「起動までギリギリ・・・見捨てられているのか、そうでないのか」
 
 
綾波レイと零号機のシンクロテストの結果を見ながら赤木リツコ博士が呟く。自室にて。
時刻は深夜。王が不在の城は枕を高くして眠ることが無く、あちらこちらで蠢いている。
ギシリギシリと術策の歯車まわり。馴染みきれない追加人材の摩擦熱。飛び立てぬ妖虫はこのままいつ地中分解してもおかしくない。
 
 
「ジリ貧だから・・・・・ねぇ?」
 
 
誰ともなく問うように。現在、まともに戦力として数えられる唯一の、エヴァ零号機。
それがこの有様であり、シンクロ率も回復傾向は全く見られず計測スタッフたちをいよいよ絶望の淵に追い立てる。嘆きはするが怒る元気もないようだ。元来すでに資格失効、操縦者の座を失墜しているはずが、なんらかの裏技を用いてギリギリそこまで引き上げている、というのが本当のところではないか・・・・左足からの幻痛に耐えなくていい分、早々にその座を引き渡してしまえば楽になれるというのに・・・・・・不様なほどにその座
しがみついている。まあ、ここでレイに諦められたらもう、すべてが終わるわけだけど。
 
 
旧第二支部に注文していた零号機用の松葉杖も出来上がって今夜のうちに搬入が済んだ。なかなか仕事が速い、と思った。
 
 
零号機の左足は接続されない。”生きた傷跡”を封じるのが精一杯でそれを消し去ることが出来ないからだ。あのダボハエめ、使えない、と思った。
 
 
そこからどれだけの痛みがパイロットに流れ込むのか、計測など、出来ない。
 
 
それを恐れて、シンクロ率を低く抑えているのであればよい、と思うが。そのような芸当ができるのであれば。不幸なことに。人の心は、ままならない。・・・・この状況も。
 
 
 
参号機のことも、そうだ。
 
 
今の装甲色は山吹。鈴原トウジ君がレイにどこかに連れ去られてから、装甲の色はそれで固定されており洞木ヒカリさん専属のようになってしまっている。・・・これがまたどういうことなのか、仮説も立てにくいが、再組み立てした当人としては「もしくはエヴァの意思・・・」などとそれらしいセリフを呟いて終わり、というわけにもいかない。
 
 
ただ、シンクロテストなどやらせてみると洞木ヒカリと参号機サンライトイエローの相性はばっちりで、鈴原トウジと参号機タイガーのそれより数値が高い。
だが、あくまでそれはテストであり、戦力評価としては実働経験のある鈴原参号機よりも低い。百戦錬磨の零号機は言うにおよばず。しかもパイロットの問題もある。
 
 
綾波レイ、惣流アスカなどまあ、少女比率の高いエヴァチルドレンではあるが、訓練教育期間、戦闘に対するモチベーションなどを考慮するに、ボーダーラインを引くのは男・女より一般・特別のところに一線、というのが適当であろうし・・・・・何を言いたいのかというと、
 
 
使徒を殺る気があるのかどうか、ということだ。数値的にいえば「ビースト度」とでもいえばいいのか、いや、シンジ君や渚君の例もあるから「モンスター度」といった方がいいのか・・・・これはちょっとひどすぎるから「アンファンテリブル度」とか。
 
 
こういうことは作戦部の考えることであるから、専門外なのであるが、洞木ヒカリさんに使徒を殲滅させる・・・「殺らせる」・・・・・のは、どうしたらいいのか。
 
 
初号機のような圧倒的厚さのATフィールドがあればいいのだが、それなら単なる押し相撲でこれといった戦闘の技術などはいらない。相手のフィールドを中和して押し潰してしまえばいいのだから。使徒との戦闘は元来、そうでなくてはいけないし、それが理想だ。
 
 
だが、使徒はJTフィールドを奪って転用してきた。JTは自業自得の略だったのかくそ。
 
 
まだ日が浅いこともあろうが、洞木ヒカリのフィールド発生は遅い。シンクロ率とあいまって出力自体はそう悪くはないのだが、それを発生させるのに外部の声が耳に入らないほどの深い精神集中と実戦では致命的な時間を要する。訓練でどうにかできるかどうか・・・・・これまた、これまで実のところはアスカや渚君、パイロットでありながら体験を理論化して他の者に伝授できる希有な人材に頼っていたのだが、それらが本部にいないという恐るべき現状のため、どうにもならない可能性の方が高い。彼女を戦闘ではどういうスタンスで用いるかにもよるのだが。ギルチルドレンお得意の双方向フィールドに至るには間に合うまい。やはり、どうしようもない地力の違いというものはある。
 
 
レイはそのあたりをどう考えているのか・・・・・・・・・・・鈴原君にずいぶんと無茶な課題を与えてるみたいだけど・・・・・・なんだかほんとにユイさんみたいな発想だし・・・まあ、適任な見張り役もついているから、それはいいか
 
 
零号機があの状態である以上、参号機が使えないとどうにもならない。どう使うか・・・それが鍵になると、誰でも思うものだろうが・・・・・
 
 
 
作戦部長連は・・・中でも次の戦闘で指揮を執る、と言い出したエッカ・チャチャボール。
 
 
結局、あの話は、おそらく気合いの差で次に脱落するだろうなと皆から思われている座目楽シュノがチャチャボールに「賭けた」・・・正確には賭けさせられた。これでエッカ・チャチャボールがヘタを打てば、責任とって座目楽シュノが辞めるハメになるわけである。
 
 
これもまた、とんでもない話だが・・・・指揮者がヘタを打つ、ということはそれに従う者全てが痛い目を見るということであり、実際にエヴァに乗るパイロットなど痛い目ですまなかったらどうするんだ、という話だが、「勝つためにうちがやとわれたんと違うち?」当のチャチャボールが自信たっぷりなので誰も異議を挟めない。自信のない指揮者というのもタチが悪いが・・・あれ以来、エッカは零号機にも参号機にもそのパイロット達にも特別な指示を出したりしていない。必勝の策があるのならそれに応じた訓練なりをさせねばなるまいが、全くその点無頓着、無神経というかその自信を周囲に波及させることなく、スタッフ達を不安に陥れている。現在進行形の戦闘で勝ち続けているという保証がなければ皆呆れて相手にもしなかっただろうが、事実の力は強い。口の数より白星の数、である。
 
 
流動的で、なんとか形をとろうとしているようで、どのような形になればいいのか、明確なビジョンが示されない。今が一番やばい時期であろうと思う。ただ使徒にやられて破滅する、という人類の敗北ならばまだいい。・・・何も考える必要もなくなるわけだし。何かを考える、というのが仕事の科学者がそうなればもうそれは輪廻する魂すらも必要なくなる。無骨ながらも人が石垣でありそれなりにスキマ無く積み上げらえていた城砦であったネルフ本部が、こうしてねろねろな可塑性をもってしまった期間、妙な横槍虫刀を加えられて、以前とは全く異なる姿になってしまったとしたら・・・まあ、それこそが上のお偉いさんの目的なのでしょうから、このような無茶までして果たそうとした・・・・いいでしょう、人の考えはそれぞれでしょうし正義を語るにはここはあまりに・・・道端の神たちに遠すぎる。
 
 
ただ、不様なカタチにされるのだけは、許容できない。堪忍ならぬ。
 
 
満足することなく不満を覚える飢餓の性こそ憎むべきや。
 
 
それと、もうひとつ、勘弁ならぬことがある・・・・・と、いうところで
 
 
 
「赤木博士、わたしです」
 
 
呼び出していた綾波レイがやって来た。別にこのシンクロ不調を叱るためではない。ネジのゆるんだ時計を直すように首でも聴診器で締めて調子が良くなるわけもなく。このジリ貧状況をどう乗り越えるのか相談するためである。もしくは情報交換、といったところか。もはや綾波レイは幽霊マンモス団地と学校とネルフ本部を行き来するだけの三角仕事人形ではない。感情を欠落させた態度体面は以前よりさらに秋霜烈月、であるがその行動たるや。しんこうべからの綾波者たちを手足に使い出してこの都市の縁の下の力持ちのように。
 
パイロットならばその不調に嘆き悲しみ悩み苦しみエントリープラグの中で零号機と鬱々会話しているはずなのだ。
逃げているのならそもそも悪いに決まっているシンクロテストすら受けまい。零号機との不協をさらしたいわけではあるまい。秘めて表には出さない誇りもプライドも捨てて。
 
 
なぜ、ここまでやれるのか、理解できないところがある。碇の家族が離れた今。
燃料もなくすうーっと走る自動車を見るような不思議。・・・・ゼンマイなのか。
 
 
目の前にやってきた赤い瞳の少女を見てそんなことを感じる。
口に出しては問わないけれど。聞いてその魔法が解けてしまっても、困る。
 
 
誰か、巻いているのか。その背中をきりきりと。くるぐると。
まきますか、まきませんか
 
最近、誰が見立てるのか(それとも地元から送ってくるのか)レイは学生服ではなく、ずいぶんと高そうな服を着ている。しかもこんな特務機関の中で着ていても違和感のない怜悧でシャープな感じの。いかにも、麗人、といった感じの。その上から、明らかに特殊な素材で出来ている品良く煌めく白衣を羽織っていたりする。一瞬、「・・・なんかおもしろくないわねえ」などと思ってしまうが水着の上から白衣だったりする己がいう資格もあるまいと公平に耐える。
 
 
「鈴原君の調子はどうなのかしら・・・・」
自分はコーヒー、綾波レイには紅茶を出す。どちらもインスタントだがやな顔もしないで受け取るところがいいわねレイ、な赤木リツコ博士であった。
 
「・・・・・・コーチに一任してありますから。彼が出来るようになるまで、私と洞木さんと・・・」
 
 
「八号機?」
どういうつもりなのか勝手に芦ノ湖に入水してはパイロットもこちらに顔も見せずにウロウロしているらしい。諜報部での内部の角付きあわせ鍔迫り合いのおかげで行動をはっきりと追い切れていないとか・・・ブザマな。確かに正式に着任したわけではないが、そのような野良犬のような真似をさせずとも・・・・作戦部長連のシオヒト・セイバールーツにいよいよますます殺意が滾ってくるのだがそれを表にだすほど甘いリツコさんではない。気取られても困らないけど。
 
 
「・・・・」綾波レイは赤木博士の手にあるコーヒーカップが波立っているのをもちろん見逃さないが、黙っている。おそらく、一筋縄ではいくまい。おそらくそうなる。が、今は聞くべきことは別にある。
 
 
 
「霧のことです・・・・・あれは」
参号機を使徒の追撃から逃した、超自然的な、不自然な霧。ノルウェイの森ならぬランナウェイの霧。とっても好きになったわけではないが、あのタイミング、こちらの味方であろうとしか。しかし、力の源が分からない。綾波の元締めたる祖母クラスの天候操作・・・・でもない、異能を用いてなした現象というよりは、あれは・・・別種類の、なんらかの巨大な力を抑制して使用したための、本来とは別の結果を招いたような・・・・あれだけの広範囲を、しかも使徒と観測器機の目をごまかすほどの高濃度の、霧をつくりながらそれすらも、ただの「おまけ」であるような、痕跡の無さ。力のあまりをぽいーと遠くから投げて寄こした余波・・・・少なくとも分かるのは力の発生源が遠くにあったことだけ。現地にあって零号機に搭乗していれば解析系の綾波能力の拡大で何か察しがついたかもしれないが。遅きに失した。・・・もしや副司令あたりの隠し玉かと思いこうやって尋ねてみたのだが
 
 
「あなたには出来れば秘密にしておいてくださいって霧島教授に頼まれたから、秘密にさせといて」
 
 
秘密の花園を閉ざして森の奥で薬草を売って暮らしている魔女のような顔で答える赤木リツコ博士。その気になりさえすれば根こそぎ心中を読んでしまえる相手には正直に頼むしかない・・・・じつはそのやり方が最良であることに気付いたのは最近。というか、そこまで霧島教授が進んでいると気付いたのはこれもごく最近だったり。
 
 
「・・・はい」
ど真ん中のストレートをあえて見送り。灯台もと暗し、かえって懐に入り込まれるとそれ以上の謎の闇を切り裂く気が失せてしまう、探偵にはむかない綾波レイであった。まあ、とりあえず味方ならいいわと。あまり知りすぎると、そこに引き込まれてしまう恐れもある。現状で他者に頼る気配を己に許せば、ころび、道を見失う。何よりそれを。
 
あれがもし、あの竜号機のお情けでした、なんてことが判明した日には・・・・・
 
自分でもどうなったか分からない。
 
エヴァ八号機の能力ではないことはあの介入タイミングで読めるし、八号機であるならそのまま使徒を殲滅していたはずだから・・・・。霧は何故参号機を救うだけに留めて追走する使徒を滅ぼしてしまわなかったのか・・・・なぜ、あの場に出現しなかったのか。
こう考えていくと・・・・・その先にあるのは禁忌の弐文字。基本的に今の綾波レイにはこわいもんはない。だが、冷徹な判断力がある。ここが踏み止まりところだぞ、と。
人生にはセーブポイントなどないのだ。
 
 
禁忌の扉を開くのはまだ先でいい。それに、赤木博士達と同じ道をこれからも行くかは、まだ分からないのだから。
 
 
しばらく、零号機用の松葉杖があがってきた話やら副司令の激務がそろそろ限界に近くこれ以上なんかあったらやばいけどここで入院などされたらかなわんから耐えて欲しいとか上海にいった伊吹マヤが現地のカード偽造グループを尽くモグラ叩きのようにして潰してまわっているとか、北欧でヒマしている青葉くんが小さな男の子と女の子を家に連れ込んで警察に捕まりかけたとか最近頼れる眼鏡として人気がぼつぼつ上がってきた日向君をめぐって文字通りのさや当てがあって刺すのだ流血だの実はスパイだので彼も婚期は遅れそうだとか部長連をクビになった孫毛明が蝦剥王なる本来の立場に戻って旧第二支部の中に潜り込んで活動しているとか、そんな話を。
 
 
 
ぽりぽり。話が長くなったので栄養補給もかねてクッキーなど囓りながら。
 
 
当然、このふたり、このごろまともな食事などしていない。お付きの者がなにかと世話を焼く綾波レイは睡眠時間はともかく意外と栄養バランスはよかったりするが。
一服つけたい気もある赤木博士だが、近くに控えて居るであろうガードのことを考慮して控える。基本的に彼らはレイのためにいるだけで、他のことなどほぼ眼中にない・・・まあ、実はこれも偏見だったりするのだが。
 
 
 
「参号機の整備スタッフの・・・・」
 
 
綾波レイが意外なことを言い出した。彼女の視点には参号機が戦闘可能か修理は完了しているのかどうかくらいのことしかないと思っていたが。当初の計算ではまだかかるはずだったが、いくつかの嬉しい誤算でもう完了しており、そのことも先ほど伝えたのだが。さて。
 
 
「赤野明 ナカノ・・・・あの人は、どうして」
 
 
ここまでいわれれば聞きたいことは分かる明敏な赤木リツコ博士である。まあ、確かに目立つ存在ではある。なにせ
 
 
「どうして赤ん坊を連れているか・・・・・でしょ?その許可をどうして取れたのか」
 
 
特務機関、それも諜報部ならまだ世間の目を欺くため、赤ん坊を連れるオプション、というのはあるかもしれないが、それが整備、しかもエヴァ参号機という人類最後の決戦兵器を整備する現場に年端もいかないどころではない赤ん坊を連れてくるとはどういう神経をしているのか、おまけにそれを認める周囲も、許可した上の人間もハッキリ言ってどうかしている。犬猫を隠して飼っている、のとはワケが違うのだ。職場の癒し?ふざけるな。
ごく最近入ってきたに違いない、整備スタッフの中核として今更招かれたわけでもあるまい補充要員。いくら何でももう少し人を選べといいたい。確かに参号機整備は急遽の寄せ集めで混乱気味ではあるが、異常にもほどがある。怒りも悲しくもないが。
 
 
ただまあ、ああも露骨に目立つ存在と来れば、整備の足を引っ張りに来た妨害者でもエヴァ機密をかすめ取りに来たスパイでもあるまい・・・・・それに、赤ん坊って面倒を見るのにずいぶん手間がかかったり泣いたりするのではないか・・・それ系に関して乏しい知識を動員しながら綾波レイは思った。・・・・健康にも、あまりよくなさそうだ、と。
赤ん坊に拒否権があるわけではなし、否応なしに母親の背中でこんなところにいて、あの子はこの先、どうなってしまうのだろうか・・・・・・ふと、そんなことを。
 
 
レイに母性反応・・・・・・ってわけでもないでしょうしねえ、と赤木博士は勝手にそう判断して事の次第を話し始めた。「許可をしたのは副司令なんだけど・・・・・」
 
 
 
その日も冬月コウゾウ副司令は激務の中にあった。というか、埋もれていた。
 
誰も代わりをしてくれる者はなく、副副司令とか司令心得見習い、とかそういうポストをつくろうかと思うも夢想、副司令室にてただ孤独に処理していくほかない。どうせ使わない総司令室を腹いせに我がものにしてやろうかと思うが、ただ広いだけで仕事には不便なだけ。セキュリティだけは極上だが。トイレすら室内にあり食事はドアについてる小扉から差し入れ、ほとんど室内に閉じこもり、「囚人のようだな、まるで・・・ククク」なんか泣きそうになってきたので、その代わり世界を征服する悪人のように笑ってみる。どうせ誰も聞いてないし。・・・・・そんな調子でよく発狂もせずに人類最後の砦を稼働させ続けるべく仕事していた冬月副司令であった。やり出すと手を抜かずにやり通してしまう性分が憎かった。くそ、碇め・・・これというのも奴のせいだ・・・・・・ユイ君・・・・・・
 
 
そんなに辛いなら綾波レイや赤木リツコ博士ともちょっとコミュニケーションでもとってみればいいのだが、実働部隊の中心核となっている彼女らにはそれも許されまい。それでも妄想の中の碇ユイに話しかけたりする。やばい。
 
 
そんな折り
 
 
「・・・副司令さんもたいへん、だーるね」
 
 
南洋の風のようにおおらかにゆったりとした声が、背中からした。ユイ君の幻聴にしてはイントネーションと声色が違うなあ、と振り向いてみると、赤ん坊を抱いた整備スタッフがそこにいた。目をこすってみるが、確かにそこに。特殊な方言といい、見たことがない。
 
年の頃は・・・葛城君や赤木博士と同年齢か・・・彼女たちもそういえば子供がいてもおかしくない、か。あのふたりが母親・・・・いまひとつ想像しにくいが。ごほん!
 
 
子供を抱いているから、聖母マリア・・・・・を連想するほど、実のところ副司令も熱心なクリスチャンではない、そうでないと使徒倒せないし。まあ、それはいい。
 
 
「君は・・・・・・誰だね?ここは・・・・・・入ってこれるはずが・・・」
 
 
一応ここも副司令室として相応のセキュリティはしかれているし、無許可で知らない人が入り込めるとなればそこらの一般企業のオフィス以下ではないか。もしや疲れのあまり、なんとはなしに扉を開けたままにしておいたとか・・・・いや、それならそれでガードの者がなんとかするだろうし、今ここには女と赤ん坊ふたりで、警備スタッフは影も無し。
 
扉は、閉まっている。正当な権利を持つ者が、当然のように己の居に戻ってきたかのように扉は沈黙している。正当に己の仕事をはたしているぞ、という顔をして。
 
 
「このカードで入ってきた、だーるね。副司令さんにちょっとお願いしたいことがある、だーるね」
 
 
名を名乗らずに、一枚のカードを見せる。なんのロゴも入っていない真紅のカードを。
 
 
ネルフ本部で使用されるカードキーにあんなものはない。おまけに中枢近くまで行けるカードはそりゃもう盗難防止から不正使用防御までさまざまなカラクリがたかが一枚のカードにてんこ盛りにされているのだ。たとえば赤木博士あたりから強奪しても、それをそのまま当人以外の者が使えるようなお手軽仕様にはなっていないのだ。
 
女の笑みには邪気がなく、「これさえ見せれば万事解決、問題なし」と信じ切っているようで冬月副司令も一瞬、どう反応していいか迷った。「ど、どういうお願いかね」
 
 
「この子のお祝いがほしい、だーるね」
 
 
「・・・お、お祝い・・・・・だと」なんで私が、と言い返す前に考える。まさか、碇の奴め、ユイ君の他にも・・・・・いや、それはないだろう、まだ息子の碇シンジ、彼の方がありうる!年齢的に微妙だが・・・・いや、まあ、ジャンル的にもそれはないだろうが。たぶん。
 
 
「一枚、お札をつくってほしい、だーるね」
 
 
この子を職場で一緒に働けるようにしてほしい、と女は言った。困惑するしかない冬月副司令だが、相変わらず名も告げない女のにこにこした顔を見て、それから「そのカードをもう一回見せてくれないか」と、真紅の一枚を検める。
 
その時、・・・・閃くものがあった。その、余人のやりそうにない無茶に。
 
 
「・・・・・そうか」
 
 
”周りに迷惑をかけなければ、赤ん坊と一緒に働いてもいい特別許可”、承認!!
 
 
副司令の許可をもらった赤野明ナカノは「ものわかりがいい上司がいる、いい職場でよかっただーるね」と礼がわりなのか、副司令の疲れ切った肩を揉んで叩いてマッサージしてから出て行った。しばらく昇天してしまっていた冬月副司令を残して・・・・・
 
 
 
「・・・・それで、いいんですか」ずいぶんと緩んだ赤木博士の話を聞いてそういう固いことはいわず綾波レイは
 
 
「・・・・赤ん坊の名前は・・・・・?」
いよいよどうでもよさそうなことを聞いた。赤ん坊の名前は「ヨサク」であろうが「ゴサク」であろうが「タメゴロー」であろうが、「ハナコ」であろうが「ケエコ」であろうが使徒との戦闘には全くかかわりがない。はずだが、
 
 
「さ、さあ・・・・・・?なんていったかしら・・・」
そう答えた赤木リツコ博士をギロリとにらみつけた。それこそが世界の秘密に通じる重大事であるかのように。「ま、まあ、それはともかくとして、副司令の許可をもらった彼女は・・・」
 
 
参号機整備スタッフを「まとめにかかった」のだという。
 
 
子連れ狼じゃあるまいし、いきなり新参者のくせに赤ん坊などを連れてずいぶんと舐めた勤務態度である、と反発必至のところを、どういう手段を用いたのかまでは分からないが、ことごとく羊のごとく黙らせた。その後、カドヘリンのように整備スタッフをうまく作動するように繋ぎにかかり、短期間の内にそれは成功をおさめた。超越した整備技術や専門知識があったわけではない、そんなもんは赤木博士が持っているけど、恐れられるだけで特に敬服もしてもらった覚えもないわよ、というところで、もともと再生参号機にはこれまでのエヴァ整備とはまた違ったノウハウが必要であるし、いったん覚えた構築した整備方法を捨てるくらいの気でいてもらわないと困る、これも大っぴらには言えたことではないが、エヴァ参号機は、参号機だけは他のエヴァシリーズと違う地点を目指しているのだから・・・・制式エヴァの整備をやるにはかえって邪魔や知識技能を蓄えていかねばならない、参号機とともにくたばってやるぜ、やってやるぜ、という身を捨てる覚悟が今まではなかったようなのだが、それがだんだんと組み上がっているような気がする。他人に覚悟を与えるというのがどういう種類の人間が成すのか、
 
 
「・・・・・科学では答えのでない問題ね」というところでシメる赤木リツコ博士。
 
実務として赤野明ナカノがメインでやっている仕事は「整理整頓」であり、「現場の清掃」であった。集団内部の仲が悪いとてきめんにレベル落ちるのがこういうところであり、それがどう有効に作用するのかは誰も解明できないが、それがきちんとなされているのとそうでないのとは効率に天地の差が現れる。戦闘時であればもっと如実に。グチャグチャ幼稚園・ぼくしらないもんレベルから、がんばろうISOレベルまで引き上げたのはまごうことなく赤野明ナカノの功績であり、タネを明かせば、赤木リツコ博士が貸した参号機組み立てのデータがてんこのカリビア・サリビア・ソルビアの三体の働きであった。が、タネさえあればいいのなら、この世はなべて魔術師だらけ、ということに、なる。
・・・・・魔術師は力が弱いから、どうしても言うことを聞かない腕自慢を病院送りにしたりは出来ないだろうし・・・
 
 
だが、答えなら出せないことも、ない。今の話だけで赤野明ナカノの正体を知ることは難しいが、どうしてこうも短期間に整備をまとめられたのかは察しがつく綾波レイである。
副司令の部屋にも出入り可能な「どこでもドア」みたいな女である。人の心の内に入り込むのもたやすいのだろう。問題はそのどこでもドアなカードをどこで手に入れたのか、ということだが・・・・・
 
 
「そうですね」
そこまでは興味がないので黙っておく。それ以上追求しない綾波レイであった。
赤木博士が差し止めないのだから。赤ん坊とどこでも入れる不思議なカード、この二つからどのような連想を整備の衆がやろうとも、自分には関係がない。荒れ気味の整備がまとまるのだから文句のつけようがないが、新たに八号機が入って来るとなるとまたどうなるか・・・・
 
 
それから話は次の戦闘の指揮を執る予定になっている、エッカ・チャチャボールのことに続いていく。はっきりいってそこに信用も信頼も微塵もなく、言ってないから当人が調べていない限り、今現在、参号機パイロットの一人である鈴原トウジが本部を離れて限定された連絡しかできぬような状況で山に隠って特訓しているなどと、知らぬはず。まあ、お付きの大井サツキがおそらく伝えてはいるのだろうが・・・・・・
 
 
 

 
 
「いやいや、そんなヒマないっす!マジで!!」
 
 
エッカ・チャチャボールが責任はとらんけど指揮は執る、という方式をとりあえず認めさせてから今までどちらかというとヒマがちであった大井サツキは大いに忙しくなった。べつだん役職として決まっているわけではないが今更拒否するわけにもいかず、エッカ専任担当として、その隠れ指示を実行するハメになった。明らかに情報を扱うオペレータの仕事ではないが、「他の者には安心して任せきれんち」などと言われれば発令所を出て暑い熱い炎熱の地上に出て行くしかない。ずいぶんと特異なシフトだが、事情が事情なだけに他の者も文句がいえない。「これも作戦の内、下準備だち」などと言われれば副司令以下口が出せない。司令はもちろん蠅音で唸るだけ。
 
 
古代の作戦家じゃあるまいし、いまさら第三新東京市の地形を詳細に調べてこい、とかいう指示ではあるまい、おまけにエヴァに関しては全く指示を出していない。現在どういう状況にあって等、参号機の修理状況すら聞こうとしない。日向マコトたち発令所スタッフは困惑するほか無い。大井サツキ一人に指示を出すのはいいが、使徒を相手にする状況でたった一人の手足でどうにかする、どうにかできるような下準備で本当に対抗する気なのか・・・・・・しかも、チャチャボールがヘタを打とうと、その責任をとるのは可哀想になぜか座目楽シュノなのである。作戦指揮官が六人、いやさ一人減って五人というのも多すぎて異常だが、だからといってまず身内で争い頭数を減らしてからさて自分の仕事をやろうというのも虫が良すぎるだろう。
 
 
外回りが終わったのかどうか、ヘトヘトに疲れた顔で本部に戻ってきた大井サツキを皆で取り囲んでそのエッカ・チャチャボールの「隠れ指示」の内容を問いただしたいところであったが、日向マコトの言により、その役目は友人である最上アオイと阿賀野カエデに任された。まあ、食事でも取りながら・・・・他言無用の指示がかかっているなら仕方がないけれど、これもまあ僕たち全員の生命のかかっていることだからあまりおろそかにしたくないんだけど、作戦指揮者のどうしても、という指示があるなら仕方がないけれど、どうしても早いところその内容を知らないと不安で不安でしょうがないので、是非是非教えてほしい・・・・・今日、一日の疲れを取ってくれ、職場内だが特別に一杯やってもいい、舌がそれでなめらかになれば言うことない、ということになった。
 
 
要するに、あの女、エッカ・チャチャボールはほんとにやる気があるのか?
 
 
・・・そういうことだった。指揮は出来ぬのに責任だけはとらねばならぬ、お偉いさんのような生け贄羊のような立場の座目楽シュノ付きの最上アオイなどは疲れた友人には同乗するが、絶対に聞き出すつもりだった。これはもう、地に足をつけた人間の義務だとさえ思っていた。講談話に出てくるような名軍師とかでも、決戦にはもう少し手間暇かけただろう。そこいらの盗賊相手の小競り合いじゃないのだ。
 
 
「・・・まだ終わってないから、エッカの確認だけもらいに戻ってきただけなのよ・・・・その前に、ちょっとシャワー浴びせてもらってもいいかな・・・・・」
 
 
わざわざゲートで待ちぶせていた友人たちからよろよろと逃げるようにして大井サツキ。
オペレータとして友人として、顔を見ればだいたいの考えは読める。
暑さに弱い露西亜系には外回りはきつかろうに。それでも隠れ指示の内容を守ろうとする彼女の態度に阿賀野カエデなどは同情してしまい(というか単に羨ましかった)問いつめる気が失せかけるが、最上アオイは容赦ない。「じゃあ、私たちも。一緒にいきましょう」というわけで、「い、いや、シャワーでいいのに・・・」子供みたいにイヤイヤする大井サツキを女風呂まで引きずってそのまま逃亡を許さない。日向マコトが彼女に任せたのは正解であった。
 
 
そして、女風呂で、ここには書けないようなことがあったかもしれなかったりしたが、最上アオイは嫌がる大井サツキの口を割るのに成功した。エッカ・チャチャボールからは特に口止めもされておらず、必要ならばなんぼでも人手をつかってよい、自分が口をきいてもええち、ということで大井サツキがひとりで暑い中頑張る必要はなかったのだと後で判明した。口止めされていても割るつもりでいたのだから関係ないけど、と脱衣場の大鏡に向かって呟く最上アオイ。「はい、これ・・・にわかには信じにくい話だけど、わたしは信じるよ、うん。だから飲んで。ぐいっと」自分はフルーツ牛乳で、二人には冷えたスポーツ飲料を渡す阿賀野カエデ。「うん、ありがと・・・・」ここは大井サツキの口から今後の使徒戦を左右するであろう重要な情報が語られるところなので、三人のプロポーションがどうこう、などという桃色栞な表現はなかったりする。さて。
 
 
 
エッカ・チャチャボールの指示とは、
 
 
「指定された場所に指定されたものを置いてくること」
 
 
これだけだった。それも、場所はまちまち、占いだか風水で決めたにしてももう少し統一性があろうというくらいに、中にはどこぞの小学校の動物小屋の中、とか使われてないビルの屋上とか入り込むのも一苦労な、しかもあまり清浄な気、やらエネルギーが集まっている感じではないようなテキトーっぽい場所が多く、置いてくる代物も、当然、N2地雷などではなく、通常の爆弾ですらなく、ラジコンやらぬいぐるみやらサッカーボールやら生卵やら扇子やらソロバンやら・・・・これでどうやって使徒に対抗するのか、それともエヴァの助けになるのか理解に苦しむものばかり。これは勝利のおまじないでありたとえファンタジーだとしてもなめている。ファンタジーをなめとったらしょーちせんぞ!!というところだ。
 
 
その行為自体は、大井サツキのあとをこっそりとつけていた手空きの発令所スタッフが目撃していた。が、やることがやることであるので、あくまでそれは他人の目を欺く”フェイク”であり・・・当然、もっと深い意図があるのだろう、と思われていた。
 
 
「でも、私にも分からない」
 
 
大井サツキは二人にそう答えた。エッカ・チャチャボールの真の意図など。
 
というわけで、大井サツキが今日ヘトヘトになりながら、まだ終わらずにこれからもやろうとすることは、あえて言うなら第三新東京市障害物競走の下準備、のようなもので
 
 
あの異様な自信といいこのちんけな下ごしらえといいエッカ・チャチャボールはやはり狂人ではないのか・・・オカルトに染まりに染まった終末ナチス逃亡犯のような・・・いやさサツキのために百歩譲って、剣林弾雨を潜り込んで思考するゆえ、少し常人とは違った発想をしているのかな、と・・・・・・最上アオイと阿賀野カエデは風呂上がりでも青ざめながらそう考える。
 
 
「で、でも、こっちの・・・参号機とかの・・・パイロットの鈴原トウジ君が本部を離れているとか、そういった現状は伝わってるんでしょう?」
大井サツキが疲労のせいなのか、他に要因があるのか、セルフフォローすらしないのでとりあえず空気をリセットするため換気的質問をする阿賀野カエデ。
 
 
そこで前述の大井サツキの返答となるのだが、まったく救いは見られない。
 
肝心要のエヴァの戦力状況について、ほとんど興味がないらしい。
あくまで、エッカ・チャチャボールが見ているのは「敵」・・・・・使徒のみのようで。
 
 
「最低限、相手を直接、殴ることができるんなら、あとはうちの仕事やち」
 
 
言うことは言うが・・・・・かといって彼女は使徒の専門家でもなんでもない、ただの雇われ作戦家でしかない。次々違うパターンの使徒が出現する現状では、固定概念に縛られず柔軟性を失わないならそちらの方が救いがあるのかもしれないが。
 
 
シオヒト・セイバールーツのように「八号機さえあれば使徒など敵ではない」という態度とはえらく違う、反転、「エヴァなど多少ヘチャでもかまわない、使徒にトドメさす状況を必ずつくる」・・・・・、圧倒的戦力差で相手を叩きつぶして絶対の楽勝というのは作戦家の夢想であるなら、これは作戦家の理想。そして、それを彼女は人間相手ではあるが、現実に実行し続けている。今も。口だけではなく。今回は、ただ、相手の毛色が違うわけだが。
 
 
とはいえ
 
 
「悪いんだけど、私は囮にしか思えない・・・・・・あなたも、シュノ・・いや座目楽作戦部長も」
 
 
綾波レイが今現在、勝手に鈴原トウジをどこかの山の中に連れ出して「特訓」と称しているのと同レベルだと最上アオイは裁断する。まともではない。どうかしている。
どうせ裏でコソコソ策謀するなら、もっと上手く隠しなさいよ、と思う。
 
 
「・・・・・だから教えたくなかったのよ・・・・・・・」
 
 
諦めたのか、大井サツキがふてくされたように言う。「この暑い中、一人でやったのに・・・・意味なかったじゃない」「で、でも、あまり焼けてないよ。さすがサツキ」「ありがと、慰めてくれて・・・・でもねえ、アオイ。エッカはねえ、大真面目だよ・・・別に座目楽さんを蹴落とすつもりでやったわけじゃない。どちらかというと、罠にはめたのは他の三人だよ・・・オジサンふたりは頭が固すぎるし、シオ公は気にくわないし」
 
 
「ほんとに、そう思ってる?」
パイロットがバカバカと連呼された季節もあったが、ネルフ本部のオペレータはバカではつとまらない。しかし、サツキはどうも芸術家肌というか熱するといきすぎるというか気に入った相手には愛し抜くようなところがある。これは白露の情熱なのか。踊らされるのは愛じゃあないと思うのだけど。最上アオイは心配する。・・・・まあ、自分も最近は少し、シュノに肩入れ気味であるから少しセーブしないととは思っているが・・・・・
 
 
「思ってなかったら、このクソ暑い中、飛び込みセールスみたいな真似しないわよ・・・・・しかも、”・・・・”とか”・・・・”とか、”・・・・・・”とか・・一応、警察には見つかってないけど・・・・・これでなんの意味もなかったらピエロじゃない」
 
 
「・・・ネルフにも限界があるわよ。ピエロというより犯罪・・・むぐっ」
「わーっ!わーっ!わーっ!!」大あわてで最上アオイの口をふさぐ阿賀野カエデ。
 
 
「・・・・・・巻き込まれてくれる?女の友情の証に・・・・・いやま、冗談だけ」
割る気もなかった口を割られた仕返しに、少しクールな表情で迫ってみる大井サツキ。ちっとはこの手の仕事の習い覚えがある自分はいいが、いたってまともなこの二人は足手まといにしかならないし・・・・
 
 
「いいわよ。わかった」
 
 
そこまで付き合いたくないだろう。発覚すれば当然、懲戒免職、退職金ももらえずに、というかこの異様な体制下ではもしや切腹させられるかもしれんし、今日もまわっている最中、何カ所かでそれとはなしの妨害があった。警告なのか嫌がらせなのか。ともあれ付き合わせるわけにもいかない・・・・・びびらせてやるだけで十分・・・・・・なんだけど今このメガネ外してる最上アオイさんはなんつった?北京ダックを丸ごとのみこんでしまったような顔になる大井サツキ。
 
 
「・・・どういう効果があるのか分からないけど、二人とも本気なら、準備は早く完了した方がいいわ。二人で手分けすればそれだけ早く終わるでしょう?」
 
 
いやー、こうしてメガネなしのアオイはやべえですな。メガネ萌えがこの世に存在することが疑わしくなるほど。どこ見ているのかわからん瞳とかもう。
 
 
「わ、私も手伝う。それならもう三人でやった方が。使徒はいつ来るか分からないんだし」
 
 
可愛い顔してもう少し人生設計をきっちり考えていそうだったカエデまで。感激するより呆れる。本部オペレータはこう単純ではつとまらないはずなのだけれど。
 
「ば、ばれたら、三人で喫茶店でもやろうよ」
 
そうなると、私が猫の目の長女で、アオイが次女で、カエデが三女か。それもいいかな、とは思うが、エッカをもう少し信じてもいい。使徒を倒す指揮官がだいたい、”まとも”なわけがないのだから。
 
 

 
 
”滝壺を見るんやない・・・・・・・・滝のツボを見る・・・・・・カタカナや・・・”
 
 
滝の流れの中に、「切る」タイミング・・・・・・”滝のツボ”を見抜くべく、上半身は裸、下半身ジャージで滝の前に仁王立ちの鈴原トウジ。2015年では少年マンガにもこのような無茶っぽい練習シュチュエーションはなく、どこからも知恵を引き出す手だてもなく、自分の頭で考えつつ、奥深そうで実はそうでもないことを念じながら綾波レイからつきつけられた課題をクリアすべくがんばっていた。
 
 
コーチである”エコー”こと洞木コダマには滝の切り方に関して、特に何も教えてもらっていない。「とにかく、自分で考えながら好きなようにやってみるがいい」という方針らしく、滝の傍で座禅を組んだり、食事時になるとどこからかトレーにのった食事を調達してきたり、適当な時間になると滝から呼び上げてマッサージなどを行って面倒は見るが、直接的に「ああしろ」「こうしろ」などとは言わない。これで鈴原トウジから文句が出ないのはいっぺんその目の前で「切って”見せて”」いるから。これは、滝の流れではなく鈴原トウジの身体の流れを遅くして、「確かに見た」と認識させただけのことで、ほんとうの滝切りではない。むしろ、滝など人間に切れるか、切れたところでどうしようもなかろ?、というのが洞木コダマの考えで、綾波レイが何考えてこんなことをさせているのかも知らない。だが、それが鈴原トウジの立場にとってそう悪いものではないことが諜報三課課長代理、洞木コダマ直々にこの特訓に同席させていた。
 
 
猶予期間
 
 
特訓、という厳しい言霊に反するが、実のところはこれにあたった。
 
 
禊ぎ、といいかえてもよいだろう。
 
 
政治家がよく使うまさしく穢れたそれではなく、文字通りの。霊感の強い諏訪野などベースキャンプで食事係のくせにこの滝に近寄ろうともしない。
 
 
エヴァというのは、人類最後の決戦兵器であり、つまり、大変な凶器である。その中でも参号機はその凶器性において極めつきであり、「人の乗るエヴァを殺す」エヴァとしてその特性がある。これはもう、元参号機パイロットだったという猫から聞いた話でもあるから間違いない。自分のような諜報部員からすれば、どれも同じように大量に凶悪であるような感じもするが、「そのためのプログラム」が万巻積まれているのだと。使徒を倒すより同じ仲間であるはずのエヴァを殺すために。エヴァの弱点、パイロットの乗るエントリープラグを狙う・・・・・その一点の技術集約において参号機を越える機体はないし、今後も出てくることはなかろう、と。人類を守る盾ではなく、己の敵を貫く尖剣。
 
 
過去、実際にそれをやってきている。同じエヴァを躊躇なく、その頭を、蹴り、潰した。
 
 
それが、エヴァ参号機の本質であり、再組み立てして甦った後も、同様であると。
戦う技術自体はすでに、参号機に満たされており蒸留されるほど。今更新米が特訓などしなくても、シンクロさえすればあとは手足が勝手に敵を裂き貫くだろう。
ずいぶんと頼もしい話だが、・・・・よくもまあ、そんな兇状もちにうちの妹を乗せてくれたものだ・・・・・・それと、鈴原君とを。
 
 
だが、そういった、血腥い機体であるからこそ・・・・・参号機は・・・・・・全ての事情を知る者にとっても、そうでない者にとっても、皮肉な話であるが、エヴァシリーズの中で、最も「人に馴染む」。黒羅羅・明暗を失った今、このような機体はもう造られない。
一度爆砕した機体を再び使えるようにする際、明暗は己の望みを機体に寄生させ支配した。
根を伸ばすように。いったんは暗い、地の底の方へ根を伸ばすように。
チルドレンの才を、異能を、天に向けて咲かそうとする他の機体とは違い、力を拡大増幅する方向ではなく・・・・・・・
 
 
 
”課長代理”
 
 
座禅を組みながらこのようなことを考えている洞木コダマに埋め込み通信が入った。忍者マンガならここで下忍から天井裏からの囁き声の報告、というところだが今はモバイルの時代なのだ。”なんだ”多少は腰が入ってきたチョップやキックで滝を叩く鈴原トウジの背中を見ながら・・・・・・ヒカリが知ったらうらやましがるだろうか。うーむ。
それはいいとして。
 
 
”・・・・また、猫を殺している・・・ぞ”
 
 
八号機パイロット、フィフス・チルドレン・・・・火織ナギサにつけた弧一からだった。正式に諜報三課に護衛任務がきたわけでもなく、そもそも正式な本部着任すらまだなのであるが、ホテル暮らしで市街をブラブラしているチルドレンをほうっておくわけにもいかず、監視メインで数人つけているのだが・・・・上は何を考えているのかさっぱり分からない、もはや八号機とフィフスの第三新東京市入りは本部内の公然の話となっているのに・・・他の課も動いているようだが、それにしてもこの野放しぶりはどうなのか。
こうして、ド素人まるだしの鈴原トウジや洞木ヒカリがあっぷあっぷして今にも溺れそうな状況だというのに。それなりの訓練を受けてきたのだろう、秘蔵っ子を遊ばせておくとは・・・・・八号機を本部に入れないというのも・・・・完全におかしい。妹たちのことを考えると、このゲロロぶりに発令所に殴り込んでやりたくなるが、我慢する。
 
 
火織ナギサ
 
 
もったいぶってやって来て、また勿体ぶり続けるこいつもまた異常者なのか、この数日、日中、何をしているかといえば、人のおらぬ廃墟でグランドピアノを弾いてみたり、海に突き出す像の上で鼻歌をうたってみたり、綾波レイの住居、幽霊マンモス団地に入り込んでみたり、誰もいない中学校の理科室でアルコールランプつけて骸骨と抱き合ってみたりと・・・とても山彦や諏訪野などの学生課員はつけられない怪しい行動ばかりとる。
 
 
その中で、自分と再戦する以外のたいていのことには興味がない弧一を苛立たせるのは、猫を殺すことだ。飼い猫以外はほとんど目があえばその手で殺してしまう。その赤い瞳に何か力があるのか、猫は逃げることも出来ずに捕まえられて静かに殺されるらしい。
弧一の奴は猫が好きだったのか・・・・・意外だったな。考えながらもまさか、じゃあ殴ってでも止めて注意しろ、とは言えない。弧一も分かっていて抑えられなくなりそうなので自分に通信してくるのだろう。
 
 
”・・・至高の三味線でもつくる気なんだろう、ほっておけ”
 
 
怒りが多少でもこっちに向くように。マックス号を飼っているが猫だって嫌いではないし、動物には恐れられて嫌われる口だが、それでも・・・・面白かろうはずはない。・・・・今ならこの手で滝も切れそうな気がする・・・・・洞木コダマことエコーである。
 
 
「!」
一瞬、驚いた顔して滝に向かっていた鈴原トウジが振り向く。
 
「どうした」
 
 
「・・・い、いや、なんや今、後ろから引き込まれそうになった気がして・・・・」
 
「足の固定が甘いんだろう。・・・・・いい頃合いだ、そろそろ休憩するように」
ツバメちゃんのお面をかぶりなおすふりをして視線をそらす洞木コダマ。その瞳は虚ろ。
こんな目を見られたら今後の信頼関係に影響するからな・・・・危ない危ない。
 
 
”課長代理”
まだ我慢ならぬのか弧一から通信が続く。これで殴らせろ許可など求めたらお前を殴ってやる・・・・・そんなアイアンフィスト思想に陥っていた洞木コダマに復讐するかのような続報。
 
 
”フィフスとハーフが出くわした・・・ぞ。猫殺しの現場を見られた・・・な”
 
 
フィフスは言うまでもなく、ハーフとは・・・片割れの方は自分の目の前にいる鈴原トウジ、参号機パイロットの一人。もう一人の参号機パイロットは・・・・・・けっして、乱暴ではないけれど、目の前で動物が虐められて、それで黙っているような腰抜けじゃない・・・・いざとなればとても勇敢な、そんな、大事な妹
 
 
”ハーフが、フィフスに、攻撃を、しかけた・・・・・・ぞ”
 
平手だか拳だかローキックだか、そんなことはどうでもいい!
 
 
「ヒカリ!!」
 
 
あろうことか、瞬間、大きな声で妹の名を叫んでしまう女忍者エコーこと洞木コダマ。
 
 
おそろしくイヤな予感が、胸を貫いた。