七つ目玉エヴァンゲリオン
使徒来襲
時は西暦2015年
場所は第三新東京市
人は碇シンジという名前の14歳の少年

天、地、人、揃ったところで話は始まる。

「暑いな・・・・・」
人の気配の消えた街の通りを、スポーツバック持っててくてく歩いていく少年が呟いた
立ちのぼる暑気に、ゆらめく陽炎。暑い。とにかく暑い。
季節は夏、という日本語は存在しない。年がら年中暑いのだ。
常春か常秋になれば過ごしやすくてよかっただろうが、あいにく日本は常夏の国になっていた。ゆえに、暑い。
15年ほど前には四季があった。だが、今はない。元に戻る予兆すらなし。
原因がある。人、それを「セカンド・インパクト」という。
亜高速で飛来した大質量隕石の南極への落下。地球が壊れかけた。
地軸はねじ曲がり、世界の大半が水没した。その上、信じられぬことに、この未曾有の地球的天災を目の前にし、人類は互いに協力するどころかそれまでのおのおのの歴史の清算だといわんばかりの殺し合いを始めた。
地獄呼ぶ終末を目の前にし、いっそ余裕と言えたかも知れない。
結局、人類は滅亡しなかったのだから。しぶとい。


さらに、一歩たりとも後退はしていなかった。あれだけの命が失われても、ここまで積み上げられてきた技術と知識は一字たりとも無くさなかった。
それが15年で奇跡的な文明復興を成し遂げられた理由。ただ一つの、理由。


この時期を生き抜いた者は知っている。知ったがゆえに無くしたものがある。
あの災害を前にしても争う事のできる自分たち。
なんであんな無茶ができるのか。そんなことをしている場合ではない、と脳みそが語り、心が罪悪感にキリキリと締め上げても、精神がこれ以上の進むことを自ら崩れることで示しても、唯一の安息の場である魂に捨てられても。
生命が、そう命じたのだろうか。危機的状況に、本能が最大限に解放されたためか。
答えてくれる聖者もすでに海の底。
人間は最強の生命の力を持っているのかも知れない。だが、困ったことに人間には心があった。西暦2015年。すべての人間の心は強固な壁で守られていた。



「通じない・・・」
碇シンジは公衆電話でどこやらへ電話をかけていた。あかんべのように出てくるテレホンカード。そういえば駅から降りて、ここまで人を見ない。過疎の山村でもない、歴とした都市だ。人がいないわけはない。何やら作意を感じる碇シンジ。
都市ぐるみで自分を騙しにかかっているのではないか。そんな妄想を笑ってくれる他人がいないのだ。寂しくはないが、困った。
年がら年中暑いわけであるから、市民全員が海か山か外国か、涼みに行っているわけでもない。いや、そうだとしても最低2人はこの都市にいてもらわなければ困る。
ポケットにくしゃくしゃに入れていた紙切れを取り出す。
「来い」新聞の切れ端に乱暴にかかれたマジックペンの筆跡。
はじめに見たときはなにかの謎解きだろうか、と思った。眼光紙背。ウラの意味があるんじゃないだろうか。ただ、来い。どこへ。なんのために。書いてない。
誰が書いたのか。それすらも分からない。捨てようかと思ったが、受け取った10分後の電話でその正体が分かった。
電話をかけてきたのは葛城ミサトという女性だった。マジックの「来い」は碇ゲンドウ
碇シンジの父だった。




ずしいいいいん。
地が揺れた。地震か。ビリビリしびれる公衆電話。静まり返っていたこの都市がようやく黙りに耐えきれなくなったか。ふいに上を、空を見上げる碇シンジ。
天気はいい。快晴晴天だ。黒雲沸きいでて曇る様子はない。
地震、雷、火事、親父。これから父親に会いにゆくのにそんな調子で重ならないようだ
「あれは・・・」
ふと道をみるとこちらに向かって走る青い車がある。タクシーなら良かったが、手をあげても乗せてくれないだろう。と、思ったら止まってくれた。
「碇、シンジ君ね」
助手席のウインドーが下がり、日本人らしいが金髪の女性が言った。
「はい・・」




碇シンジを乗せて走る車。車内には女性二人。長い黒髪の女性が運転している。
「あの・・あなたが葛城さん、ですか」
運転している方に声をかける碇シンジ。金髪の女性とは声質が違った。
「そう。葛城ミサト。よろしくねっ。今日からあなたの上司になるわ。でも、呼ぶときはミサトでいいわよん」
「はあ?」電話の時はもっと真面目な雰囲気だったけど。それに上司?なんのことだろ
「私は赤木リツコ。博士号をもっているけど呼ぶときは、さん、でいいわ」
「はあ」
「なにせ急なことで満足なレクチャーも出来ないけど、せめてこれとこれだけは読んでおいて。それから腕をだして」
赤木リツコはそう言って2冊のバインダーを渡し、わけのわからんことを命じる。
「さあて。戦闘開始まで40分、チョイかあ。揺れるけど飛ばすわよお」
「さ、シンジ君。まず、血を採るわ。それから安定剤を何本か打つから」
二人の女性は碇シンジには理解しかねることをやけに元気な顔つきで言うのだった。
戦闘開始?安定剤?それに何なんだ。初対面なのに、この手際の良さは。
来週のサザエさんみたいなことを言っている葛城さんはともかく、いきなり注射をしようとする赤木博士はやばい。危険だ。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」とられている腕をひっこめる。
「どうしたの。シンジ君。あまり時間はないのよ。巧くやるからさほど痛まないわ」
「あの・・・もしかして同姓同名の人違いじゃありませんか?」
「はあ?」「・・・」
葛城さんは運転しながらもリアクションをかえすが、赤木博士は無反応。
「んなことあるわけないじゃなーい。ビールはエビスでもエビチュでもいいけど、シンジ君はアナタでなけりゃあダメなのよ」
「先に安定剤の方を打とうかしら」無針注射のアンプルを換えにかかる赤木博士。
不安を解消してくれるどころか、増大させてくれる二人の対応。
「ぼ、僕は、父さんに会いにいくだけなんです!それがなんでこんな・・・・。
説明して下さい。一体、あなたたちはなんなんです・・・」
うわずる声。だが、このままわけのわからぬままに「流させて」いい人たちじゃない。
「ミサト・・・?あなた、きちんとシンジ君に話したの。
・・・これからのことを」
少年の反応に眉をひそめ、運転手の方を問いただす赤木リツコ博士。
「ええ。司令からの手紙は読んだって言ってたし。そうよね、シンジ君」
そうだ。葛城さんからの電話は、手紙の到着と読んだかどうか、そして納得いったかどうかの確認だった。はい、と答えたら日時と場所を告げられ迎えにゆくと電話は切られた
それだけだ。説明らしきものはなにもなかった。
「でも、手紙にはただ、来い、と一言だけで・・・あとはなにも・・」
あのくしゃくしゃの新聞切れ端を取り出した。
車内の時間が凍り付いた。





「いい。シンジ君。これから話すことをよおく聞いてね」
車は止まった。葛城さんが急ブレーキをかけたのだ。後ろ向きの赤木博士はそれに反応できず後頭部をフロントにぶっつけて気絶した。沈黙している。
「あの、大丈夫ですか・・赤木博士は」
「あと5分は目を覚まさないわ。経験あるから心配しないで。都合もいいし。
それより、問題はあなたのことよ」
「はい」
声のトーンが電話のあのときと同じになった。そして、その人は今、目の前にいる。
「ここは地獄の一里塚。ここから先は踏み込めば2度と戻れないわ。
そのつもりで聞いてね」
「は、い」

「あなたのお父さんの仕事、何だか知ってる?」
さすがに一里塚だけあって聞き方も婉曲だ。下手なことは教えられないわけだ。
「知りません・・・でも、やくざの組長だって言われても驚きません」
く、組長・・・・でもちょっちそのイメージあるわね。とと、それどころじゃない。
と、いうことはあたしたちはその情婦か何かに見えるわけ!このガキ。
まあ、いいわ。ここで縁が切れるかも知れないんだし。あとでシメるわけにもいかないわね。地獄の一里塚、なんて演歌系の言い回しが悪かったのね。きっと。
でも、なんて説明するべきかしらねえ。肝心の肉親があの調子で、他人のあたしがどの面さげてあの物騒なモノに乗って命の保証もからきしない仕事してくれ、何て言えるのよ
とはいえ、作戦部長の葛城一尉としちゃあ、手ゴマが減ると困るわねえ。
司令の息子でそれなりの覚悟があって、司令がきっちり説明してあると思ったから、こうして迎えにきたものの、まさか一言「来い」とはね・・・。
それで来る方も来る方だけれど。天然記念物級のお人好しね。
あの何でもかんでも自分一人だけ知っていて薄ら笑い浮かべている閻魔大王みたいな父親に、この中性的な観音菩薩みたいな子供か。
変わった親子だ。
さすがに作戦部長だけのことはあり、頭の回転は早い。一瞬の間にこれだけの感想を浮かべて、その底でさっさと結論をだしてしまう。時間もそうないのだ。
短い時間で、この子を乗せる気にしてしまわねばならない。
なにせ、本人にその気がなければ動かないそうだから・・・。ちらりと沈黙の赤木博士の方を見やる。たく。芸術家やカメハメハ大王じゃあるまいし。


かちゃ。
葛城ミサトは後方ドアをコントローラで開けた。
「話、聞いてこりゃーヤバイなって思ったら、ここから降りて。標識どおりに歩けば、300メートルほどでシェルターがあるから事が済むまでそこにいて。
運良く生きてたら、駅まで送っていくから」
降りて、を逃げて、にしようかなあ、と思ったがやめておいた。
声が震えている。と、碇シンジは感じた。わずかだが、震え、かすれている。
「まともに聞けばこの先の人生、見張りつけた暮らしになるから、少しぼかして言うわ。
誠意にかけるけど、納得して。・・・・ここから先に進めば、あなたは命の保証のない仕事をやらされる羽目になるわ。逃げようとしても逃げられない。
だから逃げるなら今のうち。いいわね」
少しどころか、ロンドンより深い霧の中にある説明。ただ逃亡を煽っているだけにしか聞こえない。
「何をやらされるんですか。それに、運良く生きてたらって・・」
ふふふ。はまったわね。・・・でも、不幸なほど真面目な子ね。唇をかむ。
「それを知れば、降りられなくなるでしょ。たぶん」
我ながらえげつないなー、と思う。結局、手法は司令と同じなのだ。
他人であることと選択を用意した点は違う。が、大人であることは同じだ。
命かけるほどの欲も執念も持っていない子供には、ごり押ししかないのだ。


「僕は、父さんに会いにきただけです」


碇シンジは車を降りずにこう言った。
一瞬、寒気を覚える葛城ミサト。俯いていたが、その声。涼しくて虚ろの恨み言とでも
いうのか。醒めているのとも違う。この子、長年放っておかれた恨みを晴らしにきたのじゃないの・・静かに背後にたって後ろから相手を刺すような・・・そんな連想ヲ浮かばせるに十分な声色。
あんな紙切れ一枚で来た理由を考えてみるべきだったわね。
「聞きたいことがあるのに・・・今まで話してくれなかったから」
ぞぞお。こりゃあ、他人の立ち入る隙のない話だわ。
「それさえ聞けばすぐ・・帰ります・・・・・・・・こんな街」
知っている。この子はここに来るのは初めてじゃない?



バタン
後部ドアが閉められた。少年の手で。
「いいのね」
「はい」
車は再び走り出した。




「知らない天井だわ・・」
「目え、覚めた?」
沈黙していた赤木博士が再起動した。
「よくもやってくれたわね、ミサト」
「さすがに世界にその名を響かせる赤木リツコ博士、記憶にいささかの混乱も障害もないようねー、5分たっても起きないから心配したわん」
「5分・・・世界はまだ続いているんでしょうね」
「大丈夫?世界は明日も明後日も明々後日も・・・・・続かせるのよ」
車は地下へと続くとんでもなく長いカートレインに運ばれている。だから、赤木博士は仕返しに葛城ミサトの首くらい絞めても良かったが、そんなことはしなかった。
仕返しは後日。生きていればやればいい。
少し痛む首を巡らせ、後部座席を見る。まさかと思うがミサトがヘタうって逃げられたとも・・・いた。先ほど渡したバインダーヲ読んでいる。
ミサトの方へ目をやる。かすかにうなづき返してくる。長いつきあいだ。
乗る気になったのね。情報ゼロからそこまでもってくるなんてやるじゃない。ミサト。

誤解であった。

碇シンジは間がもたないから目を通しているだけで、何に乗るのかさえ聞いてないのだ
その上。そんな命の保証のない仕事などやるつもりは毛頭ないのであった。
催眠術師でもない葛城ミサトにそんな芸当ができるわけがないのである。
だが、長いつきあいであるから、つい誤解してしまった。
だから当然、継続されるべき説得の努力を放棄していることも知らないままだった。





がしゃーん。
カートレインが目的地に着いた。
「地底基地みたいですね」
ゲートを前にして碇シンジはそのまんまな事を言う。関心はない。
早く用件を済ませれば2度と来る事のない場所だ。
あれだけ念を押されていながら、碇シンジはここから戻れるもんだと思っていた。
父親に呼ばれたから来ただけのこと。その父親は今まで自分を遠ざけてきた。
用件が済めば、また遠ざかる。それだけのこと。
葛城ミサトさんはここを地獄のように言った。イヤでも戻れない比喩として使ったのだろうけど、それは正確じゃない。
今はどうなのか知らないけれど、それほど賑やかな場所じゃない。
もっと寂しくてしらけきって乾いている場所。
そう、言ってみれば墓場だ。
地上に出てゆかぬように地に埋められている。イロンナモノガ。



すでに造られていた自分の、イカリ シンジ と刻印された赤いカード。
白抜きで葉っぱに半分隠されたようなnervという名前。
「国連直属の特務機関、ネルフよ」
ネルフ、と読むらしい。宇宙人のような名前だな、と少年は思った。




基地内の動く歩道。未来の工場を思わせる雰囲気だ。それだけ人の匂いがしない。
「じゃあ私はここで」
左右の分かれ道。赤木博士は右にいった。
「あ、あの」碇シンジが少しあわてて声をかける。
「なに」動く歩道はこういうときは少し不便。まわすには首が痛い。
「お迎え、ありがとうございました」
「どう痛しまして」純な礼儀のよさに苦笑してしまうが首もいたかった。





発令所
「お父さん、碇司令はここにいらっしゃるわ」
カードキーをロックにすべらせる。もう何も言うこたあない。
命令ではいきなり格納庫に連れていくことになっていたが、葛城ミサトはここに連れてきた。碇司令がどう対処するのか、見てみたい。わけではない。
あの碇司令がこの苦しい立場に追い込まれてどういう顔をするのか、見てみたい。
わけでもない。
結末は予想できる。役者が違いすぎる。この子は結局乗らされる羽目になるのだ。
また、その程度のことが出来ねばネルフ・・・人類最後の砦の長はつとまらぬ。
ならばなぜ。
言い訳は用意してある。だが、少年に同情したわけでもない。しようもないが。
時間のないこの時に、切羽詰まったこの時に、自分でも分からないようなことをする気分は自分にはない。理由は一つ。
ロックが開かれた。





発令所
情報の修羅場であった。平面、立体のモニターが整然と、しかし所狭しと並べられ、何十人ものオペレーターたちが怒声に近い声を張り上げている。それに負けない量の電子音
街と基地が静まり返っていた分を帳消しにするほどの活気だ。殺気が混じっているが。
「よく見ておいて。これが負け戦と、そして・・・税金の無駄遣いよ」
「・・・・」
中央の最も大きなモニター画面。そこに映し出されたモノを見て絶句する碇シンジ。
妖怪。ばけもの。怪物。巨大ロボット。巨大ミュータント。怪獣。
どの形容もぴん、とこない。なんと言ったらよいのか。あれは。


「使徒よ」


シト。しと。しとよしとよにしとみごろ。シトヨ。しとよ。
キリスト教徒でない碇シンジには馴染みの薄い言葉である。黙示録も聖書も読んだことのない日本人にはその意味もよく分からない。
それより、こうきこえるのだ。


死と。


胸のペンダントにしてある十字架を握る葛城ミサト。
キリストはいない十字架だった。
「使徒。神の使い。天使の別名。そして、人類の天敵」
「天使・・・・」
そのことにはさして衝撃をうけない碇シンジ。信じてなければ畏れることもない。
ただ、恐れはする。恐怖だ。脳みその一番深い所で鳴らす警鐘。
その異形に。その力に。その大きさに。そして理解ヲ拒むこの現実を。




緑色した首なし人間。大ざっぱにいえばそうなる。その上に人間の骨何万人分かを寄せ集めてこねて造ったような胸鎧をつけている。その中央に赤く光る玉と白い仮面がふたつついている。突き刺して血でも吸いそうにちゅーと伸びている。
2足歩行して前進している。そこに戦車やら航空機やらが攻撃を加えるが平気の平座。
それから思い出したように反撃をしたりする。この場合一撃でやられてしまう。


「エヴァに乗れない大人が戦えば、こーなるわ」


ミサトの視線は腕時計に。あと、もう少しだ。
ネルフの戦闘開始まで。一分を切った。一秒でも早く。マギに勝てるか。
視線を跳ねあげた。その先には司令席。今は戦自の首脳が鎮座ましましている。
その手元の電話が鳴る。早くとんなさいよ! 内容は分かってんでしょ。


「碇君。今から本作戦の指揮権は君に移った。お手並み拝見させてもらおう」
「だが、君なら勝てるのかね」 ああ、時刻ピッタリ。言うわよ。あのおやじ。


「そのための、ネルフです」


「さあて。行くわよ。シンジ君」
「ど、どこへですか」
「お父さんに会いに来たんでしょ。目の前で会わせてあげるわ」
少年の手をひっぱりズンズン進んでいく葛城ミサト。その光景は殺伐としか言い様のない雰囲気の中、浮いていた。注目されないのは皆それどころではないからだ。
依然として戦闘状態(といえる代物だったかどうかは別として)は続いている。
発令所上方ゆきの簡易エレベータ。二人は文字通り浮き上がる。



りん。到着。



「葛城一尉。初号機パイロット、碇シンジを連れて参りました」敬礼。
その一言で視線が少年に集中する。多くは好奇のものだが、中には敵意に満ちたものが降ってきていた。少なからずの軽視と侮蔑。
この場には大人しかいない。大人の視線に理由もなく曝される。気の強いとはお世辞にも言い難いこの少年には耐え難かろう。百も承知の葛城ミサト。
八方目にて少年を見る。さてさて。どのくらいのタマなのかな。
少年、碇シンジの視線はただ一点に。強くはないが、揺るぎもなし。
何しに来たのか、はっきり覚めている目だ。


「来たよ・・・父さん・・・」
「久しぶりだな・・・・・・」



(3年ぶりの親子の再会か・・・しかし葛城一尉・・何故ここに連れてきた)
(これでは、まるで・・・・)
碇ゲンドウの左後方に控えた、理知的で銀髪の、将棋に喩えれば銀と角を足してさらに成ったような人物。実際の手腕はそれ以上。冬月コウゾウは密かに思った。


(あれが、碇司令のお子さん、いやご子息。そして初号機専属パイロットかあ)
司令の指示を直で受ける、ネルフのオペレーター参人衆、日向マコト、水木シゲル、伊吹マヤはどちらかといえば友好的な好奇の視線を向けていたが、考えることはおんなじだ
(似てなー)
だが、長髪でギターを愛する水木シゲルは別な事も考えていた。さすがに音楽をやる人間は感受性が鋭い。
(これでは、まるで・・・・)
(妖怪漫画の大家のようじゃないか)


「エヴァには会ったのか・・・」


「知らないよ・・。そんなことよりっ!」


とても参年ぶりの親子の会話とは思えない。と言うより、端から話が通じてない。
少年は胸の奥にしまい続けた想いをノドから引き出すように叫んだ。



「母さんはどこにいるんだよ!母さんに会わせてよ!」



「会わせてやる」




父。碇ゲンドウはそう答えた。表情は、変わらない。変わるべき他の感情ヲ持っていないのかも知れない。そう他者に思わせるほどゲンドウのそれは鉄面皮である。
当然、この親子の事情は他者には想像もしかねる。碇ゲンドウならば。必要ならば、どんな極悪なことでもやるだろうが、必要でなければどんな簡単なことでもやらない。
面倒ごとは押しつける。これまた極悪だった。忙しい人物なのだ。
もしも時間が金で買えるなら、買う口である。だから時間ヲ無駄にする無能には容赦がない。たとえ有能でもたっぷり時間は与えない。そんなことをするくらいならどこからか、さらに有能な人材を探してきた。作戦部長葛城ミサトなどそのいい例だ。
だから部下はゲンドウを恐れた。が、戦々恐々ともしないし、憎まない。
一番忙しいのはゲンドウ自身であったし、うるさいといっても本部には不在の方が多い
それをフォローするのは温厚型の副司令冬月コウゾウであったから、組織が疲弊しての内部崩壊する心配もなかった。
さて、長々とゲンドウについて語ってきたが、こういう人物であるから、息子の言葉に即答したのは分かるが、母親を息子に会わせないでどういう得があるのやら。


「エヴァに乗れ。会うのはその後だ」


基本的に悪人顔であるゲンドウの言葉だ。誰が聞いても脅迫だが、違和感がない。
命令し慣れている人間の命令は魔法のような響きがある。
ここに連れ来た当人の葛城ミサトでさえそれを受け、出撃準備に走り出しそうになる。
戦自の人間は別としてネルフの人間でそれにはまらないのは冬月コウゾウのみ。
彼だけはゲンドウの言うことが脅迫どころか詐欺であることを知っていた。


「約束したよ・・父さん」



「ああ・・・」


かすかに頷き、背を向ける。そして発令所全体に命令を下す。
「総員・・・第一種戦闘配置」
それだけで先ほどとは別種の空間のように人とシステムが静かに、しかし強大にうねり出す。先ほどのような怒声が行き交うようなことはないが、それに倍する精気のようなものが発令所に流れている。やはり、ここはネルフなのだ。
ネルフのみが所有する現時点における世界最強の決戦兵器を操る場所。


「ふん・・・・」
もはや場違いの観戦武官になってしまった戦自首脳。学びようもない人外の決戦が始まることをようやく認めた。そして同時に、連中が負ければ自分たちも一蓮托生であることを悟った。
「本当に勝てるんだろうな・・・・」






格納庫
碇シンジは、エヴァと「会って」いた。
「人の造りだした究極の汎用決戦兵器。万能人間エヴァンゲリオン。その初号機。
建造は秘密裏に行われた。我々人類の最後の切り札よ」
朗々と説明してくれる赤木博士。今までパーソナルデータとやらを組み込んでいたという。「人造人間じゃなかったっけ。リツコ」
気合いをいれるため、と称し格納庫までやってきた葛城ミサトが素朴な疑問を述べる。
「今は使徒撃退が最優先事項です。そのためには誰であれ、私の些細な間違いを笑う事は許されないわ」
「あっそ。まああたしはどっちだっていいんだけどね。それより、シンジ君。
準備はいい?」
碇シンジは女性ふたりのほうは向きもせず。ただエヴァ初号機ヲ見ていた。
言葉も聞いていたのか分からない。
「シンジ君?」
いい度胸してんじゃない。内心で誉める葛城ミサト。父親との再会の会話はあんな風だったし、ほとんど説明抜きで乗ることになったエヴァを前にして臆する様子も見せない。
多少、ぶーたれてはいるようだが、ここで愛想を見せてもらっても後々気味がわるい。
泣きわめいて嫌がって逃げると思い、保安部にも連絡いれたがその手を煩わすこともなく、操縦者用の服、プラグスーツに着替える時も淡々と。生体データをとるときも。
抗LCL用の薬剤やらの注射の時も。規則とはいえ、遺書書かせた時も。
まるでパンダの名前ねえ。タンタン。そういう自分が言われたらケリをいれたくなるような事を言っても。


「リツコ・・さん」
ふいにシンジ君が口を開いた。顔はエヴァをむいたままだが。
「何かしら」
「人造人間って言うと、しゃべったりするんですか」
一瞬、返答に困った赤木博士。外部スピーカーならあるわ、と誤魔化すべきか。いやいや、シンジ君はただ、無邪気な疑問として聞いたのかも知れないし。
「面白いけど、怖いこと想像すんのね。シンジ君も。このサイズで口きかれてごらんなさいよ。基地内に戦闘機飛行場があるよっかうるさくてたまんないわよ。
ねえ、リツコ?」
邪魔かと思ったけどミサトがいて良かった。それに便乗してしまおう。
勝利は決まったようなものだけど、そんなに時間もないし。
「ふうん・・そうなんですか」
そう言って振り向く碇シンジ。「あれ」ひょう、と抜けた声をだす。
今までしらっとぼけていた声と違う、年相応よりも幼い声。
「どうしたの?」
「いえ、今、その奥の通路の方に僕くらいの年の女の子がいたんですけど・・・」
(女の子・・・?まさか・・)指さす方を慌てて振り返る二人。
「ふっ、と消えたように見えて」





発令所
「エントリープラグ挿入。LCL注入。電化開始。A10神経接続開始」
オペレーター伊吹マヤが手順を次々に読み上げてゆき遅滞なく実行されてゆく。
「思考形態は日本語にて固定。双方向回線開け。シンクログラフ絶対境界線、突破。
シンクロ率41・3%にてエヴァンゲリオン初号機、機動、成功しました」
おおー。戦闘配置でありながら一時、驚異にどよめく。

「勝ったな」
まだ地上にも上がっていないうちに言い切る冬月。だが、温厚、慎重、冷静の3拍子揃ったこの人物が言うのだからそうなのかも知れない。
「ああ」
ニヤリ。不敵な笑みを浮かべる碇ゲンドウ。

「兵器は動いて当たり前だろう。何を感心しとるんだ。こいつらは」
「余裕はいいが、油断にならんようにしてもらいたいもんだな」
まだ肝心の、そのエヴァンゲリオン初号機とやらを見せてもらっていない戦自のお偉いさんが高見の見物に移った途端に正論を述べ始める。
「仇はとってもらわねばな・・・・」



唯一の不安材料であった初号機の起動も成功し、冬月コウゾウの勝ったな状態が伝染し始める発令所スタッフ内にて、2名そうならない者がいた。
作戦部長葛城ミサトに技術局一課E計画担当博士の赤木リツコ。この二人だった。
どちらも表情がきつい。堅さを誤魔化すためにきつくなる。
初の実戦による緊張ではない。戦闘における勝利自体は、冬月同様、確信しているのだから。原因はほかにある。
だが、それを口に出すわけにも、表情に出すわけにもいかない。
そのために二人は視線を故意に合わそうとしなかった。そんな暇もないわけだが。



「初号機パイロットから通信が入っています」オペレータ日向マコトが報告する。
「つないで」
日向マコトは葛城ミサトの直属の部下であり、作戦が開始されたなら作戦判断は全て、葛城ミサト作戦部長に委ねられる。応えたのもそれゆえに彼女である。
父親と話したいんじゃないかなあ・・・と日向マコトは思うが、命令だけを実行する。
モニターに映る少年は、無表情にLCLに浸かっておりこの期に及んでの恐怖や錯乱も見られない。それは戦自の人間でさえ素直に評価していた。それによってゲンドウが鼻高々だった・・わけもない。
それだけに、通信で少年が何を伝えてくるのか、大人たちは興味があった。
恨み言であればいい・・・。



「乗っているだけで・・いいんですよね」
少年はそれだけを伝えて、通信を切った。


「エヴァンゲリオン初号機!発進準備!!」



作戦部長の号令で、いよいよ紫の甲冑巨人が戦の場に赴く。


「第一ロックボルト、解除」解除される。
「解除確認、アンビリカルブリッジ移動」移動する。
「第一第二拘束具除去」除去される。
「一番から十五番までの安全装置解除」一番から十五番まで解除される。
「内部電源充電完了。外部コンセント異常なし」電源バッチリ異常もなかった。
「エヴァ初号機、射出口へ」

「5番ゲート、スタンバイ」「進路クリア。オールグリーン」
「発進準備完了」


準備は整った。
「了解」
あとは自分のたった一言で戦闘が始まる。誰の為にも少しでも早く言うべき言葉。だが。
その前に確認することがあった。無駄な確認。だからこれは儀式の言葉だ。


「碇司令。かまいませんね?」


「もちろんだ。使徒を倒さぬ限り、我々に未来はない」


内心で唸る葛城ミサト。「ああ」だの「うむ」だの、頷くだけだのまともな返答は期待していなかった。ふーん。未来のためにか。いいでしょう。
正面モニターに目を戻す。


「発進!」


バシュ。バチバチ。リニアレールの磁力の力。高速で地上に射出される。
「んっ」
多少の重圧がかかってうめく碇シンジ。それもすぐに消える。





地上に着いた。わずか5秒。早い。
夜の第三新東京市。なんだかんだと時間がかかって世間は夜になっていた。
昨日まではその世間の住人だった。今日の昼から地獄の3丁目を越えてネルフという地の底の国の住人に。夜になればこんな巨人の中にいる。そして地上に戻ってきた。
相対するのは使徒という天使の別名、神の使い。
母をたずねて流されて三千里。はるかまできつるものかな。



「夜だから・・・誰も見てなくて良かった」
だが、エントリープラグ内の碇シンジの様子は基地にてしっかりモニターされている。


(シンジ君・・・あなた・・・って)
「いいわね、シンジ君」
「あ・・はい」
頼りになるんだかならないんだか分からない子ね・・・。単なる天然ぼけじゃないみたいだし。いやいや、今はシンジ君を信じるべきなのよ。
使徒を初めて目の前にしても動じないその太い神経といい、いきなりエヴァにシンクロしてみせたこと、そして何より・・・・・。


「最終安全装置解除。エヴァンゲリオン初号機、リフト・オフ!!」


ガション、ガション


エヴァンゲリオン初号機は、敵を目前にしてようやくその全ての縛鎖を解かれた。
もし碇シンジが問うたように、口がきけたなら「やれやれ、やっとかよ。信用ねえなあ」くらいなことは言ったかも知れない。



縛り付けられ俯き加減の顔を上げた・・・・・その時である!


初号機の双眼が凶悪の電光を放った。封じ込められていた意識が目覚め始める・・・・。


解放。それは爆発に近い。


ズドドドドドドドドドドドド



縛ヲ解かれたエヴァンゲリオン初号機は、今まで暗い地の底で縛り付けられていた鬱憤を晴らすかのようにいきなり走り出した。
ヲオオオオオオオオオオオオ・・・・



爆進しながら叫び出す初号機。その叫びは第三新東京市全域を震わし揺るがせた。
物理的にはあり得ないが、発令所のスタッフ達にもその叫びは聞こえていた。
背筋が凍る。悪魔の雄叫びだ。自分らが造り、自分らを守るために地上に飛び出したそれはどう見ても味方には思えない。理性も常識も、全力でその感情を否定し押さえ込もうとするが・・・。
「しょ、初号機、顎部拘束具を引き・・千切りました」
日向マコトがオペレータの責務ヲ果たす。
静まり返った発令所には、幻の叫びに日向マコトの報告がぽかりと浮いた。


「マヤ、シンクロ率はどうなってるの」
「日向君、シンジ君の状態は!」
ぼけぼけっとしている場合ではない。歩くことすらままならないと思っていた初号機がいきなりの爆進状態。それに加えての拘束具の自力破壊。
それを今日エヴァの存在ヲ知った碇シンジにやれるわけがない。
同格の責任ヲ負う二人の女性の頭に浮かぶ単語。


「黒猫」
「暴走」



ここで、ひとまず葛城ミサトの見立てと作戦をばらしておく。

「なんでエヴァなら使徒に勝てるの」
エヴァとやらを己の直轄部隊に配し、使徒殲滅のための作戦を練る作戦部長の位置に就いた時に、長いつきあいではあるが、技術局第一課E計画担当博士の赤木リツコ博士に、葛城ミサトは、作戦部長として尋ねたことがある。
「しかも乗るのは、14歳の子供達。まー、それはいいわ。あたしの命令聞いてくれさえすればね。直接やりあう機体が優秀なら、なんとかなるでしょ。
・・・うー、正直なトコロを聞きたいんだけどさ、エヴァは戦闘能力において使徒に勝っているわけ。子供を乗せるんだから作戦や戦闘技術にはあまり期待してほしくないんだわ、これが」
ハードとしてのエヴァ。それはどんなものなのか。
「資料には、全て目を通したわよね」
「そりゃあ、仕事だしね。命、っかかってるし」
赤木博士は葛城ミサトの目を見る。そして、少し考える。
「あなたも葛城博士の娘なんだし、余計なことは省くわ」
フォローなしに言い捨てて、専用の端末にしなやかな指を走らせる。
「使徒との戦闘はATフィールドが全て。もし、ATフィールド中和砲なんて兵器が出来れば戦自でも国連軍でも勝てるわ。N2爆弾で燃やせないものなんてないもの。
それが不可能な以上、使徒に勝てる可能性があるのは同じATフィールドを発生できるエヴァンゲリオンだけ。
だから戦闘の勝敗を分けるのはATフィールドの強弱よ。
使徒のフィールドがどの程度のものか分からないけど、もし弱いフィールドならば作戦なんていらないわ。押しつぶしてしまえばいいんだもの。・・・フフフ」
「成る程。押し相撲ってわけね。でも、相手のフィールドがこちらと同等、もしくは強かった場合は?」
「科学者の領分じゃないわ」
「って、それを聞いてんでしょうがあ!それにんなこたあ、資料読めば分かるわよ」
「人の親切を無碍にする人間は猫に嫌われるわ」
「あたしはペンギン派だからいいのよ、で?」
「ATフィールド中和状態での物理的攻撃能力、そして防御能力は・・・言ってみれば大人と子供ね。使徒がどれほど喧嘩慣れしていても殴り合いで負けることはないわ」
「そりゃ安心したわ。でも、何で分かるのよ」
「エヴァは使徒を倒す為の兵器だもの。敵より弱いモノ造ってどうするの」
ここくらいまでだわねー・・・これより先は努力が必要ってか。
「そう遠くないうちに戦自が実証してくれるでしょう」
恐ろしいこと言うわね。だが、この恐ろしさがエヴァを強くしているわけだ。
使徒に負けぬように。人類が滅ぼされぬために。


「起動してATフィールドが発生すれば、勝つわ」
部屋を出ていくときに、そう言っていた。



「パイロットのシンクロ率、41.8%、0.5%アップしています」
「パイロットの状態に変化なし。脈拍。呼吸、ともに正常」


オペレータからの報告は正常であって異常だった。
モニターされている碇シンジの姿。瞑目し眠っているように見える。
まさかショック死したんじゃあるまいな、と思わせるが平然として生きている。


「暴走・・じゃないの」
「何なのよ・・あの子」



使徒に激突する初号機!

ウオ!どよめく発令所。あまりに予想外で無茶苦茶な光景が展開された。
宙高く跳ね飛ぶ使徒。初号機がその勢いをもって跳ね飛ばしたのだ。
体格は同程度にも関わらず、ダンプが人形はねるよりも軽やかに容赦なく。
もしかしたら、初号機の目には使徒など端から映っていないのかも知れない。


ズズズウン・・・・・。


使徒が落下して地響きたてる。この巨大な質量をだうやればあれほど軽やかに跳ね飛ばせるのだろう。合気道でも柔道でもなく、ただ突進してきただけだ。


「これはモノが違うな」
冬月コウゾウが呟いた。


「使徒、コアに亀裂発生!」
オペレータ青葉シゲルがとんでもないことを報告する。

「あれだけで?」
大人と子供の差があるとは聞いていたが、これほどとは・・。ウソ寒くなるほどの強さ。「ATフィールドを一瞬にして浸食・・・いえ反転させています!」
起こる事象が早口言葉日本一の人でも追いつけない速度で展開していくので、報告するのも一苦労な日向マコト。
「どういうこと?」空気投げとか真空飛び膝ケリとか言われれば分かるがATフィールド反転で、どうして使徒が飛ぶのかは分からないので科学者にきく葛城ミサト。
「前にも言ったでしょ。強いATフィールドなら相手を押しつぶせるって。
力の加え方の問題よ。使徒の方で潰されまいとしたのかも知れないけれど」


「あのおっ!使徒のコアが亀裂を発生してるんですけどお!」

「マヤ!LCLの成分分析。これはどう考えてもおかしいわ・・・」






「月が出てるんだ・・」
碇シンジは目を開けた。ここはエントリープラグの中。
LCLに浸された円筒の中。水の中で呼吸出来るのはとても気分の良い。
体が溶けていくような猛烈な眠気に襲われて、碇シンジは通信以降、眠っていた。
シンクロ率も脈拍も呼吸も穏やかなほどに変化がないのは、そのためだった。


「乗っていればいい」
碇シンジはその言葉を素直に実行した。どうして自分が乗らなければいけないのかは、いまいちよく分からないが科学の力でなんとかなるんだろう、と楽観していた。
事実、始めに赤木博士に渡されたあのバインダーにもそんなことが書いてあった。
中学生相手なのに手加減のないその内容の赤い線のとこだけ読んだのだ。
「科学と人の心によって制御される必要がある・・・うんぬん」
赤木博士本人はまるきり信じていない建前であるが、真面目な碇シンジは読めるとこだけ自分なりに解釈した。
(要するに、強力な兵器に人間が乗っていないとどこか不安になるのかも。
とはいえ、大人が乗れば欲にかられて何しでかすか分からないしなあ。
世界征服でも企むかもしれないし・・・ここで一番えらい・・司令だっけ・・・父さんの息子なら、そんな心配もいらないということかも)
真面目で繊細でちょっとお子様。それが碇シンジであった。
ずっと黙り込んでいたのはそんなことを考えていたのだ。もし、発令所の人間がこれを聞いていたら・・・・こけていただろう。
それから、勇敢とか気が強いというのにはほど遠い気性であったから、
「危なくなったら、代わってもらおう」
などとも考えていた。この際、「誰に」などと問いつめてはいけない。
碇シンジ本人もそこまで考えているわけではないのだ。
ただ、今のところ「自分は特別だ」という自覚がないだけだ。


特別な子供・・・・サードチルドレンであることを知らない。



さて、碇シンジの見立てをばらそう。それは特別なものでもなかった。
(乗ってるだけでいいんだから、自動的に戦ってくれるんだろうな。
顔つきはいかついけど痩せてるから、取っ組み合いとか殴り合いは強そうじゃないな
肩が出っ張ってるからそこから光線でも出るんだろうか。口から火を吐く・・とか。)
この本音を聞けば、こけるどころか逃亡する者も出たかも知れない。
無知は強いが、無知な人間に身をまかせるほど恐ろしいことはない。
(やっぱり飛び道具にしてほしいなあ。あんなのに近寄るのも怖いし)
これを聞いて笑う資格のある人間はいなかった。危険をさける原初の本能だからだ。


だが、これを聞いて笑った者がいたのだ。誰も気がつかなかったが。

初号機だった。



「使徒、反転移動します。逃げていきます!」
オペレータ青葉シゲルの報告は、半分主観が混じっていたが、ただ見るぶんにはそう見える。使徒の魂胆など人間の知るところではないし、ロン毛のギターマンにも当然知るところではない。そんなことはどうでも良く、よてよてと使徒は背を向けて逃げ始めた。


ホントに逃げてるの?誘いなんじゃないの。しかし、弱点とされるコアに亀裂がある。
このまま放っておくわけにもいくまい。自己再生機能があるのは承知している。
ここで逃せば、再度侵攻の可能性、大。ここでトドメを刺すべきだ。
そんな切羽詰まった考えは浮かばないほど、なんにも指示しないで展開していった事態。

一言で言えば「おとといおいで状態」
ケンカを売りにくるには相手が悪すぎた。よおく身に染みたら二度と来んじゃないわよ!葛城ミサトはそう思うのだが、今はネルフの作戦部長だ。
初号機は、使徒を跳ねた後、月を見上げるように停止している。使徒は完全無視。
その姿は荒れ野の悪魔を連想させるが、今は詩想に耽るときではない。
「シンジ君、追撃して」


「シンジ君、追撃して」
葛城さんの声だ。もう済んだのだろうか・・・眠い・・・頭がぼうっとする。
ツイゲキ・・・よく分からない。だけど声色が厳しい。まだ終われていないのか。
僕に言われてもなあ・・・動かし方もよくわからないのに。
エヴァンゲリオンさん、早く終わらせてください。お願いします。
碇シンジはぼやける頭で、頼んでみた。ぺこりと頭もさげる。
眠い・・・・・。




「使徒内部に高エネルギー反応!」青葉シゲルが怒鳴るように報告する。
「光線兵器の可能性大です!反応増大、収束していきます」


「自爆してくれるなら手間がはぶけるな」直属の部下の予想を信じない冬月コウゾウ。
「貴重なサンプルが・・惜しいわ」科学者も信じてくれなかった。
「追撃中止!その場で自分の身を守ってて」作戦部長も指示を変更。
「総員、対ショック姿勢」



天にそびえる十字の光



その光量は凄まじく、一瞬だけだが第三新東京市全ての夜をなぎはらった。
発令所のモニターも光量の自動調節がなければ目が白光に焼き付いていただろう。
「収束しきれなかったわけね・・・自滅か」しらけたように言う葛城ミサト。
「コアがなければATフィールドも使えん・・ただの・・」と冬月コウゾウ。
だが、言い終える前に再び青葉シゲルがシャウトする。



「パターン青!初号機の直上に使徒ですっ!」




黒い月・・・影でできたような月だ・・・
なんで、そんなものが見えるんだろう。ああ、ずんずんと遠くなっていく。
周りはすべて白く。そうか。黒と白が逆なのか。
ああ眠い・・・・葛城さんの声も聞こえない・・・もう、終わったのだろうか。
終わったなら、帰らなくちゃ。父さんに、母さんのことを聞いて・・・・・。


ようやく帰れる。


もう預かってもらわないですむんだ。


だから父さんも、僕を呼んだんだ。


ようやく、帰れる。






発令所。
静まり返っていた。さながら死人の国のように。
誰もがモニターから目を離さず、口をきかなかった。報告も説明もなく。
モニターに映る光景を誰もが信じられなかった。


初号機が、消えた。


あの光爆発の後、使徒が初号機直上に現れたという報告、モニターから長く目を離していたわけではない、光量の自動調整、画面復活すぐ後のこと。

そこには初号機の姿はなかった。

第三新東京市全域を探しても初号機の反応はなし。
直上に現れたという使徒の反応はすぐに消滅した。
さらに言うと、自滅したと思われた使徒はまだ生きていた。よれよれと逃亡を続行、侵攻時と同コースを辿り、最後に海中に消えた。



何が起こったのか。
想像できなければ、いっそ幸せだったかも知れない。そうならば、これほど、気力を、魂を抜かれたようにはなるまい。


だが、モニターには悪夢の想像を食い破って現れる、惨い現実のカタチがあった。
初号機がいたはずの地点。そこには・・・・


完全切断された左腕と、切れた命綱思わす、アンビリカルケーブルだけが残されていた。