この出立で、完全に人事の入れ替わりが終了し、新本部の稼働がはじまる。
 
 
第三新東京市エアポート 特務機関ネルフ専用滑走路 特別機前
 
 
葛城ミサト。
 
赤いロングコートに、革の手袋、ゼーレの紋章の入ったでかいトランク。これから向かう地の気候が察せられるが正確のところは誰も知らない。たった三人の見送りの者たちも知らない。
これから彼女がどこにいくのか。
 
 
もと作戦部長。現職、適格者捜索人。チルドレントレーナー、もしくはサーチャー、などというと多少はかっこいいが、大量の人員を動かす権力を失い、己1人のみを軽やかに透き通らせる身の軽さを得ただけで、「いやー、ルビーの指輪だねえ」と当の本人は笑っているのだが、大樹から枯葉一枚、他者からみると凄まじいほどの地位の転落であった。
業界も関係者もかなり震撼した。なんらかの仕事のミス、もしくは機密危険域にまで踏み込んでの首チョンパというのならばまだ話もわからんでもないが。抹殺もされずに放逐ですんだ、というのも業界関係者に首をひねらせていた。
 
 
何を考えとんのか、よくわからん人事だ・・・・・・・・・・
 
 
葛城ミサトという百戦錬磨にして常勝の指揮者をその座からコケ落とすということ自体は歴史書を紐解けばいくらでもでてくる、そのへんの企業の裏話にさえ出てくるようなことかもしれないが、それを子供探しのような、しかもただの子供ではない、エヴァとシンクロ可能な特別なチルドレン、子宝、まさに宝のような適格者探し、砂漠から針一本探すより厄介な仕事、プロの宝探しがとっくの昔に探索しきった場所でアマチュアが宝を発見しようなどという・・・・・ずいぶんと”マヌケ”な仕事をやらされる・・・・・それがどれくらいマヌケな行為なのかは業界関係者ならばよく知っている。ナチュラルに地域に自生しているような天然素材はとっくの昔に刈り取られているであろうし、なによりパイロットの育成はギルガメッシュ機関、通称ギルが引き受けている。いまさら個人がカンを頼りに世界各地をまわってどうにか探せ出せるような、希少才能ではないのだ。
 
 
使徒殲滅業界において、その名を知られた常勝将軍の転落、そして放逐。
虎に翼を与えて野に放つ・・・・という豪快素敵な形容があるが、今回、葛城ミサトのそれにはあてはまらなかった。
 
 
もともと葛城ミサト自身が特異な才能であり、そのままで獲物を狩り敵を砕く力のある虎などではない、殲滅対象が使徒ではなく同じ人間であるなら同じく常勝できたかどうかはかなり疑問でありその点では顧問補佐である野散須カンタローの足下にも及ばなかっただろう。ただ、人類の敵、異形の相手である使徒に対して一歩もひかぬ恐れぬ、魂のどこかが欠落しているかのような鬼のような精神力、無謀と神算の間スレスレギリギリの発想力・・・それらが使徒戦に非常によくマッチしていた、相性がよかったという所はある。
 
 
若かろうと女だろうと関係なくそういう人間を作戦部長に指揮者に任命した総司令、いやさ元・総司令碇ゲンドウの才能と本質と相性を見抜く眼力の確かさを評価するべきかどうかもまた異論がないわけではない。もともとエヴァでの使徒戦というのは絶対領域・ATフィールドでの「押し相撲」であり作戦など関係なし、というか、「初号機さえ出しておけば指揮者など行司か解説者になるしかない」などと考えていたフシがある。確かにある。
 
 
まあ、なんにせよ、結果オーライであったわけだ。今までは。
 
 
もともと地において流血にあけくれる獣猿たちを、空から襲い来る天の使いをその爪牙にかけられる程度にはホップ・ステップ・ジャンプさせられる特異才能の「翼」は切り離された。もともと獣に翼は生えておらず、内部事情を知らぬ者からすれば、それはひどくおちつかない眺めだったのかもしれない。目障り・・・・邪道である、と。一時的にとはいえ権限が一極集中した第二支部降下事件において、それは危険視になった。だが、少なからぬ犠牲を出しながらも人命という点では文句のつけようのない極上の結果を出してきたネルフ本部のスタッフを処罰などできようもない。この特異な才能・・・・ゼーレ傘下の各組織機関がおのおの保有する最高頭脳をもってしてどれほどシュミュレートしても同じ結果を導き出せなかった、八割が他支部への全面協力を求めることさえできなかった・・・・・それを潰してしまってよいものか、未来視を失った老人達は判断できなかった。
 
 
だが、このままではおけぬ・・・・・・
 
 
総司令はもともと喜んですげ替えてやるつもりであったが、いささか難しい判断であったが、同時に作戦部長もすげ替えてやることにした。だが、その後釜人事は難航した。
もともと世界統括部門は「葛城ミサトのままでよろしかろう」ということで自部門から才能を出すことを断り、対立する征服部門の方へ丸投げてしまったが投げられた征服部門の方でもこれは統括部門の罠であるとしてやはり自門からの人材投下を停止した。こうなるとあちらこちらの機関組織のピンボール状態であり、冬月副司令など「このままいけば元の鞘におさまるかもしれんな・・・」などとほくそ笑んでいたのだが上位組織もそこまで甘くない。冬月副司令(身分据え置き)の予想を悪い方角で裏切って下方に白羽の矢はたった。ブス。
 
 
総司令が最悪の人事になるのはわかりきっており、それは己が耐え遮ればいいことだが、作戦部長のこの人事の「最悪具合」にはあらゆる辛酸をなめ尽くしてきた冬月副司令にして思わず膝が砕けそうになるほどだった。それくらいダメダメな後釜人事であった。
無能な人物がくるよりも百倍も千倍もタチの悪い後釜・・・・・・ブクブク煮えるそのダメ具合に苦しめられるのはその下知に従って動かねばならないスタッフたちだ。
 
 
その能力、適格を責め作戦部長を放逐した以上、後釜に座る人事は少なくともそれと同格、それ以上を求められる。はず。確かに、葛城ミサトよりこの”後釜氏”は有能であり経験が広く知識も深く判断も冷静であろう。それは間違いない。公平に見て冬月副司令はそれを認める。上位組織も「これならばよかろう、文句もなかろう」ということで送り込んできた人材だ。人間的にどうこう、というのは当然二の次だ。要は能力だスペックだ。
 
 
新型作戦部長は、確かに前の作戦部長より優秀だ。その機能も高められている。大幅にアップしている・・・・どんなに悪意を持って低く見積もっても三倍強は間違いない。
 
 
だが、それでも・・・・・・
 
 
最悪だ。最悪の人事だ。なぜ、ここまで愚かなことをしてくれたのか・・・・・・
よりにもよってこの時期に・・・・。
 
「碇・・・・・ユイくん・・・・・・」思わず、あの夫婦の名を呟いてしまう。ちなみに碇、というのがゲンドウのことであり、今や総司令ではないので上役でもなんでもなく、ただの不器用な碇ゲンドウ一般個人である。碇ゲンドウ専門家としての観察対象にすぎない。いっそ竜尾道に乗り込んでやりたいが・・・・竜号機によって完全に守護されている。左眼と右眼が許さない者は入り込めはしない。一体、彼の地でどうなっているのかさっぱりである。強化された諜報部が新総司令の指示のもとバンバン人員を投入しているようだが、無駄だろう。
 
 
 
「でも副司令、見送りなんてよろしかったのに・・・・・・っていうか、いいんですか。出迎えの方は」
遠慮しているふうでもなく、どこか楽しんでいるふうにこれから旅立とうとする葛城ミサトは問う。己と入れ替わりに、やってくる新作戦部長のことだ。己の後釜に座って初めて発する命令が己の着任式典をやれ、というのだからお笑いだ。それも可能な限り新本部の者は出席するように、と。作戦部長の名前でこんなことをしやがって・・・・・自分もたいていのことはしてきたが・・・。まあ、とんでもないこった。大変ですね、みなさん。自分がやられるわけでもないのでハラワタを煮ることはない、だろう。資格がない。
 
 
「命令される覚えはないな。頼まれても出るつもりもないが。君もわたしに命令してみたかったのかね?」
にやり、と人の悪い笑みをうかべてみせる冬月副司令。
「いえいえ、そんなまさか。・・・・レイと・・・ソウジ君、あなたたちもよかったの?」
見送りの残りふたり、綾波レイと加持ソウジに向かって、こちらには多少心配げに問う。
自分がいうのもなんだが、この期に及んで正体を隠してやってくる新作戦部長というのは
かなり・・・・変わった奴ではないかと。しかもイヤな奴風味たっぷりな感じの。
野散須の親父の”遺言”さえなけりゃさっさと自分も出立していたのに、新作戦部長がくるまではおれ、ということで今日まで居残っていたが、まだ名前すら分からない。その着任式典で大々的に披露していただけるらしいが、自分はもうそこにいない。
いないし、命令系統も異なるから怖いことはなにもないが、自分に輪をかけた変人らしい新作戦部長に睨まれては・・・・まあ、やりにくいなんてことはないだろうけど、この子は・・・・他への影響とか示しとかあるだろうしな・・・ねえ?副司令、と冬月コウゾウ氏に目をやってみたり。だが、かえってきた返答は意外なもので
 
 
「わたしにはその命令はきていません。むしろ、可能な限り、出席するな、と」
「と、いうことでな。オレの今の仕事は彼女のお付きでな。連座して無出席、と」
 
 
「はあ?なにそれ・・・・・・シンデレラがきてない舞踏会みたいじゃないの・・・・いや、たとえが悪いんだけどさ、なんかそんな感じよね・・・・・何考えてんの・・・・いや、そうか・・・・・一応、”分かって”はいるんだ・・・結構、面倒な相手かも・・・ってそんなんじゃいけないか!あはは」
葛城ミサトの口から出たには軽すぎる笑い声が滑走路をよちよたと走り去る。重すぎる荷物を背負わされた丁稚のように。不慣れなことをする、と三人は思った。何より、その目がまったく笑っていない。その目の先には・・・・なにがあるか。分からぬ者はこの場にそもそも来ない。だからこそ、感情をすでに解さない綾波レイもここに来たのだ。
 
 
「君には悪いことをした。すまない」
それは元総司令・碇ゲンドウのいうことだろうが、代理で謝罪しておく冬月副司令。
 
 
「悪いことってなんですか」とそうつっこんでやろうかと思ったがそろそろ時間だ。それに、ここでこの地を離れる自分は、ここに残る彼らよりも数等、安楽だろう。言ってやりたいことはそりゃもう山のようにあるあの時の修羅場に胸の内腹の底に溜めて溜めて溜めあげたことを全部ぶちまけてやりたい、と一瞬思った葛城ミサトである。
 
 
「いえ・・・・こうやって首がまだつながってるのは副司令のおかげでしょ」
 
 
自分よりも苦しい目にあうのが決定している者たちに甘えるのはいかがなものかと。いや、ここにレイがいなかったらぶちまけてたかなー、と。子供の前で格好悪いまねしたくないし。あの時にあんたたちがいさえすれば。それは裏返せば、今この時あのこたちがいないから。ということ。そんなことを言えるはずがない。幸い、やるべきことはある。
チルドレンを12人さがしてこい?探しきるまで帰ってくるな?上等じゃないか。
あてはあるし、やらなければならないことはそれだけではない。というか、今更チルドレン探索など二の次だ。自分の子供を、求めにいく。それが第一義だ。
 
 
碇シンジと惣流アスカ
 
 
シンジ君とアスカ
 
 
あの二人を。いきなり家なき子にしちまったし。それをまず、どうにかしないと。
当然、こんなことは誰にもいえない。あの時、何があったのか。聞く権利があたしにはある。あるはずだ。たとえなくても聞き出す。二人を信じて送り出したことは誤りだったのか。作戦部長としてのケジメもある。その意味ではその座にあまり未練はない。
池に蹴落とされた濡れ犬のように、カラカラに乾燥した枯葉のように、惨めにあわれに他人から見えるかも知れないが。やるべきことはある。中枢から、台風の目から外れた自分がどれほど遠くに吹き飛ばされるのか、ちょっち予想がつかない。かなりの回り道を余儀なくされるかもしれない。それでも。
 
 
「葛城三佐」
 
 
綾波レイが呼びかけた。その手に封書を差し出して。「ん?なに、レイ。これは・・」
葛城ミサトが受け取ると、感触は薄く、答えは淡々と。
 
 
「パイロット候補の二名です。おそらく、どちらかが」
 
 
ただ、そのためだけにきたのだ、というような静けさで。告げられる。
「なんだと?」それは冬月副司令も初聞きだったようで驚いていた。
 
 
「十二人の中に加えておいてください・・・・・・それでは、お元気で」
 
 
くるり、と背を向けて歩み去っていく綾波レイ。「おいおい・・・それじゃな、葛城。子供の願いは叶えてやってくれよ」どっちに重点をおくか当然仕事を選ぶ加持ソウジであった。ひとつ手をふって歩み去る少女についていく。
 
 
「パイロット候補だと・・・・一体誰なんだ?」
 
「いやー、ちょっち予想つかないですね・・・・まあ、機内でゆっくり確かめさせてもらいましょう」
 
「な、なに!今、見せてくれないというのかね!?」
 
「いやー、もう出発の時間ですよ。パイロットの人が睨んでますし!それじゃ副司令、お達者で!!」
赤いコートを翻してさっさと機内に入ってしまう葛城ミサト。なんとなく意趣返しじみてなくもない。まさかコートを掴んでまで引き留めるわけにもいかず、悔しげな冬月副司令。
 
「だが・・・・・パイロット候補といっても、だいたい機体が・・・・まさか」
そんなのは酸っぱい葡萄だいと自分を慰めようとした副司令の脳内に閃く事柄がある。
近頃、綾波レイが学校どころか寝食を忘れて取り組んでいる作業のことだ。
 
 
「だが、”あれ”を動かせるというのか・・・・・・・・・」
現在、本部にあるエヴァは零号機一体きりときている。補充機体の目処はたっているが、交渉が終わっていない。使徒来襲時には情けない話だが、JA連合の応援を呼ぶ警備契約を結んでいる。おそらく頼まずともしゃしゃり出てくるのだろうが、新本部としては初陣もこなしていない状況で臨機に応変など期待できぬなら、最初から計算に入れておいた方がいい。まあ、現在の零号機がめったなことで使徒に敗れるとは思わないが。
 
 
それもいつまで保つのか・・・・・零号機と操縦者綾波レイについて、底冷えのする報告を聞いている冬月副司令はいってしまった元・作戦部長を乗せた機械の鳥を見上げて嘆息した。
 
 
 
「はあーーー・・・・・・」
それと同調したわけでもなかろうが、葛城ミサトも長く息をついた。眼下には当分、帰ることもならぬ己の家と仕事場と人間関係と生活記憶と、それらもろもろ抱き留めてくれている都市が。まあ、そう思うのは人の幻想というか勝手な話だが。いわゆる感傷。ではあるが逆に言えば変化し続ける都市の姿、光景風景記憶、町の面影をを保つのは人だけであるからこれは等価交換か。ちなみに、ペンペンは悪いと思ったが洞木さんところで預かってもらった。いつ帰ってこれるかわからんのを預ける、といってもいいのかどうか。洞木さんにも悪いが、いかんせんあの温泉ペンギンは人を選ぶ。洞木さんは選ばれた。光栄なもんでもないだろうけど。日向君は落選したけど。・・・まー、もう部下じゃないしなあ。
 
 
「往きはよいよい、帰りはこわい・・・・・・か」
 
 
なんとなく、交差点の信号機がよく流している童謡が口をつく。
楽しくてよいよい往くわけじゃないけど、往きよりは復りのほうが厄介になるであろうことは間違いない。後釜後任のツラも拝まぬまま発つ、引き継ぎ不要と対面すら拒否されどのくらいの器量なのか見極めもせずに後を任せねばならぬ不安・・・・職務に対する誇りや自負自尊心を凌駕するほどの暗い色の強さが身体の反面を塗りつぶす・・・・・・端的にいうとイヤな予感がする。その座をおとされた者のやっかみ僻みだといわれればそれまでなのだが。ま、作戦部長が少々アレでもレイと零号機ならしっかりやってくれるでしょう。レイにも問いつめたいことが何点があったのだが、とうとう出来ずじまい。大人達が天と地と人の衝撃に翻弄惑っている間にただ1人、先を見据えた仕事らしい仕事をしていた。それこそ、怖いほど。
 
 
そんな働きマンになってしまったレイの”願い”・・・・・・
 
 
ソウジ君に確認されてなければ脳を素通りさせているところだった。それは先払いのお代。だって、表情がさらに読みにくくなってんだもん。老眼じゃないたあ思うけど。
 
 
こちらは任せて、碇君を連れて戻ってきてください・・・・
 
 
要するに、そういうことだろう。アスカも・・・入っている、かな。アスカ成分はかなり微量だったような気もするが渡された写真が二枚でそのどちらかっていうと・・・うーむ。まあ、それはそれとして。忙しいレイが自分の見送りなんかにきたのはそれが目的なのだろう。いかにも拘束の公じみているが、あれくらいが今のレイの私。
 
いやー、碇指令にシンジ君?これであんたたち、どこぞでのんきに釣りでもしてた日にはほんとに罰があたりますよ?っていうかあたれ。あたっちまえ。祈りつつ呪う。
リツコさんが来なかったのはまあ、想定通りとして。どっちが幸せなんだろうか。
 
 
この細道を辿るのと、あのままこの場に止まるのとでは。
 
第二支部の重みをうけ、あの時あそこにいた者すべて、身体のどこか心のどこか耐えきれず潰れたところがある。地球一個分ほどはなかろうが、生命というやつは確かに重い。捨てるに軽く支えるに重量級、そんな重さ。
 
 
やるべきこと、御用が自分にはある。
御用のないもの通しゃせぬ。ここはどういう細道じゃ。
 
 
「さて、雷神さまの細道をさがしにいきましょうかね・・・・」
 
 
 
この子の七つのお祝いに
 
 
今日はこの子の墓参り
 
 
 
くだんの童謡にはいくつもパターンがある。番人に聞くも切ない通行理由を告げるバージョンもあれば、金の力でゴリ押そうとするバージョンもあるのだ。ちなみにその金は金は金でもうちとこの寺の鐘だ!文句あるか!!という番人の方に同情したくなるバージョンもある。
 
 
「五つの・・・・二枚追加されたっけ、じゃ七枚か」
 
綾波レイの影響か、機内で寝てしまわずに仕事をする葛城ミサトである。
トランクの中から書類ケースを取り出すと、そこには子供の写真が貼り付けてある五枚の書類が。「お札をおさめに参ります〜、と。いきはよいよい、帰りはこわい・・・と」
 
 
こわいながらも、とおりゃんせ、とおりゃんせ・・・・
 
 

 
 
「今夜で一段落つくかね・・・この作業が終わったらその足でさよならだな」
 
 
加持ソウジが作業の様子を見ながら、綾波レイに別れを告げた。
それに対してうなづきも答えもせずに、赤い瞳は同じ方向、作業の進行状況をじっと見ている。それは既に了解済みの事柄で、いちいち口にする必要もない無駄口だ。この人物もかなり無理をして自分の同行についている。これ以上それが長くなれば身の危険も増大する。上は、自分の孤立化を何より望んでいるのだから。護衛には事欠かないだろうが、己に対して隔意がある・・・恐れや怯え、反感のある者が近くにあればどうしても疲労する。自動的にそれらを投げ返してしまう綾波能力を抑制しなければならないだけ気疲れする。
そういった点と秘書的能力を考慮すると彼ほど護衛の任に向いた者はいないのだが。
仕方がない。
 
 
近県の深夜山中。厳重に警戒され作業灯の強い光が集中するそこには人型のロボットが山の側面に突き刺さった巨大な棘茨のようなものをゆっくり引き抜く仕事をしている。
ロボットの名はレプレツェン。駆動音は周辺でざわめいている人間の声より遙かに静か。
その手先の確かさも巨大化した熟練外科医のごとくで、真剣な目で見守る者たちの前で巨大な棘茨は傷なく取り出された。
 
 
「ふう・・・」操縦者、レプレの緊張から解放された一息で、作業も一段落ついた。
 
 
「さすがに、緊張した・・・・・」「ごくろうさま、レプレ」隣にいた青年、パレルモが若いリーダーを労った。彼らはJA連合とも提携する環境保護団体「甘苦愚者」の人間である。「モノがモノだけにね・・・・にしても、なんかあの赤目の子、愛想なさすぎ。拍手しろとはいわないけど、」「これはお仕事ですよ、レプレ。善意でやっているのではないのです。請け負った以上注文通りの仕事をするのは当然です。もちろん、あなたの操縦は芸術ですが」「・・え?ま、そ、そうかな・・・」機嫌が悪くなりかけたリーダーをなだめるのもサブリーダーの仕事であった。「そして、ここは夜の山。静寂のままにしておいた方がいいでしょう?わたしたちはすでに領域を騒がしく侵しているのです」「そ、そうね・・・そういうことね」他の者ではそうはいかないのだが、彼にはあっさりなだめられたレプレは改めて己と己の機体が引き抜いた奇妙な物体を見る。気を抜いてあらためてみると、・・・・・・・なんともキモい物体だ。それらを白い服たちがよってたかって群れてなんか検分している・・・その光景もなんか不気味であった。
 
 
「エヴァンゲリオンの脊髄の一部だそうだ」パレルモが今更、教えてくれた。
 
 
リーダーとしてどうかは別として小難しいことはパレルモに任しているから
「はあっ!?」ということになる。前後の事情なんか全然聞いてないし興味ないし。
裏っぽい仕事なんかお断りなのだが、パレルモがどうしてもというから引き受けたが。
キモすぎ。それは事前に聞いていたらやんなかったかもしんない。くそ、パレルモめ。
兄でもあり教師でもあり恋人でもあり無二の信頼がおける副官である眼鏡の青年を睨む。
あとはネルフの連中が勝手に運ぶのだから、こっちは関係ないが。なんでそんなもんが。
・・・・・まあ、いいか。そんなの知りたくもないし知る気もない。
ロボット操縦の技術もそうだが、その真っ当さがこの作業にレプレが指名された理由なのだがそれこそレプレの知ったことではない。「それじゃ、さっさと引き上げた方がよさそうだね。いつまでも居残ってちゃ痛くもない腹をさぐられそ・・・・・あれ」
 
 
いいかけたレプレの前に愛想のない赤目の子こと綾波レイがやってきていた。
 
「うわ!」
その赤い瞳の輝きにびびってのけぞってしまう。なんか人間というよりむしろ妖精?
 
「どうしましたか?どこか傷でも生じていましたか」
パレルモが代わりに対応しようと前に出る。その瞳の感情がどうも読めないが
 
 
「いえ。完全な仕事をしてくださったお礼を・・・・ありがとうございました」
 
その紅の瞳で感謝されるとは思ってみなかったのでパレルモも驚いて相手を見返した。
「あとはこちらの方で運搬します。・・・連合の方にもよろしくつたえてください」
 
 
それだけ伝えてあっけなく戻っていった。
 
 
「なんだかあっけにとられてるな、彼ら」
言うべき事を言ったのになにゆえそれほど驚くのか。感情を喪失すると理解できなくなる領域がある。加持ソウジがいちいちそれを言うことも、また。あまり時間はないのだ。
 
 
これでバラバラにされて天上から降ってきたエヴァ参号機の欠片が全てそろった。
 
 
あの日、黒い雨の降ったあの日、雷の裂く天から落ちてきたエヴァの破片。ヨッドメロンとともにN2沼で消えたエヴァ参号機、それがインドの魔術のようにバラバラにされて。
 
 
その数、代償108つ。その108つめを今夜、回収し終えた。一番厄介なところに落ちたのが、落ちただけではあきたらず深く突き刺さっていたわけだが、最後のそれ。
107つは全てネルフ新本部、ややこしいが元々の本部、いわば旧本部だ、に回収されて東方賢者の名の下に復活の儀式を受けている。まともな技術者科学者はここまで無惨に破壊された機体の修復などハナから諦めていた。が、それを赤木リツコ博士が引き受けた。
通常のケージではなく、地下深く特設のケージを用意し、どういうわけかスタッフを使わずにたった1人で作業をしている・・・・・狂ったおかしくなった気が触れた、いいようは様々だが尋常な仕事ぶりではない。プラモを組み立てるのではない、たった1人で何が出来るのかほんとにやる気はないのではないかと・・・・・綾波シンパの技術者がこっそり覗いてみると・・・・信じられないことに再組み立て作業は進んでいる。一体、力仕事は誰がやっているのか、夜中、一人きりであるはずなのに誰かと話している声がする、凄まじい悲鳴があがった血の臭いがする赤木博士が真っ赤な五右衛門風呂に入浴していたとか呪文を唱えながら作業台をお立ち台にして怪しい踊りを踊っていたとかまことしやかに囁かれていた。もちろん、葛城ミサトでも伊吹マヤでもない者が面とむかって正すことなどできるわけもない。<シュタインフランケージ>などとあだ名されたその秘密空間はネルフ旧本部内の絶対領域と化していた。赤木博士当人にも「閣下」などというとんでもないあだ名がつけられていたが本人は一切気にしたふうもない。そもそも、この所ほとんど誰とも口をきかないのだ。ケージと研究室を往復して自宅にも戻った様子は全くない。
 
 
綾波レイが学校にもいかず寝食も忘れて参号機のパーツ回収にはげもうと、「ほどほどにしておきなさい」などという優しい言葉もかけない。綾波レイの方も「たまには陽の光をあびてください」という気の利いたこともいわないのでお互い様といえるが。
 
 
魔女と妖精の黒魔神復活の契約・・・・・・・・科学の砦深くで行われる異形の儀式。
 
 
もちろん、表立っての名目は、機密パーツの回収、であり、それを再組み立てて実戦でまた使おうなどとはほとんどの者が考えてもいなかった。常人の気持ちを考えるなら、それは罰あたりなことでさえあったかもしれない。冬月副司令が綾波レイがパイロット候補、などといわれて驚いたのもそのため。参号機のパーツ集めはあくまで衷心からでた哀悼ゆえかと思っていたのだ。だから新本部関連で忙しいスタッフも骨身を惜しまずかけずり回る綾波レイに協力的でありこの短期間でパーツを集め終えることができた。
まさかバカ正直に、参号機組み立てるにょろ、などとほざいていれば誰も手は貸さなかっただろう。
その上、その組み立てた参号機に新しくパイロットを探して乗せようなどと。
 
 
だが、必要であるから綾波レイはそれを成す。
 
 
たとえ、たった1人になろうとも。未来への道を繋げる。
いろいろなものに押しつぶされ妨害されるであろう、細い、細い道だ。
 
 
「それじゃ、がんばってくれ。色々と大変だろうが・・・・・頼む」
頼まれるいわれはないのだが、加持ソウジに別れ際にこんなことを頼まれた綾波レイ。
自分が、事情を知る者たちからすれば、どれほど痛々しく見えるのか分かるはずもなく。
元来の水棲生物が無理に地上に上げられて水の補給もなくただ乾くままになっているような無惨。人は自らの王国の主であるが、好んで荒れ野に居を構えることもなかろうが。
今にも乾ききった古代の土器のごとく、ぼろぼろと滅んでいくのではないか・・・・
この子に水を運べる者は、限られている。
 
 
「あんたたちもな・・・・・・」視線を少女の背越し、木々の影にずっとひそんでいた四対の赤い光に向けて小声で告げる。おそらく彼らにはそれで聞こえるだろう。
そのまま単独でどこぞへ消えてしまう加持ソウジ。
 
「・・・・・・・・」
特に言うべき事もないので無言でそれを見送る綾波レイ。それでも何か言葉にするべき何かが胸の片隅にあった。その疼きを感じていれば、それも携帯のコールに破られる。
あの夜から鳴ったことのないそれが鳴る。今の自分にかかっている用件など唯一つ。
 
 
「使徒・・・・・・」