まだ夜の明けきらぬ、もしくは暁光とともに
 
 
その能力ゆえに発する使徒の気配を纏いつつ、都市に溜まりゆく堕落と退廃の空気を光の翼で切り裂きながら「なんだあれは!・・・使徒か!?」「パターン解析!」「青・・・オレンジ・・・だめです、固定しません!」内心は使徒の再来襲に怯えている職員を大いにびびらせながら演出を交えながらネルフ本部に謎々しく
 
 
「もしや・・・あれは・・・・”神”!?」
 
 
と鉤括弧ならぬ神カッコで高速来臨する予定のエヴァ八号機と火織ナギサであった
 
 
 
が、
 
 
実際に到着したのは十時過ぎ。綾波レイが本部にて全ての手配を終えて八号機の受け入れ準備を全て整えてからだった。これでは「へえ、八号機がなあ」と皆、驚くことは驚くが予定内想定内のことであり衝撃などはなくあまり面白みのない登場シーンであった。
ある程度事情を知る者でも、作戦部長連のシオヒトが八号機八号機と今まで喚いていたのでようやくご到着したのか、程度にしか思われなかった。
 
 
これには理由があり、芦ノ湖で事情はわからないが自分の主をなんとなく口先でいじめている感じでむかつく火織ナギサを綾波ツムリが槍で腹いせに軽く、ぽか、とやったところそのまま明らかに不自然なドンブラドンブラと命綱が切れた宇宙飛行士のような感じで沈んでいってしまい、槍で小突いたことになんの抗議コメントもないのでちょっと虎兵太が潜って様子を見ると、裸体の少年はそのまま湖の底まで真っ逆さまに突き刺さるような沈み方であり、・・・・意識が、どうもないらしいので引き上げる。
 
 
 
早い話が、溺死しかけたわけだ。
 
 
ツムリ、虎兵太、工鉄などは「あれくらいで・・・、ずいぶんとか細いなあ」と思ったが、
 
綾波レイや鍵奈は「・・・とりあえず死ななくてよかった・・・・」と思った。
 
 
その後、お約束の人工呼吸などをこの子分たちの不始末の責任とって綾波レイがやろうとしたが「それは断じていけません!」と虎兵太が制止して「じゃ、とらがやるんだね」ツムリに言われて「ふざけるな!女人ともまだしたことがないんだぞ!なんで男と・・・いや、よく考えたらおまえのせいじゃないか」「いやだよ、こんなやつ。きらいだ」言い合う二人に「あの・・・それなら・・わたしが・・・よければ・・・」顔を真っ赤にして何かぼそぼそ言ってはいるが聞こえない鍵奈。
 
 
「あまり時間をおくと、死ぬから・・・」パワーにあふれるがその分、面倒な雑事が増えそうな若手の扱いを考えながらやはり手っ取り早く自分でやってしまおうとする綾波レイ。治癒系の綾波能力の発動を考えないでもなかったが、戦闘力と防御力の高さで傷一つつかぬことをモットーとする彼らは使えないし、なるたけこういった得体の知れぬ相手には異能は控えた方がよかろうと判断した。ここで死んでもらっては困るので仕方がない。
 
 
「凸ぷーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー凸」
 
 
だが主の唇をそんな不逞な輩に与えるものか、と律儀なことを思ったのかどうか、工鉄が熱気を吹き入れたのでとりあえず事なきを得た。(戦闘系の綾波者に比べると)肉体的に脆弱であるらしい火織ナギサがしばらくまともに八号機に戻れないため、様子見に虎兵太と鍵奈を残して、綾波レイはネルフ本部に戻ってしまいあれこれと手配を整え終えてしまった。関係者全員に連絡が行き渡っている、今まで出し渋っていた割りにはドラマチックさに欠ける登場であったが、それだけスムーズに機体のケージ入れが済んだ。
 
 
「・・・・・・・・・」
火織ナギサも最後まで何か言いたげであったが、トラブルも起こさず黙っていた。
ちなみに、使用したのは弐号機用のケージであった。
 
 
かくのごとしの成り行きで、騒ぎは最低限に抑えられた。
 
ただ相手のペースで進むはずのこの取引に、なにせ交渉ということをしない主に余裕の時間を与えたという点でツムリの一撃は歴史を変える可能性すらあった。
この間に綾波レイの気が変わったり、他の手段を取ったり、はたまた突発性逆ギレを起こしてボクシング・ゲヘナそのものを破壊してしまったり、この取引がご破算になるような事が起きてもおかしくなかった。
 
エヴァの、八号機の戦闘力が増大するということは使徒殲滅業界の勢力地図を大きく塗り替えることを意味する。零号機の片足がそのままもっていかれる、というのはそれほどの意味がある。
 
騒ぎにならぬはずがない。組織としての腰が据わらず、戦闘慣れもしていない現体制でいきなり前触れもなく八号機が現れたりすれば、それこそ水戸黄門や遠山のゴールドに対したように恐れ入り平伏していたかもしれない。この精神的アドバンテージは大きい。その混乱を八号機を知らぬはずがないシオヒト・セイバールーツが抑え鎮めたりした日には。
 
 
そこまで考えたわけではなく、ただ早々に物事を進めたい一心で手はずを整えた綾波レイであるが、もちろん、このいきなりすぎる話に「はあ、そうですか」とすぐに納得して従ってくれる者ばかりではない。
 
 
原因不明のままに意識を取り戻さない三人、洞木ヒカリ、相田ケンスケ、山岸マユミの入った医療カプセルを前に額にしわ寄せながら打開策を考え込んでいた赤木リツコ博士などその最たるもので。
 
 
 
「・・・・・零号機の片足と引き替えに、三人の意識を取り戻す?」
 
 
お付きの者を入れ替えて芦ノ湖まで行っていたのは把握していたが、戻って来るなりいきなりこれでは面食らうほかない。そのための作業を段取りして欲しいなどと言われても。
そんな奇妙な取引がこの世にあるのか。誰がそんなことを望んだりするのか。
 
 
綾波レイはごく簡単かつ手短に、火織ナギサとの腹の底を語った。
血の滴るレバーのような生々しい真実の匂い。猫を殺すような子供の腹に薔薇の花が詰まっているはずもなく。
 
 
「・・・・ばかばかしい」そこで、一端、あえて途切って。それが誰に向けられるのかすぐに分かるというのに。
 
 
「フィフスが知り合いの子たちの意識を失わせてまわれば、あなたはそれに応じて零号機の身体を差し出すというの?まるでつばめに自分の金箔を剥がして困った人たちに運ばせた王子様の像みたいね」
 
 
「・・・・彼が、人を襲う、というのであれば、使徒と同じく相対します」
 
それに、遅かれ早かれこういう日はきたのは間違いなし、と赤い瞳は揺るぎなく。
それに、まがいものを写し出すゆえに、彼が使徒に「転ぶ」ことはない。
エヴァ喰らいのボクシングゲヘナ、八号機に搭乗するに彼ほどの適格者はいない。
 
 
 
「それに・・・・」
この取引が感情によるものではないことを付け加える綾波レイ。
 
 
「・・・・戦力になるのも、間違いありません。使徒と同じ能力を持つために、ATフィールドの中和を経なくても、直接、敵使徒を八号機の攻撃は到達します・・同化させた使徒から電力を引き込めるため戦闘可能時間も・・・・・同じ未知数であるなら・・・」
 
 
「・・・・現状の参号機よりも、当然、というわけね・・・?」
ある程度その返答を予想できた自分でさえ、寒気を覚える。何もこれは三人の意識を取り戻す代償というだけではない、シンクロ率、起動時間ともに衰えが進んできている己の零号機のことを計算し本部の対使徒戦力の増強という観点から最善と思われるものを選択したつもりなのだろう。そこにはただのパイロットはいなかった。己の分身、半身といってもよい歴戦をともにくぐり抜けてきた愛機をこうも簡単に欠損させるとは。己の身を喰わせてでも相手を従わそうとする・・・・・鬼女般若
 
 
「ただ、零号機の足を思うように取り込めるとは・・・・限りません。
もし、融合に失敗すれば・・・・・・」
 
 
確かに、あの煉獄筺は完成したばかりの代物で現在使用している生地も九号機の両足部分のみで他の機体の肉と融合するかどうか・・・・実験などできようはずもないから誰も知らぬはずだ。そんな不確定値を無視できるほどに装置の完成度が高ければいいが・・・自分が参画してもそれほどの完成度が実現できるかどうか・・・・いやいや、ここは嘆くところだ。それにしても、なんだこの毒ヘビVS巨大ガエルみたいな強烈かつ奇天烈な展開は・・・・・いやいや、呆れてもいけない。レイは大真面目なのだ。悲壮さえ表に出てこれないほどに。溝鼠ほどには美しくなれないかもしれないけれど。嘆き嘆き。凜だ凜だ。
 
 
「ふう・・・・・・・」
いつからネルフ本部は誰が天使を倒すか競い合うデビル戦士の闘技場になってしまったのか・・・・それとも、今の本部に日々満ちていく毒、神の毒を弱い者たちの代わりにただ一人杯を受けて飲み干し続ける・・・・女王とはこういうものなのかもしれない。美辞麗句で表現すればそうなるが、身も蓋もなくいえば、若い身空で毒気に染まっておかしくなりかけている・・・・・・・ということだ。プチどころかミリどころかミクロ単位の逃避も自らに許さず、人の組織がぶちょぶちょと垂れ流す毒を水のように飲んできた。浄化し薄め清めるのも限度があろう。こんなバカな条件をホイホイ呑んでくるあたり、相当にレイの頭の中はやばい。心など読めなくても、分かる。
 
が、そこまで追いつめているのはまぎれもなく、自分たちなのだ。
 
 
人が人を無条件に従わせることなどありえない、相手の力を増やしておきながらなお、疑いも知らずそうなるものだと確信する、群れの頂きに立ちただひとつ、よりそわぬもの。
 
 
だけれど、それはユイさん、碇ユイの姿とはずいぶんと違う、寂しい原野の月のよう。
いやさ、ユイさんは結局司令とよりそってシンジ君という子供までいるのだからたとえるには酷か。
 
 
だけれど、この冷血処女暴君的必殺具合はいかがなものか。もうちょっとマイルドに丸くなれないものか・・・・無理な注文だけど。十四の女の子に無理させてるのはこっちだから。・・・・これを鈴原君たちに抑えてもらうには冗談抜きであと半世紀はかかるかも。
なんともいえぬギザギザハートぶりに、密かにミス・ハートエイクな赤木リツコ博士。
顔には出さないのでこれも実はお互いさまなのだが。
 
 
あてになるのは、やはり参号機よりも、八号機・・・・・・・
 
 
レイはそのように結論を出してしまっているのか。それでは「困る」とエヴァを動かせない者、おそらく圧倒的大多数の人類を代表して、そう考える自分の方がよほど残酷か。
なんら異能をもたずしてエヴァを起動させるあの二人、鈴原トウジと洞木ヒカリはある意味、シンジ君や渚君以上のレアな存在でもある。何としても、その座を守っていて欲しいのだが・・・・せっかく復元した参号機をまるごとあんな棺桶袋に喰われるなど冗談じゃないし・・・・
 
 
キロ
 
 
レイの赤い瞳と目があった。こちらの内心を観察している目だ。左は顕微鏡、右は望遠鏡
そして、双眼が真紅の万華鏡になる。何が言いたいのかは分かる。言ってみなさい、と目で返してみると
 
 
「彼を、代わりにはしないのですか」
他の者が問えば、釜茹でにされるようなことを。綾波レイが問うた。
その目は赤い手鞠歌。あえて辻待ち、返歌を待っている。
 
 
「フィフスチルドレン、火織ナギサ君と、かつてここにいた渚君とは別人よ。分かっている。この目で見れば動揺するかもしれないけれど・・・・彼はクレッセントだしね・・・・・・シンジ君と友達になるようなことは、ないでしょう・・・・・それにね」
小ユイと認め、これだけ追いつめてしまっていないなら、こんなことは答えやしないのに。
敵か味方かでしか判断せず物や人を見なくなったら・・・・・・それはとんでもないことになる。その綺麗な赤は何も世界を塗りつぶすためにあるわけではないでしょうに。
 
 
「それに?」
 
 
「まだ、私自身、渚君とはどういう関係だったのか、解明しきれていないのよ。それが終わるまで誰も代入できないわ・・・・・・答えが、変化するもの」
 
埒もないことを聞く、とは思う。夜の雲の色を問うようなものだと。まだ明けぬ朝日の色を尋ねるようだと。
 
綾波レイは外見そのまま行動は鋭利さを増しながら、おかしくなりかけている。
 
が、なんせ実力がありすぎるのでその暴走を誰も止められない。碇シンジの役を今度は綾波レイがやっているだけ、という見方もできなくもない。透明だが邪な毒に侵されて静かだが明らかにカッカきているそのピキピキドカーンに噴火直前な脳熱を冷ます者はいない・・・。
 
 
それを考えると、「実は渚カヲルにそっくりな火織ナギサと情事的結託を果たしているかもしれない」程度のことを言って警戒させておくのも手だったかもしれない。
 
 
あー、赤木博士と新フィフスはまだくっついていないのか、と納得して安心したらしい綾波レイは「八号機が到着する前に準備の方をよろしくお願いします・・・・約束は必ず」守らせますから、とまでは言わずもがな、と思ってか一言残してさっさとお供の連中を引き連れてその場を去ってしまったのだ。時間はあまりない、というか、なるたけ早く洞木ヒカリらを復調させたかったのかどうか、その行動の素早いこと強いこと。押す押す。
 
 
 
「しまったな・・・・・・・どうにかしないと・・・・・・」
 
 
打つ手がないままに綾波レイはどんどん話を進めてしまい、・・・・・・八号機が参戦したのはいいけれど現状のままでは対して強くないから、今使ってない零号機のパーツを渡せばそれを利用して戦力がアップするらしいのでそうする・・・・・、または、フィフス・火織ナギサに接近直後に倒れて意識が戻らない、参号機パイロットを含めた三人の子供を目覚めさせるには、”管理用”機体であった四号機に相似した機能ももつ八号機での検査が必要である、と・・・・・尤もらしいことを非情と人情のスイッチを切り替えながら言われては「そんなことは納得しかねる」といって頑張っていた相手も認めるしかなくなる。一番厄介なのが綾波レイの本音がどこにあるのか分からない点であった。例の賭けの件もあり、なるたけ美味しい登場タイミングを計っていたシオヒト・セイバールーツなどもこの面白みのない本部入城には渋り反対の意思表明をしていたのだが、結局、本心が見えぬまま押し切られた。
 
 
もしかしたら、本人にもよく分かっていないのかも知れない。
 
 
洞木ヒカリたちを救いたいからこうやって急いでいるのか、それとも
戦力的な不安を一刻も早く解消するべく、こんな無茶な取引を呑んだのか。
よもや、シンクロに激痛をともなう左足をくれてやればそれが消えてしまうかも、などと気弱なことを考えているわけでは、あるまい。
 
 
 
「とはいえ、エフェソスか・・・・・・・子供の首に王冠二つ・・・・折れてしまうわよ」
 
 
知らぬ事とはいえ、世界が七変化してもまだ足りないほどの危険物を”揺らせ”たのだ。
 
この程度で済んでいるのは僥倖といえるかもしれない。このままこの世が終わるまで眠り続けるハメになろうと・・・・・いや、そう簡単に諦めるわけにもいくまい。参号機のパイロットの洞木さんには目覚めてもらわないと。まあ、あとの二人ももちろんだけど人道的に。どうも参号機の様子がおかしくて山吹装甲が固定しまい、周期は失せ、黒の縞を見せなくなった。今までのは練習で、これが本番のユニフォームなのだ、と言われればそれまでだが。山の奥で滝を相手に奮闘している鈴原君の立場がなさすぎるけど、そういうことなら。単に機体とパイロットとの物理的距離の問題でも、なさそうだし・・・・思考が
横道にそれたけれど、エフェソス、七教会の名をもつ、「七つの目玉」のうちのひとつ、それがやらかしたことならば、正直な話、人間の手にあまる。どうにかできるとしたら、エフェソスの至覚者か、同様の七つ目玉の至覚者か・・・・こればかりはいくらエヴァで異能を拡大増幅しようと及ばない領域で、それでどうにかできるならとっくにレイがやっている。境界項目・使用法自体は渚君から転写されたとしても。
現状の零号機からアクセスなどしようものなら。目玉が弾ける程度ではすむまい。
 
それを固持できずにこうも中途半端な形で発現させた火織ナギサにも実のところ、揺らぎを元に戻せるのかどうかかなり疑問であった。が、本人には確信があるのだろう。
それか、揺らぎをさらに激しくしようと、静止状態を取り戻せなくとも、なんとも思っていないのかもしれない。結局、使徒が来襲するこの極東で人類補完が発動しようと。
 
 
ロンギヌスの槍も、エヴァ初号機も、他の七眼至覚者もおらぬ状態で
 
 
第壱左眼窩・エフェソスが単独でまともに発現したとしたら・・・・・・
 
 
交差することなく、視界が交わされることなく
 
 
解けた囲い込みが終わらぬうちに、赤い海がくれば
 
 
たとえば、ほんの軽い、さわり程度の境界視線に触れただけでもこの子たちのようになる。
この子たちの現在の状況をあえて言うなら「自己完結・宇宙船バイオスフェア号人間」ということになろうか、これは意識不明で眠っているようにみえるが、実のところ、「動く必要がなくなったから動かなくなった」という方が正しい。
 
 
ふいに食物連鎖の輪から外された、完全なる無敵の、天逆敵の肉体をもった三個体。
 
あまり近づけておくと、最後に胃の腑に残る本能なのか、その取食も捕食されることのない肉体同士が喰らい合いを始めたという大昔の記録もあるのでこうやってカプセルの中に入れておいたりしているのだが。
とにかく、エネルギーの補給もなく生存が可能になったので、それもいきなり、自分の望んだことでもなく、本能の部分がついていけずにこうした「究極なまけもの」モードに入っていってしまっているのだ。動かなくても死なないとなれば動かないのが肉体だ。
 
 
単に強い催眠術をかけた程度では、こんなことにはならないし、こんな真似は人間には、どんな異能をもっていたにせよ、できるはずもない。
人間のやることはなにがしかの引き算である。他人に与え施した分だけ、己の保有する力が目減りする。これが自然な道理であるが、これは違う。純然たる足し算であり、無責任なほどに、未完成部分を勝手に完成させてしまう。もしかして、それを人は楽しみしていたのかもしれないのに。因果応報等価交換を基本とするせこい神よりもよほど恐ろしい「」足し算存在」。
 
 
働かなくても生きていきたいなあ、と考える人間はいつの時代にも大量にいたが、食べずに生きていきたいなあ、と考えてそれを成立させてしまった人間はあまりいない。望みのバリエーションは数あれど、それは究極のおねがいのひとつであろう。神のつくった循環輪廻のシステムに対する挑戦であるが、こうやって生命のピラミッドからいざ外されてみると、人間の精神がもっていたはずの「何事かをやる気」など雲散霧消してしまうから不思議なもので。
まあ、一時的な「一休み」状態から脱してみればこの状態におかれた人体が何を思考しだすのか、興味はあるが・・・・・・この他の命を奪わねば生き続けられないという原罪から解放され、貪欲の悪徳を対消滅され補完された、ある意味、この完全人間が。
 
 
不完全な存在など見向きもせず、瞳の中にもいれたくなくなるだろうか。
 
 
この子たちは食物連鎖の輪から外されて、食べることも食べられることもなく今後生きていくことになる・・・・ひどくソフトに表現すると、霞を食べて生きる仙人よりももっと俗世から縁が切れている、ということになるが・・・・楽園に戻る許可まで得られたわけではない、どんな生活体系が待っているのかいまひとつ想像しにくい・・・ユイさんなら保護してくれるだろうが・・・いつまでも、というわけにもいかない。あの頃は真面目に聞いていなかったが、母さんがなにかの拍子にぽろっと漏らした話では、どこかに同じように七つ目玉のひとつに睨まれた者たちが集まって暮らす天空近くの国があるとか。・・・・そこでは、食物連鎖のピラミッドが明らかに狂っており苺豆腐に捕食されたり、自分たちで造った幕の内弁当と喰ったり喰われたりする東海林さだおもびっくりの食物修羅地獄が展開されているとか。完全に連鎖から外れればいいが、中途半端にリンクが残っていたりすると、そういうことになる。
 
 
 
だが、まあ、こんなことを言えるはずもない。敵か味方かにとらわれて、洞木ヒカリたちの現状にそこまで深い観察をやらず、その点についてこちらの頭の中を追求したりしないレイはまだ甘いというかちょろいというか助かるというかおおざっぱでドンブリでどこかユイさんだと。こんな悪現なことを共有するのは副司令とだけでいい。
 
 
人類の境界に鎮座する、それは変化の大魔眼。摂理すら一時変更する、口は出さぬがその代わりに無限軌道の横車をおすこともある「ひとのかたちの」観測者。混沌の生地からそのかたちを抜き出す「型抜き」・・・・七眼のひとつのバランスが崩れれば人間の体型はこんな直立歩行手指使用型ではなく、星形やハート型立方体、もしくは「どせいさん」型だったかもしれないのだ・・・。すべての理屈は形のあとづけにすぎないのだから・・・
 
人がいまの姿に至るまで、何回の「変身」を繰り返したかなど、誰にも分からない。
恐ろしいことにゼーレ、上位組織の頂点付近では今も「変身はもういい」「変身しよう」「だとしたらどんな風に」などという議論が恐ろしく激しく毎日毎夜繰り広げられているという。たとえ神を産めるようになったとしても、己自身を産むことはできないのだから。
 
まだ人間が見つけていないだけで、まだこんなもんがいた日にはかなわんな、と思いつつ。
むこうがきまぐれに人をいぢる代わりに、それを利用しようと考える者がいた。
 
 
 
それがすべてのはじまりであった・・・・・・・
 
 
とかモノローグしている場合じゃなかった。とにかく、この状態をなんとかせねば。
 
八号機に零号機の左足(使徒戦闘の貴重データ込み)なんぞを奪われてしまえば、あのシオヒトの態度と鼻息からして今後の本部の体制がどうなるか、予想はつく。
 
八号機の戦闘力が増大する(失敗も危険性も大だが)、それはいいだろうが、それで即ネルフ本部の使徒撃退力が増大、とはイコールいかないだろう。作戦部長連どもがアホーな賭をしたせいで、(またはそれを盾にして)、今度使徒が来ればまず零号機と参号機とに戦わせるだろう・・・・これはもう間違いない、それで彼らが何を望むかというと、その使徒戦闘でのズタボロな「敗北」だ。零号機と参号機が機体をグシャグシャにされてしまえば、煉獄筺にばらして取り込む手間が省けるぞ、と、まあ、こういうことを考えているはずだ。
 
当初宣言していたとおり、八号機のにわか天下になりシオヒト大笑い・・・・・・
 
 
・・くそ、自分で考えててあまりのセコ邪悪さに気分が悪くなってきた。
こういうことをその職にあった時は常に心中にあり年中悩んでいたはずの親友に同情する。
 
 
まあ、向こうにしてみれば神聖なる使徒殲滅の任務を素人などに任せててめえら何ふざけとんじゃい、と言いたくなるかもしれないが。
 
 
零号機と参号機でなんとか使徒を撃退してもらわねばならぬのだが・・・・それを証明できねば、現体制のネルフ本部が無力で無能でしょうがありませんにょ、ということを満座に知らしめてしまう・・・・。興奮のあまり語尾が変になってしまったが、そんなことには耐えられない。まあ、それであの蠅のキンチョール司令が辞任してしまえばけっこうなのことだがそうはいくまい。はっきりいって自分の首もあやしい。零号機をさしおいて参号機の復活にあれだけの手間をかけて、使徒が倒せなければそういうことになろう。
その点、責任の所在がどうも曖昧な作戦部長連どもは卑怯だなあ、と思うがしょうがない。
 
 
参号機は・・・・・・・洞木ヒカリがああなった以上、もう一人の鈴原トウジ、彼に期待するしかないのだけれど・・・・・・
参号機に嫌われてしまったのか、それともこれもまた長い不規則周期なのか、機体は彼を待ってはいない案配である。・・・・特訓からの安易な逃走を禁じたつもりか、レイは勝手に彼のカードを封鎖して本部に戻ってこれなくしているし・・・・
 
 
洞木ヒカリ、彼女のシンクロ率の高さに、期待は・・・・・・正直、しにくい。
 
いざ、となれば女性の方が強いとか勇敢であるとかいうが、限度があろう。それを訓練で切り上げる時間もない。人の性根はそんなに簡単に変わるものではない。
使徒殺しの罪を負えるかどうか。それを思えば彼ら四人の運命はほんとうに・・・・
ATフィールドの発動さえうまくいけば、囮役はできる。使徒を引きつけ、そこを
 
 
レイの零号機で、・・・・・・ということに、最終的にはなるだろう。
 
 
あのエッカ・チャチャボールがどういう指揮をとるつもりでいるのか知らないが。
 
 
零号機の一撃が全てを、今後の全てを、決めてしまう。ことになろう・・・・・
 
 

 
 
「全く、その通りだ。魔弾の一発で愛する者憎む者、関わる全ての者の運命が変わる」
 
 
零号機専用の武器庫にて。頭のかたちが弾丸で、ワインレッドのぴったりしたボディスーツを砲弾体型で着こなした流線型ズングリな武器商人・C・H・コーンフェイドの発言。
 
 
・・・・・・そのはずなんだがなあ」
 
 
注文された追加の魔弾を届けにやってきたコーンフェイドは興味が尽きないといった調子で品物の検認を行っている少女の横顔を見ている。これは元来、ありえないことなのだ。
 
魔弾というのは十発がセットになっており、七発が必ず狙った獲物に命中する代わりに残りの三発が射手が愛する者の命を貫く、というなんとも底意地の悪い仕組まれ悲劇の武装なのだが・・・・・・それを目の前の少女はバンバン撃ってこうやってピンピンしている。三人も愛する者の命を射抜いて平然としていられる外道はそもそも自分自身が射抜かれるはずであるのだが。それもないし。魔弾製造師としてまことに興味深い、というか注文が続くので作り続けなければならない。「もっと威力をあげることはできないのか」などと言われた日にはもう、最後まで付き合うしかない。もともと絡んだのは自分であるし。・・・・・商売的にはかなり割に合わないが、それも業だと割り切るほかなし。
 
 
まあ、他で稼げばいいからいいのだが。この組織も爛熟というか適正な冷凍保存もせずにそのままうっちゃって熟れすぎて腐る一歩手前の果物のような有様であり、甘い汁がぼたぼたと垂れてくる・・・・必要な箇所に金がまわっていないいい証拠だがそれは商人の知ったことではない。お上がだらしないのがいけないのだ。せいぜい吸わせてもらおう。
その点、独逸の方の商売がかなり苦戦をしいられているのとえらい違いだ。
 
そして、検認を終えた綾波レイの方もあっさりと魔弾に取り憑く亡霊を抑え込んだ。碇シンジが竜尾道で今頃何をしているとかイケナイ映像つきで知らしめてくれるのだが耳も目も貸さず完全無視。そんなの知ったことかとばかりに、取り出した指輪をはめる。そして、おもむろに呟いて
 
 
 
ユダロン発動
 
 
「”あと”・・・”のこりの”・・・・・”残弾数概念”、破壊」
 
 
雷が鳴るわけでも聖なる光があたりを照らすわけでもないが、これだけで魔弾の仕組まれ悲劇の発動がキャンセルされる。ずるいといえばずるいが、毒をもって毒を制しているともいえる。ともあれ、綾波レイはこういった対抗措置もなしにそんな物騒な武器を使用するほど無責任ではない。魔弾の威力は今まで全世界で使用された弾丸突進力の総和に成仏しようがない怨念が包み込んでおり、生半可なATフィールドでさえ貫く。怨念成分があるだけ、通常兵器よりも遙かに効率よく絶対領域を侵食または要領よく突破するといえる。通常の使徒であれば、この魔弾(残弾数ほぼ無限)さえあれば十分に勝利できるだろう。
 
 
ただ、あの(VΛV)リエルにはまったく通用しなかったが・・・・・・
積み上げられたとはいえ人間の怨念など問題にならぬほどの膨大な怨念を宿し、まさしく歯牙にもかけず散らしてしまったかのように。
 
 
だが戦力は増えた方がいい。この商人もびびらずにこのタイミングでよく来てくれたものだ。「銃の方も見ておいてやろう。サービスでな・・・・・この工房もすっかりレベルがさがっちまったな・・・・・」あまりにさりげないのでトリックを見破ることはできず、魔弾専用拳銃・零手観音の調整アフターサービスに入るコーンフェイド。かなりの我が物顔だが貫禄が違いすぎるので綾波レイが制止しない以上、勝手にやらせとくしかない。葛城ミサトか野散須カンタローがいればこの撃鉄舌こと暴発オヤジを放置しておくような真似はしなかっただろう。忙しい綾波レイが行ってしまえば、きちんと調整作業を行いつつも、ほんの短くても熱く燃え上がってくれる都合よさげな麗しの黒髪の日本女性はいないかな、などと獲物を窺う狩人の目になったりするこの武器商人を。
 
 
そこに
 
 
「んア〜〜〜?なんだこのジジイは。どこから入り込んできたんだ、ジジイ。ここはてめえのような商売ジジイが入り込んできていいフリーマーケットな場所じゃねえんだよゴラ」
「いくらこんな単純機構な旧式な代物で同じロートルで相性が合っててもここはゲートボール会場じゃねえんだからよ、ハンマー持つならお家帰ってからお食事して公園でやんな」
 
 
世紀末覇者に従う先遣隊のようなモヒカンにした筋骨隆々の大男たちがやって来た。ナリはこんなだが確かに役職は正式な武装関連の整備スタッフ(当然、新体制後入り。しかも自ら整備の維新軍・新世紀ロードウォリアーズを名乗ったりしており腕は悪くないが扱いが難しい)であり、食事から戻ってくれば見慣れぬ妙な目つきがただ者でない年寄りがいれば危ぶむのも当然であるが
 
 
「許可はもらっているぞ。・・・・朝の仕事から酒の匂いが悪いとはいわんが、酒の趣味が悪すぎるな・・・・ビールなど馬のションベンだ。まあ、貴様らションベン小僧には似合いだ」
 
ただ全然知らないわけではない。機構がアレでなぜあそこまでの使徒への殺傷力をもつのか謎としかいいようのない魔弾とそれを発射する零手観音と呼ばれたエヴァ用の拳銃、それらを扱い売りにくる不気味な体型の武器商人の名はそれなりに知られてもいた。
現所有兵装の中でおそらく最大限の攻撃力を秘めながら、それを身近に見ながら何一つ解明できず指をくわえているしかない、というのは屈辱であった。一応、ナリはこんなだがポジトロンライフルの整備要領だってちゃんとそのモヒカンヘッドの中にある彼らなのに。それに、移転希望を申請していたのは零鳳や初凰などの巨大刀剣に興味があったからなのに、いざ着任してみればその芸術品は「皇卵」なる鉄塊のような不細工な代物に変わってしまっており・・・・・大いにやる気を削がれている次第なのだが
 
 
「なんだとう!?てめえこのジジイ・・・・・・」
「ションベンだと・・・・うっ・・ションベンじゃねえションベンじゃねえションベンじゃねえ負けるなオレのイメージ、あれはビールあれはビールあれは・・・うっ!!おっ!!おえー!!カウント3はいっちまった・・・・・馬のションベンがフォール勝ちしちまった!あれは・・・馬のションベン・・・・おえー!、おえー!、おえー!!」
「ど、どうした!阿仁丸!!」
 
 
ちなみに両方とも外人ぽい顔の陰影とマッチョ具合であるがれっきとした日本人で、一本モヒカンが砲狗(ほうく)ダイサク、二本モヒカンが阿仁丸ヨサク、という名前だ。
 
 
「どうせこいつはションベン小僧には手も足も出せん代物だ。向こうで牛乳でも飲んでおれ。・・・・邪魔だ」
 
 
「「うっ・・・・・」」
 
ギロ、と睨まれて固まる砲狗と阿仁丸。ガタイの差など数々の戦場で武器を売り歩いてきた冒険武器商人の貫禄の前では零に等しい。事実、口から弾丸を発射できるという物騒な特技をもつコーンフェイドが音響測定用のハンマーまで持っているのだ。攻撃力が違う。かといって、ビール呑んでその後牛乳のみますなどいうハズカシー真似ができるわけもない。維新軍の面目丸つぶれだ。とはいえ、武器商人の目は「これ以上煩わすならば撃つ」と紛れもなく警告しておりカウントダウンに入っている。朝から酒など飲んだ罰といえなくもないが・・・・・・
 
 
 
「そんなところで部外者がなにをしている・・・・・・だーるね?」
 
 
ざわわ、ざわわ。風など吹くはずもないこんな地下工房に、そんな音とともに気配は。
 
静かな、それでいて大きな力がこれからやってくるような、南国の嵐の予感がその声にはあった。「うおっ!!?こ。このイントネーションは・・・・・・っ!」ホークとアニマルの二人が怯えたように、それでも確かめずにいられぬらしく、こわごわと振り返る。
今にもぶっ放しそうな武器商人からわざわざ視線を外して。
 
 
「・・・・ほお」
 
 
工房の入り口に立っているのは、すやすや眠った赤ん坊を抱いた女。細い目に宿る眼光はこれまたただものではない。整備服など着ているが・・・・・あの作戦部長と同等、もしやそれ以上・・・・子供を連れた雌は凶暴になる。戦闘力は数倍となり、つまり用心する必要がある。コーンフェイドは即座にそこまで見抜いた。が、女は近くの棚に赤ん坊を安置すると、つかつかとこちらに近寄ってこう言ったことは計算外だった。
 
 
「就業時間内で職場で飲酒とは・・・・・・・いい度胸・・・・・だーるね」
両の拳を構えた・・・・・・ボクシングか?・・・・思った途端に危険を予知する脳内メーターが振り切れた!。やばい!この女・・・・
 
 
「い、いや!!ワシは飲っておら・・・・・」
「ひいっ!!!!」
「すいませんすいませんすいません、赤野明さん!ちょとした出来心で・・・」
 
 
 
めてお&あるてま
 
 
飲酒非飲酒の区別分類なしに激突した隕石スマッシュと古代文明都市を一瞬で破壊しそうな絶望と破滅のボディブロウ。重力をコントロールしているかのような重さと強さできっちり計六発で男たちを沈める赤野明ナカノ。「酒が抜けるまでそこで寝てるだーるね」
 
 
言い残して赤ん坊をまた背負い直すと、行ってしまう。もちろん反論の余地などない。
まきぞえくらったコーンフェイドこそいい面の皮・・・・というか実は点検しながらちょびちょびと忍ばせていたシングルモルトを自覚のないまま舌を滑らす油だとして飲ってはいたから同罪なのだが。「フッ。魔弾にはおよばんが・・・・・なかなかのパンチだ・・・・」クレーターのように陥没した顔面が戻るまで後もう少しかかるだろう・・・。
 
 
 

 
 
魔弾の納入検認を終えてから、綾波レイの足は、なぜか「ロンギヌシュ」封印区画に向かった。意味のない行動ではあった。そこに至る経路は司令直属の通行禁止令が出ており、「溶ける」だの「塩の柱になる」だの「蠱に変身する」だのうかつに職員すら近寄れない別世界となっており、それはファーストチルドレン、エヴァ零号機パイロット綾波レイでも例外ではない。むしろ、彼女が近づかぬように、本部施設内でありながらここまで徹底したやり口をとったともっぱらの噂である。攻撃力、実戦でのお役立ち度で言えば500%は違うであろう魔弾装填済みの零手観音があんな感じのセキュリティであるのと対照的であった。
 
 
攻撃系の綾波者を引き連れていても、ロンギヌシュがある地区まで強引に通り抜けようとしたら一日仕事になるだろうし、その時間も意味もない。やりたい、と願えば彼らは喜んで従うだろうけれど、それがどういった代物であるのか、それにまつわる話を詳しくすれば、あまりいい顔はしないだろう。
 
 
だから、向かうだけ向かい、立ち寄る、といえぬほどの接近で、また次の予定をこなすため踵をかえしたところで
 
 
「あ・・・・・」
 
 
封印区画ゲートを向こうから抜けてきた、ひどく顔色の悪い彼女にあった。
幽霊にでもあったような顔をしている。名前は知らないが、顔は知っている彼女。
 
 
「・・・・・あ」
 
 
それが珍しく綾波レイに動じた一言を呟かせる。
 
 
ル・パロウ・ヴォイシス
 
 
蠅司令の連れてきた、というか、手足として派遣してきた血族、という点で綾波者と似ているが、それよりもさらに、なのがその顔で、山岸マユミクリソツなのである。
なんでこんなところに山岸マユミがあんな原始宗教っぽい格好でいるのか真面目に考えてしまったほどである。すぐに、他人の空似だと思い返したが、それにしても似ている。
 
 
「あ・・・・・・な、何か?」
 
蒼い顔してさらに思いも寄らぬ赤い目がたくさんいたのでかなり動揺したらしいパロウ・ヴォイシス。「こ、ここには、あまり近づかない方がいいですよ。たとえ、あなたでも。ファーストチルドレン」が、それを抑えつつ立場上役目上の警告を発する。スジでいえばここも本部内であるのでそんなことをよそ者のアンタにいわれる筋合いはないぞ、ということになるのだが。綾波者三人の赤目戦隊アカメマイザー状態にこういった口がきけるだけ大した胆力であり、これは確かに別人だなあ、と綾波レイは思った。まさかあの蠅司令が隠された秘技や奥義で三人を回復させてしまい、その代わりに召し使い代わりにしようというならただではおかぬつもりだったが。
 
 
 
「何を・・・・・見たの?」
 
 
いきなりな問いではあるが、口調はやわらか気味。一般基準では、これでか?、といわれそうだが、先ほどの赤木博士相手時のズバズバ調子にくらべれば日本刀と果物ナイフくらいの違いがある。山岸マユミ似の顔のせいか、この少女に自分と同様の苦労性の匂いを感じたせいか。
 
 
「あ、あなたにそんなこと・・・・・言うはずないじゃありませんか。それに言えるはずもない、ここで起きたことなんて、あ、あなたには特に。し、失礼しますっ」
 
猫背を強制するずいぶんと走りにくそうな衣装であるが、それでもてけてけと駆けていってしまうパロウ・ヴォイシス。「・・・・引き留め、ます?」ツムリが問うてくるが、「いい」止めさせる綾波レイ。それに遅いし反応。もう相手の背も見えない。
いってしまった彼女よりも、彼女がやってきた封印区画の最奥に視線を送る。
銀橋のような専門の術師ほどに詳しく見通すわけにはいかないが、とりわけ異常はないように思える。あの蠅司令が念入りに面子にかけて施した封印・・・・同じ手も通じまい。
 
 
とくに、ロンギヌシュ、元ロンギヌスの槍の波動やらは感じない。静止したまま。
なんの異常もなし、か。取り返しのつかぬ代償を払ってようやく手元に残した
 
 
 
カタミ
 
 
そう思うことは避けてきたが。これを手元に引き残しておくことで、いつかまた、再び、と思ったからこそ、ああいう暴挙に出てみたものの・・・・・・流れは止まらない。
行ってしまったものが帰ってくることはないのか。それとも結局は、引き留めきれなかったのか。形だけ残してみても、その中に宿るほんとうに大事なものは飛び去ってしまう。
 
 
人のつくった封印に縛られて身動きもとれない、すでに神性も魔性も失ってしまった物体。
 
 
そこになんの用事があったのか。ただの時間の無駄だった。一刻も早く三人を目覚めさせねば。八号機がし損じた場合、どのような備えをすればいいのか・・・・歩きながら考え続ける。
 
 

 
 
「クァビカさん!!聞いてください!出た、出たんですよ!!それで、ゆ、ゆ、ゆ、わ、わたし、誘惑されてしまって・・・・!!」
 
 
封印区画を警護するル氏の衛士であるわりにはあちこちほっつき歩いて自販機コーナーでオペレータの女性と談笑などしていたル・クァビカ・バタロウテイルに半べそをかきながら抱きつくパロウ・ヴォイシス。楽しい大人の雰囲気ぶちこわしだが「あー、お前よくこんな人の多いところまで来れたなあ・・・・・まだ日本の言葉に不自由な妹が迎えにきたんでそろそろ交代しますわ、それじゃ」「え、ええ・・・それじゃあ」怒るでもなく、適当に切り上げて仕事場に戻る。
 
 
「で、何があったんだ。ずいぶんと慌てていたが」
ただ、まっすぐでも、急いででもなく、ゆるゆると人気のない暗い場所へ。この一番若く一番真面目な術士が役目をほっといてこんな場所まで遠征してくるとはよほどのことがあったらしいが、封印に異常がどういう、ということであれば衛士である自分を呼びにきたりはせんだろう、程度の目安はつく。こんな若い娘が一日中、あんなガラクタとにらめっこしてりゃ多少、おかしなことを言い出すことにはなるだろうが。まー、欲求不満にはなるかもしれんし、ヘタにデキがいいときているから長に捧げられる将来もすでに決定済みときていれば・・・・そんな夢もみてしまうもんだろうか・・・・・・不憫だ・・・
 
 
「誘惑されたっていったじゃないですか!聞いてなかったんですか!!とてもとても怖かったんですから!あんなの伝説と神話だけかと思ったら・・・・ほんとに・・・・ほんとに、ほんとにもー・・・・・!」
 
 
「あー、声が大きい。術士なんか普段は黙っててなんぼだろう。で、誘惑というと、槍の化身でも出てきたか。それで、”この封印を解いてください。解いてくれたらいいことを教えてあげましょう”とか・・・直球昔話だな。それで、それにまんまとひっかかったパロウさんは封印を解かれて逃げ出した槍を再び捕獲する旅に出るのでありました、か」
 
 
「バカじゃないですか」
ル・パロウ・ヴォイシスはさきほどの半べそはどこへいったやら氷を砕くかごとく。
 
 
「だよなあ・・・・」
それに、その程度のお約束で逃げ出すようなタマでもない。いや、タマはないが。
その内心を見透かしたようにじろっともう一回強く睨んでパロウは続ける。
 
 
「でも、その通りなんです。おおよそ・・・・バカみたいですが」
「なんだと?」
それでバカ呼ばわりは割りにあわんだろう、とつっこんだわけではない。あくまでそれは冗談だったのだ。あくまで。あくまで。あくまで
 
 
「でも、わたしが怖かったのが、その姿が・・・・・・・・だったことです」
小声で、それでも足りぬように、耳元に近づいて囁く。その名は。
 
 
「・・・・どういうことだ?・・・確かめて、みたのか」
 
 
「そんなことできるわけないじゃないですか!だから一緒に見にいきましょうって頼むつもりで探してたのにクァビカさんはなかなか見つからないしネルフの連中にはわたしが見つかってじろじろ見られるし」
 
 
「・・・・まだ、いるのか?」
 
「分かりません。・・・・だから、怖いんです」
 
 
「他の術士連中には?」
 
「教えていません。・・・・・・こんなこと言ったらなんて言われるか・・・・・長の耳に入ったりしたら・・・検証用に片目を抜いてクムランに送れ、なんて命じかねません」
 
 
「見間違え・・・・・なんぞするようじゃル氏の術士はつとまらぬ、と来ている・・・しかもお前は優秀で、と・・・・・・・やれやれだな」
 
 
「そんな怪異が起こるほどの法具じゃなくなったはずなんです。あれはもうただの抜け殻・・・だから、怖いんです。神威や魔魅にやられて感覚が鈍ったわけでもない、起こるはずもない空っぽに、”あんなの”がやって来たから・・・・・・説明がつかないから」
 
 
「とはいえ、封印は有効に機能している、と考えていい。誘惑されたんだろ?その点じゃ良かったな。さっさと逃げてきたのも正解だな」
 
「・・・み、みょうなのが、封印儀式の間に入り込んでいるかもしれないわけですから、これはもう、衛士の仕事ということになりますね・・・・クァビカさん、お願いしてもいいですよね。ひ、ひとりでも・・・・大丈夫、ですよね」
 
 
「ああ」
躊躇も恐れもなくル氏の衛士は封印区画に向かう。不測の事態にありて嬉しそうでもあるその背の強さ逞しさ。しばらく躊躇っていたが「あ、やっぱり私も・・・・」とてとてと駆けてついていくパロウ・ヴォイシス。
 
 
 
だが、封印の間には誰もおらず。サボり組すら戻ってきていない。身代わりの人形たちだけがいるだけだ。槍にかけられた封印は正常であり、ル氏の札、塩法印、ゲドルト鎖など改変された跡など綻びひとつない。
 
 
「あ・・・・」
 
 
「消えた、か」
 
 
二人ならんでゲドルト鎖に繋がれた哀れな巨大マジックハンドを見上げる。神性にも魔性にも取り残された虚ろな抜け殻・・・・赤ワインに漬けてごまかしたキングコングの手のミイラ、といった見せ物小屋程度のインパクトしかない。
 
 
 
だが、少し前に、ここにいたのだという。彼女の言葉を信じれば。
 
 
エヴァ初号機パイロット、サードチルドレン、碇シンジが。