「・・・あーあ、行っちまったよ。・・・ほんとに良かったのかよ、銀橋さんよ」
 
 
ネルフ本部からそのまま揃って歩いて行きかけて・・・・その中の虎兵太がためらいがちに挙手して何か提言して・・・・そこでタクシーを2台拾って(工鉄が入りきらなかったため)走り去る綾波レイと若手の綾波者たちの姿を物陰から見送っていた綾波チンが呟く。
 
 
「途中で虎の若君が言わなかったら、あのまま歩きで行ってたっすね・・・大丈夫っすよね。・・・討ち入りじゃなくて、交渉にいかれるんすよね」
心配げな顔で同じく銀橋のほうをみる綾波ピラ。
 
 
「党首のご指示だ。是非もあるまい。・・・・・・なんにせよ、これで私たちはお役御免だ。ようやくしんこうべに帰れる。・・・後のことは、れい殿の才覚次第・・・」
元来、望んだ仕事でもなくこれでようやく肩の荷が下りた、と言いたいところでそのはずなのだが、なぜかそれを下ろす場所を探すような気分になっている綾波銀橋。が、このチンピラ諸君と同じような心情である、とは素直に認めたくない年頃であった。そして、この都市で出会ったあの忘れがたい金色の髪の女・・・
 
 
「んでもよ、ホントに大丈夫か?ツムリの奴はあのとおりだし、工鉄はそれ以上、鍵奈は言いなり、虎兵太にしてもあの調子で遠慮がすぎる、ときてる。まー、切り込み隊つうか親衛隊にはいいんだろうけどよ、後継者がいけ!っつたらどこまでもいっちまうぞ。知恵でフォローする年配者がいなくていいのかよ」
 
 
「それをれい殿が望まれるとは思えないが・・・・居残りたいなら党に申請してみてもいい。しかし、分かっているとは思うが、外堀から切り崩される恐れがないわけではない・・・・・この都市も存外、物騒だ」
 
脅迫のネタになどとてもなるものではないが、この都市の裏側にいる者たちが全てそのように判断してくれるとは限らない。綾波レイを恫喝する材料として同族の者を捕獲する恐れも。そうでなくとも今までツムリが派手にやっているので単にその仕返し、というのもありうる。帰還の許可が下りたのなら早々に帰ってしまう手だ。命が惜しければ。党への義理は十分に果たした。そのまま帰ってしまっても、なんの問題もない。
銀橋にちょいと軽く脅されればカタカタと震え出すその小心ならなおさら。
 
 
「・・・・・・」すぐに前言撤回がくると思ったが、チンはしばし無言で考えているようだ。党や後継者に対する忠誠心が出てきた・・・・・というわけではなさそうだが。
 
 
「おれは・・・もう少し、残りたいっす」
意外なことに、兄貴分のチンの結論を待たずに、外見に似合わず頭の中身は数等上であるところのピラが言った。驚くチンに、その視線に必要以上に興味がのらぬようにする銀橋。
 
「・・・ピラ?」
 
「帰り時だってのは分かっているっすけど・・・・ここで帰ったら綾波者としても男としても・・・ちっとは年上の身からしても、”逃げ”になるような気がするっす」
 
 
「逃げちゃダメ、か?・・・・・・どっかで聞いたような気がするな・・・まあ、ピラがそういうならオレが戻るわけにもいかねーしなあ。・・・イヤ待てよ、これってもしかして党の忠誠心度テストか何かでしんこうべに戻った途端に駅で待ち構えてる幹部たちにボコられるんじゃねえだろうな・・・・・・ど、どうなんだよ、銀橋さんよ」
 
一瞬だけ漢の顔になりかけてこれ・・・・やはり徹頭徹尾小心者なのだろう「・・・・・チンの兄貴」すでにその点は諦めているピラ。
 
 
「・・・・・・」
 
そこまで党幹部もナダ様もヒマではなかろう、とこのバカなワカモノに言ってやろうかと思ったがやめとく銀橋。そもそもこの帰還命令もおそらく後継者綾波れいから出ているのだろう、帰れなどと命じれば自分の頭を叩き壊しかねないツムリはともかく戦闘力のない自分たちをこんな外地の危険にさらすのは忍びない、とそう冷徹に判断して。小心ではあるが、こと緊急脱出装置として、このチンピラの若者ほど優秀な能力を持つ綾波者はほかにいない。党幹部としては危険地に駐留させておきたい駒のはずだ。だが、当の本人には逃げる気など毛頭なく。それならば、と鉄の防御陣を寄こしてきたのだろう。
 
綾波党の後継者に求められるのは・・・まずは、己自身に対する冷徹な判断力であり、それを見せた彼女に安心してこの場を去ってもいいはずなのだが、護衛としては十全な戦闘力の後詰めも到着したことであるし。
 
 
・・・・だが、気にかかることがある。
 
 
後継者綾波れいの精神状態のことだった。あの感情を封殺したかのような立ち居振る舞い・・・・元より華やかで若さ爆裂といった性格ではなかったが、それでも以前はもう少し少女の気配があった。特務機関ネルフ本部、土台が腐って今にも崩れそうな城の組織・・・・若い娘が柱になって支え居るようなところではない。義務感、ではなかろう。碇ゲンドウ不在でどうも内部事情を知るにかの人物がこの都市に戻ることはなさそうであるし、契約は破棄、もしくは終了した、と考えるべきであり、義務感でないのであればこの場にわざわざ留まる理由は、感情が生成するものであろう、だが後継者にはそれが見受けられない・・・・・ただひたすら判断一つのことでああも揺るぎなく立ち動いていけるものだろうか・・・・人並み外れた精神力、といってしまえばそれで終わりだが。
 
 
碇シンジ
 
 
綾波党にしてみれば仇のような天敵のような、後継者を連れ戻しにしんこうべまで乗り込んできたあの少年。ここは彼の街だと思ったが、どこにもいない。彼のことを何も言わない。チンやピラ、ツムリなどが尋ねてもまるで相手にしない。それが禁止の意思表示であることくらいはすぐに読める。彼が居ないから、このような有様になっているのか。
 
 
それとも、そんなことは関係なく、科学の砦であるはずのネルフ本部に巣くっている随分と古風な魔術・・・・彼らにとっては重要らしい巨大な槍状の祭器をご大層に封印していたが・・・・・・それが後継者の精神状態に強い影響を与えているのだとしたら・・・・支配者級の催眠能力をもつ、即ち優れた耐性をもつれい殿が古代の魔術で意のままに操られる、ということは考えにくいが・・・傍に控えていてもその様子は感じなかった・・・・世界は広く、綾波能力と相性の悪い魔技というものが存在するかもしれぬ・・・・・
 
 
あの感情のないような立ち振る舞い
 
 
次期党首、後継者としては、それは望ましい資質であろう、と思う。綾波のような異能を束ねる存在としてはなおさら。揺るぎのない超越した態度を示すことは外部の敵を怯ませることにも一役買い、一族の安定に寄与し、あの綾波エンの娘であるという事実を周囲に忘れさせることにも繋がるだろう。・・・・・・だが、
 
 
好ましくない。
 
 
綾波銀橋はそう思う。チンピラやツムリ、おそらく他の者たちも。己らの知っていた後継者とのギャップにかなり気持ちが乱されていた虎兵太たち応援の者たちもそうだろう。
 
 
ああいう、後継者綾波レイは、好ましくない。望ましくない。不自然だと。
 
 
たとえそれが自分たちの集団を率いるに、最も重要な資質であろうとも。すでに自分たちは知ってしまっている。あの一時里帰りで。後継者綾波レイがどういう娘であるのかを。
一族から幼くして離れて暮らして育とうと。その本質を。血統、その源を同じくした魂を。
 
 
何より重要なことは。
 
 
自分たちが好きになれない相手の言うことなど聞けない、ということだ。能力があろうと。
感情を完璧にコントロールすることと感情を喪失することは全く異なる。
異能者の集まりである綾波は特にそうだ。嫌いな奴の下知になど従いたくないのだ。
自分たちがあれだけ一族に嵐を呼びまくったナダに従うのは、好きだからだ。
あのままならば、もし、しんこうべに戻ったとしても、後継者は綾波の長にはなれない。
そんなことは望んでいないのかもしれないが、
 
 
綾波者としては、後継者に己を取り戻してもらわねばならない。今の姿を進化だの成長だの立派だの戦士だの英雄だのと呼びたくない。それは銀橋の感情である。すでに命じられた仕事ではない。
 
どうにもきな臭く、怪しい。周りに火がまわっているのに若い乙女はそれに気付かない。
今の本部施設の司令の座に収まっているのは、なんでも軍司屋でも政治業者でもなく呪い家なのだという。依り代だけを派遣して自分は安全な祈り場に、という影発想を責める気はないが、そういった陰湿な呪い屋が何をするか手の内は読める。天の使いを撃破する巨人を操る者を、さらに操る・・・・・手に入れる。競ってまで求めようとは思わない陰性。
それでいて他人など信用しようもないから、あえて力を削ぐことすらやってのける。
 
 
あれほどの能力の持ち主がそう容易く意のままにされるとは思わない。が、呪いとは回数勝負なところがある。しつこくしつこく油断が生じるまでなんどでもいつでもどこでも。絶えず降り注ぎ呪いの襲雨から己の心を守るために、感情を封殺しているのだとしたら、己が心を少しずつ削るようにしてこの都市に留まろうとしているのだとしたら
 
 
「むろん、このまま退くわけにもいくまい・・・・私にも知らされていないが、確かに、そう言われてみれば、これは試験かもしれぬな」
 
もう少し調査してみる必要があるだろう・・・・そういった方面の知識などあまりない交代面子と切り離され、後継者護衛の任を解かれたのはその意味で好都合だった。だが、素直に「御身は腕の立つツムリたちに任せ、年経た我々は後継者、れい殿の御心を守ろう」などとはこっ恥ずかしいので言えない銀橋であった。代わりに小心な若者であるところのチンを炙ってみたり。
 
「そうっすね!たぶん、そうっすよ。こんな薄情なタイミングで戻ってきたらブチ殺されるっす橋の上から吊されるっす、また水上署の牢屋にぶちこまれるっす」
ピラの方が分かっているのかも知れない。すぐに調子をあわせてきた。
 
 
「・・・薄情か・・・・・・・・・そう、かもな・・・・・正直、後継者にオサラバの気がねえんなら逃がし係のオレらなんか居てもしょうがねえと思ってたが・・・・別の仕事をしても、いいんだよな。べ、べつに党のお仕置きが、こ、こわいわけじゃ、ねえからな!」
 
別にツンデレというわけではなく、ただひたすらにホントに小心なだけであるチンである。ただ、ピラというお守りがいるからか一度決めてしまえば途中で逃げることはしない奇妙な特性ももっている。
 
 
「決まったな。いましばらく残留して状況を見守る、と。・・・それでいいな」
ここで帰っておけば危険な目にあうこともなく、今度会うときは黒縁の写真の中、という可能性もないわけではない。その折の後味のために覚悟の本人確認をしておく銀橋。
 
 
「お、おう!・・・・い、一応確認だけしとくが、あんたも残るんだろうな銀橋さん」
 
「そりゃ当然っすよ、チンの兄貴。おれ達だけ残ってもなんの役にもたたないっすよ〜」
 
「そりゃそうだな、わははは・・・・・って、てめえピラ!」
 
「それに、こんな勝手が十分分かったわけでもないところでツムリさんが抜けたら自分たちの身の安全を確保するのも一苦労っすよ・・・・・なんというか、おれたちケンカは強くないっすから」
 
「ま、まあ・・・そうだな・・・ちょっと危ないかナ。酸ノ宮の・・・三倍くらいか?・・・・・・どうすんだ銀橋さんよ。ほぼ自動で外敵を排除してきた無敵カタツムリ女がいなくなったんだ。・・・・・オ、オレに期待するなよ。逃がすことくらいしてやるがオレは逃げられないんだからな!」
 
「それについては考えがある。もう護衛役ではないのだから追撃の目を誤魔化し手を避ければよいのだからさほど心配の必要はない」
攻撃力を数値にすれば交代した若手グループとの比較は百倍ではきくまいなあ、と思いながら銀橋。幸い、現在、この都市の警備状態は統制がとれていないのかどうにもチグハグなところがある。厳しいところは極端に厳しいのだが。部署同士の牽制でもやっているのか、まあ好都合なことで文句もなく。派手なことをしなければ発見されぬ自信はある。
今までの行動もツムリさえいなければ後継者にも気付かれないはずだった・・のだが。
 
 
ここからは隠密行動。
 
 
ここでもし、自分たちがここの諜報部にでもスパイ容疑で捕獲されても後継者は知らぬ存ぜぬを通すだろう。拷問の挙げ句にぽい捨てされても涙どころか眉をひそめることもせず。
高額な報酬や党が賞する名誉もなく。自分たちの感じた違和感は誤解で、そもそも第三新東京市にある、エヴァとやらの巨大人形の操縦者として、特務機関の中核に位置する人間として、ファーストチルドレン、綾波レイは、ああいった存在であるのかもしれない。
自分たちの思いなど、まさに余計なお世話、と切り捨てられるかもしれない。
 
 
だが、自分たちにしてみれば、たとえ後継者、という肩書きがあろうと、れい殿は
 
 
綾波の子に違いない。
 
 
綾波の大人が守らぬ道理がどこにあろうか。こんなチンピラの若者でさえ分かっている。
綾波の大人が綾波の子供を見誤って、その隠された苦痛を見過ごしたとしたら。
綾波の大人が綾波の子供を心配せぬことが、あるはずがない。
武装要塞都市第三新東京市、この都市の民には分かるまい。赤目の者の想いなど。
異端の中のさらに異端にありながら。普遍の群れの貫く頂きに立ち孤独。
紙切れ一枚より、軽い。たとえ紙切れのようにこの外地に捨てられようと。
守らねばならぬ。救わねばならぬ。孤独と迫害の海に浮かび流されたゆとう異形の者たちを導いてきた赤き灯台守の血筋。本能が、囁く。それは、何よりも強い種族防衛本能。
 
 
「本能なのだから、仕方がないな・・・・・・最後まで付き合ってしまうのも」
 
 
他にも守るべきものがあるところの大人の銀橋はそういったセリフで己の心を締めくくった。もう少し若い時分は勿体の少ないさらに簡単な言葉でケリがついたものだが。
 
 

 
 
身体のあちこちがギリギリ痛むし、山の中まで戻る体力も気力もとてもなかったのでとりあえず自分の家に戻った洞木コダマ。鈴原トウジを背負ったままなのでそのまま連れ込んで客間に寝かせておいた。命に別状はない、というかダメージがひどいのは自分の方で鈴原トウジを自宅に送る手はずを整えたり連絡入れたりする余力すらない。なんだってこんな目にあわにゃならんのか・・・・・・自問自答するが出てくるのは「特訓が終了してないのにノコノコ出てくるとそうなるのは当たり前」というスポ根な答えばかりで鋼で覆われているはずのハートにダメージがくるので適当にやめる。
 
 
「あー、おかえり」夜も遅いし家の者を起こさぬようにしたつもりだが、調べ物でもして起きていたのか母親のアサダが出てきた。「・・・なんか、久しぶりにこっぴどくやられたね。・・・いや、服がボロボロなのか。映画の撮影の助っ人にでも行ってきたのかい、ほれよ」
 
あまり意味がないが、襟元だけ直してくれる。「まあ、ね・・・・・・ヒカリのことは」
この時間に連絡なしに家に戻っていなければ明らかに異常だ。家には連絡がいっているだろうか。「聞いてる。あの、綾波のレイちゃんからね。課長さんからもあったけど。情報の重要度からいえばレイちゃんの方が優勢かな」
 
 
「・・・・・・」息が止まる。課長なら話の衝撃度を和らげたり誤魔化したりしようが、綾波レイにそんな気遣いなど期待できそうもない。そのまんま事実だけを伝えたか。よもや祖父たちは寝込んでいるのじゃあるまいか。
 
 
「少しトラブルがあったけど、心配いらないってさ。今夜はネルフに泊まるって」
 
 
「それだけ?」
 
 
「急な実験につきあってもらったのはいいけど、疲れたのか薬が効きすぎたのか実験室で眠ってしまったからそのままもう起こさずにしてあるとかね・・・こっちは課長さんから。畑違いの話でも馬脚を現さないのはたいしたもんだけどあの狸課長さんも」
理解しやすいのはこちらで、先の話はただ不安をあおるだけだろう。心配してくれと言っているようなものだ。「うわ・・・」脱力しかけて痛めた筋肉が悲鳴をあげる洞木コダマ。実際、正確なことは分からないのだろう、睨まれただけで倒されて意識が戻らない、などというのは怪物話じみている。ヒカリと同様の状態にあるという相田ケンスケ、山岸マユミの親もネルフ関係者であるから因果を含めてそれなりの説明を受けたのだろうが
 
 
「少しトラブルって・・・・・どういうこと・・・・・」
怒りは湧かない。むしろ、その先の、自分たちにかけたのと同じ言葉に気をとられる。
 
 
「さあ、そこまで聞かなかった。あの子、あんまり話上手じゃなさそうだし・・・・・これから任務で出かけるとか行ってたから。誘拐されたとかいう話なら課長さんがはっきりそう言うだろうし、コダマ、あんたがなんとかしてくれるだろうしね。なんか説明しにくいことがあったんだろうけど、レイちゃんがああいってくれたから、心配してないよ」
 
 
「お爺さんたちには?」
 
 
「年寄りに徹夜させるわけにもいかないだろ。・・・・で、コダマ、あんたの方は。客間の方でゴソゴソやってたけど。男でも連れ込んだのかい。自分の部屋に運べばいいだろに」
 
 
「そんな体力ないから・・・。どういう因果か、ヒカリの同級生なんだけどね・・・鈴原トウジ君、・・・裏はヒカリとは別メニューの訓練生ってところかな。今は彼の護衛してる・・・」
 
 
「彼氏だろ・・・何年かすると、あんたの義理の弟、あたしの義理の息子になってるかもしれない。すごい縁だね」
 
 
「それはどうだか・・・期待はしてるけど」
 
 
「珍しいね、あんたがこの手の話にのってくるのは。そんなに気にいってんのかい」
 
 
「いや、どちらかというと望み、かな。義理がどうとかはヒカリ次第でヒカリの決めることだから・・・・・この先、」
 
 
「・・・そうなるといいなってえ話だよ。話。この先の、出来ればひ孫だって抱かせてやりたいし・・・ああ、悪いね。あんたも疲れてるんだった。風呂は沸かしてるから入るんだったら入りな。メシも水屋にいれてるから・・・・・さて、あたしは調べ物だ、と。しばらく起きてるからなんか手が要りようだったら内線で呼びな」
 
くるり、と白衣をひるがえして行ってしまう洞木アサダ。もはやただの次女の彼氏の同級生でもない鈴原トウジをこんな時間になぜ連れ込んだのか事情を聞こうともしない。綾波レイに対しても電話口であんな調子だったのか。
今夜は眠れない。大黒柱は家族になにかあった時、じっと起きて待っているものだ。
 
 
ともあれ、自分の部屋に戻って・・・・手当てして、体力を回復せねば・・・動きが取れない。朝までにはなんとか・・・・・・まともに動けるように・・・・たとえ今夜、もはや全てが手遅れな状況に追い込まれてしまっても・・・・どうにも・・・・くそ、なんて技の重さだ・・・ああ、なんに対しての手遅れなのか、それすらも分からない・・・・・
 
 
どて。
半分、気絶するような勢いで意識をなくして自分の寝床に埋もれる洞木コダマ。
 
 
これがお昼のドラマだったりすると、自分の部屋と客間を間違えて鈴原トウジの隣で寝転けてしまい、朝になってそれをノゾミに目撃されて・・・という展開になったりするのだが、さすがにハードボイルドな洞木コダマにはそこまでの油断はなかった。
 
 
方法の違いがあるだけで、綾波レイも火織ナギサもやってることはえらく変わらず、スマートさでいえば後者の方が上だったりするが。「どちらも・・・・怪物か」師匠に尋ねた怪物退治の基本が頭の中で谺する。・・・・・あれってほんとですか師匠・・・・・・ともあれ、洞木コダマは今夜はこれでノックアウトで手出しが出来ない。
 
 
たとえ芦ノ湖でなにがあろうと。なにが起ころうと。ファーストとフィフス、いくらイチゴであろうとも、そこではストロベリーな予感は皆無。異能を備えたチルドレン同士の決闘まがいのことになりかねず、しかも止められる者はなし。
 
 
窓の外から猫が見ている。妹たちの暴れぶりに苦労呻吟している姉の姿を。
 
 
あーん・・・・・・
 
通訳も寝ているので話が出来ない。愚痴も聞いてやることもできない。
 
それがなんとも切ないぜ、と猫が鳴いた。
 
 

 
 
夜の芦ノ湖
 
 
なんでもフィフスはここに八号機を沈め隠してしまい、ここを中心に動いている、ということだった。第三新東京市全域のどこか、ということになれば綾波能力をもってしても探すのにはちと厄介であっただろうが、地域が特定されここまで近づいてしまえばおのずと相手の位置は知れる。通常の人間とはあまりに匂いが違う。その気配を隠そうともせず、自分たちの接近にともない、どう対応するのか迷っているのかオタオタと影を見出す諜報課の人間たちにはかまわず、綾波レイとそれを護衛するヤング綾波者たちは
 
 
「今晩は」
 
 
夜の湖で泳いでいたらしい、水を滴らせて立っている裸体の少年、火織ナギサを見つけた。
12の赤い瞳。それぞれ夜目が利くので照明は必要なかった。幻想的、ともいえる異形の光景。周囲を警戒していた人の輪が一気に引き締まり緊張する。銃器の安全装置が解除される音、指揮所に現状報告、緊急に指示を求める声、警戒領域を移動する靴音、それらに紛れてそれらを消していく音なき気配。血の臭い火薬の匂い閃く高速金属。投入されまた潜伏して保持していた勢力バランスが崩され、平穏な夜の湖畔が、一気に修羅場に変わる。
 
 
奇妙なことにその中心、12の赤い瞳の周囲にはなんの音もせず、湖畔は静かなままに風が吹いていた。それはさながら、人界の争いには影響されぬ、無関心な神の逢瀬・・・。
それも当然、いろいろと能力的に仕掛けがあったりするのだがどうでもよい。主の仕事がなにものにもなにごとにも邪魔されず妨げられずに行われるようにするのが護衛の仕事。
いかにもチリチリとちょっとの刺激で今にも爆発しますよ的な火薬庫にバズーカ砲をぶち込んでしまおうと、主のそばさえ静かであればそれで。未だ本部に正式配属ならぬフィフスチルドレンが業界的にどれほど価値ある乱の元であるかなど知ったことではない。その静かなるプロたちの乱戦の中に諜報三課所属、弧一マルタカがいることなどもちろん。
考えるべきはただ、主の語る言葉がきちんと届くように。
 
 
主役は主。ただそれだけ。主の求める対話相手として、認めているだけの裸体の少年。
 
 
綾波レイと、火織ナギサ
 
 
よく考えてみると、すごい急襲であった。ですたい。
 
 
「・・・・・・・・」
 
 
すぐに返事がかえってこなかった。もし、綾波レイが洞木ヒカリや山岸マユミのように先制攻撃していたら確実にヒットしていたであろう反応。鈴原トウジたちの時と同じでべつに待ち伏せしていたわけではないのだが、ちょうど良いタイミングで現場に到着するのは何かに味方されているようでもあったが、それを日頃の行いだと誇るような綾波レイではない。ともあれ、湖からの泳ぎから戻ってくれば綾波レイが同じく目の赤い連中を引き連れて立っているのだ。それは驚くだろう。ただ、これまでの生活パターンのおかげでただ今の自分の姿に特に恥ずかしくない火織ナギサであった。
 
 
「話があるの」
 
 
しかし、弐の轍、参の轍は踏まずに、まずは話し合いで解決しようと対話を続ける綾波レイ。
 
 
「・・・・・」
 
 
だが、返事はせずに湖の方へ戻っていく火織ナギサ。その後ろ姿は焼けた肌色も夜風に溶けて、故郷へ帰る海棲人のような様になっており、綾波レイにして一瞬、制止のタイミングを外した。しかし、ここで逃がしてしまうわけにはいかない。銀の髪を靡かせケルピーのような速度ですいすい向こうへ泳いでいってしまおうとする火織ナギサを追おうと
 
 
服を脱ごうとして
 
 
「うわ!!レイ様っっ!何をっ」
 
結界の護衛者としてキメていた虎兵太たちに大慌てで止められた。後継者ともあろうお方が思いきり匹夫の勇である。ツムリさんなどといたせいでおつむりのほうが少し・・・綾波鍵奈がとても心配する。「工鉄!そこらからボートを借りてくるんだ。お前の腕力ならすぐに追いつく、向こうは泳ぎだ・・・・・・ということで、レイ様、ご安心を。ツムリ!狙うな、殺すな!とりあえず話し合いに来たんだ。槍を仕舞え!」「えー・・・」銀橋ら年配者が心配したとおりの事態になり、その通りにこの若手で最もまともな虎兵太が苦労することになるわけだが。
 
 
マッパで泳ぐだけのことはあり、火織ナギサの水泳速度はなかなかのもの。獲物を捕らえる赤い目が見逃すことはないが周囲のことを考えるとなるたけ早々にカタをつけたい。
一度は狭まった警備の輪が戦闘に伴い拡散してしまっている。
 
 
「〜肩か足を貫いとけば、・・・それ以上泳げなくて、・・・・・逃げられなかったのに」
ツムリがようやく反論する意見を紡いだところで綾波工鉄がカッターを担いで戻ってきた。カッターというのは軍艦なんかに積んである大型のボートのことである。
 
「溺れて死んだらどうするつもりだ!レイ様は話し合いをなさりにきたんだぞ!・・・・まあ、男として逃げたくなる気持ちも分かるし、な。なあ、工鉄」
「”凸ボボー凸”」カッターを担げる巨人の腕力をもつ工場頭は煙を吐いて同意した。
 
「そうかなあー・・・・・あんまり照れてなかったし・・・・手加減するよ?」
「はい、ツムリさんもう乗ってしまったのですから、考えを切り替えてください。水上の捕り物ですよ、ここから」
 
 
綾波レイ、虎兵太、ツムリ、鍵奈、と四人乗ったところで、自分は乗らない工鉄はカッターを後ろから狙いをつけて、湖に”押し出し”た。それだけで。
 
 
 
「野蛮だね・・・・・・ボートは漕いで進むものだよ」
 
 
あれだけ引き離していたはずの火織ナギサに一瞬で追いついた。ちょとでも狙いがそれていたら水上事故で少年を五体バラバラに跳ね飛ばしていただろう豪快パワー速度。
 
 
「そのままでいいから、こちらの話を聞いて」
 
 
観念せえよ、というように綾波レイが見下ろして。そのまま、というのは立ち泳ぎのままで聞け、ということだがかまわない。逃げるから悪いのだ。
 
 
「・・・それで、話は」
 
疲れた様子も恐れた様子も見せずに、軽く問い返す火織ナギサ。綾波レイはいつも通りにかわりなく無表情であるが、他の護衛者はじいっと赤い目に注目している。ここに来た用件。睨んだだけで相手は倒れ、意識不明。となれば衣服もなく手足も使えない観念するしかないこの立ち泳ぎの状態でも全く気を抜くことは出来ない。なるほど、よく出来た護衛だな、綾波レイ。予想外に早まった取引の時間、それだけ欲しいものが早く手に入る、という事実に火織ナギサ口元に浮かぶのは、銀色の三日月。
 
 
「なぜ、あんなことをしたの」
 
 
「言葉が少ないのはテレパスの欠点だね、綾波レイ。遠慮せずに僕の心を読むといい。
そのために君は大きなものを失った。小手先の技のために、大樹の幹を差し出した、愚かな君が手に入れた小さな砂時計、ほんのわずかな時間の砂、有効に使うがいいさ・・・・自己紹介も偽証の解明も、背中で崩れゆく大きな砂時計の流れに比べれば些細なものであるけれど」
 
 
「そうね。あなたの身体にも限界がくる・・・・・・」
 
 
申し出に従い、情け容赦なく綾波の読心能力を炸裂させる綾波レイ。底の底の底まで読み尽くす。渚カヲルのそれによく似た心理防壁もすでに開放されており、これまでの経歴、目的、八号機の能力、渚カヲルとの関係、その他・・・・・・手っ取り早く、洞木ヒカリたちを覚醒させる手段を得るにはこれが最速。だが、この完全なプライバシーの剥奪、つまりは弱点の露呈をまるで気にせず問題にも感じていない・・・・その剣が生えたような心臓と魂胆に、刹那、厳しく研ぎすまれる綾波レイの表情、そして元に戻る。
 
 
 
「・・・エフェソス・・・・・」
 
 
「そう、ピアノ・・いや”渚カヲル”がいなくなったせいで僕が七つ目玉の一つ、エフェソスを引き受けることになった。だけど、安定しない。可哀想だけど、彼女たちのあれは事故だ。宣戦布告もなしに攻撃を加えられたために、自動的に相互確証破壊機構が働いたのか・・・ATフィールドのようにはいかないな。魂が消し飛んでもおかしくなかったけれど、あの程度ですんだ・・・・なにかと邪魔の多いこの都市のおかげかな」
 
 
「その分だけ、取り戻せる・・・・あなたと八号機なら」
 
 
「そうだよ。でも、代価もなしに働けなんて言わないだろう?綾波レイ。僕の希望を君は知っている・・・・労働は貴いものだ」
 
 
もとより、八号機はその特殊兵装「ボクシング・ゲヘナ」とともに、他のエヴァを喰ってその棺桶袋の中に取り込んでしまうつもりだった。エヴァの肉体を生地”カカシ”として使徒のコピーを造り出す・・・取り込んだ素地分のコピー使徒を復元して己のしもべとして使う、満を持したといえば聞こえはいいがコピーする使徒のデータも結局必要であるので前任者が使徒を何体か倒しておかないと意味がない、美味しいトコどりの機体だった。
 
その設計思想からついたアダナが「福音喰らい」。九号機の脚部を奪い実験を続けて実用化にこぎつけるまでは忌み嫌われていた。同じエヴァの肉体を喰らえば喰らうほど強くなる・・・・・喰らわないと実力のほどはさほどでもない・・・・・なんとも因果な機体。
 
それでいて、シオヒトとともにエヴァシリーズの頂を目指そうというのだ。狂っている。
 
それにシンクロし搭乗するのも相当なタマだった。コピーした使徒能力を使用できるように、専属パイロットの精神もカスタマイズされている。孤独だの寂しいだの己が異種であることの認識すらもたぬよう。施された近似的使徒メンタリティ。脳神経の方もかなり弄られている。弱点の露呈をそも恐れていないのは、現状が最弱であるのを一番良く知っているのが自分であるから。そして、強くなるために他のエヴァを喰らうことを全く躊躇わない。ちなみにゲヘナに接続可能なのは八号機のみ。直接エヴァ肉をぱくぱくやるわけではないし、接続可能だと言われても自分は御免蒙るが、と綾波レイは思う。このようなことがなくても遅かれ早かれ因縁をつけてこういった状況に持ち込んだはず・・・・・その予定であったことを本人の心が語っていた。予想以上の好都合に驚いてはいた。
 
先の渚カヲルはいきすぎて天の道を翔んでいってしまったが、羮に懲りて膾を吹くが如く、こうも正直に人外魔道を歩まなくともよかろう、と思うのだが・・・・BADな話だ。
 
パイロットが未熟な参号機もまるごと喰らってしまうつもりでいる。
 
ここで息の根を止めてやった方が業界と世界のためではある。力のない今の内に。
 
八号機の戦闘力がどれほどのものか、まあ四号機の倍ということはないだろう、二分の一もあれば・・・机上の計算はしてもしょうがないが、使徒と戦うことを”喜び”とするその精神構造は戦闘にプラスに働くだろう。使えるしもべが増えることをただ単純に。そのために生きているような存在だ。迷うこともなく周囲全てを犠牲にしても勝利を追求する・・・・彼の心の中には、人はとくに守るべきものではなく、人類、になって、類がついてようやくそのおぼろげな範囲を守る・・・それなりに優先される、という恐ろしいほどの白々しさと空々しさで満ちており・・・・参号機などより、ずっと強いだろう。今のままの参号機よりも・・・
 
 
ただ、サイズは人間サイズでも、そんじょそこらの使徒が束になった以上に遙かに激強のあの(VΛV)リエルなどを容量限界まで大量コピーされたりした日には・・・・
それと直接戦闘し、貴重なデータを宿しており、これまでも数々の使徒との戦闘を繰り返してきた自分の機体、零号機・・・・・・
 
 
 
「そう、零号機の左足が欲しい。どうせ、使っていないのだからかまわないだろう」
 
 
 
火織ナギサはにっこりと笑った。湖の妖精王子のように人を魅了し迷わせるが、しかしその腹の底は満足を知らぬ怪物の笑いであり、護衛の者たちは直感する、大急ぎで取引を中止してこの場を去るべきである、と。クールで怜悧なふりをしていても、主はこんな相手とのいかなる取引にも応じるべきではない、と。こちらにきて日の短い自分らには深い事情は分からないが、どうも一方的に大損をするような話に決まっている。自分たちの主は、あまりに、こんな無慈悲な表情をしていても、あまりに・・・・
 
 
けれど、彼らの年若い主は即答してしまう。
 
 
「分かったわ。あなたが使えば、いい」
 
 
その赤い瞳は多くを見過ぎる。見ぬふりをして見過ごしてください、と味方の全てが願っているのに、そんなものをこそ、そのまま見捨てられるはずのものたちを、ひとり、じいっと凝視してしまう・・・・・母親の綾波ノイがそうであったように、素の心で。
 
 
交渉も何もない。もっとデロデロとネトネトとギトギトと油っぽく我が儘に食い下がらねば。しかし、水の性である綾波レイにそれは無理だった。年配者の心配がモロに的中した。
 
 
「く・・」
綾波レイが僅かに、ほんのわずか顔を顰めて、胸のあたりを抑えて、無意識の痛みが走った左足に触れた。そんな呻きもすぐに湖底に沈み行くが。気付かなければただの咳のようにしか見えない。
 
 
多少、痛い目をみたがおかげで手に入れるものは絶大。参号機を先に戴こうと思っていたのだが・・・笑いがとまらず鼻の穴なども全開に脹らむはずの火織ナギサであったが、未だ立ち泳ぎ中でもあり何より美少年であるのでそういうことはなかった。
 
 
「それでは・・・・こういうことは早い方がいい。急に変心されても困るしね。八号機で本部まで行くから連絡と用意を頼むよ・・・」
気が早いのか喜びの表れか。正直といえば正直、ストレート言えばストレート、沈めてある八号機にそのまま乗り込もうと、潜りかけた火織ナギサの頭に
 
 
ぽか
 
 
ツムリの槍が当たった。そして、皆が思っていたが心に秘めて黙っていた、言ってはならんことを言った。
 
 
「ちょうしにのるな、ふりちんめ」
 
 
 
ちなみに。
ほぼ同時刻・はるか東の竜尾道でも、最近めっきり出番がない主人公が同じようなことを言われていた。