「むう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
夕暮れから、夜へ。世界の領域がシフトする時間帯。よい子はお家へ帰り、よいおとなもそろそろ明日にそなえてシゴトきりあげて家に帰ったほうがよい。そんな時間帯。
実際はそうおおざっぱに切り分けるほど人と世界の色は単彩ではないが、
 
 
この無人のビル屋上で一人、なんともいえぬ隔靴掻痒感に耐えている、頭の中もカユくてしょうがない洞木コダマ(女子高生諜報三課課長代理十七歳おねーさん)も引き上げの時間を計りかねている。家にも課室にも。
 
 
「むう・・・・・・・・・・・・・・・」
その目は北へ。とりたてて目標を補足しようとする遠眼ではない。見るべきものは心の中にあり、網膜にはうつらない。この都市よりはるか北部、日本海側に至る未設定のルート・・・・そこをゆくであろう、一体の人型兵器、その中にある操縦者のことを想う。
月の砂漠をゆく駱駝隊よりも、なんか・・・はるばるとしたイメージがある。
 
 
エヴァ参号機が日本海側まで専用武装を取りにいく、というおそらく訓練をかねた一仕事で本部には久方ぶりの活気のようなものがあった。それが全体に熱伝導せずにどこかで遮断されてしまうのが以前とは異なるが。エヴァの中にいるパイロットを護衛する必要は当然ないのでこちらもやることはない。三課の装備は基本的に市街用であるし。にしても、こんなところでボケ〜とするなど表でも裏でも彼女を知る者なら誰でも「らしからぬ」というであろう。意味のない行動、無駄な位置取り。なんとも半熟な。ハードボイルド・洞木コダマらしくない「むう・・・」呟き。
本人もそれは重々分かっている。分かってはいるのだ。が
 
 
 
「はあ・・・・・・・・」
 
 
とため息つくことも許されないほどにその胸中には様々な事柄がドロドロ渦巻いている。
何かの拍子がそれが口からもれて何者かの耳にはいってしまえばとんでもないことになる。機密というものに少しでも関わる者の基本的な心得であろう。けれど、それにしても大体、機密というのはなんらかの組織に関連する、またはそれが作動する上での弱点であったり必須栄養素であったりするわけで、当然、その組織の長から数えて何人かはそれを知っているわけである。自分一人だけ知っている、というのは機密ではない。重さを共有理解する者がいるといないのとではそれを抱える者の心痛度はかなり異なる。
 
 
妹のヒカリがエヴァ参号機のパイロットに選ばれてそれに乗ることになった。
 
 
というのは、現段階で大っぴらに通達(まあ最終段階でも諸所の都合から一般向け公表はされんわけだが)されたわけではないが、ネルフ本部関係者なら誰でも耳にしている。
機密には違いないが、知っている者がもはや百人以上ともなればそれは仕事のひとつ。
 
 
それはいい。
 
 
ヒカリ本人が家族に伝えた「事実」も”自分がエヴァのパイロットの訓練候補生に選ばれたのでしばらくそういったことに関わり、夜も遅くなるかも知れない”ということで、これはもう神妙な顔をしたノゾミにも。嘘ではないが、真実丸ごとというわけでもない。
というより、その説明が至極まっとうで、その身を襲った実際がまともでないのだ。
取り乱しもせずにたんたんと、しっかりと、己の言葉で説明した妹を誇らしく思う。
ノゾミ以外は本人から説明された以外の部分もしっかり知っていたのだが。
 
その「訓練候補生」なる殻がすぐに外される、どころか、そもそも殻つけて育てる時間すらないことを。「コダマ・・・・ではなく、ヒカリ、ですか・・・」祖父が一度だけ赤木博士に確認していたが。まあ、普通はこの特殊な仕事もさらに特異な仕事の下積みだと思うだろう。向き不向きで言えば、明らかに。
 
ネルフ本部からの説明者、担当ではなく責任者が直々にやってきたのは少し驚いたが、その責任者が「いえ、妹のヒカリさんです」と断言して顔には出さぬがたまげただろう。
何かの間違いじゃなかろうか、と人の親であれば思うものだろう。姉ですら思うのだから。
なんらかのフェイク、本物のパイロットはいるが、影武者というか、何らかの事情のあるその人物を特定させぬために、そのような話をでっちあげた・・・・という可能性も消えた。「なんでウチのヒカリが・・・!」とか「これ以上ウチから人柱を出せっちゅうんか!!ヨソにも負担させい!!」とか祖父たちが言い出さなかったのは第二次天災をくぐり抜けてきた経験ゆえだろうか。いかんせん、その強さが孫であり娘であるヒカリの中にあるからこういうこといなったのかな、とも思うが。一つだけ言えるのはおそらく洞木の家はここから動かないだろう、ということだ。たとえ、この先、なにがあろうと。娘二人をこの地、この街に捧げた以上、頑として。こって牛のごとく、深く根をおろした大樹のごとく。
最後に金銭の話をしようとした赤木博士に「ご心配にはおよばず。葬式を出してやる金くらいはありますわい」と先手を打ってハッキリ言い切った。
 
 
それは、いい。
 
 
そのことは、自分の、いやさ自分たち家族の胸にしまっておけばいいことだ。
自分だってこの2,3日で槍などで刺し殺されかけているのだ。誰もが、儚い。
それは、まるで、なにかの間違いで生きているのではないかと思うほど。弱く。
石ころが下り坂で誰かに蹴飛ばされてころころ転がっているのを、石が自分は生きているのだと叫び出すくらいに。乾いた考えだとは思うが、それくらいでいい。
 
 
だが・・・・・・・
 
 
あ〜・・・・・・・・・ん
 
 
あの「猫」。元フォースチルドレン黒羅羅・明暗だと名乗るあの猫。ノゾミがいなければ意思疎通、会話すら出来ない、いやさ外国人どころではない人間以外の動物が
 
 
消滅した第二支部出現に関連するすべての・・・・「秘密」「奥義」「秘儀」・・・・なんといえばいいのか、あれだけの大事でありながらろくな調査も行われずに体制の入れ替えがなされて誰もまともな説明が出来ないあの不思議を通り越して出鱈目な一件・・・・それの「裏」を「骨組み」を「展開」を”知っている”という。
 
 
当然、悪い冗談以外のなにものでもない。
 
 
自分たち諜報畑の人間が知らぬのになんでそこらの猫が知っているというのだ。昔話の「聞き耳ずきん」じゃないのだ。なんか漢字で頭巾にすると白馬に乗って悪い役人をブッタ斬るようなイメージだが、わりあいに世間一般のことに通じている動物の声を聞けるずきんをかぶったお爺さんがそれを情報収集して分析して行動してハッピーになるという話だが、それも昔のあけひろげな木造建築ならではの話であろう。いうなれば生体盗聴器自動街宣機能付き、といったところか。バードアイという言葉があるように視点を変えるのは情報収集にそれなりに有効な手段だが、あの時の市街に直立する鉾の近くなんぞによれば猫の丸焼けのできあがりだ。
まさしく好奇心は猫をも殺すというわけだが。・・・・いちおう、ここまでつきあって考えたのは「どうぶつのことばがわかる」ノゾミがいるからで、そうでなければ指先一つで窓の外にちょっと受け身のとりにくい投げ方で試験も仕事も試練もある人の生きざまの重みというものを教えてやるところだった。
 
 
 
黒羅羅・明暗の名は本部の護衛職にある者たちにとってちょっとした悪夢でもあった。
 
プライドとかセオリーとかその他をズタズタにされた。スケールが違うといえばそれまでだが。直接、相対したことはないが・・・・・・ひとりの武芸者として、興味はあった。
 
 
だがまあ、その人格を深く意識していたわけでもなし、幽霊や怨霊となって現れてくるほどの縁は覚えがない。が、猫になってやってくるよりはまだ信憑性があった。己が諜報三課課長代理兼エヴァパイロットの姉であることを嗅ぎつけた、どんな謎な組織であろうとも猫を寄越すというのはあまりにも謎で意味不明すぎる。腹の中に爆弾でも埋められているならまだ分かるが・・・自分は猫好きというわけでもない。おまけにその猫は可愛い系の種類ではない。しなやかでしたたかで鼠大王が震えて逃げ出すような、愛玩とかけ離れた戦士の目をもっている。
 
 
自分は諜報課の人間ではあるが、そこまで情報に飢えてはいない。だが、それを適正に腹の中にいれていなければ生きていけない身体にもはや、なっている。情報というのは個人の常識領域などたやすく踏み越えていく。たとえそこに毒が含まれていようと、さながら古代人のように、己のカンを働かせて安全か危険かを判断して食べていかなければならない。・・・・・通常これはありえんだろう、というような技能を、つまり異能をもつ人間もいる。自分の居るのはそんな世界。動物に話をさせる能力を持つ者だっているだろう。
 
 
そこまで考えて・・・・ふと思いつくことがあった。あの赤い瞳の連中、綾波一族。
 
 
何が面白いのか自分につっかかってきた異能者たち。・・・・連中の希望は綾波レイを自分たちの本拠地に連れて帰ることであり、そこで「参号機のはなちがい」というのはそれに反する。そして、ひどく感受性の強い、そのような判断がつく者はそれを以前使用していた者しかいない。
 
ノゾミを介する必要があるので、かなり言葉を選ぶことになったが、本人確認のための黒羅羅明暗しか知らぬだろうことを、2,3問うてみた。隔離施設に自ら入りそこを居室に改造した話など部外の者には想像もできまい・・・・・と思ったが、わけもなく正解。
 
 
猫らしくもない豪気な笑顔をしてみせる相手・・・・黒羅に・・・・・
 
 
自分は・・・・・・
 
 
 
「つくづく、とんでもないこと聞いちゃったな・・・・・・・・・」
 
 
じゃあ、どうすればいいのかと。今更人違いでした、ということでパイロット変更、てな話にはならないだろう。間違いでも何でも起動実験には成功しているのだから。
 
 
猫なんぞに聞いてもまともな答えがかえってくるわけがない。いいところ猫いたぶりされるような分かったようなわからんような聞いてつくづく己を恥じるようなことしか言われないに決まっている・・・・・・のだが
 
 
「そのせわをやくために おれは ここにきた」
 
 
堂々と、胸の黒白のマダラ毛を誇り高い紋章のように胸はって見せて告げられた。
 
実際にはあまり芝居のはいってないノゾミ通訳のために子供向け人形劇みたいな一幕であっただろう。が、「う・・・・」猫と妹相手にして、それらのいうことが真っ正面ど真ん中でストライクきてしまった。「ひげよ、さらば」とか「ガンバの冒険」とかけっこう嫌いじゃないのだ。
・・・・・・・ハードボイルド洞木コダマとしては恥じ入るしかないのだが。
 
 
「おとうとぶんと いもうとぶんの ふしまつのあとしまつと てだすけは あにきぶんのしごとだからな」
 
 
へたに演技のないノゾミの通訳を介している分と、このとらえようによっては随分と身勝手な言い分・・・・こちらを説得する気ならもう少し小賢しい言い方を用意するだろう。
猫瞳には他者の不信に対する怯えなど微塵もない。そこには強固な確信のみがある。
 
 
「しんじるかどうかはべつにして これまでのことをおしえておく。おまえさんもいっぱん・・・・・しみん!しみんだよなあ!・・・そうなんだろ?・・・・・何言ってるの?黒羅くん?え、いいから通訳してくれ・・・外国の話が多くてわからないこともおおいけど気にするな・・・・?うん・・でも、コダマおねえちゃんいいの?具合がよくなかったら、黒羅くんに言ってきかせるけど」
 
 
あ〜・・・・・・・・ん・・・・あん・・・・ん
 
 
ノゾミにそう言われた猫の顔はみものだったが、自分もたまに妹たちにはやられるのだから笑うわけにもいかない。しかも、自分の立場を即座に配慮してくれたとなると。
 
 
「あ、いえ、大丈夫よ、ノゾミ。おねえちゃんもこの猫さんともっとお話したいから」
 
 
三課の連中が聞けばそれこそ戦慄するか抱腹絶倒するかの声色で答えてしまった。
というわけで、ノゾミが眠くなるまで符丁をまじえての会話が続いた。毒を喰らわば皿までと思ったが、その毒具合は話が進むにつれて、専門用語の符丁など必要もないくらいにとんでもない領域、たとえ疑り深いのが商売の業界の人間に聞かれようと鼻先で笑われるようなAアンビリーバブル・Tトンデモ領域までいった。ノゾミに聞かせても問題ないので気は使わなくていいが、その分、背筋が凍った。それは
 
 
使徒の物語
 
 
人類の天敵。特務機関ネルフがその総力を結集して殲滅するべき敵性体。巨大生体兵器であるとかなんとか組織に所属している身でもその正体はよく分からない。第二次天災時の自然の歪みが生み出した神話級変異生物・・・・愚かな人間の目にも映るように凝縮したように形を成した災害・・・・なんでもいいが、本物の神の使いだとは少なくとも洞木コダマは考えていない。そんなもんが多神教世界日本に来る理由がない。いやさ逆に言えば唯一神世界では神は一人でよいことは全て神が独占しほかのわるいことは全て悪魔が担当するのでその数は浜の真砂が尽きるとも尽きない悪徳の種数に従い一億を超えるという話であるから、八百万しか神がいないこの列島にやってきたのかもしれない。うーむ。
 
なんにせよ、生存を脅かすのであれば戦って撃破せねばなるまい。発生の経緯やら人類に敵対する条件やら、その素性がよく分かる敵、という方が考えてみれば歴史的にも少ない。
この使徒戦も終結したあとで百年二百年も過ぎてみれば後世の人間が評価するだろう。
負けておけばよかったのに、とは少なくともいわれないはずだ。
 
 
咄嗟にそのようなことを考えて、頭に空白をつくった。そうでなければ身体が動いた。
拳が猫の頭部を叩きつぶしていたかもしれない。ノゾミの前で。危ない危ない。
 
 
使徒バルディエル
 
 
猫の黒羅は確かにその名を出した。そして、強主徒などと呼称されることになったが人間側ネルフ本部側の都合など一切おかまいなしに、零号機の足をぶった斬った黄金の牙剣をもつ毛皮をかぶった人型サイズの・・・・使徒・・・・その名を
 
 
大使徒(VΛV)リエル
 
 
何度聞いても、ノゾミはこのように発音する。そこだけまるでなにか乗り移った別人のような吼声で。「にんげんがきがるによんでいいなまえじゃない。くちがもえる。むりをさせるな・・・こほ、そうだね、なんだか口のなかがあつくてからいよ〜」と猫とノゾミがが言った。なんにせよ、もう十分だった。そこまでの話で既にやばすぎる。
 
 
「とにかく、これにはぜったいにてをだすな。こっちがださなければむこうもださない。けたがちがう。やばすぎる」
向こうも同じこといってやがるの。しかし、手を出すなっていわれてもな・・・。
 
 
第二支部、エヴァ初号器、サードチルドレン、碇シンジ、エヴァ四号機、フィフスチルドレン、渚カヲル、バルディエル誘導体、使徒ロボ、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレー・・・・・そして、零号機綾波レイ、フォースチルドレン・・・・・・
 
 
それが、もし、真実であるのなら。スキャンダルなどという生やさしいものではない。
 
 
もし、真実であるのなら。しかし。
 
 
 
「使徒にも、名前があるのか・・・・・・・」
 
 
知識のスタート地点がそこである自分にどこまで理解できると思ったのか、周回ハンデがありすぎやしないかと思う。単にケンカを売りにきたようにも聞こえる。が、課長代理なんて立場がちょいとあろうとそれは組織中枢とは全く関係がない。そんな与太を聞かされてもこの世はこともなく動くだろう、ちいさな波紋のひとつも起こることなく。そんな話を吹聴したとて気が狂ったか洞木と言われるのがオチだ。ソースを明かせば病院にもいかせてもらえまい。ホラー洞木とかテキトーなアダナをつけられてスルーされるキャラクターじゃないし。
 
 
「しんじるかどうかはまかせる」ぬけぬけと猫は言った。ねむそうなノゾミのフィルターがかかっていても自信満々に聞こえる。そんな面構えなのだ。
 
 
「だが、参号機にみとめられないと、あいつらは”くわれる”ぞ。使徒をたおすだけのちからをしょうめいしてみせねえとな・・・・黒羅くん、もうちょっとていねいなことばを使った方がいいよ。コダマお姉ちゃんが相手してくれてるんだから・・・でも、なんのお話なの?コダマお姉ちゃん、分かるの?」
 
 
あいつらは、「くわれる」・・・・・・
 
 
滅茶苦茶怖いことを言われたのだが、ノゾミの翻訳がついているとどうも緊張感が失せる。
 
 
「え、ええ・・・・」鼻違いだか人違いだか勘違いだか言ってたのはそっちだろう!、と思わず猫鼻めがけて指弾を飛ばしそうになったがこらえる。我ながら忍耐強いと思う。
これも妹たちのため・・・・・「でも、それはどういうこと?」
 
 
「はなちがいでもどしろうとでもなんでも、使徒をたおせれば参号機のやつはそれでいいんだ。そういうやつだからな。とりあえず、一勝喰わせてやれば・・・・食べさせてあげる、じゃないの?ん?それだといめーじが違うの?ふーん・・・・大丈夫なの?コダマお姉ちゃん、黒羅くん大丈夫だっていってるよ。まけずぎらいだから、二回も負けるのにはがまんならないだろうって。ばらばらになってよみがえった、ういじん、はじめての戦い・・・え?試合でいいの?・・・はじめての試合だから、なんとしても勝たせてやってくれって・・・・・これってカードゲームとかのお話?」
 
 
「・・・・・・・」
 
 
・・・・・・・・・・・・・距離感が、なんとも、切ない。
 
 
切ないです。こんな切なさは知らなかった。姉妹の間にある温もりの分だけ。コダマです。
 
その猫瞳を見るに、月にも吼えるようにして訴えたいのだろう、強い感情の煌めきを秘めているが、偉そうな割りにこの猫、黒羅羅明暗にして使徒バルディエルを名乗る猫はこにくたらしいほどの器用さで微妙にこちらの立場を気遣う。その強い意思の眼光がこれ以上ないほどの立場の怪しさから浮遊させる。・・・・とても信用できた話ではないが。
理性は脳内から消去し話ごとこやつを一蹴せよと足の筋肉にすでに指令を出し終えている。が、一時停止。
 
 
 
「なぜ、猫・・・・・・」
 
 
そのかわり、口からとろり、と意味のない半熟な質問がもれた。
 
 
アーン・・・・・・
 
 
「・・・・・・・いろいろあったんだって」返答に対するノゾミの翻訳には手抜きはない。まあ、こちらも返答内容を意識して問うてみたわけではない。「時間もあまりない・・・・ん?これからデートなの?やるんだねえ、黒羅くん。じゃあ、ばいばい」
 
 
猫は翻訳の働きを労うようにノゾミに一礼すると「あとはまかせたぞ」といわんばかりにさっさと消えた。めちゃくちゃに巨大な旗を手渡されたような重圧をこっちに残して。死にゆく者の依頼は十分にハードボイルドだが、猫では。
 
 
 
 
「むう・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
自分に何が出来るのか。妹と相棒の少年は参号機に乗って出発してしまった。市街部から多少は距離をとった無人地域からのっしのっしと歩いていったはずだ。時間的に。はじめてのお使い、などと小馬鹿にした陰口を叩く輩もいるが、それを否定できない。なんせちょっと調べたところこの運搬作業の行程順位で「物を受領して無事にケージまで戻ってくる」というごく当然の事柄がブービー賞をとっている。このことは、逆に言えばそれだけ起こりうる事象を数多く想定し、対応するそれだけの人間をつけている、ということで、パイロットの肉親の立場からすれば監督者に礼をいいたいくらい有り難い話ではあるが、組織の一員からすれば無駄な人員稼働であり好ましい話ではない。け、子供のお守りなど、と思うだろうそれは。子供は子供でも以前のパイロットたちが鬼の子供か天狗の子供のように獅子奮迅に大活躍していたことを思えば余計に。
 
ちなみに、行程順位の最優先事項は「使徒が出現した場合、早々に本部内に戻る」ということになっている。要するに、尻尾を巻いてとりあえず逃げる、ということだ。
 
 
「一筋縄じゃあいかない仕事だよね・・・・・向いてないと思うし」
 
 
なぜヒカリなのか。しかも、組織が焦げつきはじめているこんな時期に。
猶予期間どころか修行時間すらなく。
 
 
それに引き替え・・・・・・自分の”これ”は、天職なのかもしれない。
 
 
内省を中断した洞木コダマが振り返った先には・・・・・
 
ダイエットしたミシュランマンかチョコレートコーティングされたマシュマロマンのような・・・特殊衝撃吸収素材で全身を覆った某国の特殊部隊員が4人転がっていた。
 
いずれも足の裏に鉄の棒が突き刺さっている。ぴくりとも動かない。
 
 
諜報三課課長代理洞木コダマを狙ったのはいいが、その対応策として打撃も銃弾も刃物も通用しない特殊スーツ(ダンプにはねられても象に踏まれても相撲部屋の鉄砲柱にしても大丈夫)を着込んできたのもよかったが、こうやってあっさり返り討ちにあったのは悪かった。まさに相手が。銃は携帯していないので除外して、確かに洞木コダマの打撃も手裏剣などの刃物も投げ技もその凄まじい衝撃吸収能力をもつスーツの前には通用しなかったが・・・その凄まじい性能ゆえに地面との反発を生じさせて推進力に変わる箇所、襲撃という性質上失うわけにもいかない機動力を生み出すところ、つまり足の裏は特に衝撃吸収素材ではなかったので、そこに麻酔針を仕込んだ棒手裏剣を立ち会いの間に次々と突き刺していった洞木コダマに敗れることになった。わざとスキをこしらえて、相手に「あえて」ジャイアント馬場の十六文キックを彷彿とさせる、”足の裏を丸見せにするキック”を出させる、という芸当は洞木コダマならでは、であった。どんなスキやねん!とつっこむ間もあらばこそ、戦闘描写も発生しないうちに、敵は次々に倒れていった・・・・もし、標的が”洞木コダマ”ではなかったら、この柔軟の怪人たちは、重火器を装備しているわけでもない諜報員相手の第三新東京市裏道戦闘では無敵を誇ったことだろうに。
 
 
敵を倒す、この一点について洞木コダマはほとんど刹那に有効な答えが出せる。
 
いちいち考えたり迷ったりしていては、この連中にも今頃捕獲されてお決まりの”吸い取り”コースだっただろう。鍛錬はしているが、別に超人的筋力をもっているわけでもない洞木コダマがこうやって即座に勝てるのはやはり発想生成技術に負うところが大きい。ひとことで技の上位に位置する、心と書いてしんと読む、といってしまってもいいしそっちのほうが深みがあるが。
 
 
しかし、この技術を口頭で教えたり伝えたりはできない。機転の利かせ方、というのはたとえすぐそばで手取り足取りしていても教えることはできない。こればかりは本人の資質であろう。なにごともいいように誤解して幸福に生きる、というのもひとつの資質であるように。
 
 
自分が勝つのと、誰か他の人間に勝たせるのとは、かなり勝手が違う。
エヴァを操縦するというのも、そういうのに近いのか・・・・・・よくわからんな。
 
洞木コダマはポケットから銀紙の包みを出すと、口に運んで囓った。煙草ではない。
高速で動いたわりには溶けてもいないチョコレートであった。カカオ分はそれほど高くない。糖分を補給してみたが、いい考えは浮かばない。戦闘する妹、妹と戦闘・・・・・・それらがどうにも結びつかないのだ。それらを結合させる、させようとするだけでもうエネルギーが切れた。しょうがないから、もう一噛み。「・・・・・・・・」
 
 
結局、連絡した回収部隊が来てもなんにも思い浮かばなかった。師匠に相談してみよう、とかその程度だ。
 
 

 
 
 
「ずいぶんと無茶なことを・・・・やりましたね・・・・こほっ」
 
 
座目楽シュノまでも反対票を投じたことで、賛成1,反対3,棄権2でバランスは崩れ、この参号機による運搬作業は作戦部長連から中止の命令が下るはずだった。
 
 
が、綾波レイが発案し、孫毛明が唯1人承認したこの行動はそれにも関わらず実行に移された。複雑怪奇な作戦部長連システムは合議制にすると決まったわけでもなく誰が最上位の指揮権を持つのかすら未だ決まっていない。だが、意見は片寄っている。そうなれば司令自らその無謀な行動を中止させるべきなのだが、遠く離れたところにいる司令は我関せずで「責任だけは承認した者がとるべし」というそれこそ責任の所在を明らかにしたくなることを伝えてあとは沈黙。悪の秘密組織の総帥でも値打ちが下がるのでだいたい口数が少ないものだが最低限の指示出しくらいはやる。これで孫毛明が退かないのが不思議なくらいであるが「委細承知」の四文字で、反対するアレクセイ・シロパトキン、我富市由ナンゴク、座目楽シュノらを呆れさせて口を封じた。こんな運搬作業など別の手段を用いるべきであるし、エヴァなど用いてなにかしくじりでも起こした日には・・・・あまりにリスクが大きすぎる。参号機を使用可能な戦力分として見ていないだけに余計に。
 
 
「無茶・・・・ですか」
まあ、確かにそうに違いないのだが、頼みの零号機が杖をつかねばならないような有様では参号機を一刻も早く使える、せめてサポートには動けるくらいに慣らしておこうというのは悪い話ではないように最上アオイには思える。零号機のシンクロテストの話はじわじわと本部内に広がっている。シュミュレーションだけではいざ実戦というときに狼狽えてしまうこともあろう。ただでさえ、それに乗るのは訓練を受けていたわけでもない、ただの中学生なのだから。適格者。それは特殊な才能というより特異な体質のことを示すのではないか・・・・どうも最近、そんなことを考える。その時点で無茶の限界を越えてレッドゾーン入っているのだから苦しいのだ。
 
 
 
参号機はケージ内で出発の準備に入っている。装甲の色類は「虎斑」先行は「鈴原トウジ」・・・何類チルドレンかまだ正式発表されていないが、本部内の人間ほぼ全員が「半人前」だろうと言う目で見ている。自分もそれに含めて。
作業監督役として日向マコトと綾波レイがヘリにて予定ルート上空にて統括する。
それとは別のヘリがもう一機、交代パイロットである洞木ヒカリと交代作業に関係するスタッフ(医務系を含む)を乗せて先行、旧足柄山カントリークラブにて待機している。
 
この参号機の変わったというか奇妙な性質、装甲の色が変わるとシンクロ可能なパイロットも変わる、というずいぶんと我が儘な、状況によっては命取りになりかねないくせに、さらにその切り替わり時間が全く読めないランダムという厄介な宇宙世紀の機動戦士なこの性質のために交代パイロットが追従なり至近を同道するべきであったが、参号機の走破性能を甘くみないで、という綾波レイの鶴の一声でこういうことになった。この作業に関わるスタッフは八割以上、参号機が市街外周付近をウロウロするだけで夜が明ける、せいぜい「夜のピクニック」で終わるだろうと腹の中で思っていたが、発案者は思いきり本気でこんなガタガタ状態でも日本海沿岸まで行って戻ってくるつもりなのである。言うだけなら気を揚げるだけなら簡単だが、いざ実際にやろうとなるとそれなりの準備が要りようになる。
 
そこで日向マコトが段取りつけてきたのがレプレツェン、山に入りそばにいる小鳥をも驚かすことはない、というその静かな機動をなすJA連合所属、「甘苦愚者」のロボットにペースメーカーをやってもらう、ということだった。これが今回初マラソンとなればむろん記録などは無視でひそかに完走もあまり重視しなくてよいと内々に作業監督には言われている。最初は嫌がっていた甘苦愚者代表のレプレも参号機の最後のパーツを回収したのがこのレプレツェンであるから、奇妙な縁に断り切れず引き受けた。この窓口も日向マコトではなく他の作戦部長連の誰かであれば奇妙な縁も関係なくそっけなくレプレは断ったであろう。真・JAが敗北してすぐあとに連合に様子見に行った彼であればこそ頼めた。
 
そして、当然の如く、戦闘でもないのに真夜中に巨大ロボットが疾走すれば周辺の住民の皆様方の驚きは並々ならぬものであろうから、そのあたりの調整も並々ならぬ苦労であった。が、そのへんの苦労は葛城ミサトの下にあった時分にもさんざんやらされたことであるから今更であったが。だが、それにしてもこの急な作業に対応する人手が足りない。
 
作戦部長連の全会一致どころか反対しとる方が多い、という現実の前に組織の機動は滞りがちであり、それに加えて換骨奪胎された新体制それ自体の反応が鈍くあちこちに潤滑油が足りない感じでそれぞれの人材は無能ではないのだが、どうにもぎこちない。
 
御殿場に設えた運搬作業の指揮所に旧第二支部から、命令も受けているわけでもないまったくの自己意思によってヘルプが来てくれなければ相当ぶざまなことになっていただろうが一応、形だけは整えることができた。特に電力、バッテリーの専門家が立ち会ってくれるのは有り難かった。この熱心な肩入れ具合もまた不思議ではあったがむろん、文句などない。「・・・副司令がやってくれたのかな?・・・・」首をかしげる日向マコトだが検証している時間などない。鈴原トウジ、洞木ヒカリ、子供ふたりの肉親が第二支部にいた、という話もきかないが。それだけでもこれほどの人数は動くまい。
 
ともあれ、パイロットの子供二人を助力するために、こうして他部署の者たちが熱心に動いているのに、組織の外からも機材と人間を呼んでこないとならない状況で・・・ッ!と日向マコトは恥ずかしく思い歯噛みをしていた・・・・・・
 
 
ふうでもない。最上アオイなどはそれが不思議に思えた。これを機に葛城ミサトが乗りうつったような熱血采配を始めるものかと、内心、ちょっと、わずかに、期待していなかったといえばうそになる。
 
 
「待ち伏せの可能性が・・・・・・・こほ・・・・・ありますからね・・・・・エヴァに打撃を加えうる、それでいて人型サイズの使徒・・・・・・それが進行ルートの一点で待ちかまえるなりしていたら・・・戦闘時の索敵体制でも・・・発見できるか・・・どうか・・・ふいをつかれれば、・・・・こほほっ・・・・参号機などひとたまりもない・・・・・・・でしょう・・・・日向二尉は・・・・彼女を諫め・・けは・・・・止めるべき・・・・・・でした・・・・・零号機が即応援護にまわる体制も・・・・・・ととのっていませんし・・・・・」
 
座目楽シュノの声は悲しげで、それが最上アオイの背を凍らせる。このよちよち歩き状態のはじめてのおつかい状態の参号機を使徒が、敵が襲う?いくらなんでもそれは・・・・だが、それは敵性体の思考ルーチンとしてはごくまっとうで自然なもの。
まあ、そういう条件なら、<戦闘中>であれば、襲うだろうな・・・・・・それは
 
 
「彼女の従人性は・・・・・認めますが・・・こほほっ・・・あれでは、組織の・・・・新陳代謝も・・・間に合わない・・・・・・でしょう・・・・・誰かが・・・彼女を・・・・抑制しな、けれ、ば・・・・・・まだ、十四の・・・・子供・・・・です、から」
 
 
「子供の暴走と・・・老人の退廃・・・・・・ネルフは・・・・引き裂かれて・・・・いき・・・ますよ」
座目楽シュノの声と同時に虎の模様も冴え冴えとした参号機が発進していった。シンクロ値もそこそこの数値を示しており、パイロットの少年も落ち着いているように見えた。
だが、それが道中待ちかまえていた使徒に唐竹割りにされて、その姿もこれで見納めなどということになったら・・・・・・がたん!!反射的に席から身を浮かせる最上アオイ。
 
 
「どうしたの?」らしからぬ同僚のアクションに大井サツキが声をかける。ちなみに担当のエッカ・チャチャボールは今作戦は棄権したのでとりあえずヒマである。明確に反対した我富市由ナンゴク担当のかわいそうな阿賀野カエデはこんな折りになにやら用事を言いつけられたらしく発令所にはいない。
 
「いえ、なんでもないの・・・」座り直した最上アオイは鋭い同僚に答える。ただ見ているだけでは参号機の雄姿にハッとして立ち上がりかけたように納得して見えるだろう。
それともそんなに顔に出ていたのか。動揺が。これから何が起こる惨劇の予感などに。
映画館じゃあるまいし。そんなことにはならぬように各所にサポートをおいているのだ。
 
 
大丈夫、きっと大丈夫・・・・・・・ただの運搬作業だもの・・・・・
 
無事に、あの子たちは戻ってくる・・・・・・なにごともなく、初機動の感想などを興奮しながら話し合ったりして・・・・・「大丈夫ですよね・・・・・・」なんの救いにもならぬどころか、明確に反対した作戦家にこんなことを聞いてしまう弱さ。こんな時、前の作戦部長なら・・・
 
 
「なんとも・・・・・いえません・・・・・ごめんなさい・・・」
 
 
こんな心が濡れ鼠になるような正解は答えなかったはず。聞いた方が悪いのだが。
 
 

 
 
「異常なーし、ひとまわりまわってきたけど、だーいじょうーぶ」
 
 
いかにも裏の仕事で活躍していますよ的黒スーツでありながら、間延びしきった口調の若い女が洞木ヒカリのところにゆらゆらと戻ってきた。サングラスを透かして目元に灯る赤、それは異常においてこそ揺るぐことのない信用の証、赤い瞳、ゆらゆらと動くたびに赤い光を曳いている。奇怪な光景のはずだが、その赤さはどこか洞木ヒカリを安心させた。プラグスーツなどに身を包み、これからエヴァでの初仕事ということで心拍数があがりっぱなしなのだが。それは綺麗だと。
 
 
「ほ、ほんとに大丈夫だろうな?ツムリ。こんなだだっ広いところで戦車軍団に襲われたりド、ドーベルマンとか象を連れた一個師団に蹂躙されたり腕利きスナイパーにハチの巣にされたりとかしないだろうな!?」
洞木ヒカリの傍に控えながらかなり落ち着かない若い男。同じくほのかに赤光するサングラスをかけて黒服ではあるが、さきほどからガタガタブルブルと。とてもプロとは。それをヘタに隠そうとするので見ている者の不安を煽るより哀れさを呼ぶことで逆に落ち着かせるというキング・オブ・小心ぶりであった。
 
 
「じゃー、あんたがみてくればいーよ。ノラ犬にやられちゃえ」
綾波ツムリは言葉だけなら洞木ヒカリの同年代以下の知性で言い返した。
 
「なんだと!?ツムリてめえ・・・・・」「まあまあ、チンの兄貴、ツムリさんも。ヒカリちゃんの前ですから。ここはひとつ」「犬にやられては仕事にもならぬ・・・その上、これはあくまで念のためだ。まだ能力が実証されていない彼女をその機会を奪ってまで害する者もいないだろう・・・ご苦労だったな・・・・・・三回か」「うん。叩くだけ」
 
そして少し小太りの若い男と総髪の少し歳のいった四十代くらいの男性、同じく黒スーツにほのかに赤い光を灯したサングラス。彼ら四人は護衛なのだと洞木ヒカリは伝えられた。
 
 
旧足柄山カントリークラブ。想定ではここでパイロットの入れ替わりが行われることになっている。未定色のかなり強い想定ではあるが。状況次第ではこの地点の前でも入れ替わりになろうしこの先で入れ替わりになるかもしれない。が、バッテリーの交換はここでやるのでどちらにせよここで一休みということになる。いろいろ運用データをとりながらやることだから、荷物を必ず運ばなければいけないってことじゃないんだよ、とこの作業の指揮を執る日向さんは言っていた。慌てずにやればいい、という心遣いなのだろう、と洞木ヒカリは受け取った。真面目にやる気ではいるが、這ってでも行ってなんとしてでも取ってこい!とか怒鳴りつけられたら嫌だし困るな・・・とは思っていた。実際、どこまでいけるものやら、全然分からないのだから。いまさら、これって夢みたい、などと気の抜けたことは思わないし、自分なりに覚悟を決めたつもりでいるが、
 
 
彼はどうなのか・・・・・・・・・
 
 
鈴原トウジ。先行して乗ることになったもう一人の参号機パイロット。彼の計画では、こっちは期限付きの腰掛けパイロットであるから、彼こそは参号機のパイロット、ということになるのだろう。その、知恵も勇気もある、花も実もある男っぷりに、花は桜木、男は鈴原!あの時は自分もさぞ動揺しているだろうところでこちらをそこまで大事にしてくれる気持ちが嬉しくて内心で喝采を叫んだし、一段と惚れ直した、ところであります・・・ていうか、なぜここだけ軍人さん調子になるんでしょう。
 
 
けれど、それだけに
 
 
無茶な焦りとかをしなければいいと思っている。いいところを見せて調子に乗る、とかいう軽さはすでに彼の中にはない。自分自身で重みを増そうとしている、そんな感じだ。
エヴァに乗る、乗れるのはずいぶんと希少な才能らしいが、そんなものに心当たりはどうもない。今でも、それは変わらない。確信もないのに乗る、乗れるというのは調子に乗りすぎているだろうか。動かせるだけでもスゴイのだと人は言うが、たぶん意味なんてない。動かして、その後だ。大事なのは。そのことを実現できるか。
それが実現できないのに、動かしてみせるのは騙しだろうと思う。
自分たちのような子供をわざわざ騙してもしょうがない。その点は安心する。
大人が皆、首をかしげながら、これが真実であるのかとおそらく何度も確認しながら、自分たちだったのだ。
たくさんの人が関わっているのだ。たくさんの人がエヴァに関係している。今もそうだ。
そんなものが、ただの子供騙しであるはずがない。わたしはそれを信じる。
 
 
彼は、どう思っているのか。何を考えてエヴァに乗るのか。
ただ男をたてるためだけに、この大勢の人間が支えてくれる御神輿に乗ろうとするなら。
 
 
・・・・・とんでもないことになりそうな気がする。
 
 
ここで彼の分もつくってきた二つ分のお弁当を食べて帰るのでも、構わない。
 
いろいろあって、これからもいろいろあるだろうけれど、ひとつ、決めたことがある。
 
たいしたことのない子供だ、と、多くの人の期待を裏切るのかも知れないけれど、がっかりさせるかもしれないけど、自分は、それでいい。暗いところに引きずり込まれる前に、留まる。留める。自分に期限を切ってくれた、あの優しい男の子を、守ろう。苦しいことには耐えられても、弱い、といわれることにはどうも耐えきれそうもない健やかな彼を。
 
 

 
 
「早い・・・・・驚きを通り越して嘆きたくなるほどだよ」
本部内の自室にて冬月副司令が誰やらと通信していた。
 
「参号機のパイロットなどと・・・・・・私が彼らの写真を見せられたのは葛城君の出立の時分だったというのに・・・・・もう機体に乗せられるとは・・・・あまりに早い・・・・・スケジュールもなにもあったものではないよ」
綾波レイの発案による参号機による武装の運搬作業・・・・・副司令権限で中止させることは当然出来た。だが、そうせずただ見ているだけなら嘆く資格などない。その強引な愚挙暴挙に明らかな利を見いだしている身にしてなおさら。
エヴァの機密に深く長く関わってきた立場からいえば、参号機がなぜあの子供二人を選びシンクロし起動を許したのか不思議でならない。一度バラバラになった参号機を再組み立てした赤木博士の行動も尋常なものではないが。初号機不在の現在、この第三新東京市は人類の鎧都とはとてもいえぬ。王がおらぬ城は攻め寄る敵にいつしか門を開くしかない。
 
 
王の不在を預かる・・・・・王と婚姻したわけでもないのにそれを女王といってしまってよいかは別として・・・・・”女王”は・・・・・・いや、歳のころを考えれば王女というのが相応しいが、別に王の娘というわけでもないのだ・・・・それはともかく。
 
 
王女以上女王未満というか・・・・・都に攻め寄る敵を滅ぼしうる、守護の役目を果たす組織の象徴ともなるべき存在は、二人いる。一人は縦横無尽に駆け回り暴走過熱気味の綾波レイであり、そしてもう一人は・・・・
 
 
「そろそろ感づいている者もいる。今回のことで目をそらしてくれればいいのだが・・・・・なにせ、彼女の得た力は・・・・この業界の禁忌中の禁忌だ。いや、彼らにとってそうであるだけで、こちらではごく自然な成り行きなのだがね。ともあれ、理解されることはないだろう・・・・時がくるまで秘匿させてもらう。零号機があの調子では、現在ネルフの所有する最高戦力は彼女なのだから。ヘタに動けば気取られる・・・奪われるだけではすまないだろう・・・くれぐれも・・・・・君も思わぬ所で無茶なところがあるからな。釘をささせてもらうよ・・・・・・そう、たとえ参号機を失う事態に陥ろうともだ」
 
 
「伝えたいことはそれだけだよ。・・・・・・面子などいらぬよ。・・・・誇りを語るにはまだ若すぎるだろう。・・・・八号機を引きずり落とせばそれでいい。それでシオヒトとやらも満足するだろう。あの機体、ほんとうに天に留まってこちらを監視している・・・・”ボクシング・ゲヘナ”・・・あのようなものが完成していたとは・・九号機の足まで代償にして・・・・あの連中の考えることは・・・・ユイ君の考えることと・・まさに対極だな・・・・・」
 
 
「それでは、くれぐれも頼んだよ」
愚痴にも近い長話を締めくくる。通信相手はいつもと変わらぬ調子でそれを受けいれた。この状況において尻込みも悩みもしないその神経は頼りにしてもいいのだが、怯えによる頑迷さで機械的にこの言葉が守られることはないだろうことに一抹の不安を覚える冬月副司令。あくまで自然に自分自身であり続けるのだろうあの男は。胃痛などとは縁がなかろうな・・・・・当然。羨ましい。
 
 
通信を終えて残るは山積みの仕事。完全にお飾りである司令が司令の仕事を殆どやらぬためその分をこなさねばならぬためにそれは殺人的な分量であった。しかし、ここでネをあげれば僅かに残った自由裁量権を大幅に削られるハメになるだろう。優秀な秘書という名のスパイを揃えて手ぐすね引いて待っているだろう委員会の連中の顔を思い浮かべて気力を奮い立たせる。これでも年の割には頑強な方なのだ。おそろしくヒマだという北欧支部でロンゲの手入れでもしているであろう青葉君の顔も思い浮かべる・・・・・・なぜか、さらに気力が沸いてきた。戻ってきた時に彼にやらせる仕事についてまで考えてしまった。
 
 
 

 
 
「・・・・・あれは」
 
 
へリから参号機を先導する役のレプレツェンを見て綾波レイが呟いた。発案はしたが具体的な手順については日向マコトたちに一任してしまっている綾波レイはそのことを出発時に知ったわけである。シンクロテストを終えた後、ミーティングに参加することもなくそのまま直接作業統括用のヘリに乗り込んだ。どこか痛むのか足を引きずるようにしていたが乗り込むときに案の定転けそうになって日向マコトに抱き留められた。そのあまりの細さ体温の無さにギョッとしたが、口に出しては何も言わなかった。赤木博士からの連絡でシンクロテストのことも知っていたが。その目を見れば、とても「君はいいから、休んでいて」とは言えなかった。葛城さんなら情け容赦なく医務室に閉じこめたかな・・・とは思ったが自分にはやれそうもない。実際、ただの実作業ならパイロットの意見を参考にするようなこともない。この様子なら寝てもらった方がいいだろう。だけれど。
これもまた、ひとつの戦いなんだろうな・・・・・・と思うと、そんなことは言えない。
今の綾波レイはただのパイロット、チルドレンなどではない。他の肩書きまで、その細い肩にのせきれずに、背負って、よろけながらも、立っている。完全なるオーバーワーク。
 
 
長生きしそうにない・・・・・・・・正直、そう思った。
 
いかにも長生きしそうだったあの子が、どこかにいってしまって。
 
 
「ペースメーカーをお願いしたんだよ。参号機もどこまでやれるかは分からないから」
 
ただまあ、そういった心情と実際作業の見積もり計算は別物であり、そうでなければ完全素人の参号機の二人は大いに困ることになるだろう。訓練混じりとはいえ運動部のシゴキではないのだ。
 
 
 
「・・・走破性能が違いすぎます」
 
ほとんど感情のこもらぬ、それゆえにこのタイミングの返答はおそらく非難だったのだろう。日向マコトには意外だった。自分はおそらく、彼女に怒られたのだ。ただ腹は立たない。ただ意外なだけ。何を根拠にそこまで参号機、しかも乗っているのはずぶの素人の子供、をそこまで評価できるのか。冷静さを失っているふうには見えぬが、彼女らしからぬ・・・・これは期待か、願いか。レプレツェンの山中移動性能は知っているはず。使用団体の性質上、その機能やらも装備やらもそれ用に特化されており周辺環境を乱さぬという制約をつけてなおその速度に敵う二足歩行機械はあるまい。平地でレースをやるならもっと早い機体はあるだろうが、今回のようにアップダウンの激しい道なき地域をわざわざ行くとなれば、制式タイプのエヴァ、弐号機に惣流アスカレベルのパイロットを乗せたとしても、遙かに経験の勝る操縦者、レプレの技量を計算に入れるとレプレツェンが同時スタートすれば多少のトラブルがあろうと先行し続けるという計算結果も出ている。まあ、惣流アスカの駆る弐号機がレプレツェンを追撃して狩る、となれば話は別だが。こうした作業歩行なら走破性能はレプレツェンに軍配があがる。記録を狙うわけではないのだから。
 
 
「まあ、大丈夫だと思うけどね。レプレツェンと同行しなければならないわけじゃないからあの機体が遅れるならそれでもかまわないわけだし」
 
その心情をこの機会に探ってもみたかったが、それも危険な賭な気がしてやめた。適当にかわす日向マコト。綾波レイからの返答はない。レプレツェンから視線を外したのは納得したせいか、どうか。その横顔は、かなり読みにくくなっている。その重責からかなり追いつめられているのではないか・・・・・いや、こんな状況でのんきにしていられるわけもなく副司令以下ネルフ職員一同、追いつめられているに決まっているのだが。それが参号機のパイロット・・・・チルドレンというのもなにか違うような気もする・・・・・鈴原トウジ君や洞木ヒカリさんに鋭く向けられることになったらまずかろう、と思った。
自らの力が足らぬ分、ほかに強く、重く期待するのはしかたがないが、それに受ける方が耐えられなければ・・・・・酷な話だ。どちらにしても。
綾波レイ、この少女は荒療治ならぬ、荒育成をする気なのか・・・だとしたら。
 
 
「・・・・・あの人たちは、どうして、ここに・・・・」
 
だが、綾波レイは別のことを言い出した。
 
 
「あ、あの人たち、というのはJA連合のことかい?」少し、気を外される日向マコト。
言葉も少なく、真意を測りかねるところもあるが、少し頭をひねって問い返す。
 
 
「真・JA・・・・あの機体があんなことになって・・・・・・自分たちのことで手一杯のはず」
淡々と。そこには特に同情などは見られない。事実を理科の教科書でも読み上げるように。
これをどう受けとるか・・・・・・むつかしいところであった。底なしの無関心のようでもあるし軽蔑すら沸いてこない乾燥しきった絶望のようでもある。少なくとも好意や謝意をそこから感じ取るのは非常に難しかった。分からぬから、一つ、石を投げ込んで様子を見ることにする。石、というのは真・JAがやられた後、自分が第二東京に連合本部に見舞いに行った時のことである。「ああ、彼らは・・・・・」
 
 
唯一の自慢であるJTフィールドを打ち破られたのならまだしも、使徒に奪われそれを転用されたという考え得る限り最低最悪の負け方をしたのだ。エヴァ一色であるはずの使徒殲滅業界地図で多少は斑をつくっていた勢力である、という自信を粉々にされたはず。
 
 
そろって首でもくくっているのじゃあるまいか・・・・・・・・・・・・・ああいう普段ハイテンションの人間が落ち込むと激しいからなあ・・・・・ブラーんブラーんと・・・
第二東京ブラブラ節だよ
 
 
ひそかにそんなことを思いながらJA連合の門を叩くが、中から聞こえるのはなんとも騒がしい、宴会でもやっているような声だった。「発狂したのか・・・」葬儀屋を呼ぶくらいならともかく、そろってそうなった者たちに取り囲まれて火あぶりにでもされてもかなわないので逃げようかと思ったが、振り向くと「酒屋でーす」「寿司屋デース」「中華料理屋でーす。ご注文のブタの丸焼きと北京ダックお持ちしましたー」「出張料理人です」
 
 
ほんとに宴会をしていたらしく、やってきた出前たちに連合の人間と間違われて代金を請求されてしまった。中にいる人間は何がそんなに面白いのかベラベラに酔っており届けられた酒と食物を奪うだけ奪って代金など払わないというか払えない。酒呑童子の御殿かここはと呆れていると「はあ?なんで宴会なんかしてんのこいつら!!金なんかないわよ!!こっちだって来たばっかりなんだっての!え?か、関係者だけどさ、そりゃ・・・・でも金なんかない・・・時田!時田!どこいんのよ!!」ちょうど同じタイミングで連合前に到着したオレンジ髪の少女に代金請求が集中したのを見かねてしょうがないから立て替えておいたが。うーむ、組織の崩壊にはいろんなパターンがあるものだ。おそらく連合解散式のつもりなのだろう。この騒ぎは。もうダメだな。とんだ無駄足になったか・・・・・と思いつつ、とりあえず時田氏にお悔やみだけ告げて早々に帰ろうとして人の群れの中を探すがなかなか見つからない。このヤケぶりで真・JAの回収作業は大丈夫か・・・・・と心配になってきたところで誰かに腕をつかまれた。
 
「おや。ネルフの方がきてくだすったんですか」
 
ビールだかシャンパンだかをさんざん浴びたらしく匂いはすごいが、目の光だけは乱れなく確かに人の上に立つ者の気合いを宿して時田氏がそこにいた。
 
「いやー、めでたいめでたい!!JAを開発してきてこんな嬉しいことはない!こんなめでたい日によくぞ駆けつけてきてくださった・・・・ネルフの・・ええと」
だが、やはりかなり飲んでいるのか言うことは完全に頭おかしい。
「作戦部の日向マコト・・・」
 
義務的に告げ終わる前に時田氏の後頭部にビール瓶が投げつけられて派手に割れた。
 
 
 
「なにドふざけてんのよっっ!!このクソ時田!!なんなのよこの負け犬カーニバルはあっっ!!いきなり代金請求されるしっっ!使徒にJTフィールド使われて負けたのよ!?これ以上の屈辱はないじゃないのよっっ!!こんなこんなこんなこんな・・・・っ!人間バカにした話があるかってのよ!!それなのに・・・・・・もう少しドクロタワーの解析が早ければテレコントロールで腕力増大させてあんな犬っころ、引き千切ってやったのに!!それなのにこんなこんなこんなこんな・・・・・・・・・・・」
 
 
その奇異な発想の割りにはかなりの石頭らしい時田氏が振り向くとオレンジ髪の少女が泣き叫んだ。場が一気に静まりかえった。叫びはぼろぼろとこぼれ、あとは涙になる。
「ヘラヘラ負け笑いしてないで・・・・・・・泣いて怒ってよ・・・・・・時田ぁ」
 
 
部外者である日向マコトも先の剣幕が転じてコレでは、ぐらっとくるものがあった。
というか、明日は我が身でありこれは見下した同情では決してない。だが時田氏は平然と
 
 
「なぜ泣かねばならぬのだね。怒らねばならぬのだね・・・・・分からないね。使徒がJTフィールドを転用した。祝いこそすれこれを嘆く必要がどこにあるのかね・・・ナオ・・・いやいやナゾの少女Aよ」
ナゾの少女Aと呼ばれたオレンジ髪の少女はギラリと時田氏を睨みつけるとそこらのテーブルにあったチキンレッグを手に取ると顔面に投げつけた。時田氏はよけなかった。
 
 
「ふみゃむりょがぽぎり・・がぽははふむむみょはむりへまもへめも・・がじぽじ」
 
 
「「鶏の足を食べながらしゃべるな!!」」
 
その場にいた全員からつっこまれる時田氏。
 
 
そのつっこみ要請にこたえて食べながら喋るのを止める。しばしその場にマヌケに響く咀嚼音。「そういえば、飲むばかりであまり食べてなかったな。いくらめでたくともこれでは胃に悪い。・・・まあ、それはいい。ナゾの少女Aよ。一応、君も未成年ということだから国連直属の特務機関の職員さんがいらっしゃるところで駆けつけ三杯というわけにもいかぬ代わりに教えておこう。そもそもなぜ今日がめでたいのか分かっていないようだ」
 
 
「ダメだ・・・・・完全にアタマめでたいこいつ。真田!真田はいるの!?あの冷血女くらいしか話が通じそうもないわ・・・」
もはやいたたまれずに駆け出そうとしたオレンジ髪の少女の足を時田氏の声が止める。
 
 
 
「使徒が、脅威を認めた、ということなんだよ」
 
 
 
「え・・・・?」
 
 
「JTフィールドを転用した、ということは。エヴァではなく、我々のJAを。使徒は、恐れた。人類の天敵を恐怖させた・・・・この偉業の達成をなぜ喜ばずにいられる!!」
 
その声は強く、高らかに。天上に突き上げた鶏の足骨とともに。キロリ。光を宿す時田氏の目は日向マコト、それの背後にいるネルフをはじめとする使徒殲滅業界の闇を射抜くかのように向けられた。
 
「そういうことで、ネルフの日向さん。わざわざ祝賀の駆けつけ、実に有り難くJA連合を代表して、時田シロウ、厚くお礼申し上げる。そちらも今回のことでさぞお忙しいことでしょう・・・その中をまことに」
そして、頭だけは丁寧にさげる時田氏。それは、身体は折っても心は・・・・・
 
 
 
「うーん、ビール瓶の破片が刺さっていたんだよね・・・。なにはともあれ、そういうわけで全然まいっていないね、あの人たちは。心意気は折れていない。まだ、戦ってくれるよ。なんのかんの言いつつね・・・・・僕たちと一緒に」
 
 
「そう、ですか・・・・」
綾波レイにはその場の空気や時田氏の表情が確かに感じ取れた。日向マコトの話術の巧みさのためではなく、単に綾波能力のおかげである。その怖さを感じる部分が麻痺している。
日向マコトが連合の見舞いにいってそのままなかなか戻ってこなかったというのは協同戦力の保持・・・そのやせ我慢にして空元気をなんとか形にするためだったのだろう。
彼らの存在は、使徒がいなくなり、エヴァ同士で殺し合いをしたい勢力にしてみれば非常にめざわりなものでそのまま潰れて立ち消えてくれればまさしく拍手喝采ものだったろう。なぜ時田氏と真・JAがバルディエルの糸に絡まれなかったのか・・・・不思議だったのだが。
そして今、バルディエルが一度は完全に巻き取ったエヴァ参号機に自分が導いた彼らが乗る。赤木博士が最終的な注意事項をエントリープラグ内の鈴原トウジに与えている。
 
 
この長距離移動を人は無理だという。だけれど、足腰は全ての基本。自分の、零号機の足が利かない今はなおさら。もし、速く走れるのなら。単純なこと。
 
 
それだけ速く逃げられる。ATフィールドもバビロン化しない限り地の果てまで追いかけてくるわけでもない。機体には全ての記憶が、黒羅羅明暗、格闘戦最強の操り手の記憶が残されている。戦闘はそれを励起させればわけはない。それが励起されなければ、普通の訓練を受けたわけでもない、早熟半熟以前の生卵状態の彼らが参号機をどうこうできるわけもない。乗る意味がない。ただ、記憶を呼び覚ませば、いい。それはダミーにはできない。人間だけがなし得る。もともと、エヴァというのはそういうものなのだから。
 
 
ふと、ユイおかあさんのことが思い返される。心の中に波紋が広がる。それは身体のなかを走り、シンクロテストの後も鈍く残る左足の幻痛を、連れ去るように消していく。
 
 
「・・・・・」
感情がなくなっても、記憶の中で面影を再現して甘美を思い起こすことはできる。
自分の時を止めての刹那の平穏、安らぎ。
 
 
だが、自分が立つハードボイルドな状況がそれを決して許さないことを綾波レイは忘れていた。エヴァの恐ろしさ。怖さを感じることのなくなった心は、真実から遊離する。
 
 
人造人間エヴァンゲリオンは、そのようなものではない。人が組み立てておきながら。
いやさ、人が造り上げたからこそ。
 
 
時間が来た。ヘリが離陸した。参号機が歩き出す。パイロットのシンクロ率に応じて機体は応えて、足を前にすすめた。一歩、弐歩・・・・大地を足の感触を確かめるように。
 
 
 
そして、虎の模様を浮かばせた巨人は夜の行進を始めた。
 
 
まさか使徒が待ち伏せなどしていないだろう、という想定の下に。虎児が、穴を出た。