「あーあ・・・もうクムランに帰らせてもらえないのでしょうか・・・じめじめしてて塩法印の固定も難しいし、こんな蛞蝓砦みたいなところ・・・「聖蛇霊への連濤の書」のヒンドゥー語訳もまだ終わっていないというのに・・・・あーあ・・貴重な時間が・・神ノ国が遠ざかっていきます・・・・まさに暗黒タルタル法皇です」
 
 
ネルフ本部・深度領域旧ロンギヌス槍封印空間にて見張り役のル氏の呪術士がぐちっていた。ずいぶんと説明ゼリフめいているのは、これが愚痴であるからである。性格もあるが。
ル・パロウ・ヴォイシス。司令であるル・ベルゼが派遣してきた封印技術者の中でも一番若く、つまり下っ端であった。ちなみに、今のところ誰も知らないのだが、地元中学校に通う一般人の中学生、山岸マユミにそっくりであり、世界には自分と同じ顔の人間が三人いるのだなあ、と会えば納得しきりなほどにクリソツであった。ただ、そのナリは完全に異なり、ル氏の呪術士につきものの寝袋のようなばかでかいリュックを背負ってその上に衣をまとっているものだからかなりの猫背。フォルムだけ見ればかなりの異形。
 
厳重に封印を執り行われているはずのこの空間で見張っているのは彼女だけ。
 
あとはそれらしく祭器などをもってもっともらしく陣をなしていたりするのは人形だった。半数はこないだくらった罰のため本当に足腰が立たないのと、半数はサボタージュであった。
 
 
現在、この場所に「ロンギヌスの槍」は存在しない。
 
 
ない、と言い切ってしまったほうがよいのかもしれないが、別に盗まれたわけでも消失したわけでもなく、そうなれば自分たちがここにいる必要もないのでその方がいいんですけどね、とパロウ・ヴォイシスなどは思うのだが、かの使徒殺しの槍は今はない。
 
 
代わりにあるのは、奇妙なかたちをした・・・・マジックハンド・・・魔神の手とでもいえば無聊も慰められようが、それもかなわぬほどにそれらしい気配は消え去っている。
ふつうの、物体。エヴァ用の義手ですらない単純簡素な、抜け殻。そう、抜け殻だ。
そこにはあれほど漲っていた神性も魔性も完全に失せきっている。変形と同時にその中にあった不可視のエネルギーは高次元に飛翔してしまったかのように。
 
 
ロンギヌシュ
 
 
神話的なのか幼児的なのか、あえて崩して呼んでしまうとじつにしっくりくる。その赤い手からうにうにと思い出したようにたまーに放射されるダメダメーな感じがたまらない。
 
いっそそのまま廃物置き場に捨ててやりたくなるほどに。呪術士のその方向に研ぎ澄まされた感覚にはこのダメダメーな感じがひじょうにカンにさわるのだった。ストレスたまる。これなら重度の緊張を絶えず強いられるのだとしても、世界の密義を求める者として、一切の理解を拒絶する硬質の闇と魂すら白消しされそうな高圧の光に挟まれプレスされていたほうがまだましであった。
 
 
だが、いまや。それは
 
 
便宜上、ル氏の札も前以上に貼り付けてあり、塩法印をはじめとする種々の封印技法を施し、運動エネルギーをかたはしから吸収し続けるゲル球を数珠つなぎにした特殊なゲドルト鎖(計算ではエヴァの団体が公式ルールで綱引きしても千切れない、ことになっている)で何十にも巻かれ、搬入路もあとの不便も考えずに徹底的に固め、ゲートの何カ所かはネルフの連中に黙って完全に塞いでしまった。
 
そこまでする必要は、まったくない、と、そこらの荒縄で括っていたとしてもこの物体は逃げ出すどころか身動きひとつできまい。抜け殻だからだ。あまりに手荒にするとくしゃっと潰れてしまうのではないか。・・・・・このようなものをご大層にまだ封印する必要がどこにあるのか。異議を唱える者は当然、長に「サボテンヘッド」や「レイザーバック」「ヨグヨグティング」などひどい呪いをかけられた。
 
その状態でネルフ職員と鉢合わせたりすると・・・・・まあ、また距離が開くことになる。
もともと馴染む気もないが・・・・・・はやくあの快適な洞窟暮らしに戻りたい。
とりあえず封印することが自分たちの役目であり、その他のことは知ったことではないし知りようがなかった。
 
 
だが、その役目は一度、破られている。術式設計がベルゼ長がなさったことであるから罰は最小限のものですんだが。あとの調べで札が何枚か事前に何者かに破がされていたことが分かったが、当然、皆で沈黙を守った。あれは槍の力が封印を上回ったのだ。そういうことにしておかないとどんな目、どんな顔にされるか・・・・たまったものではない。
ル氏の封印が部外の者に手を入れられ、その結果、破られた、ということは非常にプライドを刺激されるが、あまり怒りは沸いてこない。その解析の見事さを賞賛する者すらいる。というか、あの状況でもし槍が、ロンギヌシュが出ていなかったらどうなっていたか。
遙か遠くのクムランにいるベルゼ長はよかろうが、封印現地にいる自分たちの身の安全は呪いなどで保証されるものではない。大量の使徒を撃退したネルフ本部だと言うから多少は信用していたが、実際は全然だった。槍と同じで抜け殻なのだろう。
 
 
今夜も、何を思ったのか素人をエヴァに乗せて遠乗りに出かけるなどと・・・・・まさに七色に輝く夢見る人々の砦。ああ、夜にもかかわらず門を開きよそ者を招く篝火をともして。このスキに本部に入り込む部外者も大勢いるだろう。すでに内にある潜伏者も動き出すだろう。それらをどのように駆逐するのか・・・・外にあまりに多く人を出し過ぎている。まあ、知ったことではない。ここにはすでになんの価値もなく、なんの密義もない。
見るだけならば見ていけばいい。まあ、術式に通じぬ人間がやってこれる場所でもないが。
 
 
「本部内はなかなか騒がしいことになっているな・・・・・・参号機はとりあえず目的の装備を受領したらしいが」
 
 
シャンと背を伸ばして現れたのは、ル氏の派遣呪術士の中でも唯1人儀式袋を背負ってないことで体型が崩れていない、その代わり塩の双剣を腰にさげている封印衛士、ル・クァビカ・バタロウテイルであった。衛士であるからこの間においてパロウ・ヴォイシスの守護をせねばならんのだが、ヒマなので本部内を散歩してきた彼もつまりサボり組であった。
 
もしかしたら何人か侵入者をブッタ斬ってきたのかもしれないが、塩味無臭である彼には窺うことができない。
 
「施設内が騒がしいのなら、ここも危なかったわけですよね。その割りには急いで帰ってきてくれなかったんですね、クァビカさん。恨んでいいですか」
 
「人形のふりでもしておけ。そうすれば呆れて帰って行くだろう・・・・さて、もうひと巡りしてくるか。なかなか面白いところだな、ここは。」
 
「・・・様子見にきただけですか。じゃあ、ちょっとだけいてください」
 
「おいおい、抜けたければ抜ければよかろう。長も瞑想中でこっちに目を飛ばしてこない」
 
「ここで無人にすることは、私にとって負けなのです・・・・それじゃ頼みましたよ・・・それにしてもエヴァ参号機の駆けぶりは大したものですね。まるでシルレルの詩のようです・・・私もいそがないと」
 
「なんだ憚りか・・・・あの早足は。しかし、術士ではなく衛士であるオレが残っていてもしょうがなかろう。パロウよ、お前はすでに負けている」
 
頼まれたのにもかかわらず、シャンと背を伸ばして堂々と封印空間から去るクァビカ。
 
誰も予想していなかった参号機の目的地への到着でいろいろと各地で面白いことになっているのだ。こんなところで留守番などして時間を無駄になどできたものではなかった。
 
 
 
はたして、監視のない無人状態におかれた旧ロンギヌスの槍、現ロンギヌ手は・・・・
 
 
 
 
「・・・・・・・・・」
 
 
 
己の出番がやってきたというのに、なにもすることなく、微塵も動くことなく、封印がかけられたまま、じっとしていた。遠く離れた土地でかつての主の友人が乗った機体がどのような目にあうか、知ったように知らぬように。
 
 
ノーアクションでターン終了。
 
 
 

 
 
それは暴走であったのか、それとも力走であったのか。正義なき走りは暴走であり、力なき走りはリタイヤである。ともあれ、鈴原トウジの乗ったエヴァ参号機は目的地に到着した。やはり参号機の到着は現地の勘定に入れられてなかったらしく、もう荷下ろしされた武装やらはロケット発射台のようなものに積まれてそろそろ出発しようかな、というところでいきなり暴風とともに巨大な人影が飛び込んできたので現地は一時、大混乱に陥った。
 
 
キャンプ親知不
 
 
が、今は落ち着いている。作業に関わった者ほとんど全てが思っていなかった往路制覇という結果を叩き出した参号機パイロット、鈴原トウジも今はエントリープラグから降りて簡易休憩所で医師の診断などを受けていた。参号機はバッテリーの補充交換。電力はどういう節約方法をしたのか、あれだけの距離を高速走破しながら、ほとんど減っていない。
 
レプレからとりあげた予備バッテリーも結局装着しなかったことを考えると、十分に一戦闘くらいは出来る・・・・ということになる。パイロットもプラグから降りるときに少し嘔吐したが意識ははっきりしている。が、医師たちの質問には明確な答えがかえってこない。
 
 
 
「なぜ、あれだけの距離をこれだけ早く駆け抜けることができたのか?」
 
 
狙いが曖昧であまりうまい質問ではないが、質問する方も驚き落ち着き払っていたわけではない。作業計画通りにキャンプを開設はしたが、まさかチルドレンを診ることになるとは思っていなかったくらいだ。皆でのんびりタラのみそ汁に舌鼓を打っていたところにこれであるから少し舌もやけどしてしまった。
 
 
「どうしても、いかんといけんと思ったから・・・・走りました」
 
 
あまり要領を得ない。おそらく相手の求めている答えと違うカテゴリーの返答であることを承知しながらそうとしか答えられない・・・・といった顔。専門家のあんたらにわからんもんがワイに分かるかい、と突っ込む元気はなさそうだ。かなり疲労もあるようだが、あれだけの高速移動物体に乗ってケロリとされていたら逆に不気味だ。御殿場の指揮所からおっとり刀できた進行状況によると、ただ元気溌剌リポビタンに走るだけでなくジャンプだの側転だの指先逆立ち走りだの、アクロバットというか忍者めいた機動をやらかしているらしい。湖の上を走った、という、ただ元気すぎるというのでは説明がつかぬこともやっている。また、そこまでせねば、とてもこの時間に間に合わないのも確かだが。そして進行路上に被害らしい被害はなし。送電線一本、畑のトマトひとつ潰していないという。
そこには確かに人間の意思というか理性が感じられる。ただ速いだけではない。ただ走力のまま駆けただけではない。明確な目的意識を抱えたまま、疾風のように。
 
 
それは心の仕事であろうし、エヴァ参号機が人造の、構築物である以上、その心は。
 
 
「そうか・・・・・いや、とにかくよく頑張ってくれたね。慣れない仕事でかなり疲れたと思うが、頭痛や腹痛、その他、どこか違和感のある場所はあるかい?」
 
うがいをさせて診断の間に、青かった鈴原トウジの顔もだんだんと赤みが戻ってきていた。急激なGで内臓がひしゃげて一部潰れてました、ということもなかった。面倒でも一応設備を一通り準備しておいてよかったよかった、と医師は思った。
 
運搬作業のスケジュールは再構成を余儀なくされた。はじめてのおつかい。「まあ、無理だろう」で大方のところを構成されていたものであるから、かなりの余力、無駄なシフトを組んでいた。往路が完遂した以上、その余剰分をカットするのは当然であった。帰りの復路で、まあ武装という大荷物がある以上往路のようにはいくまいが、それでもあの速度を勘定にいれると、待機人員も大幅に用済みになる。油断は禁物だが、そのあたりは本職の指揮者が考えるだろう・・・・・自分はこの少年の体調管理を行っていればよい。
 
 
「・・・・・・え、あー、そーいえば、少し腹がへりました。あまり夜更かしはせんタチなんで、燃料を入れずにこの時間まで起きとることは珍しいですわ」
 
嘘だなあ、と医師たちはすぐに見抜く。夜更かしに関してではない。少年は、何か、手に負えないことを抱えている。そして、それはたいていの人間にとってもそうであることを。
 
 
少年の身に何が起きたのか。何か起きたはずなのだ。機体のスペックと計画の算定を越えた何かが。それはおののくほどの何かで、当事者にとってはこの上なくおそろしいことだろう。それなのに、それを告げず、この場の空気を和まそうなどといらん気遣いまでする。
計算や習い性ではない、不器用な、まだ自分には多くの人間を守れると信じるそれは、少年としかいいようがない。そんなことまで考えずともよいのに、と大人が思っても、考えてしまうのが少年なのだろう。素直に己の弱点やら感じた欠陥を話してもらった方が周囲は助かるのだが。・・・・・・そうもいかないのだよなあ、そうもいかないのよねえ、と。医師たち看護師たちは思う。
 
 
「そうだな。確かにパイロットに夜食もなしではネルフがよほどケチだと思われるな、ふむ」
 
「い、いやー、そういう意味で言ったんとちゃいまっせ、先生。確かに、なんとのうエエ匂いが漂ってきとりますが・・・・」
 
「再スタートにはまだ時間がある。君ももう機体に乗らなくていいのだろうし胃袋の具合がよければ試していくかね・・・ふむ?」
 
 
一瞬、鈴原トウジの瞳がギラリと光った。乗らなくていい、その一言に確かに反応した。その強い輝きはすぐに隠された。さながら狩りにゆく虎のように。心の森に消える。
 
 
「そうですな・・・行きも帰りもワイがやってもうたら、訓練に・・・ならんですな」
消える途中に、虎は口に寄っていたらしい。言葉には秘された意思と暗さがある。
それは、思わぬ威力を発揮した機体への愛着や独占、占有心なのか・・・通常のパイロット、としてあればそれは好ましい傾向であるのだろう。そこに
 
 
 
 
「鈴原!・・・・・くん」
 
いったんは隠しきれぬ純情のままいつもの言葉で呼びかけて、はっと周囲の状況を思い返して、そらぞらしい君づけ。夏蜜柑色のプラグスーツの洞木ヒカリが現れた。
 
 
「いいんちょ・・・・・・」
 
鈴原トウジの返答もまた、周囲の状況を考えるとすごい浮き上がり方であるが、さまざまな思いが交差してあえて彼女を呼ぶにそれしかなかった。よほど鈍い人間でも、このやり取り一発でこの少年少女ふたりの関係が分かった。そこには別に常人には理解しにくいチルドレンの特異性などない。その場に流れる放課後的空気に皆、柔らかく見守る。
 
 
 
「体調の方はどうだい」
 
「・・・・・・・・・」
 
 
そこに指揮者の日向マコトとチルドレン特異性の固まり、第三新東京市変動重力源こと綾波レイが続いて現れた。当然、甘酸っぱい放課後的空気など完全に消失する。
 
 
「問題ありません!あ、日向はん、どうもすいませんでした!ペースを守らず走ってしもうて洞木はんの分まで走ってしまって関係する人たちにも迷惑をかけてしまいました!まことにすんませんでした!」
 
直立して頭をさげる鈴原トウジ。さきの暗い一言とは正反対の理解も確かに彼の内にある。
そして、その真摯さは、あの機動を見せたパイロットがやれば嫌味にみえるはずだったが、その言葉どおりに周囲の者たちに受け取られた。綾波レイも洞木ヒカリもいうまでもなし。
 
 
これが、エヴァ参号機のパイロット・・・・・・
 
 
渚カヲルや碇シンジなどでは考えられない反応だが、これが男のケジメというやつだ。進行の細部まで鈴原トウジが知るわけがないが自分が走り抜いてしまった行程にもきちんと人が配置されており、特に完全にまちぼうけくわされた洞木ヒカリをメインにした足柄山チームはなんとなく面白くなかろう。一応、運搬作業ということでもその内実は動作訓練に他ならぬ。早くコマをすすめたんだからいいじゃん、ということにはなるまいと。
 
 
「いいじゃんいいじゃん、すごいじゃないの〜」で葛城ミサトなら胸に抱え込んでほおずりくらいしたであろうか。その影響を多分に受けている日向マコトも「その通りだ。鈴原二等兵!貴様のやったことは独断専行、計画と周囲の和を乱す行為だった!歯を食いしばれ鉄拳修正!!」ということにはならず
 
 
「いやいや、嬉しい誤算というやつだよ。正直いえば、ここまでやれるとは思っていなかったからね。このペースならば、明日の学校にも間に合うかもしれないな」
さらりと言ってすませた。さすがに彼も嬉しくなかろうからほおずりはしないが胸もないし。ただその眼光は抜け目なく鈴原トウジの様子を観察し、メガネの奥では思考が高速回転している。あの走りは尋常なものではない。たとえ綾波レイが事前にその性能を口にしていたとしても。それとも、エヴァというのは、真実、ここまでの・・・・・・なのか。
 
赤木博士も「まあ、このくらいかしらね」とか言ってあまり驚いているふうでもないし。
 
特別な訓練を受けたり特殊な才能を持っているわけでもない、普通の子供を乗せてこれ。
逆に考えると・・・・・・もしや、エヴァ参号機が、特殊なのか・・・・・・
 
一般人にも乗れて動かせるようにスペックダウンした代物ではないことはこの走破性能が証明している。人の意思を具現、十二分に表現した、といってもいい。そうなると、エヴァ参号機とのシンクロとは・・・・・・。ここで日向マコトが考えたことは、綾波レイの実のところは曖昧としている参号機への理解をすとん、と胸の底に填め入れることになる。
誰しもまだ十分に彼の機体のことを分かっているわけではない。
どこまでの力を持ちうるのか・・・・・・・・
 
 
実際、解析班などはほんとに悲鳴をあげながら参号機の機動を追っている。ペースメーカーとされながら完全においてけぼりになったレプレも当初、激怒したのだが、参号機が進路環境を少しも乱さずに見事に走行していることを知ると、「さすがはわたしの生徒だ」ケロッと機嫌を直した。
 
 
「さすがに明日の学校は勘弁してください。行ってもおそらく机に突っ伏して爆睡するだけですわ。まー、ワイはいつものことですからええんですが、学級委員長がそれをやるとシメシがつかんですから。なあ、いいんちょ」
 
「え?え・・・そうです、ね。たぶん寝て、しまうかも・・・・起きているようにがまんしますけど・・・たぶん」
 
「いくら若いとはいえ、睡眠は大事ですよ。医者として徹夜あけての登校は許可できませんね」
 
「はは、そうですね。身体は大事にしてもらわないと」
 
 
・・・このへんはいわゆる、毒にも薬にもならない冗談交じりの和やかな時間つぶし的会話、というやつである。日向マコトの返答も微妙なコースで聞く者の気分を重くさせない。身体は大事に。言いようによっては悪の科学組織っぽいセリフではある。そして。
 
 
 
「・・・食事でもしてきたら」
 
 
綾波レイである。せっかく再萌した和やか空気が凍りつく。むろん悪意も他意もない。正確に表現すると「鈴原君と洞木さんのふたりで、洞木さんのつくってきたお弁当でもたべてきたら」ということであり、一段落ついたし時間的にもそろそろ夜食の時間だろうという散文的な思いつきではあるが、言ってることは要するに「ラブコメの王道をしてきたら」ということである。冷やかしではなく、どちらかといえば、大人をぬいた、気のおけない二人同士でそっと一息してきなさい、という配慮であるのだが。そう聞こえない。
なんというか、碇ゲンドウがその場にいるような圧迫感を与えるのだ。
 
この作業中、ずっと近くにいた日向マコトでさえ今の一言は碇ゲンドウが「弁当でもどうかね」というものに自動脳内変換されて脅威を感じたのだから他の者は言うに及ばず。
よほど時間を急かされているか、何らかの陰謀か、そのように受け取ってしまう。
 
 
「そのあとで、鈴原君。聞きたいことがあるから・・・」
 
 
やっちゃったなあ、という顔もせずそのまま涼しい顔で休憩所を出て行く綾波レイ。
 
聞きたいことがあるなら三人で食事をしながら聞けばよさそうなものだが。そのぬけぬけ一撃ぶりはどこか碇シンジをおもわせる。ただ愛嬌がない。人の世で見失い今ではもう遠い愛嬌が。「はあ・・・・・」「うん・・・・・・」顔を見合わせる鈴原トウジと洞木ヒカリ。こんなところで冷やかされずにすんだのを喜ぶべきか、玉座に座りつつ氷の檻に閉じこめられたよな友人の不自由な女王さまぶりを心配すべきか、迷うところであった。
 
 
 
ただ、ここで食事時間、というのは誰からも異論のないところであった。なにせ完全往復を唱えていた綾波レイの言い出したことであるので。
 
「じゃ、メシにさせてもらうか・・・・なんかここでも炊き出ししてくれてるみたいや」
 
「あ、あの。鈴原あのね、わたし、お弁当つくってきたんだけど・・・・ふたりぶん・・・・・食べられ、そう?」
 
「・・・・・・おっ!?おう!・・・じゃ、じゃあ飲みモンをもろうて・・・・ってなんか既に緑茶から紅茶やらコーヒーやらみそ汁やら一通りそろっとるうえに!いつの間にかお医者はんたちも日向はんも消えとるーーーーーー!!おまけに忘れた時用の二人分の箸やらフォークやらナプキンまで完備・・・・・・」
 
「ここで食べても・・・・・・いいのかな」
 
 
 
もちろん、ここでふたりきりにさせることも、誰からも異論のでないところであった。
 
 
「ええん、ちゃい、まっか・・・・・・・特務機関ネルフ・・・・・奥が深いで・・・」
 
 
 
ちなみに。
 
 
 
さっさとそこから離れた綾波レイは日本海空に浮かぶ星に奇妙な形に片手をのばしていた。天を制覇しようと北斗を掴もうとしている・・・・わけではない。
 
 
「なにをされてるっすかねえ、後継者さまは」「レイさま・・・・・・・・」
 
それを離れて見守る赤い目を持つ四つの人影。
 
「作業の半方が予想以上にうまくいったから小躍りしてんじゃねえのか?たぶん、内心でヤッターマンの歌でも歌ってんだろ、ありゃ・・・ゲぶしんっっ!!!」
 
 
「・・・・・レイさまを面白キャラにするなー・・・・・・・・・・」
その中のひとつが古代エジプトの神々も目をそむけるようなボコられ方でボコられる。
 
 
「・・・・・・とりあえず殺すな。仕事に支障が出る」
一応、年長者の義務として制止しつつも、そうかもしれないと考える綾波銀橋。
年長者の知恵があるから口にしたりはしないが。危ない意見は若い者に任せる。
 
 
それからおもむろに武装の再点検に入る綾波レイ。要は時間つぶしだが。他のスタッフと違って綾波レイの予定はいい調子で進んでいるのだからなんの変更もしなくていいのだからぽっかりとヒマがある。予想が外れ急いで作業スケジュールの変更している現場からは浮いているが、彼女の予定通りなのだから、文句のつけられようもない。それみたことか、という自慢げな顔をしていてもおかしくないのだが、それは綾波レイである。
 
 
東方剣主・幻世簫海雨
白四械・臥羅門
 
 
これらは参号機の到着後、運搬しやすいように機体の背に取り付ける作業が行われている。
仏像の光背をつけたような形である。さすがに往路でみせたトリッキーな疾風機動はもうできないだろうが、復路の帰り道は正直なところ、朝になろうと昼になろうと構わない。
もう参号機はその力を示したのだから。パイロットの鈴原トウジは機体に刻まれていた操縦記憶を励起させてみせた。それで十分だ。とりあえずは。外部からお節介な誘導があったにしても。
 
 

 
 
「なにが、あったの」
 
 
食事休憩が終わって第三新東京市への折り返し再スタート時間だというのに、エヴァ参号機は以前、虎模様のままだった。それがおかしい、と指摘できる人間は誰もいない。エヴァの二色装甲二人体制というのがそもそも異様なのだ。だが、目の前で結果を出された以上、少々のことはそのまま呑み込んで見守るつもりになっている。それについて思考する材料をもつ赤木リツコ博士、そして綾波レイだけがそれを問える。人目のないところで鈴原トウジにそれを問う綾波レイ。お弁当タイム中にどんな楽しげな会話をしたのか、そんなことは聞かない。いきなり切り出す。言葉は短いが鈴原トウジには何を問われているのか正確に理解していた。枝葉の理解がないゆえ逆にすぐに察しはつく。
 
 
最初はモタモタしてレプレツェンのあとを子供のようについていくだけの参号機と自分が、なぜ、いきなりあのような走りが出来るようになったのか。
 
 
プラグから降りてすぐに少し吐いたことも知っているはずだ。つまりあの速度はパイロットの意思によるコントロール下で出したものではない、ということ。ほぼ暴走。
あの速度に身体と感覚がついていかなかった。止まることは出来た、と思うがそれは自分でブレーキをかけなかった。金斗雲に乗っているような、西遊記の孫悟空が乗っている雲、あれだ、ジェット気流かなんかに乗り高速で進む雲に乗る・・・ようなイメージ。上半身だけならもうジェット気流と同化した、といってもよかろうが、時折ある、ふわっとしたやわらかい上昇感覚、つまり送電線などを飛び越える時のジャンプだが、下半身から生み出されるそれを加味するとやはり、雲にのった、というのが正解だろう。スタート直後の鈍重な、間尺にあわぬ鎧を着せられてローラーでも曳かされる感覚とはえらい違いが。
レプレの話もだいぶ心のためにはなったと思うが、この感覚を知ればもう比べようもない。
操作、操縦という言葉はこの感覚に対して、どうにも使いにくい。自分の肉体感覚そのまま、よりもさらに一段階自由であるような
 
 
その、雲に乗る、きっかけは何かと。綾波レイは聞いている。
 
 
同じエヴァのパイロットして、ピンとくるものがあるのか。何かに乗っ取られたとか操られたとか、そういう目で見ないことは鈴原トウジにはやはり嬉しい。なんのかんのいっても綾波が当初の意思を貫かねばこの作業自体なかったであろうし。この結果を出すと信じ切っていなければ。怖いほどの意思の強さ。常人ではない。やはり綾波や、とそう思う。いつぞやの騒ぎの際に、その身を頼んだのと同様の気持ちだった。ただ、あの時とすこし違うのは。静かなお社でずっと座ってさえいればその愛想の無さも、神性だと納得してもらえただろうに。騒がしい人里に降り走り回ってたばかりに、いつしか埃や芥がつき、一なる純正を損壊してしまった・・・・どう考えても、その役割は他の誰かが負うべきなのに。大損しても黙って黙り続けているというのは・・・・・本人もそこのことを愚痴りさえしないというのは、あまりに道理に合うまい。
 
「シンジめ・・・・・あのセンセイは全く・・」
 
 
「え・・?碇・・・・くん?・・・・・いたの」
 
 
つい口に出てしまった、この件とは関係ない名前に静かだが異様な迫力で食いついてきて大蛇のまえの雨蛙のように少しびびる鈴原トウジ。「い、いや、それとは関係ないんやが、ちょっと思い出されてな・・・アイツもこういう感じでエヴァに乗っとったんかなあ、と」
 
 
「そう・・・・でも、彼の感覚はたぶん、わたしたちの誰とも違うと思う・・・」
ゆらり、と圧迫感が薄れていく。赤い瞳はこの時、目の前の人間を見て、見ていない。
幽冥のはざまに立たされているような、なんともいえぬ心細さを味わせてくれる赤だ。
 
 
「脱線してすまん、それで、実のところ・・・・・・」
怒っているのか恨んでいるのか、まあ、懐かしんでいるには少し冷気がつよすぎる。もし本当におったらこんなところで話なんかしとらんやろう・・・・てなもんだが、そこはつっこんではいけん領域であることを察知した関西少年は真面目に話をつなげる。
 
 
 
「猫・・・・・・・・」
 
 
鈴原トウジの話を聞いて綾波レイは呟く。他の人間には、とくにバリバリの科学者の赤木博士などにはとてもしにくい。普通の話ですらしにくい感じであるのに。あの赤い唇から「なにフカシこいとんじゃいこのガキ」などと言われたら男として立ち直れぬ気がする。
 
その点、綾波レイは非常に安心牌であった。「うそつきなすずはらくん」などと逆にいっぺん言われてみたいような気もするそれは嘘だが。それに、半畳も茶々もいれずに真面目なのはいつもだが何か考え込みそれに対してなんらかの回答を与えてくれるのではないかと期待させて、やはり綾波やのう、さっきはつまらんことでムカついてすまん!!と心の中で詫びをいれる鈴原トウジであった。
 
 
 
「その他に変わったことは」
 
 
しかし、とりたてて解答編はなく続きをうながしてくる綾波レイ。この怪異を信じているのかまさかよもやただ単にスルーされとるだけちゃうやろなと考えた鈴原トウジであるがまずは己が相手を信じねばなるまい。これ以上のことを話させるその度量が頼もしい、と。
 
 
実のところ、あの「猫」に関しては鈴原トウジ以上に知っているのだから答えを教えてしまってもいいのだが、なぜあそこにいて、このようなことをしたのかまでは分からない。と、なると黙っておくほかない。別に意地悪でやっているわけでもない。
 
 
「えーと、それからは・・・・・な」少し躊躇して、「時間的にはこっちの方が先なんやけどな・・・・」あの闇い幻聴についてもぶっちゃけてしまう鈴原トウジ。隠すという選択肢もあったが、言うてしまう。どうせ見透かされるだろう、という気遣い無用の安心感もあったが、飛雲の爽快感をもってしてもあの暗く心を塗りつぶされる閉塞感は相殺されない・・・・・・不安はある。怨念があの操縦席にこびりついているのではないか。ホラー映画的発想である、とこうして外に降りては思うが、あの密室の中ではそうもいかない。
あの濃気味悪い声をいいんちょが聞くことになったりしたら・・・・・・心に傷がつくかもしれない。それを考えると「あんたバカよね」と正面切って言われたとしても今聞いておかねばならない。殺気混じりの紅視線でこっちのハートが三枚におろされたとしても。
 
ネルフの綾波レイは、学校にいる疎外感まるだしの幽霊生徒などではなく、それが欠けては動かぬ組織の駆動体のひとつであり、それゆえ漂わせる気配は真剣、それも鞘を完全に置き忘れてきた抜き身の妖刀、といったところで、こうした会話も実のところかなり疲れる。それでも、現ネルフ本部のスタッフの大半は「それでもすごい」と一目おいてくれるだろう。真剣とはつまり、誰に対しても手加減しようがない、ということなのだから。
 
 
「それは前に乗っていたパイロットの記憶。それがあるから、使い方によっては参号機は最強の機体となる・・・・」
 
 
ひと斬り。ずばりとやった。
 
 
「あの声なんとかしてくれ」と言おうとした鈴原トウジの意思をたたっ切った。洞木ヒカリへの心配もろとも。ただ、誤魔化しも逃げもない。「そんな声は聞こえるはずがない」と否定してしまえば鈴原トウジは内に溜め口を閉ざしてしまうだろう。納得したふりをして。簡単に。それをしない。その華奢な外見に似合わぬ剛の一撃であった。白い顔は酷薄にさえ見えるのに。
 
 
「思いあがるつもりもないけどな・・・・・・」
 
 
鈴原トウジには相手の心を読む能力などない。相手の声と表情と今までの記憶から、その意を判断するだけだ。おそらくその正答率はベスト5かベスト8に入るか悩むくらいだ。
 
 
「ワイらは、要するに、無くしてしもうた金庫の鍵の代わりの金具かなんかか・・・・曲がった針金でつくった・・・そうなんか、綾波」
 
 
声はひどく静かだった。選ばれる理由などないはずであったし、その招きには応じたものの理解しかねた。未だに疑問もある。最強などというこうして聞いてみるに悪夢めいた言葉の響きも自分たちと遠く離れている気がする。
 
 
「・・・・・・・・・・」
 
なかなかうまい返答が見つからない綾波レイである。正確にはうまい言い回しが思いつかない。鈴原トウジ、彼は今、とても微妙なところにいる。境界線を踏み越え、残りの足ももう向こう側から浮き上がっている。偉そうな表現になるが、卵から雛がかえった、昆虫が脱皮したその瞬間に立ち会っているかのような、音をたてるだけで心砕かれるような静かさ。彼の問いにはあまり意味がない。それをいえば制式タイプのエヴァを駆るギルなどで訓練を受けた生え抜きのチルドレンであろうとも操縦に関して言えば同じ事。動作原型は全てユイおかあさんなど昔の開発陣がやっているのだから。あらかじめ機体に記憶させられていたものを思考によって引き出されているにすぎない。パイロットが起動キーにすぎないという考えはある意味まさにその通りといえる。だが、そんなことはどうでもいい。
 
 
大事なことは、今現在、彼がどこに立っているかだ。
 
 
最早、鈴原トウジはただの一中学生ではすまなくなった。今夜の結果はすでに世界を駈けめぐっている。参号機を起動させ遠距離走破の機動力を見せつけた。これで誰も文句をつける者はいない。ハーフだろうと代走だろうとなんだろうと、彼はエヴァのパイロット。
そう認知される。この使徒殲滅業界において。その名は刻み込まれた。
 
それになんの脅威を感じないようだとこの先、困る。それもかなり。選ばれし者の不安。
機体に乗って目的地までたどり着いた以上、もう、逃げられない。
 
 
参号機はただ日本海まできただけだが、乗っている彼はそれとは比べものにならないほど遠くに来てしまった。彼はそれを正確に理解している。もう少し後で気付けばいいものを。
人生なんてそんなもの。そう言える固茹でされるほどの時間は待てないが。
 
 
 
「あなたは、もう参号機のパイロットだから」
 
 
ずばん、といかした大直球。見逃すもフルスイングするもご自由に。たとえ少々特異だろうと参号機に乗る以上、残された記憶とどう付き合うか考えるのはパイロットの仕事となる。それを制御するも呑み込まれるもそれからもうひとりのパイロットを守るのも貴方次第。不可が孵化した初陣もまだの桜の坊、それでも参号機に残された百戦錬磨ぶり技能の集積ぶりにはなんとなく見当がついたのでしょう。自分がこれからのぼらねばならぬ山の高さを。それに尻込みしたとしても、誰もあなたを笑わない。わたしが、笑わせない。
 
 
綾波レイもこういうことを分かりやすく平易に言ってやればよいものを、何を思ったのか、それともこっちの方がとっつきやすいとでも思ったのか、
 
 
「沈む夕日がわたしで、明日のぼる朝日はあなたたち・・・・・もう、あなたの命はあなたひとりのものではないわ」
 
 
とっくに夕日など沈みきった深夜に赤い瞳をキロキロさせてこのようなことを言われても感じ入るよりもひたすら怖いだけである。おまけに「近々、こいつは死ぬんとちゃうやろな」などと鈴原トウジに思わせて、さらなる重圧が。その乱火のような目の輝きもそう思えば蝋燭の最後の一燃えのような気がしてくる。
 
 
 
「そ、そうか・・・・・・・・・そうやな・・・・・・・そう、なんやな・・・・・・」
 
 
逃げ道を塞がれトドメを刺された気分。もはや退路はなく頂などはるかに霞んだ魔の山に登らねばならない。たった一人で。そのように諦観すれば、多少幻聴がしようと耐えるほかない。救いがあるとすれば、実験の折りに委員長洞木ヒカリの方が既に夢のようなものを視ており、そっちは同調が進んでもそういった罪のなさそうなものを視るだけですむならいい、という可能性だが。今の段階ではなんともいえぬ。一つだけ言えるのは、綾波レイに言われたとおりに、自分がパイロットになってしまった、ということだ。
 
 
携帯の呼び出し音が鳴った。「はい」持ち主の綾波レイががそれに出る。相手が誰なのか聞いていい話がどうかはほとんど返答に、はい、しかない受け答えでは推察できないが、ちらちらこちらを見るにこのまま留まっていた方が時間の節約になるようだ。
鈴原トウジは
 
 
ふと、思う。
 
 
今夜、自分はなんのために、誰のために、走ったのであろうかと。
 
 
うまかった弁当のためか。そうであろうか?しばし考える。
 
 

 
 
 
「まるで、走れメロスみたいですね・・・」
 
 
山岸マユミはモニタの中の日本海側地図とその地名の一点<親知不>に停止しているマーカーを見ながらそう評した。
 
 
ここは相田ケンスケの家。このような時間でありながら帰宅もせずに眠りもせずに山岸マユミはここにいてモニタの情報を凝視する彼の隣に座っていた。ちなみにここは色気に欠ける父親の部屋であり、そこにあるのはネルフ本部の中枢に繋がる特殊な専用端末。
父親は仕事で出払っており、この家には今、ふたりしかいない。相田ケンスケにしてみれば爆砕ハッピーな状況であるはずだが、そのモニタの光を写す眼鏡はほとんど隣の彼女を見ない。
 
 
「ああ・・・うん・・・」その受け答えもぶっきらぼうで、邪険ですらある。
 
 
片耳にはめたイヤホンのせいもあり、ほとんど耳にはいっていないのかもしれない。普段の、山岸マユミラブの彼からすると考えられない反応である。右手にマウス、左手にキーボード。それらが忙しく小刻みに動き続けている。この情報の外部閲覧は機密漏洩罪となる。現状のネルフは未成年だろうと組織の身内だろうと情け容赦なく、超法規的制裁が待っている。発覚すればただではすまない。同席している山岸マユミも当然、同罪。一瞬たりとも気が抜けるはずもない。
要求されるのはスキルよりテクニックよりも反射神経。
 
だが、今夜は通常とはケタが違うほど、セキュリティレベルがガタ落ちしている。これなら専用端末というスプリングボードをもたない完全部外者でもかなり深いところまで潜れてしまうのではないか。第三新東京市のネルフ本部から日本海まで長く伸びた情報伝達ライン。それを完全にガードしきれというのは戦闘配備ならともかくただの運搬作業ではそこまで強圧的には出られぬ以上、不可能。どこぞで穴ができる。そこから漏れ出てくる情報を頂く。いくらなんでも本部の中枢に吶喊するほど激怒する羊飼いではない。
 
 
だが、かなり頭に血が昇っているのは確かだ。傍目にはクールに見えようと。
男の子は。
 
山岸マユミはそう思ったからこそ、こんな時間にここにいる。男の子の家に泊まりなど、普段の自分では信じられないことをやらかしているのも、誰かそばで見張っていないとこの眼鏡の彼氏はなにをしだすか分からないから。冷静なふりして相当な無茶をやるだろう。
口先で発散しているぶんにはいいが、黙り込んで内に溜め込んでいる・・・・そうなるとどうなるか、古今の書物が教えるまでもなく、若者は暴発する。最近の様子に心配はしていたのだ。それで夕方、犬飼イヌガミやミカエル山田にそれとなく水をむけてもらい、霧島マナの見舞いのついでに少し話をしようかと、そんなときにはふと、胸中を吐露してくれるのではないかと期待もしたけれど、断ってきた。誘いの人選を誤ったかもしれないが、こんな頼み事ができるのは、侠気があってこわいものしらずそうなあの二人くらいしかいなかった。それくらい最近の相田ケンスケはクラス内でも孤立気味であったのだ。自ら距離をとっているので鈴原トウジや碇シンジや渚カヲルでもなければどうしようもない。
頼みの綱の委員長、洞木ヒカリすら不在であるのだから、自ら身体を張るほかない。
 
 
だが、まあ、こういう犯罪行為を注意どころか同席しているだけなのだから、自分の意思の弱さがいやになる。なにしにきたんだろう、と相田ケンスケも内心思っている。
 
ただ帰りもせずに自分の隣にいて、何も言わずに。
 
「わ、わたしには、知る権利は、ありませんか・・・・・」そう言われてしまえば黙るしかない。今夜は避けるべきだったが、こんな機会はさすがに二度とないだろう。エヴァのような機密をたかが運搬作業に使用して部外の衆目にさらすようなバカなことはそう何度もあるまい。どうしても知りたかった。知るべきではない、その時まで我慢するべきだと分かっていながら。
 
 
エヴァ参号機のパイロット、その名を。それが、誰なのか。
 
 
噂などではなく、確かな情報として。知れば、痛みが伴うだろうが。それでも。
 
 
<タイガー>と<キイ>
 
 
それがパイロットの暗号名。エヴァが二体あるのか、それともパイロットの選抜試験でもやっているのか、それ自体がフェイクであるのか。分からないが、名は二つ。
先行するのが<タイガー>で、当初はノロノロと<ティールナ・ヌォーグ>(これまたなんのことかと思ったが要するにペースメーカーのことだった。手間取らせるなよ)の後についていくだけだったエヴァ参号機が突如、猛烈なダッシュでペースメーカーをおいてけぼりにして冗談のような直進コースで目的地に到着してしまった。この間のかなり動揺して混乱したらしい現場の通信情報は解析していて、正直、鳥肌が立った。機体の暴走もしくは使徒との戦闘が始まったのかと早合点した者もかなりいたようだ。それはつまり、参号機の機能的な、たとえばジェットエンジンを百個積んでいるとか、速度ではなく、パイロットの技量によるもの、ということだ。それも周囲の予定評価を遙かに超えた。
御殿場に帰り支度の人員をほとんど置いているのがいい証拠だ。そうなると・・・・
 
 
これは・・・・・参号機のパイロットは・・・・・・
 
 
誰なのか・・・・・・・
 
 
どうしても暗号名の壁に保護されている個人名が読み取れない。なんとかやってやろうとするのだが、いかに足掻こうとそこが素人の限界らしい。「くそ・・・・ここまでやって・・・・・余計にわからなくなったじゃないか・・・」そして、今は知るべき時ではないという思いが限界を分厚くしてしまっている。今まで何もいわず、せいぜいアイスコーヒーを煎れてもってくるくらいのことしかせず、相田ケンスケが解析したことを説明もしないので成り行きも分かっていないままに黙っていた山岸マユミがぽつんとそんなことを言ったのもその時。
 
 
 
「なんのために、こんな風に走ったんでしょう・・・・・」
 
 
山岸マユミに分かることはせいぜいそれだけだが、実のところ事の心臓をとらえていた。
その一言は、重たく相田ケンスケのレバーにも響いた。そこで隣を見る。退け時である。端末を遮断封鎖して、忙しくしていた指先をようやく止める。イヤホンも外すとずいぶんと近くに彼女がいることに気付いていまさら赤面する。
 
 
「それから、信じて待つことも、大事なのではないでしょうか・・・・・」
 
 
潤んだ目でこちらを見つめる彼女がいる。眠いに違いあるまいが、瞳は冴えている。
言葉が少なめであるからこそ、告げるタイミングを熟知している。
 
 
それが言いたいがために、この子はこんな時間まで黙ってじっと自分の隣にいたのだと、分からないほど相田ケンスケもパー児ではない。こうまでされなければ、彼女の言葉など自分は絶対に聞かなかっただろう。
 
 
「あれは・・・・大工だったかな、石工だったかな・・・・・」
 
 
「石工です。映画ではお師匠様も出ていました・・・・ふわ・・・・・あ、すいません!」こんな深夜に息をつめていればあくびもでるだろう。少し涙もでている。しかもかわいい。別の所の血の気が高まる相田ケンスケ。となるとこの距離はいささか危険だった。
 
 
「今夜は、もう終わりにするよ・・・・・・あ、夜食どう?オレはけっこう夜更かしの口だから台所にいろいろ用意してるんだ。よかったら腕ふるうけど」
 
「じゃあ、月見うどんがいいです。・・・今日はもうこのまま泊めてもらっていいですか・・・」
 
「断るわけないじゃないか。・・・そうなると、明日の学校もどうしようかな・・・」
山岸マユミが自宅にどのような説明をしたのか聞いておこうかと思ったが、後にしよう。
とにかくこの距離はやばい。というか、今までこの距離でよく平気でいれたもんだオレ。
 
・・・頭に血が昇っていたわけか。のぼせていた、というか、おぼれかけていたわけか。・・・・さびしかったのかね、相田ケンスケ?どうなんだ?自問してみる。
 
 
とん。
 
 
肩にいい匂いで少し重たいものが傾けられる。山岸マユミの頭であった。もちろん、これはホラーではないのできちんと頭と首はつながっている。もう覗き見に気付いた本部の抹殺情報部隊が侵入してきた、とかそういうことはない。ただ睡魔にはやられたのだろう。
 
 
「え・・・・・」
 
 
無防備というか身を任せきっているというか安心しているというか男として見られていないのか本は読んでもその手の知識がないのか。とにかくすごい角度だ。ここから相田ケンスケがどうしたか・・・・ヒントは、うどんを鼻から食べさせた、ということはないで一つ。その綺麗な涙を呑んでみた、ということもなかろうたぶん。
 
「激怒した・・・・」
 
「え?」
傍らの少女の呟きに相田ケンスケはおののいた。
 
 
「メロスは激怒した・・・必ずかの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した。メロスは政治がわからぬ・・・・」
 
「うわ、寝言が朗読だし」
勇者ではないが相田ケンスケは赤面した。
 
 

 
 
今夜の洞木コダマは忙しかった。とにかく忙しかった。
 
 
チルドレンの護衛役がないのだから諜報三課などヒマなはずであった。たとえエヴァを使って運搬作業などやろうと実務に関連のない洞木コダマにとって、参号機に乗る予定の妹のヒカリの身を案じることで心は忙しいが、その身はヒマなはずだった。ヒマなので、久しぶりに師匠兄妹の道場に行ってこようかと愛車のキーを回したところで三課からの連絡が入った。よその課の助っ人仕事らしい。すでに一仕事終えたのだから断ってやろうかと思ったが「それは降りかかる火の粉を払っただけだろう」と鉄拳狸の課長に言われたあげくに「他の連中にも招集をかけてある」と脅しをいれられればそうもいかない。他の連中とは山彦など、学生課員のことでそんな戦闘力など成年以下の者たちを呼ぶくらいの面倒ごとが起きてその場に自分がいなければ、学生課員たちはひとたまりもない。自分が矢面に立ってサポートくらいしか役に立たない。だから脅しだ。しょうがないので了解して三課に戻って話を聞くに、今夜の作業をあてこんで大量の工作員が本部内に入り込んだと同時に潜伏していた間者が動き出した、という情報があったのだと。実際にどの程度の規模は調べね分からぬし、調べるのは自分たちも手伝わされてそれが終わるころには夜が明けている。そういう寸法だ。
 
まあ、確かにそういう連中にしてみればずいぶん動きやすい状況である。だが、人を人とも思わないがマヌケという評価だけは与えることのできない新部長が手をこまねいているとも思えず、それが率いる者たちに好きにやらしておけばいい。うまくいけば多少は風通しがよくなるかもしれない。ある意味、本部内には心配の種はない。参号機パイロットは市外にいるのだから。勝手に陰湿な屋根裏戦闘でもなんでもやればよかろう、とハードボイルドにそう思った洞木コダマ。課には他の学生課員は実のところ呼ばれていなかった。一人をのぞいて。こいつはよその組織で鍛えられて潜入してきたのを洞木コダマがとっ捕まえて自決を防いで洗脳し直すこともなく「わたしに勝てば好きにしていいぞ」という口先の約束だけで括り、思い出せないというので名前だけつけて自分の部下として使っている変わり種だが、三課の学生課員で成年以上の格闘能力をもつのは自分とこいつしかいない。ちなみにひらがなで呼んでしまうとたいそうフランクな感じだが、二人の関係はかなり戦国エッジの効いたものであり、漢字で書くと弧一、となる。弧一マルタカ。
この業界においても最上級の部類に入る「人狩人(ひとかりびと)」であろう。
 
 
というわけで、ほんとに面倒な仕事らしい。
 
 
「妹さんはまだエヴァに乗っていないらしい」「はあ、そうですか」
 
「無事らしい。安心したか」「そうですね。思い残すことはありません」
 
「そうか」「大金で言うことを聞かせられない学生身分ですいませんね」
 
「いや、信頼しているぞ。プロの課長代理として」「で、その厄介そうな仕事ってなんですか。ほんとは手伝い仕事じゃないんでしょ」
 
「頼まれ仕事には違いない」「言えない人からの頼まれ仕事で命かけろですか」
 
「そうだ。おまけに、一応、名目上は同僚である者たちを殴って欲しいわけだ」
 
「正直にどうも。上司命令でいけ好かない連中を殴れるなら最高ですよ。でも諜報三課はいつから憲兵になったんですか。それとも、正義の味方かな・・でも知らない方が気楽な情報もありますよね」
 
「仕事の手をぬく同僚を後ろから手刀くらわすくらい、たまにはいいだろう」
 
「・・・・そうですね、たまにはいいでしょう」
 
このような心温まる対話のあとで、やるべき仕事を押しつけられた。
 
「一応、助っ人を用意してある」「いりません。それより山彦あたりがでしゃばってくるのをおさえてください」
 
「じゃあ断るか」「そうしてください」
 
「ほんとにいいんだな?」「・・・?どうぞ」
 
「知らないぞ」「わたしこそ」
 
 
呼び出したからにはさほど余裕もないのだろうから適度に切り上げて任地に向かうと、そこは十字暦庭園。心休まる憩いの場所、だが、こんな時間に訪れる者もいない。
 
 
そのはずだが、なぜかここに人相風体が怪しげな者たちがユラユラと現れる。
 
 
それを、こちらの人相風体もばれないように、倒していく。殺しはしない。眠らせるだけだ。この連中にどういう罪状があるのか分からないし。そのようには命じられていない。ただ自分たちの職場であるところの本部内で制服制式装備ではないものを身につけてただ夜の花を愛でに来ただけかもしれない。・・・・非常にしらじらしいが。目的は、この先にある、霧島研究室、らしい。そこに向かう邪魔をひたすらにする、というのがこの任務。もうひとつルートがあるのでそれは弧一に任せてある。さすがに忍者でもそこまで離れた分身は使えない。一応、なんとかやっているようだ。あまり手加減してないようだがしょうがない。中には命令でイヤイヤやってるのもいるのだろうしと思うが。
 
それに、中には完全に部外者が混じっていたりする。
 
霧島教授に何の用があるのかね。礼儀正しく昼間に訪れれば歓迎してもらえるだろうに。こんな邪魔などされることもなく。よく分からないが仕事を続ける。
 
部外者はわりあい簡単に銃器を抜いてくる。見分け方としてはそんなもんかなあ、と洞木コダマは回し蹴りを炸裂させる。それとほぼ同時に弧一のマーカーが消えたと連絡。やられて死んだかその場を離脱したか。だらしのないやつめ。虚の眼で考える洞木コダマ・ファンタズムコダマ。内ゲバの鎮圧になんで自分たちが使われにゃあかんのかと思うこととしくじることは全く別のこと。さて、別ルートが破られた以上、そこから侵入されて霧島研究室から重要人物であるところの霧島教授をはじめとしたスタッフたちが拉致される、ということになる。運搬作業で出払っているスキを狙うのはとにかく、副司令派とはいえ再編の折りに見逃された無害そうな研究者を今頃除外してもしょうがなかろうと思う。
よその組織がその頭脳と使徒を間近で分析してきた情報を力づくで欲しがった、という図柄は分かるが、このスキに侵入しようというのは一応、身内の諜報なのだ。バカじゃないかこいつらと思うが自分もそれは同じ事。ここには武も道もへちまもない。
機密漏洩罪をでっちあげることさえしないあたり、誰が反逆しているのだろうか。
 
だが、三課課長代理として任務は果たさねばならない。まだ撤退命令も出ていない。
完全に狂っとるなこの組織、と思いつつ、それに付き合わねばならない。これ以上、2,3人ぶちのめして足を止めたとて、その大勢は変わることはないだろう。
 
 
 
「・・・ソコカラハナレロ・・・・・」突然、通信から雑音と変声がミックスされた爬虫類めいた声が。殺意の鱗で覆われた限界まで肉の削がれた骨の声。「ワレワレノボウガイヲスルナラコノガキドモヲコロス。一分マツ」・・・こんなB級秘密怪物警察みたいな奴はどこの課にいたっけかな・・・・・それともこれが悪評高い部長直轄部隊のル課とかいう連中か・・アクセントが確かに外国語基盤だなこれは・・・部外者かな・・・通信があっさり奪われているのだから装備では敵わない。それとも弧一から通信機を抉りだして使ってみているのか・・・さて。「ども、というと複数?今夜は一人しか使ってないはずだけどねえ」言うだけ言うてみる。あまり返答も期待していなかったが、
 
 
「・・・・・・ぎぎぎぐ・・・・」「課長代理!!耳から血が!耳から血が!!こいつら弧一君の耳の穴に指を突き込んで・・・・・・!」「コダマ姉さん!弧一ちゃんを助けて!このままだと死んじゃう!!弧一ちゃんが死んじゃいます!!血が流れて・・・」
 
 
部下たちの声がかえってきた。激痛に耐えているらしい弧一と山彦、おまけに諏訪まで。足手まとい二人かかえて相手が強ければ弧一もどうしようもなかっただろう。敵わなければ逃げればよいのだ。死守せよと命じられたわけでもない。おまけに三課の仕事でもない。バカらしい組織内の争いに嫌がらせをしてやる程度で十分だろう。弧一をやれるほどの駒を相手が投入してきて、それを読み切れなかったのだから、差し手の方が悪いそれは。
 
 
ビュン!!
 
 
この制限時間付き忙しさに加えさらに鎖ガマまでプレゼントされてしまった。左腕にからまった分銅鎖がとってもエレガントだった。その場を放棄して離脱しろ、というのが弧一らをおさえている者の要求なのだが、この鎖ガマの使い手はこの場でこちらを倒そうという気合いがヒシヒシと。指揮系統、所属が違うのだろうがこういうのも困る。
小型高性能モーターでもついているらしく、予想外のパワーで巻き取られてその勢いでもって投げられて、ド派手に花畑に叩きつけられる洞木コダマ。常人ならこれで終わった。
 
 
「まさに因果応報か・・・」
ハードボイルドに散る花に向け呟く洞木コダマ。紫煙のように鎖から腕を外して・・・影走る。先ほど己がやっていたことをやりかえされたとて怒る道理はどこにもない。
ただ、斗うのみ。
 
 
 
いかんせん、片付けるのに一分以上かかってしまった。
 
 
 
「ままならないものだ・・・・・・」戦闘時にも通信機は不気味な爬虫類ボイスでカウントダウンしていたが途中で強い雑音があり途絶えてしまった。通信機の電池である弧一の血が流れすぎたのかもしれない。だが、制限切られた以上、こちらの事情などおかまいなしに向こうは明言したことを実行しただろう。あまり意義のなさそうな仕事で部下三名を失ってしまった。
 
弧一マルタカ。山彦ツバサ。諏訪カオリ。
 
懇ろに弔ってやる前に、まず仇をとってやらねばなるまい。意義がない分余計に。
この調子だと三課の課室も急襲されていたりするかもしれないがそれくらいはあの狸がどうにかするだろう。発展性のない仕事だな、とつくづく思う。虚の眼でやれやれと。
 
 
祈りは知らない。使徒なんてものがやってくるこのご時世ならばなおのこと。
 
 
さて、いくか、と十字暦庭園を駆け出そうとしたところで通信が甦った。「任務は継続・・・・可能・・・・応援が・・・到着した・・・」弧一からだった。こいつ死んでなかったのか。今にも死にそうな声だが。
 
 
「・・・そうか。山彦も諏訪も無事なのか」返答は即座に「僕ら無事です!課長代理!!」「助かりました!コダマ姉さん!この方たちに助けてもらったんです!」歓喜もろだし感激まるだし。まあ、年相応の反応だろうねえ。弧一や自分の方が異常なのだ。身の振り方を考えてやった方がいいだろう。「・・・あとで覚悟しておけ・・・・いや」課長が抑えなかったとしたら悪いのはあの鉄拳狸だ。いらんと断った助っ人も結局呼んでいたのか。となると自分もかなり悪かったということだ。「・・・すまんな、弧一」「・・・何を・・・ごふっ」「・・・何が継続可能だ。お前たちは退け。もう十分働いた。・・・・かまわないでしょう、課長」「そうだな。参号機も折り返し地点から再スタートしたそうだ。往路関係のスタッフも帰還を始めている。もう大っぴらには騒げんだろう・・・・それにな」「何ですか」「どういうわけか、妹さんはまだ交代せず参号機に乗っていないらしいぞ」「・・・それで?」「それだけだ。弧一たちはこちらで回収する。お前さんは研究室前で引き続き警戒に当たってくれ。助っ人さんへの挨拶のついでにな」「徹夜ですか。それから応援と合流して?」「まあ、そういうことだ。あとは任せたぞ」「それじゃ課長代理!がんばってください」「コダマ姉さん、お気をつけて」「・・ああ」
 
 
課長、山彦、諏訪の最後の言葉に多少、違和感を感じながらも駆け出す洞木コダマ。
 
応援の助っ人がたいそう腕が立つらしいことは分かったが、その正体には思いもよらなかった。あの狸もやはり狸らしく顔が広いのだな、程度にしか考えていなかった。もしくはうまくスキをついただけなのか。ともあれ部下の恩人には違いない。厚く礼をせねば・・・・・そんなことを考えていた洞木コダマを待っていたのは。
 
 
 
まあ、世間はあまり広くない、ということなのか。
 
 
 
徹夜あけみたいな眠そうな目をした三十代後半の、摩利支天の隠形法を使っていたらしいほんとにそこにいるのか疑いがつきないような、引っ越し屋の制服を着ているが、多聞天の札を一枚だけ鞘にはりつけてある刀など持っているので剣客なのであろう男。
 
 
もう一人
 
 
黒曜石のような瞳の女性。男よりは少し若い。こちらは引っ越し屋の格好で無手であるので引っ越し屋に見えてもおかしくないのだが、見えない。もしこれが初対面であっても見えなかっただろう貫禄と、不敵に物騒な気をまとって立っている。・・・そのおかげで頬のあたりのインクの汚れやスクリーントーンの欠片も戦化粧に見えてしまうのでお得だ。
 
 
どちらにせよ、二人の周りにころがっている・・・・・あのビルの屋上でも会った超衝撃吸収マシュマロミシュランマンスーツやら攻殻機動服、光学迷彩アラバスタースーツ、ナリは浮浪者のようにボロボロなコートだが全身に浮き上がる血管が正体を教えてくれる仁王のような中華式ブーステッドマン、超高性能なポケットバイクによる世界の諜報業界内に無敵の突撃力逃走力を誇った欧州の薔薇騎馬、それら規格外戦力を持った連中が意識を失って任務を放棄させられている、という様子を見れば誰でも分かることだが。インクの汚れやトーンの欠片まで気のつく洞木コダマが異常なのだ。
 
 
「それでは遅いぞ、コダマ」
 
 
剣客の男がのんびりと口を開いた。これだけのことをやらかしといて息も乱れていない。
 
 
「そうそう。少し、なまったんじゃないのかい」
 
 
女の方はからかうように。一瞬、その拳が口をひらき「けけけ」と笑ったような気もした。
 
 
戦車砲も受けきるぞと豪語していたマシュマロマンスーツが切り裂かれ、顔面部分がへこまされている。表面が粒子加工されて命中した攻撃そのものがかみ砕かれるはずの攻殻機動服が卵のように割られている。まあ、光学迷彩ごときに惑わされることがないのはまだ分かる。仁王のようなブーステッドマンの腕を逆さに捻りきっているのも・・・まあ、現象面だけ見れば分かりやすいからいい。それにしても高速で駆けてきたはずのポケバイのタイヤをどうやれば真正面から縦に切り裂けるのか・・・・いくら「先先先の先」といえど・・・・息くらい乱しても罰はあたらんと思うが・・・・
 
 
「師匠」
 
 
洞木コダマは師匠兄妹に一礼した。くそ、あの狸め。山彦たちの退き際の態度もこれで納得いった。洞木コダマが通わされてさんざん鍛えられた、穿った言い方をすれば青春を捧げたふたり、であるところの道場、修心館の主兄妹。佐伯マコト・佐伯ヒトミ。腕前の方はこの通り。侵入者のみならず、師匠の相手までしてやらんといかんのか・・・・・
ハードボイルドに洞木コダマは内心でため息。
 
 
今夜は忙しい。とても忙しい。
 
 
けれど、義務教育中の妹もこんな夜に仕事している以上、姉が弱音を吐くわけにもいかないだろう。妹の仕事はもう少し穏当にすめばいい、と願った。
 
 
 

 
 
だが、その願いもむなしく
 
 
というか、姉が願ったのは妹の無事であるからそれはそれで叶っているのか。
 
 
 
エヴァ参号機、大苦戦となった。
 
 
 
結局、機体の虎模様が変化せずに鈴原トウジ対応のままになっているために、かといって変化を待ち続けるのも時間の無駄、ということでそのまま充電機体チェックを済ませて鈴原トウジが折り返し地点からも乗ることになった。このように長時間変色が起こらないのは細切れの変色にこそ悩まされる予定だったスタッフたちにしてみれば僥倖でありとりあえず困る道理はなく歓迎すべきことだった。往路で虎模様があれだけの高速走破を見せつけたあとであればなおさらのこと。いっそ、どこまでやれるものなのか、それを調べるということで可能ならばもうそのまま鈴原トウジ・虎模様で第三新東京市まで直帰してしまおうということで予定も変更されて、交代パイロットである洞木ヒカリは日向マコト、綾波レイらの指揮ヘリに同乗することになった。これは洞木ヒカリが「鈴原・・・くんだけに負担させるのも・・・」と少し渋ったが、当の鈴原トウジが「頼む!出来るとこまでやらせてくれ!」と頼み込むことで了となった。洞木ヒカリは心配げに綾波レイの方を見たりしたが、鈴原トウジは意気軒昂、少し訝しむほどの元気いっぱいぶりであった。
空元気なのはいうまでもなかったが、参号機の連続使用の疲労耐性に関するデータもいらないわけではないし、なにより参号機がそれを望んでいるのだから仕方がない。
 
 
だが、一言だけ。「乗った後にもう一人のパイロットのことを思ってみて」このようなことを言う。
「お?、おう・・・・」真っ正面から来る赤い瞳に鈴原トウジの目が、一瞬、泳いだ。
 
 
冷徹実務肌になっているはずの綾波レイが言うのだから真意が掴みづらいのだが、よもや責めているわけでもなかろう、「や、やだ・・・・綾波さん・・・」洞木ヒカリが照れているようなことでも多分ない、「パイロットの交代、装甲色の変色は、乗り手の意思が介入する余地が出てきたのではないか」作業の進展具合をみた赤木博士の仮定をもとにしている。「実地に乗らせてみないと、わからないものねえ・・・」本部からしみじみと。
 
 
綾波レイが言っていることは乗り手視点と経験によるもので、こうも虎斑が長続きするのは鈴原トウジが「交代したくない」と口には出さないが心の底で強く念じているせいではないかと。事実、鈴原トウジはそのように考えている。エヴァというものが使徒と戦う兵器であるという以前に、すでに危険な代物であることを、知ってしまった。なにせその身体で味わっているのだからごまかしようもない。あるいは、自分たちの心身を犯すほどの。
 
 
それを知って普通の中学生にすぎない彼が逃げ出さないのは、人質があるから。
洞木コダマという人質。己が乗らねば彼女がその後を始末させられる。それだけは。
完全な身内ではないからかえって甘えがでない。そう言われても鈴原トウジは参号機に搭乗した後、「洞木ヒカリと交代」というようなことは考えまい。それを弱音とし封じさえするはずだ。・・・・ともあれ、今夜の目的は十分に果たした。鈴原トウジが「交代」をシンクロ思考しなかったとしても、それで装甲変色、入れ替えが起きなければそれはそれで重要なデータではある。
 
 
 
そして、そんな、帰り道のこと。
 
 
とおりゃんせ とおりゃんせ はやくおうちにかえりゃんせ
 
 
そこはねるふのかえりみち ごようをすませたかえりみち
 
 
いきはよいよい、かえりはこわい。
 
 
ちいっと通してくだしゃんせ ごようをすませてとおしゃせぬ
 
 
そこはどこのまちぶせじゃ えんぜるさまのまちぶせじゃ
 
 
いきはよいよい かえりはこわい
 
 
 
誰かがこのような変え歌を歌ったわけではない。だが、丹沢湖の手前まできたところ復路進行方向のど真ん中に使徒が立ちはだかっていた。それも、このあいだのやつではない、異なるタイプのやつである。
 
 
砲面犬型、とでもいうのか、頭が大砲のような筒になっており体型が犬のバランスでギロチンの刃のような尻尾がついている。もちろん土中からズモモモと姿を現すサイズは使徒サイズというか怪獣のそれで踏みつぶしたり踏み越えたりはできそうもない・・・・・コアは背中に無防備に。
 
 
攻撃方法はその大砲筒の頭を足下に突っ込んで土地を吸い取りそれを体内の分泌物で固めて砲丸にして相手に飛ばす、という補給いらずの自走砲であり、威力の方も・・・
 
 
「ぐはあっっっ!!」
 
 
突然の来襲、突然の攻撃に反射的によけることもできずに(大荷物を背負っている身ではそれは厳しいだろうが)まともにドテっ腹に砲丸を喰らう参号機とそれにシンクロしている鈴原トウジ。腕力のある人間がボーリングの球を殺意をもってぶつけてきたような重量級の打撃に、ドロリと膝をつく。その間に砲面犬使徒は第二弾を補給。筒頭をあげるとそこはクレーターのようになっている。環境配慮もへちまもない。当然のことながらその地点にあった植物やら動物やらを全てまとめて取り込んで一つの砲丸にしてしまっているのだから。機能上そうやっているだけで使徒にその気はないのかもしれないが、参号機とレプレがなるべく荒らさないように移動してきた努力をあざ笑うかのようでもあった。
 
 
「な?なな・・・・んやあっっっっ!!!?」
 
使徒に待ち伏せされる可能性を少しは告げられていればこうも混乱しなかっただろうが、いきなりの衝撃にこれが敵襲なのかそれとも先の手の痛みの巨大版なのか判別もつかない鈴原トウジ。
 
 
「鈴原君!!使徒だ!!・・・・逃げるんだ!!」
日向マコトが一瞬、悩んで参号機に逃走を指示する。「本部に緊急帰還!零号機の発進準備を!・・・・零号機、すぐいけるね?」使徒と戦えるのは零号機のみ。参号機はとても実戦ではつかえたものではない、という認識のもと今夜の作業計画はできあがっている。あれだけの走破性能を見せてくれたが、すぐに戦闘、しかもあんな大荷物を背負ってやれるわけもない。「周囲確認!参号機から白四械をパージ!・・・逃走速度優先、状況によっては武装もパージする。・・・・鈴原君、君の任務はその武装を本部まで届けることだ。いいね・・・そのつもりで僕たちもバックアップしていくから。なんとかかわして逃げるんだ・・・・・・赤木博士、彼はATフィールドの展開はいけますか」
 
 
なんのかんのいいつつ葛城ミサトの近くにあって使徒戦をくぐり抜けてきただけのことはある。この指示出しの速度がもう少し遅ければ使徒戦に慣れていないスタッフの多くは大混乱して壊走なようなことになったかもしれない。そのように想定されていても実際に出現してくる、しかも能力未知数の異型が、ともなれば。
 
 
だが、それでも遅い。使徒の第二砲撃が膝をついた参号機の顔面上部額に命中する。
 
ビキ
砲丸を構成する物質自体は硬質とはほど遠いものであっても、装甲が割れた。
 
「鈴原!!」遠ざかっていくヘリの中の洞木ヒカリの叫び。あそこでああなっているのは元来、自分であるはずだった。そんなことも思わずにただ参号機の中にある彼が心配で潰れそうになる。「シンクロ率も低下してきている・・・・今の一撃を反射的にかわすなりフィールドを展開しなかった、ということは彼の意識的な操作は期待しないほうがいいわ」
冷静なのだろうが、赤木博士の通信は血も涙もないように聞こえる。
 
「絶対領域下では意味の無いはずの単純砲撃をあえてメインにしているということは、それに対応した能力も併せ持っていると考えた方が無難・・・・・・それに、それをやると彼は戦おうと考えるかも知れない・・・・・」綾波レイのその声も。どこか楽しげにすら。
わたしたちよりも、突如、出現したあの怪物のほうに近い・・・・・恐怖を感じる。
 
戦って戦って戦ってきたから、あの怪物と心のどこかが同化してしまっているのでは。
 
そして、自分もいずれはそうならねばならないのか・・・・期限がついていて、それを鈴原トウジが一人がそれを負い、そうなってしまうのか・・・・・・違うような気がした。強い違和感。そうなっては、そうしては、いけない気がした。洞木ヒカリの今夜の収穫はこれひとつで、いずれそれは誰も予想しなかった道を拓くことになるのだが、今はまだ誰も。耳を傾けてもきこえないほど小さな。
 
 
 
逃げるか、この場で戦うか。
 
 
ズキズキ痛む頭で鈴原トウジは自らに決断を迫った。逃げるべきである。そのように指示も出ている。理性はそのように告げている。だが、身体は違う。おさまっていたはずの両手に走る刺傷の幻痛が再燃して命じる。戦えと。敵を倒せと。目の前の敵をブチ殺せと。両手から腕をマグマのような熱いものが伝わっていく。双腕そのものが殺意をもったかのように。その逆に足先は霞を踏んでいる頼りなさ。こんな足では走れっこないではないか。
 
 
向こうも逃がす気など毛頭ないだろう。飛んできた第三砲撃をかろうじて両腕のクロスで防ぐ。不思議なことに伝達される痛みもなくただ熱いだけ。突如の来襲で腹の痛みと混じってあれほど震えた恐怖もその熱さに溶かされたように消えている。
 
 
やれる・・・・・・いけるかもしれん・・・・・・
 
 
往路をひとりで走り抜いたように・・・・・
 
 
使徒とも戦えるかもしれん・・・・・・そのための、武器もある。
 
長いだけに威力のありそうな、小難しい名前のついた刀。砲撃は確かにきついが命中しても腹がブチ抜かれるほどではない。なんとか近寄ってあれでグサリと弱点をやってしまえば。都合のいいことに動きの鈍くなる柵の方は切り離してくれとるし。
 
 
やれる・・・・・・・やれるか・・・・・・・
 
 
武器もちながら敵を目の前にして逃げてしもうたら、パイロット失格と違うか?
こんな臆病者よりはいざとなれば女の方が度胸がすわっとるからやはり洞木ヒカリに・・・ということになりゃせんか・・・・・・刀でグサリと刀でグサリと刀でグサリとやるだけや。第四撃を再び腕クロスで。腕は頑丈なんかいな、腹と頭と違ってあまり痛まん。
 
 
・・・・・・・・・・・・よし・・・・・・・
 
 
鈴原トウジ、参号機は背中に残った最後の運搬物こと今夜のお仕事、東方剣主・幻世簫海雨を手を回してそれを握った。こんな長い立派な刀。触れるだけでもさぞ気合いが入ってもう逃げる気など失せるだろう、と思っていた。途端。
 
 
心の中に海の音、波の音が。それに続く雨の音。いっぺんに心の中のいっさいがっさいを洗い流してしまうような巨大な音が響いた。同時に双腕の熱さも白い波がひくようにけろっと消えていた。
 
 
そして。
 
 
”ただ移動するのと戦うのとじゃ電気の使用量がケタ違いだ。そのくらい勘定しとけ”
 
 
弟に小遣いの使い方でも教えるかのような、場違いに余裕な声が風のようにエントリープラグを吹き抜けた。堂々と上からものをいわれたのだが、なぜか反感が沸かなかった。
 
 
「・・・・・・そうやな・・・・・・エネルギーが無尽蔵やないんや・・・・」
 
どころかそろそろ補給、というところでかまされたのだ。何より電気の心配をせねば。
なにか世知辛い感じもするが、それも大人の味。アダルトテイストや。
その声がなにであるのか、触れたとたんにした刀の海の音はなにか、考えるのはあと。
 
 
ここは、雲を踏むようにして逃げるしかない。三十六計にげるにしかず。
これで特攻して玉砕したらそれこそ笑い話で、これから誰も代わる者がいなくなる・・・・・・うーむ、そういうことやな。何をカッカしとんかなワシは。ウデーモンか。
 
 
にげる・・・・・・いわゆる、とんづらや。尻に帆かけてでもにげたるで。
 
向こうも頓しとるのだからこっちもそうしたる。わはは。頓死してたまるか。
 
足下を狙ってきた五撃、六撃を鮮やかなマルセイユターンでかわす参号機。
 
赤木博士に言われたATフィールドもどうも今日は出来そうもない「すんません、無理っぽいです。出ませんバリア」「・・・・今の動きは、あなたが?」「はあ。球技はひととおり得意でした」「・・・ともあれ、遅滞防御戦じゃないから、足を止めてまでそうすることもない・・・早く逃げられればそれでいいわ。あとはレイの零号機が片付けるから」
「せっかくレプレはんと荒らさんようにしとった道を食い荒かすのは頭に来ますけど、それで時間食いますからなあのミミズ犬・・・その点は」「・・・・そうね」初陣にしてこの落ち着き・・・パイロットの混乱から機体の暴走を心配して薬剤投与の影響計算などしていた赤木リツコ博士にしてみると少し拍子抜けであった。まるでミサトのように使徒、天からの使いを恐れることがない。タブーもなくただの怪獣として見ている。しかもミミズ犬って・・・・若い子のセンスはすごい。
 
 
赤木リツコ博士が感心しているが、鈴原トウジとしてはただ事実を言っているだけのこと。
どうしても砲丸を補給するのに手間を食う。そのスキをねらって待ち伏せ体勢を突破。
自らの背後に使徒を置くことに成功する参号機。そのまま逃走。ジグザクに逃げる逃げる。
使徒は情け容赦なく背中を見せたエヴァ参号機を撃つだろう。というか砲撃する。
 
 
・・・これを最後までやられていたら、参号機はおそらく破壊されていた。
零号機も間に合わなかった。後からマギで計算してみるとそのような予想結果が出た。
 
 
砲面犬使徒、ミミズ犬使徒の砲撃は補給に手間がかかるが、極めて正確で多少の追撃距離・ブレなどものともせずに参号機の足を狙って砲撃が繰り返された。三発も続けて命中すれば脚部の装甲が破壊されて足が折れ、逃走失敗、ということになるはずだった。
唯一の武器、機動力を失った参号機が使徒相手にどういう目にあわされるか・・・・・
 
 
だが、鈴原トウジの駆る参号機は見守る者すべての心臓を凍りつかせながらも、なんとか逃げ切った。
 
 
それは・・・・・・
 
 
霧だった。
 
 
 
参号機の逃走路上に突如、深い濃霧が発生してそれにより使徒の砲撃命中率がガタ落ちしたせいであり、あまりに外れるのに悲しくなかったのか濃霧の中、いつの間にかミミズ犬使徒は消えてしまった。観測の者が手をぬいたわけでも目をそむけていたわけでもない、その霧がネルフ本部の目すら隠してしまったのだ。それくらい深く、何を秘めているのかよく分からない霧だった。黒い霧状態の現ネルフ本部に負けないくらいの、それに対抗するほどの。参号機もその必死の逃走の途中、霧の中で背中にあった幻世簫海雨を落としてしまっていた。落としたことにも気付かないほど本人も必死だったらしいが。まあ、あんなもの誰が拾うわけでもない、あとで取りに行けばいい、と皆も考えた。
 
 
 
だが、不思議なことに夜が明けて霧も消えた逃走経路のどこを探してもあの巨大な刀剣は見つからなかったという。