零号機と、綾波レイが、いなかった。
 
 
どこにも。記憶が確かなら同行していたはずの姿がない。座っていたはずの席は空席だがあたたかいし、零号機を運搬した全翼機には書類や燃料データなど記録が残っている。
 
しかし、どこにもいない。
 
綾波レイと零号機だけは、あの夜にまだ、いるのか。ひとり、取り残されて。
いやさ、自分たちが不甲斐なくも押し流されただけなのか・・・・・。
 
レイと零号機はどこに・・・・・・・いや、待てよ?じゃあ、この記憶にあるレイは一体何なんだろう・・・席に座っていたはずのレイ、運ばれたはずの零号機のことを、自分たちは記憶しており、それから彼女と機体がどうなったのか、「知っている」。
おかしいやんけ。時の神か時の悪魔か知らないが、この矛盾には厳重に抗議する!!、などと考えた瞬間。
 
 
いだだだだだだだだだ!!
 
 
突如、転げ回るような極大の頭痛。バビル2世のエネルギー衝撃波とレンズマンの精神攻撃を足して二でかけたような猛烈さである。脳みそがそのあたりを考えるのを拒否、ないしは防御しているのか。まさしく頭が割れそうで、ここらへんでたいていの人間がネをあげて思考を止める。だが、常人とはいささかかけ離れた根性と精神力をもつ葛城ミサトと黒羅羅明暗はガマのように脂汗を流しながらも考えを続けた。おかしいおかしいおかしいおかしい・・・・ほんとにおかしくなってしまいそうな頭痛が続く。だが執念である。
断じて忘却などできるものか、と葛城ミサトなど気絶するまで考え続けた。これ以上やるとショートしてヒューズが飛ぶのでブラックアウトしたのだろう。ハートが。
 
 
残るは黒羅羅明暗。不死身に近い肉体をもっていても人格は四人分あっても脳はひとつであり痛みの度合いはそれで軽減されることはない。いや、肉体が強い分だけ痛みは増す。それでも耐えるのは無限の闘争心でなんとか苦痛を麻痺中和させているため。
残念ながらリタイヤしてしまった葛城ミサトの代わりに今後の戦局について考える。
綾波レイのことから微妙に推移させながら彼女の事を思う。いわば思考の半身ずらし。
 
 
時間が戻った、ということは、JA連合とMJ−301との決闘はどうなるか。
もはや彼我の根本的戦闘力の差は明らかにされている。いくら手の内が分かっても埋められない差がある。それとも、電気騎士エリックとの単独決戦に持ち込むか・・・・・
強引という言葉はすでに使用不可能にされている。腕力で綱引きやれば勝敗は。
 
・・・・・いや、こんなことがあってもまだ戦える気力があるのか?
あるとすれば、残るは奇襲。態勢が整わぬうちに叩いてしまうのが戦の常套手段。
神の悪戯か悪魔の気紛れか、この敗者復活の機会をぼんやりと棒に振るようでは悪党は務まるまい。そうなると、ヨッドメロンは一体どうなるのか・・・・・ここでさらに激痛は倍増し。これもまた都合悪い領域に入るのか、なんとしても思考を防ぐべく脳は第二次ブロック態勢に入る。うがががががが!!さすがの明暗もたまらずにダウン。気を失った。
 
 
「都合の悪いことは考えないのがいいんだよん。時の流れに身をまかせる難破船、どんと ふぉげっちゅー とらいん まいんど だよん」
しかたがないので現れいでたる朱夕酔提督。現状で取りうる最善は、やはり奇襲に備えることだろう。敗北原因を知れば、人間はより狡猾にそれだけ猛る。
なによりも、同じ行動をとり同じ結果を導けば、同時刻にまた押し流される可能性もある。
それならば、せいぜいあがいて未来を変えた方がいい。
これは前向きヴィジョン、という立派なもんではなく、自棄のヤンパチ領域に入るが。
 
「えい」
葛城ミサトにカツをいれて目覚めさせる。最悪の目覚めだろうが、そうのんきにもしていられない。一応、ゲロ吐かれてもいいようにバケツを用意しといた朱夕酔提督である。
 
「そう!!とにかく現場!現場にいってみましょう!!」
気絶しても深層意識の底の底で考え続けていたらしい起きるなり大声をあげる葛城ミサト。「うぎぎぎぎぎ・・・・・・・・まけてたまるか・・・・・たぶん、そこにレイはいるはず・・・・うぎぎぎぎぎ・・・」歯を食いしばりながら修羅のように頭痛に耐える。
目の前に綾波レイもエヴァ零号機もないんだから、「ないものと認めよ!」と頑強に言い張る脳みそ相手に意地を張るのも大変な気合いを必要とする。「なにおう!記憶の改竄もろくにできなかたくせにエラそうなことぬかしてんじゃないわよっっ!」という戦い。
 
 
そして、時田氏からの連絡。「葛城さん・・」
 
「ああ、時田さん・・・」
 
記憶の中では「超」を連発してこちらを挑発、怒らして帰そうとしていたフシのある時田氏だったが、今回は違った。モニタに映る顔を見れば分かる。「ああ、あんたもか」と顔にかいてある。夜までの記憶がある顔だ。ひたいのあたりに「逆」と書いて・・・・はないけど。手の内を全て明かした以上、技術者として、組織の長として、それはもう全裸フリチンで現れた以上の羞恥があろうが・・・・・それもお互い様だ。どうせもとから仲良しなんかじゃなかったわけだし。
 
レイと零号機のことがなければ世界中がこんなふうになっているのかとも思ったが、やはり地域限定なものと考えた方が妥当。なんというか、おそらくはヨッドメロンに関わったものたちすべて・・・・これがアバドンの警告の正体、と考えた方が。考えたくない、信じられない、常識など踏みつぶしている。調整調律官というのはこれほどまでの力が・・・・タチの悪すぎる、夢だ。島流しならぬ時流し・・・・・わたしたちはそれほどの罪を犯したか?
 
 
いだだだだだだだだだだだだ!!
 
 
この頭痛も上位者に逆らう天罰だとでもいうのか。コントのようにころげまわる葛城ミサトを同情の目で見つつも時田氏は「あの夜の戦場に急いで下さい、そこにおたくのエヴァが・・・・ぐわ、いたたたたたたたたたたたたたたたたた!!」モニタの向こうでも時田氏が頭痛に転げ回る。滑稽というか悲惨というか道化というか、冷や汗を浮かべた真田女史がなんとか続ける。冷血だろうと熱血だろうとこの頭痛、脳ブロックは等しく襲うらしい。
「おります。たいへんなことになっています・・・・・早く、いってあげてください。こちらからも機材を手配しますが・・・・」
 
「零号機がいるんですね!?了解です、すぐさま駆けつけます・・・・・MJー301側の奇襲も考えられますので警戒の方を」
それを聞いて頭痛も吹き飛ぶ葛城ミサト。時田氏への対抗見栄もあろうが、やはり尋常の神経ではない。
 
「奇襲?・・・・いえ、その心配はありません。彼らは恐れをなして逃げ出しましたよ。決闘の件も無期限キャンセルとなりました。こちらの実質・・・いえ、完全勝利ですな!」
こちらも葛城ミサトへの対抗心か、思考が他に移ったせいか平然とVサインなどをかましてきた時田氏。
 
「”恐れをなして”?・・・・・この現象に、ですか」
とすると、ずいぶんとヤワなことだ。って、使徒を相手にしてきたわけではない者たちにはここらへんが死線境界なのかもしれない。「よん」朱夕酔提督も拍子抜けしたように。
 
「・・・正直なところ、私も逃げ出したいくらいですよ。なにがあったのか、あの一帯だけひどいことになっています・・・・あの子だけ取り残されて一人で戦い続けたような・・・・我々の記憶と異なっています・・・時間も圧縮されたような」
だろう、レイが、零号機がいる、ということは。時間は全てが素直に押し戻されたわけではない。抵抗しえたものが、もしくは意図的に取り残されたものがあった・・・・。
 
 
「生きてますよね?!レイは!」
思わず問うた。
 
「機体の破損が何カ所かこちらのカメラでも見受けられますがパイロットの・・・・生体反応はこちらでは・・・・・うごごごごごごご!」
危険領域に再突入して豆腐のような脳をカドにぶつけたような激痛に転げ回る時田氏。
すいません。この頭痛に誤魔化されてなんでそんなことに、さっさと文明の利器を思い出さなかったのか。己の不明を深く恥じる葛城ミサト。同時に身体は電光石火で通信機材をセットアップさせている。スタッフたちも責任者のこの姿あのザマを見せられてはもう痛いのなんのと言っていられない。頭痛を耐えながら動き始める。
 
JA連合から転送されてくるカメラ映像は、あの夜の決闘エリアを映し出す・・・・・
 
 
「よんっ!?」
 
都合の悪いことは考えないことにした朱夕酔提督が驚きの声をあげる。
 
 
最初は、巨木かと思った。
だが、そんなサイズの樹木があるわけがない。
根本のあたりで腹部にある何かを腕で守るように片膝で座っているエヴァ零号機が子供のように見える。
活動停止の木下闇に染められているようでもある。世界樹じみて巨大な樹・・・それは、廃棄兵器の集合体。戦闘の落葉帰根を繰り返す修羅の樹。永遠の若さをもち戦争を好む邪悪な妖精の城。時の狭間に隠されていた悪獣の砦、または邪妖精要塞。山、と言った方がサイズ的には正しいが、フォルムは樹のそれだった。いずれにせよ、人外の境地。悪党が恐れをなして逃げ出すわけである。関わって踏み込んでいいことなどなにひとつない。わずかにでもバランスを崩せば・・・・破壊と死の遊園地。
確かにかなりの数を月怪を倒したが、これほど、エリアを覆い尽くしなおかつ積み上がるほどの量ではなかったはず。そして。
 
なにより、ヨッドメロンの姿はどこにもない・・・・・エヴァ壱万号機も
 
そんなところに一人単機でとどまることになった者の精神は・・・・
 
 
「レイッ!!レイっ!!応答しなさい!生きてるの!!」
ひどい呼びかけではあるが勢いで押さねば頭痛に声は潰される。気のせいかそれとも慣れてきたのか、少しは弱くなったような気もするがそれでも痛みは。
返答はない。エヴァの機能は生きている。パイロットの生体反応も無論ある。充電レベルも高く、ATフィールドを展開している。いや、そうせねば、背が半分埋まった零号機は一気に重量で押し潰されかねんような位置にある。巨木の形を構成する廃棄兵器がどういった組み合わせをしているのか判別がこの映像からはつきにくいが、安全と最も距離が離れていることだけは確か。極危険。必死の呼びかけを続けるが、エントリープラグ内のパイロット、綾波レイは生きてるのか死んでいるのかよく分からない、疲労の色濃く残る表情でかろうじて操縦桿を握りLCLに沈み続けている。赤い瞳もうつろ・・・・・かなりやばそうだ。 だが・・・・この状況でどうやって救出する・・・・・・?・・・・
葛城ミサトはゴワンゴワンと銅鑼のように響く耳鳴りを覚えながら段取りを計算する。
 
 
・・・・・・つうか、力づくで引っぱり出すしかないじゃん
 
 
頭痛に負けたのではない、一応冷静に考えた結果だ。なにより速度重視。快刀乱麻にやるしか。そのためのATフィールドだ。暴発や誘爆起こしてこのエリアが消滅するかもしれんけどごめんなさい時田氏。連合の施設まで被害が及ぶことはない・・・・と思う多分。なんの保証もないけど。
 
「明暗、じゃなかった、朱夕!」
 
「あいあい・・・・・明暗でもわっちでも、どっちでもいけるんだよん」
 
「そう言われると迷うわね・・・・海に近いけど、現場は陸上だし・・・明暗で頼むわ」
 
「あいあい、わっちはひっこむんだよん」
周囲から快い酒の香気が消えた。それはちともったいないが、そうもいってられない。
なんにせよ、便利な彼らだ。頼りになる。白髪が黒髪に変化する間にそんなことを思う。
 
「明暗、お願いね」
 
「任せとけ。双方向ATフィールド、黒曜壁と白牢壁の真価を見せてやる・・・・・が、
なるべく距離をとっておいたほうがいいぞ。連合の連中にも伝えといてくれ・・・冗談抜きでここら一帯、瓦礫場になるかもしれねえ」
何者にも屈せぬ誇り高い黒旗がはためくような風を巻き明暗は参号機で飛び出していく。
 
こうなれば待つほかなく、時田氏側にも退避と耐衝撃態勢をとるように連絡。思い切り反論があったようだが、悪いがもはや疾風の明暗を止められるはずもないし連合総出でかかろうと参号機より巧くやれるとも思えない。それに、わざわざ危険な作業に民間を参加させることもあるまい・・・・もうロボットが破壊される光景など見たくもない。
 
 
氷砂糖を大量に喉めがけて押し込まれるかのような息が詰まる待つ身の時。
表情こそ変わらぬものの、頬を流れる汗は寒天凝膠(アガアゼル)。
 
だが、唯一つ救いなのはあの奇妙な脳ブロックめいた頭痛が時間の経過ともに弱くなっていくことだ。誤魔化しきれないと諦めたのか、それとも慣れて適応してきたのか。
理由は知らぬがいずれにせよ、大仕事に向かった明暗には有り難い話。
 
 
30分後、明暗と参号機が戻ってきて、ぐったりとした綾波レイを抱いて帰ってきた。
 
エヴァ零号機、あれだけの物体をバランスを崩さぬように保ちながら引き抜くのは名人達人を超えた域の技。どうやったのかを計算機で解析しようとしてもとてもやれるもんではなかろう。結局、無傷、零号機に衝撃を与えぬよう、与えぬように、明暗はやってくれた。
もとより葛城ミサトが考えていたのは、零号機ごと白牢壁に包んで強引に引っぱり出して一目散にダッシュかまして逃げ帰ってくることだったのだから。危険には誰よりも速く無鉄砲に駆けつけて、現場においては誰よりも細心で慎重・・・・大量の人の上にたつわけだ。其は豪主たる。そして、その二面性行動は、葛城ミサトに思わぬ幸果をもたらす。
 
 
「明暗・・・・・」寿命が縮んだとかなんとか、胸に感情がこみ上げて叩けない軽口。
「どうも、土産が多いぜ。葛城の姉貴」スタンバイしていた医療班に綾波レイを宝物のように手渡すと、黒羅羅明暗は労いの言葉も必要とせぬ強靱さで次の仕事に移る。
 
 
思わぬ幸果・・・・・
それは、エヴァ零号機が腹部に抱くようにして守っていたものたち。
綾波レイの救出最優先であったらおそらくは救いの手から零れおちていたはず。
どういった経緯があったのか、レイも含めてあとできっちりと聞かねばなるまい。
 
 
加持リョウジ
 
赤い髪、で、なぜか一糸纏わぬ姿の女の子
 
それからオリビア
 
 
まあ、オリビアには聞けないけど。それに、加持のこともけろっと忘れていた。ごめん。
赤い髪の子は・・・・あとの事情聴取でこの子がヨッドメロンの、ジャムジャムだと知れる。加持とジャムジャムは生命に別状はないものの、すぐさま話を聞ける状態でもない。
オリビアも・・・救出された途端に電源が切れたとかで、データも消えてしまって内部の状況は分からない・・・かわいそうだが、回路の一部が焼き切れてしまっているらしい・・・・人間の、血の涙を流しながら。マリア像みたいだ・・・
 
 
まだある。これは単純に戦果、捕獲といってよいのかどうか・・・。
エヴァタイプの「腕」が2本。一本はエヴァ零号機の右腕に「同化」してしまっている・・・・・大きめな肘まである手袋をずっぽりはめたような感じだ・・夜の海の色をしたそれには 「TRIAL」の赤い表示があり・・・・「炎名」をしっかり握っている。
こうやって掘り起こされて分かるが、手甲ガントレットともまた違うのは、その腕手袋
は、どういうわけだか拒絶反応なしに、すんなりと零号機と神経接続を行っている点。
炎名を握る指先にしっかりと神経の指令が行き渡っている。
見た目といいサイズといい、エヴァのために製造されたものには間違いないのだろうが、こんなものは知らない。ネルフの実戦担当作戦部長が知らない非登録のパーツ。
なんでこんなもんが第二東京にあるのか。こんな廃物の群中に。零号機に装着されて。
いわゆるオーパーツというやつだろうか。そして、気にかかるのは。
「TRIAL 10000」・・・・・・・壱万・・・・こんな番号がなぜここに。
 
 
もう一本の腕は、それよりも巨きい・・・TRIALはバランス違和感ギリギリまでを保っているが、それは一線をあっさりと踏み越えて、でかい。もとよりエヴァより大きいものに接続していたのかそれとも何らかの特殊機能を発動させるために異能めいたサイズを保っているのか、それはわからないが、エヴァシリーズ特有の「匂い」がする。今月の給料賭けてもいいが、製造工程の一ラインはエヴァのものに間違いない。手首のあたりから、爆砕されたようなザクロ面を見せている。おそらく、自分の意志で切り離したもんではなかろう。爆弾でも埋め込まれたか、それとも桁外れの威力の化け物弾丸に貫かれたか。
その惨い傷痕だけみれば同情に値する・・・・
 
 
・・・が、零号機にとっては、「敵」であったようだ。
 
 
カメラ映像では埋もれた影になっていたが、この巨手はエヴァ零号機の喉を握り潰そうとしていたらしい。・・・その行動はどこか初号機の左腕を思わせる・・・が、それは零号機に自衛されたようで。巨手中央にある目玉にはブチこまれた「魔弾」がたゆたっている。
目玉は半分以上破壊されているが、それでも魔弾をもってしても貫けずその貫通力を吸収しきったことは感嘆するほかない。見た目はきもいが、目を閉じて感じるだけならば、それには聖なる遺物の崇高神聖な気配がある。邪悪な魔王をも寝所に誘い眠りにつかせる少女天使の白さの白目・・・・しかし、それもどろっとしており、あまりじっと見るものではない。おまけに
 
 
「まだ生きてやがる・・・・本音を言えば捨ててきたかったが・・・・そうもいくまいよ」
 
「そうねえ・・・・・ちょっち、これはかなりまずいかも・・・・・」
 
この見た目怪しげ度・・・・・この異常現象に関わりがないはずはない。だが、それだけで「あんた悪ものっぽいから悪ね」と子供のヒーローごっこ遊びならばともかく、特務機関ネルフの作戦部長がそんなこと言えるわけもない。これはカンだが、先に撃ったのはどうもレイの零号機っぽいし、それなら首を絞められたのもまあ、正当防衛と言えなくもないかな、と。もちろん自分はレイの味方であるし上司であるし隠蔽するならするで、責任だってとってみせるが、事情がわからないとなんとも動きようもない・・・・ではないか。
困った。あんな態勢で埋まっていたのもいまいち想像つかないし。
 
レイや加持たちの復調待ちになるかー・・・・・・とっととさっさとこんなトコおさらばしたいのだが。さすがに隠蔽工作ってのは現場でないとできないし。
あの、邪悪な妖精の城めいた廃棄兵器の山も、時田氏連合だけじゃどうにもなるまい。
JTフィールドがあっても、ATフィールドがないとどうしょうもないのだから。
ほうっておいてもいいけど、捨てられた悲しさを体力に変えてJA最強軍事国家「時田国」とか作られても困るし。
 
 
なんにせよ、今日一日は情報が錯綜する。迷走する。暴走する輩だっているだろう。
零号機を救出して以降は、もはや流れを認めだしたのか、頭痛はすっかり息をひそめた。
 
 
今日一日、本当は何があったのか、何が起きるのか・・・・それを同時に体験できる。
まあ、人類として貴重な体験の、貴重な一日だ。有り難く味わうとしよう。
 
ガリイ。葛城ミサトはヤマイヌのように歯を噛みならす・・・。
 
 
そして、三日をかけて綾波レイの孤独な戦を何者にも知られぬように封印し、第28放置区画をなんとか平定し終えて帰途につくわけだが。
 
 

 
 
ぴろぴろぴろぴろぴろぴろ・・・・・・・・ぴぽん!
がちゃんこん!
 
コンフォート17マンションを出発した碇シンジはママチャリに飛び乗り、大急ぎで漕ぎ出すと何をやり始めたか・・・・・・あちこちの自販機でのジュース買いである。それも、何か大量にあちこちで、何か法則があるようにひどいときには同じ箇所をめぐって三カ所も買っている。そして、どういうわけだが、それら当たりくじつき自販機で碇シンジは「全て」あたりランプをつけてもう一本ジュースをゲットしていた。「全ての自販機」で。当然、インチキである。そんなはずはないのだ。中には当たり付きと見せかけて全く出ないようにプログラムされているとんでもない機種もあるのだから。しかし碇シンジは委細構わずに次々にジュースを、もう一本あたりを命中させていく。
ジュースの種類も本数もバラバラで、中には誰も買わないわらびもちゲルルンジュースだの成年男子は朝から決して飲んではいけない赤蝮ギンギンギンドリンクだの、そうかと思えばスポーツ清涼飲料水を2つ並んでいるのを同時押しにして買ってみたり。
でたらめである。が、本人にとっては法則があるのだろう。たとえ半強制的にあたりをゲットしていてもきちんと代金を払っているのだからそれはきちんとした商取引であり、いたずらではない。しかも碇シンジには庶民的経済観念がある。
たかが中学2年生がよけいにジュースをもうけようとジュース会社が倒産するほどの被害でもなかろう・・・というわけでなんらかのデモでもない。
 
 
見るものが見れば、その行為が”何か”に似ていることに気づいただろう。
だが、買い方は異常でもやることが普通であるためにそれを見抜くのは神様の仕事だった。
 
 
「あれ・・・碇君・・・?」
登校途中の洞木ヒカリが通り向こうを大急ぎでママチャリで駆けてゆく碇シンジの姿を目撃。連絡はなかったから、今日もアスカは学校にはこないのだろう。けど・・・・
 
 
ぴろぴろぴろぴろぴろ・・・・・・ぴぽん!
がちゃなんこん!!
 
 
自販機の所で止まってジュースを買う碇シンジ。幸いなことにここで購入すべきは「赤蝮ギンギンギンジュース」ではなかった。そしてここにくるまで倒してきたものども同様に当たりをゲットする。しごく当然、という顔をして勝利の一本を取りだしていく。
 
あ、碇君ラッキー。おめでとう・・・・・・・なんだけど、なんか少しへんなような。
なんでまた家から離れたこんなところまで・・・・・それにママさん自転車の籠はジュースで一杯であふれそうになってるし。パーティーでもやるの?なにかどうしても欲しい応募賞品があってシールを集めているとか?・・・・うーん・・・相談してくれれば
そんなことを考えているうちに、こちらには気づかず疾風のように去っていく碇シンジ。
心なしか、浮かれているようにも見えた。
 
 
このまま。学校に行く。
学校に行こう。洞木ヒカリの足が止まる。
 
この前までの自分だったらそうしていた。けれど、今の碇君には覚えがある。
おはらいのぎしき。あの時の、夕闇みたいな女の人と同じ場所に立ったあの時の。
向こう側・・・・・。ふと、そんな言葉が思い浮かぶ。
 
 
もういちど、なにかをやろうとしている。今度は・・・・・
じぶんひとりで。
懸命とか熱心とか、そういうのとは、ちょっと違う・・・・・なんていうのか。
 
 
そのまま、ひきずりこまれてもかまわないような顔をして。
 
 
碇君もストレスとかたまっていて、突発的に、なんかへんなことを・・・・・
目の前でやってたし。密かに拳銃とか隠し持っていて、それで山とかであのたくさんのジュースを標的にしてバンバン撃ちまくってストレス解消しようとおもったんだけど、やっぱり途中でむなしくなって、それで自分の頭を・・・・パン!とか・・・・・映画みたいだけど、やりそうでもあるしやらなそうでもある。どっちなのだろう。思考のエアポケットにはいってしまう洞木ヒカリ。足が止まる。碇シンジの姿はとっくにみえない。
私服だったし、アスカをおいて学校にくるはずもない。碇君はどこへ。
自販機でジュース買って当たりが出ただけなのに、なんでこんなに心配なんだろう。
なまじ他人なだけに洞木ヒカリの方が惣流アスカより鋭く賢明であった。
 
 
「おーい、なにしてんねん」
鈴原トウジの声が、一気にエアポケットから洞木ヒカリを引き出す。
「道の真ん中でぼーっと立ち止まってからに。十年前の初恋の君でも目撃したんか、カカカカ」
 
「そう、あれは保育園の時代、五代ユウサクせんせいっていう素敵な先生がわたしの初恋の人・・・・・ってなにいわせんのよ!・・・おはよう、鈴原」
 
「お、おう」
しょせん女が会話で本気を出せば男はその反応速度についていけるわけもない。つっこみがどうこうで埋まる反応差ではないのだ。普段はあわせているだけのこと。女の手作り弁当など食べてこのところ硬派度を減少させ軟派度を高めている鈴原トウジではなおさらのこと。
 
「はい、今日のお弁当」
と、二人分を手渡してくれる洞木ヒカリ。鈴原トウジと自分のとである。作ってもろうたあげくに重たいのを運ばせては男の沽券にかかわるとかなんとかで君、作る人、ぼく、運ぶ人になっている最近の二人である。
 
「で、まあ、ほんまはなにがあったんや。点滅信号渡るか渡らんか迷うような顔して」
いそいそと己のカバンに弁当をしまい込んで、なにげない顔をして聞き直す鈴原トウジ。
迷うとっても赤になるし、赤になったら渡れんし、それくらいなら聞かしてくれやと顔に。
 
 
「実はね・・・・」
洞木ヒカリに二択などない。
話すかどうか悩むかどうかは内容ではなく実のところは相手による。つまらなそうなことでも、なんでも話しておこうと思える相手がいるのなら。悩む必要など何一つない。自分もそれにふさわしい相手であろうとするだけのこと。
 
 
「ひきずりこまれてもかまわんような顔、か・・・・」
鈴原トウジとしてはべつにシンジがジュースを山ほど買ってもおかしいとは思わない。
買ってもええやないか、男にはそういうこともあるんや、とも思う。あるいは罰ゲームかもしれん、哀れな奴っちゃなーシンジよーとも思う。が、それだけがひっかかる。
その気になったシンジを止めるのは難しい。それは、あいつが周到に下準備をやるせい。
ぽけーっとしとるようでも、おのれだけエンジン付きのローラースケートに履き替えていざとなればスイスイいってしまう。良くも悪くもワイらとは別のもんをみて、別のものに備えているせいか。それでいて頼りになる憧れのエリート・・・とはいえんところは天狗の高下駄に例えた方が通りがええか、山でも谷でもぴょんぴょん越えていきそうな、シンジ本人は無茶をやっとる自覚はないんやろうな・・・・・あれで。箱根の山は天下の険。
その場に居合わしたとったら、ワシにはどんな顔に見えたんやろうな・・・・
 
 
ま、なんにせよ、”ひきずりこまれる”っちゅうのは穏当やないからな・・・・
 
なんに引きずり込まれるんかくらいは見とくか・・・・・「委員長」ささっと黒ジャージの背中を見せる鈴原トウジ。まるで市中に駆け出す岡っ引きのように。
 
「うん」はい、おまいさん、火打ち石かちかちみたいな顔で洞木ヒカリ。
 
「今日はワイ、”見舞い”にいくわ。そういうことで一つよろしくたのんます。ま、なるべく昼頃には戻るわ」
誰の見舞いかも言わずにいっちまう鈴原トウジ。手下がいないのが惜しいくらいに速い。
 
「いってらっしゃい・・・・・でも、お弁当が寄っちゃうかも」
学生は学業が本分だけど、お見舞いなら仕方がない。お見舞いなら。鉄拳をお見舞い、なんてことにはならないと思うけど。まあ、男の子だし。洞木ヒカリも最近太い。
 
 
己の奇行を目撃されたことも、追撃調査人がついたことも気づかずに、予定の半数を越えたところで馴染みの酒屋に入ると、自宅へのエビチュビールの配達注文ついでに大量ゲットした缶ジュースを段ボール詰めにして宅配便で送りつける作業をこなす碇シンジ。
 
これでまた身軽になり、ママチャリで走り、同じような作業を続けていく。
 
護衛の人間もいい加減にその奇行を止めようかと思ったが、いくらなんでも「碇シンジ君、そんなにたくさんジュースを買ってはいけません」などと影からチルドレンをガードする黒服の男たち警護のプロたちは言えたものではなかった。母親じゃあるまいし。メイドじゃあるまいし。「あまりお飲みになりすぎますと虫歯になりますよ、めっ」とか言えるか。
言えねえ。しかも買うのはジュースのみで、これがビールとか煙草ならまだしも。無理。
葛城ミサト作戦部長三佐らが帰京する連絡のこともある。そのためだろう、と。
その心優しさに感心し感動し、これからの任務のやる気を燃やすくらいであった。
せめて行動分析くらいはしてもよかったが、先日の黒羅羅・明暗がらみの動物園特訓の件がそれを諦めさせていた。どちらにせよ、この時点で碇シンジの行動の意味が見抜けたのは赤木リツコ博士だけだっただろう。女のカンと知識を持ち合わせたこの人しか。
しかし冬月副司令と共に碇ゲンドウ不在の件と第二東京から送られてきたデータの解析でこれまたダルダルアンニュイに耽るヒマもなく殺人的に忙しい彼女には聞く耳はなく。
 
 
結局、碇シンジは最大最強の妨害者たれる綾波レイの不在もあいまって、準備を整えてしまい、首尾良く己の成すことを成してしまうのであった。
 
 
碇シンジがママチャリで駆けたエリア、購入した自販機たちの地下には第三新東京市独特の「電源施設」があり・・・・電気はそこから引かれている。
 
 
ゼルエルの鉾
 
 
地下空間に場所がないわけではないが、あまりに巨大すぎて、いざ戦闘という折にそうそう簡単に射出できる代物ではなかったしサイズ的に兵装ビルにも収まらない。
そういうわけで、忍者屋敷よろしく床板の下、ならぬ大道路の下に埋設された。ついでに
その余りまくった電力を有効活用するために街路灯やら自販機やら公衆電話やら地下に埋設されているそこから電気を引いている・・・・・つまりは、接続されているわけだ。
 
 
外部から<鉾>にアクセスできる唯一のルート。一般人は知らないし、知っている人間でさえ電線がつながっていればいいってもんじゃないだろう、とこんなことは考えないし、実行もできない。選ばれた自販機に渚カヲルによる細工がなされていこともまた。
碇シンジにしかできないし、知らない。ゼルエルの鉾、渚カヲルから碇シンジに贈られたおそらく今世紀最高値の友情の証。値段においてもサイズにおいても重量においても、なにより破壊力において。使徒だろうと一撃でぺちゃんこである。
 
 
買ったジュースと当たりジュースの銘柄がそのままパスワード・コマンドになっていることも誰も知らない。誰も。コインと一緒にワードを電神の鉾が眠る地下の闇に放り込んでいることなど。いかなジュース愛好家が奇跡の確率をもってしても鉾の名に辿り着くことはない。これを発動させればきちんと周囲の信号機もいいなりで鉾の解放ルートを開けてくれる寸法になっている。ネルフからの誘導がなくても交通事故は起こらない。
公園から地面が割れて巨大ロボットがでてくることを考えれば大丈夫だよね、と碇シンジは考えるが、どこらへんが、だよね、なんだよ!!と突っ込まれるべきだろう。が、これは秘密表に進行する陰謀である。いくらすっとぼけたことを天にむかってほざこうと怖いものはない。それから、赤木リツコ博士をトップとする技術部のメンツは丸潰れである。
いくら当のエヴァ初号機専属操縦者の初号機専用兵器とは言え、外部からこれだけの代物を勝手に操作された日には・・・問題ではすまない。大問題でもすまない。
ちなみに、これが明らかになった時の赤木リツコ博士は「スーパーサイヤ人でも瞬殺しそうだった」と日向マコトが証言するとおり人を越えた激怒ぶりであったという。
 
 
ちなみに、朝っぱらから知り合いに目撃されて減点して秘密裏とは言い難く秘密表とす。
十時が過ぎても約束したフルーチェがけホットケーキを作りに家にも帰らず、公衆電話から鮨だのピザだの天丼だのを自宅に注文すると、今度は手近なシェルターの中へ消えた。
さすがに護衛の者たちの顔色が変わって碇シンジ・ザ・外道の後を追った。