トラ
 
トラ
 
トラ
 
 
トラブルではなく、正調、トラだった。トラとは虎のことであり、虎とはタイガーのことであり、黒と黄色の紋様をその体に燃え立たせるものであり、この心意気こそ男はつらいよ、寅さんだった。
 
 
シュタインフランケージでのエヴァ参号機、鈴原トウジとの初顔合わせ認証テストである。
 
 
綾波レイに連れられ、洞木ヒカリと一緒にネルフ本部の地下の地下、職員すらも近づかぬ闇の底、再生復活を果たしたエヴァ参号機はケージでの作業の手間もあるのでもはやステルス装甲は起動させずに黒色の装甲のまま、もう1人のパイロット候補を待っていた。
 
 
参号機の復活はもう本部全てに知れ渡る話であり、訓練されたチルドレンではない、一般人から選ばれた、ただの子供がパイロットになる・・・・・・それもすでに赤木博士の手で認証すら済ませてしまって誰も手が出せないほどにその席が決定してしまったことも。本部の人間なら皆、知っている。大仰に外部に漏らすことはないが、戦力が足りぬ今、使徒の再来襲に怯える人間を安心させるこれほどのニュースはない。実際に使徒戦に使えるかどうか、玄人ならばここで喜べるかどうか判断はつくが、それでも。
 
 
そこに至るまでに洞木ヒカリと鈴原トウジはあちこちからからの痛いほどの視線を感じた。本来ならばこれから行う参号機との初顔合わせで周囲の状況など目にも心にも入るわけがない二人の心理防壁を越えてまで届く、それは期待。それは声にはならぬ想い。立ち止まって答えるなどできるはずもないが、それらを確かに背中に受けて鈴原トウジはやってきた。特務機関ネルフ総本部の底の底、闇の闇に、その巨人は立っていた。
 
 
手順は洞木ヒカリの時と同じ。疑似プラグに入って参号機に認めてもらうだけのこと。
 
半人前ふたりで、二人合わせて一人前。これは納得の勘定ではあった。
 
だが、どうして自分なのか、自分たちなのか。正直なところ、分からない。
 
機械に関する複雑な理屈などは理解出来ないが、いくつか自分の頭でカンを働かせるなら、・・・・・・使徒と闘うには要するに、エーティーフィールドちゅうもんが必要で・・・エヴァが戦車や戦闘機ではなく人型なのはそれを使うためであること・・・・それはいかにも超能力であるが、どうもそうではないらしい。そんなもんは自分にはない!と断言できる。そのうえ、そんなあやふやというか怪しいもんに大金をかけたであろう機械を使うわけがない。いや、原理の追求などは自分にはどうでもいい。自分が、自分たちが選ばれそうな理由を考えるだけ。そうなると、考えられるのは一つしかない。ようけ人がおる第三新東京市で、いやさ世界の枠組みでも、大勢の中から名指しされたのは、原因は、
 
 
碇シンジ
 
渚カヲル
 
 
この二人に近づいたからではないかと。風邪うつされたように・・・・いや、いくらなんでもそらあんまりやな・・・・そうや、磁石についた釘がしまいには磁力を帯びるようにや・・・・我ながらなかなか上手い説明やな・・・・特異体質というよりは人体が帯びるそんな磁力めいたもの(よう考えたらワイらはあいつらに引かれておったわけやからなー)が件のエーティーフィールドではないかと。そう思う。ワイらはうつってしもうた。
ここで小学生なら「エヴァ病」とか「AT菌えんがちょ」とか言いだしそうやな・・・・・・・知性あるジュニアハイスクールスチューデントで良かったでえ。とにかく、そんな理由でもなかったらどう考えてもこんなパイロットに選ばれたりするかい。それなら、しゃあないな、と納得もする。それ以外ではどう考えても他に似合いの役者がおろうがい、と思う。
 
惣流はまた違うような気もするが、いいんちょがなっとるちゅうことはやはり、そっちもあるんやろうか・・・・・・
 
 
ともあれ、呼ばれてここにきた。選んでここに立っている。これからやるべきことも、分かっている。学校はさぼってきたが、気は晴れている。家族のことも考えたりするが、己より先にここにやって来てこの巨人と顔合わせを済ませた、こちらを心配げに見ている洞木ヒカリのことを、思うと、悩みは消える。迷っている場合ではなかった。綾波の先導を差し引いても、おなごにこの度胸を見せられて男が弱みなど見せられるかい。我ながら単純ではあるが・・・・・・いいんちょは学校におる方が似合おうとるからな・・・・そっちの方がワシはええ・・・・・・ま、まあ、・・・・・・ぷ、プラグスーツとかいうのも決して悪くはない、悪くはないが・・・・・・・・
 
 
そのような実に男として正直な心を赤裸々に感じ取っているはずの参号機は、応えた。
黒色から生命黄金の色を沸きだたせグングンとその肉体に盛り上がらせて描くは虎の紋様。トラでありタイガーだった。ちなみに、二の腕部分はきっちりと定規で測ったように縦縞になっていた。他の虎配色部分は呼吸するように波揺れ脈動しているが、そこだけは変わりなくタテジマだった。もとよりステルス装甲のこと、色合いにさほどの意味などないが、黒色を「わざわざ」そのように変配色させたのは、参号機が彼を認めたことに他ならない。一般の、ただの子供がパイロット候補、に眉唾だった連中もこれには文句のつけようもなく。洞木ヒカリの黄身日輪色(小学生色だと悪し様に言う者もいたが)に比べても遙かに分かりやすかった。専用色などまるでエースパイロットのような扱いだが、別にこれは塗っているわけではない。参号機自身がそうしたのだ。
 
 
こんな色になるとは誰も、予想もしていなかったが・・・・・・「こういうのも、アリなのね・・・」まあ、こちらは黒でそのままだろうと考えていた赤木博士も驚き顔。
 
 
「・・・・・・こ、これでいいんだよね?綾波さん、鈴原は、これで」
「・・・・・ええ、たぶん」
 
 
あれだけの大見得を切って、これで参号機が彼を認めなかったらどうしたものかと・・・・・ちょっとそれは慰めようがないなー・・・・と頭の半分と心の片隅で考えなかったわけではない・・・・ので、ほっと一安心。ここでけつまずかれても綾波レイとしても困る。なんせ時間もない。これから、エヴァのパイロットとしてビシビシしごく予定ではあるが、おおとりゲンを鍛えるモロボシ・ダンのように。なにはともあれ、第一関門突破だ。
そして、カウントもスタートする。綾波レイは確かに鈴原トウジとの約束を守る。
 
洞木ヒカリのパイロット期限は九十日。あと八十九日。
 
自分もその形を望んでもいた。鈴原トウジの男の知恵は知らず綾波レイも救っていた。
 
 
 
「大したものね、鈴原君は」
己とシンクロする子供をきちんと二人揃えてきたことを参号機が理解したためか、今回は片方の座席が煙を吹くこともなく、認証作業の無事終了を告げて赤木博士が二人の少女、パイロットとパイロット見習いに声をかける。これでパイロット見習いがもう一人増えて頭数は一挙に三倍となった。戦力としてはともかく。
 
 
「あっ!、あの鈴原は!、鈴原君は・・・・・良かったんでしょうか」
金髪白衣の女性科学者は鈴原トウジを誉めているわけではない。感心しているわけでもない。予想外の結果に予め用意していた評価欄を拡大した程度にしかすぎないことを綾波レイは知っている。だが、洞木ヒカリとしては自分たちを指名した張本人にこう聞かずにはいられなかったのだろう。あまり科学的な問いかけではなかった。
 
 
「そ、そうね・・・・・・・・」科学的ではないから科学者には答えにくい。教師ではないからそう見果てぬ未来に夢を託して簡単に、良かった、ともいいにくい。困る赤木リツコ博士。これが葛城ミサトならばもうベタ褒めで地底から天に昇るような大嘘でもついて調子づかせることだろう。物事が動く時には大きなエネルギーが必要になる人情物理学。当然、感情を喪失してもしていなくても、その点を察して、さらりとフォローをいれられる爽やかな綾波レイでもない。二人とも、誉め言葉がさらっと出てくるタイプではない。
 
 
「あ。中の、実験中の鈴原の様子はどうだったんでしょうか」
その点、そういうタイプである委員長洞木ヒカリはどうも不器用であるらしい二人に難しいことを聞いてしまったことを即座に悟り、具体的な質問に切り替えた。口にはしないがふたりとも真面目に対応しようとするのは理解できるので不快感はない。頭が固いのかもしれんが。
 
 
「え、ええ、とりわけ異常はないわ。精神おせ・・・いえ、頭が痛くなっている様子はなかったわね。緊張はしているけれど、体調も安定しているし・・・・落ち着かないというほどではないけど、プラグ内の様子を観察しているような感じだったわね。彼は、乗り物とか機械の類は好きなの?」
ただデータだけは山ほど頭に入っており、それを必要なときに瞬時に出してこれる冴えはある。鈴原トウジと洞木ヒカリの取得可能なデータは全て頭にある赤木博士である。
精神汚染、と言い出しかけてあやういところでブレーキもかけられる気遣いもある。
 
「体を動かすことの方が好きだと思います。でも・・そうですか・・・・・・鈴原は、夢、見なかったのかな・・・・・」
小声でつけ加えられた一言に、「それ・・・」綾波レイが反応しようとしたところで
 
 
「うわー、なんやこの色!いつの間に塗り変わったんや?」
鈴原トウジが戻って来た。参号機の色を見て驚いているが、声にも喜色がある。
 
「これが軍事迷彩とかいうヤツかいのう・・・・・・にしても、あまりにも・・・」
しかし、顔には、まんざらでもない、とかいてある。「二の腕!芸細かい!」そこもしっかり。
 
 
「鈴原・・・・・・」
「鈴原君・・・・・」
とりあえず生きて戻ってきたパイロット見習い2号に声をかける洞木ヒカリと綾波レイ。
鈴原トウジのプラグスーツ姿は決まっている。色は黒をベースにしているせいか大人びて見える。いかにも戦装束、万能科学の鎧というか、使徒と戦う若武者としての感がある。公平に見て、碇シンジや渚カヲルよりも似合っている。しっくりきているというか。今日初めて着たわりに、着慣れている彼らより上の点をつけてしまうのもあれなのだが。綾波レイはそう思う。
 
「赤木博士はどうですか?」と思わず聞いてしまいそうになった。
学校の制服から着替える際の「オ着替エ オ手伝イシマス 怖クナイデス」カリビアたちに剥かれた時にあげた悲鳴は忘れるとして。
 
 
「鈴原君、体調はどうかしら?どこか、頭痛がするとかいったことは?」
赤木博士の問いに「いえ、どこもなんともありまへん。今日はもう学校はさぼると決めたんでもうやれることは全部やったってください!体力には自信があります!・・・あまり時間があらへんので」凜、と答える鈴原トウジ。
 
 
もちろんそのつもりであった赤木博士も綾波レイも否やはない。いちいち誉めたり感心したりなどしない。時間がないというのは自覚がある、ということだ。自らの判断で必要な時間を掴み出す。ただその意気や良し、と。同時にうなづいた。この二人に同時に頷かれて鈴原トウジは都でいちばんの幸せ者かそれとも第三新東京市いち不幸な男子中学生か。
 
 
「それならば・・・」と、始まるのが洞木ヒカリと同時に疑似プラグに搭乗しての周期測定。不定周期なのは分かっているが、運用上、周期の動き、移り変わる具合、タイミングを細かく知っておく必要がある。チルドレンのエヴァ搭乗のデータはこれまでの使徒戦で蓄積してきたが、今回のこれはかつてないパターンでありイの一番にデータが欲しかった。
これから先、制御可能であるかどうか・・・・完全ランダムであるのとパイロットを乗せて慣らしていけばそれも可能であるのとでは、リスク計算、作戦運用上、大きな違いになる。葛城ミサトがいたとしたら、やはり一番最初にこの測定をやらせただろう。
シンクロ率の計測よりもまず先に。
 
 
この測定で分かったことだが、鈴原トウジ対応の参号機の虎カラーは伊達ではなかった。
 
それが見事なまでに操縦可能な時間を表しているのだった。完全な虎カラーがだんだんと虎紋様が薄れたり短くなったりして消えていく・・・さながら「・・・カラータイマー?」
のように・・・・そして、洞木ヒカリ対応の参号機になると完全に虎紋様は消えて機体の色は黄身日輪色になる。それからしばらく時間が経つと、また全身から虎紋様が浮き出してくる・・・・といった案配だった。二人の操縦可能な持ち時間はやはりランダムで切り替え時間のパターンは読めないのだが、現時点で分かったのは、持ち時間自体は、洞木ヒカリの方が鈴原トウジよりも三倍ほど長い、ということだった。
これはもう最後まで付き合えば一日では利かないので、疑似プラグに個人データをすり込んでしまいあとは参号機に子供二人がそこにいる、と思わせてあとは抜け出して健康診断やら他のテストをこなす。綾波レイもそれに付き合ったが、赤木博士は「用があるから」と途中で消えてしまった。おそらくは、二人の家族に正式な挨拶に行ったのだろう。
 
 
「人間ドックってこういうもんかいのう・・・・・・」
「アスカや碇君もこういうことしてたの・・・・・・」
特務機関の本部施設などに慣れていない中学生にしてみればさぞ気疲れすることだろう。
その点、綾波レイはまったく構わない。水を得た魚ではないが、すいすいいってしまう。
体が覚えているので自覚がないのだ。説明役にはより身近な視点、ということで碇シンジがよかったのだろうが、いないものはしょうがない。自分があまり腹が減らないものだから、昼食のことも忘れて二人を連れ回す。段取り自体は完全に頭に入っているものだからさらに始末に負えない。洞木家の朝食にいたうっかりさんはどこにもいない。特務機関の内部において一目二目どころか意見できる者すらちょっといない、恐るべき特別の子供・・・・・ファースト・チルドレン、綾波レイがそこにいた。
 
 
 
「わたしの零号機を見ておいてほしい・・・・・あなたたちの僚機・・・いえ、指揮機になる機体を」
 
 
真剣以上の刃剥き出し、といった鋭い雰囲気の綾波レイに異議を唱えたり、逆らえるわけもない。たった1人でネルフの看板を支える貫禄は鬼軍曹も裸足で逃げ出すほどの怖さ。
昼飯くらい食わせてくれ、綾波はん、などととても言えたもんではない。
 
 
最初はこんなものかと思ってあとについていた鈴原トウジと洞木ヒカリだが、どうも様子がおかしいことに気づき始める。
 
 
ここが、あの碇シンジや惣流アスカ、渚カヲルがいたところだろうか、と。
 
 
綾波レイに先導されてエヴァ零号機のケージへと。
 
 
微かだが、無機質な通路には風を渡る腐臭があり、壁に拳大に陥没した跡があったり天井照明が壊れたまま放置されていたり、ビールの空き缶や割れた酒瓶が転がっていたり火のついた煙草血汚れた包帯が捨てられていたり、百足が角隅を這いやケロイドのネズミが走り去っていったり蠅が換気口の周辺をヴンヴン飛び回っていたり・・・・どうにも雰囲気が淀んでいる。感情のない綾波レイは道を選んでいない。目的地への最短コースを選んでいる。その足音を聞いて慌てて逃げる影もある。「なに、この臭い・・・」「ほんまやな・・・薬品とかを使っとるんかな・・」そして、だんだんと奇妙な臭いが強く鼻を突くようになってくる。
 
 
 
「・・・・・・!!!」
「・・・・・・・!!!!」
行く先の向こうから怒声や怒号が聞こえてくる。綾波レイの耳には意味がとれた。状況も理解できた。しかし逃げもしない。歩調はそのままそちらへ向かう。「少し、待っていて」二人をその場に留め置いて。しかし、聞こえるのがいかにもやばそうな感じであったのでそうもいかず、二人、綾波レイの後を追う。大人がマジにケンカしとるような騒ぎやけど、まさかな・・・・とは思った。
 
 
だが、その通りだった。
 
 
ケージでは整備員たちが大乱闘を繰り広げていた。怒鳴りあう殴る蹴るはあたりまえ、中にはスパナだのレンチだの道具を見境なしに振り回しているのもおり、流血もあり倒れているのもいる。その乱闘の中心地帯には「祭壇」があった。もはや直立することもできない座った体勢に安置してある零号機の左足の牙剣での「噛み跡」部分を封印してある箇所である。傷が塞がらす治癒せず、噛み跡そのままに近寄る人間を襲うので呪術的に封印したのだが科学と呪術、まあ一所に陣取れば仲良くやろうや、というわけにはまずいかない。
相互理解など夢のまた夢。その上、封印に必要とかで強烈な臭いの香を焚いたり奇怪な形の魚の頭を捧げたりするので、科学の徒である整備員などただでさえ気が立っているのにたまったものではない。おまけに司令の肝煎りとかいう背中にコブのある呪術士たちは愛想の欠片もないし言葉も通じない。衝突は時間の問題だったのかも知れないが・・・・
 
それだけでもない。それが現状のネルフ本部の厄介なところだった。
 
 
これでよく保安警備の人間が動かないものだとこれら人の愚劣を見下ろして綾波レイは
 
 
 
「やめてください」
 
 
 
ただ一声、凍る声で告げた。なんの容赦も手加減もない支配者級の綾波能力で乱闘の場にいる全員を停止させる。そのまま筋肉を硬直させてしまう。呼吸すら止めさせる赤い魔眼。続行する気力体力を根こそぎ奪ってから、解放する。
 
 
綾波レイの事情をよく知らない者は、印籠を出す時代劇のように、なんとなくエヴァパイロットのカリスマに雷打たれて人々が恐れ入ったように見える。徳による禁蛙というか。
 
 
何人か、それに抵抗してそそくさと奥の方へ逃げたことに綾波レイは気付くが無視する。
おそらくそれらが原因なのだろうが、かまっているとキリがない。一瞬、どこかに控えているだろう綾波者たちに追跡を命じたくなったが、抑えた。
 
 
おそらく、「退屈しのぎ」にこの所いろいろと鬱積しストレスのたまっている上に、大量に人員が入れ替わり、円谷エンショウという匠の頭を失ってどうにも統制がとれぬ整備員たちを焚き付けて「乱闘させてみた」のだろう・・・・・・そういう恐ろしくタチの悪い・・・もはや邪悪といってもいいくらいの人間が現状のネルフには入り込んでおり、さらにそういった人間は強い力を持っている。ヘタに追えば返り討ちにあうかもしれないし、誘っているのかも知れない。もともとお前たちネルフは怪しいぞ、と時田氏あたりは言うだろうが、それすらも可愛げがあった、と思うが・・・・・・・
 
 
 
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
 
 
鈴原トウジと洞木ヒカリにはさすがにショックが大きかったようだ。心配になって追ってきた二人が背後におり、なんともいえぬ悲しげで不安げな表情で乱闘の片付け光景と綾波レイの顔を見ている。同じ参号機パイロットでも黒羅羅明暗と彼らではそれこそ人生経験において天地の差があった。まあ、大人のケンカだろ、と一言で片付けられる境地には遠い。自分たちの、参号機を、あの人たちが整備するという現実を見るに・・・・・・
 
弐号機、初号機の人員がそのまま参号機にまわってくれればいいのだが、初号機の腕爆砕の仕掛けの件に連座して各パートの主任クラスも飛ばされてしまっていたりする。八号機の就役の件もあり参号機はまさに寝耳に水でこれが使えると分かったのがなんせ昨夜の話で整備員も狼狽えたのは分かるが、乱闘などいい大人の、使徒戦を越えてきた越えようとする者らのやることではない。だが、柱が入っていないと、手抜き建築のようにちょっとしたことでグラグラ揺れるのが人の集団である。もともと整備の現場は大人しくて綺麗なもんでもないのだが、今日のようなのは別だった。
 
野球じゃねえんだ仕事しろてめえら、であった。
 
不様ね、で片付けられるほど達観できればいいのだが。こういったことも現在の綾波レイの日常業務の一つなのだが・・・・さすがに、新人さんに初日に見せていいものでもなかった。
 
 
くう・・・・・・
 
 
悲しくとも、いや、悲しいからこそ余計に腹は減るのかも知れない。
二人の腹が鳴ったのを機に綾波レイは仕切り直すことにした。
 
 
しかし、綾波レイの凄いところはこれでも時間を無駄にする気がないことである。
今のところ、彼女の辞書に「余裕」という言葉はない。
 
 
 

 
 
 
「・・・・・・・なんやねん、それ・・・・・」
 
 
最近めっきり不味くなったと評判を落としまくりのネルフ本部職員食堂で、鈴原トウジと洞木ヒカリはとんでもない話を聞いた。綾波レイの語る、お題は「現状のネルフ本部組織について」。もはや参号機のパイロット候補、を外れて見習い、なのであるから機密もヘチマもない。幻滅も点滅も好きにするといい。綾波レイの姿を見るとちらほらいた職員も急いで席を立ち消えた。食堂には子供しかいない。以前よりずっと早く閉めてしまうカウンターには調理人もおらず、三人は自動販売機のカップ麺をすすっているが味などしない。
 
 
綾波レイの語るそれは愚痴でも悪口でもなんでもなく、淡々とした現状の真実。
それが先ほどの整備員たちのように聞く二人の舌を凍らせる。
 
 
それは、はっきりいって「悪の組織の構成図」以外の何ものでもなかった・・・。
 
 
 

 
 
 
その頃
 
 
「とても・・・聞けぬ・・・な・・・・・そのような・・・・・愚かな・・・・・無駄だ」
 
 
新制ネルフ総司令、ル・ベルゼ・バビデブゥルは作戦部長連の一人、座目楽シュノからの作戦具申を一蹴していた。多少、いやさ使徒を倒すためならかなりの無茶デタラメを聞いてきた碇ゲンドウとは異なる。座目楽シュノの具申はそう無体でもなければ莫大な金がかかるものでもなかった。具申に際しての説明は、多少咳で途切れるものの、理路整然としており、愚かでもなければ無駄でもなかった。少なくともそう切り捨てられる代物ではなかった。聞く方に多少でも判断する能力、または気力があればの話であるが。いやさ、どんなバカでも使徒戦に負けたくない、と思うならば、シュノの切り出した方向でとりあえずは一考する。これはもう脳みそをそなえた人間の習性であり、それほどまでに簡単な話だった。
 
 
座目楽シュノの話はこうだ。
 
 
「どういう手を用いても、たとえ魔法でも、現戦力では再び先と同レベルの使徒が来襲した時には敗れることになる。保有戦力が先の戦闘より明らかに低下しているのならなおさらである」
 
 
ならば、どうするか。
 
 
「敵戦力を二分する。特に、四足獣使徒の背に座す、人間サイズだが長大な絶対領域を苦もなく切り裂く剣状の黄金剣をもつ毛皮をかぶった使徒(強主徒)の方を第三新東京市に来ないように誘導する・・・・・・獣使徒だけならば、JTフィールドを用いられてもまだ零号機だけで勝つ余地はあるが、二体同時の来襲には抵抗することすらかなわない」
 
 
勝てない戦はするべきではない、ということだ。簡単な話であった。
絶対に負ける強い相手とは戦わない。勝てる相手と戦う、という話だ。
虫のいい話だが、その誘導の手段とは
 
 
「ロンギヌスの槍・・・・・ですか、あるいは、かつてそれであったもの、とでも云った方がいいのか、黄金剣の強主徒の行動目的は、高い確率でそのものであり、先は槍が変化することで一端、探査プログラムがリセットされたが、次回はそれを修正してやってくるのだとしたら、早い内に元槍をどこか遠方へ移送してしまえば敵の来襲をかわすことができる」
 
 
どこへ移送するか・・・厄介事をよそにまわしてしまおう、という極悪最低な手だけに、その移送先くらいは考えに考え抜き思考の極めを尽くさねばならない。使徒の殲滅をその任と、存在意義とするネルフとしてはこのようなことを考えることはまさしく絶対領域の壁の向こうの話であっただろうが、それをあっさり越えてきた。同時にロンギヌスの元槍、エヴァ初号機の左腕であったもののことなど重要視していないこともある。それで使徒を惑わし時間が稼げるならば十分でないか、いい働きだと思考する。
 
 
ひどく楽観視すれば、ロンギヌスの槍が変化してしまったため(劣化といってもいいのかもしれないが、座目楽シュノには判断がつかない)それを強主徒は求めなくなり、次回の来襲では獣使徒に同行しないのではないか・・・・・・それならば楽であるが。
 
 
使徒というものは、単一の目的を果たすために製造された、非常に強固な殻で覆われているが、とても単純な機械である・・・・・・相手がこちらの手を読んでくるかどうか、読みもせずにお構いなしにやりたくことだけをやろうとするなら・・・・・・それこそつけいる隙であり、単一の目的を果たすしか能のない人工知能に多重な矛盾目的を与えて負担をかけ潰してしまうのは座目楽シュノの得意技とするところだった。
 
 
ご大層に封印してあったようだが、破れてしまったようであるしそれが実際に使徒殲滅に役立つ兵器でないのなら、別に囮に使っても罰はあたらないだろう。
あの奇妙な物体・・・・・・なんでも、前の形に戻っていないとか。あのまま。
そのため司令が手下の呪術者を本部に送り込み奮闘しているとか、最上さんに聞いた。
・・・・・顔を合わせることもなく、本部経由の特別回線を使わねば話もできない離れてに離れた間柄ではあるが、・・・・・・・トンデモ上司だなー、と思う座目楽シュノ。
古代の戦じゃあるまいし、呪術で勝てれば世話はない。作戦家の常識としてそう考える。
 
 
敵の狙う獲物の先手移送・・・・・・ひらたく云ってみれば
 
 
「強いやつはあっちいってちょう、弱い方は相手します作戦」である。
 
 
意気も士気も面子もあったものではないが、現状を確かに認め、使徒の行動パターンを純化して抜き出して思考するならばこの手しかない。移送先にも考えがないわけでもない。
だいたい頼みの綱の零号機が片足状態ときている。戦力半減なんてものではない。
これで現戦力のみの撃退に固執するのはまさしく愚か者であろう。
 
 
独逸に建設中の第二武装要塞都市には、二体の弐号機がおり歴戦のチルドレンがそれを駆る。エヴァのみの戦力で計算するならばそちらの方が上だろう。
 
 
「もうひとつは土耳古のカッパラル・マ・ギア。エヴァ十号機が守護する聖要地・・・・
 
 
噂によると、「あまりに強すぎて」未完成のままにしておかれている・・・・・戦闘兵器というより生きた伝説というか古代の疫神めいた存在。・・・・当然、そこまでいけばもはやどこの部門の命令系統にも属さずいかな指揮にも従わない。単一の独立勢力、王機であった。
 
 
「・・・・・そのような・・・・・戯れ言は聞けぬ・・・・・更に、思考せよ・・・・・・使徒を・・・・・強主徒を・・・・併せ、撃滅せよ・・・・・・槍の・・・移送は・・・・・・許さぬ・・・・・・・」
 
 
カッパラル・マ・ギアとエヴァ十号機の名が出た途端、それまで蠅の音に紛れて大儀そうな気配が伝わって来つつ無駄無駄と合いの手をいれつつも聞くには聞いていたル・ベルゼ司令が、座目楽シュノの献策を通信回線ごと打ち切った。まるで、続いてエヴァ十号機のパイロットの名が出てくるのを忌避するように。
 
 
 
「あ・・・・・・」
「あ・・・・・・」
 
 
話を途中で打ち切られた座目楽シュノとそれを発令所で中継していた最上アオイの声が重なった。失望の二重奏。
 
 
「ああ・・・・・・」それをせねば敗北必至。状況が変わらぬどころか悪化弱体化しているのならば、設定条件と状況を変えなければ導きだされる結果は同じくなる。そんな知れきったことをどうして理解しないのか。実行しようとしないのか。どこぞの薄暗い洞窟の中で蝋燭でも灯して奇跡でも祈っているのか。座目楽シュノのため息には嘆きがある。
聞いている方もたまらんようなジメジメと湿った嘆きのため息。これを作戦発動中にやられたら勝てる戦も負けるだろう。それくらい、この女は景気が悪い。作戦指揮官にはむかんわこりゃ、と最上アオイも思った。なんとなく自分がお付きになってしまったこの作戦部長の1人はその職が要請する冷静さをもっている。確かに冷静ではあるのだ。ここでカッカきてもしょうがない。だが、水分の多すぎる冷静さというのも・・・・・・
 
 
「しっかりしてください!」おもわず一喝してしまった最上アオイ。意外の大声に周りのスタッフが何事かとこちらを見るが無視。あえて無視。相手が上役で重度の病人でおそらく必死で考えたのであろう献策をあっさり却下され意気消沈していても無視。
何があろうと不敵に微笑んでいるくらいの度胸がなければどうするのか作戦部長。
そうでなければいけないし、そうでなければあまりにも、救いがない。
 
 
六人もいるくせに、今のところ、自分が知る限り、こうしてまともに司令に掛け合い献策してきたのはこの座目楽シュノだけで、他の連中は何をしてるのか・・・・・・
神算鬼謀なんてものがほんとうにあって、いざ実戦における2,3,の指示だけで戦況が良くなったりするものなのか・・・・・・・まあ、いざ敗北して使徒に本部が壊滅させられようと通信機の向こうにいる彼らまでがくたばるわけでもない。彼らの頭脳の中に「敗戦の一ケース」として記録されるだけなのかもしれない。しかし、そうだとしたら。
 
 
バラバラになった参号機の欠片を集めて組み立て友人すらパイロットに仕立て上げてきた
あの子の、超人的かつ狂人的な努力・・・・・真に、努力というのはこのレベルのことをいうのかもしれない・・・・・はどうなるのか。それでは、あまりにも報われない。
参号機のことは弱った本部に心臓ビクビクいわせる電気ショックのようだった。
だが、その程度。組織の機構が音をたてて駆動しはじめるほどのものではない。
その報を聞き、心の臓を高鳴らせて心を熱く出来た者は現在の本部に何人いるか・・・・
芸術家肌なところがあるサツキなどはそれに素直に反応していた。
自分がその中に含まれていないことについて、最上アオイは己を認めるかどうか迷いがあった。態度保留と冷静であることはどう違うのか。胸が疼くが、顔には出さない。
ふいにそれが、声に出ただけかもしれない。
 
 
「は、はい・・・・・・けほ・・・・・・しっ、しっかりします・・・・・かは・・・・・・私・・・・」
 
 
座目楽シュノが病気を理由にここまで手を抜いたかどうかは中継した自分が知っている。
この献策時に送られてきた作戦案の付属データ量をみて疑った。例えハッタリでも一度は読んで理解せねば選択のしようもない。一言で「移送」とはいうが宅急便で物を送るのではないのだ。その段取りと手間は戦闘のそれを遙かに超える。そして、人情も血も涙も遠慮もないコンピューターによる実行可能かどうかの裁可も通っている。一体どういう頭脳をしているのか、驚愕の想いがあった。個人でこれをやったのだとしたらまさに脳のモンスターだ。脳みそおばけだった。・・・・・・シュノは自分にもその姿を「病気の体を見せたくない」として見せてくれない。・・・・・脳に全ての栄養が行ったタコ型火星人のようなのを想像してしまう・・・・・そんな自分に透明チョップをくらわせておく。
招聘されるまでネルフの機密と繋がっていたはずもない彼女がここまでの情報を集積し作戦案として結晶化するには不眠不休の膨大な立案作成時間が必要だったはず。
 
 
問題は、いちオペレータが指摘するのもなんなのだが、
作戦部長連が、六人もいるくせに、合議をしていないらしい、というところにある。
 
 
もともと指揮者六人体勢というのが異常なのだが、その異常をなんとか軽減しようという努力がまったくなされているようでない。あのボールを解体してみないと正確なところは分からないが、おそらくそうだ。
お互い仲が悪いのか、はじめから彼らにも枷がはめられているのか、それも不明だが。
 
 
三人寄れば文殊の知恵というが・・・・・・座目楽シュノの移送案にしても、作戦部長連の合意なり総意であれば、司令もああいった無視はできまい。いや、それも違うか。
はじめから異常なのだから。六人で順列をつけるべく戦々恐々としているのかもしれない。
 
 
まあ、作戦部長連が納得しても司令が了承しても、最後にあの子が、頑としてはねのけたような気もするが・・・・・・変形した槍にどういう意味があるのか・・・・・ふむ・・・そこまで考えて気がつく。
 
 
「すみません、言い過ぎました・・・・・・ついでに云わせていただけば、少しお休みになられてはいかがでしょうか。一度、考えを切り替える必要があるでしょうし」
 
 
オペレータが考えてもらちがあかない。考えるのは彼女らの仕事なのだ。僭越を百も承知で座目楽シュノに告げる。どうも戦火の最中にいるエッカ・チャチャボールといいシュノといい、六人体制は誰か欠けてもいいようにそうしているのではないか・・・・ふと、思ってすぐ打ち消す最上アオイ。
 
 
「そ、そうですね・・・・・・すこし、お休み・・・・けは・・・させてもらいます。・・・も、最上さんも・・・・・・かはっ・・・・おつかれさまでした・・・」
 
 
このまま命の火が消えゆくような景気の悪さで座目楽シュノの通信が切れた。
 
 
「はあ・・・・・・・・・」
後味の悪さをため息でごまかす。「はあ・・・・・・」それにつづくため息が。
横を見ると阿賀野カエデがいた。ちなみに彼女は(正式な役ではないが)我富市由ナンゴク付き、ということにかわいそうになんとなくそういうことになってしまっている。家庭的で人に好かれる彼女であるが、あえて代わってあげよう、という勇気のある者が出てこないのは、六人体制という異常に付随する形でかえって正当な口出しがしにくいからだ。
処理速度、という点でいえば専任にしてしまった方が確かに正解でもある。仕事なのだ。
好き嫌いなど、しかも人類を守護する戦闘を指揮する神聖な職場でため息など。
 
 
いけないわね、とは最上アオイも注意できず。なんせ自分もやっていたのだから。
 
 
自分の内に溜め込んでしまい、体や精神の不調を引き起こす前に聞き出す方がよろしい。
掃除もさぼりがちなのか最近めっきり不潔になったと評判の本部喫茶室で、さらにあんまり美味しくない紅茶など飲みながら話を聞くに、やはり「なんちゃっておじさん」ならぬ「なんとなく直属上司」になってしまった我富市由ナンゴクのことであった。
 
 
経歴的にはまともな軍人であり第二次天災の混乱期をくぐり抜けてきた智将であるはずだが・・・・そのあたり作戦顧問として葛城ミサト前作戦部長を補佐していた野散須カンタローに似ているが・・・・・いわゆる百戦錬磨。士官学校や戦略大学の副校長をしているあたり人格もそれほど破綻はしていない、だろう。老練というか。その老練の作戦家がこの苦境の折りにどういう策を練っているのかというと。
 
 
「ほかの作戦部長さんたちの経歴とか今の行動とか、そんなことばかり調べさせて、エヴァや使徒のことなんか全然・・・・・・私が信頼されていないだけかもしれませんが・・・・・」
 
 
作戦部長連の順列のことを考えている、それだけを考えているようにしか思えない、と阿賀野カエデは言った。怒りがあり嘆きがあり、それに反抗できぬ己にまたストレスを感じる・・・・悪い循環だった。向けられているのは信頼と言うよりは軽視、侮り。
 
 
これもまあ、最上アオイが考えるに、老練の腹のこと、いろいろあるわなれっどあろわな男は巨大な魚を飼って知謀の海をめぐらせているようなところもあるだろう・・・・と思いつつも、これはカエデの感受性の方が正しいだろうなあ、と。早いところ作戦部長連の順列を決めてしまい作戦発案の工程を構築してしまわねば何事も先にすすまんよチミ、というのもそれはそれで正しいのだろうとは思う。どっちかにしろ!選べよ最上!といわれても困る。あえていうなら相性の問題か。見初められてしまったのが運の尽きか。
 
 
「まあ、日向さんに言っておくから・・・・・あちらも距離があるから言葉もくどくなるのかもしれないし」
 
 
慰める。自分と座目楽シュノとの関係は、まだまし・・・・か。
却下された元槍移送案はあえて告げない。ここで参号機が話題にあがらないのはやはり自分たちがもう少女ではない証か。そういえば日向さんもまだ第二東京JA連合から戻っていない。使徒に自慢のJTフィールドが奪われてあまつさえ転用されたことで自暴自棄になり、やってきた日向さんを捕らえて腹いせに火あぶりにでもしているのでは・・・・いつ戻るか連絡がない。確認しようにもあちらから秘匿コードがかかっているし。まさかそのまま葛城ミサト前作戦部長のところに行って知恵を借りにいっているとか・・・まさか。
 
彼女が戻ってくることは・・・・・残念だけれど・・・・・・その可能性は、ない。
 
体制が変わった以上、彼女を再起用することはないだろうし、気が強いなどというのもなまやさしいほどの烈火にして鉄火な彼女のこと、司令直々に頭下げられても戻るかどうか。
今、いる人間だけでやっていくしかない。頼りになるのか、していいのか・・・・
 
 
伝染病であるという座目楽シュノなどと違い、直接その身で本部にやってきても全然問題ないようである我富市由ナンゴクが何故やってこないのか・・・・・この距離感もやはり異常だが、直接やって来てカエデを個人秘書扱いにしてしまい自室に連れ込む老人の図・・・・芸術の都書院刊行というのもあまり想像したくない。現状のネルフではそれを止められる人間がどれほどいるか。副司令に直言するにしても、代償は払わされるであろうし。いや、我富市由氏がそんな破廉恥老人と決めつけたわけではないですよ?
 
 
 
女二人の先行き不安なそんなところに・・・・・
 
 
「虎よ!虎よ!虎よ!」
 
 
いきなり頭を疑うようなことを言いながらやってきた大井サツキ。スラブ系美人。
 
 
「虎が出たのよ!虎になったのよ!虎よ!虎よ!そう!キミは虎になったのだー!」
 
それでひとしきりロシア語訳で虎のマスクをかぶったレスラーのアニメのオープニングソングを歌い出す。ちなみに「なんとなくエッカ・チャチャボール」担当である。
 
 
「・・・・・大丈夫?」
「たいへんなんだね・・・・・・・・」
同情する目つきで最上アオイと阿賀野カエデ。自分より苦しい立場の仲間がいればもう少しがんばれる。気がする。よく考えてみれば現在進行形で他の作戦も請け負っているという彼女の担当である方がさらに気疲れがするものなのかもしれない。
 
 
「はあっ!?なによその目は・・・・・・ああ、ははん、そういうこと。あたしとエッカはそりゃもうサッパリとマトリョーシカを割ったような関係ですので。今は資金集めに各地の銀行を襲ってるそうだけど、まあそれは心配いらないわ・・・・・まぁまぁ、つっこみやご質問はもうちょっと待ってくださいよ」
 
 
言いつつ、来る途中で購入したらしいドリンク剤を白い喉でゴクリとやる。うっすら汗はもしかしたら走ってきたのかもしれない。「ぷはぁ・・・・・・・・・・・げぷ」
 
 
本部内に虎が出て走って逃げてきたのなら、こんなところで一服いれてる場合ではない。
虎というのはもちろん例えなのだろうが、なんに対してなのか・・・・・その間に考えるが分からない最上アオイと阿賀野カエデ。
 
 
「で、サツキ・・・・・・・・虎って・・・なんなの?」
 
 
「ふふふふ・・・・・・」
当然の問いに対して不敵にわらう大井サツキ。まさか今の中身はアルコールじゃなかろうな、という意味も込めてじろ、と睨む最上アオイだが笑みは続く。相当にいいことなのか。
 
 
「それはね・・・・・・・」
 
 
 

 
 
 
「参号機を使用・・・・・・この期に及んで不様な話ですね。冬月先生」
 
 
「君に先生と呼ばれる覚えはないがね。何かを教授した覚えもない。それとも身に習うところでもあるのかね」
 
 
本部内の執務室で冬月・今も・副司令はシオヒト・Y・セイバールーツと話していた。
 
当然、対面などではなく、通信でのこと。しかも声のみ。送信先はバイオスフェアY、渚カヲルが所有していた実験施設のうちの一つ。彼が消えた後、血腥い争いの果てに三分割して所有者が決まったがこの人物はその1人。作戦部長連の1人として任についているが経歴は一切不明。分かっているのが本人が口にした先のようなことくらい。そして、八号機を指揮するために部長職に加わった、と明言しているくらいか。碇なら顔くらい知っているかもしれないが・・・征服部門の調律調整官かもしれないが、第二次天災で全ての記録が断絶するのを大いに利用したゼーレの人材を探るのはどうせ藪の中になる、時間の無駄だ。
 
 
重要なのが、この人物がエヴァ八号機とそのパイロット、フィフス・チルドレンを手中にしている、という点だった。メジュ・ギペールで調整されて特殊な装備を開発していたという八号機の能力は未知数。ただ、ネルフ本部への配属の手配は済んでおりいつでも・・・・・・信じられない話だが、今も本部地点の遙か上空に星を見ながら滞空しており・・・XY軸でいうならすでに到着、本部に着任しているというなんとも小馬鹿にした・・・・使徒戦に投入可能だという。この話は、他の作戦部長連も「自力で観測しない限りは」知らず、ル・ベルゼと、こうして今語られた自分しか知らぬ、とぬけぬけと言う。
碇ゲンドウ専門家として腹の立つ人間の扱いには習熟しているつもりだが・・・・・
まあ、嫌みの一つもでてくる。
 
 
「いえいえ、それでは訂正しますか。冬月・・・・副司令」
その響きは、すぐさま副司令の呼称を剥ぎ取るなり、ごく近いうちにそう呼ぶ必要もない地位に就くぞ、という傲慢な意思に満ちている。
 
 
「ともあれ、不様かどうかは別として、零号機の片足があの状態である以上、八号機の即時投入を求めたいのだが。被害は軽微である方が望ましい」
どういうつもりであそこまでの段取りをあの二人がつけたのか、本気なのかそれとも他に意図があるのか、分からない・・・・・・碇とシンジ君、あの二人がいなくなり、それと呼応するように彼女たちも乱れ始めたか・・・・・それを支える者があまりに少なく己の無力もつくづく感じるが・・・・・・今回の参号機再使用はあまりに無茶がすぎる。
 
 
「その上、強主徒などと言い訳じみた名で呼んでいるが、”金狼の牙剣”、あれは・・・・」
 
 
「次回の侵攻では現れることはありませんよ。あれらは人間と違って無駄なことはしない。・・・まあ、強主徒などという呼称が言い訳じみている、という意見は賛成ですが」
 
 
「現れたらどうするね?あれらは人間と違って無駄なことはせんかもしれんが、気紛れなものかもしれない」
 
 
「手もなく切り刻まれるでしょう。それだけのことです。まあ、こちらの手間が・・・・・ああ、これは言い過ぎでしたね。どうでしょう?”あれ”が今回も来るか賭けませんか?冬月副司令」
 
 
「残念ながら賭の代償になるほどのものは、今は手元にないのだよ」
 
 
「確かに。等価交換でなければ賭の楽しみは半減します。残念ですね」
 
 
「そういうことだよ。賭の代償ももたぬ年寄りを焦らすこともあるまい。八号機を降ろす気は起きないかね。戦力補充のタイミングにはこれ以上はないと思うがね・・・・部長連の位階を考えているというなら、この期に及んでなかなかの策士だが・・・・歴史に名を刻むかも知れないね」
碇ゲンドウ専門家として長年鍛えてきた毒舌。その口調の冴えはどんな厚顔無恥な人間でも己のセコさに切腹したくなるほど。ギネス以上、ヒストリー級のセコい奴かね君は、とウインタームーン毒殺電波が確かに回線を介してバイオスフェアYにまで到達した。
 
 
しばらく間があった。
 
 
むこうで腹をブスリと刃物で突く音がしたらちょっとやばいな、もう少し周波数を低くしておくべきだったかと冬月副司令が心配し始めたころ、返答があった。
 
 
 
「・・・・八号機を降下させないのは、あなたたちのせいですよ」
 
 
声色が変化していた。傲慢さを消し代わりに現れるのは他者の失落を心から喜ぶ邪天使の声。聞くだけで足下の床が消えるような錯覚に陥る。
 
 
「何だと?」
 
 
「正確には、旧ネルフ、とでもいいましょうか、それらの蓄えて隠している戦力、それらを解放してもらいたいのです。その点に関してはあの臆病な呪い虫、ル・ベルゼ司令も同意見です」
 
 
「何を言っているのか理解できんな・・・・・・弐号機をはじめとする主戦力や歴戦の人材を好き放題に抜き取っていった者たちがまだそんなことを言うのかね」
 
 
「いいえ。まだ残っています。あなたたちはまだ必要以上に強い。十分な力を残している。それらを使用しきったところで八号機を降ろす・・・・・・これはゼーレの判断ですよ」
 
 
「随分と・・・・・・買い被られたものだ・・・・・奥の手がいくらでもあるような顔をしていた碇のせいだろうな・・・・だが、誤解だよ。事実は、不完全なエヴァを使用せねばならないところまで追いつめられている・・・この現状が全てを物語っているではないか・・・・しかし、臆病な呪い虫、か・・・・・同意はしかねるがそんなものに率いられればどのような組織も弱体化するだろうよ」
 
 
「弱体化してもらいたいのです。だが、あなたたちは強い、まだ、ね」
 
 
「不様に無い力を振り絞れ、と?生かさず殺さずが統治者のモットーだろうが、それはあまりにあまりだな。・・・・・八号機のパイロットは星を見ながら何と言っているのかな」
 
 
「ナギサですか。お考え違いなきように言っておきますが、この持久策は彼の発案ですよ。私たちではさすがにそちらの施設の深部までは分からない・・・・子供は、残酷ですよ」
 
 
「・・・・・・その名は・・・・・・」
 
 
「別に驚かれることはないでしょう?フィフス・チルドレンの名は、ナギサ・カヲル・・・・・・ご存じでしょうに」
 
 
「く・・・・・・」
 
 
「あなたたちが使徒を相手に力を振り絞った、矢尽き刀折れた後に、降臨しますよ。屍の山に救済の福音としてね・・・・それはお約束しますよ。それでは」
 
 
 
通信が切れた。
 
 
 

 
 
 
「刀剣のことはわからねえな、こっちは銃器専門だからな・・・・・・そろそろ許可の時間切れか・・・・・まあ、刑務所に武器の差し入れなんて珍しいこっちゃねえが、なんだこの豪華さは・・・皇帝が住むような宮殿じゃねえか、なあ」
 
 
確かに戦争犯罪人を捕らえておく刑務所でありながらそこは、宮殿であった。
 
アレクセイ・シロパトキンが入所している、そこに捕らえられている罪人は彼1人。
刑務官という名の護衛兵に傅かれ、多くの専従メイドが何不自由なく世話をしてくれる。
勝手に出て行くことができぬ、ということ以外、どういった苦痛らしいものもなく。
脱獄など企みようもない。罪人の呼称からして「閣下」なのだからこれを刑務所と呼ぶのはムリがありすぎだった。
 
 
そこに呼ばれた(建前上は逆に、人権団体からの訪問、ということになっているが)武器商人にして魔弾製造師、C・H・コーンフェイドは呆れながら室内の豪華な造りに感心している。この部屋の主についての感想はとくにない。直接に商売相手にしたことはなかったが、名前と顔と経歴と戦争のやり方くらいは知っている。
 
 
宮殿に住む皇帝のように。ネルフ新本部作戦部長連の1人、アレクセイ・シロパトキンはここにいる。
 
 
そして、わざわざ注文をしたこともない武器商人を己の座す場所に呼んだのは、そのまま武器の注文ではなく、この武器商人が関係する武器についていくつか問うためだった。
ただの質問。完全に商売の話ではない。武装要塞都市にミサイルを卸すとかいう話ではない。ただ話を聞くだけ。面会のためにはわざわざそこまでゆかねばならず、その上面倒な手続きはせにゃならんわで、商人としては断るしかないような事柄だった。
 
 
だが、こうしてやって来たのは・・・・・半端ではなく遠路はるばるで旅慣れたコーンフェイドにしても多少辟易して、途中で帰ろうと思ったくらいだったが・・・・・
 
 
その問いが「魔弾」についてだったからだ。
 
 
そして、その魔弾を放つ銃とその射手について。そうでなければ絶対に来なかった。
なんせ、このところ忙しいのだ。
魔弾・・・・本来、十発セットで射手1人につき十発しか撃てないはずの魔の弾丸を、限界数を越えて撃ちまくる射手が現れたからだ。それでは魔弾にならないのだが、己は確かに魔弾を造り、射手はなんの恐れもなくそれを撃ちまくるが・・・・・・平気でいる。
それがどういうことであるのか・・・・・・話したくてしょうがないのだが、誰彼かまわず話せるものでもなければ、その話を理解する能力を持つ相手でなければ話する意味がない。人はたくさんいるものの、そんな条件をつけてしまえば世界に人はいないのか、というくらいにいない。だが、その相手を得た。ゆえに、遠路はるばるやって来たのだ。
 
 
「弾嵐公爵」「戦争と戦争」「どん底将軍」アレクセイ・シロパトキン、話相手にとって不足なし。それも相手の方から聞かせてくれ、とくるのだから、なんの文句があろうか。
 
 
そんなわけでコーンフェイドは心ゆくまで話しまくった。合間に出される酒、茶菓子の類も器も中身も最高級ときている。商売にはならなかったが、満足だった。その話が役に立つかどうかなど関係ないし度外視である。ただ興味は魔弾の射手のみ。
 
「フム・・・・」
シロパトキンも相手の憑かれたように機関銃のように語られる内容を黙って聞いていた。
実質、あまり参考にはならなかったが。ながいこと戦争をやっているとたまに”不死身の兵士”、というやつにお目にかかるが、どうもこの不気味な体型をした武器商人にして職人もその類であるらしい。その存在に異論を唱えても仕方がない。味方であっても敵であっても受け入れるほか無い。ただ、それは作戦の要にはなりえない。不確実すぎ般性もなく広域では用いられない、ときては。ただ聞く分には興味を惹くが、それだけだ。
 
 
魔弾
 
 
シロパトキンが求めたのは、通常兵器、しかも巨人用とはいえ拳銃弾としての威力しかその構造上持たぬはずのそれが、どうして使徒にあれほど効くのか。または、ATフィールドとやらを貫通、ないし破壊するにはどれほどの貫通力、火力が必要であるのか。
要するに、通常兵器で使徒と対する技術的な裏付けだった。
これまでの使徒戦の記録は全て頭に入っている。なんせ獄中にある身、やることがない。
ATフィールド、その一点で全てを語られる戦闘などあるわけがない。何が使徒殲滅業界の掟、絶対領域だ、それでは思考停止ではないか。馬鹿者どもめ。そして例外を見つけた。
 
 
通常兵器でありながら、絶対領域を侵せる二点の武装
 
 
魔弾の伝説を知らぬわけではない、ただそれが現実に確固たる物体として武器として扱えるというのは信じがたかった。なんらかの特殊技術を施した特製弾丸をそう名付けただけだろう、と当然のように考えていたのだが・・・・・・どうも、違ったようだ。
コーンフェイドが悪名高い武器商人であるからこそ、逆にその話を信じた。
商人は値段もつけられぬような正体不明なものは売らぬものだ。
量産は不可能な代物であるらしいことも理解した。巨人がその手で撃たねば力を発揮せぬ代物・・・・・・理解しようとも思わぬ。ただ見切るのみ。残るは・・・・
 
 
「”レイホー”、”ショオウ”、と呼称されていたニホントウの事だが」
 
 
使徒斬り日本刀、零鳳、初凰、エヴァ零号機が取り扱いを誤って自ら破壊してしまったらしい巨大刀剣。どうも記録を見る限り、プログナイフ、ソニックグレイブといった制式武装とは明らかに違う。居合い、というのか、フィールドを中和させているのではとても間に合わない刹那の斬撃を使徒に与えていたことがあった。
武器の威力を感じ取る嗅覚には自信がある。
あれには、それ自体にフィールドを切り裂くような特殊な力を感じる。そうでなければ打撃のタイミングがおかしいところが戦闘記録の中にいくつかあった。生半可の眼力では見抜けまいが。使徒に対して有効な武器であるにもかかわらず、ネルフ本部がそれの増産を計らなかったことも不思議だ。
おまけに製造元の情報が偽だらけでいくら調べてもさっぱり出てこないのがまた怪しい。
この機会にその点をも問うてみたのだが、それにはあっさりと「知らん」で終わった。
そして、コーンフェイドは話が終わるとさっさと帰って行った。射手であるファーストチルドレンが遠慮容赦なく追加注文かけてくる補充の魔弾製造があるらしい。
 
 
語るに人を選ぶコーンフェイドの職人魂のおかげで、期せずして魔弾に詳しくなってしまったシロパトキン。しかも限界数を超えた例についての専門的考察を知る、世界でも数少ない人間になってしまった。なぜそれが可能だったのか、などとどうでもいいことだった。
 
 
考えるべきは敵性体との戦闘の勝利。それだけだ。
 
 
 
負けるべくして仕掛けられているような組織体制といい、瓦解を待つような周辺状況といい、言いたいこと実際に手を下してやりたいことは山ほどあるが、すでに政治の蜘蛛の巣に絡みとられた身としてはそんなことに頭を使うのはもう十分であり限界があった。
 
 
コーンフェイドを乗せた車が雪に紛れて見えなくなったとほぼ同時に、参号機再生の報が届いた。それに搭乗するのはギル出身でもなんでもない素人の少年と少女であるという。
 
 
 
「お前たちは・・・・・・敗れたいのか?」
 
 
届くはずもない遙かとおい日本の第三新東京市にむけて、歯で噛み潰すように呟いた火薬の匂いのする声は苦い。
 
 
 
 

 
 
 
「えらいことになっとんなー・・・・・・・・・けど、負けられへん。そうやろ?」
 
 
綾波レイが語った、ほとんど「悪の組織構成図」は、これからの艱難辛苦が容易すぎるほど容易に思い浮かんだ。それくらい容赦なく、よほど鈍感な人間でも青ざめるほどに危機感を煽られる話だった。どうもこの組織の中に自分たちの味方はおらんのじゃないか、というほどにキッツイ、夢も希望もない、現実だった。ネルフを狙う悪の組織がある、という話ならまだ予想もついたが、まさかネルフそのものがそこまでおかしくなっているとは思わなかった。しかも、それが脅しでもないらしい光景をその目で見てしまっている。
 
 
「う、うん・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
洞木ヒカリとしてはショックが抜けきれない。予想していない側面からの衝撃に、いくら気丈に振る舞おうとしても、やはり地が出てきている。同じ人間が争う光景を見ても平然としていられるなら。そういう女はワイはイヤやなー・・・・裏を返せばそりゃ「センサイに傷つけ」、と言うとるようなモンで勝手な話かもしらんけど。鈴原トウジは思う。
が、すぐに元気づけられるような調子のいいことは言えない。それは嘘になるだろう。
鈴原トウジ自身、大人の集団のグズグズっぷりに正直、泣くか喚くかしたいところだった。
 
 
ここは、綾波レイがなんとかするところであった。先任であるのだから。
 
 
ここで、「いやー、実はあなたのお姉さんもネルフ所属の諜報三課で、お姉さんたちがいつもあなたたちを守ってくれてるから、そんなに落ち込まないで!☆」とか言えればいいのだが、
 
 
「・・・・・・・・・・」話すには話したが、その後の精神フォローのことなど考えてなかった。もしこの場に惣流アスカがいればそのやり口のシュートさに大ゲンカになったであろう。ただ、脅かしてこの先の生活で用心させるとか、そんなつもりはなかった。
やはり、育ちの根本的な違いであった。かなたとこなた。山と海、その間を川が流れている。
 
 
 
「夢は、どんな夢だったの」
 
 
唐突に次の話題に移る綾波レイ。意表をつかれて赤い瞳を見る洞木ヒカリと鈴原トウジ。
一瞬、何のことか分からない。「参号機の・・・認証の時に見たって・・・」
 
 
「ああ」一応、洞木ヒカリ向けに話を振っていたらしい。しかも、一応、カウンセリングのつもりなのだ本人は。しんこうべでの経験を生かして。彼女も彼女なりに時を刻んでいる。参号機とネルフ本部の内部組織がなんかやばいことは完全に違うのだが、ともかく。
 
 
それでもあの綾波レイが話を聞こうとしてくれているのが嬉しいので、洞木ヒカリは少し迷ったすえに話し始める。
 
 
「あのね・・・・・」ふーむ、ほうほう、と綾波レイと鈴原トウジ。
 
 
 
「お酒の瓶の中に・・・・・長い髪の女の子が眠っている夢、なんだけど・・・・・・」
 
 
 
「はあ?なんじゃそりゃ・・・」ファンシーなのかアダルトなのかよくわからん夢である。アルコールの瓶に人間て・・・ある意味、ホラー風味もはいっている。まあ、とにかくそれをネタというかテコにして会話を明るい方向に発展させようかとした鈴原トウジを
 
 
「続けて」
 
 
鋭く固い綾波レイの声が制した。先ほどあれほど悪っぽい組織構成の話をしていた時にも淡々としていたその声が、引き締まっている。何が気に触ったのか見当つかないが、目つきも威力を増している。緊、として赤く輝いている。
 
 
「え?・・・・え?」
そのような反応をかえされるとは思ってもみなかった洞木ヒカリはうろたえるが、
 
 
「つづけて。・・・・・いえ、その子の髪の色は?」綾波レイに問われるままに答えた。
 
 
「瓶の色に透けてだから・・・・よく分からないけど・・・・・白に近い桃色と・・・それがゆらゆらと・・・・青に変わってたりしてた・・・・かも」
 
 
綾波レイの視線が強く、なるべく正確に答えようと記憶を探っているらしいが判然としないらしく、それこそ夢のような、あまりあり得なさそうな配色だった。
 
 
「なぜ、瓶の中の液体がアルコールだと分かったの?」綾波レイの問いが続く。
 
 
「え・・?匂いがしたから・・・・・・でも、ふわりと、アルコールっていうきつい感じじゃなくて、素敵な花っていうか、高級な果物っていうか・・・・すごく、いい匂いだった・・・・でも、嗅いでると、とろん、としてくるから、香水とかじゃなくてお酒だと思う・・・・・・瓶の栓が開いてたのかな」
 
 
真面目に聞いてくれるのはいいが、それでも夢のことだ。それとも、そういうアルコールが出てくる夢は、なにかエヴァの操縦に具合が悪いのだろうか・・・・・なにか心配になってくる洞木ヒカリ。
 
 
「・・・・・・・・」それ以上は問わず、無言で俯き、なにか考え始めた綾波レイ。
 
 
「ど、どないしたんや?綾波・・・」夢診断かなにかやってよほど悪い結果が出た、ということなのか。どうも様子が尋常ではない。乱闘にもどうにも怪異な説明にも顔色ひとつ変えなかった剛胆なのが、たかが夢の話でえらく悩んでいるように見える。
「な、なんかおかしなところがあったんかいのー?ワイらにも分かるようにもう一丁説明してくれや」
 
 
 
「なにもおかしいところはないよ。参号機と深くシンクロしている証拠だよ」
 
 
 
「!!」
俯いていた顔を綾波レイが急いであげると、そこには胸に十字架、エジプト十字架、二つの十字架を提げた黒い中国服の長髪の男が立っていた。鈴原トウジと洞木ヒカリは普通に驚いているが、接近の気配を一切感じなかった。糸目の穏和な微笑み。無手であるが、もしその手に銃器だの刃物だのがあれば、完全にやられていた。思考に入り込んでいたのを差し引いても・・・・・とんでもない使い手だ。本部内でも油断できない現状で警報結界系の能力は自動で立ち上げてある。それをかいくぐって・・・・・・・この男。
 
ピシ。遅れて、空気が割れ、裂けた。
 
周囲に隠れている護衛者たちも、対応が一足遅れたらしい。その気の乱れの余波だ。
 
 
「驚かせてすまない。そんな気も・・・・・多少はあったかな?興味のある話をしていたものだから、つい足を進めてしまったよ」
 
 
「あなたは?」「あんたはんは?」
気付かずに攻撃レンジに入られて警戒する綾波レイと、そんなことは分からないが、先の話の影響からかやはり警戒してしまう鈴原トウジがダブルでクエスチョンする。
精神への威圧力でいえば喉元に朱槍と牙棘を突きつけられているようなものだが男の表情は変わらない。人の警戒を解かせ心の深くにまで進みいるよう開門させるような笑み。島国の日本ではあまり見ないような大気な笑み方だった。
 
 
「作戦部長連が一人、孫毛明、ネルフ総本部にただ今参上・・・かな。到着が遅れてすまないね。参号機の装備を船で運んでいたものでね、こんなに時間がかかってしまった」
 
 
そういいつつ、袖口から何枚か書類を取り出す。
 
 
「本部内の組織もこういった状態なのでね・・・・正直、受け取りの印鑑を誰にもらえばいいのか迷ったけれど。実際に使うのは君たちなのだから、君たちに捺してもらうのがいいだろう。君たちが一番信用できる」
 
 
向こうに信用できる、といわれても、こちらが信用できねばしょうがない。
ただ、鈴原トウジたちには判断できる話ではない。綾波レイに任せて預ける。
 
 
「ほんとうに、あなたが・・・・」
作戦部長連の一人、孫毛明なのか、と言いかけて喉にとどめる綾波レイ。作戦部長連が本部入りするなど実のところ、まったく期待も予想もしていなかった。しかし、これはかなりの抜け駆けなのではないか・・・こうなれば来られる者は本部に来ねば格好がつくまい。しかも、参号機用の装備などと・・・・あまりに早すぎる・・・・「!!」今更ながら相手が首から提げている十字架の意味に気付く。「杯上帝会・・・・・黒羅羅・・・あの人の・・・」
 
 
「孫毛明、この名も偽名のようなもの、軍師字といったほうがいいか、孫子と毛沢東と諸葛孔明を組み合わせてでっち上げたものだからね。正確にお前は誰だ、と問われると返答には窮するけれど。作戦部長連の一人、ということは簡単に証明できる。あの球体・・・僕は”六脳球”と命名してみたんだが、六色のランプが灯るあの球をここに呼んで声を出して見せてもいい」
 
 
キン。空気が耳の中で鳴った。護衛者たちが必殺距離に配置を完了したのだろう。
しかし、男は目の前におり、どちらが早いか。危害を加えるつもりであるなら。
3人まで同時に守れない。・・・・・向こうの話にのるしかない。
 
 
「いいわ。部外者の立ち入りには以前より厳しくなっているから・・・信じる」
本物の殻や皮をかぶっている場合にはその限りではないが。この人事にも裏がある。
綾波レイは男の取り出した書類を見る。参号機装備搬入許可書からはじまるそれらには聞き覚えのある武器の名があった。
 
 
東方剣主・幻世簫海雨
 
 
人間サイズの、黒羅羅の明が持ち出してきた時でさえ青磁色の鞘にはいったそれは二メーター超あった。参号機用だとしたらまたどれくらいの長さになるのか・・・うわ、なんだこの数字は・・・どこに収めればいい・・・いや、第一、戦闘でそんなものを扱えるものか。都市が膾にされてしまう。なんという有り難迷惑、いや、厭味かこれは。
 
 
もう一つあった。
 
 
白四械・臥羅門(がらもん)
 
 
これは知らない。しかし大きさは東方剣主以上。ほとんど建築物のレベルだ。なんでこんなに高さがあるのかと思いきや、写真がついていた。うーむ、そのまんま「門」だ。天京らしい中華風の都市の入り口前にどしんと構えている二重Xの垣根。内容説明を読むと、その垣根に東方剣主やらの武装を差し込んで収納できるようになっている、らしい。
威圧感十分。そのX股をくぐる走行車や通行人の気分はまあ別として。第三新東京市でもあの鉾の収納に工夫する必要があった。巨大な武器はいいがまさか野ざらしにしておくわけにもいかないが、それに併せて巨大工事を繰り返すわけにもいかない。
簡易バリケード、打撃には有効な盾、といえるかもしれない。しかも名前がなかなかいい。
 
 
思わず、判子をぺたぺたとついてしまう綾波レイ。
 
 
表情は真面目だが、その気軽さに「うわ」驚く洞木ヒカリ。契約書の類はよく読んで。
なんか、最後まで読んでなかった感じだった。事実、二交差二本で計四本の武装が収納されるはずの白四械・臥羅門に、武装は一つ、東方剣主しか届けられていない、少なくとも書類上には他の残る三つの武装の名はないことを指摘しなかった綾波レイである。
まあ、実際扱いもできそうもない超大武器など邪魔なだけであるし、お得感があったのはディフェンス、グレートウォールとしての白四械であったから問題はなかった。
 
 
しかし、綾波レイの赤い瞳はなんか無言でそのあたりを追求している賢そうな感じであったらしく、孫毛明も説明しておく。
 
 
「南方槍主・磨華路貳砲錬槍や残る武装はまだ竜尾道で鍛え直しをしてもらっているところだ。終わり次第、こちらに搬送され手配になっている」
 
 
「そう・・・」普段から冷静で賢そうな顔をしていると、こういうときに得をする。
 
 
「なんにせよ、これからよろしく。参号機の指揮は任せてくれよ」
それから洞木ヒカリと鈴原トウジに向かって合掌。二人にしてみれば、ちょうどのタイミングで運んできてくれた武器といい、大陸的なおおらかな物腰といい、なんとも気分の滅入る組織構成話を聞いた後では、なんとも相対するに心地よかった。遠くから指示だけするというのはいかにも悪役幹部っぽかったが、こうして現地にやって来たのだから心も許しやすくなる。絶妙なタイミングではあった。
 
 
「あ、よ、よろしゅうお願いします。申し遅れましたが、ワイはいやワタクシは、鈴原トウジです。半人前も甚だしいですがご指導の方、なにとぞ頼んます!!」
体を九十度に折ってのお辞儀。
「ほ、洞木ヒカリといいます。操縦は不慣れですが、いっしょうけんめいやりますので!」
なんとなく、ようやくやって来てくれた自分たちの味方の大人、という感じがして先の落ち込みから少し救われた洞木ヒカリであった。
 
 
 
 
「彼はあまり信用しない方がいいわ」
 
 
孫毛明が去った後、綾波レイがそんなことを言うのでさらに落ち込む。綾波レイも出来れば黙っておき自分の胸一つに仕舞って綺麗にカタをつけておきたかったが、その余裕もなさそうだ。酒瓶の中にいる長い髪の少女・・・・今から大急ぎで第二支部に行く必要がある。この目で確認したい。かといって、二人を連れて行くわけにもいかないし、実際に四六時中見張っているわけにもいかない。自身でも注意してもらわねば。”彼ら”に頼むにはスジが違うだろうし。チルドレンの護衛は、本来、諜報課の任務であるけれど・・・
それが頼むに足りないなら、どうするか。
 
 
彼女しかいない・・・・・・位置的に適役だが・・・・・・ほんとに彼女でいいのか
 
 
現在のネルフ新本部はまことに伏魔殿で何が出てくるか分からない。怪しい人材の流入を多くすると、その中に真実危険な人外・・怪物が含まれていることだってある。それらを把握管理できているのか。司令はそのようなことにまったく興味がないらしく放置しきっている。心情的には放棄に近いのだろう。・・・・まあ、ノコノコ出てくれば、自分でも
 
 
な に を す る か 
 
 
わ か ら な い
 
 
一番の怪物は自分なのかも知れないが。とにかく、どうしたものかな・・・・・
 
使徒以外の防御撃退方法を考えなければならないとは・・・・・。表情は冷淡なまま、武騒なことを考えている綾波レイであった。そして、次の行動を決めた、その時。
 
 
 
「あ、いたいたいた!!やーっとこれでお礼ができるってもんじゃないか〜い!!はじめてだけどはじめてじゃなーい!生きて会える喜び〜証明するため今こそ〜ミラクルハグ!!」
 
 
白衣を着たずいぶんと太った黒人女性が踊るように歌うようにズドドドドと突進してきた。両手を開いたその体勢は、「うお!!なんやあのオバハン!!」どうもこちらを抱きしめようとしている気配であり「いかん!逃げるでいいんちょ!!」危機を感じた鈴原トウジと洞木ヒカリはずざざっと席を立って逃げたが、考え事をしていたせいで一歩対応が遅れた綾波レイは
 
 
はぎゅっっっ〜〜〜〜!!
 
 
そのミラクルハグとやらに捕らわれた。シャレにならん圧力に赤い瞳が白黒する。
ミラクル、というだけあって、またしても護衛者たちの動きが遅れた。
 
 
「嬉しいねえ、嬉しいねえ。あれだけのことをしてもらったのになにもお返しができなかたからお尻がかゆくてしょうがなかったんだよ〜」
 
声量豊かなその喜びの声はこちらに対する好意と友愛にあふれている。苦しいほどに。
 
「アンタたちがエヴァのパイロットだなんてねえ、いやー、ただもんじゃないとは思ってたけど、鈴原トージ、洞木ヒカリ、第二支部の全ての人間はアンタたちの個人的な味方だからね!困ったことイヤなこと苦しいこと、あったらなんでもいいな!!というか、こんなゴキブリホイホイみたいなこ汚いトコで訓練することないだろさ。聞いた以上に薄汚れてきてるね。こんなとこにいちゃダメダメ!!毎日がエキサイティングで刺激的な第二支部へようこそ!さあ、行こう行こう行きましょう!!レッツゴー!!ゼアウィゴー!!」
 
 
半分誘拐に近いこの強引さに手を引っ張られるのは綾波レイなのだ。
この黒人女性が元第二支部の科学者ナンバー2,メモリーア山田であるのを知るのはゲート近くまで来た時であった。