深い霧の山中に落とし物の一本の刀剣。
 
 
サイズで言えば金属の構築物としかいいようがないが、確かにそれはエヴァンゲリオンという巨人が振るう武装であり、東方剣主・幻世簫海雨なるたいそうな名前をもつ刀であった。逃走の勢いでかなり乱雑に落ちたはずだが、地に伏せるぶざまな格好にはならず、優美なほどのバランスで霧の中に屹立していた。
 
 
確かに、そこにあった。
 
 
霧が終わり夜が明けると、ネルフ本部がどこを探しても見つからなかったそれは。
 
確かに、そこにあった。
 
己が認めた主以外には、いやさ主は己のみ、ただ扱いを許し認めた者のみを近づける・・・といった厳然とした気配を放ちながら。たまたまそこらにいた建設作業員の人が「なんだべ?こりゃあ」「よくわからんども、もっていっか。いい値で引き取ってくれるかもしんねえ」などと重機でかついで持っていった、などということはありえそうもない。
よもや、長年己にふさわしい名剣をもとめてさすらっていた孤高の剣術家が「これぞ!これぞまさしく我が愛剣とするにふさわしい!!超マンモスらっぴー!!」と感激しながら腰に下げるにはいささかでかすぎる。
 
 
確かに、そこにあった。本来の使い手、エヴァ参号機が己を回収しにくるのを気長に待つつもりであった。その名のとおり、気性としてはずいぶん大らかなのである。一度の誤りで盟約を破棄してしまうほど了見がせまくなかった。その体格にふさわしい剣格である。
 
 
だが・・・
 
 
己が置き捨てられた山中一帯に未だたちこめる超自然的に、つまりは不自然なほどに唐突で明確な意図がこめられた深い霧・・・・そのむこうから、強大な気配の接近を幻世簫海雨は感じた。感じただけでどうしようということはない。使い手がいなければ相手をぶった斬れるわけでもないし、なまなかの存在にどうにかできる東方剣主でもない。
 
 
気配はぐるぐると距離をおいてめぐっている。狩猟動物のような行動だった。が、ただの動物にこのような巨大な気配が宿るはずもない。ざあざあざざざざざ・・・・巨大な刀剣のかたちをとった海・・・それを波立たせるほど危険な力を感じさせるはずはない。
絶滅。気配の名をあえて言語で漢字で表現すればそうなろうか。幻世簫海雨は漢字に強い。
連綿と続いていた巨大な流れを時の果てを待たずして断絶してしまう力の沸騰破裂。
 
 
気配の輪はだんだんせまくなってきている。霧の中、ちらちらと色彩が見える。
 
 
それは獣の色。毛皮の色。角の色。目の色。爪の色。蹄の色。牙の色。嘴の色。翼の色。
鳥の色。ウインタテリウム、モエリテリウム、ブロントテリウム、インドリコテリウム、プラティベロドン、ディノデリウム、アナニクス、アクラウケニア、エラスモテリウム、フクロライオン、マンモス、スミロドン、ドウクツライオン、ドラッヘンラーレ、メガテリウム、グリプトドン、ドエディクルス、メガロケロス、ケブカサイ、ステヌルス、ディプロトドン、ジャイアントモア、メガラタピス、エピオルヌス、ブルーバック、ステラーダイカイギュウ、リョコウバト、カロライナインコ、ミイロコンゴウインコ、バライロガモ、ヒースヘン、クアッガ、タスマニアオオカミ、バンディクート、カンガルー、ウサギワラビー、オーロックス、キタハーテビースト、ラバック、ファランクス、ジャンセット、テスタドン、タクストモール、チリット、フリット、リードステッルト、バーデロット、ホーンヘッド、パムスレット、ヴォーテックス、チズルヘッド、グロース、シャラック、リーピングデヴィル、ロングアームドジター、ストライガー、ターミ、ザランダー、ヒリヒリ、スロバー、グラース、タピムス、クレフトバック・アンテロープ、ヴァルファント、ロングネイキッドイイパ、スノーク、フォローアー、ナイトストーカー・・・・
 
 
人類が生まれるまえに去ったものや人類が大いに関わったものや、人類の手がもう触れないところにいるはずのもの・・・・・・基本的に人の生んだ刀剣であるところの幻世簫海雨にはそこらへんはよく分からないが、ただそれらの色彩には「中身」はなく、それらの外見だけを現物剥製で辞典でもつくろうとでも思ったのか、つらつらと数珠のようにつなげてそれらを引きずって移動している「何か」がいる・・・・・ということは分かった。
 
 
それこそが強大な気配の源。東方剣主すら震撼させるほどの力をもつ・・・・
 
 
 
 
(VΛV)リエル
 
 
 
 
使徒・人類の天敵・人造人間エヴァンゲリオンの宿敵・不倶戴天の間柄。
 
エヴァ用の刀剣として産み上げられた己が斬るべき存在。ひりひりと感じる。
 
長大すぎる毛皮をまとった人型のそれが腰にさげている牙剣。覇を競うべき相手だと。
 
サイズで言えば、人型とエヴァ用の刀剣。それに脅威を感じるなど冗談以外にない。
 
 
だが、毛皮の一群をひきつれゆうゆうとこちらに向かってくる使徒に敵対の意思もなく。
 
 
ただ。
 
 
手をのばし。
 
 
東方剣主・幻世簫海雨に触れただけで。
 
 
あの巨大な刀剣が刹那に収縮してその手におさまった。あっけない奇跡。
 
神の使いがなす、あまりになにげない行動。抗うことなどおもいもよらぬ。
 
刀剣のかたちをとった大海はやすやすと呑み込まれた。
 
 
それに関して(VΛV)リエルのコメントは特になし。
 
代わりに、己の手におさまった幻世簫海雨を鞘走らせて、周囲の霧を払うがごとく一閃。
 
 
早い抜き打ちであるが、特に気合いがこもったわけでもない、使い勝手を見るような無造作な一振りであった。が、ただ、それだけで。霧が。エヴァ参号機の第三新東京市までの逃走経路全てを覆い隠しきった濃霧が、消えた。霧散以上の明確。まさに、切り払われた。
 
 
使徒の邪魔をする猛燎たる霧は、エヴァの専用武装によって切り払われた。
その皮肉。使徒の使命を弄ぶ輩には相応の代償を。
 
 
遙か遠くであがった人間の子供の悲鳴を(VΛV)リエルは確かに聞いた。
 
それに関しても特にコメントは無し。一帯の霧が完全に失せきったことを超感覚で確認し終えてからようやくぽつんと呟いた。
 
 
 
「ゼル・・・シャ・・・ルギ・・・」
 
 
 
そして、昇る朝日とは反対の方角へ消えた。当然、新たに得た人の剣を返すはずもなく。
持っていってしまったわけである。これが、武装消失の真相であった。ネルフ側がそれに気付くのにはしばらくかかることになる。
 
 
 

 
 
一夜明けたあとの参号機の評判は微妙なものだった。
 
なにせ評価がまっ二つに割れたのだ。
 
 
「どうせ使えないだろう」ということで一致していた時の方がまだマシであったかもしれない。確かにどう評価していいものか、難しい。専門家であるはずの作戦部長連にとってでさえ、これには意見が分かれた。上が明確な判定を下すことができなかったのだから、下々の者にとってはそれぞれ勝手に、混乱にも近いような形で、参号機とそのパイロットに接することになる。
 
 
昨夜の専用武装の運搬作業。
 
 
それに関して言えば、途中でそれを落として今も発見されていないのだから(白四械は見つかって作業班が回収にあたっている)失敗といわざるを得ない。はじめてのおつかい、などと揶揄されて見事に帰り道で致命的失敗。それだけ言えば話にもならないみそっかすぶりである。評価も割れようもない。結果だけみればそうなるのだが。
 
その過程を考えると、それは破格の適正を示していた。そもそも、本部の(綾波レイをのぞいた)誰一人目的地まで到達することすら予想していなかったのだから。単純なレースでいえば、参号機・鈴原トウジは近年まれに見る大穴であった。綾波レイの一人勝ち。
その走破能力。本部に在籍していたチルドレンたちもあんな機動を見せたことはない。
ずぶの素人では起動させるまでが限界でとても実戦など・・・と言われていた所にこれ。
子供がスポーツカーに乗り込んでイグニッションキーを回してただアクセルだけをふかしていたのではないのはその道行きが足跡が証明している。確かな意思をもって巨人を制御しているのだと。
 
 
そして、使徒の待ち伏せ。初の実戦。初陣、などと晴れがましい言葉では表現できない、慌ただしいあまりに唐突な戦い。はじめてのたたかい。バカにする者などいようはずもない。ガキのおつかいの面倒なんぞ見てられるか、と吐き捨てていた者たちもあの時だけは祈って祈って祈りまくった。心臓を凍らせながらその無事を。なんとか逃げ通すことを。
 
 
長大な武装を背負って乗るのは人類最後の決戦兵器であろうとも、そこで留まって戦え、と言える人間はいなかった。今の本部でそれが言えるのは綾波レイだけであろう。その彼女が命じず己の零号機で戦おうというのだから、他の者はもう祈るほかない。戦闘用のバックアップ体勢がもともととられていないところに飛び道具もないのに素人が戦えるはずもない。
 
 
・・・・それでもし鈴原トウジが参号機で敵を殲滅していたら、ヒーローになっていただろうが。ロボットアニメの第一話だとなんとなく勝ってしまうのだが。適性をそのような形で証明することはなく、鈴原トウジはなんとか逃げ延びた。その折にATフィールドを展開しなかったことに関してグチグチ言う者もいたが、いずれ逃げ切ったあとのことである。
 
 
ただ、途中で発生した霧について言及する者はいない。神風ならぬ神霧というか、参号機を追う使徒の邪魔をしたのだから、魔霧とでもいうか。観測科学器機すらあしらう不思議な濃霧は・・・・いったい「誰」がやったのか・・・・・・赤木博士の方をちらちら見る者もいたが、説明も返答もなく。帰還した参号機にかかりきりの博士に詰め寄って説明を求める命知らずもない。「こういうこともあろうかと」作戦部長連の誰かが気をきかせて着任と同時に設置しておいた新兵器・・・・というわけでもないらしく。どころか。
 
 
 
運搬作業の「失敗」の責任をとらされて作戦部長連のひとり、孫毛明がクビになった。
 
 
もともと多すぎる作戦部長のひとりが減ってもそれはそれで自然なことではあるが、いきなりクビという情けはもともとなさそうだったがずいぶんと乱暴なやり口で頭べらしに発令所スタッフも驚いた。もともと遠く離れて顔も見せないので愛着などわきようもないが、あれで首となると、もともとのいいだしっぺである綾波レイの責任も問わねばなるまい。が、そんなことできるわけもない。今の綾波レイはろくろ首よりもこわい巨大一つ目怪人の繰り手なのだ。くび?やれるものならやってみなさい、と顔にかいてある。
そのあてつけであるのではないか、という噂もたったが、なんにせよ司令には逆らえない。その代わり、次の日にでも司令が替わっても誰も驚きもしないだろう。
 
 
 

 
 
 
「・・師匠、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
 
 
参号機が慌ただしくケージに回収されて慌ただしくなってきた本部のゲートで仕事のすんだ師匠ふたりを送り出す洞木コダマが、聞こうか聞くまいか考えていてやっぱりこの二人だからやめとこ、と結論を出したはずなのに、なんとはなしにぽろっと出てしまった問いかけに面白そうに足を止める佐伯兄妹師匠。「なんだ、コダマよ」
 
 
「え?あ、・・・そのですね・・・・・」聞くのはやめておこうと決めたはずなのに口にした問いの扱いを小娘のように迷うそぶりを笑う佐伯ヒトミ。
 
「なんなんだい。いっちまいなよ。あんたみたいな見取りの天才に口出して聞かれるのも、嬉しいさ」
とてもその生の拳で機械の殻をぶち破った猛者にいわれてもなあ、その手で少女マンガ描いてるなんてもっと信じられない。けれど、こんなことを相談できるのはこの人たちくらいだしなあ。
 
 
師匠兄妹は逆に、今の今まで帰り際になってまで愛弟子がなにも聞いてこなかったことを笑いたい。内心の葛藤は、あたいはハードボイルドでござい、みていな顔していても、それこそ手に取るように分かる。弟子の気性は割り切った竹ではなく、ねじれた古木の虚だ。寛容さにほど遠い。この技の冴えでこの気性では将来、結婚も難しかろう。同じものを何度も何度も情をそそいでしまう。まあ、それはいい。この現代人には希なほどの戦働きの才能は先祖返りか何かかもしれない。子孫を、妹を守るために、祖先が送り込んできたのやもしれぬ。そんな弟子がわざわざ口にだして問おうというのだから何を聞きたいのか、だいたいの見当はつく。場所柄も場所柄であるし。
 
 
洞木コダマの問いたいのは、なんでこの時期この時に諜報三課課長の要請に応じたのか、でも、霧島研究室の奥には何があってあの時、あそこで何が行われていたのか、でもない。ましてや、もっと楽に勝てる方法があろうにわざわざ正面切ったはったの危ない戦い方を義も何もないような戦闘で行ったのか、でもない。聞きたいのは、教えてもらいたいのは・・・・
 
 
 
「あー、たとえば、ですね・・・・・なんの武芸のたしなみもない、まー、一般の婦女子が、あの、その・・・・・・怪物・・・なんかと立ち会って勝ち続けなければならない状況に陥ったら・・・・どのように、アドバイスすればいいのでしょうか」
 
 
まあ、そのような無茶なことだった。だが、今現在、その無茶な状況が厳然と立ちはだかっているのだ。おのれの身一つにふりかかることであれば火の粉であろうと煉獄の火炎弾であろうと回避対応しきってみせるのだが・・・・・いかんせん。
 
それにしても・・・・・こうやって口に出してみるとつくづく無茶を通り越してバカな要求だなあ・・・・・・後悔しかけた洞木コダマに師匠はのたまう。
 
 
 
「・・・”勝ち続ける”、んだな?勝つ、だけではなく」
 
 
さすがは師匠、弟子のことがよく分かっている。と感心感動してもよかった。ここで「そんなの無理。食われるしかない」とか「逃げるだろ、ふつう」とか当たり前のことを言われた日には絶縁していたかもしれない。
 
 
「その怪物のサイズは?ボブ・サップくらい?」
黒曜石の瞳はあくまで真剣なヒトミ師匠。キラキラとその魔の星のような輝きは108つ。相手とのウエイトの差は重要だ。たとえ怪物であろうとも。・・・・この人の思考はそうなのだろうが、一般の婦女子、中学生くらい、という括りを忘れて欲しくないんですが師匠。しかもボブ・サップというのはどこの国の妖怪のことでしょうか。オセアニアあたり?
 
 
「いえ・・・・・・・・・・そうですね・・・・・・アフリカ象くらいでしょうか」
 
 
それでもなんとか適当に返答する洞木コダマ。微妙に無難な答えはさすがであった。
 
とにかく、勝つことと勝ち続けることは全く違う。敗北の方がまだその距離は近いだろう。
 
その仮定の世界にその少女ひとりしかいないのならまだしも。そこは世界の果てなのか?誰か助けろよ、と思うだろうそれは。・・・・・・いやさ、世界の極なのだろうそこは。
 
 
「なにか特殊な能力をもっているのだろうな、怪物というからには」
 
 
はあ、どちらかといえば怪獣、のほうが近いと思うのですがそれを言うと「軍隊の仕事であろう」という絶縁系の返答がきそうで言いにくかった。それにしても、退くことを知らない人たちだな・・・・・自分がもし弟子をとってこんなこと聞かれたら即座にぶっ飛ばしていただろう。「・・・そ、そうですね。たぶん・・・もっているかと」
 
 
・・・言ってしまってからその答えの頭の悪さに、自分がのび太になってしまったかのような感覚に陥る洞木コダマ。今にも声の限りに猫型ロボットを呼びたくなってきた。だが。
 
 
「・・・難しいことではないな」
 
 
もう一世紀未来からそれを召還せずとも、目の前の師匠のかたちをした眠たげな目をした中年が答えてくれた。いや違う、眠たげな目をした中年の形をした師匠でした。
 
 
「そう。それってば、怪物退治の基本中の基本だし」
 
 
ヒトミ師匠も平然と答えた。
 
 
「基本ですか・・・・」
先の戦闘でも分かるように、危ない橋があればそのまま真ん中を渡るこの師匠二人。まさに一休品。危ない橋が百基あれば百渡るような人格が破綻気味でも、こと戦闘においてホラを吹いたことだけはないこの師匠兄妹。やることがホラめいているだけに、語るとなると存外まともで大人しい。普通、秘技奥義を歌うようなところはその逆なのだけど。
 
 
「そう、基本。昔から皆、こうやって生き延びてきたんだ」
その理解では遅すぎる、というような顔で師匠が答えた。でもでも全然分からないんですけど!!おしえて師匠!・・・・出来れば、そうやってイヤイヤしながらでも聞き返したかった。そんなキャラクターではないのが悔やまれる。忍者ではあってもくのいちではない洞木コダマであった。どちらにせよ色仕掛けが通用する相手でもない。
そこまで言えば、お前ならば分かるだろう、みたいな顔をしている師匠二人。
 
 
「・・・・・・・」
しかし、分からない。分かるだろう、という顔をされても分からない。
 
 
「珍しいこともあるものだな・・・・」すうっと師匠は近づくと洞木コダマに古代からの必勝法を「・・・・ということだ」耳打ちして伝授した。一応、基本的なことではあるが弟子にしか教えないのであった。わはは。
 
 
「・・・・・・・」
洞木コダマも黙るしかない。確かに歴史をひもとけば、昔っからそのようにして、いかなる勇者もだいたいそのようにして、勝利している。同じ人間相手なら通じる戦術もそも人間以外人間以上たる怪物には通じることも少なかろう。その点、師匠に伝えられた怪物開示の基本の基本は、気休めや心構えのようなものではなく、ただひたすら勝つための喧嘩殺法に近い。ただ、それは武術ではない。武芸の嗜みもない、という縛りをきちんと踏まえている返答だった。
 
 
「ではな。いつ伝えるか、それはお前に任せよう。・・・実は冬月殿からパイロットの子供たちにいくつか手解きを頼まれていたのだが、お前の方が適任だな、うむ」
 
 
「・・・いい子だとは思うんだけど、どうも・・・相性が悪そうなんだよね・・・あの赤い瞳とこっちが修めている法とかね・・・・。訓練中に”事故”なんか起こしたりしたら洒落んなんないし。じゃ、コダマ。がんばってね〜」
そう言い残してゲートから行ってしまう師匠兄妹。その背の張り具合といい頭部のブレの無さといい声すらかける隙はなし。完璧だった。
 
 
「え?師匠?」
どうも二人にはめられたことに気付いたのは、とっくに反撃領域から去った後だった。
こういう駆け引きではまだまだ未熟、師匠たちにの足下にも及ばない洞木コダマである。
もしかして、この困難で厄介な問題は師匠たちがやるべき仕事であったのか・・・・
く・・・あのまま黙って送りだしてしまえば・・・・・・本部同様、後の祭りである。
 
 
「・・・・やれやれ・・・・」
こんな困った時に頼れる唯一の相棒・・・・・チョコを取り出して咥える。
不思議に濃い霧が晴れて地下での戦闘を切り抜けた徹夜明けの目に厳しい朝の光。
どう見ても十七歳、現役女子高生には見えない渋さであった。
 
 
しばらくは口の中のみにある幸せな甘みを楽しんでいたかったのだが・・・・・
無情にして非情なる携帯の呼び出し音がそれすらも奪ってしまう。
 
 
「はい」
出なければいいのだが、唇から甘みを消してクールな声で応える洞木コダマ。
たとえ、そこが新たなる地獄の始まりであろうとも。臆すること微塵もなく。
諜報三課課長代理、それが己の看板。ウエルカム永遠の世界。凍りつけ蒼い夏。昼も夜も開かれてあれプルトンの門よ。至難の道であろうとも、それが我の生きる道。
 
 
「え・・・・?」
ただ、意外なことにそれは命令ではなかった。この耳に届くはずのない頼み事、依頼。
それは、さながら過去から届いたような、旧世代のテレビドラマにそのまま感化されたかのような・・・
 
 
世にもアナクロな依頼。
 
 
・・・そりゃ、依頼だから、頼み事だから、断ったって、いいんだけれど・・・・・・
 
 
「・・・・・やれやれ・・・」
この働き具合では太ることなどまずないだろうから、もうひとつチョコ一袋。
ガリッと噛んで、引き受けた。
 
 

 
 
「あれだけ言っておいたのに、なぜ手をだしたのかね。その姿を見せなければいい、といものではない。あまりに不自然すぎる」
 
 
自室にて誰かを相手に愚痴通信する冬月副司令。出来ればもっと固有名詞をズバズバ出してしまってストレスを発散させたいところだが、この状況下ではそうもいかない。
 
 
「パイロットを救うだけならエントリープラグを射出すればいいことだ。わざわざそこまでのリスクを君たちが背負うことはなかろう。気付く者は気付いただろう。あのタイミングの介入・・・・あまりに目立ちすぎた。まあ、決定的な証拠は掴ませなかったが・・・・・今後、警戒はされるだろうな。・・・参号機がどれだけ目をひいてくれるか、だが」
 
 
いろいろと聞く者が聞けば相当やばいことをバキュンバキュンと口にする副司令。
 
 
「彼女がこの状況を知って黙っているわけはないと思ったが・・・・こんな手を・・」
 
「弐号機パイロットの方は・・・・・・ギルで・・・・まだ・・・・・・・」
 
「南洋実験諸島・・・エヴァ九号機・・・・・ヨッドメロンとアバロンの関係・・・ジャムジャムという子供が・・・・」
 
そのひとつひとつが今後の特務機関ネルフの先行きに直行する。
 
 
 
「・・・・・・・それから、彼女に問題はないのかね。チルドレンの蓄積データが全く使えない、一から試していくしかない段階だ、思わぬ落とし穴があるかもしれない・・・」
 
 
さほど長話ができるわけではない。本題に入ってすぐに終わらせなければ。
 
知れきった愚痴など言わず、分かってはいるが、聞いてくれる人間が彼くらいしかいないのだからそれすら己に禁じてしまえばこちらの健康がおかしくもなろう。
やるな、と言われていても必要であれば、なんの躊躇いもなく歯切れ良くやらかす親娘であることは、よく分かっていた。・・・・いかなる危険が待ち受けようと。
 
 
「額に裂傷・・・・そうか、フィードバックか・・・・・聖痕などと呼びたくはないが・・・そこまで露骨に顕れるものなのか・・・それほどの同調がなければ・・・・・」
 
 
「言うまでもない、これこそ言うまでもないことだが、・・・・・くれぐれも気をつかってくれ・・・・それから、すまない。本来ならばすでにここを離れる手はずを整えるべきだが・・・カッパラル・マギア、ニェ・ナザレ・・・彼女の元ならば・・・・露見すれば磔刑にされるほどのリスクを・・・・・・・・・・・くそ、碇め・・・・・・あの親子がもう少し・・・・・・」
 
 
愚痴モードに戻りかけたところに扉にノック。「失礼します、副司令。日向です」当然、その用件は後回しにできるはずもない。「ああ、少し待ってくれ。・・・・では、これで」
通話を終わらせる。
 
 

 
 
「ううう・・・・・・・・むう・・・・ホンマにワイは・・・・・・」
 
 
鈴原トウジは引き裂かれて苦しんでいた。ほんとうに引き裂かれていれば苦しむ間もなく死んでいただろうから、これはあくまで内面の葛藤その他のことである。ハンザキ山椒魚ではあるまいし。悪役レスラー養成所出身でありながら正義のパンチをぶちかましながら戦う虎マスクのように、鈴原トウジは、悩み、苦しんでいた。
 
 
「あれで、よかったんか・・・・・・・」
 
 
ちなみに、ここは本部内の男風呂である。今のところ、彼一人、貸し切り状態であった。
LCLはきちんと洗い流して熱い湯船につかっている。しかし、精神解放などされず緩むはずの気を引き締めてずいぶんと疲れた顔して湯漬け拷問中の河童のごとく悩んでいるわけであった。
 
 
あれから、まる一日経っている。
 
 
運搬作業を終えて。つまりは使徒から逃げ切って、運ぶべきものを落っことして、ただ遠くの方まで走ってみせただけ、という己のていたらく。訓練は失敗することが前提であろうが、任務としては失敗というのは取り返しのつかないものだろう。
 
 
まあ、それもやむなし、と心の中にいる大器晩成型の鈴原トウジは考える。もともと戦う予定ではなかったのだから、あそこで無理してしまえばすべてが終わってしまう。たとえ最初にみじめな思いをしようと最後に笑えばそれでいいのだ、と。こまかいことをいちいち気にしておったらこの先生きていけんぜよ、となぜか土佐言葉まで出てしまう。
 
 
が。
 
 
あそこでキッチリ戦えるところを見せておかねば意味がねえ、男には負けると分かっていても真っ赤に燃えて戦わなければならねえ時もあるんだ!! と吼え叫ぶ早熟熱血ガツガツ型の鈴原トウジも確かに心の内に存在するのである。上手いこと逃げたとしても敵がそれで諦めるとは限らず、結局の所、他の者、特に綾波レイに丸投げしてしまっただけで、それは無責任極まるのではないか・・・・・・なんとか一矢くらいは報いて敵の情報を引き出すくらいのことはしてもいいのではないか・・・・・・仲間のために。
 
 
いろいろと反省し考えることがある。検査などもあったことはあったが、もし帰れる時間があっても、こんなパンパンに膨れあがった気分では家に帰る気にはなれなかった。
使徒は追撃を止めたようだが、落としてしまった武装は結局、発見されず。
検査中に漏れ聞こえた「責任問題」なる単語が胸に突き刺さる。
 
せっかく真っ新に改修された参号機もかわしきれなかった砲弾のためにあちこち傷だらけ。使徒との戦いではなにより重要だというATフィールドなる障壁を張ることが出来なかった。あまりやろうと集中したわけではないが、咄嗟に最も重要なことが出来なかった、というのはやはり適性に欠けるのではないか。フリーなのに外してしまうシュートのように。そんなフォワードはいるまい。そんなシューターはいるまい。
 
調子に乗って基地である第三新東京市から遠く離れてしまわなければ、もっと別な対応が出来て、使徒も綾波の乗るエヴァ零号機で倒せてしまい、白星がひとつ増えて人類の脅威が一個減っていたかもしれない・・・・・。
 
 
のぼせる寸前まで考え込む鈴原トウジ。汗に混じって悔し涙が本人も気付かぬうちに流れていた。成分はあまり違わぬから本人の意識次第なのだが。湯船からあがって呟く一言は
 
 
 
「・・・・無力やな・・・・・・・我ながら、使えんやっちゃ・・・・・・」
 
 
自己評価としては少年の潔癖があまりに差し引いて、こんなものになってしまう。
 
使徒も倒せず運搬物も落としてしまう・・・・・あまりにドジ男すぎる。逃げ足だけ早くてもなんの意味があるんや。これで、こんなんで、いいんちょを守れるンか・・・・・
 
 
ちなみに洞木ヒカリは結局、参号機にも乗らなかったので簡単な検査だけで一端、家に戻っていた。鈴原トウジにはそれが有り難かった。いかんせん、こんな時に近くにいられたらどういう顔をしていいのか分からない。何を言われても答えようもなくひたすら気まずくなるだろうことは分かっている。もしや慰めめいたことなど言われようものなら・・・
 
 
ワシは・・・・・・
 
 
激高するかもしれぬ。よく考えたら、目の前で、思い切りカッチョ悪いところを見せてしまった。敵の前で思い切り逃走・・・・・荷物を落としてそれに気付かぬほどの慌てぶりで・・・・不様きわまる。カッコ悪すぎる。どこの三下やねん、めちゃ頼りにならんわな、これは。カルメラ兄弟以下や・・・・・・
 
 
綾波レイがここにいれば、その心底を全て読み切って、氷の棒で一喝してくれただろう。
しかし、ここは男湯であり、いくらなんでもそれは神出鬼没がすぎる。捨て身すぎる。
 
 
のろのろと脱衣所で衣服を身につけ・・・・・既に一時帰宅の許可は出ていたが・・・・
 
帰る気にもなれない。なんとなく体重を量ってみたり、さして長くない髪にドライヤーを使ってみたり、大型扇風機の前で声を変えてみたり。だが、そんなもので時間をいくらもつぶせはしない。のろのろと脱衣所を出る鈴原トウジ。よろよろした足取りはいささか長湯のしすぎだったが、今の鈴原トウジにはそれすらも、なんか己のダメぶりの発露に思えてくる。視線も天井をむいてまともに前を見ていなかった。これで人がいればぶつかるしかない。
 
 
 
「すずは」
 
 
どん
 
 
なにか涼しげな声でいいかけた人に寄りかかるようにしてぶつかってしまった。ぶつかられたほうは軽量かつ予想もしなかったせいか、そのまま仰向けに、鈴原トウジに覆い被せられるように、端から見えるとかなり犯罪的な角度で、時が、止まった。
 
 
空色の髪に、白い肌、赤い瞳。
 
 
鈴原トウジのよく知っているご面相であった。すぐ真正面に、あと数センチで危険な物語が始まり停滞気味であった少年が一気にフル加速するほどの距離であった。
 
 
この光景を家から戻ってきた洞木ヒカリが目撃などしたりするとたいそう面白いのだが、綾波レイの面が十分に白すぎるので、そういうことにはならなかった。まさに色の白は七難隠す、である。
 
 
「綾波・・・・・・?」
 
 
「そう」
 
 
お前は綾波レイですか?という質問にとったわけでもあるまいが、静かにそう答える。
だが、その赤い瞳はのんきに長風呂していた己を鋭く非難しているように見える。
 
 
「す、すまん綾波!!ちょっとよそ見しとってな、すぐにのくから勘弁してくれ!」
火照った肌にはその雪のような白い肌が、ぴたっと密着などしてみればさぞ心地よげに見えるが、あともう少し鈴原トウジがその身体を移動するのが遅かったらどうなっていたかは分からない。綾波党の後継者相手にこのような無礼な真似をしたのは碇シンジくらいしかいない。どこぞから放射される殺気によって鈴原トウジの火照りはすぐに治まった。
 
 
「そ、それでどないしたんや?こ、こっちは男湯になっとると思うたけどな」
これでどこぞの健康センターのように日替わりで男湯と女湯が入れ替わりなどしていたら鈴原トウジは恥ずかしすぎて切腹するかもしれない。ちら、とのれんを確認するが男湯だよかった。が、綾波レイがわざわざこんなところまで来たのは他でもない。
 
 
「体力は、回復した?」
 
 
自分に再び「何か」をやらせるためであることを即座に理解する鈴原トウジ。
その赤い輝き。そのなんの遠慮会釈もなくまっすぐにこっちの心を射抜いてくる目。
 
 
ばちっ!!一瞬で鈴原トウジの心が弾けた。ばちばちばちっっ!!強い弾力はすぐさま胸からのど首、口元に駆け上がり、「お、おう!!もうばっちりや!バッチリ屋を開店できるほど漲っとるでえ!!それでこのバッチリ屋っちゅうのは・・・」ガッポリガッポリ儲かること間違い山梨県のビッグマネー商売を思いついた直後の大阪のオッサンも顔負けな大層調子のいい未来ビクトリートークを語らせる!!。
 
 
 
「・・・そう、よかったわね」
 
他の誰でもこうも簡単に悩める鈴原トウジを再燃させることは出来なかっただろう。綾波レイであるからこそ。強引に運搬計画を立案して実行して、たとえ大失敗に終わろうと全く悪びれても怯えても困ってもいなさそうなこの氷の女王が命じるゆえにかえって反作用的に燃焼反応が起こるのだ。これまたこの光景を洞木ヒカリが目撃すればたいそう面白いのだが、語る本人は気付いていないからいいものの、端で聞く分には慄然とするほどのヒエピタく白い返答だけで十分であろう。とにかく、鈴原トウジは元気になりました。いろいろあったけど。やはり風呂は命の洗濯です。特に綾波能力を使ったわけでもないのにこの昇り調子に綾波レイも少し間をおくことにした。時間もないのでサクサク進めようと思っていたのだが。・・・・いきなり押し倒されるし。
 
「少し、移動しましょう・・・・」
エヴァの整備が一区切りついたのか、ぞろぞろと整備員たちがこちらにやってくる。
 
 
怖いもの知らずの綾波レイはよりにもよって堂々とその中を突っ切ろうとする。メートルをあげてきたものの、まだ少年の心を残している鈴原トウジは自分が壊した機体を苦労して修理してきたばかりの大人連中の中を堂々とつっきるにはさすがに遠慮があった。不甲斐なさをあざけられて無能を怒鳴られて二、三発こづかれるのもやむなしかと覚悟も決める。とくに会釈もなくまっすぐ正面と虚空を見るようにして直進する綾波レイと、内心の複雑な思いを抱えてそれでも前に進もうとする鈴原トウジ。
 
 
対する大人、整備員たちの反応はいかに・・・・・・・・・
 
なんでこんなところに綾波レイが?という反応がまず最初。その存在がでかすぎて、後方にいる鈴原トウジには一瞬、遅れて気がついたようだ。はじめてのおつかいにしっぱいした参号機パイロットである中学生。こうしてみるといかにも場違いな、子供に。
 
 
「お疲れさまです!」
大きな声で一礼する鈴原トウジ。あとはまっすぐ前を見る。他に言う言葉もないし知らぬ。
そしてそんな挨拶など全く耳にはいらぬげな綾波レイ。怖いのはそれが全く自然に映ることだ。ともかく、そんな彼女の後に続く。これからまた自分の仕事が始まるのだから。
 
 
「オウ!!おつかれ!!よっく筋肉ほぐれたか?」
「ごくろうさん、責任もって居残るのもいいが家族に顔見せて安心させてやれよ!」
「彼女にも!疲れてるかも知れないけど、ここでほったらかしにしちゃダメよ」
「久しぶりにやり甲斐のある仕事させてもらったぜ。手入れだけじゃ腕が錆びるぜ」
「いや、錆びてるって。あのスピード、頭領のいた以前に比べて・・・いや比べるのも嫌になるほどたるんでるって・・・・・研ぎ直しだな、俺たちもな」
 
 
そんな鈴原トウジにかけられる言葉は思い切り汗くさくも人の情けがてんこもりのものだった。たかが子供がパイロットの座に納まっていることが、さも当たり前であるように。
こわばった不自然さがどこにもない。確かに言うことは子供扱いだが、それでも。
 
 
「はい・・・!」
責められぬことの安心などどうでもよかった。ガッチリと、これからもおめえの機体の面倒を見てやるからしっかりやれよ、という気合いの入った目で見られた嬉しさがあった。
 
ガキにはちがいないが、こいつは「やれるガキ」だと、そう認識されている。
 
子供の意気込みなどに彼らは期待も信用もしないにちがいない。この認識は、「たかが走ること」で、綾波レイの目論見とそれに乗り切った自分とが、なんとか危ういところで勝ち得たものであるからこそ。落としたものはどえらい代物であったかもしれないが、何も手に入らなかったわけではない。綾波レイなど、どうせ扱いきれない東方剣主など無くしてもたいして困らないもん、などと内心でひどいことを考えていたし、当座の目的は果たせたのだから、今のこの結果も当然でしょでしょ、と小学生から見るとなかなか豊からしい胸を張っていたわけだった。外見だけだと完全に誰にも気付かれることはないのだが。
 
 
「・・?」
だが、少し不思議であったのが、彼ら彼女らはどうやら参号機付きの整備員のようであるのだが・・・・なぜかえらく仲がいい、というか、まとまっているというか・・・・急遽復活してきた参号機には、零号機と違ってかき集めたスタッフが多くそのため各自バラバラ気味で統率がとれていないところがある・・・はずなのだが。これはもう円谷エンショウという匠を失ったエヴァの整備スタッフ全体に言えることではあるが。そしてその匠を失わせたのは己なのだ。しかし、それすら代償に残したロンギヌスの槍もあのようなことになり・・・・陥没してもおかしくない精神状態に綾波レイもある。それゆえに、この人の集まりの雰囲気が不思議だった。・・・人に優しくできる時は自分が満たされ強いとき。
もう、腐食する苗床のようなここにはないはずの、最強の群体のかけら、そうなる可能性のある元源の匂い。その在処は、優秀な設備でも有能な規約でもなく、それは人の内にほかならず。
 
 
「おつかれさま・・・・・・だーるね」
 
 
のんびりとした南国風のイントネーション。であるね、をのばした形であるのにしばし気付かないほど耳に心地よい響き。聞く者の魂を椰子の木ハンモックの子守歌のようにさやさやと憩わせる声。だが、綾波レイの目が見開かれる。いろんなことがありすぎて、いろんなことをやりすぎて、ここしばらく驚くことなどなかったその目が、ほんのわずかの間だが、純粋に丸くなった。使徒の本部侵入を許したとて、こんな反応はしめさなかっただろう。
 
 
見たことのない、配置されてまだ間もないのだろうか、その割りには新入りの硬さなど微塵もない、やわらかい視線を包んでいる細い目と平穏なあの世に通じる海の風、涅槃西風に吹かれているような安らかな笑みをうかべた口元、整備服のネームプレートには
 
 
赤野明 ナカノ (あかのあ なかの)
 
 
とある。まあ、それはいい。いまさら新入りの女性整備員一人に気をとられる綾波レイではない。なんせ怪しい人間はあたりにウヨウヨしているのだ。特にネルフ本部内では気を抜けない。しかし・・・・彼女の背にあるのは・・・
 
 
「あ、お疲れさまです!・・・・・・あれ?・・・・赤ん坊・・・・でっか?」
 
 
赤ん坊だった。背負い袋のなかですやすや眠っている。
 
鈴原トウジは単純に驚いたらしい。まさか特務機関ネルフ、人類の最後の砦、決戦兵器の整備現場に赤ん坊を連れた者がいるとは。いやまあ、十四の子供でも驚きますよそれは。
自分一人で立って歩けない者が最前線などと。こんなにすやすやと眠りながら。
 
かわいー、とか肌がぷくぷくしてるー、とか言っている場合ではない。もちろん。
 
確かに託児所など本部内にあるはずもなく、職場規定にも赤ちゃんを連れてきてはいけませんなどといちいち書いてるはずもないが。匠の仕切りがないとそこまで墜ちて弛むものなのか・・・・。だが、そんなことをいちいち咎めたてていてはキリがないし赤木博士あたりが監督すればいいこと。覚えていたらあとで報告するとしよう。こちらも忙しい。
 
 
整備員たちはどういうわけか、綾波レイの反応を恐れている様子もない。どころかその反応を窺っている。べつに黙認するつもりも幼さに誤魔化されるつもりもないのだが。既成事実?冗談であろう。この無茶がまかり通るには・・・よほど特殊な能力や事情があるというのか・・・・まあ、参号機組み立て完了以降はあまりそちらの方に気をまわさなかったこともあるが。
 
 
それ以上の注意は払わずに、綾波レイは鈴原トウジと行ってしまう。
 
「いやー、・・・いろんな人がおるんやな・・・・・ぐっすりこんで起きもせず」
「そうね」
 
自分たちの機体を整備するスタッフにああも極楽というか楽園というか天気の良すぎる感じの人がいるというのは・・・・ちと心配になってくる鈴原トウジである。もちろん人の心配をしている場合ではないのだが。それもすぐに思い知ることになる。己の前にすでに全開された魔獣番犬が百匹もつながれている地獄の扉を。
 
 
 

 
 
「ふーん・・・・・・・兄ーちゃんもやるもんやなー。学級委員長はんまでこんな悪の道に引き込んでしもうて」
 
 
とある病院の患者数の少ない病棟の「鈴原ナツミ」と名札のかかった病室にて。
まだ学校のある時間帯の見舞客。その名は洞木ヒカリといった。
 
 
「今日は日曜日だから・・・それに、お兄さんはよくやってくれてるよ?悪だなんて・・・」
 
「あ、ほうか。・・・そっか。どうも曜日の感覚がずれてもうていかんなー。お見舞い、どうもおおきにです。それで・・・うちの兄ーちゃんは腹でもこわしたんですか?お爺イもお父ンもだまりくさって何もいわんのですけど。・・・割合に、エエカッコしいですから」
ベッドに身体だけ起こして話す相手は声だけ聞くと、とてもこの場にはふさわしくないほど。その饒舌はまた普段と違った人物がいきなりやってきたことへの警戒でもあるのだろう。自分にも妹がいるが、鈴原トウジとナツミちゃん、この二人のつながりはまた独特なもので簡単に推し量れないものがある。一緒に遊んだらすごく楽しいだろうな、と思う反面、思い切り防衛されたりもするかも・・・。鈴原がこないことでかなり落ち込んでいるのだろうな、内心は。それを表にださない律儀な強情さはさすがに似ている。
 
 
鈴原ナツミにはネルフ関連、エヴァ参号機のパイロットの話は伏せてあるのだという。
 
 
鈴原家の男たちで決めたことであるので口を挟むことではない。それを教えて状態が悪化でもしたら目もあてられない。まあ、鈴原なら絶対に言わないだろうなー、と思う。
だけれど、兄を外界の窓にしているこの子にしてみれば、目の前にすればすぐに世界の異変に気付くだろう。警戒はしても必要以上に怯えないのは、この子が鋭敏であるから。
男所帯で肉親が男ばかりだと、やはり力みすぎて構えたりするだろう。だが、それを長い知り合いのような顔で迎えてくれる、というのは。
それを保てるほどに鈴原トウジは頻繁に窓を開け続け、風をいれて空気を入れ続けて妹の心を暗黒ダルダル将軍から守ってきたのだろう。
 
 
今日、こうやってお見舞いなどにきたのは、別に鈴原トウジに頼まれたわけではない、自分の勝手でやることだった。今は自分のことで精一杯で他のことまで気がまわるまい。人は習慣によってその精神が造られる。その規則正しい習慣によって動かされるものもある。心の窓などもそのひとつだろう。妹の心の窓を開ける仕事をさぼるのは彼らしくない。
ならば、手すきの、少しは余裕を残している、知った人間が代理を務めてもいいだろう。
 
 
女のよしみで、ここぞとばかりに兄の人生情報をリークしにきたわけでは、ない。
 
 
けれど、さぼってここにこないわけではないことを。今はどうしてもこれないことを。
なんとなく気配で感じてくれればなあ、と。ずいぶんと虫のいいことを願ってないといえばうそになる。男は言ってやらんと分からないけれど。おまけに海のものとも山のものともつかぬときてる・・・・・・どうなんだろう?鈴原ってパイロットの才能あるのかな?頼ってしまっていいのかな?このままでいいのかな?・・・・
 
 
「・・・委員長はん?」
 
 
「え?」
 
 
このごろ大量に入ってきた転校生の話題、特に犬飼イヌガミとミカエル山田が中心だが、そんな話をしていた時に、ふいに鈴原ナツミに制止をかけられて驚く洞木ヒカリ。
女の脳みそは世間話をしながら全く別のこと、例えば自分のことを考えることができるのである。それはもう、顔には出さずに。しかし。
 
 
「もしかして、なんか兄ーちゃんのことで困ってたりしてます?」
 
 
うわ、さすがは男所帯で育っただけのことはある。この同時処理が見抜かれてしまったでござる。ちなみにうちの女性陣などはこういうのは全くなんですけど。繊細差?
 
 
「・・・分かるの?」
 
「兄ーちゃんもそういう年頃やから・・・・・でも、ええかげんなことは断じてせえへんヒトですから、なんぞ困ったことがあったら頼ってもらってエエと思いますよ?」
 
「・・・なんで分かっちゃうのかな」
 
「分かるもなにも・・・・それしかないやないですか。そんな胸が切なそうな顔して。いくら世間を知らんウチでも分かりますって・・・・・ええなあ、兄ーちゃんは」
 
自分のことを分かってもらいたくて来たわけではないのに、そういうことになってしまった。鈴原兄妹は自分が思っているよりもずっと安定して結びついているらしい。
 
 
「・・・・そういうこと話してもらえると、意外かもしれへんけど、けっこう、ウチとしては嬉しいんです。まー、こないな身体ですから、あんまりどうこうできるわけでもないですけど。いつも兄ーちゃんには面倒みてもろうとるから、こないな時に、こないなヒトの、役にたてたら、ええな、て」
 
 
やばい、くらくらきた。兄に惚れて妹にも、ってそりゃ鈴原ならなんでもええんかい!って突っ込まれそうになるではないか。・・・だが、口に出すタイミングは今しかない。
鋭敏ではあっても、どうもかなり男脳らしい。知らぬまま幸せになれない強くて損な性分。
 
 
「あの・・・ほんとは、鈴原くんは、・・・・このごろ、ちょっと大変なことに関わっていてかなり忙しくなって・・・落ち着くまで・・・ここに、来れないかもしれないんだけど・・・・」
仮面をつけて時間を調整して、ここに出現するような鈴原トウジではあるまい。電話口でちょっろっと話すだけでは窓は開かれまい。そうなれば、ええな、と微笑むこの子は。
参号機のパイロットを続けることで、彼が実のところ、最も困るのはこの妹のこと。
兄ーちゃんはこのことで困っている。追いつめられた忙しさに忘却することもなく。
そんなフォローはネルフのスタッフにもできない。触れるべきではない家族の領域。
 
 
鈴原ナツミの顔が一瞬、ひきつった。が、体内にどういう精神力が働いたのか、すぐに持ち直した。
 
 
「それは・・・・・・断れへんかったんですか。それとも、断らんかったんですか」
 
 
西方のアクセントは微妙だが、問うていることはすぐに分かる。彼のことであるなら。
その大変なこと、という重要用件に対して、兄自身が決断を下したのか、と。
自分の見舞いよりも重要な事が兄には出来たのか、と。真実は想像もつくまいが。
 
 
「・・自分で決めたの」
あの時、綾波レイの誘いに、えらくあっさりと返答した時の顔を覚えている。
百も千も断る言い訳を考えることもできただろうがそれらすべてを掘り捨て、彼は打開案を出してきた。自分を救うためではなく自分を身代わりにして。洞木ヒカリは答えた。
 
 
「ほうですか・・・」
 
返答は早かったが、しばらく沈黙が続いた。それから、ぼそっと。
 
「・・・誰か弱い者いじめしとる街のチンピラでも殴ってしもうて、警察のやっかいになって少年院、とかいうじゃ・・・・」
 
 
「いやいや!!違う、違います!!そんなんじゃ!・・・」
誤解されるにしてもそれではあまりに悲惨すぎる。彼の名誉のために大あわてで否定する洞木ヒカリ。あの勇気あの度胸は皆に誉められてしかるべきほどのもの。
 
 
だが、鈴原ナツミの泣き笑いをがまんしているような顔を見るに、ただそれは沈黙を駆逐するだけの言爆であったようだ。洞木ヒカリもすぐにそれに気付く。
 
 
「どちらかというと・・・・・・頼られるのは兄ーちゃんの方やなくて、洞木はんの方みたいやな・・・。すいまへん、生意気言うてしもうて。ウチの兄をこれからもよろしくたのんます」
こくりと頭をさげる鈴原ナツミに「え?いやいや、それはもちろんっていうか、生意気なんてとんでもないっていうか、わたしこそ無遠慮なことを言ってしまって・・・ごめんなさい」こちらもぺこりと頭をさげる洞木ヒカリ。
 
 
そこに、こんこん、と病室のドアがノックされる。「・・・?今日は千客万来やなー・・・・どうぞ、お入りください」「看護師さん?あら、長居しちゃったか・・・」ふたり頭をもどしてドアの方を見る。「検査の時間はまだなんやけど・・・・・・・・あ」
 
 
「あれ?委員長、きてたの」
「おや・・
「ヤッホー、ヒカリ。キグーだなーこりゃ。こんな所で会おうとはキグーの逆襲かあこれは!。それから君がトージのシスターか!初めまして、お兄様のブランニューソウルブラザーの一人!、ミカエル山田だよーん。これはお見舞いの品!。バイクが好きって聞いてね、知る人ぞ知るレアプラモデル”午前弐時の山奥でガス欠・カタナ”!真のバイク愛好者じゃなければとても組み立てられないほどのこの悲哀と徒労感に満ちたライダーのリアルな表情が・・」
・・・・黙れミカエル。すまない、妹さん、愚かなだけで悪気はないんだ。許してくれ」
「こ、こんにちは・・」
 
 
知った顔が四人。相田ケンスケ、犬飼イヌガミ、ミカエル山田、山岸マユミ。
 
一気に真面目でまともな話をする静謐な雰囲気が病室の窓から飛び去っていった。
 
 
 

 
 
「やはり、席次というものは必要でしょう。徒に混乱を招くのみ。今、この場で決めてくださいませんか」
 
 
とうとう、というか、意外にまさか、というか、今までこの件に関して沈黙してきた赤木リツコ博士が作戦部長連に噛みついた。その迫力は小型犬がキャンキャン喚いて威勢をあげたところで小っこい牙を突き刺した、程度ではない。地の底に眠り続けていた地獄帝国の魔女が十分な大義名分と感情の蓄積を経て究極魔獣に変身したあげくに地上を右往左往するしか能のない愚かな頭でっかち子蜘蛛どもを噛み砕くべく登場した、としかいようのない超弩級迫力。
 
 
参号機の修理のとりあえずの目処をつけて発令所に乗り込んできた白衣の金髪女性は、その生身の迫力は圧倒的であり、蠅モノリスやピカリ球など問題にならぬスケール。発令所のスタッフたちも仕事の手を止めて、というかほぼ金縛り状態でそちらを見ている。
 
 
大声ではないが喉や腹筋が強いのかそれとも声自体にオーラが隠っているせいかよく通った。作戦部長交代からこっち、本部機能をかなり混乱させてきた悪人事の見本のような、裏政治の手本のような、この体制にとうとう終止符、まではいかないが、休符くらいは打たれる時がやってきたのか。この体制を歓迎している人間は、よほど葛城ミサトが嫌いな性に合わぬので当初は喜んでいた者でさえ最近は辟易していた、まずおらぬ。
孫毛明があっさり切られてしまっても驚きはしても感情移入のしようがないのでそれまでの話。
 
 
「今は作戦会議中だ。それに、技術部の者が差し出がましいだろう、控えてもらおうか」
怒りと不快感を露わにし技術者への軽侮を上乗せして重たい声でそれに返答したのがアレクセイ・シロパトキン。弾雨公爵などと呼ばれたこの貫禄になまなかの覚悟ではあっさり心が折られてしまうだろう。経験の浅いスタッフたちなどこの声だけで竦み上がる。だが
 
 
「司令の許可をとってありますわ。長をおかぬ合議制で運営するというならそれも一興、前任者はそれらを全て一人でこなしてはいましたが」
平然と冷然と言い返す赤木リツコ博士。唇は紅の淵のよう。
 
 
「何・・司令の・・・ほんとうぢゃろうな、それは」
孫毛明へのやり方に対する不信と疑いアリアリの粘着質の我富市由ナンゴクの問い。裏でどのように振る舞うべきかソロバンの音が聞こえてきそうな。阿賀野カエデがげっそりした顔をした。
 
 
「ふーん。うちらが前任者の葛城ミサトに劣るっちゅうわけか・・・・なかなかおもろいこというなち。おもろい、おもろいなあ。いきなり六人が五人になってしもうたし。このまま椅子取りゲームみたいに回を重ねるごとに一人づつ消えてくんやと思うとったけどなア・・なあ、シオやん」
楽しげにエッカ・チャチャボール。
 
 
「確かに、この体制は異形のものだ。八号機とこの私の指揮さえあれば他に何もいらぬというのに・・・・赤木博士の指摘は尤もだな。ただ、司令へ意見具申して体制変革の許可まで取ってあるなら多少は評価してもよいのだが・・・・前司令の時とは異なりそこまでの影響力はない、か。参号機を使っての茶番もそろそろよかろう・・・・八号機の指揮権の所有だけを確認するため出席してみたが・・・私には異論はない」
顔すら見たことがないが、おそらく現物は常人ばなれした長い長い指をもっているのだろう、と専らのうわさのシオヒト・Y・セイバールーツ。他人を人形のごとく操ろう操ろうと日々考えて手入れを欠かさないような印象、もし本部に来たら雑巾紅茶間違いなしだろーね、と考えたりする大井サツキである。
 
 
「あの・・・司令の許可・・・・こほっ・・というより、それは司令が・・・けは・・・判断し任命するべきこと・・・・では・・ないでしょうか・・・」
うわ、余計なこと言わないでよ!と最上アオイが一瞬ほんとに口に出して言いそうになったのは座目楽シュノ。しかし、えらくまっとうな純粋培養的意見である。無力にして無意味ではあるが。その常識が通じないから皆、困っているのである。おまけに司令は悪人事に徹する根性すらないらしい。この思考は完全に現場無視、よきにはからわねば死、などと、今日日めずらしい神官的発想。そんな現司令が司令向きではないのとほぼ同じくらいに。蠅司令と純粋培養参謀、ある意味いいコンビなのかもしれないが、彼女の身体が心配だと発令所の皆が思った。
 
 
「ム・・・・・・」シロパトキンが何か言いかけてやめたのは、おそらく人間の不潔性を知らぬ娘参謀に教え諭そうとしたのかもしれない。が、こちらを睨み付ける金色の魔女の視線を思い出した。同じ論法を用いるわけにもいかない。あの卑怯極まりない蠅司令の腹はいまひとつ読めない、というか、読む気になれない。やる気がないのだろう。完全に茨の冠でいる気だ。自らを首にしてしまいたいのだろう、現在のネルフ司令の座など時限爆弾以外のなにものでもない。そして、ここに揃った作戦部長連の他の者たちもクセ者が揃っている。戦歴からいってこの己が長になるべきであろうが、他の者はそれを、それとなく、ですら認めようとしない。人間であれば、動物であれば、自然に序列というものがつくものだ。呆れたことにシオヒトのようないかにも怪しげな半狂いはともかく、名誉を欲するタイプらしい我富市由ナンゴク、異能をもって戦術レベルでは無敵を誇るらしいが戦略となるとからきしの結局は敗北に塗れるしかないエッカ・チャチャボール、どうも身元からして怪しい、烈華に希代の軍師とうたわれた当人かどうかも今となってはどうでもいいがの孫毛明、それから病人の小娘、座目楽シュノ・・・・・誰一人としてこの自分に恐れ入らない。お前らおかしいぞ、と怒鳴りつけてやりたいがどうせ目の前にいるわけでもない。まあ、この自分からしてこのエヴァと使徒の戦闘にいまひとつ踏み込めないのだが。
 
 
「じゃあ、こうしようち」
シロパトキンの躊躇をさっとすりぬけて、エッカ・チャチャボールが提案した。
 
 
「今度来た魔獣・・・ああ、使徒やったか・・を返り討ちにする戦闘をうちが指揮するち。けれど、その責任は他の者がとるち。ウチらが負けたらそいつが次のクビやち。けど、うちがうまいこと指揮して勝ったらトップの座もそいつのモン・・・・シオやんはその秘蔵っ子の八号機を使って、うちらが負けた時の尻ぬぐいやち」
 
 
発令所に衝撃が走る。こうも堂々と露骨にまともな競争ではない、こんなバクチの話が出るとは赤木リツコ博士もマギすら予想だにしていなかった。どうせウダウダと結論など出せぬのだろう、とタカをくくっていたのだ。目的はむろん、葛城ミサトの帰還である。そのための土台造り、出奔は一日で出来るが、帰還は一日してならず、軽めのフリッカージャブ、のつもりだった。
孫毛明がああも簡単にクビ切られたあとの間隙を瓦解とねらってみたのだが・・・・・・
 
 
ヤブ蛇だったかしらん・・・・・・・?そうだったらごめん、ミサト。
 
 
ダービーに伏してみるはめになるやもしれぬ。しかし、なんなのだろうこの自信は。
エッカ・チャチャボール。現在もう一件戦争中であることで麻痺しているのか。
椅子取りゲームと彼女は言ったが、この提案はバクチでもあり、ある種の儀式でもある。
勝利を己の手にする、勝敗の呼吸を掴んでいるからか。アンバランスで無茶なこの提案にシロパトキンや我富市由ナンゴク、シオヒト・セイバールーツからでさえ即座に反論が出てこない。先手を打つ、というのはこういうことか。強烈なのが、この提案通りなら特に彼女が得するところがないことだ。まあ、彼女の望みが何処にあるのか分からないが。
 
 
ただ、冗談でもなんでもない、必勝の気合いがその声にはたゆたっている。たぷんたぷん、といまにも零れそうなほどの自信が。ハッタリ八割であったミサトとは似て非なる真の確信。何か、あの獣使徒を必ず負かす、必勝の方策でも載っている魔法の書でも携えているかのような。
 
 
たとえ嫌なやつであっても、旧式の零号機もガラクタリサイクルの参号機もいらぬ、かっこよくて新機能付きの八号機さえあればいい、というシオヒト・Y・セイバールーツが指揮を執るようになれば、子供たちの負担は、その重荷からは解放されて・・・・・・ということになるのだが。