実を言うと、
 
 
葛城ミサトに渡した二葉の写真、パイロット候補、新チルドレンであるところの二名は、彼と彼女に用意されている機体は一つしかない。
 
 
現在修復中の参号機・・・これ一体に、二名。それを選び出したのは、赤木博士だった。
 
 
「彼と彼女、このふたりに乗ってもらうことになると思うわ」
 
 
シュタインフランケージ、参号機修復の儀式の場で赤木博士はそういって写真を渡してきた。写真には暗号化されたデータ入りのチップがついていたが、それを読解せずとも写真を見るだけで十分だった。見たことのある顔。この目で、日常生活の中で、見てきた顔。
 
 
鈴原トウジと
 
 
洞木ヒカリ
 
 
 
「なぜ・・・?」
 
 
「それは質問?それは感想?」特殊な作業着をかねた黒衣、トレードマークであった水着の上でも着ていたあの白衣をここでは脱いで作業に没頭している赤木博士は確かに魔女だった。魔女は口は呪文を唱えるに用いるため、問いかけに対する返答はその顔、その表情でおこなう。その顔が告げている。
 
 
 
それは、運命なのだ、と。
 
 
 
極薄曲柔性をもつ回路基盤を縫い込んでコバルトの流線を輝かすそれは確かに便利な代物で人間の助手を用いない赤木博士にとっては、効率優先でありべつだんどうということもないのだろうが、いかにも魔女閣下であった。あまり髪もメンテしないのだろう、微妙にはねた金髪がパンクであった。
 
その後ろで”カリビア”、”サリビア”、”ソルビア”、JTフィールド発生器はさすがに搭載されていないがオリビアの後継機、妹たちが忙しく働いている。誰の趣味なのか、三姉妹は海賊のような格好をしている。強腕にして身軽で無駄口も叩かず尋常でない退廃の気をまとう雇用主に遠慮もしない彼女たちは使い勝手がよかろうが、知識の伝播や連度訓練、人材の育成を考えて人間のスタッフを用いないあたり、東方賢者もその看板を裏返しにしているとしか思えない。それに、これだけではない。綾波レイでさえ立ち入ることを許されているのは人型ロボットが働くケージの入り口エリアだけで厳重に閉ざされた奥の領域で何が行われているのか・・・・・・修復作業さえこなしてくれれば文句はないし興味はないしいらぬ口外もせぬが・・・・
 
 
「どちらでも、ありません。独り言です」
 
 
作業の邪魔をされる苛立ちも、最早本部内に数少ない、皆無に近い、なんとかまともに対話することができる者との会話時間に喜ぶわけでもない。ただ現状の認識において近いところに立っている。双方が互いに求める時間と対話は過不足なく必要なものだと、分かっている。赤木博士は現状の自分を「小ユイ」さんだとハッキリ言い、そのように対応すると告げた。現状の第三新東京市の最大戦力・・・それ以上に、ロンギヌスの槍を振るえる者として、見る目を変化させていた。それは完全に理性の仕事で、その切り替えなど凡百の人間のよくするところではない。賢者であり魔女である・・・・・この人は男に生まれた方がよかったのではないかと、感情がないからこそそのような余計ごとを思うことがある。
 
 
なぜ、彼らなのですか
 
 
とは問わない。エヴァを動かす才能、その本質というものは数値化されて固定されるものではない、実のところは逆算。まともな才能には動かせないからまともでない才能を乗せてみたら動いた、元来、眠っているべき深い夜の底でもなお目覚めている、またそこでしか起きることのない特別に寝坊な、闇に濡れ暁に乾く魂をもつ子供を乗せて、エヴァは兵器の夢をみる。絶対領域の寝所の中。エヴァを眠らせる夢を持つ者、眠ることのない決戦兵器に短い夢をみせて儚い眠りにつかせる代償として、エヴァはその力を貸してくれる・・・・・
 
のではないか
 
これだけ零号機とともに戦ってきても、明瞭に分かっているわけではない。
 
 
 
自分が選ばれたように、このふたりも選ばれたのだろう。
それだけのことだ。あえていうなら、順番がまわってきたのだ。
彼らにも。
 
 
赤木博士にではない、その奥にある、その目の奥にある、何かに、選ばれて。
大きな、大きな、魔弾をこめてロシアン・ルーレット。その回転が止まった先。
 
 
驚きは、あまりない。覚悟、ないしは予感があった。あのふたりは近づきすぎた。
 
近づきすぎて、使徒の影、彼の影を踏んだ。それがふたりの中に、響いた。
 
来襲を受けるのとはまた異なった、魂を変化させる影響。使徒の力の余波をその身体に取り込んだ可能性。
 
 
そして、なによりこのふたりは・・・・・確かに”指名権を持つ者”に名指しされていた。
赤木博士がそれを知っていたとも思えない。おそらくは偶然の一致。
 
 
「あまり、驚かないのね」
 
 
もし、これを受け取ったのが惣流アスカや碇シンジであればどうしたか・・・かなり衝撃を受けただろう。遅かれ早かれ・・・・いずれ、その事実はふたりのいる地に届くだろう。
 
 
「仕事ですね・・・・わたしの」
 
 
「本来なら、作戦部か、説明役もかねて技術部、私がいくところなんでしょうけどね・・」
 
 
まともに参号機復活、パイロット探して搭乗させて使徒戦に使用、なんてことを大真面目に考えているのはふたりだけなのだ。効率で言えば機体の修復に手が離せない赤木博士が地上に出て困難な説得にあたるよりも、自分がそれを行った方がいいのだろう。それに異論はないのだが
 
 
「・・・・片方は、予備、として・・・ですか」
 
 
「予備ならもっとたくさんの子を選ぶわよ。それに、それはギルか、ミサトの仕事でしょう。ああ、先に言っておくけど、ただでさえ明暗カスタムにしてある参号機を主副の二系統にしてエントリープラグ二本差し、左半身と右半身をそれぞれオペレーションするなんて・・・・」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それ、エース」
 
 
「なにかいった?」
「いえ」
 
 
「そんな無茶なこともできないから。バラバラになっているからカスタム解除の手間はある意味、省けたけどそんな実験もできないわ。余裕もないしね・・・・・」
 
 
「では・・・・」
 
ここで新型エヴァがロールアウトされるのよ、という景気がいい話を聞かされるとは夢にも思わない。それよりも頭に先に浮かぶのは、適格可能性が最大に近いふたりの片方を特殊な薬品で”拡大上昇”させる・・・・ようなドーピング系の話。ひとりは匙加減を見ながらの使い捨て、もうひとりを適正量で使い続ける・・・・そのようなことを考えているのではないかと。もしくはこの所耳にすることが多くなったダミープラグに連結して間接的にシンクロ補助させるとか・・・・一つの機体にふたりが選ばれ、片方が補欠でも副搭乗員でもないというのは・・・・どういうことなのか。自分で考えて答えを見つける快感を味わっている余裕もないので早々に聞き出すか、なんなら読心するべえかと赤い瞳を閃かせる前に返答はきた。
 
 
「とにかく、両方ともここに連れてきて。片方だけではだめ。それが必要なのよ・・・・どんなに厄介で危険であってもね・・・・ああ、ありがとうカリビア」
「ドウゾ、げすと・れい・アヤナミ、ますたー・リッチー、そちゃデスガ」
 
 
実際にふたりを説得するのはこちらであり、それがどういうことかよく分からない、というのでは拗れてよけいな時間がかかるだけだろう。しかも、厄介で危険とは・・・どちらも今更の単語だが、わざわざ告げるあたり、かなり、がつくのだろう、それらふたつは。
 
 
納得しかねる、ということを言おうとしたら後ろからカリビアが銀盆にコーヒーをいれてやってきていた。先ほどまで現場でクレーン作業をしていたはずだが・・・・インスタントだが、ここらへんが製造元のプライドだろうか。ちなみに、自分のぶんは牛乳だった。
 
 
オリビアの後継機を間近に見てもとくに胸に浮かぶことはない。ただ、オリビアより胸部の造作が大きいな、とは思う。これはサリビア、ソリビアの順にだんだんと。ここらへんも製造元になんか思うところがあったのだろうか。マスター・リッチーなどと己を呼ばせてとくに変更指示することもない赤木博士も、また。
 
牛乳カップに口をつけて、コーヒーを飲む赤木博士を観察する。一服したそうに指を泳がせていた。説明する気はないらしい。説明欲より製造欲。そろそろ帰れオーラが出ている。
カリビアは自分で気をつかったわけでもなく、ただ主に呼ばれただけかもしれない。
 
 
とにかく、渡された情報はあまりに断片過ぎてこれで働けというのは無茶すぎる。
もうちょっと詳しい説明を求めるか、最近、義務的にしか感じない罪悪感を退出させて、読んでしまうか・・・・・・飲みきると同時に決める。
 
 
 
「私にも・・・・分からないのよ」
 
 
こちらのタイミングを完全に掴んでいるような、機先を制する一言。
 
 
「これが正しいのか、どうか・・・・ただ、必要であることは確かなの。参号機に手綱をつけるために。わたしたちが、あの参号機を使うために。あなたの求めるように目に見える説明は、この段階では出来ない。修復が完全に終わっていなければその意味はない。
おそらく、今現在、それを話しても、レイ、あなたはそれを信じない」
 
 
話してもいないのに、信じるもなにもない・・・・・・のだが、そのタイミングで制せられたことが、こちらの心を読まれたように思えて即座に反論できなかった。参号機に対するスタンスの違いを告げられ少なからず虚をつかれたこともある。
 
 
参号機に「手綱をつける」などと・・・・・・・
 
 
それは非難ではない。その視点は確かに的を射ている、とさえ思う。復活を信じることはできたが、そこまでは思考が及ばなかった。その方向で考えれば、鈴原トウジ、洞木ヒカリのふたりは最も望みが高い適格候補者であるが、それでもエヴァのパイロットの基準として、シンクロ率の高さ、それ以上にその持続が困難で短時間しか搭乗できず、戦闘途中での入れ替えを想定しているのだとしたら・・・・・予備は予備だが、出撃が勘定のうちに予め入っているのなら、予備というのも失礼な話かも知れない。交代要員というべきか。無礼ついでにいうなら、このふたりは・・・ハーフ・チルドレンとでもいうべき立場にあるのか。いや、裏と表でひっくり返して戦う、リバース・チルドレンとか。
二人合わせて一人前だから、そういうわけで話をまとめてきなさい、などと彼らの知り合いである自分に言えなかった・・・・・・・ずいぶんと、かわいらしいところがある・・・・・・
 
 
 
・・・・・・・・・・・そんなわけがない。
 
 
分かることは、黒羅羅・明暗の専用であった参号機をそのカスタム化を解きながら通常一般の・・・弐号機や後弐号機に準ずる制式モデルにする気がない、ということだ。専用機という暴れ馬をこれ幸いに去勢して扱いやすくのではなく、どうも暴れは暴れのまま使う・・・・ようだ。誰でも扱える、という表現はエヴァには気安すぎるが、それでも特殊な訓練で鍛えられ特異な体質特別な術法を備える身でもない、一般民の鈴原トウジ、洞木ヒカリに合わせてカスタマイズなど・・・・いや、元より単一個人ではなく、ふたりに合わせるカスタマイズもなかろうが。弱い参号機など参号機ではない、という見方も分かるが。余裕がないといいつつ埋めねばならぬカラクリとは。
 
とにかく、意図が読めない。そんな厄介で複雑で奇怪なことはしてもらわなくてもいいのだが。普通にしてもらえば。単純に純正に。
 
 
・・・・・・・・・・・まともではない
 
 
などと言い出せば、それはまさしく自分のことで、この復活儀式こそ他の者にいわせれば気が狂ったとでもいわれかねない代物ではあるのだから。だが。
 
 
・・・・・・・・・どこか、このひとはおかしい
 
 
こんな地の底の工房に人と話さずにこもりきっていればそれはおかしくもなろう。人間が正気を保つには存外、多くのことが必要なのだ。どこまで信じてよいのやら。その点、自分に心を全開放してくれた碇司令とユイおかあさんはやりやすかった。どこまでも信じてよかったのだから。人として。祈りも、願いも、望みも。しなくてよかった。
 
 
鈴原トウジ
 
 
洞木ヒカリ
 
 
このふたりをほんとうに、ふたり、この地の底まで連れてきてよいものかどうか。
 
どちらか片方ですまないのか。・・・・これは、感情のないゆえの判断。
 
自分の中にそれを迷う、なんの摩擦もない。どちらであろうと・・・・・どちらであろうが・・・・・どちらが、参号機に似合っているのか・・・・・・どちらに呼びかけるか
 
 
その名を、本部内の明暗の住居であった第四隔離施設内の牢屋で、遺品を片付けている途中、文机の上のわざとらしい感じで緩んでいた、日記とも見聞録とも戦力分析ともいえぬ達筆の文章が記された巻物の中に見つけた時から、その意味を考えておけばよかったのだが。・・・・・まあ、修復作業が完了するまでにはまだ時間がある。有名な人造人間の組み替え名が冠されたケージの闇の中、バケモノじみた速度で組み上がっているようだが、パーツを探す自分が結論を出す方が早いだろう。
 
 
参号機を駆るパイロット・・・・・・ふさわしいのは誰ぞ
 
 
黒羅羅・明暗以外に思いつかない自分の記憶の扉を閉ざし、ふたり、もしくはどちらかを・・・・選ばねばならない。結局、赤木博士の頭の中にだけある参号機の手綱のことは読まなかった。ケージから去り際に「それ、ミサトを送る時にでも渡しておいて」と頼まれた。二葉の写真。パイロット候補。新たなチルドレン。おそらく一類に入るのだろう。
当然、コピーの必要もないのでまんま預かった。「これで六分の一・・・か」自分で渡せばよいのに、などと言うこともない。
 
 
 
そして、今夜全てのパーツが揃い、エヴァ参号機が甦る。
 
 
 
それを駆る操縦者は・・・・・
 
 
パイロットは・・・・・
 
 
・・・・・・・
 
 
・・・・・・・
 
 
まだ、話もしてなかった。しかも、どっちにも。だいたい学校にいっていないのだから会えるわけがない。自宅に乗り込むしかないのだが。いや、学校でチルドレンだのエヴァだのパイロットの話をするのもなんであるし。赤木博士はあれ以来それについて一言も口にしない。ただ作業の進捗状況を教えるだけ。パーツ探しは完了した。
 
 
集中して説得にかかれる、わけだが・・・・・
 
 
明暗と赤木博士がどういう基準を保ってふたりを選び出したのはともかく、早い方がいいに決まっている。なるべく早く話をしてなるべく早く準備をしてもらう。それだけ生存確率が高くなる。やるのは使徒の殲滅。都市防衛という命題を抉ってみればエヴァを使っての殺し合い・・・・そういうことなのだから。
 
 
順番が
順番が
順番が
 
 
まわってきた。彼らにも。いつまでも鬼をひとりにおしつけるわけにもいかないのだ。
かくれんぼや缶蹴りではないのだから。泣こうと喚こうと。どちらかを連れて行く。
 
 
地の底か、もしくは暗い天へ。
 
 
待ち受けるは格闘戦最強・・・であった機体。玄人、どころか達人専用の特専機。
 
 
もし、まだ自分に感情があれば。さほどに迷わずに鈴原トウジに話し、彼のみを本部に連れただろう。碇シンジと同じく「エヴァのすすめ」からはじめ、早々に猛訓練を課していただろう・・・・・そんな気がする。
 
 
おそらく誰かを投影しながら。
 
 
なぜ、彼であるのか彼女であるのか
 
 
 
使徒来襲の報を聞こうとも、そんな物思いに耽っていた。第三新東京市に緊急帰還するヘリの中でもこれから戦う使徒のことなど考えなかった。現れた使徒は一体のみだと。
 
 
「今更」
 
 
”あの”最強の使徒でないのなら。なんの問題もない。
 
 
計算上、ヘリが戻るより、つまり自分が零号機を起動させるより使徒の方が先に第三新東京市に侵入する。さすがに隣県、離れすぎた。だが、発見が遅れたこともある。今回の使徒はいつものように空や海から・・・どこぞ遠いところからいつの間にか現れていたのとは違い、反対側の燐県の山の中から、真っ二つに割り出てきたというのだから。廃棄された村がひとつ、土砂崩れで埋もれた。愚かな村人に罰をあてにきた土着の魔神かなにかと思われたが、パターンは青。使徒だった。その姿は双頭の四足獣、しかも足は芝居の馬のごとく長く、頭のつき具合も仲良く横についているのではなく互いに顔を背け合った胴体の反対側にそれぞれついている、という案配で、その山深くにあった秘密バイオ研究所のなんかの間違いで巨大化してしまった可哀想な実験生物などではないらしい。パターンは青なのだ。片方の頭はライオン、片方の頭は熊、に似ている。双方ともに一本角が生えており。そして、何より特徴的なのはこれだけパワフルな出現をしたわりには、身体は赤と黒半透明でならめかでありいかにも山育ちというゴツゴツした感じはなくさながら深海性のようであり、それから目視でコアが腹部に二つ、見て取れる。移動手段は四足での走行。
とんでもなく速い。地図上に子供が線を引いたような直線コースで障害物を破壊しつつ第三新東京市にグングン向かっている。戦車だの戦闘機でチクチクやられてもものともせぬのはお約束の怪獣チックな進撃方法だ。使徒、天使というのは天の使いだけあって、地から割れ出てくるとあまりそれらしくない。地使・・・とでも呼称すべきか、もとより使徒などこちらの常識など通じない奇怪な存在ではあるが。そのようなことを考えて
 
 
ずいぶんと、のんきである。
 
 
ヘリの操縦者など、エヴァのパイロットを送り届ける自らの両手両肩に世界の命運を乗せたかのようにガチガチに緊張しまくりであるというのに。それで操縦を誤り墜落でもしたらまたしゃれにならんわけだが。
 
 
急がなくても大丈夫、とでも声をかけようと思ったけれど、やめておいた。
 
 
今の自分がそのようなことをいえば、それこそ心臓麻痺でも起こしかねない。黙っていた方がいいだろう。加持ソウジは周囲のスタッフの障壁でもあった。・・・自分に対する。恐れや度を超えた緊張感、それらを紛らわせてくれていた。悲しい、とは思わないが。
 
 
エヴァの守護を欠いた第三新東京市。そこに使徒が来襲する・・・・。
 
そこに自分の家族や同僚友人が住まう者としては焦りを感じ、みすみすその座を空けていた零号機専属操縦者に対する怒りや責めの気が出てくるのはごく当然のことであろう。
 
 
守るべき者が、なぜそのようにひょこひょこと出歩くのか、と。
影でさえ口に出すこともなく、ましてや面と向かって言う者もおらぬが。理解できる。
その声は聞こえる。人々の大量の声が。波のように静まることのない騒声。
それらの波声から遠ざかる避難地であり休息地であった幽霊マンモス団地、自分の家にもしばらくもどっていない。それはみずからの意思。聞くからにはそれに応えねばならない。
そのための、参号機。
 
 
零号機がいつまで、この身を許してくれるか、わからないから。
 
 
「止まった」
「え?」
 
まさか止まれ、と命じられたのかと、恐怖の混じった眼差しで振り返ろうとするパイロットを制止する。「使徒の侵攻が。これならば、零号機の迎撃が間に合います」こんなところで降りられてもどうしようもない。眼はあえて手元のモニタから離さずに。あれだけ豪快に直進していた使徒マーカーが第三新東京市前の<狩り場>、派手に戦っても周囲に人的設備的影響が少ない領域のことだ、そこで止まった。当然、故なくではない。使徒の自由意思でもない。
立ち塞がった者たちがいたのだ。走りながら簡単に排除できない力を持った存在が。
 
 
真・JA
 
 
時田氏のJA連合の旗機というべき、一応、使徒撃破スコアをもつ巨大ロボット。
 
エヴァの数が激減した現状の第三新東京市に補充のエヴァが来るまで、という条件つきではあるが、警備契約を結んで、いざ、というときはこのように使徒に立ち向かうわけである。プライドも何もないが、本当にそんなものは必要ないのだから。契約を取り交わした副司令がどれだけ支払ったのか・・・・新本部立ち上げのための費用があるので資金繰りの苦労はなかっただろうがかなりの額になったのではないか。そこまでは関知しないが。
建前よりもほんとの盾が欲しいのだし、それが要りようなのだ。
揃えてくれたら文句はない・・・・
時田氏はプライドも懐も満たされホクホク顔であろう。まさに我が世の春。ジェットクモラーに真・JAを積み普段は第三新東京市周辺上空を巡回しているわけだが、無人操縦機だけにやはりそういった任務には強い。エヴァにはとても真似ができない。今も使徒を発見しこうやってまみえ、殺る気十分。大層な額を払ったとしても確かにそれなりの値打ちはある、と思う。
 
 
使徒戦ともなれば使徒的にも人類的にも十重二十重の八重垣、結界を築くために遠方からの覗き見は限界がある。当然、テレビ中継などされるわけもない。相応の施設がなければ。詳細は発令所に戻らないと分からないが、おそらく夜空からいきなり降ってきてキックのひとつでもかましただろう。それくらいの意外性と気迫、パワーがなければ使徒など止められない。ましてや狩ろうなどとは。
 
 
JAのマーカーと使徒のマーカーは交わったその位置でほとんど動かない。お得意の格闘戦に入ったのか。これでこちらが戻る時間が稼げる。このまま真・JAが使徒を倒してくれるとそもそも戻る手間も省けるわけだが。そして、現場に向かって確認作業、首実検、という段取りに移行・・・
 
 
そうなれば新体制の発令所がどうするのか・・・・今回は新作戦部長の使徒戦初陣初指揮
になるわけだ。もし、目の前で獲物をもっていかれた場合。本部で待機していなかった自分になんらかの処罰でも下してくるか・・・・・顔合わせすら拒否してきた後任の動きは予想がつかないが、おそれるものはなにもない。今回の使徒が「最強の使徒」でないなら、それを倒すのは自分でなくてもいいのだから。
 
 
誰が倒そうと、そんなことはどうでもいいことだ。得られる白星を逃そうと。
 
どうせ、使徒戦に経験による自信などほとんど役にたたない。常に初戦の意気を保つくらいでないと、やられる・・・・新作戦部長はさぞ勝ち星が欲しいだろうが。
それくらいは分かっている練れた人間が来てくれていればいいが・・・・・・
今、現在の発令所は、どのような空気で満たされているか・・・・・・
 
 
碇司令、副司令を頭とし、作戦部長に葛城ミサト、技術部に赤木博士と両翼をかためて日向青葉伊吹のオペレータ三羽ガラスに野散須カンタロー、霧島教授といったヤングとオールドの新古パワーが要所要所でうまく噛み合いバランスがとれ、高速でありながら柔軟、といったまさに人間ならではの組織頭脳ぶりをしめしていたネルフ本部発令所・・・それは最強の群体といってよかった。それは自讃ではない。使徒の来襲という、人類の決戦時にも”それ”を生み出し得なかったとしたらそれこそどうしようもない、いっそ滅んだ方がまし、というものだが、彼らは滅亡許容点よりいくらか離れたところにケージを振れたのではないかと思う。それが最高だった立派だった、などというつもりはないのだ。もはや過去のことである。過去ばかり愛せばいずれ敗北するしかない。あのふたりを並べてその意味を考えると皮肉なことだけれど。
 
 
今、新本部発令所は、新体制の初戦闘においてどのような雰囲気にあるのか・・・・・
 
 
ヘリが到着。最速最短で零号機の出撃準備が整えられる。出迎えたスタッフたちの表情はどうにも硬かった。なぜか苦しそうにも見えた。加持ソウジが同行しておらぬことには誰1人何も言うことなく、使徒は引き続き真・JAと交戦中、足止めに成功しているとの報を聞かされそのまま更衣室に向かう。
 
 
期待もなく
予防線として考え得る限りに最悪の予想をしたりすることもなく
ただ無心
 
 
起動限界ギリギリの数字しか許してくれなくなったエヴァ零号機と
 
折れた零鳳の代わり、初凰と溶かし合わされて見る影もなく無骨な刃塊となった「皇卵」
 
コーンフェイドが強引に売りつけにきた零号機用の魔弾装填銃「零手観音」
 
 
それらを手に相手をするだけ。使徒のATフィールドを切り裂き撃ち抜き、コアを破壊する。ただ、それだけのことだ。
 
 
「今更」
 
 
いまさらのことだ。少しばかり物の分からぬ者がこようと、何が変わるものでもない。
いや、逆か。感情を喪失した自分は、人の言葉に動かされるのだろうか。彼らに自分を動かすことができるのか・・・・自分にはもう、ガラスの手錠も首に縄もつけられていないというのに。己で己の制御をせねばならない・・・・・・。自分が誤ったとしてもそれを制止できるものはいない。己が戦意を喪失した時、鼓舞できる者はいるのか。
人の心からの声を、ただの雑音にしか受け取れぬようになっているのではないか。
今はまだ、感情のあった頃の痕跡から、その形状を海底の地形でも探るように再計算再構築するようにして、それらのかたちを認識することができているが、痕跡が時とともに流れ消えてしまえばそれもかなわなくなる。いずれ、精神の中をさやかに流れていたものがあったことさえ忘れてしまうだろう。白いプラグスーツに着替えながら、そんなことを考える。
 
 
綾波レイは、使徒に脅威を感じていなかった。
 
 
足止めが可能であったことから、真・JAがそのまま倒してしまう出目に張っていた。
それほどの力しかもたない、抵抗可能な、力が及ぶレベルの相手である、と判断して。
 
無心どころか
 
その赤い瞳が睨む先は、最強の使徒、それしかなかったのかもしれない。
心はそれだけで、溢れはじけかかっていたのかもしれない。
だが、それを戒める者も、それを自覚させる鏡としての同格存在ももはやそばにない。
 
 
「・・・あ」
 
 
着替え終わった足下が、くらり、と揺れた。立ち眩みだ。肉体的にも精神的にも疲労が積み重なったバベルの塔状態であったのだ。心やすい護衛者が去ったことで疲労の質がまた深まる。自覚があるが、更衣室を出る足は止まらない。その両肩に乗せられる重みの意味を知るがゆえ。真・JAが使徒を倒してくれればいいのになあ・・・・という願いすらない。この都市で現在、安らぎ、という言葉から最も遠く離れた少女。コキ使われていたのは今までと同様だが、それなりに気が穏やかになるリズムがあったが、それが失せた。
ガチガチと平坦な、ひたすらに気を張って監視しなければ全てが砂と崩壊してしまうような不安がある。それに追われている、ストーキングされているといえる。
”喜びを抱く心はからだを養うが、霊が沈み込んでいると骨まで枯れる”という箴言があるが・・・・それを見失ってしまっているから。喜びなど。もう。
 
 
第三新東京市、武装要塞都市、たったひとりで守ることなど、できはしないのに
 
 
やれると、信じた。
 
 
 
全ての行動は、そのために。こうやって、もはや睡眠して休息しろという足からの抗議を無視してケージに向かうのもそのためだ。整備の人間もかなり入れ替わってしまったが時間はあったから準備に問題はさすがにないだろう・・・あとは自分がいくだけだ・・・・
 
 
昼間からのパーツ集めの活動を考慮すれば、いくらティーンの若さで施設内のことで坂があるわけでもなく大した距離ではないとはいえ、冗談抜きで駕籠屋に運んでもらったとしても国連に抗議の投書はいくまい。
 
 
だが、その代わりに日向マコトが現れた。
 
あえて誤解を招く言い方をするなら、数少ない主要サブキャラ残留組の1人であった。
 
 
戦闘態勢であるしまだエヴァが発進しとらんとはいえ発令所では仕事がいくらでもあるだろう、こんなところでアンタ何をしとんですかと問いたげな綾波レイに日向マコトはいかにも無念と、苦虫を押し潰してそれを濃縮ジュースにしたものを一気飲みしたような底なしに景気の悪い顔をして言った。
 
 
「新司令のお呼びで、・・・君に、先に発令所に来て欲しいそうだ・・・」
 
 
「わかりました・・・・・・状況は?」
 
赤木博士もおかしいが、これはまた完全におかしい。先に、ということはまだJAがカタをつけたわけでもあるまい。使徒戦をおいて、先に自分の所へ来い、と。自分の言葉を聞け、と。どこの神様だ貴様、と感情があるか、惣流アスカがこの場にいればそう叫んだに違いない。だが、命令である。新司令は新本部で一番偉いのだから。自分は無視すればいいが、伝達役に使わされた日向マコトがどのような呪いをうけるか・・・・
 
常識人でありながらこのような常識に外れた非常識なことをやらされる無念。
毒を飲ませそれを吐かせる・・・・実に新司令らしいやり方だ。それを手にする勇気はないのに。もしくは、自分の反応を窺っているのか・・・・こんな真似をして
ごく短く、何点か確認したいことがあるだけだろう、もしくは脅迫か、よりにもよってこんな緊急の時にやらなくてもよいとは思うが、確認せずにはいられなかったのだろう。
それが多重に歪められたとしても激励の言葉などではないのは分かり切っている。
ネルフ新本部、新司令はそういう人物だ。正確に言えば、人間ではないが。
折り悪く副司令も不在だった。ほんとうに、タイミングが悪いが。神は使徒の味方か。
 
 
「まだ、JAが頑張ってくれている・・・・だけど、どうも妙な感じだ・・・様子を見ながらわざと時間をかけているような・・・あのスピードならやり方次第で抜き去ることもできるだろうに・・・JAのディフェンスも確かにうまいんだけど・・・・・やはりエヴァでないと」
歯切れの悪さはこのような使いをやらされたためかと綾波レイは思ったが、苦い顔のさらに底にある苦渋までは感ぜられなかった。士気を底の底まで這わせるような人事は新司令の一件だけで十分だった。まさか・・・・・作戦部長までが。新司令の卑怯具合を薄めるためにも作戦部長はその意気を顕してみなければならないだろう。それは必要最低条件であるはずだ。
 
 
自分は作戦部長のお披露目パーティー、着任式典にはいかなかった。その顔も能力も人柄も知らない。使徒戦となればその指揮を受ける身でありながら。ただ、命など預ける気など毛頭ないから五分とはいえるが。並んで移動する日向マコトの顔を見る。当然のことながら、直属の上司となるのだからその性根のほどもよく分かっているはずだ。初号機の初陣からの使徒戦の経験を換算すれば唯一無二とはいえねど三席にはおとせぬだろう参謀であるはずの彼をこの扱いとすればどういった関係かはいわれなくても見当はつく。
いくら新司令が、無道無慈悲な蠅の王が命じたのだとしても。
 
 
その視線をどう解釈したのか、それとも微量に何かが混じっていたのか、日向マコトは
 
 
「・・・・まいったよ・・・」
 
 
黙すべき一言を漏らした。なんの解決にもならずただ綾波レイの負担になるだけの苦い一息。彼も葛城ミサトには仕事的に膨大な要求を、たいがいな目にあわされてコキ使われてきてちょっとやそっとでは弱音を吐くようなタマではない。要求されるスペックがさらに上昇したとてこのような吐息は出ない。実際に第二支部との統合も乗り越えてきたのだから。新作戦部長が無能なら無能なりにサポートするだけだろう。その彼が。
 
 
発令所は、いま、どんな空気が支配しているのか
 
 
足を止め、それを問う前に発令所に着いた。物怖じも気後れも覚悟もなく。
 
 
綾波レイは、それを見た。
 
 
いくつか、人の席が入れ替わっただけで、場所、というのはこれほどまでに変わるものか
発令所、役職的にそれをホームグラウンドにしていたわけではないが、まるで別物。
ここで働く者たちはよくこの変化に耐えられるものだ・・・・・本部施設の頭脳とも言える空間が、その雰囲気が変化したことは何を意味し、その源、原因は誰であり何なのか。
 
答えはすぐに出せる。
 
完全に、以前の発令所では、なくなったということだ。活気と緊張感ではなく、ただ情報の飛混と右往左往停止と再走とが、だるまさんがころんだ、児戯のごとく繰り返される惨状があるだけ。あの最強の群体の証したる光なす人の意思の織りなすあの紋様が見えない。
 
 
ヴ、ヴヴ・・・ヴヴヴ・・・・・・・
 
 
ヴヴ・・・ジジジジ・・・・ヴーンヴーン・・・・ヴヴヴ・・・・
 
 
 
司令席、前総司令碇ゲンドウがいた場所には人影はなく、代わりにモノリスが立っている。
 
ヴヴヴヴ・・・蠅の羽音のような気に障る音をまとわりつかせながら。
 
 
”この物体”が新本部新司令、ル・ベルゼ・バブデブゥル。
 
 
このモノリス内に脳みそや魂が入っているという話ではなく、ただ単に特務機関ネルフ司令でありながら、本部には入らない、指示は全てこのモノリスを通じて出す、という兼務ぶりで大いに新本部の士気と意気を下げた。徹底的にドン下げた。ゼーレ征服部門のル氏なる呪術魔道の専門集団でエヴァの機密やらテクノロジーにも何枚も噛んでいる。どこぞの秘匿された洞窟に隠れ住んでおりそこから出ることは肉体の崩壊を招くなどという大業な理由であるが。
 
 
嘘であることを綾波レイは知っている。このル氏の呪い師が暗い洞窟から這い出て来日してきたことも知っている。なにせ第二東京のヨッドメロン騒ぎの後、己に呪いをかけたのだから。暗殺がこっそりねらって人を殺すことであるなら、あれは暗呪とでもいうべき仕業で陰険極まる上位組織の懲罰。誰の指示であるかなどとどうでもいいが、その呪いももう消えた。至上の光をもって消し去った。誰がかけたのかも覚えている。報復する。それだけの能力も、ある。同じ手に二度とひっかかることもない。そして、この手の呪術合戦において重要な要素、地の利はどちらにあるか、いうまでもない。
 
 
そこに司令の座についたからといって、ノコノコとやってくれれば、その権能ごと支配されてどのような目にあわされるか、分かったものではない・・・・・・
 
 
そのための防御壁としての通信モノリス。そんなもんでまともな司令職など勤め上げられるわけもないが、そもそもその気もないのだろう。なんせリスキーな立場であり、仕事の厄介さ面倒に対する報酬は少ない。ネルフが保有する機密だけを閲覧して早々に辞めたい、という者は大勢いたが腰を据えてやろうなどという者は皆無。使徒殲滅業界の舞台裏ともなれば頭の悪い者は存在しないのだ。紆余曲折があった末、エヴァの機密に予め噛んでおり、増長したファーストチルドレンに罰を与え損ねたル氏にお鉢がまわってきた。しかし、それでも悪あがきのように距離をおきたいらしく、このような不様をさらすことになった。
そのスタッフから大不評の蠅のような不快な作動音もよほど奥まった何十にもガードされた特殊な地から操作しているためだと言われている。
 
詳しいことは冬月副司令しか知らない。
 
新司令がどこ在住なのかを。どこからこの組織を動かす指令を出しているのか知らない。
この卑怯者の居場所をとりたてて皆、知りたいとは思わなかったが、怒りと失望は忘れようもなく、胸の底で燻っている。碇ゲンドウも留守がちであったし最後はあんなザマではあったが、こうも露骨に元気留守なんてふざけた真似はしなかった。
たとえ本部が壊滅しようとも、てめえは死なないのである。やる気がでるわけがない。
ただ、保身の術としては正解であり、十重二十重に形成されているらしい現地の結界を通信回線経由で破壊し、当人をその催眠支配下におくことは、能力全開の綾波レイにも不可能だった。念のため、試してはみたのだ。どうも恨みも怨念も感情とはまた別枠らしい、とそこで初めて知った。最悪の後任人事だと冬月副司令ともども唸ってしまった。
 
 
だが・・・・・・・
 
 
こちらを待ち受けていた蠅の王の居場所より下方、発令所の実質メインステージであるところの作戦部長の立ち位置。かつて葛城ミサトは悠長に座って指示など出さなかった。メインモニタを睨み付けながら怒鳴り驚き指示を飛ばし苦悩し唸り祈り信じて吼え猛り使徒殲滅を叫び続けた・・・・、そして勝利すれば誰よりも嬉しそうな声をあげた。発令所で最も熱が溜まり温度が高かったであろう場所。
 
いつも葛城ミサトはそこにいた。そこに・・・・
 
 
新司令のそれをさらに上回る、まさに目を疑う、信じられぬような最悪の作戦部長のカタチがあった。
 
 
球(タマ)
 
 
球形である。
 
 
 
美術館庭先のモニュメントのように大きな球がそこにあった。当然、人間ではない。
機械で出来た、直径は二メートルほどの、球形。チコチコ光りながらユラユラと落ち着くなく動き狭い範囲をいったりきたりするそれは・・・・・それからは
 
 
「だから言っておるだろうが!!さっさとあの頼りなげなロボ公を下がらせろ!足止めとはいえあんなもんに手伝わせて勝ったなどとこの我が輩の武歴の汚れよ!!作戦指揮者として武装要塞都市、この配備兵器だけで使徒なぞ倒してみせるわい!」
 
球形に黄色のランプが灯った。
 
 
「それよりもぢゃ。なぜあのロボットの指揮権がこちらに移譲されんのぢゃ?問題はそこにある。危急においてこのような融通の利かぬ契約を交わした副司令には後ほど責任をとってもらわねばならんぢゃろうな。ともあれ今は非常時だ。ああ、時間も惜しい。指揮官たる私が交渉しようぢゃないか、向こうの責任者の時田とやらに出るように伝えるのぢゃ」
 
球形に青いランプが灯った。
 
 
「そ、それよりも・・・・けほ、けほっ・・・・敵の行動が妙です。絶対領域を展開せずに交戦を続ける・・・・・・げほげほ・・・っっ・・・・なんて・・・・今のうちに・・・・最悪の予測を・・・・けほっけほっ!・・・わたしたちで・・・・・かはっ!シオヒトさん・・・・アンチ・ガウマータ処理を中断して、・・・・・・マギを・・・使わせて・・・・けほけほ・・・・・・もらえませんか」
 
球形に赤いランプが灯った。
 
 
「断る。マギのアンチ・ガウマータ処理は最優先課題だ。片付けてしまわないと気持ちが悪い。八号機が届いていない以上、私の仕事は戦闘指揮よりこちらが優先される・・・・オペレータども、赤木リツコをまだ呼び出せないのか。当人ではないと埒があかない。このグズめ、急げ」
 
球形に白いランプが灯った。
 
 
「なんにせよ、零号機の綾波君が戻ってこないことにはどうにもならないねえ。ういー。参号機の指揮ができる、かの名高い朱夕酔提督の甘露の酒気を味わえるってんでこのお役目の誘いにのったはいいけど、参号機も提督もいないんじゃねえ・・・・・・僕としては酒を飲むしかやることはないよ。・・・・このまま観戦しても問題ないかもしれないしね。
JA連合の真・JA・・・・・使徒を倒してもいる。ういー。
ATフィールドを展開されたら勝負がつくんじゃないかなア?反転時には力場を媒介として双方の足が止まるからね。そうなれば、手が使える方が有利だね」
 
球形に桃色のランプが灯った。
 
 
「うちに指揮させてくれるんなら、エヴァでもロボットでもどっちでも勝たせたるち。
サツキはん、負けそうになったら教えてくれち。それまで、うち寝とるから」
 
球形に橙色のランプが灯った。
 
 
六種類、六キャラクターの声が。ものすごい腹話術師かジェネラル級の声優で声色を使い分けているのでなければ、で、なければ、最も単純に考えるなら・・・・これらの声は六人の人間がそれぞれ、思うところを述べているということになるが・・・・・
 
 
 
「なに、これ・・・・」
 
 
綾波レイにしてもその一言が出る。予想を遙かにこえて。葛城ミサトが決して最良最高の指揮官だったとはいわないが、ためしに彼女と正反対のブラック葛城、なんてものを想像してみたりしても・・・・・・それよりもさらに、悪い。最悪を通り越して極悪。
船頭多くして船、山に登る、ということわざがあるが、まさにそれ。指揮官を1人以上、どころか六人にするなどと。しかもこの発令所の雰囲気、迷走ぶりをみるに、この六人はほぼ同格で、頭目主席がいないらしい。球形、ボールの形の通信オブジェは円卓でも気取ったものか、それとも司令に遠慮でもしたのか。どちらもどこぞ安全な遠くにいたままで現場に降りてこない、という士気をこれでもかこれでもか、と堕とさしめる所業。
 
 
誰が発言、発令したのか一応区別をつける意味か、球形にはSF映画に出てくる召使いロボットのような六色のランプが二列三個でついていた。話し手に対応するランプの色がつくわけだ。まあ、いちいちそちらを見なくても声色で見当がつくのだが。近寄ってみればランプにはそれぞれの紋章が彫られていたりするのだがオペレータたちには非常にどうでもよい。肝心にして厄介なのが、それぞれ言うことが違うことだ。
 
 
日向マコトがこっそりと新作戦部長たちの名前を教えてくれる。
 
 
黄色のランプがアレクセイ・シロパトキン
 
青色ランプが我富市由(がふしゆ)ナンゴク
 
赤色ランプが座目楽(ざめらく)シュノ
 
白色ランプがシオヒト・Y(ヤブー)・セイバールーツ
 
桜色ランプが孫毛明(そん・まおめい)
 
橙色ランプがエッカ・チャチャボール
 
 
能力と経歴はあとで調べてともかくとして、今後、彼らの指揮を求めつつ使徒戦を戦っていかねばならないのか・・・・この六人の・・・・・めまいがした。そこに追い打ちをかけるように蠅の玉座から声がかかる。
 
 
「過ぎた力は・・・・自らを・・・・滅ぼすぞ・・・我が右手に・・・・我が左手に・逆凪の法・・・立場・・・弁え・・・・ゆめ、思うな・・・・」
ボソボソと当人の発声も聞き取りにくいのだが何十ものフィルターを経由しているせいか声が遠い。威圧感など微塵もないが、不気味なことこの上ない。短いが端的にものを言った碇ゲンドウの声に慣れていた者たちもさぞやりにくかろう。おまけに意図が読めない。やっと現れた綾波レイ、零号機パイロットにわざわざ呼んで何をいうかと思えば。
それは、どう聞いても意図的に誤解しようとしても、激励の部類には入らない言の針。
 
 
その真意は綾波レイにはよく分かる。何を確認したいのか、させたいのかも。
 
早い話がこれから零号機に搭乗するが、その力、搭乗者の能力を増幅させるエヴァの力を自分に向けるな、催眠支配、記憶改竄、その他もろもろ・・・万が一にでもそんなことをしても自分には効果はないし、相応の報いをくれてやるぞ、という脅しである。零号機で増幅してみれば遠方に離れていようと結界に囲まれていようとそれを潰し、催眠し意のままに操る人形と化す・・・・・それも可能かもしれない。雇われ司令のような形であろうと、ファーストチルドレンに危害を加えることが不可能な立場であれば、可能性に賭けてみるという選択肢は綾波レイにはあり得る。新司令、ル・ベルゼ・バブデブゥルはそのように考えて、釘を刺した。刺してきた。
 
綾波的能力を封印し、その無害化、エヴァとシンクロするだけの戦少女、操り人形にしようとした復讐を。赤い瞳はやるであろうと。常に悪意をぶつけていくのは催眠に陥っていない相手の支配下に未だないという確認なのかもしれない。静かに恐怖に果てがない。
 
 
大なり小なり、このような考えは、新本部に蔓延している。それを綾波レイは知っている。
碇シンジという自分以上のモンスター、もしくはミラクルがいなくなれば、この存在は目立ちすぎる。
 
 
使徒が来襲してきているというのに、そのようなことで呼び出せるのはやはり距離ゆえか。殲滅にしくじれば、責を問われるわけにもいくまいし・・・・・はたまたそれは、六つもある指揮官の首を、2,3,飛ばすことでどうにかするつもりか。
 
 
零号機に搭乗せずに、未だここにいる自分に発令所スタッフたちの目が集まる。
司令の命令とはいえ、急いだ方がいいだろう。まだ真・JAと使徒はやりあっている。
・・・・・まだ勝負がついていないことに不自然さを感じる。未来視までは献能されていないが、これはパイロットの、戦う者のカン、悪い予感がする。
 
 
「確認事項はそれで終わりですか。では・・・・零号機に搭乗します」
 
言葉のニュアンスなどこれほど物理的空間的精神的に距離があれば通じるわけもないが、表だった反抗がないことに呪い師はそれでも意図を感じることができたのだろう、「零号機に搭乗せよ・・・・・・使徒を・・・殲滅せよ・・・・・」そう命じた音声にはわずかな安堵らしきものがあった。音声に腐臭がある。おなじく、綾波レイにしか感じ取れない、通常人の感覚領域から外れた暗黒物体めいた、触れることも躊躇しそうな腐濁塊。
 
 
退出しかけた綾波レイにまた声がかかる。それなりの合意は確認したはずだが、もう一撃打擲して、相手が従順に従うか否か、試すように。どちらが上か下か、決めるより先に。それよりも先に。相手を下に。貶めること。相手の反応など百も承知で、問う。
 
 
「・・・・・作戦指揮官が・・・・・・現場に立たず・・・・・・遠方より指揮をとることは・・・・・・以前と・・・・何か・・・変わることはあるか・・・・子が戦場に立ち、親たちが地下におり・・・・・ただ口を挟んでいた・・・・以前と」
 
 
綾波レイは即答する。斬って捨てるように。
 
 
「いえ、なにも。変わることはありません」
 
 
どこかで、血しぶきがあがった。蠅の玉座までその赤は届くことはない。予想どおりの返答に遠方の暗い洞窟の中でほくそ笑むだけ。こう答えることを知っていた。
ゆえに、答えさせてやった。皆の前で。聞かせるのは新本部編成前の、居残っている以前の本部スタッフたち。連戦の古傷を開いてやった。開かせてやった。それは呪い。
蠅の王の呪い。返す刀の呪い。
見えない血しぶきを浴びながら、綾波レイは零号機ケージに向かう。
己が重大な失策をやらかしたことは分かるが、それがなんなのかは、分からない。
瞬時に青ざめた日向マコトの顔色を見ても、分からなかった。
前を見て駆ける以上、それははまるしかない、罠。誰も助けてはくれない。