これはチャンスだと、彼女をのぞく彼の地のほぼ全員が思ったのだという。
 
 
 
「・・・・成る程」洞木コダマはハードボイルドに頷いて先をうながした。
 
 
ここは幽霊マンモス団地。「彼女」、綾波レイの住まう、彼らの陣地。結界の境。
 
つまりは、屋上であった。すぐにはこんな人外たちの会話でも全然関係なしにいい天気であった。話すにしても屋内かせめて木陰でやればいいものを、陽光に照らされてもこんなところを選んだのは洞木コダマがハードボイルドであり、ここにいる者たちがそろって人目を好まないからであった。
 
 
綾波一族
 
 
とでもいえばいいのか、ファーストチルドレン綾波レイと同じように赤い瞳をもつ影からの護衛者たちと洞木コダマは正面切って話をつけることにした。いろいろあった本部食堂で連中と影のスペースでカチあっていろいろ手も出せずにはがゆい思いをしながら護衛対象を見守った同士で意気投合した、というわけではない。諜報三課・洞木コダマ課長代理の立場からすると、本部職員でもないくせにぬけぬけと施設内に入り込み文字通りに暗躍する彼らの存在はすぐさま捕縛するべきであった。よもや話し合いなど。問答無用で。
 
 
この連中が強い、のは分かっている。四人全員が、とはいわない。実質、自分と手合わせられるのは槍使いの女ひとり。だが、残る三人がその実力を隠しているか奇妙な能力をもっていない保証はない。どころかその確率の方が高い。やりあえば、どうなるか。
 
 
せめて上司に連絡するなりすべきであったが、独断でここにこうしている。
 
話の成り行きでは、ただではすまぬ。献血でやる以上の血が流れることもあるだろう。
だが一人。誘いてはたして彼らは応えた。旧第二支部に向かった綾波レイをほうってこちらに時間を割くのは正直意外であったが、向こうにも用があるのかもしれない。こちらもそれに同行した妹のヒカリとその友人というか戦友になるのか、鈴原トウジ君の護衛を部下に任せているのだから条件は同じだが。
 
 
わりあいに素直に彼らは話した。
 
 
自分たちはしんこうべからきた綾波レイの血族だと。
 
 
一瞬、あっけにとられそうになったが、なんとかこらえた。それはそうだ。怪しい研究室の培養ポッドで造られたとかいうのでなければ彼女も誰かの子供であるのは間違いない。血族、親戚筋がいたとてそれはおかしくない。あの瞳の色も遺伝だったのか。チルドレンの素性は諜報三課にも(というか、ほとんどの部署で)極秘にされていたので、いつしかそんな錬金術の妖精めいた噂がまかりとおることになっていた。すいません、ちょっとそんなのを信じてました。しかし、ハードボイルドなので顔には出さない洞木コダマである。
 
 
「成る程・・・・」
 
 
いわゆる緑の大地が育む牛乳飲料とはひと味ちがうクールチョコレート、早い話が冷凍ココアを一口やりながら先をうながす。ちなみに対面の綾波者たちもコーラや緑茶やスポーツドリンクなどを片手にもっている。一歩引いた位置にいるチンピラっぽい若い男など露骨に暑そうな顔して「さっさとこんな話終われバカ」と小声で呟き続けている。小物だ。
 
 
あれが綾波チン。
 
 
聞き間違いかと思ったけれど、ほんとにそういう名前らしい。
 
 
そのとなりの太めで精神の安定していそうなのが、綾波ピラ。
 
 
そんな名前でいいのかと問い直してみたが、ほんとにそういう名前だった。
 
 
 
綾波一族、奥が深い・・・・・かもしれない。
 
 
その二人から少し離れて全体を見渡しているような目をしている40代くらいの男性が
 
 
綾波銀橋。
 
 
今時めずらしい名前を漢字で書くのだという。わざわざ和紙の名刺をよこしてきた。
やむなく、こんなことをしているのだ、という意思表示なのかもしれない。ふりがながふっていないので「ぎんはし」と読むのか「ぎんきょう」と読むのか分からない。まさか「しろがねばし」なんて名前じゃないだろう。しかし、そうだったら地雷なので黙っておく。
 
 
そして、一番近くにいる槍使いの女こと綾波ツムリ。今は槍を手にしていないがそのピザ屋の制服のどこかに隠しているのは間違いない。強い。べらぼーに強い。その目を見れば迷いというものがない。綾波レイを守るためならどんなことでもやるだろう。そんな目だ。
綾波レイを引きずりだしにきた諜報課員たちをギタギタに叩きのめして病院送りにしたのもこの女。
純粋に護衛者というのは彼女ひとりで男三人はそのフォローといったところか。日常生活にはどうも不便しそうなタイプにみえる。その口ぶりといい。
 
 
なんにせよ、この綾波レイの親戚筋の者たちがなんで地元からわざわざやってきて護衛をやろうなどと考えたのか・・・・・・・そこが不思議だったのだが、どうもそこから考え違いがあった。彼女たちはべつに護衛目的で第三新東京市までやって来たわけではないのだといった。ぬけぬけと。
 
 
 
「さいしょはー、レイさまをー、”らち”しようと、思ってきたー」
 
 
それも埒のあかぬツムリの回答がまずあったがすぐに銀橋のフォローが入った。親切というよりは時間の節約のためだろう。なんにせよ有り難い。
 
 
綾波レイがチルドレン、エヴァのパイロットをやっているのはひとえに前総司令碇ゲンドウとの”契約”によるものだと。それで今回の体制変化、碇ゲンドウがネルフからいなくなってしまえばその契約も解消、晴れて綾波レイは自分の故郷に帰れるのだと、彼女の祖母をはじめとした綾波一族全員がそう「認識」した。そう「考えることにした」のだと。
 
 
そういうこともあろうかな、とは洞木コダマも思う。詳しい機密など関与できないが、綾波レイと碇ゲンドウとの司令職とパイロットという以上の深い結びつきは本部内に知れていた。ただまあ・・・・超法規組織であり特務機関のネルフ相手に今頃そういう認識をして行動をおこすというのは・・・・・・この綾波一族というのも・・・・・・
 
 
「レイさまーは、綾波党党首ナダさまのー、孫でー、次期党首ーになられるーのですー」
 
 
なんなんだその「綾波党」っていうのは・・・・・・しんこうべ・・・・・ただの地方の医療都市じゃなかったのか・・・・こういう連中に支配されていたとは・・・・・
 
 
ともあれ
 
 
当初の予定では、綾波レイをしんこうべに連れ戻そうといろいろ準備していたらしいが、そこに「使徒」が来襲し、ファーストチルドレン・綾波レイがエヴァ零号機に搭乗してそれと戦い、なんとか撃退・・・・というか見逃してもらったというか、なんにせよ本当に世界の平和安定のために戦っているらしい、というのをその目で目撃してしまった綾波者たちも考えを改めざるを得なくなった。どうもここで後継者・綾波レイを連れ戻してしまったら世界が危ないぞ、と。おまけに洗脳されてイヤイヤ戦わされているわけでもなく、己の意思で戦い抜くつもりであるらしい本人を力づくでどうこうなどできるわけもない。
 
 
四人という数は少数精鋭というよりはただ綾波レイひとりを第三新東京市、ネルフから確実に足抜けさせるための必要技能をもった者で行う夜逃げ工作であるから。嘘かはったりか知らないが、希望者は大勢いたらしく、必要ならばいくらでも人員を送り込めるらしい。
 
 
それにしても、思いっきり聞き捨てならぬ話だ・・・・・・こちらの身分は承知の上で話しているのだろうから(あの銀橋という男がついている以上、うっかりではなかろう)・・・・・腹を括らねばならない。
 
 
「とりあえずー、他のパイロットが帰ってくるまでー、レイさまをー、この街でー、お守りすることにー、・・・・・決めたのーですー」
 
 
「組織の腐敗というのはどこにもある問題だが・・・・・限度というものがあるだろう」
 
 
後継者連れ戻し、という基本方針が違ってしまった以上、党首の判断を仰いでとりあえずしんこうべに戻るべきだったが、後継者のおかれている現状があまりにもひどいのでそのまま居残って護衛する、ということにした、というのだ。そのことをツムリではなく、早々に本業に戻りたいらしい銀橋が告げたことに綾波一族の真意と総意が分かる。後ろのいかにも下働きのチンピラコンビも地元に戻ってアヘアヘ暮らしたいのだろうが、こうして残っているというのは。
 
 
打つ手打つ手を状況ごとに変えてくる異能者、というのも珍しい。そして、それだけに厄介だ。変幻自在の情、それは洞木コダマの知らぬ領域。最速の手段を構築し続ける冷酷非情であるよりよほど予測がつかない。
 
 
だが、いかに異能があろうとよそ者四人が大っぴらにやれるほどネルフ本部のセキュリティは甘くない。誰か内部に彼らのシンパ、手助けした者がいるはずだが・・・・・水をむけるまでもなく、その名をあっさり口にしてくれた。
 
「赤木博士、といったか。金髪で理知的な眉が美しい・・・・あの女性のサポートなしでは我々もこうして動くことは出来なかっただろう・・・・その代償は払わされたが、まあ、それはいい。望むところだ・・・・・」
 
「うわ、銀橋の旦那はあんな憑かれそうな情念濃いのがいいのかよ・・・しんじられねえ・・・」
 
「アカギ御前っていうんすかねえ・・・・、確かに貫禄だったっす・・・・・でもあの人、科学者っすよねえ?・・・・・あの妖気はただことじゃなかったような・・・」
 
 
よほどこちらを生かして帰す気がないのか。赤木博士か・・・・・・外部者の本部施設への侵入の手引き・・・・・他の諜報課員に知れたら・・・・・・どうなるか。
ツムリの目を見る。この女は嘘がつけない。今の話はすべて真実。
 
 
「・・・・・これでだいたいのことを話したと思うが、まだ聞きたいことはあるかね」
 
 
銀橋が話の区切りをつけにきた。あれだけ嘘も外連も誤魔化しもなく正直に話しきった以上、その資格はある。これを聞いた上で、自分がどう動くのか、それを問う資格が。
 
 
「いや。十分に」
 
 
綾波ツムリはまだ槍を出していない。他の三人は近接格闘では問題外。一撃でツムリを倒し、他の三人を捕縛する・・・・・・というのが正しい諜報課員のあり方だが。
やるならこのタイミングしかない。紅茶缶を呑みきってしまおうとツムリが顔をあげてスキだらけに顎を天に向けている今しか。
 
 
「・・・・そういったわけで、我々の目的は後継者の奪還・・・・いやさ、この都市での用を完全に済ませての里帰りにある。立つ鳥跡を濁さず、といったところだな。
 
・・・・あの親子はどこまで我々を惑わせれば気が済むのか・・・・」
 
 
「シンジの奴もいいかげんデタラメな奴だったが、親の方もたいがいにしとけといいてえなあ。なんで他人にそこまで義理だてすんのかねえ・・・・・シンジの野郎、今度あったらブン殴ってやる・・・・あれじゃ後継者サンがあまりにもよお・・・・・」
「まあまあ、なんかいろいろ事情がドロドロとあるみたいっすし。最初話を聞いた時はすぐに片付くと思ったんすけどねえ・・・・・チンの兄貴さえいれば」
 
 
この連中は碇シンジとも関係があるのか・・・・・その行方は知らないようだが。
どうも期せずして、自分はとんでもない話を聞き出してしまったようだ。
 
 
「そのため、新たに君の妹がパイロットに選出されて、エヴァとやらの席が埋まることは我々にも都合がいい。安心して後事を託せるようになれば後継者もしんこうべに戻るはず」
 
 
「・・・・・・そういうことか」
この接触にはそういう理由があったわけか。手持ちのカードをさらした上での共闘を持ちかけている。素性と行動原理の知れぬ相手がいればそちらにも注意力を分散せねばならず、いざ行動という時にハンデを負うことになる。それが解消されるだけでもこの接触には意味がある。綾波レイを守る。ただそれだけの勢力。本人がその気になれば一緒に帰る。こうなれば分かりやすい。赤木博士がバックについているとなると、そちらから要請があったのかも知れない。そうなると、たかが諜報三課課長代理、十七歳の女子高生にたいした評価をされたものだが・・・・今の話全てを一人で呑む腹がある、と見なされたわけだ。
 
 
さて、どうしたものか。
 
他の三人がどういった能力があるのかは不明だが、既に体で知っている目の前のこの女、ツムリの槍、あの戦闘能力が敵に回らない、というのは魅力だった。すでに紅茶缶も呑みきってしまっているし。ただ、あまりやる気はないらしくいいたいことを言ってしまったからか、ぼけーっとあさっての方を見ている。役割分担は分かっているらしい。
 
 
「・・・・そういうことなら、私も・・・」
 
 
現時点では正義だの使命だの忠義の出る幕はない。なにがあろうとなんといわれようと妹を、ヒカリを守る。チルドレンを守る、というのがそもそも諜報三課の設立理念なのだから課長代理として恥じるところはない。こちらはサムライというより忍者だし。互いの利益が合致している同盟だ。結んでしまってもいいだろう・・・・と、ハードボイルドに独自判断したところで
 
 
ちゃんちゃらちゃらちゃらちゃちゃちゃ〜
 
 
非常に緊張感をそがれる着メロが。体に通信機を埋めてある自分では当然ない。
 
洞木コダマがじろっと睨む先にはいかにもたこにもこんな時にも携帯を切ろうとしないチンピラコンビ。だが、二人はその視線にビビリながら「オレたちじゃねえ!」「っす!」慌てて首をふり、「あれ〜」とグズグズとポケットから携帯を取り出そうとするツムリを指さす。「あいつだあいつ!ツムリてめえちょっとは空気読め!こういう重要会談の折には携帯切るのがマナーだぞバカ!」
 
 
「あ、レイさま〜」
 
 
あまりの出の遅さに相手が苛ついて切ってしまわないか周りが心配になるころ、ようやく携帯を取り出して受話ボタンを押したツムリ。我慢強い相手先は綾波レイであるらしい。
 
 
「はい、はあ・・・・・・・・ああ、そうなんですかー・・・・・・ああー、それで・・・・・・・・・はあー・・・・・・・・わかりましたー。じゃあー、そのようにー」
 
 
かなり長い会話である。「すまない」と銀橋が口にはださないものの、目で謝ってきた。
「お気になさらず」と鷹揚に応える立場でもないがの洞木コダマ。まあ、間が悪いこと。
 
 
二人の会話は弾んでいる、というよりはおそらく、綾波レイが何度も同じことを念押ししているように端からは聞こえる。槍働き以外のツムリの反応の遅さは尋常のものではない。
それにしても、緊急のSOSではあるまい。それならば反射行動で動いているはず。
 
 
「・・・へえ、後継者サンもよくツムリの番号なんか知ってたもんだなー」
「・・・いや、知ってるわけないっすよ。彼女、もともと携帯なんか使えないっていうか持ってないっすから。あの調子だし。この仕事で党本部から連絡用・・・ってえか迷子防止に持たされたもんでしょ、あれ・ボタンが4つしかないやつ・・・いや、あれ?・・・・・・ということは・・・・・」
「なんだピラ?なんかおかしいことあんのか?そうだなー、あいつ自身が人間糸電話みたいなもんだからなー、いや、人間遠距離通話とか人間ポケベルが鳴らなくてとか」
「・・・いや、そーゆーセンスのチンの兄貴も相当なものっすけど・・・」
 
 
「番号を調べる手など後継者の能力をもってすればいくらでもある。問題は、”彼女の方から我々に連絡をとってきた”、ということだ。・・・・・あの部屋に一連の騒ぎ・・・気付かぬはずもないが、とりあえず今まで何も言わず知らぬふりをされていたのだからな」
 
「ああ、そうか。ツムリの奴が暴れたんで解禁になったかと思ってたが、いちおー、影から守るってのがポリシーだったっけな・・・・・げげげっっ!!もしかしてお叱りのお電話かっ!?お前ら目障りで超ウザ!よけーなことせずさっさとクニに帰れ!!とか」
「・・いや、そういう感じじゃないっすけど・・・・・・第一、ツムリさん納得しないでしょ」
 
 
どう風向きが怪しくなってきた。連中の赤い瞳が輝きを増してきている。それは現在も通話中のツムリも同様。コォ・・・オ・・洞木コダマは呼吸を戦闘用に切り替える。単なる偶然か、それとも地獄耳なのかこのタイミングでの綾波レイからの連絡など。しかも初連絡だと。何かを、指令しているような・・・・・彼女がこちらをどう捉えているのかどういう目でみているのか・・・それによっては・・・・いや、考え過ぎか。影の存在である自分など彼女の眼中にないはず・・・
 
 
「ちょうどよかったですー、いまー、めのまえに、本人がーいるんですよー」
 
 
・・・・・だが、なぜか話し合われているのは自分のことであるようだったり。なんで。
 
 
「すぐーとりかかりますー、レイさま、おまかせくださいー。ツムリがやっておきますー」
 
ぷち。そういって携帯を切ってしまう綾波ツムリ。なんらかの指示が下ったらしく、その目の輝きは一瞬、見とれてしまうほどの喜色真紅。きわだつ肌の白さ。びゅるん。同時に袖口から紫陽花色の槍を取り出す。収まりきるはずのない長さの武器を平然と取り出して、突きつけて宣言する。その先にはよほど鈍い者でもわかる殺気の灯りが煌々と。
その動きの滑らかさと速度。別人というよりもはや別の生物ほどに違う。
 
 
「・・・・後継者はなんと伝えてきた?」
 
 
明らかなツムリの敵対行為にさきほどの話が全てチャラになってしまったことに嘆息しながら銀橋が問うた。「お、おい!!ツムリよう、この娘とはべつに敵対しなくてもいいって話だったろうが!これ以上敵なんか増やしたくねえぞ!?」「ば、バトルっすか?しかもこんな所で?アクション指示っすか?後継者さんから?まじっすか〜・・・・・・・」
 
 
「レイさまがー、この子をー、やっつけろーって」
 
 
言い終わる前に、電光の速度で槍が飛んだ。洞木コダマは動けない。動く必要もなかったが。突いた先は、銀橋、チン、ピラ、仲間であるはずの綾波者の方であり、制服の襟のあたりをまとめて貫くと、あっという間にそのまま洗濯して干せそうな野郎三人綾波三兄弟の串刺しのできあがり。びゅるん。そのまま、どういう腕力なのか隣の棟の屋上に遠心力を利用しつつ運んでしまった。どういう材質なのか、槍の長さもそれに応じて伸びていた。
・・・顔色がえらく白くなっている、と思ったが疲労の気配は微塵もなく。
 
 
攻撃のチャンスといえば、ここしかなかったが、さすがの洞木コダマもこの常識外れの槍働きにあっけにとられてしまった。足手まといの男たちをあっさりと安全距離に逃がしてしまうその技の冴え。・・・・・これは、本気でやる気だ。ただ。先の話がこちらを油断させる罠ではないのは、運ばれた男たちが向こうから大きな声で止めるように怒鳴っていることで分かる。「ツムリ、勘違いだー!、ちがうぞー」「話を最後まで、きけー!」
 
 
 
ちゃんちゃらちゃらちゃらちゃちゃちゃ〜
 
 
再び、これまたどういう仕掛けか一振りで槍を元のサイズに戻したツムリのポケットから着メロが。
 
 
「・・・・電話、呼び出してるけど」
一応、教えてあげる親切な洞木コダマ。ハードボイルドは親をも切る。
やるならやるでいいけれど、よもや勘違いで死闘などと、ここは魔界団地か。自分もそこまで戦闘狂ではないつもりだ。勘弁して欲しい。
 
 
「やっつけてから、でればいいんだよーっと」
 
 
せっかくの親切に対する返答は、神速の槍の一撃をともなっていた。
 
 
ぐさ・ざん
 
 

 
 
生きている、ということは素晴らしい。
 
 
ここにいる者たち全員が、いったんは全員、死んだもの消えていなくなったものとして認識されていた。諦められていた。そして、再びその姿を残された者たちの前に表しても。やはり誰一人欠けることなく全員の生還はあり得ない、いやさ、唯1人生き残ったとしてもそれは奇跡だといわれるようなとんでもない状況から、戻ってきた。
 
 
唯1人を残して。いや、除いて。
 
 
ここにいるはずのない者たちだ。綾波レイは鈴原トウジと洞木ヒカリと同じようにもみくちゃの感謝感激雨あられの歓迎にさらされながら、そんなことを考えていた。
 
 
旧第二支部。メインエントランス。そこには大勢のスタッフが少年少女の到着を待っていた。統合されて本部内の施設となったが、距離があるためまだ馴染んでいない・・・・現状のネルフ本部のあの蠅の羽音の雰囲気に。まだ施設の完全復興はなっていないがスタッフ全員が生還したという奇跡以上の大奇跡に祝福されたような気配はあちこちに残っている。もとはネバダの砂漠地帯の一般人ゲラアウトな環境であったが日本の沼地に落ちたことで当然のことながら緑化激変、家族が遠く離れることのないようにとそこに家を建ててしまう職員が続出。本部の近くにあることで重複する施設などはそのまま切り捨ててしまい、戦闘力は低下した。本部機能を補佐する研究開発、素材部品工場として運転していくことがほぼ決まっている。現在、急ピッチで施設の再建が進められている。まだあちこちグチャグチャしているが、それはアットホームなおもちゃ箱のような感じで、活気は現在の本部の退廃的なそれとは比べものにならない。
 
 
壊れた設備はまだ直せばいいが、命はそうもいかない。
 
助かるはずもないこの大勢の命。死の神がごっそりともっていくはずだったこれだけの数を唯一つ欠けるだけで誤魔化した。死神の目を謀るために恐ろしく手間のかかる方法を彼はやった。それを魔法と呼ぶべきなのか、綾波レイには分からない・・・・あえていうなら神なる事・・・・そちらのほうがふさわしい気がする・・・・なぜか心がざわめくが。
 
 
その折に期せずしてか、それすらも予定に折り込んでいたのかは知ったことではないが、鈴原トウジと洞木ヒカリも手伝わされたようだ。そのことを救われた方はきちんと覚えていた。それが今日の歓迎につながっている。とはいえ、復興中の仕事中のこと、大げさなパーティーでクラッカーぱぱーん花吹雪びゅーびゅーというわけにはいかない。メインのエントランスホールで入れ替わり立ち替わりやってくる職員たちに握手を求められたり抱きしめられたりキスされたりフライングボディープレスをかまされたり・・・と、これはさすがになかったが、忙しい中、それぞれが十二分以上の親愛の情を表現していった。基本が英語のため早口で感激の言葉を送られても鈴原トウジと洞木ヒカリにはいまいちよく分からなかったりしたが、そこはメモリーア山田がフォローした。「オー、センキューセンキュー」「ミートゥミートゥ」分からないなりにもそれら2パターンを駆使して応答する鈴原トウジと世界の言葉であるところの万国共通の、アルカイックではないスマイルで応える洞木ヒカリ。そうやっていると、なんとなくあの夜の、光るローブの行列を整理した時のことを思い出してくる。忙しかったが、確かに見覚えのある顔がある。
 
あの行動がどうつながったのか、正直、いまいちよく分からなかったが、こうして彼らの感謝を受けてみると・・・・・・つくづく、あの夜はとんでもなかったのだと思うふたり。
 
顔を見合わせて。視線で会話するが、別にうらやましくない綾波レイである。
 
 
本部内でメモリーア山田という旧第二支部・ナンバー2科学者にミラクルハグとかいうあやうく昇天する重圧抱擁をかまされたあと、鈴原トウジと洞木ヒカリの二人を連れて綾波レイは確認することがありこちらのほうへやって来た。実際は、メモリーア山田にウムをいわさず連れてこられたわけだが。鈴原トウジなど「いや、ワイは練習せんと・・・」などとかろうじて抵抗していたが、安心できるガードのあてもなく本部に残していくのはどうも不安なので同行させた。ここまで綾波レイが抱え込むことはないのだが、抱え込んでしまうのである。神経症一歩手前の頭で考えることはたいていろくな結果にならないのだが、それでも彼女なりに賢明に考えて決断し、”とある”ところに連絡した。体はひとつしかない。可能ならば分担可能なことは誰かに分担してもらいたかった。出来れば頼ることはしたくなかったが・・。うまく意思疎通ができたかいまいち心配だったのでもう一回念押しで携帯をかけてみたが今度は・・・・出ない。かなり不安になった・・・・・
 
洞木ヒカリと鈴原トウジのガードを託すに足る人材であるかどうかのテスト・・・それを頼んでみたのだが・・・・・よく考えてみるとあの者たちもそれほど上手にやっているわけでもないのだが・・・・・
 
 
ただ、本部とは180度異なるこの歓迎に雰囲気に新チルドレンふたりが包まれていることは、綾波レイにとってもそれなりの安堵であった。現実をみせて落ち込ませるだけ落ち込ませてトドメまで刺しておいて、それを励ます言葉がないのである。先任としてこれではいかんと承知しつつも、実際に出てこないのだから仕方がない。なんと暗い人間なのかと自分でも思うが。さて、彼らの無上の感謝は自分には直接関係ない。そろそろ行こう。
 
 
綾波の隠形術を使って歓迎サークルをゆらりと抜け出すと自分の仕事にかかる。二人はあの黒人女性に任せておけば大丈夫だろう。なんせ人の中心にいるわけだし。それとなく目でサインを送るとしっかりウインクがかえってきた。伊達にナンバー2ではないようだ。
 
 
探しものにとりかかろうとメインエントランスから少し離れた静かな通路の角で精神を集中する綾波レイ。出来れば幹部クラスに話をつけてしまいたいが、変に気を回されて鈴原トウジたちにも知らされたら厄介なことになる。現状では確認さえできればいい。
おそらく赤木博士は知っていて、それをこちらに知らせなかった・・・・・どういうつもりなのか。
 
 
フォースチルドレンの肉体が生き残っている・・・・・・朱夕醉提督・・・もうひとつは青蒼浄幻帥といったか、明と暗、ふたつをのぞいた残る二つの人格を宿した人間のそれが。この旧第二支部のどこかに。あの大衝撃の中、破壊もされずに。参号機とわずかな糸で繋がりながら。存在する・・・・・・そこまで魔法カミナルコトが行き届いていたというのか。はたまた自力でか・・・
 
 
それが、残留思念のような夢であるのか。幽霊のようなものなのか、それとも
 
 
「・・・・・・・」
綾波能力の一つ、人捜しの術を発動する直前に声がかかった。
 
 
 
「また会いましたね」
 
 
またしても気配は感じなかった。作戦部長連のひとり、孫毛明。双十字架は外しており、しかも白衣。首からはここの職員であることを示す身分証明のカード。その名は”デランス・ネイチャーリーフ”・・・・もう少し偽名くさくない名をつければよいものを。
 
 
「あなたは・・・・」
こんなところで何をしているのか、と視線に力を込めて問う。常人ならばこれでべらべら歌うが、あまり効果はない。自ら話すつもりがあった上に、綾波レイの方もこの人物の出現でほぼ確認はとれた、と思ったから本気ではない。
 
 
「主に拝謁するために。ごく自然なことです。が、できれば内緒にしていただきたいですな」
 
 
「声をかけておいて?」
 
 
「あなたをご案内しようと思ったのですよ。あなたは忙しい身だ。なるべく時間の無駄は省いた方がいい。違いますか?使徒はいつやってくるか分からない」
 
 
「・・・そうね」
 
 
「それでは、こちらへ」
 
二人して薄暗い通路をゆく。その道行きはすぐに終わり、職員用の裏出口へ。そこから車に乗るという。絵に描いたような誘拐の手口であるが、綾波レイに不安はない。その気であるなら声をかけたりしない。正体不明の怪しい奴であるが、この業界、そのくらいでなければ有意義な話はできない。
 
 
「ずいぶん落ち着いておられますね・・・・さすがだ」
 
「・・・・・・」
ひとたび同意すればそれ以上目的地に着くまでガタガタ問うたりしない少女の図太さに苦笑するデランス・孫毛明。そろそろ道は整地舗装のすんでいない悪路地帯にさしかかるがどういう運転技術なのか車は普通であるのにまるで揺れもせず舌を噛むこともない。
 
 
「この時間を利用して、私の今後の動き方を伝えておきます。綾波レイ」
「・・・そう」
 
 
「あまり興味がないかも知れませんが聞いておいてください。私、この身体を伴った私、”孫毛明”は当分の間、本部に現れません。作戦部長連が一人、孫毛明として話が繋がるのはあの六脳球を通して、ということになります」
 
 
「当分の間、というのは・・・・あなたの主のこと・・・ね」
 
 
「ご理解が早くて助かります。・・・・・赤木博士から聞いておられましたか。このことは秘密にすると思っていましたが」
 
 
「いえ。今も確証はない。気付いたのもごく最近のこと・・・・・その可能性は、考えもしなかった。フォースチルドレンが生きているかも知れない・・・・・なんて」
 
 
「フォースチルドレンという呼び名はもう正しくないでしょう。二類・・セカンドと呼ばれるべきなのでしょうが、我々にはどうでもいいことです。杯上帝会の天主・・・それがあの方です・・・・・地と天と煉獄の試練をくぐり抜けてさらなる高みに登極された・・・・・目覚められるまであの方のお側におりたいのです。あなた達の助力も致したいのですが・・・・これは魂の義務なので如何とも・・・・・申し訳ございません」
 
 
「助力・・・・・・・目覚めるまでは、信じていいのね」
 
この人物を信用するなと二人に教えたのは間違いではなかった。参号機は黒羅羅明暗の機体であったもの。それを大事故のどさくさ紛れに引き継いだ二人にどのような感情を抱いているか・・・・おまけに、この人物、主のためならばどんなことでもやるだろう。今もこうして己の身分と姿を自在に変えながらこの使徒業界の煉獄を舞っている。怪人だ。
東方剣主も南方槍主もなんのことはない、己の主のために用意したものだ。
近々覚醒する予兆でもあったのか、そう信じているのか。主が不在の折に素人に乗られた教団の旗機が喰い破られてはかなわない、ということで予防線をはったのか。
 
 
「はい。あの方のお言葉のままに」
 
「とりあえず・・・ここに研究員として常駐・・・・というのがあなたの形なのね」
 
 
「形・・・・ですか。うまいことを仰る。そうですね。それが現状の我の形です」
孫毛明という名も偽名であるといい、デランス研究員という身分も当然虚偽でありながら、己の信教の心のみは真のものとして信ぜよ、といういい加減さに顔色ひとつ変えぬ綾波レイに自然に頭(こうべ)がさがる。
 
 
「蝦剥王・・・・・それがあの方に仕える我が心名です。綾波レイ、あなたにお目見えできてよかった。明と暗、あの方たちが愛おしんだ分だけ礼儀を払おうと思っておりましたが・・・あなたには敬意を払う価値があります」
 
 
「・・・・そう」
べつにどうでもよい。禁じられた青に従うというのなら、そのまま時が至れば敵対することになるだろう。「・・・それで、どこにいるの」
 
 
ずいぶん走っているが、どんどんと施設群の影は見えなくなり・・・・こう道も悪路だと医療施設に通じているようではない。だいいち復興の魁として何より先にドカンと中枢に大病院ができたのだ。治療基地といった方が正確かも知れないが。命が助かったというのと無傷というのはまるで違うのだから。もちろん最新鋭の設備を整えた立派なやつで、重傷者はよそに運べばいいものを意識のある者は頑としてここに残って復興のために働くとそろって言い張るのでそういうことになった。確かにその性質上、ヘタに知らぬ者が触れぬ物も多く、管理者たちが現場で指示するのとしないのとでは作業効率がだいぶ異なる。
一事消滅・落下によるショックで辞める者が続出するかと当初思われていたのだが、あれだけの目にあったというのに誰一人逃げる者はいない。恐怖がないわけではなかろうが、踏みとどまった。その精神力はどこからくるものなのか・・・・・天上から光の吊革でも握りしめているような
 
 
「まるで殉教者のようですね。・・・・・・人のことは言えませんが」
 
 
噂では第二支部長など、中途半端な治療しかせずあちこち駆け回りほとんどベッドにつかないのでしまいには首が360度グルグルまわるようになってしまって治らなくなったとかいう。余談になったが、そういうわけで意識が戻っていないというならフォース(ああいわれたが便宜上こう呼ぶ)は集中治療室にでも入れられているか極秘に専用棟にでも隔離でもされているのか、と思っていたが
 
 
よもや明暗のように牢の中にいるわけでもあるまい・・・・
 
 
「見えました。あそこですよ」
 
 
フロントガラスのむこうには厳重にバリケードに囲まれた古墳をおもわす土のドームがあった。ゲート部分にはなぜか数値付きの信号機がついており、今は青だった。数値は「ア=3」
 
 
車を止めると孫毛明ことデランスこと蝦剥王は「アルコールは大丈夫でしたか」奇妙なことを問うてきた。まさか一杯飲ませる気でもなかろうが。
 
 
「あの数値は」
 
 
「アルコール濃度、というのも正確ではありませんが・・・、3ではアルコールに耐性がない人間は酩酊しはじめますから、こちらのマスクをお貸しします」
後部席からバッグを取り出すとそこに口と鼻を覆う簡易マスクが。
 
「アは青色のアではないのね・・・・・赤色は何を示しているの」
 
 
「毒気です」
 
 
「・・・・・」
 
 
「主が青蒼浄幻帥である時は毒気が、主が朱夕醉提督である時は酒香がそのお体から漂うのです」
 
 
「それは・・・・ちがうわ」
 
 
「・・・・・何と」
 
 
「青の毒気を朱の仙気が中和しきれぬ時に毒が体外まで吹きこぼれる・・・・・・そういうことでしょう」
 
 
「・・・・・・・・・ご覧にならずとも分かりますか。その通りです。その意味では赤と青の意は逆さなのです。事故防止のためにそうしてあるわけですが」
 
 
「だから、こんな遠くに一人でいるわけね・・・・・・」
 
 
 
「新規生体部品の製造プラントの工事中に発見されたそうです。半壊したエントリープラグの中に酒精に近く変容したLCLに漬かりながら・・・・土中に埋まりながらあの方は」
 
 
「・・・・・・・」
 
 
「土中に埋まるのはあの方の十八番ですが、目を覚まされない。あの方をプラグから引き上げようにも・・・・あの方の発する毒気は化学資材を腐食させる・・・・・さながら無言の憤怒のように」
 
 
「いきましょう」
 
そのためにやってきたのだ。参号機は明暗用に調整されたものであの者が育ててきた。
それを不在をよいことに奪ってしまった形になった。呪うというなら呪えばいい。恨むというなら恨めばいい。怒るというなら怒ればいい。それは自分が受け入れよう。
 
ただ・・・・
 
 
車を降りた綾波レイはその赤い瞳でまっすぐ土のドームを見る。その中にいる参号機の乗り手・・・三人目を。
 
 
それに呼応するように信号がいきなり赤に変わった。数値は「ド=7」
 
 
「なっ!!?この数値は」ドは毒の略だと容易に分かる空気の変質。近づくなといわんばかりの高度毒性値。ただでさえ細い目をさらに細くさせ顔色が変わる蝦剥王。「危険です!あの方の身に何か異変が・・・このような急激な変化は・・・よもや・・・!・・綾波レイ、あなたはここでお待ちを!素人が踏み込める状況ではなくなりました。私が見てまいります・・・・・ってあの!?」
 
 
すたすたと進み行く綾波レイ。その背にはなんの恐れもなく。吹きつける毒気もその凛然とした気配を避けるかのよう。しかし、こういうのを蛮勇という。ここは逃げてみて当然の状況である。「効かないのか・・・・・この毒気が・・・・・」蝦剥王も呆れる。
 
 
こほっ。しかし小さく咳き込む綾波レイ。・・・・・・効いていないわけではないらしい。
 
「うお!」単なる猪突猛進らしい。あの風情で。それともたんなるやせ我慢か。
大急ぎで化学戦用の特級毒ガスマスクをトランクから取り出して綾波レイに駆けつけ装着する蝦剥王。蝦剥王本人には聖なる剥き蝦の加護によっていかなる毒も効かない。
 
「なんと無茶をされるのです!!」
さすがに怒ってやる。年相応以下の無茶だ。危険なところに近寄るなと親に教育されていないのか。
 
 
「・・・・たぶん、試されているから」
 
 
おまけに、大真面目にこんなことを言い返してくるし。メンチの切り合いじゃなかろうに。
子供か、といわれれば子供なのだから仕方がないのか。うーむ、思わぬ底の浅さだ。眼力はそれこそ入神の域にあるが。
 
 
「逃げるわけにはいかない」
 
 
まずいなこれは・・・・・案内しない方がよかったかもしれない。もうちょっと老成、政治向きな性格だと思っていたがとんでもないのかもしれぬ。意外に血の気が多いのか。
 
 
歩みをとめず、そのまま土ドーム内に入っていってしまう。その少女の後ろ姿は悲壮でもあり滑稽でもある。そして、危険。己の主が目覚めその所有すべき正当な力を取り戻そうとした時に立ちはだかるであろう最大最強の邪魔者・・・・・・ファーストチルドレン、手加減小細工ご意見一切無用のその意思の強さをまざまざと見せつけられて毒気による以外の寒さをおぼえる蝦剥王。ダメだと己が感じれば、一切の妥協交渉の余地なく対抗することになるだろう。いずれ来るであろうエヴァ零号機と参号機との対決の刻・・・・・その作戦決戦プランを「孫毛明」はすでに組み立て終えていたが、「変更の余地あり、か・・・」独りごち、その場に控える。これほどの精神力と格の持ち主とは・・・・
主とそれに敵する力をもつ者との対面を配下が邪魔できようか。そしてここで今後の先行きが占える。綾波、その姓、革命する力あり。
 
 
たとえ、このまま目覚めず動けぬ主の息の根が止められてしまおうと。
ここで止められる宿命ならば、赤い瞳の少女とは百年戦っても勝つことはできまい。
それこそ時の節約になる。杯上帝会天主も苛烈な配下をもっている。
 
 
単純の怖さ。複雑怪奇な使徒殲滅業界に冴え冴えと、知れきった帰路さえ迷わすほどに冴えとした月の光のように輝くそれ。やはり、本物を近くその目で見ねば分からぬこともある。まだ牽制ですらない、いつか始まる戦の挨拶。敵の顔をその目で見るために。礼儀の交合。
 
 
 
 
しばらくして綾波レイが戻ってくる。ドの数値も消えており、うっすらと酒の香気が漂いはじめている。
 
 
「どのようなお話をされていたのですか」蝦剥王があまり期待せずに儀礼的に問う。
 
 
「まだ目覚めてもいない相手に、何を話すの」とでもそっけなく返されるかと思ったが、綾波レイは大真面目に
 
 
「こちらの現在の状況と、・・・・・きいてみたかったことを」
 
 
「・・・それは?」
 
 
 
「あのふたりで・・・・・・、ほんとうによかったのか・・・・」
 
 
うわ、と蝦剥王は顔には出さずに内心でひっくりかえった。今更それはないだろうという追求はともかく、そんなことを我が主に聞くなよと。真剣にそんなことを聞かれて、おそらく主は目覚めぬ中でもさらに寝たふりをしたに違いない。そうするしかあるまい。
 
 
この土のドームの中で使徒殲滅業界どころか人類史に残る血塗られた残る少ないページがめくられるかとハラハラしていた蝦剥王としてはコメントのしようがない。森さんもコメントしようがない。コメント・モリ。思わず使い古されたネタを使わずにいられぬほどに。
 
 
そんな妹分が兄貴分姉貴分を頼るようなことを・・・・・・・
 
 
嘘なのか本気なのかそれとも己をも騙しきる大嘘なのか、自分のような百面相の化け人でも今の一言は釣り込まれそうになった。
 
 

 
 
 
「コダマおねえちゃん、どうしたの!?プールにでも落っこちたの!?」
 
「うーん・・・・ちょっと・・違うけど・・・・」
 
 
水もしたたるハードボイルドとなって帰宅した洞木コダマは末の妹ノゾミに驚かれた。
なんせずぶ濡れである。今日は晴れであり夕立もなかったのだからこうも長姉が濡れてしまうのはおかしすぎる。だが、「ああ!タオル、タオルもってくるから!そんな濡れたら風邪ひくし!待ってて!」詮索はあとにしてバスタオルを取りに駆けるくらいの甲斐性があるように躾けられているので洞木ノゾミはバタバタととりあえず奥に消える。
 
 
「・・つ・・・・・・・」
じくりと血の染み出す右脇腹の傷の痛みに顔をしかめながら洞木コダマは先の一幕を思い返して呟く。「まったく・・・・・・なんて迷惑な・・・・・・」
 
 
綾波ツムリの神速の槍をギリギリでかわしてそのまま肘でたたき落として踏みつけ封じて一気に打撃に入る・・如意棒のようにニョキニョキ伸びてレンジが不明な武器だそれしかない・・鬼械の非情と正確さをもって対抗する洞木コダマを中断させたのは背後からの水の爆発だった。貯水タンクを槍で貫きそのまま持ち上げて真っ二つに裂いてしまったのだ。
 
 
完全に裏をかかれた。噴き出す水で巻かれて動きを封じられた。己の腕や技に頼り切りではない、状況を利用する頭があり、戦闘慣れしている。一瞬以上に動きが止まればそこを串刺しにされる。水に身体を濡らせばそれだけ機動力も低下する。・・・・・さらにいうなら、水とは相性が悪い。体内に宿した戦の気が散じてしまう。だが迷う時間もない。槍を戻さずそのままあの腕力と速度で脳天を叩かれれてもひちゃげるくらいではすむまい。
相手はこっちを「やっつける」気でいるのだから。とりあえず距離をとり体勢を整えないとどうしようもない。そんな余裕を与えてくれればいいが・・・・・・水気に滲む視界には赤い瞳の槍使い。あと一撃かわせばいい、というのが戦術だがそんなものはありそうにない目の色だ。ここはいかにもボロっちい幽霊マンモス団地に見えてもその実、防犯装置の塊でありいくらなんでもここまでやらかせば本部も気がつく。出来れば表(というのも変だが)に出たくないらしい立場からすると即座にこの場を離れるべきだが。
・・・・・綾波レイの指令の下、どうしても自分を消しておく、というのなら話は別となる。
 
 
次撃はこなかった。かわりに、
 
 
「あー・・・・・!レイさまのおうちがー・・・・・・おうちをー・・・・・・」
 
 
口調があれであるが、どうも必殺の槍使いは意図して水攻めをやったわけではないらしい。
その声はおつかいのメモをなくした幼女のような響き。やってしまったことはわかるが、かといってどうしようもなく、逃げる場所とておもいつかない。まよえるかたつむり。
槍先にはすでに殺意の灯火はなくただの紫陽花色の棒になりさがっている。
 
ハードボイルド洞木コダマとしては絶好の反撃のチャンスであった。ここで仕留めておかねば今度こそやられる。散じた気を練り直し、最早主に叱られる必要もなくさせてやろうか・・・・そこに思考はない。自分も早々にこの場を退散する必要がある・・・・というところで邪魔が入った。
 
 
「バカかツムリてめえは!!」慌ててここまで駆け戻ってきた男三人、その中のチンピラの兄貴分、綾波チンが怒鳴ると同時に綾波ツムリの肩に触れると、この目で見ても信じがたいことにロケット花火のようにツムリがひゅーんと飛んでいった。
 
「信用してもらえぬだろうが・・・これはこの者の早とちりというか誤解だ。後継者の意図はもう少し利に適ったものだった・・・・・・この場は退かせてもらうが・・・・、後ほど謝罪の手紙を出させる」
「いやー、すんませんっす!かんべんっす!申し訳ないっす」
綾波銀橋と綾波ピラもチンの手が触れると同じように飛んでいった。
 
 
これが拉致用の能力であったわけか・・・・・・SF映画などである物質転送よりは一段落ちる気もするが、確かに便利な能力だ。しかし。
 
 
「あー、まあ、なんだその・・・・・・・殺されかけて頭にきてるのは分かるが・・・・出来ればその、なんだなー、後日、ツムリの奴と直接リベンジしてくれると・・・・・・」
 
 
じりじりと後ずさりながら距離をとる綾波チン。捕獲する気もないし、さっさと飛んでいけばいいものを、と思っているのだがこの男だけは飛びもせずに冷や汗をかきながら飛びもせずに一人取り残された状態になっている。・・・・・この男自身は飛べないのかも。そう考えるとかなり悲惨な能力だ。こういう任務に用いるには。まさに捨て駒チンピラ。
 
 
「リベンジってよりは、ああ、再戦だな。リマッチってやつか。じゃ、そういうことで!」
 
 
思い切り背中を向けてのダッシュ逃走。凄まじいまでの小物な逃げぶりだった。
ここまで小物ぶりを露呈されると腹いせも逆に出来ない。「ひえええ」などなかなか言えるものじゃない。この男を捕獲しても人質になるのかどうか今ひとつ・・・・不明だった。
 
 
結局、見逃して自分もこの場から移動することにする。チルドレンの住居に攻撃があったと認識しただろう警報装置は本部に力いっぱい異常を知らせてしまっただろうから。
あれだけの話を聞いたあととなれば、説明するにもかなり面倒で厄介なことになる。
ここはヘタな工作はせずにさっさと自宅に戻って知らんふりがベスト・・・・・
 
 
 
そんなこんなで妹のもってきてくれたバスタオルでとりあえず髪と身体をふいてそれからシャワーを浴びて着替える。二度手間であろうが、玄関から風呂場へ直行などさせないのが身体の弱い姉に対する気遣いというものだ。なんで全身が濡れたかということに関しては「帰り道で公園の水飲み場が壊れたのか急に水が噴き出してきた」ということにしておいた。「蛇口が古くなっていたのかしらね」などというと妹ノゾミはあっさり納得した。「はあー、さいなんだったね、コダマおねえちゃん」災難にあったのは間違いないので素直にその言葉を受け入れる。幸いなことにあの槍には毒などは装填されていないようで傷の掠りもこの程度なら今後の任務に支障はない。
 
 
「・・・・・しかし、任務、か・・・・」
 
 
・・・・・少し、今後の動き方について考えてみなければなるまい。なんというか、どいつもこいつも驚くほど公私のけじめもなく好き放題に己の成したいようにやっているように思えてきた。義務感の塊のような綾波レイでさえ、いきなり己の手下をこちらにけしかけてきたりと、どこかおかしくなってきているんじゃなかろうか。この組織は・・・・
 
 
まあ、あの時ツムリを倒してしまわなかったのも、チンピラを捕らえて課につきださなかったのも、おかしいといえばおかしい。・・・・・・あの連中が、綾波レイを守るためにこんなところにいる、と言い切ったからだろうか。己らの仕事を横取りしようという者に容赦する必要があるのか・・・・・とても十七の女子高生が考えるようなことではないが、そんなことどもを自室でしんしんと考える洞木コダマであった。埋め込まれた通信機からはつけっぱなしのラジオのように幽霊マンモス団地での調査警戒状況などが流れてくるがあの連中のことなど一言も出てこない。あのまま自分たちの主の護衛、本来の仕事に戻ったのかも知れない。連中にはなんの迷いもないのだろう。目的が明瞭なだけに。守ることは守るものの、最終的には連れて帰りたい。いや、そう見せかけて拉致の準備を着々とすすめているのかもしれない。使徒やエヴァのことなど一切おかまいなしに。
 
 
 
ヒカリは・・・・・・大丈夫だろうか・・・・・・
 
 
ほんのわずかな間だけ、洞木コダマはハードボイルドと課長代理の思考スイッチを閉じた。
 
非常識と常識がそこで切り替わり入れ替わる。それはそういうスイッチで表と裏。その切り替えは容易ではないが、ほんのわずかな間だけ、ついやってしまう。己をその分だけ腐食させ弱体化させることを承知の上で。感覚を研ぎ澄ませるのとは逆の作用。
野生の獣は心配などしない。ただ目の前にある、感覚器のとらえる現実を喰らうだけ。
そうでなくては生きていけない。
 
 
エヴァになんか乗って使徒と戦っても、うちの妹じゃ、やられるだけなのでは・・・・・
 
 
そういった、ひどく真っ当な心配。なんとも当たり前の、常人による常人のための不安。
 
 
自分は武芸者としてまたはこのような職にある者として刹那瞬間の輝きと力の天秤を支えに生きることを決めているけれど、妹にはそうであってほしくない。こうも闇影や夜風に順応してしまえる己は生まれる時代を間違えたかなと思わないでもないけれど、この現代にこうしてある以上、やるべきことは確かにあるのだろう。妹の心配などその最有力候補。
 
 
ズンバラリンで、はいおしまい、というわけにはいかない。
 
 
目の先にある未来に生き続けるための、常人のやさしさ。伝わり、浸透していくもの。
肉に備わった感覚器がとらえることのできない遙か先、遙かに広大な領域へ力を及ぼせる。
目の前のその瞬間に炸裂してそれで終わる異能とはそれがちがう。常人の力は長時間保持するもの・・・・なんか美肌化粧品の宣伝文句みたいだが。激甚な痛みをともなってまで異能を発掘する必要が・・・その値打ちは・・・・あるのか。まさに一発屋神風アイドルになってほしくないなあ、と。
 
 
この若さで修羅地獄真っ逆さまに墜ちてもおかしくない虚ろな目をもっているくせに洞木コダマがその境で旋回する風のようにまだ常人の中にあり続けられるのは・・・・・・
 
 
 
 
アーン
 
 
ふいに、猫の鳴き声がした。
 
 
あけておいた窓にいつのまにか座っていた。毛色は赤茶色。
 
首輪もなければ患畜札もない。逃げた患畜でもないだろう、その姿は健康以上の力感、そして見間違いでなければ、相当な貫禄がそなわっている。いや、この自分にここまで近づけるだけで相当なものだ。なんせ自分は動物には嫌われる。その本性を見抜くのか、こちらが近づけば、恐れ逃げられ死んだふりをされる。どちらかといえば家庭環境がそうであるし慣れ親しんでいる方だが、向こうはいつまでたっても慣れてくれないというか年々ひどくなる。まあ、実際に手をかけて面倒をみて愛情を注いでるわけではないからいいけど。
 
洞木家で自分を恐れない動物は、事情ありの、仕事でも使える自分付きの諜報犬マックス号とあの居候ペンギンくらいなもの。
 
その逆に、ノゾミなどは「どうぶつのことばがわかる」と真顔で言ってその的中率も本職が馬鹿にできないほどの高さを誇る和風ジャングルブックだから、えらい違いだ。まあ、この病院はノゾミが継ぐのが一番いいのだろうなあ・・・・鍼灸院はヘタするとあのペンギンがのさばっていたりするかもしれないが。それはともかく。
 
 
 
「おまえ・・・・」
 
 
この部屋にマックス以外の動物が入り込んだなどおそらく初めてなのではなかろうか。他の家人の部屋は猿だの梟だの不思議爬虫類だのにわりあいに突撃されているが。身体の弱い、という設定上、家屋の構造上も患畜などが迷い込まないように離れてはいるのだが。
 
 
はっきり目があった。これでも逃げない。すでにスイッチは戻っている。家の中であろうと自分の部屋のことで妹たちの目を気にすることもなく諜報三課課長代理に戻れる。
奇妙な猫だった。胸のあたりに黒と白で紋章のような斑毛がある。
 
 
アーン・・・・・
 
 
しなやかに窓枠からおりて部屋にはいってきた。それにしても偉そうな鳴き声だ。
なにかをこちらに教えてやろうか?とでもいうような声色なのだ。猫の分際で。猫の手も猫の知恵も必要ではない。
 
 
捕まえて、母かノゾミにでも渡すべきかどうか・・・・・・
 
 
 
「やられるだろうなあ」
 
 
今後はドアの向こうからいきなり声。驚いた。それはノゾミの声であり接近の気配も当然とらえていたが、妹がノックもせずにいきなりドアの向こうでそんなことを言い出したことに。
 
 
「あのふたりが えらばれたのは、さんごうきの はなちがいだからなあ」
 
 
口調は棒読みでドアの向こうで絵本かそれとも誰かの発言の日本語訳でもやっているような感じで、そこにノゾミの意思はない・・・・が、なんだこれは。「ノゾミ?」猫が腹話術でノゾミの声を出しているかのような違和感を生じるが、そんなはずがない。しかし。
 
 
「・・・・コダマおねえちゃん、お部屋にねこさんがいるの?」
 
 
「・・・ええ、窓からはいってきたみたい・・・・・めずらしいわね」
猫から目を離さずに、ドアを開いてノゾミを招き入れる。「この猫は・・・・うちの?」
 
 
「いや、ちがうよ。もう退院してるねこさん。綾波のおねえちゃんをさがしにきたのかな」
 
 
「?え、なぜ」
 
 
「前に大怪我してうちに運ばれてきて、良くなったときお金払いにきたの綾波のおねえちゃんだもん。仲がいいんだよ、たぶん・・・・・ねえ?」
 
 
あ〜・・・ん
 
 
問われて肩をすくめるような微妙な鳴き声だ。猫なで肩だが。子供相手にごまかしている。
なんだこの猫は。化け猫だったら退治せねばなるまい。そっちの心得もある洞木コダマである。「さっき、ドアの向こうで言っていたことは?この猫のことば?」
 
 
「そうだよ」
その的中率が侮れぬので、家族もなるべくこの末妹のファンタジーを壊さない方向で接することにしている。子供特有のカンの鋭さでは説明できないこともあるが、そこらへんもおおらかに見守ることにしている洞木家の人々だった。
 
 
「でも意味はよくわからない。声ははっきりしているんだけど。かわったねこさんだよ。
”さんごうき”ってなんだろうね」
 
 
「そうね・・・・それと、”はなちがい”ってなにかな」
 
 
「かんちがい、っていうのに近い。匂いがにててまちがったりするとか・・・・専門用語だよ、うん」
末妹が意訳をしているのか音訳をしているのかいまひとつよく分からないが、ここで言われた”さんごうき”、というのがエヴァ参号機のことを示すのであれば・・・・いや、重なった偶然に勝手な意味づけをしているだけか。なんで猫がエヴァの評価などするか。
ただこちらの思考のタイミングと合致しただけだ。意味などない。ないのないのない。
偶然偶然。
 
・・・これ以上やばい話を聞かされてもこっちも処理できない。赤い目の異能が襲撃するのはセーフでも猫がエヴァ機密について語るのはアウトだろういくらなんでもこの業界。
 
 
「・・・・この子、名前は、なんていうのかな」
当たり前の世界よこの手にもどれ。願いをこめてありがちな問い。少し日和っている自覚はある。洞木コダマにして。こんなこともある。
 
 
「赤猫・・・あかねこ・・・だったかな・・・・・・それでいいんだよね?え?ちがう?あのときは急いでいたから見た目そのままで?・・・・いろいろ事情があるの?こっちの方がとおりがいいから?ふーん・・・・有名なんだ・・・・」
 
 
末恐ろしいような末妹と猫との会話を目の当たりにしながら洞木コダマは胸中にイヤな予感がむくむく立ち上る。世界が広がっているのか遠ざかっているのか・・・・それとも侵食されとるのか・・・カタカナでセカイなどまっぴらごめんなのだが・・・・ガール?
 
 
 
「黒羅羅・明暗だって。でも長いから、黒羅で略してもいいって」
 
 
どうぶつのことばがわかる、と自称する妹さえこの場にいなければ、即座に窓から放り出してやるところであった。