がじゅっ!!がじゅっ!!がじゅっ!!がじゅっ!!
 
 
「傷跡」が、ブッタ斬られて体液を吹き出しながら中身が見えるエヴァ零号機の左足の切断面が奇怪な音をたてながら歪み動いている・・・それ自体が獣の顎にでもなったように咀嚼している。見えない獣が齧り付いているのではなく、絶対に治癒回復することを許さない、現在進行形で傷を負わせ続ける、いわば「動く傷」・・・・
 
 
たまらず倒れた零号機、その体勢から、斬られた左足が怨をもって月に吼えているよう。
 
 
日本刀の上手に切られれば痛みを感じない、刺身の活け作り状態になるなどというが、これはその対極。対極の果ての果て。残忍にして残酷ではあるが、相手に打撃を与える術法の究極ともいえる。それも、何万年もの寿命をもつ巨大な生命体相手の技であるようだ。ちょっとやそっと突いたり切ったりしても効かぬ相手をじわじわと死に至らしめる技・・・・・おそらく、それは旧い旧い神でさえ。自ら咀嚼する、細胞組織の再構築をグズグズに崩し続ける麻痺することさえ拒否する傷が発する痛みの量はそれこそ発狂レベルであろう。シンクロ率の低さのために感覚のフィードバックが鈍くなっていたとしても。綾波レイに届く激痛は並大抵のものではない。
 
 
「左足の神経接続、カットしてください!」
「スイッチ切れち!!急ぐちや!!ありゃいかんち!!」
 
 
座目楽シュノとエッカ・チャチャボールがほぼ同時に叫んだ。「「早く!!」」それは切羽詰まった真剣な、想いのこもった力ある声ではあったが、葛城ミサトの声と比べるとやはり力が数段落ちる上に距離感はどうしようもない。衝撃を受けたスタッフ達の気を取り戻させて実際に動かすにはさらに三度の命令を必要とした。その間、綾波レイは気絶してもおかしくなかったが、自前の、<瑠璃明夜>脳内麻薬系の綾波能力発露でなんとか耐えた。神経に激甚な負担がかかったが、そうもいっていられない。
ここで気を失うことなど、できるはずがない。できる、はずがない。
 
 
「回収した方がいいんじゃないかな。あれが”四大”なら・・・・これ以上戦っても勝ち目はないしね。綾波君ほどの美少女を死なせるのは惜しいよ。・・・・おや、蛮なるかな」いきなり諦観している孫毛明と
 
 
「撃て撃て撃て撃て撃てーーー!!!弾尽き果てるまで撃てー!!砲が焼け付くまで撃てー!!使徒どもを生かして帰すなー!!何をボケッとしておる、貴様らそれでも人類の防人か!!撃って撃って撃ちまくれ!なんとしてもここで討ち取れ!!ワイヤー壁構築急げ!!」
ここまで懐に入れられては部隊指揮術もくそもない、とにかく吼えたて怒鳴り上げとにかく戦闘意思だけは絶やさぬようにするアレクセイ・シロパトキン。まさかこれで使徒が討ち取れると本気で思っているほど愚かではない。ただ、JTフィールドを使徒が手にいれそれらを他の同族に伝授だかコピーだかされてはたまったものではない。今後の戦闘計画に大幅な変更を迫られることになる。・・・裏を返せば第二戦を考えていることになるが。
 
「腹だ、下腹を下からねらえ!あのケダモノはそこからの反応が鈍い!あのロボ公でさえクリーンヒットしたんだ!なんとしても当ててみせろ!!国が傾くほどの軍事費の重みを実証してみせろ!!」
 
 
「どうもいかんぢゃないのか。使徒があんな手を使ってくるとは・・・チミチミ、阿賀野くん、これは赤木博士や霧島博士の分析を必要とする、彼らの出番ぢゃないのかね。房謀杜断、適切な情報資料がなければ指揮の執りようもない。急いで呼び出すのぢゃ」
我富市由ナンゴクの指示にオペレータの阿賀野カエデがイヤーな顔をした。冷静といえば冷静だがなんかいかにも責任逃れ、といったふうに聞こえたからだ。確かにこの場にいない赤木博士に複雑な感情がないわけではないが・・・・そこらへんにある筆記道具を投げつけてやりたくなった。が、どうせ命中したところで痛いわけでもない。
 
 
どういうわけだか、いかにも多数集まっての労働ロボットみたいなボール型、究極手抜きの合体ロボットみたいな新作戦部長内の三人は、何を思ったのかオペレータの中でも阿賀野カエデ、大井サツキ、最上アオイの三名を名指しで使うことがある。いうてみればお気に入り、ブックマークにいれられたようなもんだが、指名された方にしてみればロックオンされたようなもんで非常に気にくわない。前体制にて、オペレータ三羽がらす、日向マコト、青葉シゲル、伊吹マヤ、をそれぞれ葛城ミサト、赤木リツコ博士、冬月副司令が直属で使っていたのを意識しているのかもしれない。三羽ガラス亡き後、(日向マコトがいることはいるが)能力的にもキャラ的にも売り出しているのがこの三人娘であり、発令所内でなんとはなしに目立ってはいた。そこに目をつけられたのを不運とするか。我富市由ナンゴクが指名するのが阿賀野カエデであり、エッカ・チャチャボールが指名するのが大井サツキであり、指名というか最上アオイに頼み込むようにものをいうのが座目楽シュノだった。
 
 
六人全てが言うことを違えていちどきに日向マコトに集中口撃をくらわす、ということはなかったのはよかったが、三人娘にとってはあまり嬉しくもない。
 
 
だが、日向マコトは驚いていた。これまでと形式そのものが異なる使徒のやり口とほぼ同等に、新作戦部長の指示出しの早さ、事象への対応の速度に。いかに優秀でも通常の人間なら、この有様に思考停止してもおかしくない。JAの戦闘で時間を稼いだことで頭脳が暖まっていた、読みが走っていたといえばそれまでだが、JTフィールドを使徒が転用し、エヴァ零号機がこれほど残酷に足斬りされたというのに、こうも怯まずに対応されると、やはり伊達に選ばれたわけではないのだと、理解したくなってしまう。
 
それは希望である。儚い望みである。
 
葛城ミサトがここにいればどうするか、などとは考えない。この状況を切り抜けて生きていれば考えればよい。その中でも、一つ、見過ごせにできなかったことがある。
作戦部長連が司令を一顧だにしないことだ。ル司令も蠅の音だけで人語は発しない。碇司令のそれとは異なった沈黙。現場を見られているという実感があまりない。この場にいないのだから当然か。葛城さんもいちいちお伺いをたてることはしなかったけれど・・・。作戦部長連と司令の関係は・・・・・自分たちよりもまだ遠いのかもしれない。針と見違うほどに伸ばした二等辺三角形、いやさ塔を増築したピラミッドか。
 
この危機的状況であの司令にお伺いをたてたりするような人間が作戦部長連に入っていない、それは肝心なことだった。人を見る、ましてや相手の顔を見ることもままならぬ間柄ではあるが、今ここでは本性が垣間見られる。それを確かに見ておくのは己の仕事だと思った。
 
 
そして、何よりメインの仕事は、
 
 
誰よりも、誰よりも、誰よりも、
叫ぶことも、嘆くことも、怒ることも、泣くことも、
許さずそして、許されず、静かに、静かに、静かに、
 
 
激しく
 
 
その本性を剥き出しにする少女のサポートだ。
それに徹する。少々の知恵などでこの苦境を救えるなどとは、傲慢にすぎる。
左足を失おうと、使徒を倒せる純正の攻撃力はエヴァンゲリオン零号機、そして、そのパイロット、綾波レイ、彼女にしかないのだから。
 
 
左足が月に吼えた。残る三肢を使って身体に渦巻く回転力を与える。武装要塞都市にふさわしい、巨大な蒼い喧嘩独楽、苦痛の声もその高速に掻き消されるが、長く回りなどしない。その回転はあくまで零距離にて突進力を発生させるもの。その間にプログナイフを取り出したことなど誰の目にも見えはしない。
 
右足で蹴り、低く低く燕のように飛んだ。
 
ビチビチビチビチビシャビシャビシャ!!!
 
止まらない左足からの流出体液が道路に叩きつけられて苦痛に蠢く蛇神の紋様を描く。闘志、などという燃料効率のよいものではない。これほどまでにして身体をうごかすものは、やらねばやられる生命の保存本能ではない、それならばすでに逃走している。安全な地下に逃げ込めばいいのだ。綾波レイが、己と己の機体に、戦うことを、命じている。
 
 
狙いは下腹部のコア。強いことは強いが、弱点が分かりやすい。半透明の身体で外からも見えてしまうのは余裕なのか欠陥なのか仕様なのか、謎ではあるが有り難い。
コアが二つ、ツインになっているのも、もしや(VΛV)リエル用に一つであるのかもしれないし、上級使徒を背中に座しておくためにそれだけの出力を必要とするのかもしれない。コア、議定心臓を壊せば、使徒はこの世に存在できなくなる。殲滅できる。
 
 
作戦部長連の中の五人までは、零号機に戦闘の続行を命じてはいない。その気もない。
このまま戦って勝てないのは明白。戦闘能力といい、特殊能力といい、向こうが上だ。
とりわけ、ATフィールドを奪われてそのまま使用される、というのがまずい。
ただ、この状況で退かせても背中からざっくりやられるのは分かっているため、すぐさま回収を命じない。そのタイミングを計っている。まさか、あそこまでして零号機、綾波レイが特攻するとは思っていなかった。兵器として人型の脆さを理解している証拠だが
 
 
「・・・・・・あの・・・ような使徒は・・・・・・名鑑には・・・・・おらぬ・・・・
たばか・・・られたか・・・・・・」
ぼそぼそ、と蠅の音をさせるモノリスが呟いたが、誰の耳にも届くことはなかった。
 
 
ぴょーん
 
 
獣使徒がフィールドをもってそれを迎え撃たず、あえて跳躍してかわしてみせたのは、一陣の蒼い暗器と化したその気迫に恐れをなしたためか、それともただあざ笑うためか。
続けてビル群を足場として夜空に駆け上がっていく。間合いを、外した。
自重を遮断でもしているのか、ポジトロンライフルが収納されたひときわ高い兵装ビルの天辺に器用に立つ獣使徒。「・・・・・」その背にあり零号機を見下ろしながら(VΛV)リエルは何か呟いた。
 
 
「・・・・・・・・・」
対して、静まりかえったのが発令所である。
一瞬にして体液色に染まった直線道路を見て、その気性の苛烈さに一同、度肝を抜かれた。
その赤い瞳の爛々とした輝きに圧倒された。使徒に呑まれ、再び、エヴァに呑まれる。
作戦部長連もエヴァというものがこれほど無茶をする兵器とは知らずあっけにとられている。
 
”皇卵”を構え、”零手観音”を手放さず、じっと使徒を見上げる。
 
その姿は、その姿が発する雰囲気は、人類の決戦兵器、最後の壁、としてありながら、どこか、禍々しかった。それは左足から体液を流しながら崩壊することのない戦意ゆえか、それとも・・・
 
 
使徒と零号機との、天と地でのにらみ合いが続く・・・・・・
他の者は手が出せない。見えはするが、言葉も心も届くことのない絶対の領域。
 
 
 
「零号機は限界です」
 
 
日向マコトが作戦部長連に向かって機体の状況報告をあげる。あれだけドバドバ体液を流出させたのだ。見れば誰にでも分かる話ではあるが。パイロットも同様であることなど言うまでもない。シンクロ率も異常で、上下の波が激しい。気力以外のなんらかの手段で低下する数値にブーストして無理に上昇させているのではないか・・そして低下、また・・・そんな繰り返し。顔色は青や白を通り越して、何か薄く光るようである。
使徒、エヴァ、発令所の三すくみとなってしまっている構図を打破するためにあえて。
 
「これ以上は・・・・・」
 
 
あの突進が外された以上、零号機にもう打つ手はない。早々に地下に引っ込んで左足の治療に移るべき。極めた指揮能力などもたぬオペレータでさえこんな事は分かる。
だが、その間の場を埋めるべき、代替機がない、エヴァがいない。
弐号機、後弐号機、どちらかでも欧州に引き揚げてしまわずに、一体残しておけば。
 
今更である。
 
第二支部と引き替えだったかのように、とんでもない形で、姿を消した初号機の行方も知れない。そのパイロットも。
自分が葛城ミサトの跡を継いでいて、この場に立っているのなら・・・・・・
日向マコトは歯噛みする。
己が意識をもって関わらぬ限り、事態は己に不利になるように動く・・・人の世の鉄則だ。
実際、弐号機と後弐号機、もしくは八号機が既に到着している等で、数体のエヴァがここにあれば、今回の使徒に勝てたかどうか・・・・・一閃なで切りにされたかもしれない。
 
 
攻撃力という意味以上に、JTフィールドを奪ったあのしたたかさ・・・・・・
人の力を呑み込み取り込むその柔軟が恐ろしい。硬直した神威などよりよほど。
 
 
ここに零号機一体しかいない事実は、孫毛明やシロパトキン、それから宣言通りに反ガウマータ処理に没入してこの戦闘にて何も言わないシオヒト・Y・セイバールーツあたりは幸運なことだと思っているかもしれない。だが、このままみすみす殺されるわけにはいかないではないか。この無意味な睨み合い・・・今なら離脱できる・・・完全に綾波レイは我を失っている。いや、目を開けたまま気を失っているのかも知れない。ただ、ギリギリに低いシンクロ率だけが切れかけた操り糸のように支えているだけなのか。少女の抱える責任感は人の命よりも、それを押し潰すほどに重いのか。このまま立ち往生(片膝ついた状態ではあるが)させてもいいのか。疑問を内心で呈しても事態は動かない。
 
 
 
だが、日向マコトが焦るほどに綾波レイも我を失っていたわけではない。
 
 
反撃の準備をどくどくと整えている。武器は体液。さきほどから大量に流出した体液。
 
綾波能力の中に「流血鬼(ブラム・アルカード)」なる対吸血鬼術法、吸われた血液を自在に操り内部から相手を内臓ぶちまける、という豪快なのか陰険なのか元々は効率的な輸血のために編み出されたまっとうな医療術だったはずの微妙な術法があるのだが、しんこうべに里帰りした際にそれらを献能されて使用可能になった。これをエヴァサイズで使う。実際に操るのは零号機の体液であるが、使用者の能力を拡大するのがエヴァが単なる人型巨大ロボと完全に異なる点である、使い切る自信はあった。今回の使徒の意表をつくにはこれくらいする必要がある。獣カラーで統一されてはいるが、今回の使徒は人間側の戦力を研究してきている。
 
単なる野生のカンではJAの足止めにあれほど付き合った理由がつかない。
おそらく、最初から狙っていた。レリエルは人界を歩く偵察役ではあったが、目的からするとあれを使徒の偵察だと見るのは間違いだったといえよう。敵側の有効な戦闘能力は取り込もう・・・・自律兵器ならば組み込まれていてもおかしくない命題だ。
 
 
逆さ英文が多いこの術法の組み立て、そして零号機にそれを理解させるのに手間取った。シンクロ率が低いと動作連動もそうだが、こういった他からサポートの受けようのない特殊作動で大いに手間取る。普段ツーカーの相棒が、マンションの隣人よりも理解の壁を隔てて遠く感じる。
 
 
こういうことを首や腹の中でしているから、なんとなく外見からは悪モンっぽく見られてしまう零号機であった。
 
 
だが、綾波レイも失念しているところはあった。いくら能力を増そうと、それを使いこなす知恵まではサービスでついてくるわけではない。てめえで場数を踏まないことには。
この点、祖母のナダなど孫娘の悪知恵、世間智のなさには心配でしょうがないのだが。
ひらたくいうと、いくら怪しげな能力をてんこ盛りにして渡されても、十四の子供は十四の知恵しかもっていないのである。これが未来予知の能力ができると違ってこようが。
 
 
向こうのJTフィールドで、自分のATフィールドが取り上げられる点である。
使徒斬り日本刀、零鳳初凰ならそのまんまフィールドを切り裂けたが、手持ちの皇卵ではそうもいかない。魔弾の残りは黄金の牙剣を止めるために使う気でいる。現時点の綾波レイは血塗れ街道と化した直線道路に誘い込み、対面し正面からぶつかり自分のフィールドで中和してその隙に駆けてくる獣使徒の下腹を下から血槍で刺し上げるつもりでいたのだ。うっかりといえばうっかりだが、これが死命を分けるのだからそれでは困るのである。独断専行ですすめているから、それに注意を与える者もいない。
 
 
さらにいうと、体液が流れればそれだけ攻撃範囲も広くなるが、あまりに流しすぎると零号機の身体がもたない。というか、金網デスマッチをこなしたプロレスラーも問題ではないくらいに現時点でもかなりやばい。使徒の方はそれをビルの上から眺めていれば、そのうち、というか、すぐに相手は勝手にくたばるのである。これほど楽ちんなことはない。
いくらスケールがでかくなろうと、技的に高低差のある場所には向いていないのである。
 
 
あーたーまーがーわーるーい
 
 
などとは、この鬼気せまる姿に対して、決していえたものではない。もとより、エヴァ零号機がこんな技まで実戦で使えるとは誰も思っていないのだから。ゆえに悲壮感溢れる。
 
 
 
”おまえは・・・・・
 
 
”おまえは・・・・・
 
 
そんな綾波レイの頭の中に、また心話が響いてきた。今度は多少ボリュームを絞った、なんとか聞き取れて意味がとれる。
 
 
”おまえは・・・・・・
 
 
 
「・・・・・なに」
 
 
ヘタをすればこちらの手の内を読まれるという警戒感から、警告ジャブをうっておく。
黙っていればどこどこ踏み込まれるかもしれない。だが、上級使徒(VΛV)リエルの言い出したことは驚きだった。
 
 
 
”おまえは・・・・・・ゼルエルなのか・・・”
 
 
 
そんなわけがあるか!、と即答したくなったが、しばし間をおく綾波レイ。
そうだ、と認めれば、仲間だと思って謝罪したうえに、足もなおしてくれるのだろうか。
・・・それこそ、そんなわけもあるまい。
 
 
「ちがうわ。わたしは・・・・使徒じゃ、ない」
 
 
というか、そんなことも知らないお前こそどこの使徒?と問い返したくなったがやめ。
相手からコンタクトしてきたのだ、ここぞとばかりに情報を引き出すところだが、どうにも億劫でたまらない。神経の疲労が限界にきたのだが、それを自覚することもできない。
やりだすと、とめどなくなるのも孫娘の弱点なんだけど、と祖母はどこかで嘆いている。
 
 
 
”ゼルエルは
 
どこにいるのか”
 
 
 
「知らない」
相手の問いに正直に、というか、無防備に反応して答える。また、嘘のつきようもないほどに知らない。嘘のつきようもあるほどには知っていれば、このいまどうしていたか。
 
 
 
”ゼルエルの
 においがする”
 
 
「昔、ここにいたから。でも、今はいない」
 
 
”ゼルエルは
ここにくるのか”
 
 
「分からない。でも、いつかは・・・・・・」
なんでそんなことを問われなければならないのか。自分で調べればいいじゃないかと思ったが、実際調べに来たのだとしたら?身体の奥で対流するものがあったが、すぐに消えた。
 
 
”いつかは
 いまか”
 
 
「そんなはず・・・・ない」
単純にして残酷な反問に胸が疼く。ここに、今、「それ」が現れたら、どうするか自分にも予想がつかない。感情を失おうとそれだけは考えもつかない。理屈ではない、過去の感情の記憶は確かに存在するのだから。あの時、どうすればよかったのか、後悔がある。
地上のことなど振り返らずに、ずっと天上を見続けておけばよかったのか。
目をそらしたから、そこで何が起きたのか、まるで分からない。何も分からないままにこうしてここに立って戦っている。愚かな傷跡。こんな問いに答える資格も自分にはない。
 
 
左手だけを切断してこの地に残した。赤い槍を人の側に残すために。
 
 
ふたりあてに届けられた天上切符を独占して自分だけでいってしまった・・・・しかも、いろいろと小細工したらしくそれが裏目に出て三人も巻き込んで・・・・・天上天下唯我独尊とでも・・・・人の道に外れた、もとよりそんなことを考えてもいないのか、他の人間のことなんかどうでもいいのか・・・・あのひとでなし。ひとでなしひとでなしひとでなし・・・・。そのくせ、第二支部の人間を誰1人として、死なせることはなかった。
あの力、その心。
 
 
いまこの都市には、主の血を浴びたロンギヌス、赤赤の毒槍がある。使徒殺しの槍がある。
けれど、彼がいない。
自分が引き留めていたら。引き留めることができていたら。その後悔。
だが、口からたえきれずにこぼれた言葉は
 
 
 
「・・・ひとでなし」
 
 
他のどんな言葉よりもこのひとことを浴びせてやりたかった。そして、それに反応する彼の顔を見たかった。これを聞き、天を裂き地を割るほどに彼が激怒してもかまわない。
無茶ではある。めちゃくちゃでござりまするがな、というところだ。
ひとでなしなら、向こうにいってしまって万々歳超ラッキーではないか。
公平に考えれば、これを浴びせられるのは頭に来るほどのタイミングで介入し大スケールで己を含めた他の人間の目を欺き続けた渚カヲルの方がふさわしいだろうが。
 
 
 
”・・・・・・・・・・・”
 
答えになっていない答えを咀嚼するような念が伝わってくる。人間のイメージに翻訳すれば、思考している、というところだが、そこにはとりあえずでも結論を出そう、という卑小さがまるでない。ただひたすらにごりゅごりゅと。ゼルエルがひとでないことは明白であろう。ゼルエルは最強の使徒、ただケンカをやらせればどこの戦線に出そうが負けるはずもない使徒の王ともいっていい。それが、しとでなし、ということなど。
 
ぐるるぐぐる・・・・・
自らの坐す獣使徒の「そろそろケリつけましょうや」的催促をかまわず、(VΛV)リエルは咀嚼を続ける。
 
 
 
 
「武器をくれてやれ」
 
 
沈黙の続く発令所に投げ捨てるように声が落ちてきた。球形に白ランプが灯っている。
シオヒト・Y・セイバールーツ。
 
「ロンギヌスの槍、気に入りの武器をくれてやれ、あの撥条が切れた茶運び人形に」
降った言葉は悪意で研いだ白木の杭、聞く者の胸を心臓をぶっ刺していく。
 
「それでなくては使徒を倒せないというなら。使わせてやれ。・・・・マギの処理も終わった。プロトタイプの指揮など執る気はなかったが、まだ終わっていないのか・・・パイロットの仕事は使徒を刻限内に処理することだろう、機体の旧弊を差し引いたとしても・・・・グズどもめ」
 
 
空気は険悪などというものではない。さきほどからの蠅の羽音が連想させる腐臭と、それに一気に混ぜ合わさった鼻の奥にツンとくるほどのキナ臭さ。その幻臭に何人ものオペレータが激しく噎せた。それを気にかけたわけでは完全になく、司令のル・ベルゼが
 
 
「控えろ・・・・セイバールーツ・・・・・槍の封印の・・・・解除は・・・貴様の権を越える・・・・・ぞ」
 
越権を叱った。零号機パイロットに対する呼称のことなど微塵も含まれぬ。
 
 
「もとより・・・・ル氏の封印を・・・・解くこと・・・・など、許しもせぬ・・・・できもせぬ・・・・妄想であるが・・・・控えよ・・・・・」
 
 
「くっ・・・・・・」
頭上のやり取りに1人の修羅の如く歯軋りする日向マコト。零号機がただ1人危機に陥っているというのに自分たちのやっていることがこれか?
 
 
ロンギヌスの槍・・・・・初号機の左腕が「化けた」、音叉のように二股に長く分かれた赤い槍。それに対してキリスト教の伝説の名がつけられたのは自分たちのような現場の人間にすればどうでもいいことだが、それが初号機が消えた後、左腕の形に戻すことなく、赤い槍の形状を保持したまま、なんの説明もなく深部領域の奥に新司令の名のもとに封印されたことは、そのまま疑念と不信の楔となって組織の間に打ち込まれて今日まできた。
 
 
それを使えと。使わせろと。
 
 
白いランプはそそのかしてきた。零号機の身を案じたようにはどうひいき目に聞いても聞こえないのだが、それはある意味、正解であろうと日向マコトも思う。封印されたものを遠慮会釈なく引き出してこいというその果断さは葛城ミサトにも通じる。あれは強力な武器だ。初号機の置きみやげ、という以上に、何か使徒に対して必殺性を感じる。
 
そうであるからこそ、あの修羅場騒乱の中、綾波レイは整備の者を巻き込んでまでそれを無理に残したのだろう。でなければ、左腕を爆砕して千切るなど、気が触れたとしか。
 
ネルフの深い機密。碇司令を通じて、綾波レイもそれを知らされてでもいたのか。
 
使徒に対する最終兵器・・・・・・あの赤い槍はそのようなもので、まさしく奥の手であるのか・・・・しゃれにもならないが。新司令も着任早々いの一番でアレを封じてきた。さながら、それをやるためにその座に就いた、といわんばかりの素早さで。厳重に。
その厳重さは物理的な遮蔽遮断はいうまでもないが、封印、というオカルトマンガで主人公達が叫んだりするそのまんまの意味での封印がかまされた、異常にして異様なレベル。実務作業で槍を運び安置したりしたのは零号機だが、そこから先、「ル氏の札」なる呪いの札をぺたぺた貼ったのはその日だけ本部にやってきた黒いローブの集団で、作業が完了後、本部スタッフ達には一切の接近を禁じられた。近づこうものなら身体が溶解する、というもので、吹きすぎだバカと思っていたら数日後潜り込んだどこぞのスパイが実証してくれた。とにかくマジモンであった。噂はすぐに広まった。効果範囲がどれくらいなのかやった当人がヴンヴンいうだけで詳しく説明しないので、普段は関係ない深部奥にあるとはいえあまり気分のよいものではない。封印した当人は遠く離れた場所にいるのだから。なんとなしに、最近、食べ物が腐りやすくなったような気はする。地下にあり冷房空調は効いているはずだが、仕事机においたまま一日ほうっておくと、てきめんに悪くなっている。葛城ミサトがいれば絶対に腹痛でやられたはずだ。それはともかく。
 
使徒用の最終兵器にそんなお札を貼るあたり、もはや碇司令とは完全に別種の存在である新司令・・・・なんというか、文人統制もヘチマもない、戦闘指揮の上にいてはいけない人物である。戦って勝つという思考がそもそもないのかもしれない。
 
 
「だが、現状を打破するにはそれしかない。それとも、他に妙手があるとでも」
 
「それを・・・思考するのが・・・・・貴様達の責務だ・・・・・思考、せよ・・・・槍の・・・使用は・・・断じて・・・認めぬ・・・・許さぬ・・・・」
 
 
最終兵器であろうと、今が使い時ではないのか。今は使徒戦であり、もともと綾波レイ、彼女が思い切らねば、それがここに残ることもなかったのだから。それを今、ここで用いてなにが悪いというのか!白ランプのいうことはアセチレン・ランプよりムカつくが、その一手の値が落ちるわけではない。たとえ、そこに零号機の現状を救う気など殆ど含まれてはいない、己を利するその他の意図が多分を占めていたのだとしても。
 
 
槍がもし、初号機の左腕そのままの形であったら・・・・・・そこに込められ残されていてもおかしくはない、あの少年の意思は・・・・・・・・いうまでもなく、彼女の苦境を助け出しにいったはずだ。そうだろう?エヴァに乗るだけでなく、その身体ひとつだけでも、何か、凡人には理解しがたいものと戦っていたような・・・・・2度消えた、あの子。
 
心の底、思考の底で願い祈りながら、牧師でも神官でもない日向マコトはそれだけに専念できない。逃がす算段を含めた零号機のサポート。機動の限界を越えてそろそろ人造人間としての死への領域に近づいている。とりわけ、どのように手をつくしても暴れ続ける左足の傷、いっそ股から切り離すべきかとも思うが、あのような怪奇現象めいた傷、左足で留めているという見方もできるわけで切り離した途端に全身に移転拡大、なんてことになったら目もあてられぬ。
 
 
槍の名がシオヒトの口から出て以来、ただでさえ足並みの揃いようもない作戦部長連がさらに混乱する。槍もて使徒をあくまで倒すか、もはやいったん零号機をひっこめるか。メインはその二つだが、言うことが皆異なる。対応速度は認めてもいいし、エヴァの機能、第三新東京市の能力、現状を理解していないわけでもないが、それぞれ性能のいい矛と盾で攻めつつ守りつつモノをいうものだから、周りで聞く者はたまったものではない。
 
司令だろうと敬意など払うこともなく槍封印解除をあくまで求めるシオヒト、
 
一時撤退論の大盾を構えながら、綾波レイに心配げに声をかけ続ける座目楽シュノ。
 
シオヒトには槍などという奇怪な武器に頼る不信をぶつけ、座目楽シュノには胆力に欠ける安いその場しのぎを笑い飛ばすシロパトキン。「パイロットには見殺しにされる覚悟がある。もとより我が輩らの手に届かぬ場所にいる者たちだ。下らぬ同情は連中への侮辱になろう」同時に、綾波レイ、零号機の秘めた気迫が読めるのか使徒を追い落とす攻撃指示を止めようとしない。「・・・・・・何か最後の最後にやる気かもしれん、あの赤目娘」
 
その尻馬に乗り、「使徒がこのまま引き返してくれればなんの問題もないんぢゃが。お嬢ちゃん」席次を意識したかのように若く弱そうな声質の座目楽シュノを衆目前に失墜潰すような我富市由ナンゴク。ついでに「槍の使用を司令殿に禁じられたのならもはや、八号機の登場を頼むしかないぢゃろう。シオヒト殿、出し惜しみせずに出しなされ。その方が早い」己よりも若いくせに偉そうなシオヒトにも釘をさしておく。己も愚図であろうがと。
 
「JTフィールドを・・・・取り込んだ目的を・・・けほけほっっ!果たした使徒が・・・・そのまま引き返す可能性は・・高いです!使徒は・・・・行動パターン自体は・・・・・非常に単純です・・・・まるで・・・・命じられた単一目的を果たすためだけに製造されたように・・・・。使徒の索敵範囲から外れて反応を・・・・・げほっ・・・かはっ・・・・・」
 
「あー、シュノちゃんが苦しそうだから続けてみるけど、いったん使徒の戦闘レンジから外れて反応を見てみるのも悪い手じゃないってことかな?真・JAに完全なトドメをささなかった例もあるしね。それでいいかい?・・・・っていうか、君も身体の調子大丈夫か?かなり苦しそうなんだが・・・」さすがに酒吐息をやめた孫毛明がフォローする。ちなみに槍使用は賛成の立場。責任は司令にとってもらって早々にケリをつけたほうがいい、と。
 
「うちにひとりで指揮させてくれたら、すぐに勝たしてやるのに・・・・・どうも他の人が口いれとると、場の色が乱れて勝ち目が見えんち・・・」
この期に及んでバカなのか身の程知らぬ自信家なのか、それでも聞く者の背筋をなぜか、ひやりとさせるエッカ・チャチャボール。作戦部長連の他も咎めることもしない。
その経歴を知るがゆえ。けれど。
 
 
 
目の前のメインモニターでは零号機が血を流しながら立ち尽くしている。
 
 
 
そして、司令自ら、槍は使わせない、というこの現実。
初戦で最終兵器を使うようなへぼい真似はさけたい、という判断は政治ではあろうが。
 
 
ル・ベルゼも考えている。
早すぎる。この段階で切り札を出す真似は避けたい。他にも強力な手札をもつ者はいる。
なるたけそ奴らに札を切らせて自らは温存。介入のタイミングを計っているはず。
貴重なファーストチルドレンを死なせるつもりはない。それはそれでまた責となる。
一機関の司令職などそも望んでいないが、その座を追われて失うは首を亡くすと同義。
それにしても・・・・六人の戦闘指揮など、委員会め、愚かな極みな真似をしおって・・・それがどれほど無意味か、己らの会議具合を鏡に映してよく見てみよというのだ。
舌打ちなどもするが、それらほとんど蠅の羽音作動音に紛れて聞こえないし届かない。
 
 
ついでにこの用心深い蠅司令は、槍の封印具合を密かにチェックしていた。特殊な術式を交えた司令の専用回線で他の作戦部長連中にも覗き見られる心配はない。封印には絶対の自信はある。いかにロンギヌスといえどあれだけのル氏の札を貼られておれば身動き一つ出来ない。七つの実験が施された暴走機体のエヴァ初号機を受容器に使っていようとこと封印に関してはこちらに一日の長がある。バカな小物などは、いつぞやのようなことを期待して槍、つまりは左腕が暴れ出して使徒を倒す、などというお話めいたことを期待しているかもしれないが、そのようなことは断じてない。アダムスファミリーのハンドくんじゃあるまいし、そのような冗談ごとは絶対にない。このように定位置にて札が定数貼り付いている限り、槍は石壁につながれた囚人も同様。うーむ、完璧だ。封印に狂いなし。まあ、もとより弄りたくとも手が出せるわけもない。場に近づけばそれだけで普通の人間は溶ける。この遠隔カメラではプロテクトの仕様上、一方向、封印の表面しか見られないのだが、槍が暴れるパワーで裏面だけが剥がれるなんて器用なことになるわけもなし、問題はないだろう。槍に秘められた強大な力でもル氏の封印は解けない。もとより解く気もないのかもしれないが。蠅司令は一応、職業技能上、器機に感情が宿るような事象を否定しない。そして、あれは何より使徒を殺すための槍である・・・・。使徒を近くにして本能的に黙っていられるか・・・
 
ゆえに、この局面でチェックしてみたりしたのだ。槍は自らの管理下に確かにある。
新本部内に司令の意向に逆らえる人材がいるわけもないが。骨のある奴はほぼ駆逐した。
これが虎だろうと熊だろうと猪だろうと有能ならば片っ端から雇い入れた碇ゲンドウと異なる点であった。ちなみに、これは例えであり、ほんとにそれらを雇って動物園を併設したわけではない。特務機関ネルフ内に不可視の檻などどこにもない。しかし、今は従順な羊しかいないのだ。一度、調べておけば十分であろう。狼の知恵をもち行動する油断も隙もない者など、作戦部長連だけで十分だし、そいつらはここにはいないのだ。この警戒心の十分の一も使徒の方に払っておけばだいぶ風通しがよくなるだろうが・・・・
 
 
上がこの調子では下もぐらつく。普段の温厚さをかなぐり捨てて鬼の形相で叱咤しつつスタッフをまとめていく日向マコト。やられた真・JAもショックのあまりか、倒された地点からピクリとも動かない。
 
 
そこに・・・・・
 
 
咀嚼を終えた(VΛV)リエルとそれを乗せた獣使徒がビルから飛び降り、零号機に迫る。
その突進にはなんの遠慮も躊躇もない。ゼルエル関連の情報を可能な限り引き出し、それ以上の好奇も覚えなかったのか、単眼のエヴァ零号機もそこに宿る赤い目の少女も粉々に砕いて惜しくはないらしい。それほどの速度をもった快足突撃。足とられ滑ることもなく血塗れ街道を突進してくる。
 
 
結論を出し終える前の敵の突撃に、悲鳴が上がるネルフ本部発令所。
 
ズタボロの、左足さえない零号機。ATフィールド、それを守護する壁さえ敵には容易く奪われることがわかっている。
とてもそれに対抗しうるとは思えない、それを信じることさえ出来た者は希少。
 
 
 
血の華が咲いた。
 
 
 
絶対領域に叩きつけられた綾波異能「流血鬼」エヴァ零号機拡大版が見事に散った。
瞬時に奪われた自らの盾に、自らの、振り絞った最後の力を、無意味に叩きつけた。
自分が何か忘れていたことに気づいても遅い。「あ」などと言うよりも早く。
 
 
 
双頭獣使徒が零号機を蹂躙する
 
加速によって盾というより無敵の圧壊兵器と化したATフィールドが腹部を潰し内臓が噴き出す。続く戦意に猛る四肢が破壊の舞踏で両手ごと皇卵と零手観音を踏み砕き胸部を割った。その内に秘められていた声、言葉、想い全てが晒されたあげくに躙られた。
これが戦闘の結果。凶猛な本能のままに。弱い存在が強い存在に粉砕され喰われていく。
なおも相手を蹂躙しようとする双頭獣。脊椎部、エントリープラグなど欠片もない。
獣欲を満たす頃合いをみて
その座にある(VΛV)リエルが金色の牙剣を抜いて零号機の首を切り飛ばす
これにて血祭りの仕上げなり、そう宣言するかのように
斬った頭部を牙剣に刺して高く掲げて
 
 
 
・・・・・そのようになるはずだった。
 
 
邪魔が入らなければ。
 
 
零号機と使徒の間、絶対領域を軽々と超越キャンセルして独自の結界を張りつつ双方の制止を呼びかけるように、その奇妙な物体は「ちょっと待った!」とばかりに真っ赤な手のひらを使徒に向けてストップをかけていた。
 
 
ちなみに、ここぞとばかりに格好良く零号機綾波レイの危機を救うべく蠅の封印などぶち壊して飛来してきた、使徒に対する必殺無敵の毒槍、「ロンギヌスの槍」、ではなかった。
それならば、使徒に突き刺して事を終えていただろう。
 
かといって、槍から元の見慣れた姿に戻った初号機の左腕、でもなかった。
 
 
いわば、その中間。真紅のマジックハンド、手のひらに長い棒がついている、とでもいえばいいのか、左腕でも槍でもない、その変身の真ん中で止まってしまった奇妙な物体がそこにあり、使徒相手に”待った”をかけているのだ。よく見れば紙切れのようなものをあちこちにはりつけている。ちなみに、その飛来速度たるや稲妻をも凌駕する。ちなみに、どういったルートを通ってきたのか、施設にはどこにも破壊跡など被害はない。瞬間移動でもかましたように突如、現れたのだ。駆ける双頭獣使徒はおかまいなしに突き進もうとしたが、座の(VΛV)リエルが制止させた。口元に笑みらしきものが浮かんでいる。
 
 
ロンギヌス か
ゼルエル か
・・・・コレは・・・・
 
 
それと正反対に目の玉が飛び出るほどに驚いているのがル・ベルゼである。綾波レイや作戦部長連、発令所スタッフ達も驚いているがそこまでではない。それはそうかもしれない、確かに先ほど封印チェックしたロンギヌスの槍が飛び出した挙げ句に、わけのわからん物体に成り下がってしまっているのだ。封印する以上、保管責任だってあるのだ。「なん・・だ・・・・あの・・・マジック・・・・ハンドは・・・・・」呻くが、誰も説明などしてくれない。だが確かに深度領域槍封印の場に槍はなく、地上に奇妙な物体、紅赤手がそこにある。
よく落ち着いて観察して推察すれば、封印が堅牢で厄介であったからこそ、槍は以前の姿、左腕に化けつつ、その身に貼られた札を自分で剥がしつつ封印の効力を適度に弱めてから破った・・・・・のではないかという点に至ろうが、気を取り戻すまでしばらく時間がかかった。そして。槍が左腕に化けようとする、そのわずかな隙をつくった遠隔カメラに映らない裏面の札が数枚剥がされていたことに気づくにはまだしばらくかかるだろう。