魔法少女のジレンマだと、思った。
 
 
この苦境を表現するに、そんなイメージが浮かぶあたり洞木コダマの困り具合も知れる。
十七の女子高生でありながら、洞木コダマはハードボイルドなのである。
 
それでいて、「魔法少女のジレンマ」・・・・・・コダマちゃん、困っちゃう、てへ(はぁと)の如くなリアクションをあやういところで、誰しも知られぬ内心のこととはいえ選択してしまうところであった。それくらい困ってしまった。
 
ハードボイルドであるからたいていの難事は怖くもないし撃破する力は四肢に満ちている。事件は裁判所では起きていない・・・腕っぷしで片付く問題であるなら・・・・・・戦闘員やら諜報員が束になってかかってきてくれたほうが、なんぼかよろしい・・・・・そう思ったが現実は現実だった。
 
 
洞木コダマは(いわゆる前回の続きの説明のようだが)ハードボイルドなネルフ諜報三課の課長代理である。世知辛い話であるが、ほんとうのことである。文学的に言えば、洞木コダマは第三新東京市でいちばんタフな女子高生なのである。
 
 
しかし、それを表には出していない。表向きはあくまで、女子高生として生活している。
命がかかっている分、諜報三課課長代理としての立場の方がそれは重く。ワークス・諜報員、カバー・高校生、というのが洞木コダマの身分ということになる。簡単にいえば二重生活を送っている忙しい人間である、ということだ。ただ、なんのためにこんな奇妙なことをしているかといえば、別に金のためではない。洞木家の大黒柱として生活費を稼ぐためにやっているわけでもない。母親の経営する動物病院と祖父母の開いている鍼灸院はそれなりに順調で、べつに女子高生を働かさねば暮らし向きに困る、ということもない。
なんのために、こんな二重生活を送っているのか、といえば、洞木コダマ自身も「時の流れのままに」とか「灯火が消えぬ間に」とか言うしかない。
 
そんなわけで、母親と祖父母は知っているが、妹たちは知らない、というまこと奇妙な開示具合になっていた。姉さんはこんな苦労をしているんだよ、などと妹たちに知られてもしょうがないし、それはなるたけ避けたかった。「そんな仕事、やめて」と言われるのが分かっているし、言われてもまた困るのだ。納得も説得もできず互いに苦しむだけ。
 
 
洞木コダマがほんとうに下っ端の下っ端の末端で、相手を攪乱する囮くらいにしか使えないような人材であれば、歳のこともあろうし、この現在使徒との戦争真っ最中である第三新東京市であるなら、足抜けさせてもらえないこともないだろうが、そうではなかった。
逸材中の逸材。伊達に十代の課長代理などやっていない。その戦闘力は卓絶していた。
 
 
一言で言えば、忍者である。暗躍暗殺のスペシャリスト。すなわち毒をもって毒を制す。
 
 
絶対領域に守られたエヴァに搭乗したチルドレンを倒せるのは使徒くらいなもので通常戦力しか持たぬ軍隊が正面からいくらかかってきても相手にならない。
 
ただ、そこから降りてしまえばただのガキであり、街中でもほっつき歩いているところを人混みに紛れてグサリとやってしまえば・・・・・・エヴァの力を危険視する団体勢力はいくらでもある。SPという肉の壁を四六時中、はたまた鎧でも着せて歩かせる、というのは確実でも現実味に欠けている。子供の方がノイローゼになるだろう。精神的負担をなるべく少なくする形の護衛者、ということで設立されたのが諜報三課なのである。
 
ただ、しょせん同年代であるから訓練の度合いも肉体能力も成年と比べると大きく劣る。
だが、その中で同年代でありながら、熟練したベテランたちを凌駕する戦闘力ももっていますよ、という洞木コダマの存在は、襲撃を考える方にしてみればいかにもずるな反則であり、護衛する方にしてみればまさに切り札シャランラ。いまさら辞めさせてもらえるわけもない。
 
 
この手の二重生活はだいたい早い内にばれてしまうことに相場が決まっているのだが、洞木コダマはその点、実にやり手なのか、ここまで危なげもなく妹たちに隠し通してきた。
当然、祖父母らの協力あってのことだが、それでもそれをやり通すのは本人の鉄の意志と鋼の実力が必要になり、それを兼ね備えていたからこそ。
 
 
 
だが、今夜。
 
 
 
もともと本来の任務でもない他の課からの頼まれ仕事をこなしてネルフ本部にいってみれば、なんとそこには妹のヒカリがファーストチルドレンの綾波レイとともにおり、そのまま施設の奥深くに消えていった・・・・非常生活に慣れた身にしてもこれは尋常なことではない。日常と非日常はきっちりと区切られるべきであろう。洞木コダマにしてみれば、妹のヒカリは日常生活の象徴のようなものであった。深夜になんのまえぶれもなく太陽を見たような白夜行。事態を確認見届けることもならない機密の闇の底へ妹は赤い瞳の少女とともに、いってしまった。狼狽にも混乱にも縁がなかった。冷静な思考のもとに、打つ手とるべき行動が解答できなかった。このことは、彼女の身を二つに引き裂く。
 
 
自分の手に届かぬところへ
 
 
特務機関ネルフ 人造人間エヴァンゲリオンの機密を宿す根の城
 
 
自分の足がついているところへ
 
 
特務機関ネルフ 第三新東京市の暗部を統括采配する影の陣幕
 
 
妹が、きてしまった。どちらにせよ、血の臭いのする場所へ。どちらか片方ならば、迷うこともなく妹を止めたはず。どちらの演技をすればいいのか、よかったのか、迷った。
 
 
身体の弱い(ということにしてある)姉を演じていれば良かったのか
 
 
諜報三課課長代理として、影に潜んだまま術を用いて妹の足を止めれば良かったのか
 
 
惑いは時間が断ち切らせた。しばらくすると、技術部の赤木博士、課長経由で妹を連れて帰るように連絡が入った。珍しくあの狸がかなり慌てており赤木博士になんで妹に用があったのか聞き出せなかったようで、ただ一方的に用件を受けさせられた。
 
 
諜報三課に。
 
 
まさか、とは思った。そんなことは、あるはずがない、と。チルドレンの護衛を任とする・・・その割りには非常識かつ順当に使徒殲滅の任務で忙しかったパイロットたちの生活にあまり必要なかったのだが・・・・・・三課ご指名で、チルドレンの友人だろうと一般人である洞木ヒカリを送らせるなどと・・・・・向こうも同じ洞木姓で肉親であることは承知であろうから勘ぐりすぎかもしれないが、まさか。そんなことはあるはずがない。
 
 
エヴァのパイロットに選ばれたなどと・・・・・・・・・誰でもいいなら、もっと適任がいるだろう・・・・・いるはずだ
 
ただ、パイロットの知り合いだからといって、乗れるものなら・・・・・・・
 
 
端末を確認すると己を除いた三課の全員が招集されていた。緊急ミーティングらしいが、課長代理である自分は妹を送れよ、と。これで事の真偽が見抜けないはずがない。
三課最強戦力であるからこそ、洞木ヒカリ、妹についておけ、ということは。
 
 
ただファーストチルドレンとの距離が近い人間に対する敵対組織の邪推を警戒した、だけならいい。
 
それならば、いいのだが・・・・・・。
 
 
眼の色が虚の色になっていく。自覚はないのだが、この時間にしては異様に多い行き交い通り過ぎる者たちがこぞって道を譲ったり目が合うだけで顔色が白くなったりするので分かる。己の精神状態がうまく保てていない。何のはずみで自動攻撃スイッチが入るかわかたものじゃない、危険な状態だ。とりあえず、いったん出場ゲートを抜けて、外から迎えにきたような形をとらねばならない。自分の気をいったん祓うためにもその方がいいだろう。夜気をいったん腹にためてみれば気分も静まる。そのように考えた洞木コダマは
 
 
 
ゲートを抜けたところで
 
 
 
「あ、お姉ちゃん」
 
 
聞き慣れた声をかけられ
 
 
振り向くと同時に、
 
 
「あれが・・?」
 
背後から浴びせられた圧倒的な殺気に思わず手裏剣を投げつけてしまうところだった。
直前の手首の返しでなんとかあさっての方向に放つことに成功したが。
 
「うげっ!し、尻にっ!!?」聞いたような声で悲鳴がどこからかあがったが、気にしていられなかった。八方に気を配るはずの視界は狭まり、その中央にある赤い瞳の少女だけを見ている。
 
 
 
儚げな風情など微塵もなく、そこにいるのは確かに特務機関ネルフの看板を1人で背負っている苦労のバケモノだった。大がしゃどくろを背負って闇にきっと立つ滝夜叉姫、妖怪以上の大妖怪の貫禄であり、同じ常人の枠から外れているとはいえ、今組織を跳梁跋扈する魑魅魍魎ものどもなど、比べものにならない、これは格がちがいすぎた。赤い瞳の4人が大事に担ごうとするのも分かる。力あり人を導き率いる者の孤独。口を閉ざし己の内に巌として意思を積み重ねてきた者のもつ存在感。誰が隣に立とうと霞むしかない。
 
 
 
綾波レイ、これほどだったか・・・・
 
 
 
動けなかった。まさか逃げてしまうわけにもいかず。忍者の性としてはいったん退いて仕切り直したいところだが。なんせこちらは迎えにきたのだ。そういう設定なのだ。
まさか、向こうもこちらをとって食いはしないだろう・・・・・だが、いまの腕のアクションはかなりあやしいな・・・・・・体操のお兄さんが挨拶してるんじゃないだ・・・・
 
 
いや、待てよ。あの目つき。こっちの、諜報三課のことを知っているんじゃあるまいか。
結局、表だって運用されることもなかった三課だが、碇司令に付き従い本部内施設を自由に歩けた彼女のこと、この程度のことを知っていてもおかしくない。その課長代理が十代の女子であり、それが洞木姓をもつことなども・・・・・・・・・・・・・・・まずい。
 
 
洞木コダマは困った。まさか綾波レイも一緒に戻ってくるとは・・・・・・
それを予想しないのは甘かったが、ファーストチルドレンはなんかそういう気の利いたことはせんだろう、という思いこみがあった。自分の用件さえ済ませてしまえばあとはさよならだと。立ち位置とあの気迫、会話が弾んでついてきた、とはとても思えない。
 
ともあれ、もし綾波レイが「あ、諜報三課の課長代理だ」などと言ってしまえばお終いだ。
 
三課なんか全然知らない、ということでも全然構わない。こっちの事情など知るはずもないし知っていてもそれを勘定してくれる・・・・・・ようにはとても。期待もしないが。
 
 
とにかくまずい。二人はどんどんと至近距離までやってくる。それは当然なのだがまずい。
 
 
「ごめんね、こんなところまで迎えにきてもらって・・・・・・・・お姉ちゃん、緊張してた?」
ヒカリの声はこちらを気遣う思いで満ちている、と思った洞木コダマ。それを頼りに話を組み立てることにする。素人には分からぬ目の動きで綾波レイを牽制しつつ
 
 
「そうね・・・・少し。案内してもらってここまで来たけど、あまり来ないところだからね・・・それよりも、ヒカリ、心配した・・・・・・友達の家に泊まるとか聞いていたし」
 
身体の弱いコダマお姉ちゃんモードになって返答する。
 
ここでいきなり「諜報三課課長代理洞木コダマ!これがわたしの正体だったのよ?!今まで隠しててごめんなさい、実はケンカも強いの」とかいいだしたら変態だ。いろいろと大変だっただろう妹にこれ以上の負担をかけるわけにもいかない。しかし、ゲートを出たところで良かった。内側だったら言い訳に苦労した。我ながら、くの一には向かないな、とは思うが、妹もひねくれていない性質だ。これでなんとか・・・・・・・綾波レイを引き続き牽制しつつ
 
 
「あ、ええと。いろいろあって・・・・・・あ、こちらが綾波さんで同じクラスでエヴァのパイロットで、今夜は急にネルフの用事が出来たとかで、どうしてもいかなくちゃならないとかで・・・でも、綾波さん身体の調子があまりよくなくって・・・・・・心配になって無理言ってついてこさせてもらったの」
 
嘘つけと思ったが、かわいいものだ。自分が今までついてきた分量に比べれば。
 
まあ、ムリムリ度でいえば遙かに超越しているが。「心配だから」で機密の扉の向こうにいけるわけがない。それでいいなら諜報員は皆クビになるだろう。
 
 
「あ・・・・あなたが」
一応、社交辞令。チルドレンを至近距離で見て少し驚く一般人の図。
この目ならば白々しさなどすぐに染められ、こちらのことなどお見通しなのだろうし。
実際の所、どうなのだ綾波レイ、と目で問うてみたが、黙殺。さすがに友人の味方らしい。
 
 
「かえって、綾波さんにご迷惑だったんじゃないかしら・・・・・・すみません、妹が。こんなところまでついてきてしまって」
まあ、ここまで言えば少々鈍くても、勘定してくれるだろう。こっちの嘘を暴いてまでどうこうしたいお節介属性まで身につけられていたら終わりだが。
 
 
 
「・・・・お姉ちゃんと同じだったから、心配だったんだよ」
 
 
ヒカリの何気ないひとことに、ギクリと同時にぐさりときた。なぜか、それは綾波レイも同様らしく同じタイミングで微妙に視線を宙に浮かせた。
 
 
「と、とにかく・・・・・そろそろ帰りましょう、ヒカリ。綾波さんの体調も良くなったのでしょう?」
長居は無用。この光景をどれだけの連中に見られているのか考えると・・・ただ、胸の警鐘が鳴るほどではないのはやはり赤い瞳の四人がまだどこかに付き従って周囲を打ち払っているのか。
 
「そうだね。じゃ、綾波さん、ここまで送ってくれてありがとう。今日はやっぱり帰るから。荷物はまた明日とりにいくか・・・」
 
 
が、綾波レイは最後まで言わせず、というか、あまり話を聞いていないように
 
 
「わたしもいくわ」
 
 
告げた。
 
 
「「どこに?」」洞木コダマ、ヒカリの姉妹のハモり。完璧なタイミング。
だが、返答はなく、じっと姉妹を見る赤い瞳。「わたしの家に・・・・・・・?」
 
 
洞木ヒカリの声に、うなづく綾波レイ。
 
纏った貫禄とはえらい違いの幼い所作にあっけにとられる洞木姉妹。こくん、はないだろ。
こくん、は。
 
「なにをするの?なんのために?」とはさすがに聞けなかった。聞くべきなのだが、それを許す真紅の瞳ではない。・・・・・断られることをまるきり想定しない無垢のようなあの目にむかってどうやって「だめ」などと言えるものか。人の良い妹に。ともあれ、ファーストチルドレンの意図はお家訪問などではない。妹の護衛、だろう。
 
チルドレンが子供のガードをしようというのだから・・・・・・あんとも皮肉な話だ。
 
どうも警戒を解いてもらえていないのか・・・・・・しかし、ファーストチルドレンはこのように面倒見がいいというか世話焼きというか心配性だったか・・・・洞木コダマは首をひねるが、しょうがない。今やネルフの内部に綾波レイの行動を制約できる人間はいないのだ。直言すらできまい。特務機関というより子供向け特撮番組の悪の敵対組織だ。
やれやれ・・・・二人乗りで愛車(ちなみに二輪・名は伽藍号)でヒカリに「体が弱いのに」「いや、弱いから・・だよ」いつもの小言を言われながら帰るはずだったのに。
 
 
 
 
「また寝てる・・・・つかれているんだね」
タクシー(を装った諜報課の仕事車)で帰ることになったが、ずいぶんと気を張って油断なく乗り込んだ割りには・・・・綾波レイは車内で眠りこけてしまっていた。
 
 
おまけに、ヒカリの肩に頭をあずけている。よだれこそたらしていないが、完全に緩みきっている。守られているのはどっちだ?このまま黙って本部の医務室に送り届けた方が本筋であろうと洞木コダマは考えたが。
 
 
「また?」
 
「学校から一度お家に送り届けるときにも寝てたから・・・・・綾波さん、ほんとは」
 
「・・・ほんとは?」
 
運転手は課長のお墨付きがある信用できる人間だ。聞かれてもかまわない。どうせ事態は自分の手に余る。見知ったマークのピザ配達用バイクが後ろをぬけぬけとついてきている。
真剣なのか抜けているのかもともと常人のルールなどおかまいなしなのか・・・・
 
 
 
「会いにいくんじゃなくて、会いにきてくれるのを、待っていたいんだよ」
 
 
 
「・・・・ほぅ」
いまいちよく分からなかった。こういった5W1Hの欠けた六何原則から大いに足りない含みのありすぎるその言葉。たぶん、乙女や少女ならば分かるのだろう。この飛躍は。
いかんせん、もう自分にはそうしたふわふわした羽はない。ただ妹が重大な秘密を明かしてくれた、ようなことだけは分かる。もしかして、こうやって寝ているファーストチルドレンは、今、ものすごーく無茶苦茶恥ずかしいことを目の前で言われたのではなかろうか。
 
 
ただ、人体を分析する目、弱点を解析する総合武術者の目で見てみると、綾波レイ、彼女の身体は疲労の極地で、燃料切れといったところか。もしかして先の手裏剣がそのまま投げられていたら豆腐の幽霊のように、額をすこん、と貫いていたかもしれない。精神力でむりやり身体を動かしている、といったところだ。体温も三十度あるのだろうか、これは。死体を遠隔操作しているような。このまま魂が抜けて逝ってしまっても不思議ではない。
もし、そんなことになったらどえらいことになるわけだが。洞木一族にとって水爆以上。
 
 
 
厄介なことになったなあ・・・・・・・・・
 
 
闇や影に潜む敵を倒すのはよくやってきたが、こういう姉役としてはろくなことをしてきていなかった。課長代理洞木コダマとしてはすでに結論を出している。Uターンして綾波レイを本部に戻すべし、と。言い訳ならばどのようにでもつけられるし、身体の弱い者の立場を利用してヒカリを説得することもそう、難しくはない。先に無茶を言い出したのはそちらなのだから。眠って無力になっている今ならば。だが・・・・
 
 
こんな身体を押してまで夜分、人の家まで押しかけようというのは・・・・・・
よほど、なにか言いたいことがあるのではないか。
 
 
それは、おそらく自分たち、洞木ヒカリの家族に対して
 
 
これが気まぐれ子供のわがままなのか、それとも貴人の覚悟なのか。
 
 
相変わらず、主に付き従う割りには派手なナリのあの連中がミラーの中に・・・・・
 
おや
 
待てよ・・・・・・あの赤い瞳の四人が綾波レイの親戚だか・・・単なるカラーコンタクトじゃああるまい、いわゆる実験体とかあまり想像したくない極悪科学の関与したグループ繋がり・・・・・か、あれらが綾波レイを護衛しているのなら、護衛されている方の綾波レイが先の一幕を知っていてもおかしくない。自分の護衛者とやり合った者に対して。
どういう態度をとるべきか、決めかねていたのかも知れない。
 
 
まあ、当人の口から聞けばすむことだ・・・・・・・・・
 
 
なんとかなるだろう。こちらは諜報三課の課長代理で、いまさらオタオタすることもない。
歩いてきた道が消せるわけでもない。洞木コダマは腹を決めた。そのまま家に行くように運転手に目で合図。ピザバイクはほうっておくように。綾波レイはまだ起きない。
 
 
ヒカリのことも、また同じだ。
 
 
後部席にいる妹は、この夜の中でも浮いていない。こんな時間はもう家にいるはずの妹が。
誰に引きずりだされたわけでも騙されたわけでもなく、確かな意思を持ってそこにいる。
 
世界は夜動く。その動力の音をともに聞いている。歯車の回る音、その間に挟まれ潰されていく何かの悲鳴に似た。昼間は聞こえぬかぼそい影の声。
 
 
同じ、この空気を吸って確かに其処にいる。
 
 
こんな都市のなかで感じることはない土の匂いにも似た妖気のようなものを漂わせて。妹たちはただ陽気が似合うとだけ思っていたのに。
 
 
 
洞木コダマはまだ知らない。
 
 
自分の元にもう一度、今度は誰からのなんの説明もなく、ハードラックがもたらされたことを。試練館からやってきた運命流の武芸者がしあいを挑みにやってきた。洞木コダマという看板を引き剥がしに。この場合のしあいは、「死合い」と書くのが正しいか。
 
 
「なんでわたしが」、と、こう口にしてしまえば彼女の負けである。そういうルールだ。
ルールも知らされないうちに戦いは始まる。ゆえに、勝てるわけがないのである。
卑怯ラッキョウ芸の内。
 
 

 
 
「・・・・・・・・・」
 
 
人のうちの朝食の席にある自分に対して、なにかいうべきことはあるだろう、と思うが言葉はない。言葉は出てこない。なんとなく誰かのせいにしてしまいたかったが、これは100%己の責任。
 
 
洞木家の朝の食卓。
 
 
綾波レイはそこにいる。木目のはいった大きな卓袱台に洞木家の皆さんが勢揃いしている。
 
そこには一瞬、夢かと思うのだがペンギンが、それも葛城家で飼われていた温泉ペンギン、ペンペンもおり、自分は朝風呂に入れられて洞木ヒカリの洋服を貸してもらってそれを着せてもらって仏壇に線香たてて・・・・・このえらく朝の早い一家のペースについていけずまさになすがままされるがままにされて、ここに正座しているわけなのだが・・・・・
 
 
なぜこのようなことになったのか
 
 
白い炊きたてご飯に、みそ汁、あじのひらき、卵焼き、納豆のり、やまいも、たくわん、お豆腐、ほうれんそう、きんぴらごぼう、じゃがばたー、ウインナーのケチャップソースあえたやつ、よーぐるとしょうが、ごまばなな、トマトサラダ
 
 
ではなく、ここは席を同じくする人々の表情を確認するところだった・・・・
洞木家の朝食メニューを確認してもしょうがないではないか・・・・・・
 
 
「なにはともあれ、根の物を食べなされ。一人暮らしじゃと柔らかいものばかり喰うておるのじゃろう。ほれ、弟子。もうちょっと金平をよそってやらんかい」
と、なぜかペンペンを「弟子」呼ばわりしてきんぴらごぼう増量を命じる老人が、この家の主、洞木ゴヒャクベエ。庭の隅で鍼灸院をやっていると聞いた。というと、弟子というのは
 
 
「ういっ」
馴染みのペンペン。葛城三佐が連れて行ったはずもないからここに引き取られていたらしい。他に預ける相手がいなかったのだろうか・・・まあ、いなかったのだろう。犬猫と違って感情も読みにくいしかなりの知能の持ち主であるから飼う方もかえって面倒であるかもしれないが、そのような居座り方になっているとは・・・・・・彼、侮りがたし。
ちなみに、ここは動物病院でもあるから葛城三佐も少しは安心できたのかもしれない。
 
 
「あれあれ。おじいさん、ペンちゃん、女の子は朝からそんなに食べられないものですよ」
お茶を足しながらたしなめもするおばあさんが、洞木ケイ。洞木ヒカリの祖母になる。
サービスのつもりなのか、山盛りにしようとしているしペンペン。残すわけにもいかないだろうし危ないところだった。
 
 
「でもまー、もうちょっと体温あげた方がいいんじゃない?やっぱ肉でしょ肉。顔色白すぎるよこの娘。ペン吉、つーわけでウインナーを足してあげな。お年頃とはいえこの体型でダイエットもねーでしょ」
三女の母親、年の割には蓮っ葉な口調の洞木母こと洞木アサダ。この朝食の場に割烹着ではない白衣。現役バリバリの獣医で動物病院の院長で今日も朝早くから車にはねられた犬の手術をこなしてきた。食べた後ですぐにもう一件やるらしい。腕はとにかくいいが預かった患畜に勝手に呼び名を付ける悪いクセがあるという。
 
 
「あ、綾波さん、お肉はたしか・・・・・・」
早口で言いたい放題だが悪意はない、のはいいが、洞木ヒカリのこの手の気遣いのセンスというのはやはり祖母譲りなのかしらん。とにかく助かった。なんせ自分の立場は、本来ここにいるべきではない、闖入者だ。やってきました肉たべません、てなわけにもいくまい。ペンペンも目を丸くしていたし。
 
「あー、そーなのか。ベジタリアン?まあ、野菜喰わないよりゃいいよね。つーわけだ、ペン吉、さっきの指示は撤回するよ」
 
 
「お肉食べないから、そんなに色が白いのかな・・・・・・・・・・うーん・・・・どうしようか・・・・わ、わたしも・・・・・いやでも!・・・・あの胸を考えると・・・あぶはち取らず二兎を追う者は・・・・・あ、やっぱりダメ!食べる!」
浅黒いというか健康的に小麦色、というか、年中夏ならそれで普通だろうし、人のうらやむような色だろうか・・・疑問は残る・・・・洞木ヒカリの妹、三姉妹の末になるウインナーをぱくぱくする洞木ノゾミ。先ほど一緒に入浴・・・・というか、1人では心配だからと半分、見張り役世話役としてだったのかもしれない、なんせぼうっとしていたから・・・・・・人の体をいやにじろじろ見るからどういうことかと思っていたが。同調はしにくいが、理解は届いた。かろうじて。小学六年生だったか。
 
 
 
そして
 
 
「・・・・・・・・・」
洞木コダマ。みそ汁を静かにすすっている。目があった。加減というものを置き忘れることの多い順列は上から数えた方が早い武闘系綾波者であるツムリの槍に貫かれずにすんだ、という一事でただ者ではないことは証明された。何を考えているのか・・・・・・
 
 
 
しかし
 
 
それはこっちのセリフだと、洞木コダマの方でも考えていた。
 
 
昨夜、家についても綾波レイは起きない。たたき起こして「何か言うことがあるだろう」というわけにもいかず、もうこのまま預かってしまうことにして寝かしてしまった。高台にある武家屋敷を営業用に改築した広い家だ。寝かす場所には困らないが、護衛する方にしてみればたまったものではない。上の方ではファーストチルドレンを本部に連れて来いだの確認したいことがある至急の用事があるだので揉めているようであるし・・・・というか大揉めに揉めて副司令がとうとうブチ切れた、とかいう話もあった・・・・・・何が起きるかわかったものではない状況だ、戦力は多い方がいい、恩は売っておくもの、二課の信頼できて使える人員をまわしてもらった。いかんせん三課ではどうしようもない。よほど師匠兄妹を呼ぼうかと思ったが、塀の向こうに頼みもしないピザ屋のワゴンが駐まっているのを見てやめた。おかげさまで寝ていない。妹たちの前での病弱のふりは今日は完璧だと思う。
 
 
とりあえず、無事に朝を迎えることが出来た。家の朝はかなり早いが、それでも綾波レイが目覚めれば、何者も彼女を無視して事態を進めることはできない。エヴァ零号機という絶対の力を所有するこの少女には。ただ1人、使徒を撃退できる能力を持つこの赤い瞳は
 
 
実際のところ
 
 
まぶたを開いてその真紅をさらしても、いまひとつ、いやふたつくらいピリッとしなかった。寝ぼけている。自分がなんでここにいるのか、しばらく思い出すこともできなかったようで。洞木の家は朝風呂を焚くので入れてみれば少しはしゃっきりするかと思ったが、寝間着を脱ぐ様子を見て、危険を察知した。祖父の道楽でかなり広い風呂になっている我が家風呂では、綾波レイ、冗談抜きで石けんでも踏みつけてすべって頭でも打つかもしれない。早朝ランニングから帰ってきたノゾミを付かせて正解だと思う。いや、ほんとに子供扱いだとは思うが、しょうがない。ヒカリも苦笑して同意していたし。
 
 
爆弾である。扱いには細心の注意が必要だった。
 
この場で何を言い出すのか、予想も見当もつかない。
 
ここで爆発するかも知れない。仏心など出さずに夜のうちに必要事項を聞き出して早々に本部でも自宅でも送り帰してしまえばよかったのだ。自分は単なる戦闘屋なのだろうか。
家族には聞こえない、耳に埋め込まれた無線からは本部の状況が「一触即発」であり「しばらく妹もファーストチルドレンも本部に寄らせるな」という指令が伝わる。
やれやれ、戦闘屋に託されるには難しすぎる仕事だ。
 
 
朝食が終われば祖父は仕事、祖母は家事、母は仕事、自分たちは学校に行く、ということになる。家族の前で何か言うのにこれほど都合のいい時間帯はない。まとめて告知できるのだから。だが、普段通りの雑談は出るのだが・・・
 
「うちの看板?ああ、洞木って出てないから?ヒカリ、あんたねちゃんと宣伝しておきなさいよ。こう見えてもね、綾波ちゃんはね一度病院に支払いにきてくれたことがあんのよ・・・ん?でも市立の動物病院が不思議?あのねー、第二次天災の混乱期、復興期に一番働いたのって牛だの馬だの犬だのよ。電子器機も燃焼機関も役にたたねえ時分、そりゃまあ活躍してくれたんだから。もともとセカンドインパクト自体、あたしゃ知能をもったゴキブリかネズミあたりが調子こきすぎた人間の天下を覆したかと思ったくらいだしねえ。いやまあ衛生面じゃそりゃひどかったもんだ。そんな概念自体意味なかった野生の時代だったねえ。そんな中で犬なんかは愛想づかしもせずにあたしらの護衛やってくれたけどさ、人間でも強い大人の下知には従って働くけどその裏で寝床の赤ん坊が大ネズミに囓られても割合にしらん顔、無視だからなー、猫は仕事の役にはほんとに立たなかったけど、妙なことに赤ん坊だけは守ってネズミ喰ってくれたのよね、つーわけだからあのネコ型ロボットのマンガは未来を予知してたといえるかもしんない」
 
「おかあさん、朝からその話はやめて」
ヒカリはそれに普段通りに応じており、
 
「こやつはなかなかペンギンだがスジがいい。灸のやれるペンギンなど世界でもこやつだけじゃろうな、わっはっは」
「はあ」綾波レイはひとつひとつ味を確かめるようにして朝食を片付けるがそれなりに受け答えはする
 
・・・・まさか「エヴァに乗って使徒を倒す気分はどうか?」などと尋ねるバカは幸いなことに洞木家にはいない。ノゾミにもそれなりの躾がいきわたっている。
 
 
綾波レイは何を言うのか あるいは
 
 
ヒカリが昨夜のことについて何か言うか
 
 
それを待っていたのだが、洞木家の食卓は朝も早く皆が集まるが、優雅というほどの時間はかけない。変わったことと言えば綾波レイが祖父母の秘蔵の健康薬を渡されたことくらいか。普段通りの朝食だった。エヴァ零号機パイロット、ファーストチルドレン、綾波レイが加わった食事の席とは思えないほどに”ふつう”に終わってしまった。
 
 
自分のことで異形を包むのに慣れてしまっているのか。
 
祖父母と母は諜報三課のことを、自分の仕事を知っている。父親の、仏壇の一葉になってしまっている洞木ポポヤの発案であるから当然のことだが。妹たちは知らぬままに隣に座っている。何かと気を利かせて家事もやらしてくれない。「おねーちゃん、お水」ノゾミが水のはいったコップをわたしてくれる。これで薬を飲むのが朝食後の日課。ただの漢方薬などでは当然ない。対抗薬、というどちらかといえば毒に近い代物だ。
 
 
 
「えーと、綾波さん。これから、うちのヒカリがあんたについていくらしいですな」
 
 
ごちそうさま、が出揃って皆すんでしまい、さあ片付けに移行しようかという体勢にヒカリやノゾミがなりかけたところで、祖父があっさりそんなことを言った。表の意味ならば、つまりノゾミがそれを聞いて思っただろう「学校についていく」のようにとれ、朝食が終わったこのタイミングに実に合致しておりなんの違和感もない。ヒカリの動きは止まったが、ノゾミの動きは止まらない。茶碗と皿を重ねていく。母は煙草とライターを探すふりして成り行きを見ている・・・。
 
 
「は、はい」
珍しい。少し驚いたようにファーストチルドレンが反応する。こっちも驚いた。
 
お代わりが欲しいわけでもなさそうだが、あまりにじっと茶碗の底を見ているものだから。
どう切り出したものか、考えていたのだろう。確かに話があって、彼女はここにきたのだろうから。まさか「お嬢さんをください」などというセリフは考えてないだろうが。
 
 
 
「お、おたくのお嬢さんをくださいっ・・したたとは・・あっ
 
 
視線を家族の方にあげるなり、いきなりそんなことを言い出す綾波レイ。考えていた。しかも途中噛んでいるし。それもかなり強く。洞木コダマの優れた動体視力は確かに見た。彼女の目が一瞬、「×(バッテン)」になったのを。
 
 
 
しーん・・・・・・・・・・・和やかな場が静まりかえった。
 
 
 
「あ」
自分の発言の影響と雰囲気を粉砕消滅してしまった破壊力に恥じ入ったのか硬直する綾波レイ。おそらく、彼女は非常に真面目で恐ろしく真剣な話をしようとしたのだろう。だが。
 
 
わははははははははははは
 
 
家族の爆笑の前に口を閉ざすしかなかった。使徒殲滅業界の裏事情を知る者にとっては残酷な光景であった。もし綾波レイが使徒から世界を救った聖者として歴史に名を残すとしたら今朝のことはなんと記録されるのだろうか。聖者綾波の切り出し方にも問題はあった、とはその場合指摘はされまいし。ただ、そのまま、すべったままにしておけないようなところ、この歳にして様式を獲得してしまっているところが彼女にあるのは彼女をよく知る者には共通の理解であるところだろう。平然とそのお約束を破る外道の小僧も一人いるが。
 
 
「まあ、しあわせにしてくれるつもりじゃから考えておこうか、わはは」
祖父は笑った。「したたと」噛んでしまった箇所をそのようにとらえたらしい。
だが、あれはおそらく・・・・・・綾波レイの方を見るが捕捉はない。再挑戦はないらしい。勇気がないことはないのだろうが、こういう局面になれていないのか。かといって時分が助け船をだすわけにもいかない。
 
 
これで終わってしまった。
 
 
どっこいしょ、と祖父は席を立って行ってしまう。弟子ペンギンもそれに続き、祖母とノゾミは台所へ。白衣のポケットに煙草とライターを落とし込んだ母も。急ぐ様子はどこにもなく、当然のように移動。
異形の客を迎えても、普通に終わる洞木の朝。これでいいのか?思いながら水と薬を飲む。
対抗薬を嚥下しながら
 
 
綾波レイと、ヒカリを見る。
 
 
おいてけぼりにされたように綾波レイの方に戸惑いがあり、立ち上がるヒカリにはそれがない。言わねばならぬことを腹にためてしまった者とすでに口元にのぼらせている者の差か。
 
 
「行こう、綾波さん」
 
なんと普通の言葉だろう。
 
「ええ・・・・・・」
 
それでも重たい言葉を呑み込んで動けない彼女をゆるゆるとだが、立ち上がらせた。
 
そしてヒカリはこちらを見て、こう言った。つくってはいるが、笑顔だった。
 
「綾波さんと、一緒にいくから」
 
どうということのない、挨拶ともいえぬひとこと。けれど昨夜を知っているから、えらく別れの言葉に近い。なんのために同じ言葉を重ねたのか。その胸中は。これから、どうなるのか。妹をどうするつもりなのか。
胸首ひっつかんでこの赤い瞳に問いただしてやりたかった。
 
 
だが、そんなこと誰にもわかるはずがない。
この身とて今日の終わりには強者と手合いその力に貫かれて果てるかも知れない。
結局、叫べぬ自分は卑怯者なのかもしれない。「コダマ、お前は強い。だがな、そのまま伸びるなら・・・・」師匠兄妹のあざ笑う顔が浮かぶ。くそ、人格は破綻してるくせになんでこんなことまで分かっていたのか。
 
 
「ああ、そう・・・・・・いってらっしゃい」
 
友達と学校に行く妹を送る病弱な姉の声で。こちらは高校なんぞ当然行けたものではない。
 
本部は妹ショックでまだ波乱っているようであるし・・・・前体制であったころは考えられないグダグダさだ・・・諸処の力関係がまだ安定しきっていないせいか。気を抜くわけにもいかない。昨夜の警戒モードから引き続きの長時間連続運転は戦闘屋にはつらいものがあるが、なぜか・・・・・・・心の底からわき出す高揚感がありそれを打ち消していた。
 
 
ファーストチルドレン、綾波レイと・・・・・・
 
 
妹を守ればいい。そのために、全力を尽くしていい、心が体に命じている。身体の方も大いにそれを納得して大了承している。苦いなどというものではない毒にも近い対抗薬の後味が今朝は甘く感じる・・・。
 
 
しかし、綾波だけに
 
 
第二波がある、とまでは己の行く道先に光を感じながら読めなかった洞木コダマであった。
 
 

 
 
 
「うまく説明できなかった・・・・・・・ごめんなさい」
 
 
すでにあれは説明とかいうレベルではなかったが、綾波レイは洞木ヒカリに謝った。
 
登校途中のことである。碇シンジと惣流アスカもいなくなり、なんとはなしに地球防衛のあのメンバーでそろっていくことも少なくなっていた。第二支部移動(時間が過ぎればあれほどのこともそんな簡単にいわれる)組織再編以来、多くなった転入生のためにいろいろ委員長として面倒を見るために早く登校する洞木ヒカリであるが、今朝の早さは別にある。
 
「綾波さんが謝る事なんてなにもないわ。それより・・・・・・・鈴原のこと、だけど」
 
 
教室の隅で本を読んでいて、よほどのこと、自分でなければ他に誰もどうしようもないことであれば、神秘的な封印を解かれて動きだす・・・・・そんなイメージだった赤い瞳の少女がこうやって、顔表面は変わらないものの、明らかにパイロットの仕事ではなさそうな人事のことまで動くというのは・・・・・・・・・動かざるを得ないということなのだろうか・・・・・変わったのは誰で変わらないのは何なのか。自分たちにエヴァのパイロットのお鉢がまわってくるあたり、異常事態であることは確かだけれど。碇君もアスカもいなくなった渚君も帰ってこなかったネルフで、尋常ではない大人の世界で何が起こっているのか。
 
 
怖くない、わけがない。消息すら分からない友達。この広い世界の中で特別な能力があるわけでもないのに、自分を選んできた地の底にある巨人。怖い。普通じゃない。だけれど。
 
 
なにもしなければ、なるようにしかならない。
奇跡を起こせる、なんていわないけれど。道が示されたのなら、いけるところまで。
いってみよう。
 
 
それらと逃げずに、きちんとまともに対峙する責任感を凝縮した宝石のような彼女に導いてもらって。
 
 
けれど、その道は誰も通ったことのない未舗装の原野の道。1人ではいけそうもない。
相棒が必要だと。入れ替わり立ち替わりでないと進めないと。ああ、自分たちの器だと。
エヴァをどうこうする事柄で、自分たちにアスカや渚君、碇君綾波さんと同じくらいのもの、才能が備わっている、とはとても思えない。訓練とかもあるのだろうし。この半分半分というのは考えてみればまっとうな話だ。基本的に自分たちを呼ぶのは無茶な話だけれど、騙されてはいないのだろう。どうしようもない真実。エヴァ・・・・参号・・・ああ、参号機っていうんだった・・・・それに振り回されるというのも、まあ、しょうがない。
それでも、あの実験でみた夢・・・・・・
 
 
 
「おお、おはよーさん!いいんちょ、綾波、調子はようなったんか」
 
 
後ろから大きな声で挨拶されて振り向くと都合のいいことに珍しく朝の早い鈴原トウジと都合の悪いことに二年A組の転入生、黒褐色の肌で目が大きい絶叫異人ことミカエル山田と大人びた車椅子の犬飼イヌガミたちがいっしょにいた。
 
「やあ」
「おはYO!!おふたりさん、昨日はいきなり絶叫しちまってすまなかったなー、場を和まそうと思ったんだが思いっきりシェイクしちまった。おわびに今朝仕入れたばかりの新鮮なメキシカンジョークでも・・・・」
「黙れこのタコス」
「・・・・・う、先にツッこまれてもうた・・・・なんやこの速度・・・ゴッドや」
 
 
鈴原トウジ1人ならば今朝の失態を取り返すべく疾風のごとく用件を切り込んでいただろう綾波レイだが、自分たち、いや自分が学校に行かなかった間にやってきてクラスの生徒たちと新たに友誼を結んでいた彼らを見ると、二の足を踏んだ。感情はないはずなのになぜか。まあ、まだ調査の済んでいない得体の知れぬ相手に聞いてもらえる話でもない。
ゆえに、寂寥感など感じる必要など、ないのだ。状況の治癒は喜ぶべきこと、変化の早さを恨むこともない。
 
 
「ところで鈴原、手伝ってもらいたいことがあるんだけど、いい?」
その点、学校内ではほぼ無敵である委員長洞木ヒカリの段取りは素早い。
 
 
「なんやいいんちょ。かまわんけど、何するんや」
詳しい用事を聞く前にオーケーを出してしまう黒ジャージをニヤニヤ見るミカエル山田と綾波レイをも含めた三角を見る犬飼イヌガミ。
 
「資料室にね。ちょっと運びもの」
媚びているわけでもないが、男はまず逆らえない清潔感のある笑顔。そこでどういう「用件」が話されるか知っている綾波レイにしてみれば嫉妬ものの演技力である。
 
「そないなこと女の子に頼むかいあの根府川・・・・・・やからしょうがないんか。運ぶ途中で腰抜かされてもなー。わかった、行こか。ミカエル、イヌガミはん、そないなわけで先にいっといてくれや」
 
「そうだな・・・頼むミカエル」
「ああ、じゃあなー。遅刻するなよー五回で極楽トンボ章だぜ。赤目ちゃんは授与確実だけどなー、それじゃいきましょうかね我が愛しのマドモワゼル・わんこ」
「噛み殺すぞきさま・・・」
この二人もどういう関係なのか・・・・・・いっそ読心してみようかと興味がわいたが、「綾波さん、いきましょう」洞木ヒカリの声に取りやめた。やるべきはそんなことではない。
 
 
 
鈴原トウジの参号機パイロット任務へのスカウト
 
 
朝っぱらからいきなりやられる彼もかなわないだろうが、時間がない。洞木ヒカリが了承して参号機への認証まで済ませてしまった以上、足並みを揃えなければならないという特殊条件を満たすため、なるたけ早く彼の説得、了承をとりつけなければならない。
ここで断ってくるような人ではないとは思うが・・・・・・もしかしたら、昨夜のうちにまた赤木博士が早々に手を回していたりするかもしれないが・・・可能性も高いが。
実は昨夜のうちに洞木家の家族への話を終えて、そのまま鈴原トウジを呼び出そうとも思っていた。まさか寝こけてしまうとは・・・・・・体力のなさがつくづく恨めしい。これだけは綾波能力でもどうしようもない。
 
 
 
 
そして、資料室に連れ込んでの、あまり時間をかけるつもりもない、鈴原トウジへの説得の合否は・・・・・・
 
 
 
「分かった」
 
 
の男らしい一言。ここで関西キャラらしく「なんやて?」とか「なんやて!」とか「ほんまか?」とか「ホンマか!」とか「そないなこと信じられへんー!!」等いらん合いの手を入れて時間を稼ぐようなことはしなかった。それは関西薄味、あっさりと。しかし、下拵えはしっかとしてある。
 
 
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
無言で視線を合わせる洞木ヒカリと綾波レイ。気持ち的にはお互い親指を見せ合っている。
ただ二人ともそのような風習に縁がないので。うまく仲間に引き込めて、嬉しくない、といえば嘘になる。まあ、ここでグネグネ言い訳こねて断るようなら骨の髄まで軽蔑するところだが。中間地点などない。中庸などないのだ。
 
 
と、こうして了承をとってしまえば予定を走らせる必要がある。
 
 
よっしゃ、よっしゃ!兄ちゃん、ええ度胸しとるのう、その男気に乾杯や惚れそうや、ほうびにエエところ連れていったるわワレ的な速度で鈴原トウジの左腕をとる洞木ヒカリに右腕をとる綾波レイ。「うお!!な、なんやそれは!これからダブルフラワーな関節技かい!!・・・・って待て、ちょい待ってくれ!話はまだすんどらん!!落ち着け、おーちーつーけー」
 
 
制圧したはずの陣地がまだ吼えているのを不思議そうに見る少女ふたり。
 
 
「はにゃ〜?話は理解したけど、受けたわけやない、なんてナニワなことを言わないわよね鈴原」
解放はせずにそのまま洞木ヒカリ。表情はハニワかつ般若。
 
「・・・・・・」
難しい顔の綾波レイ。難しい波と書いてナニワであるから、夢のまた夢。啼かぬなら啼かせてみせよう不如帰。
 
 
「・・・・・ジャミラのカッコで路面電車乗り回したワイや、いまさら信じる信じないの話はせえへん。シンジの奴とちごうて、綾波がそういうんなら、そのまんま、素で天然で誤魔化しもなくそうなんやろう。そういう縁なんやろ・・・・それはええ、乗れっちゅうんなら乗ったる。せいぜい足手まといにならんように気張りもするがの・・・・・・」
 
 
強い目で綾波レイを見る鈴原トウジ。「条件があるんや・・・・・・綾波、これが呑めんのなら、ワイは乗らん。ええか?」
 
 
「鈴原・・・・」条件を出してくるなど・・・・・・予想していなかった。左腕をとらえる力がぬけ、するりと黒ジャージの腕が落ちる。「そんなこと・・・・・・綾波さんだって苦労して大変なのに・・・・・」
「だまっとき、いいんちょ。大事な話や」あえて顔も向けずに視線を赤い瞳を射抜くように。
 
 
「ええ、いいわ」
私にできる範囲であれば、とか、絶対に約束する、とか、余計なことは一切言わずに、綾波レイは了承した。どんな条件を出してこようと呑もうと決めた。無条件で、感情のままに引き受けたであろう洞木ヒカリよりも信用できるといえばできるし、そうすることで踏ん切りをつけて自ら逃げ場を断っているのかもしれない。彼を、碇司令に会わせてみたい、と、ふと、そんなことを考えた。叶えられるのなら。
 
「・・・・・どんなことでも」
 
 
「なら言わせてもらおか。さすがに綾波、いい度胸や・・・・・・言うた以上はなにがなんでもやってもらうで。ええな!」
鈴原トウジのこの気性が念押しなど珍しい。よほどその条件は難易度が高いのか、だとしてもかまうものか。さっさと言え、というつもりでにらみ返す綾波レイ。
洞木ヒカリは口をはさまない。成り行きを見守るだけ。リードするように見せてもどうしても大事なところでは一歩ひいてしまうのかもしれない。分かった、と男らしい一言を聞けた嬉しさから一転、暗澹としているだけかもしれぬが。これで「契約金一千億払え」とかいい出された日にはどうしたもんか・・・・・・
 
 
だが、少女二人は土壇場に立たされた、男、というものをなめていた。
その切れ味というものを。女の用いる便利万能包丁鶏刀、そんなものに慣れきってしまい日常生活には必要ないが、暴れ牛だって割いてしまう牛刀の威力こそみよ!!
 
 
 
「”期限”を切ってくれ・・・・・・これがワイの条件や。ええか、綾波」
 
 
 
頭から、すっぱりやられた。
 
 
「「え?」」綾波レイと洞木ヒカリがハモる。疑念の声ワンスモアプリーズ関西弁。
 
 
「ワシの方はええ、無期限でやれるところまでやったる。そっちに戦力外通告だの解雇通知だのお払い箱にされるまではな。エヴァに乗って、闘ったる。ただな、ヒカ・・いいんちょの方は勘弁したってくれ。そういう見通しのたってないんは。女は・・・周期というかサイクルの生き物やからあんまり・・・・いや、これはウチの爺さんがいうとることなんやけどな・・・・・って綾波も女やないか!!スマン!!いや、そういう意味やないんやけどな、先のことなんぞ誰にもわからんことやし、と、とにかくや!!
 
 
いいんちょがエヴァに乗るのは期限をつけて・・・・・・今日からそうやな・・・・
三ヶ月、90日でどうやっ!!」
 
 
いっきにまくし立てた。反論などゆるさんぞ、という気迫がこもる男のソロバン。
 
 
「その間に、ワイは修行して1人で席を埋めれるようになる!!半人前やなくて一人前にな!もしか、その間に誰か、まー、世界中探せばおるんとちゃうか!?代わりの男が!」
 
 
少年らしい前しか向いていない無謀な勇気と七つの敵を相手にする男の知恵との狭間で、なんとか鈴原トウジの出してきた答えがこれ。洞木ヒカリの言ったとおり、確かにバカではなかった。鈴原トウジはこちらの話を正確に理解していた。